山旅図鑑 no.225
高川山
2018.12.25

山旅図鑑目次


糸の会(no.1121)
2018.12.25
高川山
49パワー

登り車道8p→登り12p→稜線14p→下り15p

*計画書には次のように書きました。
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*おなじみの高川山ですから、どこから登ってどこへ下りてもみなさんたいてい二度目、三度目という感じではないでしょうか。
*山頂から富士山が見えていれば(ひょっとしたら北アルプスだってチラリと見えるかもしれないのですが)あわてて下って(わざわざ)高尾山へと移動するというアホな計画は、アホなりにいいとして、もし富士山に雲がかかっているとか、夕方には危ないと思ったときにどういうルートで下れば、慌ただしい年末に1日割いて来ただけの「高川山登山」になるか……ということになると、そこがちょっと悩みどころで、グズグズ考えて計画がなかなかまとまりません。
*そこで結論。一番山っぽいシラノサワルートを登って、一番登山者の少ない大岩ルートで下ります。(高尾山へ移動すると決めた場合は、山頂から初狩駅へダイレクトに下ります)
★帰路、どこで途中下車するかわからないので割引チケットは「休日おでかけパス」(2,670円)でご参加ください。
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「北アルプス」は「雪の高峰」というイメージを書き加えた際のまちがい、「休日おでかけパス」は年末年始対応の12月29日〜1月3日をクリスマス気分で勝手に拡大解釈。
そういう小さな? 間違いはしばしば? 再三再四? 二度三度? ……だそうですから、ご注意くださいとしか言いようがありません。

12月25日
・0855……富士急行線・壬生駅を出発。林道を登る(標高約400m)
・0950-55……シラノサワルート登山口で休憩(標高約600m)4度C
・1015……斜面トラバースから尾根へ(標高約700m)
・1105-35……高川山山頂(標高976m)
・1205-10……無名峰(羽根子山)山頂(標高896m)9度C
・1255……鍵掛峠(標高約700m)
・1325-40……大岩。下山路見失うなど。休憩(大岩山・標高753m)
・1410……屏風岩(屏風岩山・標高736m)
・1440……登山道終了(標高約500m)
・1450……JR初狩駅に到着(標高約450m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は4人です。
秋田 守、小林 美子、稲葉 和平、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.225
高川山
2018.12.25

高川山登山
【撮影】08時48分=秋田 守
下車した富士急の禾生(かせい)駅。壬生(みぶ)駅だとばかり思っていた。禾は稲のことらしい。付近は稲がよく穫れたことから名付けられたという。冬は雪が積もるのだろう。ホームには小型の除雪機が置いてあった。こうした機械もハイブリッド化されているというのが現代ならでは。ネットで調べると、1台60万円近くするようだ。カタログによれば、除雪幅81㎝、除雪高51㎝、1時間あたりの除雪量は60トン、最大投雪距離16mとのこと。

高川山登山
【撮影】08時57分=秋田 守
禾生駅を出ると、踏切脇に左九鬼山、右高川山の表示があった。もちろん我々は右の方へ、すなわち線路を渡る方へ進んだ。九鬼山はちょうど線路を挟んで高川山の反対側にあり、標高も970mとほぼ同じ。どちらも山梨百名山、秀麗富嶽11景に選ばれている。興味深いことに九鬼山には桃太郎伝説が残っている。大月の百蔵山で桃太郎は生まれ、九鬼山の鬼を退治したというのだ。こうなると、一度、九鬼山にも登らなくてはならないなあ。

高川山登山
【撮影】08時58分=秋田 守
線路を渡ると右手に野菜の直売所があった。ダイコンがあのサイズで100円は決して安くないと思った。葉っぱの勢いもさほど良さそうではないし。ぼくはダイコンの葉っぱが大好きなのです。白菜150円はまあまあかな。いつも自宅近くの道の駅で野菜の値段に注意しながら買い物をしているので、どうしても厳しい目で見てしまう。とはいえ、近寄って現物を手にした訳ではないから、安い、高いは、軽率にコメントしてはいけないのだろうが。

高川山登山
【撮影】09時01分=伊藤 幸司
この日は大月で富士急行線に乗り換えて、壬生(かせい)駅から歩き出しました。すぐに桂川を渡ります。
この川は山中湖を水源として、湘南の海岸(平塚と茅ヶ崎の境界付近だそうです)で相模湾に注ぐ全長109kmの相模川の上流部で、相模湖の上流、山梨県側を桂川と呼ぶそうです。
私はなんとなく河口湖が水源だと思っていたのですが、じつは河口湖には流れ出す川がないんです。染み出していただけ。最近も大洪水がありましたが、江戸時代後期の1865年に新倉村(現・富士吉田市新倉)に新倉掘抜と呼ぶ用水路が開発されました。現在では東京電力の放水路と、新しい治水トンネルの放水が、富士スバルライン料金所あたりから流れ下る嘯川(うそぶきがわ)に合流し、さらに宮川となり、富士急行_葭池(よしいけ)温泉前駅の先で桂川に注いでいるのだそうです。
それで、ここはその葭池温泉駅から9駅下ったところにあります。……で、この水量はなんだろう。日本の川はほとんどが途中で水を抜かれてしまって、死なない程度に生かされているというふうに思われるのが普通ですが、この川の流れを生きた川として見ている人のレポートがありました。
『ある日突然、世界から音が半分消えた 〜突発性難聴治療記〜 と猫とグルメと釣りのブログ』に『2018渓流釣り 桂川大月エリア&山梨渓流フリーパス!』(2018-03-18)です。
【時刻はもうすぐ9時。散々だった忍野をあとにして都留へ移動しようと思っていたが、さっきのフライマンによると、都留の本流は増水していてダメらしい。
さらに下流の大月はどんな感じなのか、大月在住の知人へ電話して聞いてみると、
「昨日都留へ行ったけど、河口湖が放水したから水が多くてダメだったね。大月は水が増えていい感じだよ」
とのことなので、都留地区は飛ばして大月へ向かうことにしました。
ちなみに、忍野で会ったフライマンの話によると、都留エリア桂川と鹿留川の出合いあたりは、昨日(解禁初日)は入れ食いだったとか。
川が増水していたので放流場所が限られてしまい、一箇所に多く入れられていたのかもしれませんね。
都留で支流に入った別の知人によると、昼から支流の上の方はヤマメとイワナがかなりいい感じに釣れたようでした。】
【桂川大月エリア(桂川漁協管区)の最上流部、花咲へ到着すると、ものすごい増水!(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)
入り口の普段岸になっているところまで全部水没してる……。ちょうどいい水量ってのは、渇水よりはいいってこと???
それとも去年の台風で地形が大幅に変わってしまっただけでしょうかね。なんにしてもこの時期でこんなに水が多いのは初めてだな。
とりあえず忍野から付けたままのミノーを投げて進むけど、何も反応がない。
忍野はウェーディング禁止なので気づきませんでしたが、水の中に入ると、思ったより水温が低いんですね〜(ー ー;)
これじゃあまだ速い動きのミノーを追うほど活性は高くないだろうと、スピナーに変えてプールを狙っていると、やはりこれが正解だったようですぐにヒット!
だけどあまりに突然すぎて、追い合わせをしていなかったからか口切れしたのか、半分くらい寄せたところでバレた……。
同じプールでもう一匹掛かったけど、こちらはすぐにバレてしまった。
その後、高月橋下へ行くと知り合いに遭遇したので、ここでは釣りはせずしばらく話だけして強瀬へ移動。
強瀬は地形がだいぶ変わってしまっていて、手前にあった絶好の魚の付き場が減っちゃってますね〜。でもここはむしろ水が増えて良さそうな感じになってます。
急に冷たい強風が吹き始めたので、上着を羽織ってエントリー。そういえば大月は昼から雨の予報だったっけな。
橋の上流側の空いているところへ入ろうと思って川へ降りたら、橋の下流側も空いていたので、まずは下流から探ります。
上流側が魚の付き場が少なくなったので、少しでも怪しければ小場所もしっかり狙っていこうと投げると、2投目で、ガッ!
いきなり大きなアタリと共に、反転する魚影が!
しかも、あれ? 意外と大きくない???
流れに乗ってグイグイ逃げようとする魚。小場所といえど、手前には少し速い流れがあるので、バレないよう慎重に浅瀬へ誘導して、念のためネットへランディング。
すると、その途端にフックが外れた! あぶね〜(;゚Д゚q)(゚Д゚;(゚Д゚;)
釣れたのは、久々の鼻曲がり〜!ヽ(゚∀゚)メ
なかなか立派なヤマメです!
秋山川ネットではなく通常サイズのネットなのですが、これはもしかして尺行ったかな?
と思って計ってみるも、29cm……。おしい。泣き尺でした(´・ω・`)
まぁ、初釣行でいきなり尺ヤマメは出来過ぎですしね〜。
桂川ではそこまで大きなサイズではないけど、この時期ならまずまずのサイズでしょう。
ちなみにヒットルアーは、3gのスピナー。やっぱりこの時期はスピナーが強いですね(^^;
その後は15〜18cmくらいのヤマメを2匹キャッチ。しかしさっきのと見比べると、同じ魚種とは思えないくらい見た目が違うなぁ。
冷たい風がさらに強まり、ウェーディングしっぱなしの身体もすっかり冷え切ってしまっていたので、早いけどここで納竿。】
この川筋を魚影を求めて見ている人は多いんでしょうね。

高川山登山
【撮影】09時01分=秋田 守
すぐに渡った川は桂川。相模川の上流にあたる。水源は富士五湖の一つ、山中湖。古くは鮎川と呼ばれたそうだ。今でも鮎釣りの名所として知られ、さらに上流の支流はイワナやヤマメが釣れる。川を実際に渡っていた時にはそんな有名な川とはまったく思いもよらなかった。時々山に一緒に出かける釣り好きの知人ならば絶対に知っていただろうし、川をのぞき込み、魚が泳いでると教えてくれただろう。残念ながらぼくには魚を見る目がない。

高川山登山
【撮影】09時04分=伊藤 幸司
私たちが渡ったのは川茂橋、そこに集落があってこの西光寺が古い集落の中心として歴史を刻んできたように見えました。
URL(アドレス)の「www.junshinji.org」の部分で開いてみると『純心寺は、浄土真宗にご縁のある方々の為に設立された、成田圏で唯一の浄土真宗本願寺派( 西本願寺)の寺院です。(平成17年開基)』だそうで、そこにこの寺を訪れた人の『西光寺〜山梨県都留市〜』という記事がありました。
【富士急行線禾生(かせい)駅から中央道をくぐり、川茂橋を渡ると、左上方の山懐に抱かれるようにして西光寺はあります。
この寺の歴史を物語るように、ケヤキやヒノキの古木が本堂を囲い、山寺の風情に彩りを添えています。
西光寺は、富士山の長元の噴火(1033年)から、25年後、平安時代中期の1058年、源信和尚(げんしんかしょう)(「正信偈和讃」で宗祖が定める7人の高層の一人、天台宗の僧侶)の直弟子が、天台宗西光院として創建しました。
時代は下り、室町時代の本願寺八世門主蓮如上人の時、当時の住職であった了念は、天台宗を捨て浄土真宗に改宗しました。時に1492年、蓮如上人東国ご下向の二十四年後の事でありました。残念なことに、幾度かの災禍により、当時を検証する資料は灰燼(かいじん)に帰してしまいました。
しかし、現在まで、門信徒の方々の力強い協力の下、共々にお念仏を相続させていただいております。〜組報『つるそ』より〜】
これを書いているのがどのような立場の人かわかりませんが。1492年に天台宗から浄土真宗に変わったということは史実のようです。この地域の人にとって、それがどういう意味を持っていたか、わかりませんけれど。

高川山登山
【撮影】09時05分=伊藤 幸司
とりあえず集落の道を行きます。どうも、この一郭は古い村として生き残ってきたように感じられます。まったくの素人目ですが、やっぱり、住みやすそうな場所に見えます。狭いから発展性はなかったのだろうとも思いますが、相当古い時代にまでここに集落が存在したというような、ロケーションです。
ここはいま都留市ですが、地区名(大字)は川茂、かつて川茂村と呼ばれた時代があったという痕跡です。
そこで念のため「川茂村 山梨県」と検索してみると「壬生村」が出てきました。
『ウィキペディア』の『壬生村』を開くとそこに壬生村がありました。
【歴史[編集]
1875年(明治8年)1月19日 - 都留郡四日市場村・古川渡村・川茂村・小形山村・田野倉村・井倉村が合併して禾生村となる。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法の施行により、禾生村が南都留郡の所属となる。
1889年(明治22年)7月1日 - 町村制の施行により、禾生村が単独で自治体を形成。
1954年(昭和29年)4月29日 - 谷村町・宝村・盛里村・東桂村と合併して都留市が発足。同日禾生村廃止。】
つまり明治8年に川茂村は6村合併のひとつとして壬生村となり、昭和29年に1町4村合併のひとつとして都留市になったとわかります。一時期日本中で編纂された地方史の類がウィキペディアに拾い上げられているというのはネット情報の大きな貢献のひとつだと感じます。このことを探そうとしたら、私は広尾の都立中央図書館にいくしかありません。あるは重い腰をあげて国会図書館へ。
「川茂村 山梨県」の検索項目で浮上したなかにまさにその地方史の文献がありました。
『都留市立図書館』の『都留市の歴史』の『近現代』が開かれました。
【明治8年(1875)
◇上・下谷村を合して谷村となり郡中会所を役場とする。四日市場、古川渡、川茂、小形山、田野倉、井倉村合併して禾生村となる。川棚、加畑、平栗、厚原、大幡、中津森、金井村合併して宝村となる。】
このそれぞれの村名は、クリックするとどこかへ飛んでくれるようです。「川茂」をクリックしてみました。
出典がわかりませんが県史か市史かの76ページに『川茂村(都留市)』とあります。
見出しに(都留市)という注釈があるから県レベルの資料でしょう。『山梨県史』だとすれば平成2年から平成19年までに刊行された28巻31冊の大著だということですから、できるのがあまりにも最近だということが驚きですが、そんな最近の著作物を「細切れ」とはいえネットに置けたというのもちょっと驚きです。
【川茂村は江戸期から明治八年(1875)に至る間の村名であって、古くは小形山に属していたが、寛文検地に際して分村したものと『甲斐国志』は記している。
『甲斐国志』の記述を参考にしながら絵図を読みとると、村の境界は「東南ハ桂川ヲ隔テテ古川渡と堺」と記してある。絵図では左下に「桂川」と記入してあり、川は右へ(東へ)ほぼ一直線に流れ、右端を北東へ向けて終わっているが、中央部に橋が描かれていて「川限古川渡村境」と記してあり、絵図と『甲斐国志』の記述は一致する。】
【次に山は絵図に八つ見えるが、山名を記したものは「夕日あたり」「ハマヒバ」「クマ峠」「アケ久保」の四つである。このうち「クマ峠」は現在「ハマヒバ」のところを称しているので、名称が変わったものか、絵図の間違いかであろう。西北西、一番高く描かれているのは高尾山(現称高川山)であろう。『甲斐国志』はこれらの山名については全くふれず、高尾山の峯につづきとして「坪松」で終わると紹介しているにすぎない。】
【西光寺と常泉寺の間に描かれている山道は、現在も古宿へ抜ける道であり、山王権現の方へ至る道も、小形山の中谷へ至る道として使われている。
神社関係では宮が三か所に見える。絵図中央にみえる「諏訪明神」は氏神である。左側山道の峠に「天神」、同じく右側には「山王権現」が見えるが、現在はともに廃されている。なお、「諏訪明神」と「西光寺」とは位置が入れ替えられて描かれており、間違っている。
寺関係では「西光寺・浄泉寺・真浄寺・泉明寺・薬師堂」が見えるが「真浄寺・泉明寺」は浄泉寺境内にあったもので、現在は浄泉寺しかない。「泉明寺」は僧が還俗して一般家屋に住むようになり、屋号のみ泉明寺として今に伝わっていいる。
「薬師堂」は二つとも廃堂となっている。『甲斐国志』に戸数五二戸、人数二〇七人、内男一〇五人・女一〇二人、馬一九疋と記された川茂村は狭小地であり、往還にめぐまれなかったせいか、最近こそ農業近代化により専業農家はほとんどなくなったものの、長く農村様式を残し、集落も本村と枝村「坪松」の二集落のままであり、家数の増減も比較的少なく、わずか坪松において戸数増加のきざしが見える程度である。なお、昭和五十五年国勢調査の世帯数・人口は六七世帯・二七三人(男一三〇・女一四三)である。】
すごい、机に座ったままでこれだけのものをピックアップして読むことができるというのはとてつもない文化サービスだと思います。
じつは私の古い友人でこの山旅図鑑の前進「発見写真旅」の「No.52皇居一周」に助っ人参加してもらった中村鐵太郎さんはネットで検索すると詩人で文芸評論家となっていますが、じつは編集者になりたくなくて校正者という地味な役割を掲げながら、ヨーロッパの古い文献を扱える数少ない専門家として大きな仕事をしてきました。
その中村さんがいうにはヨーロッパの多くの古文書が、ネット上で読むことができるというのです。英語、仏語、独語、ラテン語のものすべてを読み合わせながら「校正」(実は校閲というのですけれど)するというとんでもない仕事も椅子に座ったままでやれるというのですから、文献のWeb化としては日本ははるかに後進国ではあるのです。米国ではど田舎に住みながら全国の図書館にある一級品の資料を読んで大学レベルの研究生活を送ることができるというIBMのテレビコマーショルを見たのは何十年前だったでしょうか。
私たちはいままさに「西光寺と常泉寺の間に描かれている山道は、現在も古宿へ抜ける道」を古宿へと向かっています。

高川山登山
【撮影】09時07分=稲葉 和平
富士山が美しい。天気予報では夕方から曇り、山頂に着くまで青空が残っていてくれるだろうか?

高川山登山
【撮影】09時08分=伊藤 幸司
川茂の集落を抜け出ると、富士山がありました。桂川は富士五湖の山中湖から流れ出る水と、河口湖からトンネルで排出された水、その中間域の、スバルライン入口周辺から湧き出た水などを合わせています。
そしてここで「桂川は富士山だ」と思った瞬間を思い出しました。
私は1980年に『富士山・地図を手に』(東京新聞出版局)を出しましたが、富士山を地図によってさまざまな角度から歩いてみるというテーマでの取材は民俗学者・宮本常一傘下の若手育成プログラムのようなものでした。富士山を地図を使っていろいろ見ていく最初の驚きは、その平面の姿でした。
【「富士山完全一周」をもくろんだ最初の旅は、いわばむだ歩きに終わりましたが、その体験がなにがしかあとにのこしたとすれば、それは岩石や地質について書かれた本を読んでみる気になったことでしょう。なにげなくのぞいた古本屋で『地質概説』(同文書院)という背文字が目にとまりました。たまたま手にしたその本の著者、東京大学名誉教授・津屋弘逵(ひろみち)という人が、富士山に関しての権威だということはのちに知りましたが、その本の最後に「富士山噴出物の分布を示す略図」を見つけただけで、五百円の本代は、もうモトがとれてしまったようなものでした。さがしもとめていた富士山の「もうひとつの姿」がそこにはっきりとあらわされていたからです。】
【ともかく、私はその「富士山噴出物の分布を示す略図」のアウトラインを二十万分の一地勢図に写しとってみることにしました。それはじつに奇妙なかたちで、クラゲが波にあおられたような感じなのですが、そのかたちをいったいどんな言葉で表現したらいいのか──。手も足も出ないのです。】
波にあおられたクラゲのような姿では、あたまは駿河湾の岸辺にまで露出していて、しっぽはこの桂川の谷を埋めてほとんど大月までのびていたのです。いま私たちは富士山の「しっぽ」のあたりに立って、富士山本体を望んでいる、という写真です、これは。

高川山登山
【撮影】09時08分=小林 美子
朝の富士山は綺麗に見えている。
天気はよくて今日は高尾山
ダイヤモンド富士を見る事ができるなという感じだが低い山のあたりには雲がたくさんある。
午後には雲が富士山を隠してしまいそうな気配がする

高川山登山
【撮影】09時08分=稲葉 和平
富士山の写真がきれいに撮れれば年賀状に使うつもりで印刷はまだしていない。とりあえずアップで撮っておこう。でも鉄柱や電線を避けられない。

高川山登山
【撮影】09時08分=秋田 守
急勾配の上り坂を登っていると、突然、富士山が現れて、皆で歓声を上げた。で、後ろを見ると、そこは墓地だった。ここに眠る人々はいつも富士山を眺めている訳だ。なんとも贅沢なお墓ではないか。と言っても、ぼくは墓には興味がない。死んだら南の海に散骨でもしてほしいと常々家族に言っているが、そんな面倒なことはしたくないと極めて不評。それなら近頃よく耳にする樹木葬でもいいかなとも思うのだが、要は興味がないのだな。

高川山登山
【撮影】09時09分=伊藤 幸司
富士山の手前には杓子山(1,598m)と鹿留山(ししどめやま・1,632m)のピークがあります。

高川山登山
【撮影】09時09分=秋田 守
この日は昼過ぎぐらいまで、富士山を見ることが出来たが、一番美しかったのは、坂道で初めに見たこの眺め。富士山には一度だけ登ったことがある。台風が近づいている9月中旬。早朝、五合目から登り始めて、山小屋を予約はしてあったが、山頂まで登って、天気が崩れる前にそのまま下山してしまった。まだ山登りを始める前のこと。もう一度登りたいとは思わない。中腹のキノコ穫りの方が面白い。富士山はこうして眺める山だと思う。

高川山登山
【撮影】09時12分=伊藤 幸司
小さな峠を越える感じで古宿という集落へ行くのですが、後ろを振り返ったら中学校の野球部でしょうか、トレーニングでもなし、帰路でもなし、行き先も判明しないという状態で迫ってきました。

高川山登山
【撮影】09時12分=秋田 守
坂道の途中で富士山に見とれていると、中学の野球部の子達が走って登ってきた。もう冬休みに入ったと思うが、熱心に部活中ということだろう。後で調べたら都留第二中学校の生徒たちだったのだろう。一団が走り去った後、ぱらぱらと後を追う子らがやってきた。最後の二人組の片割れは、女子だった。選手だろうか、マネージャーだろうか。気になって学校のホームページを調べたら、野球部には何人か女子生徒もいるようだった。頑張れ。

高川山登山
【撮影】09時17分=伊藤 幸司
路上に横たわっていたハチは、オレンジ系のスズメバチではなくて黄色系のアシナガバチだったようです。なんだか損傷の激しい死体でした。

高川山登山
【撮影】09時23分=伊藤 幸司
古宿に着きました。都留市小形山古宿で、6世帯15人(男5人・女10人)という小さな集落です。この写真は行く道をちょっと間違えているところですが、一時期は大月からタクシーでここまで入ってしまうなど高川山の登山口と考えていました。またある時期には下山時に「HOTEL & 薬草風呂のホテルスターらんど」の送迎サービスの立て札のところから電話をするとすぐに車が来てくれたのです(最近はそのサービス、なくなったみたいです)。

高川山登山
【撮影】09時39分=伊藤 幸司
林道を登っていくと、1/25,000地形図に「大棚」とあるところに2軒の家があって、すくなくともその1軒は現役。家の周辺にはキクイモの大群落や、クズに占拠された斜面などがありますが、それと格闘している痕跡が見られます。林道はもう少し先までのびています。

高川山登山
【撮影】09時55分=秋田 守
最後の民家を過ぎて登っていくと、分岐があった。まっすぐ行けば山頂まで70分。左のシラノサワコースだと90分。下に注意の看板があり、この先シラノサワコース難所あり、とある。糸の会ですから、簡単な方へ行く訳がない。コーチに言われずとも、難所ありの方へ行くのです。でもよく看板を見ると、「難所」には×が付き、脇に「ロープ」とある。気の利いた人が、難所なんかじゃない、ロープがあるだけと教えてくれているのですね。

高川山登山
【撮影】09時56分=小林 美子
冬の枯れた登山道
夏の緑の登山道とは違って少し淋しいが、落ち葉をサクサクと歩くのもいい。
でも今日はかなり傾斜が
きつかったので、この落ち葉がすべる

高川山登山
【撮影】10時11分=伊藤 幸司
標高570mあたりのところで「シラサワコース」の標識があります。沢を渡って左手向かい側の斜面にとりついて尾根へと登っていきます。

高川山登山
【撮影】10時16分=伊藤 幸司
尾根に出ると富士山がありました。

高川山登山
【撮影】10時18分=伊藤 幸司
これがなんの木だったかわかりませんし、後で調べるつもりで写真を撮ってもいません。ただ単に大きなコブがあったのでそれを撮っただけでした。
ですからこの写真、キャプションを付けずに捨ててもいいのですが、ふとした出来心で「樹木のコブ」で検索してみました。
『日本植物生理学会』のサイトに『みんなのひろば・植物Q&A』があって『樹木のこぶについて』(登録番号2540・登録日2011-10-28)というドンピシャの回答がありました。
【樹木のこぶについてご教授願います。
ニセアカシアやカエデ類など樹木の幹、特に地際から2〜3m位までの所に直径が30㎝になるようなこぶで出来ます。こぶは1個だけの場合もありますが、多くは大小様々なこぶが重なるように樹幹を覆っていて、直径が1m前後になる老齢樹でよく見かけます。また、ニセアカシアにつくこぶはサクラのこぶ病に似ていて表面がごつごつしていますが、ケヤキやカエデ類につくこぶの樹皮はごつごつしている部分もありますが、正常な樹皮とかわらない部分が多いです。これらのこぶは何が原因で、どのような作用でこのように大きなこぶになるのでしょうか?
登録番号2514の「植物のガンについて」において、回答者は「植物のこぶ」をバラなどの根につく根頭がんしゅ病のこぶを想定して回答されているように思うのですが、ニセアカシアやケヤキなどの樹木のこぶもアグロバクテリウムのような細菌が原因であのような大きなこぶができるのでしょうか? それとも紫外線や老齢木になると樹木自体に生理的な植物ホルモンの異常が起こり、あのようなこぶが出来るのでしょうか? よろしくお願いします。
■erika0341さま
みんなのひろばへのご質問有り難うございました。ご回答が遅くなり申し訳ございませんでした。お忙しい事は十分存じ上げていたのですが、コブならこの方という名古屋大学の町田先生にお願い致しましたところ、以下のようなご回答をお寄せ下さいました。ご参考になると思います。
JSPPサイエンスアドバイザー 柴岡弘郎 回答日:2011-12-09
■町田先生のご回答
(1) について:
お話を伺う限り、上記 のような「こぶ」は、アグロバクテリウム・ツメファシエンスの感染により出来る、「根頭がんしゅ病」と考えてもよいでしょう。この質問をされた方が、違う病気かもしれないと、疑問に思われた理由は、通常多くの「根頭がんしゅ病」が、根と茎の境界部分(地面に接している部分)にできるのに、なぜ、高い位置にできるのか、と思われたからでしょうか。
実は、半世紀以上前から、「二次こぶ」という現象が報告されています。今回ここで問題にされている高い位置の「こぶ」は、このような「二次こぶ」ではないかと思います。アグロバクテリウムは土壌細菌ですので、最初は植物の地面の近い部分にこの細菌が感染して「一次こぶ」ができます。それからしばらくして(数ヶ月から数年に渡ることもある)、「傷」による明瞭な感染部位がなくても、地上部の高い位置に「こぶ」が形成されることがあり、これを「二次こぶ」と呼びます(英語では、Secondary gall と呼びますが、最近ではほとんど死語になっています)。
「二次こぶ」は多くの場合、老齢な木に見られます。このような現象は興味深いのですが、今でも理由はわかりません。私は、「一次こぶ」の中で増えたアグロバクテリウムが、維管束や、細胞間隙を伝わって植物の体内を動き、傷ついた細胞に出会うと感染し、細胞増殖を誘発し。「こぶ」ができるのではないかと、考えています。
(2) について:
「根頭がんしゅ病」の主な原因は、アグロバクテリウムが保有する複数の遺伝子が、植物の染色体の中に入り込み、それらが機能発現するようになった結果、細胞の増殖が誘発されることです。染色体に入り込んだ遺伝子の中には、植物細胞の増殖や分化状態に影響を与えるオーキシンやサイトカイニンという植物ホルモンの合成に影響を与える複数の遺伝子があります。これら個々の遺伝子の機能発現の程度やバランスは、感染する植物の種類によって異なっていると考えられています。
植物により「こぶ」の形が異なるのは、これらの遺伝子の機能発現のバランスの違いによるかもしれません。実際に、サイトカイニン合成に関わる遺伝子の機能が上昇すると「こぶ」の表面に異形葉・芽ができ、オーキシン合成に関わる遺伝子の機能が上昇すると、表面に異形な根をもつ「こぶ」ができます。両者のレベルが共に高いと、不定型な大きな「こぶ」ができます。しかし、このような説明で、「こぶ」の「ごつごつ」感や「樹皮のような柔らかさ」が説明できるかどうか、わかりません。もしかしたら、まだ知られていない遺伝子の働きにより、このような「こぶ」の形が支配されているのかもしれません。
(3) について:
上記したように、アグロバクテリウムは樹木の「こぶ」の原因になります。実際、「根頭がんしゅ病」は、クルミ、アーモンド、リンゴ、サクラ、バラなどの樹木で報告があります。
町田 泰則(名古屋大学)】

高川山登山
【撮影】10時23分=伊藤 幸司
落ち葉を踏みながら穏やかな尾根道を登っていきます。

高川山登山
【撮影】10時28分=伊藤 幸司
青空をバックに裸の木に小さな赤い実がついているのを発見しました。

高川山登山
【撮影】10時28分=伊藤 幸司
この季節、完全に葉を落としてハダカになった木の枝に、小さな赤い実がパラパラとついていました。
そういう状況で実をつける木を探したら、アズキナシという木が出てきました。ナナカマドの仲間だそうですから、赤い実が秋から冬への主役になっておかしくありません。
『三河の植物観察』に『アズキナシ 小豆梨』がありました。
【[別名] ハカリノメ(秤の目)
[中国名] 水榆花楸 shui yu hua qiu
[学名] Sorbus alnifolia (Sieb.et Zucc.) C. Koch.
バラ科 Rosaceae  ナナカマド属
和名の由来は果実が梨の(に?)似て、アズキのように小さいことから。別名は枝の皮目が白色で、秤の目盛りのように見えることから。幹は灰黒褐色、皮目がある。葉は互生し、長さ5〜10㎝の卵形〜楕円形、鋭尖頭。葉縁は浅い重鋸歯縁、側脈が裏側へ突き出て目立つ。花は直径約1㎝の白色の五弁花。花弁は円形、雄しべは約20個、花柱は2個。果実(梨状果)は長さ約8㎜の楕円形、皮目があり、秋〜冬に赤く熟す。
[花期] 5〜6月
[果期] 11〜翌1月
[樹高] 10〜15m
[生活型] 落葉高木
[生育場所] 日当たりのよい山地の林縁
[分布] 在来種、北海道、本州、四国、九州、朝鮮、中国、台湾、ロシア
[撮影] 幸田町 12.5.4】

高川山登山
【撮影】10時28分=稲葉 和平
赤い実。何の実だか帰ってから調べようという気持ちは少しはあったけど・・・。

高川山登山
【撮影】10時30分=伊藤 幸司
何という木かわかりませんが、枯れ葉がカールして落ちないというのには意味があるのかな? と思って、とりあえず撮りました。「高川山のクリスマスプレゼント」というような気持ちがあったら、写真はもっと面白くなったかもしれません。

高川山登山
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
だんだん斜面が急になってきて、いよいよ最後のツメか? 青空に向かって登っていく気分は最高です。

高川山登山
【撮影】10時51分=伊藤 幸司
登山道で「クサリ場」というと安全装置としてのクサリを垂らしてある場所という意味ですが、その危険度の少ない場所にはロープを張ってあったりします。ここにも黄色と黒の縞模様の通称トラロープが張ってありますが、心理的な表現としか言いようがありません。
私は登山道にあるロープは「使わないように」というのが原則です。岩場や急斜面に補助的に短いロープが下がっていることがありますが、ハンドホールドの少ないときには助かります。しかしロープは一番上の固定部分に大きな危険が隠れています、傷みぐあいもですが、ロープの結び方が結ぶ人の技術力にかかわっているからです。そういう不安定な存在だと知って使ってほしいのです。とくにそういう存在を頼りにしたいときには、それが自分の力量を「補ってほしい」と思っていることを冷静に計算してほしいのです。だから登山道上のロープは「冬のためにある」と考えて「よほど必要なら使わせてもらう」というふうに考えてもらいたいと考えます。
何故か、じつはロープに限らずクサリでも、ほとんどの登山者は両手で握って「ロープ登り」のようなかたちになります。それがじつは最大の危険なのです。自分の力量を超えるときには「三点支持」というのが登山技術の基本の基となっているにもかかわらず、両手で1本のロープなりクサリなりを握ってしまうと体重を握力で支えるしかならない危機を抱えます。腕力には相応の自身があるとしても握力は不明なことが多いはずです。もしそういう危険のある場面であれば、私はプルージックコードと呼ばれるロープの輪を必要か所に設置します。つまり電車の釣り手状のものを装着して、握力なしにぶら下がることを可能にしておきます。
それよりも、短いロープがかかっているようなところでこそ、スムーズに、スルッと、カッコよく通過するためにロープを利用するのではなく、少々モタモタして見えるとしても、三点支持を意識し、目では見えにくい上方にじっくりとハンドホールドを探してみてほしいのです。手を大きく伸ばしてじっくり探すとかならずある……はずですから。
ここに張ってあるのは一般にいうトラロープですが、じつはあんまり意味はなく、逆に断崖上をトラバースする道に張ってあるのと同様、頼ろうとするとかえって危険という存在です。公園や植生保護地域などにある踏み込み禁止のロープに近い存在だと思います。
そこでトラロープについて調べてみると『ロープ問題解決 ワイヤロープの土谷ロープ』に『いろいろトラロープ』というページがありました。
【トラロープや標識ロープといわれている、黄色と黒色のロープです。材質はポリエチレンで、対候性にも比較的強いロープです。ただし、黄色の部分は黒色の部分より、紫外線によって、脱色しやすく、黄色が白くなっていく傾向があります。
特に外国産のトラロープは黄色の色落ちが激しいと考えています。また、外国産のものは、特に安価に仕上げるため、かなり細くて強度も弱く、物を吊ったり、トラック用の荷締めには使用しないでください。】
その種類を一覧できるのですが、国産トラロープは16mm、14mm、12mm が一般的なようで、それに10mmの「反射トラトラコード」とか。
でもなんでトラなのか。黒と黄色のシマだからタイガースというのではちょっとお寒いじゃないですか。
『ヨシダクラフト』は宇都宮で創業118年という工務店のようですが、『これであなたも「建築ツウ」!建築現場で飛び交う動物の名前を理解しよう。』(2014-10-29)という記事がありました。
【住宅建築の工事現場では、「ネコ持って来い」「トラで縛れ」「モンキーで締めろ」「しゃこかけろ」など様々な動物の名前が飛び交います。
建築現場に生息する動物の名前を憶えて、「建築ツウ」になりましょう。
○ネコ
土工(どこう。土木作業をする職人)の親方から、「お前、ネコを持って来い!」と言われた新米の現場監督。
あまりの迫力に焦って、隣の家から本物の猫を借りてきたなんて話があります。このネコ話は、新米現場監督が、必ず先輩や職人から聞かされる「建築現場あるあるの1つ」です。
ネコ車ともいう。砂利やコンクリートを運ぶ。
猫のように狭い場所も通れるからネコという名前が付いたと言われています。
○建築現場の馬
主に鉄筋コンクリート造の鉄筋を置く台として使う。名前の由来は形が馬に似ているから。
○トラ(トラロープ)。
危険を知らせる黄色と黒の虎模様のロープ。
立ち入り禁止部分に張ったりします。
○とんぼ。
建築現場のトンボ
床に打設したコンクリートを均す道具。形がトンボに似ているから名前がついたのでしょう。
○しゃこ。
正式名称「シャックル」がなまって、『シャコ』。重機でワイヤーを使い物を移動するときに使います。
○モンキー。
モンキーレンチのこと。
○そして最後に鳶。
鳶職は足場を架けたり、鉄骨を組み立てたりする職種。
鳶は、大空を舞うトンビから来たものでなく、
以前、鳶職が使っていた「鳶口」という道具から来たと言われています。
鳶口は、木造建築物の解体や移動(曳家)に使用された道具。
現在使っているのを見たことはありません。】
『タクミホームズ』は一級建築士事務所兼土地家屋調査士事務所(株)匠総合事務所のホームページのようですが、その『建築用語集』に『トラロープ』がありました。
【黄色と黒の2色のナイロンロープを、トラロープと言うこともある。
このナイロンロープは力のかからない防護策などの結束に使うべきである。目立つので安全施設に使われている。
虎とは虎綱(とらづな)ともいい、坊主など垂直に立てたものを、倒れないように維持するために張るロープのことだった。倒れないようにロープを張ることを、虎を張るという。ナイロンロープは伸びるので、トラロープを虎綱として使ってはいけない。】
なおその「坊主」というのは、
【現場で組み立てる簡単な荷吊り装置。人力のクレーン。1本の長い丸太を立て周囲に虎綱をはり、丸太の先端に金車(=滑車)をつけたもの。】

高川山登山
【撮影】10時53分=小林 美子
山頂手前に、難所の岩があると、本に出ていたが、これだ。
岩の最初のあたりは足をかける所がなかったので
ロープを頼る
後は足をかける所、手をかける所があったので登る事ができた。
こんな岩があらわれると
ワクワクする気持ちと、できるかな?という不安な気持ちがおきるので
無事に登れた時はうれしさが増す。

高川山登山
【撮影】10時56分=伊藤 幸司
1/25,000地形図では、標高900mを越すと等高線間隔が密になります。そこを直登しようとすると勾配は30度前後になります。富士山の5合目以上をジグザグに伸びる登山道ではなく、まっすぐ登るのといっしょです。雪の山ではこんな傾斜ならまずまっすぐ登りますから、こういう場面はそういう意味で貴重です。「カカトでペタペタ歩いて!」と私は指示しますが、斜め上を目指してはいけないのです。「カカトでで歩く」という意識で後ろ足で蹴ることを封印し、前に振り出した足のヒザを後ろに送ってのびた分だけ体を真上に持ち上げます。平地の道を時速4kmで歩くエネルギーでこの斜面を歩くとしたら水平速度は時速1km以下、エネルギーの3/4以上を垂直方向に無駄なく使う「技術」つまり歩き方が必要です。
前進という意識を1/4以下にするために、振り出した足を一歩前方に置く以上の「前進」を封印する歩き方が必要です。

高川山登山
【撮影】10時57分=伊藤 幸司
前方に、本格的なクサリ場が出てきました。当然、クサリ場という状況に見えましたが、よく見るとロープだけ。私がここを知らなかったら、リーダーとしてトップで登ってみて難易度を見て、もし私の仲間のだれかに問題が生じそうなら、厳重にフォローするか、あるいは手持ちのプルージックコード(登山用のロープの輪)を立ち往生しそうな場所にセットします。なによりも、私が登ることで、安全に登れる場所かどうか、みなさんに見てもらうところです。

高川山登山
【撮影】10時58分=伊藤 幸司
私はここの難易度を知っているのでスリルを楽しんでもらいながら皆さんの動きを見せてもらいますが、初見参であれば、だれかが、どこかで、予測不能の動きをして動転するかもしれないと想像します。
なにか、不測の事態が生じるとしたら一瞬です。私は糸の会の20年余、1100回あまりの山歩きのなかで医者にかかる怪我を2回していますが、いずれも岩場歩きもテーマにした日の下山中に、滑落と転倒。難易度としてはこの程度、恥ずかしい限りですが、ちょっとした心のスキマで事故は簡単に起こります。

高川山登山
【撮影】10時59分=伊藤 幸司
見ている私がもし不安を感じたら「三点支持!」と叫びます。安全を確保することと、技術的な思考で登ろうとする切り替えができれば、自分の力で登りきれます。不安や恐怖から逃げるために先を急ぐとしたら、それが最大の危険の兆候です。それを技術的な心構えに切り替えるだけで、たちまち安全モードに切り替わります。
この写真で見るだけでも、ロープはこれを利用する人の使いやすさを考えながら設置していることが見てとれます。しかしロープの場合は紫外線や温度変化による劣化のほか、じつは設置してくれた人の結びの安全性がわからないのです。正直、私が自身を持ってロープを設置できるかと考えたら、尻込みしてしまいます。じつに手際の良い結びを見ることがありますが、それよりは見る人が安心して判定できる結びにしてくれているほうが嬉しいと思います。そういう意味では登山で使われる結びのほとんどは海で使われる結びですが、命がかかる場面では海の結びを「ダブル」にしていることが多いのです。「万に一つ」のミスを避けるためです。

高川山登山
【撮影】10時59分=稲葉 和平
クサリ場。最初の一歩の置き場をどこにしようか迷ったが、短いので適当に強引に登ってしまった。よくないとは思いつつ。

高川山登山
【撮影】10時59分=秋田 守
難所と予告されていた鎖場に到着。一人ずつ順番に登っていく。コーチからは、手首にストラップを掛けたストックが邪魔に感じるようだったら余裕がない状態だと思えと、注意があった。なるほど。しかし、クライミングをやってらっしゃる岡田さんの登り方は実に見事だった。一切ロープに頼らず。ぼくも真似をしてみようと思ったけど、どうしても手や足をかける場所が分からず、二度ほどロープのお世話になってしまった。悔しいなあ。

高川山登山
【撮影】11時01分=伊藤 幸司
このロープはかなり丁寧に、使いやすさを考えていてくれます。しかし、岩場に取り付けられたクサリやロープはしばしば自分なりの「三点支持」から外れることも多いのです。
この写真では右手がトラロープの2本まとめをつかんでいます。いい位置にあるのです。が、それを「必然のロープ」と考えずに、自分なりの三点支持で登りながら、視野の中にはお助けロープとして認識しておく。そうすることで自分の技量を確認しながら登ることができます。「登れればいい」のではなく、自分なりに登るにはどうしたらいいのか、というチャレンジの場と考えることで、単に登れるかどうかではない価値が生まれると考えます。
昔、朝日カルチャーセンター横浜でやっていた登山講座の実技では、根岸知(故人)さんが道際に手ごろな岩があると休憩を兼ねて岩遊びをさせてくれましたが、そういうちょっとした体験が縦走中の小さな岩場での安全やスピード維持に大きな効果をもたらします。岩場にクサリやロープが下がっているときには、あくまで自分のための体験チャンスだと捉えて、きちんと登ることが必要だと思います。

高川山登山
【撮影】11時02分=伊藤 幸司
私たちは岩場でもストックをはずさないので、おせっかいな登山おじさんたちから「ストックは危険だよ」などという声をかけられます。
そこで私の基本的な考え方。私たちはトレッキング用のストックのいちばん重要な部品が石突にあると考えています。これを作った人たちは、岩に対して鋭い切れ込みを維持できる超硬合金の歯を標準装備しています。それを見て、岩にガツン! と突いたりしてみることなしに、この道具を単なる杖(ステッキ)と考えている人たちのいかに多いことか。
岩場の縦走路では1本にする場合もあります。山側の手をホールドとして使い、谷側の手にストックを使うことで、手が1メートル以上伸びるわけです。
もちろん本格的な三点支持で登らなければいけない場面では、ストックは2本ともしまってもらいます。
ではここで2本ともストックをぶら下げたまま登っているのはなぜか? それは私独自の安全管理の道具としてなんです。ストックは手首にかけたベルトでぶら下げて両手を完全に使えるようにしています。だからときどき、ストックが引っかかったりしてドタバタします。(見ているおじさんたちはアホだなあと思っているでしょうし、そういう非常識な行動を強いているリーダーに非難の言葉をつぶやいたりします)
私はそのモタモタを見ています。モタモタ感でその人の岩場での余裕を見ているのです。リーダーの危機管理としては、そういう、岩場でのダブルストックの使用はほんとうにありがたい方法だと思っています。
ちなみに、ストックは岩場では危険という識者が多いのですが、当然です。ゴムキャップをして岩場で使うなどしたら、私は恐ろしくて見ていられません。滑っていつストックに裏切られるかわかりません。ヤブの中でナタをさやに入れたまま振り回しているのと同じです。市街地の人工的な床面を傷つけないように用意されているゴムキャップを、岩場で使うなどいう発想は、もしあったら危険です。もし鋭利な刃の切れ味を試したかったら、大きめの適当な石を、思い切り強く突っついて見てください。

高川山登山
【撮影】11時05分=秋田 守
11時5分、高川山山頂に到着。標高976m。富士山はまだきれいに見ることが出来た。先着した20名近いグループが荷を広げて昼ご飯を食べていた。後から来る人のことを少しは考えて下さい。我々もここで富士山を眺めながらランチタイム。今日も自作海苔サンドを持参。具は梅干しとカンピョウのたまり漬けの2種。寒いだろうと思って水筒には熱い阿波晩茶を入れてきた。瀬戸内海興居(ごご)島のみかんを若井さんとシェアしてデザートに。

高川山登山
【撮影】11時05分=稲葉 和平
11時を過ぎ、富士山はぼやけてしまった。残念。

高川山登山
【撮影】11時06分=伊藤 幸司
今日はラッキー! 富士山が見えていました。私たちは桂川の谷から登ってきましたから、これが上流側の眺め。富士山の手前、左側にあるのが鹿留山と杓子山の重なりです。右側の斜面をたどっていけば三ッ峠山になります。

高川山登山
【撮影】11時07分=伊藤 幸司
富士山を中心に広い範囲を見てみると、右側に三ツ峠山の山頂が見えてきました。富士山の左にあった鹿留山と杓子山のピークは思いの外低く見え、その左には石割山から御正体山の高まりが出てきました。
じつはその広がりは桂川の源流域でもあります石割山の向こうには山中湖があり、三ッ峠山の向こうには河口湖があって、富士山のこちら側の面にしみ込んだ水の多くが桂川に注がれてくるのです。ですからこれは正しく「桂川水源域の風景」なんです。

高川山登山
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
富士山から視線を右に動かしていくと、三ッ峠山など(御坂山地)があり、そのさらに右側にまた白い高峰が現れます。
じつはこの白い山々に関して、計画書に間違いがありました。────おなじみの高川山ですから、どこから登ってどこへ下りてもみなさんたいてい二度目、三度目という感じではないでしょうか。
山頂から富士山が見えていれば(ひょっとしたら北アルプスだってチラリと見えるかもしれないのですが)あわてて下って(わざわざ)高尾山へと移動するというアホな計画は、アホなりにいいとして、もし富士山に雲がかかっているとか、夕方には危ないと思ったときにどういうルートで下れば、慌ただしい年末に1日割いて来ただけの「高川山登山」になるか……ということになると、そこがちょっと悩みどころで、グズグズ考えて計画がなかなかまとまりません。────
じつはその「グズグズ」が実際の「グズグズ」につながってしまうのですが、ここでは見えていたのが南アルプスの前衛となる鳳凰三山で「北アルプス」ではありません。
この写真では右端にある白い三角形が一番目立っているのですが、主役はその左、黒々とした地蔵岳(標高2,764m)です。私の写真ではオリジナルで調べるとかろうじてその頂上にランドマークとして知られるオベリスクが確認できますが「写っている」というレベルのものではありません。そして左にぼんやりといくぶん高く盛り上がっている白い稜線が観音岳(標高2,840m)、さらに左にタラタラと下ると画面左端に白い小さなピークがぼんやりと見えますが、それが薬師岳(標高2,780m)となります。鳳凰三山では地蔵岳が一番低いのですが、そこにあるオベリスクを一度知ってしまうと、思わぬ遠方から鳳凰三山を見つけることができます。
じつは家に戻ってから右端の白い三角形にけっこう悩まされたのですが、私の結論は地蔵岳のすぐとなりにある高嶺(標高2,779m)ですね。地蔵岳より高いのですから鳳凰四山にしてあげればよかったのに、と思わせる残念な存在のようです。……で、なぜ悩んだのかというと、高川山で努力すれば、もう少し右まで見通せるらしいのですが、するとなんと駒ヶ岳(甲斐駒ヶ岳。標高2,967m)が登場してくるのです。地蔵岳と駒ヶ岳とを結ぶ稜線は早川尾根と呼ばれて、高嶺(2,779m)〜赤薙沢ノ頭(2,553m)〜早川尾根ノ頭(2,463m)〜アサヨ峰(2,799m)〜栗沢山(2,714m)というピークが並んでいるのです。
写真の左端、薬師岳から先は手前の山に隠されてしまっていますが、見えればそこに北岳(標高3,192m)があるはずです。

高川山登山
【撮影】11時09分=小林 美子
山頂からの
富士山
休憩時間中に雲がたくさんでてきて富士山を隠していく
下山は大岩コースを行くと決まった。

高川山登山
【撮影】11時10分=伊藤 幸司
山頂に到着したときには登山者で満杯という感じでしたが、大きなグループがいなくなると静かな山になりました。この日の気温は09時55分に標高570mの「シラサワコース」入口のところで4度Cでしたから当然冬の山、風があったり、日が陰っていたりしたら、素手ではなかなかつらい昼食になったところです。

高川山登山
【撮影】11時20分=伊藤 幸司
これはリニアモーターカーの実験線。この高川山の山裾に乗り場があって、抽選に当たった人が試乗してきたといいます。無料か有料かは知りません。向こう側の山が九鬼山ですが、どちらの山を歩いていても、ときどき音でそのリニアモーターカーが走っているのを知り、ラッキーだとその姿を見ることもありました。ずいぶん以前からだったと思いますが、年に1度来るかどうかの私たちにも馴染みだということは、かなりたくさんの回数、ここを走ってきたのでしょう。
『4travel.jp』のブログ『大月旅行記』に『超電導リニア体験乗車』(2015/03/17。加藤)がありました。
【体験乗車はインターネットによる申し込みです
抽選になり倍率が高いらしく前回の抽選には外れたのですが
今回は友人が当選し誘ってもらえたので2万円の旅費をかけて山梨まで行ってきました
愛知県から朝一の電車に乗ってギリギリ間に合う11:20集合の第2便の乗車です】
【11時着
見学センターには飲食物は売っていないのですが
臨時のフードコーナーができていて軽食は取れます
お土産物売り場は有りました
時間的余裕はあまりないので見学センターでゆっくりせず脇の小道を抜けて、実験線の下を通り実験センターに行きます
テレビと新聞記者が来ていた
飛行機の持ち物検査と同じようなセキュリティチェックを受けて入場集合時間の11:20は、この部屋の集合時間ということです
係員が結構たくさんいて丁寧に案内してくれ、術的な質問にも答えてくれました
ここで短時間の映像を見せられますが技術的な紹介ではなく注意事項的な物
面白く無いです
乗車座席ごとに振り分けられた椅子に座るので満席になるはずなのですが20席程空席がありました、特急かいじの遅延の影響か?
部屋から通路を歩いてすぐの所に乗降口
飛行機のような入り口直結タイプなので車両外観を間近で見ることはできません
各車両に1つで、ここでは2つ
ここの壁面を強化ガラスにするなどして見せてくれれば面白かったのになぁ
搭乗券に書いてあった出発時刻11:35を少し過ぎている
いよいよ出発!
前方へ進むが200km/h程しかでない・・・
実験センターは実験線中間に有るので端に移動しただけでそこからが全速力でした
で、後ろ向きに500km/hなのですが違和感が無かった
何故かと言うと加速は緩やかなのでGを感じる訳でもなく
小さい窓から見える車外はトンネルの明かりだけなので
500km/hで進んでいる実感が無いのです
客室型シミュレータに乗せられて騙されているかと思えるくらいに感動がない・・・
たまにトンネル外に出た所で実感できますけどね
単線なので反対端に着いたら折り返しで今度は正面向きに実験センターまで500km/h
ちなみに椅子は回転できなかった
20分程度の乗車で乗った所に戻り
出口に向かう所でやっと外観が間近で見れました
出口は嫌にチープ
この時点で12:18なので集合から解散まで1時間です
大月駅までのバスが来るまで1時間ほどあったので見学センターの展示施設に行く
たいして面白く無い
リニア・鉄道館で見た方がいい
2階の屋外見学テラスです
ここはリニア通過時にしか開放しなくて
3階にも有るガラス張りの部屋はいつでも入れます
どちらがいいかというと2階は視点が低すぎるのとネットが有るので
写真を撮るなら3階のが良くて、早さを感じたいなら2階がいいと思います
体験乗車を行っている時間以外にも頻繁に試験運行されているので走行風景は何度か見れました】

高川山登山
【撮影】11時20分=伊藤 幸司
日本のトンネル技術は世界一だそうですけれど、リニア新幹線はまさにトンネル新幹線です。そのプラス効果もマイナス効果もいろいろあるでしょうが、トンネルにしたことによる環境問題がだんだん浮上してくるのではないかと思われます。
『アクアスフィア・水教育研究所 代表 橋本淳司の公式ページ』に『リニア中央新幹線が水を奪う』というページがありました。
【そもそもリニア中央新幹線とは、時速約500キロで品川、名古屋、大阪を一直線で結ぶものです。走行方式は「超伝導磁気浮上方式」。リニアモーターをマイナス269度まで冷やし、そこに電流を流して超伝導状態にし、側壁の磁石との間に生じる強い磁気により、車体を浮かせて走行します。
品川ー名古屋間は平成39(2027年)年開業を予定し、平成45年に大阪への延長をめざしています。品川を出発すると、神奈川県相模原市、山梨県甲府市、長野県高森町、飯田市、岐阜県中津川市という中間駅を経て名古屋に到着。全長286キロメートルの工程ですが、都市部では大深度の地下トンネル、南アルプスの山並みでは直下に大トンネルを穿つことになり、経路の約8割が地下を走ることになります。】
【地下水の豊富な地盤にトンネルを掘削すると、風呂桶の底に穴があいたようになり、地下水が漏れ出します。大量の出水により掘削工事は難航し、一方で、その地下水をつかっていた人々は水に困るようになります。
平地の場合、砂や礫の層にある隙間に水が流れます。平地にトンネルを掘る場合、既存の井戸があれば観測記録やボーリング資料などをもとに計画を立てることができます。シールド工法という砂利を掘ったそばから既成の壁を組み立て、地下水がトンネル内に漏出するのを極力小さくする工法もあります。
しかし、山岳トンネルの場合は、簡単ではありません。地下水が岩盤の亀裂の中に含まれているからです(火山地帯を除く)。これを「裂か水」と呼びます。地下深い岩盤内にどのように亀裂が入っているのか、裂か水がどの程度存在しているのかはなかなかわかりません。山岳トンネルを掘るときには、機械で岩を掘り崩し、一定の長さを掘り進めたところで壁にコンクリートを吹きつけ、鉄の棒で岩盤に密着させ、防水シートを張り、さらにコンクリートで内壁を構築します。あるいは徹底的にトンネル周辺の水を抜きます。
しかし、どこに水があるのかを正確に予測するのはむずかしく、結果として水脈を切断することがあるのです。】
【南アルプス横断トンネルで大井川が涸れる
本線のトンネルのなかでも、とりわけ長いのが南アルプス横断トンネルです。小渋川など二カ所の川を渡る橋の部分で少しトンネル外へ出るだけなので、実際には山梨県富士川町から豊丘村に至る延長約50キロのトンネルと考えてよいと思います。富士川、大井川、天竜川という三河川の流域を一本のトンネルで貫くわけですが、現在、水涸れについて最も心配されているのが大井川です。
JRが大井川水系源流部の七地点で工事後の河川流量を試算したところ、赤石発電所木賊取水せき上流で毎秒2.03トン減るという結果が出ました。毎秒2.03トンは同地点の平均流量(11.9トン)の約17%に相当します。
トンネルを掘ることで河川流量が減るメカニズムは、掘削途中に地中の水脈にぶつかりトンネル内部に地下水が染み出すことが原因です。】
【毎秒2.03トンという水は、下流域の島田、掛川など7市約63万人の水利権量とほぼ同じです。該当する地域の自治体は懸念を示し、JRに対し、保全措置を尽くしても減水となる場合は、代替水源を確保し、利水団体と継続的に協議することなどを求める要望書を提出しました。
とくに掛川市の住民は複雑な思いでしょう。なぜなら過去にトンネル工事が原因で、生活に利用してきた湧き水が枯れてしまった経験があるのです。粟ヶ岳の中腹には地下水が湧き出る水源がいくつもあり、地域特産の茶の栽培に欠かせません。
ここでは1954年頃、約35世帯で簡易水道組合を発足して生活水を調達していました。毎分200リットル以上の豊富な水が湧き出るため、他の地区にも供給したほどでしたが、2000年5月に水源が枯れたのです。原因は約500メートル北側で1999年から始まった新東名高速道路金谷トンネルの掘削工事でした。
事業者の中日本高速道路が止水工事などを試みましたが、湧き水が戻ることはありませんでした。】

高川山登山
【撮影】11時22分=伊藤 幸司
15分ほど前に富士山を撮ったときにはなかった雲が急激に量を増しているようです。富士山は見える、見えないというだけでなく、その刻々の見え方がどんどん変わっていくというところに面白さがあります。山道を歩きながらでも、富士山が見えたらチラリ、チラリと見続けているべきです。

高川山登山
【撮影】11時22分=伊藤 幸司
レンズを富士山から鳳凰三山へと振ると、今度はオベリスクが見えていました。黒い大きな山頂部の左端に尖った岩が見えています。その足元に白い雪の斜面がありますが、夏でもそこは白砂の斜面で、現在も人力で持ち上げられてくるお地蔵様がその斜面に並んでいます。鳳凰小屋に下る道はその白い斜面にジグザグに描かれています。

高川山登山
【撮影】11時23分=稲葉 和平
遠くに白く雪のかぶった山並が顔を覗かせていた。何山かはっきりわかったのかな?

高川山登山
【撮影】11時23分=秋田 守
あまりピントがよくないけど、山頂からは南アルプスも見ることが出来た。北岳と、右側に頭だけ出しているのが甲斐駒ヶ岳。甲斐駒には一度、北岳には二度登ったことがある。中央線の汽車に揺られて見上げる南アルプスの山々もいいが、こうして山の上から遠望するのも風情がある。そういえば、高川山は、山梨百名山、秀麗富嶽十二景などにも選ばれている。そして、山の下というか山の中をリニアモーターカーの実験線が貫通している。

高川山登山
【撮影】11時24分=秋田 守
この日は風がなく穏やかなお天気だった。歩き始めて間もなく汗ばんできたほど。3日前に高尾山周辺を歩いた時よりは気温は下がっている。日が当たらないと、さすがに寒く感じたし、登山道脇には霜柱もたくさん見かけた。朝方は相当冷え込んだに違いない。コーチからは事前に軽アイゼン必携と案内があったが、幸い出番はなかった。昼ご飯を食べ終えて、高川山山頂から空を見上げたら、まるで弓矢のような形をした雲が浮かんでいた。

高川山登山
【撮影】11時26分=稲葉 和平
山頂はどこかの暇なおじさんおばさんのグループで大賑わい。独占を楽しんでいたところにお邪魔した感じ。

高川山登山
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
山頂での記念写真。このみなさんのほとんどは飽きるほどこの山に登っていますし、この年末のスペシャルイベント、すなわち日没時に富士山に雲がかかってないようなら、下山を急いで高尾山のダイヤモンド富士騒ぎに合流するという「賭け」も体験済みなんです。
さて11時30分のこの富士山方面にある小さな雲と背後の大きな雲は、午後4時過ぎに太陽の落ちていく道を開けてくれるでしょうか。その判断をリーダーの私がいま、ここでしなければなりません。

高川山登山
【撮影】11時35分=秋田 守
山頂でたっぷり休憩時間をとった後、大岩山を目指して出発。登りと同様、急勾配の道を下っていく。落ち葉が降り積もっているので滑りやすい。糸の会に参加させてもらってダブルストックを使い始めたが、下り道は本当に心強い。まだまだ十二分に使いこなせるようになった訳ではないが、他の山仲間達と出かけると、下りがもの凄く速くなったと驚かれる。調子に乗ってずっこけないよう注意しながら、さらに精進したいと思うこの頃です。

高川山登山
【撮影】11時44分=伊藤 幸司
計画書には「一番山っぽいシラノサワルートを登って、一番登山者の少ない大岩ルートで下ります。(高尾山へ移動すると決めた場合は、山頂から初狩駅へダイレクトに下ります)」としたのですが、その大岩ルートを選びました。時間にとらわれないで下るという選択でもあます。

高川山登山
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
下りはじめのこのあたりでは、道筋が明瞭かどうかをチェックしましたが、問題はないようです。分岐点に小さな方向指示があったほか、積極的な標識類がないのは、意図的なもののように感じました。やはりちょっと、間口をせばめてあるようです。

高川山登山
【撮影】11時46分=伊藤 幸司
山頂から南西へ一気に下りますが、標高差で100mほど。この下りが終わらないと、道を間違えたことになります。

高川山登山
【撮影】11時55分=伊藤 幸司
雪が積もったらちょっと見えにくい尾根道を下っていきます。

高川山登山
【撮影】11時56分=伊藤 幸司
足元の初狩の町が見えています。向こうにそびえているのは滝子山、山裾を左右に伸びている白い線は中央自動車道です。

高川山登山
【撮影】11時57分=伊藤 幸司
さて、ここから標高896mのピーク(案内板には羽根子山とありました)への急登です。標高差は50mあるかないかですが、ロープを頼りにしたい場所もある急斜面。以前、初心者もいる集団でここを下ったことがありますが、大騒ぎになりました。雨だとほんとうにやっかいです。

高川山登山
【撮影】11時57分=伊藤 幸司
ロープが張られているので登れないことはありません。ストックで最後まで登りきれるかどうかという、絶好のテストケースです。

高川山登山
【撮影】11時59分=伊藤 幸司
私はストックを持たずに登っていますから絶体絶命という急斜面ではありませんが、足元が良くないので、みなさんストックが「ハ」の字に開いています。バランスをとりたい、バランスアシストへの意識が大きくなっていることがわかります。本当はストックで後ろから押し上げてパワーアシストするべきです。その場合は「V」字にします。また、ストックを足の前に出すようだとストックは不安解消のために使われて、モッタイナイ状態になっています。岩場だと肩幅に持ったストックを「V」字にして石突をかかとにぶつけてその足が踏んだ石に置くようにすると目で見た足場をストックも利用できるので、確実性が増大します。
ここでは、バランスは自分で確保してストックを100%パワーアシストに使うようにすると、足場を選ぶ範囲が広がります。しっかりした足場を選ぶことで、斜面に対する姿勢を自分の側に引き寄せることができます。つまりラクラク登る状態に近づけるためにストックでサポートすることができる……と考えられるのです。
なおここではだれもロープに助けを求めていないので、レベルの差はあれ、ダブルストックで登りきれる斜面だと、私は後ろから見ています。(危険だと感じる人がいたら、歩き方の修正をしなければなりません)

高川山登山
【撮影】12時02分=伊藤 幸司
あきらかにダブルストックでは登りきれない斜面になりました。じつはロープを張った登山ルートは右手にあったのですが、先頭の人が気づかずに直登してしまったようです。悪い予感がしたら、止めなければいけないところですが、じつは灌木を利用しつつ登れるルートにはなっていました。ただ、糸の会のベテラン陣のダブルストック能力が破綻した場面です。……というぐあいに、私は自分たちのチームの技術レベルを冷静に判断するために、みなさんにストックを使っていただくことが重要だと考えています。

高川山登山
【撮影】12時03分=秋田 守
羽根子山の手前の登り道。ぼくが先頭を勤めていたのだが、道をいつの間にか外れてしまったようで、とんでもない急斜面、しかも足場もよくなくて、ずるずる滑り落ちながら、必死になって這うように悪路を登る羽目に陥ってしまった。皆さま、本当に申し訳ございませんでした。右側には正しいルートがあったようでした。シラノサワコースの難所、ロープ伝いの場所よりも、ここが本日一番の難所となってしまった。何とぞお許し願います。

高川山登山
【撮影】12時07分=伊藤 幸司
登りきって896m峰(羽根子山)から高川山を振り返りました。高川山山頂を出たのが11時35分でしたから、ここまで30分でした。

高川山登山
【撮影】12時08分=秋田 守
大岩山の手前あたり。まだこのあたりぐらいまでは、雲が架かり始めたとはいえ、富士山の姿は見えていた。こうして見ると富士山もそんなに高くは見えませんね、肩を並べているような感じに見える、などと馬鹿なことを言いながら歩いていた。今年1月の山始めは足和田山。お天気が悪く、ずっと見えそうで見えなかった富士山が、突然間近に現れて驚いたのが忘れられない。しかし、山納めもまた富士山を見ながらになろうとは思わなかった。

高川山登山
【撮影】12時09分=伊藤 幸司
「羽根子山」という標識がなければ、ここは単なるヤセ尾根の起点です。1/25,000地形図には「・896」とありますから標高896mの水準点があって、国土地理院としてはいわゆる「無名峰」という扱いになっています。
『国土地理院』のホームページで『水準点の測量』が説明されています。
【精密な水準測量では高低差を0.1mmまで求めています。水準測量は、2地点に標尺を立て、その中間に水準儀を水平に置いて、2つの標尺の目盛を読み、その差から高低差を求めます。この繰り返しで、水準点間(約2km)の高さを求めます。
水準測量に使用される測量機器は進化を遂げましたが、高精度に高さを求める基本的な測量方法は今も昔と変わっていません。】
つまり長さ約3mの「標尺」というものさしを2本地面に立てて、その間に置いた水準儀で高さの差を測ります。街で一度や二度はそういう光景をご覧になったことがあるかと思いますが、まさにそのやり方で山に登っていくのです。写真のこの尾根もそうやって登ってきて、ここに水準点を置いたのです。
その水準点だって、三角点ほど大げさではないにしても、まあ私たちの目には同じように、柱石を置き、必要に応じて地中に盤石も埋めています。
三角測量は2方向の三角点との方位角を精密に測って平面上の位置関係を明らかにしていきますが、その三角点を設置したときには、伊能忠敬時代とあんまり変わらない尺取り虫的方法で、水準測量をしているのです。
たとえばエベレストの高さを求めた測量では、まだだれも登頂できていない時代ですから尺取り虫方法ではもちろん不可能、そこで標高のわかっているある場所からの仰角で求めるという、なかなかやっかいな方法を使いました。望遠鏡で山頂を眺めながら、その上向き角を測ればいいのですが、じつはそこには空気の屈折率という難題をくぐる抜けなければならず、その屈折率は必ずしも一定ではない、というアバウトな方法でした。
『地学雑誌』の103号595-596ページ(1994年)に鈴木弘道という人が地学クラブで講演した要旨が『山の高さを測る話』としてpdf化されていました。
そこでまずエベレストの高さの話。
【1852年インド測量局 が8,840mで 世界最高峰であることを発見し, 初代測量局長官の名をとってエベレストと命名した。この測量は100マイル以上離れたインド平原からのもので片観測であり, ジオイド高についても考慮してないが, 光の屈折とジオイド高に関する誤差が打消しあって現行値と10mと違 わない結果が得られた。1902年発表された8,882mは光の屈折に関する誤差は小さいが, ジオイド高が誤差として残ったものである。
登頂できない高山の高さの測量の誤差として, (1)観測点の高さ, (2)光の屈折量の推定, (3)零点である山頂直下のジオイドの推定の三つがある。
1954年の第3回測量では三角網をネパール国内に延長し, (2)についても充分考慮を払い, (3)のため天文および重力測定をあわせ実施し, 当時の測地学の枠を尽して8,848±3mの結果が得られ, 現在エベレストの標高とされている。
1975年中国隊がチベット側から登頂した際, 山頂に測量用標識を建て, 天文・重力測定も広く実施し, ジオイドの推定には地上の観測から理論的に完全に決定できるモロデンスキーの正規高をとりいれて計算し, 8,848.13±0.35m(正標高)の結果を得た。これは積雪の深さ92cmを除いており, 上記の値より一層精密なものと考えられる。
1992年イタリー登山隊の登頂に当たり, 中国及びネパールとの共同作業により, 再び山頂に光反射用プリズムをつけた標識を建て, 南北両側山麓から距離測定を含む測量を行い, 山頂と南北両側でGPSの同時観測を実施した。その結果は8,846.10m (積雪の深さ2.55mを除く)であった。詳しいことは未発表だが最新の結果である。】
ジオイドなどという言葉が出てくるとずいぶん難しい話です。この講演のメインとなっていた富士山の部分を読むと、測量という仕事の現実的なこまかさがわかります。
【1727(享保12)年, 福田某が三角法で測量して3,895mとして以来, 伊能忠敬・シーボルト等が三角測量を試みた。気圧計の測定は多数あり, 500m以上違うのもあるが, これらを総合して明治初年までに100mの精度で高さが決まったといえる。1880(明治13)年国内最初の三角測量から得られた高さは3,787mで, 精度ほぼ10mである。
1884年陸地測量部の正式測量により山頂北側の白山岳に4等三角点が設置され, そのさきは平板測量で剣ケ峯の最高点の標高は3,778mと決定され, 1891年発行の2万分1地形図に記載された。当時の4等三角測量は山麓からの片観測で, 現在の4等三角測量程の精度はない。
1926(大正15)年関東大震災後の復旧測量で2・3等三角測量が行われ, 富士白山および剣ケ峯に2等三角点が設置された。剣ケ峯の三角点の標高は3,776.29mで,当時の三角点埋設の記録である点ノ記には, 山頂の最高点はこれより15cm高いと記されている。
その後三角点付近の岩石崩壊により標石が露出し, 1962(昭和37)年低下改埋されて3,775.63mとなり, これが現行の三角点標高である。最高点はそれより約60cm高いが, 四捨五入すればやはり3,776mとなることが確認された。
近年富士山で人工衛星による測量(GPS)が行われるようになり, 1993年には山麓の三角点5点, 水準点3点と山頂問のGPS測量および御殿場から山頂まで2級水準測量が行われた。それによればGPS測量の結果は現行の三角点成果とほぼ一致し,水準測量の結果はそれより約70cm低かった。国土地理院の公式の値ではないがこれが正しいとすれば, 剣ケ峯の三角点は設置以来旧測量の誤差の範囲以上の変化はなく, 周囲の2等三角点に対し山頂直下のジオイドは70cm高いことになる。これは山体の引力の影響と=符号は一致するが量的に大きく,アイソスタシーが成立していないことを示すものである。これらの問題解明のためGPS測量の繰り返しおよび詳細な重力測定実施が望ましい。】
そのような測量精度によって定められた水準点のひとつが、ここなんです。ここから歩く気分がガラリと変わります。

高川山登山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
12時にこの状態ですから、もし万一、4時ぐらいに雲がすっかり消えていたとしても、もう仕方なし。もとよりあと2時間で高尾山に移動するのも、ほぼ不可能です。

高川山登山
【撮影】12時12分=伊藤 幸司
ヤセ尾根ゆえに岩盤がほぼ露出していて、道としては明瞭です。

高川山登山
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
斜面をジグザグに下ります、狭い稜線が広がって山腹の下りになると登山道はジグザグを切って道の勾配を調節します。先頭の人は道をはずさないように、けっこう神経をつかうことになります。

高川山登山
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
斜面は30度までいきませんが、20度は大きく超えています。スキーなら中・上級者用の斜面です。下りの基本は「つま先歩き」で重心を指の付け根にピタッと維持するというのが私の考え方で、重心がかかとに動いていないかどうか、見極めます。スキーとまったく同じで、つま先に重心を置いて、スキー板をひざで引っ張るような前傾姿勢をとらないと、すぐに転びます。
ここではさらに、動きをゆっくり、大きくして「3歩先」にストックを突いて、スキーでスタートするときの深い前傾姿勢を保ってもらうようにします。体を前に進めるのではなくくて、前傾姿勢をつくっておいて、1歩目は体を真下に下ろしていくという気分です。2歩目で足場を固めたら、また「3歩先」にゆっくりとストックを突いていきます。

高川山登山
【撮影】12時40分=伊藤 幸司
1/25000地形図では、このあたりでは計曲線(10m間隔の等高線のうち5本目ごとの、50m間隔で太く描かれた等高線)につけた半径50mの赤い○が6〜7個分離れています。標高800mから750mまで下る部分が、水平距離で600m前後あるので小さな起伏を含んだタラタラ下りになっています。足元の状況さえ良ければ、ルンルン歩きの道です。

高川山登山
【撮影】12時55分=伊藤 幸司
標高750mから700mまでは急な下りです。地図上につけた半径50mの赤丸が赤丸ひとつ分離れていますからその勾配は50/200、25%勾配です。角度にすると約14度。足元もしっかりして降下速度はぐんぐん上って、鍵掛峠は間近という感じです。

高川山登山
【撮影】12時55分=伊藤 幸司
ほとんど鍵掛峠というところから三ッ峠山がお隣さんという感じで見えました。あちらは御坂山地、御坂山から黒岳を経て節刀ヶ岳〜王岳〜三方分山〜パノラマ台と続いて精進湖か本栖湖へと下る大山脈の風格です。なにしろいまは三ッ峠山が富士山を隠しているという状況ですから。

高川山登山
【撮影】13時11分=伊藤 幸司
鍵掛峠では気温が9度Cでした。10度Cを割ると風がなくても素手だと手がかじかむので、寒さ防衛のスタートと考えています。しかしたちまち登りになって、勢いづいてワッショイ、ワッショイという気分。大岩は1/25,000地形図では「・753」とあるだけで、羽根子山と同様、無名峰となっています。じつはさらに、1/25,000地形図には、ルートも記されていないんです。昭文社の「山と高原地図・高尾・陣場」にはありますけれど。

高川山登山
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
いわゆるサルノコシカケですが、基本的にはブナを始めとする広葉樹につくのがサルノコシカケ、これはアカマツですから針葉樹につくツガサルノコシカケと考えるのが、まあ妥当かと思います。
『自然観察雑記帳』に『ツガサルノコシカケ(栂猿腰掛)』がありました。
【・別名/ツガタケ
・発生時期/通年。
・発生場所/針葉樹(マツ、モミ、ツガなど)の枯木、切り株。
・大きさ/大形。傘幅10〜30cm(大きいものでは50cm、厚さ20〜30cm)。
・分布/北半球温帯以北。
・食・毒/不食。
・子実体/多年生。無柄。木質、堅硬。
・傘/初め白い半球状の瘤形、次第に張り出して半円形で丸山形になる。
・表面は大小の瘤を多数生じ、古い部位は灰褐色〜黒色、縁に向かって橙褐色〜橙色、黄土色〜黄白色と淡色になる。
・肉/木質、白っぽい材木色、環紋を表す。
・管孔/多層で年々子実体の厚さを増す。孔口は円形で微細(4〜5個/mm)。黄白色。】
サルノコシカケがキノコの中でどのような位置にあるのかという疑問に答えてくれている文献がありました。
『工作機械メーカーのクボタ』が刊行する『URBAN KUBOTA』のno.14のpdf文書で『森林土壌の生き物─1』の『きのこ』筆者は『小川 眞=林業試験場土壌微生物研究室長』となっています。
【森林土壌に生活するほとんどの微生物は,顕微鏡によらなければ見えない.微生物のうちで肉眼的に見えるのは,地衣類,藻類の一部ときのこの仲間ぐらいのものである.きのこというとマツタケやシイタケを思いうかべるが,いわゆるきのこは,比較的進化したといわれているカビの仲間の担子菌類や子のう菌がつくる生殖器官である.植物の枝・葉・根などに相当する本体は,土壌中や材の中あるいは根の周辺などにひろがっており,地表からは見えない.
きのこ狩りといえば.山や森へ出かけるものときまっている.なぜ,きのこは山に多いのか.当然といってしまえばそれまでであるが,ここには,森林の微生物社会を理解する糸口があるように思われる.きのこが多いということが森林微生物社会の特徴であり,きのこが繁殖できるような生態系が森林生態系であるといえる.
①きのこ類とその生活史
きのこ類には様々な種があり,わが国のものだけでも4000種を下らないといわれる.そのうち名前のついているものは3割程度という状態である.栽培種,食用種の類は世界でもっとも多いが,たべるに忙しく,研究はなおざりにされてきた.したがって,その性質や役割がくわしく知られているものは少ない.
きのこといえば,傘形のものというイメージがつよい.かさの下がひだのもの,あみ目のもの,穴のもの,じくにつばのあるもの,基部にふくろのあるもの,かさの表面にイボのあるものなどじつにさまざまで,この仲間をマツタケ目という.
ヒダナシタケ目というのもある.これは主にサルノコシカケなどのかたい菌の仲間で,穴やはり状の所に胞子ができる.また,キクラゲのようにゼリー状のもの,ホウキタケのようにサンゴ状のもの,ウスタケのようにラッパ状のものなど,担子菌類とよばれるきのこの仲間にはいろいろな形がある.一方,子のう菌とよばれるものには,チャワンタケ,ビョウタケ,ヘラタケなどの仲間があるが,大形のものは少なく,小形の目につきにくいものが無数にある.
きのこ類は,他のカビにくらべると世代の交代を規則的に行なっており,減数分裂をへて1核(n)の胞子をつくる.胞子から発芽したnの菌糸は,融合して2nとなり,きのこをつくる.nや2nの菌糸のまま厚膜胞子などをつくることもあるが,他の下等なカビほど頻度は高くない.不完全菌や藻菌のようなカビは,簡単に多量の胞子を生産してばらまくことができるが,きのこ類の場合は,一度きのこを作るという手間がかかっている.胞子を作りにくく,胞子が発芽しにくくなっているものもある.きのこの形も腹菌類に入るキヌガサタケのように複雑に発達しており,地中の菌糸もカビにくらべて格段に進化している.そのために,きのこ類のことを高等菌類ともいう.】

高川山登山
【撮影】13時18分=秋田 守
大岩山山頂が近づくと、文字通り大きな岩の塊が現れてきた。これは何という石か若井さんに訊くのを忘れていた。この日の累積標高差はそれなりに積み上がったのではないだろうか。最高地点でも1000m以下だけど、急勾配を登ったり下ったり、その繰り返しだった。それにつけても、いつも思うことだが、糸の会の女性陣は本当に強い。歩くスピードが全然落ちない。年齢的にはぼくより先輩が多いけど、完全に負けてるなあと思ってしまう。

高川山登山
【撮影】13時19分=伊藤 幸司
またまた急斜面になりました。大岩山頂が近づいてきた感じがします。

高川山登山
【撮影】13時22分=秋田 守
山中の所々にこのような石標が立っていた。三角点ではないし、何だろう。訳ありげな数字が気になってしょうがない。これは大岩山山頂にあったものだと思うが、標高ではないし。と思って調べると、林野庁管轄で国有林と民有林の境目となる目印の境界標というものらしい。けいかいひょう、と読むようだ。古いものは明治時代に設置されたようだ。これを管理するのは森林官の仕事のようで、定期的に巡倹(巡回、点検)しているそうです。

高川山登山
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
大山山頂に出ると、この立派で怪しい大工場がありました。以前来たときにもここにこんな風景があったのですが、ぜんぜん違う。山奥に隠れて、なんだか怪しい施設が衣替えをしたみたい……。煙突を立てた工場があり、たくさんの資材がきちんと整理されて置かれているけれど正体不明。なんだか怪しい。でも一般人が上から覗ける場所につくるのだからどうだろう?
永いこと気づかなかったのですが、昭文社の「山と高原地図・高尾・陣場」の裏面に「鶴ヶ鳥屋山」図があって、そこにこの大岩近くに「リニア実験線土捨場」という文字がありました。以前とは様子がちがうと思っていましたが2007年11月28日の写真を見ると、煙突のある建物と緑の運動施設の手前の宿舎らしい建物群だけができていたのです。

高川山登山
【撮影】13時27分=伊藤 幸司
山頂の展望台から、この赤テープに導かれて先頭が下り始めたのですが、道が消えたというので引き返しました。おそらく地元の人が利用するルートのようで、よそ者に対してオープンな道ではないようです。そういう道は入口はさりげない顔つきで、少し下ったところに目印がある、ということが多いのです。

高川山登山
【撮影】13時34分=伊藤 幸司
これもサルノコシカケの仲間ですね。あとから出てきて、力仕事で主役を奪ったような顔をしているのがみごとでした。

高川山登山
【撮影】13時34分=秋田 守
花の時季でもないのでカメラはコンパクトカメラのみを持参した。が、オリンパスのTG-4というこのカメラはコンパクトながら、マクロ機能も充実している。今回、唯一マクロで撮影したカット。サルノコシカケの仲間。たぶんコフキサルノコシカケという種類ではないか。漢方薬にも用いられる。しかし、サルノコシカケという名前、誰が付けたか知らないが、よくぞ命名したものと感心する。こればかり研究している学者もいるんだろうな。

高川山登山
【撮影】13時37分=秋田 守
大岩山から間違った下山路へいったん下りてしまったが、行き止まりになって引き返した。引き返す途中、富士山はと見ると、すっぽり雲で隠れてしまっていた。もしお天気がよければ、高尾山へ直行してダイヤモンド富士を見ようかというオプション案も提示されていたが、この様子ではそのオプションはなさそう。コーチは、それでも、富士山は午後は雲に隠れることが多いけど、夕方になるとまた晴れてくることも多い、と諦めきれない様子。

高川山登山
【撮影】13時40分=秋田 守
大岩山まで戻ると、さっきは気がつかなかったが、小さなカマボコ板ぐらいの山名標が木の幹にくくりつけられているのに気がついた。地元の山の会の人達が手造りでかけてくれたのだろう。ありがたいことだ。間違えて進んでしまった道らしきルートも、よくよく見れば、倒木が行く手を塞ぐように置いてあった。ひょっとしたら、この先へ行くなというサインだったのかもしれない、とここまで戻ってきて、初めて気がついた。手遅れだが。

高川山登山
【撮影】13時56分=伊藤 幸司
私の資料にきちんとしたルートを示せていなかったのがいけないのですが、およそ30分前に大岩山頂に登りきったところに見にくい案内板があって進行右手に戻りかけるような気分で下る道があったのです。トップの人の責任ではありません。

高川山登山
【撮影】14時02分=伊藤 幸司
下った道はすぐに登りになり、三角点のある無名峰(標高736m)に登り返しました。

高川山登山
【撮影】14時06分=伊藤 幸司
なんとヤマツツジの花がありました。
『森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)』の『植物園だより』に『ヤマツツジの狂い咲き』(9月17日)という文章がありました。
【日照時間が短くなり、朝晩の気温が25度前後に下がり始めると、来春に咲く準備をしていたヤマツツジの花芽は休眠を解かれ、春が来たかと勘違いし、季節はずれの花が咲き出します。この現象を「狂い咲き」あるいは「返り咲き」といい、ヤマツツジがススキやハギ、キンモクセイの花と一緒にお目見えします。】

高川山登山
【撮影】14時07分=伊藤 幸司
足元が屏風岩らしいのです。大岩の下に見えた工場がここからも見えました。ここから見ると正面に三ッ峠山。画面右端から裾を伸ばしているのは鶴ヶ鳥屋山のようですね。

高川山登山
【撮影】14時09分=伊藤 幸司
これが屏風岩での記念写真。右にあるのは確かに鶴ヶ鳥屋山でした。この皆さんの多くは本社ヶ丸から鶴ヶ鳥屋山への、なかなか気分のいい稜線を歩いています。

高川山登山
【撮影】14時10分=稲葉 和平
急な下り。枯葉が積もっている時にはストックがないとどうにもならない。

高川山登山
【撮影】14時10分=秋田 守
大岩山から右方向へのルートを辿ると、分岐があって、屏風岩山まで行けるようだったので寄ってみることにした。上からではよく分からなかったけど、名前の通り、まっすぐに切り立った屏風状の壁になっているはず。ここにも手描きの山名標がくくりつけてあった。山麓には大岩山からも見えたゴミ処理場とその脇に広大な資材置き場、さらには立派なサッカーコート。資材置き場はひょっとしたらリニアカー工事関連施設かもしれない。

高川山登山
【撮影】14時15分=秋田 守
屏風岩山への分岐まで戻り、少し下ってまた登り返す。その先には、スマホアプリのYAMAPでは736mのピークが記されていた。そこに三角点。四等三角点である。見つけてしまったからには、敬意を表して手でタッチしておく。三角点マニアがいることは知っているが、まだ実物に会ったことはない。会って話をしたいとかいうのではないが、いつかどこかで会いそうな予感はしている。トカラ航路の船中で郵便マニア達に出会ってしまったように。

高川山登山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
いよいよ下山という感じ。赤テープが頼りというような道のように思われます。

高川山登山
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
前方に見えるように、ここは赤テープが道案内してくれるという感じでした。

高川山登山
【撮影】14時39分=秋田 守
14時半過ぎ、歩き始めてから約5時間半で初狩駅からの登山口の一つに下山した。入口にはかすかに大岩山と読める手書きの道標が付けられていた。ある程度登り慣れた人でないと、ここから大岩山、羽根子山を経て、高川山まで行くのは容易ではないかもしれない。この先、初狩駅まではとても近い。が、駅は見えても、一度線路をトンネルで潜って横切ってから回り込む必要がある。そうしている間に無情にも1本列車が出て行ってしまった。

高川山登山
【撮影】14時41分=伊藤 幸司
最後に竹やぶを抜けたら終わりでした。

高川山登山
【撮影】14時47分=伊藤 幸司
舗装路に出て初狩駅へと向かいます。左手に民宿八幡荘があって、入浴可能、かつおでん付きで利用したこともあったのですが、もうとっくに休業・廃業してしまったと思いこんでいたので、軽くのぞくだけで素通りしてしまいました。それが八幡神社の宿坊でもあったというだけにバチが当たったのかもしれませんが、私たち9人は初狩駅で長々と待たされたうえ、分裂してしまうのです。
『4travel.jp』にある黒田(温泉)という方のブログに『「高川山」登山と、「元宿坊」での日帰り入浴』というのがあって、なんとそれが2018/03/18。ここにお風呂が、あったのです。
【「高川山」(標高976m)は、大月市初狩町にあり、大月市の「秀麗富嶽12景」に選ばれています。
電車だけで行ける「駅から登山」に便利で、「初狩駅」から僅か2時間程で登れることから、最近人気上昇の山です。
「高川山」は、笹子川と桂川に挟まれていて独立峰の感があり、山頂は360度の展望が開けています。
山頂の南正面には、見事な富士山の姿が眺められます。
下山後に、近くに温泉がないことが「玉に瑕(きず)」でしたが、「元宿坊」の「参籠八幡(民宿八幡荘)」で、白湯ですが「日帰り入浴」出来ました。】
【入浴、おでん、漬物、リンゴで、1人1000円】
念のため、電話をしておけばよかった、けれど、「白湯」であの雰囲気では、糸の会のお嬢様方にはきっと一言いわれそうだと判断して、今日は高尾まで出て入浴と食事と決めていたのです。
初狩駅の駅舎がほぼ目の前というところで、14時52分の長野行きが行ってしまいました。それに乗れれば勝沼ぶどう郷まで行って天空の湯という可能性も考えていたのですが、だめでした。立川行きはすでに14時34分に出てしまって、次は15時35分。14時50分に駅について、45分という自由時間ができてしまったのです。
大月には以前「よしの湯」という銭湯があったので(女性には不人気でしたが)男性にはおおむね好評で、駅前再開発前の料亭・濱野屋の列車時刻に合わせた調理能力のおかげで、ずいぶん助かったものです。
時間に余裕があればタクシーを飛ばして真木温泉という手もあったし、富士急行線なら赤坂駅からの「ホテルスターらんど」も帰路だけでなく往路の送迎もあったりして利用させていただいたものですが、私たちにはどんどん不便になってしまいました。
それと、じつはメンバーの多くがジパング倶楽部や大人の休日倶楽部ジパングの会員。とくに千葉方面から東京を抜けて来る人には大月で3割引、でもそれだと途中下車ができないのです。加えて千葉方面の皆さんは、風呂よりも、食事よりも、大月発19時05分の千葉行き特急あずさに乗りたいのです。
初狩駅の風通しのいい駅舎ベンチで待っている間に、いろいろな時間計算が始まって、大月で濱野屋で一杯やりながら千葉行きあずさを待とうというグループと、あくまで温泉ということで高尾山口駅の極楽湯に行くグループ、そして直帰したいというグループに3分裂。人数は5:2:2。糸の会としては珍しい完全分裂になりました。

高川山登山
【撮影】15時24分=秋田 守
初狩駅はかつてスイッチバック駅であった。昭和43年複線化工事で現在の本線上の新しいホームが出来て、それ以降旅客列車はスイッチバックでなくなった。が、工事列車や貨物列車用にしばらく使われたり、測線脇の保有基地への出入のためにスイッチバック構造が残されてきたようだ。今となっては珍しい転轍機も残っている。駅舎からは一段高くなっているホームへは、数本の線路を渡り、地下道を潜ってから階段を登って、辿り着ける。

高川山登山
【撮影】15時35分=秋田 守
初狩駅のホームは寒風が吹きすさび、とても寒かった。駅舎も無人で暖房もなく寒かった。ホーム上には小さな待合室があったが、暖房が入ってる風ではなかった。駅前も寂しい景色で、コンビニの1軒すら見当たらなかった。ここまで何もないのは、却って潔いかもしれない。列車を待っていると、駅舎の向こうには陽を浴びた滝子山が見えた。コーチ達は左手から長く伸びる尾根筋を登ったことがあるようだった。山の上には筋状の雲が浮かんでいた。

高川山登山
【撮影】15時48分=秋田 守
結局、40分ほど待って高尾山方面への上り普通列車に全員乗り込んだ。温泉へ行く人は高尾山口駅の温泉へ向かう。ぼくは若井さんと大月駅前で一杯やりましょうよということに。飲み組にもう3名合流することになった。体の内側から温める組と体の外側から温まる組とに別れたのだ。一昨年にも来たことのある駅前旅館の濱野屋2階へ。ここは昼間も通し営業をしている貴重な居酒屋。他の皆さんもご存じだった。掘りごたつ席へ案内された。

高川山登山
【撮影】16時14分=秋田 守
濱野屋の居酒屋メニューは幅広い。一昨年来た時は10名以上だったので、広い宴会場のテーブル席だった。席は立派なのにメニューは完全に居酒屋だったので驚いたのを覚えている。エビ餃子600円。これは水餃子ですね。2人前注文したので、ひとり2個ずついただきました。なかなか美味しいし、体があったまるのが嬉しい。まずはともあれ生ビールで乾杯した。お一人だけ、寒いからと、いきなり熱燗でスタート。それもまた良し。さあ飲むぞ。

高川山登山
【撮影】16時55分=秋田 守
生ビールでスタートした面々も熱燗に切り替えた。酒は地元大月の地酒笹一の辛口本醸造。なかなかいい感じの味わい。何より体が温まる。皆さん結構お酒がいける口であった。おしゃべりの方も次第に盛り上がってきた。20年来参加していらっしゃる大先輩ならではの裏話もいろいろ聞かせてもらえた。コーチが同席していたら、ちょっと聞けなかったかもしれない話もあれこれと。今頃、温泉に浸かってくしゃみをしているのではないかしら。

高川山登山
【撮影】18時19分=伊藤 幸司
これは極楽湯で食後のあんみつとコーヒー。そして I 氏もほぼ同様。じいさん2人が「見る人は気持ち悪いかもね?」などといいながらデザートを楽しみました。

高川山登山
【撮影】18時26分=秋田 守
濱野屋の階段下には、大きなお札が飾ってあった。厄王山とある。大月の南、駒橋という所にある厄王大権現のことだろう。毎年4月8日には、お釈迦様の生誕を祝って春季祭典が行われるという。境内には桜の花が咲くようだ。濱野屋のこの写真の左手、すなわち1階は粋膳和ダイニング濱野屋というレストランになっているようだ。駅前旅館はどんどん消えたが、上手に時代に合わせて営業転換してきたようだ。ビジネスホテルも営業してる。

高川山登山
【撮影】18時28分=秋田 守
17時半頃の列車に乗りましょうと入店したが、店を出たのは18時半頃。すっかり長居してしまった。外へ出ると、大月駅前には素敵なイルミネーションが輝いていた。富士山と月と星と。乗り込んだのは東京行きの列車。ぼくは西国分寺駅で武蔵野線に乗り換えて新松戸まで。小林さんも一緒に武蔵野線へ。北朝霞から東武東上線に乗り換え。ぼくは高尾山方面への往き来は、いつも武蔵野線経由にしている。新宿駅の人混みに揉まれたくないので。

高川山登山
【撮影】18時29分=小林 美子
大月駅前にイルミネーションがきれいでした。



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