軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座064】登山道とダブルストック――2008.9.10



■柏原新道――2008.8.22
あるいは人工的な塩ビ樋に違和感を感じる人がいるかもしれないが、路面に水流で削られた痕跡がまったくない理想の登山道だ。



■蕎麦粒山の急斜面――2000.5.13
奥多摩の蕎麦粒山を西に下ったところから林道へと逃げる道がある。この急斜面を、ダブルストックがあれば全員姿勢を崩さずにきちんと下ることができる。


●発見! 日本一の登山道

 ダブルストックが登山道を破壊する――という論調があるまではよかったのだが、鋭利な刃をもったストックに、滑りやすくてとれやすく、しかも驚くほど高価なゴムキャップを文句も言わずにつけている人たちが増えているのを見て、心を痛めていた。
 ひとつはゴムキャップは岩の表面で滑りやすく、ダブルストックが本来の威力を発揮する場面で危険きわまりない道具になるということ。滑りやすくとれやすいのでストックの設置角度も制限されるので杖の代わりにしかならなくなるというのが技術的な理由。
 根本的な理由は、あのゴムキャップは本来、都市の人工的な建造物を傷めないように靴を履かせるようなもので、もし不整地で使用するパーツであるなら、石突き部分と差し替えるような、本格的なものでなければいけないだろう。岩に有効な超硬合金の石突きと、土に穴を開けない直径の大きな接地パーツをユーザーが選べるようになっているなら道具の提供者としてのモラルを疑うつもりはないけれど。
 さて、そういう立場で、じつは登山道破壊の真犯人をきちんと理解してもらえる現場をさがしていた。そうしたら、あったのだ。
 今年(2008年)の8月22日に北アルプスの扇沢から種池山荘に登った。柏原新道から鹿島槍ヶ岳をめざしたのだが、大発見は柏原新道だった。
 この道は種池山荘と冷池山荘、それに新越山荘を戦後立て直したり、新設したりした柏原正泰さんがほとんど独力で切り開いたという。金子博文さんの力作『北アルプス山小屋案内』(山と溪谷社・1987年)にはこう書かれている。
――爺ガ岳南西尾根を巻くようにつけられた新道の開削には、七年もの歳月が費やされた。――
――登山道の切り開きは、ほとんど正泰さん個人の力で行われた。完成したのは昭和46年。測量に3年、開削に4年の大事業だった。――
 私は10年前にこの「新道」を歩いているが、そのときには道については何も感じなかった。ところが今回、これほど完璧な登山道は見たことがないと脱帽しながら登った。
 すごいことがどこで分かるかというと、斜面をトラバースしている道の谷側に盛り上がりがまったくない。
 お分かりだろうか。登山道の多くは、谷側に小さな壁ができている。しかしそれはむしろ優等生で、多くは山側も谷側も深くえぐられてU字溝のようになっている。人間の背の高さ以上に両壁がそそり立っている道も多い。
 柏原新道では、路肩にそういう盛り上がりが(極端にいえば)一か所もないのだ。
 昭和46年(1971)の開通といえば37年目になる道だ。それが降った雨を破壊力のある流れにしないで現在に至っている。
 つまり、水の破壊力を徹底的に制御しえた道だということができる。現在は配水システムとして、塩ビの樋(直径20cm近い管を半割にしたもので、厚さは1cm以上)を細かな間隔で登山道に埋めている。登山者の多くはこれに異物感を感じるかと思うけれど、見るべきはそこではなくて、路面に水流が削ったと思われる痕跡がほとんどないというところだ。つまり雨が流れて登山道を濡らしても、その水が集まって表土を削るだけのパワーになる前に排除するという構造なのだ。
 そのことは四国の剣山で剣山頂上ヒュッテのご主人が、雨が降ると登山道をひとまわりして配水溝をホウキで掃除していた。丹沢の鍋割山荘の草野延隆さんからは50mごとに配水溝を掘れば登山道はほとんど破壊されないと聞いた。
 いま、登山道のほとんどは下界の予算で、下界の土木技術で整備される。壊れない道よりも、壊れた上にヘリで空輸できる材料をかぶせる方法が一般的に思える。道は人によって踏まれているときにはそれなりに破壊抵抗力があるけれど、機械で削ったりしたら構造的に脆弱になる、という事実に目をつぶっている。
 昭和30年代の一大登山ブームにはじまる登山道建設は山小屋が主体だったから、踏み固めつつ、手当をしつつ、細々と行われてきた。人力による荷揚げでは、ボッカのしやすい道という整備基準もあった。
 いま、ダブルストックが登山道を破壊すると叫んでいる人たちには、日本で一番合理的な整備が施されている柏原新道をよ〜く見ていただきたい。ダブルストックを使って破壊されるような気配をそこで感じられるかどうか。
 小屋で年輩のスタッフ(たぶん有名な人だと思う)にダブルストックの被害について聞いてみたが、「ダブルストックは良くないといいますけれどね、うちのほうではあまり感じません」とのこと。
 もちろん、ストックの小さな突っつき穴も、小さいから被害なしというつもりはない。しかし登山道のなかには岩や石が表面に出て、ストックの被害が出そうもない部分も多い。路面が土でも、冬になると霜柱が立って表土がもともと不安定なところもある。踏み固めた路面をストックの石突きがどんどん掘り返すというイメージに近いところは、登山道としても部分的だし、そういうところほど、1年に何回か、あるいは数年に1回の豪雨で一気に削り取られる場所だったりする。
 ストック反対派の人の目に汚く映るのは側壁にぶつぶつと開けられた醜い突っつき穴だと思うけれど、それは汚らしいが、構造的な登山道破壊という意味ではほとんど関係ない。ストックを杖のように使う人が、パワーアシストではなくてバランスアシストとして使うことに起因する。ストックが左右に開く度合いを見れば、その人の技術的未熟さや恐怖心の大きさが見える。ダブルストックの使い方を合理的に指導する体制が完全に欠落している結果といっていいだろう。
 登山道を破壊するのは水流で、その最初の道筋をつけるのは登山者が道のわきにつける新しい踏み跡だ。ストックは本来岩場で使える鋭利な石突きを供えているので、もちろん登山道の破壊係数がゼロではない。しかしストックを使い、いざとなれば軽アイゼンも導入してそこにある「道」を一歩もはずれない努力をするという方向も、大局的な登山道保護の考え方に入ると思う。
 ステッキ1本のベテラン登山者の中には、歩きにくい登山道では、その縁に上がって、樹木を頼りにスルスルと下る人が多い。私たちダブルストック派からすると重大な登山道破壊に見えるのだが。


●ダブルストックの立ち位置

 ダブルストックがこれほどまでに普及してきたというのに、道具としてまともに使える人がほとんどいない。こまかなことはこれまでに語ってきたので、要点をふたつだけピックアップしておきたい。
 まず、ダブルストックはスキーストックと同じ技術で使うのが本領で、杖(ステッキ)の使い方と混乱しては話が滅茶苦茶になってしまう。
 次に、ダブルストックの最も重要な部品のひとつは石突で、超硬合金の強固な刃がついている。設計者がなんのためにそんな危険な刃物をつけたのかというと、もちろん岩に対する食い込みを考えてのこと。すなわちダブルストックがスキーストックとは違う方向に進化したもっとも重要なポイントは岩場での使用を前提にしているという点だ。
 一番目の「スキーストックと同じ技術」というところは、最近流行の「ノルディックウォーキング」のポールの使い方に限りなく近い、といってもいい。なぜならどちらも基本がノルディックスキーにあるからだ。
 ノルディックウォーキングではポールは前足と後ろ足の中間に突いて後方に押し出して推進力にすると指導されるようだ。ところがノルディックスキーではポールは前足よりずっと前に突いて、そのまま後方に押し出して推進力にする。スピードが違うから突く位置が違うというふうに理解しておくのがいいだろう。スキーでも歩くときにはノルディックウォーキングと同様になる。
 ところが登山では前進より上昇にパワーを必要とする。スキーで斜面を登るときと同様に、ストックは後ろに戻らないように支えつつ、上方へと押し出すように使うのが合理的だ。
 もうひとつ、登山の登りでストックを前方へ突きたくない理由がある。体の前方へ突いて、推進力を与えた後、後方から引き上げようとしていると、石突き部分が岩の隙間などに挟まったときに、テコの原理で簡単に曲がってしまう。登山では不整地のレベルがきわめて大きいので、登りでは後ろ足のかかと脇に突いて上方へのパワーアシストをし、動きのままに引き上げるのが合理的だ。
 ダブルストックを現に使っている人で、私がいま、ここに書いていることを理解できない人が多いことは分かっている。なぜなら代表ブランドのレキ(LEKI)の使用説明書に書かれていることと矛盾している。レキの説明では、登り下りとも適当な長さに調節して補助的に使う……という以上のことは述べていないようなのだ。
 ダブルストックを2本杖として使うとどうなるか。緊張する場面で片方のストックが持ち上げられたまま後ろの人に石突きを向けているようなひとは、2本杖ではなくて、1本杖の両手使用となっている。
 そういう人をさらによく見ると2本のうちの利き手は杖で、反対側の手に持っているのは飾りのストックということがあきらかになる。どうでもいい場面では使われているけれど、大事なところではお荷物になっている。本来の1本杖ならむだな2本目を持たなくていいので、空いた手をハンドホールドに有効に使用できる。ベテラン登山者がダブルに懐疑的なのは、1本杖のほうが合理的ともいえるからだ。
 ノルディックウォーキングでも、ノルディックスキーでも、ダブルストック使用の登山でも、ストックは体の一部になっていて、左右にできれば50%ずつの役目を果たしてもらいたい。体の動きを左右均等にするというのもダブルストック使用の大きな目的といっていい。また全身を使って前進するという意味ではあきらかにパワーアシストが中心で、ストックの動きは体の前後方向になる。左右のバランス補助に使っている段階では効果は限定的だ。
 登山グループのリーダーが「四本足にはなりたくない」などと発言しているケースをよく見るが、私がダブルストックを導入した1996年に考えたのは、時間に追われる状況になりやすい下りで、弱い人の事故を防ぎ、かつチーム全体のスピードをアップするという危機管理装備として有効だと思ったことによる。
 ダブルストックを持っていると、濡れた木の橋などで安全係数を圧倒的に高めることができる。滑りやすい急斜面で腰が引けそうになるところで、ダブルストックを有効に使うと、転倒の危険を大幅に減らすことができる。
 そしてもっと重要なのは、大きな山に登れるようになるのはそれぞれのメンバーの努力によるが、大きな下りを、ひざを傷めずに下ってもらうには、ペース配分や歩き方などリーダーに科せられた責任が大きい。大きな段差のところでひざに衝撃を蓄積するのは間違いのないところで、ダブルストックはそれを驚くほど有効に排除してくれる。
 使う、使わないは各自の自由だが、ダブルストックはとくに腕力のない女性の、下りでの安全と、行動能力の拡大に大きく寄与する。チームのリーダーたる人物は、その程度の技術的理解力は備えていなければいけないと訴えたい。


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