2007.5.12_宮田 禎子――ワンポイントレポート「弥彦の神さま」


■2007.5.12_宮田 禎子――ワンポイントレポート「弥彦の神さま」
 弥彦の神さま
 弥彦山は日本有数の知らぬ人とてない大きな神社である。我々は、楽しいヤブコキの後多宝山を経て弥彦山頂に着いた。はじめの山頂は大きな石の碑があり「弥彦山」と書かれていた。次にも山頂というところがあった。
 しかし、テレビ等がいくつかある側を通りすぎ奥へ進むと大きく展望の開ける高台があり、そこにやっと「弥彦神社御神廟」と額のかかった鳥居があり、そこがヤッパリ正式な山頂と思われた。何故か山頂のいくつもある山である。
 「弥彦神社御神廟」は、新しそうな立派な明神鳥居があり、周りは柵で囲われている。柵の中は雑草と僅かに石のようなものが見られただけだった。社は無い。  現代の神社でこのような古式な社の無い神社があったとはと驚きだった。古代には、神様は山や大木など大きなものに宿ると考えられていて神社は無かったそうである。  鳥居と何らかの神聖な場所として岩とか砂利を集めた所などが用意されていただけと聞く。那智の滝(那智大社)や三輪山(大神神社)などが今でもご神体そのままの姿として残されていて、特にお社を設けていないのはその名残というか昔からの神社そのままの姿らしい。
 弥彦神社御神廟にお参りをし、回りの景色を眺めていたら白い着物を着た神職のかたがぶらぶら歩いていた。
 呼び止めて「この御神廟には何でお社が無いの」と聞いてみた。
 すると「お社は下に大きいのが有るのでそれで十分です」という返事。予想に反した答えにうなってしまった。
 「ではこの御神廟におまつりされておられるのは誰ですか」と聞いたら「下のお社の父神様の天香山命と母神様のホニャララです」との返事。家に帰ってそのホニャララ(私が聞き取れなかった言葉)とやらをを調べたら、「妃神熱穂屋姫命」だった。
 「じゃあ下のお社には誰がおまつりされているの」と聞いたら、当然のことだが「天香山命です」という。
 ムムム。何か変だ。父と子が同じ名前だなんて。人の名前もなかなか覚えられない私はとっさに神様の名前など出てこないので、それ以上突っ込んで聞く事は出来ず、疑問を抱えたまま帰ってきた。
 我々は山から徒歩で降りてきたので立派な随神門から出ただけで入らなかったが、門の内側にこれまた立派に聳え立っているお社は拝殿である。ちょっと横に回ってみたが後ろに本殿があったかどうかは分からなかった。本殿はやっぱりあの山頂にあった弥彦神社御神廟ではないかと思った。
 要するに、あの御神廟は、古代の神社形式にのっとっているが、下にお社を持っていたのである。
 御神廟と立派なお社は親子関係ではなく、御本神と拝殿という関係ではないのだろうかと疑問を持った。しかし、残念ながら私の手持ちの本では詳しいことは分からなかったので、いつか忘れなかったら折をみて調べてみたいと思っている。
 下山して例の如く温泉に入った。その帰路タクシーの中から大きくて真っ赤な権現鳥居が遠望された。「大鳥居」と称し昭和47年に上越新幹線開通を記念して建てられた弥彦のシンボルだそうである。
 これは帰りの電車の車窓からも見ることが出来た。その時の疑問は何で此処で権現鳥居なのかということだった。
 今までもいくつかの鳥居をここ弥彦でくぐったり見たりしたがみんな明神鳥居だったはず。これをネットで見たら、【北側の峰は「十宝山」といい祭神が熊野から運んできた十種の神宝を埋めた場所】とあった。やっぱり、熊野権現と何らかのかかわりがあったらしいと何となく納得した。
 日本は山国である。そして何処の山にも有名無名を問わず神様がおわしますらしい。その山々に最近行くようになって様々な不思議に出会い、神様も何となく親しく感じられるようになってきた。ハイキングの効用はいろんなところにあるらしい。


★トップページに戻ります