オートメカニック――1989年8月号 パーツうんちく学【10】オイルフィルターの巻(入稿原稿)


伊藤幸司のパーツうんちく学【10】オイルフィルターの巻────1989.8


●くるまの腎臓


 オイルフィルターというのは、もちろんエンジンオイルの循環経路に設けられたろ過装置のことである。
 エンジンオイルは、これももちろん、シリンダーとピストンの擦り合わせを円滑にするための潤滑が仕事で、同時に冷却機能を発揮する。エンジンの爆発エネルギーを効率よく取り出すために欠かすことのできない液体パーツだ。
 エンジンとエンジンオイルとは、だから現在のところ、合わせて一人前というしかない。
 そこにオイルフィルターを加えてみても、複雑なところはどこにもない。仕事をしてきたオイルがひと風呂浴びて、汚れを落とす場所だと考えてみればいいのだ。
 汚れたままのオイルがそのまま仕事場に戻っていくとどうなるか。潤滑すべき擦り合わせ部に遺物が入りこんでエンジンを傷めることになる。
 異物の侵入を防いでエンジンを摩耗から守っているものには、もうひとつ、エアクリーナーがある。これはエンジンが吸い込む空気の中に含まれている異物を取るろ過装置で、人間でいえば気管支にあたる。気管支にゴミが溜まったり、細菌が繁殖したりすると炎症を起こすことになる。気管支炎だ。
 この例でいえば、オイルフィルターは腎臓にあたる。腎臓では血管によって運ばれてくるさまざまな分解物質をこし分けて、尿管に流し出す。
 くるまの場合には、エアクリーニングにしても、オイルクリーニングにしても、その働きを紙でやっているといっていい。紙といっても植物性のパルプ繊維に限らず、化学製品の不織布のたぐいも必要に応じて使われているのだが、ろ紙と呼んで間違いではない。ドリップ式のコーヒー・フィルターと基本は同じである。
 両者のフィルターエレメントが紙になったのは1960年代からである。それまでは金属が使われていた。
 それ以前、エアクリーナーではオイルバス式が一般的でスチールウールがろ材の代表とされていた。95%程度のろ過率が、ろ紙によって99%までに向上したといわれる。
 網目を小さくすることで空気中の異物を通過させないようにすればいいので、あとは、目づまりを防ぐ工夫をすればよかった。ひとつには紙を折ってたくさんのヒダをつけて、表面積を大きくすること。もうひとつは大型車に加えられた方法で、たまってきたゴミを自動的に集めて棄てる工夫である。乗用車ではむしろ小型化のために、フィルターエレメントの清掃や交換のしやすさを格段に進歩させた。
 つまりエアフィルターの場合には空気が欲しいのであって、それに含まれる異物はひとつもいらない。だから目づまりさえしなければ、目は細かいほどいい。だから話は単純である。
 オイルフィルターの場合も、1960年代の以前には金属のフィルターが一般的で、円板を重ねたり、針金を巻き上げたりして、そのすき間に引っかかる、比較的大きな異物を捕らえていた。
 しかも循環するオイルの全量をすべて通すのではなく、バイパスフローといって、一部分を抜き取って漉す方式が一般的であった。
 これがろ紙になると、目が小さくなり、多層構造のために捕らえた異物をしっかりつかまえておくことができるようになった。加えてろ紙の折り方の工夫によって、その表面積が拡大した。
 金属フィルターの時代には、汚れたら洗ってまた使うとい考え方が中心だったが、1970年代には使い捨てのスローアウェイ方式が一般的になっていった。フィルターエレメント、つまりろ紙の部分をカートリッジ化して、簡単に交換できるようにしたのである。

●ろ過の科学

 オイルフィルターは、「分離」と呼ばれる工業技術のなかではきわめてシンプルなものである。
 混じりあった物質を個々に分ける技術のうち、液体中に浮遊している個体粒子をこし分けることをろ過分離というのだそうだが、どれだけ小さいものまで捕らえるかということひとつとってみても、世の中は驚くほど進んでいる。
 ろ過のもっとも簡単な例はお茶を入れるときに示される。きゅうすに茶の葉と湯を入れて茶碗に注ぐと、液体の茶だけが出てくる。しかし急須についた小さい穴(目皿という)をくぐりぬけて葉の一部が出てくることもある。ときには茎の一部もするりと抜け出て、茶柱が立つ。
 そこで目皿の部分に細かい金網やナイロンネットをつけたきゅうすもある。目が細かくなると出てくる葉は少なくなるが、目づまりを起こしやすくなる。出るべき場所から出ないものだから、ふたのあたりからドッとあふれさせてしまう失敗をしたりする。そんなときには、きゅうすをゆすって、中の湯で目皿のところを洗ってやるとスムーズに流れ出てくる。
 そんな乱暴なやり方ではなく、茶の葉と湯を混ぜて、しばらくそっとしておくと葉のほうが底に沈む。その葉を浮かびあがらせないようにして、上澄みの液体だけをそろそろと注ぐという方法もある。それを技術用語では沈澱分離という。この場合に、個体の茶の葉からいえば濃縮で、液体の茶からいえば清澄ということになる。
 きゅうすとオイルフィルターを同列にあつかうとオイルフィルターを作る人々は怒るかもしれないが、わかりやすさという点でこれ以上のものはない。
 たとえばオイルパンというのがある。シリンダーブロックの下にあって、潤滑と冷却の仕事を終えたエンジンオイルの溜り場になっている。休憩所といった感じなのだが、ここで温度が下がるのを待って、また仕事に出ていく。同時に、仕事中に出てきた汚れも落としていく。金属片やオイルの老化物などの固体成分が沈澱していく。きゅうすの底に茶の葉がたまるのと同じように、沈澱分離によって、オイルはいくぶんきれいになっていく。
 しかし比重の大きな固体粒子は速く沈んでくれるが、まだ沈澱しないうちに、つぎの仕事に出なくてはいけないこともある。あるいはきゅうすをゆすったときのように、オイル溜りがかくはんされて、沈澱したものがオイル中にまた広がる危険もある。
 そこで危険分子は拘束しておかなければいけない。そうでないと、オイルポンプによって吸い上げられて、一定の圧力をかけられてエンジンに送りこまれてしまう。
 そこで、オイル溜りから汲み上げたオイルの一部をオイルフィルターに導いて職務質問やら身体検査をやってみる。交通取り締まりだったら、あらかじめ目星をつけたくるまだけを誘導するところだが、そんな賢い装置をつけるほどのことではないので、処理できる範囲の量を分流してろ過するわけだ。運の悪いオイルは毎回これに引っかかって仕事場に行き着けないが、全体からみれば危険分子を少数に押さえることができる。しかもいったん捕らえたものは、がっちり固定して逃さない。
 これをバイパスフロー型という。大型車にはまだこのタイプが多いのだが、乗用車では仕事に向かうすべてのオイルをチェックするフルフルフロー型になっている。通勤電車の改札口、高速道路の料金所のように、すべてをそこでいったん止めて、通れるものはできるだけすみやかに通そうという方式である。
 しかし、通過を許されずに止められたものがたくさんのゲートをふさいでしまうようになると、大渋滞が起こる。そのためにゲート数のできるだけ多いフィルターをつけることと、それを洗浄したり、交換して、最悪の事態が生じないようにしている。
 それでもなおダメなときには、圧力を検知してバルブが開き、オイルがフィルターを通過せずに直接エンジンに送りこまれるような安全装置が付けられている。きゅうすのふたからお茶がこぼれるのと似た状況である。
 お茶の葉を通過させない程度の網目は、ろ過の先端技術では節穴同然である。固体粒子の大きさが30ミクロン(0.03mm)以下になると、肉眼では個々の粒子を見分けることができなくなるといわれる。海岸ですくった砂混じりの水と、濁った泥水との間に、その30ミクロンの境界がある。
 しかし現在のろ過技術はさらに小さな固体粒子を漉しとるところまでいっている。1ミクロン(1000分の1mm)程度の酵母菌や大腸菌になると、天然パルプを主体にしたろ紙では、その孔に大小のバラツキがあって通過してしまうものが出る。そこでプラスチックの薄膜に一定の大きさの孔をあけたメンブレンフィルターなどが用いられる。
 このメンブレンフィルターでは8ミクロン程度から0.01ミクロン程度までいくつもの種類があって、目的に合わせて使い分けることができるようになっている。
 じつはこれが最近、家庭内に浸透してきている。味が悪くて体にも良くないといわれるようになってきた水道の水をこすのに、このメンブレンフィルターの中空糸を束ねたものが浄水器として使われるようになっている。水の中に数百本の中空糸を入れ、内側に入ってくるものだけを吸い上げる方式である。これだと孔を通過できないものは沈澱していくし、目づまりしても、内側から外へ水を逆流してやるときれいにできる。つまりほぼメンテナンスフリーで、長期間の使用に耐える。
 これは半導体の製造に必要な超純粋を作るのにも用いられている。ビールやウイスキー、日本酒などの製造行程にもどんどん使われている。
 それよりもっと小さなものになると、 0.001ミクロンといった小さなものまでこし分けることができる。医学の分野では血液中の赤血球、白血球などを、それより小さな食塩の分子などと分離できる。これについては牛のボウコウ膜などが半透膜として用いられてきた。現在ではセロファンの一種で孔のサイズのそろった半透膜が作られ、さらには圧力をかけてもいい限外ろ過膜というのが開発されてきた。これは高分子化合物の分子量の大小によってこし分けることができるほどの精密なものになっている。
 これによって、人間の腎臓機能の代用が簡単にできるようになってきた。腎臓では血液中から尿素や無機成分などの老廃物を漉し分けるのだが、それと同じ機能の人工透析装置もかなり小さく、簡便になった。

●目立たない臓器

 くるまのオイルフィルターもまさに腎臓のように目立たない存在である。現代の工業技術からすればもっと精密に、もっと完ぺきに作り上げることができるのだが、自己主張する立場にはない。
 たとえばかつてその仕事の中心だった金属的な異物の除去はうんと少なくなってきた。くるまそのものが、慣らし運転を不要にしている。そろそろと擦り合わせて、ドライバー自身がエンジンの最終調整をするという必要がなくなってきた。
 エアクリーナーやオイルフィルターの専業メーカーである土屋製作所開発本部の外崎節さんに聞くと、最近ではたしかに、オイルフィルターに補足される大きな異物は減っているという。それも金属的なものが減って、有機、無機のスラッジが中心になっているという。
 つまり金属粉が減って、カーボンやオイルの酸化生成物、あるいは混入したゴミなどを補足するのがオイルフィルターの役目になってきているということなのだ。
 一方で、エンジンの血液というべきオイルはどんどん高性能化している。米国の規格でいえばSDが最低レベルで、SE、SF、SGまで登場している。基油の粘性が向上してきたという以上に、添加剤がさまざまな働きを分担して、エンジンの高回転、高出力を支えている。
 血液成分がどんどん変化しているということなのだ。そのために老廃物はできる限り補足しなくてはならないが、オイルに含まれるさまざまな化学物質まで捕らえてしまってはいけない。
 あわせて、極端にコンパクトになってきたエンジンルームの中で、パーツとしてできるだけ小さくなることも要求されてきた。
「オイルフィルターが小さくなればなるだけ、エンジンルームの設計が自由になるという理解をしています」 と外崎さんはいう。
 大きくても長く使えるという方向よりは、小さくして、一定期間きちんと働くという方向が現在のオイルフィルターに与えられた開発トレンドということなのだ。
 当然、現在までのオイルフィルターの進化は、ろ過技術としては単純な物理的ろ過の手法に限定されてきた。ろ過の専門家としての外崎さんに、個人的な意見を聞いてみた。
「方法論としては、化学的な方法や電気的な方法もあるといえますね」
 そのきざしはすでに出ている。オイルそのものの性能が高くなってくると、たとえばDOHCやTURBO用にはオイルの初期性能をできるだけ維持することがだいじである。オイルに対してマッチングのよいフィルターを作るという方向がある。
 それに対してスタンダードタイプでは、できるかぎりメンテナンスフリー化を進めたい。オイルの使用限界を伸ばす方向が望まれるわけである。
 なぜそのような2つの方向が考えられるのかというと、エアクリーナーに入ってくるのは常に新鮮な空気だが、エンジンオイルは働くに従って少しずつ劣化してくる。だからオイルフィルターが積極的な機能を発揮するとすれば、初期の劣化を防ぐことを重視するタイプと、ライフサイクルを長くするタイプとに当然分かれるということになる。
 これは素人考えで極論にすぎるかもしれないが、高価な高性能オイルの初期性能が伸びるようなフィルターエレメントができれば、だれだって使ってみる気になるはずなのだ。
 このような考え方に対して、外崎さんは技術論文のなかで、むしろバイパスオイルフィルターの今後の可能性を述べている。流量に規制されるフルフローとは違って、十分にろ過精度を上げることが可能になるからだ。オイル寿命の延長に効果的な仕事をじっくりやらせるという発想である。
 このような展開になると、たとえばオイルの全体的な劣化に対してそれを回復させるための添加剤の追加といったカンフル機能を付加することも期待できる。エンジン血液の人工透析装置への展開である。
 現在のオイルフィルターは人間の腎臓がそうであるように、ひかえめな存在である。最後に、外崎さんはエンジンオイルとオイルフィルターの関係をつぎのように整理してくれた。
 オイル劣化には3つの要素がある。その第1は熱による劣化で、これはオイルフィルターは直接には関与できない。しかしオイルクーラーという機能を付加することは可能である。
 第2は汚れによる劣化。これは劣化による汚れというほうが正確だが、とにかく汚れをとって送り出すのがオイルフィルターの主要な仕事となっている。
 そして第3に添加剤の劣化。これによってオイルの総合力がバランスを欠いてくるわけだが、現在のところ、これはオイルメーカーの領域である。オイルフィルターはオイルの必要成分を減らさないという点には細心の注意を払っているが、将来的には、もっと積極的なリフレッシュ機能の付加も考えられる。
 ともかく、いま、オイルフィルターはエンジンとオイルの急激な高性能化に歩調を合わせつつ、性能とコストと品質のQCDのバランスをどこまで上げることができるかが、最大の目標になっているという。
(取材協力・土屋製作所)


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