自習登山のすすめ――糸の会・伊藤幸司 自習登山のすすめ(単独行を考える)――糸の会・伊藤幸司 2015.4.23



★糸の会(ito-no-kai)・登山のすすめ
1.身体にいい歩き方
2.極上の水の味わい
3.月イチ登山の効用
4.休憩といい風
5.足元の小さな花
6.山小屋のメシはなぜうまいのか
7.いい天気と悪い天気
8.高尾山と富士山

★伊藤幸司(ito-koji)・自習登山のすすめ
1.軽登山という考え方
2.単独登山の危険
3.時計でナビゲーション
4.「道を戻る」という鉄則
5.偵察
6.撤退に勇気はいらない
7.万全を信じない
8.登山道と地形図
9.リーダーの覚悟
10.ダブルストックと登山道








★登山のすすめ




1.身体にいい歩き方



エスカレーターに乗らずに
脇の階段を歩くという健康法を
実施している人の場合、
その階段も30度の勾配です


 神社にはたいてい男坂と女坂があります。男坂は急で、女坂は緩やかというのが常識ですが、じつは登山道は神社の女坂の方に限りなく近いものと考えていいかと思います。
 それに対して男坂のほうはというと、こちらは生活に近いところにいくらでもあります。
 男坂の代表的な例は、一般家庭の階段です。最近では一律の勾配とはいえなくなっているかもしれますが、その傾斜は45度前後とされています。私の母は60歳を過ぎた頃自宅の階段で転んで骨折しました。手すりをつけてあっても危険な急勾配といえます。
 江戸で有名な石段といえば愛宕神社の「出世の石段」であったといいます。86段の見上げる急勾配です。徳川三代将軍家光の眼前で曲垣平九郎が馬で一気に駆け上がって「日本一」の称号を手にした石段だそうです。その傾斜は約40度とか。
 ついでに、現代の都市生活を支えるエスカレーターはどうでしょう。基本的には30度ですから、駅でエスカレーターに乗らずに脇の階段を歩くという健康法を実施している人の場合、その階段も30度の勾配です。
 さて女坂ですが、これはゆるやかな坂道となっています。徒歩専用の坂道なら「登山道」に限りなく近いものなのですが、最近では車で上れる道を女坂と呼んでいる場合が多いかと思います。そこで車道としての女坂がどの程度の勾配で作られているかということなのですが、自動車道路の設計基準では勾配はパーセンテージ(百分率) で示されます。
 たとえば高速道路の時速100km走行区間では道路勾配は原則として3%以下に押さえられています。そして国道、都道府県道、市町村道では9%というのが最大勾配(例外的に12%) で、時速20km制限になっているはずです。林道の場合にも最大傾斜は時速20km制限で9%としていますが、やむを得ない場合には最大18%まで可能とされています。
 さてその道路勾配のパーセントですが、一般的な急勾配の9%というのは100m先で9m上がる/下るという勾配で約5度ということになります。ちなみに高速道路の3%勾配は約2度、林道の最大勾配18%は約10度ということになります。女坂が寺社の境内に設けられている場合は林道の最大勾配である約10度というケースもあるかと思います。


じつは富士山の
五合目以上の斜面そのものが
約30度なのです


 ややこしい話になってきたかと思いますが、では富士山の登山道はどれくらいの勾配でしょうか。
 スバルラインは元の河口湖登山道(江戸時代には船津口登山道と呼ばれました) をその起源としています。五合目の終点から登山道はしばらくなだらかな道を行き、富士吉田の浅間神社から登ってくる吉田口登山道に合流します。そこから頂上までの登山道を5,000分の1の道路図面(吉田口登山道は山梨県の県道になっています) で調べてみると平均して約20度の勾配です。1歩1歩には大きな段差があったりしますが、山小屋間で登山道の距離と高度差を調べていくとおおよそ20度になって、山頂までほとんど同じ状態で続きます。
 先に、エスカレーター脇の階段が約30度と紹介しましたが、じつは富士山の五合目以上の斜面そのものが約30度なのです。富士山の写真に三角定規を当ててみるとわかります。その30度の斜面をまっすぐに登れば(登山用語で直登といいます) エスカレーター脇の階段登りに限りなく近いわけですが、登山道はその斜面にジグザグを切って延びています。夏の登山シーズンに夜間登山者のライトの列が雷光形に延びている写真をご覧になった方も多いでしょう。
 でも、富士山の登山道はそんな単純なものではない……と経験者の多くは反論されるかと思います。山頂に近づくにつれて傾斜がどんどんきつくなると思う方もいるでしょう。遠くから見ればシンプルな富士山も、登山者にはほかの山と同様に多彩な表情を見せてくれます。
 しかし登山道はそんなに複雑なものではありません。足元の1歩1歩の変化や周囲の光景が登山者の印象を大きく変えているだけです。とくに都会の軟弱な登山者を想定してつけられた登山道は「歩きやすさ」をかなり意識しています。作った人の「歩きやすかろう」という心遣いによって、さらなる単純化、均一化が図られているのです。岩場などで破綻を見せていることはありますが。
 私も最初は信じられなかったのですが、山岳雑誌「岳人」で連載し、1980年に本になった『富士山・地図を手に』のためにいろいろ探っていくうちに富士山の登山道は30度の斜面におよそ20度の勾配という動かしがたい標準線が見えてきたのでした。


傾斜が20度を超えると
登山道はジグザグになるのです


 その後山に登るごとに登山ルートの傾斜がひと目でわかるような地図を用意するようになると、日本の登山道のほとんどがまさにその「30度の斜面におよそ20度の勾配」という基準で考えることができるとわかってきました。
 ちなみに、遠くから見ると山の稜線(スカイライン) の多くは30度というような急傾斜ではありません。急斜面が山並みの中にあるとすれば○○山、○○岳と名づけられたピークの盛り上がりになっています。稜線の登山道は緩やかな上り下りを繰り返しながら延びていくので、その現場で気をつけて観察してみてください。登山道がジグザグを切っている部分と、素直に延びていく部分とに分かれます。その分かれ目に注目していくとその道を作った人の標準的な勾配が見えてきます。一般論として言えば、傾斜が20度を超えると登山道はジグザグになるのです。
 傾斜が急になるとジグザグに切られるということは、斜面が急になっても歩き方を変えずに歩けるということになります。私はそれをとりあえず「標準的な登山道」としているわけですが、多くの登山者はその部分を1時間で標高差300mほど登れると経験的に考えてきました。私にはそのドンブリ勘定が大きなヒントになりました。


平地での時速4kmが、
登山道で時速1kmとなるのですから、
3km分のエネルギーはどこへ消えたのか


 勾配がおよそ20度ということで考えると、水平方向に1km先で垂直に300m登る勾配というシンプルな三角形として見ることができます。30%の勾配です。30%勾配は約17度ですからすこしゆるやかになりますが、図形を単純化して考えると、新しい発見がありました。登山道の歩き方に直結する発見です。
 そのとき私は「水平方向に1km先で垂直に300m登る勾配」の登山道を「1時間モデル」と設定したのです(『がんばらない山歩き』1998年) 。1時間で水平方向に1km進むのですから「時速1km」です。平地の道を登山の足ごしらえで長時間歩くのなら時速4kmと見積もるのが妥当でしょう。平地での時速4kmが、登山道で時速1kmとなるのですから、3km分のエネルギーはどこへ消えたのか。垂直方向に300m身体を持ち上げるのに使われたというエネルギー配分が明らかになりました。
 つまり、私が標準的な登山道と考える富士山では、平地を時速4kmで歩くエネルギーのうち4分の3を、身体を真上に持ち上げるために使うことになります。前進するパワーを上昇するパワーに変える歩き方が求められるということになります。
 登山では日帰りの小さな山でも数時間、大きな山では10時間近く行動します。平地を時速4kmで歩く以上に頑張ったら、とても身体がもちません。ですから歩き方を「時速1km」に落とせるかどうかが、登山道の歩き方のじつは最も重要な技術要点なのです。
 別の言い方をすればエネルギーの75%を使って身体を垂直方向に持ち上げる歩き方……というのが課題です。平地の歩き方のまま時速1kmに落とそうとしてもなかなかうまくいきません。
 多くの人は夏の富士山で登山道の大渋滞に文句を言いますが、私に言わせればそれこそ富士山での登頂率が高くなるありがたい渋滞なのです。前進が阻害されて、エネルギーのほとんどを、身体を持ち上げるためだけに使うことになります。それこそが標準的な登山道の標準的な歩き方であるからです。
 振り返ってみます。エスカレーター脇の階段をエスカレーターの動きにあわせてトントントンと登っていくとき、そのエスカレーターに負けないように登るのは、かなり強い運動になります。たちまち汗ばんでくるのではないでしょうか。
 標準的な登山道の標準的な登り方ではスピードはたぶんその半分ほど、足腰の弱くなった老人がヨッコラショと登るスピードに限りなく近いのです。ですから登山道が神社の境内から始まるとき、参道の石段(男坂) を登る私たちは周囲の人たちから見たらだらしないゆっくりペースだと思われているに違いありません。
 ところが登山初心者のみなさんは平地の道がそのまま持ち上がっていく気分で歩いています。その場合一番違うのは歩幅が広いことです。平地の歩き方で斜め上前方をめざして頑張ったら、たちまちバテるのが当たり前。前方に1歩頑張ったら、上方に向かう3歩分のエネルギーを同時に要求されてしまうからです。富士山で元気な若者が次々に脱落するのも、短距離走のスピードでマラソンを走り抜こうとしただけのこと。浅はかと言えば浅はかですが、元気だからバテたのです。


曲がったひざがまっすぐに伸びた分だけ、
身体が真上に持ち上がるのです


 平地を時速4kmで歩くエネルギーで、登山道を時速1kmで歩くというのは言うは易く……だと思います。歩き方の切り替えには頭の側の理解も重要ですが、身体の方がそういう切り替えに対応できるかどうかが問われる場面です。身体にいうことを聞かせるためにはどうしたらいいのか。私は山の現場ではかなり強い指導権限を発揮しますが、それでも歩き方の修正にはできるだけチャンスを選ぶようにしています。口で言っただけで変わるほど簡単ではないという場合が多いのです。
 歩き方というのは生活の基本技術ですから、みなさんもう、良くも悪くも技術的には固まってしまっています。それがテニスの足運び、ダンスのステップというようなものになると学びの対象となるでしょうが、登山道を歩くのに歩き方の大きな変更を求められるとは考えられていないのが普通です。ですから「お、こういうことか」というような即効性を考えて指導しないと言葉が空回りしただけに終わってしまいます。
 ですからここでこれから書こうとしている内容も、自分のために知っていただくより、必要な場所で誰かを実験台にして効果を確かめてみるというぐらいの高い目線で読んでいただくことを期待します。
 まずは、そろそろバテそうな人をじっくりと観察します。しばらく、そのバテ加減を見守ります。息が切れて、前の人からズルズル遅れて、周りの人たちがおしゃべりをしながら歩いているのを腹立たしく思いながら、自分自身の生活態度やら人生をいくぶん反省している……と見当をつけます。そこで、初めて歩き方を変えてもらうのです。
 まず、前に進もうという意識を捨ててもらうのです。平地の歩き方には後ろ足で蹴って前進するという気持ちが入っているので、それを封じるために「かかとで歩いてください」と言います。つま先の蹴りを使わないと歩幅が広がる危険もかなり押さえることができます。
 それから身体は「前方に」ではなくて「まっすぐ真上に」持ち上げます。前に振り出した足のひざが曲がっていますから、その足に重心を移動しつつ、前に曲がったひざを後ろに送ります。曲がったひざがまっすぐに伸びた分だけ、身体が真上に持ち上がるのです。こうすると「曲がったひざが伸びる」だけの小さな段差を刻むことができます。
 バテ始めた人たちを観察すると、労力を温存しようとして歩数を少なくするように頑張ります。必然的に1歩の歩幅が広がります。すると運動強度が一気に上がって、さらにバテやすい状況に追い込まれてしまうのです。歩幅を小さくすると当然スピードが落ちますから、ピッチ(足運びのリズム) を上げてバタバタしなければならないと考えてしまうのです。
 つまり平地の道がそのまませり上がっていくイメージの中で、なんとかつじつま合わせをしようともがいているだけなのです。その悪循環から救い出せるのは、歩き方のモードの切り替え、考え方の切り替えです。
 坂道を細かく刻んでパワー出力を管理するという、新しい領域に入りたいのです。無理な力を使わずに、上がれる段差の高さをじっくりと観察します。約20度という、車ではほとんど上れない急斜面を「どれだけのスピード」ではなくて「どれだけの段差」で登れるかが登山者の本当の登坂力だということ理解すれば、歩き方からムダな力が大幅に抜けていきます。
 同じ力では周囲についていけないと考えていたのに、10分もしないうちに苦境を脱して「ありがとうございます」と礼を言われるほどの効果があると思います。バテているのは、弱いからではなくて、余分なエネルギーを垂れ流しにしているからと考えて間違いありません。


どんなスポーツ競技でも、
初めてやった日には「力を抜きなさい」と
言われるはずです


 もうすこし高度なワザも用意しておきます。前足のひざを後ろに送ったとき、ひざ関節の蝶番がカックンと固定するところまで持っていきます。すると一瞬ですが、全体重がその一本足にかかって、しかも骨で立ったことになります。これができると、たくさんの筋肉の仕事の切り替えがはっきりします。歩きながら使わない筋肉をきちんと休ませることができるようになって、長時間の行動にも対応できるようになるのです。
 考えてみればどんなスポーツ競技でも、初めてやった日には「力を抜きなさい」と言われるはずです。登山ではなぜか「頑張って登る」「頑張ったから報われる」という考え方から脱却できていません。価値の転換が必要なのです。一般にはあまり信じられていないようですが、じつは「軽い運動を長時間」続ける運動として登山は際だって有効なのです。間違っても頑張ってしまってはいけないのです。
 登山のスポーツとしての特性を代表するものが「軽い運動を長時間行える」というところだとすると、頑張って頂上に立つという完結性よりも、10時間行動し続けることが簡単にできてしまうことのほうが高く評価されなくてはいけないと思うのです。ですから、私の基本的な姿勢は「がんばらない」というところに置いておきたいと思っています。
 「うそでしょう、けっこうがんばらされていますよ」という人がいるかもしれませんが、その辺の線引きは微妙ですから「基本的には」という言葉を付け加えておきます。がんばる、がんばらない、の線引きが難しいように、「軽い運動」の範囲もあいまいなところがあるのでご注意下さい。
 運動強度に関しては心拍数で管理することがすでに常識的な技術となっています。競技選手の場合には自分の最高心拍数を把握して運動強度のターゲットを設定するといいます。そしてリアルタイムで心拍数を管理しながら、上限ギリギリのところでトレーニングを組み立てることが簡単にできます。
 登山でももちろんそういうことができますが、運動環境が均一でないので、強化したい筋肉にターゲットを絞ったりする細かなコントロールはできないと考えるべきでしょう。有酸素運動と無酸素運動の境界域で効率的に筋力アップを図りたいというのが一般的なトレーニング・イメージではないかと思うのですが、登山では数時間という長時間、力を発揮し続けなければいけないので、安全領域での徹底的な有酸素運動が求められます。
 軽い運動からはみ出さないようにするのですから、精密な心拍計を使うほどのことはありません。厳密な数値で管理しようとすると、不必要にやっかいなことにもなります。チームで行動する場合にはさらに、メンバーそれぞれの最高心拍数がかなり大きく違っています。個人差ですが、一番大きな要因は年齢かと思います。脚力の差もかなり大きな違いを生みます。急な登りになったとき、筋力のない人は先に運動強度を上げてしまいます。ですから「全員がバテない程度」の範囲内で、できるだけ能力アップを図れるような歩き方を心がけたいと考えることになります。
 登山によくある「シゴキ」の根っこがそこにあるのです。メンバーの最高心拍数にバラツキがあると、当然運動強度の境界もいろいろです。すると同じ行動をしている中で、最初に運動強度が上がってしまった人が代表選手としてもがくことになります。自分が最初にバテるかもしれないという第一候補です。全体の運動強度を上げていくと、たぶんその人ひとりがシゴかれるという状況になっていきます。


ある一線を越えると
「重さ」が「つらさ」と重なってきます


 軽い運動に留めたい登山では一般に呼吸で心拍数を類推します。口を閉じた状態の鼻呼吸で歩ける間は、間違いなく軽い運動の領域です。おしゃべりをしながら歩くとか、鼻歌交じりに歩くというのは「軽い運動」の表現となります。その先になると呼吸が乱れ気味になります。ハアハアという荒い呼吸になるわけですが、酸素を効率よく投入できれば呼吸は楽になります。
 登山での呼吸法は人によってさまざま工夫されているかと思いますが、原則はいかにうまく「呼気」するかです。水泳の息継ぎでは「パッ」と叫ぶように息を吐き出すと教えられるそうです。長距離のランニングでは「吐く・吐く・吸う」でしょうか。汚れた空気を吐き出すと、新鮮な空気が自然に入ってくるという考え方です。
 しかし私は呼吸法をあまり意識しないほうがいいと考えます。実際にやってみると呼吸法でコントロールしようとするより、歩き方を変えた方が、調節幅がはるかに大きいのです。呼吸法で解決しようとすると、動脈中の二酸化炭素分圧が低下して、コントロールを失って呼吸がどんどん深くなってしまうという過呼吸になる危険があります。手足がしびれるとか、呼吸困難になるといわれます。
 実際は、呼吸法で解決できる範囲は案外狭いのだと思います。他の人が楽に歩いているのに自分だけ呼吸が大きく乱れるというときには、歩き方に無駄がないかいろいろ試してみることが重要です。人間は驚くほどワンパターンの行動を続けるので、こういうときでないと自分の歩き方を深く反省することはなかなかできません。
 その先はどうするのか。その日のその後の予定に余裕がないときには、その人の荷物を減らします。通常、その人の背負える荷物の量にはかなりはっきりした上限があります。重いとか軽いという違いはあっても背負って行動する限り「重い」「軽い」の違いだけという状態です。しかしある一線を越えると「重さ」が「つらさ」と重なってきます。レベルオーバーの1kgがとてつもなく大きな負担になったりします。小屋泊まりの登山などでは日帰りのときよりザックが重いですから、そういう重さの上限を超えている場合が多いのです。ですから軽くしてみて問題が解決すれば、今後その部分をゆっくりと強化していけばいいのです。


心拍数を上げずに
血液を全身に押し出していく状態を
いかに長時間維持するか


 いろいろなケースが出てきますから「軽い運動」を全員が共有するのはなかなか難しいのです。入門編なら大原則として一番弱い人を基準にしてもいいのですが、ある程度のレベルになるとやはりチームとしてのスタンダードを確立する必要もあります。チームとしてのコースタイムという考え方です。計画全体の進行を考えながら部分的なコントロールをしていくわけですから、強弱の破綻が出てもしょうがないという側面は覚悟しなくてはなりません。「がんばらない」派の私が、けっこうがんばらせてしまうという現実もそういうところにある……と言い訳しておきます。
 呼吸の状態も汗のかき方も人によって大きく違いますから「軽い運動」か「中程度の運動」かなかなか判断できませんが、「軽すぎる運動」も達成感という点で、問題が生じます。
 ここで提案しているのはその程度のアバウトな「軽い運動」なのですが、そのような「軽い運動」をオリンピック級のマラソン選手もするのだそうです。あえて運動を軽く押さえるためには、遊びのようなスポーツゲームを飽きないようにいろいろ組み合わせて、何時間も連続的にするのだそうです。つまり心拍数を上げずに血液を全身に押し出していく状態をいかに長時間維持するかが課題だというのです。
 その方法論を知って、がんばらずに登山するということの積極的な価値が見えてきました。登山では日帰りの山でも4〜5時間は歩きます。日の出とともに歩き出すような小屋泊まりの登山では10時間というような行動もかなりあります。
 そういう長時間の行動を確保するために運動強度を上げない努力が必要なのですが、それに対して長時間ただ歩くことに退屈しないか、時間がもったいなくはないか、という疑問が下界の人にはあるでしょう。頑張って登って登頂というご褒美をゲットするという図式が登山にあるのはそういう心配があるからでしょう。
 ところが日常的な登山では、登頂は大きな区切りではありますが、それほど際だった価値を与えてくれるものとはかぎりません。私のようなインストラクターは、計画通りの登頂さえすれば最低限の義務は果たせたことになります。あとは無事に下山できれば完了です。
 しかし、本当のところは、汗ばんだ身体に心地よいと感じる風があり、おいしい飲み物があり、経口燃料である弁当(行動食) がスムーズに身体を動かし続けてくれる……というような自分の身体が直に感じる元気さが、登山から与えられる最高のプレゼントではないかと思うのです。そのことを感じたとき、登山道を歩いた何時間かがかけがえのないものに感じられます。
 登りが4時間もあるような大きな山では、1時間に10分という休憩で画一的に仕切っていったのでは、そのどれか1区間の長さが大きなストレスになる可能性が出てきます。ですから30分に5分の休憩を挟み込んで、強弱をつけて精神的に疲れない工夫、リフレッシュメントも考えます。長めの休憩をとってゆっくりと腹を満たすような大休憩も必要になります。
 そういう塩梅が少しは必要ですが、山では時間がゆっくりと回り続けることになります。それはたぶん歩く歩調や呼吸のリズムと強く結びついた時間となって、果てしなく続くかのように思われます。
 ですからリーダーとしての私は、下山するまではバスや電車など帰路のスケジュールを考えないことにしています。登山道を歩いている間は、自分たちが自発的に刻んでいる時間の流れを尊重したいのです。それが一番重要な安全確保につながる方法だとも考えるからです。


登山によって身体がリフレッシュする感じは、
その毛細血管の覚醒と
つながっているのではないかと思うのです


 山にいる間は日常に流れる時間とすこし違うところにいて、自分の身体に聞きながら行動を進めています。ですから登山における「軽い運動を長時間」というのは日常の中で時間をつなげて長時間続けるというのとは決定的に違うもののように思うのです。
 ゆっくりと心臓から押し出される血液が身体の隅々にまで行き渡り、酸素を筋肉の末端にまで送り届けていきます。動脈と静脈を結ぶのは毛細血管で、ここで酸素を筋肉に受け渡したり、二酸化炭素を受け取ったり、宅配便のような仕事をするのだそうです。
 毛細血管は日常的には使われないで放置されているものも多いのだそうですが、ゆっくりと血液を回していくうちに、多くを目覚めさせることができるといいます。登山によって身体がリフレッシュする感じは、その毛細血管の覚醒とつながっているのではないかと思うのです。強い運動で心臓を鍛えなくても、軽い山歩きを数か月続けるだけで身体が明らかに変化する謎は、そのあたりにあると想像したりします。
 だいたい、一般登山道(一般ルート) を歩く限り、運動強度はペース配分でほとんど管理できると思います。山の姿は千差万別ですが、登山道は想像以上に標準化されています。「軽い運動を長時間」という側面から登山を考えるとき、山と身体がどのように会話しているかという精神的な充足感が大きな価値を生むのではないかと思います。ですからただ山を歩いただけという1日がムダな1日には感じられないというところに、心と身体のリフレッシュメント効果が示されていると思います。
 簡単に言えば、平地を時速4kmで歩くエネルギーしか出さないという決意があればいいのです。しかし登山道は平地の道とは違います。あるとき内科のドクターが参加されたことがありましたが、平地を歩くより、垂直荷重がかかる登山道の方が老化防止の運動としてはるかに効果的だと解説してくれました。
 この垂直荷重という要素に着目すると、登山道の歩き方のもう一つ重要な部分が浮かび上がってきます。基本的には下りの歩き方なのですが、正しい「二足歩行」ができているかどうかということです。
 最初は信じられなかったのですが、山歩きをしてみたいと考えるごく普通の健康な人たちの多くが、きちんとした「二足歩行」で歩けていないということを発見してしまったのです。もちろん、一発でわかったというような話ではありません。下りの歩き方をいろいろ考えているうちに、だんだん問題がはっきりとしてきたのです。
 下りで見られる一番素朴な歩き方は「へっぴり腰」です。わかりやすい例を挙げればスキーの初心者が直滑降で見せるあの姿勢です。頭が安全を確保しようとして重心を後ろに下げるので、現実には転びやすい、みっともない姿勢になってしまうのです。司令塔としての頭に運転を任せたらどんどん危険になるといういい例です。
 そこで登山道の比較的急な下りで、一度きちんと立ちます。スキーでいう最大傾斜線ですが、まっすぐ下を向いて、重心をかかとからつま先に移動してもらいます。重心の移動を確実にするためには、重心をつま先に移したときに、かかとが浮くことを確認し、重心をもう一度かかとに戻します。それによって重心が足裏の指の付け根とかかとの間で移動するときに、腰の位置は前後にほんの数センチ動くだけ、という感覚をつかんでおいてもらいたいのです。
 次に、いかにも滑りやすいところで、思い切って「つま先立ち」で歩いてもらうのです。1歩1歩の確実性が問われます。
 急斜面で土がぬるぬるのところがあります。あるいは砂礫が浮いてざらざらのところがあります。そのまま歩いたら足が滑って転びそうなところです。登山靴を履いている初心者とスニーカーの初心者の歩き方を見ているうちに、滑るか滑らないかは靴の機能によるのではないということを発見したのです。それは私にとってはきわめて重要な発見でした。
 登山靴をはいた初心者は、つま先立ちをしにくいためか、滑りを止めるために靴底のエッジを利用しようと考えるのです。かかとを立てて斜面に食い込みを作って滑り止めにしようとします。あるいは靴底のエッジとしては一番長い側面を利用するために、身体をよじって、斜面に向かって身体をよじって、カニ歩きで下っていきます。ハの字歩きというのも同類です。いずれも靴の機能を最大限に生かそうと考えての行動です。
 滑りたくない、足をすくわれたくないという気持ちが滑り止めのワザを考えさせるわけですが、その歩き方に、転ぶよりもっと危険な兆候を見てしまったのです。
 下りでかかとをブレーキとして使うのはスキーのへっぴり腰よりずっと悪質な頭からの命令です。下り坂でかかと着地してみるとすぐにわかることですが、着地の瞬間にひざがピシッと伸びています。平地のウォーキングならかかと着地はひざが伸びてスマートに見えますが、下りでそれをやると着地の瞬間の大きな衝撃が伸びきったひざに蓄積されていきます。
 ひざへの負担がどれほどかということに関して、私は数値化したデータなどもちろん持っていませんが、急な下りのある山でベテラン登山者がいつものスピードで下っていると、それに必死で追いつこうとしている初心者は1日でひざを壊してしまう、というほどの危険があります。そうやって、人生最初の山でリタイアした登山者はかなり多いのではないでしょうか。私の学生時代には下りで「走れ〜」という雰囲気でしたから、足を痛めた新人部員を何人も見ています。
 そういう古い歩き方を身につけたリーダーはどうしているかというと、さすがに速いスピードで下れる歩き方をしています。平地を歩くようなスマートな足さばきで、着地時にひざは伸びきっているように見えます。よほどひざ関節の強い人が酷使に耐えて生き残ったというふうにも見えますが、もちろんそれだけはありません。初心者にはなかなか見えないと思うのですが、ベテラン登山者は時々、軽く飛ぶような軽快な足さばきを見せるはずです。その「飛ぶような」足さばきは「着地」と一体になっています。足が地面に接するときに重心は指先(正しくいえばたぶん指の付け根) にあるはずです。そしてひざを柔軟にしてクッションを効かせ、バランスを取ろうとします。
 その「つま先着地」を重くて堅い登山靴でできるのがベテラン登山者と考えていいと思うのです。そういう人たちは、普通の下りでも、着地の瞬間につま先を地面にたたきつけるような力の入れ方をしていないでしょうか。足首をしっかり固定した登山靴では、つま先を下げるためにはある程度の筋力が必要です。それができれば、着地でのひざへの衝撃をかなり軽減することができます。
 登山の技術ガイドでは「斜面にフラットに着地」と書いてあったりしますが、頭で「フラット」だと現実にはかかと着地になっているはずです。ですから柔らかな靴の人には一度極端に「つま先立ち」で歩いてもらうのです。下りで滑りそうに思ったら、まずは「つま先立ち」にしてしまうのです。そうするとほとんど滑ることがなくなります。


身体をまっすぐ下に沈めていって、
前足をつま先立ちで
軟着陸させるのです


 つまり下りの歩き方で一番重要なのは「重心のコントロール」なのです。靴底の形状がどうであれ、身体がきちんと重心に乗っていれば頭が考える以上に足は滑らないのです。地面と靴との設置面積は限りなく小さいのですが、滑らないのです。
 それ以前の問題が見えてきます。そのような重心のコントロールのなかなかできない人がいるのです。片足できちんと立てないのです。バランスが不安だから立ちきらないうちに次の足が出てしまうのです。そのひどい状態は酔っぱらいの千鳥足。登山ではそれほどひどくはありませんが、片足できちんと立てないという意味では同類です。
 じつはそういうレベルの足さばきの登山者が案外多いのです。1歩1歩の安定がもともと欠落していますから、斜面の状態が悪くなるとたちまち余裕幅がなくなります。その不安が歩き方をさらに混乱させていきます。
 登山道の下りで、どれだけの段差を1歩1歩きちんと下れるかが登山に必要な脚力ではないかと思うのです。まずは斜面に立って、腰を少し前に出します。重心が指の付け根に動いて、かかとが浮き加減になります。それを確認したら、今度は前傾姿勢を強めます。膝をやわらかく曲げます。スキーのできる人なら、急斜面に向かってスタートするときの、あの深い前傾姿勢と考えてください。
 そのままつま先立ちで、綱渡りの気分、あるいは平均台を歩く姿勢で斜面を下ってみます。これまで滑りそうに思えていたところで滑らないということがわかるはずです。
 段差はどうしましょうか。最大傾斜線に身体を向けて、真下に向かって真一文字という感じです。スキーの直滑降と同じです。段差の先端に立って、筋力で身体を沈めていきます。途中で限界がきますから振り出した足のつま先を下げて身体を沈めた動きの延長線上に着地します。
 前方へ着地するのではなく、身体をまっすぐ下に沈めていって、前足をつま先立ちで軟着陸させるのです。当然ひざは曲がっていて、着地の衝撃を吸収するのですが、そのことより着地のバランスを崩さない役割の方が遙かに大きいと考えているはずです。
 ダブルストックを使って前傾姿勢をさらに大きく取ると、段差のクリア能力は飛躍します。登りは非力でも、下りの安全性とスピードが数段アップしますから、総合的な登山能力は大幅に向上します。
 下りで「片足できちんと立つ」ことができると、その影響が登りにも現れます。登りの1歩1歩でも、片足できちんと立つ瞬間がはっきりと出現するので、伸ばす筋肉と縮める筋肉、表の筋肉と裏の筋肉という筋肉セットの切り替えが明快になって、使わない筋肉を有効に休めさせるようになります。歩いているときが労働、止まっているときが休憩というおおざっぱな区分ではなく、使う筋肉と使わない筋肉の切り替えによって歩きながら筋肉を休めることができるのです。
 一本足できちんと立つことができると歩き方はたちまち省エネにもなるのです。


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2.極上の水の味わい



清冽な山の水は
うまいとかまずいという次元を超えて
素晴らしいものでした


 山の水は鮮烈にして甘露、登山者だけが知っている極上の味わいなのですが、じつは半分は特権的優越感の味わいです。
 古いタイプの友人登山家からいいことを教わりました。マヨネーズの容器を半分に切るとポケットに入るコップになるというのです。登山道のあちこちに出現するおいしい水を手軽にくむための工夫です。ザックの背中にマグカップのたぐいをぶら下げている人も多いのですが、山の水を楽しみたいという古典的なスタイルの名残だと思います。
 たしかに昔の登山ガイドでは沢に出るたびに水を一口という感じでした。「三尺流れりゃ元の水」というのを誰もが信じていましたし、清冽な山の水はうまいとかまずいという次元を超えて素晴らしいものでした。足元を流れる水を独り占めという気分もなんともいえない豪勢なものでした。
 今も沢水はほとんど変わらない状態で流れていますが、登山者の方がそれをあまり当てにしないようになりました。北海道では野外の水は寄生虫のエキノコックスに汚染されている危険があるということで、ずいぶん不自由になりました。
 日本中で驚くほど林道が整備されたので、車で山に登る人も増えました。山の上に大きな駐車場ができていたりします。あるいは山小屋からの河川の汚染も心配されています。酸性雨の問題が起こり、松食い虫の対策で薬剤の空中散布が行われると、山のものはすべて清涼というふうには信じられないようにもなりました。今後は放射能汚染の心配もあるかもしれません。登山者の側に自然の水に対する警戒感が広がっていて、残念ながらワッと飛びつく雰囲気ではないのです。屋久島の縄文杉への道筋では、たとえばウィルソン株の内側にある祠のところ、霊験あらたかな感じで流れている水などは、観光登山者による深刻なトイレ汚染だといわれました。
 チョロチョロと流れ出ている山の湧き水のところにコップが置かれていたりする場面でも、保健所の検査で飲用に適さないという注意書きがあったりもします。山の水なら安全という丸飲み込みをしていいのかという気持ちが混じってくるのも仕方ないかもしれません。
 山小屋でも天水を使っているところでは、販売用の水はペットボトルに入ったものだけ、というところが多くなりました。保健所の指導が山小屋にまで及んでいます。(宿泊者にはお湯やお茶は販売してくれるのが一般的です)


同じ名水でも
大関・横綱級の名水と、平幕の名水とに
はっきり区別されたというのです


 じつは、辛辣に言えば、山の水がおいしいとは限らないのです。20年ほど前になりますが、世界各地の名水を集めて分子構造を調べていた松下和弘さんという研究者を日本電子という会社に訪ねたことがありました。松下さんによると名水と呼べるのは分子構造の小さい水だといいます。世界の1,000か所以上の名水を集めて分子構造と味を調べた結果、水の分子集団が小さいと人間の舌の味蕾細胞に十分にとらえられて味わいが生まれ、同時に細胞レベルで吸収されやすいことが明らかになったそうです。
 その結果、究極の名水は、世界各地に見られる霊水(霊験あらたかな水) のたぐいで、傷や病気が治るなど奇跡の水といわれます。そういう水は例外なく分子構造が小さくて、細胞への浸透力が大きいということと関係しているということでした。
 松下さんの功績は、じつは日本国内で大きなものがありました。山の水が「名水」などと称されて有名になった陰で、古くから酒蔵で利用してきた名水の相対的地位が下がってしまったというのです。そこで水の分子構造を調べてみると、山の名水と、麓の酒造りの名水とは、分子構造において歴然とした違いがあったのです。要するに同じ名水でも大関・横綱級の名水と、平幕の名水とにはっきり区別されたというのです。
 つまり、蒸留水のかたちで降った雨が地表近くを流れ始めた、あるいは地表近くで湧き出したのが山の水です。地中深くに染みこんで圧力を受けながら岩盤をくぐり抜けて何十年、何百年もかけて湧き出た山麓の水とは似て非なるものだというのです。格が違うというのです。
 しかし、そうと知っても山の水は間違いなく「おいしい」のです。甘露です。身体が生き返る思いがします。
 山の水はキリッと冷えていて、無尽蔵という感じがします。その贅沢感は体験した人でないとわからないかもしれません。沸かし湯の風呂と、源泉掛け流しの温泉の違いに似ているかも知れません。ていねいに準備されて出てきたミネラルウォーターがおいしいと思うことがありますが、足元ですくう山の水のおいしさは無限です。そういう特権的優越感は街では絶対に味わえません。一般に井戸水は夏冷たくて冬に暖かいのですが、山の水も温度差が清涼感を演出しています。
 そういう山の水のおいしさにはこちら側の条件も重なってきます。私は夏冬を通して水道水をそのまま詰めた水筒を持参します。もちろん夏は生ぬるく、冬は氷が張り始めることもあります。どう考えたって、おいしい水の条件から逸脱しやすい状態です。
 ところが、その水も「おいしい」のです。口に含んだときの味わいではありません。身体がその水を欲しているという感じがするのです。


身体が水を欲しているかどうかを聞くために
一口含んでみるのです


 ここからが本論です。私は休憩ごとに皆さんに水を一口含んでもらっています。水を飲みたいか飲みたくないかを頭で決めるのではなくて、身体に決めてもらうのです。飲みたければ飲めばいいし、飲みたくなければその一口だけでいいのです。
 つまり身体が水を欲しているかどうかを聞くために一口含んでみるのです。「水飲む?」と聞くために口に含んでみるのです。こうすると、水の味が舌先や喉ごしに加えて、身体に染みわたる感じにまでに広がってくるように思うのです。
 いまでは私の周囲の多くの人が一年中熱いお湯を持参します。食事のときには温かい飲み物のほうが身体にいいと感じるのだそうです。もちろん夏には冷たい飲み物も用意しています。保温水筒に氷を入れたり、保冷バッグに凍らしたペットボトルを入れてきたり、様々な工夫を凝らして冷たい飲み物を用意しておくと、身体に浸透していく感じがするというのです。
 身体が水分を欲するというのは、じつはなかなかわかりません。マラソンランナーも喉が渇いたら摂取タイミングとしては遅いといいます。人間の身体にとって重要な存在の水に対して、頭がいかに理解不足の状態なのか、驚きます。水を飲む・飲まないを頭に決めさせていたのでは体に良くないということから、一口の水に、通信係を果たしてもらおうというのが休憩ごとの一口だったのです。
 登山では長いこと、強い人間なら水は飲まないと信じられてきました。それは登山に伝えられた旧日本陸軍の悪しき遺産のひとつでしたが、日本だけではなかったようです。アメリカで「ゲータレード」という世界初のスポーツドリンクが誕生したのは1960年代ですが、アメリカンフットボールの選手たちの間で水分不足が原因と思われる死亡事故が相次いだからだといいます。フロリダ大学の「ゲーターズ」のために大学内で開発されたスポーツ飲料だったのです。
 スポーツドリンクはたしかに合理的で有効です。しかし私の周りの人たちがみんなスポーツドリンクに帰結しているわけではありません。そのときどき、身体が喜ぶ飲み物を工夫しているので、驚くほど多彩です。年間を通じて山歩きをしていると、身体が求める水分のかたちはずいぶん変化してくるのは当然でしょう。私のように、いつも常温の水道水を飲んでいると、身体がその季節感を受け入れてくれるようにも思います。
 こうしてほとんどの必要水分を自前で準備するようになると、山の水の「おいしさ」に素直に戻ることができます。もし清浄さにいささかの疑いがあったとしても、そこで口にするひと口、二口が身体に影響を与える可能性は限りなくゼロのはずです。ですから素直に、山の水を味わうことができると思うのです。とくに夏の山で口にする冷たい沢の水は、山にいる人間のみに与えられた「おいしさ」を味わわせてくれるのです。


つまり夕食時から、
明日の水分を考えているわけです


 ちなみに「水を飲むとバテる」というのは嘘、「強ければ水なしで頑張れる」というのも嘘と今ではいわれていますが、もうちょっとていねいに検証しておいたほうがいいと思います。
 まず「水を飲むとバテる」というのは「バテると水をがぶ飲みする」というのが正解です。私は学生時代弱かったので、バテてがぶ飲みした水の記憶がまだ残っています。飲んでしまった水はほとんど何の役にも立たない感じがして絶望的になります。しかしバテると水をがぶ飲みせずにいられなくなるので、現在でも休憩時間の水の飲み方を観察すると、その兆候を見つけることができると考えています。私が休憩時に「水をひと口」というのには、それがひと口ですむかどうかの観察も含んでいます。
 強ければ水を飲まないで歩けるという神話についてですが、筋力が弱ければ運動強度が上がりますから、体温調節のための水分をそのためにとらなければなりません。しかしそれにはかなりのトリックが隠されていると思います。私は学生時代、探検部というクラブで登山を基本的なトレーニングとしてやらされました。体育会系の部員ではなかったので強くなりたいという願望はありませんでしたが、2年になるとバテなくなりました。2年部員は新人より有利な面がいろいろあるからです。
 サブリーダーをやると決定的なのですが、その日1日の行動予定を把握していなければなりません。計画通りに事が進むとは限らないとしても、こちら側がチームとして持っている能力をできるだけうまく生かせなくてはいけないわけです。つまり全体像が見えていれば、それに対するパワー配分を考えることもできるわけです。ペース配分をコントロールできるという点で、リーダーはメンバーよりはるかに有利な状況に立っています。
 さて水分ですが、1日の行動に必要な水分の総量が同じだったとします。各自が持って自由に飲める水の量が存分にあれば問題は少ないのですが、重量が制限される状況ではある程度窮屈な状態が要求されるかもしれません。そのときに、たとえばベテラン部員なら朝食の時、みそ汁にしろ、お茶にしろ、1日の摂取水分の一部として飲む意識がいくぶんかあるはずです。体内にたっぷり水分を入れておけば、行動中には行動に要求される分の水分補給だけでいいわけです。その体内水分ということでは、前夜からの水分摂取が効いてくるといわれます。つまり夕食時から、明日の水分を考えているわけです。
 それに対して新人部員は目先の行動で精一杯。おまけにどうしたって雑務が多いので、先を見越して水分を摂取するなどという余裕はなかなかありません。体内水分が足りない状態で行動を開始するというハンディキャップを背負っているかもしれません。
 体内の水分を事前にきっちり補給しておくことに加えて、行動中にムダに運動強度を上げない注意も必要です。リーダー側になるとそのペース配分がある程度こちらの自由になるので、体力的な弱さを頭脳でカバーするという姑息な手段をとることができます。つまり私は弱いくせに指導する立場になった体験があるので、たとえば「強ければ水なしで頑張れる」という看板を背負ったときの裏ワザをそういうふうに考えたのです。
 もちろん2年生部員になると、新人時代と比べて行動能力ははるかにアップしました。全体が見えるだけで、ムダが大幅に削られる……という意味では、水をがぶ飲みしなければならないような窮地に陥る危険がうんと少なくなりました。しかしそれは自分のクラブという小さな世界での身の処し方に過ぎないのではあったのですが。


ゴルフの後のビールより、
登山の後のビールの方がはるかにうまい


 水の話に加えていいかどうかわかりませんが、山では水とビールのちょっと複雑な関係が見られます。
 私は下戸ですから、本当は容認したくはないのですが、多くの人は下山が近づくと水分の摂取を控えます。できるだけ喉をカラカラにしておいて、温泉に入り、湯上がりに生ビール、という目標に真一文字というかたちになります。
 私たち下戸はちょっと違います。風呂に入る前に冷たいものを探します。私は野菜ジュースやフルーツジュースを探しますが、ときには炭酸系のものや、スポーツドリンクが飲みたい場合もあります。水分を十分に補給して温泉にゆったり浸かりたいのです。
 ですから湯上がりのビールの醍醐味を語ることはできないのですが、よくもまあワンパターンに、というぐらい、みなさん至福の表情を見せるのです。
 冷えたビールの1杯が大のオトナに至福の瞬間を与えるほどの価値があるとは、まあ本当のところわからないのですが、ゴルフの後のビールより、登山の後のビールの方がはるかにうまいというのも大方の感想です。
 ビールのために水分摂取を控えるというのはリーダーとしていくぶん許し難い行動ではあるのですが「ビールがだんだん近づいてくる」というみなさんの無邪気な期待をぶち壊すまでもないと、好意的に容認しています。
 しかし、山頂での酒宴は絶対に認めません。幸いなことに一、二を争う酒豪が登山途中でのアルコールは禁じるべきだと言ってくれたので揺るがない信念になりました。
 アルコールを入れると脱水症状になりやすいうえに、登山の後半に待っている下りで危険が増すからです。以前ゴルフが非常に危険なスポーツだということを知りましたが、夏の場合は昼食時にアルコールを摂ることから脱水症状で血管障害が起こりやすいというのです。私が下戸のために、登山途中でアルコールを入れることは絶対にないので、みなさんは湯上がりの生ビールという最後のご褒美に向かってひたひたと下るという終盤になるのです。みなさんは「身体がだんだん生ビールに近づいていく」といいます。せっかくの山の水も顔をつぶされた感じですが。


山で怪我をしたら
水をふんだんに使って
傷口を洗うことが最重要と考えます


 また、山では水が、水だけではすまない存在になることも考慮しておきたいことです。私は危機管理用として、いわば「消火用水」という役割の水を常時用意しています。中身はこれも水道水。間違っても浄水器を通した水は入れません。水道水なら数か月入れっぱなしにしておいても腐ることがないからです。昔、都内の防災施設を調べたときに、水道水の保存性が驚くほど高いことを知ったのです。
 一番重要だと思う役割は「医薬品」です。転んだり転落したりして怪我をしたとき、すぐにやるべきことは傷口をよく洗うことです。泥がついていたりすると気持ち悪いので洗い流したいですし、血が流れ出ていれば早く処置したいという気持ちになります。しかし私はすこし違うイメージで傷を洗うことにしています。
 傷口に土がついていたら徹底的に洗います。「消毒液があります」などという言葉は完全に無視します。土の中には破傷風菌があると考えるのです。だから土をできるだけ完ぺきに洗い流すべきなのです。
 そのあとで傷口を乾かします。乾燥させるというよりも、とにかく空気に当てるのです。破傷風菌は嫌気性ですから空気が遮断されると生き返る危険があります。だから焦って傷口にふたをしないということが重要です。
 血が止まらないときには、もちろん放っておけません。通常は布などを当てて押さえて止血します。血液には殺菌作用がありますから、泥などを取り去れば、あとは血液に仕事をまかせてもいいでしょう。
 消毒液を使いたくないのには理由があります。市販されている消毒用品の能力に全幅の信頼を置くことができないという専門家の話を聞いたことがあります。市販の滅菌ガーゼというのも、使うときにどれほどの滅菌状態か分からないというのです。もちろん作った人たちの責任ではありませんが「消毒」とか「滅菌」という表示機能が使うときまで保証されているかどうか、100%信じない方がいいというのです。
 特に問題なのは消毒液です。一般的な消毒液で携行タイプのものにはむしろ「安全なもの」が多いそうで、その優しさ故に消毒し残した菌がいたりすると、そこを覆ってしまうことから嫌気性の破傷風菌にはものすごい繁殖環境を整えてしまうことになりかねないと聞きました。
 それから日本人は化膿止めの薬を使いたがります。傷口が乾燥してかさぶたができ、傷跡が残るのを嫌うので、軟膏や油薬をつけてひと安心という感じになります。それも破傷風には危険な状態になりかねません。
 なんだか破傷風をひとりで怖がっているかのように思われそうですが、ほんとうに怖がっています。日本では1968年からジフテリア+百日咳+破傷風の3種混合ワクチンが全国で接種されたのですが、百日咳成分の副作用による事故が発生して、1975年から一時期ワクチン接種率が著しく低下しました。いま50歳代の人を中心に、破傷風に対する防衛能力を持たない人がたくさんいるのです。
 破傷風菌は日本全国の土壌に潜んでいると考えられ、いったん体内に入ると命に関わる危険があります。以前は毎年200人というようなオーダーの死者が毎年出ていた病気でした。幼児期に予防接種をしておけばきわめて安全といわれますが、無防備なまま生きてきた人もいるからです。
 山で怪我をしたら水をふんだんに使って傷口を洗うことが最重要と考えますが、それは毒ヘビに対する対応でも同じです。サバイバル本によくあるように毒を吸い出すとか、傷口をナイフで広げて毒を出すなどは都合のいい作文です。英国の熱帯医学の本でも、一番重要なのはできるだけ速やかに傷口を水で洗って周囲に残っている毒液を洗い出すこととしています。毒ヘビにかまれたからといって毒牙から出た毒液がすべて体内に注入されたわけではなく、傷口にかなりのものがたまっているのだそうです。
 体内に入ったものはどうするかというと、虫毒吸い出し器(インセクト・ポイズン・リムーバー。注射器に似た吸い出し器) が有効です。丁寧に吸い出し作業を続けるとかなりの血液をとりだせますから、毒も吸い出すことが可能です。毒ヘビにかまれた現場に立ち会うチャンスはそうないでしょうから、ハチに刺されたときなど辛抱強く毒を吸い出してみるといかにすぐれた道具かわかります。


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3.月イチ登山の効用



月に1度の山歩きを始めて
3回目、4回目ぐらいで
「身体が山に適合していく感じ」がしたら成功


 運動は身体にいい、というのは常識ですが、身体にいい運動は何かということになると答えがなかなか出てこないのではないでしょうか。
 私がカルチャーセンターの中高年登山に関わるようになったのは1983年(朝日カルチャーセンター横浜) ですが、長い間、軽い山歩きは運動理論からすれば取るに足りないものとしか思えませんでした。
 ところが1995年以降、毎月1回の定期的な山歩きを複数の講座(東急セミナーBE、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクール、私自身が主宰する糸の会登山コーチングシステムなど) で同時並行的にやるようになると「月イチ登山」の意外な効用が明らかになってきました。もちろん、超初心者、これまで登山などとは縁のなかった人たちがターゲットの入門編山歩き講座です。
 最初に見えてきた効果は肉体的なものではありませんでした。数か月先までの予定の日にちをカレンダーに記入するだけで、生活に大きな変化が出てくるというのです。子どもの頃の遠足の日を思い出して、前の夜は期待と不安とで眠れない気分……だというのです。
 そのような気持ちの張りが山歩きのその日に生かされるようになると、1か月の生活がその日を中心に動き始めるといいます。身体の状態をその日に合わせようとするだけで、その1か月にメリハリがついてくるのだそうです。
 そして数か月経つと、出かける前の体調の不安が消えていることに気づくのです。体調管理に余裕幅がとれるようになったのだと思うのですが、確実な微調整が効くようになってきます。
 だいたい、月に1度の山歩きを始めて3回目、4回目ぐらいで「身体が山に適合していく感じ」がしたら成功と考えていいように思います。非力ながら自分の力をやりくりすることで山に登ることができ、終わると来月の山に向けて新たなひと月が始まるのです。
 毎月登山の効用はもう一つあります。同じスケジュールで山に出かける仲間が何人かいると「山友達」あるいは「山の同志」になっていきます。自分の体調だけでなく、周りの人たちの身体や生活の変化も自分を取り巻く環境の変化として参考になることが多いのです。
 とくに主婦の場合、その1日を自分のものとするために夫や子どもたち、あるいは介護の必要のある親たちとの関係も、あれば安定的に改善していかなければなりません。そういう「山行き互助会」というつながりが後に大変重要なものになったりします。山で会うだけの仲間ですが、みなさん、けっこう深刻な話をしていたりするようです。


指導する私にすれば
登りはほとんどがペースメークの問題だけです


 身体の変化ということでは、筋肉痛も初期には重要な役割を果たします。1回目の山では帰ってから生活に支障がでるほどの筋肉痛が出る人が多いのですが、それが2回目、3回目と軽くなって、あたかも自分自身、力がついてきたかのような印象を受けます。その筋肉痛が、筋肉が強化されるときの痛みだと知れば、自信にもつながっていきます。
 私は登山道では「軽い運動」をめざしていますから、パワーのない車で急坂を上るにはどうしたらいいかというようなテクニックを身につけてもらいます。高度計の中には上昇速度を測れるものがありますから「登坂スピード」を表示しながら登ったりもします。「時速300m」を基準にして、時速240m(毎分4m) から時速360m(毎分6m) の幅で情報を流しながら歩くと、自分の力と、登山道の状況とのマッチングが見えてきたりします。
 初心者の皆さんが心配しているのは登りのことですが、指導する私にすれば登りはほとんどがペースメークの問題だけです。歩くときのスピードも重要ですが、休憩の取り方がワザの見せ所です。技術的に奥が深いのは下りなのです。登りの疲労度もじつは下りを前提にして考えていなければなりません。そういうわけで、初心者の皆さんの登りでの成長は指導の本領とはあまり関係がないのですが、ご当人たちにとってはそれこそ「登山の成果」なのです。
 登りに無駄な力を使わないようになり、下りで転ばない基本的な歩き方が次第に身につけば(私の場合はダブルストックを使用して下りの技術レベルを一気に引き上げてしまいますが) 翌シーズンには大きな山へもチャレンジできる体勢がととのいます。次のステップに進もうとする人は「10kmを背負って10時間行動する」というレベルに到達してほしいのです。北アルプスなどでの小屋泊まり登山が視野に入ってきます。
 ただ、そのころになると、じつは「月イチ登山」では心許ないという意見が大半をしめます。ハードめの登山の日に、調子に不安が残るのだそうです。それを解消するにはコンスタントな「月2回」が必要というのが大方の意見になります。
 お読みになっている方は「なんだトレーニングカリキュラムじゃないか」と思われるかも知れませんが、カリキュラムにするつもりは全然ありません。
 上り下りで5時間程度歩いたからといって、月に1度きりでは運動理論から言ってもトレーニング効果はゼロに近いと考えていましたし、今もそうだろうと思います。しかし身体全体、生活全体に与える影響は驚くほど大きくて「生活に張りが出る」という意味では「月イチ登山」の効用は想像を遙かに超えるものがあります。


痛みは
交通信号でいえば赤ではなくて黄色です


 腰痛やひざ痛の人が無理をしない山歩きで回復する例も現実にあります。自分の身体の全部を使ってバランスを取り直すという効果は、部分的な能力効果を期待するトレーニング理論とは一線を画すものだと考えます。
 腰痛やひざ痛の人がいると、私としては一応レントゲン写真を撮ってみることを勧めます。「不安」は無限に拡大する危険がありますが、明らかな「危険」ならリスク管理が可能かもしれないという考え方です。その時、整形外科医には2種類あって、運動派と安静派に分かれます。「安静派にぶつかって1年損をした」という人がいました。筋力が決定的に落ちてしまったというのです。身体に無理がかかるかどうかの責任を誰がとるかの問題は残りますが、軽い運動はすべてをいい方向に動かす力を内在しているのは事実です。「登山」がそれに当たると考えるかどうかは人によりますが。
 一番シンプルな例を紹介します。歩いていて片方の足にマメができたとします。もう一方は何でもないという場合でも、遠からずそのマメは反対の足に伝染します。マメが直接伝染するわけはありませんが、片足のマメを意識しただけで、反対の足にもマメができるのです。
 ほんの小さなバランスの変化が、身体の特定の場所にストレスを蓄積させることは、いろいろな場面で感じることができます。ですからなにか異常を感じたら、まず左右のバランスを整えるようにして、きちんと歩くことが重要だと思います。
 多くの人は痛みに驚いてしまうらしく、すぐに薬の使用を考えますが、それこそ頭が不安を隠蔽するために欲しがっている状態です。痛みは交通信号でいえば赤ではなくて黄色です。ストレスを感じた身体から頭への情報提供と考えるのが妥当です。
 ですから痛みという報告は送られてくる頻度と、その中身によって重要度を判断しなければいけないわけですが、現場状況としてはまだ改善の余地がある段階だと考えるべきです。それが何度も繰り返される場合には、有効な手だてを考えなければならないということです。現場で問題を解決できなければ登山という行為そのものをやめるしかなくなります。


体温計を捨てるのです。
するとどうなるかというと
「微熱」に敏感になります


 この「痛み」とのつきあいを登山現場でいろいろ見てきましたが、多くの人は自分で自分の身体に責任をもつという意識が希薄だと思います。薬というお助けマンに頼りすぎます。じつは高度経済成長期の一億総サラリーマン時代に日本人は売薬依存体質に陥ったと思うのです。風邪薬がそのいい例です。明日の勤めに差し障りが出ないように、市販の総合感冒薬を1錠飲むのです。総合感冒薬というのは医師にいわせると「あまり効かない」といいます。効く成分も入れてあるのですが、万人向けであり、広範な症状向けであるために「総合化」してあるので、ターゲットがシャープでないのです。逆にいえば安全度が高いわけで、仕事のアクセルを全開から緩めるきっかけづくりという役割を果たしています。「風邪薬でも飲んで早く寝るか」という切り替えには有効だと思われますが。
 じつは若い頃、比較的長い外国旅行をしていた時期に「体温計が病気を作る」と考えていました。熱があるので体温計で測ってみて、38度あったとすれば、とりあえず病気です。なんだか分からないけれど、なにかの病気にかかっているのは明白です。
 かといって、病院に行くという選択肢はちょっと選びたくない状況です。発展途上国なら病院そのものが信頼できるかどうかわかりません。言葉の問題もあります。時間がどれほどかかるかも読めないし、もとより、西洋医学的にいう「病気」に適合しているかどうかもわかりません。なんだか理由は分からないけれど、体温が上がっているという事実がそこにあるわけです。
 さてそこで、体温計を捨てるのです。するとどうなるかというと「微熱」に敏感になります。ほんのちょっと体調がおかしいと感じたときに「熱っぽいかも……」という疑いを持ちます。するとその後、しばらくは体調の変化に注意します。簡単です。悪い方に進んでいるか、いい方に戻りつつあるか、です。当然の事ながら、食事の味わいや、食欲にも注意しますし、夜も早めに寝てみます。
 この「注意信号」のところで早めに監視モードに入るのが体温計を捨てた効果ということです。ついでにいえば、あまり効かない医薬品を捨てた効果とも同じです。


自分の身体の好調・不調の波を観察して、
自分の小さな努力で微調整できるという
自信を獲得することだと思うのです


 筋肉・関節系の痛みに関しても私は同様に考えます。人間の身体に備わっている機能管理のセンサーはとてつもなく高感度で高性能です。痛みという信号の変化をじっくり見ていくと、かなり陰影に富んだ内容であることも分かります。自分の身体が発している自分宛の信号を、解読したいとは思わないのかと私は思うのです。
 単独行ならともかく、私が行っている登山講習会のような場面であれば、いくぶんのリスクを覚悟で肉体と頭との通話実験をやってみることができます。とくに足がつるというようなケースでは、私は「歩けなくなることはありませんから大丈夫です」と保護観察にとどめますから、だれか1人の体験をメンバー全員で共有することができます。
 人間の身体は内臓のシステムだけでも巨大な化学工場ほどの処理施設だそうで、運動機能に関するセンサー(監視機能) とアクチュエーター(行動機能) のシステムは自動車や飛行機を越える精密なネットワークを構築しているのではないかと思います。そんな高度な科学的システムを自前で運営しているオーナーでありながら、栄養ドリンクや総合感冒薬、あるいは筋肉痛に効くという外用消炎鎮痛薬などに簡単に身柄を預けてしまっていいのでしょうか。専門家でも解明できていない分野が多いので分からないのは当然として、自分の身体の自浄能力ぐらいは認識しておいていいのではないかと思うのです。
 「月イチ登山」の一番大きな効用は、自分の身体の好調・不調の波を観察して、自分の小さな努力で微調整できるという自信を獲得することだと思うのです。自分のできる範囲で、という限定付きながら、頭は身体とコミュニケーションをとりながら、なんとかターゲットに向かって前進させることが可能ということを知るのです。登山では、頭と身体のコミュニケーションの基礎は、身体を左右のバランスを崩さないように動かし続けるというところから始まるのだと思うのです。


「月イチ登山」は
常識的な運動理論からすれば
ほとんど体力向上に役立つようには見えません


 そしてもうひとつ、頭が考えている以上に、肉体が強靱だという認識をしてもらうことが重要です。自分の頭が自分の肉体のどこかを強化したいと考えることこそ、愚かだと言いたいのです。
 山を歩いて振り返ると本当に驚きます。頭が思っている以上のことを肉体はやりとげてしまうのです。自分の頭の想定内の領域がいかに小さいか、逆に肉体の潜在能力がいかに大きいかを知れば、その部分をできるだけ素直に伸ばしてあげるべきではないかと思うのです。
 だからトレーニングが必要なのではありません。本番を重ねるごとに自分自身の知られざる能力と出会うことが、登山という行動で簡単に体験できるということなのです。死ぬほど苦労して頑張って、登頂して、そこでシャンシャンでは、あまりにももったいないと思うのです。
 自分の身体にめいっぱい働けるチャンスを与えたとき、予想もしなかったパワーが発揮された……。そのご褒美として登頂があるというふうに私は考えています。だから登山日和は晴れた日だけではなく、雨や風や、寒さ暑さの日にもあるのです。
 病弱な人生を過ごしてきたという人が、中年になってから登山と出会い。いまでは外国の山へもどんどん出かけている、という例を知っています。その人には高度に強いといううらやましい能力が隠されていたのです。標高4,000mを超えるあたりから、周囲の人を圧倒するようになるらしいのです。
 その人は最初は荷物を驚くほど軽くすることで自分の非力を補っていましたが、岩にも登る、冬山にも出かけるという体験を積むうちに、重いザックも積極的に背負うようになってきました。登坂力の強化は登山範囲の拡大に直接関わる課題ですし、安全係数を大きく取るためにも最も重要な要素だからです。
 話を戻します。「月イチ登山」は常識的な運動理論からすればほとんど体力向上に役立つようには見えません。しかし毎月のカレンダーに○印をひとつつけただけで、バイオリズムに似た登山リズムが浮かび上がり、主婦の場合は家庭内環境まで含めて、いろいろな動きを微調整しながら「その日」つまり「決行日」にすべてを合わせていくことになるわけです。生活の中にマネージメントという考え方が必要になってきます。
 カレンダーにつけられた丸印がひと月の区切りの日となり、そのひと月が自分の手の中に収められてくるというような感じではないでしょうか。実際に山歩きが身体に与える刺激はそれほどではないにしても、心に与えるリフレッシュメントは想像を遙かに超えるものです。そして何か月か経って気がつけば、ふくらはぎがすこし堅くなっています。登山道の登り・下りのパワーの向上をそこに垣間見ることができます。


だいたい
「トレーニングが必要」というドンブリ勘定が怪しい、
と私は考えるのです


 そういうことを予感して、登山インストラクターとしての私は、当初から「トレーニング禁止」としてきました。平均的な日本人は、登山を始めるというときに「トレーニングをしなければ」と考えます。出発までのあいだにできる準備のひとつとしてトレーニングを思いつくのでしょうが、これが百害あって一利なし、だからです。
 「やらないより、やったほうがいいだろう」というのは正論……に見えます。しかしそれはトレーニングをやらす頭の側の正論ではあっても、トレーニングをやらされる足(身体) の側にはいい迷惑に過ぎません。
 だいたい「トレーニングが必要」というドンブリ勘定が怪しい、と私は考えるのです。これからやろうとする登山という仕事に対して、恐らく自分は力不足だからすこしでも鍛え直しておかなくては……ということでしょう。司令塔としての頭の立場では「トレーニングをしろ」と命じればいいわけですが、それを受けた現場では弱点がどこにあって、それをどの程度補強しなければならないのかわからなければ手も足も出ないのです。それでも「やれ」といわれるので、走ってみたり、歩いてみたりするのです。トレーニングジムで筋力トレーニングまでやる人もいます。
 トレーニングをするためにはどこをどう鍛えるかというはっきりした目標が必要だということは明らかでしょう。しかし私はそういう方向へも進みたくないのです。
 頭が「トレーニングをしろ」という命令を発している場合、日本的な中央集権型統治にはまりこんでいると思いたいのです。登山では、そういう横暴な頭から身体を解放してやることがむしろ重要だということを発見したのです。
 リーダーである私はその登山に必要なエネルギーの総量を知っています。あちらの頭はそれを知らない。知るすべもない。にもかかわらずその登山を巨大視している。敵がどんどん大きな存在になっている。軍隊がしばしば仮想敵を強力にして軍拡競争に入り込んでいくのと同じです。不安や恐怖が頭を支配しています。
 私はそこで「大丈夫です」とは言いません。せっかくの手足解放運動が消えてしまうかもしれないからです。


山を下って振り返ると、
1時間前の山頂が
遙か彼方にあって驚きます


 その日、登り始めのペースをすこし早めにして、その人の歩きをさり気なく見守ります。案の定、バテ気味になります。「やっぱりトレーニングをしておけばよかった」と後悔しはじめます。日頃の運動不足も頭としては反省しないわけにはいきません。しだいに、このまま最後までついていけるだろうかという不安まで浮かび上がってきます。
 世の中ではこの状態も「シゴキ」というかもしれませんが、頭には大いに反省してもらわなければいけないのです。いよいよ私の出番です。登りの歩き方を基礎からやります。
 すでに紹介したとおりですが、まずはかかとで歩きます。平地の歩き方では後ろ足で強く蹴るのですが、それを登山道では禁じたいのです。それから前に進むという意識を捨ててもらいます。標準的な登山道では、頭が1歩前に出ようと考えると、身体を真上に持ち上げるための3歩分のパワーが同時に足に要求されてしまいます。単純に、それが初心者のバテの原因です。前に振り出した足のひざが曲がっていますから、そのひざを後ろに送りながら身体を真上にピョコンと持ち上げます。
 これから先どうしようと不安になっていた頭に希望がよみがえります。自分の非力な足でも今日1日何とかなるかもしれないと思い始めます。
 ここが「脱トレーニング」の最大の山場です。軟弱な自分の足でもなんとかやれるかもしれないと頭は思うわけですが、それだけではまだダメです。頭が思っている以上に、身体の側にはポテンシャルがあったと認識してもらうことが必要です。
 山を下って振り返ると、1時間前の山頂が遙か彼方にあって驚きます。しかし驚いているのは頭だけで、頭の経験値、あるいは想像力が肉体の能力からすればあまりにもちっぽけだったということです。そちらの方に驚いてもらわなければならないのです。
 軽い日帰りの登山でも、うまくすれば頭の横暴から肉体を解放することが可能です。頭が考えるトレーニングがいかにお粗末かという私の考えも理解していただけるかと思います。ですからトレーニングは不要なのです。登山のためにトレーニングする暇があるなら、別の楽しいスポーツをいろいろやっていただきたいと思います。自分の身体がどこで新しい自分を発見するかもしれません。


「つま先にきちんとした余裕のある柔らかな靴」をはいて
「靴ひもを痛いと思うところまできつく締める」


 ついでにつけ加えておきますが、登山のためには「登山靴」が必要ということで重厚な靴をみなさん買われますが、これも頭が望んで足が望まない結果です。たぶん「足首を保護する」という理由で選んでいるかと思います。
 ここで詳しく説明すると煩雑になりますが、本来の登山靴は靴底がしならないようにできています。岩の頭を踏むと(下駄で歩いているかのように) 振られますから、足首を保護しないと危険です。そういう意味でのマイナスをゼロに復帰させるための「保護」なのです。
 軽くて柔らかな靴(たとえばウォーキングシューズ、たとえばランニングシューズ、その他もろもののスポーツシューズやスニカー) だと尖った岩を踏んで歩くと滑らず、とても快適です。自分の足が解放されたという感覚になります。是非一度、痛そうな尖った岩を柔らかな靴で踏んでみてください。見るとするとでは大違いです。
 それに対してたぶん、柔らかな靴は爪を痛めるという反論があるでしょう。私は1,000回を遙かに超える登山講座を実施してきましたが、爪を痛める危険は登山靴・軽登山靴・ハイキングシューズでも各種スポーツシューズでも変わりません。いまでは「つま先にきちんとした余裕のある柔らかな靴」をはいて「靴ひもを痛いと思うところまできつく締める」のが爪を傷めないベストな方法だと考えています。たぶんほとんどの人は「頭で」きちんと結んでいるかと思います。しかしそうではなくて足が痛いところまで強く締めてみてください。歩き始めるとひもの締めぐあいは全体に均一になりますからジャストフィットの状態になると思います。靴が足の一部になっているはずです。
 さらに、ベテラン登山家からは、重い荷物を背負ったときには半端な靴だと足を壊すという意見が出るでしょう。私も長い間そう思っていました。しかし重い荷物を運び上げる強力(ごうりき) の人たちは、かつては地下足袋が一般的でした。尾瀬ではいま、安物の運動靴をはいた強力さんをたくさん見ます。私もランニングシューズ1足を1年間で履きつぶすようになってからザックの重さを20〜30kgにしています。年間100日程度、いつもその重さで歩いています。登山靴で音を立てて歩くような乱暴な歩き方の人がズック靴で重い荷物を背負ったら、当然足を壊す可能性が大きいとは思いますが。


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4.休憩といい風



登っていくと、
山の風は下界の風から上空の風に
はっきりと切り替わることがあります


 真夏の低山歩きには、暑い中、汗をかくために登るというようなマイナスイメージがあります。そういうなかで、その日の登山をすこしでも印象に残るものにしようと考えるとき、唯一手段として使えるのは休憩です。
 登山における休憩は1時間ごとに10分、あるいは30分ごとに5分というのが広く常識とされています。これがしばしば労務管理的に使われて、全員が時計を見ながらあと何分で休憩だと計算しながら歩いていたりします。
 私は休憩を労務管理的にではなく、舞台演出的に使いたいと考えてきましたから、基本は1時間に10分、30分に5分でも、その運用権は完全にリーダーである自分にあると考えています。そして時計を見ながら、風を待つのです。
 山では風は複雑な登場の仕方をします。一番わかりやすい例ですが、真冬の日だまりハイクでは晴れて富士山が遠望でき、強い北西風がビュンビュンと吹きつけるというのが常識的な構図ですが、たとえ北西側の斜面から登っても、登りでは風のないのが普通です。では山頂に立てば北風ビュンビュンかというとそうでもなく、無風・快晴の山頂でゆっくり休めたりします。
 ところが稜線の鞍部、峠とか乗越(のっこし) 、コルなどと呼ばれるところに冷たい風がうなるように吹き抜けていたりします。富士山の山頂に吹き付けるジェット気流も、その流れの底では山の地形に影響されて複雑な動きをしていると考えます。
 夏の風は冬ほど規則的ではありませんが、必ずどこかでいい風と遭遇できると考えていていいと思います。思いますが、駅を下りて真夏の太陽の照り返しの中を登山口まで歩いているときには、こんな日に山に来て、本当にバカみたいという気持ちになります。
 ところが登山道に入ると世界がちょっと変わります。水分を葉裏から蒸散させている植物の「体温」が低いので、人間の身体から輻射熱が奪われて涼しいのです。体感温度が森林では下がるのです。そこに微風でも吹けば、その風もすこし冷やされていますから冷気を感じます。
 それだけではありません。登っていくと、山の風は下界の風から上空の風にはっきりと切り替わることがあります。ある夏、甲府盆地で猛暑日になった日に桂川沿いの倉見山(標高1,256m) に登ったことがあります。暑さの中でのそれなりの心地よさを楽しみながら登ったのですが、山頂に立つと(少々大げさな表現になりますが) 寒いほどの風が気持ちよく吹き抜けていました。富士山頂のあたりに吹いている冷たい風が桂川の谷筋に吹き下ろしてきたのではないかと想像しました。
 山では風は、想像を超えた吹き方をします。そして登山道の登りで汗ばんでいるときに最高のプレゼントが心地よい風なのです。ですから私は休憩予定と心地よい風が都合良くマッチングするように心がけます。「休憩!」と言った瞬間に風がサーッと吹き抜けるという最高のプレゼントは演出家としての私の能力にかかっています。
 展望のいい場所での休憩も、きれいな花が咲いている場所での休憩ももちろん価値がありますが、いい風が絶妙に吹き抜ける瞬間をとらえた休憩に成功すると、私はちょっとニヤッとします。


その5分、10分休憩を、
リーダーである私は
ときに勝手に引き伸ばします


 それから、休憩にはもうひとつ別の役割があります。私は5分休憩では必ず水を一口含んでもらうことにして、10分休憩ではなにか一口食べてもらうことにしています。じつはまとまった昼食休憩というのを取らずに、5分休憩・10分休憩はすべて水分補給とエネルギー補給に当てているのです。
 これには多くの反対意見があるかもしれません。私もじつは山頂でソーメン、おでん、網焼き高級干物、コーヒー、紅茶、シャーベット風飲み物、持ち寄り宴会……などのイベントを試みた時期もありますが、参加者のみなさんが個別に熱いお湯や氷水、冷えたフルーツなどを持参できるようになってから、その種のランチ・イベントはほとんどしなくなりました。
 宴会登山の楽しさを知らないわけではありませんが、私の講習会では山歩きと自分の身体の会話の成立を重要な課題と考えています。そのためには水分とエネルギーの補給を個々人のスタイルに任せておきたいと考えるのです。昔、冬のカナダでスノーシュー・ピクニックに誘われたことがありましたが、食事はすべて各自持ち、それを味見程度に交換しながら自分のペースで食べていました。多民族国家で、かつ現在進行形の移民国家ですから、そこでいろんな文化がぶつかり合っていました。
 どちらかというと、それに近い個人主義が、山と自分の関係を直接向かい合わせにするのに向いているかと思うのです。
 その5分、10分休憩を、リーダーである私はときに勝手に引き伸ばします。私の行動記録にはたとえば「1005-10-15」などと5分休憩が10分に延びた例がけっこうあります。休憩の前提はそのままにして、私の独断で、勝手に延長したということです。
 みなさんの休憩を見ていて、もう少し時間がほしいとか、話が弾んでいるとか、5分延長することでその休憩が気持ちいい思い出になるならそちらも大事だという考え方です。
 しかし、もっと大きな意味がある休憩延長があります。それは疲労回復のための休憩延長です。
 昔、1泊2日の八ヶ岳・赤岳登山で5人の心拍数を同時進行で1分ごとに28時間半連続記録したことがあります。(『がんばらない山歩き』)
 登山での個人差が心拍数にどのように現れるかを調べてみると、たとえば高所恐怖症の人は、それが心拍数にはっきり示されることも分かりました。しかし一番重要だったのは、バテた人がいた場合、5分休憩では心拍数が落ちきらないということでした。そういうときには意図的に時間を延長させる必要があるということが明らかになったのです。
 しかし5分休憩を10分休憩に格上げするというふうには考えませんでした。リーダーとしての私が全員に対して話を始めるなどして、そのせいで休憩時間が延びてしまったというふうにするのです。
 というのは、心拍数が落ちきらないのはたいていひとりです。その日最初にバテた人に負荷がどんどん集中していくからです。もちろん予備軍が何人かいるかもしれませんが、ターゲットとなる人を明らかにしない方がいいという場合が多いのです。その人のために休憩を延長するというかたちではなく、リーダーの勝手な話で休憩がズルズルと延びてしまったという演出も必要です。ターゲットとなったその人がその後回復するようなら、それはリーダーのペースメークのミスであったという可能性も大きいのです。
 もうすこしオープンなやり方では、全員で休憩後1分と2分の心拍数をとってみるというような試みも有効です。心拍数の落方でバテ気味の人が明らかになります。チーム公認の観察対象としてしまうのもひとつの方法です。


苦しい思いをしたからこそ登頂の喜びがあるという人は
けっこう不幸な登山を
体験したのではないでしょうか


 休憩は、ときに重要な行動管理の手法となります。画一的な休憩では見えてこない微妙なコントロール機能として使うときに奥深さを感じます。そういうときはさらに、心地よい風や、敵対的な風の影響も大きくなります。
 苦しい思いをしたからこそ登頂の喜びがあるという人はけっこう不幸な登山を体験したのではないでしょうか。その日1日気持ちいい汗をかいて、気持ちいい風を感じながら、このまま一日中歩いていける……という錯覚のうちに頂上にたどりつけたほうが絶対にハッピーだと思います。休憩という名の演出と吹く風の価値に気づいていただきたいと思います。
 9月の下旬に南アルプスの赤石岳に登ったときのことです。山小屋4泊で荒川岳から赤石岳へと回ったのですが、その日は素晴らしい天気でした。晴れて無風、快適な気温でした。その時の行動記録を見てみると「1010-1200-30」と書いてあります。赤石岳に着いたのが10時10分で、そのときに約2時間という休憩を決めたのです。
 何をしたというのではありません。無風・快晴。天気がいいというだけでなしに、展望が素晴らしかったのです。南アルプスは、北は塩見岳〜北岳〜仙丈ヶ岳〜甲斐駒ヶ岳、その先に富士山も八ヶ岳も北アルプスもありました。南は聖岳〜光岳とありその先に浜名湖も見えました。中央アルプスや御嶽山、それから恵那山まで。日本の高山のほとんどすべてが一望できたのです。
 なんというか、そんな日にそんなところに巡り合わせたこと自体が奇跡という感じもして「昼寝休憩」と称して、無為の時間を過ごしたのです。退屈でもあったかもしれませんが、価値のある時間の流れという意識はあって、できれば夕日が落ちるまでそのままでいたいと思わせるほどでした。でもそうもいかないので赤石小屋までの所要時間を見積もって、さらに30分の休憩延長を決めて打ち止めとしたのでした。


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5.足元の小さな花



花そのものは小さくても、
背景の全部を背負って立っていたという
存在感があればこその「山の花」だったのです


 レンゲショウマという花をご存知でしょうか。ここで説明しようとしても実際の姿に近づけるとは思いませんが、1属1種、世界で日本にしかない固有種で、森林の中に細い茎をしなやかに伸ばして、先端部に小枝を張り出してまん丸のつぼみを3つ4つぶら下げます。つぼみの色は緑から青、開くと薄い紫の花びらに見えるのがガク片でその下向きの中央に濃い紫色の10枚近くの花弁が開ききらない花をつけています。
 一度見たら忘れられないこの花は本州中部の太平洋岸に分布の中心があるというふうに図鑑には書かれているのですが、もっとはっきり言えば富士山の北側に広がる御坂山地から中央本線沿線の道志山塊、南大菩薩の山々にかけて、足元に咲き乱れるレンゲショウマを見ることができます。ですから私はお盆前後にはこの山域のどれかの山を必ず計画に加えます。
 「足元に咲き乱れる」と書きましたが、多くの登山者はそういう花を期待して夏の山に向かいます。極めつけは日本アルプスや八ヶ岳、白山などのお花畑。東北から北海道にかけての多く山にもそういうお花畑が広がっています。
 無骨な登山者が「お花畑」と「お」をつけて呼ぶのはときにおかしくもありますが、森林帯を越えた岩稜に雪解けとともに一気に咲き誇る高山植物は「お」をつけるにふさわしい異次元の風景となっています。
 そういう、圧巻ともいえる山の花は、もちろんそこまで時間と労力をつぎ込んでたどり着いた人だけが見られるものですから価値があるだろうということは素直に想像できるかと思います。
 それに対して真夏の低山で私たちが普通に見るのは、そんな「お花畑」ではありません。その日1日の山歩きの中で、足元に見つけた1輪か2輪の山の花……たった1輪か2輪、ということも多いのです。1日の収穫としてはあまりにも貧弱といえるかもしれません。しかし私たちは逆に、その1輪か2輪の花が印象に強く残ったりするのです。
 山の花ですから、辛辣に言えば貧弱です。同じ名前の花、たとえばイカリソウ、ホタルブクロ、オダマキ、マツムシソウ……など、花屋に並んでいる花は大きくて色鮮やかで、ともかく立派です。立派な花々が競い合っている中にいますから、1歩でも前に出る花が偉いという感じの競争社会の中で存在感を主張している感じがします。
 山の花は違います。足元の小さな花に私たちの目が引きつけられてしまうのです。花屋に置いたらあっという間に生存競争に敗れてしまうような控えめな花なのに、私だけでなく、多くの人が目を奪われてしまいます。
 初めのうち、その理由がわかりませんでした。あまりにも花が少ないのでたまたまあったその花が目立った、というような感じもしました。ところがイングリッシュガーデンというのを知って、意味がわかったのです。英国風の庭造りにも花いっぱい作戦のようなものはもちろんありますが、背景の緑が圧倒的です。緑の空間を演出しておいて、そこに花が登場してくるのです。そういえば日本の伝統的な庭園の借景も背景の価値を計算しているわけです。
 そういう庭造りと比べると山の緑は圧倒的です。その緑の中に、小さなその花は主役を張っていたということに気づいたのです。花そのものは小さくても、背景の全部を背負って立っていたという存在感があればこその「山の花」だったのです。
 可憐であったり、けなげであったりという擬人的な印象もありますが、たいていは色です。多くの人の目を引くその花はたいてい、止まってのぞき込むに値する色を見せているはずです。


小さな群れを図鑑の中でひとつひとつ確認していくと、
じつは想像していたよりはるかに多くの花々が
道筋にあることがわかります


 ヤマユリの大輪があればゴージャスですが、クルマユリが一輪、黄色い花をパッと開いているだけで、山全体の風景が変わります。そういう花が、真夏の低山にも1本や2本、間違いなく待っていてくれるのです。
 ……というわけであまり期待せずに出かけてみると、沢筋にツリフネソウやキツリフネの群落があったり、ものすごく美しい曲線美を見せるオカトラノオが出てきたり、ピンクのシモツケソウが道際に縁飾りを作っていたりします。
 ちなみに花の名前を律義に覚えようとしないほうがいいと私は考えています。AKB48の中から気になる顔が見つかるように、なでしこJAPANになじみの顔ができるように、気になる花が目に飛び込んでくればいいのだと思います。そのうちに図鑑を見れば「あ、この花」と指させるようになります。とりあえずその名前を覚えればいいのです(その先に進もうとするといろいろと難しくなります) 。山歩きを続けていると、そういう馴染みの顔がしだいに増えてきます。楽しさがもう一つ加わります。
 そういうランダムな出会いをさらに濃密に期待できる初心者向きのルートが北アルプスにあります。八方尾根です。八方尾根は長野オリンピックで滑降競技が行われました。スタート地点を上方の保護地域にまで引き上げられるかどうかでもめましたが、そこまで、私たちはロープウェイとリフトで上がれます。標高約1,850mの第1ケルンです。ここには八方池山荘があって、休憩できますが、宿泊も可能です。今日の天気がどうなるかなど、登山情報を聞くことも可能です。
 そこから標高2,086mの八方池までは登山道も整備され、観光客の観光歩道となっています。花は足元に咲き乱れていますが、観光客のみなさんにはむしろ白馬三山や五龍岳・鹿島槍ヶ岳といった山岳景観に目を奪われるだろうと思います。風がなければ八方池の湖面には白馬三山が逆さに映ります。
 おすすめしたいのは、スタート地点の第1ケルンのところで『白馬八方尾根花の旅』というガイドブックを購入することです。すると足元に出てくる花がその図鑑に見つかります。小さな群れを図鑑の中でひとつひとつ確認していくと、じつは想像していたよりはるかに多くの花々が道筋にあることがわかります。漠然と見ている花と、個々に違いを見分けながら対面していく花々とではずいぶん印象も変わります。
 そしてその花の道は八方池を過ぎてからいよいよ本格的になるのです。登り切った標高約2,600mのところに唐松岳頂上山荘がありますからそこに泊まることにすれば第1ケルンから約4時間の登りをさらにゆっくりと歩く楽しみを発見することができます。


雪が融けた登山道脇に
カタクリ、オオミスミソウ(雪割草) 、シラネアオイが
無制限に咲き競っているように思えます


 みなさんご存知の尾瀬のケースをご紹介しましょう。雪解けのミズバショウと真夏のニッコウキスゲ、秋の紅葉が尾瀬の三大ピークかと思います。山小屋もいっぱいになり、宿泊制限になる場合もあります。
 私は尾瀬に7回出かけていますが、まだニッコウキスゲをほとんど見ていません。つまり夏のシーズンに出かけたことがないのです。それは最初の体験が素晴らしかったからです。
 20人ほどの人を案内する計画を立てるときに、混雑して木道の一本道が渋滞する光景を想像して、ちょっと弱気になったのです。ミズバショウが終わり、ニッコウキスゲが出てくる前の、端境期ならすいているに違いないと、6月下旬の梅雨時にしたのです。
 これが大当たりだったのです。尾瀬の花図鑑を手にして尾瀬ヶ原の木道を歩いていくと、足元に次から次に、図鑑の花が登場します。主役の出ないつなぎの時期を脇役総出で埋めてくれているという感じ。たくさんの花と出会うことができました。
 もちろん花で名高い山にもいろいろ出かけました。北アルプスでは白馬岳から雪倉岳を経て朝日岳へ、そこから蓮華温泉へと下る山小屋2泊の旅は花で知られたルートです。登山道を歩いている3日間、大げさに言えば花がとぎれることがありません。ですがその最後の最後、突然そこだけにトキソウが道端に何本も現れたのが記憶に強く残っています。
 また薬師岳から花の五色ヶ原を経て立山に抜けるルートでは、鳶山の登りでリンネソウ(めおとばな) が次から次へと現れました。北アルプスを代表する「お花畑」を小さな花の小さな群れが圧倒したという体験です。
 山の花に魅力を感じるようになると、東北や北海道の山に目が向きますが、日本海岸に出るだけで、花のありようはガラリと変わります。一番わかりやすいのは佐渡。雪が融けた登山道脇にカタクリ、オオミスミソウ(雪割草) 、シラネアオイが無制限に咲き競っているように思えます。本州側の角田山のカタクリもピンクの絨毯のようになりますが、新潟県最北部の鷲ヶ巣山では雪が解けた登山道にはずっとイワウチワの縁取りがありました。


場面転換の多い演劇のようなストーリー展開と考えれば、
他に例を見ない花の山です


 ある年の7月末に、富士山の南にそびえる愛鷹山の最高峰・越前岳(一五〇四メートル) に登りました。雨の1日で富士山も見えずに終えたのですが。下山したところで長靴をはいた登山者に出会いました。そんな天気の中で親近感を覚えたのか、じつは雨で毛無山に登れずに転戦してきたというのです。
 彼が言う毛無山は富士山の西麓にそびえる山なのですが、この時期、山頂稜線にはシモツケソウの大群落があるというのです。この時期に毛無山に登る人はいないわけはないでしょうが、山頂のその大群落を見ている人はあまりいないというのです。
 お花畑情報はたくさんありますが、時期はその年ごとに少しずつずれています。毛無山の主のような登山者から太鼓判を押されたので、8月最初の山を急遽、毛無山に変更したのです。
 朝霧高原の麓集落(東京農大富士農場があります) から登ってみると、不動の滝を遠望する展望台があり、5合目あたりから道端にシモツケソウが咲いています。ポピュラーな花ですからどこででも見られますが、たいていは脇役に徹しています。しかし毛無山では確かに主役であるらしいと感じました。
 そして山頂。山頂の表示は1,946mの三角点のところにありましたが、じつはそれはお花畑の玄関口に過ぎません。そこから標高1,964mの「毛無山最高点」まで行こうとすると、足元にまつわりつくようなお花畑が続いていました。
 この体験があって、標高2,000mを超えない山にも見るべきお花畑があるということ知ったのです。そして南大菩薩の大蔵高丸(1,781m) と出会いました。この山は大月市が制定している富嶽十二景の山なのでインターネットで見ると富士山目当てで登っている人がほとんどです。しかし私はこれまで17回登っていますが、富士山の全貌を見たことは1回もありません。幸いなことに……。というのは薄曇りから霧雨あたりが花を見るには一番いいのではないかと思うのです。負け惜しみが半分入っていますが。
 大菩薩峠から小金沢連嶺と呼ばれる山並みを南に下って笹子峠まで歩いてみると、その縦走路の道際を埋めているのはササと想像していただいていいのですが、黒岳(1,988m) の下りから、ササの隙間に花が咲き乱れるようになるのです。下ったところが標高約1,600mの湯ノ沢峠。林道終点の駐車場と、トイレ、避難小屋があります。タクシーも上がってくれるので花を見る場合にはJR中央線の甲斐大和駅から直行してしまいます。
 峠から大蔵高丸(1,770m) へと登る道筋に大きな花の斜面が広がっています。まろやかな稜線に花畑が広がっているのですが、これが一番大きな規模。大蔵高丸からハマイバマル(1,752m) を経て大谷ヶ丸の手前、米背負峠までが花の回廊です。ササが花たちを圧迫しているのか、花たちがササの進入を阻止しているのかわかりませんが、それぞれの力関係によってサイズの違うお花畑が次々に登場します。
 花は高山植物の図鑑に出ているものが40種以上ありますが、それがお花畑ごとに顔ぶれを変化させながら続くのです。見はるかす花の乱舞を期待している人には貧弱に見えるかと思いますが、場面転換の多い演劇のようなストーリー展開と考えれば、他に例を見ない花の山です。
 その中で主役の座を張っているのが青いトラノオです。しかもこの青いトラノオはあきらかに2種類あるのです。青い花の穂が数本伸びているものと、1本だけのもの。ところがそのことに触れている図鑑がまだ見つからないのです。写真を拾い見ていくと、白馬岳のあたりには広卵形の葉をもつヒロハトラノオ(広葉虎之尾) の変種とされるヤマルリトラノオ(山瑠璃虎之尾) というのがあるようです。その写真は(たまたまかどうか) みな花の穂を1本すっきりと立てています。
 地元のパンフレットには「ルリトラノオ」という名があるのですが、ルリトラノオは下界で広く栽培されているものの、どの図鑑を見ても自生地は伊吹山に限定されているようです。南大菩薩の青いトラノオはなんなのか。ヤマトラノオ(山虎之尾) であることはたぶん間違いないと思うのです。あるいは葉が細く(狭披針形) 、葉柄があるものをヒメトラノオ(姫虎之尾) と区別しているとも書かれています。ヤマトラノオの葉は広披針形で無柄というのです。こうなるともう、私のような素人には混乱状態だけが残ります。無知故のミステリーだと思いますが。
 花の回廊の最後に当たる米背負峠の周辺では以前はレンゲショウマがたくさん見られたのですが、急激に減ってしまいました。それでもこのルートは、首都圏からの日帰りでは有数の花旅の山と考えています。
 登山ガイドではさらに大谷ヶ丸を越えて武田氏滅亡の景徳院への道をすすめていますが、米背負峠のところで携帯電話の電波状況を細かく探ると、甲斐大和駅からタクシーを呼ぶことができます。沢筋に1時間ほど下ると林道に出ます。タクシーはそこが米背負峠登山口と理解してくれています。タクシーを呼ばずにそこからゆっくり歩いても2時間ほどで公営のやまと天目山温泉に入れます。


葉はしだいに老人斑を加え、
枯れて、縮んでいきますが、
最後までヤグルマソウであり続けます


 せっかくですから私がぜひみなさんに注目していただきたい花(?) があります。ヤグルマソウです。みなさんご存知の矢車菊ではありません。トリアシショウマやチダケサシの仲間……といっても分からない人が多いでしょうが、花は地味で、長く伸びた茎の先に花びらのない小さな白い花が連なって小枝を張り出すように咲いています。
 でも、花はあってもなくてもいいのです。印象的なのは5枚の葉、鯉のぼりの竿先につける矢車をダイレクトに思い起こさせる5枚の葉が臆することなく広がっています。真夏の壮年期には周囲の植物をすべて葉陰に押し隠して山の斜面で天下を取ったような表情をしています。近くにハリブキがあると、お互いに領有権を主張して対峙している気配を感じたりします。
 一度見たら忘れる心配のないその葉は、樹林帯の登山道でごくありふれた光景として見られるのですが、春先の出始めにはやわらかな小さな葉を広げつつ、おずおずとした雰囲気があります。そのころにはヤブレガサという個性的なおさな子にすっかり人気をとられていますが、次第に力をみなぎらせて青年期にかかります。おずおずと五枚葉を広げ、その葉を連ねて自分たちの生存領域を次第に明確に主張し始めます。
 そういうストーリーならいろいろあるでしょうが、ヤグルマソウの魅力を感じるのは老年期です。葉はしだいに老人斑を加え、枯れて、縮んでいきますが、最後までヤグルマソウであり続けます。最後の最後までその人生を語り続けたいという意志を感じるのです。花にまつわるドラマはいろいろあるでしょうが、葉がこれほどまで自分を語るという例はそうないと思うのです。
 私はもともと花好きというわけではありませんでしたが、ゆっくり歩くうちに必然的に小さな花に目がいくようになりました。女性たちも必ずしも最初から花好きばかりというのではなくて、ほとんど関心がなかった人が急激に「花博士」になっていく例を何人か見ています。山から帰って花の図鑑を見るだけで見た花への理解が深まります。周囲の人に聞かれる事も多くなりますから、1年もすると相当の知識レベルになっていきます。登山では植物観察が主体でないので現地で立ち止まっていろいろ調べるというわけにいきません。ですから山に出かけるごとにすこしずつ分かっていくという感じですが、2年目には旧知の花との再開というようなケースも多くなり、年ごとに花との関係が深まっていくという感じになります。
 もちろん時期のズレによる運・不運もありますが、花を求めて山に登るのも、山に登って花と出会うのもそれぞれに印象深いものがあります。ただ登山そのもののグレードを高めるべく頑張っている人たちは、あまり花を見ていないようです。足元を見つめてなんていないからです。若い頃にかなりたくさん山に出かけていた人もいるのですが、歳とって、山をゆっくり登るようになって、初めて足元の一輪の花に気づいたという人が多いのです。
 登山を「軽い運動を長時間」続けるものと見切ったときに、視野の中に山の花が飛び込んでくるようになるのではないかと思います。


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6.山小屋のメシはなぜうまいのか



週末の混雑が終わると、
小屋のオヤジさんは札束と米を
運び下ろしたといいます


 車で行けない山奥にあって、水も不自由、電気も不自由というような山小屋では、ろくな食事も出ないと考えるのが常識的だと思います。もちろん行ったことのない人の想像ですが、じつは「山小屋を知っている」という人の中にも、断固としてそういう意見を言う人が多いのです。
 ずいぶん昔の話ですが、学生時代の私は山小屋に泊まるのは三重苦でした。ひとつは宿泊料、それからまずいメシ、寝る環境も劣悪でした。それと比べればテントは御殿でした。テントと調理具と食材を持ち上げる労力さえ惜しまなければ、天下を取ったような有頂天の山歩きができたからです。山小屋に悪い思い出を持っている人は意外に多いのですが、それが私のような昔の山小屋体験を引きずっている例が多いのではないかと思います。
 ある山小屋で昔の話を聞きました。日本の登山ブームは1956年(昭和31) のマナスル初登頂を契機としています。世界にたった14座しかない5,000m峰のひとつに初登頂したのですから、オリンピックで金メダルを取った以上の騒ぎでした。昭和30年代の登山ブームで多くの登山道が拓かれ、山小屋も次々に建てられていきました。「避難小屋の役目も果たす」ということで国有林に借地して掘っ建て小屋が建てられると、それが国土地理院の地形図に記載されました。個人経営の宿泊施設ながら、公共施設の扱いを受けたのです。
 その時代、山小屋経営者は登山道を整備し、食材を強力(ごうりき。荷運び人夫) を雇って運び上げました。しかし人力で食材を上げるには限りがあることから、当初、宿泊者は自分の食べる米を持参するのが普通でした。
 そういう時代、週末の混雑が終わると、小屋のオヤジさんは札束と米を運び下ろしたといいます。メニューは夕食がカレー、朝食がみそ汁と決まっているような時代でしたが、そのカレーが不味ければ、小屋から運び下ろす米が増えたというのです。
 意図的にまずいメシを出したところが結果として儲かったかどうかはわかりませんが、人気の山小屋は下界にホテルを建てたり、冬の仕事としてスキー関連の事業を展開するようになりました。


私だけでなく中高年のみなさんが、
おかずの類を持参するという例をほとんど知りません。
必要がないのです


 ところが山小屋経営には構造的な問題がありました。北アルプスに三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋を開いた伊藤正一さんは1964年の本(『黒部の山賊』実業之日本社) で原価400円のセメント1袋をボッカ(歩荷) すると運賃が10,000円かかると書いています。その強力には食事も支給するので、悪天候で強力が小屋に滞在すると荷揚げした米がすごい勢いで消えていったという話も書いています。
 伊藤さんはもともと東京の人ですからいろいろなアイディアを試しています。飛行機による空輸の先駆者でもありましたし、後に林野庁が赤字補填のために考えた山小屋の売上げに連動する地代に最後まで反対し続けたことでも知られます。伊藤さんの合理的な考え方からすると、山小屋経営の隘路は、人力による荷揚げの限界にあったのです。山小屋では客が多すぎてもピンチだったのです。
 ヘリによる空輸が一般的になると、山小屋の経営がガラリと変わりました。宿泊客が多くなればその分ヘリを飛ばせばいいのです。北アルプスの人気の小屋では、シーズン中は毎週のようにヘリで荷揚げをしているのではないでしょうか。
 もちろん資材も空輸できますから、自家発電の環境がよくなり、小屋によっては24時間発電というところもあります。定時発電の場合には冷凍庫が使えますが、24時間発電になると冷蔵庫の利用が可能になります。
 食材もレトルト食品や冷凍食品が使えるので、アルバイトでも料理を出せるファミリーレストラン同様の運営システムを導入できます。米を炊くのはもちろんプロパンガスの圧力釜です。
 一時期、米の大凶作でタイ米などをレストランでは強制的に使わなければならなくなった時期があります。山小屋では昼食用に弁当を作りますから、冷たくなっても食べられるように、タイ米をずいぶん研究したそうです。ファミリーレストランと同様の開発力を先進的な山小屋は身につけていました。
 私は1983年からいろいろな山小屋に泊まっていますが、私だけでなく中高年のみなさんが、おかずの類を持参するという例をほとんど知りません。必要がないのです。
 山の水と同じで、山小屋の食事をそのまま下界に下ろしたらどんな味かはわかりませんが、山ではおなかがすいています。見た目貧相な食事でも、ありがたいという姿勢で食べ始めます。すると「おいしい」のです。ご飯も、地元のきちんとした米を使っていて、弁当にしてもおいしいという例が普通になりました。ぜいたくではないけれど、十分においしいという食事がほとんどなのです。
 いま、この時代にカレーを出している山小屋もありますが、それが人気の山小屋なら、カレーには相当の自信を持っているはずです。
 丹沢登山のカナメというべき塔ノ岳山頂の尊仏山荘は夕食がカレー、朝食がおでんと決まっています。長い間私たちはその「具ナシカレー」の謎にとらわれて、登山計画からわざわざ尊仏山荘をはずした時期もありました。
 尊仏山荘のホームページを見ていただくとわかりますが、そのカレーは具ナシなのではなく、消化を良くするために徹底的に煮込んであって、具が形をとどめていないのだそうです。そのことを確かめるために、私たちは何度もお代わりしたりしたものです。もちろん味は下界でも十分通用すると思いますし、サラダもたっぷりついています。
 奥秩父連峰の山小屋はネットワークを組んで「東アルプス」と主張していますが、その中心が甲武信(こぶし) 小屋です。この小屋もカレーのみという潔い経営方針を貫いているのですが、最初は少な目に盛って、あとは満腹までいくらでもご自由にという気持ちいい食べ方をさせてくれます。もちろん味は下界でもグーでしょう。
 白馬(しろうま) 岳の山頂には地元資本の白馬(はくば) 館が運営する白馬(はくば) 山荘と白馬(はくば) 村が運営する白馬(はくば) 岳頂上宿舎があって、宿泊定員は合わせて(なんと) 2,200人です。以前はたしか2,500人とされていましたが、そこに定員の2倍の登山客が押しかけた日のレポートを本に書いたことがあります。高い料金を払って、館内には天国と地獄が交錯していました。(『がんばらない山歩き』)
 それから10年以上経っていますが、基本は同じです。食事付き宿泊者が食堂で8回入れ替えするのを深夜まで待っているとき、別棟のレストランではゆったりとステーキやカレーを食べることができました。村営の頂上宿舎の方でも通常の夕食にプラス料金を払えば別棟のレストランでステーキが食べられます。山小屋は山岳ホテルへの変身願望をかなり強く抱いています。
 北アルプスの山小屋の宿泊料は2食付きで9,000円前後となっています。素泊まりは6,000円前後になりますが、与えられるのは幅45cmの半畳分。すいていれば布団1枚もらえますが、定員では布団半分。それで1泊6,000円なんです。ビジネスホテルに泊まれる値段です。しかも年に何回か、定員オーバーのときにも、山小屋はなんとか収容しようとする結果、布団1枚に3人が寝るという混雑が(値引きなしに) 発生します。それを避けたい人は、特別料金の個室を確保しておかなければなりません。
 下界の人は恐ろしく高い宿泊料だと思うでしょうが、そういう相対的な比較論は、山小屋では吹っ飛んでしまうことが多いのです。おいしく、腹いっぱい食べられる食事と、足を伸ばして寝られる空間と、夕日と朝日の風景があれば、金額では評価できない絶対的な価値がそこにはあるからです。高いと思う人は驚くほど軽量化されたテントと、ゴージャスなメニューも可能なフリーズドライの食料を持ち上げればいいのです。1人500円程度でテントの一夜を楽しめます。
 山小屋の食事は、民宿の食事と同じぐらい幅があるかと思います。しかし中高年の主婦たちもみな「おいしい」といって完食するレベルには達しています。逆に言えば、山小屋の食事がおいしいなら、体調は万全です。明日も楽しい山歩きが待っています。


風情があるのはわかるけれど、
設備がちょっと悪すぎる……と
観光客が感じる旧館がねらい目です


 東北の山では麓の温泉宿に泊まって、前泊+日帰りで楽しめることが多いので、平日に実施するのを楽しみにしています。なぜ平日かというと、観光シーズンの休日になると収容キャパシティの小さな東北の宿は、軒並み満室になってしまうからです。
 温泉旅館+日帰りの山で計画を立てるときに、私が理想とするのは一軒宿の温泉で、すきま風が吹き込むようなところ、です。いまこの時代にそういう宿が残っているとしても、よほどの温泉マニアでもないと、なんだか寂しい気持ちになったりします。ところが登山モードなら山小屋が基準ですからすきま風が入っても御殿です。バス・トイレが無いと言っても、戸外というわけではありません。床のきしみも風情のうち、という楽天的な気分で一夜を楽しむことができます。もちろん宿泊料は割安です。登山モードでなければ絶対に泊まれない宿かもしれません。
 ところがすきま風が吹き込むような宿は現実にはほとんどなくて、新建材の建物に建て変わっていたりするのでがっかりです。結局、由緒ある古い宿の旧館や、温泉宿の湯治棟も調べてみたりします。
 ですから「バス・トイレなし」という部屋を持っている宿があればその理由を知りたくなります。今どき、なんでそんな部屋が残っているのか。それでも泊まる客がいるとするなら、どんなイメージの宿なのかと考えます。私の場合、湯治湯は選択範囲に入れておきたいと思いますが、若者対象の合宿施設は敬遠気味に調べます。いいオトナには食事の好みが完全に食い違っていることが多いからです。それから釣り宿も警戒気味に調べます。魚料理はいいとして、仮眠して出かける釣りモードの宿泊パターンが、登山とちょっと違う文化だと感じることがあるからです。
 視野を広げてみると、下界の、有名温泉街にもそういう宿が見つかります。安い宿ももちろんありますが、老舗旅館にあって、割引きプランとなっている旧館が多いのです。風情があるのはわかるけれど、設備がちょっと悪すぎる……と観光客が感じる旧館がねらい目です。
 温泉宿ではありませんが、真冬に六甲山に出かけるときには山の上で泊まる候補がふたつあります。ひとつは1929年創業の六甲山ホテル。阪急・東宝グループの創始者小林一三ゆかりの旧館がほとんどそのまま残っています。その旧館が割安パック料金で泊まれるのです。夕食の肉はちょっと控えめですが、木造二階建ての旧館はすばらしいの一言です。
 もうひとつはオテル・ド・摩耶。元は国民宿舎だったところでイタリアン・レストランの宿となって10年余になります。庭に設けられた開放感抜群のジャグジーからの夜景はなかなかのものです。
 どちらも1泊2食つきで10,000円前後という料金が(通年とはいえませんが) 設定されています。ザックを背負って宿に着き、翌朝またザックを背負って歩き出すというスタイルでは、贅沢感いっぱいです。
 冬の志賀高原では山麓の渋温泉の古い温泉街が印象に残っています。宿で満願成就の手ぬぐいと鍵をもらって、9つの外湯を巡ります。登山のグループは元気ですから、少人数に分かれての湯巡りレースになったりします。
 同様の湯めぐりは各地にありますが、花の秋田駒(秋田・駒ヶ岳) では、前日、乳頭温泉の7つの宿を巡る湯めぐりハイキングが好評です。とくに鶴の湯から蟹場温泉にかけての山道は浴衣の観光客には無理でしょう。
 昔、テレビのミニ番組を作るため「歩いていかないと泊まれない温泉宿」を北関東〜南東北で探したことがありました。
 奥鬼怒にいくつか秘境の宿がありますが、車が入れるようになって巨大化を進める宿がある一方、創業当時の雰囲気を残そうとしている宿もありました。手白澤温泉は古い木造の建物で、小さくゆがんだガラスをはめ込んだガラス戸がピッカピカに磨かれていました。玄関もきれいに掃き清められていました。尋常でない清潔感の宿でした。裏手にある露天風呂は囲いなどなく、眼前の山を独り占めするような豪勢なもので、温泉が湧き出ていたその場所に建てた山小屋の、当初の雰囲気が残っていました。
 その宿は料理も魅力ということで泊まりたかったのですが取材は女性タレントの入浴シーンを撮ったら次へ移動。その後なんとかして泊まる機会を作りたいと思ったのですが、「グループお断り」という規則で断念しているうちに、新しい建物になり、いいかたちで洗練された一件宿になりました。
 磐梯山の中腹には中ノ湯という温泉宿がありました。1888年の大爆発で山体の北斜面が大きく吹き飛んだのですが、危機一髪、その難を逃れたのが中ノ湯でした。磐梯山ゴールドラインの八方台登山口から閉鎖された車道を30分ほど登ったところにありました。
 テレビの取材ということでもちろん連絡はしてありました。ところが玄関には鍵が掛かっていて、ガラス越しに交渉して開けてもらうと、この玄関も靴を脱いで入るのかと思うほどのきれいな土間。風呂は木製の古い大きな湯船でしたが、デッキブラシでこすった後、歯ブラシで年輪のひとつひとつを磨いたような感じがしました。年寄り夫婦かと思いましたが、息子さんが母親をケアして営業を続けていました。怖いもの見たさ(?) で一度泊まってみたいと思っているうちに建物はきれいに取り壊されてしまいました。
 山中の一軒宿は変わったり、消えたりするので、チャンスがあったら逃さないようにしたいのです。料金・設備・食事など山小屋を基準に考えれば怖いものはなにもありません。大当たりの予感を抱きながら出かける楽しみは格別です。


山小屋には
ひとつひとつに創業のドラマがあり、
開拓の歴史があります


 逆の立場で考えてみることも必要かと思います。山とは縁遠い下界のみなさんから見て山小屋には何か魅了的なものがあるのかどうか。
 人気の山小屋は超一級の素晴らしい展望に加えて、町の一般的な食堂より当たりはずれの少ない食事を出してくれます。バイト従業員で回せるファミレス的システムのところもあれば、家族中心で民宿的なところもあります。あるいは料理自慢のペンションを目標にしているような山小屋もあります。
 朝食がクレープ食べ放題なのは妙高山と火打山の鞍部にある黒沢池ヒュッテ。甲斐・駒ヶ岳の登山基地となっている仙水小屋は仕入れに命をかけているオヤジさんが刺身付きの和定食を出してくれます。
 民宿に当たりはずれが多いように、山小屋にも経営状態の大きな違いが見えてきます。少なくとも春のゴールデンウイークから秋の文化の日まで無休で営業している山小屋を基幹小屋と考えます。そしてホームページを見れば、その小屋の雰囲気がつかめるはずです。南アルプスの女王・仙丈ヶ岳の頂上直下に建設された仙丈小屋のホームページには「御来光を見に行かれる方は、戻られてから、ゆっくり小屋で温かい朝食を召し上がってください。それから身支度をして下山しても、北沢峠までは3時間程です」とあります。アットホームな感じがしますし、初心者でも3,000m峰に簡単に登れる感じがするはずです。
 たとえば大菩薩峠の介山荘は長いこと素通りするだけの山の茶店だと見ていましたが、若旦那を中心とする家族総出の経営は、混んだときの客さばきも見事で、がんばってほしいという気分にさせるものです。あるいは金峰山(きんぷさん) の頂上近くにある金峰山(きんぽうさん) 小屋。オヤジさんが交通事故で亡くなった後、山を知らない娘さんが常連客の手助けで経営を続け、いまではその旦那さんが……というお話とは別に、休憩してみるとどこか懐かしい不思議な雰囲気があり、泊まってみると日本の山小屋の素朴な良さが見えてくるような暖かい気持ちになります。あそこの食事がうまかったと思い出深く語る人も多いと思います。
 山小屋にはひとつひとつに創業のドラマがあり、開拓の歴史があります。立山黒部アルペンルートの安曇野側の入口となっている扇沢から稜線の種池山荘へ登る柏原新道という登山道があります。「鹿島槍の山賊男」といわれる柏原正泰さんがほとんど独力で完成したといわれるもので、たぶん日本で最も傷みの少ない登山道ではないでしょうか。谷側の路肩が盛り上がって道がU字溝のようになっている個所がほとんどありません。つまり水流が道を削って川底のようにした形跡がないのです。雨の日、登山道を流れる水が破壊力を持つ前に水を谷側に落とす「水抜き」が完ぺきにできているのです。ひとりの人間が素人考えで造った道が40年後の現在も新品同様の状態で登山者を標高約2,700mの北アルプス稜線まで導いてくれるのです。


帝国ホテルの資本が入ったことのある燕山荘への往復なら、
ありとあらゆる状況で
危機管理的に安心だからです


 好ましい登山道ということなら、かつて北アルプスの表銀座と呼ばれた槍ヶ岳へと続くルートの、最初の登りも秀逸です。中房温泉から標高約2,700mの燕山荘へと登る道は6月中に山小屋のスタッフによって細かな修復が重ねられます。長野県で広く行われている学校登山が7月前半にあるからです。数人でスコップや鋸をもって登山道を見て歩きます。「簡単なことしかできませんが」と語っていましたが、それがこの道をあるがままの姿で保全しているのだと思います。荒れた感じの場所もありますし、急な斜面もありますが、登山者が踏んだ道筋をできるだけいじらずに安全を確保するというメンテナンスに徹底しているように思います。
 この登山道には、途中に大きな広場もあります。「ベンチ」という名で第1から第3、そして富士見ベンチと4つあって、5つつめが燕山荘の荷揚げ小屋(荷揚げケーブルが通じています) となっている合戦小屋。終着の燕山荘は6つ目となります。ベンチでゆっくり休みながら小一時間ずつかけて登って行くと、初心者でも無理なく登り切ることができます。
 じつはこの道は日本エアシステム(現JAL) が松本空港に乗り入れた1994年8月の機内誌で紹介したことがあります。登山初心者のお父さんと、小学校高学年の息子さんに夏休みの父子登山を提案しました。いわば人生の通過儀礼としての登山です。かつて日本も国際級の山小屋を持とうということで帝国ホテルの資本が入ったことのある燕山荘への往復なら、ありとあらゆる状況で危機管理的に安心だからです。
 そこでは「父と子の北アルプス登山」をこんな風に位置づけました。
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 思い立ったが吉日といいますが、日本列島の上空数千メートルでこのページを広げたお父さん! もしお子さんが小学校の高学年でしたら、本気で読んでみてください。父と子で力を合わせて大きな山に登るという一大イベントに、今がもっとも適した歳まわりだからです。
 スピルバーグ監督の映画『フック』に登場するピーター・バニング氏(過去を忘れたピーター・パン) のように、携帯電話で24時間仕事につながれているようなお父さんにこそ、人生最大のチャンスだと訴えます。父親が父親らしくふるまえて、しかも子どもの体力が大きな仕事をこなせるまでに充実してきた。父と子の一生モノの共通体験が可能なのです。
 残りわずかなこの夏休みにでも間に合います。このとおりにやれば絶対にうまくいく!(と著者が自信をもってオススメの) 北アルプス父子登山完全マニュアル。松本近辺で泊まって翌朝から1日半、丸36時間以内に下りてこられる短期決戦プランです。
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 やってみようという人に対する注意は基本的に「ゆっくり歩く」という点だけです。登山口の中房温泉は標高約1,450m、燕山荘までは標高差約1,250m。「時速300m」(高度差) と概算すれば4時間程度ですが、休憩施設となっている「ベンチ」ごとにゆっくり休んで、それぞれ1時間という予算で考えれば、6時間となります。5分休憩でも10分休憩でもお好きにどうぞという感じで4つのベンチを通過すると5つ目が合戦小屋、日本一高価なスイカ(8分の1切れが800円ですが、絶品です。最近ハーフサイズも用意されました) を楽しむと、6つ目が燕山荘です。
 合戦小屋は燕山荘の荷揚げ小屋で、登山口の近くから荷揚げケーブルが引かれています。以前は宿泊もできたのですが、今は休憩施設だけ。しかしスタッフが常駐していて、燕山荘と連絡がとれるので、いざという場合には心強い存在です。
 重要なのはこの小屋が標高約2,400mのところにあって、森林限界と呼ばれる植生の大きな変化の境界に位置していることです。登ってきた登山道はここまでは深い樹林の中で、嵐の中でも基本的には問題がありません。そしてこの上はしだいに高山帯になります。樹木は背の低いダケカンバとハイマツが主役になります。すぐ上の合戦ノ頭に登ると槍ヶ岳が見えるはずです。高山植物が咲き誇る尾根をゆるゆるとたどっていくと、前方の燕山荘と白く輝く燕岳がどんどん近づいてきます。
 標高約2,700mの燕山荘には玄関ロビーに昭和12年(1937) 建築の本館の一部が残されており、帝国ホテルの資本が入って世界に誇れる山小屋を実現しようとした痕跡となっています。夏のシーズンには昭和28年(1953) 以来、燕岳夏山診療所(順天堂大学高山医学研究所) が開設されています。
 元気なら山頂は目の前、標高2,763mですから登るという感覚なしに頂上に立つことができます。もともと槍ヶ岳登山の起点となった燕山荘ですからその向こうに槍ヶ岳がそびえています。槍ヶ岳の向こうには穂高連峰がそびえていて、奧穂高岳から前穂高岳へときれいな弓なりの稜線が特徴的な吊り尾根があります。天気がよければ富士山も見えますが、その手前には南アルプスと八ヶ岳が広がっています。
 花崗岩の白い岩が風雨にさらされて野外彫刻のように立っています。イワヒバリが飛び、ひょっとするとライチョウもハイマツから出てくるかもしれません。真夏には、その白い岩のあちこちにニホンザルの群を見たこともあります。北アルプスにはすばらしい風景の山がいろいろありますが、燕岳は際だって個性的です。
 そしてもうひとつ、私は燕岳で何度もブロッケン現象を見ています。ちゃんと写真に写る堂々たるブロッケン現象です。夕方、太陽が西の空に傾いていくころ、切り立った東側の斜面から霧が立ちのぼってくるようなら、ほぼ間違いなくブロッケン日和です。霧の壁に虹色の日輪ができ、その中に自分がいます。隣の人はやり自分自身が日輪の中に見えるので、人数分のブロッケン現象が出現しているわけです。自分がまるで光背を背負っているように見えますから、日本語で言えばこれこそご来光です。


標高約1,800mの槍沢ヒュッテに泊まったとして、
標高約3,050mの槍ヶ岳山荘までの
標高差は約1,250m


 燕岳よりはスケールが大きくなりますが、槍ヶ岳もいまや「山岳観光地」というべきものになっています。登山そのものの初心者には無理がありますが、選び抜かれた登山者の山というイメージではなくなっています。
 簡単にいえば、山小屋に2泊すれば登れます。しかも上高地から登る場合、最初の1泊は梓川沿いの山小屋となり、風呂に入ることが可能です。ですから風呂なしの小屋は槍ヶ岳山頂直下にある3つの山小屋のどれかに泊まる1泊だけ。下れば、またひと風呂浴びることができます。何日も風呂なしというような汗くさい登山とは相当違います。
 バスターミナルのある上高地から、山小屋のある明神、徳沢、横尾までは各1時間、その先の槍沢ヒュッテまではさらに1時間半ほどです。横尾から先、梓川は槍沢となりますが、ずっと川沿いの道です。水が流れている沢や川では、勾配はそれほど急になりません。この道も徒歩専用道路となっていますが、登り調子の林道を歩くのとほぼ同じです。
 標高約1,800mの槍沢ヒュッテに泊まったとして、標高約3,050mの槍ヶ岳山荘までの標高差は約1,250m。その一気登りがクリアできるかどうかです。登るに従って急登になりますから、高度障害の出やすい人には苦しい登りになります。標高3,000mの山小屋での一夜も高度障害に苦しむ人が一定の確率で出てきますが、その当たりくじ(?) を誰がひくかは、事前にはほとんど分かりません。(高度障害については富士山のところで触れます)
 しかし、元気な人は槍ヶ岳山荘に着いたあと、目の前の山頂に登れます。翌朝も朝飯前に山頂でご来光というのも可能です。
 ついでですから涸沢についても紹介しておきたいことがあります。上高地から横尾までは槍ヶ岳への道と同じで約3時間。それぞれに山小屋がありますから軽食もとれれば、冷たい飲み物もあります。横尾から本谷橋を経て涸沢までは一般的な登山道で、3時間という目安です。これも川沿いの道ですからそれほど急な勾配はありません。
 のんびり行くと7時間前後かかるかもしれませんから上高地まで夜行バスで来るか、松本〜上高地〜横尾のどこかで前泊するという計画が一般的です。河童橋の隣にある小梨平のキャンプ場に小さなテントを張るというのもグッドアイディアだと思います。もちろん置きっぱなしにしておいて大丈夫でしょう。
 「山ガール」ブーム以降、このルートですれ違う若い女性が多くなりました。若い男性と一緒のケースが大半ですが、ひとりで歩いている人も多いのです。そして一人旅の山ガールは遠目に見てすごくかっこいいのです。上高地〜涸沢は夏のシーズンにはほとんど人通りが絶えないというにぎわいです。長蛇のツアー登山者も通ります。単独だからといって不安はまったくないのだと思います。
 涸沢には涸沢ヒュッテと涸沢小屋の2軒の山小屋があって、晴れた日ならテラスで読書などというかっこいい楽しみも味わえます。それから山小屋主催の登山講習会もあります。ひとりで行ったからといって、ずっとひとりというわけではないようです。
 目を上げれば奧穂高岳と涸沢岳の鞍部に穂高岳山荘が見えます。北穂高岳の頂上には北穂高小屋が見えます。岩場の歩き方のできる人ならどちらも行動圏内にあります。
 ヨーロッパアルプスの登山拠点のような雰囲気が涸沢にはあるのです。登山で一般にいわれる「単独行」とは違う世界がそこにはあります。一人旅の領域が涸沢まで広がったと考えていいと思います。ついでにおすすめしておきますが、北穂高小屋は屋根の上が山頂という建て方をしてあって。槍と穂高が両手の花、という特別なロケーションです。夕日も朝日も居ながらにして楽しめます。展望日本一という感じの小さな小屋です。


源泉掛け流しの湯がいつも適温に調節されていて、
その風呂だけのために
登ってきてもいいと思います


 標高3,106mの北穂高岳山頂にへばりついている北穂高岳小屋の独特なテッペン感につながって思い出すのは、標高3,067mの木曽・御嶽山(剣ヶ峰) の頂上が屋上のような位置にある2つの山小屋です。御嶽頂上山荘と剣ヶ峰旭館が並んでいますが、サンダルを突っかけて山頂に上がると一番目立つのは富士山。その左手に八ヶ岳、右手に南アルプスが全山見えます。南アルプスの手前には中央アルプスも重なっていて、わかりにくいけれど全山です。北アルプスを望むと乗鞍岳と笠ヶ岳があって、穂高連峰と槍ヶ岳が主役の座を張っています。御嶽神社の裏に回れば、白山がのびやかに横たわっています。独特の方向からの展望が楽しめるのです。
 小屋は正直、古くさい山小屋です。しかし、真夏には、そこに白衣の人々が泊まっていて、子どもがけっこう多いのです。ですから食事などにも文句を言える雰囲気ではありません。小中学生の子どもを持つ若い家族もお参りに来ているということです。その人たちは広い山頂部のあちこちにある、それぞれの宗教施設(教会施設) にお参りするようで、山頂の神社に列をなすという光景とはちょっと違います。
 ともかく、そういう人たちは私たち登山者と比べると粗末な服ですから、標高3,000mの高所で迎えるご来光の時など、さすがに信仰登山の人たちは寒さに強いと感心します。江戸時代に大衆登山の山となった御嶽山では、今でもなお宗教登山者が主役の座を護っています。
 話はまた変わりますが、山小屋の中には温泉付きのものもあります。北アルプスの白馬鑓温泉は組み立て式パネルでできていて、冬には雪崩を避けて解体するようです。白馬三山の白馬鑓ヶ岳の中腹、標高約2,000mのところにあります。岩盤の隙間から流れ出たお湯が小さな川となって流れていきます。そこに露天の風呂を作って、山小屋を建てたという素朴な温泉です。以前は丸見えの湯船があるだけでしたが、いまは女性用も作られて、混浴のものも小屋との間に一応の目隠しができました。白馬岳への登山口となっている猿倉バス停から本格的な登山道を5時間ほど歩かなければたどり着くことができません。
 日本で一番標高の高い温泉ということでは、立山の室堂平にある、地獄谷温泉が標高約2,300m。雷鳥荘、雷鳥沢ヒュッテ+ロッジ立山連峰が温泉付き山小屋ですが、室堂バス停から遊歩道を歩いて数十分というロケーションですから「山の温泉宿」と考えた方がいいかもしれません。そしてもう1軒、同じ地獄谷から引湯しているみくりが池温泉が標高約2,400mで日本再高所の温泉宿となっています。
 北アルプスの高所温泉はみな冬には休業します。通年営業のものとして日本一の高所温泉としているのは八ヶ岳にある本沢温泉です。標高約2,100mですが、そこから50mほど登った谷の急斜面に露天風呂がつくられています。
 本沢温泉は林道も通っていますから山小屋というより堂々たる温泉宿なのですが、冬になると山小屋で言う「冬季小屋」という雰囲気になります。客室の一部と食堂が使われるだけで、留守番のスタッフが男料理という感じで食事を出してくれます。通年営業の温泉としては文句なく日本一高所の温泉です。ただし冬は雪がついて危険なので露天風呂は入浴禁止になっているかと思います。
 話がちょっと温泉フリークのようになってしまいましたが、温泉付き山小屋としておすすめナンバーワンだと思うのは安達太良山のくろがね小屋です。JR東北本線・二本松駅から安達太良山に向かうと岳温泉があります。東北を代表する温泉郷のひとつではないかと思うのですが、その源泉が安達太良山の中腹にあって、そこに山小屋があるのです。
 岳温泉の奧に奧岳バス停がありますが、それがあだたら高原スキー場です。そこから林道に入ると登山道(というより徒歩道) が分岐して、1時間半ほどでくろがね小屋です。かならずしも登山の服装でなくてもかまわないという感じの道です。
 くろがね小屋は財団法人福島県観光物産交流協会の施設となっていますが、公営の山小屋と考えておけばいいのです。建物は立派ですし、なんといっても風呂がいい。源泉掛け流しの湯がいつも適温に調節されていて、その風呂だけのために登ってきてもいいと思います。
 しかし私は冬こそこの小屋の価値あるシーズンだと思います。安達太良山の南側斜面は傾斜がゆるやかで雪崩の心配がほとんどありません。ロープウェイで薬師岳まで上がったスキーヤーの中には山頂まで登ってくろがね小屋に下ってくる人も多いらしく、冬には赤布をつけた竹竿でスキールートが示されています。
 安達太良山は那須岳とともに、冬の季節風が太平洋岸にまで吹き抜けてくる風の名所ですから、雪はかなり吹き飛ばされ、霧氷が敷き詰められています。ピッケルは不要、軽アイゼンで十分です。登山道はほとんど消えていますから、遠くに赤布を探しながら、かろうじて夏道らしいルートをたどるというような山です。強風に耐えながら雪原を進むという体験はこの山ならではのものです。そういう冬の楽しさが広く知られているので、山の忘年会・新年会なども見られる特異な山小屋となっています。


不特定多数の登山者が利用できるものでありながら、
特定多数の登山者によって
維持されている避難小屋が多いのです


 山小屋を紹介していると際限がありませんが、ここでいう山小屋は正確には営業小屋と呼ばれます。寝具があり、食事を出してくれる小屋と考えて間違いありません。ところがそういう営業小屋が北海道にはありません。北海道の山を歩くにはテントを持参するのが原則で、ところどころに用意された避難小屋も、あくまで予備的な施設と考えるのが一般的です。
 ただ、夏には避難小屋に管理業務だけを行うスタッフが常駐する避難小屋もあります。そしてただ一か所、夏には黒岳石室が不十分ながら営業小屋に近い形態で運営されます。寝具があり、カップ麺などを食べることができます。
 黒岳といってもピンとこないでしょうが、有名な層雲峡温泉からロープウェイとケーブルで登ると黒岳です。山頂に立つと大雪山が一望できます。黒岳は大雪山系の外輪山の一つで、そこから雲ノ平へ下ったところに黒岳石室はあるのです。
 北海道では避難小屋を利用する人もテントの持参が常識となっていますが、東北の山では避難小屋の使われ方がちょっと違います。東北の山は標高が比較的低いので濃い森林に包まれています。水も豊富です。そういうところにある避難小屋は常連登山者によって丁寧に管理されているところが多く、清潔で炊事道具なども揃っているところが多いといいます。つまり不特定多数の登山者が利用できるものでありながら、特定多数の登山者によって維持されている避難小屋が多いのです。ですから単独でぶらりと訪れるバガボンド的登山者にはものすごく快適な、別荘のようなものだといいます。避難小屋がそのように使われるので、東北の山小屋については避難小屋ガイドというような本も刊行されています。


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7.いい天気と悪い天気



予報天気と実体天気の間には
商品価値にかかわる
独特なバイアスがかかってきます


 カルチャーセンターの登山講座に呼ばれて私は山に出かけるようになるのですが、そのシステムで感心したことがあります。3か月分前納です。
 スケジュールが決まっていて、受講料が先払いになっている点が、間違いなくお客様のタメになっていました。欠席すると受講料が消えますから、登山のスケジュールは生活の中でトップクラスの優先順位を獲得したのです。
 その日が近づいてくるとテレビなどで週間天気予報を見ます。1週間先のその日の天気は、ほとんどの場合少しずつ変わっていきます。晴れ・曇り・雨のマークがコロコロと変わるのでなく、手前か先へシフトしていくのです。3日ぐらいずれると雨が晴れに変わったりします。
 前々日になると「明日の天気」がかなり詳しく示されます。それがさらにその翌日、つまり登山当日に向けてどういう方向に動くかという可能性も見えてきます。「今後も晴天が続きます」とか「天気はしだいに崩れる見込みです」という動きが示されることが多いからです。
 そして前日、予報天気はかなりはっきりとその表情を見せてくれます。ここでは「予報天気」としておきますが、実体天気と予報天気が時間とともにゆっくりと重なっていくのが天気予報の醍醐味ではないかと思います。
 その際、天気予報に対する一般市民の関心は雨が降るかどうかにかかっているのではないかと思います。洗濯物を干して出かけて大丈夫か、傘を持って出かけるべきか、というようなことでしょう。降水確率という数字が判断のあいまいさをうまく肩代わりしているように見えてきます。
 実体天気の動きがはっきりしているときには、当然予報天気も明快な口振りになります。しかし予測がしにくい展開もあるようで、そのときは動きを早めに予想するか遅めにするか、悪天候の場合にはその強さをどの程度と見積もるかで「表現」が必要になってきます。
 そうなると予報天気と実体天気の間には商品価値にかかわる独特なバイアスがかかってきます。
 ごく普通に見られるのは週末の予報天気は悪い方に振れる傾向が顕著です。大きな災害をもたらす危険があるような雨や風が予想される場合にも予報天気は広い範囲で悪い方に振れてから実体天気に追従していく傾向を感じます。勇み足の予報としては「○○方面にお出かけの方は悪天候にご注意下さい」というたぐいのアドバイスが、じつはいまや観光施設に対する理不尽なドタキャン(風評被害) の根拠となっていたりします。
 この15年間、年間100日前後を決まったスケジュールで登山してきた私の予報天気に対する印象では、予報天気と実体天気がその日、その時にどの程度重なってくるかは、結局なかなか判断しにくい……という以上のものではありません。「予報が当たったね」などと感心することもあいかわらずあるくらいです。
 家を出ようとするときにすでに雨が降っていて、予報天気も悪いときがあります。登山を始めたばかりの主婦にとっては一番いやな状況です。
 何が問題かといって「こんな日に山へ出かけるの? あの奥さん」という目にさらされるのを恐れるのです。男性の場合、ご近所の目はそれほど痛くないようですが、通勤時間帯の乗客の目が気になるといいます。「こんな日に……」という通勤客の視線を背中に感じるようです。


登山中、
台風に一番接近遭遇したのは
大山(だいせん) でした


 悪天候ということでは梅雨前線が停滞して集中豪雨となる場合があります。あるいは台風が接近して日本全国が今か今かとその到来を注視しているというような最悪の状態にぶつかることがあります。それでも私の講座は実施します。
 理由はひとつ。登山の場合、現地に行ってみないと天気は分からないのです。ベストシーズンの週末の山小屋が、満員だったはずなのにほとんど私たちだけの貸切り状態というようなことを何回も経験しているからです。もちろん実体天気に問題はありません。たとえば山梨県の人たちはおおよそ、台風はこっちへは来ないと信じていますから、行ってみるとのんびりしてしまいます。
 南アルプスの甲斐・駒ヶ岳でそういうことがありました。私たちはすいていて良かったのですが、ドタキャンを食らったオヤジさんの顔はまともに見られませんでした。
 富士山では、朝になってもまだ台風が接近中ということで台風一過の晴天を待ちきれなくて下山したことがありましたが、そのとき富士山はガラガラの状態で、すれ違う登山者は外国人ばかりでした。
 ちなみに富士山は台風の接近ぐらいでは驚かない高い安全度を整えた世界有数の大衆登山の山といえます。そんな日に外国人旅行者が半袖にTシャツで登ってきても、命に関わるような危険はほとんど考えられません。山小屋が数珠繋ぎにあるからです。ただ、予報の天気が悪いと日本人登山者はパタッと姿を見せなくなります。
 山で台風に直撃されるとどうなるかも体験しています。その日台風の直撃域にあった八ヶ岳の赤岳に清里から登っていました。もちろん山頂まで行けるとは思いませんでしたが、予報によれば台風に遭遇できそうにも思えました。森林限界まで行って、台風を見学しようという心づもりだったのです。
 ちょうど森林限界に近づいたころ、風が強くなり、大粒の雨が降り始めました。さすが台風の前触れだと感心したのは、ほんの10分休憩して天気の動きを見てみようとしているうちに、登山道が川になり、涸れ沢に濁流が流れ始めました。普通の雨とはやはり迫力が違います。
 清里に下って1泊し、翌日は台風一過の好展望を期待して編笠山に登ることに決めました。台風の日の観光地は閑散としていますから、泊まるに苦労はありませんでした。
『智恵子抄』の安達太良山に登った日に台風が近づいていて、その夜頭上を通過していきました。くろがね小屋は樹林帯の最後のところにありますから、そこまでは私も粋がってジーンズに折り畳み傘というおすすめできないスタイルで行ったのです。ジーンズは濡れるとこわばって歩きにくくなりますが、気温が高いので大きな問題はありませんでした。
 まだまだあります。北アルプスの劔岳をめざした日、手前の劔御前小屋に泊まったのですが、台風がすぐ脇を通過していきました。強い風が吹いて、眠れぬ夜を過ごした人によると時々小屋が浮き上がるような風だったといいます。さあ、チャンス到来、明日は晴れだ、と思ったら余波の嵐はその翌日も続いて計画を変更せざるをえなくなりました。
 登山中、台風に一番接近遭遇したのは大山(だいせん) でした。伯耆大山は山体の崩落が進んで、頂上稜線に立てるのは大山寺からの夏道だけです。大山頂上小屋のところに標高1,711mの弥山山頂がありました。
 その日、私たちは出雲空港から羽田に帰る予定でした。台風が日本海沿岸を進んでいて、刻一刻と近づいていることは知っていました。しかしだいたい標高が低いのでブナ林がかなり上まであり、その上部にある特別天然記念物・キャラボク純林のあたりは登山道が雨でえぐられて深い溝になっていました。だから難なく登り切って、営業している頂上小屋で休憩もしたのです。
 さあ、急いで下ろうということで歩き出すと一帯は山上の湿原らしく、木道がえんえんと延びていました。石室経由の道をとったのです。ガスが濃く、あたりは何も見えません。風が次第に強くなって、木道の上でふらつく人が出てきました。そのうちひとりが吹き飛ばされて木道から落ちました。
 実害はないものの、パニック状態になりそうな気配。私も頂上小屋で一夜を過ごすことになるかもしれないと考え初めていたのです。
 ところが考え始めた程度のところで、稜線上の散歩は終わって、登ってきた登山道と出会いました。樹林帯ではありませんが、道が深くえぐれて腰ぐらいまでの深さの塹壕という状態です。どんなに強い風が吹いても、身をかがめれば安全です。道を見失う危険もなく、登山道というインフラに安全を確保された感じがしました。
 下りきると、飛行機が1機飛び立っていきました。次の便で帰れるという保証を得てホッとしました。空港の近くで温泉に浸かっていると次の飛行機が飛んできました。風呂から出てそれに乗ればいい……はずだったのですが、空港に行ってみるとその飛行機は着陸できずに帰っていったとのこと。
 私たちはバーゲンチケットでしたが払い戻しがありましたから、あとはいかに東京まで帰るかです。夜行のバスで神戸へ出られると分かったので、早朝の新幹線に乗れば、出勤できる人もいそうです。そうこうするうちに出雲始発の東京行き夜行バスに乗れるかもしれないという噂を聞いてバス停までタクシーを走らせました。渋谷駅に着いたのは朝の6時半でした。


予報天気と実体天気とは直接関係ないのです。
だから予報天気に問題なかったとしても、
山の実体天気には大いに問題ありということも


 台風は上陸すると様相を一変します。だから用心に用心を重ねて推移を見守るわけですが、樹林帯の中にいると風雨は新宿あたりの高層ビル街より圧倒的にジェントルです。風のうなり声がものすごい場合も、それは森林が風のエネルギーを吸収してくれているざわめきです。森の中では雨はほとんど真下に落ちてきますから、傘1本でも何とかなります。
 私は単純に、スケジュールが台風とぶつかったら台風一過のとんでもないすばらしい光景に出会えると思うのでなんとかしてその場に立ってみたいのです。ハイリスクかもしれませんが、ハイリターンを期待できます。
 大菩薩峠から南に下って笹子トンネルに続く南大菩薩の山のひとつ、大蔵高丸に台風の翌日に出かけたことがありますが、房総半島があまりにも近くに見えたので驚いてしまいました。そういう、人生に2度あるかどうか分からない特別のプレゼントにかすかな期待を込めて出かけるのです。
 私は出かけますが、多くの人は出かけるのをやめてしまうわけです。すでにお分かりいただけたかと思うのですが、予報天気と実体天気とは直接関係ないのです。だから予報天気に問題なかったとしても、山の実体天気には大いに問題ありということも考えなければいけないのです。
 屋久島は雨の島としてあまりにも有名ですから、降られるのを覚悟で出かけます。そのときは最高峰の宮之浦岳から永田岳に登り、永田歩道を北西海岸の永田へと下る予定を立てていました。永田という名が重なりましたが、宮之浦岳を始めとして、屋久島の主な山は海岸線の集落の名を取っています。各集落が自分の山を持っている……のだそうです。そしてそれぞれの登山ルート上にはそれぞれの避難小屋を(自分たちの登山のために) 整備しているので、屋久島には避難小屋が多いのです。しかも永田集落の人たちは永田岳に登るために登山するのであって、隣の宮之浦岳に登ることはないのだそうです。
 そういう屋久島ローカルな登山の一端を体験したいと考えたのですが、新高塚小屋に泊まった翌日集中豪雨になりました。風雨とも強いため宮之浦岳に登る余裕はなく、永田岳も頂上直下で切り上げました。そして川と化した登山道をたどって鹿之沢小屋に入ると、そこにいた登山者に永田歩道は途中2か所の渡渉地点が増水して渡れなくなっていると教えられました。
 雨の怖さは、濡れる、濡れないということより、計画通りに行動できるかどうかが危うくなるという点です。
 屋久島では尾根筋の花山歩道を下ることでなんとかその日のうちに下山することができました。また雨の中でたくさんのヤマビルを拾い集めたぐらいですから、身体が濡れても、寒さに対する防御を考える必要はありませんでした。


山の実体天気は、
登山者一人ひとりが個々に向き合わなければならないほど
極小的なものだと思うのです


 雨で濡れる、濡れないということが身体に大きな影響を与えるケースがあります。真夏の北アルプスで、稜線に出たとたん、動けなくなった人がいました。標高2,700m前後まで上がると下界で気温が30度(C)の日でも15度以下に下がっています。風があれば風速1mごとに体感温度が1度下がるといいますし、そこに吹く風は上空の冷たい風です。だいたい、気温が10度前後になると考えていいのです。
 10度というのは慣れると身体でわかります。風が当たると手がかじかむ方向に振れる分岐点です。身体にストレスが加わってくると感じるはずです。気温が10度を割ったら「保温」とか「防寒」を優先順位の上位に上げなければいけません。
 その北アルプスの稜線というのは白馬鑓温泉から上がったところですが、上空の冷たい風が軽く吹き付けているだけで気温が10度を割り、ガスにまかれて、霧雨状態になっていました。ウインドブレーカーという役割も期待して雨具を着ける必要があると判断したのですが、ちょうどその時、ひとりの男性が動けなくなったのです。唇が紫色になりかかって、ガタガタと小さな震えが出始めていました。
 深部体温が低下し始めて体温を少しでも上げようとする自衛行為が筋肉を振るわせる運動になるのだそうです。初手合わせの参加者の場合、高齢の男性だとステテコと木綿の肌着を離せない人がいるので注意しなければなりません。その人もそうでした。そこで私の速乾性の肌着だけ着替えてもらうことにしました。女性の多いグループの輪の中で、一瞬とはいえ風雨にさらされながら肌着を交換するというのは、よほど強い命令口調でやらないとうまくいかないと思います。
 しかし、私にもですが、参加者全員にとって少しでも共有できる体験にしたかったのです。案の定、肌着を取り替えただけで事態は急激に回復しました。
 もしそれが、気温5度を割っているような状態、あるいは風や雨が強かったら、一刻の猶予もなしに着られるものをみんな着て、雨具もつけて、湿ったまま保温する必要が出てきます。
 友人のプロガイドの体験談ですが、ちょうどこれと似たような場所、似たような条件で、ただひとり、うずくまっている登山者と遭遇したといいます。寒さで動けなくなっていたのです。ザックを開けると防寒着も雨具もみんな揃っているのに、手がかじかんでザックを開けることができなくなり、しだいに行動力を失っていったようです。
 深部体温が下がるとすぐに思考力がなくなります。動けなくなり、死に至ります。以前は疲労凍死と呼ばれていたので壮絶な死と想像されていたようですが、最近では低体温症と呼ばれて熱中症と対をなす体温異常と考えられるようになりました。気温が10度を割ったら、身体へのストレスに注意しなければなりません。
 話がずいぶん広がってしまいましたが、これらはいずれも山で体験する実体天気です。それがテレビやインターネットの天気予報でどれだけフォローされていると考えられるでしょうか。
 山の実体天気は、登山者一人ひとりが個々に向き合わなければならないほど極小的なものだと思うのです。そして大きな縦走登山などで1週間も山に入ったことのある登山者なら常識ですが、すべての天気に出会うと考えなければいけないのです。
 たまたま日帰り登山を繰り返す人たちの中に、予報天気の降水確率を目安にして、いい天気と悪い天気を予報段階で振り分けるという方法をとっている例があると聞きました。たいへん賢い方法のように見えますが、予報天気は商品ですから人が生活を営んでいる平野部のものであって、登山者の顔を想像しながら考えてくれているとは考えない方が身のためです。さらに「晴れを選んで登山」という人たちが天気予報に裏切られて雨に遭ったらどうするのでしょうか。想定外の事態だけに、かえって危険な状況に陥ることはないのでしょうか。


雨の日は
どちらかといえば山自身の魅力の欠落部分に、
技術テーマを加えていきます


 じつは「天気予報にかかわらず実施」という前提で登山していると、当然雨にもぶつかります。しかもいろんな雨に。正直な話、雨の日の方が絶対にいいという例はあまりありません。
 私はカメラマンですから、当初から、先頭を歩きながら出会った光景をできるだけこまかく記録してきました。その日初めて参加した人の気持ちになって、代表取材撮影という感覚です。その山で見た(はずの) 光景をもう一度見直していただきたいのと、ほしい写真があれば買っていただけるようにと、いつもできるだけフレッシュな気持ちでシャッターを切るようにしています。すると行く山ごとに撮った写真の枚数が大きく違います。もちろん山によって違いますが、季節によっても違いますし、天気によっても違います。そして、雨だとどうしても写真の枚数は限られます。「雨が必ずしも悪い天気だとは思いません」などということにしていますが、劣勢は否めません。
 ではどうしているのか。私はお金をいただいているので、雨だからつまらなかったと言われるわけにはいきません。そこで雨の日はどちらかといえば山自身の魅力の欠落部分に、技術テーマを加えていきます。濡れた岩場があれば、時間をかけて、きちんと歩きます。下りでは道が濡れると難易度が上がりますから、そのことを意識して安全度を高めた歩き方に切り替えるという体験をします。
 一時期、雨の日にはストックを1本にして、傘をさしながら歩くという体験を繰り返しました。ダブルストックの使い方のまま、谷側ストックだけを使うということにすると、たいていの場合、利き腕でストックを使っているときと反対側の腕の時とでストックワークに大きな違いが出ることが露呈しました。ダブルストックだからといって、利き腕だけで使っている人が意外に多かったのです。北アルプスの岩稜もストックワークの領域ですが、両方の腕でできるだけ均等に使えるようでないとレベルアップができません。
 雨の日にはそういう地道な技術チェックがしやすくなります。雨具をつけながら汗をかかないようにする試行錯誤も重要な技術課題になります。ですから「ひどい雨」はしばしば「ラッキーな雨」にもなります。雨の体験をひと通りすると、悪天候の中でも黙々と歩くことができます。自分の力を信じることがどれだけ安全に寄与するかということを感じます。
 山では気持ちのいい天気やドラマチックな天気であることを望みます。下界での、雨が降るか、降らないかというような二者択一的な基準とはちょっと違うのです。
 それから、最近では山小屋でもテレビの天気予報やインターネットのお天気情報をくわしく伝えてくれますが、山小屋で自信を持って修正した(いわば現地専門家による) 予報天気が大きく狂っていたという例を最低3回は体験しています。いずれも翌日の予定を変更させる誤報でした。山の天気はそれほどに予報しづらいと考えておいた方がいいのです。とくに風に関する情報はほとんど当てになりません。地形によって局地的に変わるからです。


宿の女将に
「風は息継ぎするので、隙間を縫っていきなさい」と
アドバイスされました


 11月上旬に那須岳中腹の三斗小屋温泉に泊まったことがありました。もちろん秋の終わり、2軒の温泉宿もそろそろ休業に入る時期でした。1日目は快晴の山を楽しんで、美しい夕日のなかで露天風呂に入りました。ところが夜中に雪が降り出し、部屋にも舞い込むようなありさま。翌日は登山道が雪に埋もれていました。
 昨日は秋、今日は冬という季節の変わり目だったのです。登山道の状態が変わったので、計画を変更して峰の茶屋跡から那須温泉に逃げることにしました。
 しかし北風は轟音となって吹いています。じつは那須連峰、しかも茶臼岳と朝日岳の鞍部に当たる峰の茶屋跡は冬の季節風による強風の名所なのです。宿の女将に「風は息継ぎするので、隙間を縫っていきなさい」とアドバイスされました。
 谷の斜面を登っていくと、それほど遠くない先に峰の茶屋跡の峠はあります。しかし谷に吹き込んだ北風は進むに従って押しすぼめられて、ノズルの先から噴射されるように峠を越えていくようです。どれほどの風速になっているのかわかりませんが、轟音とともに吹き上げていきます。
 姿勢を低くして風の息継ぎを見ながら、一気に峠に飛び出します。私は峠の上で踏ん張って、みなさんが飛ばされないように監視しています。ほんの10mほど先には避難小屋(というよりシェルター) があるので、そこに飛び込むまでの一瞬なのですが、たまたま予想以上の強風が吹くとも限りません。
 そういうドラマチックな体験は10年は記憶に残る得難いものになるのですが、その7年後、やはり11月の上旬に三斗小屋温泉に泊まりました。このときも1日目は秋の好天で、同じ宿に入ったのです。たまたま7年前の体験者がいたのでその時の体験など話してもらいました。
 翌日は朝日岳に向かったのですが、隠居倉という山で休憩した頃から天気が変わって、朝日岳に着いた瞬間に一気に吹雪になりました。7年前とまったく同じ秋から冬への急変です。もちろん予定を変更して峰の茶屋跡へと急ぎました。それもまた、10年は記憶に残るドラマチックな天気だったといえるでしょう。
 同様の体験を私はプロですから真冬の八甲田山で、こちら側から演出しようとします。2月の、八甲田山が最も危険な季節です。山がまろやかなのでガスがかかったら進むべきルートはたちまち判断できなくなります。それなのに天気が見る間に急変します。1時間後の天気を予測することができないのです。
 この時期はスキーツアーとスノーボード・ツアーの客が多く、とくにオーストラリア人に人気があります。彼らはガイドを頼んで出かけていきますが、私のほんの数回の滞在中にも行方不明騒動がありました。八甲田山は国道と県道がぐるりと囲んでいるので下ればどこかに出られそうに思いますが、閉鎖された国道をスノーシューで歩いてみると、上から滑ってきて、それが国道と分かる可能性はきわめて低いと思います。そのまま下れば深い森林に迷い込みます。
 冬の八甲田山は本当に危険な山だと思うのですが、ロープウェイとスキーのダイレクトコースの間からはずれずに、スノーシューで下るのなら冬の悪天候と、深く柔らかな雪と、樹氷(スノーモンスター) のジャングルを存分に楽しめるのです。ロープウェイで上がって、それの下あたりを歩いて下るだけのことですから何がおもしろいのか分からないと思いますが、雪の斜面をさまよう数時間は八甲田山でなければ味わえない不思議な体験となります。
 スノーモンスターが登場したので触れておかなければならないのは世界有数の樹氷の山、蔵王です。もちろん蔵王にも出かけますが、季節は3月、スノーシューではなくて観光協会で1日500円でレンタルできる素朴な輪かんじきがベストチョイスです。
 八甲田山は基本的にスキーツアーの山ですからスキーヤーやスノーボーダーは新雪の斜面を好き勝手に滑るのが基本です。スノーボーダーは緊急時の脱出用に必ずスノーシューを持参します。
 ところが蔵王はスキーコースがしっかりと整備されて圧雪されていて、コースから出ないように指導されています。スキーゲレンデが樹氷原の上まで延びているのです。
 スキーヤーでない私たちは基本的にスキーコースへは出てはいけないので、ロープウェイで上がって、地蔵山(標高1,736m) の山頂から世界有数のスノーモンスターのジャングルの中をさまよいつつ下る(しかない) のです。右手に寄っていけば頭上にロープウェイがあり、スキーコースにぶつかります。
 昔、私は友人とスキーに来て、樹氷原を好き勝手に滑った記憶があります。しかし今はスキーのシュプールはほとんど見ません。スキーヤーのみなさんはお行儀よくゲレンデ内で滑りを楽しんでいるようです。
 ちなみに3月は天気が安定してスキーのベストシーズンとなるのでロープウェイは1時間待ち、2時間待ちというような大混雑になるのですが、スキーを持たない「観光客」は待ち時間なしにどんどん運び上げてくれます。この時期には好天に恵まれて、広大な樹氷原を見下ろしながら下っていく快感を堪能できるのです。蔵王の雪は八甲田山よりかなり重いのでスノーシューより輪かんじきの方が快適です。


そういうお祭り気分の「いい天気」
というものもあるわけです


 話がドラマチックな天気に踏み込みすぎたようなので極め付きの「いい天気」をご紹介しておきます。
 12月3日に箱根外輪山の金時山(標高1,213m) に登ったことがあります。その日は関東地方全域が雨という予報で、時雨といえば風情がありますが、師走の山で雨に降られるとなると、よほどの好き者でなければ憂鬱です。
 しかし予定を崩さない登山ですから雨具をつけて登り始めたのです。乙女茶屋のある乙女峠まで登ると状況は一変しました。雨はやんでいたのです。雲海が広がっていましたから下界は雨のままでしょうが、低い雲が足元にありました。
 おまけに稜線は霧氷の花が満開でした。「枯れ木に花を咲かせましょう」という花咲かじいさんの仕業です。霧氷は木の幹や枝、岩などに氷片をくっつけます。過冷却の霧、つまり氷点下に温度を下げた霧が流れてきて、木の枝や岩肌などにぶつかると、その衝撃で瞬間的に気体から固体に変わります。過冷却の霧が次々にぶつかると、氷片は風上側にどんどん成長していくのです。その状態を「エビのしっぽ」と呼んでいます。
 高い山だとエビのしっぽはどんどん大きくなり、山頂の標識や稜線の道標を氷の彫刻のようにしてしまうのですが、首都圏の日帰りの山では一日花という感じです。晴れて太陽が出ると、ハラハラと落ちて、花吹雪のようになります。
 金時山のその日の霧氷は道端の草から稜線の巨木まで、全山を白い花で彩っていました。本当にラッキーだと思います。
 しかし、宝くじなんかとは比べものにならない高い確率でもあるのです。金時山が箱根の外輪山なら、箱根火山の最高峰は中央火口丘の神山(標高1,438m) なのですが、こちらは12月下旬から1月にかけて霧氷を期待して登ることがけっこうあります。すぐ目の前に富士山がありますから、上空にはかなり低温の季節風が吹いています。湿った空気が立ち上ってくると、ゆっくりと冷やされて0度を割っても水蒸気のままという山霧の状態になるのでしょう。それが稜線上の樹林や岩にぶつかって霧氷となります。下界の天気があまり良くないときにこそ、起こりやすい現象です。
 最近、年末に密かに「いい天気」を期待して出かけるのが中央本線沿線の低い山です。その日、冬型の気圧配置になって空があくまで青く澄み、夕日が雲ひとつない西の空に落ちていくと思われたら、私は早々に山を下りて、高尾山に向かいます。
 高尾山山頂には多くのカメラマンが三脚をセットして富士山に夕日が落ちる瞬間を待っているはずです。冬至からクリスマスにかけて高尾山ではその「ダイヤモンド富士」のためにケーブルカーの運転延長をして、日没後に山頂からケーブル駅まで歩いても間に合うようにしています。
 冬至は一年中で一番昼の短い日です。東京では日没が午後4時半ごろです。高尾山で見る夕日が富士山にかかるのを見たければ4時には山頂に着いていたいところです。そのとき、西の空が晴れていて、富士山が見えていれば、あとは太陽が沈んでいく道筋で富士山とどのようなからみ方をするかです。
 そういうお祭り気分の「いい天気」というものもあるわけです。そうなると山で堪能するご来光、落日、雲海に山自身が投影される影富士のたぐい、虹色の日輪の中に自分の姿が写る本来のご来光(ブロッケン現象) などが見られたら、それは間違いなく「いい天気」でしょうし、天の川や流星群もいい天気でなければ見られません。


では紅葉は何なのか。
広葉樹が1年の蓄えを一気に浪費する
お祭りだと思うのです


 ついでに……ですが、山の紅葉についてもすこし紹介しておきたいと思います。紅葉(もみじ) 狩りというと、なんといっても京都……という感じがします。千年の都・京都の紅葉は、人の美意識によって磨き抜かれたモミジの赤が絶頂感を町のあちこちにちりばめられるという美を感じさせます。
 それに匹敵するかもしれない紅葉といえば関東地方では尾瀬〜日光〜塩原ではないかと思います。紅葉渋滞で有名な日光のいろは坂や、日塩もみじラインという観光道路もあります。ボリュームとしては圧倒的です。しかし京都と違って、紅葉は野性的です。ひとかたまりの完成度というよりも、それぞれの木がそれぞれの祭りを競って、森全体が紅葉という時期に突入しているというふうに見えるのです。
 個人的な印象ですからみなさんに同意していただけるか分かりませんが、山の紅葉がすごいと思った最初は奥秩父の西沢渓谷でした。シーズンには観光バスが続々とやってくるという紅葉の名所で、渓流沿いの道をたどる趣向もよく、見上げる巨木が赤や黄色に輝く光景は迫力があります。すばらしい紅葉です。しかしなんとなく、粗野な感じがしました。力で押し切ろうとする直線的な感じというのでしょうか。圧倒的なボリュームが前面にでていました。
 尾瀬も山が深いですから、たとえば至仏山から湯ノ小屋温泉への長い道をたどるとず〜っと紅葉です。それもブナの黄葉を主体にした穏やかな紅葉が何日歩いても抜け出られないかのような魔境を感じさせるボリュームです。
 東北の山、たとえば栗駒山の大地森コースや湯浜コースを歩いてみると、ブナの黄色い樹海に埋もれてしまったような静けさを感じます。だから関東から東北の紅葉の魅力はブナを中心にした紅葉の大海原であり、降り積もった落葉の新しい大地という印象を強めていたのです。
 ところが尾瀬で錦秋と呼ぶにふさわしい光景に出会ったのです。10月6日でしたが、富士見峠から尾瀬ヶ原の竜宮十字路に下っていくと、竜宮小屋のすぐ裏山というところで、赤や黄色や緑、色とりどりの巨木の紅葉に包まれたのです。見上げる天井が錦を織りなしているという紅葉です。
 私は紅葉を「花」と同じ気持ちで見ています。『山の道・山の花』という本でも紅葉とシモバシラと霧氷を加えていますから常識がないといえばないのですが、出会ったときの気持ちはまったく同じだと思っています。ちなみにシモバシラはシソ科のシモバシラなどの枯れた茎で起こる自然現象です。毛細管現象で吸い上げられてきた地中の水分が外気で冷やされてカンナの削りくずのように押し出され、氷の花を咲かせます。霧氷はもちろん花咲じいさんの仕業です。
 では紅葉は何なのか。広葉樹が1年の蓄えを一気に浪費するお祭りだと思うのです。文化人類学の用語にポトラッチというのがあります。北米太平洋岸のインディアンに由来する祭りの概念で、その年の蓄えを祭りという形で一気に消費します。日本の祭にもそういう精神が流れていると思いますが、幸運をかみしめる大盤振る舞いです。
 広葉樹は冬に備えて落葉しますが、それは無駄なエネルギー消費を抑えるためです。ところがまだ緑色の葉は根から吸い上げた水分と太陽光があれば炭酸同化作用によって糖類を作りつづけています。本体側で生産ストップをしたときには葉の細胞液の中には出荷されなかった糖類がまだ残っている状態なのです。
 ですから急に気温が下がると、生産に緊急停止がかかります。枯れ落ちる運命の葉が手持ちのエネルギーを紅葉色素に変えて、一挙放出の大盤振る舞い、ポトラッチを始める……というふうに私には見えるのです。
 紅葉は一般的に気温が10度を下回ると始まり、5度を割ると急速に進行するといわれます。また昼間の気温が高くて、温度変化が大きいと鮮やかに色づくともいわれます。ご存知かと思いますが、紅葉の写真を狙っているカメラマンのみなさんは、紅葉の山の斜面に新雪が降って秋と冬が同時に訪れることを密かに願っているはずです。天候が雨になり、夜の間に気温が5度まで下がれば、雨が雪になる可能性がかなりあります。
 秋になって気温がだんだん下がって山では紅葉が始まりますが、ニュースでしばしば取り上げられる紅葉の走りは北海道の大雪山でたぶん9月下旬、それから北アルプスの涸沢周辺で10月上旬というのが目安です。富士山の初雪は夏ですが、下界から白く見える初冠雪はおおよそ秋、9月下旬から10月初旬が目安になります。
 紅葉は単なる秋の情景ではなくて、秋という季節の指標というべきものです。春の桜前線に対して紅葉前線という言葉があって、気象庁はカエデの紅葉前線とイチョウの黄葉前線を発表していますが、平地では北海道の10月中〜下旬から関東以西の太平洋岸の11月下旬まで、日本列島を1か月かけて南下してきます。


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8.高尾山と富士山



毎日・毎週登山系の人のほかに、
四季折々登山のベテランも
意外に多いようです


 いま、人気の山といえば高尾山と富士山ではないでしょうか。
 最近、高尾山が脚光を浴びたきっかけはミシュラン・ガイドブックの三つ星ブームによってでした。東京のレストランの最高峰をミシュラン独特の星3つで格付けしたのが大変な話題になりました。そのミシュランが最初の日本旅行ガイド「ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン」(フランス語版) を発売したのは2007年でしたが、そこで高尾山に最高ランクの三つ星をつけたのです。
 高尾山はもちろん以前から人気の山でした。京王電鉄で行くと新宿から高尾山口まで370円、JR中央線の高尾駅からでも京王高尾線に乗り換えて1駅です。都心から簡単に行けるこの山にはエキゾチックな烏天狗がいるだけでなく、努力すればムササビの飛翔も見ることが可能です。元旦には山が人であふれるといいます。
 ケーブルカーとリフトの2系統ありますから、だれでも登れます。参拝客もいれば観光客もいるので、そこにガイドブックを見た外国人が加わってもにぎやかになったという程度の変化でしかありませんが、ブームになって夕暮れに若いカップルが増えるようになると、山の雰囲気はがらりと変わります。
 私も入門編の登山では高尾山を計画に加えることがありますが、正直なところ、高尾山だけでは1日をフルに使った山歩きとしては軽いと思います。つまりケーブルカー1本分(標高差約270m) を登って下るだけでは登山としては不十分だと考えるのです。
 都市近郊にあってケーブルカーやロープウェイが利用できる山を高尾山と並べて考えればいいかと思うのですが、首都圏からなら奥多摩の御岳山、丹沢の大山、それと筑波山、秩父に行くと(ロープウェイは廃止になりましたが) 三峰山(三峰神社) 、箱根には駒ヶ岳(ケーブルカーは廃止になりましたがロープウェイは健在) があります。丹沢の大山は山の規模が大きいので、ケーブルカーで行けるのは中腹の阿夫利神社下社までで、そこからひと山登る感じになります。また筑波山にはケーブルカーとロープウェイがダブルで用意されていますが、ケーブルカーの標高差は約500mあります。
 ケーブルカーやロープウェイが設置され、運行しているということは、かなりの数の利用者がいるということでしょう。ですから基本は信仰の山・観光の山というべきです。御岳山の山頂部には武蔵御嶽神社の宿坊に由来する宿がたくさん残っていますし、大山の登山口にも豆腐料理の看板をかかげる宿坊が、今は料理旅館という風情で並んでいます。
 同じような山は全国にたくさんあるかと思いますが、ケーブルカーとロープウェイにこだわらなければ、高尾山に代表される山は全国津々浦々、無数の山をその対象として数えることができると思います。つまりミシュランが三つ星とした高尾山は日本中に無数にあるそういう山の代表選手と考えたいのです。
 神戸の六甲山は「毎日登山」発祥の山ですが、明治38年(1905) ごろ、元町周辺の外国人たちが大師道を再度山(ふたたびさん) 大龍寺に向かって登り、善助茶屋にサインブックを置いたのが始まりといわれています。山が小さい場合には、御百度参りのごとく、登山頻度を高くして補うといういい例です。
 高尾山はたぶん毎日登山ではなく、毎週登山の山だと思いますが、週末の土曜の早朝、高尾山に向かうのを習慣にしている人がけっこうたくさんいるらしいのです。軽く登って、週末に開いている茶屋のひとつに寄ると顔見知りの登山者と会ったりするのだそうです。家に帰るとまだ昼前です。
 そういう毎日・毎週登山系の人のほかに、四季折々登山のベテランも意外に多いようです。私の周辺でも山野草に詳しい人たちは気が向いたらひとりで高尾山に出かけるといいます。もちろん女性です。
 高尾山は冷温帯と暖温帯の境界にある山なので、南斜面と北斜面では植相が違うのだそうです。そのため山野草に関心がある人は道筋にかなりたくさんの珍しい花を見つけることができるといいます。
 高尾山にはたくさんのルートが「自然研究路」として開かれているので、足の向くまま自由に歩くことが可能ですが、登山道とはかなり違って山腹を巻く緩やかな勾配のハイキングルートです。ですから登山道に近い道を求める人は高尾山〜陣馬山の長い稜線に向かって登ってくる登山道をいろいろ組み合わせて日帰り登山にボリューム・アップすることが必要です。
 高尾山ではベビーカーを押す外国人の夫婦を山頂で見たことがありました。ケーブルカー高尾山駅の脇には夕方まで営業のレストランがあって、冬には日没後の東京〜横浜方面の夜景が美しく広がります。夏にはそこがビアガーデンになって、夜までの営業となり、ケーブルカーも夜間運転されます。
 観光と登山が山頂でも混在するということでは、筑波山も同様です。
 百人一首に「筑波嶺(つくばね) の峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋(こひ) ぞつもりて 淵(ふち) となりぬる」(陽成院) という歌があります。筑波山は万葉の時代から男女が結ばれる山として知られていたからでしょうが、現在でも登山とは無縁の若い男女をたくさん見ます。
 しかし高尾山と違うのは、ケーブルカーとロープウェイ両方に沿って標準的な登山道があることです。標高差約600mは一般的な日帰り登山の規模ですから、そのサイズを体験的に知るために登るとか、リハビリ登山として利用するなど、首都圏の登山者には利用価値の高い山といえます。そしてもちろん関東平野のヘリに位置していますから、西の空が澄んでいれば富士山が見えますし、東京スカイツリーも見えます。


江戸時代に寺社詣でが
遊興・旅行としての側面も併せ持つようになり、
講を組むことで団体旅行化すると


 私は高尾山を日本全国にほとんど無数にある宗教登山の山の代表と考えるのですが、もちろん富士山こそさらにその代表です。
 富士山が世界遺産に登録されるとすれば当然自然遺産だと考えていた人が多いかと思います。しかし火山としての富士山の兄弟は日本にもたくさんありますが、世界には驚くほどたくさんあって、富士山より高く、かつ美しい山もあります。それに純粋無垢な自然として残された部分が富士山にどれだけあるかということになると自然遺産としてはとても難しいのです。しかし文化遺産としては江戸時代に始まる信仰のための大衆登山は世界でもほとんど例のないものではないかと思います。
 もともと富士山は「駿河の富士」でした。現在富士宮市にある富士山本宮浅間神社がアサマの神(浅間大神) を祀り、中央政府の息のかかった神社として平安時代前期には現在の場所にあったと考えられています。そのあたりの私なりの理解をかつて書いたことがあります。(『富士山・地図を手に』1980年)
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 その「フジ神社」と思われるものがあるのです。こともあろうに「アサマ」神社であった富士山本宮浅間神社(富士宮) の摂社として残っているのです。それは富知(ふち) 神社で,不二神社、福地明神ともよばれるものですが、大宮、つまり富士宮の中心地区の地主神であるというのです。しかも平安時代中期の『延喜式』の「神名帳」にあらわれる富士郡の3つの神社,浅間神社、富知神社、倭文(しどり) 神社のうち、あとの2つが、ともにいま浅間神社の摂社となっている富知神社と倭文神社だといわれているのですから、そこに名門神社の合併吸収のドラマを想像したくなるのは人情というものです。
 もしその富知神社の富知がフジのことであり、地主神であるということがその土地に根ざした古い神社であったことの証明となるなら、かつて、それが「フジ」の神をまつった神社である可能性を考えてみたくなります。しかも(中央の) 歴史への登場が、いかにもそれらしいかたちになっているのです。
 浅間(アサマ) 神社は垂仁天皇の時代に、富士山の噴火をしずめるために「山足の地」に建てられたということになっています。それをヤマトタケルが山宮(富士宮市山宮宮内) におろしてまつり、平安時代前期の806年に征夷大将軍坂上田村麻呂がそれを現在の場所に(もう一段おろして) 遷移したというのです。そしてそのとき、そこには古くからの地主神として、富知神社があったというのです。
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 以下、かいつまんで読んでいきます。私は土着の「フジ」の神が、中央政府の強大な「アサマ」の神に屈服したと考えたのですが、その後さらに浅間を「センゲン」と読ませる外来思想によって浅間大神(あさまのおおかみ) が浅間大菩薩へと変身していきます。富士山の山頂には真言密教の本尊である大日如来がおられ、それが浅間大菩薩の姿となって衆生を救うためにこの世に現れるという仏教の本地垂迹の思想です。
 その思想によって、末代上人を始めとする修行僧たちが駿河側に村山口登山道を開き、富士山頂に大日寺と呼ぶ堂も建てたと言われます。平安時代末期のことです。いわばプロの修行僧による富士登山の時代です。
 そして江戸時代中期になると山岳信仰は全国の山で大衆化します。江戸から100kmの富士山では富士五湖のある北麓が開かれます。古くから宿駅となっていた河口湖岸の河口浅間神社には江戸時代中期に富士講の御師(おし) が130軒あまりあったといいますが、後発の富士吉田の浅間神社は「北口本宮」と称するようになり、江戸時代後期には御師が400〜500軒あって、毎年富士山に登る人たちのほぼ半数、恐らく7,000〜8,000人が吉田口登山道と船津口(河口湖口) 登山道から御師に先導されて登ったといわれます。
 富士登山はその江戸時代の大衆登山に始まると言っていいのですが、富士山を語るにはコノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売) の登場にも触れておかなければいけません。
 コノハナノサクヤヒメは『古事記』に登場する絶世の美女で、三種の神器を携えて高天原に降臨したニニギノミコトの妻となるのですが、この女神が浅間神社と結びつくのは江戸時代後期の京都・吉田神道にかかわるものといわれます。
 しかしその布石は古くからあったようです。平安時代に遡ると『竹取物語』ではかぐや姫が天の羽衣をまとって天上に去った後、帝は手元に残された不死の霊薬を、天にもっとも近い山のいただきで燃やすように命じたのです。物語の最後はこうです。
「その山をふじの山とは名づけける。その煙いまだ雲のなかへ立ちのぼるとぞ言い伝えたる」
 明治になると神仏分離が行われ、富士山の浅間神社を本宮とする全国1,300あまりの浅間神社から仏教臭は吹き飛ばされて、富士山本宮浅間神社では「浅間大神(あさまのおおかみ) と御名をたたえまつる木花之佐久夜毘売命」として、当初国幣中社、後に官幣大社となるのです。
 江戸時代に、富士山の登山道は甲斐(山梨県) 側に江戸の庶民を受け入れた吉田口登山道と船津(河口湖) 口登山道があって、駿河(静岡県) 側には大宮(富士宮) 口登山道、須山口登山道、須走口登山道があったといわれます。
 御師は特定の寺社に所属して参詣者の世話をする役職ですが、江戸時代に寺社詣でが遊興・旅行としての側面も併せ持つようになり、講を組むことで団体旅行化すると、御師は現在の旅行業者に近くなり、経済的な繁栄を見せるようになります。その筆頭はなんといっても御伊勢さん、全国に伊勢講が組織されます。たぶん第2位が富士登山、富士講によるミニ富士山が江戸中に作られます。
 富士山の御師はお札を配って富士講を組織しながら、宿坊を経営し、登山ガイドも行っていたようです。富士山中には石室も用意され、「懺悔懺悔・六根清浄」などと唱えながら登山したその情景は、現在、木曽の御嶽山で見る法衣の宗教登山者たちとそう違うものではなかったかと思います。


90歳代の人が毎年登ったり、
山麓から2時間半余りで駆け上がったりできるというのは、
どういうことなのでしょうか


 富士山は江戸時代にはガイド付きで登る山だったわけですが、つい最近まで山小屋は石室と呼ばれ、強力さんを頼むことで、高齢者でも登りやすい山でした。最近はあまりニュースになりませんが、高齢者の登拝名簿から登頂最高齢の記録などが次々に報じられたのもちょっと前のことです。山頂にある富士山本宮浅間神社奥宮と末社・久須志神社には「富士山高齢者登拝者名簿」があって、70歳以上に限って記帳することができます。つまり不老長寿の山とされる富士山では、高齢者は70歳からなのです。
 記帳が始められたのは1960年からで、2010年で累計1,243人に上るそうですが、じつは多くの人が毎年連続してのサバイバル登山を重ねています。以前しばしばニュースネタになったのは、1973年から東京の加藤和三郎さんという人が年齢順の番付表を発表していたからでしょう。横綱を狙うなら90歳代でないとだめ……でした。
 富士登山における高齢競争は考えてみればかなり過激です。そしてもうひとつ富士登山におけるスピード競争も過激です。
 一般にはあまり使われない御殿場口登山道は、1913年に起源をもつ富士登山駅伝(現在のものは1976年から再開) で有名です。毎年自衛隊チームが圧倒的な強さを見せつけるのですが、御殿場市の陸上競技場から山頂の浅間神社奥宮まで標高差3,199m、往復46.97kmを各区間の上り下りをダブルで受け持つ6人で走るというもの。優勝チームは往復で3時間を切るといいます。
 また吉田口登山道で行われている富士登山競争は1948年に始まるそうですが、富士吉田市役所から山頂の久須志神社まで標高差約3,000mの登りで、距離は21km、歴代最高タイムは2時間32分40秒だそうです。
 一生に1度は登ってみてもいいけれど2度と登りたくないと公言する人が多い富士山ですが、90歳代の人が毎年登ったり、山麓から2時間半余りで駆け上がったりできるというのは、どういうことなのでしょうか。
 結論から先に言ってしまいます。誰もがチャレンジできて、どんな無茶をしても命に関わる危険が少ないというすばらしい登山インフラを富士山は備えているということなのです。
 もちろん前提があります。約30度の斜面に20度の勾配で作られたジグザグの登山道をはずれないという大前提での話です。私の手元には1980年に山梨県都留土木事務所が作成した縮尺2,500分の1の「県道富士上吉田線(富士山五合目〜頂上) 平面図」というのがあります。スバルラインで五合目まで上がって、そこから吉田口登山道を登るという一番ポピュラーなルートを前提としておきます。その道筋には現在20の山小屋があって、4,580人を泊めることができるのです。宿泊のほかに、入口の土間のあたりで休憩もとれますから、悪天候などで逃げ込める人数となるともっと多数になります。
 じつは悪天候の場合、装備さえよければよほどのことがない限り登山を続けられると考えていいのですが、雷は危険です。森林限界を超えた日本アルプスの稜線では、遠くに雷鳴が聞こえたら緊張します。もし雷雲がこちらに向かってくるとしたら、逃げ場がないと考えるからです。当たる確率はそれほど高くないとしても、雷に当たると生死に関わります。そのために午後に発生しやすい雷を敬遠して、早立ちして午後は無理をしない計画にするのが普通です。夏の高山で最も恐ろしい雷も、富士山では手近な山小屋に逃げこめばいいのです。
 北アルプスの山小屋のようにけっこうおいしい料理を出すレストラン系の山小屋ができれば繁盛間違いなしだと思うのですが、私が知っている限り、富士山の山小屋は仮眠と応急食とで稼ぐというビジネスモデルから脱皮できないように思います。
 一般的な山小屋の場合、車を近くに止められるようなロケーションでは、個性的な手をいろいろ打つことができます。富士山の山小屋はまさにその種の山小屋なのですから、ヘリで空輸している山小屋と比べれば様々な挑戦が可能だと思うのですが、海の家に対する山の家という雰囲気から逃れられていないようです。登山者が20軒のどの山小屋に泊まろうか選ぶのに悩むような個性があるとはいえません。
 車が近くに止められるといいましたが、富士山の山小屋は高価なヘリ空輸をしなくてもブルドーザーの荷揚げ道で結ばれているのです。日本アルプスの多くの山小屋ではトイレの汚物までヘリ空輸に頼っていますから、富士山のブル道にバキューム・ブルドーザーを1台走らせれば、もっと早く、効率的にトイレの近代化が図れたのではないかと思うのです。いずれは展望レストランだって登場してきておかしくないと思うのです。
 富士山にはもともと荷揚げの強力さんが組合を作っていました。山頂に測候所があったときには、真冬も荷揚げが行われたといいます。その後荷揚げがブルドーザーになったので、山案内人というかたちで残っているようですが、高齢者登拝にはそういう人の助けが必要です。しかしじつは、私もブルドーザーのお世話になったことがあるのです。富士登山の講習会で吉田口登山道の下りがブル道になるところで、歩き方の指導をしました。ところがそれを聞いていない人がいて、あっけなく転んで足を骨折してしまったのです。ブルドーザーに頼んで、運びおろしてもらいました。救助のヘリは来なくても、ブルドーザーがいざというときには活躍できるだけのインフラを整えているのです。


富士山は
高度に対する強さを計ってみる山として
貴重だと考えています


 すばらしいインフラを整えながら、どうしても富士山が「簡単な山」にならない理由があります。高度障害です。私は体験的に10人で行けば、ひとりは高度障害が出ると考えています。20人で行けば、ひとりは登頂できずに下山することになると思っています。そして事前には、誰が高度に弱いかほとんど判別できないのです。七合目あたりで吐き気や頭痛を訴える人は、振り返ると五合目で歩き始めたころから調子が悪い感じがしていたのではないでしょうか。高度に弱い人は標高2,000mあたりからその影響が出始めます。
 しかし多くの人は七合目か八合目の山小屋に泊まって、夕食がおいしく食べられるし、登山に支障が出るようなことはありません。だから富士山に登れた人は、日本の山では高度障害の心配をしなくていい人と考えていいのです。そういう意味で、富士山は高度に対する強さを計ってみる山として貴重だと考えています。
 高度障害の出やすい人には一合目から登った方がいいとか、五合目で体を慣らすといいとかいろいろいわれますが、そういうことよりも自分のカラダが高度に対してどの程度の適応力を備えているのか、まずは知ることが重要だと思います。
 以前、スキー好きの女性が意外にも高度に弱いことからいろいろ考えたことがありましたが、日本のスキーゲレンデはじつはそんなに高いところにはないのです。雄大な山岳風景の中で滑っていても、標高2,000mをちょっと超える程度のゲレンデが多いのではないでしょうか。富士山で高度障害が出るなんて、考えてもいなかったのですが、高さのレベルが違っていたのです。逆にいえば富士山で高度障害が出るからといって日本アルプスに登れないと決めつける必要もありません。標高3,000mまで行動できる身体であれば、日本アルプスでは大きな問題にはなりません。富士山のおかげで、自分のカラダが日本の山に対してどう反応するか、はっきりと知ることができるのです。ですから一度は富士山に登ってみる価値があるのです。
 実際、富士山ではどうなのでしょうか。20人にひとり、途中でリタイアする人がいても、私はまったく心配しません。たとえていえばハシゴの7段目で高度障害が出たら、6段目に下がる、5段目に下がるということで高度障害から逃げられるからです。
 でもその前に山小屋のオヤジさんに相談すれば、たぶん的確な判断をしてくれますし、酸素吸引をしてみるというカンフル注射に類することも(有料ですが) できるはずです。
 もし素人の手に負えない感じがしたら、専門家に相談することもできます。吉田口登山道では五合目に富士山五合目赤十字救護所(山梨赤十字病院) 、七合目に富士山七合目救護所(千葉大学医学部) 、八合目に八合目救護所(山梨大学医学部・富士吉田市立病院) の3つがあり、富士宮口八合目に富士山衛生センター(浜松医科大学) があります。
 富士山の登山道が「30度の斜面に20度の勾配」という標準的な構造であることから、「時速1km」までスピードを落として歩ければ、体力的な問題はほとんど解決します。あとは自分の肉体が、標高3,776mという高度に対応できるかどうかで決まります。それ以外のことは、あまり心配せずに「やってみる」ことです。「やってみる」ことに対応できる大衆登山の山として、富士山は世界に類を見ない登山インフラストラクチャーを江戸時代以来改良し続けて来ているのです。


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★自習登山のすすめ




1.軽登山という考え方


 富士登山に関するところで、装備も技術も考えずに、自己流でチャレンジしてみたら……という乱暴な登り方をおすすめしました。登山技術に関する私のそういう考え方にはどうしても同意できないところがある、と感じる人も多いかと思います。なぜそうなるかと言えば、私の立場がゲレンデ主義、そしてレッスンプロだからです。
 考え方の出発点をきちんとしておきたいのですが、正統的な登山技術の基本は「登山は登山道に頼らない」というところにあることです。基本的な登山技術としては岩登り(ロッククライミング) があります。雪氷技術(いわゆる冬山登山) があって、ヒマラヤなどに遠征する高所登山技術があります。登山道を利用するのはそういう本格的な登山活動の下支えの部分です。
 ある日登山の魅力につかまった若者がいるとします。そこから本格的な登山に踏み込むまで、たいした時間はかかりません。「四年後にはヒマラヤ」というような例はいくらでもあります。だから、どんな入門登山講座でも、いずれその人が岩や雪と格闘する日が来るかもしれないという前提で、正しい技術を伝えなくてはならないということになります。正統的な登山技術はそのように指導されてきたといえます。
 それに対して私の場合は、上限を定めた技術論になります。一般登山道(山の世界で一般ルートと呼ばれるメインルート) から1歩もはずれないという前提で技術論を組み立てています。登山道のおかげで憧れの山に登らせてもらえるという考え方は、スキーでいえばゲレンデスキーに限りなく近いと思います。圧雪車が整えてくれた舗装路のようなゲレンデを安全に楽しく滑り、かつ雄大な雪景色を堪能します。深い新雪を求めて山襞に入り込んでいくバックカントリースキー(山スキー) とは似て非なるスキーです。
 登山道のおかげとはいえ、登山道をはずれなければ100%安全というわけではありません。ただ想定する危険の質と量は大きく違ってきます。登山道登山というのが正確かと思いますが、それを私は軽登山と呼んでいます。
 その立場からすると富士山はとてつもなく安全な登山インフラを備えた山といえるのです。世界有数のその安全性を活用して、できるだけ裸の自分を富士山のなかに放り込んでみるという体験をしてもらうことに価値があるとゲレンデ派の私は思うのです。山で全く新しい自分の姿を見ることができるかもしれません。もちろん私のようなプロはそれをこっそり背後から支えますが、それももちろん登山インフラのひとつです。

 正統的な登山技術では入門技術のその最初から、正しい道具と正しい技術を指導しようと考えるので、どうしてもヘビーデューティになり過ぎると感じることも生じます。私自身が関わった雪山入門の登山講座の場合ですが、登山靴、アイゼン、ピッケル、手袋や帽子に始まる冬用衣類など10万円近い道具を参加者のみなさんに用意してもらったことがあります。どんなに初歩的な技術でも、基本はきちんとやらなければいけないという正論が、登山技術の土台を支えていました。私が山での雪遊びをいろいろ考えるようになったのも、冬山の装備と技術を使わずに雪と戯れる楽しさを味わいたいと考えた結果です。

 登山道と登山技術の関係を考えるとき、たとえば中高年登山では「道迷い」というのが遭難事故のトップを飾っているということについて立場をはっきりしておかなければなりません。登山道をはずれること自体を正統的な登山技術では重要な問題とは見ていないからです。
 日本山岳会が1977年に上下2巻でまとめた『登山の技術』(白水社) は一般登山者に正統的な登山技術を伝えようとした好著ですが、そこにはこういう記述があります。
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 道を完全に見失ったときは、とかく心理的に動揺し常軌を逸しがちである。これでは、正しいルートの確認は不可能になるだけでなく、メンバーも動揺する。慌てず騒がず、気持ちを落ち着けて現在位置の確認に全力をつくすことである。もし不可能の場合は、現在位置に腰を落ち着けて、事態の好転をじっくりと待つか、または位置のはっきり確認できるところまで引き返すことである。不確実なまま深入りしたり、無目的にパーティを分散させてはいけない。手分けして道をさがす場合は、引き返し時間の規制や連絡事項をはっきりと決定しておかないとかえって混乱する。
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 道を見失ったところから登山技術の真価が問われると語っているように思いませんか。
 じつのところ、登山道をはずれた体験は正統的な登山者なら何度も体験しているはずです。与えられた登山道に頼らずとも登れなくてはならないという基本的な姿勢があるからです。ですから昭和30年代の登山ブーム以降、「藪こぎ縦走」が計画されたり、「山域研究」などと称して新しい登山ルートの開拓を試みたりする例がたくさんありました。魔の山と呼ばれた谷川岳の遭難者の多くも、そこに自分の名を冠した新しい登攀ルートを夢みて谷川岳に通っていたのです。道をたどるより、道を開くことに登山の価値があったのです。

 深田久弥は『日本百名山』でさまざまなタイプの山を選んでいますが、皇海山(すかいさん) で次のように書いています。
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どこから登っていいか分からず、自分で道を見つけ、迷い、藪を漕ぎ、野しゃがみをし、ようやく頂上に達するという、本当の山登りの楽しさの味わえる山があったのである。
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 いま、登山者の遭難事故を減らそうという立場から読むと、これはかなりの危険思想ではないでしょうか。『日本百名山』は多くの登山者にとってバイブルになっています。深田はそこに、霧ヶ峰のように「気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする」という楽しさも加えています。
 霧ヶ峰も今では柵やロープで勝手に歩くことはできませんが、九州に行くと、たとえば霧島連山や久重連山では登山者の勝手な踏み跡が山肌に無惨な模様を描いています。私には「無惨」と見えますが、九州の登山者にはそれが「自由」の象徴かもしれません。
 いま、百名山登山をしている人は驚くほど多いのですが、私などがプロとして計画する場合、百名山なら安心です。たくさんの人が訪れているので登山道が整備されて、いわば一級国道のようなルートが用意されているからです。皇海山だって登山道を計算通りに歩くことが可能です。登山シーズン中に一番ポピュラーな登山道をたどる限り、登山道登山の領域に完全に含まれます。

 多くの登山者はナビゲーションの基本として登山ルートを観察しているでしょうが、登山道そのものは意外にきちんと見ていません。谷筋をたどって山ひだの奥へと進む道と、谷底から尾根へ急斜面を一気に登るジグザグ道、それに遠望するとスカイラインとなる尾根道。その3種類の道を意識して見ていくだけで、登山道は案外シンプルな構造として見えてきます。
 すでに述べたように、30度の斜面に20度の勾配でジグザグに延びる標準的な登山道を「時速1km」で歩くという歩き方を身につければ、登山道登山の歩き方は8割方OKと考えます。
 登山道を1歩も踏み外さずに歩くという覚悟を決めるだけで、軽登山は驚くほどシンプルな技術体系にまとまります。


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2.単独登山の危険


 テレビドラマの「水戸黄門」に若い女性の一人旅が登場したとします。山越えの峠道でどんな事件が巻き起こされることになるでしょうか。
 じつはいまあちこちの山で、若くてファッショナブルな女性ひとりの登山者をよく見かけます。昔の「山女」と今の「山ガール」は印象が全く違います。冬のスキー場や夏のビーチにいてもおかしくないような、これまでの山の雰囲気にはちょっと場違いにも感じられる女性が多いのです。ニーチェか何か、哲学書を持っていそうな雰囲気の人もいます。昔、山ではよくハンサム系哲学青年を見ましたが、そういう雰囲気まで、今では女性が奪ってしまったという感じです。
 登山道で一人旅の女性とすれ違う場合には「コンニチワ」という共通の友好サインがあるのでいいのですが、狭い道ですから後ろから追いつく場合にはちょっと緊張します。熊よけの鈴はこういう場合にこそ役に立つかな、と思ったりします。

 山にひとりで出かけることを登山用語で単独登山といいます。「単独」が強調されるのです。そして「単独登山は危険です」というような看板を登山道でよく見かけます。
 ところがひとりで山に出かける人は男女あわせて、けっこう多いのです。私の講座の参加者の中にも何人もいますが、山にハマっている状態の人は、都合のいい日にポンと出たいというような要望が強くなるのだそうです。
 単独登山者というとどこか人嫌いの、ちょっと陰鬱な感じの人物かと思いますが、まったく逆の人もたくさんいます。グループで行くよりもひとりの方が山小屋などでいろんな人と知り合えるというのです。山小屋で知り合った人と連絡をとりあって、またどこかで会うという単独登山を楽しんでいる人もいます。
 一人旅で北アルプスであろうが、北海道であろうが、必要ならテントも持ってどこへでも出かける女性がいます。その人によると「いつでも親切な人に出会える」のだそうです。また70歳から山歩きを始めた男性は単独で北アルプスへ1週間も入ったりしています。グループ登山のスピードだとどうにもならないのに、自分のペースを守れば山小屋泊まりの長旅でも何の支障もないということです。

 私の講習会に直接連絡してくる人はたいてい本を読んだのがきっかけだそうですが、本から入る登山者の多くは、単独登山予備軍です。自分が登山とどう向き合ったらいいかという姿勢を崩したくないという感じがします。ですからこの本をお読みいただいている方もかなりの比率で単独登山をやむを得ない選択のひとつと考えることになるはずです。
 また、今ではインターネット上でたくさんの単独登山者と知り合えるので、むしろそういう世界が最初に広がっていくようです。そういう人が私の講習会に参加するのはとりあえず情報偵察という意味と、あとはひとりでは行きにくい山もあるという合理主義からのようです。いろいろな登山を体験したいという積極的な姿勢が、社会的には単独登山という分類に入れられやすいのかもしれません。

 単独登山が危険というのは間違いありませんが、単独でなければ安全かというとそうでもありません。そこのところをきちんと考えてみたいのですが、単独登山者の場合、何らかの事情で自力下山できなくなったとき、それを通報してくれる人がいないという場合の危険が決定的です。助けられるチャンスを失ってそのまま朽ち果てていくという恐怖が襲ってきます。人に知られることなく命を終える……という危険です。
 では単独でないと安全かというと、そんなことはありません。危険率はもっと高いかもしれません。ただし、その危険があなたに降ってくるよりも、ほかのメンバーのだれかに当たる可能性が十分に考えられます。チームとしての危険率は高くなっても、自分に来る確率は低いかもしれないと考える……と思うのは、落石の危険のある場所や、雷が接近してきたときに、いつも感じることだからです。

 単純に登山能力だけを考えてみます。たとえばあなたがリーダーだとした場合、自分以上に安心なメンバーがいるというのは幻想です。
 お分かりでしょうか。自覚を持った自分自身がリーダーとメンバーの一人二役をしている単独登山の場合のメンバー能力と、あなたのリーダーシップにぶら下がってくるメンバーとを比べたら、もちろん一人二役のほうが能力的に高いに決まっています。
 登山のリスクはチームの一番弱いところに集中していきますから、依存性の強いメンバーは危険です。私はすでに1,400回以上の登山講習をしていますが、参加者に「お任せ下さい」と言ったことは1度もありません。依存性の強い人が参加するようになるとリスクがぐんと高まるからです。年齢や健康状態より依存体質による危険がはるかに大きいと考えています。
 そういう弱体メンバーが加わってくると、リーダーの能力はかなり大きく問われます。そしてさらに、リーダーとメンバーの間のきちんとした役割分担ができずに、単なる「世話役リーダー」しかできない場合が、じつは多いのではないでしょうか。陰のリーダーが存在するというような場合も同様です。チームが危険な状態に遭遇したとき、リーダーは最後に責任を取らされるだけの悲惨な役割になりがちです。

 ただ、目標をひとつにしているチームの場合は違います。メンバーの個性や能力の違いをうまく配合させながらチーム全体の力量をアップさせようと考えるからです。そういうチームに出会ったら、もう運命的です。自分の人生がどちらの方へと運ばれていくか分かりません。
 そうではなくて、あくまでも自己を失うことなく、武者修行として優れたリーダーについて山に出かけてみたいと考える場合はどうでしょう。社団法人日本山岳協会という巨大な組織があって全国の各都道府県に山岳連盟(協会) があります。そこには多くの山岳会が加盟していて、登山講習会が企画されていたりします。あるいは有名登山家などが開いている登山講習会もあります。その延長にはプロのガイドが難易度の高い登山を体験させてくれる世界があります。安全を最優先課題としながらヨーロッパ・アルプスやヒマラヤへと続く道がそこにはあります。
 あるいは旅行会社が主催している登山ツアーが安くて便利という人もたくさんいて、そこから海外の山にまで行動範囲を広げていった人も私の周りにたくさんいます。百名山登山も、ツアーに参加するとかなり割安に実現できます。
 私はカルチャーセンターの登山講座の講師という形でこの世界に入ったので「カルチャー登山」をすすめたいのですが、企業側のリスク管理システムとして登山講座を主催するのはむずかしくなっているようです。私がカルチャーセンターの講座を終了したケースでは「登山は危険」という常識に影響された事業の見直しが多いのです。

 さて、本当に単独登山が危険かということですが、神戸の六甲山から始まった「毎日登山」という運動があります。それに毎週登山の山を加えれば日本中にたくさんあって、そこには単独登山などという概念はありません。老若男女、ひとりでも2人でも何人でもという登山ルートになっています。
 ロープウェイやケーブルカーのある山だと、参詣者や観光客もいて、交通機関などが便利なだけ登山者も多いはずです。首都圏では高尾山、丹沢の大山、御岳山、筑波山などがあります。ひとりで出かける登山者の多い山といえます。
 そういうポピュラーな山に週末に出かけてみると、登山道の様子がわかります。地元の人が散歩がてらに登山しているようなら「単独」というデメリットはほとんど考慮する必要がなくなります。
 北アルプスのポピュラーなルートでは単独登山というより一人旅という感じのところが増えてきました。登山道を1歩もはずれないという覚悟が、一人旅の場合には安全係数を高めるための必須条件です。できるだけたくさんの登山者と場を共有するベストシーズンの週末がさらに安全です。

「単独行」という言葉に重なってくる悲壮感を払拭したいといろいろ書いてきたのですが、じつは単独登山は自習登山の基本です。
 ひとりだと、たぶん、多くの人は歩くペースが速くなります。休憩時間が短くなります。何かに追われるような歩き方になっているかもしれません。それを考えながら歩くだけでもやってみる価値があるのです。
 それから出会う人に対する観察が細かくなるはずです。学ぶべきところがいくつか見つかるかもしれません。いろいろなスタイルの登山者がいるということを知るだけでも収穫かと思います。
 そして一番重要なことですが、自分の行動の全体に責任を持つことになります。道筋に出てくる標識に敏感になりますし、地図を見る回数も増えるでしょう。通過した道筋をできるだけ記憶しておこうと思ったりもするでしょう。今日1日の自分の行動に対して丸ごと責任を取ろうとする姿勢が見えてきます。
 そしてたぶん、自分の判断が楽天的か、悲観的かというようなことまで考え始めているかもしれません。たかが日帰りの、誰もが歩けるポピュラーなルートでも、単独登山だと体験の量が格段に増えるのです。それだけ長く記憶に残る山になるかもしれません。無事に下山するまでにたくさんの推理をし、たくさんの判断をし、いくつかの情けないミスもしたりします。生きるの死ぬのといった大げさなことではないのに、山の中で自分自身と真正面から付き合わされたという感じになるのではないでしょうか。
 岩登りだとわかりやすいのですが、トップで登るのとセカンドで登るのとでは同じザイル・パートナーでも難易度は全く違います。単独登山はそのトップの体験であり、リーダーの体験なのです。人の後についてただ登れたというのとは全く違う山なのです。
 一度でいいですから、単独登山をしてみていただきたいと思います。自習登山という感覚で。


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3.時計でナビゲーション


 登山道のナビゲーションでは最初に地図が必要……ではありません。地図を持たずに歩ける山を選んで、時計ひとつで歩いてみるという体験をすすめます。

 もう30年ほど前になりますが、私は地図担当講師として中高年登山に関わりました。それ以降「地形図」と登山の関係を自分なりに考えてきましたからそれについては後でまとめますが、ここでは地図に触れません。地図をよく見るという一般的な方法より、登山道そのものをきちんと見ることがナビゲーション技術としては重要です。ほとんどの人は地図上にある登山道と、現実の登山道を見比べるだけで四苦八苦してしまいます。ですから地図は使いたくないのです。もちろん方位コンパスも使いません。普通の腕時計と、メモ用紙とボールペンを用意します。そして地図を持たなくても登れる小ぶりでポピュラーな山を選びます。

 まず、登山道には必ず登山口があると考えます。標識に「登山口」と書かれているとは限りませんが、自動車道路や遊歩道からいよいよ登山道になりますという切り替えは表現されているはずです。一番簡単なかたちだと小さな矢印に「○○山」という方向が示されて、貧弱で急な階段になっています。登山口の確認は、ときに一番神経を使います。起点がしっかりしていないとナビゲーションが成立しないからです。
 ともかく登山口の出発時刻をメモします。その時に、私のように数字に弱い人は5分単位に数字を丸めてメモすることをすすめます。何時何分という数字があまりに細かいとドンブリ勘定がにぶります。ナビゲーションではそれがかえって致命傷になることがあるからです。
 ですからおおよそ5分単位、あるいは10分単位で登山道の変化を見ていきます。

 すでに紹介しましたが登山道を3つの基本タイプに分けて観察します。
(1) 谷筋をたどって山ひだの奥へと進む道
(2) 谷底から尾根へ急斜面を一気に登るジグザグ道
(3) 遠望するとスカイラインとなる尾根道
 このとき、さらに上位の大原則を知っておくと迷いがなくなります。それは登山道はひとつの斜面には1本しかないという原則です。本道のみをたどるという前提が崩れたときに、道迷いは起きるからです。
 山に入っていくと、谷筋は何本もの沢に分かれながらゆっくりと伸び上がっていきます。その沢と沢との間には間仕切りとしての枝尾根が張り出してきています。その枝尾根はたいてい急峻でとりつく島もない状態だと思いますが。上部で主要な尾根に接続して、その尾根が主稜線と呼ばれる大きな尾根となって山頂へと伸び上がっていきます。
 山岳雑誌では山の記事にシンプルな概念図を添えていることがあります。直線的な太い線で尾根を示し、細い線で沢を示しています。それでその山域の骨格は描けるのです。

 日帰りの山であれば登りは2〜3時間でしょうから、谷道を30分ほど奥へと進んで、それからジグザグ道を30分から1時間登ります。尾根に出たところが枝尾根なのか、主稜線なのかで違ってきますが、1時間ぐらいで山頂というよくあるパターンで考えてみます。

 谷道では水の流れの脇を歩いている間、勾配はそれほど急にはなりません。その代わり、岸辺の道は時折流れを渡って対岸に移ります。木の橋が架かっていることもありますし、流れの中の飛び石をたどって渡ったりします。
 大きな山の場合は谷の規模も大きいので、雨の時の水流が橋を流してしまうこともあり、なかなかやっかいな場面があります。しかし日帰りの山では沢の規模が小さいので通過の難易度が上がることはあまり心配しないでいいと思います。
 ただ、木の橋は濡れていたり、苔がついている場合にはものすごく滑りやすく、滑って転倒すると大怪我をするような状況になっています。日帰りの登山道で最も危険な存在です。
 ですから私は必ず「2種類のものを同時に踏むように」と注意します。たとえば濡れた板を普通に踏んで歩こうとすると、重心移動の際のほんのわずかなバランスの狂いで、見事に足をすくわれます。川にドボンというのならまだしも、下は岩だらけの川底です。ですからたとえば靴底を半分板から落とすような形で、2種類のものを同時に踏む努力をしてほしいのです。
 私は1年に1度あるかないかの危険な橋渡りのために、軽アイゼンを常備しています。鉄の爪を靴底につければ、滑るという心配は不要になります。それほど危険な状況ですから、人があまり利用していない雰囲気だったら、流れの中に渡渉ルートを探してみるべきです。

 そのうちに、小滝が現れたり流れが見えなくなったりすると、道はたぶん、斜面を一気に駆け上がることになります。
 斜面の勾配に対して登山道がジグザグに切られているところでは小刻みなジグザグで急登気味の場合と、緩やかに大きくジグザグを切っている場合とがあります。地形的な制約というよりも作った人の感覚の違いが大きく影響しているように思います。一般的にはスギ・ヒノキの植林地で傾斜の勾配は約30度と考えます。

 尾根に出ると、あとはたいていそのまま山頂へと登り詰めていくのだと思いますが、主稜線が長いときには途中にいくつかの小ピークがあるかもしれません。そびえ立つ山と見えますが5分とか10分で登り切ってしまうようなものだったりします。
 それから尾根道の多くは背骨の上を律義にたどるとは限らなくて、少し下がった斜面をトラバース気味に登っていくことも結構あります。しかし上を見ると尾根が確認できるのでピークをひとつパスしてしまおうという、いわゆる巻き道とは考えない方がいいと思います。岩稜を軽く逃げる道というふうに見ておきます。本格的な巻き道なら律義に山頂を経由する尾根道との分岐がきちんと用意されているからです。

 地図なしで歩ける山にそれほど難易度の高い渡渉地点や岩場があるとは思えませんが、やさしいところでも通過地点を記録していきます。
 記録したいのは登山道の性格が変化した点、道標があった地点、赤布と呼ばれるルート標識(木の枝に赤布をつけたのが名の由来ですが、ビニールテープや荷造りひもの場合もあり、色も赤に限りません。しばしば関係のない林業作業用のマークも出てくるので継続的な観察が必要です) が続いた区間、その他の標示物や人工物です。5分単位、10分単位で見ていくと、そういうものが何も出てこない区間が気になります。当然、そのときには登山道が本当にこれでいいのかと不安にもなります。
 どこかで道を間違えていたかもしれないという可能性が軽く生じてきます。
 さてどうしましょう。登山道として間違いなかった通過ポイントの最後は何分前だったか。じつはそれが登山のナビゲーションで一番重要なチェックポイントなのです。地図を持っていたりするとなんとなくこのあたりにいるだろうと推測して不安を押し流してしまいますが「登山道としての最後の確認ポイント」が何分前だったかという情報にこそ価値があります。
 細かく書いていくと作文によるシミュレーション・ゲームと思われる方もいるかもしれません。しかし登山道の最初の部分で、私などもけっこう慎重になることがあるのです。たとえば「山道」という不思議な標識があって、立派な道が延びていたりします。作業道という意味でしょうが、そういう道が登り始めの里山の部分には結構あります。それから作業用の林道が縦横に延びていて、登山道がそれを渡っていくという感じのところも結構あります。出たところはいいとして、向こう側の入り口が本当にそれでいいのかという不安があることも多いのです。そういうときには登山道である確信がもてるまで、時間を計りながら進みます。

 そういう状態になると観察の目が厳しくなります。おそらく10分もしないうちに登山道である印が何か発見されるでしょう。しかし道はしっかりしているのに30分も歩いてもそこにたどってきた登山道と証明できるものが出てこなかったら引き返してみるべきです。
 たしかにこのままでいいと思いながら、それを裏付ける証拠を探しながら進む10分間、あるいは30分間がきちんとしていれば、ナビゲーションに問題はありません。登山道というものが、どれほど危ういかということと、同時にどれほど確たる存在であるかということをたった1回の登山で感じられることでしょう。
 登山道に歩かされるのではなく、こちらの時間目盛りで切り分けながら歩いてみると、ともかくいろいろのことが見えてきます。結果オーライというだけではないナビゲーションを体験することができます。


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4.「道を戻る」という鉄則


 1980年代に始まる中高年登山が山小屋の食事や寝床の環境を向上させてきたのは間違いありません。今、若い人たちが山に来て「いいじゃん、山小屋も」と言う環境は整っていたのです。
 そこに突如「山ガール」に代表される若い登山者が進出してきました。北アルプスなどでもこれまでほとんど見ることのなかった若い女性と頻繁に行き会うようになりましたが、若い女性が増えれば若い男性も増えるのが当然の流れで、女性をエスコートする男性だけでなしに、男性グループも多くなりました。
 でも当面、注目したいのはかっこいいカップル登山者です。海に行ってもおかしくない雰囲気で山に出かけてくる感じが、とても新しく思えます。これなら山の平均年齢はまだまだ下がっていきそうです。

 新しい登山者がどんどん増えていくのはいいことですが、中高年登山でとうとう改善できなかった「道迷い」の対策について強く発言しておかなければいけないと思うようになりました。「登山道登山」を考え「軽登山」という看板を掲げたのもそのためです。
 たぶん登山の技術書では「道に戻る」方法をいろいろ解説してくれているのではないでしょうか。冷静に現在位置の確認を試みようとか、谷に下ってはいけないとアドバイスされているはずです。しかし私はその一点「道に」に反対なのです。登山道登山という考え方からすれば「道を」戻るのでなければなりません。

「道に戻る」という考え方の背景には登山道に頼らないという正統的な登山技術のピラミダムが存在します。それが多くの登山道登山者を混乱させます。
 たとえば車で考えます。一般にマイカーと呼ばれている車は道路以外はほとんど走れない乗り物です。オフロードタイプの車をプロが運転するのを見たことがあるますが、車の能力としては素晴らしいものがあります。しかしオフロード車でも、オーナードライバーは怖くてとてもそんな運転はできません。せいぜい荒れ地をゲレンデにしてオフロード感を楽しむぐらいのことでしょう。車をおシャカにしてしまう危険まで踏み込んだ運転には相当の勇気がいります。
 登山でも、善良なる登山者は登山道のおかげで素晴らしい山に登らせてもらえるという認識を忘れないでほしいのです。登山道を外さない限り、初心者でも『日本百名山』のほとんどに挑戦できます。登山道を外すのなら、本格的な岩場や滝の連続する沢できちんとした技術を習得してほしいのです。

 話を「一般登山道」に限定します。登山道と一口に言っても、足元の状態は千差万別です。最近では階段状の土留めが施されていることが多いので、歩きにくいと文句を言う人は多いとしても、登山道をはずす危険は限りなくゼロといえます。湿原や湿地ではヘリで運ばれた枕木状の木材を並べた木道が伸びています。木道がないところでも周囲を踏み荒らさないようにロープを張ってあれば、道路の標識としては完ぺきです。
 しかし標準的な登山道のイメージは「踏み跡道」です。人が踏んで固めた路面が幅50cmから1mで続いています。歩きながらすれ違うことがためらわれる道幅です。私たちグループの場合、向こうから来る人との接近距離を計りながら、軽く頭を下げ、あるいはコンニチワと声を掛けます。そしてこちらが下りなら「登りの人が来ます」とこちら側のメンバーに声を掛けます。

 そこがゲームとして面白いところなのですが、こちらが大人数だとほとんどの人はちょっとひるみます。向こうがどうぞどうぞと道を譲ってくれてしまうことも多いのです。ですから『登り優先です』ということをジャスト・タイミングで知らさないといけないのです。あちらに直接「どうぞ」とも言いますが、こちらの人数を見てひるむ人も多いので、こちら側で勝手に「登りの人が来ます」と態度を表明してしまうのです。
 逆にこちら側が登りの時には、優先的に行かせてもらいますという意志を見せながら接近して行かないと、あちらが道を譲るタイミングにとまどうことにもなります。
 昔東アフリカの幹線道路で、車のすれ違いに必要だった技を思い出します。当時は舗装道路といっても中央に1車線だけというのが一般的でしたから舗装路上で2台の車がすれ違うことはできませんでした。ですから車が接近してくるとお互いに牽制しあうのです。相手がどんな車で、どんなスピードで、強気の運転をしているかどうか見るのです。お互いに道を譲るにしても、こちらが一方的に譲るにしても、そこに至るまでにはけっこう緊張した駆け引きがありました。

 それと同じように、日本の一般登山道では、すれ違いには必ずと言っていいほど、接近時の駆け引きがあるのです。
 よくあるパターンですが、こちらの列の中のひとりが、その場所でパッと止まらずに、前の仲間を追いかけて、すこし移動したとします。すると登りの人はその動きに敏感になっていて、止まってしまったりします。
 私はいつも先頭にいますから、登山道で「コンニチワ」という挨拶をし合うタイミングも、けっこう微妙なことが多いのです。一般的な登山道は、すれ違いにかなり神経を使うほど狭いと考えておくべきです。

 せまいだけならいいのですが、どなたかが草刈りをしてくれないと、秋には草に覆われて足元が完全に見えないというふうになります。それが笹原の中の道なら、路面までが笹の根に占拠されてしまいます。毎年必要というほどではありませんが、道を見失うかもしれないと心配になるほど草に覆われてしまった登山道を時々体験します。
 しかし草に覆われた道はまだいいのです。覆われてはいますが、踏み跡はちゃんと残っていますから、それを踏み外す危険はあまりありません。問題は河原です。流れに沿う道が広い河原に出ることがあります。渡渉して向こう岸に渡るところでその渡渉点を見失ってしまうこともあります。そういうところでは岩の頭に人が踏んだ跡を探しますが、一度道筋を外してしまうと、怪しい痕跡がたくさんあっても、それがつながっていかないのです。
 当然、もうちょっと先まで見て、答えを見つけてしまおうとしたりします。路面だけでなく、木の枝になにか目印がついていないかも探します。
 冷静になれば最終的には何とかなるのですが、それが夜だともうお手上げです。ライトをいくら振り回しても見つかるようなものではないからです。悪あがきは続けるとしても、夜が明けるまで動かないのが賢明という場面です。

 森が切れて岩の広場のようなところに出ると、河原と同様、フッと道を見失うことがあります。ペンキマークと言いますが、丸印や矢印が岩に描かれています。ところがそのひとつを見落とすと、その次が出てくる保証がありません。岩肌についた苔の類がペンキマークに見えたりすると、ちょっと危険な状況です。ガス(山霧) がかかると暗夜と同様にナビゲーションは非常に難しくなります。
 ずいぶん難しい場面が登山道にはあるのですが、もっといやなことがあります。地面の岩と土壌との関係だと思うのですが、踏み跡道が一瞬消えることがあります。たとえば岩場の手前、小さな草むらで行き止まりになる感じのところがありました。多くの人が同じ体験をしているので、周囲に道を探した践み跡道ができています。道探しの道はトイレ道と同じで、行って帰った分、立派だったりします。
 そういう混乱が続くので正規の道がなかなか浮かび上がらないのですが、ほんの数歩分が草むらに消えた感じでみんなを惑わせていただけです。

 こういう難しい場所が時折出てくると、当然、シマッタと思います。そのシマッタはまだ敗北宣言ではないので無視することもできるのですが、ナビゲーションでは小さな疑惑の段階がものすごく重要です。
 どうしたらいいのか。
(1) シマッタという状況を自分にも周囲の人にも明らかにします。
(2) 立ち止まって前後左右を見回します。ほんの数歩手前で何かを見落とした可能性が高いのです。
(3) 時計を見ます。正しい登山ルートであると確認した最後の地点から何分来たかを見ます。
(4) 荷物を置いて休憩とし、近ければ空身で、遠ければ荷物を持って戻ります。

 日本の山は箱庭的なので、5分、10分、最大でも30分の空白があるだけです。登山道をきちんと見ながら通過時刻を時計で管理していれば、正規の登山道にはそれほど大きな空白部分が出てくるとは考えられません。
 じつは私もしょっちゅう道を失うのですが、シマッタと思った地点で立ち止まると、列の後ろの方の人が、そこに何かありました。という程度のことが多いのです。しかしそのシマッタをなんともなかったことにしたいと先へ進むと、やっかいなことになります。
 積極的に道を探してはいけないのです。いろいろな要素が複雑に絡み合う前に、今歩いてきた道をそのまま素直に戻ってみるというだけでほとんど解決するのです。自分のミスが何であったかも分かります。
 そして重要なことは、来た道を戻っている間は、まだ道迷いではないのです。

 ベテラン登山者は全員だと思いますが、道を180度間違ったことがあるはずです。いろいろ考えて「やっぱりこっちだ」という結論が180度違っていたという場合です。
 いろいろ考えるとかえって間違えるという危険が登山道にはあるのです。ですから問題を頭の中だけで解こうとしないで、リスタートの地点を少し戻してみるだけのことなのです。もともとシンプルな世界のことなので、行動原則をシンプルにしておきたいのです。
 そういう意味では地図を見るというのも危険なのです。頭が混乱しているときには自分の都合のいい「現在位置」を見つけたくてしょうがないからです。その結果、後でガッカリすることが多いはずです。とんでもないところに「現在位置」を考えていたという苦い思いがたくさん残ります。地図のおかげで状況がさらに悪化するという場合も多いのです。
 登山道のお陰で登れているのですから、どこまでも登山道を信じ切るという姿勢が最も重要だと思います。不安になったら「道を戻る」のはその最も重要なポイントです。


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5.偵察


 登山道を1歩もはずれないという基本的な姿勢でいれば、もし現在位置が不明になったとしても三次元の広大な空間に迷い込むことはないはずです。たとえ道筋を間違えていたとしても、あくまでも二次元、線上での道迷いに限定されているはずです。

 私自身の最近の小さな偵察体験をご紹介します。
 その日はJR中央本線の笹子駅から本社ヶ丸(ほんじゃがまる) という山に登りました。ちょっと変わった名前ですが「丸」は「山」とか「岳」と同義です。
 主稜線に上がって清八峠から南に行くと三ッ峠山ですが、東に進むと標高1,631mの本社ヶ丸。そこから中央本線に沿って大月方面へと向かうのです。鶴ヶ鳥屋山(つるがとやさん) という標高1,374mの手前から笹子へ下るという軽い縦走計画でした。
 この尾根道は樹林に囲まれていますが、自然林なので季節の彩りがあります。本社ヶ丸のあたりでは岩稜という感じですが、尾根はせまくなったり広くなったりしながら、大方は下り基調で伸びていきます。時速約2kmという歩きやすい道で、南側に三ッ峠山があり、富士山があります。歩くだけでなかなか楽しいのです。

 その終盤でした、小さな峰をトラバース気味に下るらしく、道が左にきれいなカーブを描いていました。そして下り……に。
 下り始めたところに中高年登山者のものらしい薬が落ちていました。カプセル薬やら錠剤やらを小さなポリ袋に入れてあります。たぶん1回分の常用薬なのでしょう。道は尾根を気持ちよく下って行きます。
 しかし道筋はあるものの、落ち葉に覆われて踏み跡が露出していません。小さなトラバースの入口だと思っていたのに、尾根を気持ちよくどんどん下っていく気配です。
「もしあの薬が落ちていなかったら……」と私は考え直します。このまま下ってみたい尾根だけれど、道のありようが希薄ではないか、と判断基準を調整します。
 そこで「ストップ!」。列の後ろの方の人に聞いてみると、「何かあった」という意見も。「間違った」という証拠もないのですが、「間違っていない」という確信もありません。気持ちよく下ったので未練が残りますが、ここは休憩にして、私が空身で戻ってみました。
 5分登り返すと、ありました。大きくカーブしたそこが稜線上の小ピークで「角研山」という手書きの札がありました。鶴ヶ鳥屋山方面の矢印もありました。バンバン飛ばしていなければ見落とすことはなかったと反省しました。

 たった5分の登り返しですから道迷いの例としては最も軽傷と言っていいかと思います。しかしそれでも、戻ると聞いたみなさんは「ええ〜っ?」などと非難コールです。これが15分も下ってからなら10年ぐらい言われそうな大失敗ということになります。
 そのブーイングが怖くて、ストップをかけられないということが一番怖いのです。「アレッ?」と思った瞬間に「ストップ!」と叫ばないと、どんどん悩みます。そしてどんどん進んでしまいます。

 この場合は「道が消えた?」というケースに分類できるかと思います。前進に疑いが出てきたのですから、戻ってみるしかありません。
 もし同様に間違えて下った登山者が多ければ、堂々たる道になっていたはずです。あとで地図を見ると快適に下って意外に早く林道に出てしまうようですから、地元の人の隠しルートになっていてもおかしくありません。そういうときには、すこし下ったところに小さな赤布がこっそりつけてある可能性もあります。たとえば六甲山にはそういう道がいっぱいあるように思います。
 その道が隠れ下山路であればそれはそれでいいのですが、派生した尾根道は最後のところで急斜面になっている場合があります。やむなくそこで引き返した人がいると、そこも踏み跡が2倍になります。

 やっかいなのは岩の広い尾根です。森林限界の標高2,500mあたりから上の世界ではしばしば登場するパターンです。ペンキマークをたどって進んでいきますが、それをはずすとあとは人が踏んだ痕跡を岩の頭に探しながらルートを探すしかありません。
 ペンキマークは視野を広くとっていれば見つかるのが普通ですが、ガスがかかると難易度は一変します。焦るとつまらないミスを犯します。ガスはまだいいのかもしれません。夜になったら基本的には動けなくなります。

 予定通りの登山ルートからはずれたら、一刻も早くストップして「偵察」モードに切り替えるべきなのです。
 偵察の基本は2つあります。ひとつは問題解決までに時間と労力がどれほどかかるか分からないという前提で、まずは休憩することです。落ち着くということが重要で、水を飲む、甘いものを口にする、必要なら食事もします。時間に追われるのではなく、偵察に当てる数時間をこちらで先手を打って用意するという積極的な姿勢が問題解決に重要な要素となります。
 それから、いわゆる「偵察」です。一番素朴な形としては、偵察開始地点に荷物を置いて、メンバー全員で四方八方に最大5分間進んでみます。もっとも5分進めるようならそれはけっこう立派な道でしょう。ルートからはずれていれば、ほんの1分も進めずに引き返してくるはずです。

 正しいかどうかは分からないけれど道はあるという場合には、荷物を背負って30分進んでみます。その30分は偵察モードです。ですからその道を引き返してくる可能性を残しています。つまり戻ってくるときに道を間違えないように、振り返りながら慎重に進むのです。
 日本の山では、たいてい30分進むと違う斜面に出ます。稜線であれば特徴的な地形に出会うはずです。だから30分を限度に進んでみるという能動的な仕切りがものすごく有効です。戻るという判断も30分が基準ならそれほど重苦しいものにはならないでしょう。
 偵察というのは、戻ることを考えに入れながら前進するという行動形態です。大きな団体登山では事前に偵察を出す例があるかと思いますが、多くは「下見登山」になっているように思います。
 じつは偵察は面白いのです。ワクワクするほど面白いはずなのです。登る予定のルートを自分たちで登れる範囲で登ってみて、本隊を成功させるためにはどういう計画にすべきかを探ります。初登頂をねらうヒマラヤ登山などでは必須の作業といえます。
 なぜ面白いかというと、登頂して万歳! という直線的な登り方ではなく、自分の力量と最終目標である登頂との間にいろいろな可能性を考えることができるからです。与えられた時間でできる範囲のことをやって、できる範囲で引き返す。そこにはいろいろな発見の可能性が潜んでいます。つまり冷静に観察するおもしろさが偵察にはあるのです。

 いかがでしょうか、山の一人旅や単独登山の危険をいう前に、偵察登山という考え方を導入してみてほしいのです。それならば、引き返すことを前提に山に向かうことができます。しかも自分自身の力量を存分に発揮しながら、憧れの山をひとつひとつていねいに登ることができるのです。


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6.撤退に勇気はいらない


 山岳事故をなくそうという人がよく「勇気ある撤退」という言葉を使います。登山道にも時々そういう注意書きがありますから、無知な報道用語というだけではないようです。そしてそれは私には全く理解できない概念です。

 第一に、勇気は前進にこそ使うべきです。一流のアスリートが最高のパフォーマンスを発揮するために、試合で100%の力を発揮させる努力をしているのをどう考えますか。前進に100%の力を発揮させる以外の選択はあり得ません。
 道を戻るとします。戻るから簡単とは限りません。さっき通った同じ道でも条件がどんどん悪くなっているかもしれません。天候や時間など外的な条件もですが、疲れや空腹など内的な条件もどんどん悪くなっている可能性があります。戻るにしてもその行動自体は勇気ある前進でなければ危険です。エベレストでは撤退時に遭難する危険が大きいといわれます。撤退は前進の方向を180度転換させる決断でなければいけないのです。

 そうだとすると、勇気が必要なのは計画上の前進を止めるという判断に対してということになります。勇気をもって前進プログラムを終了しましょうという意味かと思います。もちろんそれに対しても私は反対です。
 その場合「撤退」が悪いことと考えていませんか? 意気地ないとか残念とか、無念というマイナス要素を勇気を出して払拭して撤退を決断しようという意味ではないのでしょうか。もちろん、そういう敗北感を含んだ言葉と理解しても私は反対です。
 勇気によって撤退の判断をするのにはどこか無理があるといいたいのです。撤退はできれば自動的に決定されなければいけないのです。

 撤退を偵察という概念のなかで選択するなら矛盾が起きないのですが、ともかく撤退を決める方法をひとつ紹介します。
 登山という行動を進めるなかで「想定外」と感じるものがあったら数えていきます。よくあるのは雨です。私の講座では雨はいやだけれど仕方ないという人が集まるので、雨は想定外には数えません。気温が10度を割る時期には手袋や帽子など軽い防寒装備を用意してもらいますが、持ってこなかったという人がいれば想定外にカウントします。
 歩き始めて調子のでない人がいるとします。調子が戻ればいいのですが、戻るまでは想定外に加えておきます。登山道の路面が荒れていて、ペースを上げることができないという場合も想定外。初参加者がいて後半どこまで歩けるかまだわからないというのであれば、それも想定外に数えておきたいと思います。「ちょっといやだなあ」と思うものは、全て想定外にカウントするのです。
 一番重要なのは予定の登山ルーが通過可能かどうかということでしょう。ひと雨降れば土砂崩れが起きて通行が危険になるという可能性もあります。それを確認したいためにインターネットの登山レポートを探します。登山口でなにか情報がないか探しても見ます。
 以前、恵那山(2,191m) に出かけたとき、黒井沢登山口に「神坂峠への縦走はできません」という(いくぶん古い感じの) 立て札がありました。避難小屋に1泊する計画でしたが、頂上から引き返してくる覚悟をして出かけると、道は通れるようでした。新しく草刈りされていましたから、それまでは通行が難しい状態だったかもしれません。向こうから登ってくる登山者と出会えれば、通過情報はもっと確実なのものになります。
 つまり気になる弱点で気づいたものがあれば、どんなに小さなものでも数え上げておきたいということです。
 しかしその想定外は、固定的ではありません。時間がたっぷりあって安全第一のゆっくりペースで歩ければチームの踏破力はアップします。下山時刻が遅れる場合でも、タクシーを呼んで最終の電車に間に合う時刻までにまだ余裕があれば、次善の策を採ることによって、時間に関わる想定外のいくつかは消えていくかもしれません。
 簡単に言えばちょっと気になるマイナス要素を「想定外」という引き出しに放り込んで行くのです。一人旅の場合、今日は気分が乗らないという意気地のない想定外もあり得ます。
 それに加えて、登山道を進むに従って技術的な難易度が加わってくるかもしれません。「このままではまずいな」というものが出てきたら想定外です。

 たぶんみなさんは想定外のあいまいさに気づかれているかと思います。楽観的な性格の人と、悲観的なタイプの人では、力量が同じでもその数え方が違うはずです。レベルの低いチームと技術の高いチームとではもともとの基礎点のようなものが違うはずです。そうなのです。人によってどこまでを想定内とし、どこからが想定外かは千差万別なのです。
 あいまいでいいのです。主観的でもいいのです。想定外と分類するものがいくつもカウントされていくのですが、あるとき突然、これ以上想定外が増えたらどうしようと不安になることがあります。いい加減な方法ですが、想定外の満腹感というようなものです。そうなったら、その後の行動で想定外の要素をできるだけ想定内に取り込んでいくことを考えます。つまり安全第一にシフトするのです。
 撤退というのはその安全第一主義の重要な選択のひとつなのです。予定通りに進むときに加わってくるかもしれない新たな想定外と、進んできたルートを逆方向にたどるときに解除できる想定外とを天秤にかけて、選ぶだけのことなのです。主観は入っていますが、決定に勇気などは不要です。
 撤退しないで安全を確保するために私の場合はどうするかというと、プロとしてのアシストを強めます。クサリ場では補助ロープを十分に設置して、全員が確実に通過できるようにします。時間管理上スピードを落とせない場合には、ダブルストックの使い方を徹底したり、だれかのザックを軽くして全体のスピードを維持したりします。

 このようにして想定内と想定外の境界を見極めながら前進していくと、行き詰まって「勇気ある撤退」などという前に、足を振り出した1歩1歩にまで前進か撤退かというような判断が存在することに気づきます。
 でも、それではあまりにもお粗末と言われそうです。リーダーがそんないい加減な判断基準でチーム全体に及ぶ判断をするなんてけしからんと言う人もいそうです。でもそういうことを私は信じているのです。あまりにもはずかしい想定外を並べて撤退したのなら、下山後全員で十分に討論してみることを勧めます。それがその人、そのチームの現実なのですから。固有のカルチャーだとも言えます。
 積極的な考え方をするなら、リーダーが想定外だと思ったことを、次には想定内にしていけばいいのです。メンバー全員の「足が揃う」というだけで想定内領域は驚くほど広がるはずです。ダブルストックを下りに使うだけで、チームの能力が格段に向上するのも、悪条件が加わってくるかもしれない最終側面での安全性とスピードを維持しやすいからです。
 縦走路のクサリ場は事故が起こらないように設置されています。岩場でクサリを使わずに通過できる領域が多ければ、そこに余裕幅が見込まれるので想定内が広がります。あるいはリーダーがロープを持っていて、最悪の場合だれかの安全をロープで確保できればそれも想定内を広げることになります。
 もっとすごい例があります。北アルプスの縦走路では驚くほど稚拙な歩き方をしている若者たちを目にするようになりました。一言でいえば危なっかしい登山者です。ところがある山小屋の人は「若い人は大丈夫」と言い切るのだそうです。経験的にも事故が起きにくいのでしょう。
 この人たちはおそらく「想定外」などというものをマイナス要因としてカウントしてはいないのです。「ヤバイ」と思いながらも「想定外」とはしない。じつはそれもアリなのです。探検家は成果を持ち帰ってナンボですから行動原理はきわめて世俗的です。探検がかつては軍事遠征と限りなく接近し、現代ではジャーナリズムと重なっているのはそのためです。しかし冒険家は勝ち負けよりも自分の行動美学に大きな価値を求めます。自分のスタイルで高い壁を突破できるかどうか、チャレンジすることに価値を感じます。一流のアスリートや芸術家がもっている資質と同様の「独自性」が試されます。ベンチャービジネスもベンチャー(冒険) という点で本質は同じです。
 つまり本人がカウントする「想定外」は人によって全く違うと考えるべきなのです。外からとやかく言えるものではないのです。

 登山道を「一般向け」とか「熟練者向け」とグレード分けして判断の目安にするというのは表現のひとつとして分からないではないですが、偵察モードで登る、自分の判断で引き返すという方法を採れば、チャレンジの可能性は無限です。あとは成功の確率の高いプランを練るかどうかです。


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7.万全を信じない


 私の考え方を理解していただければ「万全の装備」などあり得ないということは明らかでしょう。それは言い方を変えれば「想定内の装備」という意味だからです。想定外には対応できるかどうか不明という意味も含まれているからです。
 では「万全以上」の装備はあるかというと、現実的ではなくなります。ヘビーデューティをさらにヘビーにするというナンセンスなものになりかねません。あるいは装備が増えすぎて極地法という名で知られる重装備主義に陥ります。ヒマラヤ登山などで現在も使われている前進キャンプの設営です。装備が多いので順次荷揚げしていかなければなりません。そこまで考えなくても、いざという場面を想定した道具を満載したザックは重くて行動的ではありません。

 ただ「万全以上」の可能性を信じることは可能です。
 たとえば衣類のレイヤードシステムというのがあります。重ね着です。私は登山用の衣類を完全に化学繊維に切り替えてしまいました。化学繊維は天然繊維の優れた能力をひとつずつクリアしてきました。速乾性や保温性、洗濯対応性や抗菌・消臭性など、化学繊維の高機能化には驚くべきものがあります。
 しかも化学繊維ではその性能が劣化しにくいのです。昔天然繊維の代表としてオールウール・マークというのがありました。純毛表示です。しかし純毛と混紡の仕切りは表現できても、純毛にはピンからキリまで大きな幅がありました。そしてその品質の幅は値段に反映されるのが普通でした。同じカシミヤのアンダーシャツでも、デパートによって最高級品として売られているものが二万円から五万円までとずいぶんな幅がありました。
 ダウンなども同様です。羽毛といってもダウンとフェザーの比率の違いがありますし、ダウンの品質もいろいろです。おまけにダウンは湿気を吸収する能力が保温と同時に重要です。そして湿気を吸収しすぎると保温能力が落ちていきます。品質に幅がある上に、使用状況によってその品質が変化していきます。
 登山用品におけるウールの復活も見られます。ウールは保温性がよく、コットン同様の吸湿性があります。そして繊維内の湿度によって若干の発熱性もあるといいます。最近の発熱する化学繊維はそういうウールの発熱機能をブラッシュアップしたものです。
 たしかにウールの高級品には特化した機能が期待できます。しかしそれを維持するためには特殊な洗剤でていねいに手洗いするなど、性能の低下を防ぐ努力を求められます。
 化学繊維は性能が低下しにくいので、条件が悪化したときほど、信頼できるというのが私の考え方なのですが、それはともかく、衣類のひとつひとつの機能と性能を見ながら、できるだけ多様な組み合わせができるようにシステム化しておくと、その組み合わせで想定域を広げることが可能になります。
 有名な例ですが、いざというとき、手袋は靴下になりませんが、靴下は手袋になるのです。外側に一枚着るよりも、内側に発熱繊維を着る方が効率的です。また透湿防水雨具を外界から身を守るバリア(防壁) スーツと考えることで、内側に着る個々の衣類の性能をどのような環境下でも落とさない方向に向かいます。
 気温が10度を割るような季節になると、私は使い捨ての「貼るカイロ」を持つようにしますが、足の冷えを防いだり、腰や腹に貼って保温着1枚分の効果は期待できます。とくに中高年になると手足の冷えを自力で回復させるのに時間がかかりますから、発熱系の保温具に価値があります。そして貼るカイロは肌着1枚を隔てて体温に近い環境下で化学反応させるので、ほぼ計算通りのパフォーマンスを期待できます。

 レイヤードシステムの考え方では、組み合わせによって機能を高める可能性をたくさん潜ませておきます。多機能ツールという変え方も重要になります。
 4本爪などと呼ばれる手のひらサイズの軽アイゼンを私は常備していますが、雪渓で使う以外に、濡れた木の橋、薄氷の張った路面でも使います。そしてもっと可能性が高いのは足を痛めた人を下山させるときに、急斜面で靴底を滑りにくくするのに有効なのです。歩きに無駄な力が加わらないので、緊急脱出用として価値があります。本当に危険なところでは、歩き方によって爪が浮く危険があるので、念のために2連装で使うことも想定しています。
 ロープも6mmの補助ロープをプルージック・ループ(輪) と呼ばれるかたちで持参しています。クサリ場ではクサリにからげるだけでホールドを簡単にセットでき、ループ状のまま繋げても、解いて1本のロープとしてもつなげて使えます。6mだと命に関わる場面でも使えるほか、荷造りロープとしても重宝します。同時に、私の周囲の人たちは軽アイゼンを登山用のロープで靴に取り付ける方法をとっているので、そこに使われている補助ロープもいざというときに動員できます。

 こういうように個々の装備を多機能パーツにする知恵を加えていくと、想定内の装備が想定外の状況の中で思わぬ価値を発揮する可能性が高くなります。持っている装備を有効に使うアイディアが出れば、それはすでに想定内に組みこまれているのです。自分の置かれた状況を観察し、とにかく落ち着くことです。その冷静さが置かれた立場を大きく変えることにつながると信じたいのです。「万全」が「万全以上」になるためには、知恵が必要だと考えます。


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8.登山道と地形図


 登山に必要な地図は地形図というのが基本中の基本でしたが、今では地形図と言ってもピンとこない人が多いのではないでしょうか。
 昭文社の「山と高原地図」がラインナップを充実させて、日本の主な山が網羅されています。登山ルートとその標準的な所要時間に関して実用上の大きな問題はほとんどありません。それ以外の多くの山に関してはインターネット上にたくさんの登山情報があって、大まかな地図もついていたりします。体験レポートや山岳研究レポートで玉石混淆という感じがしますが、じつは初心者の主観的なレポートのほうが資料として使いやすかったりします。最近ではガイドブックも地図も購入することなく登山ができるといいます。
 今では国土地理院の地形図(25,000分の1地形図) がパソコン上で無料で見られます。またアウトドア用に開発されたハンディGPSでは搭載できるデジタルマップが整備されて、日本の山ではかなり便利に使えるといいます。その移動データをパソコンに取り入れると自分の行動をかなり正確に再現することもできます。行動中に撮影したデジタルカメラの画像も撮影時刻の情報によってその足跡にリンクさせることが可能です。
 最近では北アルプスの主要な稜線でNTTドコモの携帯電波が使えるようになったので、スマートフォン内臓のGPSで登山行動をフォローすることも可能です。

 なんだかすごく便利になってしまいましたが、私は時代的にはちょっと古い私なりの登山地図を一応決定版だと思っています。「登山道登山」の基本骨格を表現する伊藤式の「シミュレーション・マップ」です。
 登山の入門講座では地形図の読み方という項目が必ずあると思います。地形図と方位コンパスの使い方が中心かと思います。
 たとえば地形図と方位コンパスを使うために地図が示す真北とコンパスが示す磁北とのズレを修正するために地形図上に7度前後(緯度と年代によって異なります) 傾いた線を引くように指導されるケースもあるかもしれません。地形図の基本構造の説明としてはわかりやすいのですが、実用的ではありません。
 磁北線も含めてですが、何であれ地形図を汚すことが重要です。おすすめしたいのは予定する登山ルート(波線で示されています) を蛍光ペンでなぞってみることです。新たな情報が加わると修正が必要になるかもしれないので、黄色など薄めの色が安全です。これで地図の中で必要な領域が明示されます。

 できれば、一度はやってみていただきたいのが「段彩」です。地形図と名のつく地図は国土交通省・国土地理院が税金によって製作しているオフィシャル・マップのうち、25,000分の1地形図(国土基本図) と50,000分の1地形図(編集図) 、それから都市部に限定して発行されている10,000分の1地形図だけです。国土地理院は200,000分の1地勢図や500,000万分の1地方図、1,000,000万分の1国際図なども出していますが、25,000分の1地形図がすべての基本となっています。
 25,000分の1という縮尺で国土の全部をカバーしていることで日本は地図先進国のひとつなのですが、地形図は地表の立体的なありさまを等高線という表現によって平面の紙に記録した図面ということが出来ます。
 つまり地形図の命は等高線なのです。ですから等高線と親しむためのいろいろな方法が工夫されているかと思います。その王道といえるのが段彩です。等高線を高さに分けて色塗りをします。学校で使った地図帳にはその段彩がほどこされていたはずです。

 やみくもに色を塗っても大変ですから地形図をじっとにらんでキーになる等高線を探します。山裾の線と山頂の間に1本か2本、等高線をうまく選ぶと、その山の個性が見えてくる可能性が出てきます。
 その見当付けを簡単にするために、というより、これからが核心部分なのですが、すでに色づけした登山ルートが太い等高線(計曲線。25,000分の1地形図では標高50mごと) と交差するところに印を付けていきます。どんな印でもいいのですが、赤色で直径4mmの円を描いてみてください。文房具店にある記号定規に大小いろいろな○、△、□のあるものを購入していただくと便利です。25,000分の1地形図上に描いた直径4mmの円は、実際の100mを示します。これがあとで重要な役割を果たすことになります。
 登山ルートと交差する50mごとの等高線の密度を見ていきます。すると登山道の勾配の変化が見えてきます。登山道がその勾配からいくつかの性格に分けられます。その大きな変化点となる等高線をたどってみると山の形が見えてくると思います。さらにたどってみたい等高線も浮かび上がってきます。色で塗りつぶしてみたい斜面も見えてきます。

 登山道が50mごとの等高線を横切るところに直径100mの円を描くとどうなるか。円が接し合う場合には100m先で50m上がる/下がる勾配だということになります。パーセンテージでいえば50%勾配。約27度の斜面だと分かります。もし○がひとつ分隙間をあけて並んでいたら勾配は25%、約14度となります。
 約27度と14度の勾配の間で、登山道はジグザグを描いて、(作った人によって違いますが) 約20度の勾配に均一化しようと試みられているはずです。
 20度以下の勾配のところでは登山道は斜面に従って素直に延びていき、30度以上の斜面では岩場が登場する可能性が出てきます。

 次に大胆な作業を加えます。登山道の距離を測るのです。地図上で距離を測る道具にマップメーター(キルビメーター) がありますが使いません。登山道は細かく曲がりくねった道ですから製図器具のデバイダー(両脚が針になっているコンパス) で緻密に計る方が精確ですが、それも必要ありません。
 紙片を長さ5cm程度切り取ります。地形図の端に縮尺目盛りがありますから500m(地図上で2cm) の目盛りをつけます。その紙片を登山道の上に置いて、ペンで紙片を押さえながら、クルクルと方向を変え、距離を測っていきます。
 山頂から登山口へと下る方向がいいと思いますが、500mごとに印をつけて行きます。印は何でもいいのですが、標高を示す赤丸と同等の記号にしたいので、私は4mmの□を青で描いています。
 地図に詳しい人ほど、このやり方に反対かと思います。第一、登山道の長さが、地図上であまりにも不正確です。急斜面のジグザグは登山道を表す波線の太さの中に収まってしまったりするからです。加えて測り方があまりにもずさんです。
 当初私も登山道の距離をいかに精確に計ればいいのか試行錯誤しましたが、ラフに計るのがいいという結論に至りました。
 1989年に首都圏自然歩道(関東ふれあいの道) が全線開通し、朝日新聞社からガイドブックが出ました。そこでは実測値にかなり近い距離が道標に示されていました。取材に当たってこちらでは地形図上でも距離を測っていましたが、車の通る道ではほとんど誤差のない距離が出ました。登山道の部分では最大20%短縮という結果になりました。
 登山道の距離を地形図上で計ると最大20%短いのですから、使い物にならないといえます。たしかにそうなのです。

 測った距離は正確でないのですが、それを時間目盛りに変えたとたん、20%の誤差が吹っ飛んでしまったのです。
 標準的な登山道を考えたとき「1時間モデル」というのを設定していました。1時間で水平距離で1km進み、高度差で300m登るというモデルです。平地を時速4kmで歩くエネルギーだと標準的な登山道では時速1kmになるという換算です。
 1時間の行動に占める距離の割合は4分の1に過ぎません。ですから1km=15分が現実の1.2kmだったとしても、3分延びるだけです。距離の最大20%の誤差は時間に換算したときには、このケースで0.5%。無視できるということが分かったのです。

 誤差の問題よりも決定的に重要なことにも気がつきました。距離目盛りを描き込むことで地形図の扱いがものすごく自由になったのです。縮尺にこだわらずに拡大縮小しても情報量があまり変わらないのです。
 じつは地形図を使うときに一番難しいのが空間把握なのです。25,000分の1に縮尺された図面から一気に現実の地形を浮かび上がらせようとすると、使う人一人ひとりにその翻訳能力が求められます。ですから私は地形図を見るときには右手でVサインをして、10cm=2.5kmという距離目盛りを当てるようにしていました。学生時代には50,000分の1図が地形図の基本でしたから私のVサインは5km目盛りでした。その縮尺の違いに慣れるまでずいぶん時間がかかりました。
 登山道に距離目盛りを入れると、地図を拡大・縮小しても大きな問題はありません。その距離目盛りは誤差含みですが、等高線情報は拡大・縮小しても地形図の品質の骨格を支えています。空中写真測量という方法で直接描き出した線をベースにしていますから、じつはものすごく正確なのです。その等高線情報が1時間の行動の4分の3を支えているということが出来ます。

 さて、私が考えた1時間モデルでは水平距離で1km、垂直距離で300mとなります。地図上の距離目盛り(私は青◇を使います) は2個、高度目盛り(赤○) は6つになります。
 つまり標準的な登山道を時速1kmで歩くときには青◇と赤○は合計8個になります。これを8ポイントと数えると1ポイントが7分半、4ポイントで30分となります。平地になると高度目盛りはほとんど姿を消すので、青◇8個(4km) で1時間ということになります。

 距離と高度が時間目盛りになった瞬間、地形図は行動シミュレーションのベースマップになります。行動時間を30分とか1時間で区切ってみます。標準的な登山道と思われる区間と、そうでない可能性のある区間とを自動的に区別できます。急斜面で岩の記号が加わったりすれば、そこはクサリ場と推測できます。
 とにかく赤○と青◇の数を合計すると、その日の行動エネルギーの総体が、行動時間というかたちで簡単に示されます。
 地図上にあらかじめ示されたA地点からB地点までのコースタイムというだけでなく、気になる任意の2地点間のポイントを数えれば、その規模が分かります。縮尺のかかった地形図上で時間目盛りを直読するという手品の完成です。
 
 登山情報の中で、一般に「コースタイム」と呼ばれるものは、じつは完全な作文です。驚くべき孫引き連鎖を明らかにしたことがあります。(毎日新聞社「シリーズ日本の大自然・16・秩父多摩国立公園」1994年)

 また同じルートでも、ガイド記事やガイドマップを現在のものと20年前のもので比較してみると時間が3割とか5割違っていることがあります。
 かつては健脚向きのコースタイムでしたから初心者の場合は1.5倍と見積もっていたのですが、中高年登山者がユーザーの中心になるとその1.5倍が基準に書き換えられました。しかもどちらも「標準的なコースタイム」とあるだけですからつけあわせてビックリということになります。
 私の方法では、赤○と青◇は機械的に描かれてしまいます。8個=1時間をとりあえず基準として見て、健脚なら10個=1時間、初心者なら6個=1時間と自分に合わせた換算をすればいいのです。あるいは急勾配が苦手なら、そこの部分の換算値を変えるという調節も可能です。標準的な係数を「8個=1時間」としているだけで、状況に応じて係数を変えても何の問題も生じません。

 問題は登りと下りの計算です。一般的に下りは登りの75%の時間と考えます。10個=1時間です。ものすごく効率のいい下り道なら登りの半分の時間でOKということもあります。その場合は12個=1時間と計算できます。
 そこで私は登山道のすべての部分を登りの係数で計算することをすすめます。順調にいけば最後の下りで浮いてくる時間がリーダーの予備時間として用意されているようにしたいのです。調子の良くない日だったら、登りでなにがしかの遅れが出ます。たぶんその原因は分かっています。そこで下りの予備時間をうまく使って安全に下りきる計算をし直すという安全弁にもなるのです。
 悪い予感がする日だったら、予備時間として最後までリーダーが握っておくと安心なのはそういうところです。あるいは登りがスムーズに展開する日だったら、のんびりとした休憩をとるなどして、その時間を労務管理的な役割以上のものにする工夫も可能になります。登山をひとつのプロジェクトと考えれば、リーダには自由になる「予備費」が必要です。

 民間の地図会社では多かれ少なかれ国土地理院の測量データを使っています。一般の出版物では地図そのものや地図の数値データを使います。著作権にかかわることなので遠慮があって、地形図の一番重要な骨格である等高線精度を落として使っている気配が濃厚です。登山用の地図で等高線情報が粗くなるというのは致命的です。
 ですから私が提案する赤○記号のようなものでも有効なので、登山道の勾配が把握しやすい工夫をしてもらいたいと思います。


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9.リーダーの覚悟


「自習登山」はひとりでなければならないとは思いませんが、単独でリーダーとメンバー(フォロアー) の一人二役とするのが学習としては効率的です。そしてもちろん、軽い気持ちで世話役型リーダーになった場合にも(危険度は高まりますが) 効率的なリーダー体験を積むことが可能です。
 じつは私は、自分自身がリーダーの資質を備えているとは考えていません。リーダーがリーダーとして最も重い判断をし、それに従って行動するときに、本当にリーダー足りうるかという点でまったく自信がありません。自信がないので、決定的な状況に陥りそうな気配を感じたら徹底的に逃げる判断をします。逃げ腰の安全管理を絶対に崩さないというのが私のリスク管理の基本方針です。

 そこで突然ですが、リーダーという役目になる場合には2リットル、あるいは4リットル、理想をいえば6リットルの予備の水を持つことを提案します。
 別にハンディを背負ってだれかと競争しようというのではありません。その水を責任の重さというふうに単純に考えて、歩き出してみてください。丹沢の大倉尾根では道普請の石を運び上げるボッカ訓練がレースになっています。水を運ぶというとその体力訓練と同一視されるかしれませんが、がんばって強くなろうというのでもありません。
 リーダーの責任の重さが6kgだとすると、その水を捨てた重さがメンバーということになります。メンバーに対するリーダーの余力が何kg分あるかという確認です。

 答えから説明してしまいましょう。日帰りの軽い山に登る人たちのザックの重さはたぶん5〜6kgだと思います。そのひとりが調子を崩したとき、リーダーはなんとかして自力で下山してもらう工夫をします。宵闇につかまると状況は複雑になりますから、明るいうちになんとかしたいと考えます。最後に背負って下山……ができればともかく、自力で歩いてもらうために最大限できることは空身になってもらうことです。
 つまりその人のザックを持つ余裕がだれかにあれば、危機管理の余裕幅がひとつ確保できます。それもかなり大きな余裕幅として。もちろんみんなで手分けして……でもいいのですが、リーダーはひとり分ぐらいの荷物を余分に持つ余力を持っていなければいけません。
 じつは私が学生時代、リーダーはサブザックというのが常識でした。全体を指揮して的確な判断をするために無駄な体力を使わない……というのが論拠でした。そこで何が起こったか。シゴキ事件です。エネルギーの有り余ったリーダーたちが、弱者にいらぬお節介を始めたのです。その当時でも、本当に信頼されるリーダーはメンバーひとり分の責任を果たした上で、リーダーでした。
 私がいま提案している6kg増し積みはじつはかなり深いたくらみなのです。ひとつはリーダーがメンバーの弱いレベルに合わせるために、重しが必要な場合が案外多いのです。私はプロですが、それでも考え事をしながら歩いていると、どうしてもペースが速くなってしまいます。重しをつけることでメンバーの弱い部分にすこしでも共感できるようにしたいという作戦です。
 それをさらに強化する場合には、着るもので調節を加えます。危険な状況になったら夏には1枚余計に着、冬には1枚薄着にします。そうることでメンバーの弱い部分をいくらかでも体感することができるはずです。本当のところは分からないにしても、こちらの意志ははっきりと危機対応に向かいます。

 とにかく一般的なリーダーのみなさんを見ていると、ザックが小さいと感じます。メンバーと同じサイズのザックでリーダーを勤めている人がほとんどです。いざという場合にメンバーのザックをひとつ合わせ持つこともできるザックを常備することをすすめます。
 軽い日帰り登山なら重さが5〜6kgだと考えます。調理具などのキャンプ用品を持たない場合、登山者のザックの比重は0.3と考えていいと思います。5kgの重さなら16リットル、6kgの重さなら20リットルの嵩があると考えます。いくらかの余裕もあったほうが便利ですから日帰りには25リットル前後のザックが好ましいと考えます。
 そこでリーダーです。いざというときにひとつ分余分に背負うとすると、そういうザックを背負っておいてほしいのです。40リットルとか50リットルのザックが好ましいと思うのです。
 その際、覚えておいてほしいのは、50リットルあたりを境にして、登山用ザックは軽量級と重量級に分かれるということです。軽量級のザックはザックの自重も軽く作られている傾向がありますが、重量級になるとウエストベルトなどの作りがしっかりして、ザックが重くなっても、背負ったときに身体への負担を軽減するような構造になっています。リーダーザックという形で、普段は薄型で使い、いざとなったら上へも伸ばせる本格的な重量級のザックを持つべきだと考えます。探せば見た目はスリムで、いざというときには大きく使えるザックがあります。
 リーダーとしてチームの安全を考えるとき、それくらいの意思表示はしていただきたいと考えます。小さな子どもを連れて山に登る父親の覚悟と似ているかと思います。

 一般常識としてリーダーはメンバーに対して全責任を負う代わりに、全ての決定権を行使するとされています。責任の方は、山岳事故でリーダーが責任を問われる裁判がしばしばありますからわりとはっきり見えるかと思うのですが、行動の決定権がほんとうにリーダーにあったのかどうかは疑わしいケースが多いと思います。
 私はここで生きるの、死ぬのというような山岳事故を想定しているのではなくて、もっとその手前でリーダーのあるべき仕事を考えたいのです。

 多くのチームでは、リーダー養成という考え方もあって、サブリーダーが現場のリーダーとなり、リーダーは後ろから監督するという構図が多いかと思います。そういうきちんとした組織化ができていない場合でも、リーダーに対していろいろ注文をつけるメンバーが存在するのが普通です。その力が強い場合には陰のリーダーとなります。あるいは民主的な方法として、メンバー全員の意見がリーダーの判断に強い影響力を与えるというケースもあります。
 何でもないときには、どうでもいいのです。しかし何かことが起こったときには判断が遅かったということになりかねません。その予兆、確たる証拠のない段階から推移を見守る責任感がいわばリーダーの役割ではないかと思うのです。司令塔というようなアクティブな行動も必要ですが、じつは監視塔というべき防御行動が重要ではないかと思うのです。そこのところを無責任にしない立場をリーダーは背負わされていると考えたいのです。
 しかしそれを無責任な(自由な) 立場から大きな声で左右しようとするメンバーが存在する例が多いのではないでしょうか。

 最終的な判断・決断というドラマチックな場面で考えると言葉の一つひとつがデリケートな問題を抱え込んでしまいます。文章を連ねていくとどんどんフィクションになっていくような感じもします。そこで大きく切り返します。
 軽登山を考えるに当たって、私はリーダーの役割りがもっとエンターテインメントに近寄っていってもらいたいと思うのです。いわば演出家。面白そうなことならなんでも拾い上げてみるというどん欲な姿勢でチームを引っ張ってみることをすすめたいのです。
 そのひとつが休憩です。行動中の休憩の取り方を100%、掛け値なしにリーダー権限にしてほしいのです。文句があろうがなかろうが、リーダーが休憩のタイミングと時間を決めるという徹底が必要です。

 それから、コースタイムを計算するとき、下りも登りのコースタイムにしておくことをすすめます。当然下りで時間が浮いてきます。下りの所要時間は通常、登りの70%です。登りで3時間のところを下ると1時間の余りが出るという見積もりになります。これをリーダーの「予備時間」と考えてもらいたいのです。遊びでも仕事でも、ひとつのプロジェクトを進行させるとなれば予備費が計上されなければなりません。ところが登山ではペースメークをするリーダー(あるいはサブリーダー) にはカツカツのコースタイムしか与えられないのが普通ではないでしょうか。そうすると機械的に30分に5分の休みと1時間に10分の休みをきちんきちんと並べて、ペース調節だけで全体をうまくまとめることになります。
 そうではなくて、後半の下りから1時間の予備時間が出てくるとすると、最初は当然大事に抱えておきますが、登山がスムーズに進行し、外的な環境に大きな不安もないとすれば、その予備時間を有効に使いたいと考えます。山の中であれば休憩という形が中心でしょうし、下山後ならちょっとした遠回りができるかもしれません。
 いずれにしてもリーダーが自由に予備時間を使えるようになると、その登山はリーダーの個性に彩られたものになります。そして時間の管理をリーダーに一任することによって、リーダー責任もはっきりしてきます。リーダーは時間の使い方の中で、メンバーの様子を観察したり、天気を見たりしていきます。
 この時間管理をリーダーに100%まかせるというルールを決めるだけで、じつはリーダーの権限と責任の骨格部分が確立するのではないかと思います。それさえできないようなら、リーダーはお飾りです。そしてもちろん、サブリーダーであっても、リーダーを任された範囲では時間を完全に支配することが可能になります。
 スケジュールが完全に崩壊するという段階になったら、チーム全体の問題として対処するという方法を用意しておいてもいいでしょう。危機管理内閣の設置です。しかしそれまではすべてをリーダーに任せてみる、というルールでリーダー責任はかなりはっきりと確立されるのではないかと思うのです。

 少し違った切り口になりますが、リーダーとメンバーの量に関する考え方をいくつか列記してみます。
 まず、私が大学で探検部に入ったころ、いろいろ話されたのはよりよいチーム構成についてでした。2人のチームだったら対等のパートナー(個人の連帯) か従属関係(リーダーとアシスタント) のどちらかになります。
 3人になるとチームは初めて社会性を獲得します。多数決という手法が使えるのです。3人の合議によって決められる方向は必ずしも事前に予想するものとは限りません。しかし長期間行動を共にしていればお互いの考え方や性格は分かりすぎるほどになっているので、合議の内容もおおよそ推測することが可能になります。そこでメンバーを4人に増やすと、チーム全体の意向は極端に見えにくくなります。合議による選択肢が増えるわけです。2対2か3対1,あるいは4対0のどれになるか、予断を許さない場面もあるでしょう。
 ではその、いわば直接民主主義に支えられたチームの大きなサイズはどのあたりに限界値を置くべきなのか。英国の探検論からの受け売りだったと思いますが7人という数字が出てきました。メンバー全員が常時全員を視野の中に入れておける人数ということでした。以後私たちはそれに同意して大人数の隊を分けるときには7人を目安にグループ分けするようになりました。7人ごとにリーダー(パートリーダー) を置いて、それをチーフリーダーが統括するという構造です。

 いま私は私ひとりですべてを処理する(ワンマン型の) 登山講座を月に6回ほど実施しています。リーダーひとりで、サブリーダーをつけません。ですから、先の理論でいえば7人というのがベストサイズということになります。
 確かに、行動中、全員のようすがパッと目に入り、意識的に見なくても全員の行動状態を把握できます。合理的な人数だと思います。
 しかし、別の見方が生じてきました。参加者6人を観察していると、かならず相性のいい2人組が最初にできます。残りが4人になります。独立心の強い4人がそのまま独立している場合ももちろんありますが、もうひと組、ゆるやかな組ができることもあります。その時、ひとりだけ残される状況が生じるかどうか、見ていきます。
 大ざっぱな印象ですが全員をぱっと把握できる程度の人数だと、ゆるやかなグループが内部に生じたとき、ひとりだけ取り残される人が出やすいように思うのです。ちょっと気を利かせて「その他」というグループを仕切ってくれる世話役が出るといいのですが。
 でもやはり「その他」というグループはちょっと寂しい感じがします。寂しくないようにするには、仲のいい小グループがむしろ少数派になってくれればいいのです。
 15人という目安が私には好ましい印象を与えてくれます。参加者の中には元々の友人関係や、山で出会うのを楽しみにしている仲間もいます。7人前後のグループだと誰かの動きが全員に認識されるのに対して、人数がその2倍になると、誰の目にもそれぞれ見えない部分が出てきます。それによって一人ひとりの居場所が保全される感じがします。特定少数のチームから特定多数のチームへと大きく変わったという感じがします。

 私の仕事では、もちろん参加者の数が多ければそれだけ収入が多くなるので、ひとりで何人にまで対応できるかということももちろん考えてきました。
 狭い登山道で私の話が全員に通るということを考えると20人が限度かなと思います。そして20人ぐらいまでなら、うねうねと続く登山道で、時おり振り返れば、最後尾の人の動きまで一応チェック可能です。
 でも実際には30人も可能です。最後尾の様子はほとんどつかめなくなりますから、(ときどきいるのですが) しんがりを勤めたがる人の監視ができません。そこで列の前後を回転させます。5人ぐらいずつ後ろに送るのです。それを必然とするためには歩きながらの指導をします。小刻みなテーマを考えながら、緩やかな数人のグループを作り、最後尾に送ることで、後ろの不安は小さくなります。目の届く人たちをゆるやかなグループに束ねて後ろに送るという考え方です。もちろん最後尾にアシスタントがついてくれれば、後ろに対する不安はかなり小さなものになります。登山ツアーの場合、添乗員がスイーパーとして最後尾を守るのが大原則ではないでしょうか。

 しかしやはり、20人までのにぎやかさが、30人になると大群衆になって、一体感を保つのが難しくなります。不特定多数のチームという感じになります。
 私の登山講師の体験の初期にはバス登山が中心でした。人数が30人ぐらいいると貸し切りバスの方が圧倒的に安くなります。おまけにあるデパートの友の会では「駅前集合」+「お弁当付き」が人気を博していました。お弁当付きというのが主婦にはものすごく魅力的に映るのだそうです。
 バス登山で30人規模になると、バス車内を教室に見立てることになりますから、参加者全員の一体感も得られます。下山後の入浴や食事も選択幅が大きくなるので計画が立てやすくなります。

 しかし私は、計画から実施まですべてを自分で決める場合は、バスは利用しないことにしました。当初から人数的にバスを利用できなかったわけではありませんが、バスを使うと結局バスで利用しやすいアプローチに限定されてしまうことに気づいたのです。しかも多くの主婦のみなさんは自分で切符を買って旅に出るという体験をほとんど知らない人が多いのです。ですから私は鉄道とバスと、それからタクシーを多用して、それらの交通機関利用に関しては個人個人で対応してもらうという形をとったのです。つまり割高な交通費と少々面倒くさい手順を前提にしたのです。
 考え方としては、自分たちでもう一度来ようとしたときに来られる偵察的体験です。そして計画を立てる私自身は1度目より2度目、2度目より3度目と少しずつ経験を広げていきたいと考えました。毎回何かひとつ新しい試みをさせてもらうことで次第に情報が広がっていきます。行き当たりばったりが可能なワンマンシステムのいい部分だと思います。
 ところがこの手法だと最後のところでタクシーの乗車定員が縛りになります。中型タクシーは以前は5人乗りと決まっているようなものでしたが、今では4人乗りが一般的になってきました。前席がベンチシートからセパレートシートになってきたことによるのですが、つい最近ではベンチシートの車でも、前席のシートベルトの使用義務によって前にはひとり、後ろに4人詰めてほしいといわれるようになりました。

 地方へ行くとバスは便数が驚くほど少なくなります。しかも都合のいい登山口まで行ってくれるという期待はあまりできません。その代わり、最近ではタクシーが登山者を上客と認識するところが多くなりました。林道の奥に登山口がある場合、以前は車が傷むとか、メーターの金額が伸びないとかで尻込みするタクシーが多かったように見えますが、北アルプスや南アルプスで、山好きの運転手が登山客を顧客として獲得しようとする動きが顕著になりました。そういう運転手とのホットラインをもっていると計画段階でタクシーがどこまで入ってくれるかとか、人数が増えたときにドライバー仲間に声をかけてくれるとか、じつに便利なのです。その結果、私はこちらの人数が4人の倍数以上なら10,000円までのタクシーは積極的に使うようになりました。バス代とあまり違わずにより便利になるからです。
 そしてもちろん9人ならジャンボタクシーを探します。ジャンボタクシーは地域によって使われ方に違いがあって、中型で多くの台数を揃えているところでは定期的な人員輸送業務や貸し切りの観光タクシーとして優先的に動かされる傾向があります。
 しかしもっと田舎になると、タクシーが1台という会社もあり、その場合はひとりで多くの仕事をこなせるようにジャンボも用意している場合もあります。

 現地交通を利用するようになると、山の前後に旅の要素がふくらんできます。そして下山後、早く帰りたい人と、入浴や食事に時間を割ける人が別行動をとることもできるようになります。参加者の自立性が高まると思われます。
 一緒に登山するメンバーがそれぞれ自立しているというのはリーダーである私には心強いことになります。同時に、私の参加者が一般的な登山ツアーに参加したり、プロガイドの指導を受けたりすることも私にとって歓迎すべきことと考えます。その参加者が私のところに戻ってくるか来ないかはもちろんきわどい問題ですが、外の世界を知っている人が増えることは、井の中の蛙状態の私にとってもプラスです。ちょっとした異質な感じがリーダーとしての私にはけっこう大きなヒントになったりするからです。

 ひとりでリーダーとメンバーを重複させる単独の自習登山ではリーダーの目が効くだけで安全度は高まります。
 一番想定しやすい場面は岩場の急斜面を登ったものの、引き返さないといけない場合にどうするかという不安でしょう。かろうじて登り切った岩場を、ひょっとしたら引き返してこなくてはいけないという場合です。
 岩場では、登りより下りの方が難易度が高いといわれます。そこで自分の技量ギリギリのところで登り切った岩場は退路を断たれるという感じになります。そういう気持ちがあるとその後の判断を大きく狂わせますから、意地でも「登った道は下れる」という自信をつけておかなければいけません。リーダーはメンバーに対してクサリ場の通過技量を向上させることを求め、安全確保のための秘策を練ります。

 まずその岩場をどのように登ったかきちんと把握します。(1) クサリやロープを頼らずにそれまでの登山道の延長として登るバランス・クライミングの岩場だったか、(2) 両手両足の4支点のうち3点は安全確保のためにきちんと残して、1点だけを次への動きに使う「三点支持」で登ったか、(3) クサリやロープを三点支持の1点として利用して登ったか。単に登れたかどうかではなくて、どのように登れたかというところできちんとランク分けをしておくことで、下りで難易度がひとつ上がったとして大丈夫か? を登りで確認しておくことができます。
 下りは最終的に登りの逆モーションで行けばいいので、慌てさえしなければ登れたところは下れると考えていいと思います。ただし、最悪の場面を逃れるために「自己確保」の準備があれば安全度は高まります。
 クサリ場での自己確保は長さ1mほどの6mm補助ロープをダブルフィッシャーマン・ノットで環にしたものを用意します。プルージック・ループと呼ばれるものです。これをクサリに巻きつけて吊り手や足場にするだけで、緊急時の安全確保に大きな働きをしますが。自分の身体にロープを巻いてあれば、それと連結させるだけで転落の防止にもなります。
 登れたところは下れるという確信がもてれば、「撤退」という最終選択が可能になります。これだけで行動判断の選択幅はものすごく広がります。おまけに登りの安全性も必然的に高くなります。


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10.ダブルストックと登山道


 登山中に自分自身の技術レベルをチェックすることのできる重要な道具をダブルストックと考えてきました。不幸なことに、本格的な登山・ハイキング用ダブルストック(トレッキング・ポールなどとも呼ばれています) が輸入されて以来、輸入商社は製造物責任法(PL法) を意識してか、登山におけるダブルストックの使用はあくまでも登山者の補助的な道具で「必要に応じて必要な範囲で、ご自身の判断でお使い下さい」という立場を掲げてきました。2本セットで輸入されたストックが長い間バラされて、3段伸縮型の杖(ステッキ) として1本売りされていました。
 私は自分ひとりで全てをこなすワンマン型の登山講習会を始めて早々に、ドイツ・メーカーのそのダブルストックをみなさんに購入してもらいました。2本セットで18,000円というかなり高価な道具でしたが、それだけの価値があるということはひと目で分かりました。超硬合金の石突きが非常にシャープな岩への食い込みを見せてくれたからです。
 当時私は雑誌のモノライターでしたから道具に対する評価の目はそれなりに持っていました。作った人がめざしたモノをできるだけ正しく受け止めようとするのが基本です。ダブルストックは当然、岩場での使用を前提に磨き上げられた道具でした。残念ながら日本では20年近く経った現在でもストックを岩場で使うのは危険というのがむしろ常識ですが、道具の本来の機能が封印されてきたいい例です。

 私はダブルストックは杖ではなく、スキーのストックワークの延長で使うべきモノだと考えていましたから、ノルディックスキーとアルペンスキーに学びつつ、登山に最適な使い方を考えてきたつもりです。
 一番重要なのは登山の終盤、帰りのバスの時刻などが頭にちらつくころ、急な斜面を下っている場合です。大きな段差のある岩の道や、木の根が張り出した土の急斜面では、とくに女性の中に極端にスピードが落ちる、あるいは転倒の不安を感じさせる人が出てきます。疲労が動きを鈍くさせるという要因も考えられるし、夕闇に追いつかれるかもしれないという焦りも生じてきたりします。ひとつ「何か」が起これば、余裕幅を吹き飛ばしてしまう終盤の不安要因といえるでしょう。
 その不安を解消するためにダブルストックの導入はものすごく効果的だと想像し、そして想像以上の効果を上げたのです。

 それ以前も、ベテラン登山者が杖を1本使うと危険な道をみごとにくぐり抜ける技を見せてくれていました。滑りやすい急斜面の下りで言えば、谷側に杖を持ち、山側の手で立木をホールドにしてガンガン下って行くのです。そういう人には「2本杖なんて邪魔」でしたし、「4本足になってまで山に登りたくはない」と感じられていました。
 しかし杖とストックとは道具として似て非なるモノなのです。杖は頭で使います。ですから目で見える範囲、視野の中で使うのが原則です。ところがスキーのストックはほとんど視野の外にあります。身体の一部になって、頭の管理下から外れています。
 同じことですが、杖の使い方の原則は、自分の歩き方を崩さないために杖でアシストします。ところが、スキーのストックは身体の動きを早く・大きくするために使います。とくに下りで有効なのは、スキーヤーが急斜面に飛び出すときと似た深い前傾姿勢をとるためにダブルストックを使う場合です。私は「3歩先へ突いて、足はまっすぐ下へ」と表現しますが、大きな段差をスローモーションで下れるようになると安全性は飛躍的に向上し、スピードも上がります。つまり下りの能力が飛躍するのです。
 ダブルストックで深い前傾姿勢をとって下る、という使い方をしていると、その前傾姿勢の取り方で、その人の不安や恐怖が見て取れます。自分自身でも前傾姿勢の深さによって、技術レベルをコントロールできるようになります。安全性の調節幅が見えやすい形になるのです。

 登りでは、最近使い方の指導とセットで輸入されているノルディック・ウォーキングのダブルストックがあります。その使い方を参考にしていただくのがわかりやすいかと思います。ただし平地歩きから登山道の登りへの若干の違いが出て来るのは、ふつうの歩き方と同じです。登りではストックを身体の前方へ出さないで歩けるようになったら一応の合格と考えています。大きな段差で要求される蹴り上げる力をストックでカバーできるようになれば登坂力が驚くほど向上します。石突の位置が後ろ足のかかとの脇に置けるようになると、フットスタンス(足場) の小さな岩場でも安全に使えます。
 そしてスキーのストックと同様ですが、バランスを崩したときには、どこからでもストックがサポートに入ってきます。瞬間、目に飛び込んできた石や木の根に石突きが命中するぐらい肉体化していれば完ぺきです。

 今では女性に扱いやすい、初心者の小さなザックにも入れやすい、しかも安価、というようないい製品がどんどん登場しています。ダブルストックを自分の歩きに加えることで「歩きの安全度」というようなものを感じながら歩いていただきたいと思っています。
 ……が、登山道登山では際だって有効な道具であるダブルストックには、もうひとつ大きな問題があります。「ダブルストックが登山道を痛める」という常識です。これは日本の登山道の今後を考える上でも重要なことなので、私の軽登山技術から外すわけには行きません。
 登山道を歩いていると、ダブルストックの突っつき穴が登山道部分だけでなしに左右の壁にもぶつぶつと開いてじつに腹立たしい光景になっています。登山道にめったやたらに穴を開けるダブルストックはけしからんということで、使うならゴムキャップをしなさいというのが登山界の常識となっています。

 最初、私は次のような論を立てて、ダブルストック使用の根拠を主張していました。それは登山道を破壊する最も強力な影響は、登山道周囲の踏みつけによるものだという点からです。登山道がえぐられて川底状態になると、深くえぐられてだんだん歩きにくくなってきます。すると登山者は周囲に歩きやすい道を見つけます。踏み跡を探してたどるのなら「道」ではないにしても「トレース」です。そして新しいトレースほど歩きやすいという場合が多いのです。ですからトップを歩く人間がメンバーの歩きやすい道を探しながら進むときには「一番新しい道が一番歩きやすい」という大原則を発見します。
 濡れると滑りやすい蛇紋岩地帯の尾瀬・至仏山では周囲の草原への踏みつけがどんどん広がって、長い間登山道が閉鎖されました。あるいは東北に多い直線的な登山道では、えぐれた登山道の両脇の木立が登山者の格好の手がかりとなることから、登山道脇の土手がどんどん道になっていきます。
 私はダブルストックを登山道で使用させてもらうための免罪符として、できる限り登山道の本道をたどる努力をしてきました。靴が汚れるという程度のことで道脇に新しい道を求めるということなどもってのほか、と考えてきました。
 そしてそれは、ダブルストックが登山道を破壊すると声高に語る1本杖のベテラン登山者たちが、道脇の新しい道を積極的に開発していることをしばしば目にしてきたことからの対抗戦略とも考えていたのです。
 無垢な山の斜面に踏み跡をつけると、何年に1度という豪雨のときにそこに水が流れて小さな流路を刻みます。するとそれは次第に道らしく、そして川らしくなって新道という感じに成長していきます。踏みつけが登山道破壊の一番の元凶だというのも常識で、破壊に弱い湿原や草地では、そのため歩道を整備し、ロープを張って、登山者の立ち入りを禁止して植生保護に努めています。

 さて、登山道に開けられたダブルストックのぶつぶつ穴ですが、ほんとうに見苦しい破壊の跡です。私だって、大いに文句を言いたくなります。……というのはダブルストックを自己流に使う人の多くは、それをバランス・アシストの道具だと考えるので安定感の高いヤジロベエになるのです。ぬるぬると滑りやすい川底状の登山道ではダブルストックを左右に広げて安定を計るのです。そんな初歩的な使い方も指導されて来なかったのです。私はダブルストックをパワー・アシストとして考え、必要ならいつでもバランス・アシストに移行できるというふうに考えているので、グリップは肩幅にしてV字に構え、登りは身体の真後ろ、下りでは3歩前に大きく降り出して、全体として前後の動きに徹するのが合理的と考えてます。あんなぶつぶつ穴の犯人といっしょにされたくはない、とずっと思っていました。

 ところが上高地で、監視員という腕章をつけた人に見とがめられそうになったのを契機に、歩きながらいろいろ考えているうちに登山道とダブルストックの緊密な関係に気がついたのです。
 なぜ上高地かというと、北アルプスの穂高周辺の登山道ではダブルストックによる破壊の懸念はきわめて希薄です。なぜなら一帯は基本的に岩の道ですから、石突きは気持ちよく岩に食い込んで本領発揮という感じです。そんなところで滑りやすいゴムキャップをしたら危険きわまりない状態になってしまいます。
 ではなぜそんな場所でもダブルストックを止めさせようと考えるのか。やはりあのぶつぶつ穴の犯人(の同類) だからだと思うのです。緑色の腕章をつけたあの人にダブルストック使用の根拠を説得させようとしたら、どのような組み立てにしたらいいのか、上高地に向けて下りながら考えたのです。

 じつは日本の登山道は大きな破壊の危機にあるように思われます。登山道の補修現場をしばしば見ますが、下界の土木建築や造園事業のような感覚で進められているように見えてならないのです。
 たとえば急な斜面で道が川底のようになったところには、ヘリで空輸した木製の階段を並べたような道になっています。それほどでもないところでは階段状の土留めをして女性に歩きにくいと文句を言われています。
 どちらも問題なのは豪雨の時にそこが川のようになる構造を放置していることです。何年かに1度の大雨で、土留めは崩壊し、木製の階段は空中に浮いた状態になったりしています。さすがに自然の猛威だと思う前に、下界の土木技術が山に向かないという疑いを登山者に持ってもらいたいと思います。
 私が知る限りもっとも破壊に強い登山道の見本は鹿島槍ヶ岳への登山ルートのひとつとなっている柏原新道です。すでに紹介しましたが、登山道の谷側に路肩の盛り上がりがほとんどないのです。そういう状態を維持するために、ところどころに水切りの溝を切って、半割の塩ビ管を埋めてあります。水は集まって破壊力をもつ前に排除されてしまうのです。
 登り切ったところにある種池山荘で聞いたところ、あれほどきちんと手入れをしている登山道に対して、ダブルストックの破壊などまったく気にしていないとのこと。実際、小さな突っつき穴ができるような場所がほとんどないのです。
 ずいぶん昔になりますが、四国の剣山(つるぎさん、1955m) では剣山頂上ヒュッテのご主人が毎日のように周囲の登山道を巡って、水切りの細い溝をほうきで掃除していました。

 水切りという言葉を出しましたが、登山道保全のキーワードが水切りなのです。登山道の多くは元の地表面から下がっています。ひどいところでは両側の壁が背丈より高くなっています。最初から登山道を掘り下げたわけではないのです。雨が流れるようになり、時にその水流が恐ろしい破壊力をもって川底をえぐるように掘り進んできたのです。
 そのことは見れば明らかです。そしてもうすこしよく見れば。ジグザグを切る登山道の曲がり角の外側に水切りの溝を設ければ水流は破壊力を持つ前に放出されてしまうのです……が、荒れた登山道ではそのことがまったく考慮されていません。歩きながら登山道が激流になった場面を想像すると、大きな破壊を手をこまねいて見ているしかないという恐ろしい場所がたくさんあります。そういうところでは手間と金をかけて土留め工事をしても、一発の集中豪雨で崩壊してしまうのです。
 丹沢の大倉尾根では登山道修復のための小石の運び上げに協力するボッカ競争が毎年行われています。神奈川県の代表的な登山道ですからずいぶんお金をかけて登山道は修復され続けています。しかし掘り返して修復された登山道には脆弱な部分が残るということもよく分かります。
 大倉尾根の隣にあたる鍋割山(1,272m) への登山道は大規模な土木工事とはずいぶん違う趣です。山頂の鍋割山荘を、建材を運び上げることから始めて、ほとんど全て自分のボッカ力で運営してきた草野延孝さんにとっては、後沢乗腰から鍋割山までの登山道は日に何度も往復することさえあるボッカ道になっています。
 その登山道を歩いてみると大倉尾根のような機械力を想像させる大工事はほとんどありません。道際に植物性のネットを張って植生の維持を計っている程度しか見えてきません。ところがあまり荒れた感じがしないのです。草野さんはボランティアのみなさんと登山道修復もしているそうですが、「50mおきに水抜きをすれば登山道はほとんど破壊されません」と聞いたことがあります。

 以前、上越の巻機山(1,967m) ではニセ巻機山への最後の登りのところで大規模な登山道修復工事を見たことがあります。登山道部分には土留めの杭を打ち込んで、それ以外の踏みつけによる広がりは立ち入り禁止にして土留めをし、植生保護ネットをかぶせていました。職人さんは山頂近くの避難小屋に寝泊まりしての本格的な土木工事という感じでした。それから15年、何度かその道を歩いていますが、一度破壊された植生はなかなか復元しないようです。
 信州の菅平高原から登る四阿山(2,354m) の山頂直下には長い木製の階段が伸びています。破壊された登山道の上にふたをするように階段を乗せています。下界の発想では貧弱な登山道を力で押し込めるのは簡単……なのでしょう。設計図があり、工事の進捗状況が写真に撮られ、下界の土木事業と同様に完成したのでしょう。しかし見るところ、記録的な豪雨があってどこか1か所が足元を崩されれば、登山者は下に新しい道を踏み開くことになるのでしょう。そういう登山道を知らない技術者が修復する工事の危うさは、登山者のみなさんがあちこちで目にしているはずなのです。

 登山道はだから、いま大きな危機にあるのです。すでに紹介した北アルプス・表銀座への登り口、中房温泉から燕岳(2,763m) への登山道は、荒れた感じもあれば、大げさなサイズのベンチと呼ばれる広場もあります。しかしよく見ると、小規模な破壊と修復を繰り返しながら何十年も保たれてきた道という感じがします。それはこの登山道を開いた燕山荘が現在もなお修復の手を緩めていないからだと分かります。
 以前、富士山の強力さん(荷揚げ人夫) を取材したことがあります。すでにブルドーザーでの荷揚げは始待っていましたが、まだ日々の荷揚げにはたくさんの人夫が必要だったのでしょう。そういう人たちのはきものは地下足袋でしたが、歩きながら邪魔な小石があったりするとそっと脇に寄せるなど、登山道のメンテナンスまではしなくても、監視役ではあったといいます。
 登山道は永く、登山者や山小屋関係者によって踏み固められて維持されてきました。
 1989年に首都圏自然歩道(関東ふれあいの道) が全線開通するに当たって刊行された『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』(朝日新聞社) に関わりましたが、既存の登山道やハイキングルートを結びつけるために新しく造った道が、たった1〜2年で雑草や灌木に覆われてしまった現状をいろいろ目にしました。山の道を掘り起こして造ると、そこは植物たちの格好の進出エリアになるのです。
 登山道は人の足によって踏み固められてきたことで、驚くほどタフな道となっています。土がかぶさっているところでは冬になると霜柱が立ったり、雪解け頃や梅雨時には濡れて地盤が緩んだりしますが、植物の進出はかなり押さえられています。
 ところが踏み固められてきた路面をいったん削り取ると登山道はきわめて脆弱になるのです。あるいは水路状になったあと水抜きができないと流水による破壊力はどんどん大きくなっていきます。登山道を強大な破壊力から守るためには「水抜き」という手法が最も重要なのですが、登山道の修復を請け負う下界の技術者にはその水抜きの重要性が認識されていないように思われます。
 登山道の水抜きでは箱根の山々では木製の立派な樋をはめ込んであります。水抜き機能を維持するために土砂が積もっていたらひと握りでも排除してほしいという要望も書かれています。高尾山から陣馬山への縦走路には登山道を横断する水抜き溝が、やはりきちんと設置されています。
 それらでさえ、関心を持って見てみると、必ずしも水抜き機能の重要度がそれほど考慮されているようには思えないのです。

 2009年だったと思いますが赤城山の荒山高原の道でユニークな水抜きを見ました。登山道の3分の1ほどを外側に向かって切り落とした感じでした。見たのは2か所だったと思いますが、いずれも誰かがテスト的に登山道を削ってみたという感じでした。そのポイントもかならずしも有効な場所とは思えませんでしたから、個人的な実験のように見えました。その実験が失敗に終わらないように、すぐにインターネット上に擁護の書き込みをしました。
 登山道がカーブするとき、その谷側(たいていカーブの外側になります) に大きな切れ込みを入れるか、外側に下がる傾斜面を作るだけで水抜きはできると思うのです。ただし現実には谷側に壁がそびえているでしょうから、そこに排水口の切れ込みを入れるのが大仕事になるかもしれません。
 登山道をそういう目で見ていくと、早急に水抜きをしなければならない場所が見つかります。それが実は、両側の壁がダブルストックでぶつぶつに穴を開けられているような場所なのです。登山道のきわめて脆弱な部分は歩きにくい場所でもあることから、ダブルストックの初心者はつっつき穴をつけているのです。その穴自体は、登山道の破壊に直接大きな影響を与えるとは思えませんが、道路構造の脆弱さの指摘マークと持ち上げることもできません。同じ登山道を利用させてもらう登山者として、見苦しい行為だという認識をぜひ持ってもらいたいと思います。
 ……と同時に、ダブルストックが登山道を破壊すると声高に叫ぶ人たちには、もうすこし登山道そのものをきちんと観察していただきたいと思います。昭和30年代以降日本中で登山者によって開かれた膨大な本数の登山道が、いま行政によって大幅に整理されています。古い地図にある登山道の入口に「通行禁止」などの表示があるのがそれです。登山道は整理されて、主要ルートだけが地域の観光予算などで整備されるという時代に入っているのです。
 登山道が閉鎖されたからといって、登山をしていけないということではありません。もともと正統的な登山技術では登山道の存在を当てにしてはいないからです。それに対して登山道を頼りに歩く登山者は、幹線登山道、すなわち私の言う一般登山道ができるだけきちんと整備され、道路状況が告知されるのを望んでいます。先年、天城山では大雪で古木が驚くほどたくさん、無惨にへし折られました。登山道にも被害が出たようで、それはインターネット上で登山道情報として知らされました。
 尾瀬ではダブルストックが木道を痛めると言うことでゴムキャップを取り付けないと歩かせてもらえない状況です。至仏山の登山道も同様かと思います。そこで木道の表面についた無数の突っつき穴をきちんと観察してみます。○型の穴がダブルストックのものです。そして■型のものはたぶんミズバショウのシーズンが中心でしょうが、アイゼンの踏み跡です。よ〜く観察してみて下さい。
 もう一言加えると、ダブルストックが岩に対して有効でないと考える人たちがあまりにも多いために、登山道の剤弱な部分での影響が目立つのだと思います。ゴムキャップをつけろと言う主張が正しい部分を含んでいますが、そうだとしたら輸入商社は鋭利な刃物である石突き部分をゴム製のものに変えられるような日本向け仕様のものなど作らせるべきでしょう。非常に高価なゴムキャップは目の届く範囲で杖として使うにはいいとして、ストックワークではすぐにどこかに落としてしまいます。
 登山に関して発言力のある方々に登山道そのものをもっと真剣に見ていただきたいと思います。


【完】




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