山旅図鑑 no.224
破風山
2018.12.22

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(no.1120)
2018.12.22
破風山
約35パワー(皆野アルプスは途中リタイア)

登り18p→下り約17p

*破風山は3度目でしたが、今回は「皆野アルプス」というルートをたどってみたいと考えていました。しかしどこで間違えたのか「冬に入りましたが<体験参加可>ですのでゆっくり歩きましょう。冬の準備編です。」と書き加えてしまいました。
*参加者に関しては山頂の記念写真のところで詳しく書きましたが、いずれも20年以上の長いお付き合いの「お姉さま」たちと、今回が2度めの参加という<体験参加可>に限りなく近い方……たち。
*しかも「冬の準備」よりも、早い日没に追われる1日になりました。
*実のある1日ではありましたが。

12月22日
・1115-25……秩父華厳の滝見物(標高約300m)11度C
・1140……破風山登山口を出発(標高約300m)
・1210-20……大前集落で休憩(標高約500m)13度C
・1250-55……大前山山頂(標高653m)
・1340-45……札立峠近くで休憩(標高約550m)
・1400-25……破風山山頂(標高627m)10度C
・1505……風戸分岐(標高約450m)
・1600-05……皆野アルプスを約1時間進んで休憩(標高約400m)
・1640……風戸分岐に戻る(標高約450m)
・1650-55……風戸のあずま屋で休憩(標高約350m)
・1730……満願の湯(標高約200m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は2人です。
稲葉 和平、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.224
破風山
2018.12.22

破風山登山
【撮影】09時59分=稲葉 和平
皆野町は俳句の町としても観光に力を入れていて、今年(2018年2月)に亡くなった現代俳句の巨匠、金子兜太の句碑があちこちに建てられている。金子兜太は秩父音頭の作詞者でもある俳人で医師の、金子伊昔紅(いせきこう)の長男として生まれ、育ったというからまさにゆかりの地というにふさわしい。

破風山登山
【撮影】10時13分=稲葉 和平
金子兜太句碑マップの隣に貼ってあった、金子兜太選の「秩父鉄道の俳句」のポスター。心を打つ素晴らしい句が並んでいた。

破風山登山
【撮影】10時21分=伊藤 幸司
これは皆野駅で撮った秩父鉄道の車両です。
長瀞へ行くのに、最近は池袋から東武東上線で寄居に出て、秩父鉄道に乗り換えるというのを、今回は西武鉄道の池袋駅から西武秩父駅まで特急を使い、隣接する秩父鉄道の御花畑駅から皆野まで秩父鉄道に乗ったのです。
山の中でなんでサメなんだ? という違和感がこの絵の狙いなんでしょうが「ジオパーク秩父」がテーマ。三葉虫も描かれています。
「ジオパーク秩父」とは何か? というと『日本地質学発祥の地・秩父まるごとジオパーク推進協議会事務局(一般社団法人 秩父地域おもてなし観光公社)』という組織が中心らしく『ジオパーク秩父の紹介』がありました。
【ジオパーク秩父は、秩父地域1市4町(秩父市、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町)をエリア(約89,250ha)としており、平成23年に当時国内で15番目の日本ジオパークに認定を受けました(現在国内に44か所)。その後、平成27年の再認定を受け、現在に至っています。
秩父地域では、NPO団体が主催するガイドツアー、学校における体験学習、自治会や公民館での講座など、ジオパークに関する住民の活動が盛んです。秩父地域の新たな魅力発信と地域活性化を目指し、各団体や各行政機関、観光関係団体で組織された「秩父まるごとジオパーク推進協議会」が中心となり、地域全体でジオパーク活動を推進しています。】
【秩父地域は東京に近く、明治時代から日本の近代地質学における数々の先駆的な研究が行われてきました。「秩父古生層」や「三波川結晶片岩」などの命名・研究をはじめ、日本列島の模式となる研究が展開され、以後多くの地質学徒の育成に貢献してきたことから、『日本地質学発祥の地』と呼ばれています。また、現在でも新しい研究が行われ、秩父層群や三波川変成岩など西南日本外帯の「付加体」(プレートの動きにより、大陸側に押し付けられた堆積物など)に関する新知見が得られるなど、『世界に発信する地質学的拠点』という新しいパイオニア的存在でもあります。】

破風山登山
【撮影】11時02分=稲葉 和平
「???」。全国10位。どうみても怪しい感じはするが、ちょっと見てみたくなる。

破風山登山
【撮影】11時05分=伊藤 幸司
バスで「秩父華厳の滝」まで行きました。「華厳」という言葉にイメージ上の影響があるのかと思って、念のために調べてみると「華厳経」なんですね。
『コトバンク』で調べてみると『百科事典マイペディアの解説』がわかりやすいと思いました。文字面だけの印象ですが。
【大乗仏教経典の一つで,正しくは,大方広仏華厳経。広大な真実の世界を包含する仏が,一切の衆生(しゅじょう)・万物とともにあり,さらに一切の衆生・万物も仏を共有し得る(一切即一,一即一切)ことを,華(はな)の美しさにたとえて説いた経典。日本でも東大寺の大仏(毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ))はこの経の本尊により造立された。漢訳に3種あり,〈六十華厳〉〈八十華厳〉〈四十華厳〉と巻数を冠して呼ばれる。中でも〈入法界品〉と〈十地品〉は有名で,サンスクリット語本,ネパール発見本では,それぞれ独立の経典とされている。】
華厳経がこの滝の命名にどのように関わってくるのかわかりません。当然ながら直接関係ないかもしれないのです。
『一般社団法人 秩父地域おもてなし観光公社』の『出会い旅・ふれあいちちぶ』に『秩父華厳の滝』がありました。
【札所34番の水潜寺から600mほど奥の所に秩父華厳の滝があります。高さ10数mの滝ですが、日光の華厳の滝とよく似ていることから、その名で呼ばれています。滝上には、目を大きく見開いたユニークな不動明王があります。また、春の新緑から秋の紅葉にかけての景観がたいへん素晴らしい滝です。】
高さなんと「10数m」とアバウトです。おまけに「日光の華厳の滝とよく似ている」からの「華厳」だそうです。この「一般社団法人 秩父地域おもてなし観光公社」は「日本地質学発祥の地・秩父まるごとジオパーク推進協議会事務局」と同一とは思えない解説です。
でもその一種怪しい気分は、入り口にも漂っていました。大きな解説板があって『全国10位に選ばれました・秩父華厳の滝』と書かれていて1位から17位までの滝の名が列記されています。
それによると、1.くろくまの滝=青森県鰺ヶ沢町、2.ぬさがけ滝=岩手県矢巾町、3.秋保大滝=仙台市、4.安の滝=秋田県阿仁町、5.面白山紅葉川渓谷=山形市、6.幕滝=福島市、7.袋田の滝=茨城県大子町、8.湯滝=栃木県日光市、9.吹割の滝=群馬県利根町、10.秩父華厳の滝=埼玉県皆野町……ということです。なんですかね、この順序は。念のために第1位という「くろくまの滝」を調べてみましたが「全国1位」という称号に関する記述は見つかりませんでした。
その滝が見え始めたこの位置で「華厳の滝」の顔つきを楽しめる、ということでしょうか。

破風山登山
【撮影】11時07分=伊藤 幸司
滝を見る歩道は落口のすぐ上にある林道の橋のところまで続いています。

破風山登山
【撮影】11時09分=伊藤 幸司
滝の落口のところにある「空滝大不動尊」。このちょっと違和感のある不動明王についてのかなりくわしいレポートがありました。
『日本珍スポット100景──珍妙・奇妙な観光地をレポート。地図・詳細情報など』というサイトに『天も地もギョロリと睨むヘタウマ不動明王像「空滝大不動尊」【埼玉】』(2016.09.02)がありました。
【しばらく滝を堪能したらさらに上を目指して足を進めます。そして突き当りの道路にあるのがこの空滝大不動尊、巨大な不動明王像です。前に回り込んでご尊顔を拝見しましょう。
うっ……。なんかものすごいプリミティブなインパクトを感じる……。なんとなく横文字でごまかしてみたけど、見る者を沈黙させるような圧倒的なヘタウマ感です。体のバランスが絶妙すぎる。
お顔ドン! 目がそれぞれ上と下を向き、牙も上下に生えています。これは天地眼(てんちがん)という天と知を見渡し、憤怒の力によって衆生をお救いくださるというありがたい形相なのですが、ヘタウマ感を倍増させてしまっています。
ぜひ明王様の全体像を写真におさめたい──と思ったのですが、台座から柵までは1メートルほどしか隙間がありません。だからどうしても明王像直下で見上げるような写真しか撮影できないのです。
柵に寄りかかって手を限界まで伸ばせば、もうちょっと分かりやすい写真になると思います。でもこの柵、結構ボロボロ。その下は滝真っ逆さまのガケ。こ、この柵信用しても、だ、大丈夫?……じゃないよねえ……。撮影はどうぞお気をつけて。
明王様の背後は燃え盛る炎。これは迦楼羅炎(かるらえん)という火を吐く大きな鳥、または煩悩を焼き衆生を救うための大火炎を表しています。作られた直後は真っ赤だったのかしら。今は淡いパステルカラーでやや迫力不足。
迦楼羅炎の端っこに、「秩父市蒔田 島崎征夫 島崎左官店作 昭和48年4月」と書かれていました。この秩父市の左官屋さんである島崎さんがお作りになったもののようですね。1973年だから今から40年以上も前か……。
秩父市蒔田に島崎左官店は存在しているようですが、それ以上の情報は分からず。説明書き的なものが全くないんですよね。】

破風山登山
【撮影】11時14分=伊藤 幸司
滝壺に下りていく道のこのあたりから見ると、滝上に空滝大不動尊があり、その台座となっている赤い鉄柵、そして見えにくいのですが、滝の落口を横断する林道の橋が見えます。

破風山登山
【撮影】11時16分=伊藤 幸司
これが秩父華厳の滝の全身像ということになるでしょうか。

破風山登山
【撮影】11時20分=伊藤 幸司
まだほとんど歩いていませんが、「皆野アルプス」縦走を前に、ゆったりと出発準備です。

破風山登山
【撮影】11時22分=稲葉 和平
規模は小さいけれど、こんなところに! こんな静謐な雰囲気の滝! という感じはする。

破風山登山
【撮影】11時39分=伊藤 幸司
バス通りをすこし戻ると登山口がありました。

破風山登山
【撮影】11時39分=伊藤 幸司
木製ですが、なかなかしっかり作られた橋でした。この感じだと、続く登山道の整備状況も良い方に想像しておいていいかもと考えます。
ただ、一般ルートの登山道で一番危険なのは濡れた木だと思います。雨の日の木の根っこ、丸太の土留め階段、丸太橋、そしてきちんと作られたこんな橋……。どれもこれも、濡れていたら危険物です。とくに橋は、滑ってドタバタした末に落ちたりしたらドボンといかずに岩にガツンという危険。私は10年、20年のお付き合いの皆さんに対しても大声で注意しますし、年間を通して軽アイゼンを用意しています。濡れた木が命に関わる危険の香りを漂わせている場合には、時間がかかっても交代で軽アイゼンを付けてもらいます。
この橋をこの状態で歩いても行けそうに見えますが、それでも私は最初の1歩か2歩のところで靴底を滑らせてチェックします。それから、スマートにトントントンと歩くのではなく、突起部分をつま先で踏んで、かかとをそれとはちがう床面に置くなどして、接点をかならず2点にします。乗用車のタイヤでさえ地面との接地面ははがき1枚程度ということですが、濡れた木を踏んでスマートに歩こうとすると、その接地面は切手1枚分かもしれません。あっけなく足をすくわれます。あえて重心を外して、2点で接地する歩き方をしてほしいのです。

破風山登山
【撮影】11時49分=伊藤 幸司
橋を渡るとすぐに登山道は深い山にさまよい込んで行く感じです。

破風山登山
【撮影】11時50分=伊藤 幸司
小さな沢に沿って、どんどん奥へと進みます。鬱蒼とした世界へ潜り込んでいく気分です。

破風山登山
【撮影】11時57分=伊藤 幸司
沢筋の斜面を登り始めます。間伐作業がまだ適切にされていないという森なのに、この明るさはなんでしょう。

破風山登山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
突然別荘らしい建物が出てきました。1/25,000地形図にある大前集落は標高約530mあたり。数件の農家と数件の別荘、あるいはセカンドハウスという感じでした。車の道がここまで通じているのです。

破風山登山
【撮影】12時21分=伊藤 幸司
この大前集落(埼玉県秩父郡皆野町大字上日野沢字大前)がどのようなものなのか知りたいと思って探していると、ありました。
『人口統計ラボ』というサイトは国勢調査の数字でこの大前集落を解説してくれているのですが、最後にわかつたのは個人的な趣味のサイトだということ。おそらく、公明正大、正確無比に近いものだろうと感じるのですが、こんな小さな集落に関して見るだけでもけっこうな時間がかかるものを、いったいどの範囲でしょうか、全県におよんでいるらしいので、「町村」の下の「大字」のさらに下の「字」(あざ)までとなったらほとんど無数です。すごいものの扉を開けてしまった感じです。
まず、平成27年(2015)の国勢調査でこの集落の人口は12世帯で20人(男7・女13)だそうです。ちなみに5年前の平成22年(2010)には12世帯で25人(男10・女15)だったので男3・女2の減少です。
その年齢構成もわかります。25〜29歳の女性2人、30〜34歳の男性1人、50〜54歳の男性1人、55〜59歳の男性1人・女性1人、60〜64歳の男性2人・女性2人、65〜69歳の男性1人、70〜74歳の男性1人、75歳以上の女性8人。
世帯別の統計もあります。1人世帯8、2人世帯1、3人世帯2、4人世帯1となっていて、12世帯はすべて一戸建ての持ち家。
仕事を持っているのは4人で、農林業、建設業、製造業、医療・福祉に各1人ずつ、ということがわかります。さらにその4人のうち2人が共働きで就業者世帯は3、残りの9世帯は非就業者世帯となっています。
つまり私が感じたいくぶんモダンな住宅は外部の人たちの地味な別荘やセカンドハウスではなくて、外部に仕事を持っている家族の家ではないかと想像するのが穏当だと思いました。
この集落がいつ頃からあったのかはわかりませんが、車で上ってこれられる以前にもあったのは間違いないので、林業に従事する集落だったのだろうと思われます。

破風山登山
【撮影】12時21分=稲葉 和平
典型的ともいえる近頃の秩父の山の中の農地。この先どうしていくのだろうかと、勝手な心配をしてしまう。

破風山登山
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
なんとここで降ったばかりの雪を見ました。年末ですから、東京が雨なら秩父は雪、ということだってありえます。

破風山登山
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
小さな山里なので、農業ではなくても野菜畑程度の農地はあります。でもこの雰囲気は庭と野菜畑がほどよく調和していて、生活の豊かさを感じました。ふと遠方に目を向けると、たぶん同じような小集落が点々と存在している地域だと感じました。

破風山登山
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
この墓には「安政六年」と書かれているようです。「政」の字のヘンとツクリが上下に書かれていますが、安政6年8月21日が1859年9月17日だということはネット上の『西暦和暦変換』表で分かりました。ただ、単純な西暦変換ではうまくいかないので調べてみると、『ウィキペディア』の『安政』に次のような注記がありました。
【嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。】
ついでに『改元』のところを読むと政治との複雑な関係がわかります。
【嘉永7年11月27日(グレゴリオ暦1855年1月15日): 内裏炎上、地震、黒船来航などの災異のため改元
安政7年3月18日(グレゴリオ暦1860年4月8日): 万延に改元
朝廷は「文長」を希望していたが、幕府の介入によって「安政」に差し替えられ、実施日も前将軍徳川家慶の月法要(毎月22日)終了後に変えられた。】
さらに脱線しますが『安政年間の出来事』にも(私には)興味深い記述がありました。
【安政期には大きな地震が相次いで発生したが、安政伊賀地震・安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震は、「安政」への改元前の嘉永7年に発生した地震である。このため、これらの地震は本来「嘉永の大地震」と称すべきだという見解がある。
一方、明治の改元にあたっては詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」としており、慶応4年1月1日に遡って明治元年と改元されているのだから(立年改元)、これ以前も例えば、嘉永7年(1854年)は1月1日に遡り安政元年に改元されたとも解釈され、歴史年表も安政元年を採用しているので「安政の大地震」とすべきという見解もある。
また、日本史的大事件として江戸幕府崩壊の引き金となる、安政の大獄(安政5年)および、桜田門外の変(安政7年)が起きた。上記の後者の考えに基づけば桜田門外の変は万延元年の発生となる。】
まあ、そういう激動の時代からここに集落があったのは確かなようです。

破風山登山
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
大前集落の先に天狗山経由の道と大前山への近道の分岐がありました。このときトップの人が選んだのは近道のほう。一気に稜線へと登る道であるのは明白です。

破風山登山
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
この近道では、落ち葉が印象的でした。滑りやすくていや、とか隠れた小石を踏みそうで怖いという声も聞きますが、ゴミではない落ち葉がその存在感を存分に味わわせてくれる登山は晩秋から冬の醍醐味だと思っています。

破風山登山
【撮影】12時42分=伊藤 幸司
稜線に出ると、すぐに「アルプス」の雰囲気になりました。たちまちクサリ場です。クサリはありますが、森林限界を超えた高山帯とちがって低山の岩場には樹木の根がありますからそれがきわめて有効なハンドホールドとなり、難易度はそれほど上がりません。

破風山登山
【撮影】12時44分=伊藤 幸司
繰り返し言いますが、岩場でのダブルストックの「賢い」使い方がここにあります。写真に写っているのはほとんど初体験に近い人ですが、ストックをさばきながらゆっくり登っている姿を見ていれば気持ちの余裕がわかります。ダブルストックはリーダーとしての観察をここでもサポートしてくれています。

破風山登山
【撮影】12時45分=稲葉 和平
ほぼ真南、秩父の街を挟んで正面に武甲山。武甲山の北側が抉り取られていることがよく分かる。ひと月ほど前からカメラをスマホに変えたのはいいけれど、今一つ構え方がよく分からない。意図せずにどうもかなり極端な右肩上がりの構図になっていることが多い。もっとも、最初のうちは上下左右が分からず、パソコンに映した画像の上下左右が滅茶苦茶、グルグル回転させないと何を撮った写真か分からないほどだった。

破風山登山
【撮影】12時47分=伊藤 幸司
クサリは自動車に対するガードレールと同じだと考えます。事故があったり、事故が起きそうな場所に、とりあえず設置しますが、利用しなければならないというものではなく、安全確保や危険回避のために必要に応じて利用できる予備的な安全装置と考えます。元気な人はクサリにぶら下がってガンガン登ることがありますが、むしろ登山技術の「三点支持」のいつでも使える支点が連続的に準備されていると考えるべきです。なぜならクサリに頼らずに登るのを基本とすると、クサリに頼らせてもらったぶんだけ自分の力量の「不足」分を教えてくれる装置なんだというふうに見えてきます。安全装置は一定の危険領域で使うときに大きな意味があるわけで、単なる便利装置とは考えない……というのが私には重要に思えます。自動車をガードレールにこすりながらスピードを上げるような走り方はしたくないのです。

破風山登山
【撮影】12時48分=伊藤 幸司
大前山山頂手前からの展望です。武甲山を正面に見ています。その麓に広がっているのが秩父の中心街で、ここと武甲山の山頂とを結ぶ線上に秩父神社があります。荒川は手前の丘陵に隠れて見えませんが、地図で見ると右側に見えるのが彩の国カントリークラブ(セントヒルズゴルフクラブ)、左に見えるのが東都秩父カントリークラブのコースです。その手前に工場群が見えますが、秩父みどりが丘工業団地。素晴らしい展望です。

破風山登山
【撮影】12時49分=伊藤 幸司
同じ大前山山頂手前からの展望を広角レンズで撮るとこんなふうに。やっぱりなかなかの風景です。

破風山登山
【撮影】12時52分=伊藤 幸司
ほぼ山頂というべきところに頭部のない石像がありましたが、しめ縄が張られ、最近の祈祷の跡がありました。よくわかりませんが、木曽の御嶽山に見られるような特定の信仰集団の存在があるようにも思われます。

破風山登山
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
大前山の登りは鎖のついた岩場でしたが、下りは急斜面。糸の会のメンバーはダブルストックで下りの技術レベルが高いので、こういう場面ではほぼ安心して見ていられます。

破風山登山
【撮影】13時03分=伊藤 幸司
足元の不安をストックが強力にサポートしてくれます。ここで、ストックを「杖」として使うか、スキーストックと同様に使うかで役どころが全く違ってきます。
そこの説明はコトバで理解してもらっても動きにつながらないということがわかっています。スキーをやったことのある人なら、急斜面を覗き込むようにスタンバイしたときの、あの深い前傾姿勢を作るためにストックを使うのだ、と理解していただきたいのです。そのことを現地で徹底させるために、私は「3歩先にストックをついて」「1歩目は体をまっすぐ沈めて」「2歩目で止まって」また「3歩先にストックをついて」といいますが、想像以上に深い前傾姿勢をつくる理由がからだで理解できないと、単なるコトバに終わってしまいます。だからそれを理解してもらえるような斜面でないと私の方も徒労に終ってしまいます。

破風山登山
【撮影】13時07分=伊藤 幸司
これは81歳と78歳の創設期メンバーのおふたり。ちょっとギリギリの下りになりました。

破風山登山
【撮影】13時08分=伊藤 幸司
木の根が張り出した岩場は、じつは歩き方の体験としては絶好です。安全を確保しつつ自分なりの登り方をいろいろ試みてみることができるからです。登れればいい、というだけではもったいない場面です。

破風山登山
【撮影】13時08分=伊藤 幸司
この段差をダブルストックでスムーズに登れれば登りの使い方の一応の完成だと考えています。つまり大きな段差のところでストックを上の段において引き上げようとするのではなく、下の足の段(できればかかとのところにV字にしたいけれど)にストックをダブルに突いて体を真上に押し上げる動きができれば合格なんです。階段状のところでも、通常の足運びではちょっと苦しい段差になったら、ストック2本を後ろ足(下の段)に置いて、体を真上に押し上げます。つまり瞬間的に大きな力を出さなければならない場面で腕の力を有効に加えてやるという道具としてダブルストックを使ってほしいのです。「登りでは短くして」とかいう人とは理論的根拠がまったく違うので、混乱しないでいただきたいのですが。

破風山登山
【撮影】13時08分=稲葉 和平
左端に武甲山。秩父御岳山や四阿屋山が近くにあるはずだけど、よくわかりません。

破風山登山
【撮影】13時09分=伊藤 幸司
大前山からの展望は、ここでは武甲山山麓の中心街からすこし上流側に広がった風景です。荒川の谷になんとなく霞が漂っています。足元の集落が小鹿野町かと思ったら、どうも吉田町のようです。画面中央部に白い屋根がかたまっているのはみどりが丘工業団地。その先、丘の上に広がっているのは彩の森カントリークラブ(セントヒルズゴルフクラブ)でしょう。

破風山登山
【撮影】13時11分=伊藤 幸司
登りにクサリがあったので、当然という感じで下りにもありました。こういう場所でのクサリとの関係を見ていると、それぞれの人のバランス能力がわかります。小さなミスが大きな事故につながるような場所だったら、ロープにプルージックループ(登山ロープの小さな輪)を何か所か取り付けます。もちろん安全策ではありますが、握力を必要としないつり革のようなものという以上に、それぞれの人の歩き方、安全策への依存度などをさらにこまかく見ることができます。こういう場所では、じつは物理的な危険より、心理的なもののほうが影響が大きいと思うのです。「怖い」と思うと動きが危険な方向へと動く典型例はへっぴり腰です。そういう微妙な技術レベルを観察するのに絶好の斜面です。

破風山登山
【撮影】13時14分=伊藤 幸司
事故はこういうところではほとんど起きません。ざっくり言えば難所が終わったあとが危険です。ですからここではリーダーとしては見るのが仕事です。でももっと詳しく見たかったら安全装置をいくつか加えて、それをどう利用してくれるかで、見やすくするのです。最近ではもう10年以上の付き合いという人たちばかりですから「老化」を加算して見る程度ですが、以前はよく、クサリ場では輪にしたロープをいくつか設置したものです。ほとんど使ってもらえないというのが通例でしたが。
でも地面にしがみつくより、小さな勇気で立ち上がったほうが安全のレベルが格段に上がります。そのときにはダブルストックが有効な橋渡し役を果たしてくれます。

破風山登山
【撮影】13時17分=稲葉 和平
右肩の切れ落ちたヤセ尾根。標高は低いけれどちょっとした山歩きの雰囲気だ。

破風山登山
【撮影】13時28分=伊藤 幸司
秩父は山国。山肌に張り付いたような小さな集落があちこちに見えたりします。

破風山登山
【撮影】13時47分=伊藤 幸司
破風山の手前にある札立峠に出ました。大前山が標高653m、破風山が標高627mで、この峠が標高約550mですから標高差が100mあるかないかの縦走路ということになります。

破風山登山
【撮影】13時48分=伊藤 幸司
札立峠のたぶん中心点にあったのですが、プライベートな宗教施設なんですかね。
それに関して横道にそれた話をしたいのですが、富士山の石を拾ってきて有志で建てた浅間神社が各地にあって、大著『富士の研究』(全6巻・昭和3-4年・富士山本宮浅間神社編)の第2巻『浅間神社の歴史』では、なんと全国1,317の浅間神社が調べ上げられていました。
この写真の、私が初めて見るタイプの宗教施設はその1,317の浅間神社の延長線上にあるやのように思えるのです。これを引き継ごうとする人、放置できないと思う人なんかがいたら後世には○○神社となっているかも知れないと思います。お住まいの方がどんな神様か私にはわかりませんが。
私は拙著『富士山・地図を手に』(1980年・東京新聞出版局)に次のように書きました。
【その調査では、1317の浅間神社が「社格」によって分類されています。「官幣社」「国幣社」「県社」「郷社」「村社」というランク分けにしたがって見ていくと、官幣社は静岡県に1社、国幣社は静岡県と山梨県に1社ずつあります。そして県社は5社あって、静岡県に2社、山梨県に3社となっています。これで上位8社は地元の静岡県と山梨県で4社ずつ分けあっていることになります。
その下の郷社は15社あって、静岡8、山梨3、東京2、愛知1、滋賀1という分布です。村社になると225社もあり、静岡90、千葉31、山梨19、神奈川10といったぐあいになって、関東地方で全体の4分の3をしめることになります。その結果残された1,000社あまりの浅間神社は「無格社」「摂社」「末社」「境内社」とされるもので、、いわば「その他大勢」といった感じのものです。そこにはきっと私などの目には神社とは見えないような小さなほこらまで、含まれているのでしょう。
それにしても、神社というのは妙に形式ばったところがあるわりに、あんがい簡単に建立できるもののようです。「分霊」を勧請することで増えていくところなど、まるで株分けやさし木のようです。なかには富士登山のおりに持ち帰った石ころを勝手に御神体としたものもあるといいます。いいかげんといえば、かなりいいかげんです。しかしそういう手軽さがあったからこそ、コノハナノサクヤヒメをまつる浅間神社は驚くほど広い範囲に散り広がっていったのでしょう。】
もし写真のこの場所に「中興の祖」なんていう人物が現れれば、秩父の有名神社になっていくかもしれない……と、私などは思ってしまうのです。

破風山登山
【撮影】14時03分=稲葉 和平
両神山。立派な山容だ。見た目は結構なボリューム感がある。一度しか登ったことはないが、歩いた印象と見た印象がまるで違う。

破風山登山
【撮影】14時06分=伊藤 幸司
標高627mは東京スカイツリーのてっぺんには届きませんが、破風山山頂はじつに気分のいい展望台です。武甲山がなぜ街に面した表側を削り取っているのかに疑問を持って、この山旅図鑑のどこかで調べたことがありますが、どの山だったか思い出せません。ただ、秩父盆地から秩父鉄道によってセメント材料としての石灰岩を運び出すというイメージは、当時の秩父人たちにとっては山から切り出した材木を隅田川上流に当たる荒川に流して江戸市中に直送してというイメージに近い夢の新産業だったようではあるのです。この武甲山のように山肌をどんどん削られれいる山は関東地方には「無数」といっていいほどたくさんあります。ただそれを下界の人たちには想像さえしにくい裏側でやっているだけのことです。秩父の人たちと武甲山の山肌とは(反対だった人ももちろんたくさんいたようですが)隠し立てのない関係だったようです。Webを軽くのぞくだけでそんな独特の関係が感じ取れます。

破風山登山
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
一番奥に見える山が飛龍山です右端に最高峰の大洞山(標高2,069m)があって、そこから龍の背中のよう凸凹が続きます。左に下ると三条ダルミ、そこから登り返すと雲取山(標高2,017m)なのですが、見えません。手前に白岩山(標高1,921m)があって、雲取山を隠しているらしいのです。さらにその手前、右手から登っていく稜線上に三峯神社があるらしいのですが、よくわかりません。

破風山登山
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
武甲山(標高1,296m)の登山ルートは真裏から登って、右に下るときには中腹にほぼ水平に広がる採掘用のテラスの右端あたりまで、写真に見える右側稜線を下って、そこから裏側に下ります。その採掘のようすは登山者にはほとんど見えないのですが、爆破して崩した石灰岩はテラスに開けられた穴から落としていくようです。

破風山登山
【撮影】14時17分=伊藤 幸司
これは左端の両神山から右端の二子山までの山並みです。

破風山登山
【撮影】14時17分=伊藤 幸司
両神山がはっきりと見えました。平らに見える山頂部の左端に標高1,723mの山頂(剣ヶ峰)があって、右へ標高1,660mの東岳、標高1,613mの西岳があります。そこからスケールの大きなクサリ場をたどって、八丁峠へと出るのです。

破風山登山
【撮影】14時17分=伊藤 幸司
ここから見ると秩父盆地から見る端正な「双子」のイメージとちょっと違うのですが、両神山の右隣に見える二子山です。左のピークが東岳(標高1,122m)で、右側が西岳(標高1,166m)。最近行っていませんが、股峠から西岳に一気登りして右に続く稜線をたどるのはスリリングで楽しい。クサリ場もありますが、石灰岩の敏感肌みたいなルートは滑りにくく、足元がしっかりしている分だけ、安全性が高いのです。若い人だと、この山一発で人生が変わるかもしれません。

破風山登山
【撮影】14時19分=伊藤 幸司
遠くに見えるのは赤城山。右端の最高峰が黒檜山(標高1,828m)、その左の丸い山頂が地蔵岳(標高1,674m)、そしてその左に長七郎山(標高1,579m)というぐあい。

破風山登山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
山頂での記念写真。標識の右側の4人の平均年齢を出してみるとなんと78歳。埼玉県の山をひとりでしこしこ歩いている稲葉さんはいくぶんか義務感で参加されたようでもあるので除外すると、お三方の平均年齢はたちまち、限りなく80歳になってしまうのです。
1994年10月から1年間、私がひとりでカルチャーセンター(東急セミナーBE)の登山講座をやることになったのですが、その講座が2年目に突入するときにちょっとしたドタバタがあって、受講生の皆さんの受け皿として糸の会を創設することになったとき以来のメンバーがふたり。もうひとりは1996年春から千葉県内では最初といわれた朝日カルチャーセンター千葉の登山講座1期生で、糸の会への参加は2005年から。でも糸の会の14年間だけで、これが280回目の参加です。
さて標識左側のひとは年齢的には還暦を過ぎているとはいえこの中では圧倒的な若者組、加えて糸の会参加は前月の筑波山が最初という新入会員。
このメンバーで、日の入りが16時32分(埼玉県)というこの時期にこのルートを選択したのは……なかなか大胆な計画だったということを、私はまだ、本気に考えていませんでした。しかもこの山は初めてではありませんが、このルートは初めて。「皆野アルプス」という名をどのように解釈したらいいのか、まだわかっていませんでした。

破風山登山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
山頂での記念写真、パート2。

破風山登山
【撮影】14時21分=伊藤 幸司
なんだろう。ついでに秩父盆地の「大景観」も背後に入れました。

破風山登山
【撮影】14時21分=稲葉 和平
荒川を挟んで蓑山(美の山)。山頂付近は美の山公園として人工的に整備されてはいるものの、自然の登山道も残されているし、南面・北面、それぞれ見かけより変化にとんでいて楽しい山だと思う。ただ、見てのとおり小さな単独峰だから、糸の会では物足りない。

破風山登山
【撮影】14時23分=伊藤 幸司
これは4月に行った箕山。美の山というネーミングがいまや一般的かもしれません。サクラが終わった時期でもあり、チッポケ感は否めず……だったので、計画を倍以上に拡大、そのまま歩いてこの破風山まで来たのでした。足元に見えている街をトコトコ歩いて、適当な登山口からまっすぐ登ってきたのです。

破風山登山
【撮影】14時25分=伊藤 幸司
山頂の祠には百円玉もありました。一瞬ドキリとした札は絵柄もサイズも偽札とは絶対に間違えられないおもちゃ紙幣。でも神様はどのようにお考えになるのでしょうかね。私はぜ〜んぜん信心深くはないし、神様がいるかいないか確信がもてないけれど、これが騙しのテクニックだったとしたら、バチが当たるかもしれない……ぐらいは思います。最近はグループの責任者として、山歩きの安全を「よろしく」というお願いとしてちょこんと手を合わせるぐらいはしています。お賽銭がどのような意味を持つのか、半分程度の疑問は残しながらですけれど。

破風山登山
【撮影】14時25分=伊藤 幸司
これがその、破風山山頂の神様のお住まい。

破風山登山
【撮影】14時29分=伊藤 幸司
下っていくと休憩舎がありました。男性ひとりを交えた女性数人がなごやかに歓談中。登山者グループという感じもあり、感じもなし、という雰囲気を感じました。勝手な印象ですが、地元の山好きの人たちにとって、この小屋が静かなお茶室のような存在になっているのかな、と思いました。
4月に箕山からこの破風山に来たときには、この尾根の少し先に上がってきて、この小屋を見て山頂へ、またこの小屋まで戻って満願の湯へと下りました。

破風山登山
【撮影】14時32分=稲葉 和平
急な傾斜の登山道での枯葉はごめんだが、雑木林を枯葉を踏みしめながら歩くのは気分がいい。

破風山登山
【撮影】14時33分=伊藤 幸司
冬枯れの尾根道を進みます。

破風山登山
【撮影】14時34分=伊藤 幸司
落ちた葉っぱが全部そのまま大地を覆っていて、長い冬越しの時間を重ねていきます。歩きにくい場面もありますが、自然林の山道を歩く楽しさだと、私はいつも思っています。

破風山登山
【撮影】14時41分=伊藤 幸司
猿岩だそうです。標識が立っていたのでサルに見える角度があるに違いないと慎重に歩いてみたのですが、わかりませんでした。

破風山登山
【撮影】14時41分=伊藤 幸司
猿岩の外観がなかなかサルに見えないので、岩肌になにかあるのかなと思ってとりあえず撮っておきました。ときに、サルらしい顔が岩肌に見えたりするという名づけの理由もあったりするので。

破風山登山
【撮影】15時21分=伊藤 幸司
1505に風戸集落へと下る分岐がありました。そこを下るとおよそ1時間で満願の湯となる関東ふれあいの道です。
ここには「皆野アルプス・皆野町(風08)」という案内板があって、分岐を下ると「関東ふれあいの道 風戸入口バス停・満願の湯」とあり、破風山方面に「関東ふれあいの道」。そして皆野アルプスは破風山から下ってきて大渕登山口に向かう「前原尾根コース」だと書かれていました。
さらに稜線をそのまま進む方向に愛好者の手作りらしい木彫りの標識があって「山靴の道・コース入口 (注)急坂・岩場あり」と彫られていました。支柱には「友に歩きし山のみち」とありましたが「友に」につながる情報が支柱の別の側面にあったかもしれないのに撮っていません。
ともかくその分岐から「山靴の道」へと進むと、足がつった人が出ました。日没まで約1時間。肉眼で歩けるのはあと2時間です。糸の会では秋口から年末にかけてチャンスがあれば「日没に追いつかれる体験」をしてきましたが、リーダーとしての私は、すでに予定をそちらに切り替えていました。「時間を見ながら、行けるところまで行って下山する」という方向です。
ここで尾根が岩っぽくなって展望がよくなりました。

破風山登山
【撮影】15時21分=稲葉 和平
正面に蓑山、ということは右手のアップダウンのある稜線が皆野アルプス? 違うかな。

破風山登山
【撮影】15時22分=伊藤 幸司
かろうじて見えましたが男体山です。ここには「皆野アルプス 皆野町(風32)」という案内板があって「男体拝み(なんたいおがみ)」とありました。15分ほど前にあった案内板は「皆野町(風08)」でしたから、連続していません。根拠のない想像では、この白い板に大きな印刷文字で示された案内板はここから逆順に並べられていて、大渕登山口に向かって数字が減っていくのではないかと思います……が確証はありません。

破風山登山
【撮影】15時26分=伊藤 幸司
さらに進むとロープのある斜面が出てきました。私たちはあきらかに、暗闇に追いつかれて岩稜で身動きとれずに一夜を明かすという想像ができる状況になっています。そういうときにこんなところを「ものともせず」に前進するというのは気持ちを大きく萎えさせる……ということは私にはもちろんわかります。
でも、ここでそれをいうわけにはいきません。メンバーの中には当然、リーダーの判断力に疑いを持つ人もいるはずですし、理屈は別にして、気持ちがどんどん暗くなっている人もいるはずです。足に不調を抱えた人は具体的にこの山から脱出できるかどうかという不安が大きく膨らんでいるでしょう。さらに私のこういう場面での考え方を理解している人でも、それぞれが「逃げ方」をいろいろ想定しているにちがいありません。
この体験が意味あるものになるかどうかはリーダーとしての私が権力を排除して、いわばエンターテイナーとして計算されたプランを用意できるかどうか……だと思うのです。
こういう場面でよくある起算外は「影のリーダー」が浮上してくることです。小さな不安を周囲につぶやいて、賛同者が増えてくるとその声を大きくする。民主主義的反対運動が正論として湧き上がってくる場面です。じつは私の知る多くの登山グループではリーダーの他に「真のリーダー」と「影のリーダー」がいるように感じます。リーダー論になるのですが、本来なら生命まで預けているリーダーに対して、多数決でひっくり返そうとする影のリーダーがささやき始めたりするのです。
そういうひとりひとりの心の中を知りたいと思いながら前進してるとこういう場面は単に安全かどうかという以上に重要です。
幸い、糸の会ではある程度私にリーダー権をもたせてくれていますが、それが100%の信頼とは思っていません。だから私は完全に技術論で「日没後1時間まで」の予定を繰り返し、繰り返し考えています。「風戸集落に戻ったときに暗くなる」という前提で逆算すると、引き返してここを登り返すときにはすでに夕闇に追いつかれているはずです。あと1時間で日没、それから無灯火で安全に歩けるのは30分、不安を感じながらも無灯火で歩けるのは(条件がよければ)さらに30分という見積もりです。
みなさんの疲労も考えて、あと30分の前進がリミットと決めたのです。
つまり、私が権力によってではなく、技術的根拠によってプランを固めれば、おそらく、たぶん、そのことは何人かの人に伝わり、それがチーム全体の意志となると思うのです。自分がリーダーとして信頼されているかどうか、確認できるチャンスともいえます。
この写真はそういう気持ちを持ちながら、撮っています。

破風山登山
【撮影】15時27分=伊藤 幸司
こういう場所でのみなさんの動きをきちんと見ていると体力の消耗や気持ちの余裕などが見えてくることがあります。少なくとも注意深く見続けなくてならないと思います。安全第一はもちろんですが、安全意識過剰になった人にも注目しなくてはなりません。

破風山登山
【撮影】15時29分=伊藤 幸司
昼間なら慎重ではあってもそれほどの難所とは思えないところが、格段の危険地域という感じになってきました。時間をかけて安全を確保しようとするのはこの時間帯ではもう無理です。私の目も「危険」という要素に倍率がかかってきます。

破風山登山
【撮影】16時31分=伊藤 幸司
日没30分前の16時00分に5分休憩しました。そして15時05分に通過した分岐まで戻り、風戸集落へ下ると決めました。
そして引き返して30分後、ちょうど日没時刻に先ほどいくぶん苦労して下ったロープのついた急斜面をラクラクと登り返したのです。

破風山登山
【撮影】16時47分=伊藤 幸司
往路では分岐から岩場まで15分ほどだったのに、下山と決まったら岩場からおよそ15分で風戸集落まで下ってしまいました。みなさん元気になったのです。
できればここに17時30分までに着く、という計算をしたはずなのに、日没30分前に引き返したので薄暮でした。

破風山登山
【撮影】16時48分=伊藤 幸司
風戸のあずま屋です。集落は眼下にありますが、舗装路がここまで上がってきています。
じつはこれからが、途中下山の新しい体験の核心です。日没後の闇の広がりを体験的に実感すること。人間の目がじつは自分たちが思っているよりはるかに暗闇に強いということ(「周辺視野で見る」ということの体験)、そして目からの情報が激減したときの脚さばきの工夫、などです。

破風山登山
【撮影】17時00分=稲葉 和平
午後5時。雲がなければ満月に近い月明かりの中を歩くことができたはず。ちょっと残念でした。

破風山登山
【撮影】17時31分=伊藤 幸司
日没後約30分で気分は完全な夜になりましたが、足元が安全な舗装路なので問題なく歩け、バス通りに出るともう問題なく歩けました。でも山の中の一軒家という感じの満願の湯のなんという明るさ!



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