軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座074】ダブルストック技術試論6〜7――2009.2.10
この試論は以下の項目から成り立っています。
基本編……1.長さの調節・肉体化、2.左右のバランス、前後のバランス、3.V字ポジション、4.登りのパワーアシスト、5.下りの深前傾姿勢、
応用編……6.登りの段差拡大・パワーアップ、7.下りの段差拡大・ヒザの徹底保護、8.左右50:50、9.岩場対応・V字ポジション、10.岩場対応・谷側一本勝負



■登りのストックワーク――2006.7.26
大きな段差の登り方がわかる写真がなかなか見つからないので、瑞牆山(みずがきやま)のこの写真をご覧いただきたいのだが、バランスの不安が少ないと、後ろから押し上げるパワーアシストを試みやすい。



■豪雨の中での急な下り――2008.7.23
谷川岳の山頂でポツン、ポツンときた雨は、驟雨となった。天神尾根の下りは次第に川のようになってきたが、ダブルストックを深く突くことで安全性とスピードが確保できる。


■6.登りの段差拡大・パワーアップ

 一般に女性は登山道の「階段」が嫌いだ。階段状の土留めを歩きやすい段差で作るのはなかなか高度な技術であるうえに、土を削ったり盛ったりして土留めの板をはめて階段状に作ったところは、濁流が流れるような大雨があれば、あっさりと崩れ去る危険もある。
 1989年に関東平野を取り巻く1都6県の首都圏自然歩道完成に合わせて朝日新聞社から『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』が刊行されたが、私はそこで埼玉、群馬、栃木、茨城の4県を担当した。全142コースの整備完了が平成元年(1989)の3月ということで刊行をそれに合わせたのだけれど、じつはすでに草ぼうぼうで一般の人にはお勧めできない部分もあった。
 なぜ草ぼうぼうかというと、最近では登山道やハイキングルートにも機械力が導入される。資材をヘリコプターで現場に集積していることが多く、ときには小型の油圧ショベル(ミニユンボ)も使われていたりする。機械化が進めば設計図に従って道路整備をすすめることができるわけだが、掘り返した土はあっという間に浸食される。浸食されなくても、植物たちの旺盛な生存競争の場になってしまう。
 そういう人為的に段差をつけられた登山道の登り、しかも急斜面で段差の大きなところ、雨に浸食されてステップが崩れつつある階段で、まずはダブルストックのパワーアシスト効果を確認してもらいたい。
 段差のある登りでは、まず最初にできるだけ奥へ踏み込む。それから段差の上、できるだけ手前側に足を置いて、まず最初に前(上)足に重心を移動してしまう。軸足の移動を最初にしてしまうのだ。
 それから前足の曲がったヒザを後ろへ送ることで、曲がったヒザが伸びた分だけ、体を真上に持ち上げる。約20度の勾配の標準的な登山道であれば、前進するエネルギーを1とすれば、体を垂直に持ち上げるエネルギーは3となる。この辺のことは「講座52 登りの歩き方」をお読みいただきたいが、平地の歩き方の基本となっている「後ろ足で蹴る」という動作を封印しないと、運動強度が恐ろしく高くなる。登りでバテている初心者は足が弱いのではなくて、ハードな歩き方をしているだけといえる例がほとんどだ。
 その「後ろ足で蹴らない」という禁じ手が、大きな段差では通用しなくなる。前足を高く上げると、重心をそこに持っていくだけでも後ろ足の蹴り上げが必要になる。どれくらいの段差が「大きい」のかは人によって違う。
 じつはどれだけの段差を通常のエネルギー出力で越えられるか、が、登山における「脚力」と考えるべきなのだ。どれだけの段差を苦にせずに越えられるかを「登坂力」と考えれば、女性登山者は一般に登坂力において弱点があるといえる。
 その人の登坂力を超える段差が続くと、標準的な傾斜の登山道で平地の歩き方をする初心者がバテるのと状況は同じになる。傾斜が急になるだけならステップを細かく刻んでいくという技術が問題をかなり解決してくれるけれど、段差が大きくなってしまうと、後ろ足でジャンプアップしないとどうにもならない。そのとき、多くの人はストックを上の段に置いて腕で体を引き上げようとする。杖の使い方だ。
 ダブルストックではもちろんV字ポジションで後ろから押し上げてもらいたいのだが、左右の腕を同時に動かして、きついV字にして後ろから前へと引くと、後ろに残った足のかかとあたりに2本のストックの石突きを並ばせることができる。ストックを下へ押し下げるように押すと、後ろ足を蹴らなくても体が浮く。腕の力でパワーアシストすることで、後ろ足の蹴りを封印する段差をさらに大きくすることができる。
 なぜ後ろ足で蹴らないかというと、1日に10時間行動するような登山では、登山道に立ち現れる変化をできるだけ巡航エネルギーでクリアしたいからだ。無酸素運動の領域に入り込む危険のあるダッシュやジャンプに類する動きにつながらないように歩きたいのだ。
 すこしなら問題ないという人もあるだろう。しかし一般登山道ならほとんどが、非力でも技術でやりくりできると考えていい。私はそこを強調するために登りのストックワークをあまり熱心に指導してこなかったけれど、自分の巡航エネルギー(有酸素運動領域)を超える部分をダブルストックによる腕力でピークカットしながら、すこしずつ登りの総合力を高めていくというのが賢い考え方だと思う。
 女性の多くは、ダブルストックを使っても、腕や肩に筋肉痛が出ない。つまり腕力を使っていないことが意外に多い。脚力を鍛えるという考え方も重要かもしれないが、腕力の開発こそ大きな余裕幅が見込まれる領域だ。大きな段差をダブルストックによって小さな段差にみなすという考え方をお勧めしたい。


■7.下りの段差拡大・ヒザの徹底保護

 おそらくこの項目が、ダブルストックのもっとも確実な効用と私は考えている。大きな段差をスローモーションで下ると、スピードはかならずしも落ちない上に、ヒザに与える衝撃は(私流にいえば)ほぼ完璧に排除できる。
 ビッグマウスといわれそうだが、私はそう信じているところがある。ヒザを保護できないダブルストックはよほど使い方が下手なのだ。
 大きな段差とは、ふつう椅子の座面の高さとなっている40センチ以上としておきたい。その椅子に立って、ストックを「3歩先に突く」というとどうなるだろう。かなり思い切った飛び込み姿勢になる。その姿勢で立ち続けようとしたら、ストックに完全に体重を預けなければならなくなる。
 そうするとストックにも腕にも無理がかかってきて危険な方向に動き始めるようにも感じられる。そこで、ストックには一瞬体重を預けるだけで、その瞬間からスローモーションで重心を下げていく。
 つまり肩幅に構えたダブルストックを軽いV字にして前方に突き、突いた瞬間から片足を真下に下げていく。たぶん自然にその足先は下に伸びて、着地点を探るようにして下りていく。
 段差をポンと下りるのではなくて、段差の上に残った後ろ足の筋力を使って重心を下げていく。筋力で下るのだ。
 そのまま着地までいけない段差を「大きな段差」と呼んでいるのだが、重心がスムーズに下がっていける限界を感じたら、そこからポンと下りればいい。つま先から着地するのでヒザにかかる衝撃がないだけでなく、つま先から着地するときにはヒザは硬直していないので、こちらも筋力でソフトランディングすることができる。
 まちがってはいけないのは、真下に下りるという気持ちを忘れないこと。前方ななめ下にポンと下りると、前足が着地する瞬間に重心の移動も行われていて、着地の瞬間に滑らないように万全を期す。それが多かれ少なかれかかと着地につながっていく。着地がかかと側になっていくと、なぜかヒザは硬直し、着地の衝撃をまともに受けるようになる。悪い連鎖が始まるのだ。
 まずは椅子の上に立って、ストックを椅子から1メートル先に突いてみていただきたい。1歩目は真下に降ろし、2歩目は50センチぐらいのところ、3歩目はなしにして、ストックをまた1メートル先に突く。そういう要領で、大きな段差や急な斜面のところをスローモーションでクリアしてみていただきたい。ダブルストックを強力に使うことで「つま先着地の下り」をパーフェクトに実行できる。それがすなわちヒザを徹底的に守る下り方ともなる。足さばきについては「講座10 下りの歩き方」を参照していただきたい。
 下りでは、1本杖のみなさんが、恐ろしい急斜面を巧みにスルスルと下っていく。みごとな下りの技術だが、杖で下っているのではない。周囲の立木をハンドホールドとして活用しての下りであり、杖はそのための補助として活躍している。その、巧みな歩きやすさ追求は登山道の周辺に新しいルートを開拓していく。樹木がなくなって草地になると、最も新しい踏み跡道が、もっとも安全で歩きやすい道になっている。そういう藪漕ぎ技術の延長に近い歩き方が登山道破壊のもっとも大きな「登山者側の原因」となっていることはすでに「講座64 登山道とダブルストック」で触れた。
 浸食されて河床同様になった登山道がまだ生きているか、死んでいるかの判断は難しいのでその周辺に作られてしまったバイパスをたどることも多いのは事実だ。その時に、積極的に新しいバイパスを作ることには参加しないという姿勢はだいじだと思う。とくにリーダーの立場になると後続のメンバーに歩きやすい(安全な)道を選んであげることがルート選択の技術と勘違いすることが多い。本来の登山道がまだ生きているか、死んでいるかをきちんと見てから、次善のルートを選択するという姿勢が重要ではないかと考える。
 ダブルストックを積極的に活用することで、崩壊気味の本来の登山道をできるかぎりトレースするという技術目標も立ってくる。大きな段差やバランスを崩しやすい狭さが迫ってくるので、ダブルストックの技術向上にはおあつらえ向きのゲレンデになる。ダブルストック派が増殖して、登山道破壊の現実をきちんと目撃しながら、加害者となる可能性を最小化する歩き方を心がけるという、新しい時代がくることをここでは希望として掲げておきたい。興味のある方は「研究69 至仏山」の「一方通行登山」をお読みいただきたい。
 大きな段差の下りでは、登山道が荒れている場合が多い。ダブルストックはそこでゆったりと、大きな動きで安全に下れる道具として驚くほど威力を発揮する。


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