発見写真旅・展(142)――2017.3.21-22 生駒山+金剛山ダイヤモンドトレール(ダイヤモンドトレールは約60パワー)<b> 発見写真旅・展(142)――2017.3.21-22 生駒山+金剛山ダイヤモンドトレール(ダイヤモンドトレールは約60パワー)


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第2日
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★糸の会山行 No.1027 生駒山+金剛山ダイヤモンドトレール(2日目は約60パワー)────2017.3.21-22
*2日目……車道13p→登り19p→稜線17p

*大阪・奈良県境となっている金剛生駒国定公園には「ダイヤモンドトレール」という近畿圏有数の縦走路があります。そこで今回は盟主というべき金剛山(標高1,125m)から葛城山(959m)を経て、二上山(517m)に向かって、許される時間で歩けるところまで歩こうというのが当初のアイディアでした。
*しかし「金剛生駒国定公園」の生駒山(いこまやま・642m)は大阪から見ると重要な山ですから、絡めて歩いてみたいという気持ちはありました。資料を集めていくうちに信貴山(しぎさん)に宿泊人数最大200人という宿坊があることがわかり、しかも生駒山の稜線を完全にドライブコースとして占領してしまった信貴生駒スカイラインがそこまで延びていることもわかりました。そのスカイラインをつくった近鉄が「生駒縦走コース」とする詳細な(すぎる?)イラストマップもネット上にありました。歩けるならこちらも時間の許す範囲で歩いてみたいと考えました。
*山歩きの計画では登頂すればまずは成功なのですが、登頂なしに「行けるところまで」というのは計画として危険です。しかも東京〜大阪・往復新幹線での1泊計画ですから、往復運賃に見合う最低の満足感は確保できていなければなりません。
*結局、私は現地で計画を大幅に変更したのです。生駒山から信貴山までは時間的に歩ききれないので、天気が良ければ夜景展望ドライブも考える、というのが1日目。2日目は昨年奈良の「山の辺の道」でず〜っと視野の中にあった二上山(にじょうざん)から金剛山に向かって行けるところまで……と金剛生駒国定公園を北から南へ進んでみるという表現にミニチェンジ。奈良の歴史を背負う「二上山當麻寺(たいまでら)」から登ることにしました。


3月21日
・0803……東京駅を出発(新幹線ひかりで)────1100新大阪
・1230……生駒ケーブルで生駒山山上駅へ。レストランで昼食
・1330……生駒山を出発(標高642m)
・1550……鳴川峠で千光寺への下山路へ(標高約400m)
・1625-40……千光寺でタクシー待ち(標高約250m)
・1700……信貴山玉蔵院着
・1900-50……タクシーで信貴生駒スカイラインをドライブ
3月21日
・0530-0730……玉蔵院で護摩祈祷・大般若祈祷
・0730……朝食
・0830……タクシーで二上山當麻寺へ
・0920……當麻寺を出発(標高約100m)
・0950-55……貯水池で休憩(標高約150m)
・1025-30……休憩(標高約300m)
・1050-55……休憩(標高約450m)
・1110-25……二上山雄岳山頂(標高517m)
・1135-40……休憩(標高約450m)
・1145-1205……二上山雌岳山頂(標高474m)
・1245-50……竹内峠で休憩(標高約300m)
・1335-40……休憩(標高約400m)
・1355……平石峠を通過(標高約400m)
・1450-1500……岩橋山山頂(標高659m)
・1620……山麓公園分岐(忍海道分岐)から葛城山麓公園へ下山開始(標高726m)
・1720……葛城市営霊園でタクシーを待つ(標高約200m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の4人です。
矢野 博子(20点)
小林 美子(17点)
稲葉 和平(48点)
伊藤 幸司(77点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:矢野 博子








撮影:小林 美子








撮影:稲葉 和平




















撮影:伊藤 幸司































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【01】撮影:12時04分=稲葉 和平
今回の集合場所は生駒山頂。一足先に生駒駅に着いたがこのガスでは先に山頂に行っても何も見えそうにないので、ケーブルカー乗り場で待つことにした。
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【02】撮影:12時19分=稲葉 和平
朝が早かったせいで駅前のうどん屋が気になって仕方なかったが、たいして待つこともなく皆さんがやってきた。
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【03】撮影:12時30分=稲葉 和平
ケーブルカー駅の何の変哲もない不愛想な雰囲気からは想像できない可愛らしい車輌。
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【04】撮影:12時45分=稲葉 和平
山頂駅はこのとおりガスに包まれ、どこが山頂かもわからない。とにかく、昼食が満足にとれないのではないか、と気になった。
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【05】撮影:13時22分=矢野 博子
生駒山山頂の遊園地のレストランからの一枚。午後には 雨は上がるという天気予報に期待をかけたが ご覧のような冷たい雨。山頂の店は 皆シャッターが下ろされていたが 唯一発見したレストランで 昼食、そしてそこから雨具を着込んで出発。
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【06】撮影:13時23分=伊藤 幸司
生駒山山頂には遊園地があって展望レストランがあるということなので昼食を食べてから出発、ということにしていました。これがその展望状況。他の施設のように「休業」ではなくて、休業状態でよかった。腹ごしらえをし、ゆっくり準備を整えました。
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【07】撮影:13時43分=伊藤 幸司
「近鉄」がネット上で公開している「生駒縦走コース」という詳細にしてわかりにくいイラストマップと地形図を持参して歩き始めたのですが、たちまちこういう歩道になって胸ちょっとワクワク、でもルートファインディング難しそう、という印象。いつもならみんなでトップを10分交代するところ、道の性格がわかるまでは私がトップを歩いています。
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【08】撮影:13時56分=伊藤 幸司
所詮は稜線をたどる道だろうと想像していたのですが、どうもそうではないらしい。道を間違えさえしなければ、どういうふうに振り回されたっていいし、仮に下ってしまうことになってもそこは町、それなりに面白い体験はできるはずなどという考えも登場してきました。
リーダーとしてのメンツみたいなものですが、リーダーと言ったって世間的にはプロだから、いただいたお金に見合うかどうかという価値判断も当然あります。先の展開が面白いやら、退屈やら……。
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【09】撮影:14時27分=伊藤 幸司
雨の中、中腹の林道を歩かされています。道のようすからすれば古い観光道路。生駒山に車で登る山岳観光道路だったように思えます。首都圏だったら奥武蔵グリーンロードという感じでしょうか。一種のスーパー林道だったはず……などと思いながら撮っています。
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【10】撮影:14時44分=伊藤 幸司
この道はときに集落の上限と接触します。あるいはこの道によって農家が進出したのかもしれません。ちょうどこのあたりを吹き抜ける風雨の中、レンズが濡れるのを恐れながら何枚か写真を取りました。
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【11】撮影:15時15分=矢野 博子
暫く歩いていくと(と言ってもかなり 難しい道で マップが あまりあてにならなかったが)急に視界が広がり 大阪湾〜大阪市が 見渡せた。しかし 暗雲が 立ち込めている。 
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【12】撮影:15時15分=矢野 博子
大阪市内をアップで。ビル群が はっきり見える。この中に あべのハルカスは あるんだろうか?
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【13】撮影:15時16分=伊藤 幸司
これは「なるかわ園地」からの大阪平野展望です。
30分ほど前「なるかわゲート」という場所で、「府民の森にようこそ」という地図入りの案内板を見ました。それによるとその直前に歩いてきた舗装路は大阪〜奈良県境を暗峠で越える国道308号線で古くから大阪〜奈良の最短ルートであった有名な峠道だそうです。
暗峠に出ずに「なるかわ園地」に入ると生駒縦走歩道が本格的に延びているらしく、鳴川峠、十三峠まで稜線の道が始まるようです。その大阪側が府民の森として府政百年事業として整備されていて「ぬかた園地」「なるかわ園地」「みずのみ園地」と続いているようなのです。
トイレ休憩の後、登り始めるとすぐにこの、大阪平野の展望が開けました。
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【14】撮影:15時16分=伊藤 幸司
この写真に写っている風景をグーグル・マップの航空写真で小一時間探しました。撮影地点ははっきりしていますから大阪の土地勘が少しあれば簡単なのでしょうが、手間取りました。
写真左端に見える煙突が特徴的ですが、三井化学大阪工場に間違いないと思います。住所では高石市高砂です。画面右端に見える巨大な建物とそれに接する広大な緑地がなかなか確信をもてませんでした。丸びを帯びた大きな屋根をドームのように感じたのが混乱の原因でしたがヤンマースタジアム長居と隣接する大阪市立長居植物園ですね。大阪の中心街はこの写真の右側に隠れています。
*それよりも、雲の下に大阪湾が見え始め、行き交う船が何艘も見えています。そのさらに向こう側がどうなっているのかはよくわかりませんが。
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【15】撮影:15時18分=伊藤 幸司
これは大阪の市街地全体をとりあえず撮っておいたという写真です。写真左側に写っている際立って高いビルが「あべのハルカス」日本で一番高い高層ビルです。高さ300mは296mの横浜ランドマークタワーを抜いて一番とか。最寄り駅は私たちにわかりやすいのはJR天王寺駅(地下鉄も)ですが、正確に言えば近鉄・大阪阿部野橋駅の構内ビル。これが私にも混乱をもたらして、帰路の夜行バスの発着場所を確認するまでに右往左往してしまいました。
足元からまっすぐ延びているのは近鉄奈良線。帯状に白く輝いているのは恩智川の水面のようです。その右側に見えている白っぽい建物のあたりは花園中央公園で、有名な花園ラグビー場のほか野球場、多目的球技広場、屋内型遊戯施設、わんぱく広場、美術センターなどがあるそうです。
その近鉄線は地下鉄に乗り入れて難波や道頓堀の繁華街を抜けていきますが、その先に見える白い大きな屋根は京セラドーム大阪。地下鉄の御堂筋線と四つ橋線はその手前で右手に折れて梅田(JR大阪駅)へと中心街を抜けていきますが、写真で右手に並ぶビル街の中心部と見えるあたりに広がる緑地らしき空間が大阪城だと思います。
大阪中心街の向こうに見える山並みは六甲山で、一番高く見える辺りが西宮から神戸。山並みが低くなって、あべのハルカスの向こうに登場するのは淡路島。
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【16】撮影:15時18分=小林 美子
歩き出す頃には雨があがると、期待したがかなり強い雨。
やっと、3時頃には雨は
あがった。
まだ、大阪の上空には、
黒く重い雲があった。
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【17】撮影:15時33分=伊藤 幸司
稜線の道はハイキングルートという感じできちんと整備されていました。生駒縦走コースはこのあたりが核心部だと感じました。
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【18】撮影:15時49分=伊藤 幸司
泊まりの計画の1日目はあくまでも「腹ごなし」です。どこまで行けるかより、入浴と夕食のために何時までに到着すればいいか、というほうが重要です。できれば十三峠まで歩きたい気分でしたが、安全パイの鳴川峠で奈良県側に下ることにしました。このトンネルで近鉄が開発したという信貴生駒スカイラインそのものはこれまで一度も目にしていず、ここでもトンネルでくぐったというだけ。どんな道が延びているのか見えませんでした。
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【19】撮影:15時55分=伊藤 幸司
今回体験してわかったのですが、生駒山系でも金剛山系でも、途中からエスケープする感じの道はおおよそこんなイメージでした。じつはこの道を下って山腹の自動車道路に出たところでタクシーを呼べるかどうかなかなか判断しきれなかったので、下山時刻の判断には神経を使いました。
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【20】撮影:16時19分=伊藤 幸司
トンネルをくぐって下り始めてから30分、奈良県側の集落に出ました。人に出会うか、地図上にある地名に出るかして、タクシー会社に電話してみるしかありません。
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【21】撮影:16時20分=伊藤 幸司
この先に地図に示された寺があることは、このときすでにわかっていました。でも道を確認するまでは安心できないという気分です。
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【22】撮影:16時27分=伊藤 幸司
そこにあったのは真言宗醍醐派別格本山・鳴川山・元山上・千光寺というお寺。「近鉄元山上口駅より徒歩50分」と説明されています。
修行のお寺として有名らしく、体験修行=24時間、精神修行=約1週間、荒行修行=1ヶ月、資格取得(僧侶住職)=6ヶ月、さらに特別研修、修験道とあります。大峯山の女人禁制に対して「女人山上」となり、今は男女平等とか。
その由来によると「ある日、小角(修験道の祖・役小角)が遠見ケ嶽に登り南の方を観ると、多くの山々の中に金色に輝く山を見て霊威を感じ、母・白専女を鳴川に残し、二匹の鬼を従えて此処より南へ二上山・葛木山・金剛山・友ケ島を経て熊野ヘ、熊野から大峯山の山頂である山上ケ嶽に登り、修行、根本道場と定められました」ということから、母が残ったこの場所を「女人山上」と呼ばれたというのですが、その前に、役小角が山上ヶ岳に辿り着く前に修行していたという意味でここが「元の山上」と呼ばれ、それに「女人山上」がかぶさったということのようです。
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【23】撮影:16時28分=伊藤 幸司
山門をくぐってちょっと覗かせてもらっただけですが、なかなか密度の高い宗教空間のように感じました。この寺はユースホステルも運営していて、希望すれば座禅や写経もできるとのこと。
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【24】撮影:16時38分=稲葉 和平
大した雨ではなかったものの、ほとんど景色は見えず、結構な山道をほとんど何もわからないまま歩いているうちに時間が経過、途中で下山。ぼんやりタクシーを待つ。
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【25】撮影:16時40分=伊藤 幸司
千光寺から下る道は山間集落の中をうねうねと下る急な道。タクシーの助手席でもちょっと楽しいスリルを味わえました。
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【26】撮影:17時18分=稲葉 和平
宿坊というよりは信貴山玉蔵院ホテルという感じだったが、説明はお坊さんだったのが普通の宿とは違った。従業員? は男性だけなのかどうかは確かめ損なった。
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【27】撮影:17時19分=稲葉 和平
信貴山は聖徳太子が物部守屋との戦の際、毘沙門天から必勝の秘法を授かったのが寅年、寅日、寅の刻とかで、信貴山の毘沙門天は寅に縁のある神として信仰されているらしい。
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【28】撮影:17時21分=伊藤 幸司
信貴山大本山・玉蔵院に到着するとすぐにこの部屋へ。いろいろな説明がありましたが、じつは白状すると、ネットでここを見つけたときからどこかに商売上手という疑いがあって、明朝のご祈祷も当初から決めてきたひとり以外、だれも手を挙げず、私たち宿泊する団体へのご祈祷の誘いも断ってしまいました。
有料の修行体験などに対する警戒感が大きく影響していたのですが、翌朝の浴油堂での護摩祈祷と本堂での大般若祈祷に対して参拝を勧められ、そこに繰り広げられた宗教的雰囲気と鍛え上げられたライブ感に全員しびれました。しかも商売上手に見えた僧侶の、真の姿によって、檀家を持たず、祈祷によって聖徳太子由来のこの山を支えてきた宗教の力を強く感じることができました。その場で私たちは全員の名前をきちんと読み上げていただいたのです。
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【29】撮影:18時00分=矢野 博子
今日の宿は 玉蔵院 という 信貴山の宿坊。朱塗りのお盆に乗せられた精進料理。これであとコーヒーが あれば言うことなし と思ったのは 私だけかしら。
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【30】撮影:18時01分=伊藤 幸司
夕食は(じつはみなさんにはお知らせしてありませんでしたが)精進料理を選択しました。……というのはホームページには「当院では伝統の精進料理をおあがりいただけます。また、精進料理以外にも山海の素材を活かした会席料理もご用意できます。
いずれも3,000円(税別)からで、お一人様より承りますので、お気軽にお申し込みください」とサービス精神旺盛で、私にはそれが不安の種でもあったのです。「御一人様から250名の団体様まで承ります」というのもどんな商売をやっているのかと疑わせる文章でしたが、奈良で宿泊を考えるときにグループだと宿泊人数で選べる宿が限られてしまいます。ですから(予約の自由度という面も含めて)飛びついたというのが正直なところではあったのです。
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【31】撮影:18時02分=伊藤 幸司
精進料理によって夕食はとても楽しいものになりました。みんなで素材クイズをしながらほぼ全員が完食。厨房の規模から言って仕出しだと思うのですが、積極経営に成功しているためか、きちんとした料理だと思われました。
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【32】撮影:19時13分=稲葉 和平
夜になって雨が上がり、生駒スカイラインからの大阪の夜景。東京より落ち着いた町という感じがした。
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【33】撮影:19時26分=伊藤 幸司
午後になって雲が晴れたので、タクシーでの夜景ドライブに出かけることにしました。タクシー運転手のアドバイスで鳴川峠の手前「鐘の鳴る展望台」に登りました。
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【34】撮影:19時26分=矢野 博子
夕食後 生駒スカイラインを利用して タクシーで 夜景見学。雨が また降っていたが 幸いにも 展望台に着いたときは 雨は 上がっていた。神戸の夜景とか 函館の夜景が 有名だけど どうしてどうして ここも中々の圧巻でした。
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【35】撮影:19時28分=伊藤 幸司
吊橋みたいな、カタパルトみたいな展望台に登っての展望は風の中でなかなか印象的なものでした。……が、撮れる写真は、まあ何枚撮っても同じようなものでしかありませんでした。
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【36】撮影:19時28分=小林 美子
食後、夜景を見に行く。外に出たら雨が
又降っていた。
タクシーにおまかせで、出かける。
きれいな、大阪の夜景を見る事ができた。
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【37】撮影:19時28分=矢野 博子
こちらは 若干寂しいけど 奈良盆地の方。大阪側と奈良側が ここからは見渡せ 両県に跨っているスカイラインということが 良くわかった。
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【38】撮影:19時30分=小林 美子
鐘の鳴る丘展望台、ここから見ると、怖い感じだった。
ちょっと風が強かったが
あの先迄上った。
夜景が
全然違った。
素晴らしい〜〜!
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【39】撮影:19時30分=稲葉 和平
少し高度が上がっただけで随分見え方が違う。大阪の街は山並みにかこまれていることがよく分かる。
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【40】撮影:19時53分=小林 美子
この階段を下るとすぐ左側が明朝、ごま焚きをするところの浴油堂です。
夜は灯籠に灯りがついてとてもいい感じ・・
少し、ブラ〜としましょう。
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【41】撮影:19時56分=小林 美子
日本一大地蔵尊。
子供をお守り下さる仏様で、お願いがあると、すぐに訪れるぞ…
と左足を下ろして座っているのだそうです。
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【42】撮影:19時56分=稲葉 和平
信貴山玉蔵院からの夜景。東京とはお寺と街との距離感が違う。
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【43】撮影:19時56分=稲葉 和平
信貴山玉蔵院の「日本一大地蔵」。大阪らしい俗っぽさ、と言いたいところだが、ここは奈良。
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【44】撮影:19時57分=矢野 博子
ここの宿坊は 中々 立派な大きなお寺さんの中にあるので驚いた。まずは このいくつもの 光のともされた灯篭が 目を引いた。
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【45】撮影:19時58分=伊藤 幸司
玉蔵院に戻って、みんなそれぞれ夜の境内を歩きました。女性も2人、3人とバラバラでこのおどろおどろしい宗教環境のなかに繰り出したのは「年の功」かもしれません、けれど。
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【46】撮影:19時58分=伊藤 幸司
この日宿泊したのは私たちを含めて2組だけでしたから、夜の境内は事実上無人。煌々と輝く街灯の中で、あらゆる宗教施設が凝縮された印象でした。
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【47】撮影:19時58分=伊藤 幸司
成福院だと思います。夜間(何時までかわかりませんが)これだけ灯りをつけていることによって、じつに不思議な宗教空間が広がっていると感じました。
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【48】撮影:19時58分=小林 美子
聖徳太子が、毘沙門天様を拝まれて、御利益を頂いたのが、寅の年・寅の月・寅の日なので、
寅がいっぱい。
2月には、張り子の寅の
祈祷が、行われるそうです。
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【49】撮影:19時59分=矢野 博子
聖徳太子会ご一行様の隣に書かれた糸の会御一行様 ここならではの看板でしょう。聖徳太子にあやかりたいものです(今は 福沢諭吉さんですけど)
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【50】撮影:19時59分=矢野 博子
本尊は毘沙門天様。赤い旗が 両サイドを埋めていた。商売繁盛 開運のご利益。
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【51】撮影:20時01分=伊藤 幸司
これが玉蔵院で事務所があります。「聖徳太子会」と「糸の会」ですから私たちが山のグループで、たまたま安くて便利な宿として選んだだけとは見えません。
それにしてもこの「玉蔵院」は信貴山にある総本山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)境内にある3つの塔頭寺院のひとつでいずれも宿坊を営んでいるということです。
成福院(写真No.47)と千手院があり、千手院についてはホームページに……信貴山内の中では最も古く由緒ある筆頭寺院で、代々信貴山寺を代表する住職の住坊とされてきました。そのさまは「信貴山雑記」においても「千手院は信貴山の総本家なり」と描かれています……とあります。
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【52】撮影:20時03分=伊藤 幸司
なんだかわかりませんが、誰かが何らかの願いを込めて寄進したものなのでしょう。きれいさでは際立っていたと思います。
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【53】撮影:20時03分=矢野 博子
この張子の虎が ここの象徴です。カワイイ顔してました。寅の年 寅の日 寅の刻に毘沙門天様が現れ 勝利をもたらしたとお坊さんの説明でした。
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【54】撮影:20時04分=伊藤 幸司
夜の8時、人の姿が見えればそれは間違いなく私たちの仲間という独占的な状態で、この明るい空間を堪能していました。光に溢れたこの境内が、ともかく印象的でした。
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【55】撮影:20時05分=伊藤 幸司
この重量感のある屋根が並んだその先に、存在感のある建物が空に突き出ていました。翌朝になってわかるのですが、朝護孫子寺本堂(毘沙門天王)です。その先に奈良盆地が広がっています。それも斑鳩の里や山ですから、聖徳太子が物部守屋討伐に向かう途中、この山で戦勝を祈願したことに始まるというのが史実に近い縁起だと感じられます。

第2日

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【56】撮影:05時25分=伊藤 幸司
朝です。なんだか昨夜より暗い感じがしますが、カメラはあくまでもその瞬間、瞬間の「絵」としての標準化をしてくれます。自分の印象(記憶)との違いの差を大きく感じるか、感じないかということが、じつは、たとえば色の違い、味の違い、音の違い、などと同様に人それぞれのセンスによる違和感ということになります。
カメラをマニュアルで微調整して使いたいとする人が写真マニアには多いのですが、自分のセンスが確立していないままいろいろ操作する人の中には自分自身の完璧レベルではなく、どこからか与えられたお手本に近づこうとしているだけの人も多いように感じます。
造形系の写真家の場合には、難しく撮るよりも、やさしく撮れる状況を先に作ってしまう方がカンタンと考えるケースが生まれてきます。カメラ操作にイライラするよりそのカメラで簡単に撮れる現場を作り上げてしまうほうがイイと考えるわけですが、テレビコマーシャルの映像ではそういう作り方が今もたくさん見られます。
私はスナップショット派なので、カメラが「肉体化」してほしいと思います。ですから新しいカメラとの付き合いでは、まずその、相手ときちんと付き合うことにしています。
今使い始めているこのカメラでは、背中のモニターで撮影するとシャッターチャンスが捉えられずにイライラします。1万円のカメラよりはいいけれど、たとえばこういう写真の人の動きのリズムにかろうじて同調する、というところまでもいきません。中古ゆえ捨てようかと思っていたら、小さなビューファインダーに切り替えて、スイッチをONのままにしておくと、電池の消耗も気にせずに、即応体制が整います。小さなモニターの性能に限界があって細かいところまでは見えないので一眼レフカメラのファインダーとは雲泥の差ではあるのですが、動きはおおよそ捕まえられます。そしてシャッターを切ってから撮影に至るタイムラグ(シャッタータイムラグ)は歩いている人の動きのレベルならおおよそ抑えてくれるとわかりました。
一番混乱したのは露出の基本レベルの違和感。私は一眼レフであれ、ポケットカメラであれ、基本的にオート撮影ですが全ての露出を「-1/3」絞りにしています。好みですが、鞍部の黒を気持ち「締めたい」と感じるからです。それはカメラのメーカーや値段にかかわりなく一律に「-1/3」なので私の勝手な好みに違いないのですが、カメラがフィルムからデジタルになってずっとそうしてきました。しかしこの新しい相棒ではそれがさらにイライラ感を産んでいました。だいぶ使った後、露出補正を「-2/3」にしてイライラしなくなりました。
カメラのオート機能は標準化されたロボットなので、つきあってみるとどこかで違和感を感じることがあります。相手と正面から付き合って違和感の部分で許しがたければその部分だけ補正する方法を考えればいいし、あちらのやり方にまかせて、自分ではできない領域を再発見させてもらう──慣れてきたら1枚目はカメラに任せて、「ヤツはこう撮るだろうな」とわかったら、そこで自分自身の写真を撮るべくマニュアルで再撮影してもらう、というふうな付き合いをしているうちにだんだん二人三脚が板についています。楽しくなってきたら、それなりの相棒だと思うのです。
ぐだぐだと書きましたが、どうですか? 3人の動きを見ていただくと、この程度のシャッターチャンスまでこのカメラで抑えられるという私の小さな喜びがお分かりいただけるかと思います。
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【57】撮影:05時27分=稲葉 和平
5時半前、東の空が少し明るんでいるがまだ暗い。境内の照明が寺院とは思えないほどきらびやかだ。
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【58】撮影:05時30分=小林 美子
ごま焚。
この太鼓をたたいてお経
太鼓の音
が体に響いた。
いい体験をしました。
それにしても、すごい。
太鼓の音と、お坊さんの声 宗教的な事はわからないがいい時間を過ごす事ができて、感激!!
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【59】撮影:05時30分=稲葉 和平
糸の会御一行様が山の会と思う人はまちがいなく、いない。
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【60】撮影:05時31分=小林 美子
太鼓の上の天井にあった、灯り。
形がそれぞれ違うが、何か意味があるのかしら?
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【61】撮影:06時14分=矢野 博子
朝の6時から 護摩を焚くというので 参加させて頂きました。力のこもったライブショー。声量ある僧侶に圧倒され 初めて見る護摩焚きの炎は まさしく 速水御舟の”炎舞”そのものだった。炎は 人を虜にする。
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【62】撮影:06時16分=伊藤 幸司
朝5時半からの、浴油堂での護摩祈祷が終わりました。写真を撮ってもいいといわれて、参加した人たちが一斉に写真を撮り始めました。私も含めて、全員が特別な時間を共有したと感じていたと思います。
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【63】撮影:06時17分=伊藤 幸司
なんだか忘れましたが、ありがたい仏様が祀られているそうです。写真に撮っていいそうです。なんだかすごく自由です。
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【64】撮影:06時18分=稲葉 和平
ご祈祷のあと、ご祈祷の際にしてしか見ることのできない、奥に安置されている毘沙門天王二十八使者像に向かう。天井の照明が蝋燭がともされているような厳かな雰囲気を醸し出している。
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【65】撮影:06時19分=小林 美子
浴油堂の入口。
ここで、ごま焚きをしました。
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【66】撮影:05時19分=稲葉 和平
護摩をたいた後も火が残っていた。燃え盛る大きな炎を前に、X-JAPANのYOSHIKIを思わせるような激しい太鼓をバックにしたご祈祷は、なかなかのパフォーマンスだった。ご祈祷の際には撮影を遠慮していたが、堂内の撮影はOKとのことだった。
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【67】撮影:06時25分=矢野 博子
朱塗りの塔の脇にたたずむ優しい顔をした像。朝日が 優しい。
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【68】撮影:06時26分=小林 美子
ご祈祷を行う
本堂に向かう途中。
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【69】撮影:06時26分=伊藤 幸司
塔頭のひとつ千手院へと下る道です。
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【70】撮影:06時27分=伊藤 幸司
毘沙門天王は朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の本尊。本堂へと導かれる道です。
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【71】撮影:06時27分=稲葉 和平
ご祈祷のあと、本堂へ。遠くから見えていた本堂だが、境内の入り組んだ道を歩いているとどれが本堂だか分からなくなる。
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【72】撮影:06時31分=伊藤 幸司
これは玉蔵院に属する三重塔と「日本一大地蔵尊」。地蔵尊は座った状態で高さ14.54mとか。見た目はごく最近作られたようですが、昭和8年(1933)のコンクリート製だとか。三重塔に関してはいつ建てられてものか、私にはわかりません。
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【73】撮影:06時31分=矢野 博子
昨日の雨は すっかり上がり 清々しい朝を迎えた。初めて朝のお勤めに参加し 何かスッキリした気分になった。
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【74】撮影:06時32分=稲葉 和平
トラ。なぜか檻に入ってる。
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【75】撮影:06時34分=稲葉 和平
本堂から見るご来光。有名なご来光スポットらしい。
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【76】撮影:06時34分=稲葉 和平
この写真では分からないけれど、日が昇ると刻々と境内の色が変わってくる。
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【77】撮影:06時35分=稲葉 和平
斑鳩方面の街並みが朝日に霞む。なかなかの眺めだ。
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【78】撮影:07時05分=小林 美子
本堂の内部です。
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【79】撮影:07時14分=伊藤 幸司
本堂からは奈良盆地が見えます。向こう側に見える低い山並みは三輪山からはるか春日山へと続く丘陵で、その麓をたどる「山辺の道」を前年歩きました。
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【80】撮影:07時14分=伊藤 幸司
本堂の足元には巨木がありました。
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【81】撮影:07時15分=伊藤 幸司
本堂での大般若祈祷では祈祷料をお供えした全国の皆さんの名前が呼び上げられ、宿泊料しか払っていない私たちも全員の名がきちんと読み上げられました。「ご祈祷」というものに対する不思議なエネルギーを感じて外に出ると、昨日とはまったく違う穏やかな天気。さあ朝食を食べて出発だ、という明るい気持ちになりました。
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【82】撮影:07時17分=小林 美子
五重の塔も見えました。
この山、一帯が玉蔵院。
かなりの広さです。
ほんの一部を歩いただけだった。
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【83】撮影:07時17分=伊藤 幸司
本堂からの帰り道。三重塔のあたりが宿泊した玉蔵院の領域ということになります。
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【84】撮影:07時17分=稲葉 和平
雲間からの光が奈良の街並みを浮かび上がらせる。
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【85】撮影:07時25分=伊藤 幸司
朝食はふつうの和食でした。
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【86】撮影:07時28分=稲葉 和平
玉蔵院の朝食。精進料理とは思えないほど美味しかった。精進料理でもしゃけはいい?。
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【87】撮影:07時29分=稲葉 和平
立派なお札、どんなご利益があるのかしら。
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【88】撮影:09時08分=矢野 博子
前夜のミーティングで 二日目の計画について話し合った。 大きく分けて二案があったが 二上山からスタートし 葛城山〜金剛山へと向かって行くことになった。そのスタートの山の二上山が タクシーの窓から臨めた。右に見える高い方が雄岳 左の低い方が雌岳 きれいな山容だ。去年 大和路を歩いた時にずーっと遠方に見えていた山並みと思うと 感慨深い。
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【89】撮影:09時09分=伊藤 幸司
タクシーで信貴山から二上山へとダイレクトに向かいました。昨年、山辺の道を歩きながら見た「向こう側」の山並みではこの二上山が圧倒的に目立っていました。稜線を左にたどると葛城山があり金剛山があります。今日はどこまで行けるやら……という計画です。
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【90】撮影:09時17分=矢野 博子
二上山の麓にある當麻寺。中将姫伝説で有名な古刹ということは ここで初めて知りました。
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【91】撮影:09時20分=小林 美子
東大門。
仁王門からは、四角い門の空間が額縁で切り取ったように、二上山が見えると
後で知る。
気が付きませんでした。
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【92】撮影:09時21分=矢野 博子
當麻寺境内にある日本最古の梵鐘。白鳳時代と書かれている。
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【93】撮影:09時22分=稲葉 和平
二上山を守るように建つ当麻寺の仁王門。
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【94】撮影:09時22分=稲葉 和平
風格のある仁王像がしっかりと見張っている。
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【95】撮影:09時23分=伊藤 幸司
二上山・當麻寺(たいまでら)も聖徳太子の時代にここに存在していたことが明らかだそうです。見上げる山が二上山。斑鳩の人々にとっては特別の存在であったようです。
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【96】撮影:09時24分=稲葉 和平
午前9時半。質素な落ち着いた境内。時間が早いせいか観光客も疎ら。
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【97】撮影:09時25分=伊藤 幸司
国宝の本堂です。1950年代の解体修理によって、これは奈良時代の部材や平安時代初期の部材が活用されて平安時代末期に建てられたものと明らかになったそうです。タクシー運転手の話によると、奈良の寺院は土間なので土足のままお参りできるのに対して、京都の寺は床を張ってあるので靴を脱いで上がる……とのことです。
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【98】撮影:09時25分=稲葉 和平
国宝も多くあるにもかかわらず、葛城市観光協会による奈良らしい控えめな説明板。
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【99】撮影:09時25分=稲葉 和平
日本最古の梵鐘。左手奥に格調高い三重塔の頭が覗いている。
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【100】撮影:09時26分=小林 美子
今日の出発点。
当麻寺。
予定の反対のコースで行く事になりました。
今日は気持ちいい天気。
よかった。
金剛山には行きたかったけど、二上山はより以上に意味がありそう。
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【101】撮影:09時28分=伊藤 幸司
當麻寺を舞台とする中将姫の物語が浄瑠璃や歌舞伎で人気演目となっているのだそうで、この寺で出家した姫が5色の蓮糸で一夜で織り上げたのが阿弥陀信仰の牽引役となる「当麻曼荼羅」(国宝)なんだそうです。中将姫の没年は29歳ということですから、こんな雰囲気を保ったまま極楽浄土へと旅立ったということになります。
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【102】撮影:09時28分=稲葉 和平
本堂。これも国宝。質素だが安らかな、落ち着いた雰囲気が漂う。
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【103】撮影:09時29分=伊藤 幸司
ゆっくりお参りする時間はありませんでしたが、本堂一周。
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【104】撮影:09時33分=稲葉 和平
三重塔(国宝)。村から見ると小高い丘のよく見える位置に建っているらしい。
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【105】撮影:09時48分=伊藤 幸司
當麻寺から上がっていくと大きな灌漑池がありました。二上山の雄岳(右)、雌岳が見えています。ここから10パワー、1時間強の登りのはずです。
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【106】撮影:09時50分=伊藤 幸司
池の右手前に(見えるかどうか)黒服の人がいます。背後に白いポリ袋を置いているのですが、それを目指して鳥が集まってくるところです。この写真を撮った理由は、じつはそれではなく、この池の向こう岸の先に見える斑鳩の里。去年歩いた山辺の道もその向こう側に見えているのかもしれません。
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【107】撮影:09時53分=稲葉 和平
池越しに奈良の山並み。晴れていれば素晴らしい眺めかも。
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【108】撮影:09時54分=矢野 博子
當麻寺から二上山登山口を目指して歩いていくと 途中にあった池には 二羽のグースが 気持ち良さそうに泳いでいた。。年齢20歳とか。餌やりの飼育員に集まって来ていた。
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【109】撮影:09時57分=小林 美子
グースは日本語でガチョウ。
ダックは日本語でアヒルの事。
グースと言っていたので
これは、ガチョウか?
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【110】撮影:09時58分=稲葉 和平
鵞鳥だそうです。係の人がオーイと呼ぶとスーッと向かってきた。ガチョウとアヒルの違い? 分かりません。
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【111】撮影:09時59分=伊藤 幸司
石碑のようなものが見えますが、どんな由来のある場所かわかりません。
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【112】撮影:10時00分=稲葉 和平
オオイヌノフグリ。小さなありふれた花だけど、春を感じさせてくれる。
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【113】撮影:10時02分=伊藤 幸司
なんか気品のあるスミレなので特別のものかと思っていろいろ見てみましたが、ふつうのタチツボスミレかもしれません。稲葉さんの見立てをちらりと見たいところですが。
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【114】撮影:10時02分=稲葉 和平
ヤナギ。このぼんやりとした淡い薄緑が何とも言えない。
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【115】撮影:10時04分=稲葉 和平
タチツボスミレも現れた。
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【116】撮影:10時11分=伊藤 幸司
登山道が始まりました。標高約250mのところにある寺院の境内に入るという雰囲気でしたがそのまま山になっていました。
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【117】撮影:10時19分=伊藤 幸司
道は雄岳と雌岳の鞍部から下ってくる谷筋を登っていきます。地形図の描写どおりです。
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【118】撮影:10時41分=稲葉 和平
ハイキングコースとはいえ、急なアップダウンが延々と繰り返される!
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【119】撮影:10時42分=伊藤 幸司
枯れ葉にツバキの花がポトリ、というおなじみの風景です。
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【120】撮影:10時42分=伊藤 幸司
この近畿自然歩道は近畿地方2府7県に、総延長3,258H、246コースを張り巡らせているそうで、ここはたぶん「金剛生駒ふれあいルート」の一部だと思います。
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【121】撮影:10時57分=伊藤 幸司
ダンコウバイの黄色い花が春らしい気分を感じさせてくれました。
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【122】撮影:10時59分=伊藤 幸司
雄岳〜雌岳の稜線上、馬の背には公衆トイレがありました。トイレ休憩の後、雄岳へと登り始めました。
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【123】撮影:11時06分=稲葉 和平
道はよく整備されている。階段の段差も小さいが、これだけ続くと・・・。
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【124】撮影:11時11分=稲葉 和平
雑木林の間から大和三山もチラリ。正直言うと、どれがどれだか分りません。
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【125】撮影:11時14分=矢野 博子
皇位継承争いに敗れ死を賜った悲劇の皇子大津皇子の墓が 雄岳山頂に祀られていた。藤原京が 見下ろされる場所だ。
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【126】撮影:11時15分=伊藤 幸司
雄岳山頂にある大津皇子の墓。正式名称は「大津皇子二上山墓」だそうですが、宮内庁管理の墓所はどれもなんとなく同じ雰囲気を感じさせます。柵のめぐらし方かもしれませんが、柵の外側で拝みたくなる「拝礼」の場としての表情を整えているからでしょうか。
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【127】撮影:11時15分=伊藤 幸司
私たちにはお参りするのと写真を撮るのとは同義語かもしれません。大津皇子は天武天皇の三男で、容姿端麗、学力抜群、武芸堪能、豪放磊落かつ謙虚……と日本史上トップレベルの好青年ながら24歳で自害なんだそうです。
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【128】撮影:11時16分=小林 美子
大津皇子のお墓。
文武両道に秀で自由闊達で気さくな人柄であ ったと伝えられ、多くの人々に愛されたが、
草壁皇子と皇位継承を争う事になり、天武天皇の死後、謀反のうたがいで 自害したそうだ。
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【129】撮影:11時19分=伊藤 幸司
乙女心を強く刺激した記念写真だと感じました。撮りながら。
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【130】撮影:11時45分=稲葉 和平
まさか、釣り?、と思ったら無線マニア「こちら JQxxx。○○さんどうぞお」 二上山の雌岳山頂。
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【131】撮影:11時57分=矢野 博子
雌岳山頂からの奈良盆地の眺め。こんな絶景の場所で 昼食を摂った。いよいよこれからが歩きの本番だ。
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【132】撮影:12時04分=伊藤 幸司
雄岳の山頂は公園になっていて、その傍らにあったアセビはなんとまあ、色気を感じさせました。
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【133】撮影:12時04分=稲葉 和平
去年は向こう側を歩きながらこちらを見ていた。
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【134】撮影:12時08分=伊藤 幸司
雌岳から下っていく道で初めて向こう側、大阪平野が見えたと思います。
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【135】撮影:12時11分=稲葉 和平
奈良の街が山に囲まれていることがよく分かる。
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【136】撮影:12時15分=稲葉 和平
こんな道なら楽に距離を稼げるけれど・・・。
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【137】撮影:12時15分=稲葉 和平
短いけれどこんな道でも少しは気分転換になる。
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【138】撮影:12時36分=伊藤 幸司
まるでツタのような細枝を張り巡らせているので不思議なのですが、これほどのびのびと育っていなければクロモジのように思えます。
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【139】撮影:12時39分=稲葉 和平
何の花? 初めて見たような気がする。
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【140】撮影:13時23分=伊藤 幸司
竹内峠まで下って標高約300m。そこから標高403mの無名峰へと登っていく道です。ダイヤモンドトレイルは近畿地方の有名登山道ですから、徹底的に補修工事がなされているようです。
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【141】撮影:13時32分=伊藤 幸司
稜線といっても標高400〜450mを行ったり来たりの道で、ここでは奈良県側が人工林、大阪府側が自然林という県境をたどっています。
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【142】撮影:13時43分=伊藤 幸司
登山道が人工林の側に入り込んでしっかりした道すじを延ばしています。
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【143】撮影:14時44分=伊藤 幸司
標高約400mの平石峠へと下って、標高659mの岩橋山へと登っていきます。それがおそろしく手間の掛かったこの階段道。土留めが主、階段が副なので登山者がいやがる道です。
土壌の流出を枠囲いで防ごうという造園土木的手法はもういい加減にやめたほうがいいと感じます。東京の都心部では1時間あたり降水量を50mmとしていろいろな水害対策を施していますが、いまや1時間に100mmを越すとんでもない豪雨に襲われる危険も現実のものになりつつあります。ここでそういう豪雨があったとしたら、ここに流れ込む水流を細かく排出していく技術が加えられていなければならないのは明らかです。仕上がりの見栄え、つまり写真に撮って仕上がりを下界の人に確認してもらえるような工作は首都圏の山でもやめてもらいたいといつも感じます。
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【144】撮影:14時51分=矢野 博子
今回は ダイヤモンドトレイルに沿って 南下していった。完結しなかったが 次年度に続きを期待してます。恥ずかしながら このトシになって初めて ダイヤモンドの和訳が ”金剛石”であることを知りました。
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【145】撮影:14時54分=稲葉 和平
歩き出してから約4時間、葛城山までまだまだ先は長い。ダイヤモンドトレールは距離が長いために現在位置を確認するための標識は完備している。要所要所にはこんな立派な石の標識。でも、エスケープルートは少ない。
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【146】撮影:15時07分=伊藤 幸司
岩橋山からの下りはほとんど侵食されていない保全工事がなされていました。左右への微妙な傾斜が生きていいるのだと思いました。
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【147】撮影:15時08分=伊藤 幸司
下っていくと、道の部分が左右よりほんのわずかですが窪んでいます。徹底的に作り上げられたこの道は歩きやすい状態ですが、なんだか徹底的に、というか画一的に作り上げてしまった感じが不穏です。
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【148】撮影:15時11分=稲葉 和平
ながーい上り階段。
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【149】撮影:15時11分=稲葉 和平
またまた長ーい下り階段。気分のいい道ではあるけれど、これだけ続くといい加減にしてほしくなる。3時を過ぎ、エスケープルートが気になってくる。
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【150】撮影:15時12分=小林 美子
かなりの急斜の
階段です。
写真では、よくわからないけど、かなりのものでした。ダイヤモンドトレールは
階段が多い。
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【151】撮影:15時41分=伊藤 幸司
枝いっぱいに黄色い花を咲かせる早春の木としてはサンシュユが候補に上がると思います。
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【152】撮影:15時51分=伊藤 幸司
ここはすでに激しく侵食された道です。豪雨時には川になる、その川底を補強したつもりのようです。壊されてもまた直せばいいのですけれど。
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【153】撮影:16時03分=稲葉 和平
4時を過ぎ、タクシーに乗る目標地点へ一目散!
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【154】撮影:16時24分=伊藤 幸司
じつは稜線から奈良側に下り始めたところです。葛城山までまだ1時間というところ、地形図にある標高726m峰のところから下山路がありました。葛城山頂の国民宿舎に泊まる予定の2人と分かれて、私たちは東京へ向けての帰路が始まりました。
その分岐点には「山麓公園分岐・忍海道分岐」とあり、葛城山麓公園まで1時間とあったので、心配なく下れる道と判断しました。葛城山方面へと進むと、今日中に東京に帰り着くことは無理になるかもしれないという判断で、残念ながら。
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【155】撮影:16時33分=伊藤 幸司
道はけっこう急な下りになっていました。右下にみなさんが溜まっているところがちょっとした難所でした。
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【156】撮影:16時35分=伊藤 幸司
急な斜面で滑りやすいところではダブルストックがあるとないでは安全性がまったく違います。
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【157】撮影:16時37分=伊藤 幸司
ただ乱暴な下山路というだけではありません。こういう道になるとホッとします。このまま里までたどり着きたいと思います。
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【158】撮影:16時46分=伊藤 幸司
しかしまあ、落ち葉の降り積もったこんな急坂も登場しました。これはこれで最後だな、と思います。
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【159】撮影:16時56分=伊藤 幸司
見えてきたのは大和三山の畝傍山。去年歩いた山が目の前にありました。
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【160】撮影:17時00分=伊藤 幸司
畝傍山は見えても、まだ下山路は決着しません。16時20分からこの下山路に入ったので、コースタイムの1時間にはあと20分ありますが、やはり気持ちはあせります。下りきったところで、すぐにタクシーが呼べるかどうか、まったくわかりません。
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【161】撮影:17時01分=伊藤 幸司
落ち葉の下に何が隠れているかわかりませんが、落ち葉に流されながら歩いていくという気分は独特です。山でなければ、広葉樹林でなければ味わえないテイストです。
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【162】撮影:17時10分=伊藤 幸司
下り始めてから50分で大きな墓地に出ました。裏庭みたいなところの扉が開いたので、勝手に中にはいり、地元のタクシーを呼ぶことができました。「最寄り駅まで」と頼んだところ、先に出た車がもう少し先の、近鉄特急に乗れる駅まで走ってくれたので、計画書で帰路の標準としていた19時16分新大阪発のひかりに間に合いました。

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