軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座024】コースタイムの考え方――2006.10.10



■北アルプス・常念岳手前――1996.8.25
燕岳から大天井岳を経て常念小屋へと歩いた。これは横通岳(2,767m)あたり。森林限界を越えた山道は、風雨、ガスや雷など天候に直接去らされる。



■尾瀬・燧ヶ岳――1996.10.7
遠くから見るとなかなか美しい双耳峰の燧ヶ岳は、2,356mの柴安グラと2,346mの俎グラ(グラは山ヘンに品と書く)がある。これはその鞍部。



■奥多摩・後山林道――1997.3.22
JR奥多摩駅からのバスでお祭バス停で下車。後山川に沿って後山林道を三条の湯へと向かっていた。ちょうどそのとき崩落が始まった。上にいた車は1週間出られなかった。



■奥秩父・飛龍山――1997.3.23
雲取山から飛龍山に向かう縦走路。3月は雪がいちばん多い時期で、おまけに道がだいぶ荒れていた。予定を繰り上げて三条の湯へ下った。



■丹沢・塔ノ岳――1997.5.25
塔ノ岳から丹沢山へと向かう稜線に崩落が進行中の部分がある。丹沢は若い山なので浸食が激しく、このような場所があちこちにある。



■前日光・石裂山――1997.9.13
石裂山(897m)の石裂は「おざく」と読む。日光に連なる修験の山でおどろおどろしいのだが、行くたびにクサリやハシゴが整備されて危険はほとんどなくなった。



■北高尾山稜――1998.1.28
高尾山の北側に連なる尾根で、八王子城跡から堂所山へと伸びる。この年は大雪が降って、元気な木が重い雪でへし折られた。倒木で道が完全に封鎖されていた。


●コースタイムという作文

 いま、登山道には距離表示が増えている。「あと2km」とあったとき、一般の人は何分と予想するだろうか。
 私が提案するシミュレーションマップでは、日本の登山道の標準的な姿を「30度の斜面に20度のジグザグ道」と想定している。その場合の速度係数を「1時間に高度300m登る」として「時速1km」と概算する。その場合「あと2km」は標準的な登山道なら2時間ということになる。
 平地を時速4kmで歩くエネルギーで一般登山道を歩くと水平距離では時速1kmとなり、垂直距離では時速300mになるという「1時間モデル」を提案して、歩く人の力量と、道の形状によって係数を変化させる提案をしている。
 登山道の標識にはまた、所要時分が書かれている場合が多い。おおざっぱにいって……だが、古い標識は新しい標識より所要時分が短いはずだ。
 これはガイドブックやガイドマップのコースタイムも同様で、同じルートで新しいものはいくぶん長めの時間を表示してある。
 理由ははっきりしている。かつてコースタイムは健脚基準だった。地元の登山会の人たちが、外の人たちに「恥ずかしくないタイム」として算出した数字と考えてよかった。だからコースタイムで歩けたら健脚というそれなりの了解が登山者にもあったと思う。
 ところが1980年代から中高年登山のブームが始まり、その種の健脚派コースタイムの1.5倍で見積もるという「常識」が一般化しはじめた。「1.5倍」という係数を掛けて補正すれば、それはそれで実用化できた。
 ところがそれではすまなくなった。ガイドブックやガイドマップが中高年登山者向けに編集されるようになると、コースタイムは「1.5倍」型になっていく。当然の流れとして登山道の表示の中にもそれが入り込む。
 かくして登山道の所要時分表示は標準性を低下させてしまったといえる。
 もうひとつ問題があった。かつて私は毎日新聞社が刊行した『日本の大自然』(全29巻・1993.3〜1995.8)で28の国立公園にかかわる物語を連載したが、第16巻『秩父多摩国立公園』(1994.8)ではこの、コースタイムの問題を扱った。
 例にとったのは奥多摩の高水三山。比べてみたのは(1)山と溪谷社・アルペンガイド『奥多摩・奥秩父・大菩薩』、(2)東京新聞出版局・岳人カラーガイド『奥多摩』、(3)日地出版・登山ハイキング地図『奥多摩』、(4)昭文社・山と高原地図『奥多摩』、(5)日地出版・地球の風『奥多摩・大菩薩』、(6)日本交通公社・JTBポケットガイド『奥多摩・秩父』、(7)弘済出版社・ニューガイドトップ『奥多摩・秩父』、(8)日本交通公社・新日本ガイド『武蔵野・秩父・多摩』、(9)聖岳社『奥多摩絵図』の10種。
 結論からいうと、(7)の旅行ガイド以外はコースタイムは一致していて、JRの軍畑駅から高水山→岩茸石山→惣岳山→JR御獄駅が3時間45分(8の新日本ガイドは10分単位の表記によって3時間50分)となった。
 そのとき、ただひとつ違ったコースタイムというのは4時間35分。ほぼ20%増しとなっていた。奥多摩の中でも高水三山は入門編の山としてポピュラーだ。だからファミリー旅行向けで登山とはあまり関係のない(7)ニューガイドトップ『奥多摩・秩父』でも扱ったのだろうが、最初の登りと最後の下りに時間を足している。
 しかし、それ以外のすべてがまったく同じコースタイムというのは薄気味悪い。なぜ同じなのか。
 そこで各ガイドのコースタイムの規定部分を読んでみた。
(1)山と溪谷社・アルペンガイド『奥多摩・奥秩父・大菩薩』の場合――コースタイムは、該当コースに必要な装備一切を携行して歩いた際の、標準的な所要タイムで、休憩や食事に要する時間は一切含まれていません。コースタイムは体力、経験のほか、その時々の天候や体調に左右され、さらにコースの混雑度、パーティーの人数によっても差が生じます。とくに高齢の人は、本書コースタイムの5割増を目安として計画されるようお勧めします。――一
(2)東京新聞出版局・岳人カラーガイド『奥多摩』の場合――コースタイムは一応の標準時間を記載した。この中には休憩時間は含まれていない。荷物の重量や天候、子供連れなどの条件により大幅に異なるので参考程度にしていただきたい。――
(3)日地出版・登山ハイキング地図『奥多摩』――コースタイムは夏山晴天時2〜3人のパーティー(休憩を含みません)の標準記録です。したがって休憩・個人差など考えて行動して下さい。――
(4)昭文社・山と高原地図『奥多摩』――コースタイムは、時期や天候によるコース状況、パーティ構成、体力または疲労度などによってかなりの差異が生じます。あくまで参考として、十分に余裕をもった山行計画をお立てください。――
 凡例を見比べる限り計算されたコースタイムが同じになる気配はないのに、ドンピシャ同じということは、どれかがオリジナルでどれかが孫引きということになる。「標準的な所要タイム」とか「一応の標準時間」、「あくまで参考として」などの前提まで、疑わしくなってくる。
 じつは1983年以来長く中高年登山の仕事でご一緒させていただいた山岳写真家の内田良平さんがガイドブックのコースタイムの計算法を著書で明らかにしている。それは水平距離1km=15分(時速4km)をベースにして、急な登りには高度100mに対して20分、標準的な登りには15分、ゆるやかな登りには10分を加える……というもの。下りはゆるい登りと同じに高度100mに対して10分を加える。
 内田さんは写真家なのでいい風景があれば撮影に入る。背負っている荷物だって一般の登山者とはちがう。標準としてのコースタイムなどでは歩いていない。
 もしそれがガイドブックの取材のための登山だとしても、コースタイムで歩くなどとは考えられない。当然、できる限り速く歩いてルートを1本でも多く調べたいと考えないプロはいないはずだ。
 要するに、ガイドブックのコースタイムは作文なのだ。内田さんは正直な人だから、作文の根拠をどうしてもあきらかにしておきたかった。
 内田さんのコースタイムはしたがってオリジナルデータと考えていいのだが、そのように計算の根拠をあきらかにしたものを私はほかに見つけられなかった。


●コースタイムの「標準」と「個別」

 登山の世界には知恵者がたくさんいるはずなのに、ガイドブックやガイドマップのコースタイムの示し方にはずいぶんと粗雑なところがあると感じた。
 山では、そんな厳密に、計算どおりにことは運ばないというどんぶり勘定が、結局はいちばん正確だったりすると私も思う。ならば各人の試行錯誤という要素をもっとうまく組み込んだ方がいいのではないか。
 内田良平さんの計算方法は結果としては80%完成していると感心した。しかし、計算法ではあってもコースタイムのありようを全体的にカバーするものとは思えなかった。
 じつは内田さんとの仕事は、朝日カルチャーセンター横浜での中高年登山講座。私は5人の講師の末席で地図を担当していた。だから内田さんの経験的計算法を私なりに読図システムに組み込んでみたいと考えたのだった。
 登山に地形図を使うときにいちばん重要なのは等高線情報である。平地の生活圏では水平距離と方位が情報の中心になるけれど、日本の山は谷が浸食されて急峻なので、斜面情報と高度情報がきわだって重要になる。等高線は立体情報を平面に閉じこめているという意味でけっこうむずかしい。
 等高線の密度(すなわち褐色の濃度)によって実際の傾斜をイメージするという訓練は登山者はやっている。少なくとも自分にとって要注意の傾斜面は色の濃度でパッとわかる。
 等高線の間隔から斜面角度を直読するスケールもあるけれど、何度と知ったところで直接的な価値はない。
 きっかけは何だったろうか。等高線の5本目ごとに現れる太い計曲線が登山道を横切るところに直径4mmの円を描くことを思いついた。2万5000分1地形図であれば半径50mになるのだが、その4mm先に次の計曲線がくれば、50m先で50m上がる(下がる)から、すなわち100%勾配で三角関数のtan1は45度。
 円と円とが接して並んでいるとすると100m先で50m上がる(下がる)から50%勾配でtan0.5は約27度(目分量としては三角定規にある30度)となる。
 また円ひとつ分の間隔をあけて次の円がくるとすると、200m先で50m上がる(下がる)から25%勾配でtan0.25は約15度となる。
 標高50mごとにそういう傾斜直読記号をつけてやると、登山道の構造(じつは登山道が開かれた斜面の構造)が一目瞭然になってくる。
 たとえば、円が重なって描かれている部分はスキー場でいえば上級者ゲレンデの上の垂直の壁のようなところ。登山道なら大方岩稜でクサリ場になっているかもしれない。
 逆に円ひとつぶんの隙間があるところはスキー場なら初級者向きのゲレンデか林道を利用した林間コースの急なところ。すなわち車が通る道の急斜面。そして登山道ではジグザグが消えて、傾斜面をまっすぐに登って、まっすぐに下っている。
 こうやって登山道を斜面との関係で見ていくと、意外なことに気づいたのだ。斜面が急になると登山道はジグザグを切って傾斜をゆるめてくれるのだが、都会の軟弱な登山者に親切な道にしようとする人たちがおおよそ20度という勾配に登山道をつくってくれている。
 東北の山などでは山仕事のプロたちが開いたと思われる道が多くて、かなりの斜面でも直登したりする。まっすぐ登ってまっすぐ下る方が楽かどうかは、冬山登山をやってみればすぐにわかる。
 私がターゲットとする一般登山道では20度以上の斜面になるとジグザグを切ってくれていると考えていい。つまり山の斜面は多彩に変化するけれど、一般登山道では20度という傾斜の道をたくみに延ばしてくれていると考えることができるようになった。
 つまりそれが、内田さんの「標準的な登り」になる。その「標準的な登り」において、水平距離で時速1km、垂直距離で時速300mになるという登山者の古くからの経験的どんぶり勘定が成立する。
 登山道を「標準的な登り」とそれ以外とに分けてみると、一般登山道では「標準的な登り」がほとんどを占めることに気づく。富士山の登山道が5合目以上山頂まで、「30度の斜面に20度の登山道」というパターンであることとほとんど同じ状態といっていい。
 そのことが理解できたら、「標準的な登山道」を「標準的なスピード」で登る/下るということが考えられる。あとは「標準的でない」部分に対する情報収集が必要になるだけだ。
 内田さんはその「標準的でない」部分に対して、高度差100mごとに「20分追加」=急な登り、「10分追加」=ゆるやかな登りと簡単に処理している。一般登山道では、縦走路のクサリ場を確実に通過できる技量があれば、おおかた時間の問題として処理できるというわけだ。


●「水平距離1km=15分」という革命

 もうひとつ、内田さんがベースにしたのは「水平距離1km=15分」という部分だが、これは登山家としては卓見だった。最近でこそ登山道に距離表示があるけれど、30年以上前には、登山道の距離ほどつかみにくいものはないというのが一般的な常識だった。
 それは当然のことで、登山道をあらわす「幅員1.5m未満の道」は「2号線」の波線で描かれる。太さは0.20mm。2万5000分1地形図の登山道は線幅が現実の5mになる。住宅街の道路ぐらいの幅になる。急な斜面を小さなジグザグを切って登るときなど、ジグザグはその線幅のなかに埋没してしまっている。
 それだけではない。スギ・ヒノキの植林地の中を大きなジグザグを切って伸びるような道も、かならずしもそう表現されていない。そのくせ、そこがジグザグの急登だと表現しておく必要があるときには、縮尺を省みずにジグザグを描いている。
 私は1989年に朝日新聞社から出た『ふれあいの「首都圏自然歩道」』の取材をしたが、2万5000分1地形図で計った登山道の距離は、設計図面の距離に対して最大20%短いという印象になった。
 だから内田さんが山岳界に所属しながら「登山道の距離」という不正確な数字を持ち出したのは勇気もいったろうが、正直時期尚早だったと思う。計算法という以上のものにならなかったのは当然かも知れない。
 以後、私は登山道の距離を地図上で測る方法を模索した。かつて1968-69年にナイル河に遠征したときには世界一の長流だったが、その後アマゾン河にその地位を奪われた。河の長さは地図上で測られていたので、地図が未整備なアマゾン河の長さに誤差が多かったというだけの話なのだが、登山道も当然、地図上で計られるべき対象だと考えていた。
 縮尺的に誤差が大きく出るうえに、地形図における登山道の表記はかならずしも正確ではない。最初から間違っている部分もあるし、登山道が付け替えられたのに地図では訂正されていないというものも多い。
 いろいろな道具も使って少なくとも地図上の長さだけは限りなく精密に計ろうとするところから始めたのだが、それを放棄することで先が開けた。
 距離に大きな誤差があっても、それを時間目盛りに変換した瞬間に無視できる範囲の誤差に収まってしまうことに気づいたのだ。
 そこで、地図上で距離を測るには小さな紙片に500m分(2万5000分1地形図では2cm)の目盛りをつけて、ペン先で押さえながら登山道をはわせていく。500mごとに印を付けて、どんどん進んでいく。必要なときに地図の隅を破ってあわただしくやればいいという簡便な方法だ。
 登山道の「標準的な姿」が勾配約20度(より正確には約30%勾配=約17度)として1時間に高度差で300m登るとして、それを「登山道の標準的な1時間モデル」と決めたところからすべてが標準化に向かって動き出した。
 1時間に水平距離で1km、垂直距離で300m移動するとすると、内田さんの計算法にある登り100mに対して15分を追加……なのだが、水平距離は存在感を1/4に減じてしまう。
 前進するエネルギーの1/4が水平方向に、3/4が垂直方向に使われる……というそのエネルギー配分を私は「歩き方」として考えるのだが、実際の距離が20%長くて1.2kmだったとしても、時間では15分が18分になるだけだ。もし50%も狂ってしまって1.5kmあったとしても22分半、すなわち1時間で7分半のオーバーにすぎない。
 数字上の誤差の大小について考えるより、はるかに重要なことが浮上した。地図上の登山ルートに500m(すなわち7分半)の目盛りを入れていくことによって、地図の縮尺から解き放たれたのだ。
 昔から、地形図は常にその縮尺で使うのが大原則だった。地図上の距離感を現実に合わせるには、地上の風景をいつも同じ高度から見下ろすような態度が必要だった。5万分1地形図で育った私などは、長い間2万5000分1地形図になじめなかったが、それは縮尺の距離感が狂ってしまったからだ。
 まして、ちょっと拡大だの、70%の縮小だのとしたものは、見たくもない。絶対にやりたくなかった。……のだが、登山道に距離目盛りを入れた瞬間から状況が一変した。縮小しようが、拡大しようが、かまわないというものになった。登山道が構造的に浮かび上がってきたことによって、「空間把握」などという感覚的な理解は必要なくなった。
 登山道の距離を、誤差を恐れずに計ることによって、空間把握という難易度の高い技術からスルリと抜け出ることができたのだ。


●係数という個別化、予備時間という考え方

 山の姿は千変万化だが、人工的な工作物である登山道は「歩きやすさ」という配慮によって、限りなく標準されていく。それでも急斜面では段差の大きさがスピードを落とすこともあるし、渋滞するクサリ場が登場することもある。渡渉のある川では水量によって思わぬ時間が必要になる場合もある。
 登山道を地図上でたどりながら、傾斜との関係をたどっていくと、要チェックの場所が浮かび上がってくる。しかし、登りはじめから登山道を「つくった人の気持ち」を探りながら歩いていると、難所をどれほどのていねいさで通してくれるのか想定できる場合が多い。
 登山道はすべてが計算どおりに展開することはないけれど、「標準的な姿」を見つければ、それ以外の対策は立てられる。標準的な登山道の「1時間モデル」では水平距離500mごとの目盛りとしている◇と高度差50mごとの○を8個=1時間(すなわち1個=7分半)という時間目盛りとして読みとることができるけれど、急斜面や岩場では6個=1時間とか4個=1時間というふうに換算率を変えてやる必要も出てくる。私が提案する「1時間モデル」を「1時間半モデル」と変更しても、自由なのだ。
 それは運動量に対する時間係数を各自適正化するということなのだが、私はむしろ、共通可して、どんぶり勘定の方向に応用範囲を広げてもらいたいと考えている。
 一般的常識なのだが、下りは登りより早い。時間的には7割だったり、速い人は5割だったりする。
 その下り、じつは登りのコースタイムとの時間差によって難易度が表現されていることが多いのだが、時間係数を適切に選ぼうとするとなかなか煩雑なことになる。登りの場合より、登山道の歩きやすさが大きく影響してくるからだ。
 そこで、私が提案するのは予定ルートの全体を登りの時間係数で計算してしまうこと。模式的に考えて、登りと同じ分量の下りがあれば、全体の半分の時間から20%とか30%が浮いてくる。それを「予備時間」としてリーダー(ペースメーカー)が握っておく。
 歩き始めて1時間もすれば、その山の登山道が想定の範囲内の歩き易さかどうか、感触がつかめてくる。メンバーの体調も判断できる。
 そうしたら、下りで余ってくる時間を登山道で使うか、下山後に使うか考える。登山道で使うというのは、たとえば気持ちのよい休憩場所や展望のいい山頂でのんびりといい時間を過ごすというような時間のプレゼント。あるいは下山してからの温泉や食事にちょっとぜいたくな時間配分をするということもある。
 その代わり、登りで不安な要素が出てきたら、下りから余ってくる時間を危機管理に惜しげなく投入する。ペースメークするということは、決められたペースを維持するということではなく、全体を考えながらペース調整という手法を活用して安全に、あるいは楽しく演出するということではないかと思う。そのためには少なからぬ隠し球としての時間枠がほしい。
 時間係数を「◇と○8個=1時間」と固定しておいてもかまわない。急な道が続くようなら内田さんの高度差100m=20分のプラス5分ぶんが不足するし、緩やかな道なら高度差100m=10分のマイナス5分ぶんが余ってくる。
 その1時間に休憩時間が含められるなら余裕があるし、はみ出してくるなら下り分から補填してやらなければいけない。昼食休憩に1時間とってあるとして、それも行動管理のために使うことになるかもしれない。
 それだけではない。天気による、あるいメンバーの体調による、さらには登山道の思わぬトラブルによって計算どおりにいかないときには、わずかな予備の時間はあっというまに消えていく。どうしても追加の予備をどこからかひねり出さなくてはいけなくなる。
 その段階で、ペースメーカーは帰路のスケジュールを危機管理に組み入れる。予定の下山時刻から日没までにどれくらいの時間の猶予があるか、今日中に全員が帰宅できる最終のバス・電車にするとどれくらいの時間が浮いてくるか。タクシーを使ったらさらに時間に余裕が出てくるか。最悪翌朝の始発までだとどういう時間的余裕が作れるか。
 そこまでが、遭難以前の時間的やりくりだと考えられる(ただし連絡できないと遭難騒ぎになる場合があるので要注意)。
 かくして不足の事態が生じたときには、後から手を替え品を換えて予備の時間をひねり出しつつ、現状からの脱出を試みる。
 こういう態度をとることによって、コースタイムはただの目安となる。どんぶり勘定の最初の数字にすぎないということになる。
 標準的なルールを定めて、だれもがいつでも計算できるようにして、その運用において小さな試行錯誤を積み重ねていけるようにする、ということに私は行き着いたと考えている。
 ただ、ここで提示しているシミュレーションマップはあくまでどんぶり勘定のところまで。各人それぞれに地形図上の登山道に距離と高度の目盛りを書き込んでいくと、等高線との関係でさらに厳密に登山道と斜面との関係があきらかになる。現場ではそれが圧倒的な情報量を提供してくれることになる。


★目次に戻ります
★トップページに戻ります