2007.5.7_稲田 郁子――ワンポイントレポート「大峰奥駆と女人禁制」


■2007.5.7_稲田 郁子――ワンポイントレポート「大峰奥駆と女人禁制」

 4月末の大普賢岳は天候にも恵まれ、よい山行きでした。一日目は大和三山にこだわりすぎて、天の香具山(標高152m)しか登れず、吉野はスリル満点のドライブだけ楽しみました。宿は、ゴールデンウィークでもここまでは人が来ないのかと思うほどの山の中で、夕飯は牡丹鍋(猪肉)と鹿肉の刺身(解凍)がでました。山は大峰山のなかでも急峻というとおり、梯子や鎖が続いてそれなりにスリルがありました。また大台ケ原も見え、近畿の山の奥深さも味わいました。

 その中で大普賢岳頂上直前から七曜岳までは“大峰奥駆”と呼ばれる道の一部です。“薩摩転げ”とか“内侍落とし”とよばれる難所があります。頂上で私達は、女人禁制であるという北の山上ヶ岳から来た人に会ったのでそれについて訊いてみると、「当然禁制です。つまみ出されますよ。」ということでした。帰宅後、さらに調べてみました。

“大峰奥駆”というのは吉野から熊野まで続く修験者の鍛錬の場であって、昔はすべて女人禁制でした。吉野の最高峰青根ガ峰には、昔の女人結界の石標があります。現在では大峯山寺本堂のある山上ヶ岳のみが禁制を守っています。そして北は五番関、南は阿弥陀ヶ森、西は清浄大橋に女人結界の門があるのです。(東の山麓に下りる道はありません。) ここにいつも番人がいるということなのでしょうか??

 朝日新聞社刊百名山(2001年)の文によれば、「21世紀を前に禁制解除の動きがあったが、奈良県の女性教師と家族13人が結界門から強行登山したため、寺や地元信者が硬化し、女人禁制を当面堅持することになった。」ということです。

 現在のいわゆる登山ツアーで、“大峰奥駆縦走”というのは、大普賢岳より南で、弥山から登り大峰最高峰の八経ヶ岳を経て釈迦ヶ岳から前鬼へおりるコースであって、勿論山上ヶ岳は含まれないし、奥駆道のほんの一部ということになります。釈迦が岳から熊野大社まではさらに吉野からの距離と同じだけ残っており、山中何泊すれば着くのか、簡単にはわかりません。

 日本のほかの山では、「岡山県の最高峰、後山も同じ女人禁制だが、ここは女人堂から先が指定されて、山頂へは別コースでいけるらしい。」とやはり朝日新聞刊百名山の文にありました。

 個人的には、最高峰にいけるなら、大峰山も、それほど目くじらを立てなくてもよいかという気もしますが、地元に住んでいれば、感想も異なるでしょう。これから女人禁制の山はどうなるのか、興味はあります。


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