軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座043】登山道の破壊――2007.7.25



■北岳大樺沢ぞいの道――2001.8.24
この場所で小規模な崖崩れがあったらしい。倒れた木を、山小屋のスタッフらしい若い男女が片づけていた。もちろん必要なら手伝ったが。



■白根三山縦走路――1998.7.20
農鳥岳の先から大門沢へと下った。沢沿いの長いゆるやかな道は、桟道あり、ハシゴあり、吊り橋あり。ダブルストックは手が伸びるだけ安全領域を拡大してくれる。



■大雪山への登山道――2000.7.21
大雪の高原温泉から緑岳を経て白雲岳避難小屋に向かう道。登山道はこのようにして深くえぐられていく。


●登山道に依存する登山者、利用する登山者

 私は目先の利害にからんで、登山道の破壊ということには神経質になっている。
 もともと、私の登山技術は「登山道からはずれない」ということを大原則としている。登山の技術体系でいえば「アプローチルート」に限定した行動だ。だから本格的登山という領域を上に重ねれば、そちらは基本的に登山道に依存しない活動になる。
 昭和30年代の国民総登山家時代には「登山の矮小化」「登山のゲレンデ化」としてさげすまされた立場ではないかと思う。深田久弥の『日本百名山』だって、当時は(そしてたぶん今も)先鋭的な山のグループの中では「フン!」とあざ笑われる対象ではなかったかと思う。
 ちなみに深田久弥の「日本百名山」は1940年(昭和15)から朋文堂の雑誌「山小屋」に10回連載されて20山ほどで中断したが、戦後1959年(昭和34)から同じ朋文堂の雑誌「山と高原」に50回連載して百山を書ききり、還暦の1964年(昭和39)すなわち東京オリンピックの年に新潮社から単行本として刊行され、読売文学賞を受賞した。
 深田久弥は日本有数の山岳地図の収集家であったから最先鋭のヒマラヤニストたちがたくさん出入りしていたけれど、登山家というよりはやはり作家であり、山岳エッセイストであったといえるだろう。
 深田久弥は『日本百名山』のあとがきで「付加条件として、大よそ1,500m以上という線を引いた。山高きをもって尊しとせずだが、ある程度の高さがなくては、私の指す山のカテゴリーには入らない」と書いているが、ほとんどは登山道をたどって登る山だった。
 すでにお分かりかと思うが、登山者がみな登山道に依存しているわけではない。アプローチの時間短縮のために登山道を単に利用している人たちも多いのだ。
 大学時代の私のクラブは無雪期の知床半島縦走というのをテーマにしていたから、あの背丈を超えるハイマツを勝手に伐って道ツケをしたりした。
 東京オリンピック後のその時期には自然保護という概念がかなり浸透してきていたが、その前の10年間に、日本中の山に新しい道が(勝手にどんどん)作られて「○×新道」などという名前がつけられた。そこまでいかなくても「○×ルート」なら尾根にしろ沢にしろ、あるいは名だたる岩壁にしろ、ほとんど無数につけられた。「道ツケ」という言葉が、登山技術の中で重要な位置をしめている時代があったのだ。
 登山技術の体系においては、登山道を利用するということがかならずしも「前提」ではないということが、じつは「登山道の保護」に思わぬ影響を与えている……ということを指摘しておきたい。


●登山道を破壊するもの

 私は「登山道依存型」の登山技術を考え続けてきたので、本来の登山技術と食い違うことをいわなければならない立場になったりして、自分でも混乱してしまうことがある。
 たとえば靴だが、汎用登山靴という考え方から登山道専用登山靴という考え方に切り替えた瞬間に、軽くてしなやかな靴が圧倒的にすぐれているといわざるを得なくなった。
 山に行くから登山靴を買いたいという人の多くは足首を保護してくれる靴として購入している。じつは足首を痛めやすい靴だから足首の保護機能が必要になっているという理解がされていないことなどはこの講座の第3回「最初に用意する装備」、第5回「登山靴を買う前に」、第35回「再び『登山用の靴について』と書いたので参照していただくとして、ここではストックを例に挙げたい。
 ストックの使い方については第15回「ストックとステッキ」、第30回「ストックの長さと使い方」を書いたけれど、登山道との関係でいま一番の問題は、ストックで登山道を突っついて破壊しているという非難だ。
 私はもともと杖のたぐいを使うのに反対だったが、左右のバランスが保てるという点と、下りで膝関節を徹底的に護ることが可能になり、かつチーム全体として下りでの安全性とスピードを驚くほど向上させることができるということで、1996年(平成8)から積極的にダブルストックを導入した。
 全員を画一的に指導してきたわけではないが、ストックの石突きは岩場において信頼のできる食い込み力をそなえた刃物になっていることからそれを十分に活用したいと考えている。そのときに標準装備されている小さな丸いカップが歯の食い込みをはずす悪さをすることから、あらかじめはずして使うのを標準的な使い方としている。
 もちろん、石突きの超硬合金の歯を生かすために、カバーのたぐいは取りつけない。
 ストックを2本も使い、石突きで登山道に穴をあけながら登っているというふうに見られるので、登山道破壊軍団の通過と見られている気配はしばしば感じる。
 たしかに、ストックを突いて歩けば、道に穴があく。雨になってそこに水が流れれば、土が流出しやすくなった分、破壊が進行する。だから山でストックを使うときには保護カバーをつけなくてはいけない。
 そういう「常識」がどうも一般に信じられているようだ。以前岩崎元郎さんのNHKの登山番組で俳優の山内賢がダブルストックで登場していかにも初心者丸出しの使い方をしていたのを見たが、視聴者からのクレームで使用をやめたとか。
 あの、メーカー(輸入代理店)みずからが推薦しているらしい保護サックは本来は都会の磨き抜かれた石床などを傷つけないためのものであるはずなのに、なんとそれを山で使わせようとは。
 1個800円ぐらいすると思うのだが、山道でいくつも拾った、私の使い方で岩っぽい道で使うと、簡単にとれやすい。もし本気で登山道を傷めないストックにしたいなら、ちゃんと作ってくれよ、といいたい。


●新「登山道の歩き方」

 ……で、破壊軍団の自己弁護に聞こえるかもしれないので言い方が難しいのだが、そういうストック批判をしている人には、登山道を突っついて歩いてみていただきたい。すると登山道の表情が千差万別だということに驚くはずだ。初冬の霜柱や春の雪解けなどでぐちゃぐちゃになる道や、落ち葉でもともとフカフカの道、石混じり、岩まじりの道といろいろある。
 しかも登山道が急速に破壊されているところというのは、事実上枯れ沢の底なのだ。そこにストックの突っつき穴が増えるといかにも破壊が増すように見えるかもしれないけれど、それはあまりにも素人っぽい観察力だ。
 道がえぐられるのはほとんど100%水流によるもので、豪雨のときの登山道を歩いてみれば、泥水が本流となっていて1日にして様相が変わってしまうことが実感できる。
 登山道の破壊を護る一番の方策は、水流を道を破壊するほどに増大させないことなのだ。そのためにところどころに水はけの溝をつけているところが増えているが、丹沢・鍋割山荘の草野さんによると50mごとに水抜きができれば登山道はかなり護れるという。
 あるときアウトドアライターが新聞に書いた記事を見たが、山小屋の前の広場にあけられたストックの無数の穴が登山道破壊の現況というような説明をしていた。それはえぐられた山道の左右の壁にブスブスを開けられた見苦しいストック穴が登山道破壊の象徴のように見えるのと同じ。見苦しいけれど、主役ではない。
 さて、登山道を護るのに水抜きが重要だとして、その状態の発生原因はどこにあるのか。
 簡単にいえば登山者の踏みつけだ。登山道のぬかるみや滑りそうな気配を避けて道脇に歩きやすい踏み後を探してたどる。いったんそういう歩き方になると、登山靴を汚さずに、かつ安心して歩けるのは一番新しい踏み跡道だということがわかる。
 人が踏めばわずかながら窪みになる。1年に数回、あるいは数年に一度、数十年に一度という大雨がそのあたり一帯に流れ出すと、たちまち流路となって道をえぐる。
 道をストックで突っつくことより、道をはずれて新しい流路予備軍をつくるほうが登山道の破壊としては圧倒的に大規模なものとなる。
 私はだからダブルストック使用に際して、登山道の破壊になにがしか加担する危険があるけれど、ダブルストックを使うことで、できるかぎり登山道の「本道を歩きます」という。
 皆さんにお願いしたいのだが、とても歩けない破壊された登山道も多い。それはすでに死んだ登山道として、生きている登山道のうちの一番中心となるものをできる限りたどっていただきたい。そういう目で登山道を見ると、登山者がいかに身勝手に歩いているのか、わかるだろう。その人たちの多くは、登山道の脇を歩きながら、新しい道を開いている探検登山家の気分になっているのではないかと私は思う。
 この登山道のお陰でこの山に登れるという気持ちがあれば、登山道そのものをもっとしっかり見ることもできるはずだ。
 最近は登山道の補修は、材料をヘリコプターで運び、下界の造園・土木の延長でやっていることが多い。小型のブルドーザーで整地したりすることも簡単にできるし、木道やハシゴをどんどん並べていく。
 そして……、あっというまに崩壊する。
 人がきちんと踏んできた登山道は、大部分が長寿を保つ。ところどころ壊れやすいところを細かく手入れしているような道のほうが、登山者にも歩きやすい。
 ダブルストックが登山道を突っついて破壊する……などと主張している人には、ぜひもうすこしきちんと登山道を見てほしいし、登山道の破壊された部分もできる限り歩いてみていただきたい。


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