山旅図鑑 no.211
木曽・駒ヶ岳
2018.9.18-19

山旅図鑑目次


糸の会(no.1104)
2018.9.18-19
木曽・駒ヶ岳
65パワー

1日目……登り7p+宝剣岳往復
2日目……登り4p→下り54p

*2018年下半期の秋の小屋泊まりとして、次のような基本プランを考えました。「古いタイプの小屋泊まり体験と考えています。標高2,956mの山頂脇にある頂上木曽小屋に泊まります。この高さで高度障害が出なければ、日本の山はほぼ問題なく歩けます。朝夕の展望も期待できます。<体験参加可>ですが、そういう人がいない場合はハードバージョンに切り替えるかもしれません。もったいないですから。往復とも高速バスにしましょう。JRだと伊那ってけっこう遠回りさせられている気分になります。」
*結局<体験参加>の人がいなかったので、宿泊を宝剣山荘にし、1日目に宝剣岳の往復で、今年試みている「クサリ場でのセルフビレイ」の実用実験をさせていただきました。そこのところのレポートは写真にあります。
*2日目に木曽側に下ったり空木岳へと縦走したりしたことはありますが、伊那側への「桂小場ルート」はないので、それをのんびりと下ることにしました。
*往路はロープウェイですから全体として特別な課題はありませんでしたが、なによりも天気がよかった。風もなく、展望を存分に楽しんで、思い出に残る山となりました。

第1日(9月18日)
・1125……高速バスで駒ヶ根バスターミナル着。昼食。
・1230……JR駒ヶ根駅前からバスでロープウェイのしらび平駅へ
・1350……駒ヶ岳ロープウェイ千畳敷駅を出発(標高約2,650m)14.5度C
・1420-25……休憩(標高約2,750m)
・1445……宝剣山荘(標高約2,850m)
・1520-1705……宝剣岳往復で「クサリ場でのセルフビレイ」のテスト
第2日(9月19日)
・0430-0550……日の出(標高約2,900m)
・0640……宝剣山荘を出発(標高約2,850m)
・0725-35……駒ヶ岳山頂(標高2,956m)
・0800-05……休憩(標高約2,900m)
・0830-40……休憩(標高約2,800m)
・0900……濃ヶ池分岐を通過(標高約2,700m)
・0915-20……休憩(標高約2,700m)
・0945-1015……伊那市西駒山荘でトイレ&コーヒー休憩(標高約2,700m)11度C
・1135……信大ルート分岐(標高約2,150m)
・1140-50……休憩(標高約2,150m)
・1240-45……休憩(標高約1,800m)18度C
・1325-35……休憩(標高約1,450m)20度C
・1405……桂小場登山口到着(標高約1,300m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。

小林 美子、伊藤 幸司



山旅図鑑 no.211
木曽・駒ヶ岳
2018.9.18-19

木曽駒ヶ岳登山 ソースカツ丼
【撮影】1日目 12時10分=伊藤 幸司
往路は高速バスで駒ヶ根バスターミナルへと直行。「ソースカツ丼会3代目会長」という中華料理店「きよし」で由緒正しいソースカツ丼をいただきました。

木曽駒ヶ岳登山
【撮影】1日目 12時10分=伊藤 幸司
店内にあるコーヒーサーバーはランチタイムサービスとかで「お食事のお客様、コーヒー1杯無料」とのこと。相当有効なサービスですね。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時47分=小林 美子
いつも写真で見ていたこの景色、やっと目の前に立った。運よく晴れて絵葉書のような景色だ。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時52分=伊藤 幸司
12時30分に駒ヶ根駅からバスに乗り、13時30分にロープウェイのしらび平駅。13時50分に千畳敷駅から出発することができました。これが千畳敷駅のテラスから見下ろした千畳敷カール。
下に見える道をたどって向こう側の鞍部まで登れば今日の宿泊地・宝剣山荘です。その鞍部から左に登ると標高2,931mの宝剣岳です。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 13時52分=伊藤 幸司
宝剣岳の山頂に小さな突起が2本見えます(山頂部左半分が高く見えますが、ここからだと右半分が山頂です)が、その2つの小さな突起の右側が山頂の岩峰で、その左側面に祠の屋根があります。オリジナルデータだとはっきりとわかります。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時52分=伊藤 幸司
鞍部に登山者の姿があります。そこに至る急坂の横縞が登山道です。地形図(1/25,000)で見ると、登山道が標高50mごとに引かれた等高線(計測線)と交差するところに直径4mm(実際の100m)の赤い円を描くと、標高2,700mから2,850mまで(下から1/3あたりに赤いジャケットの人物がかすかに写っていますが、そのあたりから上の稜線までの標高差約150m)では赤○は1/4ほど重なっています。
すなわち75m先で50m上がる(下がる)勾配の斜面なのです。50/75として勾配1/1.5、0.67となります。tanθ=0.67は約34度になります。そこにあれだけの派手なジグザグ道を作って私が標準的という20度弱の勾配に押さえているのです。富士山の登山道と基本的に同じ歩き方でいいのです。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時55分=伊藤 幸司
千畳敷カールは標高約2,600mにあって、高山植物の素晴らしい花園です。カールの中央部を横断するこの道と、池もある下部の道とが斜面の向こう側で接続しているので、雪解けから夏にかけては観光地としても特別な存在になります。
『たびネット信州』の『山の花ガイド』に『千畳敷カール』があって、以下の花がリストアップされています。
【コイワカガミ (6月〜7月)
ショウジョウバカマ (6月下旬〜7月中旬)
タカネザクラ (6月下旬〜7月中旬)
タカネザクラは別名・峰桜(ミネザクラ)といハクサンイチゲ (6月〜8月中旬)
クロウスゴ (7月)
ミヤマクロユリ (7月上旬〜8月上旬)
キバナノコマノツメ (7月〜8月)
ミヤマシオガマ (7月〜8月)
ツガザクラ (7月〜8月)
ミヤマキンポウゲ (7月〜8月中旬)
チングルマ (7月〜8月中旬)
ミヤマキンバイ (7月〜8月中旬)
アオノツガザクラ (7月〜8月中旬)
シナノキンバイ (7月〜8月中旬)
ミヤマダイコンソウ (7月〜8月中旬)
ヨツバシオガマ (7月〜8月)
エゾシオガマ (7月〜8月)
タカネグンナイフウロ (7月〜8月)
ウサギギク (7月〜8月)
ウメバチソウ (7月〜8月)
チシマギキョウ (7月中旬〜8月)
ミヤマリンドウ (7月〜9月)】
150種類はあるという千畳敷カールの花も、この時期には寂しい状態になっていました。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時56分=伊藤 幸司
黒々と残っているこの花は何でしょうか。この斜面に色とりどりの花が咲き乱れるという日々が、今年もあったのでしょう。
7月22日にちょうどここで写真を撮ったことがありますが、一面に広がるコバイケイソウでした。

木曽駒ヶ岳登山 ウラジロナナカマド
【撮影】1日目 13時56分=伊藤 幸司
遠目には枯れた生け垣みたいでしたが、ナナカマドが赤い実をつけていました。

木曽駒ヶ岳登山 ウラジロナナカマド
【撮影】1日目 13時57分=伊藤 幸司
これは葉裏が白いのでウラジロナナカマドと考えていいのですが、さらに花(実)が上を向いていることと、葉の鋸歯(ギザギザ)が先端から半分ほどしかないという点が特徴的、と白山のご来光時にボランティアガイドの人から教わった記憶があります。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 13時58分=伊藤 幸司
これが、氷河が削り上げた地形、カール(圏谷)です。雪が降って、溶けて、というのとはまったく違って、雪が融けずにどんどん積み上がり、それが圧縮されて氷となって、斜面をズルズルと滑り落ちる過程で削り上げた、氷河期の地形です。親しみを感じるやわらかな曲面は日本アルプスのあちこちで目にすることができます。
半世紀前のことになりますが、若いフリーの氷河学者が誕生して、私が参加していた「あむかす探検学校」が彼の氷河調査に協賛すべく、カンチェンジュンガからアピまでというヒマラヤフライトの飛行機をチャーターする人数を集めて「ネパール探検学校」を実施しました。
『ウィキペディア』の『五百澤智也』の1971年の『第2回ヒマラヤ行(26日間)』がそれです。
五百澤(いおざわ)さんは国土地理院時代に日本アルプスに想像以上にたくさんの氷河地形が残っていることを空中写真測量から発見、1970年のマカルー登山隊に参加したのを契機に氷河学者としてフリーになったのです。
じつは一般の登山者と深く関係した仕事があって、年表には【国土地理院「山の高さに関する委員会」委員長】とありますが、山の高さが三角測量のための三角点の標高であったものを、その山の一番高い地点の標高に書き換える作業の推進役となりました。
この写真を見ていて、五百澤智也さんを思い出しました。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時06分=伊藤 幸司
いよいよあの急登の道にかかりました。目線はどうしたって上を向くことになります。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時11分=伊藤 幸司
振り返るとロープウェイの千畳敷駅。……というより日本で一番高いところにあるホテル。
『中央アルプス・ホテル千畳敷』のサイトがあります。
【下界では絶対に見ることができない「雲海」や、可憐な高山植物と山の険しい岩肌が真っ青な空に映える短い夏、秋には山頂から山麓へ美しい紅葉が降りていく景色が楽しめます。また、厳冬期を迎え静まり返った山の息吹を感じられる白銀の世界は、見る人を圧倒させ、忘れられない感動を与えてくれる絶景ポイントです。】
読んでみるとあまり気合の入った文章ではありませんが「標高2,612m」のこのホテルでは「真冬の1泊」に体験的付加価値があると思います。運のいい人にも、よくない人にも。
冬の平日なら3人部屋でひとり11,800円、弁当持参の素泊まりなら7,560円だそうですから冷やかし気味の体験宿泊としてはアリだと感じる人もいるでしょう。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時18分=伊藤 幸司
前の写真と同じように見えるかもしれませんが、写真左下隅に人が6人ぐらいいます。上下2本の道が白く延びていますが、上の道に3〜4人、下の道に7人ぐらいは見えるのではないかと思います。けっこう広い範囲を写しているんです。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時21分=伊藤 幸司
下の池のあたりを望遠で撮ると5人ぐらいいたんですね。観光客という雰囲気に見えますが。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時21分=伊藤 幸司
ついでに湧き上がる雲の隙間から外界をちょっとのぞいてみました。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時27分=伊藤 幸司
登っているとこんな感じ。斜面の勾配と道の勾配とはこんな感じです。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】1日目 14時33分=伊藤 幸司
登りもほとんど終わりというあたりから下を見るとかくのごとし。休んでる2人組は登りの人でしょうね、ここで休んでいるというのは。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】1日目 14時41分=小林 美子
八丁坂を約1時間
登りきった所に、今日泊まる、宝剣山荘に着いた。
長い時間を歩いた訳ではないけど、ほっとする。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】1日目 14時41分=伊藤 幸司
坂道を登りきったら、目の前に宝剣山荘があるんです。じつはその右手に、お隣さんという感じで赤い屋根の天狗荘があり、中岳を越えて駒ヶ岳の鞍部には頂上山荘があって、全部足すと収容人数は420人、それを宮田(みやだ)観光開発株式会社が1社で持っているのです。
どういう会社なのかと思って調べてみると上伊那郡宮田(みやだ)村の資本も入った第三セクター。さらに調べてみると駒ヶ根市と伊那市にはさまれた宮田村が宝剣山荘から木曽・駒ヶ岳の山頂までをもっていて、千畳敷から宝剣岳は駒ヶ根市という行政境界になっているのです。
これまでは山頂の陰にある頂上木曽小屋が素朴な山小屋らしくて何度か泊まってきましたが、あちらは伊那谷ではなくて木曽谷側の上松町の領域。
ともかく今日は宝剣山荘に泊まることにして、夕食の前に宝剣岳往復です。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 15時11分=伊藤 幸司
宝剣山荘からすぐそばに見えるのが宝剣岳の岩峰です。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時00分=伊藤 幸司
この日ここでぜひやりたかったのは、今年順次試みている「クサリ場でのセルフビレイ」です。そのため、必ずしも危険を感じない場所でも動きをきっちりやってもらって、装備と動作の手直しを、私にチェックさせてもらいたいという、少々面倒くさいことをお願いしたのです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時10分=伊藤 幸司
ここでは(ほんの1か所だけだと思うのですが)落ちると命にかかわる部分があって、そこに鎖が張ってあります。だから安全なのですが、岩が濡れていたり、強風に吹かれていたり、あるいは集中力が途切れていたりすると、万に一つということが起きかねません。
でもいちばん重要なのは恐怖です。高所恐怖症の人は、たぶん、股ぐらのあたりがスースーして頭がカラカラと回ってしまっているのではないでしょうか。
……お前さん、高所恐怖症か? といわれそうですが、最近すこし想像できるようにはなっています。それよりも人生でただ1回、腰が抜けるという感じを味わったことがあります。それは……カナダからアラスカに3,000km下るユーコン川をカナディアンカヌーで3か月下ったときのこと(半世紀前のこと)ですが、最上流で米国グラマン社製のジュラルミン・カヌーを橋桁にぶつけてオシャカにしました。でもそれは事故でしたから腰が抜けるというような余裕はありませんでした。
もうすこし詳しく説明させていただくと、ユーコン川の上流部に有名な瀬がありました。日本の三大急流と呼ばれる富士川、球磨川、最上川と同様に、荷物を積んだ船を上下させるために苦労したという意味で有名な急流部(通常川の中流部に出現します)と同じ構造ですから、小さなカヌーで下るのに大した問題はないのです。そのときは地元の船大工が作っていた伝統的な布張りの木造カナディアンで、フレートタイプ(貨物船)と呼ばれる大型カヌー、それに4馬力の船外エンジンを予備としてつけていました。だからさらに簡単なのでした。
そのとき、私たち3人は探検部のOBで、私は坂野皓という後輩の監督デビュー作(後に海外ロケのテレビディレクターとして活躍。故人)にスキッパー(艇長)として参加していたのです。
ちなみにジュラルミン製カヌーを潰した最初の事故の場所はチャップリンが映画「黄金狂時代」で海側から氷河を越えて下ってくるあたりでした。そこからだいぶ下った黄金郷にほど近い中流部のその瀬では、いい絵をとりたいと気張って、ルートどりを入念に打ち合わせていたのです。
そうしていよいよカヌーに乗り込む段になって、股ぐらがスースーして、力が抜けていったのです。腰が抜けるとはこういうことかと、その瞬間、感じたのです。でもカヌーが岸を離れたら、その瞬間にスースー感は消えていましたけれど。
なんで長々と書いたかというと、私の目に「危険な場所」と見えるところで「走ったり」「跳んだり」する人(そういうふうにしたがっている感じの人)が時々いるのです。そういう人への注意を怠ると何が起きるかわかりませんし、何かが起きる可能性はゼロではない(かなりある)と思うのです。
10人に1人、あるいは10回に1回の確率、あるはいはその10分の1、100分の1の確率でも、私は「危険の兆候」を見たくないのです。
事故が起きるかどうかはともかくとして、不安な要素をほとんど消し去るためには、面倒でも高所作業の安全確保に近い絶対的安全主義を掲げないと、単なる「不安」の可能性を感じただけで計画の自由が束縛されてしまいそうです。若い頃には「なんとかなるはず」と思ったことを「どにもならないかも……」と思うようになったからでもありますが。
でも私を含めて、平均年齢が70歳前後となり、登山道という不整地を歩くだけでも神経を使っている人が増えているのは確実です。ですからクサリ場での「安全確保」というより「不安の除去」には万全を期したいと考えて、私なりのテストを繰り返してきたのです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時11分=伊藤 幸司
これまでは、登山用語で「プルージックコード」というロープの輪をリーダーの私が何本か持っていて、クサリ場で握力が必要なときや、一瞬動きが止まってしまう人がいそうなところ、クサリに重心がかかると振られるようなところ、その他安全対策が施されていることが心理的な安全を表現できるところに設置する準備だけはしてきました。クサリを直接握るのではなく、電車の吊革のように指の関節を使ってぶら下がることで、安全度が格段に増すからです。
そのプルージックコードを各自がそれぞれ持って、クサリの全域で「常時接続」する確実で簡便な方法を洗練させたいと思っているのです。
動作上、やっかいな問題のひとつは、クサリは屈曲点ごとに支柱に固定されていて、プルージックコードをそこで付け替えなければならないということです。一番簡便な方法はそこで付け替えればいいのですが「常時接続」を厳密に維持したいなら2つのプルージックコードを用意して次のクサリにかけたプルージックコードでカラダを固定してから不要になったものを取り外すという手順を守らなければいけないのです。それを厳密にやってみてもらいました。
写真のこのあたりが一番高度感があってできれば早く通過したいところです。完璧な安全策をとるということは、そういう恐怖感情を「安全」でカバーできるかどうかということにもなります。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時14分=小林 美子
カラビナを使って安全確保の練習
最初は身体に結ぶロープも結ぶ事が出来なかったので
ドキドキだった。
何度かやっているうちに、クサリ場ではカラビナで身体にしっかり結びついていれば安心である事がわかってきた。
杭があってロープを付け替えるとき、時間はかかるけどちょっと楽しいかな 、と
余裕もでてきた。
でも、私達はあまり登山者がいない時が多いので、練習ができるが登山者が大勢いる時はどうだろう・・
迷惑をかけてしまうだろうなぁ〜
もっと、早く出来なくては
使えない。
ここでは、もうすぐ山頂。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時15分=伊藤 幸司
プルージックコードは強い力で引っ張るとクサリにからげた部分が締まって、完全に止まります。それをカラダから伸ばしたロープにつなげれば足が滑ってもカラダはぶら下がる……というわけですが、そこからも難問が発生するのです。
私の時代にはロープをカラダに固定するときには腰に回したロープの先端を「ブーリン結び」というので固定するというのが標準的でした。ところがそれには2つの大きな問題があって、結び方を間違えると非常に危険なことと、腰に一巻きしただけでは、いざカラダが落下したときに頭が下になって抜けるとか、抜けないにしても身動きとれなくなるなど、事故の事例もあったことです。
今でも「ブーリン結び」と教えられている人がいますが、いまでは「ボウラインノット」(もやい結び)という呼び名が(たぶん)標準で、結び方も船をロープ1本でもやうときと同様、実にシンプルに覚えられます。
ボウラインノットは岩登りの現場ではさらにダブルエイトノットの時代に完全に移行していますが、私はそこまでいきません。それよりも2つ目の問題、いざという時にカラダの上下がひっくり返るとか、カラダが抜け落ちてしまうのをどうするかがもっと大きな問題だからです。
そこのところどうなっているのかというと今では岩に取り付く人は全員「登山用ハーネスベルト」を装着していると考えていいでしょう。簡易型の「安全ベルト」もありますが、私はほとんど使わない「非常用」装備として、なんとかスリング(私の場合はできればシンプルな登山用補助ロープですませたいのですが……)で簡易ハーネスか、それより簡便な安全ベルトを「糸の会標準仕様」として決めたいと考えているのです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時15分=伊藤 幸司
こんなことをやっていたらクサリ場はたちまち大渋滞になります。でもやると決めたら、何が起きても、起きなくても、きちんとした手順を守らなくてはいけないのです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時16分=伊藤 幸司
煩雑な作業をきちんとやる、ということは、無理なんです。「煩雑」ではいけない。そのためには難しい作業をスムーズにやるだけでなく、易しくできる作業を難しくしないことも大切です。
たとえばこの写真のように、スムーズに歩ける場所で、いかに余分な注意をクサリにとられずに済むかということも重要な技術課題になるのです。つまりプルージックコードを滑りやすい、ゆるゆる状態(安全状態)でロープを滑らせていくにはどうしたらいいのか、です。引っ張ればクサリに食い込む輪の部分をすこし広げた状態で滑らせていく、ということも重要です。
でもここはひょっとすると観光客まで紛れ込んでくるかもしれない場所で、落ちると日本アルプスにしばしばある高度差のある岸壁。だからロープを細かく区切って「階段の手すり」の感覚で使えるようにしてあります。それだからプルージックコードの付替えが小さな区間ごとに必要になるのです。この写真の中にもクサリの支点は3つあります。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時21分=伊藤 幸司
先頭を歩いている人はストックを右手に2本まとめて持っています。このちょっと上で1本落としたのでそうなってしまったかもしれないのですが、岩場では谷側のストックはものすごく有用です。おそらく多くの人はこんなところでストックを使っていると「危険でしょ」とやらせているリーダーを非難します。昔はベテラン登山者のほぼ全員がそういう目で見ていましたが、いまでもまだ多くの人がそういう目で見ていますし、巡視している自然監視員の人は必ず注意してくれます。「危険ですよ、やめなさい」と。
でも、登山用ストックの先端は岩を突くための非常に鋭利な刃物なのです。それを作ったひとの意図を完全に無視した道具論が登山という私が非常に知的な世界だと思っているところですでに20年以上まったく変わらないのはどうしてでしょう。
この写真のストック2本を右手に持っているのがどうしていけないのかというと「谷側のストックが100%の働きをしなくなる」からです。本来なら山側の手をハンドホールドとして活用し(ここではクサリを利用しています)谷側の手は約110cmから120cm延びた状態で補助として使えるからです。
言い訳半分で書き加えると、北アルプスなどの岩稜では当初からストックは1本にしてしまいます。それを谷側で使うのですが、利き腕でないほうが谷側になるとストックの実力は(糸の会のみなさんの場合)半分以下に落ちると考えます。じつはかつて、雨の日にストックを1本にして片手で傘をさしながら歩く実験を繰り返したところ、ダブルストックが実質的には利き手だけのシングルストックに近い人が多いとわかって愕然としたことがあります。それを直すのは至難の業ですが……。
ここではまた別の理由で、ストックを1本にする合理性より、ダブルで持ったまま、たまたま山側になったストックは(握らずに)ベルトで腕にぶら下げたまま、それを余裕をもってさばいているかという「余裕度」の観察をさせてもらいました。心理的に余裕のない人はストックがその兆候を増幅させて見せてくれますから。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時23分=伊藤 幸司
クサリ場でもし足が滑ったら、こういう状態になるのです。クサリの太さはいろいろですが、石槌山の大鎖のようなものでないかぎり、ほとんど同じ状態でストップします。
写真下に見えている黒いロープが私のカラダ側で、2つのロープを繋いでいるカラビナに、ここでは安全環(ロック装置)がついていません。「落下」という衝撃を想定しないシステム構成なのですが、もちろん安全環つきカラビナの使用が大前提です。すみません。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時33分=小林 美子
山頂の賽銭箱
入れた様な、入れなかった様な、記憶がありません。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時34分=伊藤 幸司
宝剣岳山頂です。ここではロープは腰上に巻いているだけですが、ザックを背負っている場合に、支点がザックの肩ベルトあたりにくるような仕掛けをいろいろ考えて、試しているところです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時35分=伊藤 幸司
これはロープのないところ。2番めの人が右手で岩を直接ホールドし、谷側の左手でストックを使っています。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時42分=伊藤 幸司
下りも同じように丁寧過ぎる安全策をとってもらいましたが、格段にスムーズになりました。
私は6mmの登山用補助ロープを基本と考えて準備していますが、皆さんに購入していただく場合には平織りベルト製の登山用スリングになると思うので、そんなことも考えながら見ています。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時53分=伊藤 幸司
宝剣山荘からの登り口を最後に下ってきました。ロープをつけないと、みなさんたちまち元気になったかに見えました。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 16時57分=小林 美子
ガスの中下山開始
下り始めの所だけ、危険箇所 だけカラビナを使って
慎重に下ります。
ギリギリで夕食にまにあいました。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】1日目 17時10分=伊藤 幸司
夕食はまあまあでした。エビフライが「2本もある」というのは山小屋では「たっぷり感」という評価になります。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】1日目 17時10分=伊藤 幸司
食堂はこんな感じ。山小屋を知らない人はかなり悲惨な安食堂と見えるでしょう。糸の会では23年間に毎月1〜2回は山小屋(かそれに準じる旅館)に泊まってきましたが、おかずを持ってきたことは限りなくゼロ。「美味しかった」とか「まあまあ」とか「なんとか全部食べられた」とか、評価はその時々で違いますが「元気なら完食」か「お代わりあり」で、残した人は「体調が悪いかも」というのが評価の範囲(もちろん最悪の評価の山小屋を避けられない場合もありましたが)。
じつは1993年の記録的冷夏によるタイ米の大量輸入が山小屋の食事にまで影響をおよぼしたのですが、そのときのことを燕岳(つばくろだけ)の燕山荘(えんざんそう)で取材したことがあります。厨房はプロパンガスと自家発電の電気で、圧力鍋と冷凍食品が基本。もし24時間発電ができれば冷蔵庫も使えるのだけれど(ソフトクリームも出すことができる)という話でした。そしてその年、業務用として割り当てられたタイ米を使うために料理を工夫して、なんとか弁当にも使えるところまでできた、と思うとのことでした。
燕山荘は街から今日上がってきたような若い女の子が喫茶室でビール、コーヒー、そしてチーズケーキなどを出してくれるので有名ですが、食事は抜群とはいえません。有名山小屋の標準的なところ……でしょうか。でも山小屋は冬にはスキー場で働く場を確保して、ホテル業などにも進出しているので、メニューの開発力は「地方のファミレス」レベルかな? と感じました。
ちなみに裏町の名店みたいな山小屋だと感じたのは金峰山(きんぷさん)の金峰山小屋(きんぽうさんごや)、南アルプス・北沢峠の仙水小屋、先代の時代にはすごかっただろうなと思わせる北アルプスの船窪小屋あたりをまず思い出します。
それから巨大ホステルとして山小屋なのに特別食を用意しているのが白馬岳(しろうまだけ)の白馬山荘(はくばさんそう)と村営の白馬岳(はくばだけ)頂上宿舎。宿泊定員は両者合わせると約1,200人ですが、定員の数え方が違っていた20年前にはその倍が定員で、私が体験した1996年7月27日には登山道でカウントしていた(たぶん村の)監視員が「5,000人までカウントした」という登山者が白馬岳山頂の2軒の宿に泊まったのです。そのときのようすは『がんばらない山歩き』(講談社・1998年)に書きました。ただし特別食を出し始めたのは1991年の夏に白馬山荘が「白馬スカイプラザ」というレストランを開いてから。私はたまたまそのオープンの日にテレビ朝日の仕事で白馬岳に登っていたので、オープン直前のテストに客となってステーキを食べさせていただきました。のちにライバルの白馬岳頂上山荘でも宿泊料にアップすることでステーキを食べられるようになりました。山小屋の「ホテル化」の最先端が白馬岳の山頂で見られます。
この写真からは想像できないでしょうが。山小屋も一言で言えないほどいろいろあるんです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 17時41分=伊藤 幸司
宝剣山荘の玄関前から見た宝剣岳。一番高いところが山頂です。登山者のところから細いクサリをたどっていくと、右に延びています。そこから裏側に回って、完全に向こう側から登るのです。

木曽駒ヶ岳登山 天狗岩
【撮影】1日目 17時45分=小林 美子
天狗岩です。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時45分=伊藤 幸司
この日の日没時刻は長野県で17時50分。月がきれいに見えていました。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時50分=伊藤 幸司
県庁所在地の日没時刻(17時51分)になりました。ところが雲が邪魔して見えそうで見えない……。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時55分=伊藤 幸司
でも待っていたら見えそうで、見えそう。標高2,900mという高地から見下ろしているので、地平線や水平線に夕日が落ちるまでにはまだほんの少々時間があるのかもしれません。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時57分=伊藤 幸司
太陽は完全に沈んだけれど、目の前にあった雲はいつのまにか消え失せて、大きな舞台で光が踊り始めました。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時59分=小林 美子
雲海を眺めながら 、空が赤くなり、太陽が沈んでいく、
絶対、同じ景色は2度とない。毎回こんな夕焼けもいいんじゃなぁ〜い・・と
満足します。
今度はどんな夕陽に出会えるかな?

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時59分=伊藤 幸司
舞台で踊っている光のひとつを超望遠で捉えてみました。風も感じながらフラフラと立ったまま撮ったのでブレていますが、こんな夕景は初めてです。

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 17時59分=伊藤 幸司
広角に戻したら手前の雲も、消えたわけではなくて、ちょっと下がってくれただけ。前の写真でアップで撮った光の踊り子は(3人だとすれば)一番右。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】1日目 18時01分=小林 美子
宝剣岳山頂とお月様
明日もよい天気でありますように!!

木曽駒ヶ岳登山 夕景
【撮影】1日目 18時01分=伊藤 幸司
足元の雲海を主役にして撮ればこんな景色です。

木曽駒ヶ岳登山 天狗岩
【撮影】1日目 18時04分=伊藤 幸司
宵闇が忍び寄る宝剣岳の山頂を撮ったら、月がその真上にありました。そして宝剣を背にした天狗岩。なかなか良くできた造形ですよね。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】1日目 18時40分=伊藤 幸司
この小屋の二段ベッドは奇妙キテレツ。普通なら奥行きを広げて4〜6人が寝られるところが、ここでは長い方に2人……のはずが、頭合わせだとキスしてしまいそうな寸法。おまけに半身を起こそうとすると頭がゴツン。半端な寸法やむなしと作った部屋があるのは山小屋だからしょうがないとして、ガラガラのこの時期に、そういう部屋をわざわざ使わせてくれるという遊び心。ときどきあるんです、そういう発見が。

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 05時01分=伊藤 幸司
朝は4時30分に宝剣山荘を出て、標高2,911mの水準点あたりまで、日の出を見に行きました。
伊那谷を挟んで南アルプス。そして富士山。街の明かりがまだちらほら。

木曽駒ヶ岳登山 駒ヶ根
【撮影】2日目 05時11分=伊藤 幸司
足元に見えているのは、駒ヶ根市の広がりなんでしょうね。前の写真を見直せば、目を上げればちょうど富士山が見えてくる方角なので、駒ヶ根に間違いはないようです。

木曽駒ヶ岳登山 南アルプス遠望
【撮影】2日目 05時12分=伊藤 幸司
35mmサイズで21mmという超広角にすると、南アルプスが全山見えました。左端の三角形がこちら側からだと東駒と呼ばれる甲斐・駒ヶ岳、いったん下って登り直した緩やかな山が仙丈ヶ岳、その右に、三角形に見えるのが(通常の印象より鈍角ですが)北岳、右に間ノ岳、農鳥岳と3,000m峰が並んで白根三山、そして富士山になります。
富士山のすぐ右に盛り上がっているのは塩見岳、そこから緩やかに下って、また登ると悪沢岳、前岳(荒川岳)、そしてすこし下ってから登り返すと赤石岳。その赤石岳からぐずぐずと伸びて最後のフタコブに見えるのが聖岳。しばらく離れて写真右端に近いところに光岳(てかりだけ)があります。
ここに見えている南アルプスのピークを高い順に並べると北岳=3,192m、間ノ岳=3,189m、悪沢岳=3,141m、赤石岳=3,120m、中岳=3,083m、小赤石岳=3,081m、前岳=3,068m、中白根山=3,055m、西農鳥岳=3,051m、塩見岳=3,047m、仙丈ヶ岳=3,033m、農鳥岳=3,026m、前聖岳=3,013mと3,000m級のピークがずらりと並ぶ日本一の山脈です。

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 05時19分=小林 美子
遠くに富士山
ボケてしまいましたが一応証拠写真です。

木曽駒ヶ岳登山 日の出
【撮影】2日目 05時20分=小林 美子
寒いので、岩の影で風を防ぎながら、日の出をまちます。さむ〜〜い😖

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 05時23分=伊藤 幸司
富士山はやはり大きい。遠くから見れば当然小さくなるのですが、存在感としては大きく感じるというマジックをいつも感じます。中央アルプスからの存在感がこれですが、北アルプスからだって堂々たる「富士山」として風景を引き締めてくれます。

木曽駒ヶ岳登山 甲斐駒ヶ岳遠望
【撮影】2日目 05時24分=伊藤 幸司
これは「西駒」から見る「東駒」。どちらのピークも長野県に属していて、あちらの駒ヶ岳の山頂のあちら側は山梨県。だから私たちはあちら側を表側と感じて「甲斐駒」という名で馴染んでいます。
それは富士山を巡る山梨県と静岡県との関係に近い国境問題だと思います。富士山の「八合目以上」は富士宮の富士山本宮浅間大社の境内地なのですが、山梨県はその最高裁判決を受け入れていないのです。だから国土地理院の地形図では県境が描かれていません。富士山本宮浅間大社の境内地の面積も確定できないので、登記もされていないという状況を拙著『富士山・地図を手に』(『岳人』連載。東京新聞出版局・1980年)に書きました……が、山梨県の県道として吉田口登山道は山頂まで伸びています。でもよく見れば八合目以上の山小屋は静岡側の経営になっています。
かつて「表富士」は東海道の駿河側からでしたが、江戸時代に富士講が盛んになって「北面の富士」が圧倒的存在感を示すようになりました。
たぶん、この写真も、今では「甲斐駒の後ろ姿」というイメージではないかと思います。
標高2,966mの甲斐・駒ヶ岳の山頂から右に下ると、最低鞍部がバス停のある北沢峠(標高約2,500m)になります。その標高差約450mがこの写真ではよく見えています。
右に下り始めて最初のまろやかなピークは、ここに見えている稜線上ではなく、山体の向こう側にへばりついているかたちの摩利支天(標高約2,820m)の頭です。摩利支天へは甲斐駒山頂への道の途中から寄り道できます。そのすぐ下に見えるのが駒津峰(標高2,752m)で、仙水手峠から登ってくる道との合流点になります。
駒津峰から気持ちのいい下りがあって、樹林帯に入ると次のピークが双児山(標高2,649m)となり、そこからは北沢峠まで南アルプスらしい深い樹林帯をジグザグに下ります。

木曽駒ヶ岳登山 八ヶ岳遠望
【撮影】2日目 05時26分=伊藤 幸司
富士山が見えて、南アルプスが見えていれば、まずまちがいなく八ヶ岳連峰も見えています。
左端に孤立しているのが蓼科山、右に北横岳があって、浅い鞍部に北八ヶ岳ロープウェイ(以前のピラタス蓼科ロープウェイ、さらにその前はピラタス横岳ロープウェイ)の山頂駅があります。ゆっくり盛り上がって縞枯山、茶臼山のあと大きく凹んで最低鞍部となったところが国道最高所の麦草峠。そこからふたたび登り返して天狗岳、根石岳のあとの落ち込みが夏沢峠。そこから南八ヶ岳となって、硫黄岳、横にギザギザの横岳、その右に尖っているのが最高峰の赤岳、赤岳の手前側には阿弥陀岳があるので見えている山体のほとんどは阿弥陀岳かもしれません。下ったところがキレットと呼ばれる鞍部で、そこから持ち上がって権現岳、編笠山と下ります。

木曽駒ヶ岳登山 槍ヶ岳・穂高岳遠望
【撮影】2日目 05時33分=伊藤 幸司
後ろを見れば槍ヶ岳。槍ヶ岳は標高2,000m級以上の山に登ってきた登山者なら、まず富士山と同等、あるいはそれ以上のランドマークとなっているはずです。でもここでは背後に風よけの岩峰があったので、その脇から振り返るまで見えませんでした。
槍ヶ岳から左側に並ぶ凸凹は手前側に前穂高岳があって、背後の北穂高岳と重なっているようです。一番高いところが奥穂高岳(標高3,190m)で、その左の突起がロバノ耳とジャンダルム(標高3,163m)。下って天狗岩(標高2,909m)、間ノ岳(標高2,907m)、があって、西穂高岳(標高2,909m)は最後の高まり。糸の会では西穂高岳までしか行っていません。

木曽駒ヶ岳登山 日の出
【撮影】2日目 05時37分=伊藤 幸司
長野県(長野市)の日の出は5時32分。太陽がようやく雲の上に出てきました。

木曽駒ヶ岳登山 日の出
【撮影】2日目 05時37分=小林 美子
あっ、でた!
朝日がやっとでました。

木曽駒ヶ岳登山 日の出
【撮影】2日目 05時38分=伊藤 幸司
気温を測りませんでしたが、素手だと軽くかじかむ感じがしたので10度C前後だったと思います。じっとしていると岩陰から出られないという感じ。標高2,900mの高所ですから、夏に日の出を見るときにはおおよそこんな感じ。持ってきた服を全部着込んでくるというのが常識的判断です。

木曽駒ヶ岳登山 日の出
【撮影】2日目 05時38分=伊藤 幸司
太陽は完全に昇ってしまいました。みごとな快晴故に、ドラマとしてはシンプルでした。太陽は南アルプスの鋸岳のあたりから出て右に南アルプス、左に八ヶ岳が延びています。

木曽駒ヶ岳登山 八ヶ岳遠望
【撮影】2日目 05時39分=伊藤 幸司
今朝の八ヶ岳連峰。左の蓼科山から右端の編笠山まで全部見えています。

木曽駒ヶ岳登山 南アルプス遠望
【撮影】2日目 05時39分=伊藤 幸司
今朝の南アルプス。左端の甲斐・駒ヶ岳から右端の光岳(てかりだけ)まで、主要なピークが全部顔を見せています。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】2日目 05時41分=伊藤 幸司
今朝の宝剣岳と宝剣山荘。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】2日目 05時41分=伊藤 幸司
朝日が当たり始めた千畳敷カール。遠方に見えるのは空木岳。木曽駒ヶ岳から空木岳の縦走を試みたことがありますが、私たちには1日では踏破できず、木曽殿山荘で、かろうじて泊めてもらうことができ、ホッとしたことがあります。健脚の度合いを厳しく求められるルートだといわれています。
最初に宝剣岳を越える時間で、空木岳への道のどのあたりまで行けるかがおおよそ判断できるとわかりました。私たちはその日千畳敷カールから上がってくるもうひとつのルートとの分岐、極楽平までで予定より1時間遅れていました。同じような遅れが何か所かで発生し、それを取り戻せるような歩きやすい稜線があまりなかった、ということなのです。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】2日目 05時42分=小林 美子
朝日にてらされた
千畳敷ロープウェイ駅
日本最高所駅(2612m)
ホテル千畳敷もみえます。

木曽駒ヶ岳登山 千畳敷カール
【撮影】2日目 05時43分=伊藤 幸司
千畳敷カールの道がよく見えます。昨日、私たちはロープウェイ駅から上の道をこちらに向かい、下からの道との合流点からさらにこちらへと登ってきたのです。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】2日目 05時45分=伊藤 幸司
宝剣岳と、宝剣山荘と、天狗荘。朝の光が順次広がっていくところでした。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣山荘
【撮影】2日目 05時56分=伊藤 幸司
朝食も標準的。ご飯を2杯食べるには最初にちょっと考える程度のことは必要です。
白山山頂部の巨大施設・白山室堂の食堂では、ほぼ同等の朝食ながら、漬物やふりかけ、梅干し、ラッキョウなどが大瓶に入れられてドンと置かれているので、ご飯お代わりに対するおかずの配分にはまったく悩みが生じません。あそこまでド〜ンというのは珍しいとしても、そういう山小屋はけっこうあるので、経費的にとても無理ということではないように思われます。そういう何か、があると大方の登山客に芽生える大人げない小さな不満は消えるのだと思いますが。

木曽駒ヶ岳登山
【撮影】2日目 06時40分=伊藤 幸司
宝剣山荘の裏側にはシモバシラが立っていました。

木曽駒ヶ岳登山 中岳
【撮影】2日目 06時43分=伊藤 幸司
まずは中岳に向かって登ります。空には気性の激しそうな雲が湧き出していました。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳
【撮影】2日目 06時55分=伊藤 幸司
宝剣岳の山頂部分には登山者が立っています。宝剣山荘の玄関前にもひとり。この写真で見つけた登山者はその2人だけです。

木曽駒ヶ岳登山 御嶽山遠望
【撮影】2日目 06時55分=伊藤 幸司
御嶽山がありました。標高3,067mという日本有数の高峰ですから、3,000m峰の仲間に入らないこちらよりエラい。まだ朝霧が漂っているのは木曽谷です。

木曽駒ヶ岳登山 南アルプスと富士山遠望
【撮影】2日目 06時56分=伊藤 幸司
再び南アルプスと富士山ですが、今度は手前に伊那前岳がそびえています。日の出を眺めた道の先にあった山です。

木曽駒ヶ岳登山 中岳
【撮影】2日目 06時57分=伊藤 幸司
中岳の山頂にあった岩。きっと名前があるのでしょうが、わかりません。

木曽駒ヶ岳登山 山頂遠望
【撮影】2日目 06時58分=伊藤 幸司
中岳の先に駒ヶ岳の山頂が見えてきました。神社を囲む石垣が見えています。鞍部にあるのは頂上山荘。宝剣山荘、天狗荘と合わせて宮田(みやだ)村の三兄弟。ここにはテント場があります。
写真をよく見ると小屋前の広場に緑と白のテントがあり、岩に半分隠れたかたちで赤いテントも見えています。

木曽駒ヶ岳登山 中岳
【撮影】2日目 07時07分=伊藤 幸司
最後の登りにかかりました。振り返るといま下ってきた中岳がそびえていました。一番高い大岩の脇から下ってきたことになります。

木曽駒ヶ岳登山 八ヶ岳遠望
【撮影】2日目 07時19分=伊藤 幸司
登る斜面の向こうに八ヶ岳連峰が見えていました。左の蓼科山から右の編笠山あたりまで、全山が見えています。たまたま雲の上限が森林限界のすこし下なので、見えている部分がおおよそ岩稜の部分と考えられます。左半分がほとんど雲の下(樹林帯)にあることから、北八ヶ岳が冬にも安全に歩ける山だとわかります。
なお、登っている足元の斜面がここに写り込んでいますが、その角度は画面内の下側で約20度、上側で約30度。登山道との関係でこの斜面の傾斜が非常に重要になります。

木曽駒ヶ岳登山 山頂
【撮影】2日目 07時24分=伊藤 幸司
いよいよ「木曽・駒ヶ岳」の山頂。地元では「西駒」です。
中岳から見た山頂部分はまろやかな印象でしたが、このとおり。傾斜が緩やかなので、ほぼ真っすぐ登っていきます。

木曽駒ヶ岳登山 山頂 木曽駒ヶ嶽神社
【撮影】2日目 07時25分=伊藤 幸司
山頂には立派な神社がありました。
『長野県の神社建築情報サイト・おみやさんcom』に『木曽駒ヶ嶽神社』がありました。
【中央アルプス木曽山脈の最高峰、駒ヶ岳の山頂に鎮座する2つの社殿のうちのひとつ。
2つの社殿は木曽側にあるものは木曽駒ヶ嶽神社、伊那側にあるものは伊那駒ヶ嶽神社と呼ばれている。
麓に位置する木曽郡上松町の徳原春安によって1532年に建立されたと伝えられている。
社殿は木造で、鰹木と千木を付けた平入の切妻造。扉の前に狛犬を置いて、周囲に石柱を立てている。周囲にも石柱を立て、丸太の神明鳥居を建てている。
山頂にふたつの社殿があるため、伊那駒ヶ岳神社と合わせて登頂記念に参拝する人も多い。】
おなじ「おみやさんcom」に「伊那駒ヶ嶽神社」もありました。
【中央アルプス木曽山脈の最高峰、駒ヶ岳の山頂に鎮座する2つの社殿のうちのひとつ。
2つの社殿は木曽側にあるものは木曽駒ヶ嶽神社、伊那側にあるものは伊那駒ヶ嶽神社と呼ばれている。
1338年に高遠家親が開設し、八社大神を祀り、1532年に木曽郡上松町の徳原長大夫春安が駒ヶ岳神社を建てたという。
伊那谷側の宮田村から登るルートと、木曽谷側からのルートがあるが、木曽からは信仰も盛んで建造物も多く残っているそうだ。
建築様式は三間社流造。
登山記念に参拝していく登山者も多い。】
じつは山頂の標識を挟んでもうひとつあったのが伊那駒ヶ嶽神社だったのですが、私はきちんと撮っていませんでした。私の写真では「07時28分」のものに伊那側の神社が写っています。
ちなみに千畳敷のロープウェイ駅の前にあるのも駒ヶ岳神社でした。
『中央アルプス・イラスト山岳マップ』にその『駒ヶ岳神社』がありました。
【山頂には、古来からの神社が木曽側と伊那側のふたつの神社ある、木曽側と伊那側又それぞれ里宮があり、氏子もいて祭典も行われ、神社庁にも登録されている。
山頂にあるふたつの神社の神官によけぱ千畳敷に分社したことはないと明言している。
したがって千畳敷の信州駒ケ岳神社には、大山祇大神(オオヤマツミノオオカミ)と、天照大神をロープウェイ開通時に設置され、ロープウェイの安全を祈願するために祭られた。大山祇大神は、天照大神の兄神であり、「山」の守護神として崇められております。
神社としては神社庁の規格を満たしておらず、又県の神社登録にも申請されておらず神社としての規格を満たしいてない。言ってみれば観光会社の商業ベース的な祝い殿である。】
すなわちこれが木曽駒ヶ岳山頂部に領有権を持っている3つの市のひとつ、駒ヶ根市の駒ヶ岳神社ということになるのでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 北アルプス遠望
【撮影】2日目 07時26分=伊藤 幸司
御嶽山から右手に目を転じると槍ヶ岳がパッと目に飛び込んできます。いかがですか? この写真で槍ヶ岳が「パッ!」という人は、関東周辺の山からでも北アルプスがチラリと見えれば「槍の穂」を探している人でしょう。糸の会でも、まさにこの写真から槍の穂先がピンと飛び込んでくるようになるまでには、3回ぐらいは教わらないといけないでしょうかね。
写真の右から1/3ほどのところに小さいけれどピン! と尖っているのが槍ヶ岳です。冬になると北アルプスの稜線は真っ白になるのに、槍の穂だけは黒々とそびえているので見つけやすくなります。
槍から左に高まっているのが穂高連峰。一番高いのが奥穂高岳です。「おくほたかだけ」と濁らないのが正式名称で穂高(ほたか)側、すなわち長野県側の呼び方です。ちなみに岐阜県側の固有名詞としては新穂高(ほだか)温泉、穂高(ほだか)岳山荘などがあります。
奥穂高岳からガクンと落ちたところに(もし拡大できれば)3つの峰が並んでいますが、その左端が西穂高岳といっていいでしょう。
ちょっと薄い色で横に長い稜線を延ばしているのが笠ヶ岳です。オリジナル写真を拡大してみるとその向こう側に黒部五郎岳がチラリと山頂を見せていますし、その右には西穂高岳の裏へと延びていく薬師岳の稜線も見えますが、ここでは抜戸岳から笠ヶ岳へのあの不思議な稜線がきれいに見えます。そして左端にあるのが乗鞍岳(標高3,026m)。
槍ヶ岳から右手へは手前側に国土地理院の地形図によると大天井岳(だいてんじょうだけ)。登山用語では「おてんしょうだけ」が一般的だと思いますが、山頂にある山小屋の名は大天(だいてん)荘。
『燕山荘』グループの『大天荘』には次のように書かれています。
【大天井岳名前の由来
安曇野から見た最高峰が大天井岳です。高いところには神様がいるという意味で御天所(おてんしょ)。高いという意味で大天井(おおてんじょう)の二つの意味を持ち、「オテンショウダケ」または「オオテンジョウダケ」どちらでも正しい読み方です。】
大天井岳と重なりつつ並んでいるのが常念岳。美ヶ原の王ヶ頭ホテルの送迎車で松本盆地へと下っていくとき、下るに従って槍ヶ岳を隠すようにそびえ立ってくるのが常念岳、松本の人たちが日々目にする北アルプスのピラミッドがその常念岳なんだそうです。
この写真でははっきりしない大天井岳と常念岳ですが、その向こうに見える山並みは立山連峰と剱岳。薬師岳から3日(ないし4日)の距離です。

木曽駒ヶ岳登山 山頂
【撮影】2日目 07時28分=伊藤 幸司
山頂から東側を見ると、ありました、富士山。日の出のときに見た南アルプスがまだはっきりと見えています。
ちなみに先に見えている社が伊那駒ヶ嶽神社。その先のピークが伊那前岳。

木曽駒ヶ岳登山 山頂
【撮影】2日目 07時28分=小林 美子
7時前に小屋を出て
もう、木曽駒ヶ岳山頂です。山頂からの富士山です。

木曽駒ヶ岳登山 御嶽山遠望
【撮影】2日目 07時29分=伊藤 幸司
御嶽山をもう一度きちんと見ておきたいと思いました。
中腹の2か所にスキーゲレンデがあります。左側が「おんたけ2240スキー場」で、ゲレンデの最上部までバスが登ります。七合目の田ノ原です。そこから最高峰の剣ヶ峰まで登るのが最短ルート。
2014年の噴火前の話になりますが、その剣ヶ峰に信者が泊まる宿坊ふうの山小屋が2軒あって、石段をトントントンと登ると御嶽神社頂上奥社境内に最高地点標高3,067mがあります。そこは北から東に向かっての素晴らしい展望台で、北アルプスを真南から眺めるという特別な視野を獲得します。
でも御嶽神社は一般的な神社と少し違って、御嶽山のあちこちに講社と呼ぶような、あるいは教会と呼ぶような個別の参拝施設があって、崇拝神ではなく、指導者という雰囲気の立像があったりするのです。
『王滝観光総合事務所』の『いのち呼び覚ますところ』に『御嶽信仰と御嶽神社』というページがありました。サブタイトルは『御嶽山を開山した覚明と普寛。神仏混合信仰』となっています。
【御嶽山信仰の歴史は、遠く平安・鎌倉・室町時代に興った民間信仰と山岳信仰が結びつき、御嶽山も最初は修験道の場として独自の山岳信仰として栄えるようになったといわれています。そして徐々に厳しい修行を重ねた道者といわれる人々が集団で登拝することが風習となりました。そんな中、1784年(天明4年)に尾張の行者・覚明(かくめい)によって三岳村の黒沢口が開かれ、続いて1794年(寛政6年)には武蔵國の行者・普寛によって王滝口が一般民衆に開放され、これを機に木曽周辺で留まっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと広がっていきました。
そして明治維新後、神道がわがくにの宗教とする祭政一致の政策がとられ神仏分離が進められることによって、仏像や仏具を持って社前に祀る神社が改められることとなりました。御嶽神社もこれに習い、仏教関連のものを除きましたが、もともと御嶽信仰は御嶽山そのものを信仰するもので、ここを訪れる人は御嶽神社を中心に強く結ばれており、その後も宗派を問わず、独自の講社として神仏混合の形を取りながら今も有数の山岳信仰の場として存在しています。】
とにかく御嶽山にはいたるところに意味の伝わりにくい信仰の碑などがあり、登山者とはまったく違う白衣の信者が子どもも含めて山のあちこちに見られます。そのことにも触れられています。
【御嶽神社と御嶽霊神碑
御嶽神社は、山頂に奥社があり、山麓に里社、王滝村上島に三社、三岳村黒沢に若宮と本社があり、毎年夏になると、白衣姿で参拝する講社と呼ばれる信者たちで賑わいます。国常立尊、大己貴命、少彦名命を御祭神とする御嶽神社は、智恵・才能を授け、長寿を護り、病難を癒し、禁厭を司る霊妙神として祀られています。
また、御嶽山を開いた覚明と普寛は、死後の安住の地を御嶽山と定め、霊魂は御嶽に帰すると歌い残しています。また、御嶽の信者は、死後の霊魂は童子として御山(おやま)に引き取ってもらえると説いています。こうした死後の霊魂の憩いの場を御嶽に求めようとする信仰心が一般に広く浸透し、やがて霊神碑を建立する風習が盛んになったのです。現在、王滝口、黒沢口の両登山道には2万基を超える霊神碑が林立しています。】
木曽の御嶽山はその山全体が信仰のかたまりだというふうに見えてきます。
その全部なのか一部なのかわかりませんが『ウィキペディア』に『御嶽教』がありました。
【御嶽教(おんたけきょう)は奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ。創始者は下山応助とされている。
『宗教年鑑 平成29年版』における信者数は、56,300人。長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。御嶽大神を崇拝する信仰者が集団結合して1882年に立教独立。経典は「御嶽教経典」と、準経典として「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」がある。
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。
修験道を起源としているが、仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。】
2014年9月27日の御嶽山噴火では58人が亡くなり、5人が行方不明になったということで、そのほとんどが登山者というイメージで受け止めたけれど、信仰登山の人々への影響は想像以上に大きかったにちがいないと思われます。
また違う話ですけれど、2007年3月25日に私たちは右側(左右中央)の「御岳ロープウェイスキー場」にいました。ロープウェイで上がると七合目で、その飯森駅にいた時にグラグラ〜ッときました。マグニチュード6.9という能登半島地震でした。(ちなみに2004年10月23日の新潟県中越地震発生時は翌日の白毛門登山を前に、土合山の家で夕食を食べているときでした。)
話を少し戻すと、3月25日に御嶽山にいたのは「御嶽スノーハイク」でした。その頃はロープウェイで上がって、スキーゲレンデの脇の樹林帯をスノーシューで下るというルート探しをしていました。北海道の大雪山層雲峡黒岳ロープウェイには黒岳スキー場から下れる長いスキールートがあって、私たちにもなんとか下れるビッグイベントという感じになりました。八甲田山、蔵王山、北八ヶ岳などは繰り返し楽しませてもらいましたが、八方尾根や御嶽山はゲレンデの外側をたどりにくいスキー場だとわかりました。

木曽駒ヶ岳登山 槍ヶ岳・穂高岳遠望
【撮影】2日目 07時29分=伊藤 幸司
槍〜穂の部分をクローズアップしたら、前後の重なりがものすごくはっきりしてきました。
槍ヶ岳の手前に前穂高岳がくっきりと浮かび上がってきました。すると前穂高岳の山頂と奥穂高岳とを結ぶ美しい曲線、吊尾根が見えてきました。河童橋から見上げる吊尾根を上から目線で見ているということになります。
前穂高岳は槍ヶ岳の左手前に見える黒々としたピーク(I 峰)から右に下るところに(ここでははっきりしませんが)II 峰、III 峰があって、次の突起が IV峰。その次の低い突起が V峰で、その V峰 をはさんで IV峰に似て見えるのが VI 峰のようです。クライマーに人気の北尾根です。
槍ヶ岳から右に下る稜線は東鎌尾根で、ハシゴの連続するその「表銀座ルート」を私たちも登っていますよね。でも背後に北鎌尾根が重なって見えているらしく、稜線そのものの形ではないようなのでご注意ください。
槍ヶ岳から稜線を左にたどると大喰岳、中岳までが見えています。さらにその先に南岳があって〜大キレットという大きな鞍部があって〜登り返すと北穂高岳〜というあたりは奥穂高岳の陰になって見えません。
まろやかで一番高いところが標高3,190mの奥穂高岳です。南アルプスの北岳(標高3,193m)と、ほとんど岩1個分という僅差で日本の高山の2〜3位を争っています。「穂高岳」という代表名で呼ばれるという動きもあるようです。
奥穂高岳から左についてはすでに05時33分の写真で書きましたが、念のためここに引用しておきます。
【一番高いところが奥穂高岳(標高3,190m)で、その左の突起がロバノ耳とジャンダルム(標高3,163m)。下って天狗岩(標高2,909m)、間ノ岳(標高2,907m)があって、西穂高岳(標高2,909m)は最後の高まり。糸の会では西穂山荘から西穂高岳までしか行っていません。】

木曽駒ヶ岳登山 槍ヶ岳・穂高岳遠望
【撮影】2日目 07時30分=小林 美子
こちらは、木曽駒ヶ岳山頂からの槍ヶ岳・穂高岳

木曽駒ヶ岳登山 御嶽山遠望 山頂
【撮影】2日目 07時30分=小林 美子
駒ヶ岳神社から、木曽御嶽山が見える。
4年前9月27日の噴火で63名の犠牲者がでた。
噴火の時も、ここに登山者はいただろう
どんな風に見えたのだろう
自分の事のように、さぞ、
怖かっただろう・・

木曽駒ヶ岳登山 山頂
【撮影】2日目 07時32分=小林 美子
木曽駒ヶ岳山頂

木曽駒ヶ岳登山 山頂
【撮影】2日目 07時33分=伊藤 幸司
木曽・駒ヶ岳山頂での記念写真。これからが今回のメーンイベント、伊那側への長い下りです。

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 07時37分=伊藤 幸司
私たちは東に向かって下り始めました。なんだか新しい世界に向かって進んでいくという気分です。

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望 塩見岳遠望
【撮影】2日目 07時39分=伊藤 幸司
当然、立ち止まって富士山を撮りました。右の方に尖っているのは塩見岳です。

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 07時41分=伊藤 幸司
富士山をもう一段クローズアップしてみたら、伊那前岳の山頂に、どうも登山者らしい姿が写っていました。小さな突起が2つ見えるかと思います。オリジナル写真で確かめようとしましたが、なよやかで岩や道標ではないだろうとは思いますが、人かどうかは確定できていません。……ただそれだけの話です。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 07時41分=伊藤 幸司
これぐらいの岩場では、ダブルストックがきわめて有効です。でもこの写真を「ストックをもっと長くすれば楽だろうに」と思いながら見ている人は、ダブルストックの本当の実力を知らない人、すなわち杖(ステッキ)の延長でしか理解していない人だと思います。

木曽駒ヶ岳登山 ハイマツ キバナシャクナゲ
【撮影】2日目 07時43分=伊藤 幸司
まだここは標高2,900前後の稜線ですから、森林限界は完全に越えています。ハイマツとダケカンバがかろうじて伸び上がっている状態だと思うのですが、ハイマツの周辺を取り巻く厚ぼったい葉を調べてみたら、どうもキバナシャクナゲのようです。そのさらに外側の緑はガンコウランでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 07時44分=伊藤 幸司
南アルプスと八ヶ岳の間に雲が湧き上がってきました。もうすぐ午前8時、朝の天気から昼の天気へと変化していくのでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 ウラシマツツジ?
【撮影】2日目 07時47分=伊藤 幸司
この早い紅葉はウラシマツツジでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 07時50分=伊藤 幸司
いつもならまだ山に向かう電車やバスに乗っている時間です。小屋泊まりの最大の魅力は日の出から早朝の太陽の光線で世界を見られるということ。
この日から新しいカメラを使い始めました。太陽をまともに入れ込んだ写真ではこれまで使ってきたカメラとはまったく違う写真になりました。このときはまだ、どこがどう違うか、わかりませんでしたが。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳 中岳
【撮影】2日目 07時50分=伊藤 幸司
広い稜線がゆるやかに波打ちながら続いています。圧迫感がなくてとても気持ちいいのですが、見通しが悪いときには道を外さないように慎重に歩かないと危険です。とくに強い風に吹かれているときには、全神経を「道」に集中しないと厄介なことになります。
そういうときには、道に関するほんのちょっとした「?」でも、ほんの数歩の「?」でも、きちんと戻るという大原則を律儀に守らないと危険です。それが1歩でも2歩でも「?」と思ったら「道に戻る」としなければいけません。これはそういう地形です。ほんの数歩でも下りだしてしまったら、止まりません。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 07時50分=伊藤 幸司
前の写真からカメラを右に振ったらこうなっていました。ハイマツを切り開いた道は「道迷い」に対してはほぼ安全、というふうに見ます。
前方の山並みの右側、大きな三角形が「東駒」すなわち甲斐・駒ヶ岳です。左側に鳳凰三山の稜線が見えますが、オリジナル写真を拡大してもランドマークとなっているオベリスクはわかりません(じつは鋸岳なんです。08時29分の写真を見ていて気づきました)。甲斐・駒ヶ岳から右に下ると北沢峠、そこからゆるゆると登り返すと仙丈ヶ岳になります。

木曽駒ヶ岳登山 ウラシマツツジ? ガンコウラン?
【撮影】2日目 07時56分=伊藤 幸司
砂礫地に貼り付いていたのは紅葉したウラシマツツジとガンコウラン……でしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 ハイマツ ウラジロナナカマド
【撮影】2日目 07時57分=伊藤 幸司
ハイマツの中で、ウラジロナナカマドの実が赤く色づいていました。今年は夏が異常高温だったので、紅葉がどうなるかはわかりません……という感じです。

木曽駒ヶ岳登山 馬の背
【撮影】2日目 08時00分=伊藤 幸司
稜線が次第にエッジの効いた感じになってきました。道迷いの心配はなくなったものの、未知の世界に否応なく導かれる感じになりました。どこまで続く尾根道か。

木曽駒ヶ岳登山 イワヒゲ コケモモ
【撮影】2日目 08時16分=伊藤 幸司
緑色の紐のようなものが出てきました。じつはこれ周囲にどんどん生存域を広げていこうとする茎なんだそうです、その茎からウロコ状に葉を出していて、チョット見、ヒノキの葉のような顔をしているのだそうです。おまけにその茎の先端部から新たに枝を伸ばして白い可憐な花をさかせるのだそうです。
そのイワヒゲと生存競争をしているかのように見える丸みのある厚ぼったい葉はコケモモではないかと思います。

木曽駒ヶ岳登山 乗鞍岳遠望
【撮影】2日目 08時18分=伊藤 幸司
乗鞍岳の中腹にキラリと光るものがあって、気になって仕方ないので、超望遠で撮っておきました。写真の左上隅にある白いドームが摩利支天岳の自然科学研究機構・乗鞍観測所だと思います。そこから右に下ると乗鞍山頂(畳平)バスステーションです。
気になる光はおおよそそこから下がった中腹にあるようなので、グーグルマップの航空写真などで探してみたのですがわかりません。乗鞍高原の「Mt.乗鞍スノーリゾート」あたりが怪しいかと思いますが。

木曽駒ヶ岳登山 馬の背
【撮影】2日目 08時19分=伊藤 幸司
ほとんど人と出会わない山でしたが、前方にいました。人がいるかいないかで気分はだいぶ変わります。私たちにように登山道でも一般ルートを歩く場合には、やはり何人かとは出会いたい気分があります。なにせ「歩く国道」みたいなところですから。

木曽駒ヶ岳登山 濃ヶ池
【撮影】2日目 08時26分=伊藤 幸司
頂上を出たのが07時35分でした。およそ1時間歩いて、眼下に濃ヶ池が出てきました。よく見ると池の水が流れ出るあたりに登山者の姿(白砂に影を伸ばしています)があります。宝剣山荘のところからこの池へと来る道があって、この先で私たちの道と合流します。つまり回遊ルートになっているのです。雨具と水と弁当ぐらいは持ちたいところですが、木曽・駒ヶ岳ならではの散策路として秀逸だと思いました。……なお下の道との分岐点まではまだ30分ほどあります。

木曽駒ヶ岳登山 甲斐駒ヶ岳遠望
【撮影】2日目 08時29分=伊藤 幸司
ここまで来て甲斐・駒ヶ岳を見ると、右肩に見えるのが摩利支天のように思われます。すると左に伸びるデコボコの稜線は鋸岳ということになります。地図で調べてみると鳳凰三山は甲斐・駒ヶ岳の背後に隠れてしまっています。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳・駒ヶ岳遠望
【撮影】2日目 08時32分=小林 美子
ふりかえると、宝剣小屋と天狗荘が遠くに見えました。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳遠望
【撮影】2日目 08時33分=伊藤 幸司
濃ヶ池の真上あたりで休憩しました。振り返ると宝剣岳。青い屋根が宝剣山荘です。そこから濃ヶ池へと下る道がかろうじて見えています。

木曽駒ヶ岳登山 馬の背
【撮影】2日目 08時33分=伊藤 幸司
日が照っていて風がない。休憩の条件としては最高です。まだたいして頑張っていないので5分休憩としましたが、山頂から1時間経っていますし、あまりにも気持ちがいいので、10分休憩に切り替えました。5分休憩でもひとくち水を含んでみて、必要だと思えば水分補給するのですが、10分休憩では飴玉ひとつでも口に含んでみることにしています。必要ならパンやらおにぎりやら、エネルギー補給も。でもそれよりも、こんな恵まれた休憩の気分を、記憶に残すようにしてもらいたい。この写真を見た瞬間に、あのときの気分を思い出すような休憩に。この先伊那市西駒山荘で11度Cでしたから、ここでも風があったら気分はだいぶ違っていました。フツーだけど最高の休憩時間。

木曽駒ヶ岳登山 濃ヶ池
【撮影】2日目 08時33分=伊藤 幸司
休憩地点から濃ヶ池を見下ろしています。人は見えません。
『カメラ片手の山歩記・名古屋発の登山、東海中心の山野草観察と山歩き』というサイトに『木曽駒ヶ岳と濃ヶ池』があって2004年7月24日に『木曽駒、濃ヶ池周辺で見た花々』が一覧表示されていました。
【シナノキンバイ、クロユリ、チングルマ、ヒメウスユキソウ、イワツメクサ、タカネグンナイフウロ、シラタマノキ、タカネツメクサ、ウメバチソウ、シナノオトギリ、チシマギキョウ、ミヤマダイコンソウ、チングルマと花後、キバナノコマノツメ、ヨツバシオガマ、トリカブト(サクライウズ)、オンタデ、イワウメ、ミヤマホツツジ、ウサギギク、アキノキリンソウ、エゾシオガマ、クロユリ、ミヤマリンドウ、ヒメウスユキソウ、コマクサ、トウヤクリンドウ、カラマツソウ、ヤマハハコ、ハクサンボウフウ、コバイケイソウ(コシジバイケイソウ)、ミヤマゼンコ。
この他に見た花/ゴゼンタチバナ、ツマトリソウ、シシウド、クルマユリ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ、イブキトラノオ、アオノツガザクラ、ハクサンフウロ、タカネニガナ、タカネスイバ、オヤマノエンドウ、ヤマブキショウマ、タカネナナカマドほか】

木曽駒ヶ岳登山 富士山遠望
【撮影】2日目 08時35分=伊藤 幸司
富士山は、もう、いつまで見られたかという記録としてシャッターを切っています。

木曽駒ヶ岳登山 ウラシマツツジ
【撮影】2日目 08時41分=伊藤 幸司
ウラシマツツジの首飾り……ですかね。

木曽駒ヶ岳登山 コケモモ
【撮影】2日目 08時41分=伊藤 幸司
コケモモの葉しか見ていなかったのに、赤い実がついていました。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 08時46分=伊藤 幸司
だんだんと、果てしなく続く道、という気分になってきました。この道がどこまで延びているのか? という気分より、どこから下るのか? という気分が勝ってきたように思うのです。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 08時46分=伊藤 幸司
ここはまだ標高約2,750mあたり。正真正銘の高山帯だと思うのですが、稜線部分はハイマツでびっしり覆われ、その下の斜面はダケカンバ主体の落葉広葉樹林ということになるのでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 ハクサンシャクナゲ
【撮影】2日目 08時50分=伊藤 幸司
シャクナゲ……ハクサンシャクナゲだと思うのですが、ありました。
その、亜高山帯のシャクナゲに関して、絶妙な解説がありました。
『YAHOO ! JAPAN 知恵袋』『シャクナゲは亜高山帯以上の高地に分布しているのにどうして常緑広葉樹になったのですか? またどうして葉裏は密集した毛になっているのですか?』(2017/2/13 aks********さん)という質問に Iam********さんが答えています。
【ものには順序というものがあります。
亜高山地帯。標高がありますから寒いところですよね。
そこで常緑。凍結しやすいのに葉を落とさない。
寒さに強いわけです。
強くなったのか、はじめから強いのか。
順序というのはそういうところを考えます。

高山・・・
こういう高さになってくると土壌が豊かとはいえないでしょ!?
石がごろごろしていたり、岩肌が向きだしだったり。
そして傾斜が多い。
保水性が少なく、水はけがよすぎる。
根から水を吸う機会が少ないのです。
山だから雨は降りやすいよ。
でも降っているときは激しいからごくごく飲んでいる暇はない。
やめば水はけが始まる。雨まで我慢だ。
高山は朝など冷え込む。
標高が高いところは飽和水蒸気量が低い。
だから靄や朝露が出やすいのだ。
葉の裏の毛はそれをとらえるためにあるんだ。
葉表は光合成を、葉裏の気孔から二酸化炭素と水蒸気をとっている。
水蒸気は蒸発するとき上りやすいから、葉裏が適切なんだ。

みんな考えたことないだろう。たぶん植物学者もノーマークだ。
水蒸気は二酸化炭素とくっつきやすいのだ。
ドライアイス、水につけると煙が出るだろう。あれは水蒸気だ。でも湯気ではないはず。冷たいからね。昇華する二酸化炭素に水蒸気がくっついていくからなのだ。

植物は肺を持っていない。出し入れが簡単ではないのだ。
そして二酸化炭素。植物のエサだが空気中に多いわけではない。窒素が多すぎるからね。
そんな空気の中から二酸化炭素だけを探し出すんだ。
その方法が気孔にあるんだ。
気孔にはカリウムなどが使われる。イオン化しやすいミネラルだ。
こういうものを配することで水蒸気をつかみ、それにつく二酸化炭素を取り込むわけだ。
あくまで私の推理だが・・・。
でもたぶん植物は知ってるんだ。水の中にいた頃から。

さて順序に戻るが
植物があちこちの高山に渡り歩くわけがない。
誰かが運んだと考えるのが適切なのかもしれない。
でも
亜高山が植生でその上もその下もないのなら
進化がわからなくなる。
麓になく頂上にもない。
麓にあったものが山に運ばれ高山型に進化したのなら
麓に原種があってよいはず。
それが見あたらないのなら、別な考え方をしてみるべき。
いつ山に登ったのか。
これは亜高山より上の植物にも当てはまる。
高山植物だ。
誰が種を届けるのか。
その環境で果たして生き残れるのか。
何万年かの長さに期待していいのか?

だから私はこういう考え方を提唱する。
高山にある植物ほど植物の原種と。
彼らは誰かに運ばれたのではなく、そこに居続けているだけだと。
山がというよりは大地が隆起してその高さに押し上げられたのだと。
彼らは土壌もさほどない貧しい岩肌で
生き抜いてきた植物の原種なんです。
彼らが寒さに強いのは
昔が寒いからです。今の環境とあまり変わらない環境下で上陸したからでしょう。

落葉するのは寒暖差がつきだした新しい進化なのです。
古いものほど寒暖差が少なく、涼しいから寒い環境にいたのです。
だから裸子などの常緑樹が太古繁栄したのです。】

木曽駒ヶ岳登山 ナナカマド?
【撮影】2日目 08時54分=伊藤 幸司
たぶんナナカマドです。夏の異常な天候で、紅葉せずに枯れてしまったというふうに見えました。赤い実はひとつもないように思われます。

木曽駒ヶ岳登山 ガンコウラン
【撮影】2日目 08時55分=伊藤 幸司
青黒い実が出てきました。針葉樹のミニチュアのような葉っぱのなかに実があります。クロマメノキと同様、食べるとおいしいとか。
『岩木山を考える会 事務局日誌』に『今日の写真は「ガンコウラン」』(2010-09-08)がありました。
【今日の写真は、ガンコウラン科ガンコウラン属の常緑矮低木「ガンコウラン(岩高蘭)」の果実である。昔はもっと多かったように思えるのだが、最近はこれも少なくなった。それに、今年は果実の付き方が少ない。「蘭」という一字を名前に持っているが草本の蘭ではない。樹木である。
 北海道や本州中部以北に分布し、高山帯や湿原に生える。高山帯ではハイマツ林縁や雪渓周辺の砂礫地などに生えることが多い。地表を覆うように15cmから20cmの高さで地面を這いながら枝を伸ばして、密生する。茎は長く地面を這い、枝は斜上または直立する。
 「コケモモ」と一緒に非常に小さく低い木群をなして、地表を覆うことが多い樹木である。
 「ガンコウラン」は雌雄異株で、雄花は花弁3枚、雄しべは暗紫色で3本で、雌花は紫黒色である。今日の写真のように「秋になると青黒い大きな実をつける」が、花は本当に目立たない。
 何故か、その理由の1つは、「開花がかなり早い」ということで、夏山志向の人には、花の時季には会えないということである。
 その2つは「雪解け後まもなく、小さく目立たない花をつける」ということで、目につきにくいということだ。
 その3つは、花は雪解け後まだ「赤い越冬葉と同じ様な赤紫色」をしていることである。花なのか「葉」なのか分からないのである。葉の付け根にある雄花から飛び出している「長い雄しべ」を見つけることで、やっと「花」であるとの認識を得るという具合なのである。
 赤味がかった葉の色は、新しい葉が伸びるにつれて、濃い緑色へと変わる。そうなると、「ガンコウラン」と一緒に生えている矮低木群も全体的に明るく、しかも濃い緑に変わっていくのである。
 この頃になると、「ガンコウラン」の若い実は、「透き通った感じの淡い緑色」となって、小さな1粒1粒を葉腋に点滅させているのである。まずは、この実をつける時季も早いのである。他のツツジ科の植物が花を咲かせる時期には、既に実をつけているのだ。
 葉は、「エゾノツガザクラ」や「ナガバツガザクラ」などと同じで、葉の縁が裏側に巻き込んだ筒状で、気孔からの蒸散を抑えた形の重複葉である。長さが4mmから7mm、幅が1mmほどの線形で互生している。
 果実は、液果で熟すと紫黒色になる。8月に入る頃から黒くなり、9月には黒熟する。球形で、直径が5mmから8mmほどで、甘くて美味しい。8月30日に食べた果実の中では「ガンコウラン」が一番美味しかった。その次が「オオバスノキ」ということになるだろう。
 名前の由来は、はっきりしない。一説では「高山の岩上に生えていることが多いこと」によるとされているが、それだけでは「蘭」の意味についての説明が欠ける。
 11月の中旬から下旬にかけて、風衝地の少ない積雪の表面に「凍りついたガンコウランの実」を見かける時がある。美しいものだ。雪解けが始まる時季には「溶けた残雪の表面に赤いコケモモの実」を見ることがある。これも、健気で美しいものだ。】

木曽駒ヶ岳登山
【撮影】2日目 08時56分=伊藤 幸司
なんとも渋い色の紅葉です。赤銅色というのでしょうか。ある意味、いい色が出ているとも思います。ウスノキという甘酸っぱい赤い実をつけるという木はこんな色の紅葉になるようですが、どうでしょう。

木曽駒ヶ岳登山
【撮影】2日目 08時57分=伊藤 幸司
何種類かの紅葉が重なり合っています。にぎやかな秋景色という感じがしました。

alt="木曽駒ヶ岳登山 甲斐駒ヶ岳遠望">
【撮影】2日目 09時00分=伊藤 幸司
あいかわらず正面に甲斐・駒ヶ岳。でもなんとなく、私たちが山を下ってきたという雰囲気が出てきました。

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳・中岳遠望
【撮影】2日目 09時04分=伊藤 幸司
振り返ると宝剣岳と中岳がそびえていました。

木曽駒ヶ岳登山 ゴゼンタチバナ
【撮影】2日目 09時07分=伊藤 幸司
初めて見たような気がしましたが、調べてみたらゴゼンタチバナなんですね。葉っぱから緊張感が薄れているような気がしますし、実をつける茎がずいぶん長いのでいつもと表情が違って見えました。

木曽駒ヶ岳登山 シラタマノキ
【撮影】2日目 09時08分=伊藤 幸司
シラタマノキです。『ウィキペディア』の『シラタマノキ』に次のような記述があります。
【9月頃、萼が肥大して果実を覆い、白い玉状になることからシラタマノキの和名がある。これを潰すとサリチル酸の臭いがする。】
『フランシスコの花束 詩・韻文(短歌、俳句)』というブログに『ツツジ科のおいしい実たち』(2007-12-02)がありました。
【シラタマノキ属の属名のもとになった「シラタマノキ」は、真っ白な実をつける。花も白い。その実は漿果ではなく、蒴果である。蒴果とは、果実の中がいくつかの室に分かれていて、熟すと乾く実である。このため、室に分かれているのが、実の外から容易に見えるものもある。先ほどの漿果(液果)のようなジューシーな食感を予想していると裏切られた気がする。無心で食べれば、これはこれでおいしいのかも知れないが、かなり口当たりが違うので、ぼくはそれほど好きになれない。
 シラタマノキは、「シロモノ」という別名があるが、それは「アカモノ」という同属の植物があるからである。アカモノは熟すと真っ赤になる実をつける。シラタマノキもアカモノも実は食べられるには食べられるが、先ほどの漿果と比べると味は少し落ちる。
 特に、シラタマノキは食べるとサロメチールの匂いがするので、ちょっとびっくりする。湿布薬などに使われる薬の匂いである。たしかに甘いのだが、この匂いのために、2、3こつまめばもう十分である。一方のアカモノは、甘みも酸味もなく、あんまり果実らしいさわやかな味がしないので、食べる実としての魅力は少ない。食べても害がない、というところだろうか。あるいは長い山旅の途中で、ビタミン不足を補う一助になるかどうかというところである。】

木曽駒ヶ岳登山 遭難記念碑
【撮影】2日目 09時23分=伊藤 幸司
これまでになかったような奇岩地帯に出ると「遭難記念碑」がありました。
『NAVERまとめ』に『なぜ起きるのか? 大量遭難事故の例と原因』という課題があって『木曽駒ヶ岳大量遭難(1913年8月26日)』というレポートを「Truvativ1さん」という方がまとめています。
【1913年(大正元年)8月26日に発生した学校登山での大量遭難事故。
中箕輪高等小学校(現在の箕輪町立箕輪中学校)の修学旅行登山で木曽駒ケ岳に向かった学生25人に教諭、校長、地元の青年団などを加えた37人のうち11人が死亡した。

登山ルート
木曽駒ケ岳は現在しらび平から千畳敷までロープウェーが敷設されておりこれを使うのが一般的ですが、それ以外にも徒歩で下から登るルートがいくつもあります。この事故が発生したのと同じルートもたどることができ、その場合桂小場が登山口となっています(当時はさらに下の内ノ萱が起点)。
桂小場から木曽駒ヶ岳を経由して乗越浄土までのコースタイムは休憩なしで7時間40分ほど(ヤマケイアルペンガイド)。

責任者である校長は事前に測候所に気象予報を問い合わせ、その結果「曇り、にわか雨」という返答を得ていました。これによって登山は決行されましたが、八丈島沖に停滞していた低気圧(実際には台風)が予想以上のスピードで北上。信州付近は直撃こそしなかったものの、強い風雨が登山中の彼らに襲いかかりました。

避難するために向かった伊那小屋は小さいものの上に損傷が激しかったため、風雨が容易に吹き込み体力の消耗を避ける役には立ちませんでした。遮るもののない高所での強烈な暴雨風は容赦なく彼らを痛めつけ、そのうちに一人が低体温症で死亡したことでグループはパニック状態に陥ります。

1人が死亡し次々に人事不省となる生徒が出るに及んで、暴風雨が吹き荒れる暗闇の中で絶望的な下山を開始しましたが、既に体力を消耗しきっていた彼らに再び長時間暴風雨に曝される稜線歩きを耐えるだけの力は残っておらず、次々に倒れていきました。なんとか下の町まで生還した人間が遭難を伝え、警察や地元の村民により大規模な捜索が行われたものの、校長も含め11人が死亡する大惨事となりました。

何故発生した?
直接的には気象予報の予想以上のスピードで天候が悪化し、頂上付近にいるときに最も風雨が強い状態になったことが原因ですが、既に天候が悪化している中で登山を中止し下山することなく続行し、風雨を遮るもののない頂上稜線で長時間耐えねばならない状況になってしまったのが致命的な判断ミスと言えるでしょう。
この登山は修学(卒業)旅行でもありましたが、登山によって心身を鍛える鍛練授業の意味合いも強かったため、下山の判断が遅れた可能性もあります。

現在は伊那小屋があった場所(賽の河原)に建つ宝剣山荘の隣に天狗山荘が、中岳と木曽駒ケ岳との鞍部に頂上山荘があり、悪天候の際に逃げ込む場所は他にもありますが、当時は現在よりも木曽駒の頂上寄りの位置に木曽小屋があるだけでした。
ところが現在と違い中岳の頂上を通るルートにはロープなどは張られておらず、濃霧などで視界が悪いときは迷いやすくなる道の上、中岳を巻いていく道も整備状況が悪く木曽谷に転落する恐れがあったため暴風雨が強くなってしまってからは暗闇の中吹きさらしの稜線を歩いてここまでたどり着くのは不可能でした(伊那小屋での宿泊に拘らずに最初から木曽小屋に向かっていれば1時間程度の距離なので無事に到着できた可能性もありますが…)。
また、濃ヶ池の分岐から直接木曽駒ケ岳に向かうルートは「馬の背」と呼ばれる痩せ尾根を通らねばならず、暴風雨の下で通過するのは非常に危険なため使うことができませんでした。
あとはふもとの村に降りるまで安全に休める場所はなく、下山するとなっても3〜4時間は標高2500mを越える稜線で風雨に曝され行動しなければなりませんでした。

また、避難小屋として使用した伊那小屋にしてもわずか4坪程度の小屋であり、損傷が激しく、悪天候となった場合には風雨が吹き込むところに一畳あたり4〜5人がすし詰めになることになります。いくら鍛錬とはいえかなり無理がある計画だったことになります。

その後・・・・
この大量遭難により学校登山そのものの是非が問われたものの、学校行事としての登山は無くなることはありませんでした。ただしこの事故をきっかけに木曽駒の前に予行演習として事前の鍛錬登山がおこなわれ万全が期されるようになりました。
一方、事故の発生したこのルート上では避難小屋の必要性が指摘され、七合目にあたる将棊頭山の近くには避難用の石室が整備されました。その後石室は次々に増改築され現在では西駒山荘となっています。
損傷して山小屋としては用を為さなかった伊那小屋があった場所には宝剣山荘が建ち、現在多くの登山者が利用しています。】

木曽駒ヶ岳登山 遭難記念碑
【撮影】2日目 09時25分=伊藤 幸司
『ウィキペディア』では『聖職の碑(せいしょくのいしぶみ)』で新田次郎の小説とその映画化を紹介していますが、そこでこの『遭難記念碑』について触れています。
【上伊那郡教育会は、稜線上の遭難現場に「遭難記念碑」を設置し、「記念」の言葉の中に、決して事故のことを忘れ得ないようにという思いを込めた。】
この石碑は大正2年10月に設置された碑が風化によってよって読めなくなったので、2004年に碑文を再現したものだそうです。
『大正2年8月26日 中箕輪尋常高等小学校長 赤羽長重君 為修学旅行 引率児童登山 翌27日遭暴風雨 終死』
したがってこの碑は赤羽長重校長に捧げられたもので、設立者は上伊那教育委員会と箕輪町偲岳会となっています。が……。

木曽駒ヶ岳登山 将棊頭山
【撮影】2日目 09時26分=伊藤 幸司
ここはなにか、特別不思議な場所でした。将棊頭山(しょうぎかしらやま)で標高2,730m。
『ヤマケイオンライン』に『将棊頭山』がありました。
【伊那谷から見上げると、山容が将棋の駒の頭に見えるところから命名されたこの山は、日本海と太平洋の分水嶺である。】

木曽駒ヶ岳登山 宝剣岳・中岳・駒ヶ岳遠望
【撮影】2日目 09時27分=伊藤 幸司
遭難記念碑のところから振り返ると、宝剣岳、中岳、木曽・駒ヶ岳が全部並んで見えました。

木曽駒ヶ岳登山 ウラジロナナカマド
【撮影】2日目 09時33分=伊藤 幸司
ナナカマドの紅葉です。実のついた枝(花序)が直立してるように見えるのでウラジロナナカマドだろうと思います。

木曽駒ヶ岳登山 西駒山荘
【撮影】2日目 09時38分=伊藤 幸司
将棊頭山(しょうぎかしらやま)の東側斜面に回り込むと、伊那市西駒山荘が見えてきました。この写真、八ヶ岳がずいぶん傾いてしまっています。測ってみると5度ぐらい。私は水平感覚が鈍くって、よほど注意して撮っても水平が傾くことが多いのですが、5度というのはちょっとひどい。修正すればいいようなものですが、基本的にトリミングはしないので、出すか出さないかの選択です。山小屋を見つけた瞬間の嬉しさを記録したつもりなので、出しました。正直、ちょっと掘っ立て小屋ふうの山小屋かと思いました。このときは。

木曽駒ヶ岳登山 西駒山荘
【撮影】2日目 09時58分=伊藤 幸司
これは1913年の遭難事故後、1916年に建設された石室をそのまま保存したかたちの避難スペース。
『ウィキペディア』に『西駒山荘』という項目がありました。
【地元長野県伊那市が所有しており、第3セクターの伊那市観光株式会社が指定管理者となって、管理・運営をしている。7月第2土曜日から10月体育の日までの約3か月間営業している。それ以外の期間は小屋の一部を避難スペースとして開放している。営業期間中は食事付き、寝具付きの宿泊が可能。アルコールや飲料、軽食の販売も行っている。
建設の経緯から分かるように遭難防止対策の施設としての位置づけはもちろん、環境面にも配慮して、完全回収型の袋回収式トイレや、カレー皿をペーパーで拭き取ってもらうなど山岳環境に負荷を掛けない取り組みをしている。また、遭難対策防止活動・高山植物保護活動・登山道の整備・山岳環境保全、学校登山の拠点になっている。
西駒山荘の裏には1990年ころから、地元の中学校の学校登山の際に、生徒が植えつけたコマクサが増殖し、中央アルプスでは有数の群生地となっている。他と違い赤みが強いのが特徴。
2016年、山小屋の始まりとなった1915年建設の石室が登録有形文化財に登録された。】
『一般社団法人 伊那市観光協会 おいでな伊那』に『西駒山荘石室 文化庁登録有形文化財に登録』がありました。
【石室がこの度「登録有形文化財」に指定されました。平成28年3月11日に開催された国の文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、中央アルプス西駒山荘の石室が「登録有形文化財」として登録されることとなりました。
・平成27年に開設100年となった石室はその構造を変えることなく、西駒登山の安全の拠点として使用され、多くの関係者の協力によって守られてきました。遭難防止対策の施設としての位置づけはもちろん、山岳環境保全の拠点として、また今もなお学校登山を受け入れながら、実践教育の教訓としてその歴史を語り継ぎ、我が国の近代登山の歴史を伝えています。
・西駒山荘には、旧山小屋の構造材の一部や、昭和24年の改修時に使用されたと思われる鎹(かすがい)などが建て替え時に回収され保存されています。また、石室の屋根の野路板には、完成翌年の大正5年に訪れた登山者の落書きが残り、安全登山の拠点としての歴史に触れることができます。】
『木曽駒ヶ岳における植物調査・林武夫・名古屋文化短期大学 研究紀要 第34集(2009年)』が小屋周辺の「赤みの強いコマクサ」について触れています。
【遭難碑を過ぎると西駒山荘があるが、この辺りは礫と砂礫でコマクサが群生していた事で有名である。コマクサは乱獲などで一度は数が少なくなったが、1990年代初頭より小屋の関係者による栽培、移植が行われ、現在では花色の濃いコマクサが小屋の北東に広がっている。しかしこれら人為的な移植は本来の自然植生と考えるには難しい面が多く、保全の為の管理に限定する必要があると思われる。】

木曽駒ヶ岳登山 西駒山荘
【撮影】2日目 10時10分=小林 美子
西駒山荘石室
平成28年8月1日に有形文化財に登録
中箕輪尋常高等小学校の遭難事故を機に大正4年に建設され、開設100年経過した
今もその構造を変えることなく西駒登山の安全の拠点として 使用されている・・
と、説明がありました。

木曽駒ヶ岳登山 西駒山荘
【撮影】2日目 10時16分=伊藤 幸司
2階建ての宿泊棟はピッカピカでした。ちょっとしたペンションの玄関という感じのところで、トイレの使い方など、管理人さんとやりとりしました。気温11度C、無風快晴の気持ちいい屋外テーブルでコーヒーを飲み、トイレをすませました。

木曽駒ヶ岳登山 シラタマノキ
【撮影】2日目 10時23分=伊藤 幸司
シラタマノキがまた出てきました。

木曽駒ヶ岳登山 行者岩
【撮影】2日目 10時37分=伊藤 幸司
西駒山荘を出ると正面に茶臼山(標高2,658m)。山頂の岩には地形図(1/25,000)に「行者岩」という名がついています。

木曽駒ヶ岳登山 行者岩
【撮影】2日目 10時40分=伊藤 幸司
どこがどう「行者」なのかわかりませんが、とりあえず茶臼山の行者岩を撮っておきました。

木曽駒ヶ岳登山 ゴゼンタチバナ
【撮影】2日目 10時48分=伊藤 幸司
ゴゼンタチバナがまたありました。

木曽駒ヶ岳登山 西駒山荘遠望
【撮影】2日目 10時53分=伊藤 幸司
振り返って伊那市西駒山荘を見ています。茶臼山の手前で標高差400mを一気に下る「ひょうたん坂」に入りました。途中には「胸突き八丁」もあるとか。登山口までだと標高差約1,250mの一気下りになります。木曽・駒ヶ岳の「稜線歩き」が終わったのです。

木曽駒ヶ岳登山 カキシメジ?
【撮影】2日目 11時16分=伊藤 幸司
足元にあったこの地味なキノコ、グーグルの画像検索でいろいろ試みてみましたが決着はつきません。一番近いと感じたのはカキシメジ。
当たっているかいないかわかりませんが『きのこナビ・キノコの事典』に『カキシメジ』ありました。
【おいしそうに見えるが実は毒のあるキノコ
キシメジ科 キシメジ属 / 別名・和名:柿湿地
発生場所:カキシメジは主に広葉樹林、針葉樹林、雑木林などの地上に群生。
季節:秋 / 毒性の強さ:1
カキシメジは誤食による中毒事故が多いきのこです。国内ではクサウラベニタケ、ツキヨタケとともに「中毒キノコ御三家」のひとつとして数えられ、注意が必要です。
カキシメジの傘は直径が4〜8cmほどで、形は初め半球形でフチが内側に巻いた形をしていますが、成長すると平らに開きます。傘の色は褐色~赤褐色で、中央部分がやや濃く、また、湿度が高い場所では多量のヌメリが見られます。
ヒダは密に並び、白色に近い色をしています。
ツカの長さは3〜7cm程度で、上部から根元部分までほぼ同じ太さで、大きくは変わりません。ツカ上部は白色ですが、根元に近づくにつれ色は濃くなり、内部は空洞になっているものがほとんどです。
カキシメジの肉には強い悪臭があり、味も誤って食べると苦味を感じます。前述のとおり、食用キノコと間違える確率が高いので、食した場合に臭かったり、苦かったりしたらすぐに吐き出すようにしましょう。】
『誤食による中毒事故が多い』ということは、似たキノコがあるのでしょうが、そこのところは不明です……が。
『ウィキペディア』の『カキシメジ』に次のような記述がありました。
【「見た目の派手なものは有毒であり、地味なキノコは食べられる」という迷信から、本種が食用と誤認されるものと考えられる。
地方名はオショウモタシ(東北地方)、カキモタセ(新潟)、コノハシメジ(青森、秋田)、マツシメジなど。日本以外ではヨーロッパ、北米で見られる。中毒例が多い一方で、晩秋に発生する個体は無毒で美味だとする証言がある。】

木曽駒ヶ岳登山 ヤマハハコ
【撮影】2日目 11時18分=伊藤 幸司
ヤマハハコがありました。ものすごく元気な感じです。

木曽駒ヶ岳登山 オオカニコウモリ
【撮影】2日目 11時22分=伊藤 幸司
カニコウモリだと思ったら、花があきらかに大きいのです。調べてみるとオオカニコウモリ。
『高山植物図鑑・登山道の花』に『オオカニコウモリ』がありました。
【オオカニコウモリとカニコウモリの違いは、花の付き方で、カニコウモリは長い総状に、オオカニコウモリは頂上に集まって咲く。】

木曽駒ヶ岳登山 セリバシオガマ
【撮影】2日目 11時24分=伊藤 幸司
小さな白い花びらがヒラヒラと舞い散るようなセリバシオガマがありました。

木曽駒ヶ岳登山 セリバシオガマ
【撮影】2日目 11時25分=伊藤 幸司
セリバシオガマの花をクローズアップ。
『山からの贈り物──山のことしか考えない私と自然を観察するのが好きで写真撮影に余念のない夫の山歩き記です。本当にのんびり,人の1倍半位かけて歩いています。毎週のように山へ行っていますが,疲れる事もなく,逆に山から元気をもらっています。』というサイトに『セリバシオガマ』がありました。
【上部の葉腋に2唇形の花をつける。花の下半部は淡緑色,花は唇形で,上唇はかぶと形で先はくちばし状にとがり下方に曲がる。】

木曽駒ヶ岳登山 マイヅルソウ
【撮影】2日目 11時25分=伊藤 幸司
スギゴケが生い茂るところからマイヅルソウがたくさん葉を広げていました。
でも、夏も終わろうとするこの時期に春先のようなまばらなマイヅルソウですから、スギゴケとの間で激しい生存競争を繰り広げていると見るのが常識的なところではないでしょうか。そういう目で撮っています。

木曽駒ヶ岳登山 ゴゼンタチバナ
【撮影】2日目 11時25分=伊藤 幸司
ゴゼンタチバナです。稜線で見たのとほぼ同じ状態ですが、
『ウィキペディア』の『ゴゼンタチバナ』には6枚の葉について次のように書かれています。
【高さ 5–15 cm。葉は2枚の対生葉と液性の短枝に2個ずつ葉が付き、計6枚の輪生に見える。花の咲く株は葉が6枚にまで成長したものである。
花期は6–8月。花は4枚の白い総苞に囲まれハナミズキやヤマボウシに似ている。
核果は、秋にハナミズキに似て直径 5–6 mm で赤い。】
ミズキ科のヤマボウシとごく近い関係なんですね。身長は天と地ほど違うのに、花の構造は兄弟みたい。

木曽駒ヶ岳登山 スギゴケ
【撮影】2日目 11時28分=伊藤 幸司
スギゴケが白い胞子体を花のようにつけていました。
『ウィキペディア』の『スギゴケ』はとてもわかりやすく書かれています。
【茎が直立する茎葉体で、細めの葉がその周りにならんでいるようすが、スギの枝のように見えなくもない。地上に密生して群落を作る。さく柄は真っ直ぐに上に伸び、さく(胞子嚢)は円柱形にちかく、帽は上にとがっている。表面が下向きの長い毛に覆われていることが多い。
スギゴケやその近縁種は日本では比較的海抜の高い場所に見られる。身近に見られるスギゴケとされる種の多くは、コスギゴケ(Pogonatum inflexum、カギバニワスギゴケとも)であることが多い。また、大型で10cmを越えるウマスギゴケ(Polytrichum commune Hedw.)やオオスギゴケ(Polytrichum formosum Hedw.)が日本庭園によく使われている。】

木曽駒ヶ岳登山 キノコ
【撮影】2日目 11時35分=伊藤 幸司
これはまったくわかりませんが、私の好みの光景です。
名前がわかりませんが、茶色いキノコが生えていました。そこに天からあやしい生物が降りてきて、多分最終的にキノコを消滅させようとしています。地球という大宇宙で激しく行われている菌類の大戦争……だと思いませんか。その戦記が書ければ最高なんですけれど。

木曽駒ヶ岳登山 ドクベニタケ?
【撮影】2日目 11時50分=伊藤 幸司
これはまた不思議な生物の出現です。「ピンクのキノコ」で画像検索すると驚くほど美しいピンクのドクベニダケらしいと感じました。念のためドクベニダマシ、カワリハツ、チシオハツという名前もメモしておきました。
『三河の植物観察』の『きのこ図鑑』に『ドクベニタケ』がありました。
【世界の分布域が広く、不愉快な強い辛味があり、代表的な毒菌。
 傘は直径 (3)4〜9(13) cm、半球形〜饅頭形〜中央が窪み扁平、湿ると粘性があり、鮮紅色、雨などで退色し、白っぽくなり、縁は平坦〜溝条線があり、表皮を剥ぎやすい。】
とのこと。続いて次のような記述もありました。
【ドクベニダマシは肉が無味、温和臭。傘の色が鮮紅色〜紅色、雨で退色せず、縁の溝条が明瞭。表皮を剥ぎやすい。胞子紋は白色。
 シュイロハツは肉がほぼ無味。傘の色は朱赤色〜橙赤色、古くなると中央から退色して、黄色になり、縁の溝条線は不明瞭。表皮は剥ぎにくい。ひだは密につき、白色〜淡黄土色。胞子紋は黄土色。胞子は表面に疣状突起と少数の連絡糸がある。
 チシオハツは肉が硬くて、辛味がある。傘の色が血赤色、縁の色が薄く、溝条線が短いか欠く。表皮を剥ぎやすい。柄は白色で、淡紅色のぼかしがある。ひだが白色〜クリーム色。胞子紋はクリーム色。胞子は表面に疣状突起と少数の連絡糸がある。】
結局これがどれなのか、わかりませんが。

木曽駒ヶ岳登山 ドクベニタケ
【撮影】2日目 11時50分=伊藤 幸司
前の写真とほとんど同じところにあったので、同じドクベニタケだと思います。でもドクベニダマシも、シュイロハツも、チシオハツも、見た目だけで判定しようとするとどれにも可能性があるように感じます。それを曖昧さとみるか、奥深さとみるかで、こちらが見られているようにも思えてくるし……。

木曽駒ヶ岳登山 大樽避難小屋
【撮影】2日目 11時56分=伊藤 幸司
これは約2,070mのところにある大樽避難小屋。単独行の登山者がいました。私たちは通過しました。

木曽駒ヶ岳登山 ベニヤマタケ?
【撮影】2日目 12時12分=伊藤 幸司
赤いきのこです。タマゴタケはよく見ますが、これは柄(軸)まで赤いので「柄の赤いキノコ」で画像検索してみると、バライロウラベニイロガワリ、ベニヒガサ、ベニヤマタケあたりが候補としてあがってきました。個々に調べてみるとどうもこの生え方の感じはベニヤマタケのように思われます。
『きのこ図鑑』というサイトで『ベニヤマタケ』を見てみました。
【和名…ベニヤマタケ:紅山茸
発生時期…秋
発生場所…草地、笹原、林内地上。
発生の様子…少数まとまって発生〜群生。
大きさ・形状・色…
傘:径2〜5cm。はじめまんじゅう形から、開いてほぼ平らになり、縁部がやや反り返る。粘性はない。色は血赤色〜くすんだ橙赤色。
ひだ:レモン色、疎。
柄:長さ2.5〜6cm、中空で粘性はない。傘と同色。
特徴…全体に粘性は持たない。傘と柄は鮮赤色、ひだが黄色。
似た種類…ヒイロガサは湿った時、傘に粘性がある。
食・毒…
食:ペリペリした独特の質があり、やや軽いかんじのきのこ。細かく砕いてオリーブオイル、レモン、塩胡椒と混ぜ、アボガドのスライスにソースとしてかけると素晴らしい色彩が楽しめる。】
当たっているかどうかわかりませんから、知らない飲み屋をのぞいてみる……だけ、という感じで。

木曽駒ヶ岳登山 アミタケ
【撮影】2日目 12時16分=伊藤 幸司
これだけでは探しようがありませんが、次の写真で傘の裏側の網目が見えるので、それを確認できる画像を探していたら、どうもメジャーな食用キノコのアミタケかもしれないと思いました。傘はほとんど茶系ですが、オレンジ褐色もあるとのこと。推理の段階ではありますが。

木曽駒ヶ岳登山 アミタケ
【撮影】2日目 12時16分=伊藤 幸司
これがこのキノコの裏の顔。知っている人が見れば一発でわかるのでしょう。とりあえず前の写真と合わせてアミタケとしておきたいと思いますが。
『Ameba』のブログ『一望千里 田舎暮らしを通じて、自給自足への挑戦をしながら、野菜作り、山菜取り、海釣りなど、日常の出来事を記事にしてお知らせします。』に『アミタケにそっくりのキノコ』(2018-09-11)がありました。
【松の木の下にキノコが生えているのを見つけましたが、アミタケのようでもありイグチのようにも見え、判別がつきません。
アミタケなら軸がもっと細く、もう少し長いのですが、そっくりなのです。
傍に生えていた幼菌と同じ種類だとすれば、アミタケではないのかもしれません。
イグチの仲間に間違いはないのですが、軸にツバが無いのでハナイグチではなく、笠が肉厚ではないのでアワタケでもなさそうです。
何方か詳しい方教えてください。】

木曽駒ヶ岳登山 ミヤマアキノキリンソウ
【撮影】2日目 12時23分=伊藤 幸司
ミヤマアキノキリンソウですね。
『ウィキペディア』の『ミヤマアキノキリンソウ』が私の印象にうまく答えてくれているように思いました。
【高さは15〜30 cmで、黄色の直径1.2〜1.5 cmの花を咲かせる。花期は8〜9月。東北アジア及び日本の北海道と本州中部以北の亜高山帯〜高山帯の草地、砂礫地に生育する。別名コガネギク。アキノキリンソウの高山型。アキノキリンソウの花が比較的まばらにつくのに対し、本亜種は頂部に固まってつく傾向にある。総苞片は、アキノキリンソウが四列であるが、本亜種は三列。中間型もあり、厳密な区別は難しい。和名の由来は、黄花をベンケイソウ科キリンソウ属のキリンソウに見立て秋に開花することによる。】
「キリンソウ」の名の由来に関しては「黄輪草」という素朴な命名説があると知って、それが分かりやすいと思いましたが、ミヤマ……、ではなくて本家のアキノキリンソウのまばら感の強いものはそういうイメージから遠いようにも思われますが。

木曽駒ヶ岳登山 ジゴボウ?
【撮影】2日目 12時24分=伊藤 幸司
たまたまこの表情に近い画像を探してみると、最初に出てきたのがカキシメジというキノコ。
『ウィキペディア』に『カキシメジ』がありました。
【秋、クヌギ、シラカシといった広葉樹林やマツなど針葉樹林の地上に生える。傘は3 - 8センチ・メートル程度で色は栗褐色及び薄い黄褐から赤褐色まで幅があり、湿っていると幼菌時に粘性を示すが成長すると表面が繊維状になる。柄は根元はやや膨むがつばやつぼなどはない。ひだは密で柄に湾生し白いが、のちに褐色のシミが生じる。胞子は楕円形で1個の油球がある。
ツキヨタケやクサウラベニタケと並び、日本においてもっとも中毒例の多いキノコのひとつである。「見た目の派手なものは有毒であり、地味なキノコは食べられる」という迷信から、本種が食用と誤認されるものと考えられる。】
シイタケと間違えられることがあるとも書かれています。
……続いて、ジゴボウというキノコにも似ていると思いました。そこで『ジゴボウ』を画像検索してみると「もしかしてジコ坊?」という注書きがあって、画像をたどるうちにジブリ作品『ものもけ姫』の写真集みたいになってしまいましたが。
ジゴボウは有名なキノコらしく、その期待感に溢れたレポートがありました。
『車山のリゾートイン レア・メモリー』というペンションのサイトに『「ジゴボウ」収穫季の到来!』(2016年9月12日)というのがあったのです。
【今年も、車山高原で初物の「ジゴボウ(茸)」を収穫しました。贅沢ですが、小ぶりのものを選びます。噛むとシコシコとして、口の中に香り広がります。なによりも、小ぶりのものだと、幼虫が潜んでないようです。
 レア・メモリーの裏庭の唐松林の下草から生える「ジゴボウ」の収穫時季の到来です!
 昆布だしで、馬のスジ肉と北山浦で収穫された冬瓜と南瓜をよく煮込んで、仕上がりに採り立ての「ジゴボウ」を入れて軽く煮て仕上げます。食べる直前にミョウガを刻んでふります。香りと歯応えを味わいましょうか。
 今年も、人気が高いので、朴葉焼きにしても、お出しします。
「ジゴボウ」の正式名は「ハナイグチ(花猪口)」ですが、地元では「リコボウ」とか「カラマツタケ」とも呼ぶようです。
個人的には
 朝は お吸い物の具
 昼は 信州味噌仕立てで 豆腐のあんかけに
 夜は 長ネギと一緒に焼いて 牛ステーキのソースに】

木曽駒ヶ岳登山
【撮影】2日目 12時24分=伊藤 幸司
前の写真と同じ場所、同じキノコです。
ちなみに『ウィキペディア』で『ジゴボウ』と検索すると『ハナイグチ』に導かれます。
【方言名……長野県ではジコボウ(ジコウボウ)またはリコボウ(リコウボウ)、北海道および秋田県下ではラクヨウ(落葉きのこ)、石川県下においてはイクチなど、さまざまな地方名で呼ばれ、キノコ狩りの目標として人気がある。】
そして決定的な条件として
【夏から秋にかけ、カラマツ属の樹下に生える。外生菌根を形成する樹種がカラマツ属に限定されるため、それ以外の針葉樹の下には発生しない。】
この場所が落葉松林であったかどうか……?

木曽駒ヶ岳登山 カラマツ
【撮影】2日目 12時32分=伊藤 幸司
あっ、みごとなカラマツの林ですね。黄葉がすばらしいのでしょう。そして先ほどのキノコはハナイグチ(すなわちジゴボウ)でアタリだったかもしれません。
『ウィキペディア』の『ハナイグチ』のところには、次のような記述もありました。念のため。
【同様にカラマツ属の樹下に限って発生するきのことしてはシロヌメリイグチが知られているが、かさや柄が赤みを帯びず、むしろ帯褐灰白色を呈する点で簡単に見分けることができる。また、管孔もレモン色を帯びず、その孔口はより大形でやや放射状に配列すること・胞子紋が緑色を帯びた灰褐色〜暗褐色を呈することでも異なっている。
同属のヌメリイグチやチチアワタケなどは、実用上ではしばしば混同されているが、ともにアカマツ・クロマツなどの二針葉マツに外生菌根を形成することで、容易に区別される。また、前者はかさがより暗色(暗褐色〜暗紫褐色)であり、つばより上部において柄の表面に暗紫褐色の微細な粒点を密布することで異なり、後者はまったくつばを欠く点で相違している。】
そんなところまで私にはわかりませんが。

木曽駒ヶ岳登山 ミヤマセンキュウ?
【撮影】2日目 12時33分=伊藤 幸司
どうしてこの写真をこんなふうに撮ったのか忘れてしまっていましたが、いろいろ調べているうちに、花のついた茎(花柄)の根本近くから葉が出ているため、全身像が見えると思った、と思うのです。普通なら花を真上から撮るところですが、せっかくなので正体を暴けないかとやってみることにしました。
当初は写っている葉のどれがこの花とつながっているのかピンときませんでしたが、画面右1/3あたりから下に伸びているのが葉柄です。
あとで考えてみれば、これは難問の「セリ科」の高山植物のひとつなので深入りしないところでしたが、なんとなく初めて見る花じゃないかと思ってしまったので大胆に「木曽駒ヶ岳の白い花」としてグーグルの画像検索を軽く眺めてみたのです。そうしたら白い5弁の花で、雄しべをピンと伸ばした端正な花が出てきました。それがミヤマトウキだというので、例の「セリ科」のやっかいな揃い踏みのなかのひとつだとわかったのです。
それを感じて、葉の形までわかるこのような写真にしたのだと思い出しました。ここ数年「葉っぱも撮る」という習慣がついてきましたが、ほとんど歩きながらという条件でそういう写真をいつも撮れるわけではありません。ところが今回はうまく全身像として写せたのです。そのかわりなんだか初めて見る花のように写ってしまった……というお粗末でした。
そこでとりあえず私の植物図鑑に貼り込んであるセリ科の一覧表を見ると「セロリに似た香気があって、葉のふちは重鋸歯」というミヤマトウキと「葉の切れ込みが方がシダっぽい」というミヤマセンキュウが候補に上がってきました。
まずは鈴鹿医療科学大学の先生と思われる梶本さんの『木々の移ろい』というサイトの『四季の草花』に『ミヤマトウキ』がありました。
【信州の白馬周辺は高山植物の宝庫である。栂池自然園(1900m)、八方尾根(1900m)、白馬五竜自然園(1600m)など、夏には高山植物が咲き誇る斜面や湿原が目白押しである。ここで沢山のセリ科の大型高山植物に出会うが、慣れないと同定が難しく、その場で名前が言えない。今回はそのようなセリ科植物についてまとめてみた。
 ハナウド属のものは花の形からすぐにわかるが、シシウド属は花が似ており、まずは葉の形で見分けることになる。葉の分裂が少なく比較的単純なものはミヤマシシウドやアマニュウである。一方、シラネニンジン、ミヤマウイキョウ、ミヤマセンキュウ、ミヤマゼンコなどは人参の葉のように細かく分裂する。中間はハクサンボウフウとミヤマトウキである。この2つは先端の葉が3裂するが、ミヤマトウキはその学名にあるように、分裂した葉がシャープで光沢がある。
 花茎の分岐点にある総苞片や小総苞片も見分けるヒントになるが、ミヤマトウキなどは、これらがあっても数が少なく、付いている分岐も少ないので、あまり参考にはならない。】
続いてミヤマセンキュウを調べてみたら、また『木々の移ろい』の『四季の草花』の『ミヤマセンキュウ』に分かりやすい写真が並べられていました。
【ミヤマゼンコと同じく中型に属し、40-80cm程度になる。特徴は小総苞片が発達していてとてもよく目立つことと、シダに似た形の葉である。この2点が揃っていれば、ミヤマセンキュウで先ず間違いがない。】
そこに【8月下旬の木曽駒千畳敷カールで写す。葉の形がよくわかる。】という写真がありました。さて、どうでしょうか。

木曽駒ヶ岳登山 ヒメサクラシメジ?
【撮影】2日目 12時40分=伊藤 幸司
「茶色いキノコ」で画像検索したらヒメサクラシメジというキノコが何枚も出てきて、他人の空似かもしれませんが一応候補としてみました。
『千葉県立中央博物館』の『房総の山のフィールド・ミュージアム』に『ヒメサクラシメジ』(2006/11/01)がありました。
【モミ林に珍しいキノコが生えているというので案内していただいた。ちょっと乾き気味の林に入ると斜面に点々と濃い赤ワイン色のキノコが生えているのが見えた。ヒメサクラシメジというあまり発生量の多くないキノコだ。名前の似ているサクラシメジは色がもっと薄く、カサの周囲が波打たないので区別できる。味の方はヒメサクラシメジの方がおいしいとのことだ。さらに林の奥にはいるとアカモミタケもぽつぽつ生えていた。今年はサクラシメジやウラベニホテイシメジといった秋のキノコがあまり採れなかったのでうれしい収穫だ。(小田島高之)】
グーグルの画像検索が格段に使いやすくなりつつあります。典型例だけしか載せられない印刷物と比べるとあらゆるバリエーション画像を提示できるウェブ図鑑に向かっているという実感があります。
私たちのこの「山旅図鑑」の写真もそこに収録されていく可能性を感じながら利用しているのですが、キノコなどではたまたま見た目が似ているキノコ写真をランダムに拾い上げてくれる「顔認証システム」のようなものも加えてくれると、そこにピックアップされたものの名前を手がかりにひとつずつ調べていくための「画像索引」のようなものになるのだろうと思いました。
このキノコが「濃い赤ワリン色」のヒメサクラシメジかどうかわかりませんけれど。

木曽駒ヶ岳登山 カケスの羽根
【撮影】2日目 12時44分=伊藤 幸司
これはときどき登山道に落ちている羽根です。……ということはこの羽根の持ち主に不幸な出来事があったということなのですが。
「カケスの羽根」で検索したら前のきのこの写真と同じ『千葉県立中央博物館』の『房総の山のフィールド・ミュージアム』の『教室博日記』に『カケスの羽根』(2006/09/15)がありました。
【尾根道を歩いていると5センチほどの青いきれいな羽が落ちていた。他にもあるかと思って探したが、それ一枚きりだった。青い羽根の鳥なんてカワセミくらいしか思いつかないが、カワセミの羽根だったら水辺に落ちていそうなものだ。とりあえず野帳に挟んで持ち帰った。
 後に羽根の図鑑で調べると拾ったものとそっくりな羽根が載っていた。カケスの翼の一部である雨覆羽根の一枚だった。図鑑上のカケスの全身にも確かに翼に青い部分があり、結構おしゃれな印象。今度は野外で観察したいと思う。
(小田島高之)】
カケスの羽根については似たような例がありました。
『かけす・くらぶ…身近な生き物便り 誰か思い出すだろうか、ここに生きてた私を…』という名前のブログなんでしょうか。そこに『カケスの羽根』(2009/1/8)という文章がありました。
【きのう、山中を歩いていると鳥の羽根が散らばっていた。
現場は渓流からの引き込み水路横。
よく見るとカケスの羽根のようだ。まだ新しい。
風切、雨覆、小翼羽に見られる特徴的な黒・青・白の縞模様が美しい。
どうしたんだろう?誰にやられたんだろう?
「四つ足(獣)にやられたら羽根はまとまって落ちないし、少ない」と誰かが言っていたが、羽根は意外とまとまって落ちている。
やはり猛禽(鳥)が仕留めて嘴で羽根を抜いて「調理」したのだろうか?
その猛禽は?タカ?フクロウ?
とりあえず一式拾い集めて別の種の羽根が交じっていないか、調べてみよう。
カケスは留鳥または漂鳥。おもにドングリなどの木の実を採食するが、雑食性も。ドングリを隠す習性もある。しわがれたような声で「ジェイ」と鳴く。英名はそこから。他の鳥の鳴きまねも上手く、特に猛禽類で何度騙されたことか。
里山に普通にいるが、見れなかったら寂しい気持ちになる鳥。
私の好きな鳥のひとつ。「かけやん」は実はカケスの愛称。
追記
拾ってきた羽根を並べてみた。この他にも数枚。
結局、「仕置人」の羽根はなかった。】

木曽駒ヶ岳登山 キノコ
【撮影】2日目 12時48分=伊藤 幸司
気候のせいか、天候のせいか、キノコがたくさんありました。すでに見たものと同じなのか、違うのか、わかりません。調べるとすればそこからですから、パスしておきます。写真を捨てるという手ももちろんありますが。

木曽駒ヶ岳登山 キヌメリガサ?
【撮影】2日目 12時50分=伊藤 幸司
でも、またキノコ。なに色のキノコというべきなのでしょうか。この写真ではわかりませんが、太めの白っぽい柄(ツカ)がついています。
黄色いキノコはけっこういろいろあるのですが、イメージとしては気持ちよく、当たったという感じがします。
『きのこナビ キノコの事典/図鑑』に『キヌメリガサ』がありました。
【採るのが大変で根気がいるキノコ
ヌメリガサ科 ヌメリガサ属
別名・和名:コンキタケ、コキンタケ、黄滑傘など
発生場所:カラマツ林などの針葉樹林の地上に群生
季節:晩秋〜初冬
おいしさ度:1
キヌメリガサは粘性が強いヌメリがあり、落ち葉や土が付いて採りづらく、根気がいるため「コンキタケ」とも呼ばれるきのこです。また、小さく金色に近い外見なので小金茸「コキンタケ」という別称もあります。
傘は直径が2〜6cmほどで、レモン色または鮮やかな黄色をしています。形は初めまんじゅう型で成長するにつれ開き、最終的には平らに近い形になります。
ヒダは成長時にはツカに垂れており、色は淡い黄色で、ヌメリのある皮膜に覆われています。
ツカは5〜10cmほどの長さで、色は白色〜淡い黄色です。また、ツカは粘性のあるクモの巣状の膜に包まれています。この皮膜は、幼い時に傘のフチからツカの上部につながっていたものです。ツカは中が空洞になっています。
肉は白色で柔らかく、匂いはほとんどありません。
キヌメリガサは食用ですが、味や香りは無味無臭で際立った特徴はありません。色がきれいなため、その鮮やかな黄色を利用して調理されることが多いキノコです。】

木曽駒ヶ岳登山 ナラタケ?
【撮影】2日目 13時05分=伊藤 幸司
さてこれはなんというキノコかということで茶色系で枯れ木にびっしりと生えるものをいろいろ探しているうちにサワモダシという不思議な名前が候補のひとつに上がってきました。
そこでサワモダシで検索するとナメコ、ムキタケ、チャナメツムタケ、ヌメリスギタケ、ブナハリタケ、サワモダシ、シイタケ・・・とキノコ名を連呼するサイトが出てきました。とりあえずそれを開いてみると、なんと羨ましいキノコ狩りのレポートです。こういう世界があったのかという意味で、ぜひ一度ご覧いただきたいと言う意味でご紹介しておきたいのです。
『山釣り紀行』で『自然と人間と文化を考える Akita mountain fishing club』とあり『豊穣の森 ブナ林のキノコ狩り(1)』というタイトルの下に『ナメコ、ムキタケ、チャナメツムタケ、ヌメリスギタケ、ブナハリタケ、サワモダシ、シイタケ・・・』とあったのです。
ここでは文章だけ拾っておきましょう。
【2003年10月11日、待ちに待った「豊穣の森・ブナ林のキノコ狩り」へ・・・「米が不作の年は、キノコも不作」あるいは「カラカラ天気が続いた後は最悪」といった常識を吹き飛ばすようなキノコの群れに、心は舞い上がり、危うく腰を抜かす?ところだった。・・・写真は「キノコの山に酔いしれる」釣友・小玉氏。
 雲ひとつない快晴、ブナ越しに黄葉に染まった山々を望む。黄葉の峰走りは、思ったより早く、あと一週間もすれば、黄葉のピークになるだろう。一方、ブナ林のキノコの代表・ナメコはポツリポツリと顔を出したばかりだったが、ムキタケは最盛期を迎えていた。
 川を歩き始めてまもなく、対岸にキノコらしきものが見えた。走るように駆け寄ると、見事なナメコの群れに出くわす。幸先のいいスタートに、これならナメコも期待できるのではないかと思ってしまったが・・・。
 野生ナメコの成菌。ナメコの幼菌は、栽培物と似ているからすぐに分かるが、傘が開くとその姿も一変する。このぐらいの成菌が、ボリュームもあり地元の人たちに好まれている。
 ナメコ狩りのアップ・・・ブナの倒木に傷をつけないよう、丁寧にナイフで切り取る。倒木の表だけでなく裏にも生えているので、見つけたら360度見回すことを忘れずに。
 キノコ狩りの楽しみは、採るだけでなく、現場で美味しいキノコ料理を楽しむことに尽きる。朝食は、もちろん採りたてのナメコをコッフェル一杯に入れて味噌汁を作る。美味い!美味い!言うことなし・・・これだからブナ林のキノコ狩りは病み付きになる。黄葉が始まった谷間を眺めながら、これ以上ないご馳走に舌鼓をうつ。
 食後のコーヒーをのんびり飲んだ後、目的の沢に向かう。まもなく、沢に倒れ込んだ巨大ブナの倒木にムキタケを発見。まだ成菌とは言えず、良品だけを選んで採取する。・・・キノコは意外に気まぐれで、風倒木から顔を出しても数日で姿を消してしまう。快晴に恵まれ、採るタイミングが難しい。
 黄色く色づきはじめたブナの立木に生えていたヌメリスギタケモドキ。一般にハンノキやヤナギの枯れ木に生えるが、こんな若々しいブナの幹に生えているのは珍しい。こうした立木に生えるキノコを木材腐朽菌と呼ぶ。残念ながら手が届かない高さに生えていたので、三脚を据え、ズームアップで撮る。傘にヌメリがあるが、柄にはなく、ヌメリスギタケと簡単に区別できる。
 小沢の倒木に生えていたナメコの幼菌。緑の苔と可愛らしい姿、色艶にいつも心惹かれる。ブナ林のキノコの中では、最も絵になるキノコだと思う。もちろん味も最高だ。
 チャナメツムタケ・・・分厚い苔とブナの落ち葉、こんがりと焼けたような見事な色艶、リズミカルな配列・・・いずれをとっても美しい。傘に強い粘性があり、ナメコの成菌に似ているが、傘の縁に綿毛状のりん片がついているので区別できる。
 チャナメツムタケを切り取り逆さにして撮る。白さが際立ち、柄の根元に白い繊維状のささくれが目立つ。料理は、けんちん汁、スープ、煮物、味噌汁、鍋物など。
 小沢に突き刺さるように倒れていた倒木には、ムキタケが群生していた。一つ一つ選びながら、ナイフで切り取る。ムキタケは成菌になるにつれて虫がつきやすいが、その気配は皆無だった。
 ブナ林から沁み出す湧水と苔の群れに誘われるように枝沢を登る。
 まもなく急斜面から湧き出す源流に達する。「ブナの雫」・・・。
 水が枯れた急斜面を登り、キノコを探す。
 ブナ林の中に一際大きいミズナラの巨木が目に止まった。もしかしてと思い、ミズナラの巨木の裏を覗く。既に腐っていたが、幹の窪みにマイタケの巨大な塊が・・・直径は50センチにも達する大きさだ。旬の頃なら、間違いなく舞い上がっていたことだろう。親、兄弟にも教えないというマイタケだけに、これは二人だけの丸秘にしようと誓ったのは言うまでもない。来年の楽しみが増えたことに二人は、顔を見合わせ笑った。
 急斜面を登りきると一転、平らなブナ林に達する。キノコを探しながら歩いていると、低地にキノコが群生している湿地帯に出る。
 立ち枯れた木に群生していたムキタケ。これは手が届かず、写真を撮るだけに終わった。こうした高い樹の上に生えたキノコは、鎌に長い柄をつけて採るらしい。しかし、そんなことをしなくとも、下を見ると横に倒れた倒木にムキタケがたくさん生えていた。
 旬のムキタケ。ムキタケは、その名のとおり、表皮が簡単にむけるので、すぐに分かる。猛毒のツキヨタケと間違えやすいが、縦に割ると簡単に区別できる。試しに縦に割ってみたのが上の写真。黒紫色のシミがあればツキヨタケだが、それがないことに注目。
 セリが群生していた湿地周辺に、何本も群がって生えていたスギタケモドキ。ここは高台のブナ林だが、この右手にコンコンと湧き出る泉があり、キノコの楽園のような場所になっている。沢だけでなく、森を歩けば、不思議な場所にも出くわすものだと感心させられた。
 スギタケモドキ・・・焼くと美味しいキノコだが、体質によって中毒する場合もあるらしい。またこの種は、見分けが難しい有毒種も多いので、むやみに採取しない方が無難だろう。それにしても美味そうなキノコだった。】
サワモダシが出てきませんね。じつは「その(2)」のほうにあったのです。
『豊穣の森 ブナ林のキノコ狩り(2)』の『サワモダシ(ナラタケ)』に関しては次の文章と2枚の写真。
【サワモダシ(ナラタケ)・・・昔から味噌汁や鍋物の材料として最も利用されてきたキノコの代表。名前のとおり沢沿いに多く生え、簡単かつ大量に採取できる。一般に渓流釣りで一番最初に出会うキノコ。旬は9月。
 10月ともなれば、ほとんど腐っていたが、珍しく食べ頃のサワモダシを見つける。ポロポロと崩れやすく見栄えは余りよくないが、味は最高だ。】

木曽駒ヶ岳登山 ナラタケ?
【撮影】2日目 13時06分=伊藤 幸司
じつはこれは前の写真のキノコを下から撮ったもの。これがナラタケ(サワモダシ)だとするとナラタケモドキかもしれないということにもなってきました。
『魚沼の里から』というブログに『あまんだれ…ナラタケとナラタケモドキ』(2014/10/02)がありました。
【「あまんだれ」は新潟県では誰でも知っているポピュラーなきのこである。菌が生木にも付く「殺生菌」(さっせいきん)のため、一般の店舗販売やホダ木栽培は禁じられているというが、この時季道の駅やスーパーでも普通に売られている。
 学名はシメジ科のナラタケだが、当地方では「あまんだれ」が一般的で、学名のナラタケは通りがよくない。昔から地方によって様々な呼び名があるという。大きくなると形が崩れやすいため、当地では文字通りの「クズレ」とも言う。そのため採りに行くタイミングがけっこう難しい。
 ナラタケとよく似たものでナラタケモドキがある。ナラタケと違う点は茎にツバがなく、茎は中空で折れやすいなどと区別されているようだ。
 この絵のものはごく小さいきのこだが、カサがかすかに認められた。ある程度大きくなってくるとはっきりとしたカサができてくるのだ、と今まで思ってきた。その後山で注意して観察すると、小さいものでもはっきりしたカサを持つものあれば、大きく育ったものでもカサがかすかにしかないものもある。まったく無いものであれば、本にあるようにナラタケモドキということになるのだろうが、大きく成長したものでもカサがかすかに付いているものはやはりナラタケなのだろうか。どうもいまひとつ釈然としない。本体の形にもいろいろあるようだ。これだからきのこは困る。
スケッチのメモにはナラタケモドキとしてあるが、あるいはナラタケなのかも知れない。
 肝心の味のほうは、モドキが付かないナラタケがやはり評判がいいようだ。しかし、モドキの柄の部分の、あのショキショキとした食感もいい。ともあれ、あまんだれ…ナラタケはナメコなどよりも数段上のような感じさえする。さらには、マツタケよりもうまいなどという人もいるくらいである。】

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 13時28分=伊藤 幸司
標高約1,450m「ちりめん坂」と名付けられた急斜面が終わったらしいところで10分休憩しました。気温は20度C。長い下りも、あとわずか。「ぶどうの泉」という水場のあるあたり。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 13時30分=伊藤 幸司
ちょっと荒れた光景がありました。

木曽駒ヶ岳登山 トチの実
【撮影】2日目 13時34分=伊藤 幸司
これはベンチでしたっけ? 栃の実が置かれていました。
『テクテク歩こう!!』というブログに『台風一過(木の実拾い)』がありました。
【◇ トチの実
 ずいぶん古い話になりますが、初めてトチの実を拾った時、学校で縄文人が食料にしていたと習った記憶があり、外見も栗に似ているところもあったので、茹でて食べてみましたが、渋くて?、苦くて?食べられませんでした。
 その後ずっとトチの実の食べ方を疑問に思っていたのですが、数年前栃木県を旅行した際、トチの実を拾っているおばあちゃんに出会いました。
このおばあちゃんに自分の「苦い」経験を離したところ、「渋抜き方法」を教えてくれました。
 「渋(灰汁)は、灰汁でやっつける」のだと言って、「灰からとった大量の灰汁で煮た後、何日間も流水に晒す」という方法とトチ餅の作り方を教えてくれました。話の最後に、おばあちゃんは、にっこり笑いながら「灰汁(悪)は灰汁(悪)でしかやっつけられない」とも話してくれました。
 トチの実は、右側のように堅くて厚い三枚の殻斗(かくと)で覆われています。
 左側は、二枚の殻斗をはがしたものです。
 枝にくっついていた部分は、右側の実が下部、左側の実が上部なのですが、不思議なことに、実そのものは殻斗の中で横になっているようです。実の白い部分が下部、黒い部分が上部と思うのですが・・・すべての実がこのようになっています。
 折角おばあちゃんに教えてもらったあく抜き方法ですが、未だに一度もあく抜きをしたことはありません・・・】

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 13時45分=伊藤 幸司
もう最後の最後だという感じのところまで下って、こんな強引な道付けになりました。

木曽駒ヶ岳登山 桂小場ルート
【撮影】2日目 14時17分=伊藤 幸司
これが桂小場登山口。
案内板に「このルートは桂小場(かつらこば)ルートといい、昭和42年に千畳敷ロープウェイが架設されるまで西駒登山のメインルートでした。」とありました。私たちはここでタクシーを待ちました。

木曽駒ヶ岳登山 伊那市
【撮影】2日目 16時39分=伊藤 幸司
入浴後、JRの伊那駅まで出て、商店街の古い喫茶店でローメンなどをいただきました。



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