軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座072】ダブルストック技術試論1~3――2009.1.10
この試論は以下の項目から成り立っています。
基本編……1.長さの調節・肉体化、2.左右のバランス、前後のバランス、3.V字ポジション、4.登りのパワーアシスト、5.下りの深前傾姿勢、
応用編……6.登りの段差拡大・パワーアップ、7.下りの段差拡大・ヒザの徹底保護、8.左右50:50、9.岩場対応・V字ポジション、10.岩場対応・谷側一本勝負



■ダブルストックの肉体化――2008.4.22
奥多摩の川乗橋バス停から川苔山(1,363m)へ向かう道。渓流沿いの道は変化に富んで楽しいが、その変化に対してダブルストックがあると安全性が飛躍する。



■前後左右のバランスをアシストする――1998.12.13
ストックの石突きは岩場で確実な支点を作ってくれる。前後のバランスを整えようとするとパワーアシストに転換していく感じがわかりやすい光景。妙義山の石門付近。



■V字ポジションに近い登り――2007.10.23
私が提案するV字ポジションでは石突きをかかとの脇に当ててほしい。先頭の人は軽いV字だが、両手を同時に振って、V字で後ろから押し上げる感じはOK。檜洞丸(1,600m)で。


■1.長さの調節・肉体化

 ダブルストック(ストックをポールと呼ぶ例もあるけれど完全に同意語)を購入して取り扱い説明書を見ると、登り下りなど、状況に応じて適当な長さに調節して使うように指示される。短く使いたいときのためにグリップ下にラバー状の巻き物をしてシャフトも握れるようにした製品も出ている。従ってダブルストックは下りで長めに、登りで短めに持つのが基本と理解されるのが一般的となっている。
 なんでそうなったのかわからないが、私はその最初の一歩でボタンを大きく掛け違えてしまったダブルストックの道具としての不幸を、ここでは訴えておかなければならない。
 ごく簡単にいえば、ダブルストックをダブルステッキ、すなわち2本杖とイメージした人と、スキーストックのウォーキングバージョンと考えた人との違いなのだが、その進む先は大きくちがう。
 最近、ノルディックウォーキングというダブルストックを使った歩き方、すなわちノルディックスキー(歩くスキー、走るスキー)の平地地面でのトレーニングシステムが一般向けに登場したが、私の考え方はもともとスキーストックの使い方に由来しているので、ストックと体との関係は、こちらに近い。
 ここで比較対照としている杖は頭で使うものだから、基本的に体の前方に出す。視野の中で、頭の命令によって使われるためだ。ところがストックはスキーストックがその代表だが、体の一部となって、反射神経によって、腕を長くした状態での仕事を担う。頭が見ていないところでの仕事の質が重要になる。
 オートバイを例に引けば、ソファーに座ってハンドルを左右に動かす感覚のアメリカンタイプ(クルーザータイプ)と、前傾した体を左右に倒すことによって曲がろうとするヨーロピアンタイプの違いに近いかもしれない。例えていえば杖はアメリカン。未経験者でもイメージできる。老人が失った機能を補うのに、誤解の生じる隙のない単純明快な道具となっている。
 それに対してダブルストックは、元気な人が、そのエネルギーをさらにうまく引き出そうという野心によって選ばれた道具といえる。オートバイが傾くことによって方向を変えるという、未経験者には想像外の動きを引き出す能力を潜ませている。
 ストックは、それが視野の中にあろうがなかろうが、反射神経によって使われるように肉体化されるし、スキー競技に見られるように、斜面が変化しても長さを変えようなどと考えずに、姿勢を変化させることで対応する。その姿勢の変化をも、ストックが補佐できればいいわけだ。
 登り下りで長さを変えるという考え方は、歩き方を変えずに補助的な手段を講じるということになる。だから登りでは短く、下りでは長くしたくなるのは当然の帰結といえる。しかし多くの道具は使い手の体に対して新しい要求をする。スキーとスノーボードではまったくちがう体の動かし方を求められるのと同じだ。
 この技術講座の最上級のところでダブルストックのシングル使用を語る予定だが、ベテラン登山者が岩場や急斜面で杖を巧みに使うのとかなり重なる。しかしダブルストック論としては、そのずっと手前で利き腕とそうでない腕との能力をできるだけ対等に近づける努力を重視する。岩場でのシングル使用はあくまでも「谷側」使用だから、左右どちらで使っても同じ能力であることを求めなくてはいけない。そのように左右のバランスを崩さないように歩くことをうながす道具として、ダブルストックは初心者に対しても体への負担を大幅に軽減する効果がある。
 結論的にいえば、ストックの長さは変えない。とりあえず、握ったときに手首と肘が水平になる長さを標準としておきたい。下りでは深い前傾姿勢を要求される長さだ。ストックの長さを調節するというわかりやすさより、同じ長さのストックをどこまで大きな範囲で使うことができるかという体の使い方を広げる考え方の方が柔軟で合理的といえるだろう。


■2.左右のバランス、前後のバランス

 杖とダブルストックの違いについて、現場で最初にわかりやすく語る場合、とりあえず杖は「バランスの不安を解消するための道具」と言うことにしている。ではダブルストックはなにかというと「パワーをアシストするための道具」と位置づけたい。
 ところが言うは簡単、周囲のみなさんのストックがパワーアシストになっているかというとそうではない。良い方の人で8割、ダメな人は2割というぐらいで、残りはみんなバランスアシストに向けられている。
 しかも困ったことに、2割がパワーアシストで、8割がバランスアシストというような人は、不安を感じると、その不安の大きさに従って、ストックを両側に広げてしまう。左右が壁のようにせり上がったところで、ブツブツと汚い穴があいているような場所の犯人だ。
 逆に言えば、ダブルストックを使っている人のパワーとバランスの補助比率を見たければ、左右への開き具合に注目すればいい。バランスの補助というと、綱渡りや平均台をイメージすれば、自然に両腕を左右に開いてヤジロベエになる。左右のブレをなにかにすがって安定させ、前後の動きは自分でやる、というのが自然な動きになるのだろう。
 もっともこれには変則的なものもあって、登りではしばしばストックを前に出すという形になる。例えていえば、水泳プールから上がるときに手すりを握って体を引き上げるように、ストックを上方に立てて、それにもたれることでバランスの不安をなくし、登る筋力を効率よく使おうという考え方だ。左右ではないけれど、立てたストックを手すりに見立て、バランスアシストになっている。
 この、登りでストックを前方へ立てるときに、短くしたいという要求に応えるべく「適当に短く」使ってもいいですよ、とアドバイスしたり、グリップより下の部分を握れるようにサービスしているのがメーカー側の姿勢といえる。シャフトを握力で支える程度の力ですむ仕事なら、パワーアシストとしては不足感が残る、というのが私の見解だ。
 次の項目でパワーアシストの構えについて語るのでここではくわしく触れないが、左右に開いている状況を観察することでその人の不安感が強調される。見やすくなる。だからリーダーの立場としては、ストックを左右に開いてくれた方が、その人の実力が見えやすい。高次元の危機管理的シグナルとして利用しやすい。
 当初、私は下りでヒザを守るため、あるいはヒザを守りたい気持ちから体の使い方が左右均等でなくなることを防ぐために、メンバー全員の利益になる道具だと判断した。それと同時に、急斜面の段差の大きな下りなどで(とくに女性が)転倒する危険を防ぎ、チーム全体のスピードを落とさないという危機管理ツールとして、全員に持ってもらうことにした。
 そういう状態では、ダブルストックはバランス維持のために有効だと理解されてもしかたない。じつは深い前傾姿勢をとることで、ヒザをほぼ完璧に守るに足るパワーアシストをすることになるのだが、その辺まで、全員に理解される表現になっていなかったかもしれない。
 いま振り返れば、ほんとうは登りからやるべきだったのだが、登りではパワーアシストを考えるより「トレーニング不要」かつ「力を抜けば強くなる」と主張していたので、ストックの使用はみなさんの自由に任せてきた。おかげで、私流でないダブルストックの使い方が野放しになっている。今回、いよいよ本気でストックの使い方全体を述べると、知らなかったという人や教えられていないという人がたくさん出ると思うし、もう遅いという人も多いだろう。登りではストックは後ろから押し上げる役に徹すべきで、体の前に振り出すことは厳禁したい、と私は思っている。
 この段階ではまだ簡潔に言い切れないが、ダブルストックによる「左右のバランス」対策に関しては、バランスが崩れる段階までは封印しておきたい。そして「前後のバランス」に関してはそれができるだけ「パワーアシスト」として効果を発揮するように、体重をかけて、大きなアクションで使いたい。


■3)V字ポジション

 いまスキー学校ではストックの構え方をどんなふうに教えているのかわからないが、50年前にはまだ竹(張り合わせの合竹)のストックがあって、長さはひっくり返してリングが脇の下ぐらいとずいぶん長めだったように思う。肩幅でグリップを持って、先端を狭めてV字形に構えた。
 登り斜面でどれくらいの傾斜まで直登できるかトライする場合は、後ろからストックで押し上げた。それが登山での登りのストックワークの基本的なかたちと考えている。
 スキーがすこし上達すると上級の斜面に挑戦する。平均斜度30度という日本の山の斜面の標準的な傾斜だ。その斜面に向かってスタートするとき、恐怖感を押さえながら深い前傾姿勢をとる。場合によってはストックで支えながらスキーテールを跳ね上げる。それが私の下りのストックワークの基本的な姿勢と考えている。
 私はそういう説明をしているのだが、私のメンバーでいろいろなプロガイドとつきあっている人が、外国人プロガイドでノルディックスキーのオリンピック選手だったという人に、スキーのストックワークだったら、登りでストックを前方に突くといわれたという。
 私は川下りをやっていたのでパドリングの経験がある。前向きに座って1本パドルで漕ぐカナディアンカヌーの場合には、ブレードをできるだけ前方に入れて、水をつかんで引き寄せたあと、Jの字を書くように、抵抗感を残しながら引き上げる。Jストロークといって片側を漕いだ進路の修正をいわばパドルの返しで補正する。
 ストックを前に突くというのは、気持ちの上ではそういう「つかむ」意欲のようなものだと思うけれど、ノルディックスキーのスピードを考えてみれば、そうとう前方に突かないとストックが置いて行かれる。陸上でのノルディックウォーキングではストックは足の横に突くそうだが、やはり前進力をサポートするのは体から後ろの部分で押し上げる力だろう。私はストックの石突きが「かかとに当たる」のを最終的なポジションと考えているけれど、それは岩場で使う段階ではっきりと理解される。
 とにかく、この項で語るストックは常に前後の動きでパワーアシストするということにお気づきいただけるかと思う。そのときに、当然のことながら、最大パワーを発揮させる姿勢としては、グリップはおおよそ肩幅、石突きは足元に集中させる。だから必然的に「V字」になる。
 じつは石突きを「かかとに当てる」ためにはそのV字をさらに強調して、手を前に振ったときにストックのシャフトが足に触れるようにする。自然に石突きがかかとの脇を突くようになると、小さなステップでも後ろ足のアシストをすることができる。これについては岩場で詳しく述べることになる。
 さて、V字ポジションはいってみれば上級技術で重要なのだが、それをなんとか最初から身につけてほしいのは、例の山道ブツブツ痕を防ぐためだ。登山道は基本的に踏み跡道だから、V字ポジションを強めれば登山者が踏んでいく、踏み固まった範囲内でストック痕は収まる。つまりストック痕とアイゼン痕とが限りなく重なってくる。
 ストックが登山道を破壊する……かどうかを論じるときに、一番重要なのは踏み固められた登山道表面がその対象範囲にならなければいけないと私は考えている。ダブルストックをV字ポジションで使えずにヤジロベエになってしまう人たちが登山道側壁にブツブツと穴をあけてしまうのは、登山道破壊に直接かかわる度合いが少ないとはいえ、落書き犯罪みたいな悪評の元になっている。
 別の言い方をしよう。ダブルストックには当初小さなカップがついている。長いこと私が周囲に薦めてきたトップメーカーのものは石突きからの位置が近すぎる、というか大きすぎて、V字ポジションで岩場を歩くと、地面との角度が小さくなったとき(すなわち大きな動きで快適に歩いていくときに)カップが邪魔して石突きが浮くことがある。だからはずして使うのが基本だと考えている。
 あのカップは(設計思想としては石突き部分が岩の隙間などにはさまって折り曲げられる危険を避けるためではないかと推理するけれど)たぶん柔らかい土のところを突いても止めてくれそうに見えるので、それが結果的に「側壁突っつき癖」を助長しているのではないかと考えている。じつはあのカップ、本当に危険なとき、反射神経でバランスを取り直そうとしたときに、一応は受け止めてくれるけれど、体重がかかった最後の瞬間に「オーバーワークだ〜」といって裏切るのではないかと心配なのだ。細い木の根などで仮止め状態になったとき、力を加えた瞬間に踏みこたえられないとなると最後の砦が崩壊する。
 カップのことでは何をいっているかわからないという人も多いと思うが、ダブルストックはメーカーや輸入商社が製造物責任法にひっかからないように……だと思うが、あくまで軽い補助手段にとどめておきたいという表現に心がけているようだ。カップがついていることの安心感はその表現だと思われる。
 しかし実際には、バランスの崩れが危機的な状態になったとき、目に入った石や木の根に反射的に石突きが当たるようになる。ズブリと潜るようなところに突かないで、目に飛び込んできた安全な場所を選ぶという瞬間的な判断が驚くほど高度にできる。私がいう「肉体化」はそういうレベルだ。
 丸い小さなカップが柔らかい土でも止めてくれそうな表現に引き込まれてしまうことを強く避けたいのは、危機管理的な判断として重要だと考えている。カップを取ると、石突きの位置取りの精度が良くなるはずだ。
 V字ポジションはバランスが危険状態になったときに、反射的に出動できる構えとも考えている。


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