山旅図鑑 no.242
両神山
2019.5.2

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(no.1141)
2019.5.2
両神山
46パワー

登り(白井差登山口→山頂)……23パワー?
下り(山頂→白井差登山口)……23パワー?
*古い地形図を使ったので白井差新道ではなく、古いルートのデータでした。
*道標によれば距離3.2kmの往復。(標準的な登山道の場合登り約3時間)

★計画書には次のように書きました。
*両神山ですが、白井差(しらいざす)の白井差新道(山中豊彦さんの個人管理道)を利用する往復登山です。管理規則として往復登山が義務づけられており、ストックの使用禁止(ゴムキャップ必携です)そして下山時に入山料ひとり1,000円が必要です。ともかくニリンソウとアカヤシオを狙っての登山です。(予約しました)
*往路は特急の座席を確保しましたが、さすがに大型連休中ゆえ混んでいました。かろうじてゲット。秩父の混雑を想像しました。
*まずはバスで白井差口までつないでみたのですが、午前中がつぶれてしまいます。西武秩父駅から往路をタクシーで直行するとしても、ジャンボは当然ながら、中型も予約できないとのこと、複数台のタクシーを使うとなるといつ着けるかわかりません。
*そこでハイエースワゴンをトヨタレンタカーで入手しました。かけられる保険は全部かけていますが、運転手は伊藤です。君子危うきに……という方は、どうぞ遠慮なく参加をとりやめていただいてけっこうです。今回の参加可能人数は乗車定員により参加9名+伊藤となります。


・0900……西武秩父駅をレンタカーで出発
・1050……白井差新道登山口を出発(標高約800m)
・1110……昇竜ノ滝(標高約1,000m)
・1150-1200……休憩(標高約1,100m)
・1215……水晶坂のトウゴクミツバツツジ
・1240……ブナ平を通過(標高約1,300m)
・1340-50……先行グループに追いついたため休憩(標高約1,700m)
・1350……日向大谷ルートに合流(標高約1,700m)
・1405-15……山頂(標高=1,723m)
・1430……白井差新道への分岐(標高約1,700m)
・1500−05……夢見平で休憩(標高約1,350m)
・1510……ブナ平を通過(標高約1,300m)
・1520……水晶坂のトウゴクミツバツツジ
・1550……昇竜ノ滝(標高約1,000m)
・1600……白井差新道登山口(標高約800m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は4人です。
野老 和子、稲葉 和平、今村和子、伊藤 幸司


*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.242
両神山
2019.5.2

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】07時15分=伊藤 幸司
西武線・池袋駅です。7時30分始発の「特急ちちぶ5号」の車両が驚くほどユークなので、糸の会としては珍しく、記念写真を撮りました。
この車両は、すでにテレビCMにも登場して車内の雰囲気が魅力的なのは知っていましたが、顔つきもなかなか、なんですね。
『西武鉄道』のホームページではこの「Laview」(ラビュー)に自画自賛という感じです。
【今までになかった、まったく新しい特急列車をつくろう。その新しさとは、格好良さじゃない。自然豊かな沿線にふさわしい、美しさをつくろう。乗る人が最高にくつろげる、心地良さをつくろう。世界中の人に喜ばれる、おもてなしをつくろう。何がなんでも、つくるんだ。次の100年も、みんなに愛される鉄道会社であるために。】
社長の巻頭言【当社は、コーポレートメッセージ「あれも、これも、かなう。西武鉄道」のもと、さらなる沿線価値向上を目指して25年ぶりに特急車両を新造いたしました。】
建築家・妹島知世さんは今や日本を代表するデザイナーですが【風景と共にある特急車両、リビングのようにくつろげる特急車両、目的地となるような特急車両をコンセプトとしてデザインしました。】
これが【次の100年の】西武鉄道の顔なんだそうです。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】07時25分=稲葉 和平
ラビュー。英語のViewにフランス語の女性冠詞をつけたような変な名前と思ったが、まったく違う発想のようでした(詳しくはHPを)。西武線の特急が新車両になったことを知らなかった。いままで関西出身の友人から東京の私鉄はダサいと言われ、何となく納得するところがあったが、これで随分とスマートになった気がする。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時15分=伊藤 幸司
この特急の顔には好き嫌いがあるかもしれませんが、住環境は文句なく最高です。とくにこの広い窓。
『ウィキペディア』の『西武001系電車』の『外観』には次のように書かれています。
【球面形状の前面デザインを採用し、前面窓は曲線半径 1,500mmの三次元の曲面ガラス、客室窓は縦1,350mm×横 1,580mmの大型窓ガラスとなっている。車体はアルミニウム合金製車体を採用し、周りの風景が溶け込むようシルバーメタリックの塗装が施されている。前面には貫通扉を有し、地下鉄直通が考慮されている。また、前照灯は乗務員室からの操作で下半分を消灯させ、笑い顔を模した「スマイルモード」に変更する事が可能となっており、イベント時等に使用される。
塗装には大日本塗料の「スーパーブライト No.2000 」を採用した。この塗料はこれまで自動車のアルミホイールやホイールカバーなどに使用されてきたが、鉄道車両の外板塗装への採用は初めてのことである。】
写真のこの『車内』については次のように書かれています。
【大きな窓と白を基調とした明るい客室には、黄色を基調としたシートが配置されている。エントランスは、黄色を基調とした壁となっており、床にはダークグレーの人造大理石が敷き詰められている。車内の自動放送の日本語アナウンスは久野知美が担当、チャイムの作曲は福嶋尚哉が手掛けた。
車内案内表示装置には三菱電機が開発した大型液晶2画面一体型トレインビジョンシステムを採用した。】
ともかく、窓の大きさは、シロウトにも画期的だと思います。家庭用の窓ガラスが昔は驚くほど小さかったとか、昔の自動車のガラスはすべてまっ平らだったとか、ガラスの技術革新は私たちのまわりの生活デザインを大胆に変えてきたわけですが、この列車の「百年」を象徴するのは、この大型窓ガラスと、前の写真の球面ガラスではないでしょうか。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時16分=伊藤 幸司
これはまさに『西武鉄道』が実現したかったメインコンセプトがこれだと思います。
【愛称の「Laview」は以下の頭文字に由来する。
L - 贅沢(Luxury)なリビング(Living)のような空間
a - 矢(arrow)のような速達性
view - 大きな窓から移りゆく眺望(view)】

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時33分=稲葉 和平
最後尾車両は先頭車両と同じらしく、運転席もついていて視界が開けている。しかし、シャッターを切った時にはすでにトンネルに入っていたため、残念ながら両脇はトンネルの壁。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時33分=稲葉 和平
視界の広さがわかるように撮ろうとしても光が反射してうまくいかなかったが、運転席のカッコよさは撮れた。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時33分=稲葉 和平
この席は車いす用のスペースの座席。腰の下までの窓が広く、ちょっと落ち着かなそう。

両神山、西武鉄道、特急Laview
【撮影】08時34分=稲葉 和平
隣の車両からも広いトイレがよく見えた。ドアが開いているのは写真を撮る人がドアを「開」にして止めているから。

両神山、西武秩父駅
【撮影】08時58分=稲葉 和平
天気予報は行楽日和、西武秩父の駅は予想通り混雑していた。でも、空はどんより雲が低い。

両神山、西武秩父駅→白井差登山口
【撮影】08時58分=稲葉 和平
コーチがレンタカーを取ってくるのを待つ。時間がかかりそうなので皆さんトイレやらお土産屋さんを覗きに行くやら。

両神山、西武秩父駅→白井差登山口
【撮影】09時25分=野老 和子
コーチ運転、緊張感漂う往時車内写真。

両神山、
【撮影】09時35分=稲葉 和平
コーチはみんなが待っているところまで車を運転してくることができるのか?、などと話しているうちに、みなさんかなり不安を抱きながら出発。

両神山、西武秩父駅→白井差登山口
【撮影】10時35分=稲葉 和平
白井差登山口。右側の建物が地図に記されていた中山さんの家らしい。

両神山、白井差新道、白井差登山口
【撮影】10時36分=稲葉 和平
かなりの人数の団体が二組。この日が連休中で最も混雑しているとのことだった。

両神山、白井差新道、白井差登山口
【撮影】10時39分=稲葉 和平
クラブツーリズム、川越発、中級A、入山許可制ルートで登る両神山。

両神山、白井差新道、白井差登山口
【撮影】10時39分=稲葉 和平
大部隊が行ってしまうまで、ゆっくり準備。

両神山、白井差新道、白井差登山口、タチツボスミレ
【撮影】10時41分=稲葉 和平
暇なので何か花でも咲いていないかと見渡しても特になく、トイレの脇の薹が立ったタチツボスミレくらいしかない。でも、この時点では、この調子なら上の方はタチツボはもちろん、立派なエイザンスミレがみられるのではないかと期待していたのだが。

両神山、白井差新道、白井差登山口
【撮影】10時52分=伊藤 幸司
参加人数が9人だったので私と合わせて10人が乗れるハイエースワゴン(グランドキャビン)を西武秩父駅前のトヨタレンタカーで借りました。08時51分に秩父駅に到着して、両神山の白井差登山口を出発したのが10時50分。前方にちらりと見えた両神山山頂部に向かって歩き始めたところです。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】10時59分=伊藤 幸司
山はすでに新緑の季節でした。道は最初、谷沿いに進んでいきます。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】10時59分=伊藤 幸司
この道は白井差新道(しらいざすしんどう)といって、山頂直下まで私有地であることから、ピストン登山をする登山者に限って入山を許し、電話予約と1,000円の環境整備費(バッチをいただけます)が必要です。
昔、山頂直下の登山道に妙なロープが張られていて、嫌な気分をしたことがありました。そういうことが何度か繰り返される中、白井差ルートで下って白井差小屋から白井差口(しろいざすぐち)バス停まで歩いたこともありました。
そのうち、白井差ルートが閉鎖され、のちにいわば有料登山道というかたちで再開されたのです。
その経緯に関して、国立公園内に私有地をもつ人の税金問題関するトラブルが長く続いてきたという新聞記事を読んだことがありました。
詳しいことは覚えていませんが、今回ようやく、それに触れたレポートが出てきました。
釣具の『DAIWA』のサイトらしいのですが『全国源流の郷協議会』による『源流探検部が行く54』として『百名山と名水を守る人間力と地域力(荒川水系小森川)』がありました。吉田渓さんという方のレポートです。
それによると白井差に一家族だけ残る山中豊彦さんは900年来この地に住み続けてきたのだそうです。
【両神山は秩父多摩甲斐国立公園に指定されており、3分の1を山中さん、残り3分の1を埼玉県生態系保護協会が所有している。
「山頂から薄川の谷のあたりまでは、埼玉県生態系保護協会が2015年に買い取るまで、小菅さんという実業家が持っていてくれたの。『両神山を守らにゃいかん』って。その小菅さんが1967年の埼玉国体の時に、『両神山は使わせない』と閉鎖を言い出したんだ。というのも、国立公園であるにもかかわらず、個人の山は自分で管理し、固定資産税も莫大な相続税も所有者が払うこととなっている。その土地を埼玉国体が何の相談もなく勝手に使うという扱い方に疑問を感じたからなんだ。けれども、周囲の説得もあり、国のことで騒がしてもいかんと思い、小菅さんに登山道を再度開けてもらって、国体をやったんだ。うちも後で同じようなことになって、登山道を止めることになったんだよ」
なぜ、登山道を止めることになったのか。国立公園に指定され、多くの人が両神山に入ることになったが、指定された場所は個人の山であった。指定されているため、自分の山なのに自由に木の伐採も出来ない状態が続いた。しかし、個人所有の山は固定資産税もかかり、相続すると相続税もかかる。一方で、所有する山の登山道を解放してもお金が入ってくることはない。むしろ、道やトイレの整備に手間もお金もかかる。そうした在り方に疑問を持った山中さんはいったん登山道を止めた後、自宅前から山頂に至る登山道を整備して「白井差新道」と名付け、日本で最初の有料予約制の登山道をつくった。
事前に予約して環境整備料(1,000円)を支払えば、誰でも利用できる。丁寧に作られた白井差新道は歩きやすい登山道として人気だ。ここで何かあれば、山中さんが救助に向かう。これまで人命救助でもらった感謝状は、県知事・消防・警察などから合わせて70枚にものぼる。自分の土地だけでなく埼玉県生態系保護協会が所有する土地も合わせて管理しているというから、まさに両神山の番人だ。】

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時02分=伊藤 幸司
スギ・ヒノキの人工林の中を進みます。穏やかな歩き出しといえるでしょう。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時08分=稲葉 和平
新緑の中の小森川沿いの整備された道を歩き出す。でも残念ながら雲が取れない。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時08分=稲葉 和平
公園の中にあるような小さな滝でも新緑を引き立てる。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
白井差小屋から歩きだして20分ほど、見えてきたのは昇竜ノ滝。歩いてきた沢筋の様子からでは想像でなかった滝が、正面に立ちはだかっているという印象でした。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
とりあえず望遠でも撮りました。この「正面」という印象を近づいてからもまた撮れる、とは限りませんから。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
こんどは広角にして、滝とその谷の全体を見渡しておきます。そのときには「ヒト」が点景として重要な役割を果たしてくれます。撮っている人物の視野を感じとってもらえるかも知れません。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
あとはもう、なにか一点、好ましい情景が出てきたら、おっくうがらずにシャッターを切っていくゲームです。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時09分=稲葉 和平
いつの間にか少しずつ陽が射してきて、新緑が一層美しくなった。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時09分=伊藤 幸司
近づいて全身が見えたら、上と下が入っていればいい、のですが、あとで見ると滝つぼをもう少し見せないと「下」が半端な感じですね。たぶん、モニター画面で撮っていたらそういうことはわかると思うのですが、私は接写するとき以外はカメラをオデコに押し当てて構えてビューファインダーで見ています。安い高倍率デジカメのビューファインダー付きなので、画像は「見えている」うちに入りません。電子水準器で水平を確認したら適当にシャッターを切ってしまうので、歩く仲間の動きなどもファインダーの中で細かく見るというようなことはしていません。稚拙な早撮りでしたね、これは。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】11時09分=伊藤 幸司
歩きながら「全身像が見えた」というときに、拳銃の早撃ちみたいに撮りました。スナップショットでは、細部までの充実感よりも、見た印象をカメラがスパッと切り撮ってくれた気分が最高です。考えないんです。出会い頭という気分です。

両神山、白井差新道、小森川源流、フデリンドウ
【撮影】11時10分=稲葉 和平
ロゼッタ状の根出葉は幅広で、花は1本の茎についているように見えるから、たぶんフデリンドウ。実はこの時点ではこの先たくさんリンドウが出てくるだろうと思っていい加減にシャッターを切って通り過ぎてしまった。このあと数株のリンドウが咲いていたが、撮りそこなった。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】11時10分=伊藤 幸司
なんとも素晴らしい新緑です。ゴージャスな緑です。手前の葉の、一枚一枚に陰影があるなんてことは知らないで撮っていますが、この贅沢な若緑、やさしい光、穏やかな青空、白い雲もあるみたいですが、特別な新緑だと思って、カメラまかせにシャッターを切ったことは覚えています。感覚的には一瞬の感動だった、と思います。

両神山、白井差新道、ハルリンドウ
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
突如現れたのはハルリンドウでしょうか。
『Nature Log photo by Hino Azuma』の『植物記』に『ハルリンドウとフデリンドウ』がありました。
【ハルリンドウとフデリンドウは、どちらも日当たりのよい野山に生える2年草で、北海道から九州まで広く分布する。春の陽光を受けて、うす紫色の花が目に鮮やかだ。ハルリンドウは花茎が数個立ち根生葉が大きいが、フデリンドウはひとつの花茎の先に数個の花がつき根生葉が小さいので両種の区別は容易だ。リンドウのなかまには、ほかにもタテヤマリンドウやコケリンドウなどのなかまがあるが、ハルリンドウとフデリンドウは生育地も開花時期も似ているので、両種の違いは覚えておくとフィールドで役に立つ。覚え方は、草姿が横に「張る」方がハルリンドウ(本当の由来は「春」だが)。一方、筆先のようにまとまった方がフデリンドウ。そんな風にして覚えるのはどう?
フデリンドウは、春の山に点々と咲くのを見かけるくらいで、よく注意していないと見落とすこともあるが、ハルリンドウの方はまとまった数が生えていることも多い。】
これだけだと私にはどちらと断定できませんが、このやわらかな薄紫色は、すごい。

両神山、白井差新道、ハルリンドウ
【撮影】11時12分=伊藤 幸司
まさにこれがハルリンドウ(張るリンドウ)なんだと思います。それにしても、自分たちの世界を完璧に作り上げているみたい。
私は自分の写真の良し悪しを判断するときに「10秒見る」のを基本としていますが、この写真はまさに10秒間見続けられる写真です。画面の中を自分の視線が動き回るのを感じます。それを「写真が語り始める」として、最高の自己評価だと考えているのです。
ハルリンドウではないかと思うもうひとつの根拠は、花を支えるガク片が「反り返らない」というところですが、どうでしょう。

両神山、白井差新道
【撮影】11時13分=伊藤 幸司
これは祠でしょうか、休憩小屋でしょうか、奥に祠は見えますが、その脇には道具置き場のような、雨宿りのできる腰掛けスペースのようなものがあるようです。詳しく見ておけばよかった。

両神山、白井差新道、コガネネコノメ
【撮影】11時17分=稲葉 和平
コガネネコノメ(ユキノシタ科)。ネコノメソウの仲間では比較的珍しい種類だと思うが、今回はこのコガネネコノメとハシリドコロという地味な花のオンパレードだった。

両神山、白井差新道、ニリンソウ
【撮影】11時18分=稲葉 和平
ニリンソウに期待していたのに、残念。

両神山、白井差新道、ハシリドコロ
【撮影】11時18分=稲葉 和平
ハシリドコロはだいたい群生しているけれど、今回のようにほぼ全山ハシリドコロだらけというのは初めて。

両神山、白井差新道、コガネネコノメ
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
ネコノメソウの仲間が出てきました。花の部分が独特の形をしているので開きかけている特別な時期なのかと思ったら、これが、このすなおな姿みたいです。コガネネコノメソウなんですね。
『ウィキペディア』の『コガネネコノメソウ』には【花弁状の萼片は4個、鮮やかな黄色または黄緑色で直立し】とあります。
ちなみに、今回出会ったのですが、『比較画面』の『ネコノメソウの仲間(完全編)』は一見に値します。
コガネネコノメソウについては以下のとおり。
【花序──葉が黄色を帯びることが少なく、萼裂片とはっきり色がちがう。】
【萼裂片──大きくて鮮やかな黄色。先は方形で直立する。】
【雄しべ──普通8個。萼より短い。】
【葯──黄色。】
【葉のつき方──対生。】
【分布──本州(関東以西)〜九州。主に太平洋側。落葉樹林の湿り気のある半陰地。】
【同定のポイント──萼が黄色で大きく直立し、周辺の苞とはっきり色がちがうのがポイント。変種のオオコガネネコノメは大型で全体に毛が多い。】

両神山、白井差新道、ニリンソウ
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
ニリンソウが出てきました。両神山では日向大谷ルートで登ると清滝小屋の周辺にすばらしいニリンソウの大群落が何度も出現します。それと比べると貧相ですが、ニリンソウです。

両神山、白井差新道、ニリンソウ
【撮影】11時20分=伊藤 幸司
ニリンソウは蕾から開花の時期にほんのりとさすピンク色がなんとも可愛いのですが、花が開いてから染み出してくる薄紫色もいいなあ、という感じです。初めてです、そういう感じは。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時21分=伊藤 幸司
今回用意した計画書の地図は、古い計画書のものでした。昇竜の滝の先から日向大谷ルートへと登っていますが、これは閉鎖された古い登山道です。私がうかつでしたが、昇竜の滝から先、小森川の源頭へと登り詰めて、そのまま北西方向へ登って行ったようです。計画書の地図の左端上部に「33」と見える数字がありますが、じつは「1,683m」という水準点で、そのあたりを目指していったと思われます。
その行動に関しては、位置を確定できないまま標高と時刻を記録していきましたが、ここはまだ沢水がチョロチョロと流れている地点です。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】11時24分=伊藤 幸司
なんですかねえ、このライティング。陽光が森に差し込んで、小さな存在のひとつひとつを浮かび上がらせてくれるのです。スポットライトを浴びている、という状態でしょうか。

両神山、白井差新道
【撮影】11時25分=稲葉 和平
新緑がますます際立ってきたと思ったら、いつの間にか青空が広がっていた。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】11時25分=稲葉 和平
上の方にはヤマザクラが少し残っていた。ヤマザクラは背が高いので下を歩いていても気が付かないことも多い。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】11時25分=伊藤 幸司
なんですかねえ、なんでもないのに、緑に包まれているという感じがしました。なんだろう、色や形にカメラを向けるというよりも、心地いい気分にレンズを向けたという感じ。人に見せる写真じゃないとは思うけれど、見てもらって共感してくれる人がいたら嬉しいな、という気持ちはあります。

両神山、白井差新道
【撮影】11時27分=稲葉 和平
何の花だろうと思ってかなり真剣に撮ろうとしたけれど、残念ながらピンボケで何の花か分からず。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】11時28分=稲葉 和平
川沿いに歩いていたので上の方は気にしていなかったが、新緑越しに、ちらちらと間近に稜線が見えていた。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ
【撮影】11時28分=伊藤 幸司
ミツバツツジ(トウゴクミツバツツジ)が出てきました。私たちの期待は山頂のアカヤシオですが、ミツバツツジが出てきたことで、期待は大きく膨らみます。

両神山、白井差新道
【撮影】11時29分=伊藤 幸司
さて、これはわかりません。もうすこしわかりやすい状態の花はないかと探してはみましたが、ありませんでした。

両神山、白井差新道、ハルリンドウ
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
またハルリンドウですかね。森のなかの、下生えのまだ少ないこの時期に完璧な姿を見せている、という印象でした。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時31分=伊藤 幸司
とにかく登っていくだけのことなので、道の歩きやすさを楽しむ程度のことですが、おおらかな森の中をゆったりと歩く楽しみは、また格別です。マイカー登山の人たちは基本が往復ルートになるので、私たちは逆に基本的に「こちらから登って向こう側に下る」という計画を立てるのです。
両神山ではスケールの大きなクサリ場が連続する八丁尾根ルートを登りも下りも何回かやりましたし、両神山荘や清滝小屋を利用した日向大谷ルートも何度も歩いてきましたが、この白井差新道のおおらかな感じも、なかなかいいと思います。初心者向きのルートといわれ、さらに「ピストン登山限定」ということからくる単調さへの不安が、逆にこのルートをおおらかに感じさせているのかも、と思います。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時33分=伊藤 幸司
谷筋の道はゆるゆると登っていきます。

両神山、白井差新道、ハシリドコロ
【撮影】11時36分=伊藤 幸司
ハシリドコロがありました。和名は「走野老」。この山に参加している我が糸の会のトコロさんの名字はこの野老。『ウィキペディア』の『ハシリドコロ』によると【和名は、食べると錯乱して走り回ること、また、根茎がトコロ(野老)に似ていることから付けられた。】とのことです。
ちなみに『ウィキペディア』の『トコロ』によると【トコロ(野老)は、ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属 (Dioscorea) の蔓性多年草の一群。「〜ドコロ」と呼ばれる多くの種があるが、特にオニドコロを指すことがある。
ヤマノイモなどと同属だが、根は食用に適さない。ただし、灰汁抜きをすれば食べられる。トゲドコロは広く熱帯地域で栽培され、主食となっている地域もある。日本でも江戸時代にはオニドコロ(またはヒメドコロ)の栽培品種のエドドコロが栽培されていた。
なお、有毒のハシリドコロはトコロと名が付いているが、ヤマノイモ属ではなくナス目ナス科ハシリドコロ属である。】

両神山、白井差新道、エイザンスミレ
【撮影】11時40分=伊藤 幸司
そこそこ立派なエイザンスミレも登場しました。これは葉の形が特殊なので山歩きを始めるとすぐに覚えるスミレだと思います。
『四季の山野草』の『山野草図鑑』の『エイザンスミレ』(2019/04/18)にズバッとうまく書かれています。
【生育地──日本の特産種。東北地方から九州南部まで分布する。日本海斜面には少ない。日本には2種しかない裂け葉のスミレのひとつであるが、ヒゴスミレが明るいところに自生するのと異なり、湿気のある、半陰地の樹林化に自生する。
特徴──葉は長さ3〜5㎝で三裂し、さらに2回分かれて鳥足状となる。夏葉はこれがスミレかと思う程、大きく意外な姿になる。花は丸弁で、大輪、鑑賞的価値があり、花色は淡紅色から紅色、白色に近いものまで、変化が多い。ときに芳香がある。側弁は有毛。距は長さ6〜7㎜で太い。】

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】11時41分=伊藤 幸司
白井差小屋の山中豊彦さんが「自分の登山道」として整備してきたのがこの道ですね。落ち枝を路肩に並べたりして、いかにも手作りふうですが、さすがに「有料登山道」としてのこまかな心配りが見えたりします。たとえば前方の橋については次の写真で語りたいことがあります。
ともかく『ウィキペディア』で『山中豊彦』と検索したら『株式会社ライフクリエーション』という浦和の会社のホームページに唐突に『アドバイザー・山中豊彦』という人物紹介が出てきました。
どうもそのホームページに『秩父の環境を考える会』というのがぶら下がっていて、山中 豊彦さんがアドバイザーとして登録されているようです。
【昭和27年生まれ 両神村在住
◇略歴──東京農業大学農学部林学科卒業、両神森林組合理事・監事、両神村村史編さん委員、関東山地カモシカ保護地域特別調査員
◇現在──日本自然保護協会自然観察指導員、環境庁自然公園指導員、埼玉県警山岳救助隊協力員、秩父漁業協同組合理事、山小屋管理人、両神村小森川上流で 800 ha の林業経営
◇専門分野──両神山の自然観察ガイドブック制作スタッフとしての自然解説、林業家としての自然保護、 樹木の相続税、 木の寿命
◇主な講義内容──両神山の自然、国立公園の問題点、林業の将来、自然保護の疑問、山と遭難と救助、ダムの必要性と勘違い、ブナの木のまちがい
◇実習内容──両神山の自然】

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】11時41分=伊藤 幸司
いかにも手作りの粗末な橋に見えるでしょう。でも私にはこれが「安心な橋」に見えます。
長い丸太を3本並べてあります。橋の構造部分はヒトが歩くには十分過ぎるというか、やりすぎの、オーバークォリティに見えます。ところがその上面に置いた横木というか、踏み板というか、それのなんと貧弱なこと。ありあわせの木だって、そこらにはもっといい板のとれる丸太がいくらだってあるでしょう。それも、チェーンソーで簡単に、もっとしっかり、きれいに作るぐらいのことは、だれがやったってできるでしょう、と思いませんか?
でもそう思った人は初心者ですよね。山中さんは間違いなく、意図してそういう橋を作っているのです。私の目には「安全な橋」だとしか見えません。
ふつう、この場所に、こんなサイズの木の橋があったら、渡りません。みんな不安なので、下の岩のところにルートができているはずです。なぜなら、湿った木や、苔むした木ほど危険なものはないからです。そこを歩くしかない最悪の場面を想定して、私は軽アイゼンを2セット、通年常備しています。
写真のこの横木がどうしていいのかと言うと、滑り止め機能が抜群なんです。雨の日でもツルン! と滑る危険が極めて少ない木の橋なんです。見た目は貧相ですけれど。

両神山、白井差新道、小森川源流、
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
こういうせっかくの岩場を歩きやすくしちゃって……と見てもいいのですけれど、想像するに、わざわざここを通らせようとした気配ありですね。

両神山、白井差新道、ヤマエンゴサク
【撮影】11時44分=伊藤 幸司
これは、見当としてはヤマエンゴサクかエゾエンゴサクだと思いましたが、調べてみたらヤマエンゴサクでした。
『HiroKen花さんぽ』の『野山に自然に咲く花のページ』の『ヤマエンゴサク』を見ました。
【ヤマエンゴサクの苞には切れ込みがあるのです(切れ込みを「歯牙」や「欠刻」ということもあります)。普通2〜4の切れ込みがあり、つまり3〜5裂し、裂片の先端は尖っています。エゾエンゴサク・オトメエンゴサク、ジロボウエンゴサクの苞には切れ込みがなく全縁なので、識別することができます。】
苞というのは蕾を包んでいた葉(あるいは葉の変形)で、この写真では花の向こう側に見える、先端がギザギザの葉っぱで、その切れ込みがヤマエンゴサクの証明とか。

両神山、白井差新道、コガネネコノメ
【撮影】11時45分=稲葉 和平
春の奥武蔵ではたまに見かけるが、今回の大量のコガネネコノメは驚きだった。

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
糸の会ではほぼ20年間伊藤が先頭でペースメイクしつつ、写真を撮っていました。想定はその日初めてその山に来た人の目で、興味をひいた風景や出来事、花などを(できればひとつ残らず)記録したいと考えていました。
もしそれが取材だったら作業効率を上げるためにできるだけ早足で、要所要所でメリハリを効かせて撮るというのが基本……だと思っていたので、別の考え方をしてみたのです。
ある事情でカルチャーセンター系登山講座の皆さんに入門編以上の山を体験していただくために糸の会を立ち上げたとき、それを私は取材の山と考えることにして、皆さんの了解も得たりしました。
そして写真は初めて参加した人という想定の目で見て、初めて見て興味を持ったもの、を律儀に拾っていくという原則を立てたのです。つまり毎回初体験者のつもりで歩き出し、目に止まったものをカメラで拾いつつ、その日、それよりも面白いと思ったものを拾い上げていくという(毎回低いレベルから立ち上げる)基準を、一応立てていたのです。(でないと、どんどん山のレベルを上げなくては写真を撮れなくなってしまうから)
糸の会以前には参加者の皆さんのスナップショットや記念写真をサービスとするためにプリントのしやすいカラーネガで撮っていましたが、1995年の糸の会開始以降では出版物で使えるように、カラーポジ(リバーサルフィルム)で撮り続けました。そうやって溜まった写真をふんだんに使ったのが『がんばらない山歩き』(講談社・1998)、『山の道、山の花』(晩聲社・2007)、『軽登山を楽しむ──山の道・山の風』(晩聲社・2009)などでした。
そのうちに花のクローズアップにデジタルのポケットカメラを使うようになり、年々デジタルカメラの比重が大きくなって、2012年に始まる「発見写真旅・展」(この「山旅図鑑」の初期シリーズ)では「1万円で買えるデジタルのポケットカメラ」で「これだけ撮れるんだ!」ということを実証して、みなさんにも安いデジタルカメラをどんどん使ってみていただきたいという提案でもあったのです。(写真愛好家の中にはいいカメラを持てばいい写真が撮れる “ハズ” という “神話” が根強くありますから)
1万円カメラのお粗末体験としては「発見写真旅・展 No.21」の「2013.2.16 渋谷駅から」で私の1万円カメラが寒さのため電池切れとなってしまったので、あわてて駅前のビックカメラで単3電池ですぐに使える1万円カメラを購入しました……けれど。
その、1万円カメラ主義は「発見写真旅・展 No.30」の「2014.5.2 浅草・仲見世通り」からマニア向けデジタルカメラに変わります。稲葉さんが使っていたキヤノンGシリーズの中古機を買って、望遠撮影をいろいろ試してみました。(山旅図鑑でご覧いただけます)
何本かの交換レンズを使うために一眼レフカメラはデジタルになっていましたが、それを全部キヤノンGシリーズのコンパクトデジカメ(比較的高級機の部類)に切り替えた後、2017年に富士フイルムの高倍率デジカメの安い中古品を見つけたので使ってみたところ、そのレンズの素晴らしさに驚愕。「発見写真旅・展 138」の「2017.2.21-22 上高地スノーハイク」から完全に高倍率ズームのついたデジカメとなり、2018.9.18-19の木曽駒ケ岳(山旅図鑑No.211)からはキャノン製の高倍率ズームデジカメ(もちろん中古)に切り替えて現在に至っています。
……と同時に「2018.11.24 発端丈山」から「フォトアルバム」シリーズをはじめました。じつは山旅図鑑のためのキャプションづけが伊藤のところで滞ってしまって「山旅図鑑No.219」という予約はしてあるものの、いつになるかわからないという状態ゆえに、参加されたメンバーの方々に見ていただける「速報」として始め、現在では「山旅写真(タイムライン)」としています。そしてその速報写真には1日分として200点から500点という膨大な写真が簡単に並ぶようになっています。
デジタルカメラの高倍率ズームと、デジタル化によってほぼ無限となった体験記録画像と、それからたぶんスマホによって叶えられる新しい視覚という中で、私は山道を一歩一歩歩くことが与えてくれるプリミティブな体験を「写真」によって「つかまえていきたい」と考えているのです。
なお、私が列の最後尾につくようになったのは2013年のシーズンからで、既知のルートに関しては、できるだけみなさんに「先頭の視野」を楽しんでいただきたいという意味で「10分交代」を始めたのです。その「10分交代」は「10分後には全員が集結して、最後尾の人が先頭に立つ」ということで、歩くペースに関して「全体のペース」と「個人のペース」の柔軟さを獲得するという大きな発見がありました。この写真の全員がこのときの私たちのメンバーですが、この列のバラバラ感はじつは私たちが発見した高度なペース管理の一コマです。

長々と書いたので、ついでに書くと、このシリーズの最初は「発見写真旅・展」でした。撮った写真から何枚かのかたまりを選び出して、タイトルをつけて、文章もつけるという「組写真」へのアプローチで、東武カルチュアスクールで写真の実技講座としてやらせていただいたものです。
ところがうまくいかなかったのです。無料公開講座を開いてたくさんのサクラに集まっていただいたり、周囲の皆さん(娘や息子のお嫁さんも含めて)に参加させていただいたりしながら、とうとう糸の会にも一部導入するというかたちになり、それがしだいに山旅図鑑の原型となっていったのです。その経過は、そのままこの「山旅図鑑」のラインナップとしてご覧いただけます。
*その途中では、大学時代の写真部の同期で、朝日新聞の出版写真部長をやった白谷達也さんにも相談したりしましたが「ちょっと難しすぎない?」という手紙をもらったりしています。(その手紙はこのホームページのどこかにあるはずです)
その中で基本的に苦闘してきたのは「いい写真」が日本ではいわゆる「褒められる写真」だということに対する私の批判。これは私が写真を始めるきっかけになった中学時代の友人が写真館の息子で、そこで「褒められたい写真」の人たちをたくさん見たからです。
ところが早稲田の写真部に入ると私はコンテストで「ちょっと褒められた派」だということを知ったのです。主要部員はみなジャーナリズムに向かっていましたから、写真は「発言」だという感じでした。
私はカメラマンになりたいと思っていましたが、カメラ小僧の多くがそうであるように文章が苦手でした。さいわい探検部系の写真でチャンスを与えられるたびに文章も書かせてもらい、それをきっかけとしてフリーライターやら、フリーエディターという仕事もするようになり、写真集の編集もいろいろ体験してきました。
毎日新聞の出版写真部長となった平嶋彰彦さんからは「撮った写真に責任を持つやつでないと成長しない」という話を聞いて、大きく影響されたのです。自分自身が「いい写真」を求めていくなかで「撮った写真に責任をもつ」ことがいかに重要か、自分が撮った写真に「自分の文章を添えていく」という苦労を加えることで、その人が「写真家」(アマチュア写真作家)になっていくという効能に確信を持ったのです。
「1枚の写真がすべてを伝える」というレトリックに逃げずに「撮ってしまった写真」がじつは「撮ってしまった自分」だということに気づけば、(あとから補足できる文章というかたちで)責任をとりつづけることができ、写真家(写真作家)としての成長を期待できると確信したのです。
糸の会の、この山旅図鑑でも、何人かの人が書くことで自分を見つめたり、ちょつぴり苦闘したりしているのを見ています。自分の写真と関わり続けることで自分自身が見えてくる……かもしれないのです。(私はこの山旅図鑑を維持するという立場なので、複数の立場=人格を用意してちょっぴりズルく立ち回っていますけれど)

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】11時47分=伊藤 幸司
じつは、歩いているときにはあまり感じなかったのですが、写真で見るとずいぶんドラマチックな道筋に見えます。なにしろ出発してからここまで、まだ1時間にすぎないのです。

両神山、白井差新道、小森川源流
【撮影】11時49分=伊藤 幸司
ここで再び山頂部の姿が見えてきました。まだまだ楽しい道が残っている、という気分です。

両神山、白井差新道、ハシリドコロ
【撮影】11時50分=伊藤 幸司
ハシリドコロはいつもこれぐらいの群落で出現するという印象がありますね。

両神山、白井差新道、コバイケイソウ
【撮影】11時56分=伊藤 幸司
標高約1,100mの地点で10分休憩しました。あたりに生えているのはコバイケイソウです。この段階ではバイケイソウかどうか判断できないのでネットで調べてみるとコバイケイソウです。花が咲けばわかることなので、間違いありません。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】12時04分=稲葉 和平
青空と新緑と白い雲。頂上は、たぶん稜線まで上がれば遠くはないはず。

両神山、白井差新道
【撮影】12時04分=稲葉 和平
暑くもなく寒くもなく、快適なハイキング日和。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】12時07分=伊藤 幸司
私は色にはあまり反応しないタイプなのですが、きれいですよね。光のマジックショーです。

両神山、白井差新道、新緑
【撮影】12時08分=伊藤 幸司
木漏れ日の中を進みます。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時14分=稲葉 和平
青空と白い雲と新緑とミツバツツジ。ミツバツツジの鮮やかな薄紫は遠くからでもよく目立つ。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時14分=稲葉 和平
遠くにヤマザクラの淡いピンクが見える。ヤマザクラは遠くから楽しむのがいい。

両神山、白井差新道、ヤマザクラ
【撮影】12時14分=稲葉 和平
新緑とヤマザクラ。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時14分=稲葉 和平
残念ながらアカヤシオは咲いていなかったが、ともに終わりかけのミツバツツジとヤマザクラ、十分に目を楽しませてくれた。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時14分=伊藤 幸司
「水晶坂」という手書きの道標があったところから、トウゴクミツバツツジが始まりました。その距離表示(数字がよく読めませんでしたが)によると白井差新道のほぼ中間点のようです。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時14分=伊藤 幸司
この時期の主役なんですかねえ。トウゴクミツバツツジがちょっと気取って手を振っているような感じでした。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時15分=稲葉 和平
この写真だけ見るとまるでミツバツツジの最盛期のよう。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時15分=伊藤 幸司
望遠で見てみるとトウゴクミツバツツジの花はすでに爛熟期。三つ葉が広がる準備をしています。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時16分=稲葉 和平
整備された登山道。斜度は結構あっても歩きやすい。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】12時16分=伊藤 幸司
見上げてみると、トウゴクミツバツツジの花が「飛んでいる」というか「吹き流されている」というか、青空を背景に、なんだかとてもレアな感じがしました。
もちろんそれでシャッターを切ったのですが、花を見上げて撮るというこの手の写真はどんなふうに撮れてしまうのか判断ができません。カメラまかせのオート(露出だけを管理するプログラムオート)ですが、大抵はもう一枚、画面枠を下に下げてシャッター半押しで露出を花に合わせて撮ります。でも、ここでは期待せずにカメラまかせで1枚撮っただけでした。光の入り具合もよかったのですが、青空の明るさも花を邪魔しない状態だったのですね。

両神山、白井差新道、ヤマザクラ
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
オヤオヤ、これは遠くにあって、よくわかりませんが、ヤマザクラかな、と思って撮りました。

両神山、白井差新道
【撮影】12時19分=伊藤 幸司
尾根の左側に下ると厄介なことになるので、トラロープが張られていました。私たちは前方に見える山頂部に向かっています。

両神山、白井差新道
【撮影】12時20分=伊藤 幸司
左手に尾根を見ながら、歩きやすいルートが伸びているという感じです。
稜線部にはむきだしになった岩などで小さなアップダウンがあったり、垂直の障害物ができていたりするので、その下の樹林の中にトラバースルートができていることが多いのです。道を外れて、間違って下ってしまうことさえないようにすれば、おおよそ快適です。
私たちは前方の山頂部に向かっています。

両神山、白井差新道、ヤマザクラ
【撮影】12時29分=伊藤 幸司
遠くに、あきらかにヤマザクラと思われる花がありました。

両神山、白井差新道、ブナの子葉
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
以前、飛龍山からの下りで不思議な花がいっぱい咲いているのを見て「何だ? これ?」と大騒ぎしたことがありました。
これでした。ブナの子葉(双葉)。
これに関するレポートはあまりなく、その中でこれとほとんど同じ状態のブナの子葉につけた解説を見つけました。
『もりのつち 主として渡島半島の山々をあちらこちらと訪ねて!山と沢と森と土と植生と…Remorse: Tao(T.Tak・・)』というブログに『ブナ』がありました。
【芽生えたブナ──2010年5月3日の朝、庭仕事中に偶然見つけた。1973年に一年生山引き苗を、アカイタヤとともにBanntannも良しとして、庭の片隅にあったナナカマドの樹下に植えたものだった。2009年、一本の枝に少しばかり、この木に初めての開花・結実を見た。36年目であるが、自然林では、ブナの結実に要する樹齢は50年とみるのが定説であったから、「オォ 早い」と、昨秋は開花・結実の結果に満足していた。】
【予想だにしなかった芽生えだった。昨秋の薪割り台の柱の跡(孔)に隣接して、ブナが芽生えていた。厚みのある双葉(子葉)の間から、赤みを帯びた初生葉が顔を出していた。初生葉は絹光沢の白軟毛に包まれて美しい。】
【庭のブナは孤立木である。町内の範囲には当然ブナはないから、100%自家受粉に間違いない。庭の孤立木からの落下種子は、不稔果実(シイナ)の確率が極めて高い状況だった。したがって発芽(芽生え)は予想外だった。庭の積雪が、保湿低温―そして休眠打破がうまくいったのであろう。】
【偶然:今年の春山は雪解けが遅く、利別(点名)岳1021.4mに遊んだり遅くまで春山を楽しんでいた。庭のかたずけも疎かにしていて、サクラ咲いて慌ててガツガツ掃除を始めたのでチッチャな双葉のブナはかき消る公算大であった。偶然生育できた二代目ブナの誕生に祝福。】
【ブナ林の林床では5年生存率は1%程度と観察される。】

両神山、白井差新道、ブナ平
【撮影】12時39分=伊藤 幸司
ここには「ブナ平」という標識がありました。この写真に写っているのは3つのグループとその他の何人かで、前方にちょうど歩き出したグループがいて、左側に休憩中のグループ、右からの私たちはここに到着したところですが、すこし手前で小休憩をとったので通り抜けます。
各グループはそれなりの車で登山口までやってきたということになります。マイクロバスが1台ありましたが、それが先行グループのものだったように思います。

両神山、白井差新道、ブナ平
【撮影】12時40分=稲葉 和平
前のパーティーがいなくなるまで待つしかなさそう。

両神山、白井差新道、のぞき岩
【撮影】12時48分=伊藤 幸司
そびえ立ってきたのは山頂部にある両神神社本社のあたり。展望の良い「のぞき岩」もこの写真の範囲内にあるのだと思いますが、それはまた、かつて日向大谷から清滝小屋を経て登ってきたときにロープが張られて登山道が2本に分けられて不思議な思いをいだいたところでした。

両神山、白井差新道、ハルリンドウ
【撮影】12時53分=伊藤 幸司
またハルリンドウがありました。すでに出会ったのをガク片の様子からハルリンドウとしたこともあり、真上からの写真しかなくて根拠は薄弱ですがフデリンドウではなく、ハルリンドウとしておきます。間違っていたらゴメンナサイ、ですけれど。

両神山、白井差新道、コバイケイソウ
【撮影】12時58分=伊藤 幸司
これはコバイケイソウの若葉ですね。毒草なので鹿の食害を受けずに日本の山では勢力をどんどん広げています。そしてこれよりも若い状態のものは、代表的な山菜のひとつ「うるい」(オオバギボウシの若芽)と似ていて、中毒事件を引き起こす例が多いといわれています。

両神山、白井差新道、コバイケイソウ
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
コバイケイソウの斜面をゆったりとトラバースしていきます。

両神山、白井差新道、ヤマエンゴサク
【撮影】13時04分=伊藤 幸司
11時44分に見たものをヤマエンゴサクとしましたが、その根拠は花のついた茎にある苞葉でした。
『高山植物と山野草、似たもの比較』の『ヤマエンゴサクと似た花』にかなりはっきりとした相違点が示されていました。
【ヤマエンゴサクの花序の付け根にある苞葉には切れ込みがある】というのは横長に写っている花の奥にある、先端がギザギザの葉っぱのことです。
それから11時44分の写真のヤマエンゴサクと葉の形が大きく違うので調べてみましたがなかなかわからず、やはりこの『ヤマエンゴサクと似た花』の中にある葉についての情報でヤマエンゴサクは【葉は幅広だったりササバ状だったりと極めて変異が大きい。】ということを受け入れました。自信はありませんけれど。

両神山、白井差新道、エイザンスミレ
【撮影】13時21分=伊藤 幸司
またここにエイザンスミレ。じつは首都圏の山ではスミレ(スミレ属スミレ、葉の長いすみれ色の花をつけたスミレ、都会派のスミレ)を見ることは少なく、ハート型の葉を持つタチツボスミレと、切れ込みの深い菊のような葉を持つ、このエイザンスミレが代表格だと思います。

両神山、白井差新道、倒木
【撮影】13時31分=伊藤 幸司
ここに、最近倒れた巨木がありました。大きな岩の傍らに立っていたものが、コロンとひっくり返った状態でした。

両神山、白井差新道
【撮影】13時33分=伊藤 幸司
その倒木を過ぎると、前方にまたけっこうな数の人々が見えてきました。

両神山、白井差新道
【撮影】13時39分=稲葉 和平
山頂の手前で長い休憩。確かに前に行った大人数のパーティーが山頂にいる間は登らないほうがいい。

両神山、白井差新道、日向大谷ルート分岐
【撮影】13時52分=伊藤 幸司
日向大谷から登ってくる道にロープが張られていて、脇道からロープをくぐって大通りへ出るという感じでした。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】13時53分=伊藤 幸司
そのゲートからは、山頂へのアプローチ。アカヤシオがポッ、ポッ、ポッと明るく照らしてくれるような両神山山頂への道なんです。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】13時54分=伊藤 幸司
いよいよ最後の登りです。

両神山、白井差新道、山頂、アカヤシオのつぼみ
【撮影】13時54分=伊藤 幸司
そしてこれがアカヤシオ。つぼみです。しかも注意深く探してようやく見つけ出したつぼみです。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】13時55分=稲葉 和平
ウンザリ。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】13時56分=稲葉 和平
これほど長い行列は初めて。でも、案外短時間で頂上までたどり着けた。

両神山、白井差新道、山頂、アカヤシオのつぼみ
【撮影】13時56分=伊藤 幸司
岩陰ににはもうすこし膨らんだアカヤシオのつぼみがありました。このひとつひとつがポッ、ポッ、ポッと膨らんで、開くのです。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】13時58分=伊藤 幸司
狭い山頂へのクサリ場です。渋滞状態で、岩の上に座っている男性は下りを待つグループの指揮官という感じ。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時05分=稲葉 和平
山頂の山座同定盤。これは前回の記憶がはっきり残っていた。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時05分=稲葉 和平
山頂の標識。この標識の前で記念撮影をする人が大勢いて、前が空くまで5分くらい待ったような気がする。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
標高1,723mの山頂で記念写真をとりました。八丁峠への道はたくさんの岩峰を越え、いくつものクサリ場を通過するのですが、いざというときのための「三点支持」をきちんと使え、クサリ場での「ぶら下がらない歩き方」をしっかりと実行できれば、(1か所女性には身長が足りない感じのクサリ場があるのでロープで安全を確保する必要があると私は思いますが)多くの人がドラマチックな山歩きを経験することができます。
ちなみに、糸の会では、何度やってもコースタイムの2倍の時間がかかりました。

両神山、白井差新道、山頂、富士山
【撮影】14時12分=伊藤 幸司
富士山が見えました。あまり愛想のいい顔つきではありませんでしたが。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時13分=稲葉 和平
やっと山頂が空いた。前回両神山に来たときの印象では、山頂は眺望はあったものの木に囲まれていて狭くて開放感に乏しいという感じがしていたが、そうでもなかった。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時14分=稲葉 和平
下りの行列。でも、これから登ってくる人はあまりいないようだ。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時17分=今村 和世
お名前がわからないのですが、両神山の山頂で撮った写真です。
両神山、白井差新道、山頂、ヤマネコヤナギ
【撮影】14時18分=伊藤 幸司
山頂にあったネコヤナギ……ではなくてヤマネコヤナギ。『木のぬくもり 森のぬくもり 樹げむ樹げむのTree World』の『樹木の写真』に『ヤマネコヤナギ』がありました。
【ヤナギ科の木は、一般に湿った地を好が、ヤマネコヤナギは日当たりの良い、やや乾燥した山地を好む。樹高は、5〜15mになり、胸高の直径が60cmになるものもある。
ヤナギの仲間はどれも代表的な先駆種である。
早春に明るい黄色に咲く花は目立つ。大きな花はまだエサの少ない春先に鳥や動物たちの食料にもなる。サルが枝につかまり花を食べるのをよく見る。別名のサルヤナギはそこから。】

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時20分=稲葉 和平
残念ながら何だかわからず。気の向いたときに調べることにしよう。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時20分=稲葉 和平
外国人の登山者も。最近はどこの山に行ってもいる。欧米人から見れば日本の山は大都市からのアクセスがいいかもしれない。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
山頂から下りにかかります。見えているのはたぶん北西の方角。山の名前はわかりません。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時23分=伊藤 幸司
山頂の狭い一郭にもアカヤシオはポッ、ポッ、ポッと咲くんですね。

両神山、白井差新道、山頂
【撮影】14時23分=伊藤 幸司
クサリ場を下ります。

両神山、白井差新道、山頂、武甲山
【撮影】14時27分=伊藤 幸司
ヘリコプターの音に目を向けたら、武甲山(標高1,296m)が見えました。

両神山、白井差新道、山頂、武甲山
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
武甲山は削り取られた北面を秩父の街に向けています。
それに関してネット上で探していたら、自分自身のものが出てきました。そこで紹介させていただいた慶応大学総合政策学部の辻本志郎さんの卒論も今回ネット上で見つけましたが、その内容も含めて、私の文章としての再録です。
『発見写真旅・展(131)――2016.12.10 武甲山(49パワー)』
【*秩父の武甲山ほど裏表の激しく違う山はありません。普通なら、日本各地の、ごく普通の、常識的な感覚でなら、秩父という古い街の見える側から、山を半分切り取ってしまうようなことはありえないのではないかと思うのです。じつは私たちが歩く関東各地の里山でも、注意して見ると裏側からこっそりと石灰岩や山砂を採っている例がいくらでも出てきます。
*なのに武甲山ではどうして? という疑問から卒業論文を書いた学生がいました。慶応大学総合政策学部の辻本志郎さんが「開発をめぐる地域住民の対応 〜武甲山 開発と、高尾山開発の事例から〜」を2008年1月に提出しています。
*それによると地元の写真家・清水武甲による反対運動があったにも関わらず武甲山開発が秩父において大きな反対運動にならなかった「武甲山開発」には5つの特徴があったといいます。
(1)開発が地元資本によって進められた
(2)地域産業の盛衰状況
(3)健康被害がほとんど出なかった
(4)秩父事件を起こした過去を持つ
(5)環境破壊、公害の問題が出る以前から進められた
……論文としては読みやすい文章なので、興味のある方はぜひご一読を。】

両神山、白井差新道、分岐
【撮影】14時29分=伊藤 幸司
ここが13時52分にくぐったロープのところ。真っ直ぐ下るのが清滝小屋から日向大谷へと下る登山道で、道標のところから右に下るのが登ってきた白井差新道なんです。

両神山、白井差新道、倒木
【撮影】14時32分=伊藤 幸司
この倒木のところ、私は記憶にありませんでした。山頂が近づいて意識がそちらに引っ張られていたのでしょうか。

両神山、白井差新道、倒木
【撮影】14時35分=伊藤 幸司
こちらが13時31分にくぐった倒木のところです。

両神山、白井差新道、ジロボウエンゴサク
【撮影】14時45分=稲葉 和平
ジロボウエンゴサク(ケシ科)。貧弱だけど色が可愛いのでとりあえずシャッターを切っておいたもの。この時点では、この先で群落を撮ろうと思っていたけど、失敗。

両神山、白井差新道、ミミズ
【撮影】14時54分=伊藤 幸司
このミミズについてなにか知ることができるかと思いながらネット・サーフィンしてみたところ、ひとつだけ確信をもつことができたのは「ミミズについて語っている人たちは、みなおかしい」ということです。暇なときにはぜひ、ミミズにかかわる検索をしてみることをおすすめします。
ここでは、まあ、真面目に『ミミズ大学 HLP(Earthworm) UNIVERSITY』の『ミミズ基礎研究所』の『世界のミミズの種類』から。
【世界中に生息するミミズの種類についての見解は、実は研究者によって大きく異なっています。ある研究者は2300種といえば、別の研究者は7000種といいます。日本でも8科118種という研究者もいれば、300種以上という研究者もいます。つまり、実際のところはミミズの種類についてはいまだ解明されていないというのが現状なのです。】
【あまり知られていませんが、実はミミズと人間の身体の作りは非常に似ています。表をご覧いただくとわかりますが、人間が持つ多くの器官は、実はミミズにも備わっているのです。下等動物と思われがちなミミズ。実は人間と同じ高等動物の一種なのです。
大きな違いは目が無いこと。目がない生物ということから「目が見えず」→「目ミエズ」→「ミミズ」と名付けられたという説があります。】
真面目なレポートをもうひとつ、『For Earth, For Life Kubota』『クボタのたんぼ』の『田んぼの生き物』の『「ミミズ」を二つに切断したら本当に2匹になるのか』
【土の中で生活するミミズは、ちぎれたら分身すると言われていますが本当でしょうか。
手も足もないですが、実は土の中で活躍しているミミズの生態について見ていきましょう。
◎分身の術を使う「ヤマトヒメミミズ」
土の中で生活している一般的なミミズが、半分にちぎれてしまったらどうなるでしょうか。
実は前半身は再生しますが、後半身は再生せずに死んでしまうので、分裂しても2匹にはなりません。
しかし、分身の術を使う珍しいミミズもいます。それは、農林水産省東北農業試験場の中村好男さんが日本で初めて発見した「ヤマトヒメミミズ」です。
ヤマトヒメミミズは成長して体長が1cmくらいになると1mmほどの10の断片に分裂します。その断片に頭や尻尾ができて、約4日で10匹のミミズになります。まさに分身の術、驚異的な再生能力です。そして、10日ほどたって、また1cmくらいになったら、ぶちぶちと切れはじめます。人間がカミソリでもっと小さく切っても、やはり再生するそうです。中村さんが飼育している、最初に発見したヤマトヒメミミズは、80回以上の分裂を繰り返しているそうです。
◎土を耕してくれる働き者のミミズ
田んぼで見かけるミミズの役割は土を耕すことです。土や落葉、地中に残る腐った根も食べて粉々にしながら土と混ぜて排泄します。また、土の中にトンネルを作ることにより、通気性が良くなり土の深い場所まで酸素が供給されます。まさに、人間が鋤(すき)で土を細かく砕き、肥料を混ぜるのと同じことをしているわけです。田んぼの畦(あぜ)にミミズがトンネルを作ってしまい、水が抜けてしまうこともありますが、ミミズの害と益では、益の方がずっと大きいのです。
ビーグル号に乗って世界一周航海をした、進化論で有名なイギリスの学者チャールズ・ダーウィンもミミズが大好きだったようで40年以上も観察していました。「鋤は人類が発明したもののなかで最も価値あるものの一つだが、実は人類が出現するはるか以前から、土地はミミズによってきちんと耕されてきた」という言葉を残しています。ダーウィンが最後に書いた本のタイトルは「ミミズの作用による肥沃土の形成とミミズの習性の観察」というものでした。
ミミズは100〜150くらいの体節が連なる紐状の生き物です。産卵数は意外に少なく、シマミミズは年間11個、赤ミミズは74個という報告があります。成熟するまでにはほとんどの種類が1年以上かかるようです。】

両神山、白井差新道、のぞき岩
【撮影】14時55分=伊藤 幸司
往路の写真のように見えますが、もちろん下山です。このあたりでは大きなジグザグ道になっているので、こんな情景にもなるのです。

両神山、白井差新道、コバイケイソウ
【撮影】14時55分=伊藤 幸司
コバイケイソウの群落の中に、枯れたまま残っている株がありました。いろいろな人がコバイケイソウと言っているのですからコバイケイソウの亡骸なんでしょうが、ふっくらとした肉をとったらバイケイソウ、という感じもしました。

両神山、白井差新道
【撮影】15時00分=伊藤 幸司
この手の道標がいくつかあって、山中さんの趣味かもしれませんが、どれも文字のカスレ具合が同じ。実用的な道標なので、文字情報だけは読み取れるように管理していただきたいと思いました。

両神山、白井差新道、水晶坂
【撮影】15時20分=稲葉 和平
登りと同じ道でも下りの風景はずいぶん違って見える。淡いヤマザクラが美しい。

両神山、白井差新道、トウゴクミツバツツジ、水晶坂
【撮影】15時20分=伊藤 幸司
12時14分に見た「水晶坂」という道標のところのトウゴクミツバツツジを逆方向から見ています。

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】15時27分=伊藤 幸司
登っていたときの風景と、下っていくときの風景とは、全く違うというのが基本です。
目印になるものがあればいいのですが、先行きが不安な気持ちで登っているときには、ときどき振り返って下りの風景を見ておかないと、やむなく引き返さなければならないときに「ここは、絶対通っていない」と思うことになります。進むべき道があやふやな感じのときには、何パーセントかの「戻る場合」を考えて「振り返りつつ」進むという慎重さが必要になります。

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】15時28分=伊藤 幸司
こんな仕掛けのところ、通ったけ、という気持ちで撮った写真です。

両神山、白井差新道、小森川源流、登山道
【撮影】15時43分=伊藤 幸司
谷筋に水の流れが出てきたら、かなり下ったことになります。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】15時49分=伊藤 幸司
昇竜ノ滝まで下りました。
日本の山の標準的な登山道の勾配は約20度なんですが、ここではそれより勾配がゆるく、しかも路面はものすごく歩きやすい状態です。私たちでもこの下りでは登りの倍ほどのスピード(高度差で毎時600m前後)が出ているはずです。

両神山、白井差新道、小森川源流、昇竜ノ滝
【撮影】15時49分=伊藤 幸司
登りではじっくり見た昇竜の滝ですが、下りだとなかなか足を止められません。


両神山、、白井差登山口、春もみじ
【撮影】16時06分=伊藤 幸司
16時ジャストに白井差小屋に到着しました。春紅葉です。
『フリーマガジン、エクスペリエンスニセコ』の『春紅葉ってなんだろう?』(2017年05月12日 Yuko Miyake)をどうぞ。
【今はまさに桜の開花と春紅葉が同時に楽しめる、北海道ならではの感動の景色がそこに在ります
春紅葉って聞いたことありますか。北国にご縁のあるかたはご存知かもしれません。春になると、一斉に緑が芽生え、花が咲く他の地方と違い、北国(特に春の訪れの遅い)北海道ではまるで秋の紅葉!?と見間違えるばかりの木々の色づきになる自然現象なんです。
広く澄んだ景色が広がるニセコの山系にはまだまだ雪がかぶり、野にはタンポポやチューリップ、桜が咲いている中、茶色や黄色、オレンジ、赤に色づいた木々がまるで秋のように点在する不思議なシーンを醸し出しています。
秋の紅葉は一般的に急激に気温が下がって葉が色づくのですが、この春紅葉は光合成が関係しています。光合成が本格化するまでの間、木々の葉緑素が十分ではないため緑色が薄く、木々本来の色素が見えるため、(オレンジや赤や黄色)どこか全体的に紅葉のように見えるのです。主にカエデ類、短い期間ですが秋のような色彩になります。その情景はまさに春の紅葉。
2017年5月12日現在、ニセコエリアでも、車を走らせるだけでこの春紅葉に出会えます。桜の開花も伴って、今はまさに、春紅葉と桜の珍しいツーショットを見ることができます。この短い春紅葉の時期が過ぎれば本格的に色とりどりの花が咲き乱れる春、初夏の景色を迎えます。】

両神山、白井差登山口
【撮影】16時07分=伊藤 幸司
前の写真の春紅葉とセットになった桜です。

両神山、白井差登山口
【撮影】16時08分=稲葉 和平
この写真、自分でも何を撮ったのか瞬時には分からなかった。金網の向こう側のシャクナゲを撮ったつもりだったが、どう見てもカーブミラーの中がメイン。

両神山、白井差登山口
【撮影】16時09分=野老 和子
桜吹雪!

両神山、西武秩父駅
【撮影】18時56分=伊藤 幸司
この日は西武秩父駅前温泉・祭の湯に入りました。中の食堂も混んでいましたが、フードコートも満員で、それぞれに席を見つけてなんとか食事を終えました。いつもの19時25分の特急に乗るため、時間優先の食事でした。これは秩父名物・わらじカツ丼。



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