軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座105】私の写真術(4)写真選びの「10秒ルール」――2010.12.12
*このシリーズは全4回で、(1)歩きながら、2)絞りは開放、(3)ロボット撮影術、(4)写真選びの「10秒ルール」――となります。

写真に対する私の立場は、基本的に「写真が私を選んでくれるかどうか」だと思っています。そして自分が撮りたいものは「失敗作の中に見えてくる」と考えています。



【写真a-050927-102】
私の著書『軽登山を楽しむ』の写真ページで滝のトップに選んだ写真です。右上隅に、よく見るとガードレールが写っていますが、西武秩父線・正丸駅から伊豆ヶ岳登山口へ行く集落脇の水路です。――――2005.9.27


●写真の出来より写真センス


屋久島の黒味岳から宮之浦岳に向かう道筋にあった不思議な岩。たまたま振り向いて気づきました。――――2002.6.2







2002年のあの寝そべる岩男が、たまたま光の加減でそう見えたのか、骨格がきちんとあの顔を作っているのか確かめたくて、翌年も屋久島登山を計画しました。そしてその結果。――――2003.6.3


 一所懸命に写真を勉強すると「上手くなる」と信じている人が多いように思いますが、私はそういう考えに反対です。むしろ写真を「上手く撮ってしまう人」と「上手く撮れない人」とに分かれるかと思います。写真のほうが、その人のセンスを選ぶのだと考えています。
 チェックは簡単です。撮りたいものを1時間でも1日でも、集中的に撮影します。カメラは選びませんが、できるだけたくさん撮れる準備が必要です。100枚でも、1,000枚でも、もう撮れないと感じるまで、集中的に撮ってみることが必要です。
 傑作の1枚を撮るだけなら簡単です。名写真家になったつもりで傑作の撮れる条件を探し求めればいいのですから。事前に「傑作」のイメージあるでしょうから、それに追いつければいいわけです。
 もちろん「傑作」が1時間や1日で撮れると考えること自体に浅はかさが隠れています。予定調和の「傑作」に価値を感じるということ自体が、問題です。
 そこで謙虚で賢いみなさんは「習作」という考え方をするのではないでしょうか。「傑作」をお手本にして、自分の腕がどこまで肉薄できるか努力してみるという姿勢です。
 アマチュアの世界にはそういう努力家が多いので、プロが使う機材が技術を支えると考える人が多いのではないでしょうか。
 しかし、プロの場合は違います。仕事のためには最高の機材を使いたいと考えるのは当然ですが、プロとしてやれる可能性を見るのに、使用カメラや、極端にいえばうまさはあまり大きな要素ではありません。ある程度の数の写真をきちんと見れば、撮った人自身の写真センスが見えてしまうことが多いのです。だからスチル写真の世界では「3日目にはプロカメラマン」という神話もあります。「メカ音痴の名カメラマン」というのもありますし「写真の下手なプロ」というのさえあるのですから、写真でメシを食う方法はいろいろあるといえるでしょう。野球でいう代打の切り札みたいなカメラマンもいるわけです。それをスペシャリストと呼ぶと分かりやすいかもしれません。
 ではどうすれば写真センスが分かるのでしょうか。ひとつは「筋」です。たくさんの写真を(できれば撮影順のほうがいいのですが)つぎつぎに見ていきます。そのときに接続詞は「AND」です。[写真1]そして[写真2]そして[写真3]そして……というふうに1,000枚でも2,000枚でも一気に見ていきます。
 町並みを歩きながら撮っているという場合でも、ひとりのモデルをなめるように何百枚も撮る場合でも、逆に何百人もの人を次々に撮っていくということであっても、ANDという接続詞で見ていくと、写真の連なりの中から撮影者の姿が立ち現れてきます。
 もっと細かくいうと、写真の「重さ」が変化します。撮っている瞬間の集中力だとかノリだとかがあきらかに見えてきます。義務的にシャッターを押していれば、それもミエミエです。
 私などが仕事で写真を見る場合には、本人が気づいていないのに躍動している写真があるかどうか、気をつけます。それから、もし見られれば「失敗作」をじっくりと見たいのです。
 失敗作から見えるのは「撮りたかったもの」です。撮れてしまえば普通の写真だったとしても、撮れなかったもののなかに撮りたい世界が見える場合があります。撮りたいものがはっきりしていて撮れないのであれば、技術的な課題としてはそれほど難しくないと思うのです。
 アマチュアの多くの人は写真は見ても自分を見ようとしない傾向が多いのではないでしょうか。写真は自分自身だという認識がもっとほしいと思います。写真の中に見えてくる自分と、自分が撮りたい写真にギャップをかかえたまま「傑作写真」を目指しても、それはかなわぬ夢なのです。
 シングソングライターやお笑い芸人など、自分のセンスで勝負している人たちがたくさんいます。カメラマンもそれと同列に考えてみれば、自分の写真から自分の写真センスを見つけることが難しいけれど重要だということがわかるかと思います。


●写真の見方

 写真をきちんと見るために一番重要な方法は、1枚の写真を「10秒間見る」ことです。100枚見るのに17分ほどかかりますが、8時間あれば3,000枚近く見られます。
 私が編集の仕事で写真を探すときには10秒ルールは使いません。探しているものが決まっているから、粗選びとその絞り込みをするぐらいです。編集の最終段階では別の多くの条件を勘案しながら決定するので、写真がいいから残るとは限りません。(プロの写真では最終段階で最後に残る力をもったものがあります。僅差で勝率を高める安打製造器型カメラマンもいるのです)
 では「10秒間見る」とどういうことが分かってくるかというと10秒で「動き出す写真」と10秒で「退屈する写真」に分かれます。
 私がいくぶん軽蔑をこめて「傑作写真」というのは、その「退屈する写真」です。上手く撮れているのですが、それ以上ではない写真と考えてください。
 それに対して「動き出す写真」とはなにか。うまく撮れた写真でなくても、見ているうちに写っている世界のなにかがこちらに語りかけてきます。物語を語り出す気配が見えます。
 完成度が高いとは限りませんし、上手い写真ではないかもしれませんが、何かを語りかけているのです。カメラの前にある光景とシャッターを押そうとしている自分との間に交差するものがあったのです。つまり写真によってとらえかけたものがそこにあると考えていいのです。
 自分の写真を「10秒間見る」ときに、失敗写真をはずしてはいけません。多くの人はよく撮れた写真だけを粗選びして、はずした写真をほとんど見ないのですが、じつは失敗写真の中に「動き出す写真」が多いということに気づくはずです。それは撮りたいけれど、撮り得ていない写真だからです。そこに技術的なサポートを加えると「自分自身の写真世界」が広がってくる可能性が高いのです。
 写真ではアマチュアでもプロと競い合える領域があります。スペシャリストです。テーマを絞って、それをさらに徹底的に絞り込んで、自分の力量で可能な極小の穴から「向こう側」へと突き抜ければ、売れる売れないは別として写真作家です。地元の写真を撮り続けている人にそういう作家が多いのは当然です。経費負けしてプロには撮れない写真が撮れるのですから。
 アマチュアが下手でプロが上手いということはないのです。撮った写真が、自分が想像していたよりもはるかにいい写真(想定外の写真)になっていたら、そこにあなたの「写真センス」があるのです。見ることと撮ることの緊張関係の中につながりが見えたら、写真がおもしろくなるはずです。自分自身の写真世界がそこから始まります。
 整理の仕方はいろいろありますが、一番大事なのはオリジナルは全部保存するということです。ハンドリングするのは粗選びした写真だけでもいいのですが、きちんと選びたいときには、オリジナルから選び直します。失敗も含めて、撮ったときの原型を折に触れてくりかえし見ることが、自分の写真を磨き上げる一番重要なポイントだと思います。デジタルカメラによって、それがものすごくやりやすくなりました。
 最後に、私自身はかなり早い段階で「ピーク写真を撮らない」と決めました。いわば「B級グルメ」です。どちらかといえば私自身の性に合っているライターの視点で、写真の出来はほとんど気にせず、すべてカメラまかせにし、ファインダーさえもあまりきちんとのぞかずに、シャッターだけを「自分のタイミング」で切るようにしてきました。写真の出来をあまり問題にしないので、1カット1ショットです。
 つまり自分が描く一本の行動時間軸と、目の前にあらわれる光景との接点をできるだけシャープに固定したいと決めたのです。フォトジェニックであるなしにかかわらず、自分自身に関心のある瞬間は逃さないように努力してきました。
 ですから写真は完全にアマチュアレベルです。そして写真の選択眼は、できるかぎりプロでありたいと思っています。私自身が発見した写真を見る「10秒ルール」を、どうか一度確かめてみて下さい。



雲取山から奥秩父縦走路を飛龍山へ。森は霧氷と雪で真っ白になり、道筋の桟道はときおり崩落の危機に瀕していました。――――1997.3.23



丹沢山から三峰尾根にかけてのシロヤシオを狙って大倉尾根から登りました。これはその大倉尾根の登山道。大胆に掘り返す道路補修があちこちで見られますが、このあたりは落ちついたたたずまいです。植樹したモミジも成長しています。――――1997.5.24



石割山から山中湖北岸の尾根を富士山に向かって下っていきました。たまたまのことでしたが、ススキが道を覆い隠している部分がありました。――――1997.9.20



栃谷尾根から陣馬山に登りました。下界の雨が登るに従って雪になって、登山道の雰囲気を刻一刻と変えていきました。――――1998.3.5



富士山北麓の毛無山、山頂付近の登山道です。マルバダケブキの黄色い花が導いてくれます。――――1998.8.9



南アルプス・仙丈ヶ岳の稜線の道です。森林限界を超えた世界のおおらかな風景が広がります。――――1998.10.6



奥秩父の甲武信ヶ岳から徳ちゃん新道を西沢渓谷へと下りました。カラマツ林に変わるまで、かなり長い間シャクナゲの林が続きます。――――2001.6.14



鳥取県の伯耆・大山。中国地方有数の人気の山らしく、登山道にはかなり手が入っています。手法としては下界の造園技術に似ていますが。――――2003.6.18



南大菩薩の大蔵高丸周辺では、縦走路が小さなお花畑をつぎつぎに通り抜けていきます。8月も中旬ともなるとマツムシソウが主役に立ち上がってきます。――――2004.8.14



北八ヶ岳は太平洋側の天気なので冬には晴れの日が多いのですが、北アルプスを超えてくる北風はマイナス10度Cにもなります。針葉樹林は霧氷と雪で樹氷の趣になります。これは渋の湯から黒百合ヒュッテに登る道。――――2005.1.22



秋田駒ヶ岳の花の季節は雪渓の雪解けとともに訪れます。横岳と小岳にはさまれた馬場の小路は雪渓が消えるとヒナザクラとチングルマの大群落となります。この木道の道が急な登りにぶつかるとシラネアオイの花畑です。――――2005.7.13


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