発見写真旅・展(105)――2016.4.19-20 弥彦山・角田山(67パワー) 発見写真旅・展(105)――2016.4.19-20 弥彦山・角田山(67パワー)

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第1日
第2日

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【222】追加1・2011.4.12-13=伊藤 幸司へ

【232】追加2・2007.5.8-9=伊藤 幸司へ


★糸の会山行 989 弥彦山・角田山(67パワー)────2016.4.19-20
*1日目…周回歩道17p
*2日目…車道5p→登り14p→下り17p→登り14p

*日本海をはさんで佐渡と向かい合う弥彦山です。となりの角田山のカタクリは素晴らしく、良寛が修行したという国上山の周回ルートは宿での夕食をさらにおいしくいただくための「腹ごなし」には最高です。
*ただ、前回カタクリの最盛期を体験したのは4月12-13日でした。その当時は月前半の泊まりがけ登山は第2火曜日とその翌日としていましたが、現在は第3火曜日とその翌日ですから、春の訪れが同じなら1週間のズレがどう出るか、ちょっと心配なままの出発となりました。
*新潟県は上越新幹線で簡単に行けるのと、花が魅力的な低山が多いので1泊の山をいろいろ計画したいのですが、山自体がビッグネームでない場合、新幹線の往復2万円は(3割引の高齢者が多いのではありますが)なかなかの負担感になります。そこで毎回、宿の選択に心を配ってきたのです。日本海側の、料理のおいしい宿は太平洋岸の宿と比べるとお得感が大きいと感じることが多いからです。でも魅力的な宿の部屋を直前に予約するとなるとそこでの選択肢も少なくなります。今回も岩室温泉の高島屋の格安プランがとれたので、ホッとしたのです。……ほんとうは片道でも夜行バスにしてもらうと、もっと気軽に季節を追って新潟の山をたどってみたいと思うのですが。


4月19日
・1030……JR弥彦駅到着。
*昼食後タクシーで国上寺(こくじょうじ)へ。
・1230……国上寺駐車場から五合庵へ
・1300……国上山(くがみやま)登山口(標高約150m)を出発
・1335-40……国上山山頂(標高313m)
・1445……国上寺駐車場(標高約130m)
*タクシーで岩室温泉へ。
4月20日
・0815……岩室温泉・高島屋(標高約10m)を出発。
*道草と道迷い。
・0900……再び岩室温泉・高島屋(標高約10m)を出発
・0950-1005……角田山ほたるの里コース登山口で休憩+トイレ(標高約50m)
・1045-50……休憩(標高約250m)
・1140-55……角田山山頂(標高482m)
・1335……角田岬灯台(標高約50m)
*タクシーで弥彦神社へ
・1530……弥彦山ロープウェイで出発(標高約100m→550m)
・1600-10……弥彦山山頂(標高634m)
・1725……弥彦神社(標高約50m)
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の5人です。
三浦 陽子(15点)
小林 美子(34点)
佐藤 時子(15点)
矢野 博子(26点)
伊藤 幸司(131点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:三浦 陽子(1日目)


撮影:小林 美子(1日目)






撮影:佐藤 時子(1日目)




撮影:矢野 博子(1日目)






撮影:伊藤 幸司(1日目)




















撮影:三浦 陽子(2日目)




撮影:小林 美子(2日目)










撮影:佐藤 時子(2日目)




撮影:矢野 博子(2日目)






撮影:伊藤 幸司(2日目)


































追加1:2011.4.12-13=伊藤 幸司




追加2:2007.5.8-9=伊藤 幸司



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【01】撮影:09時49分=矢野 博子
新幹線燕三条駅。ここで 弥彦線に乗り換えたが 新幹線の駅だけがやけに 立派だった。地方の新幹線の駅は どこもこんな感じなのかもしれない。
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【02】撮影:09時54分=小林 美子
燕三条駅
弥彦線 ホームから・・
大きな きれいな駅です。
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【03】撮影:10時29分=矢野 博子
JR弥彦線の弥彦駅。弥彦神社をイメージして建てられたとか。旅人は 既にここから この町の雰囲気に吸い込まれていく様だ。
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【04】撮影:10時31分=矢野 博子
弥彦駅から 弥彦神社へ歩いていく途中の通りを八重桜が飾っていた。
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【05】撮影:10時39分=矢野 博子
神社へ向かう途中に 色んな種類の桜を 植えた公園があった。八重桜は いつ見ても 暖かで 見ている人を豊かにしてくれるのが 嬉しい。
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【06】撮影:10時42分=佐藤 時子
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【07】撮影:10時42分=伊藤 幸司
JR弥彦線の弥彦駅に到着すると、ちょうどサクラの季節でした。駅前からの桜並木に導かれていくと弥彦神社外苑にあたる弥彦公園はこの状態。ただし満開だったのは八重桜。カタクリにはちょっと遅いかな? という重苦しい気分で、満開のこの花を撮っていました。
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【08】撮影:10時43分=佐藤 時子
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【09】撮影:10時45分=小林 美子
紅葉谷公園入口
弥彦駅より弥彦神社の途中
この先はもみじ谷 観月橋があり 秋の紅葉の頃は
絶景とか……何時かは……
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【10】撮影:11時15分=伊藤 幸司
昼食は「わっぱ飯」の吉田屋で。11人で直接訪れるとものすごく迷惑そうな顔つきで「わっぱ飯なら」と。この人数で食事をしたいなら前日に予約が必要というのが弥彦村の常識だということで、翌日には、一時間前の打診に対して夕食を断られてしまいました。でも、山のグループは不用意な予定に縛られたくないので……どうしても直前の問い合わせになってしまいます。
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【11】撮影:11時46分=三浦 陽子
予報通り昼過ぎから雨が降りはじめた。弥彦神社は傘をさして参拝。
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【12】撮影:11時47分=小林 美子
一の鳥居を入り左手に見える 御神橋
御手洗川にかかる 玉の橋
人は渡る事はできないが
赤い橋は目をひく。
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【13】撮影:11時49分=矢野 博子
昼食(わっぱ飯)を済ませて 外に出ると いつの間にか雨が降っていた。”お昼ごろ雨”という天気予報通りだが 予報によれば この雨は 直に止むことになっているのでそれを期待して神社を後にした。
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【14】撮影:11時50分=伊藤 幸司
まずは弥彦神社へお参り。この風格は、ただものではないと感じました。
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【15】撮影:11時51分=小林 美子
昼食が終わり 外は雨、
雨の弥彦神社です。
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【16】撮影:12時29分=矢野 博子
良寛和尚さまの銅像。ここ国上寺には 良寛さまが20年過ごしたという庵が残っている。
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【17】撮影:12時30分=矢野 博子
柔和な顔立ちが印象的だった。良寛の書は とてもおおらかでのびのびしていて 見ていて気持ちが良いのが分かる気がした。
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【18】撮影:12時31分=伊藤 幸司
1日目の腹ごなしハイキングは良寛さんから。国上(くがみ)山の国上(こくじょう)寺に五合庵という庵を建てて、48歳から61歳まで修行を続けたとのこと。境内でまずはご面会。
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【19】撮影:12時33分=佐藤 時子
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【20】撮影:12時33分=小林 美子
良寛様 ドアップしない方が良かった かしら?
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【21】撮影:12時35分=小林 美子
五鈷掛(ごこかけ)の松
弘法大師が投げた三鈷は高野山に
五鈷はこの木にかかり
真言道場となりました。
・・・と立て札に書いてありました。
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【22】撮影:12時40分=矢野 博子
良寛さまの庵の脇を飾っていた 真っ赤な椿が 眼を惹いた。
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【23】撮影:12時40分=矢野 博子
良寛さまの庵。奥には 木彫の坐像があった。随分 質素な小さな庵だ。冬は さぞかし寒かっただろうにと思いを馳せる。
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【24】撮影:12時42分=伊藤 幸司
これが五合庵。1日5合の米があれば……という意味でしょうが、国上寺が客僧に頭陀(衣食住の欲望を払いのけての修行)のための粗米5合を提供して五合庵と名づけた最初が良寛であった、ということではなかったようです。
5合飯は(ほんのつい最近まで)山仕事の人たちにとっては満腹できる1食分かもしれませんでした。今では1日3合でも食べきれません。「頭陀の労を援けた」と国上寺のホームページにある1日5合の米には、修行生活全体に及ぶ援助という意味もあったようです。五合庵は間口2間、奥行き9尺だそうですから、いわゆる6畳一間の家ですね。(確かめてはいませんが)もちろんバス・トイレなし。
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【25】撮影:12時44分=小林 美子
五合庵
良寛様が修行を終え20年間 住んでいた所
大正3年に再建したものだそうです。
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【26】撮影:12時53分=伊藤 幸司
国上寺の本堂。登山口は右端の鳥居のところ。一歩踏み込んだら、そこからカタクリの園が始まっているはずです。
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【27】撮影:13時04分=伊藤 幸司
まずあったのは純白のイカリソウ。生薬としては精力剤だそうで、バイアグラに似た作用が若干ある……とも。そういうことを知った目で見ると、また印象が変わってきます。
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【28】撮影:13時11分=伊藤 幸司
現場で雄しべの数を確認していませんが、ミツバツツジのようです。
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【29】撮影:13時22分=伊藤 幸司
カタクリの葉はずっとありましたが、当面の登り道で見た花はこれが最良……だったかも。
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【30】撮影:13時23分=矢野 博子
今回の旅の期待の一つは カタクリだったが カタクリには やや時期が遅かったらしく 主役は このイカリソウだった。
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【31】撮影:13時27分=三浦 陽子
イカリソウを見るのは初めてだと思う。トキワイカリソウだそう。
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【32】撮影:13時28分=佐藤 時子
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【33】撮影:13時28分=伊藤 幸司
イカリソウに次いで多いと感じたのはこのチゴユリでした。
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【34】撮影:13時28分=三浦 陽子
ゴアの上下を着て歩き始めたら雨があがり、青空が見える天気になった。
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【35】撮影:13時28分=小林 美子
オオカメノキ
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【36】撮影:13時30分=伊藤 幸司
花はおろか、実もついていないものがけこうありました。一面のカタクリなのに。
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【37】撮影:13時31分=三浦 陽子
これは何だろうと思わず写メ。ジンチョウゲの種類でナニワズというらしい。有毒だって。
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【38】撮影:13時36分=小林 美子
イカリソウ
今日の主役です。
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【39】撮影:13時37分=伊藤 幸司
山頂で撮影したら、みなさん、ちょっとお太りになられて……。良寛さまの御利益かもしれませんが、じつは数年ぶりに持ち出した超広角レンズのいたずらかも……。
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【40】撮影:13時40分=伊藤 幸司
山頂稜線は風通しがいいためか、まだ花を残したカタクリが並んでいました。本番は明日、角田山のカタクリはどうか、雪が最後まで残る弥彦山の山頂稜線はどうか。
2011年の4月12-13日は角田山がカタクリのちょうどピークだったのですが、その当時の日程の「第2火曜+翌日」が今は「第3火曜+翌日」となっていて、今回は4月19-20日。カレンダー上で丸1週間違うのです。計画では花の不足分を補う秘策も用意してはありますが、リーダーとしてはなかなか安心できません。雪が多かったかとか、春に寒波があったかと、都合のいい想像はしてきましたが、ここにその、春のスケジュール上の現実があります。
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【41】撮影:13時41分=伊藤 幸司
こんな花が一輪でも見つかると若干ホツとします。
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【42】撮影:13時43分=伊藤 幸司
スミレ(スミレ属スミレ)がきれいに咲いていました。
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【43】撮影:13時43分=伊藤 幸司
タクシーに乗ったら雨になったので、車を降りたときには雨を覚悟で歩き出しましたが、ほとんど気にならない状態になりました。
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【44】撮影:13時45分=伊藤 幸司
オオカメノキが白い花……をつけた枝を四方に広げていました。
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【45】撮影:13時46分=伊藤 幸司
色あせたタムシバ。目の前に出てきたので、なんだか親しい感じになりました。ご苦労さん! という気分もあって。
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【46】撮影:13時50分=矢野 博子
これは ユキグニミツバツツジと私の持っているガイドブックには載っているけど 普段良く見るツツジより色が濃い気がした。
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【47】撮影:13時51分=伊藤 幸司
蛇崩という場所は、下界から見ると急な崖になっているとか。そのためか弥彦山の全貌が見渡せます。
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【48】撮影:13時52分=伊藤 幸司
弥彦山のふたつのピークの向こうに、角田山も見えてきました。弥彦山が終わるあたりの山すそに岩室温泉はあるのです。
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【49】撮影:13時53分=三浦 陽子
染めたような濃い色のムラサキヤシオ。
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【50】撮影:13時54分=佐藤 時子
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【51】撮影:13時54分=伊藤 幸司
オオカメノキは表情豊かな緑の葉と、純白の花飾りをまっすぐ四方に押し出していくような直線的な枝に並べています。その枝がしばしば水平に延びていくので、スカッとした気分になることがあります。
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【52】撮影:13時54分=伊藤 幸司
咲きかかったミツバツツジがムラサキの衝立を立てたように見えました。
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【53】撮影:13時54分=伊藤 幸司
爆発寸前の春の色。
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【54】撮影:13時55分=佐藤 時子
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【55】撮影:13時55分=伊藤 幸司
周回ルートの登山道は標高250mほどの蛇崩のところから登山道標高約100mまで一気に下って、中腹を国上寺へと戻ります。見上げているのはさっき休んだ国上山の山頂あたりでしょうか。
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【56】撮影:13時55分=小林 美子
つつじ
もうすぐひらきます
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【57】撮影:13時57分=伊藤 幸司
最盛期でもカタクリとはあまり縁のない道だと思います。
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【58】撮影:14時10分=伊藤 幸司
ここは信濃川が作り上げた越後の穀倉地帯。国上山〜弥彦山〜角田山の反対側は日本海ですから、見えているあたりで標高約10m。水路が縦横に張り巡らされています。
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【59】撮影:14時28分=伊藤 幸司
ここでイカリソウの素晴らしい花を見つけました。
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【60】撮影:14時29分=伊藤 幸司
谷間の道を国上寺に向かって歩いていくのですが、ほんの1週間前には、左右の斜面はカタクリで埋め尽くされていただろうと思うのです。よく見るとカタクリの葉が一面に広がっていますが、今や「春の妖精」は後からわき上がってきた生命力旺盛な緑に、その居場所をどんどん侵食されているのです。
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【61】撮影:14時29分=伊藤 幸司
弥彦山〜角田山で見られるスミレの中にナガハシスミレがあるそうです。保育社の「原色日本植物図鑑」には「葉はいずれも心形〜円心形でほとんどみな同形」とあり、距はいちじるしく長く10-15mmとなる」とあります。たぶんこれだと思います。
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【62】撮影:14時44分=伊藤 幸司
周回登山道にはあまり多くありませんでしたが、ヤマブキの花もありました。
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【63】撮影:14時44分=伊藤 幸司
タチツボスミレかオオタチツボスミレかわかりませんが、地をはうという印象のスミレにしては自尊心が高いという印象ではありませんか?
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【64】撮影:15時18分=伊藤 幸司
築260年の国登録有形文化財となっている庄屋屋敷。高志の宿・高島屋が今宵の宿です。
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【65】撮影:15時19分=伊藤 幸司
良寛像がありますが、良寛が実際にこの屋敷を訪れた時期があるとのこと。
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【66】撮影:15時19分=小林 美子
今日の宿泊の高島屋で・・
良寛様が出迎えてくれました。
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【67】撮影:15時20分=佐藤 時子
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【68】撮影:15時22分=佐藤 時子
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【69】撮影:15時22分=小林 美子
ミズバショウ
高島屋のお庭のミズバショウです。
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【70】撮影:15時32分=伊藤 幸司
弥彦神社の神棚……のようです。
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【71】撮影:15時52分=伊藤 幸司
庭から見た広間。夕食のテーブルが準備されていました。
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【72】撮影:15時55分=伊藤 幸司
庭の一番奥がこの竹林になっていました。夕食に出たタケノコはこの日ここで採ったものと説明されました。
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【73】撮影:15時55分=伊藤 幸司
庭の奥から振り返ったところ。私たちの夕食は右下に見える1階の広間でした。
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【74】撮影:15時57分=伊藤 幸司
池に流れ込む小さな流れの縁にミズバショウがありました。
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【75】撮影:15時57分=伊藤 幸司
池の鯉。落ち着いた庭になっていますが、正直なところ、京都の宿などと比べると緑の管理はいくぶん放任主義のよう。
300年前に村の庄屋・高島庄右衛門などが中心になって、北国街道の宿場と越後一の宮・弥彦神社の精進落としの温泉として「新潟の奥座敷」としての基礎を作ったということのようです。「奥座敷」と呼ばれるところは、いわば接待の場であって、ここも新潟県の芸妓発祥の地、現在も「約40人が在籍」とか。
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【76】撮影:15時57分=伊藤 幸司
ここが、やはりこの宿の一番のビューポイントかと思います。
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【77】撮影:16時00分=伊藤 幸司
お願いすれば、おおよそいつでもここでコーヒーなど飲める感じでした。
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【78】撮影:16時02分=伊藤 幸司
部屋の設備などに古い部分が残っていたりしていますが、さすがに老舗旅館という格式は心地よく伝わります。
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【79】撮影:16時04分=伊藤 幸司
長い廊下。右手に掲示されていたのはたしか良寛の文字とその解説。
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【80】撮影:16時05分=伊藤 幸司
ここは比較的新しい棟でしょうか。廊下側にエアコンが設けられていました。
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【81】撮影:16時05分=伊藤 幸司
ふたつの大浴場のうち小さい方がこれ。おそらく全国レベルの浴場かと思います。
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【82】撮影:16時15分=小林 美子
夕食にでたタケノコご飯は今朝このお庭でとれたものだそうです。
頭がこんなに出ないものとの事です、柔らかくて美味しかったです。
ところで ……今日はフクロウは?
高島屋の庭にフクロウが来ると言うので聞いてみました
昨夜フクロウの声を聞いたそうですが姿は今見る事は
できないそうです。
子育ての時に どちらかが見張りをする時に 姿を見る
チャンスはあるとか……(*_*)
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【83】撮影:16時20分=佐藤 時子
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【84】撮影:17時08分=矢野 博子
高志の宿 高島屋の庭にひっそり咲いていたミズバショウ。庭に やっとで春が訪れたのだろうか 旅館の人も昨日初めて ミミズクの鳴き声を聞いたと話していた。
ミミズクのやって来る宿なんて聞いたことがない。
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【85】撮影:17時23分=矢野 博子
夕暮れ時になると この由緒ある宿には この様な灯りが 点され 旅情をかき立てられた。
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【86】撮影:17時24分=矢野 博子
この街道をこのまま真っ直ぐ進めば 明日の行程は単純だったが そこは それ 遊び心のある糸の会の面々 岩室温泉をぐるりしてから 回るというおまけがつきました。
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【87】撮影:17時50分=矢野 博子
由緒ある宿に泊まるのは 糸の会 ご自慢の熟女。ザック背負っている姿だけが 私たちではないのよ と声が聞こえてきます。(ここに写っている人には 写真掲示することの承諾得ています)
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【88】撮影:18時08分=伊藤 幸司
私たちは格安バージョンでの宿泊ですから、たぶんメインディッシュがノーマルバーションとは違うのでしょうが、そんなことまったく感じずに贅沢な夕食を楽しみました。
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【89】撮影:18時10分=伊藤 幸司
今回は例外的に男性参加者ゼロでしたが、私が完全に下戸のため、男性が増えても酒盛りの気運はほとんど盛り上がりません。半数の人がビールやワインをたしなむ程度。料理は運ばれてきたとたんに空になるという静かな時間が流れていきます。2時間の食事のスタートです。
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【90】撮影:18時13分=伊藤 幸司
これは「酒菜」の4品。「根三葉胡麻よごし かもじ牛蒡」「蛍烏賊 うるい 蕨 もみじ卸 二杯酢」「卯乃花炊き 木乃芽」「若竹豆腐 山葵 枸杞乃実 セルフィーユ 汁」
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【91】撮影:20時01分=伊藤 幸司
私たちの宴席を客室の廊下からのぞき見しました。

第2日
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【92】撮影:06時15分=伊藤 幸司
男女の入れ替えで朝からは大きい方の大浴場に入れるようになりました。
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【93】撮影:07時25分=伊藤 幸司
朝食も時間に追われず、楽しくいただくことができました。
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【94】撮影:07時26分=伊藤 幸司
みなさんだいたい完食でした。最後にコーヒーが飲めれば最高でしたが。
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【95】撮影:08時02分=矢野 博子
高島屋玄関で ご主人様が現れるのを待っている勢ぞろいした靴です。お店では 登山というより トレッキング ハイキング向けの靴として売られているのが 殆どかも。
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【96】撮影:08時07分=伊藤 幸司
やっぱりこの位置から撮ってしまいます。
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【97】撮影:08時12分=伊藤 幸司
朝食にたっぷり1時間とっておいたので、ゆっくりした気分ですべてを終えて、出発したのは予定の8時半前でした。
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【98】撮影:08時13分=三浦 陽子
明治天皇が休憩した駐蹕(ちゅうひつ)の間がある登録有形文化財の宿、高島屋。
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【99】撮影:08時13分=小林 美子
文化財の高島屋を出発です
昨夜の雨はウソの様にいい天気です。
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【100】撮影:08時19分=小林 美子
甘いもの土産の店前
立派なお蔵がある
よくみたら 手前がバーで
その先のブルーの看板はカラオケやでした。
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【101】撮影:08時20分=伊藤 幸司
宿を出てすぐのところに和菓子屋(一部洋菓子)がありました。午前8時から営業していると聞いて、どうしても立ち寄っておいた方がいい店だと感じました。「新潟の奥座敷」を支える店のひとつだと思います。角屋悦堂はホームページで見ると、なかなかいい立ち位置を定めているように思われます。
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【102】撮影:08時33分=小林 美子
道案内・・いろいろな絵があり かわいい案内板でした
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【103】撮影:08時40分=小林 美子
石瀬の一本杉
平地にあり周りに高い樹木もなく冬の強風にも耐えてきました。新潟市内の杉の樹木としては幹回りが一番太く樹齢も700年を越える、新潟の文化財(天然記念物)に指定されている。
下にあった 説明板より
まだまだ長い説明がありましたが……
道を間違えた お蔭でこの一本杉に会えたけど
ほたるの里コース入口迄
ひたすら歩きました。
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【104】撮影:08時43分=佐藤 時子
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【105】撮影:08時44分=三浦 陽子
地元のおじさんが案内してくれた庭。きれいな庭だけど、近くの大杉のほうが迫力があった。
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【106】撮影:09時25分=伊藤 幸司
ここでは私の写真に1時間の空白があります。和菓子屋を出て、進むべき方向を私が180度間違えました。途中に大きな観光地図があってそれを見ていたのに気づかず、岩室温泉郷が終わっても角田山に向かっていると信じ切っていて、樹齢700年という一本杉のところで、親切(すぎる)おじさんに指摘されてしぶしぶ方向転換という次第。この20年間に何回かという180度完全トッ違え事件でした。トシのせいではありません。(誰にでも)人生に何度か起こるアホな事件のひとつ(のはず)です。……でこれは岩室温泉郷の反対側を出て、田園風景が始まったところ。
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【107】撮影:09時59分=伊藤 幸司
角田山の「ほたるの里」コースの登山口。このすぐ上に「平成福寿大観音」という新しい施設があって「1日最大50人有効」という(整理券が必要? な)バイオトイレがありました。
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【108】撮影:10時09分=伊藤 幸司
葉っぱがものすごく立派なチゴユリ。
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【109】撮影:10時24分=伊藤 幸司
イチリンソウが咲いていました。春のはかなさを感じさせるスプリング・エフェメラル(春の妖精)のひとつだそうですが「カタクリより遅く咲く」のだそうです。終わっちまったな! ここも! を確認させる花だそうです。このときはまだそれを知りませんでしたが。
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【110】撮影:10時24分=矢野 博子
ニリンソウでしょうか。
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【111】撮影:10時27分=伊藤 幸司
標高差約450mの小さな山なので、軽い気分で登っていくことができます。
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【112】撮影:10時33分=伊藤 幸司
サクラはまだ咲いているのにね。
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【113】撮影:10時39分=伊藤 幸司
これはコブシでしょうか。
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【114】撮影:11時06分=伊藤 幸司
昨日国上山で見たのと同じですから、ナガハシスミレでしょうか。とにかく驚くほど長い距(蜜の保存場所でスミレの特徴のひとつとか)が印象的です。
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【115】撮影:11時07分=伊藤 幸司
イカリソウが飛行軍団に見えます。宇宙人の襲来かも。碇とか錨に見立てたのは、もはや時代遅れかと思います。
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【116】撮影:11時26分=伊藤 幸司
角田山のこの「ほたるの里コース」は、一番登りやすいとされています。標高200mを越してから緩やかな稜線となり、268mの最高点のところから一度下ると、そこから急登になります。「低いからといってバカにするなよ」という感じです。でも気持ちいい登りです。
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【117】撮影:11時38分=伊藤 幸司
登山口から1時間40分で山頂に着きました。
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【118】撮影:11時42分=伊藤 幸司
カタクリの騒乱が終わっていまはヤマザクラという状態。水曜日なので誰もいないかと思ったら週末のような賑わい。日本海岸の山では人と会うのが珍しいというのが常識だと思っていましたが。私たちは広い山頂の一隅で花見気分のランチタイムと洒落ました。
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【119】撮影:11時51分=伊藤 幸司
人が多いとは言っても首都圏とはちがいます。これだけのベンチ空間が空いていました。
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【120】撮影:11時53分=矢野 博子
角田山山頂は かなり広く 多くの人が ここで休憩をして 良いひと時を過ごしていた。このあたりでは 人気の山らしく 若い人も結構訪れていた。勿論 このサクラ目当てでしょう。私たちもここで ゆったりと休憩。
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【121】撮影:11時54分=小林 美子
山頂のさくら かなり太〜い木 広い山頂でした。
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【122】撮影:11時56分=伊藤 幸司
山頂には避難小屋がありました。しっかりした管理グループがあるらしく「お邪魔します」という感じで、遠くからのぞき込んでみると、たしかに「ヌシ」みたいな男性がドンと座っていました。
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【123】撮影:12時01分=伊藤 幸司
下りにかかると、そこは角田山の北斜面。待望のカタクリが登場しました。最後まで雪が残っていたかのようなくぼみに。
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【124】撮影:12時06分=伊藤 幸司
カタクリの花畑という最盛期の光景が想像できる場所も登場しました(すなわち遅かったということですが)
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【125】撮影:12時08分=伊藤 幸司
以前驚いたことですが、佐渡では葉にほとんど斑がなくてツルンとした印象だったのに、海を渡って対岸の新潟にくると私たちにも親しい葉っぱでした。
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【126】撮影:12時17分=伊藤 幸司
さあてこれはふつうのタチツボスミレでしょうか。この山域にはものすごくたくさんの種類のスミレがあるらしいので、確信をもって同定できない私などは、悩み始めると「な〜んにも」決まりません。さきほど見たのは(後からの調べで)間違いなくナガハシスミレだったと思うのですが、これも同じかどうかさえ判断できません。
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【127】撮影:12時18分=伊藤 幸司
下り始めるとすぐに海が見えてきました。昨日はかろうじて海の気配ぐらいだったので、今回、初めて見えた日本海……という感じです。
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【128】撮影:12時22分=小林 美子
全部 この白いはなは
イカリソウです。
イカリソウの
群生は初めてでした。
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【129】撮影:12時22分=佐藤 時子
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【130】撮影:12時23分=伊藤 幸司
立派な錨型宇宙船が乱舞していました。
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【131】撮影:12時25分=伊藤 幸司
一週間前にはどんな顔つきをしていたのか?
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【132】撮影:12時27分=伊藤 幸司
道際にまではみ出しているのがカタクリです。このあたりは道から左右に下る斜面がぜ〜んぶカタクリの花で埋め尽くされていたと想像できます。
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【133】撮影:12時29分=伊藤 幸司
サワハコベでしょうか。5枚の花びらを10枚に見せようとして小細工しているハコベのなかでは嘘がつけないタイプのようです。
じつは私はハコベとはあまり親しくないのです。春の七草のひとつのハコベ(あるいはハコベラ)を代表するのがコハコベだということも知りませんでした。日本にある18種のうちイワツメクサが高山型ハコベだということも初めて知りました。サワハコベも初めて見たような気がします。見ていなかっただけのようにも思えますが。
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【134】撮影:12時32分=伊藤 幸司
なんだか空中に飛び出していきそうな道に見えます。そして実際に、そういう感じを味わえるのです。
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【135】撮影:12時36分=伊藤 幸司
ヒトリシズカがありました。周囲にカタクリの葉が消えずに残っているのが季節の移り変わりを感じさせます。
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【136】撮影:12時37分=小林 美子
ヒトリシズカ
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【137】撮影:12時38分=伊藤 幸司
空に向かって……か、海に向かってか、飛び出していく感じ。じっさいに、そういうドキドキ感がありました。
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【138】撮影:12時39分=伊藤 幸司
海は広くて大きいと思ってしまうのですが、じつはこの視野の中に佐渡が全部入っています。この時期だと、あちらのカタクリはまだ雪の下です。
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【139】撮影:12時41分=小林 美子
角田岬の灯台が見えてきました、まだまだ遠〜い
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【140】撮影:12時42分=伊藤 幸司
角田岬の灯台が見えてきました。もう最後かと思ったら、ここからがまた楽しい道になりました。
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【141】撮影:12時43分=三浦 陽子
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【142】撮影:12時44分=伊藤 幸司
イチリンソウということがここでは私には分かっていません。でもちゃんと撮っておきたい花でした。この花ひとつに「春」が凝縮されているような気がしました。
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【143】撮影:12時47分=伊藤 幸司
マルバシモツケだと思って撮っています。これから、白い花が爆発するというエネルギーを感じるにはちょっと早かったと思いますが。
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【144】撮影:12時47分=伊藤 幸司
岩の隙間に居場所を見つけたキジムシロ。ライナー(走出枝)を伸ばしてどんどん世界を広げていればミツバツチグリ、ライナー(走出枝)を出していなければキジムシロと単純に覚えていたのですが、今回調べてみると識別点はもうひとつ。ミツバツチグリは葉(小葉)が3枚だけなのに対して、キジムシロは小葉が3+2=5枚か、+2で7枚か、さらに+2で9枚とか。こっちの方がわかりやすいかも。
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【145】撮影:12時49分=伊藤 幸司
海に向かってグングン下りていくこの気分、礼文島のロングハイキングで何度も味わったことがあります。海辺の山の、独特のドラマですよね。あいかわらず、海原の「向こうは佐渡よ」が続いています。北原白秋ではないけれど。
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【146】撮影:12時50分=矢野 博子
角田山からの下山道は 海へ 向かって下りていく道で 目の前に広がる日本海が 段々近づいてくる。海へ向かって下山というのは 初めての経験で かなりダイナミックで 面白い。
遠くにみえていた佐渡島が 随分大きく見えてきた。
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【147】撮影:12時54分=小林 美子
大部日本海が 近くになってきました
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【148】撮影:12時56分=三浦 陽子
角田岬へと下る。春色の景色が気持ちいい。
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【149】撮影:13時00分=伊藤 幸司
「海は荒海」の日だったら、けっこうスリリングな痩せ尾根です。
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【150】撮影:13時01分=伊藤 幸司
知らない花なので撮っておきました。いつか「あつ、あそこにあった花だ」なんて思い出せるトシではありませんが。
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【151】撮影:13時02分=伊藤 幸司
最後の最後までドラマが終わらないというこのサービス精神。下っていく尾根がいよいよ海に(あるいは川に)出るという最後のところが断崖絶壁という場面はけっこう多いので、最後の展開にドキドキします。
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【152】撮影:13時03分=小林 美子
振り返って
今歩いて来た道を・・・
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【153】撮影:13時06分=小林 美子
藤の花
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【154】撮影:13時13分=小林 美子
ホタルカズラ
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【155】撮影:13時13分=佐藤 時子
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【156】撮影:13時14分=三浦 陽子
目についた小さな青い花。ムラサキ科のホタルカズラのようです。
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【157】撮影:13時15分=伊藤 幸司
この花は、この場所だけでしたが、足元に、これ見よがしに咲いていました。何だ? 何だ? と大騒ぎになりましたが、だれもわからず、ムラサキとかワスレナグサの仲間だろうというところまでで探索はストップ。
帰ってから調べるのにもけっこう時間がかかりましたが、やけっぱちネットで「紫の花」「白い筋」と入れたら、ドンと出てきました。ムラサキの仲間でホタルカズラ。緑の中にポッと見えるのがホタルに似ているからとか。私はムラサキヒトデと覚えることにしました。もっとも「カズラ」の意味はまだ理解していませんが。
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【158】撮影:13時22分=伊藤 幸司
イチリンソウです。花は特別なものに見えませんでしたが、虫がいたので撮っておきました。デジタルカメラのルーペ撮影の楽しさです。
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【159】撮影:13時22分=伊藤 幸司
昨日と今日は、終日イカリソウだったような気がします。目の前が海なのでしかたなく「ここまでイカリソウか」という気分で撮っています。錨より飛行軍団と感じたのはこの山の登りででしたが、これは夜景、日本海上空で見たイカ釣り漁船の軍団のように見えます。
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【160】撮影:13時25分=矢野 博子
標高0メートルにもう少し。角田岬灯台を横目でみて きれいな海岸線へと 下っていく。
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【161】撮影:13時27分=矢野 博子
この紺碧の海を眺めながらの下山は 普段の山行では中々経験できないので おススメと思った。
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【162】撮影:13時29分=伊藤 幸司
ここで、この場所で、灯台への道筋が全部見えてきました。
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【163】撮影:13時30分=小林 美子
もう灯台がすぐそこに〜
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【164】撮影:13時30分=佐藤 時子
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【165】撮影:13時32分=伊藤 幸司
何の花か分かりません。調べる気力もなくなっています。
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【166】撮影:13時32分=矢野 博子
高所恐怖症の人は ちょっとビビルかもしれないが 断崖絶壁と言うところ。
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【167】撮影:13時32分=矢野 博子
弥彦山山頂へ向かう途中でみた新潟平野は 広大で豊かだった。ここは 標高が高いのかまだ桜が満開。
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【168】撮影:13時34分=三浦 陽子
角田岬の先端から海を見下ろす。端の方で海藻? を取ってる人がいた。
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【169】撮影:13時35分=小林 美子
海水浴場が見える
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【170】撮影:13時37分=伊藤 幸司
振り返ると春の山です。
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【171】撮影:13時38分=伊藤 幸司
灯台のところから、一気に下る階段がありました。
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【172】撮影:13時38分=佐藤 時子
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【173】撮影:13時39分=小林 美子
灯台から 下りる道
ちょっと ふりかえって〜〜パチリ!!
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【174】撮影:13時42分=小林 美子
灯台迄 登れない人は このトンネルがある
この角田岬の灯台は
海水浴で賑わう灯台として角田岬から佐渡島33キロメートルの佐渡海峡の重要な道しるべになっている
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【175】撮影:13時49分=伊藤 幸司
ヤマザクラの季節なんですね。農作業の暦では、間違いなく春になったという景色とか。
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【176】撮影:14時39分=伊藤 幸司
タクシーで角田岬から弥彦神社に直行して、遅い昼食。もうひと山残っています。
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【177】撮影:14時59分=伊藤 幸司
昨日に続いて、もう一度弥彦神社の鳥居をくぐります。
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【178】撮影:15時14分=伊藤 幸司
これはロープウェイから、出発直前の風景です。計画では登山道を登ってロープウェイで下る予定だったのですが、朝の1時間のロスがここへきて効いて、下りの最終便に間に合わないかも知れないということから、逆にロープウェイで上がって登山道を下ることにしたのです。
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【179】撮影:15時28分=伊藤 幸司
さすがにロープウェイ駅のあたりには選りすぐったカエデの大木が植えられているようです。
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【180】撮影:15時31分=伊藤 幸司
これはだいぶ上の風景。新緑の空気の中を上がっていきます。
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【181】撮影:15時31分=伊藤 幸司
ここに見える風景が信濃川と阿賀野川によって形づくられた越後平野。平野の面積が東京都に匹敵するという日本海岸有数の大平野です。
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【182】撮影:15時33分=小林 美子
弥彦山はくだりにロープウェイを使う予定だったが最終のロープウェイに間に合わないかもしれないと言うことで上りにロープウェイを使う事にした
越後平野を見ながら・・
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【183】撮影:15時39分=小林 美子
佐渡島がよく見えます
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【184】撮影:15時40分=伊藤 幸司
あとでこの谷を下るのですが、まずは634(ムサシ)mの山頂へ急ぎます。
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【185】撮影:15時42分=三浦 陽子
弥彦山頂上のヤヒコサクラ。満開だった。
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【186】撮影:15時42分=佐藤 時子
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【187】撮影:15時43分=矢野 博子
今回の山歩きの期待の一つは カタクリであったが 時期が 遅かった。だが 弥彦山では 昨日回った山より遅れて咲いていたのか 幾つか お眼にかかれた。
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【188】撮影:15時47分=伊藤 幸司
さすがに、弥彦山の頂上稜線には今が盛りというカタクリがありました。
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【189】撮影:15時52分=伊藤 幸司
みなさんが三姉妹と名づけたカタクリ。
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【190】撮影:15時52分=小林 美子
今日 一番綺麗に咲いていた
カタクリ三姉妹
(少し 時期が遅かったので皆 枯れていたので…)
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【191】撮影:15時55分=伊藤 幸司
カタクリの乱舞……という気分は感じられます。
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【192】撮影:15時56分=伊藤 幸司
キクザキイチゲも今回初登場ではなかったかと思います。
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【193】撮影:15時56分=矢野 博子
弥彦山山頂からは360度の眺望が楽しめた。これは 日本海の眺め。遠くに雪をかぶった山が 霞んで見えている。反対側からは 飯豊山などが 眺められた。こんな時間まで日本海の山のてっぺんにいて 本当に今日中に帰れるのかしらと 不安が頭をよぎりましたが 新幹線様様で 無事帰宅。
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【194】撮影:15時57分=三浦 陽子
雪割草ではなくてキクザキイチゲ。
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【195】撮影:15時57分=三浦 陽子
カタクリと色が少々薄いミヤマクワガタ発見。
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【196】撮影:16時02分=伊藤 幸司
山頂から南を眺めています。弧を描いた白い線が信濃川で、キュッとまがって日本海に向かっているのは大河津分水路。信濃川はまっすぐに左手に延びて、新潟中心街で日本海に注ぎます。その分水路の手前にある緑のピークが昨日登った国上山です。左手奥にはまだ完全に冬山の峰がいくつも見えましたが、上越新幹線沿線の、谷川岳にいたる山々だとわかりました。
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【197】撮影:16時03分=伊藤 幸司
大河津分水路が完全に信濃川の本流という感じに見えます。関東平野でいえば荒川本流の隅田川に対して荒川放水路落という関係に似ています。
国上山の山頂からこちらに向かうと、蛇崩の縁に立ちます。昨日はそこから左に下って、中腹を向こうへと戻りました。
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【198】撮影:16時11分=伊藤 幸司
山頂での記念写真。尖って見える山が多宝山。こちら(弥彦山)のピークには「おやひこさま」の御神廟があることから、弥彦山の一等三角点は多宝山に置き、633.8m(通常表記は634m)とし、それが弥彦山の標高とされてきたそうです。しかしこちらは三角点ではないものの、水準点としては634mとなっています。同じ高さの双耳峰なんです。
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【199】撮影:16時13分=伊藤 幸司
左奥にはかすかに飯豊山地が白く輝いていました。この大平原は左に新潟市、右に長岡市があって、その間に燕市と三条市があるのだそうです。その両市のちょうど境を片足ずつ踏んでいるようなかたちで新幹線の「燕三条駅」(燕+三条)と北陸自動車道の「三条燕インター」(三条+燕)があるのだそうです。最近「燕三条地場産業福祉センター」ができて、これも市境に置かれているのだそうです。
仲良く……ではなく、江戸時代から、いがみ合いながら、なのだそうです。金物をせっせと作っていた燕と、それを一手に売っていた三条との江戸時代以来の確執が、ぎくしゃくしながらひとつの「燕三条」を作っているというのです。
それを眺めているのが弥彦村。いまや平成の大合併をくぐり抜けて「村」を維持しているのはお金持ちだから……というのが常識です。それをタクシーのドライバーさんに聞いてみたら、以前は金持ちだったんですよ、とのこと、この写真の中にもちょっと見える競輪場が、いろいろな理由で競輪場となって村を豊かにしていたのだそうです。しかしその流れが終わって、いまはおそろしく貧乏村だとか。競輪場は(これもいろいろな経緯があって)弥彦神社の境内地にあるのだそうです。
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【200】撮影:16時23分=伊藤 幸司
登山道を下ります。以前の経験で、ここが一番最後まで雪が残っていたから、花に関しては最後の期待なのでした。
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【201】撮影:16時24分=伊藤 幸司
正面に見える山は粟ヶ岳(1,293m)だそうです。右端にみえるのは守門岳(1,537m)だそうです。これからゆっくり春になる山々です。
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【202】撮影:16時24分=伊藤 幸司
まずはエンレイソウの登場です。
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【203】撮影:16時27分=伊藤 幸司
花の基部に小さな葉が1枚あるのでコブシでしょう。
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【204】撮影:16時35分=伊藤 幸司
粟ヶ岳です。あの雪が、自然のダムとなって、平野に豊かな水を供給すると、教科書的に理解できます。
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【205】撮影:16時35分=伊藤 幸司
ここは六合目の石柱のちょっと上。足元が弥彦村の中心街で、その先はもう燕市の吉田。JR弥彦線は向こうへと延びていますが、吉田ではJR越後線が左右に延びています。左手の、昨夜泊まった岩室温泉は新潟市ですし、昨日登った国上山は三条市。弥彦山の山すそに身を寄せ合っている弥彦村という感じがします。
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【206】撮影:16時40分=伊藤 幸司
まだ、イカリソウの出番がありました。
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【207】撮影:16時41分=伊藤 幸司
ショウジョウバカマがまだ花を咲かせているということは、つい最近まで雪があったか、雪解け水が地温を下げていたと考えます。
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【208】撮影:16時41分=伊藤 幸司
さあて、何スミレでしょうか。
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【209】撮影:16時42分=伊藤 幸司
山肌はみごとな芽吹きの萌え色です。
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【210】撮影:16時42分=小林 美子
この 2日間 このイカリソウが私達を楽しませてくれました。
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【211】撮影:16時45分=伊藤 幸司
弥彦神社の表参道ですから、道はよく手入れされていて、まったく問題ありません。
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【212】撮影:16時46分=矢野 博子
弥彦山からの下山途中で 出会った オオイワカガミ。最後に 花をそえてくれた感じ。
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【213】撮影:16時49分=伊藤 幸司
ミツバツツジの色も、なかなか鮮烈だと思いました。
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【214】撮影:16時50分=伊藤 幸司
イワカガミがありました。太平洋岸ではほとんどがコイワカガミですが、これにはわざわざ「オオイワカガミ」と出ていました。
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【215】撮影:16時50分=三浦 陽子
最後にオオイワカガミ。
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【216】撮影:16時50分=小林 美子
コイワカガミではなく
オオイワカガミです。
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【217】撮影:16時51分=伊藤 幸司
これもミツバツツジ。
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【218】撮影:16時51分=伊藤 幸司
これもオオイワカガミ。
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【219】撮影:17時06分=伊藤 幸司
二合目の石柱を過ぎたあたりで、これはタムシバか、コブシか。
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【220】撮影:18時27分=伊藤 幸司
弥彦神社前の弥彦温泉・弥彦館冥加屋でドタバタと入浴し、その間夕食を請け負ってくれる店を探して、釜飯の弥彦へ。帰りの電車に間に合うように、頑張っていただきました。
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【221】撮影:19時31分=伊藤 幸司
新幹線の燕三条駅へ行くJR弥彦線はワンマンカーはこんな感じ。私は昨年からずっと積極的に夜行バスを利用しているので、吉田で下りて、新潟へと向かいました。そのバスは岩室温泉で止まるのですが、往復とも新潟まで出るのが、結局合理的でした。時間とお金、いろいろな理由で。ちなみに往路は新潟から新幹線で燕三条へと皆さんを迎えに出たのですが、帰路は吉田で失礼して鈍行で新潟へ。

追加1……2011年4月12-13日の弥彦山+角田山=伊藤 幸司

*糸の会No.736の「弥彦山+角田山」です。じつは2007年の5月8-9日に急遽佐渡から弥彦山に計画を変更したことがありましたが、たっぷり1か月遅いと知りました。それで満を持して……という計画です。
*というとカッコいいのですが、じつは新潟の奥座敷と呼ばれた岩室温泉にいい宿を見つけたのがきっかけでした。2007年には古い木造の旅館、綿綿亭綿屋に泊まったのですが、その後営業中止になりました。そこで見つけたのが江戸時代の庄屋の館で岩室温泉の核となってきた高志の宿・高島屋に、平日2組限定という15,000円プランがあったのです。1日目の腹ごなしには良寛和尚ゆかりの国上山(くにがみやま)に登ることにしました。
*ごらんいただくと一目瞭然ですが、それが大当たりだったのです。
参考=2011.4.12-13弥彦山+角田山
*ここではその何点かをご覧ください。
*1日目はカタクリ満開の国上山で周回ルートを歩き、2日目は角田山でカタクリを堪能。夕方弥彦山に登ると、まだ雪が残っていました。
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【222】撮影:2011年4月12日=伊藤 幸司
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【223】撮影:2011年4月12日=伊藤 幸司
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【224】撮影:2011年4月12日=伊藤 幸司
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【225】撮影:2011年4月12日=伊藤 幸司
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【226】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司
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【227】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司
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【228】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司
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【229】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司
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【230】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司
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【231】撮影:2011年4月13日=伊藤 幸司

追加2……2007年5月8-9日の弥彦山+角田山=伊藤 幸司

*糸の会No.505の「弥彦山+角田山」です。計画書を見直すと、次のように書いてあります。
●去年の佐渡は雪解けの花が豪華でした。昨年は記録的な多雪、今年は記録的な雪不足ということで、雪解けの花は終わりました。
●春の花はいろいろあるかと思いますが目玉が消えたのは否めません。そこで計画を体育系にシフトして、角田山〜弥彦山の2日がかり縦走としました。ハードではありませんが。
●さらにいろいろ考えてみたのですが、「e」ですから……岩室温泉の老舗旅館のひとつ、綿綿亭綿屋(めんめんていわたや)にしました。
*1日目は角田岬から角田山に登って、岩室温泉に下りました。2日目は岩室温泉から怪しい道を強引にたどって弥彦山山頂へ。カタクリは1か月前に終わっていました。
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【232】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【233】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【234】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【235】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【236】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【237】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【238】撮影:2007.5.8=伊藤 幸司
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【239】撮影:2007.5.9=伊藤 幸司
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【240】撮影:2007.5.9=伊藤 幸司
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【241】撮影:2007.5.9=伊藤 幸司

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