2008.9.25_矢野 博子――ワンポイントレポート「御岳・裏妙義」


■2008.9.25――矢野 博子さんの「御岳・裏妙義」レポート

 先日は本当にお世話様でした。
 とても良い経験をしたと思ってます(ヒル以外は)。
 それは 想定内?(日経のコラムの言葉お借りすると)の出来事だけで済んだからだと 思ってます。
 次期の予定表 届きました。10月〜3月 の c ○です。
 9c 裏妙義のレポート 送ります。

 9月23日 JR横川駅より 御岳・丁須の頭 をめざした。資料(今回の地図は 今までより拡大されていてとても見やすい)によると 42ポイント。
 10時に横川駅を出発して15時半には下山という内容。標高差も600mあまり。ただし 岩場なので時間は全て目安との注釈。
”前回の菜畑山が71ポイントだったから今回はそれに較べたら随分短いし 標高差も大した事無い 楽勝かしら?”などと軽く考えていたら 10時出発、19時半下山。行動時間九時間半というとんでもない事になった。
 歩き始めて 30分も経たない内に 最初の難関。沢の流れの脇の岩がどうしても登れず コーチが一人ずつ 確保をして 9人が登り切るのに一時間もかかった。多くの人が ロープの装着法が分からず そこでも時間がかかってしまった。 まだスタートしたばかり。これから先が 思いやられた。
 これが挑戦の始まりだった。(そして この時 既に ヒルとの戦いも始まっていた) 振り向けば 国道がまだ見える所だ。
 その後も 奇岩、巨岩の 連続で 這いつくばって 鎖にぶらさがって 御岳の頂上に 12時に着く予定が 14時半到着。二時間半遅れだ。
 緊張の連続で 仲間が難所を通り抜けるのを待っている場所も 足場が悪く 右でも左でも一歩踏み外したら危ない崖っぷちなので 気が抜けない。緊張しているせいか 喉が渇く。
 これから先は 尾根歩きとなり 少しは今までより楽になるかと思いきや 地図に表れないほどの 30m〜50mぐらいの アップ ダウンの 連続。これでもか これでもかと岩が行く手を阻む。
 またまた難所 登場で 確保をしてもらいながら 何とか上がる。”もっと体を起こして!”とコーチの声が飛ぶが 足場の確保が悪いのか 手が離せず往生した。
 丁須の頭の根元に 16時半に着く。下山に一時間半かかるとすると 18時になる。今日の日没が17時半なので 予定変更して 一気に下山する事になった。危険な箇所を明るいうちに通り過ぎなければいけないからだ。軽アイゼンをつけたまま 下る。アイゼンの威力をつくずく感じた。
 下りにも何箇所も鎖があったが 登りよりは はるかに 楽だった。何とか 難所を通り過ぎた所で 日没につかまり 皆でライトを使いながら下りる。暗い道を下って行く怖さを 随分味わった。
 光が上手く届かず 足場がとても深い谷のように見え 足がすくんだが 近くで照らしてみると 単に影になっているだけで 何でもない岩だったりした。光のありがたさと日没前に行動を終える重要性を痛感した。
 町の灯りやら 国道がチラホラ見え始めて やれやれと 気持ちも随分楽になってところで 道が間違っていることに気づく。ほんの少し前に 標識を見たばかりなのにだ。コーチが偵察に行っている間 皆はザックを降ろし休憩をとったが この間にヒルのまた餌食となっていた。何せ 真っ暗で ヒルなんてとてもみえない。
 まもなく道が見つかり 無事19時半下山。
 横川駅でザックの整理など始めると アチコチから”きゃーっ、ヒル!”という悲鳴。丸々と太ったヒルが ザックから靴からバラバラと出てくる。
 ご他聞にもれず 私もその被害者。トイレで着替えていると 和式のトイレに一匹落ちたヒル。水を流しても底にへばりついて 流されていかない根性、厚い靴下を二枚はいていても進入してくるのには脱帽。
 電車に乗り込んでもあちこちからヒルが出現し 電車の中は塩を撒いたり つぶしたりと ヒル退治の場と化した。(だが 約一名被害に遭わない人がいた。何故? と皆で首をかしげた。諸説出たがどれも確証はない)
 横川〜高崎間で 一通り退治が済んだので 新幹線に”だるま弁当”¥900也を 持ち込み 家路についた。(峠のかまめしに劣らず 美味しかった)
 かなり危険な岩場をいくつも這い上がり また真っ暗な山道を下り 更に道に迷うというかなり内容の濃い一日だったが ヒル騒ぎで それはどこかに飛んでしまった。 
 これで少しぐらいの岩場には ビクともしなくなればいいかなと思ってます。本当にお世話様でした。


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