軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座007】「晴天率」というプレゼント――2006.1.25



■青い空、白い雪、雪をまぶした黒い森――1994.2.3
閉鎖されたメルヘン街道をメルヘン広場から約2時間歩くと麦草峠に至る。その時々で雪の量と質は大きく違うが、スノーモビルが踏んでいることもあり、スキー場のゲレンデと同様に圧雪されている。白っぽい霞のように見えるのは風に舞う地吹雪の雪。気温はもちろん氷点下。風の冷たさにからだがシャンとなる。


●冬の山の2のタイプ

 「ここの冬は、気温が低くて、晴天率が高いんです」といわれたのは、雑誌の取材で北八ヶ岳の山小屋をいくつか取材したときだった。電脳文具特集で売っていた雑誌だったが、編集者がアウトドア派だったので、高見石小屋に泊まってスキー遊びもしてみた。
 テレビの天気予報で雲の衛星画像が見られるようになって、日本海側に大雪を降らした雲が、脊梁山脈でブロックされて太平洋岸にはほとんど進出しないようすがはっきりわかる。正確にいえばブロックされるのではない。脊梁山脈にぶつかって上昇するときに断熱膨張して温度が下がり、抱え込んだ湿り気を水分として放出する。山越えした後は降下しながら温度を上げて、低湿度の風として群馬あたりでいうカラっ風になる。
 八ヶ岳は標高3,000mに近い堂々たる高山だが、巨大とはいっても独立峰に近い。北には日本アルプスの長い稜線のアタマが雲におおわれているのをよく見る。青空の下で北アルプスまではよく見えるのだ。真っ白な浅間山もよく見えるが、その右奥の上越の山々、たとえば谷川連峰などはほとんどいつも雲の中だ。
 カラっ風はいわば吹き下ろしてくる風だが、標高の高い八ヶ岳に吹きつける北風は温度が低い。山頂部に霧がかかったようなときには、その霧に含まれた水蒸気が樹木や岩にぶつかった瞬間に、その衝撃で氷結する。水蒸気が知らぬ間に氷点下に下がっていた過冷却という状態が破綻して、一気に固体となる現象だ。それを霧氷といい、風の通り道がはっきりと示されるように成長していく。風が当たった瞬間に氷になるので、氷は風上側に成長していき、大きく育つとエビのしっぽと呼ばれる純白のヒダとなる。
 八ヶ岳は80%が霧氷、20%が雪というのが私の印象だ。ときに大雪が降って霧氷に雪の衣がついて樹氷という風情になることもあるけれど、蔵王や八甲田山のようにモンスターになるというところまではいかないようだ。
 晴天率という言葉は、晴天が基本で、ときに曇天、悪天があるという傾向を語ろうとしている。いったん天気が崩れたら身動きができなくなる日本海側の雪山とはちがって、待てば晴天が訪れる。
 冬の山を、だからここでは雪国の冬山と、太平洋岸の晴天率の高い冬山とに分けて考える必要がある。


●降水確率と登山

 世の中には、天気予報で降水率が30%を越えたら登山中止という判断基準があると知って驚いたことがある。ではその人たちは太平洋岸の降水確率が30%を越えない日が続く冬にはほとんど中止しないのだろうか。
 降水確率は予報の時間単位(今日は6時間ごと、明日以降は1日ごと)に1mm以上の降水がある確率のことで、一般には10回の予報で3回雨が降れば30%と説明されているようだ。確率30%で雨が降るというのなら、一般常識的には確率50%でフィフティ・フィフティではなかろうかと思うのだが、どうしてだろうか。聞いてみると、経験的に、降水率30%以下なら雨が降らないということらしい。
 毎年100日ほど山に出かけている(そのほとんどの山が首都圏とその周辺となっている)私には、降水確率が何%であれ、山歩きの天気の目安とならないのだからどうしようもない。ときおり地元のタクシーの運転手さんに聞いてみるが、やっぱり降水確率を信じていない人が多いと思う。
 おかしいのは、「確率」に的中率がかぶさってくるということ。気象庁では「降水あり」で降水があった場合が「降水あり」の的中率、「降水なし」で降水なしの場合が「降水なし」の的中率とするのだそうだ。さらに「降水なし」の予報で降水ありの場合は「見逃し率」といい、逆に「降水あり」で降らなかった場合には「空振り率」というのだそうだが、ご丁寧に実際に降水があった場合の予報の「降水あり」を補足率、予報が「降水あり」で実際が降水ありだった場合(つまり最初の「降水あり」の的中率のことだが、別の表現で)一致率ともいうのだそうだ。
 こんなこまかな反省作業が律儀に行われているらしいのだが、じつはこのとき一般にいわれる「10回の予報で3回雨が降れば30%」というのではまったくわけのわからない確率計算になってしまうだろうにと老婆心ながら心配していたのだが、違うらしい。気象庁では「観測データ10点のうち3点が30%」という計算をしているという。
 つまり「10回に3回」ではなくて、「10地点のうちの3地点」が降水確率の確率計算の基本だとすると、今度はその範囲設定が重要になる。さらに正確に言うと「予報区内のアメダス観測所毎に予報の的中、不適中を判定し、予報区内で平均した値」だという。
 気象情報の予報区は全国予報区の下に11の地方予報区があって、首都圏は関東甲信地方予報区(気象庁本庁管轄)となっている。その下に府県予報区があって、さらに必要に応じて細分化するという。テレビの天気予報が各県をさらにいくつかに分けているのがそれだ。
 ロボット雨量観測システムのアメダスは日本全国に約1,300か所あるというから、単純平均して各県に30地点前後となる。するとそのうちの10地点で6時間以内に1mm以上の降水を記録するという予報が降水確率30%ということになる。
 東京都の場合はどうだろう。東京湾側の23区が「降水なし」で西部の奥多摩山地が「降水あり」の場合、東京都全体の降水確率はどのように出るだろうか。
 平地と山岳部で天気の展開がちがうというのは山歩きをする人間にはあたりまえのことだから、山が降水確率100%で平野が降水確率0%だったとしても、観測拠点の分布数から山岳部の降水確率が30%と出てもおかしくない……ということなら、私自身の実地の感覚にかなり近い。
 つまり私が「天気予報は当たらない」というのは、気象庁の予報官が陰に隠れて、気象予報士が前面に出るようになったことから、週末の予報が極端に悪い方に振れるという例を頻繁に経験する(それについてはいずれまた)。天気予報と実体天気の関係が経済予測と実体経済のようにしばしばズレていると感じることがあまりにも多いので、気象予報士を経済アナリストとダブらせて見るようになったきた。
 それから、天気予報が平野の天気の予報だという認識が必要で、山の天気はピンポイントのものでないかぎりまったく予報の範囲に入れることができないと思っている。要するに、天気予報の降水確率で山の天気を予想し、行く、行かないという大きな判断と天秤にかけている登山者は、ほとんどその無能さを暴露しているとしかいいようがない(……とは危機管理的にいえばだが、それについてはまたいずれ)。


●晴天率という目見当

 もちろん、天気予報が役に立たないといっているわけではない。高価な気象衛星から送られてくる衛星写真は1枚あたりいくらぐらいになるのしらないが、あれを見て、素人でもはっきりと予測できる天気がある。梅雨時の雨だとか、冬の晴天。つまり天気の大きな動きによって現れる天気についての分析と予測に対して、文明の利器はすばらしい。
 そこで具体的に、電話の天気予報で「概況」のところだけを聞き、それで天気を判断できるときは、天気予報を言葉として信用してもいい。それ以外のときには、予報と実体のずれを意識しながら時間的経過を自分の目で観察し続けなくてはいけない。私が台風接近時の山歩きを好むのは、そこの体験として貴重だと思うからだ。
 八ヶ岳の冬の晴天率というのは、もちろんローカルな関係者の体験的印象にすぎないが、降水確率という(カサを持つとか洗濯物を干さないとかの)指標よりは、楽天的に天気を見ようとしている点で対極的だ。雪の風景が青空とのコンビネーションでイメージできる山歩きの幸運をおおいに感謝したいと思う。


★目次に戻ります
★トップページに戻ります