山旅図鑑 no.223
六甲山
2018.12.18-19

山旅図鑑目次


糸の会(no.1119)
2018.12.18-19
六甲山
108パワー

1日目……登り19p→稜線32p
2日目……稜線35p→下り22p

*計画書には以下のように書きました。
────
*当日出発の方は0703東京始発の「ひかり461号」か0730始発の「のぞみ11号」でおいでください。新幹線は運賃9,290円+自由席特急料金4,870円です。
*ご存知だと思いますが、東海道新幹線を3割引きにするには「ジパング倶楽部」の通帳で購入する必要があります。また「のぞみ」の特急料金は適用外なので特急料金のみノーマルで購入する必要があります。
*夜行バスに関しては伊藤が11/30に購入したところ「WILLERのK142便」の3列席(コモドシート)が10席中1席しか売れていない状態でした。左右が通路でカーテンで(ほぼ)完全に仕切られる「3列シート」で7,000円弱です。22時00分に東京駅八重洲口側の「鍛冶橋駐車場」を出て06時10分に三宮に着きます。京成バスの「0001便」は21時05分に「千葉中央駅西口5番のりば」、21時55分に「西船橋駅北口高速バスターミナル」を出て、08時00分に神戸三宮に到着します。3列独立シートで7,500円前後、こちらのバスは常識的な「トイレが付き」ですから初体験の方には安心です。ウェブでバスの便名を検索すると出てくると思います。(ちなみに帰路、伊藤は大阪からの夜行バスにしました)
*夜行バスでおいでの方はお知らせください、朝の神戸を散歩しましょう。
*今回の計画は、六甲山のベストルートだと思います。1日目の朝の登りは神戸市街の展望も一見の価値ありですが、明治の半ばに神戸在住の外国人たちによって始められた「毎日登山」発祥の記念すべきクラシックルートです。
*2日目は「六甲山上」の観光地やら、別荘地やらを抜けていきます。
*展望ジャグジーがあります。レンタル水着もありますが、できればお持ちください。
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第1日(12月18日)
・1035……神戸市営地下鉄・県庁前駅を出発(標高約50m)
・1050……諏訪山公園登り口(標高約50m)
・1055-1100……休憩(標高約100m)11度C
・1110-20……ヴィーナスブリッジで休憩(標高約150m)
・1145-55……市章山で休憩(標高275m)
・1300-10……大龍寺で休憩(標高約400m)
・1340-50……市ヶ原でトイレ休憩(標高約250m)8度C
・1412……稲妻坂手前の送電線鉄塔(標高約400m)
・1445-55……天狗道分岐の555m峰付近(標高約550m)
・1550-1600……摩耶山・掬星台(標高約700m)
・1605……オテル・ド・摩耶に到着(標高約700m)
第2日(12月19日)
・0835……オテル・ド・摩耶を出発(標高約700m)
・0940-45……三国池で休憩(標高約750m)
・1010-25……六甲郵便局でトイレ&展望休憩(標高約800m)
・1135-40……休憩(標高約850m)
・1215-20……六甲山最高峰山頂(標高931m)
・1230-55……一軒茶屋で昼食+トイレ(標高約850m)
・1415……有馬温泉登山口(標高約400m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は3人です。
小林 美子、矢野 博子、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.223
六甲山
2018.12.18-19

六甲山・登山
【撮影】1日目・06時59分=伊藤 幸司
この日は日の出が午前7時ジャストとなっていました。『国立天文台・暦計算室』の『各地のこよみ』を見て、計画書には必ず日の出と日の入りを書くようにしています。
この日7時ジャストの日の出というのは兵庫県の「県庁所在地」の日の出ですから、まさにここですが、でもすこし高いところから見ているので何秒か早いはずです。
場所は「ビーナスブリッジ」ここまでタクシーを飛ばしてきてかろうじて間に合ったのと、なんだここのことか、と思ったのが同時でした。
じつは私はJRの3割引チケットを利用できる「ジパング年齢」の皆さんにしきりに夜行バスを勧めているのですが、昔の苦い経験があるからか手を出さない人が多く、けっきょく今朝は4人でした。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時00分=小林 美子
6時頃夜行バス組4名、神戸三宮に到着
三宮の町はまだ動き出していなかった。
店が開いているのはコンビニだけ、タクシーもほとんど走ってない。タクシー会社にお迎えの電話を3軒してみたが、どの会社もはやすぎたのかダメでした。
やっとの事でタクシーが拾え、朝日の見える所へお願いして、日の出ギリギリ
諏訪公園に着く。
神戸港・ポートタワーが見える。写真の下側にビィーナスブリッジがみえます。
皆と合流してからは、このビィーナスブリッジを上ってきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時00分=小林 美子
早朝の神戸の町
少し霞んでいる。
12月18日の始まりです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時01分=伊藤 幸司
展望歩道橋のこれが「ブリッジ」なんでしょうか。下に見える神戸の中心街から山の手に向かって散歩してくれば、振り返ると朝日……というイメージで気安く歩いていたのですが、どうも間に合わないぞと思って慌ててタクシーを捕まえたのです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時03分=小林 美子
愛の鍵モニュメント・四つ葉 のクローバーがありました。若い二人ならこのクローバーを二人で踏むのだろう……

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時04分=小林 美子
神戸市の諏訪公園の展望台に設置されているモニュメント。
以前はビィーナスブリッジの手すりにおいて行われていたが、取り付けられる鍵の急増が問題視されて、
本モニュメントが制作されたそうです。
今日は、カギの数が少ないみたいだ。
案内の写真を見るとぎっしりついている写真が多い。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時04分=小林 美子
こんなかわいい鍵もありました。
どんなカップルがつけたのかな?
ここに来たのだから今は幸せになっているでしょうね

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時05分=伊藤 幸司
ここは展望公園になっていて、これはなんの役にも立ちそうにないモニュメント。登るわけにもいかない感じだし、雨宿りもできない。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時06分=伊藤 幸司
でもそのモニュメントがたぶん「ビーナス」の名にかかわるものなのでしょう。けっこう高価な鍵が他に全く使い道のないような状態でこうして置かれているというか、捨てられているというか、手厚く保存されているらしいのです。
だいたい、鍵に愛を託すというこの作業をなんと言うのか、私は知りません。
『ウィキペディア』によると『愛の南京錠』というのだそうです。
【愛の南京錠(あいのなんきんじょう、英語: Love padlocks)とは、恋人たちが永遠の愛の象徴として南京錠をフェンスや門扉、橋などの公共設備にかける儀式である。
その対象となる場所は世界中で増え続けており、鍵をかけるためのモニュメントが特設された土地もあるが、景観を損ねるだけでなく安全性に問題が出る恐れもあることから、世界各地で撤去作業が行われている。1990年代から2000年代の初めにかけてみられるようになった現象で、その起源については定かではないが、セルビアやイタリアなどでは発祥となった伝説や作品まで遡ることができる。】
そしてこの『愛の南京錠』の文中に、まさにこの場所の名前がでているではありませんか。しかも『撤去に関する議論』のところで。
【日本では、愛知県の野間埼灯台や神戸市のビーナスブリッジが愛の南京錠の名所として知られているが、景色にそぐわないという意見もあり、自治体が対応に追われるなど問題となっている。ビーナスブリッジでは2000年頃から南京錠が手すりに付けられてきたが、景観や補修の妨げになることから撤去した。これらを鋳溶かしてハート型の記念プレートに作り替え、さらに付近に南京錠を取り付けるためのモニュメント(愛の鍵モニュメント)を設置した。このモニュメントは設置から13か月で1万個を超える南京錠が取り付けられて一杯になってしまったため、これらも追加のプレートに作り替えられている。プレートは4枚揃えば四つ葉のクローバー型になるよう設置されている。】
なんとこれには「愛の鍵モニュメント」という立派な名前があり、こういう鍵が1万個以上取り付けられた過去があるとのこと。2005年〜06年というけっこう昔のことらしいけれど。
『ウィキペディア』には『ウィーナスブリッジ』という項目も立てられていました。
【元町の北、北野町の西にある金星台と諏訪山展望台を結ぶ90mの、8の字型螺旋橋である。神戸の街と港が間近に望めることで橋そのものが展望施設として利用されており、神戸屈指の夜景スポットになっている。
名称の由来は1874年にフランス人ヤンセンらの天体観測隊が諏訪山公園内の展望台で金星(ヴィーナス)の太陽面通過の観測を行ったことに由来する(それ以来、その展望台は「金星台」と呼ばれている)。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時20分=伊藤 幸司
秋田犬を2頭連れた人が現れました、2匹をつないで、リードは外しています。犬も人もここでは有名人のようです。
帰ってから単純に秋田犬は「あきたいぬ」と読むのが正式か確認するために検索してみると意外な事実を知りました。
『みんなの犬図鑑』は現在『121犬種掲載中』だそうですから、もちろん『秋田犬』がありました。
【秋田犬の歴史
秋田犬と書いて「あきたいぬ」と読みます。
21世紀となった今でこそ、秋田犬はどの犬も犬種標準に沿った容姿に整っていますが、これは昭和初期、20世紀になって、純粋な秋田犬の作出と保存運動が起こったことから始まりました。
それ以前の秋田犬は、洋犬やほかの日本犬との雑種化が進んでおり、外見も性格もバラバラだったのです。
そうなった理由は、明治の時代まで闘犬として使われてきた背景と、戦争による犬の供出を回避する目的によるものでした。
秋田犬の祖先となった犬は、この地方に存在した猟師の犬・マタギ犬と考えられています。
江戸時代、秋田県大館地域の領主佐竹氏により始められた闘犬は、主にマタギ犬を選択交配していました。明治に入るとより強く大きくなるように、土佐犬やジャーマンシェパード、グレートデンなどとも交配が進められました。
しかし、20世紀初頭の1916年になると、闘犬は日本でも禁止されました。
闘犬の禁止により秋田犬の存続を危ぶんだ愛好家や研究者などによって、新しい秋田犬の標準が探られ、1919年に発令された天然記念物保存法の指定動物となるべく、改良と作出が始まりました。当時の内務省は秋田犬を視察に訪れましたが、雑種の程度がはなはだしいとされ、天然記念物登録は見送られてしまいました。
関係者はさらに努力を重ね、ついに1931年には天然記念物秋田犬として登録されることになりました。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時23分=伊藤 幸司
この日、神戸で 07:00 だった日の出が25分後にこんな状態になりました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時25分=小林 美子
7:00の日の出時間にギリギリ着いたのだが、雲が多くて残念な日の出だったが、今やっと雲の中から太陽が顔をだした。
さむ〜〜い!

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時25分=伊藤 幸司
これが「ビーナスブリッジ」の本体なんでしょうね。
『神戸観光壁紙写真集』にはかなり愛情のこもった解説として『ビーナスブリッジから見る神戸の夜景』がありました。
【ビーナスブリッジは、元町の北に位置する諏訪山公園の中にあり、8の字の形をした螺旋橋(ループ橋)で、全長は約90mです。】
【神戸の背後には六甲山系の山々が連なり、数多くの展望スポットがありますが、六甲山の中でも、ビーナスブリッジは神戸の市街地から近く、車でも徒歩でも気軽に行ける展望台です。
車がなくても、三宮からタクシーを使って15分ほどで行くことができます。三宮からのタクシー料金は、片道1000円から1500円ぐらいです。】
【再度山ドライブウェイの神戸側の入り口から、約1km、車で5分足らずで行くことができます。三宮駅からは約3km、車で約15分ほどです。
再度山ドライブウェイは、夜23時〜翌朝5時は車両通行禁止になっています。なお、バイクは終日通行禁止になっています。23時以降でもタクシーは通行ができます。
駐車場は無料で、入り口に15台ほど止めることができます。駐車場は再度山方面へ50mほど登ったところにもあります。】
【みなとこうべ海上花火大会開催時には、北行き(再度山方面)は通行止めになります。夕方から駐車場は満車状態が続きます。】
【地下鉄「県庁前駅」から約1.5kmで、往路は急な登り坂が続く区間があり、徒歩約30分〜40分かかります。下り坂になる復路は、徒歩約20分〜30分です。
バスを使う場合には、JR・阪神・阪急「三宮駅」から市バス7系統に乗車し、「諏訪山公園下」のバス停で下車後、徒歩約20分〜30分。】
【神姫バスツアーズが定期的に「神戸夜景ツアー」を開催しており、三宮からバスでビーナスブリッジへ行くことができます。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時28分=伊藤 幸司
ほんとうはこの街並みを抜けて登ってきて、振り返ったら朝日が! というシナリオを用意していたのですが、モタモタしているうちに日の出時刻の7時00分が刻々と近づいてきたので、タクシーのドライバーさんが言った「ビーナスブリッジ」に一直線。それが海辺の橋ではなく、予定していた登山ルート上の展望台だったとは。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時28分=伊藤 幸司
神戸での早朝散歩を楽しんだメンバーです。わざわざザックを背負っている必要はないのにね、と思う人も多いでしょうが。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時30分=伊藤 幸司
今日のスタート地点である神戸市営地下鉄・県庁前駅へと下ります。朝日がようやくさしてきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時35分=伊藤 幸司
神戸の街からまっすぐ登ってきたら、この道をたどっていた、はずです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時37分=伊藤 幸司
こんな公園に出ました。
『ウィキペディア』の『諏訪山公園』を読むと、今朝の散歩が「諏訪山公園」だったということがはっきりします。
【諏訪山公園(すわやまこうえん)は兵庫県神戸市中央区諏訪山町の六甲山地諏訪山中腹から山麓にかけて存在する公園。開園は明治時代初頭。当初は諏訪山遊園という名称で、園内には諏訪山動物園(王子動物園の前身)が設けられていた。 現在は諏訪山展望台とヴィーナスブリッジ、金星台、諏訪山児童公園などで構成される。 】

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時37分=伊藤 幸司
紅葉の中を下ります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・07時50分=伊藤 幸司
左手に見えるのは兵庫県公館。『兵庫県庁』のホームページに『兵庫県公館とは』がありました。
【兵庫県公館は、明治35年(1902)年に兵庫県本庁舎として建設され、永きにわたり県政の歩みを刻んできた歴史的文化遺産です。
昭和60年(1985)年に、迎賓館と県政資料館を併せ持つ兵庫県公館として整備されてからは、内外からの賓客の接遇、県政の重要な会議や式典に利用されるとともに、県政の歩みや兵庫の姿などを紹介しています。】
加えてここは映画やテレビで突如、かつしばしば登場するようです。
『神戸フィルムオフィス』に『兵庫県公館での支援作品』が一覧されていました。
【亜人、HERO、日本のいちばん長い日、松本清張 砂の器、土曜ナイトドラマ「H-code 2nd」、ドラマ30「暖流」。僕の彼女はサイボーグ、朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」、赤い月】
その個々の作品についての「支援内容」は、例えば……
【HERO
ジャンル────映画
国────日本
撮影年────2014年
公開・放映年────2015年
撮影場所────兵庫県公館、海岸ビルヂング
配給会社・テレビ局────東宝
監督・演出────鈴木雅之
出演者────木村拓哉、北川景子、松たか子
その他────大ヒットテレビドラマを映画化。スーツを着ない検事が神戸での撮影シーンに登場!】
【松本 清張 砂の器
ジャンル──テレビドラマ
国──日本
撮影年──2010年
公開・放映年──2011年
撮影場所──新神戸オリエンタル劇場、兵庫県公館、ジャズ喫茶JamJam
配給会社・テレビ局──テレビ朝日
監督・演出──藤田明二
出演者──玉木宏、小林薫
その他──エキストラ延べ550人が参加】
【僕の彼女はサイボーグ
ジャンル──映画
国──日本
撮影年──2007年
公開・放映年──2008年
撮影場所──旧外国人居留地、南京町、神戸大学、東遊園地他
配給会社・テレビ局──GAGAコミュニケーションズ
監督・演出──クァク・ジェヨン
出演者──綾瀬はるか、小出恵介
その他──2ヶ月に渡る市内長期ロケ】

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時01分=小林 美子
三宮センター街一丁目
朝のだれもいない、アーケードを朝食を求めて歩く
お腹がすきましたぁ〜

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時12分=矢野 博子
往路の新幹線からは 真っ白に雪を被った富士山がきれいだった。何故か富士山に出会えると 必ず 気持ちがアゲアゲになる。

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時27分=小林 美子
西村コーヒー店で
やっと、朝食
モーニング 800円
サラダかフルーツ
どちらかを選びます。
フルーツを選びました。
大変美味しくいただきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時28分=伊藤 幸司
朝食は「にしむら珈琲店三宮店」でセットメニュー。なかなか優雅な気分になりました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時28分=伊藤 幸司
『神戸にしむら珈琲店』のホームページに次のような一文がありました。
【神戸北野のハンター坂の南角。テーブルがたった3つのちいさな珈琲店がすべての物語の始まり。
1948年は戦争が終わって3年後の日本では、珈琲豆のかわりに大豆の“代用コーヒー”にしかお目にかかれなかった時代に“誇り高き極上の一杯のコーヒー”を呈してくれるたった一人の女主人の店。その名は「にしむら珈琲店」。
この一杯のコーヒーに込められているのは、無数のイマジネーション。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカ・・・ブレンドにするのはもったいない程個性をもつ一級品。上等の豆特有の豊かな風味をストレートに味わっていただきたいオーナーの想いが、日本のコーヒー界に初めてストレートコーヒーというメニューを提案。アイデアは広がり、初めてのストレートコーヒーの他、カプチーノ、ヴィエナコーヒー、コーヒーゼリー・・・にしむら珈琲店は業界のパイオニアとして大きな役割を果たします。一杯のコーヒーの感動と満足が、昭和39年に初めて登場して以来のトレードマーク的存在の肉厚のコーヒーカップに込められています。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・08時52分=伊藤 幸司
にしむら珈琲三宮店は三宮駅前の交差点角にありました。グリーンシャポービルというんですね、その1階角にあって、まるでにしむら珈琲ビルみたいなので、調べてみたら、けっこうすごい賃貸ビルでした。
『食べログ』に『グリーンシャポービル内のお店、レストラン 15件』とありました。
*三豊麺 真 JR三ノ宮駅前店/ ラーメン、つけ麺
*ローハイド/ バー
*中里/ 日本酒バー、魚介料理・海鮮料理、焼酎バー
*Zen / 立ち飲み居酒屋・バー
*ごはんや一芯 神戸/ 居酒屋、創作料理、日本酒バー
*神戸おかんや/ 居酒屋、創作料理
*バー・アビダブ/ バー
*松月庵/ 居酒屋
*神戸にしむら珈琲店 三宮店/ コーヒー専門店、ケーキ、喫茶店
*ちょぼいち鶏鶏もだん/ 鳥料理、焼鳥、居酒屋
*立ち呑みさしみ屋 駅前 三宮東店/ 立ち飲み居酒屋・バー、魚介料理・海鮮料理、和食(その他)
*メディアカフェポパイ 三宮駅前店/ その他
*DINING 一発/ しゃぶしゃぶ、ステーキ、ちゃんこ鍋
*オンマ/ 韓国料理
*居酒屋おうみや 駅前店/ 居酒屋、おでん、魚介料理・海鮮料理

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時22分=伊藤 幸司
私は夜行バスを糸の会でもっとうまく利用すべきだと考えています。だから最近の計画では夜行バスを可能にしながら、新幹線の3割引チケットでの朝発ちでも合流できるという計画にしています。……というわけで4人で早朝散歩と朝食を楽しんだのですが、本隊との合流までの残り時間で約1名は朝風呂へ、約2名は「震災メモリアルパーク」へ、約1名(つまり私は)できればポートタワーから六甲山を撮っておきたいという気持ちもあって、約2名に同行したのです。
私たち約3名は三宮から元町へと歩き、メリケンパークへと歩き出したところです。
────さて、これは1918年に建てられた神戸郵船ビルです。プレートには「1868年1月(明治元年)この場所において神戸で最初のアメリカ領事館が開設されました」とありました。
『ウィキペディア』に『神戸郵船ビル』がありました。
【メリケン波止場のすぐ北の初代米国領事館の跡地に1918年、曾禰達蔵・中條精一郎の設計により旧日本郵船神戸支店として建設された近代ビル。当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていたが、1945年の神戸大空襲で焼失した。
1994年に日本設計設計、大林組・藤木工務店施工により施された耐震補強工事によって、1995年の阪神・淡路大震災を軽微な被害で乗り越えた。このリフォームは、第5回BELCA賞を受賞している。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時29分=伊藤 幸司
メリケンパークといえばポートタワーを中心にした神戸のロマンチック・ベイエリアのこと……のようです。私たちはその入口と思しき一角でこんな壁絵を見ました。これがなにやら、わからずに。
かなり力のはいった絵で、その手前の緑も手間をかけて場をしつらえているウェルカム度から、バンクシーのような衝撃を狙ったものでもないらしい、と思うのですが。存在理由がわかりません。
そこで乱暴に「メルケンパークで話題の壁画」と検索してみると、画像検索にこの絵が引っかかってきました。あった! と思ったものの、それは流行りのインスタグラムで、なんの説明もありません。見た目の写真だけを並べてなにが面白いんだ! と思いましたが、インスタグラムの人たちにはグズグズと長い文字列こそ迷惑、と文句が出るのは明らかかと思います。
神戸では「インスタばえ」の壁画がいろいろ紹介されているので、これも「メリケンパークウォールアート」のひとつ……のようです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時31分=伊藤 幸司
こちらは「神戸港震災メモリアルパーク」。
『viva-spo ! ──関西のお出かけスポットが大集合! (いいトコいっぱいの関西へ遊びに行こう! 子どもが楽しい! パパ・ママも楽しい!ファミリーで気軽に遊べるお出かけスポットをエリア別に紹介しています!)』というサイトに『神戸港震災メモリアルパーク』がありました。
【「神戸港震災メモリアルパーク」をご紹介します。
阪神淡路大震災から20年が過ぎようとしています。この阪神淡路大震災は、倒壊した建物の下敷きになったり、地震後の火災に巻き込まれたりして、多くの尊い命が失われた恐ろしい災害でした。
この震災以前は関西で大きな地震が起きたことはほとんどなく、多くの市民は「関西に地震など来ない」と信じていました。ところが1995年1月17日未明に、震度7の地震が発生して一瞬で甚大な被害が出てしまったのです。
地震が起きた当時は私も関西に住んでいました。震源地から遠い地域で被災はしませんでしたが、テレビで放送される映像を見た時に「夢ではないか」と思うほどの衝撃を受けたことをはっきりと覚えています。
こういった記憶はいつまでも胸に刻み、忘れることなく再び震災が起きた時の教訓にしなくてはならないはずですが、時間の経過と共に少しずつ薄らいでしまっています。このメモリアルパークは、地震の怖さや地震の備えの大切さを、思い出させてくれる貴重な場所なのです。
それでは神戸港震災メモリアルパークの見どころや感想を画像付きで詳しくポートします!】
これは【NANA──1988年生まれの神戸在住ライター。幼稚園児の娘と息子を育てているママです。足を運んだ兵庫県内の観光・お出かけスポットは100ヶ所以上。子持ちママ目線で、施設の魅力をご紹介しています。】という人のレポートです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時32分=伊藤 幸司
ホテル・オークラとポートタワーがそびえています。ポートタワーのところまでは行ったのですが、入場料を見て、なぜかやめました。10時30分の神戸市営地下鉄・県庁前駅集合に向けて戻ることにしました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時34分=小林 美子
震災メモリアルパーク
1997年9月 竣工
阪神淡路大震災より被災したメリケン波止場の一部
岸壁60mをそのままの
状態で保存して、見学できる
震災のすさまじさを間近に見て肌で感じる事ができるとあったので見てみたいと思い、早朝の
メリケン波止場に行ってきました。
これだけ〜という感じもありましたが、外燈が斜めのままだったり崩れたままの波止場は地震の怖さを感じました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時34分=小林 美子
この一帯は新しいビルが目につきます。
でも、歩いていると平屋の
古い家もポツリポツリある
地震の時、壊れなかったのだろうと思われる家も残っていた。

六甲山・登山
【撮影】1日目・09時35分=小林 美子
公園から見た
ポートタワーに来ました。もう入場できる時間になっていましたが
700円だし、時間もないし、入るのはやめました。
皆との合流地点の県庁前駅に行きましょう。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時02分=伊藤 幸司
10時35分に改めて集合場所の地下鉄・県庁前駅を出発しました。私たち(夜行バス組4人)は3時間ほど前に下ってきた道を登り返すかたちになりました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時06分=伊藤 幸司
振り返るとポートタワーがありました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時09分=伊藤 幸司
これがビーナスブリッジ。要は「再度山(ふたたびやま)ドライブウェイ」を渡る歩道橋だったのです。でもこの、意表をつくかたちと色、設計者の勝利ですよね。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時10分=矢野 博子
三宮の県庁前で 夜行バス組と合流し まずは諏訪山を目指した。山というより景色の良い公園という感じで 若いカップルが 海を眺めながら肩を寄せ合って語らっていた。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時10分矢野 博子
この辺りも震災の被害を被ったに違いないのだが ここからは そんな事は微塵も感じられなかった。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時10分=伊藤 幸司
天気に恵まれて楽しい1日になりそうな予感です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時12分=伊藤 幸司
おそらく神戸っ子でしょう。ごくありふれた日常の風景だと感じました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時13分=伊藤 幸司
こちらは東京方面から新幹線でやってきた登山者、つまり私たちの仲間。神戸の展望を楽しんでいます。海辺に爪楊枝のように立っているのがポートタワーです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時13分=伊藤 幸司
ポートタワーをもう一度よく見ておきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時14分=伊藤 幸司
ここはビーナステラス、これは愛の鍵モニュメント。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時14分=伊藤 幸司
このカップルが「愛の鍵」をここに奉納? 保存? 依託? 仮託? などしたかどうか、わかりませんが、羨ましい時を過ごしていたように直感しました。おふたりの体の微妙な隙間を読み取ろうとしてしまったり、しましたけれど。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時14分=伊藤 幸司
上を見ると錨山(1/25,000地形図では碇山)の錨マークの電飾が見えています。夜になると市街から背後の山にこれが浮かび上がってくる仕掛けです。もうひとつすぐとなりに市章山があって神戸市の市章をライトアップして並べています。
『神戸な生活』というブログの2011.10.19に『神戸市役所24階からの夜景』がありました。
【市章山の電飾をアップで撮影しました。皆さんこの電飾はいつの時代からともされているかご存知でしょうか?実は昭和8年(1933年)からライトアップされております!(当時は毎日ではなくみなと祭りの期間のみですが)戦前からですよ。】
【こちらはお隣の錨山の電飾です。こちらも市章山と同じく戦前からライトアップされております。この錨山は通常はこの写真に写るホワイトですが、祝日やルミナリエ、みなと祭りなどのイベント期間の日限定でブルーのライトアップに変わります。色々細かい演出があるのですね。
神戸市役所24階展望ルームは無料で気軽に立ち寄れるので何気にお勧めです。タワーマンションに住まなくても神戸の街並みを眺めることができますよ。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時15分=伊藤 幸司
これはまだビーナスブリッジからの展望です。都合のいいところに点景の人物がいたら、撮らないでおくわけにはいかないじゃないですか。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時16分=伊藤 幸司
なにを撮りたかったかというと、水平線のすぐ下に左から伸びてきている黒い線。恐らく、多分、あれは神戸空港です。その神戸空港まで6,000円で飛べると知って、なら、JRで北アルプスへ行くのと同じじゃないかと思って、六甲山の日帰りを考えたのが最初でした。
でも帰りの便が早めに終わってしまうので日帰りではどうにもできず、どうせ泊まるなら国民宿舎がイタリアンのオーベルジュとなったオテル・ド・摩耶と六甲山ホテルの旧館和室を定宿にしていろいろなルートを歩くようになりました。飛行機で飛んだのは最初の2回だけだったかと思います。高価な新幹線を使うとなれば、それ相応の計画にしなくては。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時19分=伊藤 幸司
なんだか、すごい柿の木が1本、突然現れました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時26分=矢野 博子
季節は 12月半ば。どこも紅葉はすでに終わっている時期だが 坂の途中に一本 紅い葉の残っているきれいな木が 目を引いた。諏訪山から錨山を目指した。錨山の錨のマークが 点灯され そう言えば 三宮の駅のホームからきれいに見えたのを思い出した。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時27分=伊藤 幸司
カエデの紅葉も今が盛り、という感じです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時32分=伊藤 幸司
登り始めるといよいよ登山道という雰囲気です。六甲山にはいろいろなルートがあって、それぞれに名前がついたりしています。でもそれ以外に、特定の人にしかわからない感じの、ルートがたくさんあるようです。丹沢でも、奥多摩でもそうですが、フツーの山を難しく登っている人たちがたくさんいます。だからトップの人が標識どおりに歩くというのが大前提です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時34分=伊藤 幸司
イロハモミジだと思います。たまたま、ちょうど、陽が差して、美しく浮かび上がってきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時34分=伊藤 幸司
イロハニホヘトだとイロハモミジですけれど、じつはオオモミジもイロハニホヘト。日本海側だとヤマモミジです。で、確定するには葉のギザギザが一重か二重かわかる写真を撮っておかないと行けないのですが、これでもちょっと不十分でした。
『有限会社仲田種苗園』のホームページに『モミジの見分け方』がありました。
【ヤマモミジほど、誤解されている樹木はありません。真正のヤマモミジを知る人はプロでも意外と少なく、ある人はイロハモミジ、ある人はオオモミジをイメージしています。ここでは、イロハモミジ Acer palmatum、ヤマモミジ Acer palmatum var.matsumurae、オオモミジ Acer palmatum var.amoenumの見分け方について解説しましょう。分布を見ると、イロハモミジとオオモミジは太平洋側、ヤマモミジは日本海側に自生します。イロハモミジは照葉樹林帯に属しますが、分布の北限である福島県の場合、標高500mを境として、低いところではイロハモミジ、高いところではオオモミジが自生します。葉形を見ると、イロハモミジとヤマモミジは外周のギザギザが二重の「重鋸葉」と共通していて、ギザギザが一重の「短鋸歯」のオオモミジとは異なります。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時34分=伊藤 幸司
振り返るとここは特別なカエデのスポットでした。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時37分=伊藤 幸司
再度山ドライブウェイといわば並走している登山道ですが、車が少ないせいか、山の中にいるという雰囲気は出てきました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時44分=伊藤 幸司
これが標高275mの市章山展望台。市章の電飾の上にあります。ポートタワーも神戸空港も見えています。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時47分=伊藤 幸司
ビーナステラスと同じようなシチュエーションで撮ったので、見え方の違いがはっきりとわかります。この足元には126灯のランプが市章のかたちに並べられていると解説されていました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・11時58分=伊藤 幸司
ポートタワーの左側にあるおにぎり型の建物は神戸メリケンパークオリエンタルホテルです。その手前左側の高層ビルがホテルオークラ神戸。朝方歩いたメリケンパークが足下にあります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時22分=伊藤 幸司
この大きな花はツツジですよね。よく見ると花芽もあります。でも今は12月、ツツジの時期ではないですよね。秋咲きとか冬咲きのツツジがないか調べてみましたがないみたい。
そこで「12月のツツジ」と検索してみるとありました。
『柴垣グリーンテック──名古屋市守山区のイングリッシュガーデン専門店「柴垣グリーンテック」へようこそ! お手入れの少ない洋風外構&愛犬のための庭は柴垣グリーンテックにご相談下さい。』というサイトに『【温暖化?】ツツジの花と紅葉が一緒に楽しめる!?狂い咲きはどうして起こるの?今年は何だか暖かい気がするなあ・・・2015-12-16』というページがありました。
【つつじが咲いています・・・
12月に花が咲くのはきわめて珍しいと思います。
ガーデンドクター柴ちゃん。見たこと有りません!
ツツジはお勧めの低木で紹介したこともありますが、基本的に4月から5月に花が咲く植物です。
花のサイズが大きいのでオオムラサキツツジでしょうか?
オオムラサキツツジだとしてもやはり開花は4月か5月。
実はこのとなりにも同じつつじが植わっていたのですが、何も花はありませんでした。
実はツツジは園芸品種を含めると世界に600種類以上あるらしい。
その中では冬のこの時期に花が咲くものもあるので断定は出来ないと思いますが、植わっている場所が山の中に走っている道路の脇なので、誰かがここに園芸品種を植えたとは考えにくい。
となると、一番可能性が高いのが「狂い咲き」ということになるでしょうか。】
でもこの後、念のためにツツジの花を画像検索してみると顔つきがそっくりの「クロフネツツジ」が浮上してきました。
『緑の絵画館』というサイトに『植物図鑑──クロフネツツジ』がありました。
【「黒船躑躅」は、寛文8年(1668年)日本へ渡来したとされる大輪のツツジ。其の気品に満ちた薄桃色の花は、まさに「ツツジの女王」の名に相応しい姿です。
 種小名の「schlippenbachii」とは、朝鮮半島を調査した、帝政ロシア海軍のシュリッペンバッハに因みます。
 黒船躑躅は、枝先に「5枚の葉」が、輪生状に互生する姿が、非常に印象的なツツジです。
 私が、始めて本種を見たのは、北海道旭川市内にあるホテルの植栽として植えられたものでした。
 其の際には、花も実も無く、大きな葉っぱだけが沢山茂っており、其れが「ツツジの仲間」だとは思いませんでした。
 次に再会したのは、北大附属植物園での事。しかし、その際にも開花期を過ぎていた為に、花を見る事が叶わず終い。
 結局、花に対面する事が出来たのは、小石川植物園での事でした。ようやく、「ツツジの女王」の優美な花姿に出逢った瞬間でした。(^-^)】
……かどうか、わかりませんが。
六甲山・登山
【撮影】1日目・12時24分=伊藤 幸司
道は一度再度山ドライブウェイに出て、登山道はすこし先で左手へと延びていきます。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時29分=伊藤 幸司
まだ青い葉を残している木がコロンと転がっていました。斜面が削られて根が浮いてしまったというようなことでしょうか。まだ生きているこの木にしても、根が驚くほど貧弱なのに驚きます。貧弱だから倒れたわけですが、山の中の木々はあんがい貧弱な根で立っているらしく、砂上の楼閣のような状態のものがけっこうあるように思われます。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時30分=伊藤 幸司
集中豪雨のとき、ここに大量の水が流れてきたと想像できます。ここが破壊されないように、水を上流側で逃がす「水切り」が必要だという状況を示しています。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時36分=伊藤 幸司
右下に再度山ドライブウェイが見えています。この写真を見ながら下に降りたほうが楽じゃない? なんて感じる人がいたら、登山道に代表される不整地がからだにやさしい道だということを知らないまま今日まで生きてきたと白状していることを示しています。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時41分=伊藤 幸司
また大木が倒れていました。たぶんこの木は、登山道の上側にあったのが、倒れた拍子に道の下側までずり落ちたのではないかと思います。一応、木の根は枝の広がりと同じ広がりをもっていると聞いてきたように思いますが、さてどうなんでしょうか。
『森ノオト──地域で見つけるエコの種』というサイトに『根っこの話。…土の中はどうなっているの?』(2014/02/06 Text:持田智彦)というページがありました。
【根っこの二つの役割は皆さんもご存知だと思います。
では根っこが地面の中でどの様な形をして樹体を支え、水を吸っているかご存知でしょうか。おそらく幹と枝が広がっているのをひっくり返した様な形だと想像している人も多いのではないでしょうか。でも実際はもっと地面に近く浅いところで根は広がっています。多くの木で根は通常、地下に1〜2mほど貫入しますが、根の量の80〜90%が地面の下30cmのところに分布しています(緑地でみられる植栽された木は直根を切られて栽培しているので、特に下への伸びが少ないと言えます)。
なぜ浅い部分に根っこが集中しているのかというと、水を吸うのには酸素が必要だからなのです。土の中は実は隙間がいっぱいあります。その隙間に空気があると、水に酸素が溶けます。木は水があるだけでは生きていけません。根っこが溜まり水の中に浸った状態だと、水の中に酸素がないので水を吸うことができず、根腐れが起こります。
また、根がある場所を人が多く歩くと、土が締め固められ、水も空気も通しにくくなり、木が弱ったり、枯れてしまったりします。
それに加え、根っこは柔らかくて伸びやすい場所に張っていく特徴があります。私たちの身近にある造成された緑地などは、硬い土壌の上に客土が入っている場合が多く、樹木にとってはあまりよい土壌でないと言えます。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時44分=矢野 博子
大龍寺から再度山へ向かう。この何体ものお地蔵さんを見て 
数年前にもここに来ていることを思い出した。今回は 前回とは完全に逆のコースで 印象がまるで違うので 記憶が 段々さかのぼっていった。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時46分=矢野 博子
この長い階段を上った先に大龍寺がある。そこには ボケ封じの観音様が祀られているのだが 既に 遅しかな。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時51分=伊藤 幸司
再度山(ふたたびさん)大龍寺(たいりゅうじ)への登り口にありました。おそらく安産祈願を求めるひとが多いのではないかと思われました。
『大龍寺』のホームページにはもちろん『安産祈願』がありました。
【多産にして安産な犬にあやからんと、古来より戌の日に腹帯を巻くという風習があります。またそれに重ねて安産祈願も戌の日に行うと言った風習になっておりますが、御祈願日はご都合の宜しい日で結構でございます。御祈願させて頂き、その中でお加持申し上げました腹帯等をお授け致します。また御祈願の護符は一週間の祈願を行った後郵送させて頂いて居ります。もしお手持ちの腹帯が御座いましたらお持ち下さいませ、ご一緒にお加持させて頂きます。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時52分=小林 美子
皆と合流して
約2時間、再度山頂上付近にある大龍寺
摂津国八十八ヵ所
第82番霊所
病気平癒のお寺
特に中風封じのお寺だそうです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時52分=伊藤 幸司
水子供養は「水子地蔵尊」なんですね。
『水子供養』にはこう書かれています。
【水子諸霊は、まだ善悪の判断が付かない内に仏様の世界に入られております。その為ご自身で善行を行うということが困難であると言えましょう。しかしながら水子諸霊はご両親と繋がっております。これは決して悪い意味ではありません。ご両親の善行がそのまま水子諸霊の善行になるのです。どうぞお参り頂き、お手合わせ下さいませ。また水子地蔵尊のご奉納も受け付けております。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時52分=伊藤 幸司
再度山(ふたたびさん)大龍寺(たいりゅうじ)の名の由来が『別格本山大龍寺』のホームページにありました。
【神護景雲二年、称徳天皇の勅をうけた和気清磨呂公は、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現われた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまった。危ないところを助けられた清磨呂公があたりを見まわしてみると、大蛇が消えた跡に「聖如意輪観世音菩薩」が立っておられたのであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を「大龍寺」と名付けられました。観世音がご出現になった場所は「蛇ケ谷」と称し「龍ケ滝」と共に霊蹟として現存しております。】
和気清麻呂も道鏡も歴史の教科書に出てくる有名人、さらに弘法大師もご登場。
【又延歴ニ十三年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で青龍寺の恵果和尚より秘密の大法を授けられ、大同元年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参籠され本尊に報恩謝徳のため七日間秘法を勤修されました。弘法大師が再び登山されたというので「再度山」と呼ばれるようになり、修法された場所を「修法ケ原行場」と呼ぶようになりました。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時53分=伊藤 幸司
階段脇に並ぶのは個人個人の供養塔? のようです。
『大龍寺』の『永代供養』には次のように書かれています。
【神戸三宮から車で約20分、深山幽谷の霊地、観音菩薩示現の霊山にご先祖様の御霊をお祀り下さい。故郷が遠く、ご先祖様のお祀りのままならない方、これから墓所をお求めの方、或いはお嬢様だけでご後継者のいらっしゃらないお方、その他数々のご相談を頂いております。永代供養とは寺院が責任を持って永代にわたる供養を致しますとお約束する事でございます。毎日香花、灯明、飲食等をお供えして、読経礼拝供養を欠かすことのない山のお寺は永代供養の地としては最善の環境であると言えましょう。どうぞお気軽にご相談下さい。宗派に関係なくお祀り頂けます
尚お祀り頂ける場所と致しましては「境内墓地」「納骨仏壇」「納骨堂」が御座います。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・12時59分=伊藤 幸司
子育観音は母子ともに顔をさすってお参りする人が多いようですが、右膝の下に見える文字を読むと平成9年に高木さんという方と、たぶんもうひとり(陰になって読めません)が寄進したもののようです。すると台座の右側には東田さんという方がこの台座を寄付、さらに賽銭箱には佐藤さんという名前もかすかに見えます。ちょっと微笑ましい感じになりました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時13分=伊藤 幸司
来た道を一気に下ります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時15分=伊藤 幸司
参道の登り始めに見た水子供養をもう一度撮りました。オリジナル写真で細かく見てみると表情は微妙に違いますが、全員クローンという印象。個々に名前などがついているわけでもないんですね。水子供養はどこでも量の多さに驚きます。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時27分=伊藤 幸司
大龍寺の門前で西から来た「六甲全山縦走路」に入りました。今日は摩耶山まで歩くことになります。
これはムラサキシキブだと思いました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時30分=伊藤 幸司
神戸市中部建設事務所の立て札があって、ゆるい感じの「進入禁止」になっていました。先を急ぐ身なので写真を1枚撮っただけでしたが、帰ってから気になって、気になって。
じつはこの近くにはツタが這い上っている角型のコンクリート塔がありました。1/25,000地形図や昭文社の山と高原地図だとこの先、市ヶ原で布引川を渡ったところを3本のトンネルが通っていて、1本は北神急行の北神トンネル、あとの2本は高速道路の新神戸トンネルの「南行」と「北行」となっています。つまり六甲山を南北にくぐり抜ける主要トンネルがほぼこの下にある……らしいのです。
でも神戸市の建設局が関係することだろうかとぼんやり思っていたら、そのトンネル群と関係があるかもしれないという情報が出てきました。
『乗りものニュース』というサイトがあるんですね。そこに『北神急行電鉄の「市営化」なぜいま? 神戸市の思惑』(2018.12.28 乗りものニュース編集部)という記事がありました。
【「劇的に運賃を下げられないか」
 神戸市が、北神急行電鉄北神線を神戸市営地下鉄と一体的に運行すべく、北神急行電鉄の親会社である阪急阪神ホールディングス傘下で、北神急行の筆頭株主である阪急電鉄と、協議に乗り出します。2018年12月27日(木)、神戸市と阪急電鉄でその合意に至りました。神戸市交通政策課によると、実質的な北神線の「市営化」だといいます。
 北神線は1988(昭和63)年に開業した新神戸〜谷上間7.5kmの路線です。うち約7.3kmを北神トンネルが占め、両駅間に途中駅はありません。新神戸駅では山陽新幹線と神戸市営地下鉄西神・山手線に、谷上駅では神戸電鉄有馬線に接続し、このうち神戸市営地下鉄西神・山手線とは相互直通運転を行っています。
 ほぼ全線が六甲山地を貫くトンネルということもあり、北神線の建設費は700億円にもなっています。運賃にもそれが反映されており、ひと駅間ながら440円。それが神戸市や兵庫県からの補助によって80円減額され、360円となっています。
 今回、神戸市は北神線を地下鉄西神・山手線の一部にすることを検討しています。これまで補助を行ってきたなかで、なぜその選択に至ったのか、神戸市交通政策課に聞きました。
――なぜいま北神線の「市営化」を検討するのでしょうか?
 運賃補助は一定の期限を決めて行っており、いまは2014年度から2018年度までの5か年期間にあたります。今年度でひとつの区切りを迎えるにあたり、引き続き同じような政策をしてよいのか、むしろ、より劇的に運賃を下げられないかと検討し、市営地下鉄の一部にするという案に至りました。それを市から阪急さんへ持ちかけたところ、「前向きに検討しましょう」とご返答いただき、協議の開始について両者で合意しました。】
このトンネル入口らしきものが、そういう「何か」と関係しているかどうか、もちろんわかりませんけれど。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時32分=伊藤 幸司
かなり広い河原の布引川を渡ります。この下流に布引貯水池があり、さらに下ると布引渓流。4つからなる布引の滝があって、山陽新幹線の新神戸駅に出ます。
『六甲山楽図』の『コース概要』に『布引の滝から市ヶ原』がありました。
【市ヶ原は、六甲全山縦走路も通る、ハイキング道の要所と言える場所で、櫻茶屋の前で休憩するハイカーの姿も多くみられます。
西は布袋谷や高雄山、北へ向かうとトエンティクロス、東は摩耶山に至る天狗道や黒岩尾根、地蔵谷、さらに布引ハーブ園方面と、いろんな方向に展開することができます。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時51分=伊藤 幸司
桜茶屋は閉まっていましたが、公衆トイレがあって休憩。気温8度Cの中を稲妻坂へと向かいました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時53分=伊藤 幸司
しばらく窪地のような雰囲気のところを歩いたのですが、アオキの大群落といった雰囲気でした。

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時56分=伊藤 幸司
アオキの実です。赤く熟したら食べられるかどうかですが「食べた!」というレポートはほとんど見当たりません。コーヒー豆に似ていると言う人は多いようですけれど、味を見た人はいないようです。でも、1,000分の1の確率でも「あれば出てくる」というのが Web 情報のすごいところだと思うのですが「まずい」という結論もみつかりませんでした。
『わらいねこの花束──大阪・北河内の植物』というサイトに『晩秋の木の実の味』というページがありました。
【晩秋の里山や公園には色とりどりの木の実が熟しています。
赤色、黄色、紫色、褐色、そして黒色。
とても美味しそう。どんな味がするのでしょうか。
甘い、酸っぱい、おいし〜い !!。
自然の恵み・木の実の味です。】
期待が膨らんできました。「おいしい」というのがムクノキ、エノキ、カマツカ、シャリンバイ、ノイバラ、フユイチゴ、フジ、ナツハゼ、シャシャンボ、コバノガマズミ、ミヤマガマズミで、アオキは「まあまあ」に入れられていました。
【アオキ (ミズキ科) 赤く熟した実は特に味はなく、青臭さがありました。苦味や渋味もありません。中の核が大きくて食べるところがありません。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時57分=伊藤 幸司
これはクサギの実のようです。
『Shukuko Quilt』というサイトに『草木染め17:クサギの実でウールを染める』(2017年11月6日)がありました。
【クサギの実200gと水1.5Lを鍋に入れて、沸騰後約20分煮出します。ザルでこして1番液と2番液を合わせます。煮出している時の匂いは香ばしい豆の香りがします。
3番液からは実をつぶして煮出します。2番液を煮出した後の実を木の棒などでつぶします。
つぶしたクサギの実と水1.5Lを鍋に入れ、沸騰後約20分煮出してから濾します。カスが多いので、布などを使って濾したほうが良いです。4番液まで同様に煮出して、3番液と4番液を合わせます。下の写真は、1番液と2番液を合わせた時の色です。美しい色です。
毛糸は急激な温度変化に弱いので、1+2番液の鍋に水2Lを加えて温度を下げた後に、ぬるま湯に浸しておいた毛糸をそっと染液に沈めます。
薄いガーゼをのせて、落し蓋のようにして染めました。ちなみにこれはどの本にも書いてありません。染液から毛糸が出ていたので、急に思い立って布を乗せてみました。
毛糸は温度を徐々に上げて最終的に90℃くらいまで上げて染めます。ウールは急激な温度変化に弱いのですが、高温でないと染まりません。沸騰直前で火を弱め約1時間ほど煮染めし、液が冷めるまで置いておきます。液が冷めたら、ぬるま湯で優しく洗い、脱水して干します。
右が1+2番液で染めた毛糸。左が3+4番液で染めた毛糸。写真より実物の方がずっと色がきれいな色です。】
実をとって集めると、さまざまなブルーなんですね。そこのところに関するレポートもありました。
『埼玉森林インストラクター会』の『森のコラム』に『草木染め2 クサギで草木染め〜実編〜text by 秋山進』(2003年8月13日)がありました。
【それにしてもあらためて見ると、クサギの実はきれいだ。熟れ具合によって、色むらはあるが、ちょうど良く熟れているものなど、その深い青みといい艶といい、丸い形といい、「青い宝石」と呼びたくなる。少し臭い(癖のあるゴマのようなにおいとでも言うべきか)のが難点だが…。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・13時59分=矢野 博子
冬枯れという季節だったが これは 多分 クサギの実ではないかと Nさんに教えて頂いた。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時01分=伊藤 幸司
本格的な登りにかかりました。道は基本的によく整備されたものの、その後放置されて傷んだままの部分もあると考えるのが穏当でしょう。つまり途中で道筋が怪しくなるというようなことはないのです。ただ分岐が多いので道標に示された行き先の地名が自分たちには確認できないことがしばしばあるという危険でしょうか。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時05分=伊藤 幸司
ツバキ(ヤブツバキ)の花がありました。
京都府立植物園園長を努め、大著『四季の花事典 花のすがた・花のこころ』(1985年・八坂書房)を書いた麓次郎は『ツバキ』を次のように書き出しています。
【──記紀の頃から身近にあった植物
ツバキは日本の風土が育んだ世界に誇り得る花木であり、しかも有史以来最も身近な植物でもある。】
【河のへのつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢(こせ)の春野は──春日野蔵首老(かすがのくらおびとおゆ)
あしびきの山海石(つばき)開く(さく)八峯(やつお)越え鹿待つ君が斎(いは)ひ嬬(つま)かも──読人知らず
『万葉集』のこの歌をみると、当時はツバキがいたるところに繁茂して、春の野山を真紅の花で染め、人々がこれを飽かずに鑑賞している情景が目に浮かぶ。なお、大伴家持の歌
あしびきの八峯(やつを)の都婆吉(つばき)つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
により自然生のツバキを鑑賞することはもちろんであるが、すでに山野から移し植えることも行われていたことが感受される。
しかし、この頃のツバキの花はみな赤い花だけだったらしく、天武天皇の御代に大和国吉野人が白海石榴(しろつばき)を献じたことが、『日本書紀』に特に記されていることを考えると、白い花のツバキがよほど珍しいものであったにちがいない。】
ひょっとするとこれはその、万葉の時代のツバキとの遭遇に近いのかもしれません。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時05分=伊藤 幸司
これが、六甲山のツバキです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時07分=伊藤 幸司
クサギの実がまたありました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時08分=伊藤 幸司
ツバキの花がポトン、ポトンと落ちていきます。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時12分=伊藤 幸司
1/25,000地形図に記された送電線が登山道と交差しました。しばしば登山道との交点には鉄塔が建てられています。ここで私たちは標高約400mの地点を14時12分に通過したと記録できるのです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時14分=伊藤 幸司
じつは送電線を撮ったのですが、神戸布引ハーブ園の建物が写っていました。無意識でしたが。
そこにはロープウェイがかかっています。洋風のハーブガーデンが広がっていて、展望もすばらしい。天気が良ければハンモックでゆったりできるし、夜にはイルミネーションも楽しめるみたいです。もちろんレストランがあり、体験型イベントも……ということのようです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時14分=伊藤 幸司
海辺の山なのでクロマツでしょうか。両側の斜面を見ていると、あきらかにイノシシの行動範囲のようです。あちらは夜型、こちらは昼型ですからなかなか遭遇できませんが、痕跡はいろいろあります。ロックガーデンのほうでは昼間でも計算ずくの遭遇があるようですから、六甲山でのイノシシとのご対面はもはや運次第なのかもしれません。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時16分=伊藤 幸司
今日はじめて、縦走路のヤセ尾根に出たような気分になりました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時24分=伊藤 幸司
水流に削られて登山道の破壊が進んでいます。この状態ならどこかに水切りの溝をつくって水流が破壊力をもたないようにできるのではないかと思うのですが。
登山道の補修工事はダメになってから完全補修するという方法が一般的なようです。木製の杭や板、金属製のハシゴや橋などの補修パーツをヘリで運んでデポしている現場も見ます。さらに小型の油圧ミニショベル、超ミニショベルなどが運び上げられている現場も見たことがあります。
おそらく、多分、ここを修復する役目になった人は、大雨でここが川になっても道としての機能を失わないように、いろいろな案を出すのだと思います。一般的な概念からして、やれることは予算によって変わりますから、補修効果が大きくて安い予算を提示できるプランをひねり出そうとするのだと思うのです。
つまり工事完了時の写真で見栄えがよく、下界の価値観で効率のいい作業方法が、どうも、たぶん、採用されるのではないかと思われるのです。
登山道の歴史を振り返れば、北アルプスだって、最初は地元の猟師や漁師が利用していた沢沿いの道、つまり現在もほぼ同じように行われている沢登りが基本でした。しかし冬になると谷の斜面は雪崩の巣になるので、尾根をたどるのが基本になります。そのようにして谷道と尾根道とが成立してきたと思うのです。
第二次大戦後の登山ブームで国有地に山小屋という掘っ立て小屋がどんどん建ち、それが国のオフィシャルマップである1/50,000地形図に載るようになると、必然的に「登山道」は公認の徒歩道となって書き込まれます、その登山道の多くに個人名がついているように、山小屋関係者や、地元の登山者たちが勝手連的に「開拓」した登山道が日本中の山に溢れた時代があったのです。
たとえば六甲山は「毎日登山」発祥の山です。
『はまだより』というサイトに『発祥の地コレクション』として『毎日登山発祥の地』があり、その碑文が記録されていました。
【毎日登山の発祥の地
昭和五十三年十月吉日 神戸市長 宮崎辰雄書
善助茶屋跡を保存する会之建
 いわれ
 毎日登山は此の地から生れた
 明治三十八年(1905)頃在神外人が北野から範多坂(注:ハンター坂)を登ってここ善助茶屋にサインブックを置いて署名する習わしをつけた。元町栄町及海岸通りの商社の人達がこれに倣って登りだしたのが神戸市民の毎日登山の始まりである。
 大正初期から昭和十年頃までが最盛期でこの善助茶屋に百冊に余る大小登山会の署名簿が置かれ早朝には賑わいを見せていた。
 戦時中一時衰退したが又復活し現在では目指す山筋は別れているが毎日登山者の数は晴雨にかかわらず五千名を下らない。
 ただこのゆかり深い善助茶屋は戦後次第に訪れる人がなくなりいたずらに風雨にさらされ老朽し果てついに取り壊しのやむなきに至った。
 今その跡地に「毎日登山発祥の地」の碑を建て末永く神戸の誇毎日登山の隆盛を祈念するものである。】
それから六甲山は日本のロック・クライミングの発祥地とされています。
『ウィキペディア』の『藤木久三』に次のように書かれています。
【京都府福知山市の生まれ。京都三中(現 京都府立福知山高等学校)を卒業し、早稲田大学文学部の英文学科に入学するも中退、1909年に東京毎日新聞社に入社した。1909年に、やまと新聞に移籍し、1915年には、朝日新聞社に移る。1916年に、特派員として東久邇宮の槍ヶ岳登山に随行する。1919年、神戸支局長となる。西宮市甲子園に住み、六甲山の岩場をロック・ガーデンと命名する。また甲子園球場にあるアルプススタンドを最初にアルプスと形容したという説がある。
1928年には、日本初のロック・クライミングを目的とした山岳会であるRCC同人を、水野祥太郎や西岡一雄とともに発足させる。1929年、やはり日本初の岩登りの理論書である『岩登り術』を刊行するとともに、8月には、案内人の松井憲三とともに、北穂高岳滝谷の初登攀に成功した。】
そしてもうひとり、『単独行』(1941年・朋文堂)を遺作とし、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルとなった加藤文太郎がディーゼル機関の製造に携わる職工から設計技師へと大躍進(三菱ふそうのトラック・バスなどのエンジンに古くから採用されてきた縦渦型の燃焼システムは彼の力によるものです。「孤高の人」にもそのエピソードが挿入されています)……する中で、休日に六甲山往復縦走する驚異的なスピードが北アルプス厳冬期の単独登頂を次々に成功させ、日本のヒマラヤ遠征へのホープと期待されたのです。(ちなみに植村直己は加藤文太郎の生まれ変わりのように思われます)
『ウィキペディア』の『加藤文太郎』にはこう書かれています。
【1919年(大正8年)に浜坂尋常高等小学校高等科卒業後は郷里を出て神戸の三菱内燃機製作所(三菱重工業の前身)に勤務し、兵庫県立工業学校夜間部を卒業する。1923年(大正12年)頃から本格的に登山を始める。
当時の彼の住まいは須磨にあったため、六甲山が歩いて登れる位置にあった。現在ではポピュラーとなった、六甲全山縦走を始めたのが、加藤文太郎である。非常に歩くスピードが速かった文太郎は、早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、宝塚に下山した後、その日のうちに、また歩いて須磨まで帰って来たという。距離は約100kmに及ぶ。
当時の登山は、戦後にブームになった大衆的な登山とは異なり、装備や山行自体に多額の投資が必要であり、猟師などの山岳ガイドを雇って行く、高級なスポーツとされていた。その中で、加藤文太郎は、ありあわせの服装をし、高価な登山靴も持たなかったため、地下足袋を履いて山に登る異色の存在であった。単独行であることと、地下足袋を履いていることが、彼のトレードマークとなった。】
加藤文太郎は100年前におおよそこの場所を休日ごとに行ったり、来たりしていたわけですが、どんな道だったのでしょうか。
現在は……およそ1か月前の11月11日と23日に、この道を44回目の「KOBE六甲山全山縦走大会」の「全山縦走」参加者3,106名(うち完走者は2,611名)が歩いたそうです(「縦走」といいながら走るのは厳禁とか)
そういう幅広い登山活動の聖地というべき六甲山ですから、固有名詞のついたたくさんの登山ルートや峠道を残しつつ、登山道の改修ではなく、補修の技術でも新しい考え方を模索していただきたいと思うのです。できれば登山道とハイキングルートのはっきりした区分なども。
以前(2002年のことですが)四国の剣山に登ったとき、剣山頂上ヒュッテのご主人が毎日山頂周辺を箒を持って巡回して、登山道の水切りの流路を見回っていました。
現在もいろいろな山で、山小屋のみなさんが登山道の小さな補修を続けています。写真写りのいい補修では踏み固めた路面を破壊してしまうので、その路面をいじらずに、それ以上の破壊を許さないように、豪雨に対する水切りを積極的に導入する方向で技術論を進めていただきたいと思うのです。
最後にどうしても書いておきたいのですが、写真に写っているこの状態の登山道、いい道です。登山道がもつ「不整地」としての振れ幅を逸脱していると、私は思いません。登山が体に与えてくれる不整地の効能は、階段や木道より、まさにこのような状況のほうが、糸の会としては嬉しいのです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時37分=伊藤 幸司
明らかに、というか、あからさまに、というか、私たちはイノシシさんたちの居住圏を通り抜けつつあるようです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・14時55分=伊藤 幸司
こういう尾根道は、大雑把に言えば時速2kmと見積もれます。私が「標準的な登山道」としているのは時速1kmと概算します。1時間に高度差で300m登る登山道です。(下りはその70%前後と考えるのが一般的ですが、私は下りで余る時間は予備時間と考えることをすすめています)そして平地の道を登山の足拵えで長時間歩くとすれば時速4kmとするのが合理的でしょう。これらの経験的な実測値と合致する計算法を考えたのは糸の会を始めた1995年以降です。
私は大学で探検部にいましたが、そこは文化系と運動部系部員が絶妙にぶつかり合う世界で、私はもちろん文化系、新人教育や体力強化のために行われていた(当時流行りの)シゴキ合宿に反対し、上級生になってからは荷物を均等化するなど自分の主張を通しました。トレーニングとしての登山も、目標としての登山もあまり好きではありませんでした。
そういうことから探検部時代の経験がまだ通用した年代には書くことでは次のような仕事をしました。
*『世界の旅・第8巻・アフリカ』(中央公論社・1971年)
*『山溪カラーデラックス・素晴らしき地球──冒険の記録』(山と溪谷社・1974.6)』
*「アサヒグラフ ユーコン河をカヌーで下る──3000キロ・源流から河口まで」(朝日新聞社・1974.11.22号)』
*「あるくみるきく=96号 特集■ユーコンを下る」(日本観光文化研究所・1975.2)
*『あるくみるきく=107号 特集■宮本常一・東アフリカをあるく』(日本観光文化研究所・1976.1)』
*『あるくみるきく=123号 特集■40人の出会ったインド亜大陸』(日本観光文化研究所・1977.5)』
*『別冊山と溪谷・ロビンソンクルーソーの生活技術』(山と溪谷社・1978.3)』
*「アサヒグラフ」連載「インド周遊記」(全7回)――1979.6-8
そして、後に山歩きにつながってくる書籍を2冊出しました。
*『地図を歩く手帳』(山と溪谷社・1980.8)
*『富士山・地図を手に』(東京新聞出版局・1980.12)
その後「本を書く」というまとまった仕事がぽつぽつと続きます。
*『旅の目カメラの眼』(トラベルジャーナル新書・1982.5)
*『サバイバル読本』(主婦と生活社・1982)
*『アウトドア事典』(主婦と生活社・1983.7)
*『初めての山歩き』(主婦と生活社・1987.5)
その後は平凡社の『平凡社大事典』と朝日新聞社の『アサヒカメラ教室』に外部スタッフとして2つのチームを作り、深夜タクシーで帰るような、人生でもっともハードな仕事をしましたが、平凡社は会社が傾いて編集規模の縮小があり、朝日新聞ではシリーズ本としての準備に時間がかかるうちに(社内の政争があってのことという情報もありましたが)コンピュータールームの隣に1室構えて身分証明書を持たない外部の連中が四六時中たむろしている状態も大きな問題だったそうで、本体取りやめ、別冊として用意していた『カメラマン手帳』(朝日新聞社・1984.1)(……と後に『新版・カメラマン手帳』1992.3)を出して終わりました。
ちなみに私は1982年からダイヤモンド社の同年代の若手社員が集まって創刊したビジュアル誌「ダイヤモンドBOX」の常連ライターとなり、富士通のワープロ「OASYS」で執筆していたのですが、『カメラマン手帳』の表を作るためにMicrosoft Windows 3.1を搭載したNECのPC-9800シリーズのノートブックを購入、ワープロからパソコンへとジャンプしました。
その、平凡社と朝日新聞社の仕事がうまく行っていればフリー編集者としての道をたどっていたのかもしれませんが、かき集めた2チームのメンバー(もちろん全員フリー参加でしたが)路頭に迷う状況にもなり、工業用ロボットメーカーのファナックが富士山麓の忍野に完全移転するに当たっての、海外賓客向けの豪華写真集を作るという仕事をすることになり、ちょうどそのとき大山行男という全く無名の新人のデビュー作を準備していた写真エージェントの安村浩さんと組んで、デビュー作はこちらの仲間のブックデザイナー・三村淳さん、ファナック版はあちらが用意していたカレンダーなどで評判のエディトリアル・デザイナー・浅沼剛さんにお願いして完成させました。
……そんなことを思い出したのは去年、石割山からの下りで道を間違え、しかたなく呼んだタクシーの若い運転手が登山をするために運転手をやっていると聞き、さらにファナックのどこかに展示されているという天皇の視察写真を見せてもらったのですが、じつは当時まだ皇太子だった平成天皇がファナックの視察に来たとき、私は4人のチームでカメラ班を編成、会社側カメラマンとして撮影していたのです。だから、ひょっとするとそれは私の写真かもしれないのです。けれどわからない。
その後しばらくは凹んだ生活だっかたもしれません。1983年に始まる朝日カルチャーセンター横浜の「山登りの手帳・40歳からの登山入門教室」に5人目の地図担当講師として呼ばれ、1995年まで40回、長谷川恒夫、大宮求、根岸知、大蔵喜福、中山茂樹さんらの登山家と仕事をすることになりました。
*『トレーニング不要! おじさんの登山術』(朝日新聞社・1990.7)
これは朝日カルチャーセンター横浜での登山講座がだらだら続く感じになったころ、講師のみなさんに参加してもらって、中高年登山の教科書としたのです。このときに、出版局で登山知識に詳しいとされた長塚信吉さんが原稿を読んで朝日新聞側のチェック役だったらしいのですが、その長塚さんが朝日カルチャー千葉に出向したときに、私に千葉県ではじめての登山講座をやってみないかと声掛けしてくれたのです。
……さて、延々遠回りしましたが、1983年から1995年まで年4回程度続けられた講師5人による登山講座ではその実技のほとんどを山岳写真家の内田良平さんとご一緒しました。内田さんは当時北アルプスのガイドブックなども書いていて、そのコースタイムに独自の工夫を加えていることを教わったのです。
登山のコースタイムには計算の根拠がありません。ガイドブックを書く人の体験といったって内田さんなどは途中で写真を撮れば時間計算はガタガタになってしまいます。そこで地元の山岳会の情報や山小屋情報などからまとめた数値がでて、そのデータが孫引きされながら調整されて煮詰まってきた、と考えていいのです。内田さんは急斜面や路面状況によって自分なりに決めた補正値を使うことで客観性をもたせようと苦労されていました。
要はこのキャプションの最初に書いたように、標準的には1時間に300m登る、とか、平坦な尾根道は時速約2kmとか、下りは登りの70%、よほど歩きやすければ50%というような補正を丁寧にすることで実用的なコースタイムにしようと努力していたのです。
でも、地元の登山家たちの目は厳しいので、コースタイムはどうしたってベテラン向けのものになってしまいます。だからコースタイムで歩けたら一人前とか、ビギナーは5割増しで計算するなどというさらなる補正が必要にもなったのです。
そういう数値を「標準」とか「標準的」あるいは「目安」などと称するガイドグックやガイド地図に対して、地形図から必要パワーを測りだして、それにそれぞれの人の脚力や技術力に応じた係数(難易度)を掛けて時間を求めるという方法を(内田さんの方法を私なりに前進させるつもりで)考え始めたのです。
そしてその基本を現在に続くものとして発表したのは、
*『がんばらない山歩き』(講談社・1998.7)でした。
じつは(また遠回りになりますが)ある日突然電話があって、1995年10月から渋谷の東急セミナーで登山講座をやってもらえないか、という話が来たのです。それまでやっていたのが外部組織だったので受講生が外のツアーに参加するような形態(スキー講座などがそうなのだそうですが)だったのが好ましくないとのこと。
そこで私ひとりで丁寧(すぎるほど丁寧)なプランを立てたのです。私はカルチャーセンターの仕組みがよくわかっていなかったので1回の登山実技に事前講座と終わってからの写真交換会という3回をワンセットとして半年分を考えたのです。ところがあとで参加者は3か月単位で受講すると知ったのです。しかもそのまま次のシリーズも連続受講してもらう流れとか。結局1年で登山12回と講義24回というものになり、それを完全受講した人が10人ほどはいたはずです。
たかだか入門編なのに24回もの講義をするにはいろいろ考えなければならず、それなりに考えました。
ところがそれはある理由によって本社東急電鉄の法務部から取り潰しになるのです。「登山」という内容だと生命保険が、掛け金をいくら増やしても数百万円までしか増額できないという現実を危機管理的に問題としたのです。(スキーなら増額できます)
2年目の直前で講座は消失(翌年に講座担当者の意地で内容はほぼ同じながら関東ふれあいの道の「ハイキング」として復活)しましたが、2年目も継続と考えていた受講希望者をフォローすべく講座担当の三好律子さんとも相談しながら、伊藤の個人講習会として「糸の会」を発足させたのです。
その24回の講義は終始後ろから押される気分でしたから、ある程度の塊にはなっていました。
その1996年に佐野眞一の『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋社)が出て、第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。もちろん私のところにも取材に来て、どうでもいい数行が書かれましたが、それは「本を書くときには300人に取材する」という彼の無駄なエネルギーのためでした。じつは彼とは大学で同じクラス。ほとんどまともな話をしたこともありませんでした(お互いにあまり授業に出ていなかった)が、受賞を祝おうというクラス会が開かれて、そういうものに基本的に出ない私でしたが、佐野さんから直接電話があったので出かけてみると、仕掛け人がむかし平凡社にいた鷲巣俊子さんでした。彼女が私の話を聞いて講談社に話してみるということになり、資料を渡すとその中に糸の会の会員でもあったブックデザイナーの鈴木一誌さんの顔があることから企画があっけなく通って、実際には鈴木一誌さんが編集長というかたちでできたのが『がんばらない山歩き』だったのです。
その本で私は『「1時間モデル」というモノサシで歩く』という方法を初めて提案したのです。
その具体的な方法についてはこのホームページの『自習登山のすすめ(単独行を考える)』『8.登山道と地形図』にまとめてあります。1/25,000地形図を紙で購入する必要性が低くなって、私の方式は若干古くなっていますが、デジタル地図の中で表現するのは不可能ではないとも思います。(私はやりません。ネットで紙の地図を買えますから)
ずいぶんフラフラした長大なキャプションになりましたが、この写真を見て思いついたのは登山道の「所要時間」のことでした。私の計算法が私なりに確立するまでには、それなりの歴史があったというわけです。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時01分=伊藤 幸司
これはウバメガシでしょうか。関東地方では海辺の山を歩くと、こんな木が稜線をビッシリと埋め尽くしているようなジャングルをくぐり抜けることがあります。もちろんご存知の「備長炭」の材料です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時03分=伊藤 幸司
この道をどういう風景として見るかです。なかなかカッコいい岩の回廊というふうにもいえるかもしれません。でも私は、これを涸れたミニ峡谷として撮っています。何年前か、何十年前か知りませんが、何百年というような大昔ではなく、地質年代的にいえば瞬きする程度の時間で、流れ下る水流が人の背丈ほどにも川底を彫り込んでしまったのです。荒々しい激流がこの情景の中に見えてくるようです。
このような道筋の正体は、大雨の日に山を歩いていないと見ることができません。雨上がりの登山日和にここを歩くと、道の表面がまだ湿っていて、靴が汚れ、スパッツをしていないとズボンが汚れてズボンの予備を持っていないことを悔やんだりします。
これほどの深い溝でなければ、左右どちらかの岸に飛び上って木の枝を支えに足を汚さない新しいルートを強引に、つまり「藪こぎ」でいきたいと考えます。
東北の山では雨の日に滝になるような登山道がいくらでもありますから、その脇に新道、さらにその脇に新新道というようにいくつもの踏み跡道があって「助かる」のです。そういう道が広がると、尾瀬の至仏山のように登山道が通行禁止(その後下山のみ禁止)になったりするほどの、登山者による広範囲の破壊が起こるのです。
背丈よりはるか上方に作られた登山道が水の力でここまで掘り下げられるのにそれほどの長い年月はかからなかったと思うのは、修復された登山道がほんの数年でもっとひどい状態になるのを見ればわかります。何年に一度というレベルの豪雨一発であっけなく破壊されてしまいます。
────次の写真を見てください。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時03分=伊藤 幸司
深い峡谷はすぐに終わって、ごくごく当たり前のジグザグ道に戻ります。
いままさに赤い服の人がエイ、ヤッ! と登っているところがこの道の屈曲点です。まさにそのところから雨は滝となってこちらへと落ちてくるのでしょう。
3人は一瞬、右上に向かって歩いているように見えますが、その前、先頭の赤いザックの人は奥へ向かって登っています。
登山道の補修では、雨の日にここを見て、流れ落ちてくる水が破壊力を持つ前に逃げる道を作ることを考えるべきなのですが、大抵の登山道修理は晴れの日の仕事として行われているのではないかと思います。
北アルプスに中房温泉から燕岳に登る登山道があります。ガイドブックには「北アルプスの三大急登」などという理由のわからないキャッチフレーズがあったりしますが、そこの登山道を見て手入れが行き届いていると見る人は本当に見る目のあるベテラン登山者です。素人さんにはけっこう荒れた道に見えるはずです。
1994年の6月だったと思いますが、日本エアシステム(当時)の機内誌で松本空港乗り入れの特集があり「父と子の北アルプス登山」というガイド記事を書いたことがありました。取材したのは標高2,350mの合戦小屋から上にはまだ雪が残っている時期でした。途中で4〜5人の人たちが道普請していたのですが、燕山荘のスタッフでした。長野県には有名な「学校登山」があって、山登りの好きな子も嫌いな子も登らされます。その子どもたちが怪我しないように見守りながら「最小限の手直しをしている」ということでした。
その「最小限」には大きな意味があります。踏み固められた道を「古道」と表現すれば、それは人間の歴史時間としてはかなり長い生命力をもっています。ところがそれをツルハシやスコップで「整地」したりすると、その仕上がりはきれいですが、構造的には舗装を剥がしたほどの脆弱になる……のだと思います。
だから「最小限の手直し」というのは最大限の手抜きではなくて、最小限の破壊という意味なのです。ベテランにはわかるけれど素人さんにはわからない……というレベルの修復作業なのです。
それは以前は当たり前のことだったと思います。昨年(1918)の6月、八ヶ岳のオーレン小屋の人たち(全員がネパール人でしたが)がスコップを持って登山道にこまかく「水切り」の溝をつけていく現場を見ました。素人さんが見れば道の端をところどころ「チョコッと削った」だけの作業でしょうが、そのみすぼらしい(でもこまかい)作業が、登山道補修には必要です。(それだけじゃあ、下界の常識では予算が獲得できないかもしれませんが)

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時04分=伊藤 幸司
雨の日だったら沢登りですよね。豪雨だったらシャワークライミング。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時17分=伊藤 幸司
なんだか怪しい人影……みたいな感じで、然るべき山頂と思われる雰囲気に接近しつつあります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時20分=伊藤 幸司
前方にピークがそびえているとき、しばしば力が抜けるのはその手前の鞍部。下って登り返すのが、結果としてはたいした運動量ではないのですが、精神的にはけっこうなダメージとなったりします。期待が大きくなればなるほど、対義語の「失望」も大きく膨れ上がっていますから。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時33分=伊藤 幸司
かつて、ていねいに、しっかり作られた登山道ですが、神社の参道と違うのは石段ではなくて土留だというところ。土を力で留めておくのは至難の業です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時44分=伊藤 幸司
ほぼ山頂というべきところに天狗岩大神という社がありました。背後に天狗岩というのがあるのだそうですが、この奥に三角点の石柱があるという以外のことにはほとんど注目しませんでした。
『神戸観光壁紙写真集』という個人のブログでしょうか、に『摩耶山の山頂と天狗岩の写真』がありました。
【摩耶山の天狗岩────摩耶山山頂の北、天上寺奥の院のさらに奥まったところに巨石を祀った天狗岩大神があります。
色あせた鳥居の背後にはしめ縄が張られた3つの岩があり、石丸猿田彦大神の碑が建てられています。
この巨石の一つが天狗岩で、広さは約8畳あり、摩耶山の僧が天狗を封じ込めた岩と伝えられています。
天狗岩は別名を行者岩ともいい、摩耶山のこの地は山伏の修験道修行の場でした。山麓の農民が、ここで修行する山伏の姿を見て天狗と見間違い、これを天狗岩と呼ぶようになり、さらに布引の滝、市ケ原に至る登山道を天狗道と名付けたと言い伝えられています。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時54分=伊藤 幸司
摩耶山の掬星台(きくせいだい)に到着。この日の日没は16時51分でしたから日没1時間前の展望です。
『yakei.jp──こよなく夜景を愛する人へ』というサイトに『摩耶山』がありました。
【日本三大夜景は函館・神戸・長崎として知られていますが、神戸の日本三大夜景は、「摩耶山」の掬星台(きくせいだい)を指しています。名前の由来は「手で星が掬(すく)える」ぐらい標高が高いということで、昭和天皇もご覧になられたほど有名な夜景スポットです。
展望台からは、六甲アイランド、ポートアイランド、神戸市街、大阪市街、関西国際空港、そして大阪湾に浮かぶ船舶の明かりと、何時間いても飽きない雄大な夜景を魅せてくれます。
2016年に取材したときには、真冬にも関わらず多くの訪日外国人が訪れており、トワイライトタイムには最前列が埋め尽くされていました。】
この写真は南東方向、JR住吉駅、阪神高速神戸線の青木駅を見通して画面右上に見える吊橋が東神戸大橋ではないかと思います。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時55分=伊藤 幸司
前の写真から右に振って、JR六甲駅、阪神六甲道駅を見通して、二本の橋は手前が六甲大橋、奥が六甲アイランド大橋だと思います。正直なところ、今朝見た神戸中心街の夜景がまさに「神戸」だと思います、が。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時57分=伊藤 幸司
振り返って1200mm相当の超望遠で今夜の宿のジャグジーを撮りました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時58分=伊藤 幸司
掬星台の展望台です。足元がガクンと落ちているので展望も素晴らしいけれど、その高度感が格別です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・15時58分=伊藤 幸司
この日は13時40分に市ヶ原でのトイレ休憩時に8度Cだった以降、気温を測っていませんでしたが、このときは風が吹くと寒くて、みなさん、ザックを背負ったまま。私のブルーのザックとだれかのもう一つだけが床にあります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時01分=伊藤 幸司
これはいわば「大阪方面」です。もうすこし見通しが良ければ高層ビルの「あべのハルカス」や生駒山は見えるのですが。ぎりぎり難しい状態でした。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時02分=矢野 博子
そして こちらは マユミではないかと。ピンク色が可愛い。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時06分=矢野 博子
今夜の宿の オテルド摩耶の入り口。山上のホテルだ。
前回は この建物の前を”良い感じね”と 中をちょっと覗き込んで通り過ぎた。その時は今回ここに泊まるとは思ってもみなかった。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時06分=矢野 博子
お洒落な看板。何もかも 前回の六甲山ホテルとは違って 新しくて気持ちよかった。部屋も十分広いし景色も抜群。第一 かなり お値ごろ。夕食のイタリアンも朝食もかなり 満足。今まで 糸の会で泊まった宿では一番良いかもとは 同室になったKさんのご意見。 うーん そうかも。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時49分=伊藤 幸司
掬星台から見えたジャグジーがこれです。こちらからも当然「あちら」が見えるはずです。オリジナル写真を見れば、左の人物の頭の上あたりにあずま屋が見えています。

六甲山・登山
【撮影】1日目・16時50分=伊藤 幸司
「洗練されたイタリアンと、輝く夜景に酔いしれる大人の隠れ家 オテル・ド・摩耶」だそうですが、国民宿舎としてはみごとな変身ではないでしょうか。

六甲山・登山
【撮影】1日目・18時10分=矢野 博子
このホテルの売りは この夜景。部屋からの一枚です。

六甲山・登山
【撮影】1日目・19時12分=伊藤 幸司
最初に泊まったのは2008年の1月で、今回も参加したSさんが一緒でした。
『ウィキペディア』に『オテル・ド・摩耶』がありました。
【1957年より神戸市立国民宿舎神戸摩耶ロッジとして運用していたが、1995年の阪神大震災で被災し損壊したため休館した。2000年1月の六甲摩耶活性化研究会の報告に基づいた観光施設として日本で最初のPFI法事業として全面改築し、2001年7月にグランドオープンした。客室はバストイレ付きツインの洋室を中心とし、さらに水着着用で露天ジャグジーとサウナを利用できるオーベルジュスタイルとした。
掬星台・摩耶自然観察園・六甲山牧場などが近所にあり、さらに足を伸ばし再度山ドライブウェイを使えば再度公園・ヴィーナスブリッジ・神戸などの周辺観光地にも近く便利である。摩耶山の尾根上にあり大阪方面の眺望が望めるが、少し山に遮られる格好になるためダイナミックな形での眺望はできない。
2008年7月に神戸北野の北野工房のまちにレストラン ドルチェの専門店「Pasticceria オテル・ド・摩耶 北野工房店」がオープンした。懐かしのしっかりプリン「オテル・ド・摩耶プリン ブディーノ」などの生菓子や焼菓子を販売する。】

六甲山・登山
【撮影】1日目・20時31分=矢野 博子
そして 最大のポイントは 野外のジャグジー。はしゃぎまくる糸の会の令夫人たち。全員が水着持参という積極ぶり。空には オリオン座。眼下には 神戸の100万ドルの夜景。否が応でも盛り上がります。

六甲山・登山
【撮影】1日目・20時41分=矢野 博子
静かになったジャグジー。

六甲山・登山
【撮影】1日目・21時00分=伊藤 幸司
深夜にジャグジーのところに行きました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・21時00分=伊藤 幸司
大阪平野の広がりがくっきりと見えていました。

六甲山・登山
【撮影】1日目・21時03分=伊藤 幸司
レストランでは朝食の準備をしていました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・06時26分=小林 美子
目覚ましのなる
少し手前で目が覚めて、カーテンを開けたらこの赤い空。
きれいでした。
今日も宜しくお願いしますと、手を合わせたくなります。

六甲山・登山
【撮影】2日目・06時36分=矢野 博子
日の出を待つ神戸の街。部屋からの一枚です。

六甲山・登山
【撮影】2日目・07時00分=伊藤 幸司
朝には、もちろん湯はぬるくなっていました。大阪方面には雲がかかっていました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・07時00分=伊藤 幸司
これは「あべのハルカス」ではないかとおもいます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・07時01分=矢野 博子
そして 日の出。これも部屋から撮影。この一瞬は いつも 厳粛な気分になる。

六甲山・登山
【撮影】2日目・07時02分=伊藤 幸司
六甲山は関西の高級別荘地として開かれました。1軒ずつ孤立して見られる別荘は、敷地も広く、かなり立派なものだと思います。

六甲山・登山
【撮影】2日目・07時32分=伊藤 幸司
夕食と同じテーブルで朝食です。

六甲山・登山
【撮影】2日目・08時30分=矢野 博子
何という木か分かりませんが 下から見上げると 何か冬らしい良い感じで思わず一枚。まあるい実と堅い枝のコントラストが青空に映えています。

六甲山・登山
【撮影】2日目・08時34分=伊藤 幸司
出発前の記念シャシン、という感じになりました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・08時46分=伊藤 幸司
さっそく縦走路です。

六甲山・登山
【撮影】2日目・08時59分=伊藤 幸司
ですがすぐにバス道路に出てしまいます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時12分=伊藤 幸司
市立自然の家の入口にあったみごとなツバキ。この先に「六甲全山縦走路」の標識があって「記念碑台・六甲最高峰」という方向が示されていました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時14分=伊藤 幸司
かなり丁寧につくられた縦走路です。昨日の山道とちがって、なんだか別荘開発地を避けつつ、自動車道と分離しつつ、一般の人にも散策を楽しめるというような観光開発の一環として作られた道のように見えました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時33分=矢野 博子
ここまでくれば 流石に前回の事を思い出します。三国池です。前回は1月のせいもあってか ここは氷結していて 小石を投げて遊びました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時36分=伊藤 幸司
縦走路が車道を横切ります。奥麻耶ドライブウェイというのでしょうか。六甲山の稜線を車は鉢巻状に進みます。縦走路はできるだけ稜線のアップダウンを正直にたどろうとします。ここを何千人もの人が歩く日には、すごい風景が展開されるのではないかと想像されます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時39分=伊藤 幸司
三国池に出ました。このあたりは完全な別荘地で、周囲にも何軒か見えています。このあたりから南北にたくさんの道が分かれていきます。地図を見るとすぐ北に標高802.5mの三国岩があり、さらに北に行くと展望の良いダイヤモンドポイントやら水晶山やらあるようですが、遊んでいる暇はありません。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時39分=小林 美子
三国池
山の中の静かな池
魚はいるのだろうか?
手前にも、もうひとつ
穂高湖というのもあった様だが、登山道からは見えない場所だったのでしょう
確認はできなかった。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時44分=伊藤 幸司
さすが12月、三国池の水面には薄氷が張り始めていました。1月に全面氷結の池を見たこともあります。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時52分=伊藤 幸司
三国池からしばらく歩道を歩きますが、登山道というよりは別荘地の細い道という感じ。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時54分=伊藤 幸司
けっこう立派な別荘があります。個人のものか、企業のものかさえ、判別できませんが。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時55分=伊藤 幸司
これなどは施主の強い要望があったと思わせる建物と感じさせます。高度成長期の前でしょうか、後でしょうか。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時56分=伊藤 幸司
これだってかなり立派な別荘です。勝手な想像ながら、仕事上の接待につかうというよりは家族団らん、あるいは週末のホームパーティ、というふうに想像しました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時57分=伊藤 幸司
これは新しいんでしょうね。十分大きいけれど個人の別荘のように思われました。来るたびにひととおり掃除するという別荘ライフ。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時58分=伊藤 幸司
これなどは完全に企業の施設という感じがします。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時58分=伊藤 幸司
これはまあ、建築雑誌に載ったことのあるような斬新なデザインの別荘でしょうか。別荘を持ったことのない人間の当てずっぽうの想像に過ぎませんが。

六甲山・登山
【撮影】2日目・09時59分=伊藤 幸司
このツバキの花があったのは親しみを感じる程度のいわば「庶民的」な別荘のところでした。少し下ると別荘開発地の入口らしく9軒の名前を列記した看板がありました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時02分=伊藤 幸司
再びバス道路に出て「六甲山最高峰」へと向かいます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時09分=伊藤 幸司
六甲山ホテルに出ました。1万円で泊まれる旧館に何度泊まったでしょうか。薄い肉のディナーも展望レストランのいい席でいただきました。大浴場があればいいなと思いましたが、小林一三ゆかりの旧館は、私は好きでした。阪急の六甲山開発の拠点が阪神との合併でこれからいったいどうなるのか。
看板には次のように書かれていました。
【お知らせ
・2019年春 旧六甲山ホテル旧館
・2019年 旧六甲山ホテル本館
リニューアルオープン予定です
六甲山リゾートホテル(仮称)078-891-0650】
『六甲山リゾートホテル(仮称)』のサイトにはこう書かれています。
【神戸、大阪、京都等の関西近郊から気軽にアクセスができる好立地を活かし、また国内外問わず多くの旅行者の方々が六甲山の自然を感じられるような非日常的なリゾートホテルとして生まれ変わります。
1929年の開業から残されており2007年に近代化産業遺産として指定を受けた旧館は2019年春の開業を目指しております。
2019年春にはバーベキューレストランもリニューアルオープン予定。
本館(鉄筋コンクリート造7階建)2019年より建物の外観、内部設備等の大幅なリニューアルを予定し2020年の再開を目指します。
新しく生まれ変わるリゾートホテルは、宿泊施設やスパを備えるほか、文化芸術を発信し、地域活性化に貢献できる多目的ホールの建設も予定しています。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時12分=伊藤 幸司
六甲山ホテルの前を通過して約3分後、六甲山郵便局がありました。そこには意外な看板が。
【パノラマテラス 休憩所(局内ロビー) トイレ(車いす・男女共用)ございます。
どうぞお気軽にお立ち寄りくださいませ。
ご利用時間平日9時から17時まで。
広告管理者・六甲山郵便局】
なんという本気のおもてなし。もちろん我が女性陣は小走りに突進したのです。
これは、最近、切手のデザインが恐ろしく手抜きになっているらしく、使いたいものがいつもないというようなサービス低空飛行中の日本郵便株式会社にぜひ耳を「かっぽじって」聞いていただきたい「美談事例」ではないでしょうか。
『HYOUGO ODEKAKE PLUS+』というサイトに『全国で唯一? テラスやトイレある六甲山郵便局』(2017年06月23日)という記事がありました。
【六甲山の上にちょっと変わった郵便局があるのをご存じですか? ロッジ風の茶色の外観に「トイレございます」の文字。何とも親しみやすい雰囲気の「六甲山郵便局」(神戸市灘区六甲山町南六甲)は、郵便や貯金といった本来業務のほかに、憩いの場や道案内としての役割も担う。田渕利一局長(60)は「市民トイレやテラスがある郵便局は他にないのでは?」と笑う。
 1910(明治43)年に開設したこの郵便局は元々、避暑に訪れる外国人や登山者向けに、夏から秋にかけてオープンする季節郵便局だったという。道路整備などに伴い居住者が増え、35年からは年中開局するようになった。
 利用者の約半数を登山客や観光客で占める。「人が集まる場所にしたかった」という田渕局長。入った瞬間の第一印象を考え、ロビーには、高山植物の写真や魚の水槽、動物のペーパークラフトなどをにぎやかに飾った。登山者らが一休みできるようストーブを囲む形で椅子を並べ、無料のコーヒーサービスも。窓の外には神戸市街が広がり、山上ならではの風景が楽しめる。
 「よかったら景色を見て行って」と勧められてベランダに出ると、観光地などに設置されている望遠鏡まである。天気のいい日にだけ取り付けており、誰でも無料で利用できる。
 2012年からは、局内のトイレを市が認定する「市民トイレ」として開放。入り口からすぐのところにあり、気兼ねなく使える。公衆トイレの少ない山上でトイレは貴重だ。毎年11月に開かれる「六甲全山縦走大会」の際には、登山者に重宝されている。知らないうちに清掃やトイレットペーパーの補充がされていることもあるという。
 田渕局長は「喜んでもらっているのが分かるとうれしい。ささやかなコミュニケーションが生まれるのも、山の上の郵便局だからこそ」。六甲山を訪れた際には、一度立ち寄ってみては。(勝浦美香)】
でもこの写真はなんだ? ということになるのでしょうが、「よかったら景色を見て行って」と勧められてベランダに出ると、足元にある廃屋です。写真右端に郵便局のベランダの手摺がちょこっと写っています。
ところがこれが六甲山の、なかなかの歴史的遺産でした。
『いそしずのライナー・ノート』というブログに『六甲山に眠るロープウェイ駅の廃墟──幻の六甲登山ロープウェイ-』(2012年4月11日)がありました。ここでは写真のキャプションだけを拾ってみます。
【神戸市灘区。ここに六甲山への観光に便利な六甲ケーブルがあります。六甲ケーブルを運行しているのは、阪神電鉄の系列会社である六甲摩耶鉄道(元の六甲越有馬鉄道)。しかし、実はこのケーブルのすぐ西側で、阪急電鉄の系列会社である六甲登山架空索道が、かつてロープウェイを運行していた時代がありました。両者の乗客誘致合戦は熾烈を極めたようで、当時は阪急と阪神が合併するなど考えられないことだったに違いありません。
──この六甲登山架空索道(六甲登山ロープウェイ)は、昭和6年(1931年)に運行を開始。現在も残る六甲ケーブルは昭和7年(1932年)の営業開始ですので、それより1年早かったことになります。今回は、この六甲登山ロープウェイの歴史を追いながら、その痕跡を山上側から訪ねてみることにしました。
──ということで、六甲山上にある六甲山ホテルです。昭和4年(1929年)に阪急電鉄系列のホテル、宝塚ホテルの別館として開業しました。現在でも当時のままの建物が残っており、近代化産業遺産に指定されています。
──山上の位置関係は、こちら。六甲山ホテルのすぐ東側に六甲山郵便局があり、この裏手に六甲登山ロープウェイの六甲山上駅がありました。そして駅と道路は月見橋という橋で結ばれていたのですが・・・。
──その月見橋がこちら。激しく生い茂る樹木の向こうに、かろうじてその姿をとどめていました。道路につながる手前側は崩落し、近付くこともできません。六甲登山ロープウェイは、昭和19年(1944年)に戦時中の不要不急路線(鉄材供出)に指定されて廃止されましたので、廃止からは実に68年の歳月が流れていることになります。
──同地点を別角度から見ると、「つきみばし」の名、そして優美な形状の欄干が、しっかりと残っているのが分かりました。この先にあった駅舎部分は取り壊され、閉鎖された別の建物が建っているため近付くことは出来ません。
──そして、登山道のアイスロードを下っていくと、なにやらコンクリートの塊が。
──思わず通過してしまいそうですが、よく見ると鉄筋コンクリートの跡が四角形に4つあるのを確認できました。これが六甲登山ロープウェイの支柱、土台の跡です。
──そして、麓のアイスロード入口です。ここは六甲ケーブル下駅から800mほど歩いたところ。
──このアイスロード入口近くの茂みの向こうに、何やら黒い塊が。
──目の前に接近しました。上部にくぼんだ2つの凹み。向こう側から手前に斜めに立ち上がる構造物。これはロープウェイのホームだった部分。そう、ここが六甲登山ロープウェイ「六甲山登り口駅」だった場所です。
──全体の位置関係は、こちら。当時のロープウェイ経路も書き加えてみました。六甲ケーブルとの位置関係がよく分かりますね。戦時中の金属供出令では、最初どちらか一方を休止するようにとの話だったようですが、阪急と阪神、どちらも折り合わず、結局、双方とも不要不急路線に指定されてしまったとか。阪急側の六甲登山ロープウェイはすぐに撤去されたものの、阪神側の六甲ケーブルは、先に摩耶ケーブルの撤去を行なっていた関係から、撤去に時間がかかり、結局そのまま終戦。廃止となった六甲登山ロープウェイとは対照的に、六甲ケーブルは残ることが出来ました。
──それでは、まずは(ホーム先端から見て)駅舎右側へ。斜めに立ち上がるホーム下は、コンクリートももろく、風化が進んでいました。昭和19年の廃止から放置され続けた、無残な光景です。
──ホーム真下です。緩く斜めになっているのが分かります。
──そのホームへ上がる階段も、かろうじて残っていました。草木に覆われている上、下半分が崩壊しているので、ここから登ることは容易ではありません。
──階段の下は、山の斜面に合わせて、急勾配で下っており、ここにいくつかの部屋があったような構造です。
──横から離れて見ると、こんな感じ。天井も壁もなく、コンクリートの骨組みだけが残る姿。美しくも完全な廃墟です。
──右側から、今度は左側へとまわってみます。こちらもホーム上は樹木が覆っていますが、周囲の地面が盛り上がっているおかげで、接近は容易。
──ロープウェイが発着していた、かつてのホーム。階段状のホームが、草木に埋もれながらも、そのまま残っています。
──そして振り返ると、そこには垂直に落ち込む異様な縦穴が。深さは10m近くはあるでしょうか。下には水がたまっており、まるで巨大な井戸のようです。もちろん、落ちれば登ることは不可能です。
──こちらは、その縦穴を外側から見たところ。右側のコンクリートの巨大な壁の向こうが、先ほどの縦穴部分です。左側にも同じような縦穴があり、そして、その中央が、まるで洞窟のように、ぽっかりと空いていました。ホーム跡や、部屋の跡などと比べても、ここは異様な雰囲気。
──その洞窟のような開口部に接近。まるで隔離された部屋のよう。右側に扉が倒れ、中には訳の分からないものが多数散乱していました。朽ち果てた椅子などは確認できましたが、廃止から68年も経っており、果たして当時のものかどうかは分かりません。
──はるかに高い天井を見上げてみます。一面のコンクリート製に見えますが、よく見ると、正面上部は塞いだような形跡が。コンクリート壁の何ヶ所かに開口部があったことが分かります。垂直の縦穴が左右に2つ、その中間に巨大な空洞の部屋。これは一体何なのでしょうか。
──その答えは、意外な所にありました。こちらは六甲ガーデンテラスの近くにある、六甲有馬ロープウェイの六甲山頂駅です。六甲有馬ロープウェイは、現在、六甲山頂から有馬温泉への裏六甲線しか運行していませんが、かつては、ここから表六甲線が、六甲ケーブル六甲山上駅の場所まで運行されていました。表六甲線は、一応、廃止ではなく休止の扱いで、現在でも施設がそのままの形で保存され、自由に見学することが出来ます。
──そこには、ロープウェイの仕組みの解説図がありました。ロープウェイは支索(しさく)と曳索(えいさく)と呼ばれる2本のワイヤーから構成されており、支索は重錘(じゅうすい)と呼ばれる巨大な重りで両端の駅に固定されます。この張り渡された支索を2組作り、その上にゴンドラを載せ、この2台のゴンドラを曳索の両端に結んで、駅の動力で動かすという仕組み。
──その機械室も見学できました。表示の5番、左右に設置されている巨大なコンクリートの塊が支索用重錘です。そして、この部屋は、先ほどの廃墟の巨大な空洞部屋とそっくりですね。つまり、廃墟で見た大きな縦穴は、支索用重錘の設置していた穴、そして巨大な空洞部屋は、六甲登山ロープウェイの機械室だったと思われます。
──最後になりますが、六甲山登り口駅跡は、原型を比較的とどめているものの、崩壊した危険な廃墟です。上部には支索用重錘を設置していたと思われる、巨大で深い縦穴が開いていますが、当然安全柵などはなく、また一部は草に覆われていて大変危険。また機械室跡周辺も、山の斜面となっており、危険です。そして、周囲はイノシシの出没地域でもあり、人に慣れてはいますが注意が必要です。(写真は表六甲ドライブウェイで出会った、野生のイノシシの親子)
──豊かな自然の残る六甲山。その歴史の中に、営業期間わずか13年、戦時中に廃止という六甲登山ロープウェイの存在がありました。それは、六甲山をめぐる観光開発競争、そして戦争による苦しい時代の生き証人。その当時の時代背景を、確かに現在に伝える、六甲登山ロープウェイの廃墟跡でした。
★お知らせ★
当記事の内容につきましては、2011年12月に開催された、六甲山文献資料の収集家「前田康男」さんの講演を一部参考にしております。この場を借りまして、お礼申し上げます。講演の模様は下記を参照下さい。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時13分=伊藤 幸司
六甲山郵便局の無料テラスからの展望です。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時14分=伊藤 幸司
六甲山郵便局のテラスに備えられていた無料望遠鏡を覗くと、たぶんこんなふうに見えるはずです。
私は以前、展望のいいところで双眼鏡を出すようにしていましたが、超望遠レンズ付きカメラを持つようになると、手持ちで双眼鏡以上の望遠写真を撮れるようになりました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時15分=小林 美子
郵便局の裏の展望所
ビジターセンターの手前にあった郵便局
トイレを借りたりして郵便局内を10名がゾロゾロと。
でも、感じよく歓迎して
くれた。お邪魔しました
有り難うございました。
先にあったビジターセンターは休みなのかな?と思う程、ひっそりしてました。
郵便局に寄ってしまうのでビジターセンターは素通りになる人がほとんどでは
ないでしょうか。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時36分=伊藤 幸司
白い綿毛と赤い実とは同じ木ではないようですね。どちらもまったくわかりませんが、目を引いたので撮っておきました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・10時36分=伊藤 幸司
その名前のわからない白い綿毛と赤い実は六甲山で見た植物模様としてはなかなか秀逸でした。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時09分=伊藤 幸司
六甲有馬ロープウェイの山頂駅一帯が六甲山カンツリーハウスという名前らしいのですが、広大なレジャー施設として広がっていました。
『Feel KOBE 神戸公式観光サイト』に『六甲山カンツリーハウス』がありました。
【六甲山カンツリーハウスは、国立公園「六甲山」の木々と緑に囲まれたレジャー施設です。園内にはパターゴルフやペダルボート等の自然をいかした遊具が多数あり、広大な芝生広場ではスポーツを楽しんだりワンちゃんとお散歩したり、思い思いの一日を満喫できます。ワンちゃんの開放エリアはHPにてご確認ください。自然に囲まれてゆっくりとした時間を過ごしたい方や、家族みんなのリフレッシュにおすすめです。】
なんだかよくわからないので『まるごと六甲山を楽しもう Rokkosan.com』のトップページを開いてみると『スタッフからの一言』として『チャンバラ合戦─戦IKUSA─』というのがありました。
【六甲山カンツリーハウスに今春NEWイベントが登場!!
その名も「チャンバラ合戦-戦IKUSA-」
大人も子供も大興奮間違いなしの、世界一平和なリアル合戦ゲームです!!
ただ今絶賛予約受付中!
今話題の大人気イベントですので、気になる方はお早めにご予約ください。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時25分=伊藤 幸司
六甲山カンツリーハウスの先に極楽茶屋跡というのがありました。そこから先はバス道路と交差しつつ並走して、稜線をたどりながら六甲最高峰へと向かいます。その稜線が痩せているため、展望のいい道になってきます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時32分=伊藤 幸司
稜線では小さな起伏をいくつも越えて行くことになります。これは登山道と車道の勾配をあらわすいい場面ですが、自動車道路は、たとえば登坂車線を設けるような長い上り坂では5%勾配以上とされています。5%というのは5/100勾配で、鉄道線路で言えば50/1000勾配となります。
ちなみに鉄道(普通鉄道)で日本一の急勾配というのは京阪電気鉄道・京阪京津線大谷駅の40/1000勾配ですから、それよりきつい傾斜をトラックなどは必死に登っていくという傾斜です。それに対して登山道は都会の軟弱な登山者にも歩きやすいように1km先で300m登る勾配(すなわち300/1000)を標準として作られています。山仕事の人たちが効率的だと考える道は斜面を真っ直ぐ登って真っ直ぐ降りるということがありますから樹林に覆われた急斜面を30度の勾配とすると約0.6、すなわち60/100あるいは600/1000というすごい勾配になります。
そこでこの写真ですが、大きな勾配をとれない車の道が山の斜面を大きく回り込みながら登り下りしているとき、私たち登山者は車では不可能な急斜面を登ったり下ったりしているわけです。
私は1/25,000地形図上で高度50mごとに○印、距離500mごとに◇印をつけることで平地を時速4kmで歩くパワーで登山道を歩くという技術体系を見つけた、と考えています。平地の歩き方と勾配の大きな登山道との歩き方ではパワーが違うのではなく、体の持ち上げ方、下ろし方が違うと主張してきました。自動車の能力をはるかに超える登坂能力を持つ人間の能力を生かしてくれるのが登山道だと考えています。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時42分=伊藤 幸司
もう一度車道まで下ったとき、前方に山頂らしい構造物が見えてきました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時43分=伊藤 幸司
眼下に見えてきたのは六甲アイランドです。2本の橋は右側が六甲大橋、左側が阪神高速5号湾岸線、手前の橋はその高速道路への取付道路です。この程度の目印があればグーグルマップで確認することができます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時43分=伊藤 幸司
右側の橋である六甲大橋をアップしてみると、なかなか不思議な雰囲気がありました。人工島を結ぶだけの橋にしてはなんだか「色気」があるじゃないですか。グーグルマップを見ると神戸新交通・六甲アイランド線の橋になっています。ところがストリートビューで見ると車が走っている普通の橋、この写真でもそういわれれば車が走っているように見えます。
そこで『ウィキペディア』を見ると、ありました『六甲大橋』。
【六甲大橋(ろっこうおおはし)は、兵庫県神戸市東灘区住吉浜町と六甲アイランドを結ぶ世界初のダブルデッキ連続トラス式斜張橋である。道路のほか、神戸新交通六甲アイランド線(通称六甲ライナー)も通る鉄道道路併用橋である。
1976年(昭和51年)に完成し1977年(昭和52年)に開通した、大阪湾を渡る橋長400mの橋梁である。神戸大橋と同じく2階建て構造となっており、上段が北行きおよび六甲ライナーが、下段が南行きおよび歩道が通る。六甲ライナーは南魚崎駅とアイランド北口駅との間で本橋梁を渡る。】
なんだかすごい橋のようです。とすればそれによって繋がれた六甲アイランドという島に、高層ビルが林立しているのも気になります。
『Feel KOBE──神戸公式観光サイト』に『六甲アイランド』がありました。
【大型商業施設・美術館・ホテルなどが揃い、人工島とは思えない程の豊かな花や木に囲まれてゆったり過ごせるエリアです。洗練されたデザインの建物が多いモダンな街並みでのショッピングや島から本土を望む「逆夜景」が楽しめます。神戸の中でも特に国際色豊かで、日本人も外国人も一緒になって盛り上がる多彩なイベントも見どころのひとつです。】
『ウィキペディア』の『六甲アイランド』には次のような記述がありました。
【島は中心部に会社、住宅地、店舗、その他公共施設などがあり、特にファッションに関する施設が多く存在する。中心部をシティヒルという全長約5kmの道が囲んでいる。さまざまな種類の木がたくさん植えられていて四季折々の景色を楽しむことが出来る。公園や運動用の遊具がところどころに設置されている。この道はマラソン、散歩などに利用され、シティヒル外側の工場からの排気ガスを防ぐ役割もある。また島の中心部ではアイランドセンター駅などを含めた施設群がスカイウォークといわれる空中回廊で結ばれている。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時44分=伊藤 幸司
登山道はまだまだ続き、時間の問題ゆえに、しばしば時計を見てしまいます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時45分=伊藤 幸司
六甲アイランドを見下ろしています。その沖合のゴミの島は「六甲アイランド南」といい、いずれは同様の人工島になる可能性を持っているとのこと。

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時57分=伊藤 幸司
これまでにほとんどなかったような笹原になりました。この隈どり、クマザサではないとして、名のあるササではないかと思って撮ったのです。
帰って調べてみるとミヤコザサというのがありました。
『六甲山系電子植生図鑑』です。
【茎(ササでは稈(かん)といいます)の節を触ってみて下さい。丸くふくれています。これさえ覚えれば、六甲山でミヤコザサを間違うことはありません。稈が細くて、枝分かれしないのも特徴です。
ここがポイント──稈にそって指を滑らせて、節の丸さを実感してみて下さい。
六甲山での分布と環境や植生との関係──六甲山では、400〜600mあたりから徐々にネザサと置き換わり、山上ではミヤコザサばかりとなります。
ササの仲間は、積雪と関連づけて分布を説明できることで有名です。例えば、稈の枝分かれの位置は、積雪の深さと対応しているといわれています。雪の下で、寒さや乾燥から芽を守っているのです。ミヤコザサの仲間は、枝わかれしません。これは、六甲山では積雪がほとんどなく、地下でないと冬の間、芽を守れないという訳です。】
おそらく、たぶん、これはミヤコザサの美林だと思うのですが、この美しい隈取について書かれていないのは不安です。もちろん茎の節が丸く膨れているかどうかなどチェックしていませんから。
『川崎みどり研究所』の『造園植物Web図鑑 公共緑化樹木INDEX』に『ミヤコザサ』がありました。
【美性──冬に葉の縁が白く枯れるなど、クマザサによく似るが、より小型のササ。
文化──名の由来は、京都の比叡山産のものが基準標本となったことから。
識別ポイント──クマザサとよく似ているが、本種は葉の裏面に毛があり、紙質で細長い。クマザサは葉の両面が無毛で、葉先が急に尖るような形をしている。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・11時57分=伊藤 幸司
【六甲山では、400〜600mあたりから徐々にネザサと置き換わり、山上ではミヤコザサばかりとなります。】というのですから、まさにその六甲山の山頂風景がこれでしょう。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時01分=伊藤 幸司
最後の最後で、また自動車道を横切りました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時13分=伊藤 幸司
遠くから見えていた電波塔が目の前にありました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時14分=伊藤 幸司
ススキがフレッシュな印象で登場しました。昨日、今日、どこかで見たかな? という感じで。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時16分=伊藤 幸司
1/25,000地形図には「六甲山」と書かれていますが、現地正式名称は「六甲山最高峰」となっています。
『コトバンク』の『世界大百科事典 第2版の解説』の『六甲山』
【兵庫県神戸市東部,市街地の背後にそびえる花コウ岩からなる山。六甲山地の最高峰で,標高931m(東六甲山)。山頂の西約5km,西六甲山(803m)一帯は平たんな隆起準平原の特色を示し,明治半ば以降外国人の,大正に入ってからは日本人の別荘地として開発された。さらに昭和の初めに六甲ケーブルが建設されて以降,観光地,保養地として急速に発展した。1901年に造られた日本最古のゴルフ場をはじめ,人工スキー場,高山植物園,観光牧場,森林公園,企業の保養所などが多く,六甲山を訪れる観光客は年間700万人を超える。】
また同じ平凡社の『小百科事典』に由来する『マイペディア』も『コトバンク』にありました。
【兵庫県神戸市東部,市街地の背後にそびえる花コウ岩からなる山。六甲山地の最高峰で,標高931m(東六甲山)。山頂の西約5km,西六甲山(803m)一帯は平たんな隆起準平原の特色を示し,明治半ば以降外国人の,大正に入ってからは日本人の別荘地として開発された。さらに昭和の初めに六甲ケーブルが建設されて以降,観光地,保養地として急速に発展した。1901年に造られた日本最古のゴルフ場をはじめ,人工スキー場,高山植物園,観光牧場,森林公園,企業の保養所などが多く,六甲山を訪れる観光客は年間700万人を超える。】
これらと比べると文字数に制限のない『ウィキペディア』の記述は圧倒的です。
『ウィキペディア』の『六甲山』では、たとえば『地質・地形』が詳述されています。
【六甲山の大部分は、約1億年前(中生代白亜紀)に地下深くで生まれた花崗岩でできている。第四紀、百万年前以後の六甲変動と呼ばれる地殻変動によって最高部が 900 m 以上に至るまで隆起し、現在も変動を続けている。それによって生じた複数の断層が北東から南西に向かって主稜線と平行に走っている。いずれも北西側が東に向かって動く右横ずれ断層であり、横ずれが起こると同時に北西側が高くなる傾向がある。これらの断層は阪神淡路大震災の震源断層である野島断層などとともに六甲-淡路島断層帯を構成している[2]。
1932年(昭和7年)、京都大学助教授であった上治寅治郎により丸山断層が発見されるまでは、六甲山の成り立ちは、地塁説(六甲山地塁説)で説明されてきており定説となっていた。これは、六甲山の高い中央部を除いた南北の両側が、陥没して低くなり、北側に落ちて谷状の凹地になったのが、現在の箕谷から花山、大池、有馬、さらに生瀬、宝塚にいたる低地帯であり、南側に落ちてできたのが現在の神戸の市街地であり、ずり落ちずに残った高地が現在の六甲山であるという考えである。ところが、丸山衝上断層の発見により、地塁説とは全く逆の、地殻にかかる側方からの圧力により、基盤が上向きに隆起し六甲山を形成したという説が現在では主流となった。
最高峰のすぐ南から神戸市内に向かって南西に一直線に流れる住吉川の谷が、五助橋断層(ごすけばしだんそう)に相当する。芦屋ロックガーデンなどの断崖の麓にあるのが芦屋断層、その東側で甲山の乗っている北山高原を持ち上げたのが甲陽断層と呼ばれている。(断層でできた崖は長い年月の間に侵食されているので、今見える崖と断層の位置はずれている場合がある)これらの断層によって、南東の西宮市側からは幅広い階段状にわかれて隆起してみえる。なお、六甲山を東西に縦断するように貫かれた山陽新幹線の六甲トンネル工事では多くの断層破砕帯を貫通させることとなり大変な難工事であった。
山頂部は比較的平坦な地形が広がっておりゴルフ場やホテル・保養所、各種観光施設が点在している。この平坦な地形は『隆起準平原』と呼ばれるもので、侵食が進んでいない若い山によく見られる地形である。
北斜面は比較的緩やかであるが、東西に走る有馬-高槻断層帯の一部である六甲断層[3]によってできた断層谷である、蓬莱峡や白水峡などの谷で区切られている。】
さらに『眺望と夜景』という項目には……
【六甲山上からの眺望は開けた景色を望むことができ、西の明石海峡大橋や淡路島や播磨平野、その海岸線に迫る六甲山系が見てとれ、南には金剛山や泉州地域の海岸線、関西国際空港、神戸空港、紀伊水道の友ヶ島なども望める。東には生駒山や大阪(阪神)平野一帯、大阪国際空港(伊丹空港)などの眺望が可能で、淀川や大阪市内もはっきりと見ることができる。空気が澄んでいればさらに遠く四国、中国山地や丹波高地、紀伊半島の紀伊山地の山並みまで見ることができる。 また直下には神戸の市街地や臨海地帯が迫って見えることもあり、その山上からの高低差とスケール感のある広角な視界が得られることにより大変みはらしの良い眺望が可能で、多くの観光客が訪れるスポットである。下界を見下ろせる所々には展望台が設置されており六甲山から見下ろす夜景は日本三大夜景の一つとされ、夜景の美しさを表現する際によく用いられる『100万ドルの夜景』という言葉の発祥とされている。これはそう言われるようになった1950年頃、山頂から見えた一帯の電灯の1ヵ月分の電気代がおよそ100万ドルだったからであるが、2005年に改めて関西電力の協力も得て現在(2005年)の電気使用量・料金・レートから計算し直し、今では「神戸1000万ドルの夜景」と称されている[25]。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時17分=伊藤 幸司
六甲山最高峰から来し方を振り返りました。今朝から歩いてきた六甲山の稜線がおおよそ写っているのだと思いますが、いざ、確認しようとするとわかりません。この写真を撮っていたときには左奥の電波塔が摩耶山あたりだと思っていたのですが、鉄塔それぞれのかたちで確認しようとすると、上を見ていなかったし、見えるような場所が意外に少なかったとわかりました。黙々と歩いてきたのだと思います。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時17分=伊藤 幸司
これは1時間ほど前に通過した六甲山カンツリーハウスあたりの稜線だと思います。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時22分=伊藤 幸司
ここから足元を見るとすでに淀川の河口です。だから手前は芦屋だの西宮だの尼崎、向こうはもう大阪、UFJなんかも見えるのかもしれません。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時22分=伊藤 幸司
この別荘地帯は大ぐくりにすると芦屋なんでしょうか。地図で見てみると「芦屋ハイランド」というバス停があるあたりみたいです。でも朝方見た別荘地と比べると庶民的な風景です。別荘じゃなくて自宅かもしれないと思います。芦屋あたりの高級住宅地だって、他の土地なら完全な別荘地帯じゃないですか、イノシシさんだって出てくるし。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時23分=伊藤 幸司
大阪の中心街を見ています。よくわかりませんけれど高層ビルがズクズクと立っています。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時25分=伊藤 幸司
山頂から一軒茶屋へと下りました。昼食とトイレのために。

六甲山・登山
【撮影】2日目・12時58分=伊藤 幸司
一軒茶屋から有馬温泉へと下る道。有名な魚屋道(ととやみち)です。
『六甲山楽図』に『魚屋道』がありました。
【深江から六甲最高峰を越え、有馬温泉に通じる、六甲越えの古道です。
神戸の海で獲れた魚介類を魚屋さんが有馬へ運ぶために利用したことから、魚屋道(ととやみち)と呼ばれるようになりました。
ロックガーデン(中央稜)と併せて、六甲最高峰や有馬温泉へ向かう道は、六甲山で最も人気のあるルートです。
○森北町〜風吹岩
甲南女子大がある坂を登り、昭内橋の西詰めにある「魚屋道」と書かれた道標を目印に、ハイキング道に入ります。
堰堤を越え、少し行くと、尾根道との分岐道標。
風吹岩を目指すのであれば、どちらを通っても良いのですが、道標の示す通り、魚屋道は谷筋の方を行きます。
魚屋道でも、この辺りは殆どハイカーの姿を見かけません。
会下山遺跡から来た尾根筋に出ると、蛙岩が迎えてくれます。
見る角度によっては、蛙岩という名前が、納得できる形の岩です。
蛙岩からは緩やかな坂道が続きます。
先ほどの尾根道への下り口を過ぎて、しばらく行くとY字路。ここは右手に進みます。
金鳥山・保久良神社からの道と合流すると、少しづつハイカーの姿も多くなります。
やがて緩やかな道から、花崗岩が風化したマサ土の斜面を登ると風吹岩。
ロックガーデンを登ってきたハイカーも加わり、一気に賑やかになります。
○風吹岩〜六甲最高峰
風吹岩を出発してしばらく行くと、横池への分岐道標。
道標から数十メートル入れば、池の畔に出られるので、寄り道してみるのも良いでしょう。
梅雨の頃には、池に浮かぶスイレンの花が見られます。
先に進むと、打越峠方面へ向かう甲南パノラマコースの分岐。
さらに進むと、いつも少しぬかるんでいる荒地山への分岐。
ちらりと西お多福山を望んだ後、黒五谷への分岐に進みます。
イノシシ避けの門を開けて、ゴルフ場内のハイキング道に入ります。
ゴルフ場を抜けると、急坂が始まりまり、ようやく登りきると雨ヶ峠。
ここにはベンチもあり、休憩にはもってこいです。
雨ヶ峠からは、東お多福山を経て土瓶割峠に回り道してみるのもお薦めです。
六甲山ではめずらしく、草原の感じがする道を歩くことができます。
雨ヶ峠を出発すると、やや下りになり住吉道と合流。
下りきると川筋が近くなります。
本庄橋跡の手前で道が左右に分かれます。
どちらを行っても本庄橋跡の上で合流しますが、本庄橋跡を通るのは左の道です。
本庄砂防ダムの横を通過し、土樋割峠からの林道に入ろうとする所で、道標の通り流れを渡ると「七曲り」と呼ばれる急坂。
最高峰に向かう、一番の頑張り所です。
登り始めると右手の谷がどんどん遠くなり、その先もつづら折れの急坂が続きます。
少し坂が落ち着き、再び、右手に深い谷筋を眺めるようになると坂道も終盤です。
雪のある時期は、雪が踏まれて滑りやすくなっている場合もあるので、軽アイゼンは持っていた方が良いでしょう。
ようやく坂道が終わり、広いところに出ると一軒茶屋。
道路を渡って右手に進むと、すぐに最高峰下の広場があります。
広場からセメント道をひと登りすれば、六甲最高峰です。
○六甲最高峰〜有馬温泉
最高峰下の広場から北側にある石畳の道に入ります。
少し行くと吉高神社。
魚屋道も、有馬側は、比較的坂がゆるく、道幅もある、歩きやすい道が続きます。
しばらく下ると、紅葉で名高い瑞宝寺公園へ下る筆屋道への分岐。
その先に、馬や駕籠が通った時代を物語る、六甲最古のトンネル跡があります。
少し行くと、紅葉谷道に通じる炭屋道への分岐。
それを過ぎてしばらくすると、道はジグザグに有馬の街へ下って行きます。
やがて、ロープウェー有馬温泉駅に通じる舗装路に出ると、ハイキング道ともお別れです。
有馬温泉には、金の湯・銀の湯などの日帰り温泉もありますので、ひとっ風呂浴びて帰るのも良いでしょう。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時01分=伊藤 幸司
歩きやすい道かもしれませんが、これだけ深く浸食されています。上流側でうまく水切りしておかないと……。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時05分=伊藤 幸司
ウバメガシの群落が出てきました。海側の斜面に多いと思っていたので、なにか別の種類かと思って「六甲山 ウバメガシ」と検索してみたら、ありました。ミヤコザサのことを教えてもらったのと同じサイトでした。
『六甲山系電子植生図鑑』の『ウバメガシ群落』です。
【○ひとこと解説──ウバメガシの林冠が連なり、まるで、林の上に濃い緑のカーペットを広げたように見える林です。本来は、海岸沿いの急斜面に見られる林で、六甲山では須磨の付近に広がっています。
主な構成種
高木層……ウバメガシ,ヤマモモ,ソヨゴ
低木層……ヒサカキ,カクレミノ,ヤブニッケイなど
草本層……ベニシダ,ウラジロ,ツルアリドオシなど
○分布と見分けるポイント──ウバメガシ群落は、潮風の影響を受ける乾燥した立地に分布し、鉢伏山など須磨区のあたりに偏っています。ウバメガシの林冠が連なって、カーペット状に広がっています。須磨区以外の地域では、まれに、ごく小さな林があるだけです。
分布……海岸付近に分布
標高……低海抜域
○群落の現状と将来──かつては薪炭林としての利用がされていたと考えられますが、現在では管理は行われていません。将来的は、コジイ-カナメモチ群集に遷移が進むと予想されます。ただし、乾燥の厳しい立地特性や林床植物の少なさから、このまま本群落が長く続くと考えられます。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時11分=伊藤 幸司
江戸時代から道はこんなふうにジグザグを切っていたのでしょうか。たぶん、水も加えた重い桶を持っての、スピード勝負でしょうから、早飛脚のような能力を求められたのだと思います。まっすぐ登って、真っ直ぐ下るという、今とはぜんぜん違う道があったのではないかと思うのです。……でもじつは、下りでは勾配を緩やかにした歩きやすい道のほうが、降下速度が上がるということはスントの高度計つき時計が教えてくれます。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時12分=伊藤 幸司
迂回路です。ここで登山道は遮断され、斜面を上方へ迂回します。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時15分=伊藤 幸司
この崩落が登山道を破壊したようです。8月の唐松岳では八方尾根を登ると唐松岳頂上山荘のすぐ手前で崩落があって、新しい迂回路がヤセ尾根の狭い稜線をたどたどしくたどっていました。日本の山の登山道や林道は、そういった崩落によって(修復工事に値しないものとされれば)どんどん破棄(通行禁止、登山は自己責任)されてきたし、さらに破棄されていくのだと思います。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時27分=伊藤 幸司
こういう道は、最近多いトレイル・ランニングの人たちには高速走行が可能なところだと思われます。小さな荷物で負荷を軽くして、時間を短縮することで危険を小さくするという考え方は、たぶん50年ぐらい前に登山では極地法に対するアルパインスタイル(ライトエクスペディション)がヒマラヤなどでも行われるようになりました。トレイルランニングは道(あるいはルート、トレイル)をいかに短時間で通過するかを課題とするもののようです。私自身はそういうものと正反対に「平地を歩くのと同じ自分の巡航速度」でどのような状況の登山道まで歩くことが可能かという省エネ歩行術を基本としてきました。ただし靴に悩んだとき、草創期のウルトラマラソンやトレイルランニングに関わっていた仲間から「けっきょくランニングシューズになった」と聞いたことが、技術確立の大きなきっかけになりました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時32分=伊藤 幸司
ダブルストックを使うことで、糸の会のメンバーは下りでは技術レベルを何段階もアップさせます。ダブルストックの技術は基本的にスキーに準じているのですが「杖」や「錫杖」のように使うセンスのない人たちがまだ指導者に多いようです。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時49分=伊藤 幸司
中腹が住みやすいのでしょうか。六甲山のイノシシの日常生活がここにもあるようです。

六甲山・登山
【撮影】2日目・13時50分=伊藤 幸司
六甲山のイノシシについて、非常に的確な解説文書がありました。
『兵庫ワイルドライフモノグラフ 8-4 』という雑誌の『第 4 章 六甲山におけるイノシシ管理の現状と課題 』(横山真弓)という公演記録のようです。
この「www.wmi-hyogo.jp」は兵庫県森林動物研究センターで、これは平成27年度のシンポジウム「なぜイノシシは都市に出没するのか?」の4講演──
1.ヨーロッパにおけるイノシシの管理(サッカーリ大学・マルコ・アポロニオ教授)
2.アメリカにおける野生化したブタの対策と管理体制(オーバーン大学・マーク・スミス准教授)
3.韓国ソウルにおけるイノシシの出現の現状と課題(ソウル国立大学・リー・ウーシン教授)
4.六甲山におけるイノシシ管理の現状と提言(兵庫県立大学・横山真弓准教授)
という本格的なものだったようです。
【はじめに──本日はこの神戸六甲山系で起こっているイノシシと人との軋轢についてお話します。神戸ではイノシシが街中にまでやってきてしまう、このような光景はよく見られるわけですが、私はある時まで、このような大型獣が大都市にやってくるということは、特殊な事例で神戸だけで起こっていると考えていました。しかし、これまでの先生方のご講演にあったように、全世界で起こっていることであると、最近になって認識を改めました。神戸市民の方は、街なかでゴミをあさるイノシシを見た方も多いかもしれませんが、一方、六甲山中で人が行かないような場所に調査に行って出会うイノシシは、全く異なります。いつもと違う状況では、非常に警戒心が高まる臆病な動物です。なぜこのように同じイノシシでも大胆だったり臆病だったり異なる姿を見せるのでしょうか。】
【野生動物管理の 3 原則と兵庫県のイノシシ管理──野生動物管理の 3 原則というものがあります。野生動物管理は科学的データに基づいて、被害管理、個体数管理、生息地管理の 3 つを行うことが基本となります。特に絶滅の危機に瀕している場合は、個体数管理や生息地管理が必要ですが、今回のイノシシのように個体数が増加して問題が発生している場合は、生息地の状況が良いから増加している、という考えに基づいて、被害管理と個体数管理を中心に行っていきます。
図3は兵庫県におけるイノシシの生息密度、農業被害の状況、そして、被害の変化の状況を表しています。イノシシの生息が多かったと考えられる兵庫県の中心部で現在は生息密度が低くなっています。これは、シカの被害が深刻な地域でもあり、捕獲対策が盛んに行われている地域でもあります。おそらく捕獲努力量が多い地域でイノシシの密度も低く抑えられてきているものと考えられます。それに対して、阪神間、かつては密度が低かったと考えられる地域で、農業被害や生息密度が急激に増加しているのがわかります。また、淡路島では、南の山系にイノシシがいましたが、実は北部でイノブタが 20 年ほど前に放逐されており、イノブタが急増しています。図4は兵庫県内のイノシシ捕獲数を示しています。】
【野生動物としての本来のイノシシの生態──アポロニオ先生のお話にありましたようにイノシシは砂漠のような環境から海沿いまであらゆる環境に生息できる動物です。日本のイノシシも基本的には同じです。どのような環境でも暮らすことが可能です。食べ物も春はタケノコ、秋はドングリ、という印象が強いかもしれませんが、基本的な食事は土の中のミミズなどの昆虫類、木の根、草の根などを中心としています。本来は粗食な動物です(図7)。成長は早く 800g程度で生まれますが 1 年後には 30 ㎏近くにまで大きくなります(図8)。繁殖力も高く 1歳で 80%以上が妊娠し、2 歳以上ではほぼ 100%近く妊娠する動物です(図9)。しかも 1 度に 4 頭の子供を産みます。ですので、もし 5000 頭のメスがいれば翌年には 20000頭増えてしまうという、そのくらいの増加力を持っている動物です。
メス同士は血縁関係が強く、血縁関係で行動を共にすることがあります。小さなウリ坊を連れているメスは河川環境を好むようです。次に、イノシシの身体能力です。鼻が利くというのはよく知られていますが、この鼻は、実は、成獣だと 70 ㎏ほどのものを持ち上げることができるといわれているほど強いものです。そしてジャンプ力もあり、1.2m ほど飛び越えられる一方で、20cm ほどの狭い隙間でも潜り抜けるという能力を持っています(図10)。さらに、イノシシの能力で最も重要なのが学習能力です。ひとたび作物や人為的餌を学習してしまうと執着し、行動がエスカレートしてしまいます。
しかしその学習能力を逆手に取れば上手に対策に活かすことができます。先ほどお伝えしたように、イノシシは警戒しているときは鼻で探索をします。そのため、侵入初期の警戒心のある時に適切に電気柵で学習させると被害防除に役立ちます。電気柵は、適切に使用すれば大変効果的です。2週間ほど前に残念な電気柵の事故が発生しましたが、それは適法な使い方ではありませんでした。やってはいけないことをやってしまって発生した事故ですので、電気柵という道具を正しく使用すれば安全で効果的であるということを強調しておきたいと思います。
イノシシの高い学習能力を利用した対策としてもう一つ、捕獲があります。群れごと捕獲をする、という方法です。この罠は入り口にセンサーが付いていて、この罠で十分な餌付けをすると何頭罠に侵入したかを事前に数えて、その頭数が来たら罠が稼働するように設定できます。この場所で餌付けできた成獣を含む群れがすべて罠に侵入したときに罠を稼働すれば、罠を危険だと学習する動物を減らすことができます。このようにある意味人にとって良い学習をさせて対策を行うと防除は適切に可能となります。そして、この賢い動物に誤った学習をさせてしまうと大変厄介なことが起こってしまう、それが本日のお話の本題になります。】
【市街地への出没要因とその対策──こちらは、大学院生の池谷さんが住民と観光客に対して、アンケート調査を行った結果です(図11)。
「なぜイノシシは神戸の街までやってくると思いますか?」という問いに対して、最も多かった回答が、「山に餌がないため」という回答でした。被害地住民も他地域からの観光客も 60%ほどがこの答えを選択しています。その他、被害地住民は「餌付けを行っているため」と回答した割合も 60%でした。
他地域住民からは「山に住めないため」も多く選択していました。多くの人が山に餌がないからと考えていることが分かりました。図12は私が今年の春六甲山で調査を行った時に撮影した森の風景ですが、多様な樹種の芽吹きが見て取れます。とても豊かな森林が広がっています。しかし、実は 110 年前は、図13のように六甲山は禿山でした。明治後期の写真ですが、森林は全くなく、洪水が多発するような地域だったのです。この写真はちょうど日本で初めて植林が行われた六甲山系再度山のものです。確かに六甲山はかつて禿山になるほど森林破壊が深刻な山でした。そのため、110年前に植林が開始されましたが、土砂流失の深刻な場所だったので、木はすぐには育たず 1960 年代までは成林していませんでした。灌木の状態だったようです。しかし、それから 50 年以上たった今は図12のように豊かな森林となっています。今六甲山に行っていただければ、登山道沿いにたくさんのイノシシによる掘り返し跡が見られます(図 14)。イノシシにとって六甲山の土壌はたくさんの餌がある場所なのです。そのため、イノシシの数も増えていると考えられます。ですから、街で人の食べ物をイノシシに与える必要は全くないのです。六甲山はイノシシがたくさん暮らせる豊かな森林となっているのです。(図15)私たちがイノシシとの共存を果たすために必要なことは、街にはイノシシの餌はなくイノシシにとっては危険な場所であるということを学習させることなのです。街中では交通事故でイノシシが死亡したり、深刻な被害が発生するとイノシシは駆除されたりしています。そうして死亡したイノシシを解剖して胃の中を調べると、図16のように人為的な餌が出てきます。この写真はおそらくごみをあさったのでしょう。本来のイノシシの餌とはかけ離れたものが出てきます。これらの餌はイノシシにとっては、高カロリーで高脂肪、高塩分でイノシシの健康上にも良いことはないと考えられます。
餌付けでよく使われている食パンなどはカロリーが高いものです。少量で十分な栄養を摂れてしまいますのでイノシシは、歩いて餌を探索する必要がなくなってしまいます。人も栄養を摂りすぎると病気になりますが、イノシシにもおそらく栄養過多での悪影響が起こってくるのではないかと考えられます。図17は、神戸市内にある天上川という川、三面コンクリートで護岸された川に、10 年以上前からイノシシが住み着いています。餌付けが盛んに行われ、イノシシたちはここから離れようとはしません。このように寝そべっていれば、人は「かわいそう」と言って、餌を投げ込むのです。しかし実際にはこのイノシシたちは、ここに高栄養なものがあるので、ここにわざわざとどまっているのです。ほとんど動かないので、腹が異様に膨れ上がっていたり、筋肉、特に後ろ足の筋肉が発達しなかったり、土を掘り返すことがないので、牙が伸びきってしまったり、皮膚病になったり、と様々な弊害が出ているように見えます。これが本当に自然なのでしょうか。野生のイノシシはこのような体つきとは全く異なります。野生のイノシシはとても毛並みがよく筋肉が発達しています。
被害が発生している場所と餌付けの場所の関係をみると被害が発生している場所というのは、餌付け場所に近い場所です。餌付けは山から離れたところでも行われているので、被害は山裾にとどまらず山から離れた場所でも発生してしまっています(図18)。餌付け場所と被害発生場所の直線距離を分析すると被害の 80%以上は餌付け場所から 500m以内で起こっていることが分かります(図19)。餌付けをされる方は、イノシシは餌がなくてかわいそうという気持ちと思いますが、六甲山に餌がないわけではないのです。町にある餌がおいしすぎて、安全で簡単に手に入るので、そこに執着してしまう、そのうち人が持っているもの、ビニール袋などに餌があると学習してしまうと、襲ってまで、その袋を奪おうとしてしまう。こうして行動がエスカレートしていくのです。このようなところまで進んだイノシシは、駆除する以外の方法はありません。餌付けを行った人はイノシシを助けようとしたのかもしませんが、結果的には餌付けはイノシシを殺すことになるわけです(図20)。
以上、増加力が高く、学習能力も高いイノシシの管理、どうしていくべきかについて図21にまとめてみました。兵庫県全体的にはイノシシの個体数が増加しています。そのため、適切な捕獲を行うことが必要となります。学習能力の高いイノシシの行動をエスカレートさせてしまうと駆除する以外の方法がないため、餌付けは絶対に行ってはいけません。餌付けでよいことは人にもイノシシにもありません。餌付けは全く必要ありませんので、餌付けを許さない地域づくりを行うことが本当の共存に必要であると考えます。】

六甲山・登山
【撮影】2日目・14時12分=矢野 博子
六甲山の山頂を極めてから有馬温泉へと下山。魚を運んだという魚屋道をゆっくりと下りた。昔この道を魚を運んで歩いたのかと 思いを馳せた。冷蔵庫がないのだから さぞかし 速く歩くことが要求されたに違いない。殆どゴールに近いところには 虫地獄と鳥地獄という石碑が立っていた。

六甲山・登山
【撮影】2日目・14時18分=矢野 博子
温泉の噴出物で 小動物が 苦しめられ このような石碑が建てられたとか。初めて訪れた有馬温泉は タイムスリップしたような感じになった。随分立派な温泉街なので驚いた。

六甲山・登山
【撮影】2日目・15時41分=伊藤 幸司
私たちは14時15分に有馬温泉に到着、いろいろ電話をかけて金泉露天風呂のある御幸荘花結びというホテルで1,500円の入浴。それから駅近くまで下ってきました。

六甲山・登山
【撮影】2日目・16時36分=伊藤 幸司
帰路、神戸市営地下鉄には幼稚園児の絵が貼られていました。書いた子は自分の絵が電車に貼られたということを深く記憶に刻み込むだろうな、と思いました。右下隅に、ひらがなで名前だけが小さく書かれていました。



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