軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座077】70歳と山――2009.4.10



■六甲山で――2008.1.9
羽田から片道6,500円の格安航空チケットで六甲山へ。合わせて143歳(当時)のおふたり。



■奥多摩・笹尾根――2006.1.14
この日はしばらくすると冷たい雨が降り始めた。前に立つFさんはこのとき67歳。冬は毎年海外にスキーに出かけて70歳の壁を超えた。


●ポンコツだからおもしろい

 私が主宰する登山講習会の名簿には満70歳以上(2009.4現在)の人が48人載っている。しかし現役は8人だ。40人の人はリタイアしてしまった。
 ほんの数年前まで、私は65歳ぐらいから上の人を保護観察的な目で見ていた。山道の歩き方から老化現象と思われるものを(どちらかといえば)探そうとして見ていた。
 おかしなもので、私がそういう視線でいると、相手の人も居心地の悪さを感じるのは当然で、次第に「引退」という方向へ近づいていく。
 山でそういう人がバテると「みなさんに迷惑をかけた」と強く思う。急速に消極的になっていく。同時に、家族の皆さんも心配が大きくなって「そろそろやめなさい」というようになるらしい。山で何かあったらどうするの? というのに加えて、山でみなさんに迷惑をかけたらどうするの? といわれると、当然のことながらそれを跳ね返すパワーは出にくい。
 私は、年齢と病気は山歩きの安全に直接関係ないと考えてきた。しかしそれは何歳でもいいですよ、ということではないし、どんな持病があってもけっこうですということでもない。
 言い方が難しいのだが、戸籍年齢や病歴に関心はないけれど、現在の体力や健康にはおおいに関心がある。そのためにどうしているかというと、わたしは「大丈夫です」「おまかせください」という言葉を基本的に使わない。私は観察はするけれど判断はしない。山歩きを続ける、続けないはご当人の判断にまかせたいのだ。私が適切なサポートをできるかどうかも厳しく評価してほしい。
 私の計画やその実施に無理があるということも大いにあるし、その人のその日の調子が特別に悪いということもあるだろう。それは年齢や病歴に限ったことではない。
 だから私は、私が掲げる「登山コーチングシステム」の中心に、トライアル・アンド・エラーの原則を据えている。やってみて失敗しても、みなさんで認め合おう……ということを含めての「お勉強の会」なのだから。
 しかし恐らく、同じ失敗を何度もくり返したら、参加者のみなさんはその人と一緒に山に行きたくないと思うだろう。だから「1回目の失敗は権利」「2回目の失敗は大反省」というふうにとらえている。
 失敗が表から見えない範囲ならその改善努力もまた見えない。個人の体験の中で解決される。しかしだれにでも見える失敗が起きたら、その問題は、それに巻き込まれたみなさん全員の共通体験となるといい、と私は考えている。
 そのことは私自身が55歳を過ぎたあたりから実感できるようになってきた。たとえば足先がつっかかるようになったのだ。もちろん足を高く上げられないわけはない。しかしふつうに歩いていると低い段差に引っかかる。目から入った情報によって頭が発する命令が的確でなくなっていると考えた。目がセンサー、足がアクチュエーター、頭がCPUとすれば、その連携の中で情報処理が甘くなってきたわけだ。
 足が弱くなったと考えてもいいけれど、むしろシステム全体に及ぶ調整レベルが、老化によって変化してきた、と考えた。調整ネジをすこしまわせばいいだけのことだったが、そういう調節の必要がゆっくりと、次々に生じてくるにちがいない。
 私は現在まだ63歳だが、老化の波が次々に押し寄せている気配は感じる。それをひとつひとつ調節しなおして、たぶん全体の能力はゆっくりと低下していくにちがいないが、ポンコツ車をていねいに乗り潰していくような高度な操作技術を獲得したい。壊さずに、まんべんなく磨り減っていくようなからだの使い方を試みていきたいのだ。
 そういった能力調整の現場として、山歩きは面白い。若い人たちにとっては成功か失敗かという二者択一のところで、あれこれ考えながら無理をせず、無駄をせず、それでいてちょっと過激にトライしてみるという味わいが存分に楽しめる。ある意味、エコドライブの楽しみといっていい。


●なぜ70歳なのか

 私が山歩きの指導に加わったのは1983年、朝日カルチャーセンター横浜の「山登りの手帳・40歳からの登山入門教室」だった。年に数回、講師5人という陣容の講座に地図担当講師として加えられた。
 おそらく「中高年登山」のハシリだったと思うけれど「40歳からの」は明らかに中年が主体だった。カルチャーセンターそのものが、子育ての手がすいたお母さんたちの教養講座という新しい波をつくってきた。朝日カルチャーセンター新宿の「女性のための登山教室」が成功して、横浜でもやろうとしたがうまくいかず、男性も含めた「中高年登山」に展開したのだった。
 朝日カルチャーセンター横浜の講座は1995年に40期で終了する。10年あまり続いたことになるのだが、そのころから私はひとり完結型の講座をはじめて、現在に至っている。1995年の11月からはじめたそのスタイルが現在まで1,100回も続いてきた。最初の朝日カルチャーセンター横浜時代のひとも何人か残っているけれど、そのつきあいは20年近くにもなる。40代が60代、50代が70代になろうという歳月の流れ……を感じる。
 ところが、ここ数年、目の前に突如として現れる高齢者(正確にいうと前期高齢者)の元気さに圧倒されてしまったのだ。それは65歳を過ぎて(70歳を目前にして)「山歩きを始めたい」というニュータイプだ。以前なら年寄りの冷や水といわれたところを精神年齢の若さで暴走している。やってみたい新しいことのひとつが山なのだという。
 あるひとは岩も登れば本格的な冬山登山にも進出している。プロガイドの力を借りれば、ヨーロッパアルプスやヒマラヤも可能な時代になっている。またあるひとは高速道路をひとりで吹っ飛ばして九州の山にも登ってしまうという。ひとりで自由にという独立独歩をできるだけ安全なものにしたいという。
 海外の秘境ツアーに参加するために、日本にいるときには山歩きをするというひとは多い。山歩きが秘境ツアーのトレーニングに格下げされている。なにが目的でなにが手段か見えにくいが、みなさんすばらしいバイタリティを振りまきながら、70歳という目に見えない境界を軽々と超えていくではないか。
 正直、私はあっけにとられて見ていたが、世の中が大きく変わりつつあるということを実感する。70歳という今やあまり意味のなくなった境界を超えていく人たちの老化現象とその修正能力をじっくりと見始めたところだ。
 日本の人口構成は世界でもっともゆがんだ老齢化を示している。若者たちがどのように頑張ったって支えきれないのは明白だ。だから支えられる側と考えられている高齢者たちが立ち上がらなければならないという時代の波が起きている。
 山ぐらい歩けなくてどうするのだ……という元気印が(数は少ないけれど)私のまわりに大革命を起こしつつある。若者と競い合う必要などどこにもない。自分の中の無限の可能性を信じている限り、人生は爆走中だ。そういうバイタリティが70歳という踏み切りラインを(今のところは)それなりに価値あるものにしているようだ。


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