軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座068】シミュレーションマップ12年(4)行動の量/質の把握――2008.11.10
*このシリーズは全4回で、(1)距離の把握、2)傾斜の把握、(3)行動時間の把握、(4)行動の量/質の把握――となります。


■両神山八丁尾根のクサリ場
私のシミュレーションマップでは山頂→八丁峠まで「岩稜15ポイントを2時間+岩場加算2時間」の4時間と予想するのだが、実績は4時間、4時間半、5時間、7時間となっている。岩場加算は技量によって大きく変わる。



■富士山北麓の高座山(1,304m)への最後の登り
忍野から杓子山(1,598m)へと登る途中に高座山があって、山頂直下はシミュレーションマップの赤○が重なっている。約30度の直登は最後にさらさらの、滑りやすい斜面になっていく。乞御期待!だ。


●一般登山道の例外処理

 2006年8月に恵那山(2,190m)に出かけた。恵那山には南に黒井沢口、北に神坂峠登山口があって、それをつなぐと避難小屋1泊の縦走登山を楽しめる。
 私たちは黒井沢登山口から登ったのだが、その登山口に注意書きがあった。神坂峠へと抜ける縦走は危険なので往復登山とするように、と書かれていた。当然、縦走登山を考えていたので愕然としたのだが、看板が古びているのも気になった。
 行ってみてその意味が分かった。神坂峠への道は笹藪が大胆に刈り払われていて快適な登山道になっていた。これが茂り放題の道だったら、たしかに往生したにちがいない。黒井沢口の注意書きは、おそらくそのことを告げていたのだ。
 一般登山道は、登山道のおかげで登れるという立場からの評価だから、登山道の状態が悪くなれば「一般」ではなくなる。北アルプスなどでは山小屋が閉じれば、もう一般ルートとはいえなくなる。
 高速道路では、事故などで通行ができなくなると一般道への迂回が指示される。国道の場合も、崩落事故などで通行できなくなると、そのような表示が出されるし、場合によってはニュースでも報じられる。
 ところが林道になるとそうはいかない。入っていったけれど抜けられないということはいくらでもある。崩落事故などで通行できないのならまだしも、いつもタクシーで登っていた道が、台風接近の予報で早々とゲートを閉めてしまったという腹立たしい経験もある。
 紀伊半島の大台ヶ原から流れ下る大杉谷については、2004年秋の水害で登山道が破壊されて、以後現在まで通行禁止となっている。古いガイドブックで計画を立てても、どの段階かで実施不可能ということになる。
 登山道頼りの登山者は、最後のところで、全線通行可能かどうかという不安をかかえて出かけていくという宿命にある。日常的には忘れていても、いつ突然、通行不可能な場面に出くわすかもしれないという気持ちは捨てていない。私のいう「一般登山道」はそういう危険をも内在した道とお考えいただきたい。
 さて「1km先で300m」上がるという30%勾配(約17度)を日本の登山道の標準として「1時間モデル」と呼んだことから、私のシミュレーションマップは意外な方向に飛躍した。
 任意の区間のコースタイムが地形図上で簡単に求められるという意味で、コースタイムの標準化にはじめて成功したと考えた。再現可能な標準化という意味で重要な発見だったと自負している。
 もちろん登山道には、例外がいろいろある。その例外部分をきちんと把握できれば、登山道の大半は標準化でき、係数を調節することによって登山者自身の技術や力量、体調の変化なども考慮できる。
 例外は、クサリ場や渡渉点の多い谷道、乱暴な直登・直降部分など、登山者の力量によって通過時間が大きく変わる部分だ。現地に行ってみなければ判断できない部分があり、もし通過できないクサリ場が1か所あれば、それだけでコースタイムは崩壊する。
 そういう意味で「標準」からはみ出す区間をどのように把握するかが大きな問題となるのだが、氾濫するインターネット情報が意外な効用をもたらしてくれる。
 インターネット上にあふれる登山者の報告のなかには客観性の低い情報がたくさんある。これまで、出版物にはとても載せられなかった個別的で偏った情報だが、それがじつは役に立つ。
 その人物や同行の登山者の技量が、あんがい正直に語られているので、どのレベルの人がそのルートを通過したか推測できることが多い。プロが書いたガイドの「要注意」とか「危険」という但し書きより、素人丸出しの登山者の「恐かった」情報のほうが、現実に肉薄していると感じることが多いのだ。
 ともかく、通過可能か、不可能かという素朴な疑問点については、インターネット情報は圧倒的な量によって答えてくれる。
 もちろん、私が「一般登山道」と呼んでいる有名山岳(全国区の有名山岳だけでなくローカルな有名山岳も)の一般ルートに関しては、地元の役場などを振り出しにして登山道や林道が閉鎖されていないかどうか電話で最終確認する作業も必要になるかもしれない。
 山岳会など団体的な考え方では偵察隊を出すべき状態と判断する場合……だったとして、そのときには偵察行動とすればいい。ここでは詳しく語らないが、偵察行では自分たちの力量を超える領域があれば、その難易度をできるだけ詳しく調べて引き返す。
 目的を達成せずに引き返すという失敗をしないように計画するという考え方もあれば、引き返すという選択肢を前提として出かけるという考え方もある。いずれの場合も、一般登山道の「一般」からはみ出すのはほんの一部分と考えていい。予定ルートの全体を標準的なものとして把握するところから始めることを妨げるものとはいえない。


●「1時間モデル」の歩き方

「1km先で300m」上がるという30%勾配(約17度)を日本の登山道の標準として「1時間モデル」と呼んだことから、私のシミュレーションマップは意外な方向に飛躍した……のだが、歩き方の考え方を大きく変えてくれたのもそのところだ。
 登山での歩き方にはいろんな指導のしかたがあるけれど、ほとんどは「足さばき」に関するものだったように思う。平地の住民である人々に、その歩き方を前提としてどういう足さばきを加えたらいいかという工夫のひとつが、登山靴を重りにして反動をつけながら振り出していく……というような表現だろうか。登山靴は重い方が歩きやすいという主張も加えつつ、たぶん現実的には小さな歩幅で歩きなさいという効果を狙っているように私には思われる。
 私の「1時間モデル」ではどうなるのか。1時間で、水平距離が1kmで垂直距離が300mだから、まずは「時速1km」という歩き方になる。時速4kmの歩き方を時速1kmにするというのは、簡単にいえば「ゆっくり歩く」のだが、そうすると大間違いだ。
 ベテランの登山者がしばしば無惨に失敗するのがその「ゆっくり」なのだ。私自身にも経験があるけれど、ペースの遅いチームの後ろについたベテランたちは、なんでもないところでけっこう転びかかっている。オットットなどといって醜態はさらさないで食い止めているとしても、初心者にはとても見せられないドジを踏んでいる。
 スピードを落とすのに「ゆっくり」という要素を直接導入してしまうと、リズムは狂うわ、緊張感は薄れるわで、そういうことになりかねない。
 車を運転していて徐行区間で単純に時速20kmに落とすと、似たような緊張感の欠如が起こる。スピードを緩めれば危険係数が減るけれど、安全係数を高めるためにスピードを落とすということに対して積極的とはいえないかもしれないのだ。スピードが落ちた分だけ緊張感(危機管理意識)が低下すれば、危険度は下がっても、安全度は上がっていないという状況があからさまになる。大事故には至らなくても小事故は起こるかもしれない。相手が車なら小事故だとしても、飛び出した子どもだったとしたら、どうだろう。
 元来「ゆっくり」にはそういう不思議な落とし穴が隠されているのだが「1時間モデル」ではそのことについて、もう一歩進んだ解説が可能になった。
 平地を1時間に4km進むエネルギーで1時間に1km進んだとすると、その1km分はまさに平地の15分にあたるエネルギー出力だから、45分ぶんのエネルギーはからだを300m持ち上げるために使われていることが分かる。
 その時速1kmを「ゆっくり」歩くと、じつはからだを持ち上げる方向へは、3倍もゆっくりしないと、前を歩く遅い人たちにぶつかってしまう。自分のゆっくり感と現実のゆっくりにギャップがあって疲れてしまうのだ。
 じつはその状況でゆっくり歩きたかったら、からだを300m持ち上げるほうを「ゆっくり」へと調整しなければいけないのだ。
 すでにお気づきの方も多いと思うが、平地の道を歩くのと、登山道を歩くのとでは歩き方が根本的に違うのだ。その構造的な違いから入らないと、鍼灸師が遠く離れたツボから症状をコントロールするような名人芸を要求される。登山靴を重りのように振って歩くというような表現はそういうところから生まれたにちがいない。
 私がいう「1時間モデル」には裏側の支えがある。それは平地を時速4kmで歩くエネルギーを、1時間に水平距離で1km、垂直距離で300m進むというふうに配分し直すという考え方だ。
 私は超初心者にはき慣れたズック靴で登山道を歩くことからはじめて、早ければ1年後、遅くても2年後には北アルプスの稜線の小屋に上がってもらうという可能性を前提として指導している。そして10kgの重さのザックを背負って(休憩を含めて)10時間行動できれば、日本のほとんどすべての一般登山道(もちろん百名山のメーンルートのすべてを含めて)を歩くことができると励ましてきた。
 標準的な登山道を歩くときには、前進するエネルギーは全体の4分の1で、4分の3はからだを垂直に持ち上げるために使わなければならない。
 水平の道がしだいに登り勾配になっていくという見方で歩いている人は、斜め前方へと向かおうとする。1歩進もうとすると、その1歩に、からだを持ち上げるエネルギーが3歩分重なってくる。
 からだを垂直に持ち上げる方向を主軸にした歩き方に変換しないと、その人はすぐにバテる。なにしろ100mダッシュのようなエネルギーで歩かされているからだ。初登山で大バテする人のほとんどは、単純に平地の歩き方を切り替えられないだけなのだ。
 そういうときには「歩幅を小さくする」というのでは不十分だということはもうお分かりだろう。時速1kmをとりあえず時速0.8kmに抑えてごらんというのと同じことだから。
 歩き方を垂直方向に切り替えなければいけないのだが、私の場合はどういう指導をするかというと「前に置いた足のひざが曲がっているでしょう。重心をそちらに移動して、ひざを後ろにカクンというまで送ってください」という。
 曲がったひざが伸びる分だけ、からだを真上に持ち上げていく。ものすごくチマチマとした歩き方だが、それが標準的な登山道での時速1kmの歩き方なのだ。正確にいえば高度計での時速300mの歩きなのだ。
 参考意見として、周囲の人の歩き方の観察法でよく引き合いにだすのは、いかにも速く見えるエセ健脚だ。そういう人を指導すると、傾斜が緩やかなところでは速いのだが、急登になるときまってからだのどこかの調子が悪くなる……らしい。
 本当の健脚は、平常のエネルギー出力でどれだけ大きな段差を越えられるかで決まるから、冬山へ行けば一発で分かってしまう。急斜面で歩幅を自由に選ぶときに、その一歩一歩の登坂力がパワーの差となって明らかにされるからだ。
 平地を時速4kmで歩くエネルギー出力で10時間行動するという目標を立てたら、足も鍛えなければいけないが、むだなエネルギーもセーブしなければいけない。ごく単純な例では、段差の大きな登りを要求されるときに、そこで発揮しなければならない大きなエネルギーのピークカットをして、運動強度を上げない工夫が必要になる。そのときに、ダブルストックによる腕の力がピークカット効果を発揮する。登山道の登りが小さな階段の連続に見えてきたら、私の指導はほとんど終了する。
 ちなみに、下りで、かかとでブレーキングしている人をよく見かけるが、かかと着地の瞬間にはひざが伸びているので衝撃がひざにきて、痛々しい姿に見える。しかしそれも、平地歩きがしだいに下り斜面に移っていった状態なのだろうと推測する。下りの歩き方についてはこの連載ですでに何回か書いているので、ここでは触れない。
 私自身はヒマラヤへ行ったことはないけれど、周囲にそういう人がたくさんいて、ネパールの山岳民の道は、まっすぐ登ってまっすぐ下るという話をよく聞いた。日本でも、山仕事の人たちはまっすぐ登ってまっすぐ下っていたに違いない。そういうプロフェッショナルな道が東北にはたくさん残っていて、都会のヤワな登山者は苦労する。
 要するに、登坂力が抜群なら、急斜面は一直線に登った方が速いし、楽なのだろう。かつて日本の狩人たちは、平均斜度30度の急斜面を上り下りして獲物を追ったのだ。
 私たち、一般登山道に依存する軽登山者は30度の急斜面ではスピードを思いっきりダウンさせなければならないけれど、それでもシミュレーションマップ上の赤○と青◇の連なりを、1個=7分半というスピードでならクリアする可能性は十分にある。


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