毎日新聞社――シリーズ日本の大自然(国立公園全28冊+1)
「日本の大自然・9・釧路湿原国立公園」
1993.11――入稿原稿


■国立公園物語…釧路湿原

●釧路湿原国立公園が生まれた日

 パソコン通信の大手ネットワークの会員になると主要な新聞のデータベースを利用することができます。駅で1〜2部買う程度の金額でおよそ1分間読むことができますが、1分間といっても毎秒150字ぐらいの高速ですから、パソコンやワープロの記憶装置にいったん読み込んでから、改めて表示したり、プリントアウトして読むことになります。
 ここではニフティ・サーブという大手の商用ネットワークを利用しますが、全国各地にアクセスポイントを用意していますので、利用環境に地域差はほとんどありません。
 まず毎日新聞のデータベースを呼び出します。
 ――毎日新聞データベースに接続されました。1987年1月1日〜1993年7月8日までの記事が検索できます。――
 1987年1月1日以降の記事が電子化されていて、アクセスした1993年7月10日の前々日の8日までのすべての記事を縦横に利用できるという意味です。(もちろん、データベースでは新聞が届くまえに記事を読むことも可能ですが、速報分は別の窓口で扱っています)
 続いて指示を求めてきます。
 ――次の処理を選択して下さい。1.検索を始める、2.コマンドモードに移る、3.補助機能を利用する、E.前画面に戻る、T.データベース選択に戻る、OFF.終了――
 ここから、いくらか特殊な操作が必要になります。私は「2.コマンドモードに移る」を選択しました。
 ―― コマンド検索モードに変わります。――
 新聞データベースの読み方にはいろいろな方法がありますが、ここでは「S FT クシロシツゲン」と指示しました。Sはサーチ(検索)、FTはフリーターム(自然語) ですから「釧路湿原という言葉のある記事を探してください」という意味です。
 すると数秒後に、次のような答えが戻ってきました。
 ――78 ケン デス.(\1) ――
 求めた記事が過去5年半に78本あるというのです。さらに絞り込んでいくのなら、その78件に対して時期を指定(DT) したり、別の言葉を含んでいるもの(AND) 、あるいは特定の言葉を含んでいないもの(NOT) だけを取り出すことができます。
 ここではそういう絞り込みをせずに、毎日新聞が「釧路湿原」をどう伝えてきたかを、見出しで一覧してみることにしました。
 そこで私は「P1」と指示します。「見出しだけプリント(ダウンロード) します」という意味です。数秒の間隔をおいて、電子データが送り出されてきます。
――(引用開始)
◆000001 (870625M07001011)
日本最大の湿原・北海道釧路湿原が28番目の国立公園に
87.06.25 東京本紙朝刊 1頁 1面 写図有(全734字)
――(引用終了)
 第1行の「◆000001 (870625M07001011) 」は、私の検索に対する通し番号と、記事のコードです。「釧路湿原」をタイトル・本文中に含む記事は、◆000001から◆000078まで掲載順(古い順) に並んで送り出されてくるので、その中のどれかをもっと詳しく読みたいときの指定番号にもなります。
 第2行は見出しです。ここでは「日本最大の湿原・北海道釧路湿原が28番目の国立公園に」となっていますが、この例だけでもわかるように、新聞の見出しはテーマを圧縮していますから、それだけでもポイントがつかめます。内容のつかみにくい見出しだったら釧路湿原が主役ではない、と考えていいでしょう。
 第3行が「87.06.25 東京本紙朝刊 1頁 1面 写図有(全734字) 」というふうにきます。これが記事の戸籍です。これによって図書館で現物をさがすこともできますし、文字数によって記事の大きさも判断できます。
 続く見出しを見ていくと、たとえば1987年に、次の記事があったということがわかります。
――(引用開始)
◆000002(870625M09341060)
釧路湿原の国立公園決定に
地元は自然観光に大きな期待
87.06.25 東京本紙朝刊 6頁 社会 写図無(全683字)
◆000003 (870704M21741061)
湿原描く釧路の老画家が自作千点をJRに寄贈
87.07.04 東京本紙朝刊 6頁 社会 写図有(全605字)
――(引用終了)

 ここまで見てわかるのは、◆000001の記事と◆000002の記事は同じ日のもので、第1面と社会面とに出たということがわかります。1面は写真か地図がついて734字、社会面は記事だけで683字ということです。
 そこで、たとえばこの2本の記事を読むべく、指示を出します。「P3 REC(1 2 ) 」(78件のうちの1番目と2番目の記事をタイトル・本文を全文出力してください) と入力します。
――(引用開始)
◆000001 (870625M07001011)
日本最大の湿原・北海道釧路湿原が28番目の国立公園に
87.06.25 東京本紙朝刊 1頁 1面 写図有(全734字)
 特別天然記念物のタンチョウが生息する日本最大の湿原である北海道・釧路湿原が国立公園に指定される。環境庁は24日、自然環境保全審議会(会長・林修三元内閣法制局長官) に同湿原の国立公園指定を諮問、同日付で諮問通りの答申を受けた。同庁は7月中に28番目の国立公園として公示する方針。国立公園の指定は、49年9月の利尻礼文サロベツ国立公園以来13年ぶり。(26面に関連記事)
 指定を受ける公園区域は、釧路市、釧路町、標茶*シベチャ町、鶴居村の4市町村にまたがる26,861ha。湿原を核に湿原の周辺丘陵部、塘路*トウロ湖、シラルトロ沼、達古武*タコブ沼が含まれる。公園計画によると、湿原の中心部6,490haが開発を最も厳しく規制した特別保護地区、その周辺の計11,893haが第1種から第3種までの特別地域とされる。湿原の保全を図るため、湿原に流れ込む水を供給している周辺部も可能な限り保護することとした。
「壮大な景観と貴重な野生生物が分布するわが国を代表する自然の風景地を保護し、後世に受け継ぐ」ことが保護の方針とされ、木道などの施設は、湿原の核心部を避け、必要最小限とする方針だ。
 釧路湿原は、北海道東部の釧路川に沿って広がる面積21,000ha。全国233湿原のうち59%を占める。尾瀬、サロベツなどの湿原に比べ、標高2〜10mの低層湿原が98%を占めているのが特徴。タンチョウのほか、キタサンショウウオ、エゾカオジロトンボなどが豊富に生息、周辺の樹林帯を含めると島類164種、昆虫類1,142種の生息を確認。55年10月には、中心部約5,000haが「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約) の登録湿地に指定された。
◆000002 (870625M09341060)
釧路湿原の国立公園決定に
地元は自然観光に大きな期待
87.06.25 東京本紙朝刊 6頁 社会 写図無(全683字)
 3,000年の歴史を刻んで、太古の姿を今に残す北海道・釧路湿原。タンチョウのふるさととして知られる自然の宝庫が国立公園に加えられることになった。地元には「国立公園化決定」の喜びの横断幕がかかげられる一方で、自然破壊が進み、湿原のシンボル・タンチョウの営巣や飛来に悪影響が及ぶのでは、と心配する声も出た。
 24日午後5時前、釧路市役所に国立公園化決定の答申の知らせがもたらされた。さっそく鰐淵市長が稲村環境庁長官に電話を入れ、庁舎玄関前でセレモニー。同市長が「国民の財産として保護しながら、今後は多くの方々に見てもらえるよう英知をしぼっていきたい」とあいさつした。続いて市議会、商工会議所、観光協会など地元の代表が祝辞を述べ、「祝 釧路湿原国立公園化決定」と染めぬいた横断幕が掲げられた。
 特有の気候と地形の揺りかごの中で、湿原には鳥、昆虫、は虫類、ほ乳類など1,200余種もの動物、700種の植物が生息している。特別天然記念物、タンチョウ、幻の巨魚イトウもその一員だ。
 タンチョウは、湿原内に約30つがいの生息が確認されている。今後は湿原のシンボルとしてますます注目を集めそう。ただ国立公園として展望台やキャンプ場が増設されると、人間との接点が近づきすぎる恐れがあり、自然破壊を心配する声も出ている。
 釧路出身の作家、原田康子さん(札幌在住) は「家のすぐそばに湿原が広がり、ヤチボウズやヨシ原の幻想的な風景に包まれていました。思春期の思い出のつまったところが国立公園になるなんて胸がおどります。ただ観光開発で湿原の美しさが台なしになることだけは避けてほしい」と保護の重要性を強調した。
――(引用終了)

●朝日新聞と読売新聞

 この日、朝日新聞は3ページと4ページに解説をのせているだけですが、読売新聞は朝刊で「編集手帳」、夕刊で「よみうり寸評」でとりあげるという大きな扱いをしています。朝日新聞と読売新聞のこの日の記事を全文出力してみました。
 最初は朝日新聞です。
――(引用開始)
◆000034 (T870625M03--02)
釧路湿原、来月中にも国立公園に
自然環境保全審が指定答申
87.06.25 朝刊 3頁 3総 写図有(全1015字)
 環境庁長官の諮問機関、自然環境保全審議会の自然公園部会(林修三部会長) は24日、北海道の釧路湿原を国立公園に指定することに決め、稲村長官に答申した。環境庁は関係省庁や地元との協議を経て7月中にも「釧路湿原国立公園」として官報で告示し、正式に指定する。
 国立公園としては49年の利尻礼文サロベツ国立公園以来の新規指定で、28番目。日本最大の湿原で、タンチョウの貴重な生息地として知られる釧路湿原は、周辺での農地開発などで乾燥化が急速に進んでいるため、答申は環境保護を前面に押し出している。また湿原を単独で公園化するケースは初めて。しかし、過疎に悩む地元市町村では公園化をきっかけに観光面での期待も大きく、「保護と利用」をめぐって、新たな国立公園管理のあり方が問われることになりそう。
 釧路湿原は約21,000haの低層湿原で、日本の全湿原面積の約59%を占める。中央を釧路川が流れ、ヨシの草地やハンノキ林を中心に約700種の植物が繁茂、タンチョウ、キタサンショウウオ、エゾカオジロトンボなど野生生物の宝庫でもある。55年には水鳥の生息地を守るラムサール条約の指定湿原として約5,000haが登録された。
 答申によると、公園の区域は釧路市、釧路町、鶴居村、標茶町にまたがる26,861ha。湿原を保護するためには、周辺の集水域も含めて保全する必要があるとして、隣接する丘陵部や湿原東部の塘路湖、シラルトロ沼、達古武沼も加えている。
 指定区域のうち、開発を全く認めない特別保護地区は6,490haで全体の24.2%。ラムサール条約の登録地域と、高層湿原も見られる赤沼周辺、典型的なキタヨシの低層湿原が見られるコッタロ川流域など釧路湿原の核心部分にあたる。
 土砂の採取を禁じるなど現状の環境を維持する必要がある第1種特別地域は1,769ha、農林漁業活動も許されるなどやや規制の緩い第2、第3種特別地域がそれぞれ3,359ha、6,765ha、大規模な変更には知事の許可などが必要な普通地域が8,478haとなっている。また、土砂などの流入を防ぐため4カ所に砂防施設を計画している。
 これらの保護計画とともに、利用計画としては2カ所の宿舎、3カ所の野営場、2本の歩道などを予定している。しかし、利用施設は湿原核心部は避け、宿泊施設なども公園区域内は最小限にとどめるべきだ、として保護重視を求めている。
◆000035 (T870625M04--02)
釧路湿原の国立公園指定
自然守る盾か観光開発か
87.06.25 朝刊 4頁 解説 写図有(全1878字)
 国の特別天然記念物タンチョウの生息地として知られる北海道の釧路湿原が、わが国28番目の国立公園として指定されることが24日、決まった。環境庁は「利用より保護重視」の方針を打ち出しており、地元の自然保護団体も「貴重な自然を守る盾に」と期待する。しかし、地元関係自治体や商工、観光業界は国立公園化を「地域振興の起爆剤」として期待しており、公園化に向けた「同床異夢」を垣間見せている。一方で、農地造成や河川改修による乾燥化も進んでおり、国立公園化による今後の湿原保護のため行政側の調整も必要となりそうだ。(釧路支局・石間敦記者)
 釧路湿原は知床国立公園と同様、道立の自然公園や国定公園などの指定を受けたことがない。その中心部だけが「タンチョウ繁殖地」として、天然記念物の指定を受けてきた。昭和42年には、指定区域が5,000haに広げられ、その区域がそのまま55年、ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約) に指定登録された。いずれも、湿原を厳しい保護の対象とする考えだが、それは湿原の中心部分のみに目が向けられてきた。
 ところが、今回の答申では繊細な湿原の生態系を最重点に考慮し、ラムサール条約登録地を中心にした特別保護区と、それを取り囲むような形で第1種から第3種までの特別地域を設定、さらに緩衝地帯として、湿原上流部の丘陵地、集落、農耕地を普通地域としている。利用計画でも、今までの公園では認められていた宿泊とレジャー施設を集中させる「集団施設」の建設を規制することも大きな特徴だ。
 こうした配慮により、湿原そのものの保護だけでなく、周辺地域を含めた生態系全体を保全しようというのが狙いといえる。昭和6年に制定された国立公園法(後に自然公園法) は「大景観の保護と観光客の誘致」を目的にしており、わが国の国立公園は、保護よりも観光重視型の公園が主流を占めている。環境庁の古賀章介自然保護局長は「景観とともに生態系を保全する観点に立った新しいタイプの国立公園にしたい」と強調する。
 しかし、国立公園の指定を控え、大手観光会社は「ある程度、施設さえ整えば、強力な北海道観光の目玉になる」と手ぐすねを引いている感じだ。釧路市商業観光課も「62年度の観光客入り込みは、前年度より10万増の100万人台」とみる。さらに、国立公園が正式にスタートする9月に向け、地元4市町村は祝賀行事の準備に余念がない。
 不協和音も地元から聞こえてくる。釧路市が5月中旬、市湿原展望台の周辺整備計画構想を打ち上げたところ、隣接する鶴居村が「わが村の行政区域内にも入る。事前に協議がないのはおかしい」と不快感を表明、釧路市側が大あわてで謝る一幕があった。60年夏には、国立公園の地元素案作りの段階で釧路市だけが、地権者と調整がつかず、結局、公園面積を当初案より1,200ha以上削減、他町村から批判を浴びた。
 その鶴居村でも、村内にある湿原中央に大手観光業者が土地を購入、標茶町も湖沼を中心に宿泊施設や公園施設があり、釧路町も景勝地に展望台の建設を計画している。
 地元の自然保護団体は「公園化で保護への歯止めができた」と評価しながらも、利用計画に向けた地元の足並みの乱れを心配している。「全体のなかで整合性のある整備計画をもたないと、湿原はすぐ踏み荒らされる」と、釧路自然保護協会の小川安久幹事長。
 一方で、釧路湿原は40年代後半からの周辺地域の開発による乾燥化にも直面している。草地にするため排水溝を張り巡らし、蛇行する河川を直線化して、水はけを良くしなければならない。その結果、上流の丘陵部の土砂が下流へ流れ込み、たい積する。
 湿原を湿原たらしめてきたのは、いうまでもなく水である。地下水や流水によって、ヨシ、スゲなどの植物群落やヤチボウズ、ハンノキなどが湿原独自の景観を作り出している。水の流入が減れば、湿原は急速に面積を狭めていく。
 北海道開発局が26〜29年に行った釧路泥炭地調査では、湿原面積が29,084ha。「左の手のひら」を広げた形だった。それが57年の環境庁の自然環境保全調査では21,440haに。指が切られた状態に変ぼうしていた。
 国立公園になっても、国の農地造成、河川改修は続く。それらが湿原の水にどんな影響をもたらすのか、予断を許さない。知床国立公園内で林野庁が伐採を行ったように、釧路湿原でも第2の「知床」の危険性もはらんでいる。「開発と保護」をめぐる行政内部での折衝も、環境庁にとって今後の大きな課題だ。
――(引用終了)
 この朝日新聞の記事が◆000034と◆000035と大きな番号がついたのは、朝日新聞のデータベースが1985年1月1日分からとなっているため、それ以前の記事が30本以上収録されているからです。
 読売新聞のその日の記事は次のようになりますが、こちらは1986年9月1日以降の記事が対象になりますから、検索番号は若くなります。しかし1日の朝夕刊で合計5本というのは気合いが入っています。6月12日には、
――(引用開始)
◆000007 (19870612TYE10001)
「釧路湿原」国立公園に
わが国で最後の指定か
24日に審議会へ諮問
87.06.12 東京読売夕刊 10頁 社会面(全340字)
――(引用終了)
という見出しの小さな記事が出ています。「最後の国立公園」誕生に向けて記事キャンペーンを張ったということでしょうか。ここでは6月25日の5本の記事を全部読んでみます。
――(引用開始)
◆000008 (19870625TYM01004)
「釧路湿原」国立公園に
28番目、7月に指定
87.06.25 東京読売朝刊 1頁 一面(全443字)
 わが国最大の湿原で、国の特別天然記念物タンチョウや氷河時代の“生きた化石”キタサンショウウオなどで知られる北海道・釧路湿原について、自然環境保全審議会(会長=林修三・元内閣法制局長官) は24日、国立公園指定方針をまとめ、稲村利幸環境庁長官に答申した。同庁はこれを受け、来月中に「釧路湿原国立公園」として指定、官報で告示する。国立公園の指定は28番目で、49年9月の利尻礼文サロベツ国立公園以来13年ぶり。
 釧路湿原は、北海道東部に広がり、東西17キロ、南北36キロ、面積は日本の総湿原面積の59%に当たる約21,000ha。主にヨシとハンノキからなる低層湿原で、植物約200種、野生動物1,140種が確認されている。さる55年にはラムサール条約(水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約) の登録湿地とされた。答申によると、公園区域は釧路市、釧路町、標茶町、鶴居村の26,861haに及び、湿原全域の約6割が取り込まれた。(解説9面、関連記事社会面に)
◆000009 (19870625TYM01005)
[編集手帳]
釧路湿原の国立公園指定
87.06.25 東京読売朝刊 1頁 一面(全639字)
 湿原の美は「多様なる単純さ」「絢爛 *ケンランたる寂寥*セキリョウ」にある。北大の辻井達一助教授は、そう書いてさらに“無音の世界”の情感をつけ加えている(中公新書「湿原」) ◆昨年、北海道の釧路湿原を見る機会があった。夏の終わりだったから、ゼンテイカやタチギボウシ、ツルコケモモ、ミツバオウレンの花々を見ることはできなかった。よく見ればあったのかもしれないが、広大な「原自然」に真っ先に圧倒されたのを覚えている◆行けども行けどもの感があった。それは辻井さんの言う「巨大な絵画」に向かい合っているという情動に通じていた。20,000ha余の「低層湿原」が、あくまで澄明な大気の下に静まり返っている。タンチョウヅルのカン高い鳴き声が、唯一のアクセントだった◆もっとも、この“絵”は絶えず変化している。半分は植物繊維でできている浮き島が、ゆっくり動く。谷地坊主の漢字を当てるヤチボウズは、時に1m以上の高さに発達するという。これの主役はスゲだ。周りを洗い流されて頭部がざんばら髪、と見立てられる群落だ◆「短い夏に合わせて目まぐるしく移り変わる」花々は、いうまでもない。例えば、ワタスゲは名前通りの綿帽子で「時ならぬ雪のように湿原を埋め」、水中ではコタヌキモが黄色の花を開く。秋は秋で、濃い青紫色のサワギキョウが一面の“海”となる……◆きのう、環境庁の自然環境保全審議会が、日本最大の釧路湿原を新国立公園に指定する方針をまとめた。世界でも数少ない〈不思議な湿原〉が正当に認められた。
◆000010 (19870625TYM09001)
釧路湿原、強力な保存策望む
不動産業者の開発で危機(解説)
87.06.25 東京読売朝刊 9頁 解説面 写有(全1109字)
 釧路湿原の国立公園指定が24四日、事実上決まった。わが国28番目の国立公園で、最後の国立公園といわれる。(北海道支社 佐鳥 仁)
 タンチョウの楽園として知られる釧路湿原は、北海道の東部、釧路川に沿って開け、22万都市釧路市と背中を接する。湿原として国内最大の広さを誇るだけでなく、生息する貴重な動植物、植生の豊かさ、あるいは地質学、考古学的視点からも人類に残されたかけがえのない自然だ。
 6月を迎えると、標高2mからせいぜい10mの湿地帯は、水生植物はもちろん、2,000m級の高地でしか見られない高山植物が長い冬の眠りからさめ、一斉に生気を取り戻す。その群落はさながら一大植物園だ。景観上はヨシ、スゲ類の群落で代表され、加えてハンノキ林、スゲ類が隆起してできたヤチボウズ(谷地坊主) が湿原のイメージをつくり、周辺も含めると約700種の植物が観察される。
 また、野生動物の宝庫でもある。アイヌ語でサロルンカムイ(湿原の神) と呼ばれる特別天然記念物タンチョウ、かつて北海道が樺太やシベリアと地続きだったことを証明する氷河時代の生き残り、キタサンショウウオ、さらに日本ではここでしか発見されていないエゾカオジロトンボの生息地でもある。約1,200種がすむ。
 しかし、こうした貴重な自然も、忍び寄る開発の脅威にさらされている。湿原周辺部は農地や草地、あるいはゴルフ場の造成などでいたるところに排水溝が掘られ、河川の改修が急ピッチのため水はけが良くなり、湿原の水のバランスシートが崩れ始めているのだ。
「以前、調査のため車で来た時、タイヤがいつぬかるかとヒヤヒヤだったが、今はもうそんな心配はない」と、自然保護団体の関係者が皮肉をこめて語るほど湿原は乾き、危機を迎えている。
 キタヨシやコケ類が次第に姿を消し、湿原三大湖の一つ、塘路湖や雪裡川の周辺ではかつてみられなかった草原、丘陵地の雑草や花が増えている。
 影響は植物だけではない。タンチョウもそうだ。「ツルは湿地帯で営巣する」との定説をくつがえし、最近では農家の畑で巣づくりするケースも珍しくない。愛鳥家たちは「安住の地の湿原が脅かされている証拠だ」と指摘する。
 北海道開発局が38年に調査した時、湿原(泥炭地も含む) の面積は約29,000haだった。ところが、20余年たった現在は21,000ha。加えて指定地域の31%は私有地で、国立公園の指定を前にすでに本州資本の大手不動産業者などが進出、買収に動いている。
 湿原はガラス細工のようだ。壊れやすく、微妙な環境の変化にも、すぐリズムを乱し、後退していく。われわれの〈最後の遺産〉を守るため、迅速、かつ強力な保全対策が望まれる。
◆000012 (19870625TYM26002)
釧路湿原周辺開発十分配慮を
自然環境保護審議会が4項目注文
87.06.25 東京読売朝刊 26頁 社会面(全214字)
 林修三・自然環境保全審議会長は24日夕、釧路湿原国立公園化の答申にあたり、稲村環境庁長官に4項目の“注文”を出した。これは、(1) 公園区域の周辺地域の開発や利用の方法に十分配慮し、湿原へ与える影響を長期的に監視する(2) 民間デベロッパーによるホテル建設計画や道路整備構想が持ちあがっているが、慎重に行ってほしい(3) モーターボートは中止し、静かな環境を保つ(4) 管理体制の整備を図る――などで、観光開発の悪影響を心配したもの。
◆000013 (19870625TYE01007)
[よみうり寸評]
釧路湿原の国立公園指定とタンチョウ保護
87.06.25 東京読売夕刊 1頁 一面(全490字)
 木下順二の名戯曲「夕鶴」が婦人公論に発表されたのは昭和24年のことだった。その年10月、山本安英らの「ぶどうの会」が初演した◆主人公、与ひょうは傷ついたツルを助ける。嫁いできた美女つうはツルの化身。つうの織る千羽織がいい金になることから、与ひょうはおかしくなる。見るなという約束を破ってつうが機織るところを盗み見た◆つうはツルの姿で夕焼けの空に飛び去った。戯曲のもとは佐渡島昔話集というから、北海道・釧路湿原からは遠いが、昔は往来があったかも知れない。この湿原に住むタンチョウは日本で繁殖するただ1種のツルだ◆かつては日本の各地で見られたが、明治以来の乱獲や繁殖地である湿原の開拓で急激に数を減らす。大正年間には絶滅かとも見られた。「夕鶴」初演の3年後、昭和27年に特別天然記念物指定。この年、観察されたのは33羽に過ぎない◆その後の保護で繁殖分布も広げながら、383羽(昨年12月) まで数を戻した。与ひょうが金に惑わされ、ツルの営みをのぞいたのは、現代の開発がツルの生息地を侵したことを連想させる◆釧路湿原が国立公園になる。つうを失った与ひょうの愚をくり返さないように。
――(引用終了)

●浮上したラムサール条約

「釧路湿原国立公園」誕生までのようすを探っていくと周囲の人々にとっては、突然、降って湧いてきたようなものではなかったかという感じもします。
 1935年(昭和10) に湿原中心部の2,700haが「タンチョウ及びその生息地」として天然記念物に指定されていました。1952年(昭和27) には絶滅寸前となって特別天然記念物に指定され、1967年(昭和42) には指定地域が5,012haに拡大されます。
 1979年(昭和54) になって、その天然記念物指定地域が鳥獣保護区、とくにその内の3,833haが特別保護地区になったのです。また1980年(昭和55年) には天然記念物地域/鳥獣保護区がそのままラムサール条約の加盟湿地として登録されたのです。しかしこのことは一般にはほとんど知られていませんでした。日本がラムサール条約国となるために、参加条件として最低1カ所の「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地」を登録し、国際監視下に置かなければならなかった……という消極的なものであったからかもしれません。
 地元の自然保護関係者らによって「国定公園化構想」なども提案されてきましたが、1987年(昭和62) になって環境庁は従来の景観保全型の国立公園とはいささか性格の異なる生態系保存型の国立公園指定に踏み切ったのです。
 新聞記事が「保護」と「観光」の両面に触れているのはお定まりの筆法というよりは釧路湿原が〈無用の原野〉から一気に国立公園に浮上してしまったことからくる価値観の混乱を伝えていると見ておくのが妥当でしょう。
 1989年(平成1) に4年後のラムサール条約締結国会議を釧路市で開催することが決まってから、このラムサール条約を仲立ちにして釧路湿原国立公園がいかなる価値をもっており、どのように保護されていくべきかなど、本質論が浮上してきます。新聞のなかでは毎日新聞がはっきりした保護派の論調を展開します。その記事を、以下、スペースの許すかぎり拾ってみます。
 なお、今回のラムサール条約締結国会議の前後に科学雑誌がどのような特集を組んだか調べてみましたが、会議終了後1カ月現在での印象では、驚くほど冷淡でした。
――(引用開始)
◆000006 (891010M113030300)
93年のラムサール条約締約国会議を釧路招致へ
89.10.10 東京本紙朝刊 3頁 3面 写図無(全495字)
 政府は9日、1993年に開かれる「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約) の第5回締約国会議の日本招致を決めた。釧路湿原のある北海道釧路市での開催を目ざし、今月23日からスイス・グランで行われる同条約常設委員会で立候補を表明する。また、同日の持ち回り閣議で「絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約) 第8回締約国会議の日本開催への立候補を正式決定した。
 ラムサール条約は、水鳥や渡り鳥の繁殖地として重要なものの、開発されやすい湿地の保護のため1971年、イラン・ラムサールで開かれた国際会議で採択された。現在52カ国が加盟、3年ごとに締約国会議を開いている。世界で421カ所の湿地が登録され、日本の登録は釧路湿原、伊豆沼・内沼(宮城県) 、クッチャロ湖(北海道) の3カ所。
 開催地は来年6月、スイス・モントルーで開く第4回締約国会議で決定される。日本のほか、スウェーデン、ウルグアイ、アメリカも立候補すると見られるが、昨年釧路を訪れたネイビッド・ラムサール条約事務局長が釧路を支持していることもあって、同市が最有力視されている。
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全国の湿地、初の調査
沼や河川敷を指定へ
今秋から環境庁
92.08.26 東京本紙夕刊 1頁 1面 写図無(全847字)
 トンボなどの昆虫やタンチョウヅルなどの渡り鳥が生息する「湿地」に関する初の調査がこの秋、環境庁によって始められる。日本ではこれまで「湿地」の基礎データばかりか、定義すらなかった。湿地は種の宝庫とも言われる。世界の生物種は1日に数百種が絶滅しているとの報告もあり、6月の地球サミットでは「生物の多様性保全条約」が採択された。来夏には、国内最大の釧路湿原を抱える北海道釧路市で湿地の保護を目的とした「ラムサール条約締約国会議」が開催される予定だ。
 陸と水域の両方を併せ持った湿地の多くは、デリケートな生態系を保っている。ヒヌマイトトンボやシオアメンボ、エグリタマミズムシなど同庁が絶滅の恐れが強いとしている38種の昆虫のうち、18種は限られた湿地のみに生息しているとされる。
 植物ではミズバショウやマングローブ、鳥類ではオオセッカ、両生類ではモリアオガエルといった貴重な種が湿地を生息域としている。さらに国境を越えて飛来するタンチョウヅルやガン、カモなどの渡り鳥の生息地ともなっており、国際的な保護が叫ばれている。
 しかし、わが国の場合、湿地は鳥獣保護法による特別保護地区などの指定で乱開発から守られているにすぎない。しかも、その指定には地元自治体や地域住民などが入った公聴会の開催が必要で、地域振興を求める声が優先されがちという。
 今回、同庁が初の湿地調査に乗り出すのは、生物種の保護のために、その宝庫である湿地を保全しようとの意図がある。まず調査の手始めとして、10月に学識経験者6人からなる検討委員会を発足させ、湿地の「定義」付けなどの要綱を策定する。これまであいまいだった湿地の水深や透明度、動植物分布などを詳細に分類、湿地特有の性質を明確にし、さらにこれを踏まえ、全国各地の沼や河川敷などを改めて「湿地」として定める。
 同庁が84年実施した野生植物群落地域調査から推定すると、湿地は全国に約1,000カ所あるとされる。しかし、特別保護地区に指定されているのは、わずか13カ所の計10万2000haしかない。
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[社説]湿地のはたらきを見直そう
92.09.28 東京本紙朝刊 5頁 社説 写図無(全1163字)
 陸でもなく水域でもない。その中間にある干潟、沼沢、河口部、泥炭地、増水期に水びたしになる低地などをまとめて「湿地」と呼んでいる。ブラジルのアマゾン川やアメリカのミシシッピ川の流域、熱帯アジアのマングローブ林などには広大な湿地が発達している。日本では有明海や東京湾の干潟、尾瀬ケ原の高層湿原などがよく知られている。
 水と陸の境目に広がる湿地は生物を豊かにはぐくみ、渡り鳥、水鳥のすみかとなっている。なかでも海岸や河口部にある干潟は、土と水のはたらきで汚れものをとらえ、分解し環境を清める巨大な浄化装置でもある。洪水や激浪の勢いを弱め、陸地を水の浸食から守ってくれる。湿地は自然の生態系の欠かせない一環である。
 その重要性に着目し、1971年イランのラムサールで、国境を越えて行き来する渡り鳥の生息地を国際協力で保護するための「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約) が結ばれた。日本など約70カ国が条約を批准しており、来年6月には釧路湿原を望む北海道釧路市でラムサール条約の第5回締約国会議が開かれる。
 ところが、湿地の核心ともいうべき干潟が、会議主催国の日本の足元からどんどん奪われている。環境庁の海域生物環境調査によると、この13年間で407万ヘクタール、東京ドーム約900個分の干潟がなくなり、戦前の干潟面積の4割が消えてしまった。埋め立て、陥没、しゅんせつ工事が干潟消滅の3大原因である。
 環境庁は来年からようやく干潟生態の調査方法を開発する研究を始める。だが、いかにも遅過ぎる。
 いま緊急に必要なことはまず、日本野鳥の会が作成した全国の重要湿地61カ所のリストに従って、保護の対象を定め、国設鳥獣保護区を設定することだ。また、ラムサール条約の国際リストに登録した北海道の釧路湿原、クッチャロ湖、ウトナイ湖、宮城県の伊豆沼・内沼に続く指定登録湿地も定めるべきだ。
 さらに、工場用地、空港、港湾、リゾート開発、ゴミ処分などのために進行中の埋め立て、干拓計画に加え、戦後復興期や高度経済成長期に計画された防災干拓事業や埋め立て事業の合理性、規模などを再点検することも必要だろう。先例は中海・宍道湖の淡水化・干拓事業や長良川の河口ぜき問題に求めることができる。埋め立て、干拓の代償に造成された人工干潟が、いかに高くつき、生態系が容易に戻らないか、東京都が造成した東京湾人工干潟が物語るとおりだ。
 ラムサール条約締約国会議に先だち、環境庁と市民組織「ラムサールセンター」などが主催して、10月15日から釧路と大津で「アジア湿地シンポジウム」が開かれる。湿地の保全と賢明な利用めざして、がテーマだ。湿地が人知れず生み出している巨大な価値を、科学、経済の面から評価して政策にとりこみ、管理する手法を見いだしてほしい。
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[特集]環境を考える/1
ラムサール条約締約国会議、6月に釧路で
93.03.05 東京本紙朝刊 18頁 特集 写図有(全1666字)
◇湿地は命のゆりかご
 陸と水が出合い、入り交じるところ、たとえば干潟、湖沼、泥炭地、河口部、増水期に水びたしになる低地、そして水田までをひっくるめて「湿地」と呼んでいる。湿地は命のゆりかごだ。さまざまな植物、昆虫、魚介を豊かにすまわせ、ハクチョウ、ガン、カモ、シギ、チドリなどの水鳥に餌*エサ と繁殖場を提供している。湿地はまた水を養い、洪水や浸食をふせぎ、汚れを分解し、農・漁業、牧畜業を支える生産の場でもある。国境を越えて行き来する渡り鳥たちのために、そして環境の危機の時代に、他の生きものたちとの共生をもとめられている私たちの暮らしのためにも、世界が足並みをそろえ湿地を保護しなくてはならない。そのために70カ国が加わるラムサール条約締約国会議が、優美なタンチョウの舞う釧路湿原をのぞむ北海道釧路市で6月9日から16日まで開かれる。日本の湿地をめぐるさまざまな問題を特集した。(編集委員・原剛)
 ラムサール条約の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」。アビ、カイツブリ、ペリカン、コウノトリ、ガン・カモ、ツル、チドリ各目の野鳥と水鳥をその対象としてあげている。だが野鳥はそのシンボルで、湿地の生態系をそっくり保っていくことが条約のねらいである。
 加入国は、少なくとも1カ所以上の国内の湿地を「国際的に重要な湿地」として登録、保護しなくてはならない。現在70カ国で567カ所、延べ3,600万ヘクタールの湿地が登録されている。
 日本は1980年に条約へ加入したとき、釧路湿原を第1号の登録地に指定した。いままでに宮城県の伊豆沼・内沼、北海道のクッチャロ湖、ウトナイ湖の4カ所が登録されている。
 環境庁はさらに滋賀県・琵琶湖、北海道の霧多布*キリタップ湿原と別寒辺牛*ベカンベウシ川の流域、石川県・片野の鴨池の4カ所を「国際的に重要な湿地」に登録したいと望んでいる。このほかにも新潟県・瓢*ヒョウ湖、北海道の濤沸*トウフツ湖と風蓮*フウレン湖の3カ所が候補地に挙がっている。登録された湿地では開発が規制され、国の鳥獣保護区として狩猟も禁止される。
 大切なことは、大旅行をする鳥たちの渡りのコースに沿って休息、索餌*サクジ、繁殖のための湿地が点々と連なって保存されていることだ。その中心は引き潮時に現れる干潟である。引き潮時に幅100m、面積1ha以上となる干潟を対象に、環境庁が行った全国調査によると、この13年間に4,076ha、東京ドーム約900個分の干潟が埋め立て、陥没、しゅんせつ工事などにより消えてしまった。
 東京湾では羽田空港の埋め立て工事で280haが、九州の有明海では福岡県柳川市と大牟田市を中心に、延べ1,356haの干潟が消えた。かつての海底炭坑の坑道の陥没が大きな原因とされている。
 大・中型の干潟はなお51,462haが残されているが、この調子で埋め立て計画がすすむと、160年後には、日本列島から干潟が完全に失われるとみられる。
 日本野鳥の会(黒田長久会長) では、野鳥の生息地として全国レベルでの保護が必要な湿地として東京湾、伊勢湾、博多湾などにある61カ所を指定。環境庁長官に、国設鳥獣保護区へ指定するなど法令に基づいた保護策をとるよう求めている。
 どうしたら生態系を損なわずに湿地をうまく利用し、自然と共生していくことができるか。ラムサール条約釧路会議では、それが焦点となる。加入国は1987年に「湿地の賢明な利用作業部会」を設け、18カ国で「賢明な利用」の仕方を現場で研究してきた。
 また自然保護の国際センター、国際自然保護連合(IUCN) は、条約加入国に協力、アジア・アフリカの開発途上国で湿地の自然の力を損なわずに利用する開発計画の実験に取り組んできた。釧路会議ではそれらの成果があわせて明らかにされる。
 湿地が人知れず生み出している巨大な価値を、科学、経済の面からも評価して政策に取り込み、管理する手法が見いだされなくてはならない。
◆000078 (930621M065050500)
[社説]環境
湿地の自然を大切にしよう
93.06.21 東京本紙朝刊 5頁 社説 写図無(全1300字)
「湿地はさまざまな生物をはぐくむ。人間の暮らしにとっても湿地は大切である」
 16日に終わった第5回ラムサール条約締約国会議が採択した釧路声明を私たちは支持する。
「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が、イランのラムサールで採択されて23年になる。湿原や干潟などあまり関心をもたれていなかった湿地が、鳥ばかりか人間にとっても豊かな生命の泉であることが、この条約のおかげで明らかになってきた。
 湖沼、川、サンゴ礁、マングローブ林もまた条約にいう湿地である。ラムサール条約とは、万物の生命の源である「水」の条約にほかならない。107カ国の政府代表と130の自然保護団体が参加し、北海道釧路市で開かれた会議は、私たちが見過ごしてきた湿地の大切な働きと、この地味な条約がもつ大きな意味を明らかにしてくれた。
 この季節、尾瀬の高層湿原を彩るミズバショウや釧路湿原で子育てするタンチョウの光景は、一番人気の観光ポイントである。
 東京湾につくられたささやかな人工の干潟は、年に140万人をひきつける。自然への旅――エコツーリズム産業に、湿地は大きな舞台を提供している。条約が目的としている湿地の賢明な利用を図る好例だ。
 いま必要なことは第1に、水鳥と渡り鳥をシンボルとする湿地の生物の種と生態系を、もうこれ以上破壊しないよう人間の活動を規制すること。第2に、とはいえ湿地から人間をいっさい排除するのではなく、他の生きものたちと共に生きていけるように、湿地の賢明な利用を試みることである。
 釧路声明はその前提条件として、琵琶湖や釧路湿原のような国際登録された湿原の自然を保つには、水系でつながっている、まわりの「集水域」も同時に保護しなくてはならない、と強調している。そして湿地の賢明な利用を図るための計画を立て、実行するよう加盟国の政府に求めている。
 したがって東京湾の谷津干潟をラムサール条約に登録しながら、お隣の大干潟、三番瀬を千葉県が埋め立ててしまうことは、両干潟を往来する鳥の生息地を狭め、釧路声明や勧告にもとることになる。
 北海道開発庁が石狩川の支流、千歳川で計画中の大規模な放水路工事も、条約に登録されたウトナイ湖の水源を脅かすおそれがあるので再検討されなくてはなるまい。釧路湿原のまわりに計画されている7カ所ものゴルフ場も、「集水域」の視点から見直されるべきだろう。
 このような疑問に答えるには、情報を公開した公明正大な環境影響評価が行われなくてはならない。ラムサール条約会議が勧告に「環境アセスメントの法制化」を盛り込もうとして、日本政府代表に「法律はなくても環境影響評価はできる」と反対されたのは情けないひと幕であった。環境影響評価が法制化されていないための異議申し立てだった。
 環境立国を口にしながら、日本政府がいまだに世界に通用する環境保全のルールを完全には持てないでいることを露呈したといえる。
 まず、私たちの足もとの湿地の自然を保つことが、湿地の国際ネットワークを築く第一歩となる。
 日本でラムサール条約会議が開かれたのを機に、開発計画を見直し、湿地の自然保護と賢明な利用のルールを急ぎ固めたい。
――(引用終了)

伊藤幸司(ジャーナリスト)


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