木ノ又大日沢遭難未遂報告
………1998.9.5(糸の会お知らせ)


■木ノ又大日沢遭難未遂報告
●8月16日の日曜日におこなったのは8Cの木ノ又大日沢でした。まずはその計画書(糸の会通信755-757ページ)の「テーマ」と「行動」を再録しておきます。


■テーマ
●お盆休み恒例の沢遊びです。沢登りというより、ワラジをはいて濡れた岩場を歩いてみるという体験です。
●「8C」は原則として遅めの出発なのですが、夏休み特別バージョンということで早い出発にしました。じつは糸の会でやれる沢がなかなか見つからなくて、今回は従来よりさらに標高差が大きくなりました。早起ちが好ましいのです。
●沢ではワラジを履きます。当日、大倉バス停前のどんぐりハウスで購入しますので、破れていい靴下のたぐいをお持ちください。(くわしくは持ち物欄参照)
●着ていった服は沢で全部濡れてしまうかもしれませんので、着替えを一式、ポリ袋で二重に防水してお持ちください。
●安全第一に登りますが、手足の擦り傷などはありうると覚悟しておいでください。


■行動
1100ごろ_戸沢出合に集結
*戸川林道を行き止まりの戸沢出合までレンタカーで行きますが、2往復することも考えられます。待ち時間は昼食時間に当ててください。
1100ごろ_戸沢出合出発
*登山道の書策新道を登ります
1200ごろ_水無川本谷。沢歩きを開始
*時間がどれくらいかかるかわかりませんが
1500ごろ_表尾根稜線
1600ごろ_塔ノ岳
*時間に余裕がなければ行者ヶ岳方面に下ります
1800ごろ_戸沢出合
*風呂に入りましょう


●参加者は以下の14人でした。わかりやすくするためにグループ別に名前を紹介しておきます。

伊藤 幸司――伊藤 朝(娘=中1)
I.植松――M.伊藤(姪=21歳)
M.本川――A.今井+けいた(娘と孫=小1)
Y.笹本――K.岡原+あかね(娘と親戚の子=小2)
Y.春日
T.関根(千葉)
K.武田(千葉)
K.吉澤(復帰後初参加)

●植松さんは今度の本で沢歩きに初参加した感激の手紙を引用させていただいたUさん。すなわち昨年の流れの沢(8.7の8Fw)が糸の会初参加。姪のM.伊藤さんは蓼科山のスキー(2.28-3.1)に参加しています。
●本川さんは千葉の朝日カルチャーの1期生で常連ですが、糸の会への参加は昨年の夏からで、植松さんと同じく流れの沢が糸の会初参加。その月の大山(8.16の8Fc)には孫のK.今井くんを参加させています。
●けいたくんは昨年、幼稚園の年少組ながらがんばり屋のところを発揮していました。そのお母さんのA.今井さんから、8.12に次のような問い合わせがファクスで入りました。
★前回の御案内の中で、この沢登りは子連れ可という様に記載されていたかと思い、息子(けいた、小1、身長130cm、27kg、小3ぐらいの体力あり。昨年はお世話になりました)を連れて参加しようと考えております。が、よろしかったでしょうか?
★子連れが不可の場合は、恐れ入りますが、下記迄FAX返信頂ければ有難く思います。
★お忙しいのにお手間をとらせて、申し訳ございません。少し不安になりましたので、FAXさせて頂きました。

●けいたくんのお母さんのその「少し不安」が現実のものになってしまうのですが、小学2年のあかねちゃんを参加させたいというY.笹本さんからも次のようなファクスが入りました。
★連絡遅くなって済みません。子供のことが心配だったので私の長女も一緒に参加させて下さい。教師をしています。
あかね(8歳)親戚の子
K.岡原(私の長女)
★伊藤さんに散歩会で2回ほど丹沢の沢登りに連れて行ってもらったことがあります。「クズハ川」と「流れの沢」です。とても気持の良かったのを覚えています。
●笹本さんからの最初のファクスは次のようになっていました。
★ごぶさたしております。伊藤さんにはいろいろお世話になりました。千葉さんにも聞いたと思いますが、左のヒザを少し痛めて下りますので不安を抱えております。
★8C=8.16(日)の沢登りに参加させて下さい。小学校の女の子も一緒にお願い致します。時間、その他、お知らせ下さい。
●笹本さんのいう「散歩会」は、山と溪谷社の元社員でいまは独立して「ポカラ」という雑誌を出している阿部さんという人が中心になっている遊びの会員組織「遊人倶楽部」のなかの催しのひとつで、1991年から93年にかけて、日帰りの山歩きに何度かご一緒しています。その散歩会の世話人がマンガ原作者のS.千葉さんで、まずご当人が糸の会に会員登録、配下のY.笹本さんとK.茨木さん(どちらも会員登録ずみ)のおふたりの歩き方のリハビリを依頼してきたのでした。ですから笹本さんは糸の会は初参加でも、馴染みではあったのです。


●このような2人のお子さんに対する不安に私がわりに軽く対応していたというのが今回の遭難未遂の重要な伏線になっています。
●そこで、なにがどうなったかというと、計画で15時に出るはずだった表尾根稜線(木ノ又小屋近くの木ノ又大日。道標のコースタイムで塔ノ岳まで25分のところ)に出たのが19時だったのです。4時間の遅れでした。
●しかし、私はまだそれほどあせってはいませんでした。そこから塔ノ岳を経て大倉尾根稜線から戸沢出合に下るのを3時間と見ていましたから、行者ヶ岳手前から戸沢出合に下る道をとれば、そこにレンタカーを置いてあるので、全員乗り込んで駅まで走れるというふうに踏んでいたのでした。しかし車にたどりついたのは午前0時。下りにさらに5時間かかったのです。

●沢は戸沢出合から書策新道で水無川本谷の上流部に出ます。そこまではだいたい予定どおりにいきました。沢は明るく清潔感のあるところが好ましく、春日さんと「いいですねえ」などといいながら登っていったのですが、気持ちのいいシャワークライミングという感じのところがなくてすこし寂しい気がしていました。
●そこで核心部の「F2=5m」という滝を全員で登ろうとしたのが、15時前後。伊藤が登り切れずに高巻きしてロープをセットし、全員が登り切ったのでした。
●その上の「F3=8m」は滑り台を登るような高巻きをして、いよいよ源頭部に出たのでした。山と溪谷社から出ている『丹沢の谷110ルート』の超初級の沢は鈴木澄雄さんがていねいに書いているのですが、最近では山岳写真家として名の出てきた鈴木さんも遊人倶楽部の関係者で、私に「流れの沢」を教えてくれた人でした。彼は最後の詰めのところをこのように書いています。
「F3の上は明るく開け、表尾根を見上げれば広大なガレ場開けている。ガレた源流でも伏流にならずに、水流がある。適当なところでガレの右側の尾根に逃げる。雑木につかまりながら登っていくと、古いロープが張ってあった。木ノ又小屋の水場へのルートになっているようだ。最後はスズタケの中の踏み跡になり、木ノ又大日に登り着く。」
●この「適当なところ」から「雑木につかまりながら」登っていくというあたりで濃い夕暮れになり、悪戦苦闘という感じになっていったのでした。
●崩落地形の周囲の急斜面のところを強引に登っていくのは山道を歩くのとはまったくちがう大きなパワーが必要なところで、薮漕ぎですから1時間でどれだけ進めるかもわかりません。ようやく「スズタケの中の踏み跡」を確認した草付きの斜面で休憩。街の明かりを見たのでした。「こんなきれいな風景はあまり見られないわね」というような元気づけの言葉が交わされたのでした。稜線に出たのは、それからもうひと踏ん張り、笹薮をくぐり抜けた後でした。
●真の闇に包まれる前に登山道に出たいというのが私の、このときの最重要課題でしたから、休憩をほとんどとらずに登りつづけてきたのでした。F2をひとりひとり登ったときに、武田さんにお茶を湧かしてもらって1杯ずつ飲んだのが休みらしい休みの最後でしたから、みなさん、夕闇に背中を押される気分でずいぶんがんばったわけです。
●表尾根の稜線の道は、まるで舗装路のようにしっかりとして広々と感じました。塔ノ岳の尊仏山荘の明かりが、でも25分では無理だろうなというところに見えていました。私はみなさんに休んでもらって、甘いものを分け合ってもらったりしましたが、夕食にあたるようなものはありませんでした。

●そこで私はどうしてもしておかなければならないことがありました。レンタカーの営業所が閉まる20時までに今日は返せないということを連絡しておく必要があったのです。電話が通じるかどうかチェックするために自宅にかけたらかかったので、いま4時間遅れで尾根に出たこと、これから暗くなるので下山が何時になるかわからないので、もし電話があったら安全に下っていると伝えてほしいということを妻に頼んでおきました。つづいてレンタカーとも連絡がとれて、明朝8時に返せばいいということになったのでした。
●まだかすかに道が見えるので、できるだけ進んでおきたいということと、稜線のあちこちから街の明かりが見えるはずなので、小さな休憩を入れるごとにみなさんに自宅に連絡をしてもらおうと考えていたのです。
●携帯電話は、笹本さんのが稜線に出る手前のところで鳴って通じていましたが、それ以降はかからなくなってしまいました。電池切れと笹本さんはいっていましたが、フル充電して、スイッチを切って持っていた私の携帯電話もそれ以後、どこからもかけることができなかったのです。足元に秦野の明るい光があるのに、電話は通じないのです。
●木ノ又小屋も新大日茶屋も書策小屋も、みんなもちろん閉じていました。歩く速度は急激に落ちて、行者ヶ岳手前の下山路まで1時間以上かかっていました。

●そしていよいよ森林の中の下りです。昨年の毛無山の遭難未遂の遠因のひとつにライトの不足があったので、あるだけのライトということで4本持ってきていたのですが、足りませんでした。ちょうど、軽くて小さくて扱いやすいコールマン印のポケットライトを見つけたので、使ってみてよければまとめて買っておこうかと思って持ってきていたのですが、それもまだ1本だけ。14人のうち半分の人がライト無しだったのです。
●例によって、できるだけ点灯時間をセーブしながら、かつ転倒しないようにゆっくりと下り始めたのでした。ガイドブックのコースタイムで1時間10分のこの道は6月に朝日カルチャーセンターの人たちと下っています。昼間で2時間といったところでしょうか。
●ここではもう全員がヘトヘトでしたが、歩かなければどうにもならないということで、不平や非難の言葉はまったく出ませんでした。2人の小学生に逆に元気づけられながらただ黙々と下っていったのでした。
●一番大変だったのは小2のあかねちゃんでした。すでにF2をシャワークライミングするところから恐怖を感じたようで、泣いて訴えることが多くなりました。F3脇の高巻きでは滑り落ちそうな斜面にしばしばストップ。そこから稜線までは、お母さん役の岡原さんとおばあちゃん役の笹本さんに押し上げられたようなものでした。

●稜線に出てからは、先頭の私があかねちゃんと手をつないで、その後ろにけいたくんが続くというかたちを取りましたから、笹本/本川グループの6人が列の前半を固めたかっこうになりました。
●22時を過ぎるころには、もうだれもが歩き続けるのにうんざりしていました。車を置いた河原あたりのキャンパーの明かりが杉林越しにはっきりと見えてからでも、いくら歩いても着かないのです。沢音が近づいても、それが期待をまた裏切ってしまうのです。2度ほど、近くでシカが鳴いたのをそれぞれの思いで聞いたのでした。
●下りがどこまでも終わらないという気分におちいったあたりで、あかねちゃんの疲労はピークに来ていました。「あと10分で着きマスカ?」としきりに私に聞くのです。「15分かもっとかかるよ」とけいたくんは叱咤激励しています。子どものそういうやりとりが、14人の列に動きつづけなくてはいけないという暗黙の了解を与えていたと思うのです。
●ライトに電池切れのものが出てきました。使い初めて4時間以上、うまく使ったと思いますが、また条件は悪くなってきたのです。暗くなってからは、転倒が一番恐いのでスピードは絶対に上げられません。しかしそうするとライトの転倒時間が長くなる。そこのところの綱渡りが、じつはいちばんむずかしいところなのです。
●ほんとうにあと一歩というところで、あかねちゃんは眠気に襲われ始めました。私の手の張りが弱くなると、とたんにしゃがみこんで、ぐったりとしてしまうのです。笹本さんは後ろからいろいろやっていますが、とうとう限界という感じです。春日さんに荷物をすこしもってもらってザックの上にあかねちゃんを乗せてみましたが、眠られたら落ちそうな危険を感じて、きちんと背負うことにしました。私のザックは植松さんの姪のM.伊藤さんが背負ってくれると申し出てくれました。
●あとで聞くと娘の朝もそうとう眠かったそうですから、小さい2人にはほんとうにつらい山歩きになってしまいました。

●ともかく午前0時ごろにようやく車のところにたどりつき、14人が乗り込んで秦野駅へと下りました。そこで各人家に電話を入れて、善後策を相談しました。千葉からの武田さんと関根さんは、24時間営業の入浴施設・皇源健康センターの仮眠室を利用して、朝の電車で帰ることとなり、車の乗車人数はおとな10人と子ども2人となったので、東京まで走ることになりました。武田さんたちを風呂に送る道筋にあった不二家のファミリーレストランでとりあえず食事。さすがに疲れた本川・笹本グループは飲み物とアイスクリーム程度でしたが、ほかの人たちは遅い食事をすませたのでした。
●車は国道246号を東京方面に向かいながら、タクシーのつかまりそうなところでみなさんを下ろして、午前4時半ごろに大森で笹本さんと茜ちゃんを下ろしたのが最後でした。


●翌日がフリーの人はともかく、仕事のある人にはたいへんご迷惑をおかけしました。山では時間に遅れが出ることは十分にありうることとはいえ、日帰りの計画がその日のうちに帰れないというところまで遅れたら、それは計画に余裕がなかったといわざるを得ないのです。
●ここではくわしくは書きませんが、糸の会の行動ではサブリーダーを設けませんが、同時に連絡本部という機能も備えていません。どちらも山の行動では常識的な必要要素でありながら、あえて私はそれを排除した完全ワンマンシステムをとっています。
●ところが今回は、計画書と名簿をきちんとセットにして自宅に置いてきていた上に、午後7時に電話の感度チェックのためとはいえ、みなさんの留守宅から問い合わせがあったら対応してほしいという依頼をしたのでした。これによって、妻と長男は連絡本部としてすべきことはないのかといろいろ話し合って、午前0時を過ぎても連絡がなかったら警察に相談しようと決めていたというのです。
●ひとつだけいえば、山でなにかあったとき、それが遭難未遂という段階なら、ありうることは「朝を待つ」ということです。ですから夜中に連絡しても、それだけでは警察も動きようがないのです。もし実際に事故が発生していたら、私たちのように大人数の場合には、だれかが直接救助を求めるか、動けない人だけ朝を待つ態勢をととのえて、元気な人だけで下山するというような方法の方が一般的です。「朝を待つ」ところから、いろいろな動きがはじまると考えていいのです。そういういろいろな「読み」ができる人間が決定権を託されて連絡を担当するのでなければ、問題が複雑になるばかり――ということが多いのです。
●実際にわが家に入った問い合わせの電話は1本だけでしたから、留守宅に具体的な仕事は何もなかったといえるのですが、帰ってから、留守宅のあり方についていろいろと話すことになりました。
●こういう仕事をやっていると、いつかなにか遭難に類することが起こるかもしれないわけで、そのことを考えれば家族の協力ということよりも、山岳界といった世界との連携を求めることのほうがはるかに重要なのです。が、私はあくまでも周囲との関係を断ち切ってやってみたいと考えているのです。
●長男は「計画どおりにいかなかったのだから講座料を払い戻すべきではないか」と感じたというのです。責任の取り方として一理あると認めるものの、そういう解決策こそ安易に流れるという主張を私は通しました。というのは安全にやる方法を知らないわけではないからです。主催者がいてそこが神経質な場合には、計画段階で安全度を高めておきます。安全なお皿の上でスリルを演出するという方法を私もやっていないわけではないのです。しかし、そういう演出主義にあまり踏み込みたくないと私は思っています。
●けっきょく、娘の朝が参加者のひとりとして感じたみなさんの雰囲気は、気持ちをひとつにして難局を乗り切ったという印象だったということで、留守宅の不安やら不満は一応解消したのでした。何があったのかをみなさんにきちんと報告することと、できるだけ早く、参加したみなさんにお詫びするということで、家族ミーティングは終わったのです。この報告は、したがって家族会議の結果どうしてもまとめなければいけないもの、となったのでした。


●ただ、お詫びの方はそのままになって現在にいたっています。あの日、午前8時に秦野駅前にレンタカーを帰した後、わが家は車で月火水と家族キャンプに出かけ、そのあとは土日・火・水・木金と山行きの仕事が続いて、当面、丹沢の沢は遠い昔のことのようになってしまったのです。
●おくればせながら、ご迷惑をかけましたこと、お詫びいたします。一番心配なのはあかねちゃん。こちらは小さい女の子と手をつないで長い時間山歩きをするという素晴らしい体験もできましたし、背中で眠ってくれてホッとしたりで楽しい思い出になっていますが、あの年頃であれだけ強烈な体験をしてしまうと、山嫌いになってしまうのではないかと心配です。
●ふたりのお子さんの保護者の方々にとってちょっと心配な計画であったことは事実です。その不安を私があまり重視しなかったというのが直接の判断ミスでしたし、お子さんを受け入れるなら知っている沢にするか、下見をして実施すべきであるという世の中の原則がやはり必要であったかと思います。必要である、なしにかかわらず、「大丈夫でしょう」という返事に裏付けがなかったわけです。
●どういう言い訳をしようと、この山行はハプニングを起こしてはいけないタイプになっていたといわざるをえません。そこのところの認識が甘かったのが、「大丈夫でしょう」という甘い返事になってしまったわけです。
●とにかく、小さな女の子を山嫌いにさせてしまうほどのハプニングは起こしてはいけなかったと反省しています。道々けいたくんが「沢登りはたいへんだけど、山登りなら大丈夫だよ」とあかねちゃんをなぐさめていました。それが私には一番つらい言葉でした。ごめんなさいあかねちゃん。


●なお、秦野で仮眠した千葉のおふたりからは、その後ファクスをいただいています。

■武田和夫さん――8.19
●先日はすっかりお世話になりました。
●夜中と早朝にふろに入り、一番で帰りました。

■関根登美子さん――8.19
●伊藤先生、16日の沢遊びは、本当にお疲れになった事と思います。ありがとうございました。
●とにかく私は初めての経験で、わらじを履いて、登り始めはワクワクとしていたのですが、すぐに登りきれなかったらどうしようと不安な気持ちに変わってしまいました。
●でも、その場、その場で先生が何をどうしたら安全かを考えて下さり、又、かわいい小学生の2人が必死に頑張っている姿や、朝ちゃん達の若いパワーに勇気づけられて、何とか最後まで無事に行動出来ました。本当に皆さんのおかげです。しかも天候に恵まれて、満天の星と180度の素晴らしい夜景まで見る事が出来、参加して良かったと思いました。
●案外にぎやかな真夜中のレストラン、それにめったに出来ない朝帰りとおまけは一杯。楽しかったです。ベランダに揺れているわらじは私の“金メダル”です。
●心よりお礼申し上げます(FAXにて失礼致します)


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