山旅図鑑 no.235
弥彦山+角田山+国上山
2019.3.19-20

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(no.1134)
2019.3.19-20
弥彦山+角田山+国上山
53パワー+弥彦山

1日目…登り6p→下り11p────17パワー
2日目…街路5p→登り14p→下り17p────36パワー+弥彦山観光

*計画書には以下のように書きました。
*宿は新潟の奥座敷と呼ばれてきた岩室温泉の、江戸時代は庄屋の館の料理旅館。16,350円+入湯税のサービスプランです。
*1日目は良寛和尚の庵があった国上山(くがみやま)。2日目は本命の角田山縦走。弥彦山はまだ雪が相当ついているはずなので、最後のおまけ。
*春の到来が例年より1週間早ければ超ラッキーといえそうなのですが、どうでしょうか。春の花は山麓から順次上へと登っていきます。
*雪はどこかに必ずあると思いますから、軽アイゼン必携です。
*時間はたっぷりありますから、写真を撮りながらゆっくり歩きましょう。

第1日(3月19日)
・1215……国上寺(こくじょうじ)駐車場を出発(標高約150m)
・1225-35……良寛和尚の五合庵で休憩(標高約100m)
・1250……国上寺登山口(標高約150m)
・1325-30……国上山山頂(標高313m)
・1440……国上寺(こくじょうじ)駐車場到着(標高約150m)
第2日(3月20日)
・0815……岩室温泉・高島屋旅館を出発(標高約0m)
・0900-05……ほたるの里登山口で準備(標高約50m)
・0940-45……あずま屋で休憩(標高約250m)
・0950……無名峰通過(標高268m)
・1025-30……休憩(標高約350m)
・1050-1100……角田山山頂(標高482m)
・1200-05……休憩(標高約300m)
・1255……角田岬灯台(標高約50m)
*弥彦山は往復ロープウェイ
・1540……弥彦山ロープウェイ山頂駅を出発(標高約550m)
・1555-1600……弥彦山山頂(標高634m)
・1615……弥彦山ロープウェイ山頂駅(標高約550m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は(現在のところ)2人です。
稲葉 和平、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。

■コメント履歴
■コメント1:稲葉 和平(2020.4.4)──[1日目15時41分]のオニシバリはナニワズ
■コメント2:伊藤 幸司(2020.4.18)──[1日目15時41分]は、さらにオニシバリかナニワズか
■コメント3:岡田 恭子(2020.4.22)──弥彦山がずいぶん詳しくなっていましたので、それに、新しい写真を付け加えるわけではないですが、私の簡単な弥彦山のブログをお送りします。
その1(1日目)

その2(2日目)
■コメント4:岡田 恭子(2020.4.23)──[1日目15時50分]はツワブキ


山旅図鑑 no.235
弥彦山+角田山+国上山
2019.3.19-20

弥彦山、八海山
【撮影】1日目 09時19分=伊藤 幸司
上越新幹線は越後湯沢を出て、浦佐へと近づいていました。在来線なら六日町駅から五日町駅の間でしょうか、進行方向右手に八海山が見えました。
一度、あの稜線をクサリ頼りに縦走して、冷や汗をかいたことがありました。もちろん夏のことですが。

弥彦山、角田山、国上山
【撮影】1日目 09時40分=伊藤 幸司
これも上越新幹線の車窓から。進行方向左手に弥彦山が見えてきました。燕三条駅に到着する直前です。
厳密に言うと、中央のふたコブの左側が弥彦山(標高634m)、右が多宝山(標高634m)。なんと同じ高さ「ムサシ」なんですね。
左の低い山が良寛和尚ゆかりの国上山(くがみやま、標高313m)で今日登ります。右端にあるのが角田山(かくだやま、標高482m)で、こちらは明日のメインイベントです。3つの山の向こう側は日本海に直接落ちているのです。

弥彦山、JR弥彦線
【撮影】1日目 09時53分=伊藤 幸司
上越新幹線からJR弥彦線へと乗り換えます。

弥彦山、JR弥彦線
【撮影】1日目 10時03分=伊藤 幸司
この弥彦線は、たぶん鉄道マニアにとっては特別な路線のひとつなんでしょう。『ウィキペディア』で『弥彦線』を」見ると、いくつか、いわくありげな解説がありました。
【弥彦駅 - 燕三条駅間の架線には吉田駅周辺を除き、JRの路線としては数少ない低コストの直接吊架式が採用されている。これは電化当時、国鉄が慢性的な赤字に陥っていたため、同じく1984年(昭和59年)に電化された越後線共々、コストダウンを求められていたことによるものである。】
【弥彦駅 - 吉田駅間は2005年(平成17年)に自動化されるまで非自動閉塞方式(スタフ閉塞式)で運行していたが、これはJRグループの電化旅客路線としては最後まで残った非自動閉塞区間であった。】(私には意味がよくわかりませんけれど)
【弥彦線は1985年3月31日まで、国鉄全路線で唯一、起終点両方の駅で他路線との接続がない路線であった。私鉄ではこういう形態の路線は決して珍しくないが、日本全国に鉄道網を広げていた国鉄では特殊なケースであった。】

弥彦山、JR弥彦線
【撮影】1日目 10時15分=伊藤 幸司
JR弥彦線は弥彦山に向かってまっすぐ走っていきました。

弥彦山、JR弥彦線、弥彦駅
【撮影】1日目 10時34分=伊藤 幸司
弥彦駅に着きました。駅前の巨大な観光マップを見るだけで、ここが全国区の観光地だということが感じられます。
弥彦山は東京スカイツリーと同じ高さですが、電波塔としてもすごいものがあるようです。
『ウィキペディア』の『弥彦山』に『放送局の送信所』という項目がありました。
【弥彦山は新潟県のほぼ中央に位置しているため、ここから送信することで新潟県の平野部をほぼカバーすることができる。秋田県の男鹿半島や会津盆地などのほとんどの地域でも受信可能である。 そのため、新潟県内のNHK、民放各社のテレビ・FMラジオ送信所、防災無線などの中継所が山頂にアンテナを設置している。】
その一覧表によると、次のような放送電波を中継しているようです。
◎地上デジタルテレビ放送
1…NHK新潟総合…JOQK-DTV…15ch
2…NHK新潟Eテレ…JOQB-DTV…13ch
4…TeNYテレビ新潟…JOPI-DTV…26ch
5…UX新潟テレビ21…JOUX-DTV…23ch
6…BSN新潟放送…JODR-DTV…17ch
8…NSTNST新潟総合テレビ…JONH-DTV…19ch
◎地上アナログテレビ放送
BSN新潟放送…JODR-TV…5ch
NHK新潟総合…JOQK-TV…8ch
NHK新潟Eテレ…JOQB-TV…12ch
UX新潟テレビ21…JOUX-TV…21ch
TeNYテレビ新潟…JOPI-TV…29ch
NST新潟総合テレビ…JONH-TV…35ch
◎FMラジオ放送
FM新潟…JOXU-FM…77.5MHz
FM PORT…JOWV-FM…79.0MHz
NHK新潟FM…JOQK-FM…82.3MHz
BSN新潟放送…-…92.7MHz

弥彦山、お食事処 やまぼうし
【撮影】1日目 10時36分=伊藤 幸司
駅前にある「お食事処 やまぼうし」以前にも、帰路の電車を待つ時間に食事をしたことがありましたが、今回もけっきょく同じパターンになりました。弥彦山周辺には食事のできる店はいくつかありますが、10人となると、事前に予約していないとだめ。私たちのように山歩きのグループだと、食事(ごとき)のために行動を縛られるのはいわばキケンですから、なかなかむずかしいのです。

弥彦山
【撮影】1日目 10時41分=伊藤 幸司
進行右手には「讃岐うどん」というのぼり旗や「焼きいも」という看板が見えてきました。2017年にオープンした「おもてなし広場」だそうです。そこには「フードコートつまど」とか「喫茶・花うさぎ」に加えて足湯などもあるようです。隣接して「釜めし弥彦」もあります。

弥彦山、吉田屋
【撮影】1日目 10時44分=伊藤 幸司
私たちはおもてなし広場のちょっと先「割烹・お食事 吉田屋」に向かいました。

弥彦山、吉田屋、わっぱ飯膳
【撮影】1日目 10時50分=伊藤 幸司
これは「わっぱ飯膳」1,500円+税でしたかね。表の看板には「おすすめ パワーフード」とありました。

弥彦山、吉田屋、わっぱ飯膳
【撮影】1日目 10時51分=伊藤 幸司
わっぱ飯というと木桶のようなものに入れたお弁当というイメージで考えていましたから青森とか秋田が本家と思っていたのですが、この新潟と、東北地方では福島が本家とか。
『どこいく』というサイトの『日本』に『わっぱ飯ってどこの料理?新潟?福島?歴史や違い、おすすめのお店』がありました。
【「わっぱ」とは、木の板でつくられた円筒形のお弁当箱のこと。
保湿性や抗菌性にすぐれているわっぱは近年海外でも注目され、東北地方でつくられる「曲げわっぱ」はヨーロッパなどでも高い価格で売られています。
このわっぱを使ったのが「わっぱ飯」。
わっぱの中にごはんや魚、野菜をぎゅっと詰め込み、それを蒸して提供するお弁当のようなものです。】
【新潟でわっぱ飯がつくられるようになったのは昭和27年。
新潟市の中心部・古町にある飲食店「田舎家」で生み出されました。
当時の田舎家店主が発案したわっぱ飯は、美食家としても名高い芸術家・北大路魯山人の意見協力のもとに完成しました。
日本の食の歴史に大きな影響を残した北大路魯山人のお墨付きということもあり、新潟を訪れるグルメ好きに好評の伝統料理となりました。
一方、福島のわっぱ飯は会津にあるお店「田季野」の店主がつくったのが元祖といわれています。
昭和45年に田季野の店主がわっぱに出会い、わっぱを生かした料理を提供したいと考え出したのが始まりだそう。】
【新潟のわっぱ飯の特徴は、鮭などの魚介類を具材としたものが多いところ。
元祖である田舎家で初めに提供されたわっぱ飯は、新潟のおいしいお米に鮭を乗せたシンプルなものだったといいます。
現在は、各店が趣向を凝らして様々なわっぱ飯をつくっていますが、鮭にイクラをたっぷりと乗せたわっぱ飯や、新潟で多く水揚げされる南蛮エビを使ったわっぱ飯など、海の幸が楽しめるメニューが多いようです。
お米は新潟県産のコシヒカリをこだわって使っているお店も多いんですよ。
福島で食べられるわっぱ飯は、魚介よりも山菜やきのこなどの山の幸を使ったものが多くみられます。
ゼンマイや季節の野菜が盛りつけられたわっぱ飯は、素朴ながらもぜいたくな雰囲気です。】

弥彦山、吉田屋
【撮影】1日目 11時22分=伊藤 幸司
約30分で昼食が終わりました。わっぱ飯と稲庭うどんが表の看板に出ています。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時28分=稲葉 和平
立派な弥彦神社の一の鳥居、主柱は地表から6センチ浮いているという。写真でも拡大すればわかるほどだ。実を言うと、弥彦山の山頂のことは記憶に残っていたが、他のことはほとんど記憶から消えていた。でも、この鳥居は確かに見覚えはあった。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時29分=伊藤 幸司
国上山へのタクシーは12時に頼んであります。約30分後。弥彦神社へお参りです。
なお、弥彦神社の地面が傾いているのではありません。私の首が傾いているのでカメラを構えると首の傾きがカメラも傾かせてしまうので、一眼レフカメラで仕事をしている時代にはファインダーに方眼目盛りのスクリーンを入れていました。画面内のどこかに水平の線を見つけたら、そこで水平を合わせられるようにしていたのです。
この写真はキヤノン製の「高倍率ズームデジカメ」を見にくいアイレベルファインダーで撮っているので、じつはあまりきちんと見ずにシャッターを押したりしている結果、なんと5度も傾いてしまったようです。私の首の傾きが影響するのは2度前後ですからあまりにもひどいと思って調べてみると、この一の鳥居のところは地盤が水平ではなくて、右が高いのです。その、通常ありえない傾きを感じさせないようにするには、正面ではなく、すこし左右にずれて撮るべきだったのでしょう。
じつはこのカメラにはファインダー内に電子水準器が出てくるので、ほとんどの風景は風景を見ずに水準器を見てシャッターを切っている状態なのですが、ここではそれをしなかった。していたら、一瞬「?」なんて思って、地面が水平でないことに気づくまでちょっと時間がかかったかと思います。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時31分=伊藤 幸司
正式には彌彦神社と書き「いやひこじんじゃ」と読むのだそうです。祀られているのは越後国を造った伊夜比古神。『ウィキペディア』の『弥彦神社』の『祭神』によると【天香山命 (あめのかごやまのみこと)
「天香語山命」とも表記。地名から「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」などとも称される。
弥彦山頂にある御神廟(奥の宮)が神廟にあたるとされる。】

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時31分=伊藤 幸司
鳥居をくぐるとこの水路。神社の裏手で弥彦山から流れ出る御手洗川なのですが、この川について書いているのがあの江原啓之さん。『にっぽん今昔道 江原啓之のちょっと道草』という『BS朝日』の宣伝ブログらしいのです。『新潟・力強き霊峰弥彦』というタイトルで2011年6月9日のもののようです。
【今回は新潟駅から電車でおよそ1時間、新潟県のほぼ中央に位置する弥彦で道草。
越後の霊峰・弥彦山を望み、江戸時代には北国街道の要所として栄えた町です。
弥彦には、江原が大好きな神社があります。その理由とは…
実は江原が幼い頃、亡き父親に連れられ訪れたのが今回の弥彦神社、思い出が沢山つまっています。
神社を目指すべく降り立ったのは弥彦駅。趣ある駅舎を眺めつつ道草のスタートです。
弥彦駅から歩くこと10分。見えて来た鎮守の森こそが江原が大好きな弥彦神社です。
古くから「おやひこさま」と呼ばれ、心の故郷・魂の寄り所として多くの人から親しまれてきた「弥彦神社」は日本最古の万葉集にも詠まれた越後を代表する名神社。
鳥居をくぐると最初に目に入るのが、境内を流れる小川。実はこの小川は"御手洗川(みたらしがわ)"といい、その昔は多くの神社で参拝客が身を清める為に近くの川などを使っていたそうです。現在は手水舎が備えられている神社が多くなった為、その姿を見る事も少なくなりましたが、ここ弥彦神社では昔ながらの参拝の名残を見る事が出来ます。江原も御手洗川で身を清め参拝です。】
日本スピリチュアル協会というのを主催しているそうですが、『ウィキペディア』の『江原啓之』によると、
【江原 啓之(えはら ひろゆき、1964年〈昭和39年〉12月22日 - )は日本の作家。また、オペラ歌手(バリトン)、タレント、霊能力者、スピリチュアル・カウンセラーとしても活動している。
ワタナベエンターテインメント所属。 吉備国際大学短期大学部客員教授、九州保健福祉大学客員教授】とか。ここで身を清めたのですかね。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時34分=稲葉 和平
御神木のシイの木。神社の大半が焼失した明治45年の大火にも耐えて生き延び、樹齢1000年といわれるだけあって、ちょっとした凄みさえ感じる。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時36分=伊藤 幸司
随神門の手前で保育園の年長さんらしき子どもたちとすれ違いました。オットット、右側を歩かなきゃ、と思いながら撮りました。孫娘がまだ年少さんなので、ずいぶんオトナに見えました。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時37分=稲葉 和平
昭和15年に建てられたというからそれほど古くはないが、紀元二千六百年記念の建造物というだけあって、立派だ。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時38分=伊藤 幸司
なんとも見事な造りです。『彌彦神社』のホームページで『随神門』を見ました。
【昭和十五年(1940)、紀元二千六百年を奉祝して建立されました。門内の左右には紀伊国熊野から伊夜日子大神様に随行し、大神様の宮居を警護する長気(おさげ・向かって右側)・長邊(おさべ・向かって左側)の兄弟神を奉祀しております。
※「ずいしん」は一般的に「随身」と表記しますが、彌彦神社では伝統的に「随神」と表記しております。】

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時38分=伊藤 幸司
随神門から拝殿に向かいます。神社の真裏から出るロープウェイの山頂駅が屋根の左側の軒からまっすぐ上がったあたりに角張って見えています。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時38分=伊藤 幸司
拝殿も立派ですがその手前に広がる空間の端正さが、背後の本殿だけでなく山頂に御神廟を置く弥彦山そのものまで境内に取り込んでしまう造りだとわかります。
『彌彦神社』の『御本殿・拝殿』には次のように書かれています。
【現在の御本殿以下の諸殿舎は明治末の焼失後、近代神社建築の泰斗・伊東忠太氏の設計にて、五年の歳月をかけて大正五年(1915)に再建されたものです。
御本殿は三間社流造向拝付。幣殿・祝詞舎に入母屋造向拝付の拝殿が続きます。拝殿の南に神饌所、北には祗候所・祈祷殿が連なります。】

弥彦山、弥彦神社
【撮影】1日目 11時46分=稲葉 和平
そう、新潟には石油産業があった! このドラム缶のような展示物に貼られている説明文で、中学校の教科書で新潟の油田のことが書かれていたことを思い出した。

国上山 登山
【撮影】1日目 12時14分=稲葉 和平
国上山は「くがみやま」、国上寺は「こくじょうじ」、と読む。理由は不明、どうでもいいことではあるけれど、どうして?

国上山 登山
【撮影】1日目 12時14分=稲葉 和平
前回はここにきたのかしら? 記憶になし。

国上山 登山
【撮影】1日目 12時15分=稲葉 和平
現物を遠くから見た時は、歩いたら気持ちよさそう、と思った。でも、近づくと絵にならず、歩いてみると網で囲われていて空中監獄。

弥彦山、国上山、朝日山展望台、越後平野、大河津分水路
【撮影】1日目 12時17分=伊藤 幸司
12時15分にタクシーで国上山(くがみやま)の国上寺(こくじょうじ)駐車場に着きました。その朝日山展望台から東を眺めると、越後平野が広がっています。
写真中央部に橋が見えますが、そこからこちらに流れてくるのが大河津分水路で、歩いていける距離のところで日本海に流れ出ます。写真中央の橋のところから左に伸びているのが信濃川の本流(よく見えません)で、新潟市の中心部へと流れていきます。
写真中央部でJR越後線と国道116号が大河津分水路を渡っていますが、そのすぐ上流側に「洗堰」と「可動堰」があって信濃川本流と大河津分水路との流量調節をしているとのことですが、この写真ではよくわかりません。
『信濃川河川事務所』の『なるほど信濃川』に『大河津分水路』がありました。
【大河津分水路は、越後平野を水害から守るために、当時の土木技術を駆使して建設された河川です。
分水路は、洪水時には上流からの洪水を可動堰から全て日本海に流しています。
また平常時には新潟方面へ生活用水やかんがい用水として必要な水量(毎秒270立方メートル)を流しています。
分水路完成までの歴史は長く、亨保年間に寺泊の本間屋の数右衛門らの幕府への請願を発端に、その後200年あまり繰り返された請願がついに認められ、明治42年に本格的な工事が始められました。工事が始まってからも、大規模な地すべりや自在堰(現在の可動堰)の陥没等の困難を乗り越え、22年間の歳月をかけて昭和6年に完成しました。
大河津分水路が完成したことにより、越後平野は水害の減少など治水上の安全度が格段に上昇し、新幹線や高速道路の開通もあり大きな発展を遂げました。このため、大河津分水路は、洗堰上流右岸が破提した場合に氾濫被害の及ぶ面積が310平方キロメートル、戸数は約5万3千戸、被害額は約3.4兆円に達するものとなっており、大河津分水路の重要性は非常に高いものとなっています。
しかし、大河津分水路は完成して半世紀以上が過ぎたこともあり、施設の老朽化も目立つようになってきました。昭和57年9月の洪水では、洗堰右岸の取付橋台及び護岸から漏水が発生し、堰の倒壊の恐れがあったため、平成4年に洗堰の全面改築に着手し、平成12年から通水を開始しました。また、平成15年度から可動堰の全面改築に着手しています。】
洗堰は信濃川本流に、可動堰は大河津分水路にあって、それぞれの流量を調節できるということです。

弥彦山、国上山、千眼堂吊り橋
【撮影】1日目 12時20分=伊藤 幸司
朝日山展望台から千眼堂谷を渡って良寛和尚ゆかりの五合庵へと導くのがこの千眼堂吊り橋。新潟の橋50選に選ばれているそうですが、機能としては歩くのが嫌という人を誘い込むというぐらいですかね。私たちもとりあえず渡ってしまいましたけれど。

弥彦山、国上山、千眼堂吊り橋、杉林
【撮影】1日目 12時23分=伊藤 幸司
千眼堂吊り橋の山側斜面はなかなかすばらしい杉林です。

弥彦山、国上山、千眼堂吊り橋、スギ花粉
【撮影】1日目 12時23分=伊藤 幸司
その、なかなかすばらしい杉林では雄花がめちゃめちゃ元気なご様子。どうなりますかねえ、今年のスギ花粉。ちなみに画面左下部分に見える灰色っぽい花が雌花だそうです。
『国立研究開発法人 森林総合研究所』の『ISBN 978-4-905304-59-3』という論文に『スギ花粉Q&A -スギ花粉量は将来減らせますか?-』(平成28年3月)がありました。
【スギは日本だけに野生する樹木で、弥生時代の水田跡から畦(あぜ)の補強にスギ板が使われているのが見つかるなど、古くから日本人の生活と深い関わりがあります。広葉樹やマツなどと比べて、幹がまっすぐで成長が速く、材は軽く、加工しやすく、高湿の日本の気候でも耐久性が高いなど、優れた点があることから好まれ、西暦1600年頃からよく植林されました。】(倉本惠生)
そして朗報。
【スギの木が多いとスギ花粉症患者も多いのですか?
いいえ、必ずしもそうではありません。九州から関東までの16都府県(佐賀、熊本、福岡、大分、兵庫、大阪、京都、奈良、三重、岐阜、愛知、埼玉、東京、神奈川、茨城、千葉)について調べたところ、スギの木の多さはスギ花粉症有病率と特に関係がありませんでした。
そこで、スギの木の多さではなく、スギ花粉の多さで比較したところ、スギ花粉が多い都府県では、スギ花粉症有病率が高い傾向がありました。同じスギでも、スギの遺伝的な性質や育つ環境によって花粉生産量は変わります。花粉を多く出すスギが多いと、スギの木自体は少なくても、スギ花粉量が増えて、スギ花粉症患者が増えるのです。図2から分かるように、関東地方はスギ林の面積の割にスギ花粉量が多く、スギ花粉症有病率が高い地域です。九州はスギ林面積の広い地域ですがその割にスギ花粉量は少なく、スギ花粉症有病率が低い地域です。】(清野嘉之)
【スギの品種改良による対策として、少花粉スギの普及と無花粉スギの開発を行っています。雄花をつける量(雄花着花量)は、スギの遺伝的な系統によって大きな差があることが知られています。森林総合研究所では、雄花着花量の系統間での違いを明らかにするために、平成8年度から、全国のスギ精英樹における雄花着花量の本格的な調査を行いました。この調査の結果と、各精英樹の成長・材質特性をもとに、これまでに全国で137品種の「少花粉スギ」(花粉量が一般のスギの約1%以下)(図5)を開発しています(品種数は東北育種基本区2):21、関東育種基本区:57、関西育種基本区:29、九州育種基本区:30)。少花粉スギは精英樹から選ばれているので、成長・材質特性も優れており、従来のスギに代わって使うことができます。】(坪村美代子)

弥彦山登山、国上山、千眼堂吊り橋
【撮影】1日目 12時24分=伊藤 幸司
千眼堂吊り橋はスタスタと歩ける高速道路タイプです。見た目の雰囲気とかなり違います。

弥彦山登山、国上山、五合庵
【撮影】1日目 12時27分=伊藤 幸司
これが五合庵。『くがみ山 国上寺』のホームページでは『五合庵』を次のように解説しています。
【「焚くほどは 風がもてくる落葉かな」
良寛直筆の、この落葉の句碑が五合庵のそばに建てられております。
五合庵は良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵であります。
五合庵の名は国上寺の客僧萬元が貫主良長の扶養を受け、毎日粗米五合を寄せて頭陀の労を援けたことによって名づけられました。
現在の堂宇は良寛在庵時のままではなく、大正3年の再建になっております。
白木造藁葺、間口2間、奥行9尺、面積4.5坪】
『良寛さまのゆかり』というサイトがあります。Tohgaku Nakamura さんという人が良寛の足跡を全国にわたって追いかけているようです。そこに『五合庵』もありました。
【案内板五合庵──良寛が玉島(岡山県倉敷市)の円通寺できびしい修行を終えさらに各地の名僧をまずねて研さんを重ねたのち寛政8年(1796)頃から山麓の乙子神社わきの草庵に移り住む迄約20年間住いしたところである
五合庵の名は貞享(1684〜)の頃国上寺に身を寄せて時の住職を助けて国上寺の阿弥陀堂(本堂)等の再建に身命をかけてその功をなしとげた万元上人にこの草庵と毎日米5合を給したことから名づけたといわれている
現在の草庵は大正3年の再建によるもの
蛇足「五合庵」という名称の由来について──毎日米5合という量は現在の度量衡からすると少なくはないのでこれを万元和尚が生きた時代の5合は現在の1/10であったと説明されることがあるしかし万元和尚が生きた時代と現在の度量衡に日本では10倍の差はないようでむしろ大きく変わってはいないようなので何か別の趣意があって万元は「五合庵」と名付けたのではないかと考えたい。】
伊藤の個人的な意見ですが、江戸時代の扶持米でいわれる「一日五合」にしても宮沢賢治のいう「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」も現実につながる言葉だと思っています。山仕事の人たちが弁当箱に五合詰めたという話だって、つい50年前の山の強力さんたちのごくふつうのことだったようですから。つまり一汁一菜の食生活では「米五合」は一日分の食料という意味でごく一般的な言い方だったと思われるのです。ちなみに私は学生時代に知床の山中で食料を切り詰めた生活を2週間ほど送った後、羅臼の街に下って、飯盒いっぱいの4合のご飯を一気に食べたことがあります。

弥彦山登山、国上山、五合庵
【撮影】1日目 12時28分=伊藤 幸司
五合庵前の広場で私たちは、なぜかとても気分のいい休憩を楽しみました。良寛さんの空気の中にいたからかもしれません。

弥彦山登山、国上山、五合庵、ヤブツバキ
【撮影】1日目 12時30分=伊藤 幸司
五合庵のそばにあったヤブツバキはなぜか独特の存在感を示していました。

弥彦山登山、国上山、国上寺
【撮影】1日目 12時40分=伊藤 幸司
五合庵から吊り橋ではなく、旧路をたどって国上寺(こくじょうじ)本堂へと向かいました。

弥彦山登山、国上山、国上寺
【撮影】1日目 12時46分=伊藤 幸司
国上寺(こくじょうじ)境内に入りました。
『くがみ山 国上寺(こくじょうじ)』という慎重な表現のタイトルのホームページにはこう書かれています。
【新潟県燕市国上に位置します当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。
格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。
御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。】

国上山 登山、国上寺
【撮影】1日目 12時47分=稲葉 和平
越後最古の古刹とのことだが、ホームページによると宗派は、「開山当初は修験道でしたが、時代の権力者の庇護により改宗され、法相宗・天台宗・真言宗醍醐派と転じ、現在では真言宗豊山派に属しています」。時代をさかのぼれば、権力者にとって越後は関東などより経済的にはるかに重要な地位を占めていた。

国上山 登山、国上寺、六角堂
【撮影】1日目 12時47分=稲葉 和平
六角堂。古そうにみえたので撮ったが、1816年の建立。

弥彦山登山、国上山、国上寺
【撮影】1日目 12時48分=伊藤 幸司
『国上寺』のホームページには『国上寺1300年の歴史と伝説』という寺社の紹介としてはわかりやすい解説がありました。
長くなりますが、後ろの方で良寛和尚が登場します。
【◎平安時代と慈覚大師円仁
慈覚大師(794〜868)は最澄の弟子で、唐に渡り修行をしました。天長6年(829年)から3年、東国巡礼の旅に出て、青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島で10を超える寺を開いて、教学を広めました。その頃国上寺にも立ち寄ったのでしょう。
慈覚大師が来山の折に広めたと伝えられているのが、「院宣(いんぜん)祭り」です。摩多羅天神の縁日の10月17日、旧国上(くがみ)村の秋祭りとして院宣祭りが行われていました。
院宣祭りとは、じじばばの面を被った男性が、木製の斧と鉞(まさかり)を持って本堂の欄干の周囲を回り、2周して正面に来たとき、集まった人たちがじじばばの斧と鉞を奪い取るのです。斧と鉞を奪い取った者は、この地区での有名人になるとともに、これらを玄関口に祀ると、その家は無病息災だと言われています。この奇祭も危険でけが人が出たこともあり、今では休止しています。
また慈覚大師が来山以来、国上寺には僧兵が組織されたようです。現在の方丈講堂の柱という柱には、小さな穴が多く残っており、これらは手裏剣を投げた跡だと言われています。柱を人に見立てて訓練したのでしょう。
このように、慈覚大師は院宣祭りと僧兵の文化を残して比叡山に戻られたそうです。
◎平安末期と源義経公
悲劇の武将、源義経公伝説が寺伝にあります。源平の戦の功労者でありながら、兄・頼朝に追われた義経公は、文治3年(1187年)、奈良の吉野山から岩手県の平泉へ逃れます。その途中に国上寺本堂に隠れていたとのこと。当時は山門の奥にある方丈講堂にて住職・役僧・修行僧が住んでいましたが、一般の参拝者は立ち入ることができなかったので、本堂に身を隠したようです。やがて義経公が隠れていることを頼朝に密告する者がいて、一行は寺を去り、弥彦へ向かいました。その折に義経公ご自作の大黒天木像を奉納されました。大黒天が背負っている福袋の背後には、
「治承 庚子年 正月朔日 源義経 華押」
と刻まれています。
◎戦国時代と上杉謙信公
当山の千手観音(客殿に安置)を信心された上杉謙信公により格別の配慮を賜りました。祈願所として十万石の格式を拝領し、七堂伽藍を建立されました。
当時の国上寺には21の坊があったそうで、うちの16坊は古絵図にも十六坊跡とあります。
往時には国上山山中に二十一ケ寺、県内外を含め百三十有余ケ寺の末寺を有し、常時千人以上の修行僧を置き御祈祷所として隆盛を極めました。
◎戦国時代と万元和尚
戦国時代、織田信長が延暦寺を焼き討ちしたように、当寺も何度か焼き討ちにあいました。万元和尚は大和国吉野郡の出身で、比叡山延暦寺で天台宗の修行を終え、26、27歳で諸国行脚に出て佐渡に渡ろうとしましたが海が荒れて断念し、旧知であった国上寺良長住職を訪ねておいでになりました。
そこで万元和尚が目にしたものは、無残にも荒れ果てた境内でした。本堂も焼け落ちていたそうです。見かねた万元和尚は「私に協力させてほしい」と願い出て、越後の隅から隅まで30年という年月をかけて托鉢しました。その間に住んでいたのが五合庵です。五合庵は良寛で有名となりましたが、初代住人は万元和尚なのです。
現在の本堂は4度目の再建で、万元和尚が托鉢した浄財を元に建設したものです。
万元和尚は新潟へ托鉢に向かう途中で病に倒れ、本堂の完成を見ることなく亡くなりました。没後、故人の遺志でお墓を五合庵脇に建立しました。
旧分水町石港の新信濃川右岸の「夕暮れの岡」に祠と万元和尚の歌碑があります。
「忘れずは 道行きぶりの 手向けをも ここを瀬にせよ 夕暮れの岡」
万元和尚は国上寺の中興の祖といわれております。御本尊参拝の折はその遺徳をお偲びください。
◎江戸時代と良寛
18歳で出家してから尼瀬の光照寺、備中の円通寺で修行。円通寺の国仙和尚が亡くなってからは中国・四国・近畿地方を行脚し、大徳のあるところを訪ねて業を重ねました。
京都に滞在中の父親が桂川に身を投げて自殺した後、越後に帰ってきました。良寛38歳の時です。
越後に帰った良寛は、寺泊の照明寺、野積の西生寺・・・等々約10年間処定を定めずに居を移していたのです。
文化元年(1804年)47歳の時に当山内にある五合庵に定住することとなりました。それは即ち五合庵に住んでおられた国上寺の前住職義苗和尚が亡くなられたからです。思えば出家してから30年間、永い漂泊の旅からやっと安住の地を得てほっとしたのでしょう。
「いざここに 我が身は老いん 足びきの 国上の山の 松の下いほ」
と詠んでいます。
その後、乙子神社の草庵に10年住まわれ、さらに島崎の木村元右衛門の小舎に移り、天保2年正月、74歳で亡くなられました。墓は同村隆泉寺に建てられています。
良寛は越後に帰ってから、晩年島崎に移るまで、約30年国上にいたので、今日残っている多くの詩や歌や書は大部分が国上山に住まわれていた時代の作です。
現在五合庵は新潟教育委員会により県の文化財に指定され、永久に保存することとなっています。】

国上山 登山、国上寺登山口
【撮影】1日目 12時50分=稲葉 和平
随分立派な登山口、観光に力を入れているのがよく分かる。

弥彦山登山、国上山、登山道
【撮影】1日目 12時52分=伊藤 幸司
国上寺の境内に登山口があって、そこからこの道が始まりました。

国上山 登山、カタクリ
【撮影】1日目 12時55分=稲葉 和平
ピンボケのカタクリ。国上山もカタクリで蔽われていると無意識に期待していたのだが、考えてみれば時期的に早過ぎた。

国上山 登山、オウレン
【撮影】1日目 12時56分=稲葉 和平
オウレン。早春に花が咲くのは、キクバオウレン、セリバオウレン。

弥彦山登山、国上山、登山道、キクバオウレン
【撮影】1日目 12時57分=伊藤 幸司
ミツバオウレンの仲間でしょうが、画像をいろいろ見ていくうちに葉と花がこれに近いものとしてキクバオウレンが浮かび上がってきました。自信はないですけれど。

弥彦山登山、国上山、登山道、カタクリ
【撮影】1日目 12時58分=伊藤 幸司
登り始めるとすぐに登場しました。カタクリです。
私は佐渡でカタクリの群舞を見るようになってからお向かいの弥彦山を計画したのですが、ここで斑入りのカタクリの葉をみてびっくりしたのを覚えています。
もちろん首都圏から上越では斑入りの葉が基本でしたからその点では当たり前のことではあったのですが、佐渡では斑の入っていない葉がフツーだったので、お向かいさんのここまでが「本州」だと強烈に主張されたように感じたのです。
ちなみにこの写真で手前に出しゃばっているのはカンアオイの仲間のようです。

弥彦山登山、国上山、登山道
【撮影】1日目 13時05分=伊藤 幸司
私たちは標高132mの朝日山展望台から標高313mの国上山山頂へと登っています。東京タワーでいえば高さ150mの大展望台から250mの特別展望台を経て電波塔のてっぺんへと登るくらい。登ってみると、それなりに大きな山だと感じます。隣りの弥彦山が東京スカイツリーですから、ほんとうにお手軽コースなんですよね。

国上山 登山
【撮影】1日目 13時06分=稲葉 和平
カタクリがない! 前回とのあまりの違いに驚いたけど、考えてみれば特に不思議はない、とこの時点で悟った。

弥彦山登山、国上山、登山道
【撮影】1日目 13時06分=伊藤 幸司
でも「山ですから」道は1分後にはこんなふうに変顔するというわけです。「1分後」と知って、改めて前の写真を見直しましたが、カメラが記録した時刻ですから信用できます。写真のExif情報を見てみると前の写真は「13:05:03」でこの写真は「13:06:48」ですから正確には1分45秒後になります。
写真のコマ番号によると前の写真はNo.151でこの写真はNo.155。間に3コマ絵があるので見てみると、この階段は列の先頭メンバーがすでに通過しようとしているところでした。
前の写真で見たおおらかな尾根道でも、この程度の変化は含まれているということがわかるのです。じつはそういう「序破急」が登山道の魅力だと考えていて、私は一般にいわれるハイキングルートで公園施設のように整備の行き届いたところは、できるだけ避けるようにしています。
ちなみに「序破急」とは『コトバンク』の『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説』によれば、
【日本音楽,舞踊,芸能および文芸における形式原理用語。「序」「破」「急」3語の合成語。普遍的概念としては,1つの様式を3段に分割すること。対照の原理によらず漸次変化の原理により,本格から破格へ,静から動へ,緩から急へといった変化過程において,常に漸層的変化の形式をとるための3部分構成を示す。 】
登山道におけるこの「序破急」の要素を、自分の安定したエネルギー出力でなだらかにコントロールしようとすることで、自分のカラダの声を聞きながら動けるようにすることが一番重要だと思うのです。「気持ちよく歩けているか」「からだを偏りなく使っているか」という感覚が維持できれば「このままどこまでも歩いていけそう」というウォーキング・ハイを体感できる可能性が出てきます。まずは転ばないように注意しながらも、歩きながら「楽しい」という気持ちになることが、こういう小さな変化の中で生まれると思います。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時13分=伊藤 幸司
ショウジョウバカマは雪が消えると消えた縁に次々に顔を出してくるという印象があります。カタクリよりは少し早いのではないかと思うのです。そういう意味でここにこれがあるということは……?

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時14分=伊藤 幸司
すでに見たキクザキオウレンです。この写真では葉の形がよくわかります。
鈴鹿医療科学大学の梶本先生のものらしい『木々の移ろい』というサイトの『四季の草花』に『キクバオウレン-菊葉黄連』がありました。
【オウレンには幾つかの種類があるが、早春に咲くキクバオウレン、セリバオウレンとバイカオウレン、5-8月に咲くミツバノバイカオウレン、8-9月に咲くミツバオウレンなどがある。キクバオウレンとセリバオウレンは花は似ているが葉が異なる。キクバオウレンの方が葉の分離が少なく大型である。葉は3出複葉で小葉は羽状に深裂する。
3-5月に白い花を付ける。花弁に見える白い披針形の萼片が5-7枚あり、やや短い白い花弁が同数程度あるので、花は複雑な形に見える。多数の雄蘂が噴出するように見えるのが雄花で、中央に緑の雌蘂が見えるのが雌花である。】

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時14分=伊藤 幸司
キクバオウレンの花をアップで撮りました。「花弁に見える白い披針形の萼片」というのがなかなか特徴的ですね。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時14分=伊藤 幸司
私はちょっとイライラし始めていました。こんな感じの場所には、カタクリがずらりとあっていいはずなのに、と。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時15分=稲葉 和平
オオミスミソウも数は少なそうなので、とりあえずパチリ。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時15分=伊藤 幸司
ここにもキクバオウレンがのびのびと育っていました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時17分=伊藤 幸司
オオミスミソウの登場です。
『フォトライター・日野 東』の『Nature Log』の『植物記』に『ミスミソウとオオミスミソウ』がありました。
【ミスミソウとオオミスミソウは、キンポウゲ科ミスミソウ属の常緑の多年草。前者は、本州中部地方以西と四国、九州、後者は本州の日本海側に分布し、葉は浅く3裂するので、全体としては三角状をした特徴的な形をしており、これがミスミソウ(三角草)の由来である。オオミスミソウは、名前の通りミスミソウよりも葉や花が大きい上に花色も白色、淡紅色、濃紫色、淡紫色などの変異があり、春まだ浅い山の斜面に鮮やかな花を咲かせる姿は、「何という美しさか」と驚嘆するほかない。】

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時19分=伊藤 幸司
立て札には「治水遺産大河津分水」とありました。信濃川からこちらに分水するそのあたりが展望できる、という場所です。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時20分=伊藤 幸司
「治水遺産大河津(おおこうづ)分水」の展望ですが、一番手前にある(一番小さく見える)鉄橋がJR越後線で、その次の2本重なって見えるものの手前側が国道116号の橋。そしてその先に重なって見えているのが分水路への水量を調節する「可動堰」になるようです。信濃川はその可動堰の先を画面左方向に下っていきます。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時23分=伊藤 幸司
ここではキクバオウレンの花の部分に何か緑色のものが出てきていますが、何ですかね。

国上山 登山
【撮影】1日目 13時24分=稲葉 和平
日本海が見えた。「翔んで埼玉」で海に囲まれた千葉県に馬鹿にされているようだけど、海のない県に住んでいるせいか、海を見るとうれしい。

国上山 登山、山頂
【撮影】1日目 13時25分=稲葉 和平
たぶん前回も来ていたのだろうけど、記憶になし。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時25分=伊藤 幸司
これはどうもアオキの雄株の蕾のようです。赤い実をつける雌株の花とは違うようなのですが、蕾の段階での相違点はなかなか参考になる写真が見つかりません。
『身近な自然を撮る』というブログに『アオキ(青木) 雌株と雄株』(2011年04月01日)がありました。
春の写真が並んでいました。その文章です。
【秋に熟した果実が残っている。
艶やかで美しい。
まだ青い実もあるし、半分だけ色づいたものもある。
アオキは雌雄異株である。
雄株には雄花、雌株には雌花が咲き、実をつけるのはむろん雌株である。
赤い実につい目を奪われるが、枝先には花芽ができている。
春の光を浴びてひそやかな鼓動がきこえてくる。
もうすこし暖かくなると花が咲きだす。
とてもちいさなチョコレート色の花。
ここに載せた花は昨年撮ったものだ。
雄花も雌花もお腹を抱えて笑っているような佇まいにみえる。】

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時26分=伊藤 幸司
国上山の山頂です。左側に日本海が広がっていました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時30分=伊藤 幸司
これが国上山山頂から見下ろした日本海。一番奥に見える山並みは親知らずから駆け上がっていく北アルプスでしょうか。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時33分=伊藤 幸司
国上山山頂です。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時34分=伊藤 幸司
国上山山頂の三角点標石の上に蝶が止まっていました。とりあえず撮って帰りましたが、翅の模様がよくわかりません。何の手がかりもないときに私が頼りにするのは『山の花1200』(青山潤三・2003年・平凡社)の巻末にある「山の蝶117種」で、そこで分野を絞って、グーグルの画像検索で調べていきます。似たチョウがいくつか見つかりましたが、どうもアカタテハらしいとして、今度は「弥彦山の蝶」で検索すると『Nature』というサイトに『弥彦山の蝶リスト』がありました。
『Nature』というサイトは対象を絞っていてトップページで【Natureでは、近くの弥彦山、角田山で撮影した花と小動物の写真にエッセイ、それに蝶のリストを、そして越後平野の風物、あるいは原風景とも言える、稲架木(はさぎ)の写真を紹介します。】としています。
そして『弥彦山塊のチョウ類目録』を開くと、74種のチョウの名前が列記されていて、アカタテハとヒメアカタテハがありました。【このリストは角田山塊の自然(巻町双書)をベースにしました。赤は私が標本を持っていない種類、青は本の目録に載っていない種類です。】という注記もありました。
元に戻って『山の花1200』で『アカタテハの仲間』を読みました。
【日本産の250種前後の蝶のうち、唯一世界に共通分布する種がヒメアカタテハ。また、日本全土に分布する唯一の種(アゲハチョウとアカタテハがそれに準じる)で、南方の絶海の孤島から、北国の高山の頂までいたるところで見かける。アカタテハは赤色が濃く、後翅表は一面に褐色。ヒメアカタテハは花の蜜を、アカタテハは樹液や果汁を好む。】
なかなかすごいチョウなんですね。
『ほくせつの生き物』は大阪府池田市の環境カウンセラーの方による『北摂の地域情報』ということらしく、そこに『成虫で冬越するチョウ…アカタテハ』がありました。
【2006年1月1日午後1時、年賀状を出そうと出かけると1匹のチョウが飛んできました。アカタテハです。
チョウのなかまには成虫で越冬するものも多く見られます。このアカタテハも成虫越冬です。成虫越冬するチョウは暖かい日にはこのように飛び出してきます。日向ぼっこをするところを私に邪魔されてすぐに飛んで行ってしまいました。】

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時37分=伊藤 幸司
国上山山頂から先へと進みます。前方に見えているのは弥彦山。縦走するとなるとなかなか大変だと思います、けれど。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時37分=伊藤 幸司
このへんはカタクリの花であふれていなければいけない感じだと思うのです。今日はともかく、明日の角田山のことがちょっと心配です。
じつは今回、計画が(これまでの安全パイからすると)1か月早かったのです。
ここで白状します。佐渡は金北山を目標とした計画を5月にすると、金北山に通じる稜線はまだ雪で縦走は厳しいものの、その稜線に至る沢筋のルートはカタクリやシラネアオイの乱舞を堪能することができる早春のお花畑だったのです。4月と5月に5回計画しましたかね。
その間、海を隔ててお向かいの弥彦山塊にもカタクリが咲き、とくに角田山は素晴らしいと知ってそちらも計画するようになりました。佐渡のように高価なジェットフォイル(水中翼船)を使わずにすみ、加えて新潟の奥座敷として発展した岩室温泉にいい宿が見つかったりして、こちらがカタクリでは主流となったのです。
その最初、佐渡のカタクリのベストシーズンだった5月に角田山に登ると、カタクリはもう終わっていたのです。それから4月に登るようになり、1日目の国上山でもカタクリを楽しめることがわかってきました。弥彦山の山頂はまだ早すぎるのですけれど。
そうやって、年度替わりの4月に2011年、2016年と角田山に登ったのですが、今年はなぜかそれを3月にしたのです。計画は半年ごとに立てるので下期のものは8〜9月に決めるのですが、そのとき、年度末の3月に、この弥彦山をひょいと入れてしまったのだと思います。全く覚えていないのですけれど。
でも楽天的に「今年は2週間は早く咲くかもしれない」などと思いながら来たのです。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時40分=伊藤 幸司
山頂から下り始めると、オオミスミソウが出始めました。
『明治大学 植物保護研究部 徒然なる日々』というブログに『日本海の春に咲く青い花 オオミスミソウ』(2014-03-23)がありました。ちょうど同じ時期のレポートです。
【3月ももう後半、すっかり春らしくなってきました。
そこら辺の野原でも、春の花がその姿を主張し始めていますね。
さて、今月19日、その春の花の中でも、ひときわ色彩豊かなある花を求めて、新潟県弥彦村まで行ってまいりました!
そのある花とは…オオミスミソウ です。】
【主に日本海側に分布するオオミスミソウは、白花の多い関東地方の他のミスミソウ属と比べ、花色が白、赤、紫、桃、そして青と非常に色彩に富んでいる。
オオミスミソウの有名な産地としては、新潟県の佐渡島、角田山、弥彦山が挙げられる。
というわけで、青いオオミスミソウを求め、新潟県弥彦村にある弥彦山まで、0泊3日の夜行バスの旅です。】
このレポーターは【道中ちらほら見られたコシノカンアオイを撮り逃して】【オウレンを見つけました】【これはカタクリの蕾です。もう少し時期が遅ければ、花も見れたかもしれませんね〜】と弥彦山に登ったのです。
【そしてさらに登ると、ついにオオミスミソウの姿が…!(ピンボケですみません)
おお!花は開き切っていませんが、ほんのり青みがかってます。
周辺を見回すと、あちこちにいろいろな色のミスミソウが 白花! 薄ピンク! 紫!(青と紫の違いって…)
見事に蕾ばかりです。
やはりまだ少し早かったか…(見ごろは4月初旬ごろ)
そしてこれがオオミスミソウの葉です。
こうして葉先が尖っているのがミスミソウ、丸まっているものはスハマソウと区別されます。
が、実はオオミスミソウの場合はあまりあてになりません。
オオミスミソウの一番の特徴は、変異の多さです。
花色はもちろん、花弁(厳密には萼片)の数、雄しべ雌しべの色、そしてミスミソウ属の見分けの要にもなっている葉の形まで、多種多様なのです。】
【登山道脇の斜面に、開花している個体を見つけました。
この個体は他のミスミソウより一回りほど大きいです。
サイズの差も変異がなせるわざなのか…
さらに奥の斜面には、紫色の大きめの個体がありました。
うーん、綺麗ですねぇ。
たくさんのミスミソウを観察できましたが、解説版にあったような真っ青なミスミソウは見当たりませんでしたね、残念!】

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時41分=稲葉 和平
やっときれいな色のオオミスミソウ。でも光の具合がいまひとつ。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時41分=稲葉 和平
アップでシャッターで撮った、焦点があっていないのが分かって、ガッカリ。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時43分=稲葉 和平
このあたりからフレッシュなオオミスミソウが現れてきた。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時43分=稲葉 和平
ブルーのオオミスミソウ。光線の具合か色合いがもう一つというところ。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時43分=伊藤 幸司
オオミスミソウはこんなふうに咲いています。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時43分=伊藤 幸司
前の写真のオオミスミソウのクローズアップです。純白の花弁に紫の雄しべですよ。まるで上品なブローチですよね。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時43分=伊藤 幸司
こちらのオオミスミソウはブルーと白とのツートンカラー。若いときから2色だったのか、熟成して2色になったのかわかりませんが。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時43分=伊藤 幸司
この2つの花を見ると、ブルーと白の配分は刻々と変化していくのかも知れません。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時43分=伊藤 幸司
女性に例えれば熟女の顔かもしれません。鏡に向かってほんのちょっと化粧すれば、見違えるものになるでしょう。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時45分=稲葉 和平
白のオオミスモソウ。色は上々。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時45分=伊藤 幸司
オオミスミソウの名の由来とされている葉っぱです。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時46分=伊藤 幸司
四姉妹という感じのオオミスミソウですね。春の妖精、スプリング・エフェメラル(はかない春の花)と呼ばれるにふさわしい、つかの間の輝きを感じさせます。
『季節のスケッチ』というサイトに『春の妖精たち(スプリング・エフェメラル)』がありました。
【スプリング・エフェメラルについての分類学上の明確な定義はないが、各種資料によれば以下のような植物がわが国の 代表的なスプリング・エフェメラルとして挙げられている。
◎ユリ科
カタクリ、キバナカタクリ、アマナ、キバナノアマナ、ヒロハノアマナ、ホソバノアマナ、ヒメニラ、バイモ属コバイモ類(アワコバイモ、コシノコバイモ、トサコバイモ、ミノコバイモ、カイコバイモ、ホソバノコバイモ、イズモコバイモ)
◎シュロソウ科(旧ユリ科)
ショウジョウバカマ
◎キンポウゲ科
イチリンソウ、ニリンソウ、キクザキイチゲ、ユキワリイチゲ、アズマイチゲ、ハルオコシなどのイチリンソウ属、セツブンソウ、キバナセツブンソウ、フクジュソウ、フクジュカイ、チチブベニ、ミチノクフクジュソウ、サバノオ、トウゴクサバノオ、サイゴクサバノオ
◎ケシ科
エゾエンゴサク、オトメエンゴサク、ヤマエンゴサク、ジロボウエンゴサク、ミチノクエンゴサク、ムラサキケマン】
ここでは残念ながら、キンポウゲ科のミスミソウ、オオミスミソウ、スハマソウが忘れられています。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時46分=伊藤 幸司
こちらのオオミスミソウはブルーの三姉妹、という感じ。ここには紅色系のものがありませんでした。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時47分=伊藤 幸司
アオキの雌株は冬の間じゅう赤い実をつけて、鳥たちの気を引いているのだそうです。かなり特殊な自己表現をしているのに、私などはなんとなくありふれた存在という感じで見ています。
アオキは日本原産でありふれた木、なのですが、海外で新しい庭木として磨かれて輸入されつつあるという解説がネット上にありました。
『リアガーデン』という名のエクステリア&ガーデン設計施工会社(茨城県牛久市)のサイトに『【低木】 アオキ Aucuba japonica 〈常緑広葉樹〉』がありました。
【アオキという樹木の名前を、皆さん一度くらいは聞いたことがあるかと思います。
地味、日陰…従来のアオキのイメージはこのような感じだと思います。
しかし、アオキを侮ることなかれ!
日本よりもむしろ海外で大人気のアオキ。
明るい葉色や奇抜な葉の模様が次々と海外で生み出されました。
それが日本に逆輸入され、日本でもその価値が見直されつつあるアオキをご紹介します!】
【アオキは日本各地と朝鮮半島が原産。
学名の「japonica」がそれを物語っています。
原産地日本ではありふれた植物だったため、さほど人々の関心もアオキに向かなかったのだと思います。
一方、海外、特にイギリスでは、常緑で照葉、赤い実を付けるアオキがとても新鮮に映ったのだと思います。
元々イギリスは固有の植生が乏しく、それが園芸大国イギリスになる原動力でした。
アオキがイギリスに導入されたのは17世紀末頃。
その頃からエキゾチックな雰囲気を持つアオキは人気を博していました。
しかし、イギリスに導入された個体は「雌木」だけだったそうで、(アオキは雌雄異株です!)鮮やかでつややかな赤い実は雄木がなかったため、イギリスでは楽しむことができませんでした。
時を経て、19世紀半ば。
スコットランド出身のプラントハンター、ロバート・フォーチュンは
日本を訪れた際、念願のアオキの雄株を入手。
本国イギリスで雌株のそばに植え付けて赤い実を実らせたそうです。
イギリス人の、アオキの実に寄せた想いが伝わってくるエピソードですね。】
【海外では、アオキは常緑で照葉、赤い実も美しく、しかも植木として性質強靭で扱いやすいことから「パーフェクトプランツ」と呼ばれています。
耐陰性もかなりあることから、室内で観葉植物として扱われることもあるそうです。】
【アオキの園芸品種は、葉の形がずんぐりとしていて面白い「達磨型」のものや、外斑、中斑、散斑、散斑の入り方が少ないタイプ、細葉…と実に様々です。
日陰地をぱっと明るくしてくれて、丈夫に育つアオキ。
日向でももちろん育ちますが、夏場の強い日差しで葉が焼ける場合もあります。
樹高は大きくなると2〜3mほど。
苗木では小さいものから流通しています。
斑入りの品種の方が葉緑素が少なく、生長のスピードはゆっくりです。
そしてやはり、冬の庭を彩る赤い実は欠かせませんね!
園芸店で苗を購入される際は「雌木」であるかどうか、チェックをお忘れなく!】

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時50分=稲葉 和平
色はきれいに撮れたけれど、花弁の上部に影が入ってしまった。

国上山 登山、オオミスミソウ
【撮影】1日目 13時50分=稲葉 和平
影を避けたら、距離が遠くなって、うまくいかない。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時55分=伊藤 幸司
ここは蛇崩と呼ばれる展望地点だと思います。弥彦山と最接近しているのですが、足元には崩落地があるようです。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時58分=伊藤 幸司
蛇崩から見た弥彦山ですが、おそらく奥のアンテナが弥彦山の山頂にあって、手前のアンテナは586m峰の山頂だと思います。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 13時59分=伊藤 幸司
山頂から蛇崩までは北に下っていましたが、その後反転して南に戻る下りになります。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時06分=伊藤 幸司
ずいぶん下がってきましたが、やはり越後平野を見下ろす展望がありました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時06分=伊藤 幸司
これは越後平野越しに見える粟ヶ岳(標高1,293m)です。朝日山展望台から見たときと比べると、はるかにはっきりと見えるようになりました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時10分=伊藤 幸司
ショウジョウバカマがありました。

国上山 登山、カタクリ
【撮影】1日目 14時12分=稲葉 和平
数は少なくても見ごろのカタクリ、とりあえず満足。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時14分=伊藤 幸司
今度はカタクリ。なんだかとても素直に育ったというふうに見えました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時14分=伊藤 幸司
ご存知のように、カタクリの花は晴れた日でないと開きません。でもギンギラギンの太陽光の下だと、写真写りに問題が出てきます。これなんかは(白トビした部分があって、完全にダメという人もいるでしょうが)かなりうまく写させてくれたカタクリさん、という感じです。内側のサクラマークも、見たかったら花を手にとったりしないといけないのに、なんとなく見せてくれる神対応でしたし。
『4travel.jp』は『旅行のクチコミと比較サイト』だそうですが、『はかない日差しの下の小川町カタクリ詣(1)反り返っている方が貴重だったカタクリ』(2010/03/26)という悔しさいっぱいのレポートがありました。
【はかなさにたとえられるスプリング・エフェメラル───春の妖精。
7年もかけて、まだ寒い春先に花を咲かせ、日差しとともに花びらを反り返らせ、夕方には再び花びらを閉じることを繰り返して4日ほどで、花も葉っぱも地上から姿を消すカタクリ。
そのカタクリを撮ろうと今年もせっかく休みをとって平日に小川町の群生地にやってきたのに、天気はあいにくの曇り空。
花びらが光に透けるカタクリどころか、ぎっしりと満開の花のほとんどが、閉じた傘か釣り鐘状態でした(泣)。
デジカメを手にし、花撮影にいそしむようになって、やがて満4年。
小川町のカタクリ詣なくして、本格的な春を迎える気分になれません。
ただ、ちょっとあわてて出かけるハメになったのは確か。
いや、花は斜面にぎっしり満開で、花びらが痛んだ、そろそろ末期の痛々しい花が目立ったくらいなので、むしろ遅いくらいでしたが。
なにぶん、ほとんど日が差さなかったから。
翌日の土曜日なら晴天で日差しに不自由せず、たっぷりと日の光を浴びた花びらがちゃんと反り返っていたろうと思うと、くやしくて、くやしくて。
いや、この日も午後には日差しが戻ってきました。
でも、夕方に用事があったから、みるみる花が反り返っていきそうですらあったカタクリの群生地を、その頃には後にしなければなりませんでした(泣)。
これで4度目の小川町のカタクリ詣ですが、残念ながら今回は最悪のコンデションだったといわざるをえません。
前日までの、いや早朝まで降っていたらしい雨のせいで地面はぬかるんでいてすべりやすく、斜面で撮影していたらずるずるとずり落ちそうになりました。
ビニールシートを持参したのですが、それでもズボンは泥だらけ。
しかも、肝心のカタクリはほとんどが釣り鐘状態(泣)。
あんなにすばらしい群生地なのに、カタクリらしく反り返っている花の方が貴重だった上、花びらが痛んでいない花はほとんど見つけられなかったくらいでした。
もっと理想的な群生ぶりを見たことがあるだけに、がっかりしてしまったのは確かです。
それでも、出かけたことを後悔するはずはありません。
毎年撮りに通っていれば、不調な年やタイミングが合わない年があるのも仕方がありません。
カタクリらしい花は少なかったけれど、全くなかったわけではないし、行かなきゃ会えないし撮影できないのですから。】

国上山 登山、キクザキイチゲ
【撮影】1日目 14時18分=稲葉 和平
キクザキイチゲ。白い花の写真は難しい。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時18分=伊藤 幸司
カタクリがあればこれもあるはず、と期待感をもって探していたキクザキイチゲがありました。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時19分=伊藤 幸司
カタクリの隣に出てきたのはバイモ、これはコシノコバイモだと思います。
『ウィキペディア』の『コシノコバイモ』によると日本固有種で【本州の山形県から石川県にかけた日本海側、静岡県、岐阜県、愛知県に分布し、山地の林内に生育する。】とのこと。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時19分=伊藤 幸司
『HiroKen 花さんぽ 野山に咲く花のページ』に『コシノコバイモ』がありました。
【地下に2個の鱗片から成る径10mmほどの鱗茎があり、そこから茎を伸ばし花を1個だけつけます。種子が発芽しても、一気に花を咲かせられる個体に成長するわけではありません。開花までは6〜7年を要するといわれ、それまでは毎年1枚だけ葉を出しては枯れる、この繰り返しだそうです。長い下積み生活を乗り越えて、ようやく山野草界にデビューできるのですね。
葉の下に隠れるように、うつむいた小さな花を咲かせます。この花は奥ゆかしさや、はかなさのようなものを感じさせ、日本人の美意識に訴えてくる、不思議な魅力があります。そのせいか地味でありながら、男女を問わずこの花のファンは多いように思います。斯く言う筆者もその一人です。】
【花は広めの鐘形で、花被片は挟い楕円形で長さは15〜20mm、幅は6〜7mm。基部付近の花被片は横方向やや下向きですが、1/4〜1/3あたりで急に下に折れ曲がります。折れ曲がる部分は角ばって強く張り出し、角の部分の色が濃くなっていることが多く、目立ちます。花被の先端はほとんど反り返りません。
筆者はこの花の形を「開いている折り畳み傘を畳むときの形に似ているよね?」と人に言うのですが、なぜか賛同を得られたことはありません。】
【葉は5個で、柄がなく、茎頂部に3葉を輪生状につけ、少し下に茎頂の3葉よりも大きな葉を対生させます。葉身は披針形〜広線形で、長さは3〜6cmです。縁は全縁で無毛、葉脈は目立ちません。】

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時20分=伊藤 幸司
さあて、ここがカタクリの大群落斜面なのですが、さみしい状態でした。

国上山 登山、ショウジョウバカマ
【撮影】1日目 14時22分=稲葉 和平
ギリギリセーフという感じのショウジョウバカマ。シーズンはまだまだこれから。

国上山 登山、カタクリ、オオミスミソウ
【撮影】1日目 14時22分=稲葉 和平
ちょっと寂しいけれど、なんとかカタクリの蕾と青と白のオオミスミソウのそろい踏み。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時23分=伊藤 幸司
キクバオウレンがありました。よく見るとカタクリの葉もありますし、たぶんショウジョウバカマの葉も。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時24分=伊藤 幸司
ここではショウジョウバカマは葉だけがあって、カタクリと、オオミスミソウとキクバオウレンが花をさかせていました。ちょっと貧弱ですが、春爛漫の光景です。

弥彦山登山、国上山、
【撮影】1日目 14時25分=伊藤 幸司
画面左上に自動車道路が見えてきました。まさにこの斜面がカタクリなんです。1か月後には立派に咲いているんでしょうか。

弥彦山登山、国上山、良寛像
【撮影】1日目 14時41分=伊藤 幸司
最初の朝日山展望台のところへ戻りました。これは子どもたちと遊ぶ良寛像。

弥彦山登山、国上山、良寛像
【撮影】1日目 14時41分=伊藤 幸司
これは前の写真の、子どもたちと遊ぶ良寛像のアップ。いろいろ調べてみたのですが、作者や建立の経緯などまったくわかりません。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 15時13分=伊藤 幸司
宿泊は岩室温泉の高志の宿・高島屋。国登録有形文化財の「泊まれる料亭」だそうで、新潟の奥座敷として新潟県の芸姑発祥の地を代表する旅館です。
ちなみに「古志」は「こし」と読み「越」の古語とか。『ウィキペディア』に『越國(こしのくに)』がありました。
【越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。】
【現在でも北陸地方を中心に「越」「高志」「古志」にちなむ名がみられる。
地名としては新潟県中越地方にあった古志郡や山古志村が挙げられる。また、富山県下新川郡朝日町には古志神社がある。
学校名としてもよく用いられ、新潟市に高志(こうし)中等教育学校、福井市に高志高校、富山県黒部市に高志野中学校がある。
そのほか、コシヒカリ、コシサウルス、越乃寒梅、高志インテックなど。富山市に2012年7月開館した文学館は高志の国文学館と命名された。】
高志の宿・高島屋ですが、もちろん山歩きの糸の会では宿泊費の基準を北アルプスの山小屋として、50%増しあたりまでと考えているので有名温泉の有名旅館はのっけから対象外なのです。……が、有名旅館の旧館などで共同トイレのままだったりすると驚くほど安かったり、また部屋数を限定して格安の特別プランが用意されている場合があります。今回も16,350円+入湯税という特別プランがあったのです。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、靴一覧
【撮影】1日目 15時16分=伊藤 幸司
到着するとまずは飲み物が出て、ロビーで一息ついてから館内の説明などが行われました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 15時29分=伊藤 幸司
これが私たち10人の靴一覧。前列中央にあるのがここ7〜8年履き継いでいるアシックスの運動靴。ネットで5,000円前後で買えるのですが、おそらくスポーツ少年たちがトレーニング・シューズとして履いているだろうと思われる定番です。これ一足で夏(の岩場)も冬(の雪)もすべてに使用してつま先や小指が当たる部分が壊れてくるまで(以前、月に10日使用のときには1年半ほどでしたが、月に5日使用となったここ数年は2年ほど)履きっぱなしです。
糸の会の初期(というと20〜25年前)には入会してきた皆さんがこぞって有名「軽登山靴」を履いていて、それがちょっとでも足に合わないと「足に合う靴」や「足に合うメーカー」を次々に紹介されたりして、みなさん登山用品店の売上げに貢献していました。
私は(何度も書いていますが)超初心者の登山講座で靴の性能より重心の調整が「滑らない」ことに対して有効だということを発見して「跳んだり走ったりできる靴」をすすめてきました。
ここにはゴアテックス防水のついた軽い「軽登山靴」が多いのですが「靴下を濡らさない」という雨靴機能が最近の最重要ポイントとなっているようです。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、主屋
【撮影】1日目 15時35分=伊藤 幸司
高島屋のファサード。昔はこの車寄せスペースが全く違う顔をしていたはずですよね。正面に主屋があって、その右側が現在の玄関です。
この建物についての新聞記事がネット上にありました。『観光経済新聞』の『旅館・ホテル』に『国の有形文化財に登録 高志の宿高島屋』(2004年8月14日)
【高志の宿高島屋(新潟県岩室温泉)がこのほど、国の有形文化財に登録された。登録されたのは主屋、土蔵、旧米蔵の3件。このうち主屋は宝暦5年(1755年)建築。鴨居を多用して5間続きの開放的な空間を構成するなど、江戸時代後期の富農民家建築の特徴を残している。土蔵、旧米蔵もそれぞれ明治初期、昭和初期の建築で、上層農家の屋敷構えを示している。】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、玄関
【撮影】1日目 15時37分=伊藤 幸司
玄関です。奥の明るい部分は中庭です。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、囲炉裏
【撮影】1日目 15時39分=伊藤 幸司
ロビーの奥は囲炉裏のある和室になっていて、その角に木彫の良寛和尚が座っています。
ここは元庄屋の高島家で、国上山の五合庵から良寛和尚がしばしば訪れたということです。
『岩室温泉高島屋ブログ』に『大きな古時計』(2017年01月15日)というのがありました。
【雪の日の築260年のロビーは静かに空気が流れます。ただ聞こえるのは大きな古時計のカチカチという時を刻む音だけ。この時計はもう百年以上ここで起きるすべての事を見続けてきたことでしょうね。私たちは、時計さん頑張って動き続けてねって思っているけど、きっと時計さんは、お前らも頑張れよって思ってますね。今も3時のお知らせを3時2分に鳴らしてました。たまにボンボンの回数間違えるお茶目な時計さんです。高島屋の大切な古時計です。女将の高島でした。】
『岩室温泉高島屋ブログ』に『囲炉裏』(2016年11月07日)もありました。
【こんばんは、接客係の星です
最近本当に寒くて
手が悴んでしまいますね
高島屋にはずっと火を絶やしていない
囲炉裏があります
灰の中に炭があり火がついているのです
そーっと手を近づけると…
あたたかい!!
ほんわかあたたかく伝統ある囲炉裏です 
高島屋にいらっしゃったときには
ぜひ、囲炉裏を家族で囲んでは
いかがでしょうかo(*⌒―⌒*)o】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、中庭
【撮影】1日目 15時39分=伊藤 幸司
玄関から入ると向こうに見える明るい空間がこの中庭。下駄をつっかけて庭に降りると錦鯉が泳ぐ池があって、その池が庭の奥へと導いてくれる感じになっています。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、キクザキイチゲ
【撮影】1日目 15時40分=伊藤 幸司
高島屋の庭にはキクザキイチゲがありました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、キクザキイチゲ
【撮影】1日目 15時40分=伊藤 幸司
キクザキイチゲはキクザキイチリンソウとも呼ばれていて、やはり早春にだけ姿を見せるスプリング・エフェメラル(春の妖精)。
『ウィキペディア』の『キクザキイチゲ』にはこう書かれています。
【北海道、本州の近畿地方以北に分布し、落葉広葉樹林の林床などに生育する。高さ10-30 cm。花期は3-5月で、白色〜紫色の花弁状の萼片を持つ花を一輪つける。花弁はない。キクに似た花を一輪つけることからこの名がついた。】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、フキノトウ
【撮影】1日目 15時41分=伊藤 幸司
フキノトウは、山菜としてはすでに「とうが立った」状態でした。
ちなみに『コトバンク』で『薹が立つ』を調べてみると『大辞林 第三版の解説』には
【①野菜などの花茎が伸びて硬くなり食べ頃を過ぎる。
②若い盛りの時期が過ぎる。年頃が過ぎる。】とありました。
念のためむずかしい「薹」という字を調べたら【〔形が塔に似ているところからいうか〕アブラナ・フキなどの花茎。】(のためだけ?)にわざわざこの難しい文字を用意している(残している?)ようです。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、オニシバリ、ナニワズ
【撮影】1日目 15時41分=伊藤 幸司
これは私の全く知らない花でした。でもこの時期にこの葉っぱでこの花なら画像検索で頑張れば軽く見つかるんじゃないかと思って始めたのですが「シキミの仲間ではない」とわかっただけでそのあと迷宮状態に。これで最後、というところで「シキミに似た木の 黄色い4弁の花」と検索したら出てきました。
『Science Museum Tokyo』というサイト名の『自然との出会い』の『第61号・「続 早春を彩る草木に拾う」』(撮影・解説:永井 昭三)に『オニシバリの花』がありました。
【福島より南の温かい地方の山に生えている落葉低木です(1m前後)。雄の木と雌の木があります。茎の下の方から枝を分けて、枝先近くに、両端が細くなった細長いだ円形の葉(表は明るい緑色で、裏は粉白色をおびた緑色をしている)を互生させています。
2〜4月にかけて、枝の先近くの葉の脇に、淡い黄緑色の花(雄の木には雄花を、雌の木には雄花より少し小さい雌花をつけている)をかためて咲かせます。花には、淡い黄緑色のがく筒(先が4裂している)・おしべ8本(上下2段につけており、雌花のものは退化して小さい)・めしべ1本(雄花のものは退化して小さい)が見られます。
名前は、木の皮が強くて切れにくいので、鬼でもしばれるほど強いという意味でつけられたものです。】
写真には【東御苑二の丸庭園】とありますが、どこでしょうね。……というわけで調べてみると「皇居東御苑 二の丸庭園」のこと。じゃあ著作権者のScience Museum Tokyoを調べてみると「科学技術館」とのこと。名前がシンプルすぎるので怪しいものかと思ったら、ノーベル化学賞を受賞した野依良治が館長というのがすごい。『科学技術館』で見てみると【昭和39年4月に科学技術の知識を広く一般の人たちに普及する目的で開館された科学技術館は、美しい緑に囲まれた皇居のほとりにある北の丸公園の中にあります。
建物は、宇宙に散在する星をイメージしたデザインの外壁で覆われ、上空から眺めるとまるで漢字の「天」という字の様に見えます。】とのこと。
ついでに『自然との出会い』の植物編を担当している永井 昭三という人を調べてみるとありました。『永井昭三先生
平成21年度の文部科学大臣表彰科学技術賞(理解増進部門)受賞おめでとうございます 』というpdf文書です。

【このたび、科学技術館メールマガジンの「自然と友だち」の執筆を担当されている永井昭三先生が、平成21年度の文部科学大臣表彰科学技術賞(理解増進部門)を受賞されました。おめでとうございます!
今回の受賞は、科学技術館での活動として行われている「低学年児童を主対象とした思考力育成の科学理解増進活動」の業績が認められたものです。また永井先生には、科学技術館サイエンス友の会の講師としても、大変お世話になっております。
表彰式典が 4 月 14 日(火)、虎ノ門パストラルにてとり行われました。 】
オニシバリという名については『ウィキペディア』の『オニシバリ』に『和名の由来』がありました。
【樹皮が強靭で、枝を折ってもちぎれないことから、この木の樹皮で鬼を縛っても切れないだろうという意味で、オニシバリ(鬼縛り)といい、また、夏に一時落葉することから、ナツボウズ(夏坊主)という。】

■コメント1:稲葉 和平=2020.4.4
コーチの写真の中でオニシバリとあるのはナニワズです。
オニシバリはナニワズに比べると大分ポピュラーなようで、鎌倉などでもよく見かけます。花の色は黄緑でナニワズに比べると花のサイズも小さく、葉の陰に隠れているので目立ちません。

■コメント2:伊藤 幸司=2020.4.18
ご指摘ありがとうございました。
もう一度調べ直してみると、花に詳しい皆さんなら「沈丁花に似た雰囲気の……」というところから入るのだろうと思いました。そうしたら鉢植えの「黄花沈丁花」なんていうのがどんどん目に飛び込んでくるはずです。もうすこし見ていくと「黄花沈丁花/ナツボウズ(オニシバリ)4号ポット、792円」なんていうのも出てきます。私は鼻が良くないのですが、沈丁花の香りは嗅いだことがあります。でもその花には全然関心がありませんでした。
さてナニワズですが、その名前がどうしても思い出せなかったのですが、じつは佐渡のアオネバ溪谷の稜線近くで、この花を見て、名前も教わった記憶はあったのです。別のところで同じような体験をしたことも、私の記憶力の範囲にはあったのですが、30分ぐらい頑張っても出てこなかったのです。ですから写真キャプションの書き始めに【これは私の全く知らない花でした。】と書いたのは真っ赤な嘘でした。ごめんなさい。
さて、オニシバリが出てきたからといって、そこに同じジンチョウゲ属でまるで兄弟みたいなナニワズという名はあまり出てきませんでした。しかし見直してみるとグーグルの検索画面の【オニシバリ】のところには【他の人はこちらも検索】という親切? 画面があって、そこに【ナニワズ】が出てはいるのです。
もちろん今度は『ウィキペディア』で『ナニワズ』を開いてみました。
【ナニワズ(学名:Daphne jezoensis)はジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の落葉小低木。別名、エゾナニワズ、エゾナツボウズ(蝦夷夏坊主)。
オニシバリ Daphne pseudomezereum の亜種、カラフトナニワズ Daphne kamtschatica の変種、亜種とされる場合がある。】
なんだかよくわかりません。『花の公園・俳句ing』というブログに『オニシバリとナニワズ 違いを発見!!』(2009年03月28日)がありました。
【神代植物公園でオニシバリ (ナツボウス) を見つけました。撮ってきて、07年3月11日に撮った 埼玉県花と緑の振興センターのナニワズ(オニシバリ、ナツボウズ) の記事を見てみたら、どうも別物のようです。
花と風景Wondersquare に三重県の黄緑色の花が載っていて、神代植物公園のものはまさにこれです。どちらもジンチョウゲ科で雌雄異株だそうですが、樹木図鑑 を見るとオニシバリの雌雄の花が載っており、ナニワズとは全然違います。
ナニワズ (難波津) とオニシバリ (鬼縛り) の違いを比較すると、
①花色……ナニワズは鮮やかな黄色。 オニシバリは薄い黄緑。
②花の形……花に見えるものは筒状のガクの裂片で、ナニワズのほうは筒状のガクの筒状部が短く裂片のほうが長い。オニシバリは筒状部が長く裂片が短い。
③葉……どちらも長楕円形で、ナニワズのほうがやや幅広く丸みがある。
というふうにはっきりした違いがあり、見間違えようがありません。2年前の記事に引用した、「ナニワズはオニシバリの長野県の方言」 というのはどうも違いますね。なおどちらも冬緑性といい夏に葉を落とすのでナツボウズという異名があるそうです。(東京都調布市 神代植物公園 090321)】
でも、黄色い花(ナニワズ)と黄緑の花(オニシバリ)という単純な区別でいいかどうか? という疑問は残ります。
宮城県内の野生植物の植生調査を進めてきたという高橋和吉さんの『野生植物研究所』に『オニシバリ』がありました。
【オニシバリとナニワズの花(花弁状の萼片)は、萼筒と裂片の長さをみただけでは区別しにくい。ナニワズは萼筒と裂片の長さがほぼ等しく、オニシバリは萼筒のほうが長い。また、オニシバリの花色の方が緑っぽい。オニシバリの葉は楕円形で、側脈は不規則に分岐する。ナニワズの葉は、倒披針状長楕円形で、側脈は分岐が少ない。】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、ツバキ
【撮影】1日目 15時43分=伊藤 幸司
竹やぶの縁のところにヤブツバキの花が落ちていました。もちろんツバキ=ヤブツバキでいいのですが、念のために『ウィキペディア』で『ツバキ』を見てみました。
【ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。
日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。
なお、漢字の「椿」は、中国では霊木の名で、ツバキという意味は日本での国訓である。】
【近縁のユキツバキ】というのが気になります。『ウィキペディア』で『ユキツバキ』を見てみました。
【ユキツバキ(雪椿、学名:Camellia rusticana )は、ツバキ科ツバキ属の常緑低木。別名、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。主に日本の太平洋側に分布するヤブツバキが東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に適応したものと考えられ、変種、亜種とする見解もある。】
【分布と生育環境──本州の東北地方から北陸地方の日本海側に分布し、ブナ帯林の林床などに自生する。エゾユズリハ、ヒメモチ、ヒメアオキ、ツルシキミ、ハイイヌガヤなどの日本海要素の常緑地這植物とともに、ブナ林やコナラ林など落葉樹林の林床にみられる。
このような地域は多雪地帯であり、冬季には3ヶ月にもわたって数メートルの雪に覆われる。その間、ユキツバキは雪に覆われて地表に押しつけられた形で過ごし、春に雪解けが始まるとその姿を現す。すると、倒れていた枝は次第に立ち上がり、花をつける。花期は地域にもよるが4月中旬から下旬。森林下の株では花数が少なく、一枝に複数個をつけることは希だが、林縁部ではより花数が多い株も見られる。
ヤブツバキと近接している地域では、両者の中間型を表すユキバタツバキ(雪端椿、学名:Camellia × intermedia (Tuyama) Nagam.)がみられる。】
これはただの「椿の花」としておいたほうがいいですかね。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、キクザキイチゲ
【撮影】1日目 15時43分=伊藤 幸司
キクザキイチゲの白い花が竹の根本にひと群れの王国をつくっていました。印象では花弁…といっても萼ですが、白か紫かとはっきり二分されるように思われます。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、キクザキイチゲ
【撮影】1日目 15時43分=伊藤 幸司
キクザキイチゲには白から紫の色がありますが、同じ時期に同じような場所に生えるアズマイチゲだと白花だけ。違うのは葉の形です。キクザキイチゲの菊は「花が菊に似ている」ということのようですが、私は「菊葉の一輪草」だと思っています。アズマイチゲだと葉は輪生してだらりと垂れ下がり、切れ込みは浅いのですが、こちらはまさに菊の葉っぱのようじゃありませんか?
ちなみに『BOTANICA』というサイトの『アズマイチゲとは?春の草花といわれる野草の特徴や育て方をご紹介!』では『アズマイチゲとキクザキイチゲの違い』をこう解説しています。
【アズマイチゲとキクザキイチゲはとても似ているのでよく間違えることがあります。ただ葉の形が全く違うので、葉を見れば容易に見分けることができます。葉の形以外の違いは次の通りです。
◎アズマイチゲ
葉の形……楕円形に2ヵ所の浅い切れ込み
花の色……白のみ
開花時期……3〜5月
生息地……北海道〜九州
◎キクザキイチゲ
葉の形 ……多数の深い切れ込み
花の色……白と紫
開花時期……4月〜6月
生息地……北海道〜近畿地方以北の本州】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、竹林
【撮影】1日目 15時44分=伊藤 幸司
『岩室温泉高島屋ブログ』に『竹の子見つけました!』(2018年04月16日)
【いつもありがとうございます。高島屋支配人の依田です。
今日は曇りのち晴れで日が差しています。13℃位です。
庭の竹林に竹の子を探しに行きました。
じゃーん
今年は雪がすごかったのでどうなんでしょうか。
いくつも発見
5月27日には竹林前特設ステージにて万代太鼓「華龍」のイベントも予定しています(申し込み受付もはじまりました)】

岩室温泉、高島屋
【撮影】1日目 15時45分=稲葉 和平
高島屋の広々とした廊下。この角度からの眺めはなかなか素晴らしいと思う。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、オニシバリ
【撮影】1日目 15時45分=伊藤 幸司
今回、右往左往した結果、自分の力で正体を明らかにした「オニシバリ(鬼縛り)」。別の名を「ナツボウズ(夏坊主)」

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、ツワブキ
【撮影】1日目 15時46分=伊藤 幸司
さて、先ほどフキノトウを見ましたが、これもフキだとすると、ちょっとおかしい、じゃないですか。野や山の道端でフキノトウを見つけることは多いのですが、古い町並みのところではツワブキを見ることが多いという印象をもっています。
そこで『LOVEGREEN』の『ふき(蕗)とつわぶき(石蕗)の見分け方!ふきのとうって?食べ方は?』(2019.11.27 山田智美)を見つけました。(すみません、山旅図鑑No.235のこの回は、伊藤のキャプションが抜けたままだったのを1年後にあわてて加えるべく書いているので、2019年11月の情報も使えるのです)
【ふき(蕗)にそっくりな植物つわぶき(石蕗)をご存知ですか?ふき(蕗)とつわぶき(石蕗)を間違えないように、見分け方をご紹介します。ふき(蕗)とつわぶき(石蕗)は見た目もそっくりで食べられる特徴もそっくり。 さらにふきのとうの正体まで!じっくりとふき(蕗)とつわぶき(石蕗)に迫ります。】
そうですか、そっくりなんですか。写真つきで詳しく書かれていますが、結論だけいただきます。
【見分けるポイント
ふき(蕗)は冬には地上部が無くなります。つわぶき(石蕗)は常緑で秋から冬に黄色の花を咲かせます。
ふき(蕗)の葉は薄く光沢が無く、触ると僅かにざらざらとしています。つわぶき(石蕗)の葉は厚みがあり、表面に艶やかな光沢があります。
ふき(蕗)は初春になると、足元にふきのとうが出てきます。つわぶき(石蕗)にふきのとうは生えてきません。】
つまりこれはツワブキで、池のところにあったのはフキのフキノトウ。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、オオミスミソウ
【撮影】1日目 15時48分=伊藤 幸司
おやまあ! オオミスミソウもありました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 15時50分=伊藤 幸司
これは池の端にあって重要な花なのでしょうが、わかりません。徒手空拳で一から調べるのもおっくうになりました。ひと目でパッとわかる方がいらっしゃったら、お教えください。署名つきの「コメント」として追加させていただけるようになっています。
■コメント4:岡田 恭子=2020.4.23
ツワブキです。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、錦鯉
【撮影】1日目 15時50分=伊藤 幸司
『岩室温泉高島屋ブログ』に『エサやり係のお楽しみ』(2016年10月02日)がありました。
皆さまこんにちは!
高島屋のフロント、阿部蘭です。いつも高島屋をご利用いただきありがとうございます。
私が紹介したいのは、中庭の池です。
錦鯉がたくさんいて、とってもかわいいんです。足音がするとすぐに寄ってきて、口を開いて餌を待っています。餌をあげると、頭を触っても逃げないんです。かわいい!!
皆さまも見たり触ったりしてみませんか?きっと幸せが訪れますよ!!】
このこと、事前に知っていればよかった。だれかをそそのかして写真撮れたのに。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 15時51分=伊藤 幸司
なんで撮ったのかというと、苔に興味があったからではありません。こういう緑を必要なものとして残しているのか、夏に向かっていずれはきれいに取り去ろうとしているのか、微妙な感じがしたからです。京都の庭のように完璧を目標に管理しているのと比べると、いくぶんルーズなところに、心やすさがあるとも感じるからです。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、中庭
【撮影】1日目 15時53分=伊藤 幸司
庭の散歩が終わりました。13分ほどでしたかね。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 16時10分=伊藤 幸司
風呂に行く手前の廊下です。ここを芸姑さんが通ったり、将棋の棋聖戦やら囲碁の十段戦の「特別室 対局の間・常磐」に向かう人々が通ったのでしょう。新潟の「奥座敷」を代表する料亭旅館の「見得」という感じがしました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、翁の湯
【撮影】1日目 16時13分=伊藤 幸司
大浴場は竹生の湯と翁の湯があって、こちらは翁の湯。時間で男女入れ替えになります。どちらも品格のあるお風呂でしたね。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 16時56分=伊藤 幸司
館内をぐるぐる歩いていたら、こんな一郭も見つけました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、アオバズク
【撮影】1日目 16時58分=伊藤 幸司
『岩室温泉高島屋ブログ』に、この庭に来るアオバズクの話題がありました。『小さなフクロウ、アオバズクの「ふくちゃん」』(2018年07月07日)です。
【当館のマスコット的存在、アオバズクの「ふくちゃん」は、今年も中庭で姿を見せてくれています。
さあ、探してみましょう!
もうわかりましたね。意外と近くで見ることができるので、お泊りのお客様もビックリされています。
今年もヒナが見られるといいな。】
アオバズクはちょっと思い出深いフクロウなんです。私が杉並区の南荻窪に引っ越したとき、夕方にいつも山から吹く風のような鳥の声が聞こえたのです。近くに古い友人が住んでいたので聞いてみるとそれがアオバズク。すぐ近くの、旧家の庭の巨大なケヤキ林に毎年巣を作っているのだそうです。当時妻は緑の仕事にかかわりたくて勉強していたので、さっそくお邪魔して都市の緑の一例、みたいなレポートを区の文化祭で展示させてもらったりしていました。
ところが話を聞かせていただいたご主人が亡くなると、土地の一部に高級分譲住宅が建ち、ケヤキの巨木が長髪からスポーツ刈りにされたようになって、初夏のあの声がぷっつり消えてしまったのです。わたしは殺伐とした東京の下町に育ったので、郷愁というような感じではないのですが、ひとつがいのアオバズクの「声」の力というようなものを感じたのです。人の住むところで鳴くアオバズクは、ちょっと特別な鳥のように思っています。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】1日目 18時04分=伊藤 幸司
この日の日没は新潟県(県庁所在地)で17時54分。庭に照明が入りました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、夕食
【撮影】1日目 18時09分=伊藤 幸司
お品書きを保存していないのでなにがなんだかわかりませんが、夕食はここから始まりました。
以下、そのときの料理を出しますので(一年経ってしいましたが)もし「記憶に残っているひと皿」がありましたら、コメントください。写真の時刻でどの皿かわかります。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、蔵の間
【撮影】1日目 18時11分=伊藤 幸司
これは蔵の間ですね。『高志の宿 高島屋』のホームページの『宴会場』に写真が出ていました。
【蔵の間──平成十六年、有形文化財に登録された蔵は百年近い歴史があり、当時は米と味噌の蔵として利用されておりました。迫力のある土蔵の入り口は昔のままの佇まいで、今も尚、この蔵の間を守り続けております。趣を存分に感じる空間は少人数のご宴会やお顔合わせ等のお祝いの席にご利用いただけます。】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、夕食
【撮影】1日目 18時22分=伊藤 幸司
高志の宿 高島屋の夕食

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、夕食
【撮影】1日目 18時36分=伊藤 幸司
高志の宿 高島屋の夕食

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、夕食
【撮影】1日目 19時11分=伊藤 幸司
高志の宿 高島屋の夕食

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、夕食
【撮影】1日目 19時41分=伊藤 幸司
高志の宿 高島屋の夕食

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、竹生の湯
【撮影】2日目 06時43分=伊藤 幸司
朝になって大浴場の男女が入れ替わりました。これは竹生の湯の露天風呂。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、竹生の湯
【撮影】2日目 06時43分=伊藤 幸司
大浴場「竹生の湯」

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、良寛和尚像
【撮影】2日目 07時25分=伊藤 幸司
ロビーの奥、囲炉裏の脇に置かれていた木彫の良寛和尚像。朝のご挨拶がてらクローズアップさせていただきました。
『温泉クンの旅日記 温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!』というブログの『岩室温泉(2) 泊まれる料亭(2)』に良寛和尚が登場します。
【国上山(くがみやま)の五合庵に住んでいた良寛は托鉢で岩室にも足を運んだ。高島屋の本館は宝暦五年(1755年)の建物で、あの良寛もたびたび訪れて歌を読んだという。
江戸時代、岩室の庄屋であった高島家にもたびたび滞在して歓談し、立ち去る際に歌を残していった。当時の当主高島常右衛門正貞は詩歌や俳諧を愛好し、酒禅(しゅぜん)と号していた。
ある時良寛は儒学者亀田鵬斎(ほうさい)などの知人と一緒にこの酒禅を訪ね高島屋に泊まった。
このときに良寛が残したのが次の狂歌だ。
『岩室の酒禅君のもとにまかりけるに酒ばかりすすめらるるを
  さけさけと花にあるじをまかせられ
   今日もさけさけあすもさけさけ』
そして帰る際に扇に書き残された良寛の歌には、岩室の田中の「一つ松」に寄せた思いが込められている。
  『いはむろのたなかのまつをけさみれば
   しぐれのあめにぬれつつたてり』】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】2日目 07時26分=伊藤 幸司
朝食は明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の間(の隣室)で。席についたときに、まずは料理の一つひとつを絵でたどってしまうこのプレースマットのお出迎えは好感がもてました。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】2日目 07時31分=伊藤 幸司
朝食をとった明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の間は表から見たときに本館の顔となっていた主屋の道路側の部分です。この部屋に関して『岩室温泉高島屋ブログ』に『明治天皇駐蹕の間』(2016年12月15日)がありました。
【普段、イス・テーブル席で朝食会場やランチ会場として使用している「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の間」。
明治11年、北陸御巡幸の際に明治天皇がお立ち寄り、御小休されました。今から約140年前に建てられたお部屋です。】

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】2日目 08時05分=伊藤 幸司
庭の錦鯉がお見送りです。横腹になにかお別れのメッセージを見せてくれているようじゃ、ありませんか。アップしてみると「黄金の金魚が玄関先にてご挨拶、と見えました」……なんて言っちゃって。

弥彦山登山、古志の宿・高島屋、
【撮影】2日目 08時16分=伊藤 幸司
出発です。すぐ先の和菓子の角屋悦堂に寄って金鍔など食べながら歩きたいと考えていたのですが、素通りすることになりました。前へ、前へと先を急ぐ気分だったのでしょうかね。

弥彦山登山、角田山、北国街道
【撮影】2日目 08時27分=伊藤 幸司
岩室温泉の、旅館が点在する一郭を抜け出ると、角田山への道が始まったという感じです。かつての北国街道の風景と、それほど大きく違わないのだろうと思いました。

弥彦山登山、角田山、北国街道、ヒメオドリコソウ
【撮影】2日目 08時27分=伊藤 幸司
春を待つ田畑の縁にはヒメオドリコソウがびっしりと生えていました。写真のこれがヒメオドリコソウだと自信をもって言えるかどうか考えてみたら、ありません。そこで間違えやすいものを探してみたらホトケノザだというのですね。
『雑草をめぐる物語』は名古屋市東区での観察ブログのようで『ホトケノザとヒメオドリコソウの見分け方/イラスト付き』(2016年03月18日)がありました。
【花期は「ホトケノザ」が1ヶ月ほど早く、3月中旬ともなれば花は咲いています。それに比べて「ヒメオドリコソウ」は、まだ葉だけの状態のものがほとんどです。
「ヒメオドリコソウ」の葉は丸みのある三角形で、2枚が向かい合った格好で上から下まで位置を直角に交差しながら成長します。そして下に行くほど葉は大きくなります。一方「ホトケノザ」の葉は楕円形で、やはり向かい合っていますが連続しておらず、かなり間が空いています。この2つの植物の茎の断面はいずれも四角形であるというところが共通した特徴です。】
ホトケノザはなんといっても春の七草ですからメジャーですよね。そちらの側から間違いやすいというものをさらに見ると、もちろんヒメオドリコソウがありました。
『LOVEGREEN』の『花』に『ホトケノザってどんな花?春の七草?ホトケノザの正体に迫る!』(2019.11.21 山田智美)がありました。
【ホトケノザと似ている植物──ホトケノザと似ているようで似ていない植物たち。でもやっぱり似ているから時々間違えてしまうような、そんな植物をご紹介します。よく見て、ホトケノザとの違いを観察してみるのも楽しいのではないでしょうか。
◎ムラサキケマン
ケマンソウは、ケシ科キケマン属の多年草。筒状の紫色の花を咲かせます。花期は4〜5月くらいで、ホトケノザと近い時期に咲きます。ラッパのような形の紫色の花がホトケノザに似ていることから、仲間だと思われがちですが別種です。このムラサキケマンには毒がありますので、間違っても口に入れることのないように注意してください。ホトケノザと間違えて蜜を吸ったりしないように気をつけてください。
◎ヒメオドリコソウ
ホトケノザとよく似た植物に「ヒメオドリコソウ」という植物があります。同じシソ科オドリコソウ属の多年草です。よく見るとホトケノザとヒメオドリコソウは花の形が似ています。
花も葉も小ぶりなヒメオドリコソウは、たまに切り花でも流通しています。学名の「ラミウム」という名前でも呼ばれ、園芸品種も流通しています。厳密には日本の在来種である「オドリコソウ」は押されがちで、淡いピンクも鮮やかに群生しているのは、外来種の「ヒメオドリコソウ」であることが多いです。外来種ですが、害草とされているわけではありません。】

角田山 登山、スギ花粉、北国街道、
【撮影】2日目 08時38分=稲葉 和平
花粉。今年はできる限り歩くときもマスクを外さないようにしているが、それでもかなりのダメージを受けている。これで風が吹くと・・・。

弥彦山登山、角田山、スギ花粉、北国街道、
【撮影】2日目 08時39分=伊藤 幸司
私は今までのところ花粉症とは無縁ですが、道路際でこんな顔をされるとドッキリです。ここから黄色い粉が吐き出されて、風に乗って飛ぶんですね。

弥彦山登山、角田山、スギ花粉、北国街道、
【撮影】2日目 08時39分=伊藤 幸司
スギ花粉について調べようとすると「スギ花粉症」の情報群をくぐり抜けてようやく最初のひとつにたどり着きました。でも、それがなかなかのもの。最後までしっかり読まされてしまいました。
『木のメモ帳』(廣野郁夫)という変わったサイトで『樹の散歩道』に『スギ花粉を食べる』というユニークなレポートが有りました。
何でも食べちゃう人々の悪食レポートはあちこちで見られますが廣野郁夫さんを調べてみると関西の林木育種の専門家のようです。そのまえがきです。
【近年、スギ花粉はすっかり悪者となってしまった。ヒトがあまりにも軟弱であることに起因しているのは間違いないが、植物が子孫を残すために一生懸命がんばっている姿を静かに見守ることができないのも悲しいことである。現実は多くのヒトがつらい思いをしているわけで、このための対策を講じなければならないのはもどかしいことである。
こうした中で、花粉に苦しんでいるヒトが居直って、花粉を食ってしまったら花粉症など克服できるのではないかとかつて感じるものがあった。しかし、調べてみると同様の趣旨で減感作療法の名の治療方法が既にあることを知った時には少々がっかりしてしまった。
ところで、このスギ花粉であるが、これ自体は一体どんな味がするのであろうか。そして、食品として商品化されているものがあるのか、あればそれはどんなものだろうか。(2010.4)】
最初に写真とキャプションが並んでいます。興味のある方はぜひこの部分、直に見てみてください。
【■黒い台紙上のスギ花粉──さらさらとした美しい微粉末である。
■乳鉢内のスギ花粉──花粉は微細であるため、乳鉢で花粉の外壁を破壊し尽くすことは困難であることを確認した。
■加水してこねたスギ花粉──加水してこねると、美しいあんこのような感触となる。和洋菓子の素材になりそうな外観である。
■吸水・膨潤したスギ花粉──乳首のような突起が一つあるのがスギ花粉の特徴となっている。これを パピラ papilla と呼んでいる。発芽口と違って開口していないことが知られている。
■乾燥した形のスギ花粉──パピラ周辺の膜が薄くて、乾燥により火消し壺のような形態となる。花粉の大きさは30〜39μmとされる。
■吸水・破裂したスギ花粉──パックマン状態、あるいはアレルゲン爆弾が炸裂したといった風情である。破裂現象は一部だけで見られた。
■スギ花粉の円心極観(パピラ側) 1──電顕で見ると、スギ花粉表面に粒状物質が確認できる。これを ユービィッシュ体 Ubisch body と呼んでいる。突けばぽろぽろと落ちそうな印象である。(写真:山口和穂氏提供)
■スギ花粉の円心極観(パピラ側) 2──ユービッシュ体は、葯のじゅうたん(絨毯)組織の崩壊物 tapetum debris (葯壁の内面層の残渣)が花粉の表面に付着して残ったもの(『花粉学研究』)とされる。(写真:山口和穂氏提供)】
【優良な栄養源(栄養食品)として花粉を食べること自体は決して奇異なことではないようである。植物の生殖を担う細胞であるから、各種の栄養がたっぷり含まれているであろうことは予想がつく。通信販売のキャッチコピー風に表現すれば、「花粉は生命のパワーが凝縮した正に究極の高栄養価カプセルであるといえます!!」となるのかもしれない。
しかし、容易に想像できるように、どのように食べるのかは別にして、なめるのではなく、食べるにふさわしい量を人の手で確保することは簡単ではない。このため、手っ取り早い方法として、ミツバチがせっせと集めたものをかすめ取ることがヨーロッパでは古くから行われている。具体的には、ミツバチが花粉を蜜で固めた自らの、そして幼虫の食料であるミツバチ花粉(花粉荷、ビーポーレン Bee pollen) を頂戴するのである。ミツバチは蜜も取られてしまうし実に気の毒であるが、人の庇護下にあることの代償である。
スギの場合はもちろん風媒花であるから、蜜の用意はないし、ミツバチが花粉を集めてくれるわけではない。したがって、きわめて実直な方法で花粉を集める必要がある。
つまり、ごく普通の方法として、花粉散布前のたっぷり雄花を付けた枝先を採取し、これに花粉がまとわりつかないパラフィン紙の袋をかけた状態で水に挿し、雄花の成熟を待って花粉を採取するする運びである。】
そして食べてみた!
【1 スギ花粉試食体験
◎そのままなめる──無味、無臭で、やや粉っぽいだけで、小麦粉や片栗粉をなめるのと変わりない。乳鉢でいくらか擂りつぶしても、食感に変わりはない。
◎加水してこねる──見た目には先の写真のとおり、きめの細かいきれいな黄色いあんこといった風情であるが、全くの無味・無臭である。
◎スギ花粉クッキー──薄力粉、バター、グラニュー糖、卵黄にスギ花粉を加えてスギ花粉入りクッキーを焼いて試食してみた。色合いは花粉に由来してやや黄色みが強くなる。やや粉っぽい食感があるが、特に違和感はない。つまり、花粉に由来すると思われるような味は特に感じない。
さらに花粉を増量して、スギ花粉と薄力粉を概ね半々の構成比としてクッキーを焼いて試食してみたが、かなり粉っぽくなって、歯に粉(花粉?)がまとわりつく印象で、食感はあまりよろしくない。花粉由来と思われるような味はやはり感じない。
1.オーソドックスなクッキー──対照用として焼いたもので、我ながらまあまあの出来であった。
2.スギ花粉入りクッキー──知り合いにも注意書きを付けて食べてもらったが、特に違和感はなかったようである。
3.スギ花粉増量クッキー──これは、万が一を考えて、自分だけで人体実験した。
スギ花粉をそのまま、あるいはクッキーにして初めて試食してみたが、スギ花粉が味、食感の観点で貢献する要素は全く認められなかった。まあ、体験したということだけであった。自己責任で径口減感作療法をするのであれば、これもひとつの考え方かもしれないが、効果のほどはわからないし、責任は持てない。
実はこれよりも、乾燥した花粉(乾燥しても花粉の機能は失っていない。)のさらさらした動きは実に意外なものであった。透明容器に入れて傾けると、驚くほど滑らかにさらさらと流動するのである。このさらさら感を利用して、砂時計ならぬスギ花粉時計を作ったら、非常に細い「蜂の腰」が可能で、すばらしい製品になるのではないかと思われた。もちろん、このためにはガラスの内面に花粉が付着しないような表面処理が必要である。】
続いてスギ花粉を利用した商品がいろいろ登場しますが、特段驚くものはありません。……ので省略。最後に専門家ならではの情報がありました。
【<参考:花粉のメモ帳>
花粉はその形態の多様性も興味深いが、不思議もいっぱいである。
◎花粉は土に埋もれると、その内容物は容易に消えてしまうが、かたい外膜(壁)は科学的にたいへん安定しているので、いつまでも土中に残り、花粉粒の形態的特徴をとどめている。(『花粉学大要』岩間洋造・1964年 風間書房)
◎花粉の外壁が化学的に安定していることは、マツ、スギなどの花粉を王水やフッ化水素中に入れても分解しないことからもわかるが、これは外壁が(主として)スポロポレニンから成っているからである。したがって湿原などに見られる泥炭を酸やアルカリで処理してから顕微鏡で見ると、古い時代の花粉がそのまま残っているのを見ることができる。しかも外壁には植物の属や種ごとに独特な模様がついているから、それらの花粉が何の植物のものかを知ることができる。花粉は岩石の中から取り出すこともできる。(『花粉学』岩波洋造・1980年 講談社)
◎花粉表面の粒状構造は、スギ科のほか、ヒノキ科、イチイ科などでも見られる。(『花粉学研究』上野実朗・1978年 風間書房)
◎減感作療法は患者がおかされている花粉のエキスを少しずつ濃度を上げながら長期間にわたって注射し、その花粉のアレルゲンになれさせる方法で、Noon と Freeman(1911)によって始められた。(『花粉学』岩波洋造・1980年 講談社)
◎減感作療法の医薬品として日本で認可を受けているのはスギ花粉標準化治療エキスとハウスダストのみである。(『花粉症のワクチンをつくる!』石井保之・2010年 岩波書店)
◎スギ花粉は、飛散している最中はカラカラに乾いているが、体の中に入ると鼻腔内の粘膜上で水分を吸収して、パンパンに膨れあがる。その後、花粉の外側にある殻が口を開くように割れて、中からアレルゲンを含む内容物が飛び出すことになる。
スギ花粉のアレルゲンは複数が報告されていて、このなかで、Cry j1 又は Cry j2 にアレルギー反応を起こす人が、スギ花粉症患者の9割以上であることが明らかになっている。Cry j1 の大半は、スギ花粉の殻である花粉壁の外層やその表面に存在している。一方、 Cry j2 は殻内の細胞質に存在する。
マウス実験の現象をヒトのスギ花粉症に当てはめると、スギ花粉飛散シーズン中又は直後にスギ花粉リポソームワクチンを一回投与するだけで、次のシーズンにどんなスギ花粉が飛散してきても IgE 抗体価が上がらないことになる。すなわち、花粉症の症状が著しく軽減されることが予想される。(『花粉症のワクチンをつくる!』石井保之・2010年 岩波書店)
◎花粉は蛋白、炭水化物、アミノ酸、ビタミンなどの栄養分を多量に含んでいる。ミツバチは蜜とともに花粉を巣に蓄え、これを食べて繁殖する。(『花粉学大要』岩間洋造・1964年 風間書房)】

弥彦山登山、角田山、スギ花粉、北国街道、
【撮影】2日目 08時45分=伊藤 幸司
梅は花咲き、杉は花粉を蓄える……とな、よいよい。そういう季節感ですかね。

弥彦山登山、角田山、多宝山、北国街道、
【撮影】2日目 08時46分=伊藤 幸司
振り返って弥彦山の方を見ました。634mの弥彦山の手前には同じ634mの多宝山があって、右肩に見えるアンテナ塔も地図で確認できます。弥彦山は東京スカイツリーとおなじ634mが標高ですが、西側斜面は日本海に落ちているので海面からの比高(いわゆる高さ)でも634mというラッキーな存在……と考えて宣伝しています。しかも双耳峰の両耳が同じ634mという意味で、双耳峰としても奇跡的な存在なのです。
実は弥彦山+角田山を私が最初に計画したのは2007年で、初日に角田岬から角田山に登って岩室温泉に下り、老舗旅館のひとつ、綿綿亭綿屋(めんめんていわたや)に泊まりました。最近復活したようですが、一時期休業していたので私たちはその後高島屋に泊まるようになったのです。
2日目はそこから多宝山を経て弥彦山へ、という計画のところ、登り始めてすぐに道が消えて、藪こぎ三昧で終わりました。多宝山まで16パワー(約2時間)+弥彦山まで7パワー(約1時間)という見積もりが完全に崩れましたね。

弥彦山登山、角田山、、北国街道、
【撮影】2日目 08時50分=伊藤 幸司
このあたりは畑作地帯なんですかね。グーグルマップの航空写真で見てみると、大きな区画は水田のようですが、周辺のこまごまとした区画のところは細い筋が見えているので畑ですね。

弥彦山登山、角田山、、北国街道、
【撮影】2日目 08時51分=伊藤 幸司
北国街道(弥彦へ一里半、新潟へ七里半)という標識がありました。「旧庄屋佐藤家」ともありますから、このあたりが福井という古い集落の中心だったのでしょう。
『三条・燕、県央の情報「ケンオー・ドットコム」』というサイトの『ニュースタンク』に『福井旧庄屋佐藤家で20年ぶりにかやぶき屋根のふき替え』(2018.4.4)がありました。
【新潟市西蒲区の旧巻町・福井集落に江戸時代から建つ築250年になる古民家「福井旧庄屋佐藤家」で、20年ぶりにかやぶき屋根のふき替えが行われている。
福井旧庄屋佐藤家は集落に唯一、残るかやぶき屋根。この土地で受け継がれてきた暮らしや文化を守ろうと、1998年からNPO法人福井旧庄屋佐藤家保存会(平岡一郎理事長)が保存活動を行い、今では地域外から訪れる人も多く、いろりやかまども含めて利活用されている。
修復作業は3月20日から行われており、工期は約1カ月間を予定する。作業は地元福井に住むかやぶき屋根職人の金子彦治さん(88)を親方に4人で行い、燕市内に自生するかやを使い、屋根の下の方から上へ向かって古いかやを新しいかやに置き換えている。
保存会事務局の斉藤文夫さん(85)は、金子さんのことを「この家を保存しようとしたのは、この人がいたから」と言う。金子さんは新潟市西区にあった酒蔵「伊藤酒造」で16歳から酒造りを27年間、杜氏(とうじ)も務め、酒類鑑評会で10回以上の受賞歴がある。
そのかたわら10月末から4月末までの酒造りの期間以外はかやぶき職人としても働いた。南魚沼市の目黒邸をはじめ県内各地に残るかやぶき屋根の修復を手掛け、石川県や岐阜県へ出向くことがあった。茅葺(かやぶき)職人として新潟県文化財保護条例に基づく認定技術職人になっている。
金子さんは以前から佐藤家の屋根修復を行っており、保存活動を始めた年に佐藤家の屋根修復に当たった。それからちょうど20年。再び老朽化して雨もりも起き、放置すれば修繕が困難になることからふき替えを行うことにした。
屋根の状態について金子さんは「最低ですね。木が伸びて9尺くらいかやが抜けてる所がある」。しかし、梁(はり)や柱には問題がなく、ふき替えれば「元通りに戻る」と言う。
90歳近くなる金子さんは、かなり前からふき替えをすることはめったになくなり、今回は久しぶりの作業。「腰が曲がってだめなんだ」と言いながら「屋根に上がれば、わーけもん(若い人)に負けね」と笑う。
20年前の修復費用は後払いで、斉藤さんの知り合いの芸術家による作品のオークション、地元の人たちによる古着やせとものの販売、コンサートやひとり芝居の売り上げ、団体による表彰の賞金、補助金などで工面した。
今回は300万円を目標に寄付でまかなおうと募金を行っており、1口3,000円から寄付を受け付けている。費用の5%を協力したいと15万円を寄付した県外に住む地元出身者もあり、これまでに250万円ほどが寄せられた。4月30日まで引き続き寄付を受け付けている。寄付はゆうちょ銀行への振り込み、インターネットでのクレジットカードやコンビニ決済での支払いで受け付け、佐藤家へ持参してもいい。寄付の方法は次の通り。
■銀行振り込み
ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番:059
預金種目:当座
店名:〇五九店(ゼロゴキュウ店)
口座番号:0093260
名義:特定非営利活動法人 福井旧庄屋佐藤家保存会
■インターネット
以下のリンクから
茅葺き屋根修復ご寄付 | NPO法人福井旧庄屋佐藤家保存会
■直接
福井旧庄屋佐藤家 〒953-0076 新潟県西蒲区福井1908へ】
ちなみに、『福井旧庄屋佐藤家(公式)』というサイトも立ち上がっています。残念ながら、私は「北国街道」という道標は撮りましたが、茅葺きの家はまったく記憶にありません。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時08分=伊藤 幸司
私たちは福井集落の「ほたるの里コース」登山口で09時00分から5分間休憩して、いよいよ登り始めたのです。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カンスゲ
【撮影】2日目 09時09分=伊藤 幸司
本州中部の山岳地帯でよく見るカンスゲだと思いますが、日本海側のものはホソバカンスゲと呼ぶべきかも知れません。
『ウィキペディア』の『カンスゲ』にはこう書かれています。
【山間部では身近に生育する大型のスゲの代表的なものとして、さまざまに利用されてきた。】
【山間の谷間に多く、特に水辺で多くみられ、多い場所では一面に群生する。本州の中部太平洋側から中国地方、四国、九州に分布する。変種のホソバカンスゲ(var. temnolepis (Franch.) Ohwi)は、日本海側に分布し、葉が細い。
かつては刈り取って蓑や傘を作るのに用いた。また、斑入り品を栽培することもある。】

角田山 登山、オオミスミソウ、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時14分=稲葉 和平
角田山らしく、きれいな色のオオミスミソウがでてきた。

角田山 登山ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時14分=稲葉 和平
オオミスミソウのつもりでシャッターを切ったものの、どうも怪しい。まあ、色がきれいなので残しておこうという程度・・・。

角田山 登山、オオミスミソウ、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時14分=稲葉 和平
なんでこんな写真を撮ったのだろうと思いつつ、すぐには捨てられない写真もある。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時14分=伊藤 幸司
登り始めるとすぐ、オオミスミソウが現れました。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時15分=伊藤 幸司
明るい顔つきのオオミスミソウ。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時16分=伊藤 幸司
ここには濃いピンクのオオミスミソウもありました。昨日、国上山では見なかった色です。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時17分=伊藤 幸司
オオミスミソウの特徴である葉がここではうまく見えています。葉の形から「三角草」なんですから。でもミスミソウとオオミスミソウの違いはけっこう忘れて、その都度調べないと不安になります。
ネイチャーライター・日野東さんのサイト『Nature Log』の『植物記』に『ミスミソウとオオミスミソウ』がありました。
【ミスミソウとオオミスミソウは、キンポウゲ科ミスミソウ属の常緑の多年草。前者は、本州中部地方以西と四国、九州、後者は本州の日本海側に分布し、葉は浅く3裂するので、全体としては三角状をした特徴的な形をしており、これがミスミソウ(三角草)の由来である。オオミスミソウは、名前の通りミスミソウよりも葉や花が大きい上に花色も白色、淡紅色、濃紫色、淡紫色などの変異があり、春まだ浅い山の斜面に鮮やかな花を咲かせる姿は、「何という美しさか」と驚嘆するほかない。】

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 09時18分=伊藤 幸司
これなどは単純に紫色といっても伝わらない、一種奥深い色ですね。
でも、じつは、本心を言うと、私はオオミスミソウはあまり好きじゃないんです。理由は単純で、花屋の店先で色と形を競い合っている園芸種の花よりも化粧が濃い、というふうに見えてしまうからです。山の花の「すっぴんの美しさ」という感じから遠いのです。しかもこんなふうに大胆に色変わりするなんて、花の栽培家のやることを自分たちでやっちゃっている。……という勝手な誤解からなんですけれど。
『YAMAKEI ONLINE』の『高橋修の「山に生きる花・植物たち』に『別名:雪割草――、オオミスミソウの花咲く石川県・猿山で考えた、太平洋側に咲くスハマソウとの違い』(2018年04月02日)にはこんなふうに書かれています。
【オオミスミソウは早春に咲く花である。主に本州中部の日本海側に分布し、落葉広葉樹林に生える。花色、花の形、花の大きさに変化があり、隣にある株が同じ花とは思えないほどだ。新潟県の角田山や佐渡ヶ島の山のオオミスミソウが有名だが、石川県の能登半島にも自生地がある。
日本海側に位置する新潟県や石川県は雪国だが、暖かい日本海がそばにあるため、標高が低い山は雪解けが早い。本州の太平洋側ではまだ花の少ない3月中旬から咲き始める。花の山歩きの一年の最初を飾るのに最適である。
オオミスミソウの花色は白が多いが、紫、ピンクと様々だ。単色だけでなく、絞りが入ったもの、筋が入ったものまで色々ある。日本の野生植物で、これほど花の変化が大きい物はないだろう。花の構造でいうと、オオミスミソウの花びらは、花弁ではなく、萼片と呼ばれる部分だ。萼片とは花弁のすぐ下にあり花を支える役目をすることが多い。】
ところがネットサーフィンのなかでオオミスミソウに関する学術的で一般解説的論文を見つけてしまったのです。私が「嫌いだ」と感じているオオミスミソウの「変異」に関わってくるからです。もう、いくら長くなっても紹介したいという感じですが、そうもいかないので関心のある方はぜひ、長島義介さんのこの論文を直接読んでみていただきたいと思います。
これは『core.ac.uk』に保存されたと思われるpdf文書で『新潟県の雪割草(Hepatica属)について』(長島義介)となっています。
「core.ac.uk」は英国の世界レベルの論文検索網のようで、日本語の論文(表題は英文ですが)も利用できるみたいです。なぜこのようなことを書いたかというと、この論文が日本でどのような学術誌に発表されたか、どこを見てもわからないからです。しかもノンブル(ページ)は1から16までと完結しています。国際的な論文として出すなら英文にすべきでしょうし、日本の学術雑誌から引きちぎったように出てくるpdf文書ならなんらかの記号や数字がどこかに記されているのがふつうだと思うのです。それがなぜ、英国のWeb図書館みたいなところに、日本語のママ保存されているか、学術論文に親しみを持っていない私としてはどことなく疑心暗鬼ではあるのです。巻末の参考文献には長島義介さんご自身のものでオオミスミソウ関係のものがいくつか出ていますが、新潟県内の研究者らしいという印象以上はわかりません。
……さて、本題。
【新潟県の標高1000m以下の山地には,早春雪どけと共に色とりどりに千変万化の可憐な花をつける雪割草(HePaticα属植物)が自生している。本種は主として落葉広葉樹の林床に高密度な個体群をなして自生するので,花期(3月~4E)には見事なお花畑が出現する。近年わが国に分布する個体群の中から,園芸的に鑑賞性のある変異体が多数発見されているが,特に県内からは優れた美しい変異体が多く見え出された。その葉や花の変異の多様さは驚異的で,世界に分布(アメリカ,ヨーロッパ,イソド,中国,朝鮮半島,日本)する雪割草の中で,変異性は日本が一番とする見解(久山1990)がある。
筆者は高校時代(1953),故郷の山でこの花に出会い,その可憐さと多様さに魅了されて以来,生物学的関心を抱き続けてきた。本格的な研究を開始したのは1968年からであるが,主として雪割草の変異形質の解析と生態についての研究を行ってきた。当時故郷の山には雪割草が雑草のように繁茂していたが,地元民や植物研究家からは特別な関心を持たれておらず,また全国的にみても雪割草の変異形質や生態に関する文献は皆無に等しかった。
調査研究を続けている間に,新潟県の雪割草には著しい変異性を有する個体群が存在すること,この花に寄せる雪国人の心情の発露とも言える麗しい方言や民俗があることを知った。ここでは,わが国における雪割草の歴史的な認識過程を踏まえ,新潟県に分布する雪割草の生物学的特徴と民俗について紹介したい。】
【表3オオミスミソウの葉型出現率
A.ミスミソウ型 B.中間型 C.スハマソウ型
角田…A.38(16.5%) B.149(64.8%) C.43(18.7%)
弥彦…A.69(17.5%) B.273(69.1%) C.53(13.4%)
椎谷…A.4(23.5%)  B.8(47.1%)  C.5(29.4%)
角田(6個体群230株調査)
弥彦(8個体群395株調査)
椎谷(1個体群17株調査。柏崎市)】
【表4オオミスミソウの花色(萼片)の出現率
A.白色系 B.紫色系 C.紅色系 D.青色系
角田…A.14(21.2%) B.29(43.9%) C.23(34.8%) D.0
弥彦…A.15(37.5%) B.21(52.5%) C.4(10.0%) D.0
椎谷…A.3(7.0%) B.19(44.2%) C.16(37.2%) D.5(11.6%)
調査株数 角田66、弥彦40、椎谷43(柏崎市)】
【かつて新潟県の山々には素晴らしいオオミスミソウのお花畑が見られたが,筆者が研究を続けている間に山野草ブームが起こり,その火の手は雪割草にも波及し,県内外の園芸業者による無差別的な乱獲が行なわれたため潰滅的な打撃を受けた個体群が多い。もともと雪割草は,地元の老人たちの小遣い稼ぎとして山採りされ園芸業者に売られていた。しかしその採取量は,個体群を消滅させるまでには至らなかった。皮肉なことに園芸愛好家たちの変異体探索活動が盛んになり,自生地が荒廃していく過程でオオミスミソウの生物学的貴重性が認識さるようになった。筆者にとって雪割草の研究はサイドワークであるが,もし植物学方面からの研究が先行していたならば,今日のような結果にならなかったと思うと残念でならない。遅きに失したとはいえ,近年地元民から雪割草保護の運動が始まり,昭和63年度(1988)から県もその保護対策「雪割草等緊急保全対策事業」をはじめたので,園芸業者による乱獲は鎮静化しつつある。しかし今も一般の人々による採取がおこなわれているので監視を怠ることはできない。】

角田山 登山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時19分=稲葉 和平
何桜でしょう。花は割合近いところにあったのでピントは合っているだろうと思ったのに、この結果。残念。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 09時24分=伊藤 幸司
これはキクザキイチゲのようですね。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時33分=伊藤 幸司
「ほたるの里コース」は福井集落の標高約50mから標高482mの角田山山頂まで登っていくのですが、標高200mから300mのあたりで緩やかな尾根道をたらたらと進みます。地図上にある239mの三角点のあたりにあずま屋があるのですが、これはその10分ほど手前、まさに「たらたら」と登っている雰囲気です。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時34分=伊藤 幸司
尾根道に出ると樹間に風景が垣間見える状態になりました。これは進行右側、山麓の平沢集落のあたりかと思います。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時36分=伊藤 幸司
進行左側に見えてきたのが、角田山の山頂稜線です。地図によれば、この道は山頂のすぐ右脇に出るはずです。

角田山 登山、カタクリほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時39分=稲葉 和平
羽根を開いたカタクリ、今シーズン初めて。

角田山 登山、カタクリほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時39分=稲葉 和平
低いところに咲く、下を向いたカタクリの花をきれいに撮るのは難しい。

角田山 登山、カタクリほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時40分=稲葉 和平
わりあいといい位置に咲いていたけれど、近寄ってみると色も姿も今ひとつ。気持ちが写真に出てしまった。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時40分=伊藤 幸司
出ました! カタクリです。こんなもんじゃないにしても、こんなもんです。早すぎるかもしれないという不安のなかに、まだ希望がつながっています。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時40分=伊藤 幸司
離れて見ると貧相でも、ちゃんと、一丁前のカタクリです。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 09時40分=伊藤 幸司
キクザキイチゲも元気です。
『森と水の郷あきた あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト』の『山野のサイトシリーズ4 キクザキイチゲ・アズマイチゲ』には次のように書かれています。常識的なところですけれど。
【早春に咲き、白から紫色の花が1個つき、花弁はなく、ガク片が花弁状に見える。茎葉は3枚輪生し、深い切れ込みになる。ニリンソウ、カタクリと並び大きな群落を形成する。カタクリと混生する場合も少なくない。良く似た仲間にアズマイチゲがあるが、詳細は後述する。花期は3〜5月。草丈は10〜20cm。】

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時41分=伊藤 幸司
カタクリ。これが現実的な光景で、やはりちょっと寂しいですね、せっかくの出演チャンスなのに「華」がない。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時42分=伊藤 幸司
カタクリ。でも、こういう光景もありました。花数がもうすこし多ければ、まちがいなくゴージャスな舞台になります。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時42分=伊藤 幸司
これがあずま屋というか、あずま屋跡というか、ひょっとすると新あずま屋準備中? 10分休憩をしました。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時46分=伊藤 幸司
歩きだすと、またしつこくカタクリを探しています。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時46分=伊藤 幸司
麓の集落は、たぶん信濃川の氾濫原に田畑を拓いて、住宅はほんの数メートルでも高い場所に集まっている……ように思われました。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時47分=伊藤 幸司
カタクリの花に近づくと、スカートの女性を下から覗きこむような気分になって奥のサクラマークを見るのですが、これなどは上から見下ろしているのに、そのサクラマークが透けて見えています。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 09時47分=伊藤 幸司
尾根道は平坦からちょっと下り。この先に鞍部があって、地図によればそこに麓からの道が登ってくるのです。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、アオキ
【撮影】2日目 09時50分=伊藤 幸司
アオキの幼樹がありました。植物にほとんど興味がなかった私の幼少期の記憶では、トイレの近くの日陰の庭に赤い実をつけたアオキがあったというぐらい。今、庭木としてのアオキは洋行帰りで、なかなかの人気のようです。
『花と緑の図鑑 - Garden vision』の『アオキ』にはこう書かれています。
【いわずと知れた日陰の庭の救世主的な存在の木。とても丈夫で、日照不足や湿気も苦にせず病害虫にもほとんど悩まされることがありません。花は目立たず、斑入りの葉を楽しみます。葉は樹高のわりに大きめで12cm前後になり、水分が多そうで肉厚な印象です。斑入り葉は黄色系を中心に色々種類があります。青葉のものも時たま見かけます。赤い実も観賞しますが、実つきはあまりよくありません。若い枝は緑色をしており、後に褐色になります。樹形や葉を小ぶりにした園芸種もあります。】
【和風の庭によく合います。明るめの斑入り品種なら洋風の庭にも合います。かなりの日陰に耐えるので裏庭の植栽や高木の根じめに適しています。樹形は全体にボッテリとしていますが、剪定でこじんまりした姿にもできます。暑苦しくしたくない場合は株がまだ小さいうちから枝数を制限しながら仕立てます。葉が大きいことがネックでアレンジ的には難しいところもあります。】
【◎アオキの個人的な印象
オススメ度:90% ちょっと野暮ったいけれど、これほど丈夫で手間のかからない木は少ないです。
◎コメント
アオキは雌雄異株で、実は雌株のみにつきます。あまり美しくはないので、斑入り葉を楽しむ場合ならこだわらなくてもよいかもしれません。】

角田山 登山、カタクリほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時51分=稲葉 和平
カタクリの蕾が三つ、この日一番の清々しいカタクリだったかも。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時52分=伊藤 幸司
堂々たるカタクリの登場です。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時53分=伊藤 幸司
これからというカタクリですが、一株で花を3つ咲かせるのではありません。運悪く三つ子状態で育ってしまった三姉妹。なぜここに、こんなふうに三人官女みたいになったのかは天の定め、なんですね。
『関東森林管理局』の『森林(もり)からのおくりもの』に『カタクリ』がありました。
【カタクリ(ユリ科・カタクリ属)
Erythronium japonicum Decne. 属名(エリトリウム)ギリシャ語erythros(赤の)に由来し、ヨーロッパ原産の花色にちなむ。
地上に出ている部分の寿命が短く、わずか2〜3ヶ月ほどで溶けるように消え去り、地下部だけの休眠生活に入るためにスプリング・エフェメラル(春の短い命・春の妖精たち)と呼ばれる。他家受粉型の虫媒花でポリネーター(送粉者)としての昆虫はクマバチ・マルハナバチ。種子の散布は、アリ散布型といわれ、ムネアカオオアリ・クロオオアリ・トゲアリ・アシナガアリ・トビイロケアリなどが活躍する。種子には、アリに嗜好性のある物質を多量に含み、エライオソームとよばれる特殊な付属体が付いている。アリは、巣に運んだ種からエライオソームだけを切りとったのち、種子本体を巣の外へ捨てる。種子は発芽して7〜8年後に、はじめて一部の個体が花茎を出し開花する。15年以上生きると思われる。
カタクリの語源は諸説有り、木村陽二郎博士のカタハクリ(片葉栗)からの転訛説を記する。「新潟地方では、カタカゴ・カタコ・カタッコという名前の他にカタッパ・カタハという名がある。花をつけたカタクリは2枚の葉がでるが、花をつけないものは1枚の葉しか出さない。花が咲いてしまうと、球根は貧弱になるから、デンプンに富んだ球根をとるために片栗(片葉?)つまり1枚の葉のものを、とったところからきたと思うと言っている。】

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、カタクリ
【撮影】2日目 09時53分=伊藤 幸司
カタクリ。なんでこんなふうに、花びらをピンと跳ね上げなければいけないのでしょうか、ねえ。
『一般社団法人 日本植物生理学会』の『みんなのひろば』の『植物Q&A』に『花が咲いたりしぼんだりするのは何が関係している?』がありました。一般論ですけれど。
【植物が葉や花弁を閉じたり開いたりする運動のことを「傾性運動」と呼んでいます。傾性運動を起こさせる原因は植物の種類によって同じではありませんが、一般には温度が関係しています。自然状態では朝光が当たり始めると花が開くことが多いのですが、その時は普通気温も上昇し始めています。
光が全く関係ないかどうかということは、花の種類ごとに厳密な実験をしてみないとわかりませんが、幾つかの実験報告では光は直接関係ないという結論が出ています。
ではなぜ温度が上昇すると開き始め、下がると閉じるのでしょうか。それは開閉のメカニズムと関係があります。花弁には表と裏の表皮がありますが、花が閉じている時気温が上昇すると、花弁で包み込まれた内側の温度は外気よりも高くなります。そうすると、表(内側)と裏(外側)の表皮細胞の成長速度に違いが生じます。つまり、成長はある温度範囲では温度が高い方が速度が速くなります。したがって、花弁は開くことになります。気温が下がると内側は直接に影響を受けやすく、外側の表皮よりも成長速度が低下します。そのため、花弁は閉じることになります。
このように多くの花の開閉は花弁の表裏の表皮の成長差よって起きていますので、一種の成長運動です。サーモスタットのバイメタルの原理に似ています。ほんのちょっとの差が大きな変化のように見えるのです。また、すべての植物にはただ温度が低いとか高いとかの大雑把なことではなく、それぞれ決まった温度域が必要です。例えばよく教科書に出てくるチューリップはある報告では17〜25℃で開き、16〜8℃で閉じるようです。しかし、もっと低い温度で開くという報告もありますので、正確な実験条件や使用した品種などで比較しないと分かりません。
このように温度に反応して起きる運動現象を「温度傾性」あるいは「傾熱性」などと言います。】

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、アオキ
【撮影】2日目 09時54分=伊藤 幸司
アオキはこんな幼樹の時代から実をつけるんですね。これは実をつけたので、雌株です。

弥彦山登山、角田山、ほたるの里コース、
【撮影】2日目 10時19分=伊藤 幸司
いよいよ山頂への最後の登りにかかりました。

弥彦山登山、角田山、山頂、
【撮影】2日目 10時49分=伊藤 幸司
これが角田山の山頂広場です。来るのが早すぎたと思っていたのですが、それにしては賑やかな山頂でした。

弥彦山登山、角田山、山頂
【撮影】2日目 10時52分=伊藤 幸司
この写真では悩みました。木の陰がこちらに伸びていますから、メンバーの皆さんは太陽が頭上にあるとはいえ、太陽の方向を向いています。すると前方にある海がおかしいのです。角田山から海を眺めるとそれは西、もちろん北西や南西の可能性があるにしても太陽の方向ではないのです。
だいぶ悩んだのですが、次の写真を見て謎が解けました。この写真の右の3人だけを撮った写真では影は向こうに伸びています。つまり日本海は角田山の西側、広く見ても北西から南西の方向に広がっているのです。
山頂は陽光にあふれ、風もなく、空気はピリリと気持ちよく、のんびりと20分も休みました。

弥彦山登山、角田山、山頂
【撮影】2日目 10時57分=伊藤 幸司
とにかく、海が見えたのです。登りは終わって、これからが角田山ならではの最高の下りです。天気良し、カタクリ良しという期待はまだ消え去っていないのです。

角田山 登山、山頂
【撮影】2日目 11時03分=稲葉 和平
ここはどこ? 前回(2011年)の角田山はオオミスミソウも見事だったが、全山を蔽う瑞々しいカタクリに圧倒された。どちらを見ても、とにかく“美しい”カタクリばかりが目にとび込む感じだったという記憶が脳裏に焼き付いている。ここはどこ?。

弥彦山登山、角田山、山頂
【撮影】2日目 11時11分=伊藤 幸司
角田山山頂での記念写真。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時18分=伊藤 幸司
角田山山頂から海岸に下るコースは2本あります。私たちがたどるのは「灯台コース」ですが、途中から「浦浜コース」が分かれます。そしてこの、日本海側の山腹がすばらしいカタクリの群生地となっているのです。というわけで、道はいかにも幹線道路という雰囲気になりました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時30分=伊藤 幸司
「浦浜コース」との分岐を過ぎて「灯台コース」に入りました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、ササ
【撮影】2日目 11時34分=伊藤 幸司
道筋ではササが元気に主役をつとめていました。一口にササといってもいろいろあるので調べてみると、このへんでは角田山の東にある笹祝酒造の「笹祝」とか「笹印」の日本酒が有名らしいので、あるいは新潟ならではの名のあるササにちなんだものかと思ったのですが笹口家の酒蔵でした。
笹だんごも名物らしいのでそのササについて調べてみたのですが中身についてはいろいろあるものの外側はただの「笹」という感じでした。
そこで角田山や弥彦山の植物リストのたぐいを探したのですがこれも力及ばずであきらめていたところ、福島県、福井県、岡山県に関する植物レポートに「ヤヒコザサ」がありました。そしてさらに、
佐渡では「アイカワザサ(ヤヒコザサの一変種)」
北海道では「シコタンザサ(ヤヒコザサ)」
大阪市大植物園では「オゼザサ(ヤヒコザサの変種)」
林野庁の東北森林管理局では「ヤヒコザサ(北海道・本州中部以北に分布)」
といったぐあいにヤヒコザサはなかなかの有名笹のようなのです。でもそれが弥彦山のヤヒコと確認できていなかったところ、決定打がみつかりました。
『ニコラス・屁イジのブログ』の『弥彦山系の植物のあらまし(日本海要素)』(2011年10月17日)です。
【弥彦山系で発見された植物】の文中でした。
【ヤヒコザサ:弥彦山(昭和4年)
エチゴザサ:弥彦山(昭和9年)
エチゴスゲ:弥彦山(昭和11年)
カクダザサ:角田山(昭和16年)
ナガバヤヒコシノ:弥彦山(昭和22年)
エチゴタイゲキ:浦浜(昭和29年)
ヒロバスゲ:弥彦山(昭和30年)
オクノフウリンウメモドキ:弥彦山(昭和33年)
エチゴメダケ:峰岡(昭和52年)】
ヤヒコザサだけでなく、カクダ(角田)ザサもあり、その他(けっこういろいろ)あるということがわかりました。やっかいですね、これがカクダザサとわかったわけではありません。ただ、自分が主役だみたいな顔つきではありますが。
すると情報がどんどん出てくる流れになりました。たとえば『赤鏥暇人の赤鏥暇人による赤鏥暇人のための』ブログなんだそうで『「弥彦山塊とその周辺」で見られるササ属の種』がありました。
【伊藤至は「弥彦の植物(S56.12.25)」でササ属の10種を報告している。チシマザサ節が2種、チマキザサ節8種と なっている。
調査から30年以上が経過しており、その後の移入や園芸・植栽個体逸出の可能性もあり万全ではないが、アップデイトできる資料もみつからないのでこの資料 を基準とする。
「弥彦の植物(S56.12.25)」に記載されているササ属の種は以下のとおりである。
ネマガリタケ(チシマザサ)・エチゴザサ・オオバザサ(ナガバヤヒコシノ)・チマキザサ・クマイザサ・ミヤマザサ(カクダザサ)・カワウチザサ(アラゲチ シマザサ)
クマザサ・ヤヒコザサ・オゼザサ(コシジザサ)
タケ類やササ類の名前は地方によって異なることが多く、図鑑の掲載名も「同種多名」の傾向がある。また論者により、時代により分類にさえ違いがみられる。
以上列挙した名前を参考目録の筆頭記載名で編集しなおした。】
【特徴の比較──図鑑で比較・説明に比較的多く使用される項目(花、根に関する事項は省略)。
◎チシマザサ──稈丈:+3m/葉長:20cm/葉幅:5cm…稈・稈鞘・葉鞘共に無毛…葉表:緑色で無毛 葉裏:灰白色で無毛 葉脈白く格子目状…肩毛:なし…その他:根元は湾曲して立ち上がる
◎チマキザサ──稈丈:1〜2m/葉長:20〜30cm/葉幅:5〜10cm…稈・稈鞘共に無毛…葉表:無毛・光沢 葉裏:無毛 主脈は黄色
◎クマイザサ──稈丈:1〜2m/葉長:20〜25cm/葉幅:4〜5cm…稈鞘:無毛 節:有毛の場合もある…葉表:無毛 葉裏:軟毛が密生…その他:分岐は中ほどから、稀に基部から分岐 冬季に葉の先が枯れる
◎ミヤマザサ──稈丈:0.5〜1m/葉長:18〜23cm/葉幅:3〜5cm…稈鞘:短毛が密生…葉表:無毛 葉裏:軟毛が密生…その他:分岐は基部から 隈取せず庭園利用される
◎オオバザサ──稈丈:2m以下/葉長:20〜26cm/葉幅:4〜8cm…稈鞘:節間より短く細毛が密生…葉表:無毛 葉裏:軟毛が密生…肩毛発達…その他:分岐は基部から 冬季に葉の先が枯れる
◎カワウチザサ──稈丈:ー/葉長:ー/葉幅:ー…稈鞘:開出長毛 葉鞘:無毛…葉裏:軟毛が密生…肩毛:稈に直角…その他:斜上する
クマザサ──稈丈:1〜2m/葉長:15〜25cm/葉幅≒5cm…稈鞘:毛が密生 葉鞘:無毛…葉:両面無毛 …その他:冬季に隈取
◎ヤヒコザサ──稈丈:1〜2m/葉長:20〜25cm/葉幅:4〜5cm…稈・稈鞘・節に逆向きの細毛が密生…葉表:無毛又は少し 葉裏:軟毛が密生…肩毛:放射状に発達…その他:冬季の隈取は小さい
◎オゼザサ──稈丈:ー/葉長:ー/葉幅:ー…稈鞘:有毛 節:長毛が密生…葉裏:軟毛が密生・幅広い…肩毛:稈に直角…その他:斜上する】
……といわれても、写真のササがどれかなんてわかりませんけれど。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時35分=伊藤 幸司
下り道が、いよいよ海に向かっていきます。滑り台という感じよりジェットコースターという気分になるのはどうしてでしょうか。スピードがぜんぜん違うのに。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時38分=伊藤 幸司
いよいよカタクリの斜面です。この道の両側が、ビッシリと、カタクリのはず、だったのですけれど。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、カタクリ
【撮影】2日目 11時41分=伊藤 幸司
カタクリがあることは間違いないのです。でも姿を現したものと、まだ現していないものとのギャップが大きいのではないかという感じ。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時41分=伊藤 幸司
キクザキイチゲもあることはあるのです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、カタクリ
【撮影】2日目 11時43分=伊藤 幸司
多分これが、この日のカタクリ風景の標準的なものだったのでしょうか。カタクリの花もアタリ年とハズレ年とがあるのでしょうか。
私が知るカタクリの花では中央線沿線の滝子山から大谷ヶ丸にかけての斜面にものすごい群落がいくつもあったのですが、それが突如消え去ったということがあります。最初は時期のズレや温暖化などを考えたのですが、どうもシカの食害であったようです。山の花に関してはそういう不幸もちらりとかすめたりすることが多くなって、行ってみないとわからないという気持ちが先に出てしまいます。

角田山 登山、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時45分=稲葉 和平
色の美しいキクザキイチゲ。時期が早過ぎたから花の数は少ないけれど、ホッとする。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、カタクリ
【撮影】2日目 11時45分=伊藤 幸司
どうなっているんでしょうか。双子状態のカタクリでしょうか。だいぶ大きく育っているのに、なんともウブな雰囲気です。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時47分=伊藤 幸司
キクザキイチゲの青い花もありました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時49分=伊藤 幸司
時々なにかがあるんですね。うゎーっ、というような圧倒的なものはない代わりに、時々、チラリと、なにかがあるんです。ほんのワンポイントだとはわかっていても、やっぱり期待してしまいます。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、カタクリ
【撮影】2日目 11時50分=伊藤 幸司
カタクリが、まだ、消えてしまったわけじゃない、という顔つきです。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時51分=稲葉 和平
ちょっと遠すぎました。スマホで立ったまま撮ろうとすると、こんなところ。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時51分=稲葉 和平
オオミスミソウがたくさん出てきた。白い花弁にピンクの雄蕊が可愛らしい。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時52分=稲葉 和平
群れを成しているとやはり目立つ。でも写真で美しく撮るには工夫が必要なことを証明するような一枚。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時52分=伊藤 幸司
久々に、という感じでオオミスミソウですね。それもなかなか印象的な登場のしかたです。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時53分=稲葉 和平
なかなかいい感じに撮れたと思うが、ピントが甘い。スマホなのでシャッターを押すときにカメラが動いてしまうせいかも。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時53分=稲葉 和平
何とかきれいに撮りたいとシャッターを切り続けたのだけど、難しい。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時54分=稲葉 和平
この若々しく、枝ぶりの立派な落葉樹は何。

角田山 登山
【撮影】2日目 11時54分=稲葉 和平
前回は稜線の両側からカタクリが押し寄せてくるように咲き乱れていたのに。カタクリを踏まないように注意しないといけないほどだった。

角田山 登山、」オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時54分=稲葉 和平
手前はボケているけれど、奥の方はきれいに写った。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時53分=伊藤 幸司
光が踊るように逆光気味に撮ってみましたが、どうでしょう。人間のポートレイトも同じですが、光の方向を変えると表情が変化します。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時54分=伊藤 幸司
白いオオミスミソウはこんな感じで咲いていました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時55分=伊藤 幸司
やはりこのあたりのオオミスミソウは新潟美人なんですかね。私流の感想ではオオミスミソウは凝縮型の小顔に見えるのですが、これはふっくらした色白顔に感じられます。人によって好みは違うのでしょうが。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 11時55分=伊藤 幸司
こういう平べったい明かりの中での集合写真も楽しいかな、と思いました。

角田山 登山、カタクリ
【撮影】2日目 11時56分=稲葉 和平
カタクリの青紫色は空の青さで一層引き立つ

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時56分=伊藤 幸司
灯台に向かって下っているはずの尾根道は、おおらかな早春の散歩道という雰囲気になりました。結論からいうと12時00分になると5分休憩するのですが、そこでこの雰囲気から、世界がガラリと変わります。そういう意味でもとても楽しい散歩道となりました。

角田山 登山、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時57分=稲葉 和平
随分あっさりした感じの、元気のいいキクザキイチゲ。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 11時57分=伊藤 幸司
再び姿を現したのはカタクリです。ここでもまた、おずおずと「いま〜す!」という小さな声で。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、カタクリ
【撮影】2日目 11時58分=伊藤 幸司
カタクリのこういう顔を見たかったのです。昨日も最後の最後にこんな感じで見上げるカタクリ……が空振りでした。ビッシリと埋め尽くしていなくても、主役になってくれる場面があれば、ホッとするんだということに気づきました。今日の登りで9時42分に見たカタクリと角田山を表裏で支えていた、という感じでしょうか。こちらのほうがまだ100mほど高いところにいるのですけれど。

角田山 登山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 11時59分=稲葉 和平
海へ向かって下る尾根道。これだけ開放感のある道は少ない気がする。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時59分=伊藤 幸司
オオミスミソウがあって、カタクリが登場して、そしてキクザキイチゲです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 11時59分=伊藤 幸司
前の写真の一番上の4つの花のところを望遠で撮りました。キクザキイチゲの花と葉のかたちがよくわかるフレーミングにしたつもりです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 12時00分=伊藤 幸司
この枯れた茎はなんでしょうね。本格的な春が到来すればここはジャングルで覆われるのでしょうが、それが花の命の最後なのではなくて、そんな時の流れの先を越して、自ら身を隠してしまう。スプリング・エフェメラルを「春のはかない命」と見るか「春の妖精」と見るかで表情の見え方は大きく違ってくるのだと思います。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、キクザキイチゲ
【撮影】2日目 12時00分=伊藤 幸司
なんだか美白化粧品のコマーシャルのような写真になってしまいました。雄しべも雌しべも白という色を強調する役割に徹していて、白がドラマを演じています。
私は「10秒見れば写真の善し悪しが判断できる」と主張していますが、これなんかはキクザキイチゲのシロバナの世界に引き込まれてしまいました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時00分=伊藤 幸司
先を行くメンバーが止まっていました。海が大きく広がっているようです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時05分=伊藤 幸司
首都圏の山でも、こんなふうに海を眺めることはあります。太平洋は広いなぁ というような気分になるのは房総半島が一番でしょうかね。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海、佐渡ヶ島
【撮影】2日目 12時06分=伊藤 幸司
でもここは違うのです。正面に佐渡ヶ島がほどほどの長さで横たわっているのです。
ただ、ここにいる皆さんは花束の中に潜り込んでいくような佐渡の花旅をすでに体験しているので、ある種の親近感をもって眺めているのです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、佐渡ヶ島、金北山
【撮影】2日目 12時07分=伊藤 幸司
佐渡の最高峰、金北山(標高1,172m)が見えました。5月になると山裾からあの稜線近くまで雪が解け上がって、解けたところに春の妖精たちが思いっきり元気に湧き出してくるのです。まず間違いなく、みなさんそういう思い出を噛み締めながらこの景色を見ていたはずです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時14分=伊藤 幸司
いよいよ灯台コースの一気下りになりました。天気に左右される場所ですから、その点ではラッキーです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時17分=伊藤 幸司
再びオオミスミソウの登場ですが、ひょっとすると葉先が丸みを帯びていてスハマソウかもしれないと思いました。それについては09時18分の写真のところで紹介したように、角田山での葉型の出現率としてはミスミソウ型が16.5%で、スハマソウ型が18.7%、その中間型が64.8%とありました。このときにはスハマソウ型なんてことも知りませんでしたが、同じ種の中での変異がそれだけあるとすれば、私などには「区別の必要なし」としてしまったほうが合理的と思うようになりました。ミスミソウに対してのオオミスミソウについては、日本海側のものはしばしば大型の花をつけたりするので「オオ」をつけるという例はいくつもあるからです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時17分=伊藤 幸司
なんだか、オオミスミソウさん、さようなら、という気分ですかね。上越のカタクリ・ツアーでも、オオミスミソウは玄関口にあってこそ、という感じがします。私には。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時18分=伊藤 幸司
オオミスミソウは斜面にこんなふうに生えていました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時19分=伊藤 幸司
これなんか、なかなかいい立ち姿ではないですか。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時20分=稲葉 和平
今回の青色のオオミスミソウの写真の中ではベスト

弥彦山登山、角田山、灯台コース、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時20分=伊藤 幸司
さよーなら、さよーーなら、……
1年前に撮った写真につけ忘れていたキャプションをつけているうちに、突然そんな言葉がでてきてしましまいました。
私は歌音痴で、ほとんど音楽のない生活を送っているのです。若い頃に街に流れていた歌謡曲ぐらいなら聞けば親しい気分になるという程度ですから、誰の歌だったかもわからずに、歌詞の一部として検索してみました。都はるみの「好きになった人」でした。でも、著作権の関係で数行引用するだけでもJASRACからの許諾関係の連絡があるかもしれない、という出版界のピリピリした怒りも思い出しました。
歌詞そのものに著作権があるとしても、それが社会に浸透して世相を表わす市民共有のフレーズとなったときにそのフレーズがどこまでJASRACに支配されるものとなるのか? じつはあまりはっきりしていない、というような常識の中で判断を強いられることがありました。音を出していなくても……です。

角田山 登山、オオミスミソウ
【撮影】2日目 12時21分=稲葉 和平
白のオオミスミソウ。もう少し近づいて撮りたかった。

角田山 登山、角田岬、日本海
【撮影】2日目 12時22分=稲葉 和平
前回も角田岬に向かって下りたことは確かだが、今回とは違う道だった。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時23分=伊藤 幸司
ドラマチックな下りです。こんな時期でもまだ北風が吹き抜けていくような日があるかと思います。そういうときには「日本海に向かって下る」という気分がぜんぜん違うものになるでしょう。そういう意味で自然に身を任せるドラマチックなルートだと思います。
2004年に糸の会で礼文島の西海岸線を宇遠内からスコトン岬までたっぷり歩いたことがありますが、海岸線の独特の旅情を堪能しました。
さらに私は学生時代、森繁久彌の正調・知床旅情が流行り始めた時代に、何度か知床半島に出かけていて、登山口までのアプローチとして海岸線も歩きました。日本の海岸線はドラマチックで旅情にあふれています。
私たちは今、まさにそういう世界に入り込んでいるのです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時24分=伊藤 幸司
この道は、そうです、こんなふうにひとり、ひとりになるのがいいと思います。擬似的ですが旅情が何倍にも拡大します。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、日本海
【撮影】2日目 12時27分=伊藤 幸司
海岸線には自動車道路が走っています。それがちょっと不満ですが、おかしな岩も見えてきました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、ツバキ
【撮影】2日目 12時30分=伊藤 幸司
岩の稜線で椿(ヤブツバキ)が花をつけていました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 12時31分=伊藤 幸司
この岩の先を私たちはまだ見ていません。ほんの小さな岩ですが、このルートの重要な目隠しになっているみたいです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 12時32分=伊藤 幸司
そしてもうひと山。たしかに……焦らされる感じはありました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、ツバキ
【撮影】2日目 12時37分=伊藤 幸司
そしてまたヤブツバキ。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、
【撮影】2日目 12時39分=伊藤 幸司
そして今度はフタコブラクダ。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、角田岬灯台
【撮影】2日目 12時46分=伊藤 幸司
そして、ようやく、灯台が見えてきました。

角田山 登山、角田岬、角田岬灯台
【撮影】2日目 12時51分=稲葉 和平
直接灯台に向かって下るのも中々新鮮だ。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、角田岬灯台
【撮影】2日目 12時51分=伊藤 幸司
角田岬の灯台です。古い思い出ですが、私の家に「レコードプレーヤー」が入ったときに買った最初のドーナツ盤は若山晃の灯台守の歌「喜びも悲しみも幾年月」でしたが、高峰秀子と佐田啓二の、そして当時の名監督・木下恵介が原作・脚本までやった映画(1957年)をもちろん見ていました。そういうタイムスリップ的光景を目にすることができました。

角田山 登山、角田岬
【撮影】2日目 12時56分=稲葉 和平
目の前に佐渡ヶ島、改めて自給自足ができるというその大きさに驚く。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、角田岬灯台
【撮影】2日目 13時03分=伊藤 幸司
角田岬灯台のテラスで15分ほど休憩しました。ここで点灯したのは1959年だそうです。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、角田岬灯台
【撮影】2日目 13時11分=伊藤 幸司
角田岬灯台は標高50mほどのところにあるので、角田浜海水浴場までの下りが残っていました。

弥彦山登山、角田山、灯台コース、角田浜海水浴場
【撮影】2日目 13時13分=伊藤 幸司
角田浜海水浴場には食堂が1軒、営業していました。その建物に重なっていますが、広場の奥に公衆トイレがあります。結構たくさんの車が止まっていますが、もちろん海水浴じゃなく、釣り人ばかりでもないようですから、角田山の登山者でしょうか。地方の皆さんは登山口までマイカーで入るというのが登山計画のスタンダードになっていて必然的に往復登山になります。チームを組めば向こう側にも車をおいておくという高度な技も組み込めるようですが。私たちはここでタクシーを呼びましたが。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】2日目 15時07分=稲葉 和平
前回は弥彦山に歩いて登ったが今回はロープウエー。花の時期には弥彦山の花の種類、数は角田山とは比較にならないほどと言う人もいるくらいだから、ロープウェーで登ることなんて考えられない。

弥彦山、弥彦神社
【撮影】2日目 15時13分=伊藤 幸司
弥彦に戻り、弥彦神社前で昼食を食べ、それから神社裏のロープウェイに乗りました。

弥彦山、ロープウエー、弥彦神社
【撮影】2日目 15時34分=稲葉 和平
越後平野と一望するロープウエーからの眺めは、素晴らしい。

弥彦山、越後平野
【撮影】2日目 15時53分=伊藤 幸司
弥彦山の山頂歩道から見下ろした越後平野。時間があれば登山道をまっすぐ下っていくところですけれど。

弥彦山、山頂、日本海
【撮影】2日目 15時56分=伊藤 幸司
弥彦山山頂から見下ろした日本海。佐渡の方を見ていますが、はっきりしません。

弥彦山、山頂、奥の院
【撮影】2日目 15時57分=稲葉 和平
山頂の奥の院。後ろの電波塔がなんとも興ざめだが、場所的に地上波デジタルの電波基地として重要度は高いという。

弥彦山、山頂テラス
【撮影】2日目 15時57分=伊藤 幸司
山頂のテラスです。この日の日没は新潟県(県庁所在地)で17時54分。太陽は2時間後に日本海に落ちていきます。

弥彦山、山頂テラス
【撮影】2日目 15時58分=稲葉 和平
日本海に沈む夕陽、展望台としても素晴らしいロケーションにある。

弥彦山、山頂
【撮影】2日目15時58分=稲葉 和平
絵になりそうな場所です。

弥彦山、山頂、国上山展望
【撮影】2日目 15時59分=伊藤 幸司
山頂から、昨日歩いた国上山を見ています。

弥彦山、山頂、国上山と大河津分水路
【撮影】2日目 15時59分=伊藤 幸司
国上山の山頂があって、信濃川と大河津分水路が見えています。

弥彦山、山頂テラス
【撮影】2日目 16時00分=伊藤 幸司
山頂テラスもほぼ私たちの独占状態でした。これで北アルプスの山並みなんかが見えたら最高でしたがね。

弥彦山、山頂、弥彦山パノラマタワー、多宝山、角田山
【撮影】2日目 16時02分=伊藤 幸司
振り返ると白い塔は52人乗りの展望室が回転しながら昇降するという弥彦山パノラマタワー。ロープウェイ山頂駅のところです。
その向こうにあるのが弥彦山と同じ高さの多宝山。今朝08時48分に角田山に向かう北国街道から振り返ったあの山を反対側から見ています。
そしてその向こうに角田山。今さっき下った稜線が(おおよそ)見えているのじゃないかと思います。

弥彦山、ロープウェイ、弥彦競輪場
【撮影】2日目 16時15分=伊藤 幸司
ロープウェイの下りです。信濃川が造った越後平野が広がって、その向こうにまだ雪をかぶった山々があるのですが、よく見えません。
そこで真下を見ると、山麓駅が彌彦神社の裏側になるのです。境内は深い森に覆われているのでよく見えませんが、右に出れば弥彦の街、写真では神社の森の上にちらりと見える人工物が、じつは日本で唯一の村営競輪場で、もちろん公営だそうです。
『ウィキペディア』の『弥彦競輪場』によると
【弥彦競輪場は隣接する彌彦神社および宝光院の境内に1950年4月28日開設された。かつての施設所有は株式会社やひこドリームであったが、2005年12月に株式会社やひこドリームから寄付を受け弥彦村所有となる。寒冷地の競輪場であることから本場開催は降雪のない4月から11月に行なわれる(場外発売は通年)。
弥彦で開催された特別競輪は、1991年、1992年、1998年、2002年、2005年、2008年にふるさとダービー(GII)が開催された。競輪場周囲の環境や競輪場自体の雰囲気から、しばしば「ふるさとダービー開催には最もふさわしい競輪場」と言われてきた。しかし2008年度をもってふるさとダービー自体が廃止となり、当場での開催も2008年4月が最後となった。2011年に弥彦史上初のGIとなる寬仁親王牌が開催されて以来、2015年まで5年連続で開催された。今後は2021年10月21日から24日まで6年ぶりに寬仁親王牌が開催される予定である。】

弥彦山、ロープウェー
【撮影】2日目 16時16分=稲葉 和平
下りのロープウェーからは雪を頂く越後の山々が大きい。

弥彦山、ロープウェー
【撮影】2日目 16時17分=稲葉 和平
窓から見える山は粟ヶ岳という山らしい。

弥彦山、越後の味 やまぼうし
【撮影】2日目 16時57分=伊藤 幸司
私たちは弥彦駅前の「越後の味 やまぼうし」で夕食を食べられることになりました。

弥彦山、越後の味 やまぼうし
【撮影】2日目 17時13分=伊藤 幸司
「やまぼうし」で、これは「もつそば」(1,000円)でしたかね。

弥彦山、越後の味 やまぼうし
【撮影】2日目 17時14分=伊藤 幸司
「やまぼうし」で、女性陣はだいたい「天ざるそば」(1,600円)なんかだったように思います。

弥彦山、越後の味 やまぼうし
【撮影】2日目 17時15分=伊藤 幸司
「やまぼうし」で、これはたしか「自然薯とろろそば」(1,500円)だったと思います。

JR弥彦駅
【撮影】2日目 18時03分=稲葉 和平
JR弥彦駅の風格を感じさせる駅舎。日本的ではないような感じもするけれど。

JR弥彦駅
【撮影】2日目 18時08分=稲葉 和平
街路灯の灯された弥彦駅前の大通り。午後6時を過ぎると人もあまりいなくなる。

弥彦山、弥彦駅
【撮影】2日目 18時10分=伊藤 幸司
弥彦山の稜線にテレビ電波等が何本も立っています。標高634mからさらに高いので、盤石の放送網といえるのでしょう。

弥彦山、弥彦駅
【撮影】2日目 18時11分=伊藤 幸司
18時21分の電車で、私たちは弥彦を去りました。



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