軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座100】水について(7)運び方――2010.7.19
*このシリーズは全6回で、(1)飲み方、2)暖かい水、(3)冷たい水、(4)非常用の水、(5)山の水、(6)スポーツドリンク、(7)運び方――となります。

現在の生活では、飲料水はパイプラインで供給されるのが常識です。あるいは特別注文の冷たい飲み物、温かい飲み物を供給してもらえるポイントが多いほど高度な文明生活と考えられています。登山では、飲料水とのそういう関係がリセットされます。水の運搬を自力で行うことが原則になります。



■夏の低山の休憩時間。風が吹き抜ける場所を選ぶとベターですが、ともかく水を一口。リーダーはその水の飲み方で調子のいい人と、要注意人物とを見分ける努力をしていないと、熱中症という恐ろしい罠にはまります。休憩時にはザックをおろして、水筒を取り出すという定型の行動をすることが重要だと私は思っています。――――2010.7.17



■写真は左側3本が1リットル、右の2本が500ミリリットル。私自身は500ミリリットル2本を自分用として水分摂取を管理して、予備の3リットルはケースバイケースで使用を想定しています。夏にはこの3リットルのおかげで、メンバーが水の摂取を制限しないように指導できます。――――2010.7.19



■八ヶ岳・編笠山登山道にある押出川の休憩地。水分を補給することと、ザックを下ろして体をリラックスさせることを完全にシンクロさせることが重要だと考えます。――――2010.6.22


●ペットボトルの功罪

 私のまわりの人たちでいわゆる水筒を持っている人はあまりいません。ペットボトルと保温水筒という組み合わせがスタンダードになっています。
 ペットボトルは PET(ポリエチレン・テレフタレート)を原料とする容器で、1973年に米国デュポン社で開発されたといわれます。素材としては無色透明で、軽く、柔軟性があるために液漏れのしにくいボトルを作れます。弱点は耐熱性能と耐酸性・耐塩基性で、食酢やアルコール濃度20%程度の酒類が一般的な限界とされています。それから若干ながら気体透過性があるので、長期保存には適さないといわれます。
 登山者にとって重要なのは、飲料ボトルとしてギリギリの強度設計をしているので、想定外の使い方をしたときの強度が保証されていないということです。
 登山用の液体容器としてはかなり危なっかしいものなのですが、私自身の体験でいえば、年間数百人の皆さんと山を歩いて、ペットボトルが漏れたという例は1件もありません。
 以前、針金細工の大型レバーを動かしてキャップを押しつけて締めるプレッシャーキャップが流行ったことがありました。グランテトラとかマルキルといった名前を覚えている方も多いかと思います。ヨーロッパではワインやビールの量り売りがあるとかで、内側にホーロー塗装をしたアルミ水筒に、簡単に開け閉めでき、針金細工が持ち手にもなるという便利な水筒でした。
 ところがそれは不用意にザックに入れると、針金細工が何かの拍子に口金を空けてしまうことがあって、ザックの中が水浸しという事件を何回も目撃しました。ペットボトルはそれと較べると登山での安全性能が高いといえると思います。
 山小屋でも手軽に買えて、飲んだ量が把握しやすいペットボトルですが、やはりザックの中に入れるとなると、ちょっと心配です。本格的な水運搬容器とはいえないからです。いわゆるフローの飲み物には便利ですが、ストックの容器としては考えにくいのです。登山における水の準備をフローの状態だけで考えるというのは、どうしても不安に思えてしまうのです。


●予備食と予備水

 そこでたとえば、500ml 程度の水をザックの底に入れておきます。非常用の水を常備したいということはすでに書きましたが、そういう考え方をしない人でも計算外の水を持っていることによる安心感は大きいはずです。
 まず最初に、ペットボトルではなくて、缶に入った飲み物を1個か2個、ザックの底に放り込んでおいてみてください。
 ザック内部で壊れたり、漏れたりする心配はほとんどありません。中身が傷む心配もする必要がないでしょう。自分のための非常用ですが、誰かにスマートに提供することもできます。
 それと缶飲料は、スイスメタなどと呼ばれる固形アルコールで温められます。小石でカマドを作って、口金を空けて乗せるのが常識的な方法ですが、やってみるとそのままでも大丈夫、破裂することはほとんどないと思います。一度実験してみてください。
 あるいは冷凍庫で冷やして、保冷剤として活用するとハム、薩摩揚げ、フレッシュサラダ、フルーツなどを真夏でも楽しむことができます。冷やす系なら野菜ジュースや100%フルーツジュースなどが山では価値を感じるかと思います。いまではコンビニでも冷凍品売り場に凍結したスポーツドリンクなどもあるので、ものすごく便利になりました。
 凍結飲料を単純な保冷剤として使うのであれば簡単ですが、冷たい飲み物を自在に作りたいということについてはこの連載ですでに語りました。繰り返しますが、それに対応する水筒ということでは米国ナルゲン社のプラスチックボトルがおすすめです。広口のものがいろいろあります。そこに8分目ほど水を入れて、横置きにして冷凍庫へ。1日では完全には凍らないかと思いますが、断熱シートでくるんで、ポリ袋で密封し、それを合計3回繰り返して山に持っていってください。おそらく昼を過ぎても外側に結露しないと思います。つまりほぼ完璧な断熱(保冷)ができていると思います。
 その氷を解かして飲むのではありません。氷の潜熱を十分に利用すべく、水筒に水を入れて、内部の氷柱で冷やして飲むのです。冷たい水やさまざまな飲み物を冷やして飲むのであれば、水筒内の氷柱は驚くほど大量の飲み物に対応できます。
 私は予備水として1リットルのナルゲン・ボトルを3本、常時ザックの底に入れてあります。クッションマットを1枚敷いてありますが、20kgオーバーのザックを岩の上にでも気軽に置いて、底にあるボトルが傷むという感じがありません。化学実験用プラスチックボトルに始まるナルゲン・ボトルの最大の売りは、パッキン不要のキャップです。軽く閉まって水漏れしない。その気分良さはほかでは味わえません。
 予備水の量についてはいろいろな考え方があろうかと思いますが、ザックを探せば「最後の水」が出てくるということは重要です。予備食なども同様にしておけば、装備の過不足に対してあまり神経質にならなくなります。予備費、予備食、予備水、あるいは予備日など、予備が与えてくれる安心には大きなものがあります。


●歩きながら飲むか、止まって飲むか

 最近、アウトドアではハイドレーション(hydration)という言葉が流行しているようです。水和化、水酸化という化学用語があり、積極補水という医学用語があるようです。背中に水筒を背負って、チューブでいつでも水を飲めるようにしているのは、F1レーサーもそうではないかと思いますが、山ではトレールランニングの人たちが競って採用しているようです。
 水分補給のために休憩しなくていいという合理性があるのだそうですが、私はそういう飲み方にあまり賛成しません。
 ひとつには「必要量を補給する」というアタマの判断をまったく信じないからです。レースに出るような人ならそういうギリギリの状態でいろいろ失敗を体験して、水分補給にかかわるノウハウを蓄積していると思いますが、一般の人がアタマで考えて水分を補給するということを私はほとんど100%信用しません。
 単純な考え方ですが、フルマラソンでは給水ポイントがだいたい5km間隔で置かれるようです。しかも市民マラソンではその給水がアテに出来ない場合もあるとか。コップがとれても入っている水の量はごくわずか、というようなこともあるそうです。水分補給が5kmごとになければならないほど重要なら、ある程度の水を自分で持つべきではないのでしょうか。
 マラソンではたぶん、5kmごとの給水には余裕があるのだと想像できます。登山で、水分補給を常時スタンバイさせるという状態は、あまりにも神経質です。あきらかにその歩き方に問題があります。水分補給以前に、脚力が持たない状態でしょう。レースだからといって、ペース配分が重要な長距離レースでは同じことです。
 だから、休憩を惜しんで水分を補給するという一見合理的な考え方に私は同意できないのです。水分を補給するより、休憩をうまくはさんで、短時間でも筋肉をリラックスさせ、必要なら心拍数を落として、ついでに、忘れずに、水も口に含んでみるというのが順序ではないかと思うのです。
 登山道のように不規則性の大きなフィールドではスピードや所要時間で運動量を計るということができません。だからカラダに聞きたいというのが先で、そのために心拍数や喉の渇きでカラダの状態を見ようとするわけです。休憩ごとに心拍数の落ち方を見たり、水を口に含んでみて補給の必要性をカラダに聞いたりするのです。透明のボトルだと一口で飲んだ水の量によってカラダが水を強く欲しがっているかが推測できます。休憩せずに水分補給という考え方より、休憩して水分補給の必要性をカラダに聞く方が技術としてはていねいだと思うのです。


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