軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座026】「貼るカイロ」の活用――2006.11.10



■寒さの体験――2001.12.23
冬の強風で知られる安達太良山の勢至平。そこであえて休憩して、ティータイムとした。動きを止めると寒さが全然違う表情になる。熱い飲み物が思い出深いものにもなる。



■北国の海岸――2003.3.4
真冬の利尻富士を見に行ったのだが、海が荒れて礼文島から出られなかった。マイナス10度Cの突き刺すような寒さを存分に体験した。



■雪とたわむる――1998.1.10
場所は西丹沢の不老山。登っていくと雪に覆われた林道に出た。誰も踏み荒らしていない新雪だったので、とりあえず寝てみた……。雪と戯れると、みなさん不思議に無邪気になる。



■これはたしかテニスシューズ――2002.2.9
場所は富士山の北隣、御坂山地の釈迦ヶ岳。この冬はテニスシューズをはいていた。防水ソックスをはいていると靴はいわばオーバーシューズだからスパッツも必要ない。


●保温と断熱

 アウトドアの基礎知識としてのレイヤーシステム(重ね着)は一般的には「暖かさの調節」というふうに理解されているようだ。
 その上限、すなわちもっとも寒い状態をどのように設定するかによって考え方が大きく変わってくるのではないかと思うのだが、バブル期の六本木では20万円もするノースフェースの羽毛ジャケット(色は白)がその上限であったといわれる。
 ノースフェース・ブランドの大半は国内仕様となっているのだそうだが、ブランドイメージを支える極地仕様のそのジャケットだけは本家本元のオリジナルの限定輸入だから、レアものとして六本木で評価されていたという。
 羽毛は「あったかい」と思っている人が多いが、正確には「寒くない度合いが大きい」というふうに理解しないといけない。すなわち断熱効果が高いというだけのこと。体を動かすとその熱が逃げないので暖房の効きすぎた部屋で生活している状態になって、からだはそれに順応して、モコモコの羽毛ジャケットをそれほど暖かいものと思わなくなる……とノースフェース関係者から聞いたことがある。
 羽毛神話がいまも根強く生きていて「あったかさ」の象徴として買いたくてしょうがない人が多いようだが、もうひとつ、日本の冬が「湿っぽくて寒くない」という現実ときちんとすりあわせていない人が多い。
 私の場合、太平洋岸の日帰り登山では(1)夏冬兼用の半袖Tシャツ、(2)いくぶんあったか系のブラウスシャツ(山シャツ)、(3)冬用ではない薄いタイツ、(4)夏冬兼用の速乾性ズボン……が基本と考えている。
 重要なのは(2)と(3)で、「冬用」にしてはいけないというところが要点となる。
 「冬用」が必要なのは「防寒」ではなくて「防冷」で、(5)手袋(インナーとアウター)、(6)耳覆いのある帽子、(7)肌を湿らさないアンダーソックスと(8)アンダーパンツについては真剣に選ぶ必要がある。とくに重要なのはインナーグローブで、行動期間中はずさずに(素手にならずに)すべての仕事ができるものをさがしたい。
 もちろん「暖かさ」を求めたい状況があるわけだから、それを悲観的に考えるか楽観的に考えるかで選択肢が大きく違ってくる。
 私の流儀では、「貼るカイロ」を隠し持つことによって楽観的姿勢を貫くという方法をとる。断熱性能が安定している(9)フリースジャケットと、用心深くする必要がある場合にはさらに(10)フリースパンツを予備として持ち、ゴアテックとその同等品による(11)レインウエアをウインドブレーカーや屋内乾燥室として、厳しい環境から身を守るバリアスーツと考えている。
 まずこれだけの「防寒」「防冷」装備で、真冬のスノーハイキング(たとえば八甲田山、蔵王、美ヶ原、奥秩父、上高地など)を問題なく実施してきた。


●熱源を確保する

 冬の防寒装備を楽観的に考えるには、「あったかい服」という概念を捨てなくてはいけない。人間の肉体そのものが燃料を投入してエネルギーを発する熱源なので、登りではしばしば発熱分をうまく放出してやらなければいけない。
 日本の冬は「意外に暖かい」という認識を持つことによって、汗をかく場面を徹底的につぶしておかなけてばいけない。最終的に半袖Tシャツになるという余地も残していきたいのはそのためだ。日だまりハイクはまちがいなく、気持ちいいほどあったかい。日が射して風がないのだから当然だ。
 十分に「冬の寒さ」であっても、がんばれば汗をかく。つまり強制冷却しなければならないほど多量の熱を発生する。暖かくするにせよ、寒くしないにせよ、室内でストーブの温度調節をするように、発熱量の調節をすることが、冬には基本的な技術要素となる。
 つまり、肉体そのものが発熱体なのだから、その熱を「うまく逃がす」とか「できるだけ逃がさない」という観点で「寒くならない服」――すなわち防寒を実現したいのだ。
 それに対して「防冷」としたのは、からだの末端部分に対する防御だ。これは0度C近辺の環境では雪の湿りが手袋を濡らす、というような危険な場面を想定しなければならない。零下10度C前後になると雪で濡れるということはなくなるが、手の汗が湿りとなって、冷えを誘発する。また耳に当たる冷たい風は思考力を大きく阻害するので、副次的な危険が増大する。
 凍傷の危険と隣り合わせの本格的な厳冬期登山、あるいはヒマラヤ遠征などの高所登山では、凍傷を防ぐために手や足の指先を動かし続けるといったケアが重要になるのだが、歳とともにそのような自前の熱源が使いにくくなる。
 そこで外部から熱源を挿入してやるという考え方を積極的に導入することで、要「防冷」個所に強制的に熱源を与えてやり、肉体側の発熱能力に異変が生じたときの「防寒」にも備えることができる。「貼るカイロ」は簡単にいえば鉄粉とおが屑と水分を材料にしているので装備としては重い。しかし冬の登山の非常用装備としてはいろいろな合理性をそなえている。


●貼るカイロの正体

 「貼るカイロ」という前に、「使いすてカイロ」のことを話さなければならない。
 1991年から92年にかけて、テレビ朝日の深夜放送でアウトドアのミニ番組をもっていたが、1992年の1月に「ゴミ袋キャンプ」の冬版をやることになった。そのときに熱源としての使いすてカイロを実験してみたいと考え、当時常連ライターとして仕事をしていたダイヤモンド社の「ダイヤモンドBOX」という雑誌と連携するということで、主要メーカーの取材もした。
 ここでそのとき(1992年)の原稿を紹介しておきたい。

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◎百円カイロ
 JISの名称で「使いすてかいろ」、東京都条例で「使いすてカイロ」と表記する商品は1978年(昭和53年)に発売されたロッテ電子工業のホカロンが最初。“百円カイロ”として爆発的にヒットして、約1200万個の生産量で立ち上がった。
 使いすてカイロは2年目に1億個を突破、5年目に2億個を突破して急成長し、最近は5億個から5億5000万個の間で安定しつつあるという。おもしろいのは、メーカー希望価格が以来十数年、全く変わっていないこと。実勢価格が4割、5割、6割引きというだけのことである。
 ところが最近、この使いすてカイロが大きな転換期にある。構造的に合理性の高い肌着用(貼るタイプ)の登場である。マイコールが1988年に売り出すと、たちまち主要メーカーの追従するところとなった。望みの場所にカイロを固定できるようにした粘着テープ付きの登場が、使いすてカイロを思わぬ方向に進化させつつある。
 従来タイプが1個当りの価格をレギュラーサイズで100円、ミニサイズで50円としているのにたいして、肌着用(貼るタイプ)はミニサイズで50円から70円と幅がある。しかもこの肌着用は店頭での値引率が小さい。ゆえに“百円カイロ”の実質を回復し、あわよくばさらに高付加価値の商品に育てようというメーカーの期待がかけられている。
 桐の木などの軟らかく燃えやすい木炭の粉末を使う懐炉は明治時代の末に登場したが、昭和10年台にヒットしたのが“白金懐炉”。こちらは白金触媒つきの石綿によってベンジンを安定的に燃焼させた。
 そして昭和51年に“第三世代”の“鉄粉懐炉”が登場。鉄粉が錆びるときに発生する酸化熱を利用するもので、鉄粉と、それを急激に酸化させるための水、塩類、保水剤(バームキュライト、木粉など)、酸素吸着・脱臭のための活性炭などを使用直前に混合するものであった。
 懐炉メーカーがそれを発売したのだが、2年後にロッテ電子工業が“一体型”のホカロンを出した。一体型は、外袋をやぶいて(空気を流通させる)振る(中身を混ぜ合わせる)だけでよかった。
 ヒットメーカーとなったロッテ電子工業が現在も横綱の地位を保っているが、実力伯仲の東西両大関に、旧懐炉メーカーのマイコール(栃木)と桐灰(大阪)がいて、三強を形作っている。続いて、白元、キンチョウ、フマキラーなど。
 ユニークなところでは、新日鉄系のファインテックが、セラミック粉を入れて遠赤外線効果を追及。またアサクラは、使いすての座ぶとんやマフラーなど、アイディア商品を出している。
◎低温化する肌着用
 JIS規格の使いすてカイロの表示には「最高温度」と「平均温度」それに「持続時間」の3項目が表示されている。
 JISでは最高温度が70度C以下であること、持続時間としては、40度C以上を保持する時間が表示時間以上であること(持続時間の50%以上は、最高温度と40度Cの中間温度以上)と規定している。
 表示はしかし、JISではなく、都条例に定める品質表示にしたがっている。そこで細部にこだわらずにいえば、最高温度はその表示温度以上に上がらないという数値であり、平均温度は40度C以上の温度範囲で15分ごとに測定した温度の平均値。持続時間は40度C以上の温度が持続する最低時間である。
 ところが、ご存じのように使いすてカイロは途中ですっかり冷えきってしまったり、思いのほか熱くなってしまったりする。
 標準的な使用条件は、その測定条件としてJISで定められているのだが、35度Cの温度(周囲温度5度C時の標準衣料を着用したときの腰部の皮膚表面温度を想定)の面にガーゼを2枚(肌着を想定)はさんで置き、ネルの布を3枚(着衣を想定)かぶせて、5度C(6大都市の冬季3か月の平均温度を想定)の環境温度の中に置く。
 これは、衣服を選んで快適に着たとき、衣服と皮膚のあいだの空気層の温度は、1年を通じて31度Cから33度Cのあたりに落ち着いている、という認識に立っている。
 使いすてカイロは気温が10度Cを割ると売れ始め、5度Cになるといっせいに使われるといわれる。しかし、そういう低温のなかでは化学反応は活発でなくなり、氷点下にまで温度が下がると、水分が凍って酸化はあまり進まなくなってしまう。使いすてカイロは、あくまでも体温の影響化で発熱するように作られているのである。
 肌着用というのは、下着1枚を隔てて肌の近くに貼り付けて使用することから、JISの測定条件とほとんど同じになる。つまり使いすてカイロ本来の使い方に合致する。
 肌に直接貼ると医薬品の領域に踏み込んでしまうが、肌着1枚を隔てて、衣服内空間で抑制の効いた暖房を実現しつつある。温度を体温に近づけた“熱くないカイロ”が冷え性や、冷房障害などに効果的だということもわかってきた。年間を通して利用されるものにしたい、とのメーカーの期待が肌着用の低温化を進めている。
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●「貼るカイロ」の実験

 上記は「ダイヤモンドBOX」の原稿だが、テレビでは女性タレントと女子大生2人を秩父の武甲山の裏山でビバークさせた。ちょうど雪が降り、あたりはうっすらと雪化粧。市内で買った農業用ビニールシートでアメリカ原住民のティピーのようなテントをつくり、風呂用マットを床にして、ゴミ袋で寝たのだが、「使いすてカイロ」をいろいろなパターンで実験した。
 そのなかにひとり、冷え性を自覚する女子大生がいて、「貼るカイロ」を選択した。そして(私とディレクターを含めた5人中)彼女ひとりが熟睡したのだった。あまりにも深く眠っているので心配になって途中で起こしたが快適に眠れたという。
 翌朝起きてビックリしたのだが、彼女はもらった貼るカイロを全身に貼りまくって、なんと26枚。強制暖房状態で熟睡できたのだった。
 当時、問題になっていたのは低温やけど。長時間貼っていると危険だといわれていたのでそのことに神経をつかったのだが、登山用品店で購入した上下のアンダーウエアを全員に支給したのが当たった。肌が湿らないので肌着の上から貼ったカイロはやけどを起こす熱源とはならなかった。
 おそらく綿の肌着を着ていたらカイロのところでいくぶんかの汗が出て、50度C前後の熱で低温やけどを発生させたにちがいない。ところが、乾燥した50度Cは布1枚を隔てて穏やかな暖かさを送り続けただけということになる。
 以後、私は「貼るカイロ」を登山に積極的に導入する。たとえば冬の山小屋で、布団に保温性がなくて寒い場合がある。そういうときには貼るカイロを足裏や腰に貼ることで安眠を確保できる。
 私の場合は貼るカイロを使うことで、スニーカー1足で夏冬通してしまうことができるようになった。アシックスの「スノトレ」に代表される雪国用運動靴や、ナイキのACGシリーズの冬季限定ゴアテックス防水ランニングシューズ、あるいはメッシュのランニングシューズに(ゴアテックスやシールスキンズの)防水靴下、そして最近爆発的にシェアを伸ばしているゴアテックス防水ウォーキングシューズなどで、軽アイゼンやスノーシューを装着する程度のスノーハイキングまでは完全に安全圏内にすることができるようになった。
 大きめの靴に、2枚重ねのソックスをはく。アンダーソックスは肌を乾燥させるタイプ。アウターソックスは空気をたくさん取り込めるパイル系の厚手がいい。貼るカイロを土踏まずか甲の部分に貼っておくと、たとえば0度C前後の湿った雪で足が濡れた状態でもからだを(あまり)冷やさない。よほどひどいときにはソックスを履き替えれば、(かならずしも防水をしなくても)湿り気を穏やかなレベルに引き戻すことができる。下山したらポリ袋などをはいて強力な防水(ただし無透湿)で冷えから体を守ることも可能になる。
 この場合、温度が下がるに従って雪は溶けにくくなるので足ぬれの心配は小さくなるのが普通だ。
 手の指先の場合は外気温が下がるほど条件は悪くなる。手から出るわずかな湿り気が冷たさを助長するようになったら、ゴアテックス防水のミトンをつけてみるといい。ペラペラな1枚布の安物のミトンでいいので、あるいは古いレインウェアの布でおおざっぱに、ソックス兼用ミトンを工夫するというような考えでもいいのだが、グループのなかのひとりが危機管理用品としてもっていると好ましい。透湿防水ミトンをかぶせると指先の環境がぐんと良くなるのだが、そこに貼るカイロを加えると指先の凍えは急速に回復する。
 足まわりや手の指先まわりでこれだけのことができる……というところから冬の寒さと安全という技術課題を見つめていくと、「貼るカイロ」がなかった場合に比べて安全に関する余裕幅はまったく違うものになる。
 「貼るカイロ」を持つことによって、冬の寒さや冷たさに対して恐れずに向かい合ってみることをすすめたい。


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