発見写真旅・展(71)――2015.5.26 鼻曲山(57パワー) 発見写真旅・展(71)――2015.5.26 鼻曲山(57パワー)

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*私にとって鼻曲山は今回10回目、霧積温泉から登って軽井沢の長日向へ下ったり、その逆を歩いたりしましたし、旧碓氷峠へ下ることもしてきました。その、鼻曲山から留夫山(とめぶやま)を経て旧碓氷峠というルートはけっこう長いので、下りだと快適、登りはちょっとつらいかなと考えていたのですが、今回初めて試みてみたのです。
*じつはそれが大当たり。青空の下の新緑の道は、下りだったら歩くこと自体に楽しさがいってしまっただろうに、登りゆえに足元にかなりこまかく目配りが利いたと思うのです。つまり現れる光景がかなり楽しく、花のひとつひとつにも記憶が残った1日となったのです。


★糸の会山行[952] 鼻曲山(57パワー)────2015.5.26
*稜線31p→下り26p

・0910-20……旧碓氷峠見晴台
・0935……登山口を出発
・1020……一ノ字山(標高1,336m)
・1045-55……休憩(標高約1,350m)
・1115-20……休憩(標高約1,500m)
・1125……留夫山(標高1,591m)
・1150-55……休憩(標高約1,500m)
・1225-30……休憩(標高約1,600m)
・1235……鼻曲峠
・1300-15……鼻曲山(標高1,655m)
・1350……鼻曲峠
・1445-50……休憩(標高約1,350m)
・1610……林道
・1615……霧積温泉金湯館
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の4人です。
佐藤 時子(8点)
小林 美子(15点)
伊藤 幸司(63点)


★このアルバム・シリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。写真は撮影時刻順に並べて本展示としました。(期間を限定せずに)みなさんのコメントをお待ちしています。

撮影:佐藤 時子────1/2

【43】12時12分 【45】12時14分 【47】12時19分 【49】12時23分 【51】12時30分

撮影:佐藤 時子────2/2

【57】12時12分 【65】12時14分 【71】12時19分

撮影:小林 美子────1/3

【07】09時11分 【09】09時14分 【18】10時11分 【22】10時22分 【28】11時07分

撮影:小林 美子────2/3

【31】11時20分 【33】11時30分 【34】11時30分 【40】11時47分 【60】13時14分

撮影:小林 美子────3/3

【61】13時16分 【73】15時15分 【74】15時24分 【77】15時36分 【83】16時19分

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【01】撮影:伊藤幸司=08時46分
軽井沢駅を北口に出てようとすると、行く手に新緑の世界が待ち構えているようでした。
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【02】撮影:伊藤幸司=08時55分
タクシーは旧軽井沢の新緑を抜けて、旧中山道を旧碓氷峠へと向かいます。
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【03】撮影:伊藤幸司=09時08分
旧碓氷峠の見晴台に立つと、正面に妙義山のあの奇っ怪な岩峰群がありました。画面左端(のず〜っと下)に横川駅があって、妙義山に登るときの登山口になっています。問題はこちら側。ここが標高約960mで横川駅は約387m。普通だと峠を挟んで反対側の軽井沢へはまた下がるところですが、軽井沢駅の標高は約939mとか。つまり長野県側の高台のヘリにこの峠はあるということなのです。「片勾配の峠」なのだそうです。ふつうの峠のようにトンネルでくぐれば解決! というわけにいかないことから、明治時代に東京と日本海を結ぶ大動脈・信越線のネックとして最後まで残った斜面ということになります。
鉄道は高崎〜横川が明治18年(1885)に開通、逆に上田〜軽井沢が明治21年(1888)に開通して、横川〜軽井沢が明治26年(1893)にアプト式のラックレールを使用して信越本線の空白部分をようやく埋めることができたといいます。西條八十が「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」と発表したのは大正11年(1922)ですが、生まれたのは明治25年(1892)ですから、信越本線が全線開通してから10年後ぐらいのことでしょうか。軽井沢に日本人が別荘を建て始めるのは信越本線開通後ということですし、西條八十が訪れたのは軽井沢以前の高級別荘地霧積山でした。そこが山津波に襲われて、42軒の旅館・別荘のうち、金湯館1軒を残して壊滅したのは明治43年(1910)のことです。少年・西條八十がたどった道はこれから私たちがたどる稜線の東斜面をトラバースしていきます。
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【04】撮影:伊藤幸司=09時09分
妙義山はいつ見ても、どこから見ても、独特の鋭利な刃を立てています。
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【05】撮影:伊藤幸司=09時11分
見晴台の端からは、裏側に浅間山が見えました。山頂から小さな白い噴煙、あるいは水蒸気が出ていました。
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【06】撮影:伊藤幸司=09時11分
何度でも撮っておきたくなる妙義山です。遠くに見えるふたつのピークは東西の御荷鉾山(みかぼやま)だと思います。
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【07】撮影:小林 美子=09時11分
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【08】撮影:伊藤幸司=09時12分
旧碓氷峠の見晴台はこんな感じ。空が広くてとてもいい気持ちのところでした。
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【09】撮影:小林 美子=09時14分
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【10】撮影:伊藤幸司=09時24分
出発してすぐ、見晴台の入口にトイレがありました。じつは私は休憩時間中に走って済ませてきたのですが、みなさん恒例の連れションタイムになりました。暇をもてあました私は、新緑の緑を見上げるしかありません。
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【11】撮影:伊藤幸司=09時24分
見上げた、その新緑はカエデでした。イロハモミジです。
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【12】撮影:伊藤幸司=09時27分
足元にはクワガタソウがありました。この花はこの日、このルートではポピュラーな花のひとつとなりました。
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【13】撮影:伊藤幸司=09時38分
出発して、旧中山道の街道と、霧積温泉に向かう道、それと鼻曲山にむかう登山道が分かれる地点を過ぎました。最初に現れたのがこのユキザサ。この花を美しいと感じることはあまりないのですが、いちばんいい時期だったようです。
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【14】撮影:伊藤幸司=09時40分
さて、これはミツバツツジ? 花はこれが咲き残りという感じでしたが、こんなに葉に魅力を感じたのは初めてでした。
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【15】撮影:伊藤幸司=09時42分
いくぶん奥手のヤマツツジはまだそれらしい顔つきで現れました。
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【16】撮影:伊藤幸司=09時48分
ヤマツツジは大きな群落をつくるという感じではなく、道筋にポツン、ポツンとルート全域にありました。
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【17】撮影:伊藤幸司=09時56分
登山道に入るとすぐ、ハルゼミの声が山全体を包んでいました。注意して見れば道際のいたるところにセミの抜け殻がありました。ほんの指先程度の小さな抜け殻です。
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【18】撮影:小林 美子=10時11分
春セミがにぎやか に鳴いている。
脱け殻があるかと探したけど ない。
でも しばらくいくと ここにも、ここにも、と脱け殻がありました。
この写真が小さな 春セミの
脱け殻です。
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【19】撮影:伊藤幸司=10時13分
尾瀬ヶ原で大群落をつくっているヤマドリゼンマイでしょうか。標高1,336mの一ノ字山のあたりで何度かこういう風景に出会いました。
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【20】撮影:伊藤幸司=10時15分
平坦な道が続きます。道標はほとんどありませんが、踏み跡はしっかりしていて、こんなふうに広い尾根でも道迷いの心配はほとんどないと思います。
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【21】撮影:伊藤幸司=10時22分
至るとこにある、と感じたのはヤブレガサでした。鼻曲山の近くに行ってヤグルマソウが出てきたときには「頑張れヤグルマソウ」とひそかに応援するほど、このヤブレガサが栄華を極めているようでした。
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【22】撮影:小林 美子=10時22分
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【23】撮影:伊藤幸司=10時24分
チゴユリの立派な花も登場しました。
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【24】撮影:伊藤幸司=10時27分
深い森を抜けていくという気分、青空の下ではなかなかいいと思いました。歩き始めてほぼ1時間ですが、終点がどこであっても、どこまででも行ってやる、という気分になっていました。
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【25】撮影:伊藤幸司=10時30分
見上げる大木に白い花がビッシリとついていました。ズミの木だと思います。
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【26】撮影:伊藤幸司=10時33分
新緑の中のヤマツツジはあいかわらずいい感じです。こういう気分で森の中を歩ける日は、ほんとうによかったと思います。
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【27】撮影:伊藤幸司=10時48分
平坦な道がどこまでも続いているはずはありません。いよいよ留夫山(とめぶやま。1,591m)が近づいてきた気配です。歩き始めて1時間を過ぎたのでゆっくりと休憩しました。
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【28】撮影:小林 美子=10時13分
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【29】撮影:伊藤幸司=11時08分
ギンランを見つけてくれた人がありました。足元にあっても、おおかた見過ごしてしまいます。列の前の方で「ギンラン!」という声が上がって、あるのがわかっていても見つからないこともあります。登山道を一歩も踏み出さずに撮れるものがあるということは、このあたり一帯には何本もあるということなのでしょうが。
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【30】撮影:伊藤幸司=11時16分
葉っぱがあまりにも特徴的なのでネットで調べてみるとチシオスミレというものらしいとわかりました。血潮菫は、いったいどういうイメージなのでしょうか。サクラスミレの仲間だということですが、とにかく葉が独特です。
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【31】撮影:小林 美子=11時20分
今 咲いてるから
ハルリンドウと 誰かがいいました。調べたら 間違いなく
ハルリンドウ(春竜胆)でした。
■コメント:小林 美子
間違えていましたね。
すみません。
パッとみて花が同じだったのでハルリンドウと思ってしまいました。
簡単な説明として、
根元からいくつもの茎がでて 1つの茎に1つの花をつけるのがハルリンドウ、
一本の茎に花が複数つき、まとまった咲き方をするのがフデリンドウで、点・点と咲くと説明がのってました。
この説明をみても区別がつくか自信はありません。2つ並べて比べたら違いがわかりそうだけど、この2種類は同じ 場所には 咲かないとありました。
今度 リンドウに会ったら、じっくり 根元を観察しましょ。
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【32】撮影:伊藤幸司=11時28分
ヤマドリゼンマイということにしておきましたが、中央に山鳥の尾に見立てられる褐色の長い胞子葉が立っていないので、たぶん違うのでしょう。でもシダ類は正直調べようがないという気分になります。
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【33】撮影:小林 美子=11時30分
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【34】撮影:小林 美子=11時30分
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【35】撮影:伊藤幸司=11時31分
ツクバネソウがありました。この道筋ではけっこうレアな存在のように思われました。
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【36】撮影:伊藤幸司=11時32分
これはツバメオモトですよね。留夫山(とめぶやま。1,591m)からの下りで1株、2株ありました。
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【37】撮影:伊藤幸司=11時38分
なかなか姿のいいフデリンドウがありました。春のリンドウでは花が似たハルリンドウとの違いがいつも問題になりますが、1本の茎から複数の花が咲いているときにはフデリンドウの可能性が高いと思います。ハルリンドウは根出葉が八重咲きのバラのようなロゼット状になって、そこから何本もの茎を伸ばすといいますが、かならずしもわかりやすく区別できるともいえません。一瞬止まってシャッターを切るぐらいが精一杯ですから、いつも同じあいまいさが残ります。
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【38】撮影:伊藤幸司=11時40分
つぼみを増やしながら全身をどんどんのばしていくユキザサ、という感じでしょうか。
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【39】撮影:伊藤幸司=11時45分
これはたぶんジュウニヒトエ。もうすこし育つと見慣れた姿になるのではないかと思います。キランソウ属なのでジゴクノカマノフタと似ているけれど、花の色があちらは紫……ということのようです。
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【40】撮影:小林 美子=11時47分
動物の爪の跡
熊? イノシシ?
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【41】撮影:伊藤幸司=11時52分
鼻曲峠へと近づいた頃、マイヅルソウのかなり大きな群落がいくつか登場しました。
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【42】撮影:伊藤幸司=12時11分
エンレイソウもものすごくフレッシュな顔つきでいくつも登場しました。
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【43】撮影:佐藤 時子=12時12分
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【44】撮影:伊藤幸司=12時12分
よく見ると、ふつうのエンレイソウならもっと茶系の色なのにものすごく美しい薄紫色です。ミヤマエンレイソウ(シロバナエンレイソウ)の若い時代をムラサキエンレイソウと特別に呼んでいるとか。それのような気がします。
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【45】撮影:佐藤 時子=12時14分
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【46】撮影:伊藤幸司=12時14分
ツマトリソウもありました。残念ながら縁に見られるピンクの褄取りは消えてしまったようですが、それでも十分若々しい花でした。
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【47】撮影:佐藤 時子=12時19分
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【48】撮影:伊藤幸司=12時19分
鼻曲山のピークが眼前に迫ってきました。ミツバツツジの登場です。
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【49】撮影:佐藤 時子=12時23分
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【50】撮影:伊藤幸司=12時28分
あいかわらずハルゼミの大合唱は続いています。目黒に住んでいた頃、東大近くの駒場野公園でセミの観察会が開かれたので、小さかった息子と出かけたことがありました。羽化するところは見られませんでしたが、できたてのセミの抜け殻がほとんど無数にありました。生まれて数年後、ある日いっせいに地上に出るセミたちの大脱走を想像しました。
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【51】撮影:佐藤 時子=12時30分
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【52】撮影:伊藤幸司=12時30分
黄色い小さな花はミツバツチグリだと思います。根を地上にはわして、新天地目指してどんどん広がっていこうとします。でもちょっと急ぎすぎではないかという感じもします。
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【53】撮影:伊藤幸司=12時31分
ツバメオモトではないでしょうか。葉っぱがきれいに切断されていますが、だれに、どういう理由で切り取られたのでしょうか。
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【54】撮影:伊藤幸司=12時31分
マイヅルソウの大群落もありました。
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【55】撮影:伊藤幸司=12時33分
ようやっと登場したヤグルマソウ。ヤブレガサがあれほどたくさんあったのに、多くの場所で競合関係にあるはずのヤグルマソウが見えませんでした。若造ですがここに登場して、憎らしいほどの繁殖力でヤグルマソウなど圧倒していく……にちがいないのです。
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【56】撮影:伊藤幸司=12時44分
これもミツバツチグリでしょうか、ねえ。
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【57】撮影:佐藤 時子=12時55分
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【58】撮影:伊藤幸司=12時56分
鼻曲山山頂の、大天狗と小天狗の間あたりに、ズミの木が1本ありました。
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【59】撮影:伊藤幸司=12時56分
ミツバツツジも今が盛りという感じで咲いていました。
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【60】撮影:小林 美子=13時14分
山頂にあったズミの花。たくさんは、咲いてなかったけど 小さな木だったので近くで花が見られた。
色が少し濃いような気がしますよね!
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【61】撮影:小林 美子=13時16分
山頂より浅間山。
青空に曇がぽっかりといい感じ。
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【62】撮影:伊藤幸司=13時18分
浅間山の展望は、以前はもっとよかったのに、樹木がずいぶん茂ってきました。山頂の名前を記した標識がなかったので「鼻曲がりのポーズ」です。
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【63】撮影:伊藤幸司=13時18分
「鼻曲がりのポーズ」が決まらなかったので2枚目も撮ったら、もっとばらけた状態になりました。
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【64】撮影:伊藤幸司=13時38分
頂上直下の急斜面はいつもけっこう苦労するところですが、今回は地面の状態がよかったからか、登りも下りもほぼスムーズでした。
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【65】撮影:佐藤 時子=13時52分
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【66】撮影:伊藤幸司=13時54分
鼻曲峠から霧積温泉へと下ります。たちまちそこで、ヤブレガサとヤグルマソウの競合関係を目撃することになりました。私の著書『山の道、山の花』(晩聲社・2007.8)ではヤグルマソウが主要な登場人物のひとりです。
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【67】撮影:伊藤幸司=14時15分
ここが、ダブルストックではちょっと下りきれない何歩かがある最大の難所。最後のところで傾斜が右に落ちていくので、ロープに頼りすぎてもいけない場面。数人の人がドタバタしてしまいました。
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【68】撮影:伊藤幸司=14時17分
左側が深く切れ落ちています。右にも左にも深い谷が始まるところです。
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【69】撮影:伊藤幸司=14時39分
鼻曲峠から十六曲峠まではおだやかに下る道です。今の季節はヤマツツジが、そして秋にはカエデの紅葉がなかなか美しいところです。
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【70】撮影:伊藤幸司=14時43分
深い森の中を緩やかな気分で下っていきます。
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【71】撮影:佐藤 時子=15時07分
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【72】撮影:伊藤幸司=15時07分
クワガタソウのきれいな花がありました。
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【73】撮影:小林 美子=15時15分
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【74】撮影:小林 美子=15時24分
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【75】撮影:伊藤幸司=15時29分
十六曲峠に出る手前で、鼻曲山の山頂が望めるのですが、この時期は木々の葉に邪魔されて、完全に見える場所はとうとうありませんでした。
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【76】撮影:伊藤幸司=15時30分
日が傾いて、だんだん下界が恋しい気分になり始めます。霧積温泉までは、もう時間の問題なのですが、いつだったか、この先の、ここよりもっと危険には無縁の場所で落ちていた女性がありました。旦那はひとり先に下ったそうで、あとで救急車とヘリコプターを呼び寄せるのに成功していました。通り合わせたグループが救出に当たっていました。現場にいってみると女性はべつにケガをしている様子もなかったので、私は彼らに(返してもらわないでいい)ロープを渡した……という出来事がありました。ここで左側の斜面に落ちると、かなり下まで転がり落ちてしまいます。安全なところでも緊張が解けると、なにが起こるかわからないということになります。
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【77】撮影:小林 美子=15時36分
クワガタ草。
この可愛い花がどうしてクワガタ草という名前なんだろう。
そう思って調べてみたら
花がおわりになると実になって
実 は平たい扇形で 細い咢片が左右にはりだして
兜の鍬形に似ているからだそうだ。
可愛い花なのに 似合わない様に思う。
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【78】撮影:伊藤幸司=16時02分
またギンランがありました。
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【79】撮影:伊藤幸司=16時10分
金湯館へ延びる(一般車進入禁止の)林道に出ました。今までならこの道からさらに下って霧積館で入浴ということが多かったのですが、霧積館は閉館。建物を除去して、いまはマイカー登山の駐車場になっているとのことです。
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【80】撮影:伊藤幸司=16時11分
この圧倒的なカエデの緑。明治時代に日本有数の高級別荘地帯だったときに、中山道沿いの紅葉の名所だったようです。横川から人力車も上がったという古い資料が金湯館にあります。
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【81】撮影:伊藤幸司=16時12分
じつは私は金湯館の風呂を小さくてぬるいと思い込んでいたので、鼻曲山の山頂から「女性11人大丈夫ですか」と念を押していました。大浴場の方を女性用に切り替えてくれていたのでみなさん快適なお風呂になったようです。
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【82】撮影:伊藤幸司=16時15分
金湯館の入口。ここ1軒を除いて全ての旅館・別荘が壊滅したのが100年前。ただ1軒で営業を続けてきた金湯館はえらいということになります(霧積館はここから分かれて営業していました)。
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【83】撮影:小林 美子=16時19分
霧積温泉 金湯館に到着。
庭に水車があって 癒されます。風呂に入り ゆっくりコーヒーを飲んで・・
山の疲れが心地いい。
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【84】撮影:伊藤幸司=16時51分
私は通常女性用とされている小さい風呂に入りました。脱衣場などはいかにも田舎の温泉ですが、このお湯は適温の掛け流しで、記憶とはまったくちがう豊かな気分の風呂でした。
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【85】撮影:伊藤幸司=17時02分
心地よい風が吹き抜けるあずまやでお茶をいただきました。

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【86】撮影:伊藤幸司=17時10分
ここに泊まって、あすは中山道の古跡を歩くというおふたりを残して、私たちは乗客5人乗りのタクシー2台に乗り込みました。このおふたり、1995年の糸の会創立のやむを得ないきっかけ(突発事件。経緯はホームページのどこかに置いてあります)となった東急セミナーBEからのメンバーですから、20年以上のおつきあい。もちろん私より年長です。

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