山旅図鑑 no.228
官ノ倉山
2019.2.7

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(no.1127)
2019.2.7
官ノ倉山
36パワー+富士山

登り7p→下り4p→街路3p→登り7p→下り7p→街路8p+富士山

*計画書には次のように書きました。……
*この冬は小さな山を多めに選んでいますが、今回はとくに「街路」の多い計画です。
*寄居町と東秩父村に挟まれた小川町北端部の、丘陵風景を見晴らす、小さいながら展望のいい山です。
*予定どおりなら、最後に標高183mの「富士山」にもちょこっと登りたいと思います。
*陽だまりハイクなら最高でしょう。
*まず不要かと思いますが、念のため軽アイゼンをお持ちください。

2月7日
・0900……東武東上線・東武竹沢を出発(標高約100m)
・0945-50……稜線手前で衣服調節休憩(標高約250m)
・0955-1010……金勝山山頂(標高264m)
・1055-1145……そば処 勝呂で昼食(標高約150m)
・1150-1215……吉田家住宅で休憩(標高約150m)
・1235……三光神社(標高約150m)
・1305-10……休憩(標高約300m)
・1315-30……官ノ倉山山頂(標高344m)
・1345……石尊山山頂(標高約〓m)
・1405……林道へ(標高約250m)
・1410-15……北向観音(標高約200m)
・1425-30……トイレ休憩(標高約200m)
・1530……小川町駅を通過(標高約100m)
・1550……富士山への登山開始(標高約100m)
・1610……富士山(標高182m)
・1625……おがわ温泉花和楽の湯(標高約100m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は5人です。
山咲 野の香、矢野 博子、稲葉 和平、藤原 由香里、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.228
官ノ倉山
2019.2.7

官ノ倉山登山
【撮影】09時16分=伊藤 幸司
東武竹沢駅にはセンスのいいシンプルな駅舎と気持ちのいいヒト用広場があって、そこで私たちは陽光を浴びながら、それぞれ、出発準備をしました。
以前は出発準備をしながら、一応準備運動のようなことをしていましたが、糸の会ではもう永いこと「準備運動」というものをしていません。最後となったのは足首周りのストレッチングだけでした。さらにその前にはバランスチェックをしやすい項目を選んで準備運動をしていました。
順序を逆にしていうと、夏の大きな山に向けて全体のレベルを上げることが主眼だった頃には、いくつかのストレッチングを組み合わせる中で、バランスを見ました。
実際にバランスの悪い人は技術的な課題を含んでいる人、というふうにピックアップしたのです。岩っぽいところで呼び寄せて、歩き方を軽く指導すると、その「指導」を見ている人たちに対しても初心に帰るというような効果を発揮する、と考えていました。
オーム真理教の頃には地面に寝て背筋を伸ばす五体投地風・宗教的雰囲気のストレッチングなんかも入れました。……なぜかというと、そういういくぶんオチャラカ系の準備運動をする中で、新顔の人たちの顔つきや反応を見るのです。「糸の会」という怪しげな組織や、聞く耳を持っていいかどうか判断しかねる伊藤幸司という人物の言うことを聞いていいかどうか、あるいは世の中の(私がしばしば批判する)一般的な登山指導者から教えられたことと比較評価している、いわゆる「要注意人物」がいたら、その人たちを見つけるのがその目的でした。そういう人がときに後ろのほうで隣の誰かに意見を言っているようなら厳重監視です。
私の言いたいことは、ときにちょっと(あるいは大きく)一般論とは違っているので、ゆっくり理解してもらうほうがいいのです。(たとえばストックの使い方にしても「あってよかった!」というような場所でないとなかなか理解されません)
そして足首周りのみのストレッチングの時代。実際にはほとんど実効を感じないのですが、しゃがみこんで足首の左右と後ろを伸ばすというおまじないは出発準備のシンボルとしては有効で、出発準備から出発へと移行する気持ちの区切りとして活用したというのが本当のところです。
ではなぜ、今はそのような「準備運動」をしないのかというと、必要を感じないのです。ほぼ毎月顔を合わせつつ100か月とか200か月の付き合いですから「人柄を見極める」というような姑息な目も必要なく、身体に関してだって「運動」などというような特別なものでないところから歩き出すので、むしろ「登山」というような構えをする必要を感じないのです。
加えて最近では私は一番うしろにいて、先頭を「10分交代」してもらうので、何もかもおまかせです。不整地としての山道を歩くことが「日常的」で「普通」なら、ゆっくり出発するだけでいいのです。からだが温まってきて服を1枚脱ぎたいな、と思うあたりで、いつもと調子の違う人がいなければ、まずは準備運動は完了ですから。

官ノ倉山登山
【撮影】09時22分=藤原 由香里
東武竹沢駅を出たところで準備を済ませ、駅をくぐって反対の道へ。すると目の前にこのような丁寧にお世話されていると思われる祠がありました。今日の登山の無事をお願いし、祠の右手方向に進みます。今日の山行において、この光景は象徴的で、今後所々に仏様を思わせる石像に出会うのでした。

官ノ倉山登山
【撮影】09時24分=伊藤 幸司
東武竹沢駅は右手に見えているホームの向こう側が改札口。センスのいいシンプルな駅舎と気持ちのいいヒト用広場があって、そこから線路をくぐる通路を抜けるとこの道に出ます。こちらから見るホームは普通のローカル駅ですから、あちら側はちょっと力が入っていたなとわかったのです。
『【彩の国景観賞】受賞作品一覧表』というPDF文書の中にありました。
【第12回・1997年・奨励賞・東武鉄道東武竹沢駅駅舎】だけでしたが。
そこで『ウィキペディア』の『東武竹沢駅』を見てみると、その理由がわかりました。
【当初は駅西側に駅舎があったが、1980年代に駅北側の国道254号沿いに「ひばりヶ丘住宅団地」の開発計画が持ち上がり、駅東口の開設、東口駅前ロータリーの設置、住宅団地への道路整備が行われたが、バブル崩壊により住宅分譲には至らなかった。住宅用地として開発されたエリアは、本田技研工業小川工場として利用されている。】
……で、昔は駅前通りだったこの道を歩き出したわけですが、この写真を選んだ理由はまったく別の視点です。私が今もなお口を酸っぱくして注意する「右側通行」がすぐに「緩んじゃう」のです。
撮影者の私は右側にいますし、もうひとり前方右側に男性がひとりいます。こんな道ですから車が来ても基本的には問題ないのですが、山の中に入って舗装された林道を歩くときなど、私は真剣にひやひやすることが多いのです。それは私が以前、全28巻の『国立公園物語』(シリーズ日本の大自然・毎日新聞社・1993〜1995)を取材したとき、レンタカーで林道をバンバン走った経験があるからです。日本の林道は未舗装でもカーブミラーが驚くほど完備されていて、信号がないので、ドライブはおのずと楽しいものになります。とくに下り、登山者のグループがいたとして、道のどちら側を歩いているかで、すれ違いや追い越しの際の緊張感は大きく違います。車を運転できる人たちが多いはずなのに、そういう運転手の心理がなかなか理解されないのです。
ちなみに林道では夜のほうがはるかに運転しやすいのです。対向車がヘッドライトの光で確実にわかるから。そんなふうに、山道にさしかかると、とたんに危険な運転手となる人がいるんです。そのことがどうしても理解されないので、超ベテランのみなさんに、繰り返し「右側通行」と叫んでしまいます。このときもけっきょく、もう少し先で……。

官ノ倉山登山
【撮影】09時28分=藤原 由香里
早速、観音様のような石像が無造作に設置されていました。台座には「二十二夜待供養」と刻まれていました。そうか、如意輪観音ですね。

官ノ倉山登山
【撮影】09時29分=稲葉 和平
金勝山一帯は埼玉県立小川げんきプラザという、プラネタリウム、研修室、レストラン、宿泊施設、そしてアウトドア実習のためのオリエンテーリングコースや、バンガローや常設テントサイトを備えた総合的な自然研修施設として整備されている。山全体に研究遊歩道が張り巡らされていて、全部歩こうとすると、結構大変なことになる。この看板にある「埼玉県立少年自然の家」という名称は現在使われていない。

官ノ倉山登山
【撮影】09時32分=稲葉 和平
どこからが金勝山なのははっきりしないけれど、看板を頼りに歩いていると歩きやすい整備された遊歩道になる。

官ノ倉山登山
【撮影】09時34分=伊藤 幸司
「里」から「山」にかかるあたりでよく見る溜池です。美しいというわけではありませんが、カエルの声が聞こえたりすると「旅情」です。いまも使われているかどうかわかりませんが。

官ノ倉山登山
【撮影】09時34分=伊藤 幸司
首都圏の日帰りの山歩きではスギの植林とのお付き合いが基本です。ここでは登り始めに気分のいい杉林と出会いました。

官ノ倉山登山
【撮影】09時37分=藤原 由香里
まずは金勝山を目指します。東登山道と言う標識を目安に左折し、林道から登山道に入ります。すると、こんな風に整えられた風景に出会います。手入れされている地元に愛されている様子がよくわかります。

官ノ倉山登山
【撮影】09時40分=藤原 由香里
山道は整備され、ここの階段も手入れされていました。低山だけあって、標識もいろいろな方向に伸びており整備されていました。とりあえず、金勝山、元気プラザ方向へ行きます。

官ノ倉山登山
【撮影】09時46分=伊藤 幸司
杉林を抜けて10分ほど歩くとこの道、自然林の中に入ります。じつはこの8分前に道は二股に分かれていて、左側に行けば杉林の谷へ、右側は右手の尾根に登っていく道になります。枯れ葉の道は滑りやすいとか、つまづきやすいとかいわれますが、都会ではゴミとされる落ち葉が山では絨毯になるんですから、私は歩くに贅沢な道だと思っています。

官ノ倉山登山
【撮影】09時46分=藤原 由香里
東武竹沢駅までは尾根コース1240m、沢コース1230mと言う表示がされていました。至れり尽くせりだなぁ。

官ノ倉山登山
【撮影】09時50分=藤原 由香里
あっと言う間に、金勝山頂です。ちょっとした急登? がありました。

官ノ倉山登山
【撮影】09時53分=伊藤 幸司
登りはじめの階段はきちんと見ます。その作り方、その年季、もちろんその傷み具合。歩きやすさはその場所ごとに境遇が違うので一律に考えることができませんが、これだけのしっかりした道は「しっかりしたルート」とほぼ同義です。作られたときの気合と、現役としての状況はわかります。

官ノ倉山登山
【撮影】09時56分=稲葉 和平
ちょっと歩いただけで標高264メートルのかわいい小さな山頂に着く。

官ノ倉山登山
【撮影】09時57分=伊藤 幸司
登山道を「谷筋の道」「斜面の道」「尾根の道」に分けるとこれが「尾根の道」の標準形。痩せれば痩せるほど岩っぽくなります。

官ノ倉山登山
【撮影】09時57分=稲葉 和平
山頂には小学生が喜びそうなテーブルとイス。テーブルの上には小鳥箱のような投函ポスト。小さな子供たちに山頂で絵葉書でも書かせるのだろう。

官ノ倉山登山
【撮影】09時58分=伊藤 幸司
これが金勝山(標高264m)山頂。陽がさして風がなく、気持ちいいので休憩時間は15分になりました。みなさん体を休めるというよりは、写真を撮るやら、おしゃべりするやらというゆったり気分。

官ノ倉山登山
【撮影】09時58分=伊藤 幸司
金勝山山頂から小川町の駅周辺を見ました。中心街にちょっとかたちに特徴のある白い高い建物(マンションふう)が見えますが、今日の最後に、もっと近くでその建物を見ることになります。

官ノ倉山登山
【撮影】10時00分=伊藤 幸司
ヤブに邪魔されてよく見えないのですが、白い大きな建物群がすぐ近くにありました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時01分=藤原 由香里
雪をかぶった赤城山が見えます。今年は積雪期に黒檜山(赤城山)にリベンジ登山で2回登りましたが、リベンジできず来年に持ち越しています。

官ノ倉山登山
【撮影】10時03分=伊藤 幸司
はっきりしていませんが、赤城山です。山麓にぼんやり見える建物群は、50万分1の地勢図によれば伊勢崎市の工場街。手前に駐車場らしきものが見えているのは、グーグルマップで調べると本田技研工業埼玉製作所の寄居完成車工場の一郭みたいです。
東武竹沢駅の改築の契機となったひばり台は駅の東口にあって、団地予定地に建ったというのは本田技研工業埼玉製作所の小川エンジン工場とのこと。
ホンダの工場一覧を見てみると埼玉製作所には狭山完成車工場、寄居完成車工場、小川エンジン工場の3つがあって、日本国内には他に鈴鹿製作所、ホンダオートボディー株式会社(四日市市)、生産企画統括部・パワートレイン生産企画統括部(栃木県高根沢町)、熊本製作所、パワープロダクツ事業本部細江船外機工場(浜松市)、トランスミッション製造部浜松工場、パワートレインユニット製造部(栃木県真岡市)だそうですから、埼玉県はホンダの四輪車の生産拠点みたいです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時05分=伊藤 幸司
これが金勝山の南側にあってお隣さんの官ノ倉山(344m)だと思います。今日はあそこに登って、小川町の駅まで歩く予定です。

官ノ倉山登山
【撮影】10時05分=藤原 由香里
ユーモアあります。どんな鳴きまねでもいいんです。ホウホウ言いながら歩きます。

官ノ倉山登山
【撮影】10時07分=稲葉 和平
木の間にはホンダの寄居工場が目立つ。でも、普段電車と徒歩だけだとその存在に気が付かない。

官ノ倉山登山
【撮影】10時11分=藤原 由香里
金勝山からの下りには立派な階段があり、その整列が美しかったなぁ。

官ノ倉山登山
【撮影】10時12分=伊藤 幸司
道は激しく下っていきます。下って登ると裏金勝山。稜線歩き、尾根歩きにはこういう小さな登り下りがあるので、予想がつきません。北アルプスの縦走になるとその標高差が軽く300mを超えたりしますが、ここの落差を1/50,000地形図で見ると20mありません。ビルの階段なら7階分程度下って、登り返すだけなんです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時13分=稲葉 和平
「裏金勝山」という立派な看板。「裏」ということは、当然反対側?には、「前金勝山」もある。

官ノ倉山登山
【撮影】10時13分=藤原 由香里
なんだかやけに標識が立派でした。

官ノ倉山登山
【撮影】10時16分=伊藤 幸司
この登り返しは裏金勝山へ、ではなくて、裏金勝山からちょっと下って、それからプラネタリウムのある小川げんきプラザへと登り返す登山道です。私なりの素人目ですが、これは登山道が破壊される前に、水切りをしっかりして新たな浸食を食い止めた好例のように見えました。道を川にしない予防措置が登山道には絶対に必要です。

官ノ倉山登山
【撮影】10時18分=伊藤 幸司
プラネタリウムの建物のところで視界が開けました。白い大きな屋根はホンダの寄居完成車工場で間違いないと思います。ではその手前、駐車場らしきスペースが写っているのはなんでしょう。オリジナル写真で調べてみると10台ほど並んでいるほぼ同じ雰囲気の大型トラックはバンタイプ。左側の何台かはその側壁を上に開いているようです。
グーグルマップで調べてみると日本梱包運輸倉庫株式会社 小川営業所と出てきました。ウェブで調べてみると運送+倉庫+梱包ということで海外事業まで展開しているようです。なんと「日本最長21mダブル連結トレーラー100台運用中」とありました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時19分=伊藤 幸司
これは日光白根山(2,578m)だと思って撮りました。右に肩を伸ばしていていいかどうかわかりませんが。

官ノ倉山登山
【撮影】10時20分=稲葉 和平
眼下に小川町、奥には笠山の特徴のある姿が見える。

官ノ倉山登山
【撮影】10時20分=山咲 野の香
金勝山、小川げんきプラザ前にて。水場+穀類、ヒマワリの種、果物、ラードと小麦の練り物! あまりのご馳走に、思わずパチリ。冬場の大サービスというところかな。

官ノ倉山登山
【撮影】10時20分=矢野 博子
2月始めなのに秩父は 思った以上に暖かかった。前日 自宅付近は 雨だったので きっと秩父方面は雪で更に今日は ”雪解けの凍結道”かもという事態を覚悟して歩き始めたが 迎えてくれたのは 朝日を受けて輝く梅の花でした。

官ノ倉山登山
【撮影】10時20分=矢野 博子
日当たりのよい場所では 例年より早く咲き始めた梅が 私たちを待っていた。桜のような派手さはないけど 春一番に咲く梅は 冬を越してきた人に もうすぐ春ですよと知らせてくれるので 皆に歓迎される得な花かもしれない。

官ノ倉山登山
【撮影】10時20分=藤原 由香里
左から今日行く石尊山、官ノ倉山、以前Yさんに連れて行ってもらった堂平山、笠山だそうです。山の名前がわかると山と仲良くなった気分ですね。

官ノ倉山登山
【撮影】10時21分=伊藤 幸司
これはよくわからないまま南側の眺めを撮ったものです。幸いこの展望の解説板があったので、確信をもちながらクローズアップしていくことができました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時21分=伊藤 幸司
これが堂平山(どうだいらさん・876m)の山頂にある天文台です。
『ウィキペディア』の『堂平山』には次のように書かれています。
【1962年(昭和37年)に東京天文台(現・国立天文台)の堂平観測所が設置されたが、2000年(平成12年)に閉鎖。その後しばらく観測施設は利用されていなかったが、2005年よりときがわ町星と緑の創造センターとして開所。直下のキャンプ場、林業体験施設と合わせて教育学習・体験交流施設として利用されている。】
考えてみたらドームの前からドームを撮っている写真です。

官ノ倉山登山
【撮影】10時21分=伊藤 幸司
左側に堂平山の天文台が見えますが、すると右のピークは笠山(標高837m)です。でも標高876mの堂平山のほうが低く見えます。私は水平感覚に自信がないので、すぐにカメラが傾いていたかもしれないと考えてしまいます。じつは私のカメラには水平表示機能があるのですが「小さすぎてよく見えない!」という欠点があるんです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時21分=藤原 由香里
これから行く山です。官ノ倉山は木がちょぼちょぼとして愛嬌があるようです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時22分=伊藤 幸司
堂平山〜笠山は大霧山を合わせて「比企三山」というのですが、そのうんと手前にあるのが官ノ倉山(右側、標高344m)と石尊山(左側、340m)です。ところが、1/50,000地形図には官ノ倉山(標高344m)としかありません。そのあたりのことはあそこに行って調べてみることになると思います、けれど。

官ノ倉山登山
【撮影】10時22分=伊藤 幸司
もう一度カメラを引きました。毎年4月に東武鉄道が主催して2018年に33回を迎えた外秩父七峰縦走ハイキング大会の最初の山が官ノ倉山、そして2つ目が笠山、3つ目が堂平山ですから笠山の陰に隠れて見えない4つ目の剣ヶ峰まで加えると42kmのほぼ前半がこの写真の範囲なのです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時23分=矢野 博子
梅の花の香を嗅ぎに近づくと またパチリ。うーん 良い香り。暖かい初春の日差しに梅はほころぶ。

官ノ倉山登山
【撮影】10時25分=伊藤 幸司
小川げんきプラザのプラネタリウムのところから、また下ります。道はよく踏まれていて、しかもいくつもの分岐点をそなえていますから、目的地が決まっている場合には道標をきちんと見ていかなければいけません。里山の人気のハイキングコースでは、地元の毎日登山や毎週登山の人たちの眼を基準にルート案内をしていることがあって、そういう山では道標を見てもその地名が遠来の登山者には確認できないという例も多くなります。
糸の会では先頭が10分毎に交代しますから、そのへんの不安は強くあります。私は必要以上に道標をきちんと見ていくことにしなければ、と思います。埼玉県人の稲葉さんは通常ひとりで歩いているので、このあたりでもよく道をはずすのだそうです。どの道をたどっても下るのには問題ないので、半分はみずから知らない道を楽しんでいるのだと思います。

官ノ倉山登山
【撮影】10時27分=藤原 由香里
元気プラザからの下りで突然梅がひょっこり出現するのです。「あれーうめだぁ」と急にうれしくなるのです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時27分=藤原 由香里
梅の木が個体差はあるものの並んで花を咲かせています。

官ノ倉山登山
【撮影】10時28分=稲葉 和平
予期せぬところに梅林が広がっていた。3分咲き? 程度かも知れないが、気分のいい梅林だ。

官ノ倉山登山
【撮影】10時28分=稲葉 和平
梅の花を楽しみながら、陽だまりハイク。

官ノ倉山登山
【撮影】10時28分=山咲 野の香
後方の近代的建物は小川げんきプラザの天文台。下りかけた日だまりに、思いがけず白梅が待っていました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時28分=山咲 野の香
この程度のチラホラでも、ぽかぽか陽気の中、芳香は隠せません。皆から歓声があがりました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時29分=伊藤 幸司
道が斜面を回り込みながら下るトラバースに入ったところで、ウメの花が咲いていました。正面に見えているのが金勝山(たぶん裏金勝山)だと思います。

官ノ倉山登山
【撮影】10時29分=稲葉 和平
「げんきプラザ」の研修・宿泊施設の建物のわきを通り抜けてきた時には分からなかったが、梅林の奥に施設の屋上のプラネタリウムの立派なドームが見える。

官ノ倉山登山
【撮影】10時29分=藤原 由香里
ポップコーンのようですね。

官ノ倉山登山
【撮影】10時29分=藤原 由香里
梅の木と元気プラザのドームが一緒に入ったので、一緒に撮りました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時30分=伊藤 幸司
白梅はまだ枝先に蕾を残していました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時30分=伊藤 幸司
光線の具合によっては梅の花はかなり賑やかな雰囲気に見えました。でも正直なところ、梅園の梅の花は華やかですが、1本だけ咲いている梅はどちらかというと控えめ。私などは、あれ、梅かもね、というあたりが精一杯。いつまでたっても遠くから一発で「梅だ!」と叫べません。梅固有の特徴がまだわかっていないのです。
でも、じつは私は妻の仕事の手伝いで、以前住んでいた杉並の家の大家さん宅の梅の木の剪定を担当しているのです。真上にビュンビュン伸びていく枝を切って、梅の実を取りやすい高さに仕立てるという程度の仕事ですけれど。

官ノ倉山登山
【撮影】10時30分=伊藤 幸司
梅の木があった斜面は畑として整備されている(いた?)ようで、みかんの木もありました。みかんもここでは柑橘類といっておいたほうがいいのでしょうか、固有名詞はわかりません。

官ノ倉山登山
【撮影】10時30分=藤原 由香里
今回思ったのは、梅はそれぞれバラバラの方向を向いて咲いていて、正面から撮ると雄しべの優雅さがわからないし、横から撮ると雄しべが激しいし。うまく撮れないな〜と言うことです。
官ノ倉山登山
【撮影】10時31分=伊藤 幸司
振り返る感じで見上げると小川げんきプラザのプラネタリウムがありました。埼玉県立のこの施設案内は部外者には不親切で、総論、つまり何なのか、がよくわかりません。
そこで「施設・イベント運営者」向けの全国ネットらしい『いこーよ── 子どもとお出かけ情報サイト「いこーよ」は親子の成長、夢の育みを応援します!』で見てみました。
【埼玉県立小川げんきプラザの施設紹介
自然豊かな金勝山での各種体験やプラネタリムを楽しめる宿泊型の社会教育施設です。
小川げんきプラザは、埼玉県比企郡小川町の北西部にあり、金勝山の山頂を中心に約43万㎡の敷地がございます。金勝山は標高263mですが、山頂等での眺望は素晴らしく、西は浅間山から谷川連峰、赤城山、日光連山、そして東は筑波山まで臨むことができます。敷地内には、縦横に遊歩道が整備されており、各種オリエンテーリングなどを楽しむこともできます。野外施設としては、バンガローや常設テント、キャンプファイア場に野外炊事場等がございます。敷地の中心にある本館には、プラネタリウム館や宿泊施設等があり、子どもから大人まで幅広く楽しめます。】
そこで改めて本家のホームページでプラネタリウムの内容を見てみると、2019.3.1付の『プラネタリウム一般公開の投影内容について(3/2〜)』に次のようなプログラムが紹介されていました。
【いつも本所のプラネタリウム館をご利用いただきまして、ありがとうございます。3月2日(土)以降のプラネタリウム一般公開の投影内容は、以下の通りとなります。
[午前10:30〜] 春の星座解説、まほうつかいリリィ、時空の旅
[午後 2:00〜] 春の星座解説、星夜の幻灯会、国際宇宙ステーションからの眺め
※予約は不要ですが、入館前に受付をお願いします。投影の30分前から受付開始です。】
最近のプラネタリウムを知らない私としては「まほうつかいリリィ」がひっかかりました。『五藤光学研究所 配給作品』で『簡易全天投映機、バーチャリウム』という投影システムだそうですから、プラネタリウム専用の作品なんですね。
『投影番組紹介』も一覧してしまいたくなりました。
【■銀河鉄道の夜
宮沢賢治不朽の名作「銀河鉄道の夜」を、デジタルファインアーティストのKAGAYA氏が、原作を徹底考察し、プラネタリウムで鮮明に再現した番組です。映像化困難といわれた「銀河鉄道の夜」の世界が、ドームいっぱいに広がる銀河のパノラマ風景となってあらわれます。本当に幻想世界へと旅立っているかのような時間を、透明感あふれるサウンドとともに味わっていただきます。(投影時間約40分)
■まほうつかいリリィ
星座って何?誰が作ったの?いつからあるの?
リリィは魔法使い学校の1年生。星座の勉強をするため、魔法を使ってずっと昔の遠い国へ出発します。そこで、羊使いのウルや犬のカカとともだちになり星座のことをたくさん教えてもらいます。もっとたくさんの星座を見たくなったリリィ。魔法を使ったところまではよかったのですが……。
■星夜の幻灯会
四郎とかんこは歳の近い兄と妹。冬のある日、森へ遊びに行った二人は、キツネの紺三郎と出会い幻灯会に誘われます。幻灯会ではスクリーンに次々と美しい映像が映し出され、二人には団子も振舞われました。キツネが差し出す団子に戸惑った二人でしたが、食べてみるとそれはそれはおいしい団子だったのです。幻灯会で楽しく過ごした二人。迷いそうになりながら帰る道の先には出迎えの灯が優しくゆれているのでした。
■ふと気になる宇宙
ふと…はっきりした理由や意識もないままに事が起こるさま。思いがけず。不意に。ふっと。ふと…、思ったことはありませんか?どこからが宇宙? 宇宙人って本当にいるのだろうか? 宇宙の大きさって?私たちは様々な情報に埋もれてしまい、一瞬感じたこともすぐに忘れてしまいます。今日は、いつもは素通りしてしまう宇宙の話題について、少しだけゆっくりと考えてみましょう。
■春の星座解説
北斗七星からアルクトゥールス、スピカと北から南に続く春の大曲線を目印に星座探しが始まります。カラス座とうみへび座とコップ座を見つけた後は、「カラスはなぜ真っ黒になったのか?」そのわけがわかる星座物語で解説します。
■夏の星座解説
「光の帯」天の川からスタートします。南の空に燃えるように輝くアンタレス(さそり座)、天の川(ミルキーウェイ)をすくうためのミルクディッパー、いて座を見ます。へびつかい座を見つけた後は、七夕にまつわる織り姫と彦星の物語を解説します。
■秋の星座解説
夜空にひときわ目立って輝く、「南のうお座のフォーマルハウト」から始まります。次に、星空をたどる目印となる秋の四辺形「ペガスス座」を見つけます。続いて「やぎ座の物語」を見ます。さらに北極星の見つけ方やカシオペア座を解説していきます。
■冬の星座解説
星を結んで星座を探し、星の地図を描いていきます。始めに冬空の王者「オリオン座」を探します。そこから全天で1番目に明るい「シリウス」を見つけます。そして、シリウスの近くのプロキオンを探して「冬の大三角」を完成させます。
■時空の旅
Dr.コーンたちは『バーチャグローブ』を使って宇宙旅行の旅にでかけます。しかし、好奇心旺盛なぴーたんのいたずらでマシンは暴走し、加速が止まりません。太陽系を超え、やがて銀河の姿を見ることに・・・。幼児向けの楽しい番組です。】
……とか。

官ノ倉山登山
【撮影】10時32分=伊藤 幸司
梅があり、みかんがあった斜面です。

官ノ倉山登山
【撮影】10時44分=伊藤 幸司
小川げんきプラザから下り切るとそこにあったのはJR八高線の線路。とりあえず向こう側に渡って、あくまでも官ノ倉山へダイレクトに接近しようという計画です。

官ノ倉山登山
【撮影】10時45分=藤原 由香里
普通に道端に咲いていた花です。こんな花が咲き始めています。

官ノ倉山登山
【撮影】10時46分=矢野 博子
最初の小さな山を登頂し 次の山に向かう途中に現れたお蕎麦屋さん。
11:30開店に合わせるようにそこで皆で 早めの昼食を取った。私は 鴨なんばんを注文。小さなお惣菜3品ついて¥800とかなりリーズナブル。そして 勿論 美味しいお蕎麦だった。しかし そこで 話題になったのは 蕎麦の味でなく 何故かそこのトイレ事情。私は 詳細は 分からず仕舞いでした。

官ノ倉山登山
【撮影】10時46分=藤原 由香里
神棚みたいな飾りをされた祠でしょうか。紙の飾りが真っ白で綺麗と言うことは、大切にされている証だと思います。

官ノ倉山登山
【撮影】10時47分=藤原 由香里
普通の住宅と小川? を隔てる塀に出口が開けられ、階段が備えられていました。川で選択でもないだろうし、何をするのでしょうか?

官ノ倉山登山
【撮影】10時50分=藤原 由香里
烏瓜が枯れ木に絡まっているだけなのですが、赤い実がまるでランタンの様にしゃれた雰囲気をもたらしていたのです。

官ノ倉山登山
【撮影】10時53分=伊藤 幸司
計画書の地図では里道を三光神社に向かうとしかわかりませんでしたが、その道にはいるとすぐ「手打ちそば」の看板やら、幟やらがあって「やってるみたい」という感触。小腹が減って時間もよし、ひと山終わって区切りもよしということで、立ち寄ることになりました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時53分=藤原 由香里
ホトケノザが沢山咲いていました。以前は雑草というくくりの植物だったのですが、糸の会に参加してから、春を感じる植物というくくりに変化しました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時54分=稲葉 和平
そば屋のわきに現役かと思われる立派な井戸。大体は形だけだが、これほど生活感を維持しているのはめずらしい。

官ノ倉山登山
【撮影】10時55分=藤原 由香里
お蕎麦屋さんに立ち寄りました。

官ノ倉山登山
【撮影】10時58分=稲葉 和平
手打ちそばというだけあって蕎麦の味はなかなか。でもついつい「鴨汁」の文字につられてしまった。値段から考えても「もり」か「ざる」にしておくべきだった。

官ノ倉山登山
【撮影】11時26分=伊藤 幸司
そば処勝呂の勝呂(すぐろ)は地名ですね。私はもりそば大盛り、皆さんはおおかた鴨汁そば。
『なんちゃって蕎麦の会──埼玉県北部を中心とした蕎麦屋を食べ歩き』に『そば処「勝呂」』がありました。
【小川町が地元の会員Mチェさんが以前から気になっていた蕎麦屋という事で出かけました。
 そこは昔からの大きな農家の一角を使って営まれているお蕎麦屋さんです。門構えといい、母屋の大きさといい、かなりの農家だったようです。その屋敷の門に続く長屋(長屋門)を店としています。
 そんな店の前の駐車場に車を止めようとした時、Mチェさんが中から出てきた人と親しく話し始めました。なんとそのそば処「勝呂(すぐろ)」の家主さんである、この屋敷の御主人がMチェさんの学生時代の先輩だったのです。まったくの偶然です。同じ町なのでそんな事もあるのですね。
 さて、本題に入ります。
 そば処「勝呂」の店内はまずテーブル席があり、奥に座敷があります。こじんまりとした、洒落た店です。二十数人でいっぱいになるようです。そんな小さな店ですから、蕎麦も一日30食だそうです。2時ごろには殆んど売り切れるそうです。
 私は例のごとくもりそば。一枚では少ないので、もりそばの特盛りを頼みました。これはもりそばが2枚です。相変わらず品の無い頼み方ですみません。
 まず一枚目が運ばれました。これがちょうど「もりそば」です。写真にあるように簾を引いた洒落た器にもられ、前には前菜風の付け出しがついていました。どことなく女性好みの感じです。そういえば、いっぱいの店内は女性客の方が多かったようです。女性客に好かれる店ははやると言いますからね。
 蕎麦は綺麗にそろった細い麺です。それほど濃い色ではなく、田舎と更科で表現すると、やや更科よりの上品な麺です。これも女性好みでしょうか。食べてみます。しこしことした心地よい麺です。それほど蕎麦臭くはありませんが、よい粉を使っていると思います。ツナギの小麦の味もなく素敵な麺でした。かなりこだわりのある方が作っているのだろうと想像できます。
 汁は辛口。といっても濃くはありません。甘みが少ないという事です。切れがいいという事です。一つ残念なのは味ではなく、はじめから蕎麦猪口に汁が入れられている事です。
 蕎麦猪口にはじめから汁を入れられていると、あまり汁を浸けない私のような人間には最後の蕎麦湯を入れる時、どんなに山盛りに入れても飲むのに濃すぎます。しょうがないので別の器をお借りして、それに余分な汁を移してから初めて蕎麦湯を注ぐことになります。今回もそうでした。オーナーさん、蕎麦猪口にはじめから汁を入れておかないでください。お願いです。
 お値段ですが、もりそば600円。私の食べた特盛りは900円。まるっきりもりそば2枚ですから、これはお得です。 
 一つ注文も付けましたが、里山の雰囲気のある場所や店の雰囲気も含め、私の中ではかなり上位に来る美味しい蕎麦屋さんでした。】

官ノ倉山登山
【撮影】11時26分=伊藤 幸司
これがそば処勝呂の鴨汁そばの食べ始めの状態です。なんと800円です。その値段だけで全員幸せになりました。官ノ倉山への再出発が幸せな気分になりました。

官ノ倉山登山
【撮影】11時31分=伊藤 幸司
私が狂喜したのはこの水洗便器。こんな色のもの自体が初めてで、操作ボタンのあたりを見ると輸入品かとも疑うほどでした。
もちろん(用を足して、完全に現役だと確認してからですが)型番をチェックしました。「ウォッシュレットGIII TCF421」
この型番で検索すると出てきました。
たとえば『ウィキペディア』の『ウォッシュレット』ではまず目に入ってくる便器がまさにこのかたち。色はクリームですけれど。
その年表で「GIII」シリーズが1985年に始まったとわかります。
【1964年 - 東洋陶器(現・TOTO)が、米国から温水洗浄便座「ウォッシュエアシート」を輸入、販売を開始
1969年 - 「ウォッシュエアシート」を国産化
1980年
2月 - 商標「ウォシュレット」を商標登録出願する
6月 - 初代ウォシュレット(G、S)を発売
1982年 - 「おしりだって洗ってほしい」のキャッチコピーを使ったCMが話題に
1983年
7月 - ウォシュレットGII、SIIを発売 セルフクリーニング(ノズル洗浄)機能(GII)、水量調節(SII)
11月 - ビデ機能追加(ウォシュレットGII)
1984年3月 - 商標「ウォシュレット」が登録となる
1985年4月 - ウォシュレットGIII、SIIIを発売 カラーバリエーションの追加、乾燥機能の追加(SIII)】

オリジナルが米国製品だったということ「おしりだって洗ってほしい」がもう35年以上前だったということにちょっと驚きました。
トイレはアメリカの田舎で子供のおまるみたいなシンプルなものを体験して不思議だったのですが、そのとき、小はどうしたらいいのだろうかという疑問です。いつだったか登山家の大蔵喜福さんから笑い話ふうに聞いたのですが、アメリカで「大と小が同時に出るかどうか」賭けたことがあったそうです。それからするとオリエンタル・トイレや金隠しのある和風便座は大と小の同時対応型ですよね。
それから足の長い欧米人の便はおおよそ硬くてポチャンと水に沈むのに対して、胴長の草食人種の便は柔らかくて水に浮くことさえあるという食生活に由来するらしいことは海外の旅でよく経験しました。それは尻の拭き方にも大きく関わってくるように思われます。加えて日本人には痔が多いので、じつは私もウォッシュレットがいわば医療機器になっています。
この便座に大騒ぎして多くの皆さんに見てもらいましたが(それなりに)共感してくれたのは男性の I さんだけでした。

官ノ倉山登山
【撮影】11時42分=稲葉 和平
お昼前だというのに常連と思しきお客が二人、地元でも評判のそば屋なのだろう。

官ノ倉山登山
【撮影】11時45分=矢野 博子
梅の花びらは 5弁が多いのかもしれないけど この八重の梅は 一輪でも存在感があり お見事。

官ノ倉山登山
【撮影】11時46分=稲葉 和平
蕎麦屋の前の小屋を覗いたら、周囲とはちょっと異質な、なかなかセンスのいい焼き物がさりげなく展示されていた。

官ノ倉山登山
【撮影】11時47分=伊藤 幸司
そば処「勝呂」の前はかなり広い畑です。道筋にスイセンがありましたが、開花期はいちおう3〜4月
『山野草を育てるNori&Wako──山野草の育て方、植物図鑑、庭造り』に『ニホンズイセン(日本水仙)、キブサスイセン(黄房水仙)の育て方』には次のようにかかれていました。
【和名 ニホンズイセン(日本水仙)
学名…Narcissus tazetta var. chinensis
科名・属名…ヒガンバナ科 スイセン属
分布…原産地は地中海沿岸で、日本へは中国から伝来したと思われ、本州の関東地方以西、四国、九州の海岸に野生化している
花期…12〜4月
特徴…古くから日本で親しまれてきた房咲きスイセン。地域によって12月〜2月に開花。芳香があり、日本に野生化していてなじみ深い水仙です。
観賞用として栽培され、高さ20〜40㎝。
葉は晩秋にのびだし、粉白を帯びた緑色で、葉の中心〜高さ20〜40cmの花茎をのばし、芳香のある花を5〜7個横向きに開く。花被片はわずかにクリーム色を帯びた白色で、平開します。
のどの部分にある副花冠は黄色で高杯。花径3〜4cm。
伊豆、紀州、越前岬などに群落を作って咲いていると聞きます。】

官ノ倉山登山
【撮影】11時47分=山咲 野の香
今年、初お目見え。大好きなオオイヌノフグリ。絨毯状の見事さは言うに及ばずだが、こんな風に落ち葉の間からのポツポツ顔も、奥ゆかしい早春の趣。

官ノ倉山登山
【撮影】11時47分=矢野 博子
少し回り道をして 重要文化財の吉田家住宅に立ち寄った。私たちが到着する少し前には 小学生が 社会科の課外授業で ここを訪れていて 賑やかな声が行きかっていたが 其の後は私たちだけで静かだった。立派な柱と屋根が印象的な建物で カフェとしての店も兼ねているようでした。

官ノ倉山登山
【撮影】11時48分=伊藤 幸司
今私が住んでいるのは東京都も郊外の郊外ですが、こういう「春景色」はもうありません。いいですねぇ、でも風が吹くと、ちょっと……。そんな感じもありつつ撮っています。

官ノ倉山登山
【撮影】11時50分=伊藤 幸司
蕎麦屋を出たところで白梅を見ました。加えて背後の若々しい竹林。ビシッと決まった風景ではないけれど、なんかすごく嬉しい風景でした。

官ノ倉山登山
【撮影】11時52分=山咲 野の香
上から順。鮮やかにほころぶ紅梅。右端の枝には梅の精?

官ノ倉山登山
【撮影】11時53分=伊藤 幸司
そばを食べたおかげで完全に旅気分。「吉田家住宅」というのも見てみようという流れに。その入口にあたる駐車場脇にかなり賑やかな紅梅がありました。
特別な梅の木だとは思えませんでしたが、なんでしょう、みんながカメラを向けたくなる魅力。いざ花を撮ろうとするとなかなかやっかいなことになるんですけれど。

官ノ倉山登山
【撮影】11時53分=伊藤 幸司
私の定石では、まずアップ。花ひとつをどう撮ったらいいか、というのがカメラマンの攻めどころだと思うのですが、私はしません。ほとんど歩きながらのスナップショットですから、手近なところで顔つきのいい花を見つけて、それにレンズをギリギリ近づけて撮る、だけです。まともなカメラマンならここが勝負どころだと思うので、糸の会の列の中ではイライラが募るだろうということはわかります。

官ノ倉山登山
【撮影】11時53分=山咲 野の香
古来の花見が梅であっとのもうなずけます。色の少ない景色の中、早春の喜びが凝縮されたような紅色です。渋い枝に大小の蕾がリズミカルに乗ってます。

官ノ倉山登山
【撮影】11時53分=藤原 由香里
吉田家住宅のそばに観光バスが止まれる敷地があり、その傍らに咲いていた赤い梅です。

官ノ倉山登山
【撮影】11時54分=伊藤 幸司
ロング、アップ、つぎは「ポートレイト」という視野で探してみるのですが、ここではけっこうモタモタしました。
(……じつはこのキャプションは、たまたまのことですが4月1日に書いています。つまり新しい元号が「令和」と決まった、その1日のことが、まるでエイプリールフールの仕掛けのようにテレビで非日常的、克明に語られ続けている最中です)「令和」は『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序文からとられたとのこと。「初春の令月(れいげつ)、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。」から「令月」と「風和」をとってきたとか。さらに「初春の令月」は漢詩の「帰田賦」に由来するとか。……私にはほとんどチンプンカンプンですが、そういう文学的造詣の深い人には、この写真も違って見えるのではないかと想像します。問題は私がそういう人物だったら、この梅にどんなふうに接近していくかということでしょう。

官ノ倉山登山
【撮影】11時55分=矢野 博子
いろりでは 自家製のお団子を各自醤油をつけながら焼いていただくという これまたのんびりした時が流れました。

官ノ倉山登山
【撮影】11時56分=伊藤 幸司
これが「吉田家住宅」です。
『小川町』のホームページに『国指定重要文化財 吉田家住宅』がありました。
【吉田家住宅は、享保6年(1721)に建築された、実年代のわかる県内最古の民家です。平成元年(1988)に国の重要文化財建造物に指定されました。建物の規模は、桁行21.8メートル、梁間10.5メートルを測ります。
茅葺、入母屋造りの大きな民家で、間取りは「三間広間型」と呼ばれる奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。板間にはいろりが切られ、土間の中央やや北側に大きな一口のかまどがあります。南側の大戸脇には風呂場があり、北側には流しが造られています。
土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘り込みがあり、ここに馬もしくは牛が飼われていました。南側には腰窓があり、ある時期には紙を漉いていました。南側から西側にかけて縁側が巡り、北西部には便所があります。座敷の上には2階が造られています。
昭和59年(1984)の調査で柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。
長い年月が経過したことで、建物の傷みが著しかったことから、平成8年度から3か年かけて、国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。また、同時に初期消火設備や自火報知器の設置工事などの防災施設事業、西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行われました。】

官ノ倉山登山
【撮影】11時56分=稲葉 和平
吉田家住宅の大きな囲炉裏。火が焚かれていると、どうしても近づいてみたくなる。

官ノ倉山登山
【撮影】11時58分=伊藤 幸司
『吉田家住宅』のホームページに『囲炉裏を囲んでくつろげる場所』という説明がありました。
【吉田家住宅は、家にあがってくつろげる数少ない国指定重要文化財です。火の入った囲炉裏を囲み、だんごを焼きながら、かっぽ酒を飲む。イベント会場、パーティー会場としても利用できる。
日本の歴史と伝統をゆっくりと五感で感じてください。】

官ノ倉山登山
【撮影】11時58分=伊藤 幸司
上を見たら、こんな具合。この屋根の維持のためにも囲炉裏を炊き続けるような使い方が好ましいのだと想像できます。

官ノ倉山登山
【撮影】12時00分=伊藤 幸司
囲炉裏ではお団子を自分で焼いて楽しめます。
『吉田家住宅』のホームページには『囲炉裏を囲んで食事もできます』という解説もあります。
【自然に囲まれた環境にある吉田家住宅は、教室・会議・接待場所等として、座敷(10畳または12畳半)・板間(囲炉裏有)を活用いただけます。
ご予算に応じて、別途料理も対応できます。
「地粉で作った 自家製うどん」
「炭火で焼いた 田舎だんご」
「ほのかな竹の香りと 甘みがある燗酒」
他にも…
自家製みそを使用した みそでんがく、釜で炊き上げた赤飯、山菜おこわ(イベント時)、飲み物(各種)等といった軽食をご用意しています。
建物が山間にあるため、騒音の心配もほとんどなく、また、囲炉裏に火を入れる事もでき、生活感をもたせた撮影も可能です。
*ご利用する際は、利用する2週間前に吉田家住宅までお問い合わせください。
<過去の撮影>
* はじめての味(三田 ひろ子 主演)
* 遥かなる手紙(黒木 瞳 主演)】

官ノ倉山登山
【撮影】12時00分=稲葉 和平
焼き団子。自分で焼いて、右に映っている太い竹筒のような容器のしょうゆにつけて、食べる。蕎麦を食べたばかりだったが、焼き団子も素朴でおいしかった。

官ノ倉山登山
【撮影】12時02分=矢野 博子
吉田家の外形。藁葺き屋根のなだらかな線がとてもきれいです。この保存は さぞかし大変なことでしょうが いつまでも残して欲しい。

官ノ倉山登山
【撮影】10時02分=藤原 由香里
吉田家住宅の中で囲炉裏を囲みながらお団子を焼いて食べています。Nさんが手にしている茶色いものの中にお醤油が入っていてお団子をその中に入れ、味をつけて焼きます。付けすぎると見かけによらずしょっぱくなります。

官ノ倉山登山
【撮影】12時09分=藤原 由香里
吉田家住宅の外観です。屋根はかやぶきなのですが、これを鳥が巣作りのために引き抜いてしまうそうです。それを防ぐために、鳥が近づけないように糸を張っているとのことでした。

官ノ倉山登山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
もうひと山、それもメインの山がこれからだというのに、完全な脱力休憩になりました。

官ノ倉山登山
【撮影】12時10分=山咲 野の香
埼玉県最古の民家、国の重要文化財、築300年の吉田家住宅にて、だんごを食す。自分で焼き網上であぶり、手前の竹筒に入った醤油をつけ、頂戴しました。米粉のシンプルな味わいに、びわ茶、美味しく頂きました。
炉端には景気よく炎が上がり、適度な煙と、茅葺き家屋の醍醐味が垣間見えました、。泊まりたい!
オール電化の家に住んで25年。懐かしい火を見たついでに申しますと、私の積年の憧れのひとつは、タキビスト。
あー、最後に本格な焚き火をしたのは、悲しいことに20年近く前。最近、「デフォルメ・モード・ネットワーク」と名づけられた脳内の働きが注目されているらしいのですが、焚き火を囲みボーとしていることの価値が、再認識されていると私は解釈しています。やたらにできなくなった焚き火。たかが焚き火、されど焚き火。したいです!

官ノ倉山登山
【撮影】12時11分=伊藤 幸司
帰り際に念のため正面左手から。

官ノ倉山登山
【撮影】12時11分=伊藤 幸司
念のため正面右手からも。とくに意図してのことではありませんが、細かく撮るようにしていると、キャプションづけのために改めて見直したときに、妙なことに気づいたり、Web情報を探していて、新しいことを教えられたりしますから、すくなくとも「全体像」はいろいろ撮っておくほうがいいのです。

官ノ倉山登山
【撮影】12時11分=稲葉 和平
吉田家住宅の案内のお嬢さんから、この角度から撮るのが入母屋造りが一番よく分かる、と教えてくれた。このかやぶき屋根の茅は、カラスが巣の材料として抜き取るのを防ぐため、20センチほど上に細いステンレスの針金を張り巡らせてあるという。江戸時代中期の民家で県内最古の建物。国の重要文化財に指定されている。

官ノ倉山登山
【撮影】12時11分=藤原 由香里
吉田家住宅の中です。

官ノ倉山登山
【撮影】12時12分=山咲 野の香
美しい茅葺き、吉田家住宅。左上の陰りは、よくやる間違い、私の指です。

官ノ倉山登山
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
吉田住宅の敷地を出たところでこれに気づきました。枝を削って花を咲かせたようなものですが、魔除けのたぐいだと思いました。どこかで見たような記憶もあるので、かえって調べればすぐに分かると思いました。
ところが悪戦苦闘。『JAちちぶ』のホームページに『養蚕農家の伝統行事「小正月飾り作り」』というのがありました。
【小正月飾りのうち、「十六花(じゅうろくばな)」に使う「ニワトコ」の枝は、1年で長く伸びることで縁起が良いとされます。節間約16箇所を薄く削り、花に見立て、玄関や神棚などに飾ります。16という数字には、蚕の脚が16本あることからともいわれています。】
長瀞はお隣さんみたいなところですが、これは花が3か所ですから違うように思われます。こういうものを「削り花」というらしいのですが、画像検索していくと削り節(花かつを)が出てきてしまいます。
そうとういろいろ探し回った結果、外見が似ているのはアイヌのイナウ(木弊)、とくに「逆さ削りの木弊」(チェホロカケッ)として出ていた写真が似ていました。……けっきょく確定はできませんでしたが。

官ノ倉山登山
【撮影】12時18分=伊藤 幸司
帰りがけにまたあの紅梅を撮りましたが、こんどはあまり力が入っていなくて、背景との関係みたいに、いわばどうでもいいところに神経がいっています。こうなるとモデルの良し悪しがそのまま出てきます。

官ノ倉山登山
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
里道をたどって官ノ倉山の登り口に向かうと、目標は三光神社。道は舗装路で、1時間も歩かされたら気持ちがバテてしまいます。山歩きの計画では林道や里道は1時間以内に収めるようにしないと計画としては不評を買います。しかもダラダラ歩くと足を痛める人が出ます。
平地で長距離を歩くのに対して、山道を歩くのは、じつは体にも気持ちにも優しいのだと思います。「不整地」で「登り下り」があるということを「力」ではなく「しなやかさ」で対応するという考え方が重要なんだと思っています。

官ノ倉山登山
【撮影】12時26分=矢野 博子
ロウバイは12月から2月にかけて咲くという。 半透明でツヤのある黄色の花びらをやや下に向けて咲くこの花には 青空が一番似合う。良い香りがした。

官ノ倉山登山
【撮影】12時27分=伊藤 幸司
突如、カラスウリが出てきました。なんで? ここだけに? という感じで。
以前、カラスウリの種をとって「金運の大黒様」としてみんなで分け合ったことがありました。(効果があったかどうかわかりませんが)
けっこういろいろなところで見かけるのに、ほとんど役に立たないらしいのですが、「カラスウリは鳥も食わない」という定説に真っ向から挑戦したレポートがあったので読んでみました。
『ざざむし』の『鳥も食わないカラスウリをなんとかしてみたかった』です。
【この時期になると赤い実が目立つようになる。
そんな中でも、最後まで何に食われるでもなく腐って地に落ちる実がある。
そのひとつがカラスウリ。】
気持ちはわかります。気になります。
【という訳で25個用意したので試してみよう。
これが美味しく食べられるようになるならば、鳥も虫も食わないんだから気兼ねなく楽しめるじゃないか。
とりあえず、渋柿と同じアルコールでタンニン不溶化する方法が通用するのか。
アルコールを振りかけて袋で密封して2日。
開けてみたが、見た目には全く変化がない。
味は・・・・味も殆ど変化なし。
甘味はあるが、後からじんわりと苦味が来る。
香りは爽やかでも華やかでもない、なんとも中途半端でどちらかといえば不快で、食用不可な果実の果皮に共通したような青臭い臭気。
部位ごとに調べてみると、種周りは比較的苦味が弱く食べられないこともないが、皮についている薄い果肉は恐ろしく苦い。
苦味の少なめな種部分だけを使ってみよう。
簡単に取り出せるので粗目のザルに取り出し、少し酒を振りかけて
混ぜ混ぜ ゴリゴリ グチャグチャ すると、下に果汁が溜まる。
見た目には美味しそうな色に見えるが、青臭いというかなんというか。】
【果汁はこのままだと青臭いし、多少の苦味はあるし、どうしたらいいものか。
調べてみても苦味って、流してしまうとか何かで誤魔化すとか以外に根本的な対策ってあまり無いのね。
ひとまず、甘味追加ついでにハチミツ入れてタンニンと鉄分が結合するのに期待してみようか。
そんな流れで、軽く煮詰めてみることに。
高濃度なジャムみたいな状態になってれば何かに使えるだろ。
果汁を煮ているのに茗荷餅が腐ったような異臭がする。
煮詰まってきたのでちょっと味見。
ぇ゛あ゛ぁ゛っ゛ぺ
なんだこれ
苦さがセンブリ茶レベルになってるんだが
単純に苦さ濃縮してどうすんだよこれ・・・
しかし作ってしまったからにはちゃんと食べてみる。
焼いたパンに塗って サクッ モシャッ ま゛ っ す゛ い゛ ぃ゛ ぃ゛ ぃ゛
マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ
タースーケーテーぇぇぇぇぇ!!!!!
っっぷ
苦味も苦味だけど、この舌が痺れるの何なんだよ!
喉が受け付けないこの感覚はサルミアッキがお子ちゃまに感じるレベル。
強烈な苦味と舌にビリビリ来る刺激に加え、鼻腔に残ったでかいヘチマの皮と藤の実を混ぜたような酷臭いニオイが追い討ちをかけ、食道が痙攣して吐き気を催す。
久々にノーマークなものからバケモノを作り出してしまった。
これは高濃度のままプリンにしてロシアンマンゴープリンにするくらいしか使い道がなさそうだ。
トモダチを無くす(物理)かもしれないから要注意だぞ!
ごめん。
種は元の場所に撒いてくるから、あとは捨てさせてください。
さすがに無理。
(パンは付けてない所だけスタッフが美味しくいただきました)
追伸
その後4時間以上吐き気が収まらず朦朧としておりました。
いつ見ても食指が伸びなかった忌避本能が間違ってなかったなと再確認。
たったあれだけしか飲み込んでないのに、いつまでもあのニオイが離れない。
おそらく苦味成分の問題児はククルビタシンであろうということです。
感じは確かにキュウリのヘタの苦味を1000倍くらいにしたような感じでしたがw
めでたく? 嫌いなものが増えました。
母上様、バカな息子でごめんなさい。】
このレポートのおかげで、赤い実は、なんだか世の中を拒絶しつつ生を全うしようとしている……ように見えてきました。できれば「私はカラスウリになりたい」のかも。

官ノ倉山登山
【撮影】12時29分=藤原 由香里
空は快晴。飛行機雲がすっきりと美しい。

官ノ倉山登山
【撮影】12時31分=伊藤 幸司
冬枯れの林ですが、なんだか不自然な自然みたいに感じます。人間にいいように利用された結果のこの「純林」「純粋培養」なんじゃないかと感じました。昔なら薪炭林といったところかもしれませんが。

官ノ倉山登山
【撮影】12時32分=伊藤 幸司
手前は畑なのか、ただの草っぱらなのか、背後の林はどんな役に立っているものなのか。
民俗学者・宮本常一先生との東アフリカふたり旅では、バスの窓から、バイクの後部座席から、こんな「ふつー」の風景を見続けておられた。その夜の宿での「見たもの語り」を精一杯書き留めた記録が『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』(岩波現代文庫・2001年)に収録されていますが、ケニアの紅茶畑で、日本流の一番茶、二番茶、三番茶という常識がどうにも通用せず、一年中茶摘みしていると知ったときの先生の驚きなど思い出します。私の「旅の目」はいつまで経っても成長の兆しなしです。

官ノ倉山登山
【撮影】12時33分=伊藤 幸司
これが官ノ倉山の登山口の目印としてきた三光(さんこう)神社。1/25,000地形図には「宮ノ入」という地名(小字名、すなわち昔の村名)がありますが、門前の説明書きには「所在地 比企郡小川町大字木部(きべ)」と書かれていました。新しい地形図では大字(旧村名、地形図では「地区名」)と字(さらに小さい古い村名)の記述がどうもグズグズになってきたらしいのでここでは「宮ノ入」という地名が出てこないか、いろいろ探してしまいました。
『神社ぐだぐだ参拝録──データベースの役には立ちません。と言うか基本的に日記。』に『三光神社(小川町木部)』がありました。
その最初には神社前の解説板の写真があり、その文章も書き起こされていました。
【『三光神社
 所在地 比企郡小川町大字木部
 三光神社は、建久年間(1190〜)奥州大河兼任の乱に際して活躍し、その後も武蔵荘園の武士として鎌倉幕府の基礎となってきた、児玉党(武蔵七党の一つ)の一族竹沢氏の子孫が建立したと伝えられている。
 江戸時代までは、妙見社といわれ北辰妙見大菩薩を祀っていたが、明治初年の神仏分離により、日・月・星を祀る三光神社と改称している。
 古くは、うろこぶきの神明造りの神殿であったが、明治二年に再建された。また、本堂上屋並びに拝殿は、昭和二十六年に建てられたものである。
昭和五十九年三月』】
続いて(「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」より抜粋)という文章があります。孫引きは避けたいところですが、ごめんなさい。
【『社伝によると、当社の創建は児玉党の竹沢氏の子孫により行われたという。竹沢氏は大字靱負を本拠とした中世の豪族で、正平十三年(1358)に竹沢右京亮が足利基氏と謀って新田義興を矢口の渡しで謀殺したことで知られている。
 一方、同じく妙見社(現身形神社)を鎮守とする東秩父村安戸には「妙見様は三姉妹で、長女は小川町木部の三光神社、次女は安戸の身形神社、三女は秩父神社である」との伝承が残されている。この伝えは、妙見信仰の系譜を物語るものとして重要である。秩父地方の妙見信仰は、秩父神社を中心として盛んで、俗に妙見七社といわれ、秩父神社の分社を郡境の交通の要所七か所に祀り、攘災の守り神とした。そのうちの一社が東秩父村安戸の妙見社である。当社の境内に接して走る道は安戸方面に抜ける古い道筋で、安戸から更に粥新田峠・定峰峠を経て秩父に至っており、この道を伝って妙見信仰が当地に伝播したことは想像に難くない。
 「風土記稿」には「妙見社 村の鎮守なり、村持」とある。
 当社は神仏分離により三光神社に改称した。その社号は「明細帳」に見える大日孁貴命・月夜見命・国常立尊の三柱の祭神にちなんでいる。しかし今も氏子からは妙見様の通称で呼ばれることが多い。
(中略)
 末社に手長男神社・聖天社・稲荷神社がある。手長男社は、天保八年(1837)に神主相馬播磨藤原知祇により勧請された。火防の神といわれ、十二月十日の祭事に配られる神札を家の台所に貼る。聖天社は、氏子の根岸銀蔵家(既に絶家)の氏神であったと伝え、当社の春祭り(四月第一日曜日)に合わせて祭事を行っている。稲荷社は当社の例祭に合わせて祭りを行っている』】
【元が妙見社であるなら、神仏判然令後は天之御中主神を御祭神としていても良さそうな気がするのだが、どういった理由で大日孁貴命・月夜見命・国常立尊の三柱になったのだろう。まぁ、身形神社の御祭神は多紀理毘売命・市杵島姫命・湍津姫命のいわゆる宗像三女神だそうだから更にわからないのだけど。】

官ノ倉山登山
【撮影】12時33分=矢野 博子
水ぬるむという雰囲気たっぷりの池。春が近いことを感じるが 傍に林立する杉の花粉もそろそろ活動開始かもしれない。

官ノ倉山登山
【撮影】12時33分=藤原 由香里
三光神社。日・月・星を祀っています。元をたどれば太陽ですね。 

官ノ倉山登山
【撮影】12時34分=山咲 野の香
青空に黄色のコントラストが眩しかった…満開をやや過ぎたか、春一番のりのロウバイ。

官ノ倉山登山
【撮影】12時34分=藤原 由香里
梅は梅でも蝋梅は紅白の梅とは異なり透けるような花びらが第1の魅力です。雄しべのモジャモジャもなくて写真の収まりがよいのも第2の魅力です。そして写真には写りませんが、香りがとてもよいのも第3の魅力です。

官ノ倉山登山
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
三光神社の境内だと思いますが、ロウバイがありました。今日は花にあまり恵まれていないので、特筆すべき存在となりました。
『ウィキペディア』の『ロウバイ』を見てみました。
【ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅〔カラウメ〕、Chimonanthus praecox)は、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する中国原産の落葉樹である。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く。果実は痩果で一見すると種子に見え、花床が発達した壺状の偽果に数個〜10個程度見られる。ロウバイ属には他に5種があり、いずれも中国に産する。なお、ウメは寒い時期に開花し、香りが強く、花柄が短く花が枝にまとまってつくといった類似点があるが、バラ目バラ科に属しており系統的には遠縁である。】
NHK出版の『みんなの趣味の園芸』で『ロウバイ』を見ると次のように書かれていました。
【ロウバイはまるでロウ細工のような黄色い花を咲かせる、中国原産の落葉低木です。開花期以外はあまり目立ちませんが、新春に香り高い花を咲かせる貴重な存在です。中国では、ウメ、スイセン、ツバキとともに、「雪中の四花」として尊ばれています。江戸時代初期に日本へ渡来し、ほかの花木に先駆けて咲く香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として利用されてきました。】

官ノ倉山登山
【撮影】12時35分=藤原 由香里
見たとき、うひょーと笑ってしまいました。小学生へのメッセージでしょうか。なんの誘惑なのでしょう? 大人の方が誘惑に負けているような気がしますが。

官ノ倉山登山
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
ダイコン畑の春景色……だと思って撮ったのですが、ダイコンはそう単純な野菜ではないということを帰ってから知りました。
『ダイコン栽培.com』に『春、夏、秋冬大根の特徴と食味』という解説がありました。
【ダイコンは季節によって「春大根」や「夏大根」というように、
呼び名が変わることがあります。
どれも同じダイコンではあるものの、実は違った特徴を持っています。
夏大根や春大根、秋冬大根の特徴と味わいをご紹介します。
ダイコンは冬が旬というイメージが強いですが、実はスーパーなどでは1年中店頭に並んでいる野菜の1つです。
地域によって栽培時期を変えることができるということもありますが、実は季節によって栽培される主な品種が異なるのです。
ダイコンには多くの品種があり、季節に合った品種が栽培されています。
おおまかに分けると、春大根・夏大根・秋冬大根の3つがあります。
育てられる品種や季節によって、味や食感が異なるので、適した調理法も異なります。
今年はぜひ、季節にあったダイコン料理を楽しんでみてください。
●春大根
春大根は、冬の始め頃に種まきをして、冬を越えて春に収穫するダイコンです。
寒い冬の間、煮物などで大活躍するダイコンですが、ある一定の時期を越えると、煮物にしてもいつものおいしさが出にくくなることがあります。
それは寒さが緩んで、温かい煮物が恋しくなくなったからではなく、ダイコンの種類が変わったのかもしれません。
3月頃から出回るようになる春大根は、煮物などの煮込み料理より、生食に向くダイコンへと性質が変わります。
そのため、煮物にするよりも、漬物やサラダ、大根おろしにする方が、おいしく食べることができます。
冬に出回るダイコンに比べると、辛みが強いのが特徴です。
・主な品種──二年子・時無し・若春
●夏大根
春に種を播いて育て、夏に収穫するダイコンです。
春大根と良く似ていますが、春大根よりもさらに辛味が増し、硬さも加わります。
硬いといっても、繊維が強すぎるということではありません。
水分がないわけではないのですが、肉質がよく締まり、コリっとした食感が加わるようになります。
春大根と同じように、サラダや大根おろしにするとおいしいですが、さらに炒め物にも使えるのが夏大根の特徴です。
厚めに切って下茹でした夏大根の表面を、焼き色がつくまでじっくりと焼き、大根ステーキにするのも美味でお勧めです。
炒め物やステーキにする時は、焼き始めてすぐに塩を加えて味付すると、水分が出てきてびしょびしょになるので、火が通って焼き目がついてから味付けするのがポイントです。
・主な品種──美濃早生系
●秋冬大根
秋から冬にかけて収穫できるダイコンを、秋大根や冬大根と呼びます。
人によっては、秋冬大根とまとめて呼ぶこともあります。
秋冬大根の特徴は、なんといっても煮物に向く品種が多いことです。
繊維が柔らかく、かつ煮崩れしにくい性質があり、たっぷりと水分を含んでいます。
年間を通して、ダイコンが一番みずみずしく、柔らかく感じるタイプではないでしょうか。
中心まで火を通した秋冬大根は、煮汁の味を吸い込み、口に含むとじゅわっと水分が広がります。
おでんやふろふき、田楽など、煮込んで作る料理に最も合うダイコンです。
・主な品種──練馬丸尻・宮重系】

官ノ倉山登山
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
もうすこし日が経つと、道端に春の野草が溢れ出るんでしょうね。

官ノ倉山登山
【撮影】12時40分=伊藤 幸司
三光神社を中心にした集落が終わると池がありました。灌漑用水なんでしょうね。
『新潟県中越地震による農業用ダム・ため池の緊急現地調査について』というpdf文書の『参考資料』が2ページだけ突然出てきました。
それによると【農業用ため池は、灌漑用水の不足を補うため古来より築造され、その数は全国で21万ヶ所に達する。】とのことですから、この池も、その21万のひとつかもしれません。
ちなみにこの文書、URLの「http://www.naro.affrc.go.jp/」を開いてみると「農研機構」といい【この分野における我が国最大の研究機関であり、職員数約3,300名(正職員のみ)、年間予算約640億円(平成30年度当初予算)。全国各地に研究拠点を配置して研究活動を行っています。
当機構は1893年(明治26年)に設立された農商務省農事試験場にその起源があります。農林水産省の試験研究機関の時代を経て、2001年(平成13年)に独立行政法人として発足しました。以後、数回の統合を経て2016年(平成28年)に現在の「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構」となりました。】とのこと。

官ノ倉山登山
【撮影】12時40分=稲葉 和平
天王池。以前に見た時より水の色がきれいになっている。これならちょっと休むのに東屋があってもおかしくない。

官ノ倉山登山
【撮影】12時40分=藤原 由香里
官ノ倉山が池に映っています。元気プラザから見えたちょぼちょぼの木が水面に映っています。

官ノ倉山登山
【撮影】12時42分=山咲 野の香
官の倉山登山口、いつになくキレイに見えた天王沼。鯉もいたし、逆さ杉。あら、花粉たっぷり!

官ノ倉山登山
【撮影】12時43分=伊藤 幸司
この池は1/25,000地形図にちゃんと載っているんです。そして「天王池」という名札がありました。
「まさか」と思いつつ「小川町 天王池」と検索したら、出てきました。出てきちゃいました。
『水辺遍路──実踏・日本の湖沼 7,100湖』というすごいブログに『天王池(埼玉県小川)』がありました。
写真主体のレポートなので文章は簡単ですが……
【手すき和紙の里としてハイカーへのアピールが成功しているのか、リュックを背負って歩いている中高年があちこちに見られた。天王池もコースの中に取り込まれており、あずまやや遊歩道もある。三光神社の下には公衆トイレも。
どうやら天王池はハイカーたちの知る人ぞ知るお弁当スポットになっているようだった。錦鯉がのんびり泳いでいた。】

官ノ倉山登山
【撮影】12時47分=藤原 由香里
さあ、いよいよ官ノ倉山に登ります。日差しが木漏れ日となってキラキラするのです。

官ノ倉山登山
【撮影】12時50分=伊藤 幸司
冬枯れの中の赤い実。ちょうどここに日がさして、見逃せないものとなっていました。

官ノ倉山登山
【撮影】12時50分=藤原 由香里
可愛らしい実が冬の山道をキラキラと飾ります。

官ノ倉山登山
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
この実、帰ってから調べてみたのですが、数時間かけて、結局わかりませんでいた。実のつき方はソヨゴに似ているのですが、ソヨゴは常緑。落葉樹で丸裸になった状態としてはイイギリに似ていますが、あちらは見事なぶどう顔。名前を聞いたら「あっ!」と思うものかもしれませんが。

官ノ倉山登山
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
登山道を登り始めると、たちまち深い森という雰囲気。下草をいっぱい生やしたスギの植林地ということなんでしょうが、こういう山道、私はきらいではありません。

官ノ倉山登山
【撮影】12時54分=伊藤 幸司
時々見て、そのたびにドキッとするシダ……だと思っているのですが、毎回同じものなのか、違う名前のものなのかわかりません。今回は最近使い慣れてきたグーグルの画像検索ならその素性を明らかにできるかもしれないと思って、写真を撮っておきました。
当然「シダ」から入って、この精巧な作りの葉っぱを見た目で探したのですが、ベニシダとかリョウメンシダという名前が出てきたところで、行き止まり。さらに角度を変えて再トライすると、トキワシノブ、キヨタキシノブ、ミヤマワラビ、ヌリワラビなんていう名前が出てきましたが、詳しく見たら違うという感じのものばかり。
ところが突然「パラパライ」という名前が浮上したのです。早速「パラパライ」で調べてみました。
『musbic』というサイトに『ハワイの神々に捧げられた神聖なシダ、Palapalai(パラパライ)』がありました。『musbic』というのは『知りたい 集まりたい 習いたい 必要なもの ABOUT US』という見出しを掲げているサイトです。
【パラパライは、ハワイ固有のシダの一種で、ハワイ諸島の全ての島で見ることができます。日本語名を「イシカグマ」と言います。
パラパライは、フラダンスの女神ラカへの捧げものだったとも、火の女神ペレの妹、女神ヒイアカが身につけていたものとも伝えられています。ハワイの人たちにとって、とても大切な植物のひとつなのです。
パラパライは、湿度の高い、陰の多い場所で見ることができます。とても香りが良くて、柔らかい葉が特徴です。
「パライ」には、ハワイ語で「恥ずかしくてうつむく」といった意味もあるそうです。
シダは日陰にひっそりと生息しているから、そんな意味の名前がついたのかもしれませんね。
あるときは嵐や火山の噴火のように激しく、またあるときは雨上がりの虹や霧のように優しく・・・さまざまな表情を見せるハワイの自然。
古代ハワイの人たちにとって、自然は神聖な存在でした。あたりまえのように、自然に神を感じ、信仰するようになっていったのだと考えられています。
彼らは、神殿に植物を供えて神々に捧げました。植物もまた神聖なものでしたので、儀式で使用する花や葉を摘む前には、神々に祈りを捧げて許しを請いました。儀式の後も、感謝の祈りを捧げて、海や川に沈めるなど、自然に戻していたそうです。
今でもフラダンサーたちは、頭や手首、足首などにパラパライを編んだレイを着けて身を飾ります。
パラパライはなかなか手に入らないので、葉の形がよく似ているレザーファンで代用することが多いですね。
レザーファンは、その名「レザー」の通り、しっかりした葉なんですよ! フラワーアレンジメントなどでも、よく使われます。
ハワイの人たちの自然との関わり方って、学ぶべきことが多いなって思います。私たちも、美しい花や植物を通して、自然や文化を大切にする心を伝え残していきたいですね。
ムスビックは美しい自然や文化の伝承を応援します!
※ フラ(hula)は、ハワイの伝統的な歌・踊り・音楽がミックスした総合的な芸術で、宗教的な儀式でもあります。
※ ハワイの伝統芸能フラ(hula)には、「ダンス」という意味が含まれています。そのため、フラ(hula)と呼ばれる事も多いのですが、「フラダンス」の方が一般的です。このサイトでは「フラダンス」と表記させていただいております。】
あきらかにプロの文章です。
そして写真は、まさにこれに近い質感、精緻感をもったシダです。
【日本語名を「イシカグマ」と言います。】
とあるので、パラパライで検索し直すと、『Anuhea──ハワイの花・植物・野鳥図鑑』というサイトに『パラパイ(パライ)』がありました。
【分布……ヒマラヤ、スリランカ、東南アジア、日本、ポリネシアに自然分布する。ハワイでは主要6島すべてで見られ、標高1,770mまでの森に自生する。湿潤で陰が多い場所を好む。ハワイ火山国立公園内(Hawaiʻi Volcanoes National Park)の水気の多い場所などで見つけやすい。
特徴……葉は羽状複葉。明るい緑色で柔らかい。葉身全体は三角形。通常、葉は長さ100cm、幅30cmくらい。小葉の形は多様だが、茎側の縁は比較的真っ直ぐで、反対側の縁は小さな丸い切れ込みが多数入っている。
葉には1〜2mmの毛が生えていることが多い。種小名のstrigosaは、「髭のような短い毛」という意味であり、葉に生えている毛に由来する。毛の量は様々で、毛が特に濃いものとそうでないものが、それぞれ下記の変種に分類される。】
【フモトシダ属……パラパライが属するフモトシダ属(Microlepia)は約50種からなり、日本、ニュージーランド、マダガスカル、アフリカ、熱帯アメリカなどに分布する。ハワイには本種を含めた2種の在来種があり、それら2種の交配種も確認されている。】
結局これがイシカグマとはちょっと違うようですし、同属のフモトシダともいくらか違うように思われて名前の確定には至っていません。……が、私がこのシダの表情に惹かれるのは、ハワイの人々が愛するパラパライと似た精緻さに目がとまってしまうということはわかりました。エヘン!

官ノ倉山登山
【撮影】13時04分=藤原 由香里
山頂直下の広がりです。ここまでで、ひと汗かきますから皆さん水分補給です。

官ノ倉山登山
【撮影】13時09分=藤原 由香里
山頂までの急登です。がんばって登ります。

官ノ倉山登山
【撮影】13時12分=伊藤 幸司
今日の本命の山への本格的な登りになりました。天王池のところが標高約150m、山頂が標高344mですから標高差約200mの登りです。

官ノ倉山登山
【撮影】13時15分=伊藤 幸司
官ノ倉山山頂からの写真です……が、たぶん、確信がないのですが、東武竹沢駅の改築に関係した本田技研工業埼玉製作所の小川エンジン工場だと思います。

官ノ倉山登山
【撮影】13時15分=藤原 由香里
山頂からの眺めです。こんな広がりも見えます。

官ノ倉山登山
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
尖ったところが笠山、その左奥にあるのが旧国立天文台堂平観測所のある堂平山。

官ノ倉山登山
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
笠山と堂平山のズームアップ。堂平山に丸ポチ状態の天文台が見えます。

官ノ倉山登山
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
堂平山山頂の天文台。現在は地元「ときがわ町」の「星と緑の創造センター」となっていて観測ドーム内の客室は素泊まりで5名まで13,390円+施設利用料1,000円/1名とか。ログハウスやら、モンゴルテントやらバンガロウやら、全てエアコンと寝具完備とか。

官ノ倉山登山
【撮影】13時17分=稲葉 和平
小川町の駅周辺からは笠山が良く目立つ。

官ノ倉山登山
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
官ノ倉山山頂の標識には「標高344.7m」となっていますから地形図表記では「345m」となるべきところ、現在でも「344m」となっています。

官ノ倉山登山
【撮影】13時23分=伊藤 幸司
およそ2時間前に通過した小川げんきプラザのプラネタリウム・ドームが見えています。あそこからこの山越しに笠山と堂平山を撮りました。

官ノ倉山登山
【撮影】13時23分=伊藤 幸司
小川げんきプラザから手前の右下がりの斜面を下って、谷道を歩くと人家に出ました。その手前は見えませんが、JR八高線の線路を渡って、そばを食べ、吉田住宅でお団子を食べ、この山に登ってきました。

官ノ倉山登山
【撮影】13時31分=藤原 由香里
ここで栄養補給します。

官ノ倉山登山
【撮影】13時34分=藤原 由香里
官ノ倉山から石尊山への下りは結構急でした。

官ノ倉山登山
【撮影】13時35分=伊藤 幸司
けっこうな下りですが、ほとんど同じだけ登り返します。

官ノ倉山登山
【撮影】13時35分=稲葉 和平
奥武蔵の山は杉やヒノキの植林が多く、殺風景なのがちょっと残念。

官ノ倉山登山
【撮影】13時35分=藤原 由香里
下から見上げても急ですね。

官ノ倉山登山
【撮影】13時36分=矢野 博子
今回 最後に登る予定の”フジヤマ”きれいなシェイプをしている。流石 フジヤマだけある。残念ながら 私は登頂できなかった。

官ノ倉山登山
【撮影】13時42分=稲葉 和平
石尊山からは関東平野が眼前に広がる。天気が良ければ筑波山がよく見える。

官ノ倉山登山
【撮影】13時42分=稲葉 和平
スカイツリーも見えるはずなのだけれど、残念。

官ノ倉山登山
【撮影】13時42分=藤原 由香里
石尊山山頂には祠が二つあって一つは石で囲われていました。官ノ倉山よりも神様がいるような山頂でした。

官ノ倉山登山
【撮影】13時44分=伊藤 幸司
あっという間に登りついたのが双耳峰の石尊山。標識には「344.2m」と出ています。1/25,000地形図に記載されている山名を18,000調べ上げた労作『日本山名総覧』(竹内正・白山書房・199年)には石尊山が11出ていますが、この山は名前も標高も出ていません。官ノ倉山の244.7mもそうですが。この石尊山の244.2mという数字も、どういう調査によるものでしょうか。1/25,000地形図の最新版でも「官ノ倉山・344m」という記述以外はありません。
こちらの無名峰についた石尊山という名はけっこういろいろなところにありますが、とりたてて「立派な山」という感じでないことが多いように思ってきました。
『石尊山』で検索してみると、突然『補足説明―数ある石尊山と石尊信仰の広まり』というのがでてきました。どういうサイトかわからないので『www5f.biglobe.ne.jp/~sy-baba』を開いてみると『電撃! 激坂調査隊が行く(群馬の峠道を自転車で走った。激坂調査隊のヒルクライム日記)』とか。
なぜ石尊山なのかという疑問には冒頭にいろいろ書かれていました。
【「激坂調査隊が行く」へようこそ。
このサイトは、激坂調査隊の日々の活動を報告するものです。
当隊は、激坂を求めてあちこちの坂道や峠を巡っています。
そうした自転車による坂道紀行を主に掲載しています。
坂道を登りながら見たり、感じたりしたことを思うままにつづってみました。
他に、古い峠道の探索や歴史の道巡り、石仏観察、山歩きなども行っています。それらの記録も合わせて報告いたします。】
……で石尊山について。
【●1 石尊信仰とは?
① 大山阿夫利神社を中心とした山岳信仰
 石尊信仰とは、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)を中心とする山岳信仰のこと。現在の阿夫利神社は明治の神仏分離令によって新たに建てられた神社である。古くは大山(丹沢山地の南東部の山。標高1251メートル。厚木市、伊勢原市、秦野市にまたがる)山頂の石尊大権現と山腹にあった大山寺が信仰の中心であった。
 石尊の名前の由来は山頂の岩石による。山の頂の岩に神々が降りると信じられていたため、石尊の名がついたとされる。ここでいう神々とは、大山が雨降山(あふりやま)と呼ばれていることからも分るように、農耕の神、雨乞いの神である。
② 大山講による信仰の広まり
 大山寺は関東各地に講社を持ち、相模の山岳信仰の中心的な存在であった。講社とは、地方の村々に作られた講組織の支部のようなもの。ここでいう講とは「宗教上の目的を達成するために信仰を同じくするものが集まった集団」(『日本宗教事典』 弘文堂 1985年)のことである。
 講組織による信仰の広まりは、有名寺社を中心に、その寺社から遠くはなれた各地域にも及んでいた。講社の代表者が各組織の構成員を代表して信仰の中心となる寺社に参拝する代参講というのが広く行われた。代参講は山岳系の寺社に多いのが特徴である。
③ 大山詣の流行と石尊宮の勧請
 江戸時代には関東全域から大山に登拝(大山詣―おおやまもうで)する人々が集まり、かなりのにぎわいをみせた。江戸中後期になると、こうした信仰は遊興的な性格が強まる。現代の観光旅行やレジャーのような感じだろうか。「有名寺社の境内や門前町には多様な遊興の施設が存在し、こうした参詣は宗教的なものであると同時に世俗的な、観光的あるいは娯楽的性格」(『日本史小百科 神道』伊藤聡、遠藤潤他著 東京堂出版 2002年)を帯びるようになった。
 また、各地の村に石尊宮が勧請(かんじょう―仏教の言葉で仏を祀ってあるところか別のところへ迎えて祀ること)された。そのため、関東には石尊山という名前の山が数多くある。足利の石尊山もそのうちのひとつである。
●2 高山彦九郎の日記『小股行』にみる石尊山のにぎわい
① 『小股行』に書かれた足利石尊山の様子
 江戸期の石尊信仰の広まりや足利の石尊山のにぎわいについては、高山彦九郎の日記『小股行』の記述からもうかがい知ることができる。『小股行』は彦九郎が1779(安永8)年の7月7日に小俣の鶏足寺(けいそくじ)と石尊山を参拝した際に書き残した日記である。
 石尊山の山頂の様子を描写するなかで、相模の大山と比較しながら筆を進めている箇所がある。「(石尊山は)山半より岩多し、山の背少し平らなる所に半鐘をかく、参詣の人ミな是を打ツ、相州大山の來光谷に擬すとそ覚ゆ」「石尊山よく相州大山に似山も易からす」などとある。これらから彦九郎が以前に相模の大山に足を運んでいたことはもちろん、足利の石尊山が相模の大山を元にした社であることなどが分る。
 また、「たきの上に不動堂新たに建、近年参詣多き故と覚へし」や「上野田(村の名)入口に旗を立ツ石尊の神社の為なり、猶北に行、中妻村ここにはた立、参詣の人絡繹(らくえき―人馬などの往来が連なり続く)たり」と書かれていることから足利の石尊山のにぎわいの様子が読み取れる。
② 足利石尊山はいつ頃からにぎわうようになったか?
 さらに石尊山のにぎわいについて古老から説明を受ける箇所がある。彦九郎は、古老に石尊山が参拝の人であふれるようになったいきさつを問う。古老は山頂に石尊宮を祀って以来、人が多く集まるようになったと答えている。そのくだりを以下に引用すると「石尊参詣群聚の来由小股の事を老人に問、老人くはしく語り云、三十年以前かなふけの幸右衛門といふもの石尊祠を山上に勧請せしより年々人信をまし今かくなれり」となる。「かなふけ」というのは石尊山近くの小地名のようである。
 彦九郎の『小股行』に登場する古老の話が史実として正しければ、日記に30年前とあることから、石尊山に石宮が置かれたのは1749(寛延2)年頃ということになる。石尊山という名は大山の石尊祠を勧請したためにつけられた名前だろうから、石尊山の山名の歴史は意外に新しい。石尊祠が置かれる前は鶏足寺に付属する山だったらしい。
●3 石尊山の伝説
① 石尊山は鳴動山と呼ばれていた?
 足利の石尊山は「石尊山」と呼ばれる以前は「鳴動山」または「鳴山(なるやま)」と呼ばれていたようだ。以下は『足利の伝説』に収録されている伝承である。
 今からおよそ1500年ほど前のこと。それまで無名の山だった現在の石尊山の上空に5色の雲がかかり、雷鳴とともに豪雨が降り出した。山は轟音とともに揺れ動いた。この雷雨と山の鳴動は一週間ほど続いた。8日目の朝、村人たちが山を見上げると、山頂にこれまでなかった大きな岩が出現していた。
 この岩は後に釈迦岩と呼ばれるようになる。村人たちはこの岩への信仰を深め、山は「鳴動山」あるいは「鳴山」呼ばれるようになった、という話である。
●4 関東地方には石尊山がたくさんある
① 石尊山という名前の山を探してみる
 次に関東各地に石尊山という名の山が数多く存在する点についてみてみよう。三省堂の『日本山名事典』や他の山名・地名の資料を参考に各地の石尊山を拾い出してみる。まとめると表1のようになる。表1をもとにそれぞれの石尊山の位置を地図上に示したのが図1である。
 上の表に示した石尊山は、なにも関東甲信地方に限定したわけではない。全国にある山の中から石尊山を拾い出してまとめると、表1のようになるのである。逆にいえば、石尊山という山名の山は関東甲信地方にしかない。
(ただし、これらの山は、地形図に山名が表記されている山、あるいは登山のガイドブックなどで紹介されいる山である。地図やガイドブックに載っていない石尊山なら関東甲信地方以外にもあるかもしれない。)
 また、地形図に表記されていないが、各地域で石尊山と呼ばれている山は他にも多数あることだろう。すぐに思いつくものだけでも太田・桐生周辺でふたつある。 桐生市川内町に仁田山城という中世の山城跡がある。この城跡のある丘陵のピークを地元の人は石尊山と呼んでいる。 太田市の北部、八王子丘陵の東端にある唐沢山も石尊山と呼ばれることがあるようである。地元の山歩きグループの方が設置した道標に「唐沢山(石尊山)」と書かれている。
 『日本山岳ルーツ大事典』の石尊山の項に「(石尊山は)石神(しゃくじん)ともいい、石を神体として祀った社をもつ山」と書かれているように、山の上に巨石やその代わりの石宮がある山を単に石尊山と呼ぶこともあるようである。これは、もともとは石尊信仰から始まったものが広く浸透するにつれ、しだいに拡大解釈されて、山頂にただ巨石や石の祠があるだけの山を石尊山と呼ぶようになったという事情もあるのだろう。このため、表1に示した全ての山が相模大山の石尊の信仰から派生した山であるとも言い切れない。
② 石尊山は北関東に多く、そのほとんどは低山である
 表1と図1を見て気づくのは以下の2点である。
石尊山は関東全域に分布し、特に北関東(茨城、栃木、群馬の3県が目立つ)に多い。
石尊山は標高350〜700メートル前後の低山が多い。
 ①から石尊信仰が関東全域に広まっていたことが分る。石尊山が関東地方の周縁部に多いのは、関東の中心部は平野で、石尊祠を祀るような適当な山がないという地理的な条件によるところが大きいように思う。そのかわりに石尊の文字を刻んだ石碑や石尊という名の神社は関東から信濃にかけて多くあるという。
 ②の標高については、一番低い埼玉県小川町の石尊山で340メートル、一番高い浅間の石尊山で1668メートルである。表1の12座のうち半分の6座が400メートルから600メートルの間に収まっている。参考までに12座の標高の平均を計算すると、636メートルになる。
③ 石尊山に低山が多いのはなぜか?
 ②の理由を推測してみると以下のようになる。相模大山の石尊大権現はもともと農耕の神、雨乞いの神である。よって、水田や畑の多い地方の、集落のすぐ近くにある岩山に石尊祠が多く勧請されたのではないか? 人里を見守るかのようにそびえる山が石尊祠を祀る山としてふさわしかったのである。
 地域の人々の信仰を集めていたわけだから、その地域の人々による神事や祭事もとり行われたことだろう。足利の石尊山の場合は、梵天祭りが行われてきた。梵天祭りとは8月14日の早朝、地元の若者たちがスギの丸太を石尊山山頂へ担ぎ上げ、丸太の先に梵天(修験道で祈祷に用いる幣束)をつけて立ち上げるという祭事である。里と山頂との標高差が大きいとこうした行事や日々の登拝が大変である。急峻で険阻な道を何時間もかけて登るような山では、修験者たちの修行ならともかく、普通の村人たちが日常的に信仰の対象とするような山には適さない。
 参拝するのにそれほど労力を必要としない程度の山(目安とすれば、1時間くらいで山頂まで登れる山か)で、なおかつ神々が降りそうなそこそこの高度と信仰にふさわしい雰囲気のある山が石尊山に選ばれたのだ。これらの山々は平野部の近くにあって集落から仰ぎ見ることのできる山である。こうした条件を満たす山となると、結果的に標高350〜700メートル前後の低山が多くなるというわけだ。】
この解説、参考文献も出ていて労作だとわかります。

官ノ倉山登山
【撮影】13時44分=山咲 野の香
石尊山山頂から、行く手の富士山に見当をつけて撮ってはみたけれど…ハズレでした。背後の三角形の山ではなかった。

官ノ倉山登山
【撮影】13時46分=伊藤 幸司
また下りです。官ノ倉山からの下りと同様のもの。

官ノ倉山登山
【撮影】13時47分=伊藤 幸司
ここまで尾根を下ると、先頭の人の先から右側へ斜面を下ることになります。

官ノ倉山登山
【撮影】13時50分=伊藤 幸司
いちおうクサリ場になっています。そのまま下れる、ストックがあるから下れる、クサリを使わないと下れない、という3段階で自分の力量をきちんと見ておくのにいい降りです。私はこういうところできちんと見るのが役目だと思っていますし、よほど危険を感じたらその人をストップさせて、そこまで行って安全を守りたいと考えています。全体的にレベルの高い岩場であれば、ダブルストックが安全度を高めてくれますが、それ以前に、リーダーが「安全」を判断できる目印としてストックの使い方を見ています。ときにその人の心理状態まで感じられますから。

官ノ倉山登山
【撮影】13時52分=伊藤 幸司
後ろの2人はストックを出していません。ここは自力で下れると見ているわけです。落ち葉で足を滑らせる危険がありますから、その注意だけしておきます。

官ノ倉山登山
【撮影】13時52分=稲葉 和平
官ノ倉山は5回ほど来たことがあるが、クサリ場があることなど全く記憶になかった。枯葉が積もっていなければ必要のない程度のクサリということだろう。

官ノ倉山登山
【撮影】13時52分=藤原 由香里
石尊山からの下りは急なところがあり、鎖場となっていました。

官ノ倉山登山
【撮影】13時54分=藤原 由香里
整然と並んだ樹と根です。楽器のようですね。

官ノ倉山登山
【撮影】13時57分=藤原 由香里
どんどん下ります。

官ノ倉山登山
【撮影】13時58分=伊藤 幸司
落ち葉がなくなると安全度は飛躍的に上がります。段差で体を捻っている人がいたらいろいろな弱点を抱えていますから徹底的に矯正します。

官ノ倉山登山
【撮影】14時01分=伊藤 幸司
ここにもまたハワイの「パラパライ」似のシダがありました。同じ山のあっちとこっちですから、同じものでしょうね。

官ノ倉山登山
【撮影】14時03分=伊藤 幸司
このジャングルの気分、一時期の荒れた杉林とは違って私は好きです。
あえて「ジャングルの気分」と言ったのは昔のことを思い出したからです。半世紀前ですが中央アフリカ・ルワンダの最南部(ブルンジとザイールの国境地帯)の山奥で「ニュングェ(豹)の森」に1週間通ってナイル川の最長源頭点を探りつつ、地図を作ったことがあります。麓の集落に泊まり、測量人夫を10人ほど雇って、川筋を実測調査したのです。昔はヒョウがいたのかもしれませんが、その時一番怖かったのはアリ(蟻)でした。アリの列に踏み込んだらたちまち全身アリだらけの蟻踊りをさせられると驚かされました。
その後、ウガンダとの国境地帯に富士山型の山が8つそびえるマウンテンゴリラの山、ビルンガ火山群の最高峰カリシンビ山(4,507m)をナイル川源流の最高峰と見て、地元の猟師2人を雇って登りました。こちらでは一番怖いのはバッファローの群れに遭遇したときだと聞きました。
どちらの山のジャングルも、じつはこんなやさしい感じだったと言ってもおかしくないと思ったのです。

官ノ倉山登山
【撮影】14時03分=矢野 博子
これが滝? と若干 不満の声も聞こえたけど ここで 一休み。憩いの時が流れた。

官ノ倉山登山
【撮影】14時09分=藤原 由香里
これが滝なのでしょうか?

官ノ倉山登山
【撮影】14時10分=伊藤 幸司
登山道が終わり林道に入ると北向不動が出てきました。案内板には『北向不動は笠原の里を、見下ろすように北向きに建っている。』と書かれていました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時11分=伊藤 幸司
これが「不動の瀧」だそうです。案内板には『不動様、三十六童子、雨乞いが行われたといわれる不動の滝などがあるこの地は、里人にとって信仰のよりどころであったことがうかがえる。』とありましたが、ほんとうでしょうか、この筧から落ちる滝。

官ノ倉山登山
【撮影】14時11分=伊藤 幸司
これが北向不動の参道。世の中にはヘンな人がいるもので、これを「埼玉の石段ベスト33」に選んだというレポートがありました。
『隠れた郷土の遺産、石段の魅力をあなたに〜SEKINEが選ぶ埼玉の石段ベスト33+α』です。
【[ご挨拶] 本ホームページ作成者の関根一昭です。埼玉県秩父市に在住し、長年高校教師の傍ら地質学の野外調査を行ってきましたが、その間さまざまな石段に巡り合い興味・関心を寄せてきました。本ホームページはその一端を紹介させていただくものです。
[石段のプロフィール] 北向不動の石段は、55段ある。長さは22mであり、短い石段である。 傾斜が急で、石段はゴツゴツした自然石を使い、荒々しい石段である。おそらく手すりがなければ、上り下りはできないであろう。石段好きの方には、こたえられない石段だ。奥山にひそむ、まるでアドベンチャーワールドのようである。
[石段周辺の地形] 石段は、標高160〜173mの間にあり、高低差は約13mである。上記の地形図にみるように、等高線の込んだ山肌を一気に上る。踊り場はない。上から見ると、下の道路や沢が、自分の足先と一緒に見えるくらい勾配が大きい(下部写真参照)。
[石段周辺の地質] 北向不動の石段は、小川地域では比較的古いタイプの地層の上につくられている。秩父帯の北帯といわれるゾーンに属する。付加体とよばれ、泥岩や砂岩の中に、チャートなどの岩石がダンゴのように取り込まれているのが特徴である。石段に多く使われているチャートは、付加体中のものを利用している。チャートは硬く、ゴツゴツしているのが特徴。
[インフォメーション] 石段は、ほぼ東向きであるが、本社は北向きである(下部写真参照)。不動の滝が、道路わきを流れる沢につくられている(下部写真参照)。昔、不動の滝で雨乞いが行われたとのこと。本社には不動明王が祀られている。】

官ノ倉山登山
【撮影】14時11分=藤原 由香里
少し登ると祠がありました。皆様の登山の無事を感謝してきました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時11分=藤原 由香里
登らないことを決めた先輩方です。

官ノ倉山登山
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
北向観音の石段を下るときの風景はかくのごとし。登らなかった人たちの背後に不動の瀧が堂々と落ちています。その滝のスケール、特筆すべきものじゃないでしょうか。

官ノ倉山登山
【撮影】14時13分=藤原 由香里
コーチは「これで終わり?」ともっと登りたいようでした。

官ノ倉山登山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
登山道の前後には「林道」を歩くケースが多いのですが「林道とは何か」と正面から考えると、けっこう難しいのです。そこで責任編集の時代に王道を歩いてきた「百科事典」で見比べてみたいと思いました。朝日新聞社とYahoo! 辞書の技術提携による『コトバンク』で『林道』を一覧してみます。
【■ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
森林の総合的,合理的な管理経営を行うための基盤となる輸送施設。森林の開発はまず市場と森林を結びつける到達林道の開設に始り,森林内部に施業林道か経営林道が開設され,作業技術体系が変革されるに伴い,施業林道から分岐した路線,作業道が開設されるようになる。林道規程 (1955.4.1.制定) によれば,自動車道 (1,2級) ,森林鉄道 (1,2級) ,車道,木馬道 (きんまみち) ,牛馬道,索道,流送路の7種に区分され,各種の林道を組織化した運搬系統を林道網という。現在ではおもに自動車道,軽車道をさし,一般的には自動車道をさすことが多い。また林道には地域経済助成の目的もあり,一般道路 (国道,県道) と路網を形成する場合も多く,多目的利用性がある。しかし,特に幅員の大きい舗装道路などは森林環境への影響が強く,施工法や利用法などに十分に配慮した管理運営が望まれている。】
【■百科事典マイペディアの解説
林産物の運搬と森林経営のために必要な交通を行うための施設。広域の森林経営・管理のための幹線である特定森林開発林道(スーパー林道)などは,道路開設による自然環境に対する影響評価や施工法について十分な調査が必要。】
【■世界大百科事典 第2版の解説
林道は林業の経営あるいは森林の管理に必要な道路であり,主として木材運搬に使われるが,農山村に開設されることが多いので,農山村地域の生活道路としても使われる。林道は輸送機能を重視したものと,集材機能を重視したものがあるが,一般的には幹線は輸送機能,支線・分線は集材機能が強い。集材距離を短縮し,集材費の節減をはかるのが林道開設の主要な目的であるから,地形や森林の経営条件を十分に考慮したうえで林道網計画がたてられる。】
【■日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
林産物の運搬や植林、伐採、治山治水の各事業、レクリエーション利用、森林管理などのために、森林内外に通ずる交通路として築造される施設をいう。幅員4メートル前後、砂利敷きの単線自動車道が普通であるが、交通量の多い幹線には、維持管理のしやすいアスファルト舗装の単線あるいは複線の自動車道が建設されている。奥地の自然保護を必要とする森林地帯を通過せざるをえない林道にあっては、とくに自然と調和した路線の選定、路体の作設が不可欠となっている。日本全国で年間新設される自動車道としての林道は減少傾向にあり2000年度(平成12)には1187キロメートルであったものが、2010年度では484キロメートルに減少した(国有林林道・民有林林道の合計)。このほか、森林内で林道とともに林内路網ネットワークを構成する、フォワーダーなどの林業機械の走行を想定する森林作業道がある。この林道・作業道からなる林内路網密度(単位はメートル/ヘクタール)は林業の重要な生産基盤の指標で、日本は約17メートル/ヘクタール(2009)で、オーストリア89メートル/ヘクタール(1992〜1996年の数値)、ドイツ118メートル/ヘクタール(旧西ドイツ圏1986〜1989年の数値)の林業先進国に比べ著しく低く、林道と作業道との一体となった路網整備が望まれている。なお、既設林道で山村住民の生活と密着したものは、府県道や町村道に各地で無数移管され、民生に役だてられている。[山脇三平]】

官ノ倉山登山
【撮影】14時23分=藤原 由香里
こんな石像が道端にいきなりありました。右端の物は見ざる聞かざる言わざるの三猿でです。 

官ノ倉山登山
【撮影】14時24分=伊藤 幸司
舗装された道路に出ると、そこにこの不思議な宗教施設。大胆に「小川町にある不思議な仏像」と検索したら、『神社ぐだぐだ参拝録』の『北向不動尊(小川町笠原)』の笠原熊野神社と北向温泉の間にありました。
三光神社のところでもお世話になったサイトの再登場です。でも、写真につけられたキャプションに【巳待供養塔・二十二夜供養塔・庚申塔の前を通り、】とあるだけでした。
傍らのベンチはどんなふうに利用されているんでしょうか、ねえ。

官ノ倉山登山
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
道路際にポツンとトイレ。唐突にして孤立ですが、外秩父七峰縦走ハイキング大会ではここを通過する人は数千人(2017年には7,000人)とか。『まじこのブログ2019〜』に2017/04/24公開の『[参加定員7,000名]外秩父七峰縦走ハイキング大会! 42kmコース写真全公開解説!』に、まさにこのトイレの写真があります。
【『トイレポイント』スタートしてすぐにトイレポイントがありますが、トイレ待ちの方は20名以上並んでいました。】

官ノ倉山登山
【撮影】14時34分=伊藤 幸司
公衆トイレを出て、マイカー登山者が駐車場を利用するという熊野神社を過ぎると集落に出ました。まずは蔵が目立ちました。笠原という地名らしいので帰ってから検索してみました。
『古社巡拝』の『埼玉の神社』に『小川町笠原・諏訪神社』がありました。
【<由緒>当社は創祀年代を慶長年間(1596-1615)と伝えられている。
信州諏訪の地から落ち延びて来た武者、小笠原内膳が当地に住み着き、守護神として奉持してきた建御名方命の神体を祀ったことに由来するという。
明治四年に村社となり、同四十五年四月、陣家の愛宕神社、栃本の神明社の二社を合祀した。「埼玉の神社 埼玉県神社庁」より
<参拝メモ>小川町北部に鎮座している。
境内には子供用の遊具や、ゲートボール場などがあったり、神社脇には諏訪会館という、社務所兼の建物では、様々な集まりが持たれて、氏子の人々に利用されているということである。
そのためか、清掃も行き届いて明るい神社だった。(駐車スペース有)】
かつては笠原村だったこの集落の名の由来が落ち武者・小笠原内膳に由来するらしいこと、地域によって守られている? 守護神が健在らしいことなどを感じます。私の目は今もなお裕福さを誇示? しようとしているこの蔵に一瞬釘付けになりました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時34分=伊藤 幸司
白壁の蔵のお向かいさん。大谷石の素肌が出ていますが、家紋もつけ、きちんと作られた蔵だと思われます。この蔵が建てられた時代、このあたりはどんな村だったのでしょうか。きっと、きちんとした郷土史がまとめられているのではないかと想像します。

官ノ倉山登山
【撮影】14時38分=伊藤 幸司
ここでも茅葺きの屋根を維持するのがとてつもなく困難になっているのでしょう。きちんとした葺き替えをしようとしたらどうなるのか。『富士かやぶき建築 茅吉』というサイトでは現代の茅葺きのおおよそを知ることができます。
【かやぶき屋根は建築業の中でも特殊な施工・仕事になります。時には細かい図面と寸法通りにしあげますが、民家の多くは図面が有りません。
昔からの葺き方で行うのが常識となっています。(洋建築で進化した現代の葺き方もあります)富士かやぶき建築『茅吉』では専門の職人達が昔ながらの手作業で施工いたします。
また、専用の茅場もございますので茅の仕入れから施工まで一括して弊社にお任せいただけます。
ここでは、山梨県の富士河口湖町にある、”西湖いやしの里 根場”の復元建築工事を例にご紹介します。
●茅葺き屋根の解体
これまで40年間屋根の修繕は行わず、初めての改修工事です。草木が茂るほどに傷んでしまった屋根はまず解体をして屋根の下地から点検をします。10年から15年位の早期の修繕の場合は、部分補修も可能ですので、ランニングコストでも差が出ますし葺き替えまでの期間の延長ができます。虫歯と同じですね。
●骨組みの確認と交換
雨漏りもあった為に屋根下地の傷みがひどく梁桁、破風板などを交換して新しく下地を作ります。3年成以上で水上げをしていない冬場に切り出された竹と檜の乾燥丸太を使い、荒縄で結びます。
●軒の補強と化粧
屋根下地を組み上げた後は、軒の補強と化粧を兼ねた、よしを葺いたりヨシズを付けたりします。主に茅が室内に落ちないことや室内からの見栄えのための施工ですが、建物によって資材は異なり、ヨシズの他、竹などが使われていることもあります。その建物に応じた資材で対応できるのが弊社の強みです。
●茅葺きの始めに隅をつけます
親方が隅を付け始めるといよいよ茅葺の始まりです。屋根の時計逆回りで進みます。(時計回りは葬式回り)
●茅の荷上げ
かやぶき屋根建築は多くの材料を使います。屋根面積80坪程度であれば中束の茅3500束。荷重量も18トン以上になるでしょう。分担作業では体が消耗するばかりでなく効率も悪くなるため、荷揚げなどは全員参加です。
●茅の平葺き1
荷上げされた茅を一束ごとに解して、茅一本一本が交わりの無いように真っ直ぐに並べます。そして、一番押さえの利くところで細く丈夫な竹(3年成冬刈取の竹)で針をとって行きます。このときの糸の変わりは1.6㎜の針金を用いました。
●茅の平葺き2
押し鉾竹と針金で抑えた茅を雁木(がんぎ)という道具で屋根の形状にたたいて形作ります。そして、足場丸太を乗せ足場用の縄で括りそれを足場に、鉾竹の針金を竹を踏みながら引っ張り、きつく屋根に固定します。
●棟造り
平葺きが終わり棟を作ります。屋根のてっぺんで伸びた茅を編みながら次第に棟の形へと造って行きます。そして、防水シートをかけてその上へ杉皮を3層重ねていきます。最後に杉皮がしっかりと棟へ納まるように竹で押さえ完了です。
●茅葺きの上に千木を乗せる
杉皮で化粧された棟の上へ、腐りずらいクリ材を加工した千木を固定します。棟に重いものを乗せるのは雨風から棟を守るためです。富士河口湖町の西湖いやしの里 根場では昔からこの工法が用いられて、千木の間には岩松が植えられていました。 この棟にも同様に芝を4層に敷きその間に数多くの岩松を植込みました。
●棟の文字入れ
棟の文字は施主の希望で入れます。昔から寿、水、龍などの縁起文字を入れますが、材料が茅なのでハサミで文字を彫るように刻んでいきます。そして、遠くからわかるように墨で仕上げます。
●仕上げの刈込
いよいよ仕上げに入ります。仕上がり具合が左右する刈込です。具体的な図面を持たずに茅を葺いてきましたが、軒の出などは建物の雨仕舞いを考えて出を決めます。刃物は休憩毎にこうしてそろって砥ぎます。よくいいますが「燕と屋根屋は軒で鳴く?」作業で最も気を使い、また、体力も消耗しますが、仕上げですから気を抜きません。
●完成
ようやく屋根の完成です。およそ延250人、約20トンの茅を使いました。
茅吉では観光地や学校資料、古民家の茅葺き屋根の施工・補修を承っております。日本の伝統でもある茅葺き屋根やその工法を後世に伝えていくことが茅吉の役目です。】

官ノ倉山登山
【撮影】14時40分=伊藤 幸司
集落の縁をたどるように、ハイキングルートができていました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時43分=伊藤 幸司
山を背に、街に向かうという気分です。終わったというか、これからというか。地形図上に予定ルートは示してありますが、小川町駅へ出られればいい、という感じ。

官ノ倉山登山
【撮影】14時49分=山咲 野の香
下山後、里歩きの途中で出会った満開の白梅。この美しい梅とは何の関係もありませんが、この後、通過していく町中で、木枠のガラス戸の何屋さんか不明の店先に、「くみとり券あり」の張り紙が! 人力であるはずはないのですが、思わず、昭和30年代、生家のポットン便所に天秤かついで来てくれていた、ハンサムなおあいやさんの顔が浮かびました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時49分=藤原 由香里
背景は竹林の梅の木でした。今日は梅日和です。

官ノ倉山登山
【撮影】14時50分=伊藤 幸司
かなり車の多い道に突き当たったところに目立つ梅の木がありました。

官ノ倉山登山
【撮影】14時53分=伊藤 幸司
小さな丘を完全に冬の防風に利用していますね。眼の前に自分の仕事場としての田んぼやら畑、背後には薪炭林。いま現在はどかわかりませんが、かつては理想の田園だったのでしょう。

官ノ倉山登山
【撮影】14時57分=伊藤 幸司
これは見事な梅の木。オリジナル写真を拡大すると、枝先にはまだ蕾がいっぱいついています。

官ノ倉山登山
【撮影】14時58分=山咲 野の香
これは、ダブルで撮れていないハンパな写真です。左手の小屋根は井戸。里歩きの途中、そこここの庭先に井戸がありました。特筆すべきは、なんと皆、つるべつき。あの、もらい水の、ツ・ル・べ! 私的に結構興奮。残念ながら、これには写ってないのですが。4、5才の頃、井戸水が水道水に変わり、そのまずさに仰天したのも思い出されました。
プラス、背後の雑木林の春色が美しいと思って撮ったのですが、これまた撮れていません。

官ノ倉山登山
【撮影】14時59分=山咲 野の香
気を取り直して、もう一枚。やはり写ってません、春色雑木林。

官ノ倉山登山
【撮影】14時03分=伊藤 幸司
あきらかにこれは神社の森でしょう。街の中に緑の森が作られているという不自然さが、神社の杜の特徴的な顔だと感じました。京都なら塀をめぐらせているかもしれません。

官ノ倉山登山
【撮影】15時04分=伊藤 幸司
八幡神社、小川町の守護神というべき存在のようです。
『四季・めぐりめぐりて……諸々の事情から最近は遠出の城めぐりができませんので、近場の城館跡めぐりをぼちぼちながらやっています』というブログに『八幡神社の例大祭……2015年10月19日』がありました。写真主体のレポート(ここではキャプションのみ列記)です。
【鎮守の森の空に花火が上がっています。そう。今日10月19日は小川町の八幡神社の例大祭です。
・ここが境内への正面入り口。
・この八幡神社は大塚地区にあり、同じ町内角山地区にも八幡神社があることから各々「大塚の八幡神社」、「角山の八幡神社」と言い分けることもあるようですが、八幡さまと言えばここの八幡神社を指しています(あくまで主観ですが)。
・町内にはこれ以外にも沢山の神社がありますが、今でこそ制度廃止になったものの旧「郷社」ですので町内の神社では格が高い神社でしょう。
・ここの境内入り口は社殿に向かって右側にあり、長い参道を歩いてきますとここに突き当たります。
・神社の歴史についてはこの案内(説明)板を読んでください。
・近年、あちこちのお祭りでは本来の祭日の前後の土、日曜日に祭りを行うところが増えていますが、ここ八幡神社の例大祭は昔から10月19日で通していますので平日のことが当然多くなります。
・例大祭ですから幟も立てられ、社務所には氏子総代等の役員さんが詰めておりますが、参拝者はぽつりぽつりです。
・幟がなければ普段と変わらない状況です。
・普段は閉められていて見ることが出来ない拝殿の中です。
・神楽殿も戸が外されていました。昔は神楽が舞われたのですが今はそんなこともなくなりました。
・往時は沢山の露店が境内や参道に並んでいたものですが、今日は町内の団子屋さんのみが出店。
・神楽殿では神楽に代わって和太鼓の演奏が午前午後の2回にわたり行われたようです。
・太鼓演奏は事前告知がなかったようで、たまたま参拝に来た方が演奏を見ることが出来た程度です。自身もそのひとり。
・演奏したのは、役員さんのお孫さんと仲間のグループのようでしたが、初めてみる太鼓グループでした。
・見物客はこの程度。これでも集まった方ですね。
・もう何十年も前のことになりますが、神楽が舞われたり、流鏑馬が行われたころは境内いっぱいの人出がありましたが、いつのころからかすっかりさびれた祭りになってしまったようです。
・自身も子供のころに来ただけで、今日はたまたま散歩途中に寄ったにすぎません。
・境内正面入り口前の道路です。昔、ここを流鏑馬の神馬が走りました。
・今では舗装されて車道になってしまいましたし、玉垣も建てられてしまいましたので、仮に流鏑馬が行われるとしても無理ですね。
・昔はこんなんでした!! 】

官ノ倉山登山
【撮影】15時04分=藤原 由香里
八幡神社がまつられています。今回の山行は神様巡りのようなありがたい感覚です。

官ノ倉山登山
【撮影】15時10分=伊藤 幸司
神社脇の農家が、参道脇にロウバイの木を植えていました。なかなか立派というか、伸び放題というか。

官ノ倉山登山
【撮影】15時10分=藤原 由香里
蝋梅が見ごろできれいでした。

官ノ倉山登山
【撮影】15時11分=伊藤 幸司
『学芸の森 私の植物』というサイトの『学芸の森植物情報』に『ロウバイ』がありました。東京学芸大学教育学部生物学教室の真山茂樹先生のもののようです。
【・漢字で書くと「蝋梅・臘梅」。でも、梅の仲間ではありません。梅の仲間なら花びら(花弁)が5枚。太宰府天満宮の神紋の梅鉢も5枚ですね。ところが、ロウバイの花はどれが花弁でどれが萼(がく)かわかりません。そしてその数は実に16以上。でも、数が決まっているわけではありませんし、八重咲きでもありません。八重咲き植物では雄しべが花弁に変化しますが、ロウバイにはちゃんと雄しべがあるのです。香気を楽しみながら観察してみてはいかがでしょうか。
・花弁と萼片の区別がつかないとき、それらを合わせて花被片と呼びます。大学のロウバイは花被片がすべて薄黄色で、ソシンロウバイ(素心狼狽)と呼ばれる栽培品種です。
ロウバイのように花弁と萼片の区別がつかない場合、両方をまとめて花被片と呼んでいます。ユリの花も花被片でできています。ロウバイの花被片は外側から螺旋状に並んでいます。このような並び方はモクレンやスイレンの仲間に見られるもので、原始的な植物がしばしばもつ特徴です。
・ロウバイは江戸時代の初期、後水尾天皇(1611〜1629年)の時に、朝鮮半島から渡来した植物です。ロウバイの花被片はちょっと透明がかっていて、ろう細工のような感じです。それで「蝋梅」。でも、ロウバイから、ろうそくのロウは作りません。中国ではロウバイの花やつぼみから蝋梅油を取りますが、これには抗菌作用や抗炎症作用があります。
・和ろうそくは植物から作っています。多くはハゼノキの実が使われます。ハゼノキはウルシの仲間で秋には真っ赤に紅葉する木です。この実を蒸して搾り、蝋成分を取りだし、和ろうそくが作られます。西洋のろうそくは、元はミツバチが巣を作るときに分泌する蜜蝋や鯨油から作りましたが、現在では、石油から作られるパラフィンなどを原料としています。】
じつは私はこの大学の近くに住んでいます。大学生協には真山先生の『学芸の森 私の植物』(500円)があるそうですし、守衛所では「学芸の森 植物散策マップ」で無料配布中(ただし2012年現在)だそうですから構内は花散歩の価値あり、ということのようです。
【学芸大学のキャンパスにはおよそ300種の樹木が植わっています。また、中高木の樹木の本数は4,000本を超えます。これに低木を加えれば、その数は倍以上になります。そして、これに自然に生える草本の植物を加えれば、植物の種類や数はもっと多くなり、さながら大学内はちょっとした植物園のようです。】

官ノ倉山登山
【撮影】15時15分=伊藤 幸司
これは相当立派な鳥居じゃないでしょうか。右手の桜並木が終わるとこの鳥居、ですが、サイト上には駅から神社に向かったときに、この鳥居越しに爛漫の桜を見た写真がありました。向こう側から見た場合です。「旧郷社」だそうですが、その「郷社」というのはなかなかの曲者のようです。
『ウィキペディア』の『近代社格制度』は【この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年8月)】という注記がついています。そういう解説がときどきありますが、じつはそれこそが(書きたい人が書く)ウィキペディアの本領だという感じがして、私はなぜか好きなのです。
【近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)とは、明治維新以降、『延喜式』に倣って、新たに神社を等級化した制度である。第二次世界大戦後に廃止されたが、「旧社格」などの名称で神社の格を表す目安とされる。】
【近代社格制度では、社格を官社と諸社(民社)、無格社に分ける。伊勢の神宮は、「全ての神社の上にあり、社格のない特別な存在」とされた。】
【官社とは、祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社である。官社は神祇官が祀る官幣社と、地方官(国司)が祀る国幣社に分けられ、律令制の社格に倣ってそれぞれに大・中・小の格があり、「昇格」が行われた。官幣社・国幣社をまとめて官国幣社ともいう。】
【諸社(民社)は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順である。】
【明治政府は当初、府藩県社(府藩県崇敬神社)と郷社(郷邑産土神社)の2種類で諸社を管理しようとしており、「郷社」については、氏子を管理するための特定の行政機能を示すものであった。明治政府は太政官布告の大小神社氏子取調(氏子調)で宗教政策を行い、江戸時代までの寺請制度に代わって、国民に対して在郷の神社の氏子となり、出生や住所の移動の際には守札の発行などが義務づけられた。この制度により、全国にはこれまで自然形成された村とほぼ同数の18万社あまりが成ったという。あくまでも氏子を管理するものであるため、官国幣社・府藩県社でも氏子がある場合は同時に郷社であることも考慮されていた。さらにその後、村社も郷社と同様の意味を持つが、郷社に付属するものとして設定されたものの、わずか2年で制度は廃止となった。しかし郷社定則は近代の氏神・氏子制度の基本となり、現代の氏子区域の基となった。その後、市政町村制度の施行や、いわゆる「明治の大合併」による行政区分の整理で一村一社の存在意義も薄れ、1906年(明治39年)の神社合祀令を経ると、明治末期には全国の神社の数は11万社余にまで減じた。
昇格もあったため、全国約11万社のうち最終的な府県社は1,148社、郷社は3,633社、村社は44,934社であったとされる。】
ついでですが、この解説のなかに【「郷社」については、氏子を管理するための特定の行政機能を示すもの】であり、【江戸時代までの寺請制度に代わって、国民に対して在郷の神社の氏子となり、出生や住所の移動の際には守札の発行などが義務づけられた】という部分は重要だと思います。徳川家康とその側近・天海僧正(秀忠、家光の相談役でもあった)が一種の宗教改革をたくらんで全国の寺社を政治支配の末端機関として統制してしまうのです。
それについては1994年の「国立公園物語・日光」(シリーズ日本の大自然19巻=日光国立公園、毎日新聞社)で村上直さんという方が執筆した『日光市史・中巻』の『近世封建社会の成立と日光山』を紹介しました。

官ノ倉山登山
【撮影】15時24分=伊藤 幸司
小川町の街区に入るとどっちがどっちだかわからなくなりました。武蔵鶴酒造の前(後ろ?)を通りましたが、小川町にはほかに晴雲酒造と帝松 松岡醸造があるとのこと。この地方の中心的な街だったと想像できます。
『和紙のふるさと小川町』のサイトに『小川町酒蔵めぐりイベントを開催します!』(2019年3月7日)がありました。
【第6回小川町3蔵 酒蔵めぐり 〜地酒で乾杯のまち 3蔵を巡る一日〜
開催日時 平成31年4月13日(土曜日) 午前10時から午後3時30分まで
埼玉県は清酒出荷量、清酒消費量が共に全国4位の酒どころってご存知ですか?
また、県内には30軒を超す酒蔵があり、その中の3蔵が小川町にあります。ひとつの町に3軒の酒蔵が存在することは非常にめずらしく、町の大きな魅力でもあります。
今年も、ここ小川町で晴雲、帝松、武蔵鶴の酒蔵をめぐるイベントを次の通り実施いたします。】
【参加酒蔵を無料シャトルバスが結び、自由に3酒蔵を巡ります。各蔵では代表銘柄の試飲を楽しめる他、歴史ある酒蔵の見学や各蔵敷地内に併設される飲食ブースで地元のグルメを楽しむことが出来ます。
3蔵共通試飲は有料となります。共通試飲用のお猪口は小川町駅及び3酒蔵にて当日販売予定。
[オリジナル試飲用おちょこ代金] 1,000円
当日、開催チラシご持参の方に甘酒の無料配布を実施します。(お1人様1杯限り・なくなり次第終了します。)】

官ノ倉山登山
【撮影】15時42分=稲葉 和平
富士山はどれ?。「ふじさん」と呼ぶのはさすがに遠慮して「ふじやま」というらしいが、なぜ「富士山」。見る方角によってはそのように見えるのかしら。

官ノ倉山登山
【撮影】15時42分=山咲 野の香
聞き込みをしながら、いざ富士山へ。おばあちゃんに「フジヤマ」と言うと教わり、「私が登った時は何も見えなかった」とも。結果的にに背後の鉄塔が山頂でした…

官ノ倉山登山
【撮影】15時43分=伊藤 幸司
小川町駅から、じつはもうひと山、できれば登りたいと考えていました。地図によればその山は日帰り入浴施設の「小川温泉・花和楽の湯」の裏山に当たります。名前は「富士山」1/25,000地形図に名前が出ていて標高は182m。堂々たる富士山ですから、じつは今日最初の山、金勝山の山頂から小川町駅周辺の山をことさらに観察してきたのですが、結局、はっきりしませんでした。今、小川駅の裏に回り込んで兜川を渡るところ。見ているあたりが「富士山」のはずなのですが、それらしいかたちの山はここまで来てもわかりません。
じつはこの橋の手前で地元の人と出会ったので「フジサンへの道はどちらでしょう?」と聞いたところ「それはフジサンじゃなくてフジヤマ」と強く訂正されました。それは中年の女性でした。若い頃には気安く登る山だったそうですが、最近は縁遠くなっているようすでした。

官ノ倉山登山
【撮影】15時47分=山咲 野の香
もう一度、お散歩風のご夫婦に聞いて、結局最も奥の電柱のワキのお墓の手前のロープをくぐり、登頂開始。

官ノ倉山登山
【撮影】15時52分=伊藤 幸司
ちょっと迷った末に、軽い通行止めロープをまたいで、偵察気味に登りました。標識のたぐいはありませんでした。

官ノ倉山登山
【撮影】15時53分=山咲 野の香
山頂はすぐ、と思ってます。イイ道だし、と思ってます。

官ノ倉山登山
【撮影】15時53分=藤原 由香里
さあ、最後の富士山です。ふじやまと読むそうです。登山道入り口がはっきりしませんでした。地元の人が「その辺から登れば登れるよ」といわれた枯葉に覆われた道なき道を登るのでした。

官ノ倉山登山
【撮影】15時54分=伊藤 幸司
登り始めるとすぐにはっきりとした登山道になっていて、私たちは安心して登っていきます。

官ノ倉山登山
【撮影】15時54分=伊藤 幸司
金勝山からもよく見えた高層マンションがここからも見えています。グーグルマップで調べてみるとダイアパレス小川、15階建てです。

官ノ倉山登山
【撮影】15時57分=藤原 由香里
さあ、最後の力を振り絞って最後の山頂を目指しましょう。

官ノ倉山登山
【撮影】16時08分=稲葉 和平
意外にもこの日一番の登りになった。もう少し立派な「富士山」の標識があるかと思っていたのだが。

官ノ倉山登山
【撮影】16時08分=山咲 野の香
手前ピークでギブアップの声もチラホラの中、182mフジヤマ登頂成功。達成感あり!

官ノ倉山登山
【撮影】16時09分=藤原 由香里
182m、山頂です。

官ノ倉山登山
【撮影】16時11分=伊藤 幸司
これが富士山山頂。橋から見たときの電波塔のところがこれなんだと思います。「富士山 182m」という手持ち標識と手前の三角点に加えて、石碑には「富士仙元大菩薩」の名。昭和55年2月10日とありますから、建国記念日ではないですね。
でもこの「富士仙元大菩薩」が気になって、調べてみました。富士浅間大菩薩とおなじコノハナノサクヤヒメだそうですが、富士信仰から派生して御嶽山に点在するいろんな教会のひとつのようです。ネットで読んでいると、さらに混乱するような気配ですが……。
まず『JUGEM』というサイトに『改訂版 富士仙元信仰【富士山人穴縁起を編揖す】』というのがありました。
【1)信仰対象
富士信仰の信仰対象は、山そのものであり、浅間大神・仙元大菩薩・木花咲耶姫大神である。
この神は、大日如来と一体のものだとも云われているし、穴信仰では弁天と同一視としている場合もある。
胎内くぐりの信仰も盛んであった。】
【わたしは仏教を知り修行も致して35年、遂に佛の教えの真髄を「富士仙元大菩薩(大権現)」の御法によって得た。】
もうすこしかたちの整ったものとしては『御嶽教滋賀大教会』の『護持会のご案内』がありました。
【和邇御嶽山に仙元大菩薩鎮座の由来
和邇御嶽山では長年にわたる御嶽山信仰資料調査を行うことにより、御嶽山信仰の発展の経緯や今まで知られなかった歴史的事実を知り得る事が出来ました。
そして分かったことは、寛政4年(1792)に御嶽山開闢(おんたけさんかいびゃく)をなされた本明院木食普寛行者(ほんみょういんもくじきふかんぎょうじゃ)は当時 江戸にて流行していた富士山の信仰の形態を御嶽山にも取り入れたという事です。
何よりも先ず、御嶽山開闢の折、十二権現(じゅうにごんげん)という神様の本地を仙元大菩薩としてお祀り・お鎮めになりました。山の頂上を剣ヶ峰(けんがみね)と称して、麓から一合目、二合目と呼び習わすのは富士山が最初でありその呼称を御嶽山にも取り入れました。登拝者の杖に焼き印を押し、「まねき」と 言う講社の名や参加者の名前を記す染め布を宿に納めるのも富士山が始まりです。
普寛行者以後、御嶽山信仰を広めた本明院二代木食一心行者や、その跡を継いだ本明院三代盛心行者も御嶽山先達であると共に富士山にも登拝する富士山先達としての活動も行なって人心救済に奔走されました。
富士山と御嶽山は同時期に人々から共に尊崇され、信仰の姿や行法においても多大な影響を及ぼしあった、まさに姉弟のような関係であったのです。】

官ノ倉山登山
【撮影】16時13分=伊藤 幸司
下りは花和楽の湯へ向かう道を選びました。まるで林道であったような歩きやすい道でした。

官ノ倉山登山
【撮影】16時24分=伊藤 幸司
ダイアパレス小川を正面に見ながら下っていきます。

官ノ倉山登山
【撮影】16時24分=藤原 由香里
烏瓜に絡まれた小屋がありましたが、何とも寂れた様子です。

官ノ倉山登山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
山裾の民家にカラスウリがありました。このほったらかし感がなんとも好ましく感じました。

官ノ倉山登山
【撮影】16時25分=稲葉 和平
田舎に行くと個人の敷地の中に鳥居、社があるのはめずらしくはないが、この立派な赤い鳥居の列は結構人目をひく。でも、もう少し余分な木を伐るとかした方がよさそう、という気がした。

官ノ倉山登山
【撮影】16時25分=藤原 由香里
赤い鳥居の連なりが目を引きました。今回はちょっとしたところでも神様を感じる山行でした。

官ノ倉山登山
【撮影】16時26分=伊藤 幸司
山が終わる最後のところに稲荷神社でしょうか、ありましたが、もう、ちょっと面倒くさくて……。

官ノ倉山登山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
花和楽の湯に到着。今日は小さいながら3つの山を連続登山しました。駅までは歩いて10分ちょっとですが、重要伝達事項としてみなさんに「帰りはタクシーを呼びます」と伝えました。多分今日一番の、気分が明るくなる情報だったと思います。

官ノ倉山登山
【撮影】17時24分=伊藤 幸司
おがわ温泉 花和楽(かわら)の湯は2004年に開業しました。それまで小川町に下ってきたときには小川町総合福祉会館の日帰り入浴施設「パトリアおがわ」で入浴、その後老舗料理旅館の双葉で忠七めしというのが定番でしたが、花和楽の湯ができてからは、どうしてもこちらがメインになってしまいました。下山してからの入浴と食事は、帰りの時間ともかかわるのであんがい選択肢が少ないのです。

官ノ倉山登山
【撮影】17時39分=伊藤 幸司
日帰り入浴施設の食事は年々、画期的によくなっています。風呂がいい、という評判に加えて、料理がおいしいというのが重要な要素となっているからです。
私たちは山を下って腹ペコですからどんな料理でも「おいしい」と思って食べますが、高級ホテルで入浴してそこでレストランに入るというような体験をすると、やはり食事は美味しいほうがいいのです。
入浴施設では高価な料理を出というよりも、地産地消や郷土料理メニュー、健康料理というアピールが年々強調されているように思われます。
『フォートラベル』というサイトに『おがわ温泉花和楽の湯でまったりした1日を』(2015/11/01、byかのんさん)というブログがありました。
【里山食堂「楽膳」! おがわ町の名物料理や手打ち蕎麦など和食をメインにしたお料理が多くてなに食べるかかなり迷う…手打ちそばもいいし、地粉のうどんも捨てがたい…あぁ、でも豆腐膳も美味しそう…!!
とりあえず決まらないので、キュウリの浅漬け頼んで食べながら決める!!(笑)】
【友人は「肉!!」と『名物 バーベキュー花和楽焼き膳』 1980円を注文w
熱された瓦で好きな焼き加減でバーベキューが出来る人気メニュー!
……って、肉でかっっっっっっっっっ!!!肉厚ーーーー!
少し交換して食べたけど、肉厚なのに柔らかくて美味い!
ガッツリ系にオススメ!
私は『温泉宿の美豆富コース』2380円を注文!
豆腐好きとしては豆腐尽くしのこのメニューは外しちゃいけないと思うんだ(。+・`ω・´)キリッ
先ずは先付けの味比べ三食豆腐(白ごま、黒ごま、柚)ときんぴらさん
白ごまだけなんか豪華www
メインは
鍋…生姜豆乳鍋(三代目清水屋ざる豆腐、野菜)
揚げ物…季節の天ぷら(春菊とキノコだった)
お寿司…野菜寿司5貫(千枚漬け、茄子の浅漬け、焼きネギ、炙り鴨、クリームチーズとトマトのキュウリ巻き)
デザート…かぼちゃのすり流し
と値段するだけあってかなり豪華!!!
天ぷらもサクサクだったし、生姜豆乳鍋も絶品で大満足!
最後に2人で半分ずつ生麩田楽3種盛りを!
明らかに食べ過ぎたw
でも後悔はない!美味しかったです、ご馳走様!!
入る時は気づかなかったけど、入り口では焼き鳥焼いてるの見れるんだ!
出るときに気付いてよかった…入る時だったら注文しちゃう魔力だわw】



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