山旅図鑑 no.209
城峯山
2018.8.28

山旅図鑑目次


糸の会(no.1101)
2018.8.28
城峯山
31パワー

登り14p→下り17p

*今年は長瀞周辺の低山歩きを積極的に視野に入れてきました。
*城峯山は糸の会では4回目になるのですが、はじめての時(2000年4月)には石間戸という集落の万年橋から吉田町石間(たぶん石間は旧村名)に点在する集落をたどりつつ、車道を約6km歩いて登山口の半納まで行きました。しかしその後はタクシーで半納まで一気に上がって、ごく軽い入門編登山としてきました。
*じつは今回、城峯神社のことを調べているうちに平将門が石間ヶ岳と呼ばれていたこの山に石間城を築いたことから「城峯山」と呼ばれるようになったと説明されているということを知ったのです。
*最初のとき、万年橋から歩いたのは、ある意味で正統的だったといえます。単に参考にしたガイドブックが(基本的な姿勢として)バスで行ける万年橋を事実上の登山口としていたからでもありましたが。でもその後万年橋を通るバスはなくなり、そこでわざわざタクシーを降りるという積極的な理由も見当たらず、半納の登山口までタクシーで一気に上がってしまうという、超入門編の軽い山という位置づけにしてきたのです。
*今回、メンバーが決まってみると超ベテランばかりだったので初回のように万年橋から歩こうかと悩んだのですが、たぶんブーブーいわれるだろ〜なと気弱にもなり、下山時にバス便とうまく遭遇しなかったら「秩父華厳の滝」あるいは「秩父温泉満願の湯」まで「やむなく歩く」ことにしようということにして計画を立てたのでした。

・1040……半納の表参道登山口を出発(標高約500m)
・1105……男衾登山道分岐(標高約600m)
・1155-1205……休憩(標高約800m)
・1215-25……城峯神社でトイレ休憩(標高約950m)
・1250-1305……城峯山山頂(標高1,038m)
・1325……石間峠で林道横断(標高約950m)
・1330-35……雨具準備(標高約1,000m)24度C
・1345……鐘掛城跡(標高1,003m)
・1420……林道に出る(標高約700m)
・1445……西門平バス停(標高約550m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。

稲葉 和平、小林 美子、伊藤 幸司



山旅図鑑 no.209
城峯山
2018.8.28

城峯山登山、藤の実
【撮影】10時36分=伊藤 幸司
タクシーで半納の登山口まで運んでもらったら、そこに見事な藤棚があって、美味しそうな実がなっていました。
食べられるんですねこれが。
『道草料研究部』というブログに『近所で藤の実をとって食べる 2016-0/9-07』というページがありました。どちらかといえば写真レポートです。
【近所を歩くたびにずっと気になってるものがありました。
きれいな紫の、藤の花が垂れ下がる五月。
夏になると、またべつの緑の不思議なものが垂れ下がっています。
藤棚から、なんだか葉っぱではない緑の房が垂れ下がっています。
夏になるとぶら下がっているもの(個人的に犬の金玉に似ているな…と思う)
どうやらこれは藤の実のようです。
まだ青いですが、これから熟してくるのでしょうか。これはぜひどんな味がするのか、一度たべてみたいですね。
調べてみると藤の実は一般にはそれほど知られていないが、炒れば食べられるそうです。
ただ、アルカロイド系の毒素が含まれているため多食は禁物! と、インターネットのお墨付きがあるなれば食べてみるしかありません!
というわけで、許可をいただいて数房わけてもらいました。
よく見てみるとビロウドのような毛に覆われていて触り心地がとてもいいです。
手でむいてみようとしたんですが、めちゃめちゃ硬く手で割るのは無理です。
ナイフを突き立ててなんとか割れました。
割ってみるとこんな感じ。房の大きさに比べると、実はあれ? と思うような小ささです。
まだらの薄皮に包まれていますが、むいてみるとつるんときれいな実です。
ほんとは豆ご飯にしようと思っていたんですが、この数だと物足りなさそうなので
単純に炒ってみましょう。
香ばしくやけてきたところ。塩で味付け。
はい、完成! 焼いただけです。
こうやって焦げ目がつくと居酒屋ででてきてもいい感じの美味しそうな見た目ですね。
食べてみると…
これは、そら豆…! って感じでしょうか。
とくにえぐみもなく、ふつうに小さいそら豆を食べてる感じです。
時期的に外皮が硬くて、かなり剥きにくいですが、中はとても美味しい豆でした。
ただ房の大きさのわりに、中の豆は小さくひょうしぬけな感じ。まあそら豆は食品として改良されたものですからね。藤は野生のままですからしょうがありません。
あと、時期的にまだ早かったのかも。もう少し秋が深まって、熟したものを今度食べてみたいと思います。】

城峯山登山、フジの実
【撮影】10時37分=稲葉 和平
フジの実。遠くから見た時は近所の公園にある藤棚のフジとは違って野性味たっぷりに見えたけれど、近づいてみると奥には石像、春の花の時期にはきっと全く違った雰囲気なのだろうと思った。

城峯山登山
【撮影】10時38分=伊藤 幸司
藤棚があるのは公民館の前庭という構造らしく、左へカーブしている舗装路はグルっと回って城峯山山頂部にある城峯神社へと登りますが、そこから群馬県県境の神流川流域に抜けることもできるようです。
突き当りにいくつかの道案内があって、出発時に(たいしたことではなかったですが)ちょっと意見が分かれたりしました。

城峯山登山
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
おおよそどこでも、山間の集落は全体的に凋落の気配を漂わせています。しかも私たちと同世代の人たちが日々の生活を送っているので、生々しい想像をしたりしてしまうこともあります。ちょっとビクビクしながら集落を抜けるという気分があります。

城峯山登山、オシロイバナ
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
前の写真の家の道際に、これはオシロイバナでしょうか。花が咲いていると、それだけでホッとした気分になります。

城峯山登山、オシロイバナ
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
オシロイバナはなかなか複雑な構造をしているようです。
『ウィキペディア』の『オシロイバナ』にかなり詳しく解説されていました。
【花は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない。花は夕方開き、芳香がある。】
【花弁はなく、花弁に見えるのはがくで基部は緑色でふくらんでいる。また花の根元にある緑色のがくのようなものは総苞である。花が咲き終わった後、がくは基部を残して脱落し果実(種子を1つ含む)ががくの基部に包まれたまま熟して全体が黒い種子のようになる。】

城峯山登山
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
ノウゼンカズラでしょうか、たった1輪のこのオレンジの花が明るさを振りまいていました。

城峯山登山、ニラ
【撮影】10時47分=伊藤 幸司
ハナニラかと思って撮ったのですが、これはニラの花ですね。ワンちゃんの散歩道でなければ食卓にも上がるのでしょうか。
10時46分の写真にある壁の足元にあったのがこれらの花です。ともかく、花を愛でる目がすこしでもあるとホッとします。

城峯山登山
【撮影】10時48分=伊藤 幸司
家1件分を回り込んだところで登山道が始まりました。

城峯山登山、オシロイバナ
【撮影】10時48分=稲葉 和平
オシロイバナ(英語名:Four O'clock)。午後4時ごろに咲く一日花、花筒が長いので受粉の媒介役は口吻の長い夜行性のスズメガを必要とする。そのため、夜に咲く・・・。
つい最近、友人から、数年前に一緒に鎌倉山を歩いた時に採取したカラスウリの「雌花」から実を実生させたと知らせがあり、その中に、花筒の長いカラスウリの受粉も媒介役はスズメガ、とあった。オシロイバナは自家受粉できる構造でもあるのでスズメガがいなくても問題はないとのことだが、雌雄別株のカラスウリの雌花を実生させるため、「(無料の)バスを乗りまくって雄花のカラスウリのある家を探し、花粉を分けてもらい、(スズメガが行動する時間に合わせて)カラスウリの花が咲く夜の8時ごろ、クソ暑い中、虫よけネットをかけて、スズメガの代わりに人工授粉をさせた」・・・。いろんなことをする人がいる!。

城峯山登山
【撮影】10時48分=稲葉 和平
何という花でしょう?

城峯山登山
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
この木はおそらくこの登山道(おそらく、たぶん、参道だったのだろうと思うのですが)の重要な目印だったのだろうと思われます。

城峯山登山
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
遠目にタニウツギかなと思いました。(でも違っていました)

城峯山登山、サルスベリ
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
念のためにアップで撮っておきましたが、タニウツギとは花がかなり違うという感じ。グーグルの画像検索で「ピンクのチリチリ花 ウツギ似」と強引な検索をしたら、サルスベリが出てきました。街で見る老樹の枝ぶりと違うので想像できませんでしたが、こんな樹形の写真もあってサルスベリとわかりました。

城峯山登山
【撮影】10時50分=伊藤 幸司
これはまったく見当がつきませんでしたが「あったので撮っておく」という単純な記録写真でした。

城峯山登山、センニンソウ
【撮影】10時50分=伊藤 幸司
前の写真を超望遠で撮っておいたら、あの白い塊が、こんな細い花弁の集まりだったとわかりました。木の名前から攻めてもなかなか埒が明かない感じだったので「木の花、細くて白い」としてみたらヒトツバタゴが出てきました。別名ナンジャモンジャ。
『ウィキペディア』に『ヒトツバタゴ』がありました。
【モクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある。
なお、別名はナンジャモンジャノキであるが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにクスノキ(樟)、ニレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要する。 】
……と思っていたら、後ろの方の写真を探していたときに「何だ? これセンニンソウ?」ということになりました。前の写真はつる性のセンニンソウが樹木を覆っている状態のようです。

城峯山登山
【撮影】10時50分=伊藤 幸司
登山道はすぐに山里の匂いを消して、深い森に吸い込まれていく気配になりました。

城峯山登山
【撮影】10時52分=稲葉 和平
ウツギのようにも見えなくもないけど、時期的にウツギではなさそう。ボケた写真を拡大してみると、花の形は春に咲くマルバアオダモとかヒトツバタゴに似ている。

城峯山登山
【撮影】10時56分=伊藤 幸司
突然、岩の下に大きな空洞が現れました。火山であれば溶岩洞穴由来の地下空洞と考えられますがここはいわゆる秩父古生層。なにか特別なものかと思って「城峯山の地質」と検索してみました。
PDF文書として出てきたのは1964年の経済企画庁の国土調査のレポートで『土地分類基本調査 表層地質・土じょう調査 寄居 5万分の1』でした。
私にはおおよそチンプンカンプンでしたが、城峯山〜男岳女岳〜宝登山のシンプルな図が出てきました。
【第6図 地層によって山の形はかわる
「城峯山」は古生層のかたいチャートから出来ているので小突起が見られる。
「男岳女岳」は中生層の礫岩から出来ているので尖峯をなす。
「宝登山」は結晶片岩から出来ているので、ゆるやかな形をしている。】
『地質学雑誌 第122巻 第7号 325-342ページ 2016年7月』の『関東山地秩父帯北帯の地質』(久田健一郎、冨永紘平、関根一昭、松岡喜久次、加藤潔)に城峯山あたりのチャートの説明がありました。これも私にはチンプンカンプンですが……。
【埼玉県秩父郡皆野町の西部地域を流れる日野沢川には, 秩父帯北帯の付加体を構成する岩石が広く分布している. 秩父札所の結願寺である札所34番水潜寺の入口を通過し, 「秩父華厳の滝」入口から100mほど登ると, 高さ13mの層状チャートからなる大きな滝に着く.
 本滝の層状チャートは, 上吉田ユニットの万場・上吉田(城峯)サブユニットを構成する付加体の重要なブロックの一つである. 上吉田ユニットは万場・上吉田(城峯)サブユニットと女形サブユニットから構成される(関根ほか、2001). 万場・上吉田(城峯)サブユニットは泥岩を主とし砂岩や珪質頁岩を含む基質の部分と, チャート, 緑色岩, 石灰岩などの外来岩体からなる混在岩によって構成される. 】

城峯山登山、竹林
【撮影】10時56分=稲葉 和平
突然、暑さも吹き飛ぶような、清々しく美しい竹林。結構長く続いていた。

城峯山登山、オオイチョウタケ
【撮影】11時00分=伊藤 幸司
足元にきのこがありました。踏みつけそうな場所に出ているということは、あまり人の歩かない道なのか、という感じ。
グーグルの画像検索で「白いきのこ」を調べてみるとどうもオオイチョウタケらしいと見当をつけました。もちろんご都合主義の判断ですけれど。

城峯山登山、オオイチョウタケ
【撮影】11時00分=伊藤 幸司
『きのこ図鑑』には『オオイチョウタケ』について次のように書かれていました。
【環境 オオイチョウタケは各種林の地上や畑、竹薮などの肥沃な土壌の地上に群生します。】
【特徴 オオイチョウタケは成長が早く、大型のキノコで成長するとカサの直径が7〜25cmにもなるキノコです。
カサの表面の色は白色で絹のような光沢があります。最初は饅頭型をしていますがじょじょにカサが開いていき、最終的には反り返って漏斗型になり、縁のまわりには溝線が放射線状に入っています。
オオイチョウタケのヒダは白色から淡い黄色をしていて、柄はカサと同じく白色、細かいササクレが出る事があり、基部の方がやや細い。
肉は緻密で白色、カサの部分は薄く、においがありますが、様々な料理に利用できる食用キノコです。 】

城峯山登山
【撮影】11時00分=伊藤 幸司
オオイチョウタケは柄も白くて全体に清潔感があって下から覗き込んだほうがハンサムだと思いました。その食レポがありました。
『ざざむし』というサイトに『粉臭かったオオイチョウタケののリベンジ』(2015年9月18日)というのが。
【初めての遭遇は学生時代。
家から5分の海岸沿いの林の中に入ると、目の前には数百本のオオイチョウタケが。
それも最大サイズは30cmを余裕で超えてるから、いつも薄暗いはずの林内が白くて明るく見えるほど。
ちなみにイチョウは寄生とか全く関係なく、力士の大銀杏に似てるからだそうで。
とりあえず帰宅して調べ、食べられるとわかったので当然採ってきましたよ。
スーパーの袋やバケツにありったけwww
と言ったって、単体のサイズがサイズだから一袋にいいとこ10数本。
調子に乗って何杯何袋採ってきたか忘れましたが、物好き数名と分けて食べました。
味はというと、出汁はかなり出ます。
でもデカいから量が多くて濃いのかもしれないし、正直わからないw
見た目はハツタケやベニタケみたいな形をしていますが、加熱するとボソボソせず柔らかくなるので、その点も評価できます。
ただ、粉っぽい香りが鼻を抜けるんですよ。
これが私にはどうにも好きになれませんでしたが、気にしない人には問題なかったようで。
以来、あんな爆発的大発生には遭遇しないものの、稀に見かけても食指が動きませんでした。
それが先日、久々に40本ほど見かけまして、しかも今週の大雨の後という影響もあってか虫の入りが極端に少ないものがチラホラあるではないですか。】
【生だと脆いので乱雑にも扱えず、結構邪魔で、結局帰ってくるまでに若干崩れたものも。
崩れたものは炒め物とシチューに、幼菌は天麩羅で試してみましょう。
軸を輪切りにしてソテーするとホタテの味わいという話を聞いたのでまず試し。
虫の穴めっちゃ目立ちますねw
さて・・・・・・・・・どこがホタテよ。
これエリンギですわよ奥様!
粉臭さも殆どないし、充分代用になる歯応えと旨味。
調子に乗って煮こぼしもせず傘1枚バターで炒めてみましたが、全然平気。
幼菌の天麩羅も全く問題なく普通のキノコでした。】

城峯山登山
【撮影】11時02分=稲葉 和平
まだ出てきたばかりというフレッシュな感じ。

城峯山登山
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
一見、滝ですけれど、緑が草ですからミニチュア滝。でも半端な滝より滝らしく見えるのは構造的にはまったく同じだから。道は沢筋をゆっくり登って行きました。

城峯山登山、ミズヒキ
【撮影】11時13分=伊藤 幸司
ミズヒキを撮りました。山道ではポピュラーですが、花が小さいのでなかなか撮る気になりません。これはあまりにもか細い枝ぶりと、似つかわしくない大きな葉っぱのコントラストがうまく撮れそうなので、わざわざという気分でシャッターボタンを押しました。
『四季の花事典 花のすがた花のこころ』(麓 次郎・八坂書房1985)には夏の項に『タデ、イタドリとミズヒキ』がありました。
『ミズヒキの名は上面が紅く、下面が白い小花が細長い花穂にまばらについてその様子が紅白の水引のように見えるとしてつけられた。
 華やかさがなく地味ではあるが、非常に繊細な静かな美しさがあるのでよく庭先に植えられ、茶花や花材としても用いられる。漢名は毛蓼、または金線草とされているが、牧野富太郎博士はこのどちらもたぶん別のものであろうと書いておられる。
   稗(ひえ)草におりふし紅(あか)くそよめくは水引草が交じりたるらし  北原白秋
 なお、白花のものをギンミズヒキ、紅白の混じって咲く珍品をゴショミズヒキ、また葉が少し厚くてほぼ無毛、黒い斑点のないものをシンミズヒキと呼んでいる。』

城峯山登山、ヤマジノホトトギス
【撮影】11時13分=稲葉 和平
ヤマジノホトトギス(山路のホトトギス)。今まであまり見たことがなく、ヤマホトトギスとヤマジノホトトギスの識別も気にしていなかったが、これはどうやらヤマジノホトトギス。

城峯山登山
【撮影】11時14分=伊藤 幸司
登山道は流れる川に沿っているあいだは傾斜が緩やかです。里山の多くは沢筋をたどって山懐に入り込み、そこから30度前後の斜面をジグザグに切られた登山道で登ります。

城峯山登山
【撮影】11時29分=伊藤 幸司
首都圏の里山のほとんどは想像以上に広い植林地に覆われています。多くは世界最大の都市「江戸」を支えてきた地場産業でしたからでしょうか。
『地域再生計画 1 地域再生計画の名称 守り育てた木で元気を呼び感動を ...』というPDF文書(出所不明ですがURLのkantei.go.jpは首相官邸なんですね)がありました。
【(産業)昔から秩父盆地の政治経済の中心地として栄え、江戸時代には木材や絹織物の産業が盛んになり、明治中期から昭和初期にかけて「秩父銘仙」は最盛期を迎えた。20 世紀に入ると、武甲山の豊富な地下資源をもとにしたセメント産業をはじめ、繊維産業、林業が盛んになった。 】
そこで江戸時代の秩父の林業を探してみたのですが、今回はうまくたどり着けませんでした。

城峯山登山、モミジガサ
【撮影】11時55分=稲葉 和平
モミジガサ? (キク科コウモリソウ属)は春先の若い芽は山菜として人気があるという。

城峯山登山、マムシグサ
【撮影】12時03分=伊藤 幸司
マムシグサかその仲間、すなわちテンナンショウ属ですが、植物図鑑を見てもわかりません。
そこで「秩父のマムシグサ」で検索すると出てきました。
『演習林(東大), 54, 107-155 (2013)秩父』という学術誌に『秩父演習林維管束植物目録』(五十嵐勇治・吉田弓子)がありました。
その膨大なリストのなかにあったのは【マムシグサ、ミミガタテンナンショウ、ヒトツバテンナンショウ、ユモトマムシグサ】の4種でした。
東大演習林のほとんどは荒川源流域にあって目安としては甲武信岳の東麓に当たります。それは奥秩父ですから秩父盆地の北縁というべき城峯山とは植生もだいぶ違うのでしょうが、手がかりとしては重要です。
『原色日本植物図鑑』ではテンナンショウ属に36種が記載されています。そこで私が興味をいだいているのが「葉」と「小葉」です。
マムシグサは『葉は2個、小葉は鳥趾状に5-13、長だ円形からだ円形、鋭尖頭、全縁またはふそろいな鋸歯があり、長さ5-19cm、中央の裂片が最も大きい。』
ミミガタテンナンショウは仏炎苞の下部が開いて耳形になるのですが『葉は2個。小葉は5-15、長だ円形からだ円形、鋭尖頭、全縁または微細鋸歯があり、長さ10-17cm。』
ヒトツバテンナンショウは『葉は1枚、葉鞘は長さ15-33cm。小葉は鳥趾状に5-9、だ円形から長だ円形、長さ13-25cm、鋭尖頭、ふちに鋸歯があり、両面無毛。』
ユモトマムシグサはイシヅチテンナンショウの亜種とされて『葉はふつう2個。第1葉の葉鞘は長さ15-23cm。小葉は鳥趾状に3-5、だ円形、鋭尖頭、長さ5-14cm、ふちはふそろいな鋸歯があるか全縁、』
これは小葉の「中央の裂片が最も大きい」によってマムシグサとしておきたいと思います。

城峯山登山、モミジガサ
【撮影】12時06分=伊藤 幸司
コウモリソウ属のモミジガサだと思います。いろいろな写真を見ていくと、緑色のつぼみがあって、それが成長するとつぼみを包んでいた葉(総苞)が白く細長く伸びて、先端から白い5弁の花(小花)が5個顔を出してきて、さらにそれぞれの小花から伸びた雌しべの先がくるりと反り返って8の字を描くという特徴的な姿になります。ここではその、コウモリソウの仲間らしい花を想像できませんが、『しろうと自然科学者の自然観察日記』(2017.09.06)に『モミジガサの花──那須高原での自然観察・その6』にお手本になる観察写真がありました。
【☆モミジガサの花のつくりについては、5年前に撮影した写真で紹介します。花茎から伸びた花柄の先に、4個から7個位の頭花がついています。頭花は、淡緑白色で筒形の総苞に包まれており、総苞片は5枚です。それぞれの頭花には小花が5個あります。(2012年9月15日撮影)。
☆上の頭花では、それぞれの小花の花冠が5つに分かれて反り返っており、集約雄蕊の中から伸びている雌蕊花柱の先端が2つに分かれて反り返り丸まっています。下の頭花では、総苞片と枯れて茶色になった花冠の間に白い多数の冠毛が見えます。(2012年9月15日撮影)。】

城峯山登山
【撮影】12時06分=伊藤 幸司
この花はミゾソバ、ママコノシリヌグイなんていう花とものすごく似ているのですが、確定できません。とくにピンクのまるっこいつぼみが秀逸なのを、この写真の探索過程で知りました。現場でこのピンクのクローズアップをしていなかったのですからがっかりです。葉っぱの形だってわかりません。

城峯山登山
【撮影】12時08分=伊藤 幸司
これは葉っぱの先のチョロンと伸びた突起からカメバヒキオコシと考えるのが楽な方法だと思うのですが、普通なら紫色の小さな花をたくさんつけた花茎が上に向かって伸びています。そうなると、亀の尻尾ももっと立派でないと……とだんだん不安になりました。
そこでヤマハッカ属の花をいろいろ調べてみたのですが、やはりカメバヒキオコシ以外に見つかりませんでした。私のレベルでの引き算方式の結論です。
なお、もしこれがカメバヒキオコシなら同じシソ科のシモバシラと同様、冬に自分の幹から鉋の削り屑サイズの氷の薄膜を絞り出す可能性があります。

城峯山登山、ヌスビトハギ
【撮影】12時08分=稲葉 和平
ヌスビトハギ。

城峯山登山、ヌスビトハギ
【撮影】12時08分=稲葉 和平
ヌスビトハギの特徴のある3出複葉の葉。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
突然登山道は参道になりました。右側の広場は駐車道とキャンプ場です。いよいよ城峯神社の境内に入ったのです。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時12分=伊藤 幸司
城峯神社の展望台からの眺め。秩父市街はたぶん写真の左手奥に当たります。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時12分=伊藤 幸司
前の写真の中央部分に写っていた集落を望遠撮影してみました。たぶん、登ってきたルートの、旧吉田町(秩父市)の家並みではないかと思います。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
まずは境内でトイレ、と探していたら、緑の植え込みの中になんと、レンゲショウマを発見、という感じになりました。これまでの道筋で特別目をひく花がなかっただけに、トイレ休憩はたちまちレンゲショウマ休憩になりました。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
さらにたちまち、レンゲショウマの写真コンテストみたいになりましたが、私のはせいぜいこんなところ、です。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時18分=小林 美子
眺望のよい山という事だったが今日は残念でしたが、神社の近くでレンゲショウマと出合いました。
天気が悪くてもこんな出合いがあるのです。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時20分=伊藤 幸司
城峯神社は想像以上に立派なたたずまい。この境内にはキャンプ場とされる広場もあって、由緒ある神社と思われます。(山の上なのに、日照りのときにもコンコンと湧く清水があったとのことです)
じつはこれが城峯山の山頂近くにあることから帰宅後その里宮を探してみたのです。すると北麓の神流川(埼玉・群馬県境)には城峯神社があって、冬桜(川向うの桜山の冬桜と区別するためか10月桜と呼ぶようです。桜山は桜まつりが11月末から12月初めですしね)で最近有名になってきた城峯公園がありました。
ところがこの城峯神社は「旧村社」で住所は秩父市吉田石間4716とあります。私たちがタクシーで登ってきた城峯山南面の山腹一帯が旧上吉田町で半納はその最上部の集落、その隣には石間という地名(1/25,000地形図で大字名なので旧村名でしょう)がありますから、私たちが裏口から登ってきたということにもなりそうです。
じつは、結論からいうと、城峯山山頂部にある城峯神社は一般のイメージの奥宮ではなく、それ自体が里宮なのだそうです。
そのことが書かれていたのは『秩父市吉田石間の城峰神社の歴史と信仰』という論文で著者は西村敏也さん。12ページの論文は出典不明(URLから『武蔵大学総合研究所紀要』と思われます)の学術誌の122〜111ページ(なぜ逆順なのかわかりません)にありました。西村敏也という名前で調べると民俗学者で『武州三峰山の歴史民俗学的研究』(岩田書院・2009)などの著書があります。
【かつては、山頂から半納集落の境まで、社家の個人地であった。土地利用に関して、社家へその度に連絡して許可を取る必要があった。
 例えば、建造物の建築、木の伐採や再造林などの植林についてである。不便であったことから、秩父市と吉田町が合併した平成一七年(二〇〇五)頃、町長にお願いして、秩父市で買い上げてもらい、秩父市の自然公園となり、管理が神社へ任されることになった(加藤仁男氏談)。
 また、現在の社務所は、平成二年(一九九〇)に新築されたものであるが、氏子らの寄付によって建てられた。人によっては百万円を出した人もいる。行政などから援助は受けられないので、資金集めは大変であった。】

なんだか、背景にはいろいろと、他人にはわからない複雑な問題を抱えてきた神社であったようです。
【城峰神社の社家(高岸家)は、戦前に当地を離れ、秩父市街地へ転出してしまった。家屋敷も処分して、完全に当地から離れた。社家がいなくなってからは、宮司不在の状態がしばらく続いたという。その後、上吉田の神社で宮司をしていた、現新井直行家が勤めることになった。新井直行氏で三代目となる。
 直行氏の父親の新井啓氏は、その父親より昭和二一〜二二年(一九四六〜一九四七)頃、引き継ぎ、直行氏は、啓氏が平成一五年(二〇〇三)に亡くなったため、平成一七年(二〇〇〇五)引き継いだ。啓氏の代になると本務は三峰神社となり(直行氏の本務は秩父神社)、新井家は、秩父市街地に住むようになり、祭礼の時など、特別の用事が無い限り、余り訪れることができなくなった。そのため、日常の社務は、かつては社守がおこなっていたのである。
 社守は、戦前は、漆木集落の人がおこなっていた。その後、中郷集落の磯田正平氏が、その後、昭和二〇(一九四五)年頃から、半納の新井相作氏が夫婦で、社務所に住んで取り組んだ。その後、昭和四〇年(一九六五)頃、新井啓氏は、三峰神社に勤めていて親しかった同僚の坂本高栄氏を城峰神社へ連れてきて、社務を任せた。坂本氏は、城峰神社へ住み込んで社務をおこなった。また、坂本氏は、秩父郡両神村の出身だったという。現在、社務所トイレがある場所に、当時は木造二階建ての建物があり、二階をキャンプなどの利用のために一般に貸し出していたが、その一階を住居とした。社務の他、キャンプの手続きは観光協会の管轄であったが、坂本氏に任せた。坂本氏は、自動車免許を持っておらず、歩きを基本に移動していた。石間入り口から神社まで約八㌔㍍の距離があるが、歩いて往復していたようである。長距離で移動する時は、帰りは半納集落までタクシーで帰宅して、その後神社まで歩くようなことをしていたと思われる。坂本氏は、当初、母親と妻の三人で暮らしていたが、最後は一人暮らしになった。加藤仁男氏は、元旦祭で神社へ行く時、奥さんの作ったお節料理などを持って行ったという。その後、坂本氏はひっそりと亡くなった。
 その後、沢戸集落の元会長であった新井隆一氏が、神職資格はないが、神事を担当したという。神職資格を取得しようとしたが、年齢制限から取れなかったという。五年ほど社務を勤めたという。
 その後、神職不在の状態が続き、氏子の間では、誰かに神職になってもらいたいという声が高まっていった。新井貞雄氏が会長の時、新井進氏に白羽の矢が立ち、会長が新井進氏に薦め、新井進氏は了承した。進氏は、漆木在住である。進氏の住む漆木の鎮守である諏訪神社には、奉納行事としての神楽があり、氏子は舞手となる。漆木の神楽は、城峰神社の祭礼にも奉納されるが、進氏も神楽の舞手であった。神社との縁は、深かったのである。新井進氏は大手電気メーカーに勤めていたが、様々な資格を得て、退職後の準備を進めていた。そのタイミングで、依頼したのである。了承した進氏は、神職免許を取得するため、二年連続で、夏に京都へ講習を受けに出かけ、見事神職資格を取得した。現在は、日常、農業をしつつ、社務を勤めている。
 現在、新井進氏は、毎週日曜日は神社に詰め、権祢宜としての職務を果たしている。城峰神社の祭礼の神事の執行の他、石間にある神社、氏子の地鎮祭、神葬祭などの神事も執り行っている。また、日常は、朝の祝詞、祭礼準備、護符頒布、社殿・社務所・境内の掃除や草刈りをおこなっている。そして、半納から城峰神社までの参道、神社へ至る街道、以前はそうでもなかったが、近年は城峰への登山客が埼玉県道二八四号の道路も利用するので、こちらの掃除、草刈りもおこなっている。進氏が神職になった時、装束を購入したが、その他は進氏が自費で購入している。進氏の社務に対して、観光協会から管理手当が出てはいるものの、進氏はそれ以上の働きをして地域に貢献しているのである。】

長くなるけれども「氏子」についても詳細が語られています。
【かつて、城峰神社の氏子区域は、城峰山山麓の石間の他、日野沢(皆野町)、児玉など広域に展開していたという。しかし、神社維持に関して、問題が起きて、石間以外は手を引いたという。その後は石間の氏子のみによって、城峰神社が維持されていくことになった。
 さて、石間は、五つの集落で構成されている。城峰神社に近い順に、半納、沢戸、中郷、漆木、沢口となっている。特に、半納、沢戸は、それ以外の集落から城峰神社の宮本と言われ、他の集落より氏子度が高い地域となっている。他三集落も城峰の氏子意識はもちろん持っているが、各集落にある鎮守への思いが強く、やはり、半納、沢戸とは少し状況が違っている。また、現在、石間全体で現在百二十軒ほどの家があるが、一人世帯も増え、過疎化が進行しており、神社の担い手も減少してきている状況である。】
 私たちが山で出合う祠や神社の多くに、これと似たような歴史や背景が潜んでいるのだと思うと、一期一会に近い出合いなのかなとも思われます。

城峯山登山、城峰神社
【撮影】12時20分=小林 美子
城峰神社。
平将門伝説が残る神社。
古くからお犬様が祀られており、3種類の狛犬を見る事ができるというが、3種類は見られなかった。
2000万円を寄付した人の名前があった。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時20分=稲葉 和平
神社の階段の手前にレンゲショウマ。予期せぬご褒美のようでうれしかったが、なぜかトイレの前!
8月中旬に、レンゲショウマを見に御岳山に行こうと思ったのだが、今年は開花が例年よりかなり早かった上に、クソ暑さやら台風やらでもたもたしている間に見ごろを過ぎてしまっていた。このレンゲショウマも見ごろを過ぎているかと思ったが、まだ蕾も結構ついていた。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時21分=稲葉 和平
ちょっとピンボケ。普通のコンデジ(コンパクト・デジカメ)では距離が離れているとアップで撮るのが難しい。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
本殿への階段から振り返ると展望台が写真右手に見えています。登山道は左手奥から上がってきて、神社の右手にのびていきます。写真左手への道は私たちがタクシーを降りた半納から上がってくる車道へとつながっていて、左手奥には駐車場と、キャンプ場と称する広場があります。この写真で見る限りでも、寂れた感じはありません。ちょうど工事に入っていた車両も見えます。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
秩父では「オイヌサマ」と呼ばれていますが、三峯神社に代表されるオオカミ信仰によるものと考えられています。
『ウィキペディア』の『ニホンオオカミ』の項目は力作です。そこに三峯神社のオオカミ信仰が出てきます。
【奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。】
その生態に関しては次のように書かれています。
【生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。
薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2、3-10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされる。また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。
一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である。】

ウィキペディアでは [編集] と書かれた部分にはたくさんの人の記述やその訂正が積み重なっていて、その経過を画面上部の『履歴表示』で見ることができます。まあ、よくぞまあ、よってたかっての「編集」で現在があるな、と思うのですが「責任編集者」などという役割の人がいないらしいので、記述はときに右往左往し続けるというものでもあるらしいのです。
でもこれを出版物としての「百科事典」編集と比べると、当代一流の著者と、それを支える編集者の知的作業によって、限られた空間に濃密な文字情報して収納していくという収縮型の作業とはまったく逆に、新しい項目を作るのも自由、立場の違う人から勝手に修正されるのも容認するという「フリー百科事典」なんですね。だから私の友人の項目を、そのまた友人が書き上げてアップしたというような例もあれば、デビュー早々のタレントの項目もいつ登場しても当たり前、知りたい人がいて、知らせたい人がいるのならば。ということなのでしょう。

そこで私のまったく知らない「NGT48」と検索して、そのなかであきらかに主力メンバーではないと確信の持てる名前「藤崎未夢」(ふじさき・みゆ)をグーグルで検索してみたらウィキペディアそっくりの画面が出てきました。
【藤崎 未夢(ふじさき みゆ、2000年11月17日 - )は、NGT48の研究生(第3回ドラフト会議・チームNIII第5巡目指名)。新潟県新潟市出身。AKS所属。】
わかりますか? ご存知ですか? もちろん私も初対面なんですが、なんとウィキペディア似のこの画面には【この項目を継続的に加筆できる編集者がいません。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。記事の編集には、誰でも参加できます。】とも、あるいは【間違いや古い記述の修正・更新にもご協力ください。】とあって、名前は『エケペディア』。本家のウィキペディアを完全にパクっている(ふうを装って)います。
ウィキペディアだって『竹内涼真』が堂々たる項目となっていて、たとえばこの『ニホンオオカミ』をはるかに凌駕しています。

脱線しましたが、ウィキペディアからの引用は、明日になると修正されているかもしれないという流動的なものですから慎重でなければいけないのではありますが、私はしばしばウィキペディアを参考にし、引用させてもらっています。そうでないときにもちらりと横目で見ておく、というのが習慣になっています。引用で組み立てた重厚な本文の最後に自分の世界を乗せるという学術論文に対して、フリーライターとしての私は我慢出来ないところがあります。ウィキペディアは寄ってたかって書き集めるという大方針ゆえに、案外だいじな要点を見せてくれている可能性があると感じることがあります。
その『ニホンオオカミ』の概要の部分は以下のとおり。
【1905年(明治38年)1月23日に、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現:東吉野村鷲家口)で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる。なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけている所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついているので、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった。
2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。
2012年4月に、1910年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(1910年3月20日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された。
環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。】

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時23分=稲葉 和平
花の位置が低いので、下から撮るのは大変。背景のことまで気にしている余裕もなくシャッターを切った。

城峯山登山、レンゲショウマ
【撮影】12時23分=稲葉 和平
アップにはなったものの、レンゲショウマらしくなくなってしまった。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時24分=稲葉 和平
ここまで車が入れるとはいえ、山奥の神社という落ち着いた佇まいだ。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時25分=稲葉 和平
「愛妾の桔梗前によってこの隠れ窟を敵に通じられ、将門は切られ・・・」。「妾」の文字に注目は集まる。

城峯山登山、城峯神社
【撮影】12時26分=稲葉 和平
立派なお犬様。城峰山はお犬様信仰の山としても有名とのこと。

城峯山登山
【撮影】12時29分=伊藤 幸司
城峯神社の背後に回り込むかたちでまだ登り続けます。
このちょっと手前に「将門かくれ岩」への分岐があり、『伝説悲劇の城峯物語(将門伝説)』という解説板がありました。
『関八州を平定し、その後下総の野に敗れ、この山に城を築き、名を幡武山石間城と名付け、それまで石間ケ岳といっていたこの山に城ができると、里人も城峯山と呼ぶようになりました。
 そこで下野田(栃木県)の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ、今の吉田小学校の高台に陣を張り、にらみ合いになる。
 このころ、将門の愛妻、桔梗はときどき城を抜けて、いずれかに姿を消すのを知り、将門は桔梗が秀郷に内通したものと思い違い怒って桔梗を斬りすてました。
 無実の罪で斬られた桔梗の亡霊は落城後も消えず、秋の草花はかずかず咲くが、桔梗の花だけは今も見ることができません。
” 秋の七草うすむらさきの花の桔梗がなぜたりぬ 城峯昔の物語 "(秩父小唄)』

城峯山登山、マムシグサ
【撮影】12時31分=伊藤 幸司
神社本殿の裏斜面にたまたまこの巨大なマムシグサ(かその仲間)の実がひとつ。あまりにも遠いのでこんなふうに撮れただけで嬉しいというもの。

城峯山登山
【撮影】12時33分=稲葉 和平
将門の隠岩(伝説)の真新しい立派な案内板。将門は怒り狂って桔梗の首を一刀のもとに切り落としたため、城峰山には桔梗は咲かないという。隠岩に行くには急なクサリ場で、上級者向けとのこと。

城峯山登山、ヤマアジサイ
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
神社本殿の裏側にはヤマアジサイが……と思って撮ったのですが、『原色日本樹木図鑑』(北村四郎・岡村省吾・保育社・1959年)には『アマチャはヤマアジサイの甘い系統の栽培植物で葉の青汁をしぼり捨てると甘みがあり、せんじてのむ。関西では野生のものにもかなり甘いものがあり、それ等をアマチャにしている。従って分類上特に区別することはできない。』とあります。
アマチャだといいんだけとという気持ちになりました。

城峯山登山、ヤマアジサイ
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
前の写真のアップです。でも『ウィキペディア』の『甘茶』の解説は前の写真の解説とほんのすこしズレがあります。
【甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の落葉低木落葉性の低木アジサイの変種である。アジサイ科のガクアジサイと酷似しており、間違われる事が多い。 アマチャ[1](学名:Hydrangea macrophylla var. thunbergii)。また、その若い葉を蒸して揉み、乾燥させたもの、およびそれを煎じて作った飲料のことも指す。ウリ科のつる性多年草であるアマチャヅルの葉または全草を使った茶も甘茶ということもあるが、前者の「アマチャ」を使った甘茶が本来の甘茶である。
甘茶の茶葉に「御法楽」という御祈祷を神社で行った茶葉のみ「天茶」の称号が許される(読みは同じ「あまちゃ」)。】
なお【アマチャ[1]】という注記によると出典は【本山荻舟 『飲食事典』 平凡社、1958年、13頁。】とあります。
そこで今度は学名の【Hydrangea macrophylla var. thunbergii】で検索すると、『アジサイ』が出てきました。
学名の頭の部分がアジサイ属を示しているからでしょう。
【アジサイ(紫陽花、学名 Hydrangea macrophylla)は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種である[1]。広義には「アジサイ」の名はアジサイ属植物の一部の総称でもある[2]。狭義には品種の一つ H. macrophylla f. macrophylla の和名であり[3][注 1]、他との区別のためこれがホンアジサイと呼ばれることもある。原種は日本に自生するガクアジサイ H. macrophylla f. normalis である。】
出典の[1][2][3]については以下のとおりです。
【1.^ 『植物3.2万名前大辞典』 日外アソシエーツ、日外アソシエーツ、2008年。ISBN 978-4816921209。
2.^ 濱野周泰. “アジサイ(ハイドランジア)”. みんなの趣味の園芸. NHK出版. 2013年8月3日閲覧。
3.^ 橋本保 「アジサイ」『ブリタニカ国際大百科事典』 フランク・ギブニー、ティービーエス・ブリタニカ、1993年、第2版改訂版。】
注記の[注 1]については
【変種の一つとされる場合もある[4][5][6]。
4.^ 「アジサイ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 フランク・ギブニー、1993年、第2版改訂版。
5.^ 若林三千男 「アジサイ」『世界大百科事典』 下中直人、平凡社、2009年、2009年改定新版。
6.^ 小林義雄「アジサイ」[リンク切れ] - Yahoo!百科事典】
としています。
本筋からずれてしまって甘茶はどこかへいってしまったのですが、ネットサーフィンとしては大発見、【この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年7月)】という注意書きのついた【シーボルトとあじさいと牧野富太郎】という文章がそのページにあったのです。
【鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var. macrophylla のシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。
牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。そして自らも新種の笹に自らの妻の名から「スエコザサ」と名付けた。
牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。】
「オタクサ」エピソードとして「オタクサ」で検索していくとまた話はつながるのですが、ネットの軽さに際限なく振り回される気もします。

城峯山登山
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
さてこれは注連縄(しめなわ)なんでしょうか、通行止めのロープなんでしょうか。どちらだとしても「しるし」として不十分だと思いました。

城峯山登山、タマアジサイ
【撮影】12時35分=稲葉 和平
タマアジサイ・・・タマが見える。紫陽花の仲間では開花の時期が遅い。

城峯山登山
【撮影】12時37分=伊藤 幸司
この雰囲気はクルマバソウなんですが、輪生する葉の枚数が違います。
『原色日本植物図鑑』によればクルマバソウ属のクルマバソウは6-10枚輪生、ウスユキムグラが4枚です。見た目ほとんど区別できないほど似ているのはヤエムグラ属で「4枚、ときに5枚」というのがオオバノヨツバムグラ、エゾキヌタソウ、キヌタソウ、ミヤマキヌタソウ、ミヤマムグラ、ヤブムグラ、ヤクシマムグラ、キクムグラ、ヤマムグラ、ヨツバムグラ、ヒメヨツバムグラだそうです。
京都大学の植物標本からかなりきちんと書き起こしたという彩色図版が並んでいるのですが、こちらの写真が的確な情報を示せないので、どれかよくわかりません。
そこで「秩父のヤエムグラ」で検索してみると出てきました。
東大演習林の『秩父演習林維管束植物目録』(五十嵐勇治・吉田弓子・2013)』には以下のものが記されていました。
【オオバノヨツバムグラ、キヌタソウ、ミヤマムグラ、ヤマムグラ、ヨツバムグラ】
葉と花の大きさのバランスで見ればオオバノヨツバムグラかキヌタソウのように思われます。

城峯山登山
【撮影】12時38分=伊藤 幸司
念のために横から撮った写真ですが、オオバノヨツバムグラかキヌタソウか、わかりません。最終候補として間違っているかも。

城峯山登山
【撮影】12時39分=伊藤 幸司
カエデが色づいていましたが、こんな枯れ色。今年は紅葉の前に枯れた葉があちこちで見られます。

城峯山登山、タマゴタケ
【撮影】12時44分=伊藤 幸司
これはタマゴタケですね。この停止信号の色のおかげか、いろんな山の道際にゆで卵状態からこの赤い唐傘状態まで驚くほどたくさん見ることができます。

城峯山登山
【撮影】12時46分=伊藤 幸司
グーグルの画像検索で「白いきのこ」から始めていろいろ見ていったのですが決定できません。オオイチョウタケかシロタマゴテングタケかドクツルタケか、という3種類まで絞りましたが。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
山頂の電波塔の展望台からの風景。ついさっき神社境内の展望台から見たのと同じ方向を、一段上から見ています。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時52分=伊藤 幸司
これが前の写真に見えている集落の超望遠画像です。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時52分=伊藤 幸司
この日はほとんど展望がなかったので、しょうがないからせめて展望台での記念写真……という写真。
この山頂の電波塔を建設するにあたっては林道開発という前段階が必要だったはずです。
『札幌市手稲区役所ホームページ・ていねっていいね』に『手稲山テレビ塔建設時の秘話』がありました。
【最初にテレビ塔が山頂に建設されたのは1956年。当時、道内にはNHKと北海道放送(HBC)がありました。前者は市内大通にあるテレビ塔からの映像電波送信を検討する中、後者は当時珍しかった山頂からの電波送信(マウンテントップ方式)を採用。手稲山の山頂にテレビ塔を建設しました。
より広範囲に電波を送信できるこの方式は全国の放送局各社のモデルとなりましたが、その裏には建設時、様々な困難に立ち向かった人たちの姿がありました。
当時の手稲山は、人の背丈ほどのクマザサが茂っていてその中に細い山道があるだけで、時折ヒグマが出没することもあり人があまり寄り付かない峻嶮な山として知られていました。そんな手稲山山頂へのHBCの送信所建設は困難が予想され、無謀とも言われました。そのような声をものともせず着手した送信所建設工事は、当初の予想をはるかに超えて困難を極めた難工事となりました。
テレビ放送が開始される1年前の1956年(昭和31年)4月、冬山装備を整えヒグマに警戒しながら送信所建設に向けた測量が手稲山で開始されました。翌月5月には樹木の伐採を始め、これが進むと重機による道路建設工事に取り掛かり、岩盤が露出した箇所や急峻な斜面などの難関ではダイナマイトを使用して山を切り開いていきました。このため、作業には多数の重機が使用されたほか、伐採、岩盤爆破、道路仕上げなどに1日三百数十人が従事しました。9合目の難所では急斜面を前に工事の遅れを懸念し、ロープウエーなどの索道を山頂まで開設して機材を運ぶことも検討されましたが、斜度と強風が索道の運行条件に適さなかったため道路工事を敢行。8月には、山頂までの約11キロメートルのテレビ山道が完成しました。この工事は約3カ月間にわたり、延べ約3万8400人が従事する大工事となりました。】
【8月に始まった山頂での送信所や鉄塔の建設工事でも、台風の被害に悩まされました。風速40メートルもの風に仮設事務所や宿舎、構造物などは破壊され、全員ずぶぬれで中腹の宿舎まで退避したこともありました。この猛威が過ぎると今度は寒さと降雪が襲い、風雪による宿舎の破壊や鉄塔上での作業など山頂という過酷な環境での工事は困難を極めました。この年は台風が北海道に上陸し気象条件が厳しい年でしたが、積雪が2メートルを超える中迎えた年末12月30日、幾多の試練や困難を乗り越えついにテレビ塔を含む送信所の建物が完成しました。
建物完成後も、年明けに行った機器の搬入では、機器を積んだトラックが積雪で自走不能になりブルドーザーがけん引するもそのブルドーザーが走行不能になるなどの苦労はあったものの、1957年(昭和32年)の4月に、当時、全国で五番目、道内では初めての、民間放送局によるテレビ放送を開始することができました。】

もうひとつ、真冬の高級リゾートホテルとして人気ゆえ、糸の会ではもう宿泊計画を立てられなくなった美ヶ原の王ヶ頭ホテルは電波塔ジャングルの中にあります。
『美ヶ原観光連盟公式サイト』に『電波塔』(2011年08月15日)がありました。
【記録によると、昭和27年に国家地方警察(現長野県警)に対して、美ヶ原超短波中継所の敷地を三城に確保していることが、台上電波関係設備建設の始まりです。
同じ年に信越放送が全国で8番目の民間放送としてラジオ放送を開始し、昭和33年10月にテレビ放送を開始しました。
このテレビ放送を開始するにあたり、信越放送株式会社では「長野県は山が多く、一波で全県に行き渡らせるには、山の山頂から電波を出す以外に方法はない」という結論に達し、当時としては世界的にも例の少ない「マウンテントップ方式」と呼ばれる方法を採用するに至りました。地形上、全県のほぼ中央に位置する美ヶ原台上は最有力候補となり、郵政省(現総務省)やNHK、長野県、関連市町村に働きかけ、最終的にはNHKも追従する形で美ヶ原送信所を建設することが決まりました。
標高2,034m(山頂)付近での工事は困難を極め、工事用道路の借用地問題、台風等の天候悪化に見舞われましたが、なんとか本放送に間に合いました。
厳しい環境から、局舎は風圧と防寒に考慮した半ドーム型となっています。
このドーム内の局舎は、1階と2階の床が外壁と切り離され、断熱材を入れるなど、寒さ対策がとられています。】
【最も新しいテレビ局は長野朝日放送で、昭和64年(平成元年)から美ヶ原山頂より電波を送信しています。
開所当時、信越放送送信所は、越冬のために徒歩で3時間かけて登り、10日間山頂勤務をするという過酷な条件で電波を守ってきました。
翌年からはジープが配置され、2泊交代制となっていますが、厳しい山頂での越冬を毎年続けてきました。
現在では送信所の無人化が進み、月に1〜2回程度の保守点検に出向いています。】

話は変わりますが、明治10年代に本格的に開始された「一等三角点」の設置と「一等三角測量」では一片が約45kmの三角形を精密に描くために見通しのいい山頂に(伊能忠敬がやったのと同じようなシャクトリムシ型の水準測量で標高を出しながら)測量拠点を設け、相互に方位を観測、その測量地点に45kgの盤石(これが正式の三角点)を埋め、その上に90kgの柱石を置いたのです。
第二次大戦後、航空機による空中写真測量が行われるようになると三角点の周囲に白い枠板を置いて写真上でその位置を確認できる準備だけで済むようになりました。
つまり「明治成果」と呼ばれる全国の山のてっぺんに置かれた三角点の後を追うように、戦後の日本の山にはパラボナアンテナをつけた電波塔が建設されて、そこには林道が開かれたのです。
城峯山の山頂には一等三角点があり電波塔も建設されたことから、その展望はお墨付きです。しかも電波塔があるということは現在も保守のために必要な通行可能な林道があると考えていいのです。ただ、一般車両の通行が禁止されていることも多いので林道派のオートバイライダーにはその情報が重要です。しかし登山者にはゲートが閉まっていても問題ないので、エスケープルートとして視野に入れておいて大丈夫。
さらに建設時には必要だった林道がそのまま放置されていて路面状況そのものが車の通行を許さない林道も多いのですが、これも登山者にはエスケープルートとして利用可能です。
つまり三角点の設置ではせいぜい登山ルートが残されただけなのに対して、電波塔の建設では林道が(日本中の山に)残されたということになります。首都圏の山肌は、じつは林道だらけなのです。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時52分=伊藤 幸司
これは荒川の方向を、ひょっとすると破風山ごしに見ているのかもしれません。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時52分=稲葉 和平
晴れれば360度の展望! ほとんど何も見えず。

城峯山登山、山頂
【撮影】12時56分=伊藤 幸司
山頂での記念撮影。
左側に見える解説板は『一等三角点のある山』というタイトルです。
『三角点とは三角測量によって水平位置(緯度・軽度)の求められた点で測量の基準となっています。
 一等三角点は明治21年陸地測量部が新設され、日本の基本図として1/50,000地形図を作成するのにあたってその骨格となる三角網を設定する為に造られました。
 埼玉県内には一等三角点が11箇所設置されており山岳地帯では三宝山(2,483m)、雲取山(2,018m)、堂平山(876m)、物見山(375m)、城峯山(1,038m)の5ヶとなっています。
 また、ここから見える男体山、袈裟丸(けさまる)山、赤城山(地蔵岳)、武尊(ほたか)山、子持山、谷川岳(一ノ倉沢)、榛名山(榛名富士)、赤久縄(あかくな)山等にも一等三角点が設置されています。どの山でしょうか。地図を広げて調べてみましょう。』
つまり一等三角点が置かれたということは約45km離れた2つの一等三角点を見渡せる場所、ということですから展望についてはお墨付き……なのですが、じつは測量時にはその見通しを確保するために櫓を組んだり、樹木を切ったりもしているのです。だから三角点の場所から展望が完全に保証されているわけではありません。この案内板にある山を全部見せてくれるためには、眼前の電波塔の展望台が必要条件だと思います。あとは天気。
なお一等三角点は全国に約1,000点あって、それらをつないでできた1辺約45kmの三角形のなかを二等三角点、三等三角点、あるいはさらに四等三角点で網目を小さくしているのです。

城峯山登山、トネアザミ
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
アザミの花がまだこれからなんですね。
『演習林(東大), 54, 107-155 (2013)秩父』という学術誌に『秩父演習林維管束植物目録』(五十嵐勇治・吉田弓子)で「アザミ」を見てみました。
するとセイヨウトゲアザミ(帰化植物)、トネアザミ、ナンブアザミ、ノアザミ、アズマヤマアザミ、ホソエノアザミがリストアップされていました。もちろんこれで候補100%というわけではありませんが、十分な手がかりです。
『原色日本植物図鑑』で見ると、セイヨウトゲアザミはありません。
トネアザミは『山野に普通な多年草』で『葉は羽状中裂またはきょ歯のみ』『頭花は9-11月頃枝の先に点頭』『総苞は巾1-1.5cmでくも毛があり』『関東の秋に最も普通なアザミ』とのこと。
ナンブアザミは『山地に生える多年草』で『頭花は8-9月頃多数枝の先に点頭』『本州(中部地方以北)。奥羽地方の秋には最も普通なアザミである。』
ノアザミは『春の山野に最も普通な多年草』で『春のアザミはこの種だけである。』
アズマヤマアザミは見当たらず、ホソエノアザミは『山林の中に生える多年草』で『葉は長だ円状披針形で長さ20-40cm、羽状に中裂し、特異な葉の切れ方が目立ち太い刺針がある。』『頭花は9-10月頃細い柄があって総状につき、総苞は筒状で狭く長さ15-18mm、巾6-8mm、片は粘着せず鋭く反曲する。』
この『原色日本植物図鑑』については山図鑑no.207唐松岳でくわしく紹介しているのですが、最大の力点は京大の植物標本をひとつひとつ開いて描いた彩色図版です。ところがアザミに限って、20点の図版のうち8点がモノクロ写真となっていて、トネアザミもその写真版ですからわかりずらい。
グーグルの図版検索でトネアザミを見てみても総苞の「くも毛」がしっかり写った時期の写真がありませんが、まず、おそらく、たぶんトネアザミでいいのだろうと思いますが。

城峯山登山、トネアザミ
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
これもトネアザミだとして、横から撮っていないいのではっきりとはしないものの、トネアザミです。
『多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」』に『トネアザミ』がありました。
【トネアザミ(別名:タイアザミ)では、ノハラアザミと同様に花は初秋から秋に咲きますが、花の基部の総苞(緑色の葉状の多くの総苞片が密についているトックリ型から筒型の部位)のトゲ状の総苞片が明らかに開出しているのが特徴で、総苞片がやや下向きに湾曲していることも多い。したがって、遠目で見ると総苞片が目立ちます。花は上向き〜横向きに開花するものまで変異があります。
なお、トネアザミは、本州中北部に分布するナンブアザミ(学名:Cirsium nipponicum)の総苞片のトゲが太くて長い変種(学名:Cirsium nipponicum var. incomptum)です。ただ、中間的な形態を示すものあるので区別は結構難しい。】

城峯山登山、トネアザミ
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
最後に、葉の状態がよく見えたので撮っておきました。トネアザミです。

城峯山登山、ボタンヅル
【撮影】13時13分=稲葉 和平
ボタンヅルの4片のガクが開いたところ。

城峯山登山、ボタンヅル
【撮影】13時13分=稲葉 和平
ボタンヅルの蕾。

城峯山登山、シロヨメナ
【撮影】13時14分=伊藤 幸司
とりあえずシロヨメナと検索してみたら『花の家』というサイトに出ました。『私が育てた園芸花そして庭の樹木、家庭菜園のお花を載せてます。さらに三浦半島で咲いてる野草の情報と風光明媚な三浦半島の自然の 情報も載せてます。お花の好きな人達のたまり場です。』とのこと。
【草姿は嫁菜( ヨメナ)に似る。花は白。それでシロヨメナという。葉先は尖(とが)る。
冠毛が長いので、カントウヨメナ、ユウガギクでない。そして葉がすべすべしてるので ノコンギクでない。薄暗い場所で育ち葉にも特徴があるのでこれはシロヨメナです。このようにして見分けてます。】
葉先が尖っているか、種子を飛ばす冠毛(綿毛になる)が出るかどうかわかりませんが、グーグルの画像検索で出てくる花と合致するようなのでシロヨメナ? としておきたいと思います。

城峯山登山
【撮影】13時14分=伊藤 幸司
手がかりがまったくないので「白い小さな花」という検索から始めて、この状態の花の雰囲気に関してはネズミモチと断定したいところまできたのですが、なんと花期は6月とのこと。完全にはずれているようです。が、他人の空似なんでしょうね。

城峯山登山
【撮影】13時14分=稲葉 和平
これは何でしょう?。

城峯山登山、キンミズヒキ
【撮影】13時15分=伊藤 幸司
キンミズヒキがありました。
『Kyoto Shimbun 山野草』というサイトに『キンミズヒキ 若芽・葉はあえ物にも』がありました。
【よく日の当たる山際の路傍や原野に生育する多年草。花穂が赤いミズヒキに似て、花の色が黄色なので名前がついたとされる。花の赤いミズヒキはタデ科だが、こちらはバラ科。草丈60センチ〜1メートルで7月から9月にかけて花を咲かせる。
 実にはかぎ状のとげがあり、衣服などについて種が運ばれるので、ヒッツキグサと呼ぶ地方もある。種と地下茎で繁殖し、年がたつと、だ円形の根茎が連結するように先へ伸びる。栽培する場合は浅い鉢に植え、日当たりを良くする。肥料はほとんどいらない。
 春先の若芽や若葉は油炒めやあえ物、汁の実にするとおいしい。生薬名を竜牙草といい、夏の花の盛りのころ、根を含む全草を採り、水で洗ってこまかく刻み、日干しにする。
 成分には粘膜を収縮する作用のあるカテコールタンニンやフェノール性配糖体を含む。下痢止めには乾燥した全草を煎じて、冷めないうちに飲む。煎じて、冷めてから1日数回うがいをすると、歯ぐきの出血を含め、口内炎によいとされている。(わち山野草の森・藤田 真)】

城峯山登山
【撮影】13時16分=伊藤 幸司
山頂からの下りで見た土留めの方式。土を何センチくらい掘り下げられるかによって、状況が変わってくるのだろうと思います。杭の頭が揃うまで叩き込むという考え方なのか、残った杭の頭は切りそろえるのか、どうなんでしょうかね。

城峯山登山、オトコエシ
【撮影】13時16分=稲葉 和平
オトコエシ(男郎花、スイカズラ科)のようではあるけれど・・・。

城峯山登山、モミジガサ
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
モミジガサです。
『森と水の郷あきた・あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト』に『山菜採りシリーズ(7) シドケ(モミジガサ)』がありました。
【独特の香り、ほろ苦み、シャキッとした歯触りで、秋田では人気ナンバーワンの山菜である。だから「山菜の王様」とも言われている。ブナ帯では、沢沿いの湿り気のある肥沃な腐植粘土質の土壌を好んで群生する。半日陰のスギ林などにも生えているが、茎が一様に細い。
 茎が太い極上品を採るには、やはり人跡稀なブナ林に勝るものはない。雪国の山菜前線は、雪解けとともに海岸沿いから内陸部、里から山へと移っていく。
 谷が萌え出る新緑に包まれると、小沢の斜面は、春のあたたかい陽射しを浴びて、山菜の御三家「ホンナ、アイコ、シドケ」が一斉に芽を出す。雪国では、山が笑うと、渓流釣りやコダシを下げた山菜採りでにぎわい始める。】

【菅江真澄「山菜採り」(1785年4月2日、小野のふるさと)
「ある老人が山菜採りにいってきたみやげといって、ホナ(ヨブスマソウ)、イハダラ(サラシナショウマ)、アイグサ(ミヤマイラクサ)、コゴミ(クサソテツ)、シホデ(シオデ)、シドケ(モミジガサ)・・・わたくしの聞き知らぬ菜もたいへん多い。カコベもやぶれるほど持ってきた」
 雪国では、保存した食べ物を食べ尽くした春先が、最も緑の野菜に乏しい時期である。誰もが、山菜採りに歩かなければならなかった。その食用となる山菜の名を聞いて記しているが、今まで聞いたこともない山菜の種類の多さに驚いている。】
【料理……おひたしにすれば、野菜にはないほろ苦さと歯ごたえは一級品。シドケ特有の香りと苦みが気になる方は天ぷらがオススメ。高温の油がアクを抑え、まろやかで誰もが食べやすい味にしてくれる。
◎シドケのおひたし
山菜特有の香り、歯ごたえ、うまみを簡単な調理で味わうのが「おひたし」。まず塩を一つまみ入れて大鍋を沸騰させる。熱湯に山菜を根元から入れ、再度沸騰したらOK。茹ですぎると風味を損なうので注意。茹でたら、素早く冷水にさらす。かたく絞ってからかつお節をふりかけ、醤油、ごま醤油などで食べる。
◎シドケの天ぷら
葉の形を活かした天ぷらは、一枚ずつ揚げると形がきれいに仕上がる。生のまま、衣は薄めにつけ、高温の油でサッと揚げる。塩を軽くふって食べると美味しい。
◎シドケの漬物
キャベツ、キュウリ、カブなど漬物野菜と組み合わせて一夜漬けにすると、シドケの香りが野菜に移り、大変美味しい漬物になるという。
◎保存
1週間程度の保存・・・濡れ新聞紙に包み、冷蔵庫の野菜室に保存。
長期保存は、冷凍保存・・・堅めに茹でて水にさらし水気を切る。小分けにして急速冷凍する。使うときは、自然解凍してから調理する。
◎薬効
β-カロテンがキャベツの10倍近くあり、ガンの抑制効果、視力低下防止効果。その他食欲増進効果。】

城峯山登山、マムシグサ
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
マムシグサが頭をコックンと手前に折ってしまいました。
この状態で見て「葉は2個」「小葉が7から15」というのわかりますか? たった2本の葉柄からそれぞれ7-15枚の葉っぱを広げて、チュチュスカートというのでしょうか、バレリーナの、そういうふうに見えるのです。垂れ下がった頭をもう一度立ててみれば。

城峯山登山、マムシグサ
【撮影】13時17分=小林 美子
マムシ草の最後の姿。

城峯山登山
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
1分前に見たモミジガサと花はよく似ているけれど、葉っぱがまったく違いますね。モミジ似の葉っぱじゃあないですね。コウモリソウの仲間はみんな同じような花をつけて葉っぱで自己主張しているけれど、これは生き方がかなり違いますよね。なんだかわかりません。

城峯山登山、ヤマジノホトトギス
【撮影】13時18分=稲葉 和平
ヤマジノホトトギス。下山路には結構咲いていた。ヤマホトトギスは花弁がもっと反り返る。

城峯山登山、ノリウツギ
【撮影】13時19分=伊藤 幸司
山で見るこの雰囲気の(装飾花のある)アジサイはヤマアジサイかノリウツギかのどちらかでしょう。
『近畿中国森林管理局』というサイトが『林野庁』のなかにあるんですね、そこに『ノリウツギ』があったので開いてみました。
【「ウツギ」と名の付く植物の多くは幹や枝が中空のもので、スイカズラ科タニウツギ属や、スイカズラ科ツクバネウツギ属、ユキノシタ科ウツギ属などがあり、必ずしも同じ仲間の植物とは限りません。「ノリウツギ」は、ユキノシタ科アジサイ属で、「ヤマアジサイ」や写真の「コアジサイ」の仲間になります。ノリウツギやヤマアジサイには装飾花がありますが、コアジサイには装飾花がありません。装飾花は、萼片が花弁状になったもので、梅雨時に山中で見かけるヤマアジサイの美しさは格別です。】
なんだかノリウツギは放っておいてヤマアジサイが美しいという解説みたいになってしまっていますから森林管理局の情報として最上位に書かれているのを省いてしまうと失礼かもしれません。
【和名の由来(糊空木)
樹皮をはぐと粘りがあり、樹皮(内皮)から糊(のり)をとって和紙を漉くときの糊料としたことが和名の由来です。
空木(うつぎ:枝の中が空洞の木)という名前に反して、材は均質でかたく、木釘やかんじきの爪、パイプなどに使われていました。】
『アジサイの育て方.net』というサイトがあるんですね。そこに『ノリウツギ』(2016年06月17日)がありました。
【ノリウツギの特徴……ノリウツギの花は両性花が主体となっています。
山や林に自生していますが、ヤマアジサイとはまた違った魅力があります。
ヤマアジサイが全体的に小ぶりで楚々とした印象が強いのに対し、ノリウツギは花の主張が強く目立つ存在です。
放任で育てると背丈も高くなる上に、花房がとても大きいので見栄えがします。
花房は一般的なアジサイのような、てまり咲きやガク咲きではなく、どちらかというとカシワバアジサイのような円錐形をしています。
たくさんの両性花が円錐形に集まって咲き、その中に不規則に装飾花が咲きます。
装飾花の数はあまり多くなく、点々といった風に咲きます。
両性花は一般的なアジサイの両性花に比べると少し大きく、しべも長いので、両性花が咲き進むとふさふさとした印象になります。
装飾花は花弁が4枚で、丸みを帯びた形をしているので、花房が大きく目立つ割りに可愛らしく見えます。
ノリウツギの色は基本的には白ですが、品種によっては黄緑からクリーム色へ変色するものもあります。また花もちがとても良いので、秋まで咲き続けることも多く、だんだんと寒くなってくると、枯れずに残った花はさらに色を変え、濃いピンク〜赤色に変化します。
特に寒冷地など、早くに気温が下がる地域では、赤い色がキレイに出せます。】
これはノリウツギだと思います。

城峯山登山
【撮影】13時19分=伊藤 幸司
山の場合、ピークの先には、ピークをピークたるものにするための下りがあります。登った道とがらりと表情を変えることが多いので緊張しますが、たくさんの人が歩いている道だということはすぐに分かりました。

城峯山登山、タマアジサイ
【撮影】13時19分=稲葉 和平
タマアジサイの芽。(手前の葉は別の植物)

城峯山登山
【撮影】13時21分=小林 美子
ガス? 霧? 雲?
よくこんな現象を見るが、
とてもいい感じ!
こんなガスの中を歩くのもいいものです。

城峯山登山、キンミズヒキ
【撮影】13時21分=稲葉 和平
キンミズヒキ。大きな托葉がある。

城峯山登山、タマアジサイ
【撮影】13時21分=稲葉 和平
開きかけのタマアジサイの花。

城峯山登山、トネアザミ
【撮影】13時22分=伊藤 幸司
山頂にあったアザミとたぶん同じだと思いますから、トネアザミとしておきたいと思いますが、候補としては『秩父演習林維管束植物目録』(五十嵐勇治・吉田弓子)に出てくるセイヨウトゲアザミ(帰化植物)、トネアザミ、ナンブアザミ、ノアザミ、アズマヤマアザミ、ホソエノアザミのどれかだということでしょう。
また『多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」』からの引用になりますが、すごくわかりやすい解説だと思います。
【草丈50cmから1mほどになる多年草です。
花は、初秋〜秋に咲きます。
花冠は径3cmほどの淡紅紫色です。多数の筒状花からなっていて花弁(舌状花)はありません。
なお、図鑑などではしばしば「花は横向きに咲く」とされますが、上向きに咲くことも同じくらい多い。
花の総苞(花の基部を形成している沢山の葉状の緑色の苞葉片の集まり)は、口の広いトックリ型です。
「総苞片は開出する(総苞から外向きに大きく開いている)」〜「総苞片は下向きにやや湾曲する」ものまで変異がある。
総苞片がやや下向きに湾曲していればまずトネアザミですが、少し遠めで見た際に開出している総苞の総苞片が目立てばトネアザミです。
似たノハラアザミでは、総苞片の開出は大きくないので、遠目で見ると総苞はやや平滑に見えます。
葉は、根生葉は大きく長さ30cm前後で放射状(ロゼット葉)に地際に広がりますが、花時にはなくなります。
葉は羽状に深く裂れ込み、葉の縁に小さなトゲが多くあり触ると痛い。茎葉も長さ20cmほどと大きく小さなトゲがあります。】

城峯山登山、ヤマジノホトトギス
【撮影】13時23分=伊藤 幸司
ホトトギスがでてきました。ヤマホトトギスかヤマジノホトトギスかの判断ですが、これはヤマジノホトトギスのようです。
『物臭狸の花日記・当ブログは植物の分類を扱っています』に『ヤマホトトギスとヤマジノホトトギス』がありました。
【ヤマホトトギスとヤマジノホトトギス の違い
どちらも良く似た花を付けますが
ヤマホトトギスは花序になり、ヤマジノホトトギスは葉腋に花を付ける 
ヤマホトトギスは花被の反り返りが大きく先が下を向く、ヤマジノホトトギスは花被の反り返り平らになる程度
地元ではヤマホトトギスは7月に、ヤマジノホトトギスは8月からが花期になります。
ヤマジノホトトギスはいたるところで良く見かけますが、ヤマホトトギスは限られていてあまり多くは無いようです。】
写真付き解説なのでこのサイトは一見の価値ありです。

城峯山登山
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
林道を越えました。私たちがタクシーを降りた半納集落のところから、城峯山の山腹をうねうねと登りながら何本もの道を合わせて、道はここまで登ってきます。もう少し走れば城峯神社です。

城峯山登山
【撮影】13時25分=伊藤 幸司
林道のところで石間峠を越えると山は霧というか、雲の中。静かな山そのものを楽しむ気分になりました。

城峯山登山
【撮影】13時27分=稲葉 和平
昼間でもこのようにうす暗く、雨が降り出してくると、ソロだと嫌だろうなと思う。

城峯山登山
【撮影】13時43分=伊藤 幸司
トウバナとかホトケノザとか、候補をいろいろ探して回りましたが、わかっていません。

城峯山登山
【撮影】13時43分=伊藤 幸司
前の写真の花をもうすこし大きく撮ってみました。

城峯山登山
【撮影】13時45分=稲葉 和平
雨の中の山歩きも悪くない。

城峯山登山
【撮影】13時48分=伊藤 幸司
手入れの行き届いた植林を抜けていく道です。

城峯山登山
【撮影】13時53分=伊藤 幸司
標高1,003mの水準点が地形図(1/25,000)にありますが、そこに鐘掛城という標識がありました。戦国時代に北条氏の山城があったようです。
『城跡ほっつき歩記』というサイトに『鐘掛城』がありました。
【歴史と沿革…将門の伝説、後北条氏の物見砦
城峰山付近の平将門を始めとした伝承の方がどちらかというと有名で、文献にも記されず歴史的な経緯も不明ですが、永禄年間における武田氏の秩父地方に対する一方的な攻勢の行われた時期に後北条氏勢力のある程度の物見としての役割を担ったものと考えられています。】
【構造的特徴および周辺の地理的特徴
城峰山の東、石間峠を挟んで東側にのびる尾根筋に所在し、上州方面の眺望は頗る良好な地理的環境です。遺構自体は見出せないものの「皆野町史」などでは物見砦などとして機能したことが推定されています。石間城、金沢城山、浦山城、両谷城などと共に後北条氏の上州方面の武田氏の動向に対する監視機能を果たしていたとされているようです。なお、「皆野町史 通史編」では「旗塚」から「雨乞城」方面までの連絡ルートを想定していますが、狼煙による情報伝達そのものを別にすれば小峰山・大前山付近で尾根筋が途切れているようなこともあり、人の移動と物流についてはやや困難が伴います。】
その鍵掛城から急な下りが標高約750mあたりまで続きます。

城峯山登山
【撮影】13時57分=伊藤 幸司
白いキノコの情報をいろいろ見て回りました。この白い卵だけではもちろんわかりませんが、傘を広げたものもすぐ近くにありましたから……。シロタマゴテングタケかドクツルタケだと思います。

城峯山登山
【撮影】13時57分=稲葉 和平
タマゴダケ? 途中に登山道からちょっと離れたところに、開いたばかりという感じの真っ赤な美しいタマゴダケ? があった。

城峯山登山
【撮影】14時00分=伊藤 幸司
これが一番きれいな姿かな、と思います。シロタマゴテングタケかドクツルタケか、ですが、傘の白い表面が独特の雰囲気を漂わせていませんか?

城峯山登山
【撮影】14時00分=伊藤 幸司
キノコの写真では柄の状態やひだの部分が重要だと思いますが、このカメラではそれがなかなか撮れません……でした。9月25日の芦ヶ久保・日向山ではキノコの乱舞を新しいカメラで下から撮ったりしています。乞うご期待。

城峯山登山
【撮影】14時03分=伊藤 幸司
突然、樹林帯を抜け出るという雰囲気。まだ先があるとしても、山の核心部から抜け出るという感じは特別です。見えなくても感じるナニカがあると思うのです。

城峯山登山
【撮影】14時03分=伊藤 幸司
出たのは送電線鉄塔の草地でした。地形図(1/25,000)には高圧送電線が引かれています。標高約670mの地点だと思います。

城峯山登山、ミズヒキ
【撮影】14時26分=伊藤 幸司
ミズヒキは花が紅白に見えるのでちょっと特別な存在だと思うのですが、これだとちょっとした変わり者という感じ、じゃありませんか。
紅白といっても、うまいバランスでそう見えるのもあるけれど、赤みが強かったり、こんなふうに白っぽかったりすると、どうなってんだ、と思います。
私が基本書としている『山の花1200』(青山潤三)では『細長く伸びた花穂に、濃紅色の小さな花を連ねる。』とあります。
『山溪フィールドガイド・秋の野草』(永田芳男・山と溪谷社1991年)には『30センチほどの花穂を伸ばし、赤い点々のような花を咲かせる。近づいてよく見ると右の写真のような花の形している。花の色は淡いものもあるが、赤と白に染め分けてなかなか美しい。』
『原色日本植物図鑑』では『花は8−10月に枝へ穂状につき、まばらである。花被は4裂し、卵形で長さ3-3mm。』と書かれていますが「花被」は外花被が萼、内花被が花弁でそれらが区別しにくいときにひっくるめて「花被片」というのだそうです。
さらに『ウィキペディア』で『ミズヒキ』を見ると、【開花期は8〜11月頃。花は総状花序で、茎頂や葉腋から長さ20〜40cmになる花穂を出し、それに小花がまばらに咲く。小花の色は上半分は赤色、下半分は白色である。】
『花好きを応援!総合花サイトみんなの花図鑑』の『ミズヒキ』には次のように書かれていました。
【細長い花序が出て、小花をまばらにつける。花弁はなく、花弁状の萼があり、深く4つに裂ける。雄しべは5本である。雌しべの花柱は先が2つに裂け、先端は鍵のように曲がる。萼片4枚のうち3枚が赤く1枚が白い。】
『松江の花図鑑』では次のように書かれていました。
【茎の先に長さ約30cmの細い総状花序をだし、小さな花がまばらに横向きにつく。花被片は深く4裂し、上部の3個は赤く、下部の1個は白い。花被片が全部白色のものもある。】

城峯山登山、ミズヒキ
【撮影】14時30分=小林 美子
ミズヒキの花。
花言葉 祭礼・・
上から見ると赤く、下から見ると白く、横から見ると紅白の小さい花が次々と咲く。
祝儀袋にかける紅白の水引に似ているからこの名前になったらしいが、
小さすぎて、よ〜く見た事がありません。

城峯山登山
【撮影】14時35分=伊藤 幸司
この橋はどう見ても滑りそうもない……のですが、それでも私はこれをトントントンと軽快に歩く人がいたら厳重注意します。
私たちの山旅は一般登山道のおかげで成立しているのですが、北アルプスの小屋泊まり縦走などの岩稜歩きとは別に、樹林帯では「木の橋」が最も危険な存在だと思ってほしいのです。これなどはどう歩いても大きな問題はないのですが、濡れたらどうでしょう。しかももう少し古くなって、表面にヌルっとした苔やカビがついてきたら。
そういう場合にはトントンと軽快に歩くと、接地面積が小さくなります。しかも平坦な面を選んで踏みます。重心がちょっとずれると足をすくわれたようにスッテン・コロリンときれいに転倒させられます。
万にひとつのその危険を防ぐために、最初の一歩で靴の滑り具合を軽くチェックしてもらいたいのと、接地点をわざとずらして「2種類のものを同時に踏む」という歩き方をしてほしいのです。たとえば、つま先とかかとを両方接地させられるような足の置き方をしてほしいのです。
そんなことをしなくても、今のこの橋の状態ならトントントンと問題なく行けちゃう……と思う人もいるでしょうし、実際に行ける人も多いのでしょうが、問題はチームの中にいる別のメンバー。先輩たちを見る時に、歩き方のスマートさと、そのスピードについていこうとする人がいるはずです。そのことがいつか、どこかで事故につながることを恐れるのです。
しばしば、通過できる技量のない人が、ものすごく危険な歩き方をしていたりします。その事故をできるかぎり防ぐのはリーダーの役目だと考えます。
……という話、きっとわからない人多いでしょうね。問題なく渡れるはずだから、渡ればいいじゃないか、と。でも私は10人のうちのひとりが百にひとつのタマタマだとしても、危うく大きな事故になりかかった場面を何度か目撃しています。登山では失敗しないとわからないことはいろいろあって、濡れた木の橋などもそのひとつにすぎないのですが、ドジったときの危険がかなり大きいということをお忘れなく。

城峯山登山、ヤブヘビイチゴ
【撮影】14時38分=稲葉 和平
ヤブヘビイチゴ、たぶん。味はないらしい。

城峯山登山、ミズヒキ
【撮影】14時39分=伊藤 幸司
ミズヒキの乱舞です。『松江の花図鑑』に書かれていたように【花被片は深く4裂し、上部の3個は赤く、下部の1個は白い。】のであれば、もうすこし赤くったっていいだろうと思うのですが。

城峯山登山、ボタンヅル
【撮影】14時40分=稲葉 和平
ボタンヅル(キンポウゲ科)、センニンソウの葉は羽状複葉。

城峯山登山、クズ
【撮影】14時41分=稲葉 和平
クズ(葛、マメ科)。食用にも薬用にもなった植物でもあるにもかかわらず、繁殖力が強すぎて、今は嫌われもの。我が家の近くの農地の一角が手入れもされずに葛に覆い尽くされ、放置されたままになっているが、気分のいいものではない。花は大きな葉の下に隠れているせいかほとんど見えない。

城峯山登山、クサノオウ
【撮影】14時42分=稲葉 和平
クサノオウ(ケシ科)。花期は5〜7月とのことだから、随分遅くまで残っている。アルカロイドで有毒。武田薬品のHPには、民間薬では専ら湿疹などの皮膚疾患の外用薬として用いられており、「湿疹(くさ)の王」から本種の和名が付けられたという説があり、と記されている。

城峯山登山、クサノオウ
【撮影】14時42分=稲葉 和平
クサノオウの毛深い茎。

城峯山登山
【撮影】14時43分=伊藤 幸司
標高約550mのところに門平という集落があり、この道の前方、見えているところに西門平バス停があるのです。なんとほんの数分待ちでバスがきました。それを逃していたらほぼ1時間待ちとなるところでしたが。

城峯山登山
【撮影】16時54分=伊藤 幸司
満願の湯で1時間を過ごし、皆野駅前の坂本屋へ。これは単純にご飯大盛りのうな重。

城峯山登山
【撮影】16時55分=伊藤 幸司
ネット情報なども見ていましたが、通常私たち腹ペコ軍団では鰻は無駄に贅沢という感じがしますし、予算枠の上限あたりの鰻だと世の中の常識としてはかなりの危険球。でもここでは大当たりでした。全員満ち足りた気分になりました。

城峯山登山
【撮影】17時30分=伊藤 幸司
皆野駅のホームから西を見ると荒川の対岸にひと山あって、その向こうにあるのが破風山。そのさらに向こうに見えないけれど城峯山があったのです。



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