山旅図鑑 no.237
三毳山(みかもやま)(+両崖山)
2019.3.26

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(no.1135)
2019.3.26
三毳山(+両崖山)
12パワー(+20)

登り6p→下り6p(→登り15p→5p)

*計画書では次のように書きました。
────
*この時期の三毳山は一大観光地ではないかと思います。とても「山歩き」とはいえません。軽いスタイルで行きましょう。
*行程もおどろくほど軽いので、ご了承いただきたく。ゆっくり風呂に入って、さっぱりした佐野ラーメン(餃子もお楽しみに)を食べて、帰るのがもったいない気がする春の日ならぜひ足利へ、と考えています。
────
*ところが予定していた温泉ホテルが不定期のメンテナンス休業、佐野ラーメンの銘店が前日の休業に加えて臨時休業。おまけに全18人という大部隊は糸の会では最近ないことゆえ、佐野のタクシー会社はどこも予約を受けてくれないこともあって、タクシー5台での「なりゆき」大移動。
そこで三毳山は山頂から早々に下って、早めに舞台を足利に移すことにしたのです。でも足利も火曜日には食事をしたい多くの店が休業日。さて、その計画大変更、うまくできたかどうか……です。

3月26日
・0954……JR佐野駅着。タクシー待ち
・1040……かたくりの里管理センターを出発(標高約20m)
・カタクリの斜面を見学
・1130-40……三毳山山頂(標高229m)
・1225-50……とちぎ花センターでタクシー待ち(標高約50m)
・1400-1445……ココ・ファームワイナリーで昼食
・1510……織姫神社を出発(標高約30m)
・1635-45……両崖山山頂(標高251m)
・1725-40……本城一丁目登山口でタクシー待ち(標高約50m)
・2000……足利健康ランドでタクシー待ち
・2018……JR足利駅を出発

今回の写真出展メンバー(提出順)は(現在のところ)3人です。
矢野 博子、小林 美子、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.237
三毳山(みかもやま)(+両崖山)
2019.3.26

三毳山登山、ミズバショウ
【撮影】10時34分=矢野 博子
三毳山の公園に入って まず 私たちを出迎えてくれたのは このミズバショウだった。 ミズバショウというのは 雪解けの頃に水際に咲いているというイメージがあるが 今回は山すその枯れた落ち葉の間からのぞいていた。 流石に 盛りは過ぎていた。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時39分=矢野 博子
初めて訪れる三毳山のカタクリに期待がかかる。 シーズンは ネットで調べた限り ドンピシャだけあって 観光バスが 何台も駐車場を占拠していた。 これだけ 咲いていれば 運よく白花発見できるかと思ったが 私が見た限りでは 見つからなかった。 でも これだけ咲いていれば 圧巻で これは カタクリの絨毯と言っても良いかもしれない。

三毳山登山、ミズバショウ
【撮影】10時42分=伊藤 幸司
三毳山(みかもやま)の「カタクリの里管理センター」に集結するまで、ちょっといろいろありました。
東京駅発07時50分のJR上野東京ライン・快速ラビット宇都宮行きで小山乗り換え、JR両毛線の佐野駅に着いたのは09時54分でした。25人乗りのシャトルバスがあるのですが、その出発時刻が10時30分だったので、予定通りタクシーに分乗。
ところがなんとこの日は全員で18人ゆえ4台に分乗、となったのですが、5台目の2人が取り残されて、延々と待たされることになりました。
けっきょく、全員がそろって歩き始めたのが10時40分、これはその2分後の、カタクリの前のミズバショウ。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時43分=矢野 博子
カタクリのどこが好きなの? と聞かれると この反り返っている花びらかもしれない。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時44分=伊藤 幸司
三毳山は関東平野の北の縁に位置する独立峰で、この看板で山の全体像とカタクリの保護地域の関係がよくわかります。
最高峰は北部(地図の下側)にある竜ヶ岳(標高229m)で南部にある中岳(標高210m)とのふたコブ山になっています。
かたくりの里管理センターを北の入り口とすると、東西南にそれぞれ登山口が設けられています。今回はのんびり縦走して、タクシーで出流原弁天池へと移動、赤見温泉での入浴と佐野ラーメンという春の観光モード。
当然軽すぎるので、計画書には「*さらに(いろいろ考えてみたのですが)佐野駅へ出るのと同じ距離で足利に出られますから、春の織姫公園に行ってみませんか? 下ると鑁阿寺、街歩きです。弁天池から佐野駅/足利駅へそれぞれtaxi約2,500円。としておきました。
だいたい、三毳山は1日の山歩きとしては小さすぎるので、下ってから延々と歩いて渡良瀬遊水地まで行ったこともありました。でもなかなかおさまりがつきません。そこで今回は足利で春の散歩をいわばオプションとして用意しておいたというわけです。
ところが、直前の確認で、予定していた赤見温泉・ホテル一乃館が不定期のメンテナンス休業でダメとわかり、そこから歩いていけるはずだった佐野ラーメンのおぐら屋も、ナントカ祭りの後の連休とか。オプションツアーの立て直しを迫られていたのです。糸の会ではめったにないことなのですが、初参加のみなさんが加わっての大所帯、いつもの「ごめんなさい」ではちょっとすまない状態なので、私としては不自由な交通状況と合わせて、考えながら歩かなければならないという、憂鬱な状態でこの看板を見たのです。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時47分=伊藤 幸司
カタクリはかなりいい状態でした。薄曇りながら、花は開いています。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時47分=伊藤 幸司
なかなかみごとな立ち姿ではないですか? けっこう重い花を、ピンと立った細い茎が直線的に支えています。それに肉厚感のある葉っぱも上品な斑入りで、ス・バ・ラ・シ・イ、というふうに見えませんか?
情報を探ると、カタクリが地面のどこから生まれ出るかは自分の選択でなく、アリがポンと捨てた場所、つまりゴミ捨て場から人生をスタートさせるのだという解説がネット上にありました。
『NPO法人 日本パークレンジャー協会』の『自然の不思議コーナー』に『No.21 カタクリとアリ』がありました。
【あちこちでホトトギスの鳴き声が聞こえる初夏のくろんど園地、八ツ橋の近くのカタクリの森でカタクリの種子を運ぶアリの様子を観察してきました。
カタクリは受粉がうまくいくと、前から見ると正三角形の実を付けます。実の中は3室に分かれていて、長さ5mm位の種子が10〜30個位でてきます。種子ができる頃には、実が乾いて、先の方から裂けてきて中に入っていた種子がこぼれ落ちんばかりになります。
しかし、カタクリの森では、先が裂けて半分くらい種子が落ちてしまった実はいくつも見つかるのですが、その実の近くの地面を探しても、落ちたはずの種子が全く見つかりません。
実はカタクリの種子には、アリが好む物質を含むエライオソームと言う付属体が先っぽに付いていて、アリが種子を巣に運んでしまうのです。試しに、実に残っていた種子を8個ほど地面にまいてみると、ものの数分でアリに見つかり、30分とたたずに、すべて運び始められました。(写真2)
また、山側の少し奥まったところを観察してみると、先が少しだけ裂けた実にアリが群がっているところが見つかりました。
2時間ほどして、再び見てみると、アリが身を切り開いて中の種子をせっせと運び出していました。(写真3)
ところで、アリは、カタクリの種子を巣に運び込むのですが、エライオソームを餌として切り出して、種子の残りを巣の外へ捨てるらしいのです。今回は巣の外に運び出すところまでは観察できませんでしたが、カタクリはアリの助けを借りて、種子をより広い場所に散布する仕組みを持っているのですね。
カタクリは、春の3月〜5月の間だけ、地上に葉を出し、可憐な花を咲かせる"春の妖精"として人気があり、何年もかけて栄養を蓄え、ようやく7〜8年目に花を咲かせることは良く知られていますが、花を咲かせたあと、アリと共生関係で種子を散布する仕組みも大変興味深く、気の遠くなるような長い年月をかけて築き上げてきた仕組みの重さを感じました。
来春、今年できた種子から新しい芽生えがあることを楽しみにしています。(2017/5/31 ま)】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時47分=伊藤 幸司
カタクリは桜の季節に咲きますから、花見にでかけたときには周囲をちょっと探してみると、カタクリの花を見つけることもあります。
JR大月駅から駅前登山のできる岩殿山なんかは山頂のアンテナあたりから下の斜面を見るとあったりするのです。
関係ない話でしたが、この桜マークに関する情報を探していたら、深大寺の近くにカタクリの群生があるという情報が出てきたので、ついつられて「岩殿山にだって」と言いたくなってしまったのです。
『BIGLOBEウェブリブログ』の『街が好き』でいいんでしょうか『カタクリの桜模様』(2014年04月06日)というのがありました。
【カタクリの花の中心に、桜の花びらのような模様があるという事は、皆さんのブログで教わっていました。しかし、これまでうまく撮影できず残念な思いをしていたので、今度こそはとばかり、深大寺に近い都立農業高校・神代農場に出かけました。
花の中心を見ると、確かに桜模様が見えます。
この模様、正確にはガイドマーク(蜜標)という名前で、昆虫に蜜のありかを教えるものだとか。
さすが優美なスプリング・エフェメラル(春の妖精)。花びらにも桜の透かし模様を隠し持っていたとは。
ここは農業高校生の実習施設ですが、木曜日だけ一般に公開されます。雑木林には山野草が群生し、カタクリの群落が花咲く頃は、土日も公開されます。
こちらはタチツボスミレ(多分)の群落。花の多い農場なので、少しは他の場所も見学しようかと…。園芸の実習用なのかと思いますが、花壇にはこうした花が溢れてました。
日陰が多い所なので、桜は少し遅い感じでした。その桜を背景にした楓の若葉が印象的ですね。
里山が荒れるとカタクリも消えるので、環境保全の指標とされている花です。東京に残された群生地は貴重です!
ワサビやシイタケの栽培、ニジマスの養殖など、里山の自然に支えられた施設のよさでしょうね。
所変って、こちらは深大寺門前の蕎麦屋近くで見かけた紅枝垂桜。この日は珍しく、カタクリを見たいという相方と一緒だったので、農場見学の後は深大寺にお参りし、お昼休憩にしました。】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時48分=小林 美子
カタクリの里。観光バスが何台も止まっていて
観光客が大勢います。
一面にカタクリが咲いていた。ちょうど見頃
天気も良かったので、花も
上を向いていて綺麗でした。
花の所を越えて、三毳山の山頂へと私達は進みます。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時48分=伊藤 幸司
観光バスが1台入ると、こんな状態になるみたい。見なきゃ損、損。という勢いが充満してきます。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時49分=小林 美子
ちょっと角度をかえて見るとカタクリの花が少し
違う様にみえました。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時49分=矢野 博子
これは 二人のバレエのダンサーがスカートの裾を翻して息を合わせているよう。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
三毳山のカタクリは首都圏を代表するカタクリの名所なんですが、日本の全国区ではどうだろうと探してみると『Nobuo Hayashi』さんの個人のサイトなんでしょうか、そこに『全国のカタクリの花の名所』がありました。
三毳山はもちろん入っていました。
【◎西和賀カタクリ群生地──岩手県和賀郡西和賀町…4月下旬〜5月上旬
◎温海川かたくり園──山形県鶴岡市温海川…7ha約10万株/4月下旬〜5月上旬
◎下田沢かたくり園&博物村かたくり園──山形県鶴岡市下田沢…4月下旬〜5月上旬
◎白倉カタクリ群生地──山形県西村山郡朝日町…約2ha/4月下旬〜5月上旬
◎万葉自然公園かたくりの里──栃木県佐野市町谷町…約1.5ha150万株/3月中旬〜4月上旬
◎大柿かたくりの里──栃木県栃木市都賀町…約5ha/3月下旬〜4月上旬
◎三毳山(みかもやま)カタクリの里──栃木県栃木市岩舟町…3月中旬〜4月上旬
◎内原・かたくりの里公園──茨城県水戸市有賀町…約20アール
◎岩宿遺跡のカタクリ──群馬県みどり市笠懸町…約2.5ha/3月下旬〜4月上旬
◎清水山憩いの森──東京都練馬区大泉町…推定約30万株/3月下旬〜4月上旬
◎野山北・六道山公園──東京都武蔵村山市…700㎡2万株/4月上旬〜中旬
◎城山かたくりの里──神奈川県津久井郡城山町…3haに約30万株が自生/3月中旬〜4月中旬
◎さがみ湖カタクリの郷──神奈川県相模原市緑区…2800㎡10万株 /3月中旬〜4月初旬
◎六日町かたくり群生地──新潟県南魚沼市六日町…群生地は4ヶ所あり/4月上旬〜4月中旬
◎里山フィールドミュージアム──新潟県長岡市親沢町…約2ha100万株/4月中旬〜下旬
◎平栗いこいの森──石川県金沢市平栗…3月下旬〜4月上旬
◎今庄カタクリ群生地──福井県南条郡南越前町今庄…4月上旬〜中旬
◎文殊山のカタクリ群生地──福井県鯖江市南井町…3月下旬〜4月中旬
◎経ヶ岳のカタクリ群生地──福井県鯖江市吉江町──3月下旬〜4月中旬
◎大原カタクリ群生地──岐阜県高山市清見町…4,000㎡/4月下旬〜5月上旬
◎可児川下流域自然公園──岐阜県可児市土田…3月中旬〜4月初旬
◎清住カタクリの里──兵庫県丹波市氷上町…1,000㎡/3月下旬〜4月中旬
◎佐用町カタクリの里──兵庫県佐用郡佐用町…3月下旬〜4月上旬
◎鏡野町大地区カタクリ自生地──岡山県苫田郡鏡野町…約50アール5000株/4月t上旬〜4月中旬
◎佐引カタクリ群生地──岡山県真庭市別所…約20ha/4月上旬〜中旬】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
じつは「サクラマーク」で検索してみたら、私自身の文書が出てきました。『伊藤 幸司の山歩図鑑』で『No.020 4月5日筑波山 つくばさん876m(2008年)』でスマホ用の電子書籍として『晩聲社』から出たものが、まだ販売されているようです。電子書籍として76円で購入できるそうですが、正直早すぎた企画だったと思います。
この山歩図鑑は、私のリストでは52号まで出たようにも思われますが、まったく記憶から抜け落ちていたので、ビックリしました。無料で見られる6ページの写真に、次のようなキャプションがついていました。
【道際にカタクリが登場しました。晴れて花びらが大きく開いたので花の構造がよくわかります。
6枚の花弁の内側に、サクラマークのような不思議な模様が見えています。長く飛び出している白い雌しべは3列しています。それより短い雄しべが、拡大してみると長短あって、それぞれ3本ずつだそうですが、暗紫色の葯をつけています。春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれるにふさわしい立ち姿です。】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時50分=小林 美子
トウ・ラッタッタ
(まんぷくの主題歌)と踊りそう。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時50分=伊藤 幸司
以前、ここを訪れたときには有名なおじさんらしい人がシロバナのカタクリのある場所を周囲の皆さんに教えていました。
シロバナのカタクリは一定の確率で出てくるので、私たちもずいぶん見てきました。「白花のカタクリ」で検索してみたら、また私の著書がトップに出てきてしまいました。
『山の道、山の花──あの山の、「記憶に残る一輪の花」に会うための、フォト・ガイドブック』(2007年・晩聲社)の電子版の立ち読みページ。
読めるページが結構あるんですね。「カタクリ」の欄の写真No.11のキャプションに「白花のカタクリ」という言葉があったので、検索に引っかかったようです。
【金北山(1,172m)から自衛隊の敷地内を抜ける林道で、白花のカタクリを2株発見した。探せば、もっとあるかもしれない。(2006.5.10)】
「白花のカタクリ 出現確率」と検索してみると『白馬五竜高山植物園』のサイトに『白いカタクリ n万分の2の確率』(2011/05/11)がありました。
【一面に咲く、五竜かたくり苑のカタクリ。
こういう場所で、むらさき色のカタクリを、じっくり目を凝らしてみると、白いカタクリが見つかるかもしれません!
五竜かたくり苑では、今年は2株見つけることができました。
野生のカタクリの白花は非常に珍しいといわれています。
何万分の一かで出るようですが、五竜のかたくり苑は一体何株あるのやら。
10万株ともいわれますが、近隣の森の下にもかなりのカタクリがあるので、それらも合わせれば、かなりの低い確率といえるでしょう。
もっとも森の中だと白いカタクリを探すのも大変でしょうが・・・。
白いカタクリがあると知らずに見つけるのは至難の業でしょうが、あると思って探せば、目を凝らして頑張って見つけられるかもしれません。
白いカタクリは昨年と同じ位置で今年も咲いていました。
カタクリの花には周期があるようで、今年咲いたものが来年も咲くとは限りませんが、それでも来年にも咲いている可能性は大です。
今年新たに見つけた白いカタクリは、去年には咲いていなかったわけで、来年には別の新しい白いカタクリが咲く可能性も十分にあります!
まだ見ごろのカタクリを見に来るも良し。
来年に来られる方は白いのを見つけてやるぞ!という目標を持って来るのも面白いかもしれません。
植物を見ることには色んな楽しみ方があると思います。
ところで、先の写真の一日前ではこんな様子。
他のカタクリは咲いているのに、白だけまだ…。
一日早い、遅いだけでベストな時期を逃してしまうカタクリ。
良い開花時期、天気、時間、そういったものをうまく合わせられるのは、運頼みです!】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時51分=矢野 博子
満点のカタクリの4人揃い。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時51分=伊藤 幸司
足の踏み場もない、というのがこういうことだと思います。
雪解けの巻機山に登る前日、民宿の裏山を歩いたら、道がこんなふうにカタクリで完全に埋め尽くされていて、踏まずに歩けない状況でした。もともとカタクリの根(鱗茎、球根)から片栗粉を採っていたころには、日本中にこんな風景があったのではないでしょうか。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時51分=伊藤 幸司
カタクリ(片栗)の名前の由来については、『小さな園芸館』に『カタクリ』があって、ごく一般的な『名前の由来』がシンプルに書かれていました。
【カタクリは花をつけない1枚の葉の株が多く、また表面に白っぽいまだら模様がある様子が、鹿の子に似ていることから、「片葉鹿子」(カタハカノコ)と呼ばれる。
→ これが変化して「堅香子」(カタカゴ)になる。
→ さらに転化して「カタクリ」になったという。】
「片葉のカタクリ」というのは花を咲かせるまでの5〜6年は葉を1枚だけ出して炭酸同化作用を行うのだそうです。
山菜として食べる場合は『森と水の郷あきた あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト』の『山菜採りシリーズ3 カタクリ』に書かれています。
【採り方・・・ツボミ状態の若芽を選び、根元近くの茎をつかんで軽く上に引き上げると、スポッと白い茎より上が抜けてくる。食べ過ぎると下痢を起こすので、採取は早春の香りを楽しむ程度にとどめるべきである。】
じつは昔、このカタクリの球根(鱗茎)から片栗粉を採っていた時代には花を咲かせる前の葉を1枚だけ出している若いカタクリの、たっぷり栄養を蓄えた根を掘るのが効率的なため「片葉の鹿の子」と読んだのがカタクリの元、という説を見たのですが、どこかに行ってしまって見つかりません。現時点まで、それが一番「ふ」に落ちる解説だと思うのですが。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時52分=伊藤 幸司
いい時期に来たもんですね。しゃがんで見渡すと、まさにカタクリのジャングルです。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時52分=伊藤 幸司
もう、先が見えてきてしまいましたが、私たちの仲間はすでに山歩きモードのようです。雑踏を背にして、どんどん登り始めました。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時54分=伊藤 幸司
私は最後尾を歩きながら、後ろ髪を引かれながら、振り返りつつ、振り返りつつという状態です。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時54分=伊藤 幸司
実にみごとな四姉妹(か五人組)ですが、間隔がこんなに近くても立派に育つんですね。どうしてこんなふうに寄り添って5〜6年とか、6〜7年とか過ごしてきたのか、運命の鍵を握っていたのはアリ、蟻さんだという定説……。
『ウィキペディア』の『カタクリ』にも『アリによる種子の散布』という項目が立てられていました。
【種子に付着しているエライオソームには脂肪酸や高級炭水化物などが大量に含まれる。アリがこの成分に誘発され、種子はアリの巣がある遠くまで運ばれる。富山県婦負郡八尾町(現富山市)では、アシナガアリ、アズマオオズアカアリ、クロヤマアリ、トゲアリ、トビイロケアリ、ムネアカオオアリなどにより運ばれる様子が確認されている。トゲアリはカタクリの種子を巣内に運び込んだ後に、巣外に搬出し周辺に散布する。】

三毳山登山、カタクリ
【撮影】10時55分=小林 美子
色の濃いカタクリ。
自慢そうにキリッと咲いていました。
ちょうど良い時でした。
カタクリは種にアリが好む物質が着いていてアリにより生育地を広げられているそうだ。

三毳山登山、カタクリ、アズマイチゲ
【撮影】10時56分=伊藤 幸司
これはもちろんカタクリ界の「ザ・ピーナッツ」と呼ぶにふさわしい……のでしょうが、私の関心はもうそっちではありません。周囲に白い花が現れて、あたりはすべてその白い花のものらしい若緑の葉で埋め尽くされています。
純白の花はアズマイチゲかキクザキイチゲというところですが、葉の形からこれはまちがいなくアズマイチゲ。カタクリもアズマイチゲも周囲の植物がまだ目覚めていない早春の一時期だけ自分たちの地上生活を謳歌できるという早春の妖精たちですから、こんなふうに生存争いをしているような写真を撮ってはいけないのかもしれませんが、みごとですねえ、両者の怪しい関係……という感じ。
このカタクリは、あきらかに、自分たちの王国の外側にまで蟻さんたちに種を運ばれてしまったのです。そのとき裸にされた種は2個一緒だったのでしょうか。

三毳山登山、ニリンソウ
【撮影】10時57分=伊藤 幸司
カタクリとアズマイチゲがおしくらまんじゅうしているようなその場所に、第3の妖精・ニリンソウもいました。ニリンソウの最大の特徴である若い花に見られる花びら(萼片)のピンク色がどれにもありません。ただ、葉の形や、そこにある白い斑点はあきらかにニリンソウで、幸いなことに一番下の白い花の葉のところに二番目の芽が用意されています。ニリンソウの初々しい美しさからは遠い写真ですが、こんなはみ出し者みたいな表情もあるんですね。

三毳山登山、アズマイチゲ
【撮影】10時58分=伊藤 幸司
カタクリがあればそこにあるはずというのがアズマイチゲやキクザキイチゲ。キクザキイチゲの花だと白か紫ですけれど、アズマイチゲは白花のみ。でもみごとな純白ですよね。

三毳山登山、アズマイチゲ
【撮影】10時59分=伊藤 幸司
アズマイチゲの開きかかった花とまだしばらく蕾状態の花。

三毳山登山、カタクリ
【撮影】11時04分=伊藤 幸司
佐渡のカタクリを初めて見たときにはツルンとした葉っぱに驚きましたが、ここに見るカタクリの葉は驚くほどみごとです。単に斑入りという以上に、だれかが筆先で描いたような繊細さではありませんか。
ただびっしりと生えてりゃいいってわけじゃないぞ、と最後に言われたみたいでした。

三毳山登山
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
振り返ると、みなさん、けっこう、頑張って登ってくるような急登でした。

三毳山登山
【撮影】11時44分=伊藤 幸司
三毳山の山頂で10分休憩しました。穏やかな天気の中で、いつもの倍ぐらいの人数の記念写真。
私はすでに、ここから下りにかかり、足利のココ・ファーム・ワイナリーに行く方針を固めました。タクシーも台数を確保できる見通しになりました。

三毳山登山
【撮影】11時54分=伊藤 幸司
「山頂」と呼ばれるところのほとんどは、山麓の町や村から見上げてあきらかに山のてっぺんだと思われるところです。ダラダラとどこが一番高いのかわからないままこんどはダラダラと下っていくというような場合ももちろんあるけれど、歩いてみると、こんなふうに急な上りと下りがあるから「山頂」と名付けられた、というのが一般的かな、と思います。
でもだから急登を頑張ったら頂上のハズというのがさらに向こうにもうひとつ急登がある、というような紛らわしいケースも多いので要注意。この三毳山などは、周囲の山から見るとこんもり盛り上がったなだらかな山なんですが、ピークが2つあって標高229mの三毳山(青竜ヶ岳)と標高210mの中岳。その間に標高約150mの鞍部があるのです。私たちはそこから東に下ろうとしています。

三毳山登山
【撮影】12時00分=伊藤 幸司
ここが中岳にむかう縦走路と「東入口」への下山路の分岐点。「とちぎ花センター」というのがあって、タクシーとの合流も間違いなさそうです。

三毳山登山
【撮影】12時14分=伊藤 幸司
「東入口」への道は完全に観光歩道になりましたね。

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時17分=矢野 博子
公園の出口で私たちを待ち受けていたのは このザゼンソウ。 地味な花(?)だが 中々の存在感。

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時22分=小林 美子
ちょっとした湿地にザゼンソウを見つけた。
この2輪が一番きれいだったかな?
ザゼンソウの方がミズバショウよりずっと自生地が
少ない。乾燥している所にも適応している。
傷をつけると臭い匂い を出す。
アメリカでは、スカンクキャベツと呼ばれているそうだ・・とあったが・・
ほんと〜?

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
とちぎ花センターというところに出たようです。その先に小さな池があって、岸に木道がありました。

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
三毳山「東入口」の池のわきにあったのはザゼンソウです。ザゼンソウとミズバショウが一緒に咲いていることが多いし、顔つきも似ているのでごく親しい関係かと思っていたら、こちらは英語ではスカンク・キャベツとされ、悪臭を放つのだそうです。なんだか、とても個性的な生き方をしているようです。

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時24分=小林 美子
ほらほら、あそこに
あるでしょ。
う〜んどこどこ・・・と
言っているのかな?

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時25分=伊藤 幸司
これがザゼンソウの仏炎苞の中に鎮座する肉穂花序で、ブツブツ吹き出しているのがそれぞれ小花(両性花)、およそ100個の花が咲くというのです。
……で、いつ、どんなふうにスカンク・キャベツなのかというと、『ウィキペディア』の『ザゼンソウ』にはこう書かれています。
【冷帯、および温帯山岳地の湿地に生育し、開花時期は1月下旬から3月中旬。開花する際に肉穂花序(にくすいかじょ)で発熱が起こり約25℃まで上昇する。そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し、受粉の確率を上げている。開花後に大型の葉を成長させる。】
【発熱時の悪臭と熱によって花粉を媒介する昆虫(訪花昆虫)であるハエ類をおびき寄せると考えられている。全草に悪臭があることから英語では Skunk Cabbage(スカンクキャベツ)の呼び名がある。】
そういう特殊技能の持ち主なんだそうです。

三毳山登山、ザゼンソウ
【撮影】12時25分=伊藤 幸司
ザゼンソウ、あるいはダルマソウの、これはかなりあっけらかんとした表情です。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】13時59分=伊藤 幸司
ザゼンソウを見てから1時間以上が経ちました。タクシーを5台連ねて訪れたのは足利のココ・ファーム・ワイナリー。
『ココ・ファーム・ワイナリー』のホームページにはこう書かれています。
【青空が広がるこの山に、葡萄畑が開かれたのは昭和33年。その葡萄畑の麓にこころみ学園が設立されたのは昭和44年、ココ・ファーム・ワイナリーができたのは昭和55年。
おかげさまで、今年、葡萄畑は開墾62年目を、昭和59年(1984年)からはじまったワインづくりは、37年目を迎えます。
これもひとえにココワインをご愛飲くださる皆さまのおかげです。心より御礼申し上げます。これからもどうぞ末永くよろしくお願いいたします。】

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時04分=伊藤 幸司
時間的には危うい状態でしたが、ランチをいただくことができました。私たちの独占状態ということもあって、印象に残るランチにはなったかと思います。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時04分=伊藤 幸司
私は食べものに関してはそのとき良ければそれでいい、という質ですから細かな記憶はほとんどありませんが、たしか大差のない2種類の選択肢があったかと思います。これが前菜。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時09分=矢野 博子
今回の三毳山のカタクリ鑑賞は勿論 初めてなので楽しみにしていたが 計画書によると 昼食は 佐野のラーメン! との記載。 かなりそれに私は 期待をかけていたのだが この日は 生憎の定休日。 そこで向かったのが ココワイナリー。 タクシーの運転手も迷うような所だったが 急な斜面には葡萄が沢山栽培されていて 気持ちの良い明るいレストランだった。 そこのランチは まあまあ合格で 特に 付け合わせのフレッシュな野菜が美味しかった。 これからまだ二時間以上歩くので(これは この日に決まったオプション) 買うか買うまいか迷ったのだが ここで購入した太いアスパラガス 10本 900円也 は 想像以上に美味しかった。 そして 無事につぶすことなく持ち帰れた。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
そしてこれがパスタ・ランチのメイン。まあ、文句はありませんでした。せめて「大盛り」があればよかったのに、とは思いましたが。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時33分=伊藤 幸司
ぶどう畑はイノシシよけでしょうか、厳重に防御されていましたが、中に1頭ヤギがいました。以前訪れたときにもいた「これぞヌシ」という存在のようで、草取りおじさんとしての仕事もないらしく、ただひたすらのんびりしていました。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時40分=伊藤 幸司
これは桜だったと思います。開花まで、まだしばらくかかりそうな状態でした。天気はどんどん晴れてきました。

足利、ココ・ファーム・ワイナリー
【撮影】14時44分=伊藤 幸司
足利にはタクシーはたくさんあるので、5台頼むのも簡単でした。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時02分=矢野 博子
足利織姫神社の入り口。 ここから 229段の階段を登り 更に両崖山へと向かった。 今回は 17名の大所帯。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時07分=矢野 博子
ここの神社の裏から両崖山に向かったが すれ違う人に “これからですか?” と遅い行動時間に疑問を持たれた。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時11分=伊藤 幸司
ココ・ファーム・ワイナリーを出て25分ほどで足利市内にある織姫神社に到着しました。皆さんおなじみの場所ですが、いつもは行道山・浄因寺からえんえんと歩いてココが最終地点です。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時15分=伊藤 幸司
足利織姫神社です。『栃木県足利市』のサイトにある『足利織姫神社』は次のとおりです。
【『足利来るなら織姫様の 赤いお宮を目じるしに カラリコトントン カラリコトン 足利絵の街 機の街』と足利音頭に歌われた足利織姫神社。
ここには、1,300年の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神が奉られており、産業振興と縁結びの神様として足利市民に広く親しまれています。
この神社は、明治12年に建てられましたが、翌13年に火災により焼失してしまいました。その後、昭和9年に社殿再建に着手、3年の歳月をかけて当時では珍しい鉄筋コンクリートで昭和12年、現在の社殿が完成しました。平成29年には遷宮80年を迎えます。
朱塗りのお宮は緑に映えて景観が美しく、また、境内からは関東平野を一望できます。
県立自然ハイキングコースの出発点にもなっていますので、ぜひお立ち寄りください。】
この社殿は平等院鳳凰堂がモデルだそうです。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時17分=伊藤 幸司
お祈りして引き返す、この風景が足利の象徴だと思います。2.5万地形図によると、私が立っている地点が標高約70m、前方に見える低地が標高約40m、そこに水面標高約35mの渡良瀬川が流れています。
東京湾(江戸城)から直線で150kmほど北のこの地点が、渡良瀬川(利根川の主要な支流でかつては東京湾に流入していた)の水面で標高35mというのはどういうことなんでしょうか。
関東平野は縄文時代に多くの人々が生活していたことが遺跡からわかっています。そころが縄文時代後期、寒冷化や富士山を始めとする火山灰の影響で縄文時代晩期の遺跡はほとんど見当たらなくなったというのです。
その後のことですが、『縄文と古代文明を探求しよう!』というサイトの『東にあった「もう一つの日本」〜1.縄文晩期の関東は空白地だった?』(2013年03月26日)には次のように書かれています。
【縄文晩期に大幅に遺跡が減少し、いわば空白地帯となった関東平野ですが、弥生時代になると再び人口増加に転じます。歴史人口学の研究によると、弥生初期、紀元前10世紀頃の人口はおよそ7万6000人前後と推定されていますが、注目すべきはそれが紀元3世紀に入ると、60万人に膨れ上がる点です。縄文晩期に空白地帯となった関東に何が起きたのでしょうか? 弥生時代に移行し、どこから?どのような人々が関東平野に移り住んだのでしょうか?】
残念ながらその次の回を見つけることができませんでしたが「日本最古の総合大学」などといわれている足利学校や足利将軍15代の座像が蔵されているという鑁阿寺(ばんなじ)など、室町時代には足利は日本の特別な場所となったのです。
そしてここは織姫神社。足利は古くから織物の産地としての歴史を紡いできたというのです。『足利織物傳承館』のサイトに『足利の織物産業の沿革』がありました。
【◎奈良時代〜平安時代〜鎌倉時代──足利の織物は歴史が古く、奈良時代(710-784年)の初めに足利地方から「ふとぎぬ」を献進したというのに始まり、奈良の大仏開眼の時には東大寺の御領地として織物が送られています。それは平安時代(794-1185頃/1192年)に入ってもなお続き(正倉院の文書中に明記されている)、また鎌倉時代(1185頃/1192-1333年)の『徒然草』に「さて年毎に給はる足利の染物(足利の織物)」とあるのはあまりにも有名です。
◎江戸時代──江戸時代(1603-1868年)に入って貨幣経済が発達すると足利織物は、綿の糸で織られるものが多く「木綿縮」や「足利小倉」「足利結城」などは大変な人気で、足利とまわりの村々で作られる織物は「足利織」とか「足利織物」と呼ばれ、今までの貴族愛用の手から離れて、一般大衆に愛用され全国に知られていました。
◎明治時代〜大正時代──明治時代(1868-1912年)になっても足利ではこのような綿の織物の生産は続けられましたが、明治20年前後のひどい不景気の時代に絹織物に力を入れていきました。それまで細々とあった絹織物の生産方法の改良、力織機の導入等をし、それによってアメリカやヨーロッパの国々の市場開拓に努め、直接輸出体制を確立し、輸出を拡大していきました。その背景には、織物の近代化として明治18年の織物講習所(後に栃木県工業学校、現足利工業高校)の設置、物流の近代化では同21年の両毛鉄道の敷設、そして経済基盤の確立として同28年の足利銀行の創設があります。
◎昭和〜平成──昭和(1926年-)にはいり、足利織物は伝統的傾向として主力は常に内地物に注がれ、手頃な価格の絹織物「解し織」等でした。また、その中でも素晴らしいデザインの「足利銘仙」の生産額は逐年増加し、昭和6・7年以後斬新な模様銘仙が飛躍的な発展を遂げ、ついに昭和8・9年頃には銘仙の中では人気を独占したといわれます。
戦後(1945年〜)、物不足の時代に銘仙の人気が一時戻りますが、本格的な洋装の時代となり次第に衰退していきます。昭和30年代から新興繊維産業として経(たて)メリヤスの発展もみて足利市の基幹産業としてトリコットの隆盛がありました。今、足利の人々は、「解し織」(栃木県指定伝統工芸品)やおどり用の着物に使う織物づくりによって、また、編メリヤス・横メリヤス・ニット製品等の生産や染色等総合産地として、その伝統と技術を引き継ぎ、新たな機業地として発展しております。】
この産業振興神社からの光景はある種「千年風景」のようですね。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時18分=小林 美子
もうすぐ桜の時期。
ここだけ、少しひらいていました。
桜の開花宣言。
梅雨入り、梅雨明け宣言。
宣言を出さなくても自然にくるのになぜだろうと思うがテレビで言うのを
なぜか待ってしまう。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時18分=伊藤 幸司
足利織姫神社はありとあらゆるお願い事に対応してくださるのですが、「良縁成就」がトップに掲げられています。
『足利織姫神社』には『恋人の聖地』というタイトルペーがあるのです。
【2014年足利織姫神社は、産業振興と縁結びの神様として[恋人の聖地] に認定されました。
※愛むすび・愛の鍵は、境内社務所にてお取り扱いしております。
お二人で鐘を鳴らすと幸せになれると云われる『愛の鐘』を設置いたしました 。
恋人の聖地モニュメントも完成しました。】
……とのことです。

織姫神社〜両崖山、織姫神社
【撮影】15時20分=矢野 博子
桜の花は まだあまり見られなかったが 気が付いたら頭上には 御覧のような 濃いピンクの桜。 ソメイヨシノではないかもしれないが 心が浮き立つ。

織姫神社〜両崖山、機神山山頂古墳
【撮影】15時23分=伊藤 幸司
織姫神社から始まるのは両崖山までの2.0kmのハイキングコースです。
まずは古墳に登るのです。『Hatena Blog』に「オヤコフン」さんの『墳丘からの眺め』というブログがあって『行基平山頂古墳・機神山山頂古墳・織姫神社 栃木県足利市巴町・西宮町(織姫公園内)』(2017−09−02)に、それぞれの古墳の解説板の内容がコピーされていました。
【◎機神山(はたがみやま)山頂古墳(足利市指定 昭和53年3月6日指定)
機神山山頂古墳は、足利市街地の北西、織姫神社のある機神山の山頂にあります。この機神山から両崖山にかけての標高53〜118m、東西約500m、南北約600mの範囲の尾根上及び斜面には26基の古墳があり、機神山古墳群と呼ばれています。
◎墳丘の規模・形状
この古墳は前方部を西に向けてつくられており、墳丘の全長は36m以上、高さ4m以上、2段築成の前方後円墳です。2段目の斜面にはチャートの割石による葺石が施されています。墳丘1段目には葺石がなく、北側くびれ部から後円部にかけてテラス(平場)をつくるための盛土をしているほかは、全体に山裾の傾斜を削り出し、テラス及び一段目の墳丘をつくっています。
◎埋葬施設
横穴式石室が後円部南側に開口しています。平面形はゆるい胴張りの無袖石室で、現存する全長は8.08m、幅は奥壁直下で1.98m、最大部分で2.73m、入口部で1.53m、高さは奥壁で2.34m、入口部で1.23mあります。奥壁、両側壁、天井石ともにチャートの割石を使用しています。
◎出土遺物
明治26年に行われた発掘調査の際、副葬品として直刀2、鉄鏃17、獣帯鏡2、六鈴鏡1、馬具(杏葉1、轡1)、須恵器(提瓶)、勾玉、丸玉、小玉等が出土、その他、墳裾から円筒埴輪、形象埴輪(人物・馬・鳥・家・靫・盾)が出土したとの記録がありますが、残念ながら所在不明となっています。
平成20年度に墳丘の規模・形状等を確認するため足利市教育委員会が発掘調査を実施し、くびれ部付近を中心に円筒埴輪、形象埴輪(馬・大刀・靫・盾・さしば等)がたくさん出土しました。
本古墳は、古墳の形式や出土遺物等から、古墳時代後期の6世紀後半に造られた古墳と考えられます。墳頂部の標高が約118mと本古墳群中最も高い所に位置し、市街地全体を見渡せるすばらしい場所に立地しています。明治時代の調査記録でも鏡をはじめとした貴重で内容が豊富な副葬品が出土していることからも、この機神山山頂古墳は本古墳群の中でも有力な人物の墓であったと考えられます。
平成23年3月11日に発生した巨大地震に伴い、横穴式石室の側壁の一部が転落、また、天井石のずれ等の被害があり。石室損壊の危険があったことから、震災後、石室内部に土のうをつめて、古墳を保護するための対策を行いました。足利市教育委員会】

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時27分=伊藤 幸司
稜線をたどる道は、ここで歩道橋を渡ります。下は川ではなくて車道です。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時30分=伊藤 幸司
これは早咲きのサクラのようですね。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時40分=伊藤 幸司
道は山道らしくなってきました。この時刻だと足利の人たちの散歩ルートになっていると思われます。

織姫神社〜両崖山、ヤマツツジ
【撮影】15時41分=伊藤 幸司
岩の隙間から育ったヤマツツジの狂い咲きです。たまたま岩の窪みに種がハマったのが幸運なのか不運なのかわかりませんが、花を咲かせたとなればその人生に拍手です。

織姫神社〜両崖山、ヤマツツジ
【撮影】15時41分=伊藤 幸司
敬意を表してヤマツツジさんの早春の顔を記録しておきました。通常はそんな珍しいことではないのですけれど。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時47分=伊藤 幸司
登ったり下ったりの道ですが、基本は標高251mの両崖山まで登ります。

織姫神社〜両崖山、足利展望
【撮影】15時50分=伊藤 幸司
足元に足利の街が広がっています。
以前糸の会に参加していた男性(青柳さん)が、第二次大戦中にこの街に疎開していたのだそうです。幼稚園の散歩で、この稜線に上がったとき、おしっこタイムを勝手にとって失踪状態になったとか。タクシーの運転手さんによれば、足利の幼稚園児は私たちがタクシーで行く往路も含めて行道山から歩いてくるもんだ、とのこと。なかなかやるんですね、足利市民は。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時51分=伊藤 幸司
これはやむなくこうしているのではなくて、大きな段差の下りでのダブルストック使用の体験です。
腰が引けていますから、だめですね、この状態では。怖いし危険です。ストックをもうすこし先について、一瞬命を預ける動きを体験をしておくと、下りでの能力が驚くほど上がるのですが。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時52分=伊藤 幸司
いつもなら向こうの山(たぶん大岩毘沙門天がある)を越えて下ってくるのですが、今日はあんな遠くまではいきません。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時53分=伊藤 幸司
この程度の下りの歩き方を見るだけで、その人の実力はわかります。重心を指の付け根にきちんと維持できていれば、平地を歩くのとほとんど変わりなく、下る分、楽なのです。

織姫神社〜両崖山
【撮影】15時54分=伊藤 幸司
私たちの今回のグループには初参加の方が何人もいるのでこの程度の下りでスピードはガクンと落ちていました。犬を連れた散歩の人がスーッと追い抜いて行きました。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時03分=伊藤 幸司
稜線の道は遠くから眺めてみると驚くほど緩やかなのが普通です。そのところどころにピークがあるわけですが、実際に歩いてみるとこういう上り下りが続くのです。
北アルプスの稜線だとひと山越えるのに数時間かかったりするのですが、それでも見上げたときの大きさと比べると「小さかった」と思うことが多いと思います。振り返ると想像以上の高さやら距離を歩いてきたことに感動します。
それに対してこういう稜線ではこの小さな上りと下りがけっこう負荷となってきます。平らな道というイメージがあっただけに、登りや下りの負荷がこまかく加わってくると、これはこれでけっこうハードな気分にもなるのです。
とくに初参加の方は糸の会の「最悪な山歩き」のような体験と比べるわけにいかないので「今日はこれ、ふた山めじゃない?」なんて思いながら午後4時にまだ歩かされているわけです。行き先も見えないまま。

織姫神社〜両崖山、足利展望
【撮影】16時05分=伊藤 幸司
足利の街が見渡せる場所に出ました。
画面中央右側に近くの木が邪魔していますが緑の塊があります。鑁阿寺(ばんなじ)です。足利学校も隣接しています。

織姫神社〜両崖山、足利展望
【撮影】16時06分=伊藤 幸司
足利の街の山側を見ています。ランチを食べたココ・ファーム・ワイナリはたぶんこの写真の左側に外れたあたりの山の中だと思います。
ここで気づいたのは画面右上隅に見えている山肌です。「山砂」を採取しているのが、街からは見えないようにしているものの、ここまで上がると見えてしまうのでしょう。
こういうことは首都圏の低山を歩いているとよくあることで、生活者にはほとんど見えないように山をどんどん崩しているのです。有名な武甲山も普通なら裏側を掘り進んで、秩父の人々の目には触れないように資源開発したでしょうが、秩父鉄道を開通させ、秩父セメントという新しい会社が立ち上がり、秩父盆地全体の明るい未来というイメージが地元にあってああいうあっけらかんとした開発になったようです。
あの山かどうかわかりませんが、あしかがフラワーパークのところの大小山から足利の山川長林寺への長い縦走路の途中に、大規模な採石場があります。山名が地形図にはありませんが、標高250mクラスの山の「裏側」です。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時14分=伊藤 幸司
私は小さな山でも、ミニサイズながら「序破急」を期待します。これなどはまさにそのミニサイズの山の序破急、ちょっと強引な意味付けだとは思いますが、先がどうなっているのかわからないのでワクワクです。とりあえず「序」と考えます。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時15分=伊藤 幸司
若干の教育的意味も含めて「岩場としてきちんと登ってみましょう」というスタイルです。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時16分=伊藤 幸司
登りきるとなんとそれは展望岩、このルート最大の展望台になっているので、通常行道山から下ってくるときにはここで展望休憩をし、全員の記念写真を撮ることにしています。この日は逆方向で、まだ軽すぎるということもあってパスですけれど。とりあえず「破」としておきましょうか。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時22分=伊藤 幸司
これだけの岩場があれば「練習」です。岩がただ登るだけでない価値を与えてくれます。8分前の「序」がまた繰り返されるともいえますし、これだけの岩場だと初心者には「破」ともいえます。
ところで、強引に「序破急」を持ち出したことの裏付けなんですが、『文藝・学術出版 鳥影社』のホームページの『コラム』欄で『作品の構成パターンの1つ「序破急」とは?』が参考になりました。
【■序破急とは?
序破急は日本伝統芸能の「能」の基本理念です。
さらに、雅楽や浄瑠璃などの楽曲を構成する際に使われますし、連歌や俳諧では形式や原理を表すものとして使われています。
作品を作るうえで序破急を使うときは、明確にテーマを打ち出したい時などが良いでしょう。
起承転結で作るよりもよりストレートにテーマを伝えることができます。
例えば、
序…健康に悩みがある
破…これはいかが?
急…悩みがなくなりました!
CMなどをイメージしていただけると、より序破急が分かりやすいと思います。
破を経由することで、序と急が一転する、それにより破の凄さを伝えることができるのです。
「序」「破」「急」個別の役割は?
もう少し詳しく序破急について見てみましょう。
■序
作品の開始や導入部です。これは起承転結で言うと「起」の部分に当てはまるため、序で読者を引き込む必要があります。
物語であれば、簡単なストーリーや登場人物などの説明を済ませて、核となる出来事や事件を発生させておきます。
また、CMなどではテーマや事実を示す部分となります。
■破
作品において展開や転換が起きる部分です。
序で引きこんだ読者を、破で面白くなりそうだと期待させ惹きつけます。
起承転結の「承転」の部分に当たります。
「承と転」ではなく「承転」であることに注意が必要です。
まず起承転結よりも序破急の承転の方が、文量的に圧縮されていることが特徴です。
葛藤や挫折を織り込み、作品の中で決定的な部分に行き当たるまでにスピード感があるとなお良いでしょう。
承と転が持つ特徴をうまく組み合わせたものが破と言えます。
■急
作品の結末となる部分です。起承転結の「結」にあたります。
物語であれば、感動や爽快感、幸せな気持ちになれる、といった部分で読者に満足を与えることが必要です。
もし、これらが得られない作品となると「物語としては失敗」と言えるでしょう。
■もちろん作品の構成が起承転結や序破急の形を100%取る必要がある、ということを伝えるわけではありません。
こういった構成パターンがあることを認識して自分なりに活用していくのが良いでしょう。
物語には、因果関係が不可欠です。それを作品に埋め込む方法の1つとして頭に入れておいてくださいね。】

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時24分=伊藤 幸司
散歩の人たちが日常的に通る登山道(ハイキングルート、散歩道)ですから、こんなところ、登るのは簡単です。ばかばかしいかもしれませんが、重要なのはこれだけの場所で、どれだけ微妙な重心維持を保てるか、ということです。登れるだけでホッとしたり、ちょっぴり自慢したりするレベルではないのです。
さらにいえば、ハンドホールドに頼る割合、きちんとホールドする必要があるのか、指先でバランスを補助するだけでいいのか、ハンドホールドをいつでもできるようにしてスタンバイさせるだけでいいのか……そいうグレードを設定できれば、どんな易しい岩場でも自分の歩き方を細かくチェックして修正することが可能です。
もちろんこの日、いつもの糸の会だったら、このルートをダブルストックで登る(レベル高いです)とか、この岩場の右側をていねいな「三点支持」で登ってみる(バカバカしくて、動きがバラバラになります)と思います。
それは1995年(糸の会発足の年)まで10年余り続いた朝日カルチャーセンター横浜での登山講座で今は亡き根岸知さんから「岩場遊び休憩の効用」を教わったからです。ここだったら、根岸さんだったらどんなことをするだろうか、と考えます。

織姫神社〜両崖山、足利城址
【撮影】16時25分=矢野 博子
平安時代に築城されたという足利城址跡。 陽差しが すっかり斜めになっている。 そう ここを下り始めてすぐに 5時のチャイムが聞こえてきた。 この後 暗闇につかまることなく 一時間余りで下山。 久しぶりの山歩きで 少々不安もあったが 何とかクリアできた。 コーチ始め 皆さま お世話さまでした。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
小さな岩場でも岩稜に立てば展望が得られる可能性は大きくなります。
ここまで来て見ると、やっぱりあの山は大小山から続く縦走路の、越床峠の近くにある254m峰あたりです。すぐとなりに「オリムピック・スタッフ足利ゴルフコース」(ジャック・ニクラス父子が日本で手がけた最初のゴルフコースだそうです)があるはずです。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
展望の岩場を過ぎたら、両崖山の入口でした。「序破急」の「急」になるという乱暴な設定でしたが、私としてはうまくいったと思います。
先程の『文藝・学術出版 鳥影社』の『コラム』欄では【作品の結末となる部分です。起承転結の「結」にあたります。物語であれば、感動や爽快感、幸せな気持ちになれる、といった部分で読者に満足を与えることが必要です。】
北アルプスの縦走でも、夜明けの1時間前に山小屋を出て夕方に山小屋に着くまでには、これよりドラマチックな序破急のいくつかと遭遇すると思っています。見ようによっては……ですけれど。

織姫神社〜両崖山、両崖山城
【撮影】16時34分=伊藤 幸司
これは両崖山の山頂です。神社がありますが、ネットで調べた範囲では名前が出てきませんでした。ここは両崖山城と呼び、4度の合戦を体験したということです。
ウモ(幼名・越後ノ丸)さんという人(本間朋樹)の『埋もれた古城』の『両崖山城』ですが、関東地方のそうとう本格的な城址研究家の解説のようです。
【足利の里を見おろす古城 両崖山城
りょうがいざんじょう Ryougaizan-Jo
別名:足利城、飯塚山城、小屋城、栗崎城】
【藤原秀郷の子孫、成行が築城しこの地を130年間治めたという。
文正元(1466)年、享徳の大乱の中、古河公方に対抗する山内上杉氏の代官として長尾景人が足利に入部、観農城を築城した。文明年間(1469-1486)、足利長尾氏の三代、景長のときに観農城からこの両崖山の古要害を修築して本拠を移転した。四代憲長、五代政長は上杉謙信に従い北条氏と各地で転戦したが天正十三(1585)年、顕長の代に北条氏に降った。しかし天正十八(1590)年の小田原の役で敗北し両崖山城は廃城、足利長尾氏も断絶した。】
【以前は足利氏の詰の城かと思っていましたが、足利氏とは直接関係はないそうです。もともとは藤原秀郷の孫が篭った要害といい、戦国期には足利長尾氏が再築城したものです。現在の遺構はこの長尾氏のものでしょう。とは言っても、戦国後期に多く見られるような大規模な防御施設は殆どなく、尾根筋を何本かの堀切で断ち切っている以外は、自然の地形頼みの古めかしいスタイルの城です。南北朝期の城のようでした。
堀切は登山道のある南の尾根筋に3本、西の尾根筋に1本、北の尾根筋に3本あります。このうち西の堀切と北の本丸寄り堀切は規模が大きく状態も良いため、一番の見どころです。逆に他の堀切は殆ど埋まってしまっていますが・・・
本丸周囲には石垣風の石積みが数箇所に見られますが、これが遺構なのか、後世に神社を建立した際のものなのかは不明です。おそらく後者でしょう。】

織姫神社〜両崖山、両崖山
【撮影】16時37分=伊藤 幸司
山頂で、けっこうゆっくりと休憩しました。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時51分=伊藤 幸司
16時28分に下山路の道標を通過しましたが、そこに戻って下山路を下りました。このレベルの急な下りは「つま先立ちで」「綱渡りのように」という表現を私は使いますが、その姿勢を試すのに最高の坂道です。平地の歩き方しか知らない人は、この下り坂でつま先立ちをすること自体、一線を超える勇気が必要です。登山靴の靴底のブロックパターンが滑りを止めていると考えている人には越えられない一線ですが、だからといって「かかとで止める」という歩き方は最悪です。その最悪という考え方は「登山の非常識」といわれそうですが。
またここで、ダブルストックをきちんと使えるという感触を得たら、もう下りでダブルストックを手放せなくなります。「3歩先に突いて、スキーで急斜面に飛び込もうとするときの深い前傾姿勢をとれるかどうか」がポイントです。

織姫神社〜両崖山
【撮影】16時54分=伊藤 幸司
下りでこの方のストックワークをサポートしましたが、一般に使い方として指導されるかたちではほとんど能力を発揮できません。「登山の常識」に反する考え方のようですが「一瞬体を預ける」という大きな重心移動をダブルストックによって実現する、というところが重要です。

織姫神社〜両崖山
【撮影】17時33分=伊藤 幸司
両崖山下の登山口に着きました。ここからタクシーで入浴です。

織姫神社〜両崖山、足利健康ランド
【撮影】19時01分=伊藤 幸司
足利ではいつもなら幸の湯ですが、人数が多いのと、火曜日には食事のできる店の多くが定休日なので、今回はこれまで敬遠してきた足利健康ランドへ行って、食事もそこで済ませました。



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