山旅図鑑 no.244
大台ヶ原〜大杉谷
2019.5.21-23

山旅図鑑目次


糸の会(no.1143)
2019.5.21-23
大台ヶ原〜大杉谷
73パワー

1日目……腹ごなし散歩
2日目……登り18p→下り39p
3日目……下り16p

*半年ごとに発表する計画概要には次のように書きました。
【2004年の台風21号による水害以降、登山道は長く通行禁止になっていましたが、2014年にようやく全面開通しました。往路と帰路の時間的制約から大台ケ原の「心・湯治館」(旧大台山の家)と下流部の「桃の木小屋」しか宿泊場所の選択肢がないようです。大台ケ原の雨を集める大杉谷は「日本三大渓谷」のひとつだそうですが、私たちが歩ける峡谷として最大級です。糸の会では2002年と2003年に行っていますが、その再開バージョンです。】

第1日(5月21日)
・4名は0740東京発の新幹線「のぞみ」で京都へ、コーチの伊藤が加わって近鉄線で吉野駅へ。1名は近鉄線・吉野駅の第二集合15時に合流。
・1名は大阪に前泊して近鉄線大和上市駅前09時始発の大台ヶ原行きバス(1日1便)で先発。
・1200-1500……5名が腹ごなしで吉野山(金峯山寺)を往復
・1620……6名が大台ヶ原の宿に到着(標高約1,550m)
第2日(5月22日)
・0740……大台ヶ原の宿を出発(標高約1,550m)
・0820……中道を経て尾鷲辻を通過(標高約1,600m)
・0855-0900……大蛇嵓で休憩(標高1,579m)
・0935……尾鷲辻に戻り日出ヶ岳へと向かう(標高約1,600m)14度C
・0945……正木原を通過(標高1,641m)
・1035-50……日出ヶ岳山頂(標高1,695m)
・1135……シャクナゲ平を通過(標高約1,500m)
・1210……シャクナゲ坂を通過(標高約1,200m)
・1230-35……堂倉小屋前で休憩(標高約1,150m)
・1325-30……堂倉滝で休憩(標高約850m)
・1400……与八郎滝(標高約800m)
・1405……隠滝(標高約750m)
・1420……光滝(標高約700m)
・1425-35……崩落地手前の白砂浜で休憩(標高約700m)
・1530-35……七ッ釜滝・避難小屋で展望休憩(標高約600m)
・1605……桃ノ木小屋(標高約500m)
第3日(5月23日)
・0650……桃ノ木小屋を出発(標高約500m)
・0715-20……衣類調節(標高約450m)
・0745……平等嵓吊橋を通過(標高約450m)
・0800-05……ニコニコ滝・避難小屋で展望休憩(標高約400m)
・0820-40……シシ淵手前の二本の滝でコケ休憩(標高約400m)
・0850……シシ淵を通過(標高約400m)
・0950-1010……千尋滝・避難小屋で展望休憩(標高約350m)
・1055-1100……休憩(標高約300m)
・1125-35……能谷川原で休憩(標高約300m)
・1205……大日嵓を通過(標高約300m)
・1215-25……登山口でタクシー待ち休憩(標高約300m)

今回の写真出展メンバーは4人です。
秋田 守、稲葉 和平、山咲 野の香、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


山旅図鑑 no.244
大台ヶ原〜大杉谷
2019.5.21-23

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 08時44分=秋田 守
近鉄大和上市駅前から土曜日以外は1日1本、9時発の大台ヶ原行きのバスが出ている。奈良交通バス。バスの待合所にいた先客2名のジイさんはどこか近所で宿泊して、これから日帰りで大台ヶ原に行こうとしていた。そこへ彼らより歳上、70代後半の夫婦連れがやって来た。聞けば、昨夜東京を夜行バスで出発し、今朝早くに五条到着。そこから電車を乗り継いでここまで来たという。なんと、帰りも夜行バスで帰るとおっしゃるから驚いた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時08分=秋田 守
糸の会の基本計画は、朝、新幹線で東京を発ち、京都から奈良へ入り、吉野駅で待合わせ、タクシーで大台ヶ原到着は夕刻。ぼくは前日にお得意のLCCで成田から関空へ飛び、大阪で大切な知人に会っておしゃべりして、1泊。朝7時の阿部野橋発の近鉄特急で大和上市まで来て、1日1本しかないバスで大台ヶ原山上まで上がってきた。皆さんがいらっしゃる前に、山上をカメラ散歩。まず苔探勝路へ。ミヤマカタバミが苔の中に白い花を開いていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時12分=秋田 守
苔探勝路は宿の周囲、歩いて20分ほどのコース。遊歩道の両脇は文字通りコケで覆い尽くされていた。事前にビジターセンターで予習したところ、代表的なコケだけでも、7、8種類。さて見分けが付くのだろうか。これは最も分かりやすいコケ。セイタカスギゴケ。これに似たので、コセイタカスギゴケというのもあるらしいから実にややこしい。セイタカスギゴケは名前の通り、日本でももっとも大きなコケの一つで、20㎝ぐらいのものもあるという。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時17分=秋田 守
さあ、コケの名前調べに手こずり始める。これはゼニゴケの仲間だろうか。まったく自信ナシ。表面にウロコのような模様があれば、大台ヶ原の代表的なコケ、ジャゴケなのですが、つるつるしてるので違います。ゼニゴケは山でなくても民家の周囲でもよく見られ、日が当たらないじめじめした場所に茂って、これを駆除するための専用薬剤なども販売されている嫌われ者。こうして山の中でマクロ接写してると、それなりに美しく見えるのですが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時19分=秋田 守
コケの中に時折白い花が見えるのは大半がコミヤマカタバミ。でも地面近くにスミレのような小さな花を発見。ヒメミヤマスミレ、です。ビジターセンターでしっかり予習済み。ヒメミヤマスミレはフモトスミレの仲間で、フモトスミレはこれまでに何度かお目にかかっているが、ヒメミヤマスミレは初めて。これは嬉しい。でもこの2種類の違いはなかなか難しいようだ。さらに近似類としてトウカイスミレというのもあって、ますます頭が痛い。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時20分=秋田 守
コケだけでなく、キノコも名前を特定するのが難しい。イワダレゴケの茂る中に、小さな茶色いキノコが2本顔を出していた。調べた限りでは、アクニオイタケというのが最も近い感じだったが、全く自信ナシ。もしそうだとしたら、毒はないけど、食用不適だそうです。そもそも本当に小さくて指先ぐらいなので、食べようにも効率悪すぎです。絵柄的には悪くなく、それなりにインスタ映えしてるのではないかとニヤニヤしつつ眺めております。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時21分=秋田 守
苔探勝路の様子。笹原の中にウラジロモミやトウヒなどの樹木が茂る。昔は笹原ではなく、もっと多くの苔が見られたそうで、大台ヶ原の他の場所と同様、鹿の侵入を防ぐ柵を巡らせて、苔むす森を再生しようとしているとのこと。そうした森林再生のための先鋭モデル地区が、自由に立ち入ることが出来ない西大台エリア。この日、同じ宿に泊まっていた浜松からのツアーは、翌日西大台を歩く予定で、ビジターセンターで事前講習を受けていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時21分=秋田 守
樹肌に張り付いていたのはシッポゴケの仲間でしょうか。文字通り動物の尻尾のようにふさふさした形状から名前が付いている。ちなみに世の中には観賞用にコケ類を買い求める方々も多いようで、amazonでシッポゴケを検索すると、少量パックで600〜700円、大パックだと2000円ぐらいで販売している。コケに限らず、山野草はそもそも野山で見るのが正しい付き合い方ではないかと思うけど。まあ、ひとそれぞれ趣味の世界があるから何とも言えないが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時22分=秋田 守
これはイワダレゴケでしょう、きっと。現在の大台ヶ原のコケの中では代表格みたい。ちなみに大台ヶ原で見られるコケの種類は350種類、日本で最もコケが多い森のひとつだそうです。かつて大台ヶ原が健全な森であった時代には、林床にこのイワダレゴケが数十㎝もの層をなして地表を覆っていたと想像されるというが、そんな森の姿が果たして今後甦るのだろうか。もし甦ることがあれば、ぜひともこの目で見てみたいなあ。長生きしなくては。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時23分=秋田 守
切り株があると間違いなく苔に覆われている。ミヤコザサという笹が繁茂する前は、地表も一面の苔に覆われていたということだな。ところで、悪者扱いのミヤコザサだが、比叡山で初めて発見されたため、その名が付けられたという。由緒正しき身上だったんだ。日本特産の笹。1〜2mにもなる大型のクマザサより小柄で50〜80㎝。ちなみにクマザサのクマは葉の縁が白く隈取られるため。そうか、これまで、クマは熊だとばかり思っていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時24分=秋田 守
マクロモードで野山の花などを接写していると、昆虫が映り込むケースが多い。昆虫を特定するのは一苦労。これはアリガタハネカクシ。紀伊半島に棲息する。他のエリアの近似種は、ワダアリガタハネカクシ、クロサワアリガタハネカクシなど別名が付いているようだ。おそらく発見者の名前が冠に付いているのだろう。また、この仲間のアオバアリガタハネカクシは、体液が人間の皮膚に付くとミミズ腫れが起きるため、ヤケド虫の異名がある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時40分=秋田 守
大台ヶ原駐車場に面して上北山村物産店があった。苔探勝路を一巡りしたらお昼だったので、ここで昼ご飯を食べることにした。特産品も販売していたので、翌日の行動食用に名物の柿の葉寿司を買い求めた。働いていたのは、売店、レジに若い女性が2名。厨房に若い男性が1名。きびきびと対応してくれて気持ちよかった。この店はモンベルのフレンドショップ店で、会員ならコーヒー1杯50円で飲めた。しまった、会員証を持ってくればよかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 11時54分=秋田 守
上北山物産店食堂は券売機で食券を買う仕組み。かけうどんとカボチャ、サツマイモの天ぷらを注文。お兄さんがけっこう時間をかけて調理してくれた。讃岐風ではなく、大阪風のやさしい「おうどん」。なかなか美味しかった。夕方、ビールを飲もうと思って来てみたら、アルコール類は全く置いてなかった。役場がやっているせいかしら。やむなく、栗入りあずきモナカというアイスを食べた。まるでコーチみたいじゃないですか、と思いながら。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時05分=秋田 守
この日のお宿、心・湯治館。バスで午前中に大台ヶ原へ到着後、ザックは玄関先の小部屋に置かせてもらった。扉には、チェックインは15時から、と書いてあり、それまではフロントの人もいる気配がなかった。なんでこの名前を付けたのだろうか。ホームページには、大台ヶ原で心の湯治しませんか、と書かれていたが、よくよく眺めると変な名前。宿の機能も山小屋と旅館の中間ぐらいのハンパな立ち位置だった。お風呂があったのは嬉しかったが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時19分=秋田 守
午後は中道を歩いてみることにした。明日はシオカラ谷から大蛇嵓を経て日出ヶ岳へと、いわゆる東大台コースを一回りしてから大杉谷へ向かう予定とのことなので、かぶらない道を歩いてみたかった。お天気は上々だけど、昨日までの雨の影響で、登山道の各所に水が溢れている。道自体はフラットで歩きやすいが。こちらにもコケがたくさん。これもセイタカスギゴケかな。コケにとっての花は蒴(ほう)と呼ばれ、その中に胞子体が入っている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時24分=秋田 守
中道を歩いて行くと石の太鼓橋があった。そこは数本の沢が集まっていて、バイケイソウの群落があった。もちろん花にはまだ早い。以前、どこかの山でバイケイソウの花は表年と裏年があると聞いたことがある。群生している花には割合そのような傾向があるような気がするけど、全く根拠はない。白い花が咲く様子を見てみたいと思い、ネットで検索したが、意外と見当たらない。やはりここはシャクナゲか紅葉の時季に訪れる人が多いんだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時26分=秋田 守
こんもりしたコケの小山にミヤマカタバミの半開きの白い花が点々と散っているという、なかなかフォトジェニックな光景に出くわした。こういうの個人的には大好きです。ヒジョーに好ましい眺め。これを肴にして一杯呑める。で、このコケはセイタカスギゴケ、なのか、コセイタカスギゴケなのか、何ともよく分からないのが少々困る。ま、どっちでもいいや、と居直ればそれまでの話ではありますが。でも、本当はちゃんと知りたいのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時29分=秋田 守
これはフジハイゴケ。たかだか数㎝にも満たないものとは思えない。まるで森だな。蒴の形がちょっと細身で、まだこれから胞子が詰まってくるのかなあ。多くのコケは春先にかけて胞子をまくのだそうで、さらに苔には雌雄異株と雌雄同株とがあり、同株だと自家受精するのだそうな。このあたりは仕組みが難しそうだな。自家受粉だと遺伝的にいかがなものかという気もするし。いかん、いかん、ここでしゃがみ込んでるといつまでも前に進めない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 12時37分=秋田 守
イワダレゴケだろうか。これから葉を伸ばしていきそうな気配だった。透き通るような淡い緑色が美しかったことだけは鮮明に覚えている。それにしても苔の世界は底が見えきれないほど奥が深すぎて、これではなかなか嵌まるに嵌まりきれない恐ろしさがあるのではないか。10年ほど前にぼくが嵌まっていった高山植物ぐらいのバリエーションだと、後先のことをあまり考えずにのめり込んで行きやすい。初心者は初心者なりに楽しめるから。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時13分=秋田 守
牛石ヶ原の巨大な神武天皇像。こんな所にどうしてあるのか不思議だった。大台ヶ原山上の駐車場近くにある神道系の大台教会の創立者、古川嵩(かさむ)という人が昭和3年に建立したという。もちろん自動車道などない時代。45トンもの銅像をよくぞ運び上げたものだ。手にした弓の上には道案内役の八咫烏がいる。バスに乗った大和上市駅近くの酒蔵で醸している日本酒は「やたがらす」。ぼくの高校時代の同級生の息子が杜氏を務めている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時21分=秋田 守
大台ヶ原山上にはシャクナゲがたくさん咲き始めていた。ツクシシャクナゲという紀伊半島、四国南部、九州あたりに分布する品種のようだ。花の色は基本的に薄紅紫色だが、まれに白花もあるらしい。全体にはまだ咲き始めたところで、1週間後ぐらいには全山満開となるのではないかという感じだった。そんな中、この木は枝振りも大きく、また他の木に比べて花の開き具合が早く、しかも非常にたくさん花を付けていて、一番見応えがあった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時27分=秋田 守
東大谷コースのハイライトとも言える大蛇嵓(だいじゃぐら)。文字通り、まるで大蛇の頭のように断崖絶壁に突き出した岩の先端からの眺めは絶景。この日、ツアーのお客さんをガイドが案内していたが、高所が苦手な人は根元の所で皆さんが戻るのを待っていた。雨が降ったりすると、つるつる滑りそうな岩だから怖いだろうな。右手には高い位置から落ちる滝が2筋見える。落差250mという中の滝は日本の滝百選にも選ばれているそうだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時30分=秋田 守
大蛇嵓から正面の景色。大峰山系がどかんと左右に連なって見える。中央あたりのとんがった山が釈迦ケ岳。標高1800m、大峯奥駈道のルートでもある。そもそも奥駆道は、正面の屏風のように聳えている山並みをずっとずっと尾根伝いに走っている。荒行中の行者たちは食料とかどうしていたのかしら。Wさんは味噌ぐらいは持っていたかもしれないが、基本は自給自足だろうと言っていた。植物や動物を自力で調達していたのかあ。凄いなあ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時30分=秋田 守
大蛇嵓から南の方を見やれば、もうその先は熊野の国。紀伊半島の中枢部は、めちゃくちゃ濃くて深い場所であることを改めて実感させられる。見えているダム湖は坂本貯水池あたりではないか。とすれば、そこから東へ、すなわち左手へ辿れば、尾鷲まではすぐということだ。まっすぐ南へ向かえば、そこは熊野市ということになる。帰宅後に調べたら、大蛇嵓からまっすぐ南に熊野大社が位置していることが分かって、ほうと思ってしまった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時45分=秋田 守
ツクシシャクナゲの開花状態。花冠は7つに裂けて、雄蘂は14本あるのだそうな。現場で数えてはいないけど。本当は葉っぱの裏も調べなくてはいけない。表面はつるつるだけど、裏面は赤褐色のビロード状の毛が密生していたらしいのだ。あかん、花との付き合い方がまだまだ甘いなあ、反省。九州の豊前市と中津市境にまたがる犬ヶ岳一帯と諫早市多良岳一帯の2ヵ所は、このツクシシャクナゲの群生地として、国の天然記念物に指定されている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 13時46分=秋田 守
大蛇嵓への分岐からシオカラ谷への下り道は、まさにシャクナゲのトンネル。結構急勾配の下り道、あれ、ということは明日はこれを登らなくてはいけないのかと少々憂鬱な気分になった。右にも左にもシャクナゲの花。たまにこのような蕾がある。これが可愛らしいこと。まるで和菓子のようで、かぶりつきたくなる。この一瞬だけ、この状態なんだな、と思うと愛おしさも一際。さすがに食べる訳にはいかないので、せめて写真にパチリと。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 14時08分=秋田 守
200m近くを下りに下って、辿り着いたのがシオカラ谷。なぜシオカラという名前が付いたのだろうか、気になるなあ。渓谷の水が塩辛いとはとても思えないし。でもどこかに岩塩でもあったのかしら。この渓谷は、沢登りをやる人達には人気のようだ。簡単なルートではないようで、その分、やりがいがあるらしい。今は行けないようだが、かつては中の滝を、下から眺めることも出来たようだ。この先の吊り橋を渡ると、今度は登り返しが待っている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 14時19分=秋田 守
ヒメミヤマスミレかなあ。同じフモトスミレの仲間の近似種、トウカイスミレの特徴が見られるようにも思うのだけど。スミレは交配が簡単にできるので、境目のような種は特定することが難しい。ここでは一応、ヒメミヤマスミレとしておきたい。決め手は、雄蘂の先の柱頭が膨らんでいること。トウカイスミレはここが膨らまなく、さらに花弁の地色が薄紫色になるのが特徴。花弁の色でいえば、完全な白色ではないように見えるのが悩ましい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 14時49分=秋田 守
トサノミツバツツジ。葉っぱが3枚の様子がよく分かる。特徴は雄蘂が10本。普通のミツバツツジは5〜7本。岐阜、滋賀、紀伊半島、四国あたりに分布している。場所的には長い登り坂を登り終えて、駐車場の間近。下りのバスに乗って下山する人は、バスの時間が15時半だから、皆さんそろそろ歩き終えて、駐車場付近に戻ってきていた。しかし、今日はずっと良く晴れてくれたもんだ。ありがたかった。明日もどうかこのまま晴れてほしいなあ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 15時20分=秋田 守
15時になったので、心・湯治館にチェックインした。ロビーにはストーブが出してあった。部屋は大部屋。糸の会の皆さんは16時頃タクシーで登ってくるはず。風呂は17時からと言われた。1時間あるなあ、その間にビールを呑もうと思ったが、宿の中に自販機はない。お昼を食べた物産館へ行けばあるだろうと出向いたら、アルコール類は販売していないと言われた。ええ、そりゃないでしょ。しょうがないので、栗入りアズキもなかを食べた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 15時30分=秋田 守
下りのバスは定刻、15時半に出発していった。アイスをかじりながら、物産店前のベンチから見送った。乗っていたのは朝と同じくらい、10名ちょっとかな。しかし、強烈な日差しと濃い青空。まるで真夏のような景色だなあ。カラッとしてるから蒸し暑くはないけど、気をつけないと日焼けはしそう。どうせ地黒だからいいんだけど、年寄りの肌に紫外線はきついからと思って、日焼け止めは塗るようにしている。効き目はあまりないようにも思うが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 17時45分=秋田 守
皆さんが到着されて、大部屋へご案内させてもらった。17時になったらお風呂へ。山の上でお風呂には入れるのは本当にありがたい。風呂上がりに、Wさんと外へ出て、嘘みたいに晴れましたねえと青空を見上げていたら、あまり大型ではない飛行機が西から東へと1機、さほど高空でない高さで飛んでいった。と思ったら、またもや同じあたりを同じような機体が西から東へ飛んでいく。どこの飛行機だろうか。おそらくジェットスターではないか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目・先乗り 17時59分=秋田 守
大台ヶ原ドライブウェイの開通は昭和36年7月。マイカーが庶民にとってはまだ高嶺の花だった時代のこと。全国的に見ても観光地を走る、いわゆるスカイラインなどの先駆けだろう。それまで林業者と一部の宗教者しか立ち入ることがなかった秘境大台ヶ原が、これ以降、手軽な観光地となった画期的な転換点だったはずだ。それにしても夏や秋の多客期には、これだけの駐車スペースではパンクするはずだが、通行規制などはしていないようだ。




大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時24分=稲葉 和平
大阪阿部野橋と吉野を結ぶ近鉄特急“ブルー・シンフォニー「青の交響曲」で大人の旅をどうぞ。

 この車両を見たとき、西武の一編成52席の「旅するレストラン」と同じ概念の特別列車かと思った。外装・内装のデザインは建築家・隈研吾、料金はブランチコースで1万円、ディナーコースは1万5千円(運行は土日祝日で、区間は西武池袋から西武秩父)。

 しかしブルー・シンフォニーは、水曜日を除く毎日運行(阿部野橋発10:10、吉野着11:26)で、料金は普通乗車券970円、特急料金510円、それに特別車両料金210円が加わるだけ、そして食事は軽食として、柿の葉寿司450円、サンドウィッチセット(コーヒー/紅茶付き)680円、ケーキセット1100円。さすが大阪文化圏、実質的だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時24分=伊藤 幸司
これは近鉄の「青の交響曲(シンフォニー)」という列車。「観光特急(Sightseeing Limited Express)」とも書かれています

これについては近鉄に専用の紹介ページ『青の交響曲』があります。
【上質に乗って、奈良の懐へ。
古代ロマンに浸るか。自然と温泉に癒されるか。
世界遺産と出合うか。
飛鳥・洞川・吉野で、どうぞひとつ上の感動を。
まだ見ぬ奈良が、あなたを待っています。】
とのことで、運行スケジュールは鉄道にはめずらしい【水曜日を除く毎日運行】とのこと。関西では一般的なんでしょうかね、水曜定休。
【大阪阿部野橋駅 〜 吉野駅間を1日2往復/計4便運行
第 1 便大阪阿部野橋駅 10:10発 吉野行き
第 2 便吉野駅 12:34発 大阪阿部野橋行き
第 3 便大阪阿部野橋駅 14:10発 吉野行き
第 4 便吉野駅 16:04発 大阪阿部野橋行き】
で、これに乗ると運行料金として720円(特急料金510円+特別車両料金210円)が必要になります……とのこと。要するに特急のプラス210円バージョンらしいのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時25分=伊藤 幸司
この列車は【第 2 便吉野駅 12:34発 大阪阿部野橋行き】なんですね。あと10分後でしょうか、出発は。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時26分=稲葉 和平
「大人旅」を演出する落ち着いた内装。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時26分=伊藤 幸司
外から覗くと、雰囲気はレストラン列車のような豪奢な雰囲気。でも3両編成の中央がラウンジ車両となっていて、バーカウンターと20席のラウンジスペースがある程度とのこと。

ネット情報では
【「青の交響曲(シンフォニー)」では、食の面でも南大阪線・吉野線沿線の魅力をお伝えいたします。地元の名店や酒蔵、ワイナリーのメニューを多く取り揃え、沿線の歴史・文化や自然に加え、豊かな食の魅力を楽しんでいただけます。】
と本格的に見えますが、
【「伊勢志摩サミット」でデザートを担当した「赤崎 哲朗氏」考案 季節のオリジナルケーキセット 1,100円】
【柿の専門いしい 西吉野の柿スイーツセット 650円】
【La peche(ラ・ペッシュ)マカロンセット 680円】
【近鉄ふぁーむ ごちそうトマトシャーベット 350円】
【ゐざさ中谷本舗柿の葉寿司 450円】
【林とうふ店吉野葛入り ごま豆腐 400円】
【地元ワイナリーの国産ぶどうジュース 450円】
【柿の専門いしい柿の葉茶 250円】
【奈良の地酒(大吟醸) 飲み比べセット 各2,000円】
【吉野の地酒 飲み比べセット 御所・葛城の地酒 飲み比べセット 各1,200円】
【スパークリング・リキュール吉野梨 250ml irodori kintetsu 550円】
【梅乃宿 純米大吟醸 1合瓶 オリジナルラベル(吉野杉枡付き) 1,200円】
【橿原神宮御用菓子蘇やねん 橿原 750円】
【柿の専門いしい柿もなか 650円】
【柿酢のしば漬 450円】
など、など。軽食には「柿の葉寿司」と「サンドイッチセット」があるだけみたいです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時29分=伊藤 幸司
近鉄吉野駅の駅前にあるのはこの風景。お土産屋と駐車スペースだけです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時30分=稲葉 和平
観光シーズンは大勢の人が訪れるが、京都と違い吉野は地方の観光地だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時33分=伊藤 幸司
その駅前広場で目を引いたのは「吉野葛」の絵解き看板。

【葛晒す水まで花の雫かな──美しい吉野の水で晒した吉野葛とは──
葛は秋の七草の一つで、野生葛の根より採集した吉野葛は、最高級の澱粉で、古来より、原始食、自然食の元祖である。
吉野葛は、吉野地方において俗界を離れた山伏や修験道者達が、自給自足の糧として、また山間僻地の人達の保存食、飢饉食として、古くは平安時代の頃よりつくられた。古書や文献によれば吉野山脈、金剛葛城山脈に産する葛は山地条件や気候により、最高とされ、現在では自然食の滋養源として、格別に珍重がられている。
吉野山で販売される吉野葛はその名声となり、伝統と品質を守り厳選を重ね厳寒に製造され吉野山並に奈良県の特産土産物産として推奨されているものである。
此のマークが保証する葛をお買い上げください。
吉野葛販売組合 吉野山土産物組合 奈良県吉野葛製造販売協同組合】

無理やり読まされた感じの方もいらしゃるかもしれませんが、私にはこの原稿を書いた人の必死さが見えるような気がしたのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時34分=稲葉 和平
一度乗ってみたいと思うのだが、運行は金、土、日、祝、月。火、水、木は代行バス、とのこと。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時36分=伊藤 幸司
吉野駅を出て駅前広場風の空間を抜けると吉野ロープウェイの千本口駅。乗ってもいいと思っていたのに運休というので、やむなく歩くことになって、おかげでこの、緑のシャワーという気分になりました。

……でロープウェイなんですが、写真を見ながらネットで調べている段階でも、何がなんだかわからないことが……多すぎます。
まず、なんで動いていなかったのかということに関してはそれと関係ありそうな新聞記事がありました。
『産経WEST』に『吉野山ロープウェイ 今月中にも再開見通し(2019.3.9)』という記事です。
【桜の名所として知られる吉野山(奈良県吉野町)で、平成29年4月から運休している「吉野山ロープウェイ」が今月中にも運行を再開する見通しであることが8日、運営会社などへの取材で分かった。ゴンドラの事故のため運休を余儀なくされ、来月で丸2年。まもなく桜のシーズン本番を迎えるだけに、地元や観光客にとって朗報といえそうだ。
同町などによると、桜のシーズンには約30万人の観光客が吉野山を訪れ、約8万人がロープウエーを利用する。だが、一昨年4月下旬にゴンドラが駅施設に接触する事故が発生。ロープウエーは以来、運休が続いている。】

でも吉野大峯ケーブルは『吉野山観光協会』のホームページでは次のように書かれています。
【吉野大峯ケーブル──桜の名所、吉野山と歩み、80年以上の弊社です。
現存する日本最古のロープウェイとして機械遺産にも登録されました。
吉野山内を運行する路線バスと共に奈良県中南和の観光をスムーズにカバーできる貸切バスも同時に営業しており、ロープウェイ事業とバス事業の二段構えで輸送の安全性と利便性を追求しています。】

えっ? 「ケーブル」という名の会社の「ロープウェイ」?
そこで『吉野大峯ケーブル自動車株式会社』を開いてみると『運行状況2019.5.5』に『バスの運行とロープウェイ運行について』がありました。
それによると、なんと【ロープウェイ運行については、5月7日から 金・土・日・祝・月のみ ロープウェイ/火・水・木のみ ケーブル代行バス となります。】とのこと。

言い訳がましくなりますが、その「火・水・木のみ ケーブル代行バス」というところまで事前にたどり着けなかったのには、どの名称が私たちが利用するかもしれないロープウェイなのか判然としないところにありました。「ロープウェイ」と「ケーブル」は私などは細心の注意を払って区別する存在なので、情報を探しているときには最後まで混乱が残りました。

『ウィキペディア』で『吉野ロープウェイ』を見ると次のように書いてあります。
【吉野ロープウェイ(よしのロープウェイ)は、吉野大峯ケーブル自動車が運営する索道(ロープウェイ)である。現存する日本最古の索道路線でもある。正式名称は吉野山旅客索道で、吉野山ロープウェイともいう。】

続いて結構重要なことが書かれているので、長くなるのを恐れずに紹介してしまいます。
【概要──近鉄吉野線の前身である吉野鉄道が吉野駅までを開業させた翌年、内田政男と地元の有志が1929年(昭和4年)3月12日に千本口 - 吉野山間を開通させた。
搬器や鋼索などは更新されているが、支柱は1928年(昭和3年)に建築されたものをそのまま使用している。その方式もRA型ロックドレールロープ式と、今となっては懐古的なものが更新されずに残っている。戦時中に不要不急線として金属供出の対象となり廃止撤去された旅客索道は多いが、吉野山に住む住民用であるとともに、如意輪寺にある後醍醐天皇塔尾陵参拝の足でもあったことが、休廃止の対象を免れ架設当時の施設をそのまま残す要因となった。
「当時のわが国の材料力学、金属材料技術の優秀さを示す証といえる」ことから日本機械学会により2012年度の機械遺産に認定された。
なお、吉野山の住民の足でもあるため、定期乗車券が販売される。ただし運行時間は短い。
2017年4月28日、ゴンドラが駅施設に接触する事故が発生し、工事のため運休・バス代行が続いている。当初は、接触で破損した駅施設や滑車のフレームなどの損傷部分の修繕で終わる見込みであったが、ワイヤロープやゴンドラの走行輪の摩耗などが見つかり工事期間が延びた。復旧は、乗客が増えるサクラの開花時期に間に合わず、2018年の夏ごろになる見込みであったが、同年7月には資金難から運行再開のめどがたたないことが明らかとなった。
2019年3月23日、桜のシーズンを前に約2年ぶりに運転を再開する。同時に運賃を改定し、メンテナンス費用に充てることになった。】

私たちは運休中のロープウェイの脇道を登っていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時41分=山咲 野の香
吉野山登り始め、下千本の舗装路脇、桜並木の下草。
ガイドブックによれば、役行者がここで修業した時に蔵王権現姿を桜の木に刻み、修行者の守り本尊としたと伝えられる。以来、吉野山では桜を神木として保護してきたとか。
桜のみならず、下草まで清浄な趣。豊かに照り輝いていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時43分=伊藤 幸司
吉野ロープウェイのあたりはいわゆる「下千本桜」の領域。3月末〜4月中旬がこのあたりの見頃のようですが、桜の名所ではどこもカエデ類を植えて秋の紅葉にも客を呼び込もうとしているのがふつうですね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時46分=山咲 野の香
久しぶりに出会ったカタツムリ。吉野のせいか⁉︎清潔感がある。いい湿り具合の後のお散歩かしら?生きものとの出会いがあり、それが写真に撮れた時、相手が何だろうとうれしいかな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時47分=山咲 野の香
出がけの雨傘も日傘に変わり、のんびりと。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時50分=山咲 野の香
オカタツナミソウ?
これは横長にして見て頂きたいけど。何気ない花も、豊かな緑に埋もれてると特別な感じ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 12時55分=山咲 野の香
吉野のタヌキというのもいるらしくて。白いシャクナゲの下、紅葉の店番。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時25分=山咲 野の香
ピンクのユキノシタ。花のアップを撮るべきでした。
美しい造形と色彩。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時26分=伊藤 幸司
吉野大峯ケーブル自動車が運行する「ケーブル代行バス」は「ケーブル千本口駅」から「ケーブル吉野山駅」のロープウェイ代行に加えて奥千本口まで、おおよそ1時間に1本走っているようです。でも私はこのとき「ケーブル吉野山駅」バス停とロープウェイの「吉野山駅」との間にはなにか大きな違いが隠されているという疑いを捨てきれていませんでした。バスはこの道を「奥千本口ケーブルバス乗場」へと向かうのですが、私たちは吉野山駅のところにある食堂で腹を満たした後、まずは黒門に向かって歩いているところです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時27分=伊藤 幸司
閑散とした参道では食事のできる店など一軒もないんじゃないかと思って最初の食堂に飛び込んでしまいましたが、さすがに天下の吉野山、閑散期の平日でも門戸は開いているとわかりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時28分=稲葉 和平
下千本を上っていくと金峯山寺の銅鳥居(金の鳥居)が見えてきた。俗界と浄域との結界。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時29分=伊藤 幸司
黒門を過ぎて、これが銅(かね)の鳥居。国の重要文化財だそうです。案内板によると創立年代不詳ながら【太平記などの文献に正平3(1348)年の兵乱で焼亡したとの記述があり、その後再建されたものと考えられる。宝永3(1706)年の火災に類焼し、真木を焼いたが正徳元(1711)年に再興されたことが記録されており、銅製の鳥居としては現存最古のものである。】とのこと。

【この鳥居は、俗界と浄域との結界であり、仏道修行を発心するところ、菩提心をおこすところとされる。修行者たちは、ここで俗界を離れて修行を行う心を奮い立たせることになる。また山上ヶ岳(大峯山)にある山上蔵王堂までの間にある発心門・修行門・等覚門、妙覚門と続く金峯山四門の第一門であり、宮島の木の鳥居、天王寺の石の鳥居と並んで日本三鳥居の一つとされる。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時29分=伊藤 幸司
銅の鳥居の【柱底に珠文帯と蓮弁を鋳出しており、石の座の上に立ち】と案内板にある部分です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時30分=稲葉 和平
「発心門」。大峰山の山上蔵王堂に至る間の4つの門(発心門、修行門、等覚門、妙覚門)の最初の門。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時30分=伊藤 幸司
柿の葉寿司の店。やってますね。『吉野山観光協会』の『吉野の飲食店』をネット上の窓口としているようですが『ひょうたろう』がありました。
【柿の葉すし製造販売店です。月曜日は定休日。当店の商品(柿の葉すし)は「2日目がおいしい」とのキャッチフレーズで吉野のお土産物として店頭販売・地方発送をしております。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時31分=稲葉 和平
下千本の柿の葉寿司の製造販売の老舗のようだ。柿の葉寿司は二日目がおいしいらしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時33分=山咲 野の香
残念ながら修復中の金峯山寺仁王門。ここまで、桜の季節でない吉野は、ほぼガラガラ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時33分=伊藤 幸司
正面に金峯山寺の仁王門が見えてきました。国宝なんですね。でも観光協会の「吉野山みてあるき」地図では「国宝」に代わって「世界遺産」マークがつけられています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時34分=稲葉 和平
立派な金峯山寺の仁王門、大修理の最中でちょっと残念。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時38分=稲葉 和平
金峯山寺本堂(蔵王堂)。この中に有名な青い仏像(金剛蔵王権現)が収められていて、春と秋に特別公開される。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時38分=山咲 野の香
金峯山寺蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。どおりで収まりきらないはずです。1300年の歴史あるこの寺は修験者の信仰の中心の場。
また、義経と別れた身重の静御前は、この寺で追手に捕まり鎌倉に連行されたと言う。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時38分=伊藤 幸司
金峯山寺蔵王堂。本堂にあたる建物だと思います。
『吉野山観光協会』の『金峯山寺蔵王堂』には次のように書かれています。
【金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ひわだぶき)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよびます。】

『金峯山寺』のホームページを見ると『三日ぼうず体験 お申込書チラシ.pdf』というのがありました。
【金峯山青年僧の会主催
金峯山青少年研修「正力松太郎賞受賞」
第19回「三日ぼうず体験」参加者募集!!
普段とは違う、お子さんの新しい一面を見てみませんか?
当研修会は親子で参加できます。
日時──令和元年8月10日(土)午後1時集合〜12日(月)午後1時解散予定 2泊3日(朝食2、昼食2、夕食2)
集合場所──吉野山 東南院(宿舎及び会場となります)
参加費──大人15,000円、子供10,000円
研修内容──僧侶とともに作務や勤行などの体験や、吉野の自然にふれあいながら、川遊びにバーベキューなど盛りだくさんの研修です。
対象者──小中高生とその保護者。募集は子供30名、保護者同伴を原則とします。ただし小学生高学年からは1人での参加も可。その他の年齢については、ご相談に応じます。
お問い合わせ──金峯山寺内 金峯山寺青年僧の会 三日ぼうず体験係】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時39分=伊藤 幸司
私はどこかで勘違いしていて、高野山の金剛峯寺との関連を視野の中に入れていたのですが、ここで金峯山寺が独自の文化圏にあると感じました。「お線香 3本30円」というお誘い。私はもちろん、みなさんお線香をあげました。登山前の寺院では初めてのことだったように思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時41分=伊藤 幸司
鎖樋の末端に大きな雨鉢がありました。子どもが見上げているので実際以上に巨大なものに見えてしまいましたが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時42分=山咲 野の香
お線香三本三十円がうけてしまって、皆それぞれに支払ってお参りする。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時44分=山咲 野の香
ユニークなネーミングの守り神。頭病平癒はボケ防止とした方が、個人的にはありがたみ増すかな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時50分=山咲 野の香
後ろ姿は絶対役行者!と自信があった。が、ハズレ。わからんもんです…

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時54分=山咲 野の香
下千本で出会ったカタツムリ⁉︎まさか早回りされようとは。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時55分=山咲 野の香
シカフンが主食のオオセンチコガネ。別名ルリセンチコガネというとおり、美しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時57分=山咲 野の香
不精せず、看板でもきちんと正面から撮るべきでした。
青の蔵王大権現。救済というより、もっと踏んで叱って…という気分になったのを思い出しました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 13時59分=山咲 野の香
だいぶ離れてようやく収まる。高さ30m。見事な甍です。次回は青の大権現に再会したい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時00分=伊藤 幸司
金峯山寺蔵王堂からさらに進むと、このあたりからが参道の中心という感じになりました。桜の季節にはものすごい人波になるのだそうです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時04分=山咲 野の香
真っ白な暖簾。対照的な上のボロシーツ風?のものはアーケードの屋根に変身するようだ。何の老舗か。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時04分=伊藤 幸司
この不思議な布づかい。自分では回答が見つかりませんでしたが、他の店でもやっているところがあって、道路をこの布で覆ってアーケードにしてしまうとのこと。シャッター通りなっている多くの商店街が傘をささずに歩けるアーケード街に生まれ変るいい方法ではないかと思いました。同時に、プロジェクションマッピングなどで夜の賑わいも……。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時11分=伊藤 幸司
近鉄吉野駅でのタクシーとも待ち合わせは午後3時。残り1時間となったので勝手神社のところの分岐で引き返すことにしました。今回はあまり実りのない「腹ごなし散歩」だったかもしれません。ここでみなさん、葛もちアイス(400円)を注文しました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時12分=山咲 野の香
葛餅アイス400円、食べ歩く。できたての生ぬるいくず餅と冷たいアイス。絶妙でした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 14時17分=伊藤 幸司
最近東京では物議を醸すことの多い食べな歩きですが、やっぱり楽しい……気分になります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時25分=伊藤 幸司
近鉄吉野駅からタクシーに乗って約1時間半。大台ヶ原の「心・湯治館」に着きました。先行していた秋田さんが苔探勝路で4種類のコケを見たというので、あわててひと回り。コケよりも私は鹿よけのゲートを見てよかった。首都圏でもこういう仕掛けを見た記憶がありますが、これは自信をもってつくっていますね。シカさんたちは蹄が引っかかって歩けないのか、歩きたくないのか、開閉式の扉よりずっと賢いように思われます(あくまでも素人考えですけれど)。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時30分=伊藤 幸司
わざわざ「苔探勝路」と名付けられているだけに “ものすごい” コケワールドかと思ったら、じつはそれほどでもありませんでした。でもそれぞれの緑に目を近づけていけば、そこにはコケワールドがありました。
先乗りした秋田さんによるとビジターセンターには4種類のコケの名前があったということですが、私にはわかりません。帰ってからネットで調べてみたのですがビジターセンターにも見つからず、コケを楽しんだという方々のレポートでも「コケ」以上のものは見つからず、なんともイライラしてしまいました。

そうするうちに『近畿の地衣類:「木毛」ウォッチングのための手引き 中級編』(2009年・山本良和・三恵社)という本があることがわかりました。本は入手が難しいようですが、その一部がブックレビューとして出ていました。
私に必要な情報かどうかわかりませんが「大台ヶ原」のコケを一覧できるので、いくぶん力仕事になりそうですが、引用させていただきます。
◎コゲボジゴケ科
*コゲボシゴケ属──コゲボシゴケ
◎ヘリトリゴケ科
*ヘリトリゴケ属──ヘリゴケ
◎ハナゴケ科
*ハナゴケ属──ハナゴケ、マタゴケ、ウロコハナゴケ、ヤリノホゴケ、キツネゴケ、メロジョウゴゴケ、コアカミゴケモドキ
*カムリゴケ属──カムリゴケ
◎キゴケ科
*キゴケ属──オオキゴケ、キゴケ
◎イボゴケ科
*クロイボゴケ属──クロイボゴケモドキ
◎チャシブゴケ科
*チャシブゴケ属──モエギチャシブゴケ(仮称)
◎チャザクロゴケ科
*チャザクロゴケ属──チャザクロゴケ
◎クロアカゴケ科
*クロアカゴケ属──クロアカゴケ
◎ウメノキゴケ科
*サルオガセ属──ヨコワサルオガセ
*バンダイキノリ属──バンダイキノリ
*アンチゴケ属──アンチゴケ、サボテンアンチゴケ、アンチゴケモドキ、セスジアンチゴケ
*センシゴケ属──センシゴケ、フクレセンシゴケ
*フクロゴケ属──ヤマトフクロゴケ、フクロゴケモドキ、コナリボンダケ
*キウメノキゴケ属──キウメノキゴケ
*カラクサゴケ属──コウマカラクサゴケ、オオナメラカラクサゴケ、モンシロゴケ、ヒモウメノキゴケ、チヂレヒモウメノキゴケ
*ゴンゲンゴケ属──タカハシウメノキゴケ
*ウチキウメノキゴケ属──ウチキウメノキゴケ、チョロギウメノキゴケ
*アワビゴケ属──アワビゴケ
*ウスカワゴケ属──トガシアワビゴケ
*トコブシゴケ属──トコブシゴケ、チヂレトコブシゴケ
◎カラタチゴケ科
*カラタチゴケ属──カラタチゴケ
◎ムカデゴケ科
*ヒメゲジゲジゴケ属──ヒメゲジゲジゴケ、トゲヒメゲジゲジゴケ
*ゲジゲジゴケ属──チヂレウラジロゲジゲジゴケ、クロアシゲジゲジゴケ、キウラゲジゲジゴケモドキ、ニセキウラゲジゲジゴケ
*クロウラムカデゴケ属──クロウラムカデゴケ
◎サンゴゴケ科
*ヒラサンゴゴケ属──ヒラサンゴゴケ、タイワンサンゴゴケ
◎イワノリ科
*イワノリ属──トゲカワホリゴケ
*アオキノリ属──コバノアオキノリ、アオキノリ
◎カワラゴケ科
カワラゴケ属──コナカワラゴケ、チヂレバカワラゴケ、カワラゴケ
◎センニンゴケ科
*センニンゴケ属──ヒメセンニンゴケ
*アオシモゴケ属──アオシモゴケ
◎ハナビラゴケ科
*ハナビラゴケ属──テツイロハナビラゴケ、コフキハナビラゴケ
*ヒメハナビラゴケ属──ヒメハナビラゴケ
◎サビイボゴケ科
*サビイボゴケ属──サビイボゴケ、オオサビイボゴケ
◎カブトゴケ科
*カブトゴケ属──ヘラガタカブトゴケ、ナメラカブトゴケ、ヤマトエビラゴケ、ウラグロエビラゴケ、チヂレカブトゴケモドキ、アイイロカブトゴケ、カブトゴケモドキ
*キンブチゴケ属──ニセキンブチゴケ
*ヨロイゴケ属──テリハヨロイゴケ
◎ウラミゴケ科
*ウラミゴケ属──ウチキウラミゴケ
◎ツメゴケ科
*ツメゴケ属──モミジツメゴケ、チヂレツメゴケ、ウスツメゴケ
◎クロサビゴケ科
*ケクズゴケ属──ケクズゴケ
◎トリハダゴケ科
*ニクイボゴケ属──クサビラゴケ、アカギニクイボゴケ、ヤスダニクイボゴケ、ヒメニクイボゴケ
*トリハダゴケ属──オオトリハダゴケ、オオカノコダケ
◎サネゴケ科
*サネゴケ属──サネゴケ
◎マメゴケ科
*モツレサネゴケ属──ブナノモツレサネゴケ
◎モジゴケ科
*モジゴケ属──セスジモジゴケ、クロモジゴケ
*スジモジゴケ属──スジモジゴケ、オオスジモジゴケ
*へリトリモジゴケ属──へリトリモジゴケ
*クロミモジゴケ属──コフキモジゴケ
◎アナツブゴケ科
*アナツブゴケ属──アナツブゴケ
……以上、みたいです。いざとなったら、グーグルの画像検索で似たものを探してみるという方法がある……かもしれません。よほど気になった場合ですけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時30分=伊藤 幸司
コケの上を這い登っているのは、ツルウメモドキかもしれません。赤橙色の実をつけた雰囲気とはだいぶ違うのですが『まるごと玉川上水ブログ』に『つる性植物攻略』に7枚の葉を一覧できる写真が載っていました。
【つる性の植物があまり得意ではありません。といっても、今まで葉だけで判別しようとしてこなかったために苦手なだけで、難易度的にはそれほど難しくないはず。それぞれの葉に分かりやすい特徴があります。】
ということで、これに似た丸い葉の写真に
【ツルウメモドキ・・・ニシキギ科。鋸歯がある。互生。つる性ではあまり似た葉はないはず。】
という解説がありました。

【あまり似た葉はないはず】というコトバに惹かれて『松江の花図鑑』で『ツルウメモドキ』を見てみると、【葉は互生。葉身は長さ4〜10cm、幅2〜8cmの楕円形または倒卵形。縁には浅い鋸歯がある。】というのに加えて【本年枝は黄緑色で無毛。しだいに赤褐色になる。】とありました。

コケとツル、そしてその「ふたり」を支えているのがここでは巨木なんですが、この写真ではその姿はほとんど見えません。
でもその「ふたり」とも、木に寄りかかり、覆いかぶさっているけれど、巨木のスネをかじって生きているわけではないのです。コケの根は「仮根」といって木や岩に体を保持するだけのもの。日光を浴びて光合成をして、水分は雨や霧から直接体に取り込んでいるといいます。ツル植物は他人の体をよじ登って太陽光を奪いとる光のギャング、木の側からすれば犯罪者かもしれませんが本人は正当な生存競争を主張するのではないでしょうか。密かなるドラマ、だと感じます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時31分=伊藤 幸司
苔探勝路といいながら、正直コケが主役を張っているとはいえません。大台ヶ原ではニホンジカによる食害が風景を一変させたそうですから、ここにもそういう影響が広がっているのかもしれません。

『www.jstage.jst.go.jp』というURLですから『国立研究開発法人・科学技術振興機構』のデータベースにある論文なのでしょう。『大台ケ原における防鹿柵の設置が植生に及ぼす影響』というタイトルで『PA119』という1ページがpdf文書として読めるだけです。
【大台ケ原における防鹿柵の設置が植生に及ぼす影響
○クマール シャリニ(名大院生命農)・武田明正(三重大生物資源)・柴田叡弌(名大院生命農)
■はじめに
紀伊半島南東部に位置する大台ケ原には、日本における分布の南限となるトウヒ(Picea jezoensis var.hondoensis)林と西日本最大規模のブナ(Fagus crenata)林が存在している。近年,大台ケ原においてトウヒ林を中心とする針葉樹林でニホンジカ(Cervus nippon、以下シカと略す)による樹幹剥皮(debarking)と実生,稚樹の採食(browsing)のため森林の更新が危ぶまれている。シカの被害対策の方法として、シカの侵入を阻止する「防鹿柵」が設置されている。防鹿柵の設置についての長期の効果を把握することは、シカの実生と稚樹に対する Browsing の影響と将来の後継樹の更新を知るうえで重要である。本研究では、大台ケ原において13年前に設置された防鹿柵の柵内と柵外の、また柵内と過去の植生の違いを比較し、防鹿柵の設置が植生に及ぼす影響を調査した。
■材料と方法
調査地の概要:奈良県大台ケ原山のコケ探勝路で調査した。標高1606.5mのピークから東西に走る緩傾斜面に調査区を設置した。長さ100m、幅4mの調査区のうち、東側192平方mは防鹿柵内(以下、柵内)、西側208平方mは防鹿柵外(以下、柵外)となっている。
シカの糞粒数調査:2004年6月、7月、9月、10月および11月に、調査区において固定円形プロット(半径1.8m、面積約10平方m)を一直線上に10m間隔で10個(柵内4個、柵外6個)設置した。そしてプロット内のシカの糞塊数と糞粒数を数え、取り除いた。
実生稚樹の発生状況と林床の動態:2004年7月から11月にかけて胸高以下(h≤1.2m)の実生、稚樹の個体について毎木調査を行い、樹種、位置、地際直径、樹高を測定した。防鹿柵の内外における実生の樹種数、出現本数および樹高を比較した。また、同様に柵内の結果と1991年の調査結果を比較した。
■結果と考察
シカの糞粒数調査からシカは柵内を利用していないことが明らかになった。そして実生の出現樹種数は柵内(16種)が柵外(11種)よりも多いことが明らかになった。これは柵外ではシカによる browsingの影響が大きいことを示している。また、柵内と1991年(16種)では出現樹種数に変化はなかった。
実生のヘクタールあたりの出現本数は柵内(40364本/ha)が柵外(25144本/ha)の約1.6倍となり、また1991年(12125本/ha)の調査よりも約3倍多いことが明らかになった。このことは防鹿柵があるとシカによる採食が行われないため後継樹が増え、更新したものと思われる。柵内において,実生と稚樹の平均樹高(34.1cm)が、柵外(4.5cm)や1991年(5.6cm)よりも高いことから、樹高の高い実生と稚樹が生育していることがわかった。このように柵内では、シカの生息する柵外よりも顕著な後継樹の生長傾向が認められ、また、柵の設置後13年経過すると、柵内での実生と稚樹の生長が大きくなるといえる。以上の結果から、防鹿柵の設置から13年間経過した後、実生と稚樹は、個体数,樹高ともに増加しており、防鹿柵の効果があるといえよう。】
これは2004年の調査の報告のようで、その「柵内」と「柵外」そして「13年前、すなわちシカ柵を設置した1991年)のデータを比較しているようです。

結果としてシカ柵を設置せざるを得なかった1991年に対してトウヒなどの高木の実生(発芽苗)は約3倍となり、調査時の柵外に対しても約1.6倍となっていることが明らかになった……とのこと。
シカの食害が起こる前の本来の樹林の姿に戻っているかどうかについては明らかでないものの「着実に回復してきた」ということなので、それからすでに15年経っているので、あとは細い木が年輪を重ねていく段階に入ったと見ていいのではないかと感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時33分=伊藤 幸司
カタバミがありました。『環境省』の『吉野熊野国立公園・大台ヶ原』の『大台ヶ原とは』に『植物』という解説ペーがありました。
【大台ヶ原は近畿地方では希少な亜高山性針葉樹林や冷温帯性広葉樹林がまとまって分布する地域です。また、日本有数の多雨地帯であり、湿潤で冷涼な気候が特徴で、冷温帯性植物、着生植物、岩崖性植物が豊富であり、北方系の遺存植物や山岳性の植物が多いことも特徴です。これまでにコケ類を含め、190科1310種が記録されています。】

ここに、コミヤマカタバミがありました。
【深山の針葉樹林内に生える多年草。葉はハート型で先の部分が中脈に向かってへこんでいます。6〜8月頃に、白色または淡紅色の花をつけます。】
ちなみにミヤマカタバミとどう違うかについて『花の日記 山歩(さんぽ)のときに出会った小さな花たちの記録』というブログに『コミヤマカタバミ ミヤマカタバミ』(5 11 2011)がありました。
【コミヤマカタバミは、4〜6月が花期。まだちょっと早いかなと思ったけど草の中にかくれるように咲いていました。
何度も通り過ぎた場所なのに、全然気がつかなかった、上手にかくれんぼ。
草丈5cmくらいの小さなコミヤマカタバミでした。
越冬葉は小さく、目立たなくて、カタバミより丸いハート形です。
花友さんに教えてもらって出会ったコミヤマカタバミ
咲いてると思っていなかったので、感激
そおっと光を当ててやると。。。今日咲いたばかりなのかしら、パールに輝いています。
黄色い蜜標と紫のラインがきれい。
ここのは小さくて小さくて可愛くて・・・今年のお気に入りベスト10に入ること間違いなし】

【2012/06/01
ここでは花を見ていないのですが、コミヤマカタバミだろうと思います。
葉っぱだけでも可愛いですね ^m^
丸い果実ができていました。
カタバミみたいに触ったら弾けるのかしら? 近くにないから確認できそうにありません。】

【ミヤマカタバミの花期は3〜6月。一足先に咲いていました。
ちょっと角ばった大きな越冬葉が目立ちます。
コミヤマカタバミに比べると、大きくてがっしりしています。
でも、白くてふんわりした花はきれいですね。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時34分=伊藤 幸司
シカ柵に入ったのが17時25分でしたから、10分ほどで出口です。やっぱりシカ柵の出入り口はこういう方法が賢いと感じます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時34分=伊藤 幸司
シカ柵をでたところにスギゴケでしょうか、びっしりと生えたところがありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時34分=伊藤 幸司
白髪交じりのスギゴケみたいなところに目を近づけてみると、雰囲気がガラリと変わりました。

なんとか詳しい情報がないかと探していると、『ナチュラリストへのすゝめ 吉野・大峰フィールドノート』に『大台の自然観察ノート』というのがあって『大台ヶ原のコケ図鑑』がありました。
著者の「くりんと」さん(Masahiro Higashibayashiという署名がありました)は奈良県自然公園指導員で環境省大台ヶ原地区パークボランティアの会、奈良森林インストラクター会などに所属しているそうですが【西日本を中心に100以上のステージを演じてきた】ロックグループのヴォーカル&アコギだそうですから我がグループの秋田さんと似た複雑な人生を歩いてきた人のようです。

さて大台ヶ原のコケ図鑑(「大台ケ原」というようにケが大きいのですが「大台ヶ原図鑑」のような見出しもあるので意図的で厳密な使用法とは思われないので小書きのケとさせていただきます)には次のように書かれています。
【「トウヒやウラジロモミの鬱蒼とした森に苔むした林床」こそが、かつての大台ヶ原を象徴する風景であった。大台ヶ原には約600種以上のコケが見られ、屋久島のそれを上回るとも言われている。しかし、昭和30年代に始まった森林の衰退は加速の一途をたどり、ニホンジカの増加と共に、現在、正木峠一帯の林床はミヤコザサの草原と化している。「苔道」と命名された駐車場周辺の周回コースも、その名は過去の話。やはり、陽光の好きなミヤコザサが優先種となっている。 とはいうものの、注意深く見て歩けば、大台ヶ原はやはりコケの宝庫。では、簡単にコケの勉強のおさらいをすることにしよう。

コケの定義
 ○ 光合成をおこなう。
 ○ 維管束(水分や養分を運搬するパイプ)がない。
 ○ (着生するため器官はあるが、)根はない。
 ○ (水分を介在にして、)胞子で増える。
コケの種類
 ○ 蘚類(せんるい) : スギゴケ、ミズゴケ
 ○ 苔類(たいるい) : ゼニゴケ、ジャゴケ
 ○ ツノゴケ類    : ニワツノゴケ、ツノゴケモドキ
日常用語で「苔」といった場合は、コケに加えて地衣類もさすが、生物学的には「蘚類」「苔類」「ツノゴケ類」の総称をいう。「蘚類」の多くが双子葉植物の茎と葉を小さくしたような形「茎葉体(けいようたい)」であるのに対して、「苔類」はそのような区別のない「葉状体(ようじょうたい)」である。園芸資材としてのミズゴケは、オオシズゴケとホソバオキナゴケに大別されるが、オオシズゴケは自然公園法で保護されるべき指定植物であり、市販されているミズゴケはすべて輸入品であると信じたい。

<林床・岩上腐植土>
■セイタカスギゴケ
①スギゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。明るいところが好きで、大台ではイワダレゴケに代わって増えてきた。とはいうものの、西日本では大台・大峰・高野山・氷ノ山などでしかで見られない珍しいコケ。
■コセイタカスギゴケ
①スギゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。セイタカスギゴケと隣接して見られることが多く、見分け方は「見た目」。詳細には顕微鏡が必要となってくるのですが、慣れれば「見た目」がさえてくる。
■フウリンゴケ
①スギゴケ科(蘚類)②上道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。登山道の法面などで、上からセイタカスギゴケ、その下にコセイタカスギゴケ、そして一番下にフウリンゴケと3種セットで見られることが多い。
■イワダレゴケ
①イワダレゴケ科(蘚類)②上道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。暗いところが好きで、かつての大台はトウヒやウラジロモミの下の薄暗い林床に、このコケが何十センチもの層をなして覆われていたと想像される。このコケの這う森を再び取り戻したい。
■ヨシナガムチゴケ
①ムチゴケ科(苔類)②苔道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。林床や樹幹に着床するが、大台において蘚類が多い中、このコケは珍しく苔類。 
■エゾスナゴケ
①ギボウシゴケ科(蘚類)②駐車場(2011.7.16.)
③乾燥などの過酷な条件にも適応する。写真のコケは、駐車場周辺の石垣に見られたが、直射日光のあたる時間帯は巻いていたが、霧吹きをかけると写真のように開いた。
<腐倒木・腐植土>
■ミヤマクサゴケ
①ナガハシゴケ科(蘚類)②上道(2011.7.16.)
③亜高山帯性。大台では、シカの増えすぎやミヤコザサの繁茂によって、トウヒやウラジロモミの世代更新がなかなか進まない。
そんな中、倒木の上のミヤマクサゴケだけがなぜか、トウヒなどの実生マットとなっていることに注目したい。その理由の1つとして、水持ちのよいコケであることがあげられる。
■イトハイゴケ
①ハイゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③最も乾燥化に強いコケだが、ち密なせいかトウヒなどの種が着床しにくく、ここ大台では実生マットと成り得ていない。
■フジハイゴケ
①ハイゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③山地の腐植土や腐倒木の上に生える。
<樹幹>
■リスゴケ
①イタチゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③ブナ帯に見られ、先端はリスの尻尾のように弓上にとがっている。
■イタチゴケ
①イタチゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③弓上に跳ね上がった形態はリスゴケとよく似ているが、こちらは1本1本が長い。
■ミヤマシッポゴケ
①シッポゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③動物の毛並みのような質感が特徴である。低地〜亜高山帯に分布する。
■トラノオゴケ
①トラノオゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③ルーペなどでよく観察すると小さな鱗状の裂片が行儀よく並んで、1つ1つが光っている。慣れればこれが特徴となって、判別しやすい。
■ヒムロゴケ
①ヒムロゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③樹幹に着床しているため、乾燥すると写真のようにくるくると巻き上がっているが、水分を含む鳥のフェザーのように伸びる。
■カラフトキンモウゴケ
①タチヒダゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③写真はブナの樹幹だが、地衣類(白い部分)は何かしらのアレロパシー物質を分泌して、カラフトキンモウゴケの侵略を阻んでいると考えられる。
■イワイトゴケ
①シノブゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③乾燥のせいか、写真のものは糸状に這っているが、水分を含むと広がる。タンナサワフタギに着床しているものは 、なぜかこのコケしか見られないので、逆に同定の手掛かりとなる。
<沢>
■ウマスギゴケ
①スギゴケ科(蘚類)②苔道(2011.7.16.)
③日本各地の低地にも見られるため、庭園などにも利用される。
■ムラサキシメリゴケ
①ヤナギゴケ科(蘚類)②
③四国のものを除き、大台のものは分布のほぼ南限だと聞く。日本で5〜6か所しか生息しない珍しいコケ。
<備考※コケではない植物>
■トウゲシバ
①ヒカゲノカズラ科(シダ植物)②苔道(2011.7.16.)
③最初は、これをセイタカスギゴケと見間違っていたが、実際にもセイタカスギゴケやコセイタカスギゴケの中に混じって見られる。大台では、しばしば円陣を組んだような並びで目立つが、シダ植物である。
■センシゴケ
①ウメノキゴケ科(地衣類)②駐車場(2011.7.16.)
③名前はコケだが地衣類で、樹幹に着生する。ゴム状の本体はキノコのようなものだが、ブナから栄養分をもらっているわけではない。体内に藻類を寄生させ、その光合成によって得た養分を分けてもらう。緑色に見えるのはその藻類で葉緑体の色。地衣体の裂片の中央部には円形の小さな孔(あな)が散在する。】

……で、結局これがなんというコケなのかというと、たぶんセイタカスギゴケと、期待を込めてミヤマシッポゴケ?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時34分=伊藤 幸司
右半分と左半分と、同じコケなのかどうかもわからないのですが、微妙に表情がちがうようにも思えます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時35分=伊藤 幸司
本当にミヤマシッポゴケなのかどうかまったく自信がありません。赤いものがなんなのかもわかりませんが、コケの大地を見下ろしている気分になりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時46分=稲葉 和平
オオカメノキ。大台ケ原に着いて宿の周囲を見回したが、このオオカメノキくらしか花が見当たらなかった。葉も花も小ぶりだがフレッシュ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時51分=稲葉 和平
マムシグサ(サトイモ科)。テンナンショウの仲間。筒の中の棍棒状の付属体の色がこんな風に仏炎笣と同じ濃い色になることに初めて気が付いた。

 このテンナンショウの仲間はサトイモ科で、サトイモという名称からは食べられそうな印象を受けるが、猛毒らしい。口に含んだだけで口の中の細胞の一つずつに針を突き刺されるほどの鋭い痛み、という話もあるから強烈だ。もっとも、あの真っ赤な実を見れば、とても食べられるという感じはしないけれど。

 また、テンナンショウは雌雄異株、成長の過程で雄になったり雌になったり、性転換するなど、興味深い特性を持っている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時51分=稲葉 和平
ヤマトリカブト、かな?。ここまで大きくなればニリンソウと間違って食べることはない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 17時56分=稲葉 和平
田中陽希のサイン。有名人になって色紙も手慣れたものだ。絵もかなり上手。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時04分=秋田 守
心・湯治館の夕食。期待以上のメニューだった。アマゴの塩焼き、ヒジキ、煮物、胡麻豆腐、コンニャクの味噌田楽、茶碗蒸しの中身のようなおかず、味噌汁代わりに野生イノシシの鍋。アマゴは焼き立てで温かかったし、イノシシ肉はきちんと脂身が美味しかったし、なかなか上等だと思った。お酒を飲まない方々はご飯を食べていらっしゃる。ぼくとWさんは、まずは缶ビールで乾杯。やっと呑むことが出来たビールはとても美味しかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時07分=伊藤 幸司
宿の夕食。駐車場の前の宿ですから、山上の宿とはいえ電気もあれば風呂もあり。学校行事のような大人数にも対応できる宿らしく、私たちは大部屋をゆったり独占。ただ最後まで「心・湯治館」という名の「心」と「湯治」の関係を知ることはできませんでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時07分=伊藤 幸司
鍋はイノシシ肉だったかと思います。ほとんど忘れましたが、最初に「うまい」と感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時13分=秋田 守
缶ビールを呑んだ後は、日本酒。今朝、バスで登ってくる時に、大和上市駅から吉野川沿いに出たら、「やたがらす」の醸造元が見えたが、その手前にもう1軒酒蔵があったようで、そちらの蔵の「猩々(しょうじょう)」生貯蔵酒。謡曲猩々の『よも尽きじ 萬代までの〈竹の葉の)酒 酌めども尽きず 飲めども変わらぬ』にあやかって命名されたという。酒の名にも実に品格があるなあ。アルコール度数15度未満、呑みやすい素直な酒であった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時18分=伊藤 幸司
かなりの人数が一度に食事できる大食堂です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時53分=伊藤 幸司
この日の日没時刻は奈良県(奈良市)で18時57分。食事を終えてすぐに玄関に出ると、夕日は落ちてしまったような、落ちかかっているような感じでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時55分=伊藤 幸司
『国立天文台』の『各地のこよみ』で見る日の出・日の入りは都道府県の県庁所在地での計算上の時刻です。
ですから標高の高い山の上から、山の端越しに見る日の出・日の入りはその数値と合致するはずはないのですが、結果として信頼できる目安となるのがふつうです。この日も雲が晴れたら日の入り時刻の2分前に太陽の位置が明らかになりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時56分=伊藤 幸司
奈良県の日の入り時刻の1分前に、太陽は山の端に隠れました。でもこの日はそれからが見ものでした。残照の空がドラマチックな黄昏(たそがれ)となったのです。

『コトバンク』の『たそがれ』を『精選版 日本国語大辞典の解説』で見るとこうなります。
【たそ‐がれ【黄昏】
〘名〙 (古くは「たそかれ」。「誰(た)そ彼(かれ)は」と、人のさまの見分け難い時の意) 夕方の薄暗い時。夕暮れ。暮れ方。たそがれどき。また、比喩的に用いて、盛りの時期がすぎて衰えの見えだしたころをもいう。→かわたれ。
※海人手子良集(970頃)「黄昏に涙の玉をながめつつねふして夜はにあかすともし火」
※源氏(1001‐14頃)夕顔「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」
※現代文学にあらはれた知識人の肖像(1952)〈亀井勝一郎〉杉野駿介「私には人類の黄昏(タソガレ)としてみえる」】

宿の玄関口にみんな出てきて、駐車場の脇に集まって「黄昏」の空のドラマを楽しみました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時59分=伊藤 幸司
「黄昏」の上には夜空が静かに広がって来るのでした。なぜか突然、私もですが、みなさんブルッと震えて、三々五々宿へと引き返す時刻となりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 18時59分=秋田 守
夕食後、ロビーで明日の行程について恒例のミーティング。ちょうど日が沈みそうで、夕陽が見られるのではないかと皆で宿の外へ出てみると、凄まじい夕焼けが始まった。太陽は雲に隠れていたが、沈む寸前、その欠片がちらりと見えた。そして、その後は今度は雲に照り返しが映えて赤々と空が燃えた。夜は夜で、久々の満天の星、いくつかの流れ星、飛行機の灯、人工衛星だろうか猛スピードで流れ行く灯…、と大いに楽しませてもらった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】1日目 19時01分=山咲 野の香
大台ヶ原駐車場。出遅れて見た夕景。さて、西方に見える山並みは何?わかりません、浄土かしら。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 04時11分=伊藤 幸司
山の宿に泊まったときには、トイレに起きたついでに空を見上げます。はっきり記憶していませんが、宿の玄関から駐車場の方向、ですからほぼ南ですね。大きく光っているのは月だったと思います。
いまのデジタルカメラはこんな写真でも立ったままオートでシャッターを切ればブレずに「いい感じ」の夜空として撮ってくれてしまうのですから魔法のカメラというべきです。このカメラの前に使っていた F社のカメラだったら、月が月らしく写ったかもしれません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 05時50分=秋田 守
朝5時半に起床、身支度してから宿の外へ出てみたら、月が空に浮かんでいた。3日前が満月で、前夜の月齢は17.2であった。昨夜星を見た時はまだ早い時間だったから月は出ていなかったんだな。山の上だから朝はもっと寒いかと思ったら、そうでもなかった。10℃ぐらいはあったのかしら。幸いなことに今日もお天気がよさそう。晴れ男を自称する身としては、達成感というのか、充足感というのか、かなりの自己満足感に浸ることが出来た。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 06時58分=伊藤 幸司
朝食です。不満はありません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 06時58分=秋田 守
この心・湯治館を山小屋と呼ぶのは違う気もするが、山小屋とすれば、朝食もかなり上等な部類だった。願わくば、納豆があってほしいのと、海苔は味付け海苔でない焼き海苔にしてほしいが、この2点は関西地方においては叶えてもらうのは相当難易度が高いと承知しているのでやむを得ない。この海苔は違うけど、関西では味付け海苔と言えば圧倒的にニコニコのりのシェアが高いはず。今現在はそうでもないのかしら。40年前はそうだった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時41分=稲葉 和平
2日目は朝から快晴、期待が膨らむ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時45分=山咲 野の香
苔のベッドで寝顔もかわいいミヤマカタバミ。後ろの建物は宿泊した心・湯治館。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時45分=稲葉 和平
心・湯治館の庭。朝の日差しに苔の緑が優しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時47分=伊藤 幸司
大台ヶ原ビジターセンターの脇から「中道」と呼ばれるルートをたどって、尾鷲辻に向かいます。道標に1.9kmとありました。本来ならまっすぐ日出ヶ岳へと向かうところでしょうが、今日は大蛇嵓(だいじゃぐら)への寄り道をしてから日出ヶ岳へと向かうつもりなのです。とりあえず道はセメントで固められて、歩きやすい(?)観光道路という感じ。

すぐに「大台ヶ原のササ」という解説板がありました。
【大台ヶ原には2種類のササが生えています。草丈の高いほうがスズタケで、上部で枝分かれする特徴があり、大台ヶ原では西大台で多く見られます。東大台で多く見られるのがミヤコザサで、背が低く茎の節が丸く膨れています。シカは、ササを主食としています。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時54分=伊藤 幸司
これがごくごく一般的なコケの風景。ルーペを持って近づいてみよう、などと考えなければ「コケ」のひとことで済んでしまいそうな風景です。

そんな「コケ」ひとことで済まさない人はいないかと、ネット上で探していると、いらっしゃいました。『コケの生態学』というサイトの『今日のコケ』というエッセイです。書かれていた方については最後にお知らせするとして、それをパラパラと読んでみます。

【どこにコケはある?
家から一歩外にでて、しゃがんでみると・・・
あるときは岩陰にひっそりと、あるときは草に覆われつつ健気に、
またあるときは日が照りつけるアスファルトの上でたくましく・・・
いろいろな顔をしたコケに出会えます。
ただ、全てが、みずみずしく、かわいいコケではありません。
干からびてクシャクシャになってしまったコケや、
砂ぼこりに埋もれて黒ずんでしまっているコケもあります。
でも、どれも小さいながらも一生懸命に生きていて、とてもステキな顔をしています。
身の回りにあるコケの小さな世界。
そこには、心がホクホクするような発見で満ちています。
このコケの秘めたる(?)魅力を伝えるべく、
ここでは、「散歩で出会った身近なコケの風景など」を紹介していきます。】

【5月 コケといえばやっぱり「ウマスギゴケ」
「どんなコケを知っていますか?」と聞くと、
ほぼ確実にでてくるコケがある。
「スギゴケ」「ゼニゴケ」「ヒカリゴケ」はもっとも有名なコケの御三家だ。
一般にスギゴケといわれているものは
ほとんどが「ウマスギゴケ」だろう。
庭園でみられるスギゴケも多くはウマスギゴケだ。
ただの「スギゴケ」もあるが、おもに中部〜東北以北のやや寒い地域に分布していて、低地で見かけることはほとんどない。
スギゴケはその名の通り、杉の実生のような形をしている。
庭園に生えているイメージが強いコケだが、
野外では「湿った明るい場所」に大きな群落をつくっている。
ウマスギゴケはなぜ「うま」なのだろう?
胞子体の帽をみると・・・フェルトのような毛が生えている。
まるで、馬のたてがみのようだ。
「ウマ」という名に少し納得する。
スギゴケの雄は花のような器官(雄花盤)をつける。】

【6月 小雨で輝くコケ
しとしと雨はコケを一層美しくする。
写真はコケの調査中に撮影したもの。
コケの鮮やかな緑がつくりだす幻想的な光景に息を飲んだ。
高さ10メートル近くある左右の岩壁には、エビゴケ、スジチョウチンゴケ、エゾチョウチンゴケ、コマノヒツジゴケ、ジャゴケ、などがところ狭しと生えている。
雨の合間、岩壁の底に光が差し込んだとき、新緑を背景にして、コケの緑が一際輝いた。
コケが好きになると、雨が楽しくなる、というおまけがついてくる。】

【7月 コケのもつ清涼感
コケに涼しげなイメージをもつ人もいるのではないだろうか。
コケの葉には透明感があり、みずみずしいためだろう。
写真は新緑と清流、そして、岩壁をおおうコケ(主なコケはエビゴケ)。
木々の緑が水面に映り、あたり一面が緑色に染まっていた。】

【8月 登山道のコケ 「セイタカスギゴケ 」 と 「コセイタカスギゴケ」
登山道を歩いていると、スギゴケのようなコケを見ることが多い。
その主なものは「セイタカスギゴケ」と「コセイタカスギゴケ」だ。他にも「フウリンゴケ」「オオスギゴケ」なども見る機会が多い。
これらは、いずれもスギゴケの仲間だ。
セイタカスギゴケとコセイタカスギゴケはよく似ているが、
1.セイタカスギゴケの方が大きく、乾燥すると強く巻縮する
2.コセイタカスギゴケはやや葉が平らにつく
ことで区別できる。
セイタカスギゴケは20cm近い大きさの個体もある。
日本でもっとも大きなコケの一つだけあって、さすがに堂々とした風格だ。】

【8月 「苔ブーム」について:「ジンガサゴケ」を例に
最近、コケに関する問い合わせが多くなり、コケの展示、観察会の情報も目にする機会も増えた。私がコケを研究し始めた頃は、コケを気にするのはごく一部の方だけだったのだが・・・じわじわと、しかし着実にコケブームがきているようだ。
8月18日の読売新聞の朝刊でコメントさせて頂いたが、このブームには、身の回りの自然への関心の高まりや、登山ブーム、そして、インターネットやデジカメの発達によって「コケの魅力」に接する機会が増えたことが関係しているように思う。
「美しいコケは、屋久島まで行かないと見られない」、ということはない。しゃがんで小さなコケをじっくりみれば、身のまわりに美しい「コケ」の世界が広がっていることに気がつく。
例えば・・・街中でもよくみられる「ジンガサゴケ」。一目すると、その姿はべちゃっとしていて、魅力のかけらも(?)感じないかもしれない。でも、目線をコケにあわせると・・・その愛嬌ある姿がみえてくる。
「身の回りにあるけれど気がつかないコケの奥ゆかしい美しさ」
このどこか「宝物をみつけるような感覚」も、ひょっとしたら、コケの魅力の一つなのかもしれない。】

【8月 いつもとは赴きが異なる?「ウマスギゴケ」
コケ庭の代表種であるウマスギゴケ。
しかし、もちろん、本来の生育場所は庭ではない。
ウマスギゴケは野外では明るい湿地に多くみられる。
乾燥に強いといっても、やはり湿った場所を好むようだ。
写真は野生のウマスギゴケ。
この場所はウマスギゴケの生育に適しているため、
山の中に自然のコケ庭が広がっている。
いつものウマスギゴケと比べてみると・・・どうだろう?
なんだか違った印象にみえないだろうか?
本来の生育地の環境を庭で再現できたとき、
輝くようなウマスギゴケのコケ庭になるのだろう。】

【10月 コケと落ち葉
自分の調査地の一つに「八ヶ岳」がある。
2010年から毎年数回、コケの調査をしている。
山岳地域の標高の高いところ、いわゆる「亜高山帯」ではコケの被度が大きい。これにはいろいろな理由があるが、その一つに「亜高山帯では針葉樹林が発達しており、落ち葉が少ないこと」が挙げられる。
小さなコケにとって、落ち葉はかなり危険な存在になる。落ち葉に厚く覆われてしまうと、日照不足になり、枯れてしまうためだ。
針葉樹の葉は線状で細く、広い広葉樹の葉と違って、コケを覆いつくすことはない。さらに、亜高山帯の針葉樹では葉が数年にわたって枝についているため、落葉量そのものも多くない。こうした環境から、亜高山帯では、大きなコケ地が発達しやすい。
秋も深まり、八ヶ岳にも冬の足音が聞こえてきた10月中旬、針葉樹とコケで「緑一面の亜高山帯」から、広葉樹の紅葉と落ち葉で「赤一面の山地帯」を歩いた。
しかし、この緑も赤も、あと一月もすれば、いずれも雪で「白一面」になる。】

【10月 コケと紅葉
一つ前で、「落ち葉はコケにとって大敵」書いたが、私たちからみると「コケと紅葉」の組み合わせは美しい。
緑のコケの上に赤や黄色の紅葉が降り積もっているだけで、身近な景色すら絵になってしまう。
「緑」と「赤」と「黄色」。
もし、こんな色の服をもらっても、着こなすには相当のセンスがいるだろう。
でも、コケはいとも簡単にコーディネートして、秋らしさを演出してしまう。
北海道では紅葉もだいぶ進み、冬の気配が感じられるようになった。
初冬のコケはどんな装いをみせてくれるのだろう。】

【10月 ブナ林のコケ「オオギボウシゴケモドキ」
ブナ林も紅葉がすすみ、すっかり秋の装いになった。
コケは木の幹にも生えるが、その種類や量は樹種ごとに異なる。例えば、滑らかな/凹凸のある樹皮の違いとコケの関係を考えてみよう。
垂直な木の幹に胞子がひっつき、雨風に流されずに生長を続けていくのは容易ではない。そのため、滑らかな樹皮よりも、表面に凹凸のあるごつごつした幹の方が胞子が樹皮上にとどまりやすく、コケもつきやすい。
ブナは滑らかな樹皮をしており、コケは侵入しづらそうだ。若いブナの樹皮にほとんどコケが生えていないのも、きっとこの樹皮の滑らかさが関係している。
でも、そんなブナにも巧みに侵入し、たくましく生長しているコケもある。ブナの滑らかな樹皮にある、かすかな隙間に侵入することに成功し、風雨に耐えて大きくなってきたのだろう。】

【11月 コケと死生観
一つ前で「コケと辞世の句」に触れたので、少しだけ補足する。
辞世の句にコケが詠まれたのは、偶然ではない。
実はコケは日本人の死生観と密接な関係がある。現代では用いられないが、古来より日本では、「苔の下」という組み合わせてで、「土の下」、すなわち死後、とう意味で広く使われていた。つまり辞世の句に「コケ」を入れることで、暗に自分の死後が示唆されているのだ。
振り返って、現代人の我々にとって、死生観と関連が深い植物といえば、桜ではないだろうか?しかし、このように桜が主流になったのは大正期以降のようだ。一斉に咲き、パッと散るサクラは、当時の社会状況のなかで、死と重なったのだろう。
コケと桜・・・一方はわび・さびの、また、もう一方は華やかさの象徴として捉えられる対照的な植物が、ともに日本人の死生観に結びついているのは大変興味深い。】

【11月 秋のコケ庭②
天候不順のせいか、関西では今年は紅葉があまりよくなかったそうだ。
紅葉は「葉の緑色の部分(クロロフィル)の分解」と、「緑色の部分が分解されることで目立つようになった黄色い部分(カロテノイド)」、さらには「落葉前に新たに生成する赤色の部分(アントシアニン)」が相互に作用しあうことで起こる。
これらの過程は、いずれも天候や気温の影響に作用されやすい。そのため、紅葉が美しい年もあれば、そうでない年もある。
それでは、コケはどうだろう?
コケは紅葉しているわけではないので、よほどの乾燥が続いている年でない限り、秋にはしっとりした美しい色合いをみせてくれる。
しかも、深紅の紅葉と深緑のコケが組み合わさることで、芸術的な美しさが生まれる。
紅葉はいまいち・・・の年であっても、「紅葉とコケの美しさ」は期待を裏切らない。】

【1月 続々々々 コケと歌
Elton Johnの歌に戻ろう。
今一度改めて考えてみると、この歌は蹴飛ばされたのは「コケ」だからこそ、歌詞がすんなり頭に入ってくるのではないだろうか。「屋根に座って草木を蹴っている姿」では、何だかいらついているようにみえてしまう。
その一方、「屋根に座ってコケを軽く蹴っている姿」は、どこかもの思う様子を想像させ、この歌詞に甘美な雰囲気すら漂わせている。
以前、記したように、苔は茅葺屋根に悪影響を与えているわけではない。しかし、「苔落し」と管理にみられるように、除去すべき対象として疎まれてしまうことも少なくない。
ただ、コケはこうした扱いを決して悲観的にはとらえていないのかもしれない。疎まれつつも、「コケ」は他の植物では代替の利かない「コケにされる役」として活躍しているのだから。
なお、コケ庭には茅葺屋根がよく似合う。】

【4月 「苔庭の宝庫・北陸」へ こんにちは
このたび、福井県立大に異動しました。
http://fpuinfo.fpu.ac.jp/fpu/system/php/faculties_open/showone.php?id=oishiy
以下、大学のHPによせたメッセージです。
家のまわりで、通学路で、空地で、コケをみつけたら、少ししゃがんで目線をコケにあわせてみてください。
すると・・・そこには、いつもの視点では決して気が付かなかった小さなコケの世界が広がっています。
遠くからみるとただの緑色の塊のコケですが、よくみると、さまざまな色があって、清楚な形をしていて、キラキラ透き通っていて・・・「身近にこんなにもステキな世界があったんだ」と感動を覚えることもしばしばです。
ある時は健気に、ある時はしたたかに、またある時はたくましく生きるコケ。
そんなコケの姿をみて、「ほっこり 」してみませんか?
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「北陸へのコケ進出」の第一歩として、今期、コケについて学ぶ「コケの世界」という講義を開講しました。
30人程度の受講者を予定していたのですが・・・蓋を開けてみたら、その10倍の300人の学生さんが受講してくれることになりました。
学生さんが「コケって面白いんだ」と思えるような、知的好奇心を刺激するような講義にできますように。】

【8月 コケ観察会と教育
信大のときの卒業生から依頼があり、9月に山梨県内でコケ観察会を開くことになった。せっかく山梨まで行くのだから、ということで、別団体からの観察会の依頼もうけ、二日連続でのコケ観察会を行うことにした。
目標は「10種コケを覚えること」くらいにして、ゆっくりコケをみながら、山道をてくてく歩こうと考えている。
さて、どんな観察会にするか。
野外観察会は、広い意味で、教育の一つだろう。多くの学生さんに講義をする機会を頂いたこともあり、教育についていろいろ考えるようになった。
「知っていること」と「教えること」は違うし、「ただ、教えること」と「上手に教えること」もまったく異なる。そして「一人に教えること」と「大勢に教えること」も同じではない。
ただ、観察会の場合は参加者がほぼ全員、コケに興味があるため、いろいろ話が進めやすい。
難しいのは大学における「コケ講義」だ。
コケに興味はなくても、単位が目的だったり、空きコマということで授業をとってくる学生さんも少なくないためだ。
今期行った一般教養の講義「コケの世界」。
いい講義だったかどうか、は自分ではわからない。
けれど、最終回の講義では、300人近い受講生の温かい拍手に包まれて幕を閉じることができた。
この反応をもって、「コケの世界」がうまくいった、と信じたい。】

【9月 秋のコケ庭巡りを楽しむには?
秋のコケ庭は美しい。
真紅の紅葉に深緑の苔。しっとりとした秋の気配と静寂が支配する庭園。自然の美しさと日本の気候風土、わびさび文化が絶妙に組み合わさり、「日本の秋だからこそ味わえる極上の空間」が作り出される。
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コケ庭の楽しみ方はいくつかあるが、ここでは、「コケ庭でコケの名前を覚える」ことを紹介しよう。
著書「苔三昧 モコモコうるうる寺めぐり(岩波書店)」にも書いたが、コケ庭はコケを覚えるのにもってこいの場所だ。というのも、コケ庭にでてくる種は限られており、自分がみたコケと図鑑のコケとの絵合わせが容易にできるためだ。
「ハイゴケ類」ひとつとってみても、コケ庭で出現するのはほぼ普通の「ハイゴケ」だが、一歩山に足をふみいれると、10種近くものハイゴケ類が出現する。これらは、コケの初学者が図鑑を頼りに見分けるのは容易ではない。
こうしたことは「スギゴケ類」など、ほかのコケにもあてはまる。
日本に1800種近くもあるコケの名前をいきなり覚えるのは難しい。だからこそ、出現する種の限られた/出現パターンのきまった場所で、限られた数のコケを覚えて基礎をつくり、そこから少しずつ、わかる種を増やしていくのが大変効率的なのだ。
前述の「苔三昧」には40種ほどの苔を紹介したが、その多くが国内の苔庭で広くみられる種だ。本著がみなさんの苔庭散策の良きお供になりますように・・・
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ただ、コケ庭巡りで一番楽しんでほしいのは「その美しさ」。
例えば、多国籍料理のお店にいって、名前のよくわからないメニューを食べてすごくおいしかったとする。なんという料理かわからなくても、美味しいものはやはり美味しくて、幸せな気分になれる。
これはコケ庭も同じ。コケの名前がわからなくても、美しいものはやはり美しく、心にじんと響いてくるのだ。】

【10月 コケの道
どこまでも続くコケの道。
ただ、これは人が歩くための歩道だ。
コケを生やすためにあるわけではない。コケは勝手に生えただけだ。
だから、このコケの道を守ってほしい、とは、言えない。
人の往来が増えるとともに、コケは消える。
でも、人が歩くための道なんだから、しょうがない。
そうはいっても・・・心のなかでは、ずっとこの景観が残っていくことを、強く願っている。】

【12月 コケの森めぐり
11月はコケの調査などで各地を歩いていた。
京都ではお世話になった岡山コケの会のメンバーに会い、ひさびさにコケ話をした。最後に例会にでてからもう、7年にもなる…メンバーも少し入れ替わりがあったようだ。
北海道、屋久島では、前回訪れたときと同じ軌跡をたどって、コケをみた。以前と変わらないところもあれば、大きく改変されてしまったところもある。以前と同じままの景色をみると、なんだかほっとする。
北海道、青森、長野、静岡、京都、鹿児島・・・駆け足だったけれど、不思議なことにコケの景色は脳裏に焼き付いている。どこに何が生えていて、どんな状態で、どのくらいの量があったのか。そして、まわりがどんな環境で、その時に何を考えていたか。
次にくるときは、コケたちはどんな姿をみせてくれるのだろう。
北方・山岳はすでに雪が積もり始めている。
今年度、調査すべき場所はあと、富山、石川、東京、長野、宮崎、台湾、、か。】

【2月 蘚苔林
この10日ほど、海外の蘚苔林などでコケ調査を行っていた。
霧がよくかかり、木の幹から地上にいたるまで、あらゆる部分がコケで覆われる森は雲霧林(蘚苔林)と呼ばれる。
木の幹はぎっしりついたコケで数倍の太さになり、枝からはコケが所狭しと垂れ下がる。地上もぎっしりとコケが生え、足の置き場に困るほどだ。
こうした蘚苔林では、水や栄養分の循環にコケが非常に大きな役割を果たしている。こうした環境をみたら、もうコケをコケにできなくなってしまう(はず)。
日本では屋久島の一部に雲霧林が発達することが知られている。】

【2月 コケと観光資源と保全
これまでのコケの多様性・保全に関する研究に加え、次年度から「コケを利用した観光」「観光資源としてのコケの保全」に関する複数のプロジェクトに着手する。
コケ庭の景観修復であったり、自然公園のコケの保全であったり、地域のコケの観光資源化であったり、 、、対象地域は、北海道から北陸、中部、関西と広範囲に及ぶ。
最近、コケがじわじわブームになりつつあるのはうれしいが、その一方で、コケの乱獲が増えたり、不適切なコケ地の管理が広まっていたり・・・素直に喜べないところもある。
事態が思わぬ方向に進まぬよう、コケの専門家として、「今こそ」仕掛けなければならない・・・ちょっとしたコケへの恩返しになりますように。
各プロジェクトに伏線をはりつつ、生物多様性、文化的景観、観光資源化、適正利用をからめて、大きな視点で議論を進めていきたい。】

【7月 観光利用で消えゆくコケ
6月の日経新聞で「コケの名所10選」が紹介されたように、今もコケブームが続いている。
一部では、観光地としても注目を浴びてきている。
同時に、観光利用されるにつれて、人の影響が強くなってコケが減少している場所も少なくない。
コケはとても繊細な生き物だ。
剥がしても 踏んでも すぐに消えてしまう。
そして、一旦コケが消えてしまったら、たとえ環境が維持されていても、元と同じようにコケが復活するとは限らない。
先日、苔の美しさで有名な神社でコケの森コンサートがあった。
コケの上にセットされたステージと観客席…まるで映画のように幻想的で、それは見事はステージだった「と思う」。
「と思う」としたのは、自分には、とても悲しい光景にみえたから。
…コンサートの後には、きっといたるところでコケが押しつぶされたり、剥がれているはずだ…
そして、残念ながら、その予想は的中してしまった。
この一年で、ここのコケはだいぶ変わってしまった。これはとてもデリケートなテーマだけれど、機会があれば、この話をしたいと思う。】

【3月 消えゆく日本のコケ
いろいろあって、しばらくぶりに「今日のコケ」を書いている。
春がきて、いよいよコケ観察シーズンが始まる。
コケの研究を始めてから、それなりの年月がたち、いろいろな
フィールドを調査する機会に恵まれた。
その成果からみえてきたこと、それは「日本のコケが劣化している」という、少々、寂しいトピックだ。
そろそろ研究紹介も更新しないといけないが・・・
都市から遠く離れた高山でも、あるいは歴史的名園でも、
どうやらコケの様子がおかしい。
調べてみると、地球レベルの環境変動や、活発な人間活動が、
少しずつ、しかし、確実に、コケに影響を及ぼしていたようだ。
皮肉なことに、
コケブームと反比例するように コケは消えつつある
あのコケの風景をみたい、と思ったときには、
もうその風景は過去のものなっているかもしれない。
小さなコケの中に、大きな環境問題がみえるのも興味深い。
いや、小さなコケだからこそ、
大きな環境問題がみえるのかもしれない。
人間の暮らしに影響を及ぼすには些細な環境問題でさえも、
小さなコケの世界には十分すぎる脅威になるのだから。】

筆者はコケ学者の大石善隆さん。いかにも一世を風靡した京大系学者の血を引く文章家のようです。本で読みたい方は『苔登山』(2019・岩波書店)、『コケはなぜに美しい』(2019・NHK出版新書)、『じっくり観察 特徴がわかる コケ図鑑』(2019・ナツメ社)、『苔三昧──モコモコ・うるうる・寺めぐり』(2015・岩波書店)

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時54分=山咲 野の香
最高の天気の中、渓流沿いを行く。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時55分=伊藤 幸司
歩いているのは「東大台」の「中道」です。標高おおよそ1,500mあたりをゆったりとトラバースしていきます。進行左手が日出ヶ岳、右手がシオカラ谷で、時おり小さな流れが左手から右手へと流れていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時55分=伊藤 幸司
この橋、ゆるやかな太鼓橋になっているんですね。渡り終わってから振り返ってのぞいてみると、どうなんでしょう、石橋というより、鉄骨石張りの橋という感じ。歩道だからどうやったって作れるのでしょうが、振り返って見るということはなかなかないですよね。天下の大台ヶ原の、ハイヒールの女性だって紛れ込んでくるかもしれない観光歩道、というイメージだったのでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時55分=山咲 野の香
青空と新緑。渓流の水も澄んでいるし、上々の歩き出し。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時55分=稲葉 和平
タクシーの運転手も宿の人も、水捌けがいいから昨日までの雨は歩くのに問題はないと言っていたが、確かに道は整備された公園の遊歩道のようだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時55分=秋田 守
昨夜のミーティング時に、当初の計画通りにシオカラ谷経由で大蛇嵓へ向かうとアップダウンが結構激しいと伝えたら、コーチは、大杉谷へ下るまで体力は温存しておきたいから、と中道経由のルートに変更することにしてくれた。石造の太鼓橋を渡る。いつものようにトップは10分交代制。昨日と違って道はすっかり乾いている。川のように水が流れていた部分も、今朝はありがたいことにフツーの道になっていて、快適にあるくことができた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 07時58分=伊藤 幸司
きれいに刈り込まれた笹原です。この仕事はもちろんシカさんたちのものです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時03分=伊藤 幸司
わー、もう、ぜんぜん「コケ」以上に見えてきません。

でもここに案内板がありました。
【以前、このあたりの林では見事なコケのじゅうたんが見られましたが、最近は林床が乾燥し、林の中の環境が変わったことから、コケに代わってミヤコザサが多くなりました。
コケの上にたまった落ち葉は、水分蒸発を防ぎ湿度を高く保ってくれますが、光をさえぎり光合成をさまたげることもあります。また、日があたり高温になる場合は、コケにとって好ましい状態ではありません。】

とのことで、まさにこの場所に4種のコケの写真が載っていました。
セイタカスギゴケ、フジハイゴケ、キリシマゴケ、イワダレゴケ。
ちょっと枯れた色に見えるのがイワダレゴケでしょうかね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時04分=稲葉 和平
苔の遊歩道と似たような道だが、大台ケ原の苔はS34年の伊勢湾台風で林床がむき出しになったためだろう、おおざっぱな印象だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時06分=稲葉 和平
トウカイスミレ??

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時07分=伊藤 幸司
白い花に赤紫色のスジが入って葉が心形(ハート形)ならツボスミレ(ニョイスミレ)だと思っていたのですが、ネットでいろいろ調べているうちに大台ヶ原のスミレといえばヒメミヤマスミレだそうです。フモトスミレとよく似た亜種だそうです。

『いがりまさし公式サイト 撮れたてドットコム Plants Index Japan』に『フモトスミレの仲間』がありました。
【フモトスミレとヒメミヤマスミレは亜種の関係で,ところによってはどちらかに決めかねる群落に出会うこともある。ポイントは,葉の裏面の色や鋸歯。葉の形も有効なポイントになるが,変異も激しい。トウカイスミレは従来ヒメミヤマスミレと混同されていたもの。唇弁が大きい花,地色が淡紫色の花弁,柱頭の先端が顕著にふくらまないこと,側弁内側が,無毛かわずかに散毛がある程度,以上の点が重要なポイントになる。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時07分=伊藤 幸司
この道、登山道としては不評でした。大小の石を置いて平たく均しつつ、セメントを流し込んだような道。強度と風情を兼ね備えた道なんでしょうが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時10分=伊藤 幸司
この部分は小さな沢を橋をかけずに渡っています。この構造、何というのか調べてみたら「洗い越し(あらいごし)」というのだそうです。

『木の町づくり協議会』は京都にあるNPO法人だそうで『山のいのちと、人の暮らしをつなげる運動。』を展開しているということです。そのなかに『林道づくり』という項目がありました。
【低コスト作業道(四万十式林道)は、比較的簡便な施工と急峻地に適応出来る点が評価され全国的に利用され始めています。地形を変える事なく、植物への負担を軽減し、廃棄物はゼロ。防災効果もある自然環境にやさしく、耐久性にすぐれた工法です。
施工に必要な機械装置は比較的簡易なもので、大幅に作設費が軽減され、間伐収穫と環境保全も併せ持った作業道と言えます。
林道最大の敵、豪雨対策として、低コスト作業道でも水流や水溜りを作らない工夫をします。雨水などが流れる「沢」の部分は、丸太や石を利用した「洗い越し(※1)」と呼ばれる排水方法をとります。
グラップルで集材し、フォワーダ(2.8t積/幅1.4〜1.6)で運搬するとすれば、道幅は2.5〜3.0mで対応可能です。
※1洗い越し(あらいごし)とは、川に橋を架けずに道路上を川が横切って渡る構造。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時14分=伊藤 幸司
開放的な道に出ました。シカさんたちに笹刈りを頼んで、みごとに西洋風庭園を作り上げたという感じです。かつてここも鬱蒼とした樹林だったのでしょうか。そうだとすれば「なんでここだけ?」というきっかけがあったはずですよね。

突拍子もない話になりますが、日本という国もこんなふうに思いがけない出来事が大小、あちこちで頻発しながら、旧勢力とゴシゴシ、ゴリゴリぶつかりながら国としての脱皮を進めていくことになるんじゃないか……な。
つまり大台ヶ原は変るべきか、変わらざるべきか、あるいはきちんと元に戻るべきか、というような時代の大きな転換点にある、というふうに見えたりするのです。波乱のない退屈な道を歩かされていたからでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時29分=伊藤 幸司
8時20分に尾鷲辻で日出ヶ岳から下って大蛇嵓に至る道に出ます。そこで日出ヶ岳に向かうだけでけっこうな遠回りなのですが、私たちは大蛇嵓(だいじゃぐら)の断崖まで行って、引き換えしてこようというのです。
大蛇嵓へはシオカラ谷吊橋を渡って行く道もあるのですが、そこまでの寄り道はしたくないと、自分たちの寄り道を正当化。するとこの開けた場所に出た瞬間、波状雲の一種でしょうか、空がドラマチックに。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時29分=山咲 野の香
気分のいい草原に、突如このシマシマ雲。見とれる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時29分=稲葉 和平
筋のように見えるから筋雲?。高度5000mから13000mと高いところにできる雲で、1年中見られる雲、とのことだが、高い雲は秋の気分だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=伊藤 幸司
こんな雲が突然現れたら、おみくじを引いたような気分になります。今日の運勢は大吉かはたまた凶か。天変地異を感じるほどの時があるので地震雲とも呼ばれたりするのでしょう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=山咲 野の香
よく見ればウロコ雲。って秋じゃないのに。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=稲葉 和平
うろこ雲?。でも、うろこ雲は秋を代表する雲とのことだから、違う。これは何という雲?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=稲葉 和平
筋とうろこが一緒、どうしてくれる!?。何雲?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=秋田 守
中道の突き当たりを右折してしばらくすると、林を抜けて周囲は広々と開けてくる。からっとして実に快適な陽気。心も晴れ晴れしてくる。所々に木道が敷いてあるのは、やはり日本でも有数の雨が多いエリア(月別降雨量は、圧倒的に8月が図抜けて最大)だけに、雨天時、道がぬかるんだ時に歩きやすいようにとの配慮だろう。それが余計なお節介に感じられるというのは贅沢なことだ。周囲の木々も若葉を出し始めていて、新緑が眩しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時31分=秋田 守
ふと空を見上げれば、空の色が本当に濃い青色で、そこにまるで秋空のような雲が多彩に浮かんでいて目を奪われた。雲が凄い、と思わず叫んだような気がする。うろこ雲のような雲は、上層雲という5000〜1万m上空に浮かぶ雲の仲間で、巻積雲と呼ばれる。調べると、やはり秋に見られることが多く、秋の雲の代表らしい。この日、なぜ秋の雲が見られたのかは分からないが、ぼくにとって大台ヶ原と言えば、しばらくはこの空を思い出すと思う。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時32分=山咲 野の香
とにかく爽快。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時34分=伊藤 幸司
標高約1,600mの、牛石ヶ原という平原を歩いていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時36分=伊藤 幸司
神武天皇がこの雲の仕掛け人か、という感じです。「皇宗奉賛会」というたぶん大阪の人たちがこの銅像を立てたようです。名前を一部写真に撮っておきましたが、調べてみると水島富三郎という人の名が三井寺と修験道の関連から出てきました。

有名な『三井寺』のサイトに『三井寺と修験道 浅村朋伸の山岳信仰を訪ねて』というサイトに『山岳信仰と鬼の伝説』がありました。
その「鬼」というのは葛城・大峯で入峯修行者たちを支えてきた人々のことで、大峯の善鬼(奈良県吉野郡下北山村)には五鬼熊、五鬼継、五鬼童、五鬼上、五鬼助という5家があったというのです。
【その跡を継いだ五鬼継義孝氏は、五鬼助義行氏と共に釈迦岳山頂の釈迦如来像の台座に名前が残されている。この釈迦如来像は、奧駈修行を行なった水島富三郎と中島市松の両氏が発起人となって大阪仏立会によって大正十三年(一九二四)に建立されたもので、大谷秀一氏が製作され、伝説の強力「オニ雅」こと岡田雅行氏(一八八六〜一九七〇年)によって運び上げられたことで知られている。】

ここで大台ヶ原の牛石ヶ原の神武天皇像の台座にあった水島富三郎に続いて大谷秀一の名もありました。
つまりその流れのひとつとして、この神武天皇像はここに立てられたということのようです。なぜここに神武天皇なのか? までは理解できていませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時37分=山咲 野の香
この雲、神武天皇像のシワザではないよね?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時38分=稲葉 和平
水捌けのいい大台ケ原にも池はあった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時39分=山咲 野の香
魔物を封じ込めたとかいう伝説の牛石らしいけど、解説の看板なし。リアルな牛サイズではあるけれど。それよりやっぱり雲がすごい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時39分=秋田 守
牛石ヶ原の神武天皇像の向かいにロープで囲われた石があったが、何の説明書きもない。なんだろうと不思議だったが、どなたかが、これが牛石なのではないかと言った。なるほど、うずくまった牛のように見えなくもない。でもそれならそれで、ちゃんと説明書きを近くに用意してほしいけどなあ。当然、なにやら伝説めいた話とかもあるのだろうし。それとも、触れてはいけない、見てはいけない、聞いてはいけない、邪悪なものなのだろうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時45分=山咲 野の香
遠く重なる山なみの緑。濃淡が何とも言えず美しかった。撮れてませんね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時48分=山咲 野の香
頭上で天を仰ぐ、勢いのいいオオカメノキ?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時48分=伊藤 幸司
シャクナゲがちょうど見頃だったようです。ここにあるのはツクシシャクナゲとのこと。

サイト名がわかりませんが四国の赤星山をホームグラウンドとされている遊び人の方のホームページの『山で出会った花の図鑑』ですかね、そこに『ツクシシャクナゲ』がありました。
【特徴 ──葉は枝先に集まって互生し、長さ8〜15㎝幅1.5〜5㎝の楕円形。
上面は濃緑色で光沢がある。葉のつけ根はくさび形で2〜5㎝の柄がある。
2年枝に多数の淡紅色の花をつける。花冠は7裂し、径約5㎝と大型で美しい。
葉の裏面に枝状毛(褐色・オレンジ色に近い)が密生することが特徴。】

【四国では標高900〜1600mあたりに多い。
シャクナゲは変種や品種が多く、花の色だけでは容易に区別がつかない。
四国には石鎚山にハクサンシャクナゲがあるが、一般的なのはツクシシャクナゲとホンシャクナゲである。
ホンシャクナゲの葉の裏は綿毛が密生し銀白あるいは灰褐色だが毛が強く密着しているので肉眼では毛があるように見えない。
ツクシシャクナゲは綿毛が厚く、層となって密着しており、部分的に剥がれ落ちて縞模様となる。
アズマシャクナゲ、ヤクシマシャクナゲは花弁が5枚でオシベが10本なのに対して、ツクシシャクナゲは花弁が7枚で、
かつ長いオシベが14本あって目立つためシャクナゲの中でも最も華やかなのがツクシシャクナゲ。
石鎚山・東赤石山のシャクナゲを確認してみたが共に葉の裏の毛が密生しツクシシャクナゲと思われる。】

花弁が7枚、雄しべが14本……確認していません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時49分=山咲 野の香
遠く滝を発見。これからの滝見行を思い、ちょっと興奮。かすかに瀑音も聞こえたと思う。この距離、この大きさ、実際のスケールはいかばかりが。これは、東ノ川、中ノ滝らしい。アルペンガイドによれば、東ノ川は関西随一といわれる大蛇くら岩壁群の下に深く刻みこまれた谷で、荒々しいまでに深く刻みこまれた谷で、荒々しいまでに豪壮なスケールを持ち、探検的な面白さを味わえる点では大杉谷より数段まさっているとある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時49分=伊藤 幸司
オオカメノキなんですね、これ。なんだか水平にぐんぐん伸びた感じの枝がなかったのでいろいろさがしてみたのですがオオカメノキに。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時50分=伊藤 幸司
牛石ヶ原が終わるとシオカラ谷への道との分岐になります。そちらへ行くとビジターセンターへと戻ることができるのですが、私たちは行き止まりになる大蛇嵓へと向かったのです。するとせまい尾根道となり、遠くに中の滝が見えてきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時50分=伊藤 幸司
超望遠にすると、ここまで拡大できました。ネット上に出ている写真とちょっと違うので心配になりましたが、なにしろ昨日までの10日間はずっと雨、大杉谷登山口では通行止めになるほどの雨量だったといいます。つまり水量が多い状態の中の滝ということになります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時50分=伊藤 幸司
ブナの木なんでしょうか。老衰というよりは事故で折れたようです。そこに咲くツクシシャクナゲ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時50分=稲葉 和平
シャクナゲもちらほら。パッとしないがないよりまし、といったところ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時51分=山咲 野の香
今回、一番花付きのよかったシャクナゲ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時51分=伊藤 幸司
これだけの花芽がついたということは、今年はツクシシャクナゲが満開の年なのでしょうか。しかもいい時期に来たようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時52分=山咲 野の香
ひっそりと、でもまだいきいきしてるスミレ。フモトスミレかヒメミヤマスミレか…

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時52分=伊藤 幸司
みずみずしい緑の木が何なのかわかりませんが、倒木を足がかりに伸び上がっていこうとしているようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時52分=伊藤 幸司
ヒメミヤマスミレと思われるスミレが、ここでは勢力を拡大しようとしているように見えました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時52分=稲葉 和平
ヒカゲスミレ。側弁と唇弁に紅紫色の筋。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時53分=山咲 野の香
再び、中ノ滝。こんなにも遠望ながら、一条の光の筋は存在感がある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時54分=伊藤 幸司
尾根は狭まり、前方の橋を越えるといよいよ大蛇の頭になるような気配です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時56分=伊藤 幸司
大蛇嵓のいかにも先端部分があそこに、という感じになりました。ウキウキする人と、いくぶんヒヤヒヤする人とがいるでしょうが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時57分=山咲 野の香
大蛇くらの先端。中ノ滝に続いて西ノ滝が見えている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時58分=山咲 野の香
多分、中央が中ノ滝。左下が西ノ滝。相変わらず雲も美しい。絶景。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時58分=伊藤 幸司
中の滝を真正面から見る感じになりました。でもここから見えるのは滝全体の4分の1とか5分の1程度のようにも思われます。落差250mのどれほどなのか、私にはわかりません。
この「中の滝」はシオカラ谷という名の川(すぐに東ノ川と名を変えます)の東ノ滝とこの滝の左手にある西ノ滝(上流に西野谷という川があります)の間にある中の滝(上流に中の谷という川があります)じゃないかと思います。
つまり3つの滝の中心というほどの存在感のない名前のまま、1999年選定の「日本の滝百選」に選ばれたというのです。

ちなみに糸の会で訪れた(見た)「日本の滝百選」の滝としては、羽衣の滝、流星・銀河の滝、三条の滝、袋田の滝、華厳滝、霧降の滝、吹割の滝、払沢の滝、洒水の滝、七ツ釜五段の滝、仙娥滝、称名滝、浄蓮の滝、七ツ釜滝、箕面滝、大川の滝に続いて17個目、ということになります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時58分=伊藤 幸司
右上の滝が中の滝。1/25,000地形図によれば標高1,320mあたり、左下にちらりと見える西ノ滝はそこから50〜60mほど下だと表現しているように見えますが、どうでしょうか。その滝がかかっている岸壁が千石嵓。その上の高原上の広がりが大台ヶ原の「西大台」。ビジターセンターからこちら側の「東大台」地区は自由に歩けるけれど「西大台」は「利用調整地区」となっているとか。

環境省の『吉野熊野国立公園 大台ヶ原』の『コース案内』の『西大台地区』には次のように書かれています。
【西大台利用調整地区は利用を抑制することにより、施設整備を最小限とし、原生的な植生景観を利用者に楽しんでいただくことを目的として指定しております。
原生的で静寂な雰囲気を残すため、標識等の設置は必要最小限となっています。また、霧の発生も多いことから、地図、コンパスを持ち、道を確認しながら歩いてください。
西大台地区は、利用調整地区です。地区内に入るには事前に申請手続きが必要になります。
詳細は「西大台利用調整地区」のページをご覧下さい。】

その『利用ルール』はこちら。
【西大台利用調整地区は利用を抑制することにより、施設整備を最小限とし、原生的な植生景観を利用者に楽しんでいただくことを目的として指定しております。
立入りは、登山や自然観察等で利用する目的に限られ、1日当たりの立入り人数の範囲内で認定されます。また、利用にあたっては以下のルールに従う必要があります。】

【守らなければならないこと
立入りにあたり、次の禁止事項に掲げることを行わないこと、自己責任のもとに立ち入ることが求められます。また立入り前に事前レクチャーを受講することが義務付けられています。

*禁止されていること
無断で立入ること
ペットなどの生きた動植物を持ち込むこと(ただし介助犬などは除きます。)
野生動物にエサを与えること
野生動物の生息状況に影響を及ぼす方法での、撮影、録音、観察等を行うこと
ゴミを放置・廃棄すること
球技などの野外スポーツをすること
大きな音や強い光を発すること(花火、拡声器など)
網、竿その他動植物の捕獲及び採取のための道具を持ち込むこと
たき火、火入れを行うこと
その他吉野熊野国立公園特別保護地区で禁止されている行為(10人を超える団体行動、動植物の採取、土石の採取等)
巡視員が巡回しています。巡視員の指導には従うようにしてください。
上記の事項は法により規定されております。守られない場合には罰せられることがあります。】

【一日あたりの立入り人数
*通常期
土日祝日は50人
平日は30人
*利用集中期…ゴールデンウィーク・新緑シーズン・夏休み(お盆周辺)・紅葉シーズン※
土日祝日は100人
平日は50人
*注意:10人を超える団体での利用はできません。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時58分=稲葉 和平
遠くに滝。これから先の大杉谷には滝がたくさんあるらしいけど、はたして上から滝つぼまでちゃんと見えるかどうか、この感じではどうも怪しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時58分=稲葉 和平
雲が美しい。焦点が手前の山に当たっているが、雲に当てればよかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時59分=伊藤 幸司
正面に目を向ければ、西に見える山々がずらりと並んでいました。私には(行ったことはあるけれど)あまり馴染みのない山域ですが、大峰山脈です。
右端の(ほぼ最初の)高まりに山上ヶ岳(1,719m。すなわち大峯山)があって、写真中央の一番高く見えるところに大普賢岳(1,790m)そしてその次の高まりに角を突き出したような行者還岳(1,546m)というのがわかりやすい目安かと思うのです。大峯山脈の北部の山並みといえそうです。

およそ1時間半後に日出ヶ岳山頂でこの山並みの山岳展望図と見比べても、あるいは帰宅後ネットでいろいろ見てみても、個々のピークを断定するとなるとなかなか確信が持てないのです、

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時59分=伊藤 幸司
大蛇嵓は鎖を張りめぐらされた最後のところでスリリングな展望台となっていました。立てる人と立てない人、安全策のクサリを頼りにする人と、足場に不安がない限りふつうに立てる人……など、不安感や恐怖感はさまざまです。この場所に来られただけで高所恐怖症とはいえませんが、登山者としてはそういう現実ときちんと向き合っておくことがだいじです。私ももともと「怖さ知らず」などではありませんでしたが老齢化とともに足元の不安感、危険感はどんどん大きくなっていくように感じます。

以前、先鋭的な岩登りをやる登山家から聞いたのですが、才能のあるやつから先に死んでいくというのです。ひらりひらりと周囲をうならせるような美技をもっていても、たったひとつの、ほんのちょっとしたミスで命を落とすのです。自分の限界を感じながら一歩一歩登っていけば、そういう危険は減らせるという考え方でした。

あるいは「若いうちは怖いと思ったことがない」という人もいました。怖いと思うことが出てきたから、それまで怖いと思わなかったことがわかったわけです。

私はただ一度、股ぐらがスースーして腰が抜けるというのはこういう状態かと思ったことがありました。カナダのユーコン川で撮影のために急流に乗り出そうとしてカヌーに乗り込んだ瞬間でした。たぶん高所恐怖症のひとはそのこわさを頭より先に体が教えてくれるではないかと思います。

ここに写っている人たちが同じ条件で立っている、しゃがんでいると単純に比較することはできませんが、こういう場所での体験を自分自身でじっくり、正直に味わうことは、山歩きでの「安全」と「安心」を支える貴重な体験だと考えます。私だって、ここで体が危機感を訴える声は聞きました。雨で足元が濡れていたら絶対にここまできません。風があったら、すぐにみなさんに引き返してもらいます。糸の会にはそういう場所だと思いました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 08時59分=秋田 守
さて、大蛇嵓に到着。この絶景に歓声が上がる。さすが、百戦錬磨の糸の会メンバー、先頭のお二人はすいすいと岩の先端へ歩いて行かれた。今日はお天気にも恵まれ、足下の岩も乾燥していて歩きやすかったけどね。この後、全員揃って記念撮影。ここで事故が起きることもしばしばあるとネットに書かれていたが、どういう状況で起きるのかなあ。雨で濡れていて足を滑らせるとか、鎖を乗り越えて外に出るとか、そういうことなのかしら。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時01分=山咲 野の香
大蛇くらにて。皆さん余裕?の表情。ですが、ガイドブックで南方上空から大台ヶ原山の写真を見たところ、実はすごい所。東ノ川渓谷の一気に切れ落ちる岩壁の突端…ドローン撮影で自分を見たら卒倒ものです!

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時02分=伊藤 幸司
大峰山脈をバックにした記念写真。背景主体ですかね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時02分=伊藤 幸司
2枚めの記念写真は、まあ、よくわからないけれど危ないところという雰囲気で。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時04分=伊藤 幸司
これが大蛇嵓の先端部分です。谷底がまったく見えないので高度感はあまりないのですが、想像はできます。

その「嵓」の字の意味やら何やら調べてみたいと思っていたら、この場面にドンピシャのレポートを書いた人がいました。
『Norlys(ノールリース)日々のあれこれ』というブログに『嵓』(2009.06.26)がありました。
Norlys(ノールリース)はどうもお名前。【極光、いわゆるオーロラ。雪の降る季節と雪の降る景色がすき。趣味は編み物。週末は山を散策。】だそうです

【谷川でアルパインを登った余熱が冷めず、山と渓谷社から出ている「日本のクラシックルート」をぱらぱらと眺めていたら、全国のアルパインルート一覧のページの地域別の項目に「千石嵓」とか「大蛇嵓」という名称を見た。
大台ヶ原の千石嵓には、サマーコレクションという有名なマルチピッチルートがあるという話を以前Tさんに聞いたことがあったっけ。
「千石嵓」「大蛇嵓」と活字の表記が並んでいるところを眺めると、「嵓」という文字がやけに印象的で、そういえば谷川にも「嵓」の付く地名が多いよな〜…と。
というよりも、自分は関東の人間なので「嵓」という地名は、上越地方の谷川周辺地域において「岩峰」を指す地域限定の方言だとばかり思っていたのでした。
たとえば、谷川岳山頂から西南方面にある顕著な岩峰の「爼嵓」(まないたぐら)。それに、「一ノ倉」や「仙ノ倉」の「クラ」も「嵓」と同じ音。倉=嵓=クラ=岩峰・断崖絶壁、と。
一方で、「ドウドウノセン」や「マワットノセン」というように、「セン=滝」。
ゆえに「仙ノ倉」は「滝場の(多い)岩峰」という意味なのだと聞いて、なるほどな〜と思ったのでした。
「滝(タキ)」という言葉の用例は奈良・平安時代の文書にも見られるそうなので、谷川周辺地域で滝を「セン」と呼ぶのは、河川を「カセン」(「河」は幅の広い流れで、「川」は幅の狭い流れ)と読むように、セン=川、仙=水の流れるところ -> 滝、と変化したのかも。
専門家ではないので、ただの推測ですが。

しかしまぁ、関西でも「嵓」という地名があって、しかもこれまた古くからクライミングエリアとして親しまれている岩場があるなんて…と、なんだか目かウロコ。
まさか偶発的な自然発生による相似とは思えないので、どういう経路を経てこの文字が伝播したのかという点に興味が湧きました。
というわけで、「嵓」という文字について、ちょいと検索。
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[ 嵓 ]
異体字 : 巖(異体字)
・音読み
呉音 : ゲン(ゲム)
漢音 : ガン(ガム)
・訓読み
けわ-しい
【くら】【嵓】【蔵】【倉】【鞍】
屏風のようにそびえたつ岩壁。山稜や山腹に露出した大きな岩や岩場。くらは岩の古語。山名や川(谷、沢)名に蔵、倉、鞍 などがつく場合は、露岩や断崖のあるものが多い。
倉・蔵・鞍・座などは当て字で、本当は、峨・嵓・岩などの字をクラと読む。
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そういえば、「神楽」の語源は「神様が宿るところ」でしたっけ。
神の座 -> かむくら・かみくら -> かぐら -> 神楽、と。
「座」は当て字で、本来は「峨・嵓・岩」なのだとすれば、はるか昔の神話の時代には神様は高い山にお住まいで、なればこそ山は神様の領域で、こうして原始的な山岳信仰が生まれたのかな。
詳しくないのでよくわかりませんが、あれこれ考えるのは面白いです。

また、「稀少地名漢字リスト」に「嵓」の文字が用いられている地名一覧がありました。
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【嵓】 [JIS第3水準]
SJIS: ──
Unicode: 5D53
[用例]
青森県むつ市川内町 嵓倉山(がんくらやま・自然地名)
青森県むつ市川内町 嵓倉沢(がんくらさわ・自然地名)
山形県西置賜郡小国町大字小玉川 大嵓尾根(だいぐらおね・自然地名)
※「ダイグラ尾根」という表記が多い。
福島県耶麻郡猪苗代町大字若宮 日向嵓(ひなたいわ・自然地名)
福島県南会津郡檜枝岐村 柴安嵓(しあんぐら・自然地名)
福島県南会津郡檜枝岐村 俎嵓(まないたぐら・自然地名)
群馬県利根郡みなかみ町谷川 爼嵓(まないたぐら・自然地名)
※福島県は燧ヶ岳、群馬県は谷川岳。
群馬県利根郡みなかみ町藤原 幽嵓沢(ゆうくらさわ・自然地名)
群馬県利根郡みなかみ町藤原 オキノ嵓沢(おきのくらさわ・自然地名)
群馬県利根郡片品村大字戸倉 字 景鶴山 松嵓高山(まつくらたかやま・自然地名)
新潟県魚沼市下折立 松嵓沢(まつくらさわ・自然地名)
新潟県魚沼市宇津野 巻嵓沢(まきくらざわ・自然地名)
新潟県魚沼市宇津野 前嵓(まえくら・自然地名)
新潟県中魚沼郡津南町大字結東 字 逆巻 大嵓(おおいわ・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 赤嵓(あかくら・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 赤嵓沢(あかくらさわ・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 赤嵓ノ肩(あかくらのかた・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 白嵓(しろくら・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 白嵓沢(しろくらさわ・自然地名)
長野県下水内郡栄村大字堺 箱嵓沢(はこいわさわ・自然地名)
※マピオンでは「箱嵒沢」。
三重県多気郡大台町岩井 天狗嵓(てんぐぐら・自然地名)
三重県多気郡大台町大杉 大日嵓(だいにちぐら・自然地名)
三重県多気郡大台町大杉 平等嵓(びょうどうぐら・自然地名)
奈良県吉野郡上北山村大字小橡 蒸籠嵓(せいろぐら・自然地名)
奈良県吉野郡上北山村大字小橡 千石嵓(せんごくぐら・自然地名)
奈良県吉野郡上北山村大字小橡 大蛇嵓(だいじゃぐら・自然地名)
島根県大田市仁摩町大国 竜嵓山(りゅうがんざん・自然地名)
岡山県苫田郡鏡野町養野 泉嵓神社(いずみいわじんじゃ・神社名称)
和歌山県西牟婁郡白浜町 嵓屋峠(いわやとうげ)
[参考:平成19年度白浜町上水道水質検査計画書(3ページ)]
和歌山県西牟婁郡白浜町 嵓上(がんじょう)
[参考:平成19年度白浜町上水道水質検査計画書(3ページ)]
和歌山県日高郡印南町古井 古井嵓上神社(ふるいいわがみじんじゃ・神社名称)
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こうしてみると、「嵓」の字が地名に用いられている地域分布はそれほど多くなく、かなり偏っているような印象。
圧倒的に、大台ケ原周辺と谷川周辺が多いです。
同じクラでも「倉」という字を当てている地名なら、全国的にたくさんありそうだけど。
南魚沼・桧枝岐・湯檜曽周辺には平家の落人伝説が伝えられていますが、その昔に奈良と三重の境にある大台ケ原辺りから東に流れて来た人が「嵓=クラ」という言葉をもたらしたのかなぁ。。なんて勝手に空想。
また、島根、岡山、和歌山に残る「嵓」は読み方が「クラ」ではなく、まさに「岩」。それに自然地名ではなくて神社の名称が多いので、このあたりでは大台ケ原よりももっと古い時代に「嵓」という文字が伝わったのかも。。島根あたりでもっと「クラ」読みが多ければ、出雲神話の時代まで遡れそうなんだけど。。
なーんて勝手に妄想。

しかしまぁ、青森で読みが「ガンクラ」になるのはどうしてなんだぜ? と思うけど、「岩倉」という地名は結構全国に多くて、しかも天照大神の神話に結びついている場所だったりする。なにか関連があるかもしれないし、後付かもしれない。どうなんだろう。
たったひとつの「嵓」という文字が、こんなに想像を膨らましてくれるとは面白いもので。。と、思うのでした。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時04分=稲葉 和平
大蛇嵓。ここで一人でゆっくりできれば気分はいいかもしれないが、う〜ん。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時10分=伊藤 幸司
これはとなりの滝見尾根のあたりなんでしょうが、こちらの足元もあんなふうになっているのだ思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時10分=伊藤 幸司
岩尾根で老樹とシャクナゲ(ツクシシャクナゲ)が共存なのか競合なのか、怪しい関係を続けています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時11分=伊藤 幸司
この木はまだつぼみだけですが、すごい色をしています。これがツクシシャクナゲ特有の色なんでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時11分=伊藤 幸司
アズマシャクナゲとあまり区別は付きませんが、花弁が7枚、雄しべが14本というのはこれから西日本の山で見たときには思い出さないといけないと思います。

ちなみに『日光植物園』のサイトで『ホンシャクナゲ(本石楠花)』をこう説明していました。
【ツクシシャクナゲの変種です。園内の多くのシャクナゲはアズマシャクナゲですが、それに混ざって植栽されています。花期も重なりますが、本種の雄しべは14本なのに対し、アズマシャクナゲは10本です。葉裏はオレンジ色で、本種はツルツルとしているのに対して、ツクシシャクナゲは細かい毛が多く、ふわふわしています。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時18分=山咲 野の香
引き返す道すがら…まだ雲は美しかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時21分=秋田 守
大蛇嵓への分岐まで戻った。雲がまたすごい模様を描き出していて、思わず見惚れてしまった。これもまた秋っぽい絵柄。このあたりは東大台周遊ルート。西大台という歩けるコースもあるが、そちらは事前申請が必要で1日の入山者数制限もある。昨日、浜松からツアーで来ていた人達は、同じ宿に泊まって、今日は西大台ルートを歩いているはず。いつか機会があれば、西大台も歩きたい。西大台は明治時代に開拓しようとした人もいたらしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時24分=伊藤 幸司
私たちは大蛇嵓から引き返して、牛石ヶ原の道を戻り、尾鷲辻のところから日出ヶ岳を目指したのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時27分=山咲 野の香
この木はトウヒでしょうか。すっくと、牛石ヶ原のシンボルツリーに見えた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時28分=山咲 野の香
これから開くシワシワの新緑が、今、この時だけのオンリーワンの空に映えてます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時46分=秋田 守
正木ヶ原へ行くと、今朝から何度か見かけた調査員の二人連れがいた。鹿の被害の調査をしているとのこと。最近は鹿の被害は少なくなったそうだ。大台ヶ原では、伊勢湾台風で多くの樹木が倒壊し、ミヤコザサが繁茂するようになり、笹を餌とする鹿が増え始め、その後、鹿が一気に増え、針葉樹の実生や樹皮まで食べるようになり、ますます森が衰退したという歴史がある。現在では保護ネットを張ったりして森林の保護育成が計られている。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時48分=山咲 野の香
日出ガ岳遠望。立ち枯れ、横たわる白骨林は、日出ガ岳への逍遥を誘う道標のよう。
詩情を感じる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時48分=稲葉 和平
伊勢湾台風による倒木も観光の一役を買っているよう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時48分=秋田 守
大台ヶ原はもともとはトウヒなどの樹木が鬱蒼とした森をつくり、林床には苔類が密生していた。しかし、昭和30年代、伊勢湾台風や第二室戸台風などにより、強風で樹木が倒れてしまった。木材資源として価値があるものは搬出されたが、そのまま放置された木々は、風化して今も山内のあちらこちらに残っている。まるで北海道のトドワラのような景色。様々な保護施策が行われているが、この先、昔のような豊かな森林が復活するのかは不明。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時49分=伊藤 幸司
正木ヶ原に出ると実に明るい笹原が広がって、前方には日出ヶ岳の山頂らしい膨らみが見えてきました。

環境省の『吉野熊野国立公園 大台ヶ原』の『コース案内』に『正木ヶ原』がありました。
【ミヤコザサ草地がひらけており、立ち枯れしたトウヒの風景が現れます。野生のシカがよく出没します。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時51分=稲葉 和平
だんだん雲が増えてきた。日出ヶ岳まで晴れていてほしいのだが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 09時59分=稲葉 和平
なが〜い階段。段差も小さく、歩きよさそう。天まで上る気分で。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時00分=伊藤 幸司
なんという光景でしょう……。立ち枯れの樹木も、きれいに刈り上げられたミヤコザサもすごいけれど、この立派な階段廊下。壮大な庭園が広がっていました。
この光景が生まれた最大の原因は1959年(昭和34)の伊勢湾台風だったそうです。

『ウィキペディア』の『大台ヶ原山』にはこう書かれています。
【大台ヶ原の南東部、正木ヶ原や牛石ヶ原ではトウヒの立ち枯れと笹原が見られる。これは、1959年(昭和34年)に近畿地方を襲った伊勢湾台風が森林を破壊して地表に日光が差し込むようになり、コケ類が衰退してミヤコザサが繁茂し始めたためである。ミヤコザサの繁茂はこれらを主食とするニホンジカの生息数増加を招き、大台ヶ原の森林を構成する樹木の幼木や樹皮がシカに採食されるようになった。このほかにも人為や地球規模での環境変化など、複合的な要因によって森林衰退が進んでいると考えられている。環境省ではシカが環境に与える影響が大きいとして個体数の調整(捕獲)を実施してきているが、自然保護団体からは、シカと環境変化の因果関係は不明であり駆除を行うべきでないという意見も出ている。】

さらに【大台ヶ原は吉野熊野国立公園のひとつに指定されていて、中心付近の標高1,573.7m地点には大台ヶ原の自然や歴史を紹介する施設として「大台ヶ原ビジターセンター」が建てられている。ビジターセンターには200台以上を収容できる駐車場が整備され、周辺には売店や飲食店、宿泊施設が営業している。登山道はビジターセンターを起点に周回する複数のルートが整備されているほか、東側山麓の大杉渓谷からのルートが知られている。1961年に大台ヶ原ドライブウェイが開通してからは、手軽に訪れることができる山となり、登山者や観光客が増加したことも自然に影響を与えていると推定されている。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時01分=伊藤 幸司
足元には尾鷲の海がありました。大台ヶ原と鯨漁の尾鷲とはすぐに結びつかないのですが、先ほど通過してきた「尾鷲辻」は尾鷲からの登山道の合流点という意味だそうです。そのことに触れるレポートがありました。

『ヤマレコ』の『尾鷲道 大台ヶ原から尾鷲へ』(2015年10月18日・日帰り)です。
【以前大台ヶ原からマブシ嶺まで歩いたとき、その先が尾鷲に続いていると知って、いつか歩きたいと思っていました。ですが、記録も少ないし、車のことを考えると無理かと思っていました。
尾鷲市の三重県立熊野古道センターが「尾鷲道100周年記念トレッキング」をすると知り、申し込みました。20人の募集に63人の応募があったそうですが、当選できました。
http://www.kumanokodocenter.com/event/151017_1.html
17日はお天気が悪くなりそうだったので、18日になりました。そのためか、15人の参加になりました。5人ずつの3班に分かれ、それぞれにガイドが2人付きました。21人でのトレッキングになりました。
古道センターでの受付が午前3時半からで、4時にマイクロバスで出発して大台ケ原の駐車場まで送ってもらいました。
素晴らしいお天気になりました。紅葉もきれいでした。
マブシ嶺からは大峰山脈が正面にくっきりと見えました。
紅葉の時期で大台ヶ原の駐車場はあふれていましたが、この道は私たちだけです。
途中がれているところが何か所かありました。
この尾鷲道は100年前に尾鷲から大台教会に参詣するために開かれた道です。昔は地元の人たちが多く歩いたそうです。子供たちも夏休みには10時間以上かけて歩いて大台教会に泊まり、翌日下山したそうです。また、尾鷲の魚が奈良に運ばれた生活の道でもあったそうです。
ですが、伐採により地盤が緩み崩壊するところが増え、また車社会になり歩く人がいなくなり廃道になっていましたが、最近地元の方たちによって整備されてきました。
今回ガイドの方たちのおかげで無事に歩き通すことができました。
参加者も健脚な方ばかりで21人という人数でしたが、予定よりも速く歩けました。
途中ではこの道の整備に当たってくださった「外遊びぷろじぇくと」の方々が美味しいコーヒーやお菓子のおもてなしをしてくださり、大変感謝しています。
せっかくの尾鷲道、また多くの方が歩いて廃れないようにしてほしいものです。
ただ、まだ誰もが簡単に歩ける道ではないので、できれば知っている方に案内していただいたほうがいいと思います。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時02分=山咲 野の香
日出ガ岳山頂へ。木製階段を登る。眼科は尾鷲湾らしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時02分=稲葉 和平
海が見えてきた。雲が多いのが残念。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時04分=伊藤 幸司
地図と見比べてみると、まさに尾鷲の入江が見えているように思えます。大海原に船の1隻もあればそれで満足したのですが、あまりにも静かな海。そこで手前の入江を見てみました。(次の写真を)

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時04分=伊藤 幸司
1,200mm相当の超望遠撮影ができる今流のデジタルカメラを持つようになって、これまで常にザックに入れていた双眼鏡を持たなくなりました。35mm判の一眼レフカメラを使っていたときには手持ちで撮影できるのは300mmまででしたから、すごいもんです。これもどこかによりかかるというようなことをせずに、立ち止まって、ちょうど双眼鏡をのぞくような感じでシャッターを押しています。

これはグーグルマップの航空写真で見ると紀勢本線・大曽根津駅のところにように思われます。湾内に張り出しているのは中部電力三田火力発電所への燃料供給パイプのようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時05分=山咲 野の香
熊野灘へ向く展望ベンチには、のんびりとカップル。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時05分=稲葉 和平
大台ケ原は何もないけれど、気分のいい山だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時06分=伊藤 幸司
日出ヶ岳への階段木道は見事なばかりに上へ上へと伸びていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時06分=伊藤 幸司
大峰山脈で一番特徴的な山がこれなので、とにかく撮っておきました。行者還岳(1,546m)です。

『kIKUO'S HOMEPAGE 和歌山県熊野地方で生まれて育ったアウトドア大好き人間のホームページです。アウトドアをベースに、写真、カヌー、バイク、釣りなど、何でもありのページをご覧ください。』の『熊野古道 大峯奥駆道』に『行者還岳』がありました。
【熊野古道はアクセスが悪い。
それが魅力でもあり、巡礼の道として修行の道として1200年以上も変わらず、人を迎え、はねのけ、鍛え、癒し続けているのである。
今回は、さほどハードでないといわれる、行者還岳に登ることにした。
朝8時にはでないと登り切れないのが分かっていたが、目覚めが遅くなり、出発予定より2時間ほど遅れて10時を大きく過ぎていた。
出発点の行者還トンネル東口に着いたのはすでに12時近くであった。
10時から登りはじめる予定が、2時間近くも遅くなってしまった。
天気はそれほど暑くなく、絶好の登山日和であった。
東口の登り口に向かって歩いていると蛇が迎えてくれた。
12時から東口の階段を登りだしたが、最初はルートをとれていたが途中で赤いテープを見失い、道が分からなくなった。
とにかく上に登れば奥駆道には着くのが分かっているので歩きにくい、道なき道を直登した。
ジグザグに歩いて少しずつ上へ登った。
そのうちに本道の木の階段がある道に突き当たり、そこからは通常ルートで奥駆け道を目指した。
本当は山頂で食べる予定だったが、遅くなったため東口登山道の中腹で昼食とした。1時15分だった。
やっと大峰奥駆道とトンネル東口の分岐についたのが2時30分であった。
二人連れが休憩していた。
「これからだと行者還岳は無理ですかね?」
「むりやね。私らはこれから東口に降ります」ということで仕方なく行者還岳の頂上は、あきらめた。
歩き始めから2時間30分で、ヤマレコでは50分とあったが、その3倍もかかってしまった。

頂上には行けないので、分岐点から奥駆道を行者還岳方面に、帰りの時間を考えながらいけるところまで行こうと歩いた。
途中行者水場があり廃屋があった。3時40分になっていた。
「一ノ多和」である。
中には長靴やペットボトルなどがあったがせっかくだから改修して、休憩のできる東屋にしてほしいと思った。
廃屋の前に平地があったので、コーヒーを湧かして飲んだ。
3時10分であった。
同じコーヒーでも山で飲むのと家で飲むのとでは味が違って感じる。
山で飲む方が遥かにうまい。
大峰奥駆道は快適で、天気もいいしトレッキングとしては最高の条件だった。
道のあちこちにトリカブトがたくさん咲いていた。
キノコや地衣類等たくさんの生き物が目を楽しませてくれた。
奥駆道を行く楽しさはこの生物の多様さにもある。
2時間ほど歩くと行者還トンネルと弥山の分岐についた。「奥駆出合」である。
4時20分になっていた。
70歳代と思われる女性3人と男性1人が休憩していた。
「どちらまで行かれるのですか?」と聞くと、
「行者還トンネル西口に降ります」ということであった。
ちょうどいいので後を追いかけることにした。後を追いかけて歩き出したのはよかったのだが、4人組は歩き慣れているのか足が速く、あっという間に視界から消え、そして声も聞こえなくなってしまった。
後から5,6人同じように西口に向かう人がいたが、すべてに抜かれた。
ふと山肌を見るとなにやら獣がいた。
最初はイノシシかと思い身構えたが、カモシカだった。ちらっとこちらを見て谷に降りていった。
カメラを構えたが暗かったのでぶれてしまったが、かなりの至近距離にいた。
連写をすれば中にはきちんと写ったのがあったかも知れない。
反省。
カモシカにはすこし下った小川を渡っているところにも出くわした。
蛇に迎えられ、カモシカが送ってくれた。
ワイルド!!
石のごろごろした歩きにくい急坂をさらに下りやっと平坦なところにでると、そこはきれいなせせらぎで、三角の木の橋が架かっていた。
ゴールはもうすぐのようで、車の音も大きく聞こえてきた。
まもなく行者還トンネル西口の駐車場前にゴールした。
6時9分であった。
なんと下りに2時間近くもかかったことになる。

ゴールを西口にした関係で、東口においた車のところまで歩いた。
電灯もない真っ暗な中を2km位のトンネルをひたすら歩き、車についたのは6時30分であった。
そして最後の締めくくりには鹿君たちが送ってくれた。
車のライトが光っていても逃げずに、うさんくさそうにこちらをかなり長く見ていた。
カメラをのぞいても何も見えなかったが、シャッターを半押しするとピント用の補助光が光り、鹿たちの目が赤く光るためそこにピントが合いシャッターが押せた。
シャッターが切れればそこはデジカメ。
車のヘッドライトの光軸から離れた薄暗いところでも、きちんと露出を合わせてくれていた。
行者還岳の頂上には行けなかったが、次の大峰奥駆け道登山の参考になった。
近いうちにリベンジ登山をしなければいけない。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時07分=伊藤 幸司
ところどころに展望テラスが作られている緩急の表現など、かなり親切な設計だと感心します。日出ヶ岳を巨大な山岳展望庭園にするという野心は成功しています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時08分=山咲 野の香
西は吉野山方面。大峰山脈らしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時09分=伊藤 幸司
私たちが泊まった宿が見えました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時09分=伊藤 幸司
そろそろ山頂が見えてくるはず……などと思いながら、登り続けます。正直、いい気分の登りでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時09分=秋田 守
大台ヶ原山最高峰、日出ヶ岳へ向かって長い階段を登っていくと、やがて左手に熊野灘と熊野市が見えた。意外と海までが近くて驚いた。そして、しばらく登り続けると、下の方に、今朝の出発地点、心・湯治館やビジターセンターが取り囲む山上駐車場が見えた。ここまでかなり登ってきたことが分かる。その背後に聳えるのは、八経ヶ岳を中心とする大峰山の山並み。さらにずっと左手方面を見やれば、釈迦ケ岳の特徴的な尖りピークがある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時12分=伊藤 幸司
ところが山頂はまだお預けで、道は下りになりました。ところがここにあったのが素晴らしい「松肌」たち。シロヤシオ(ゴヨウツツジ)ではありませんか。6月の大台ヶ原はシロヤシオの山になるとわかりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時14分=秋田 守
長い階段の所々に休憩所があり、そこから熊野灘を見下ろすことができる。現在地の真下あたりは紀伊長島町であろう。紀伊長島へは昔から何度も通ってきたが、あちらから山の方を見ると手前の山並みに遮られて、大台ヶ原までは見えたことがなかった。それだけにこの近さには驚いた。そして東の方へ眼をやれば、志摩半島まで見える。条件が良ければ、知多半島や、さらに年に数回、富士山まで見えることがあると案内板には書かれていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時15分=山咲 野の香
熊野灘の海岸線が開けている。気分爽快。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時16分=伊藤 幸司
ようやく山頂が見えてきました。一度下って登り返すと、そこに四角い建物があるのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時18分=伊藤 幸司
シロヤシオの道の中に枯れ木が1本ありました。名前もわからず、特別な魅力ということでもありませんでしたが、その日の青空に、この白い木が印象的でした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時19分=伊藤 幸司
ここなどは来月にはシロヤシオのトンネルですよね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時21分=山咲 野の香
山頂の展望台も見えた。あと一息。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時23分=山咲 野の香
根こそぎのオブジェ。いつまで朽ちずにいられるか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時23分=伊藤 幸司
この展望テラスは特別でした。なぜならこの入口に【海が見える】という案内板があったのです。
【天気がよければ、この方向に熊野灘が見えます。尾鷲湾、志摩半島、そして知多半島も望めます。遠く富士山が見えることもあります。
でも、雨や霧で見えないことがしばしばです。周辺が晴れているのに、雨や霧で見えないことがしばしばです。周辺が晴れているのに、雨や霧がでやすいのは、海から湿った空気が吹き上げて、直線距離で15kmしかない大台ヶ原にぶつかるためです。】
富士山は見えませんでしたが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時26分=山咲 野の香
階段下にたくましく、今季最後のスミレかな。君の名は?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時26分=伊藤 幸司
これはやっぱりヒメミヤマスミレですかね。ミヤコザサの大海原の中、木製の階段廊下の下に居住空間を見つけたようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時26分=秋田 守
階段の下にスミレがぽつりぽつり咲いていた。花や葉っぱの様子からすると、タチツボスミレでしょうか。昨日からスミレと言えば、小ぶりなヒメミヤマスミレばかり見てきたので、もっとも当たり前でありふれているはずのタチツボスミレが、少しばかり新鮮に見えた。山の花を見ているとこういうことはよくある。どんなに珍しい花でも、最初見た時は大感動して写真を撮りまくるが、次々現れると、そのうち、もういいやと思っていまうのだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時27分=山咲 野の香
ワチガイソウ。ヒゲネかどうかは不明。こちらも階段下。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時28分=秋田 守
階段付近にはスミレだけでなく、ワチガイソウも咲いていた。名前の由来である輪違いとは、ふたつの輪が重なる紋様。家紋とする家もある。京都の花街、島原には輪違屋という置屋兼お茶屋がある。現在も江戸時代の建物が残っているが、昔、ここで写真家東松照明氏に雑誌の特集で撮影をしてもらった。昨年、バルセロナでたまたま東松氏の写真展に出くわし、入ってみたら、その時撮影された作品が1点展示されていて、とても嬉しかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時29分=伊藤 幸司
紫色の、スミレらしいスミレがありました。大台ヶ原での植物調査データがないかいろいろ探したのですがなかなか見つからず、一般的なネット情報では「大台ヶ原といえばヒメミヤマスミレ」ばかり。お手上げですが、タチツボスミレだという意見も散見します。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時29分=伊藤 幸司
ワチガイソウは環境省の『吉野熊野国立公園 大台ヶ原』の『生き物紹介』の『植物』の一覧ページにありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時29分=伊藤 幸司
山頂近くになると木製の階段道路は旧タイプになりました。鉄枠に木製プレートを置いていくという、これもかなり斬新な方式だったように思われます。こういう作業の場合、材料をヘリで運んだとしても、最終的に人力でセットアップするという合理性を求められたと思うからです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時32分=伊藤 幸司
いよいよ日出ヶ岳山頂に近づきました。昨日まで10日間降り続いたという雨が、この山の向こう側、流れる水を集めていく大杉谷でどのようになっているか、私たちにはまだ何もわかりません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時40分=秋田 守
日出ヶ岳の展望台で10分休憩。昨日、上北山物産店で買った柿の葉寿司を食べた。柿の葉のいい香りがご馳走。鯖寿司は作りたてより、しばらく置いてから食べた方が美味しい。昔、学生時代、京都の東寺、弘法さんの縁日によく出向いた。行くと必ず鯖寿司を買って帰ったものだ。今みたいに有名店の高級鯖寿司ではなく、姉さんかぶりのおばさんが自ら手造りしたのを売っていた。すぐに食べんと、明日まで待ってから食べよし、と言われたものだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時47分=伊藤 幸司
日出ヶ岳山頂の展望台に上がったら、まず西の空を撮りました。正直、目安になる山がなかったのでなんとなく大峰山脈の中心と感じたところを真ん中に持ってきて。
あとでじっくり調べてみると、右側1/4あたりの鞍部に尖って見えるのが行者還岳(1,546m)ですから、その右の高まりは大普賢岳(1,780m)、行者還岳から左に登っていくと弥山(1,895m)、ただし小さな鞍部を隔ててすぐ左にある八経ヶ岳(八剣山、1,915m)のほうがわずかに高いという感じも伝わります。

そこから緩やかに下ってこの写真の中央の木の上に、もう一度盛り上がったところは最初のまろやかな峰が(たぶん)仏生ヶ岳(1,805m)、その左に2つ並んでいるピークが孔雀岳(1,779m)と釈迦ヶ岳(1,800m)。大峰山脈はさらに左手に延びていて、たぶんこの写真の左端まで続いているようです。

糸の会では2007年4月に和佐又山から大普賢岳に登っていますが、交通と宿泊が糸の会の行動パターンとなじまないところがあって、以後敬遠したままになっています。もちろん私はすぐ隣の山上ヶ岳に登っていますが、そちらはユネスコの世界文化遺産に指定されていながら女人禁制を守っているので糸の会では事実上計画できません。

『ウィキペディア』の『大峰山』には次のように書かれています。
【大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南面にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。
歴史的に使われてきた呼称及び修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野としてきた。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時48分=伊藤 幸司
前の写真では大峰山脈の右端が切れていたので、カメラを右に振りました。ここではほぼ中心に写っているのが前の写真で右端だった大普賢岳(1,780m)で、そこから右手へ、小さな鞍部を越えたところが山上ヶ岳(1,719m)です。大峰山寺のある女人禁制の山。昨日吉野で見た金峯山修験本宗総本山金峯山寺の金峰山はその山上ヶ岳までということのようです。

この写真でも緩やかながら大きな鞍部の真ん中にある行者還岳のとんがりピークによって、写真左端の弥山(1,895m)と大峰山脈最高峰の八経ヶ岳(八剣山、1,915m)がわかります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時48分=伊藤 幸司
山頂展望台にはこの「日出ヶ岳山上より西を望む」という丁寧な展望図がありました。注目すべきは山上ヶ岳の右奥に見えるという金剛山、葛城山、信貴山、生駒山という大阪との境界を示すような山並み。本当に見えるのか、見える方向を示しているだけなのか、わかりませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時49分=伊藤 幸司
山頂展望台から海の方を眺めました。すでに何度も見てきた尾鷲湾、熊野灘です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時49分=伊藤 幸司
大海原が見えるというのに、一度も船を見ていません。ここは標高1,695mなので、水平線はおよそ150km先にあります。

若い頃私は清水港から時速10ノット(約20km)という鈍足貨物船でマダガスカルまで運んでもらったことがあるのですが、この沖合のあたりでは船はまるで1本の道を往来するかのように行き来していて、しかもタンカーなどは倍以上のスピードなので進行方向の水平線から姿を現すと30分ですれ違って、さらに30分で水平線の彼方に消えていくというすごい世界を見てしまったのです。学生だった私たちは(船員さんたちからどう見られていたか今となっては冷や汗モノですが)マストの上で昼寝をしながら半径20kmの円盆の世界にいたのです。後ろからきた船は1時間で追いついて、1時間後に姿を消していきました。
ですからここから150km先までの海原に船が見えないはずはないとおもうのですが、霞みぐあいと船の大きさとで無人の海のように見えたのかもしれません。ちなみに水平線までの距離は水際に立った場合は約4km、その船のマストの高さを海面上約30mとしての模式的な計算です。

そのときは東シナ海を抜けるまで波ひとつない海だったのですが、双眼鏡で見ると円盆の海はその縁がギザギザと盛り上がって、船はまるでエレベーターで垂直に上ってくるように見えました。だから、船で使う双眼鏡は基本的に7倍で、口径を大きくして肉眼で見るより明るく見えるように人間の「ひとみ径」と同じところまで対物レンズを大きくしている理由がわかりました。
そしてそのとき、もし私が大航海時代の帆船のマストに上がってワッチ(監視)をしていたとして、海は凪ぎ、無風で帆船が停止状態だったとしたら、ものすごい緊張を強いられていただろうと思ったのです。「現地人」の手漕ぎのカヌーが時速5kmのスピードで近づいてきたら、4時間でここまでくる、という円盆の世界なのです。日本海海戦でロシアの大艦隊を迎え撃ったその瞬間なんかも、サッカーのシュート場面のような一瞬だったのではないかと想像しました。

それと、帆船時代の船乗りにとって、世界は絶対に「無限の円盤」だったはず、つまり天動説の信者だったはずだと思ったものです。
逆にいうと「地球岬」というような海の展望台に立つと、ほとんどの人が「水平線が丸い」と錯覚(丸く感じるかはしれませんが)しているのも、科学的ではないと思います。 そんなことを日出ヶ岳の山頂で考えていたわけではありません。この素晴らしい展望を写真で見ながら、船が見えないと思った不満を思い出したのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時49分=秋田 守
日出ヶ岳山頂には、立派な2階建て展望台があり、その脇にひっそりと一等三角点があった。もちろん、写真を撮るだけでなく、石標にタッチしてきた。標高1695m。ここが日本百名山の一つ、いわゆる大台ヶ原山の最高峰で、三重県と奈良県の県境。山全体が特別天然記念物に指定され、吉野熊野国立公園の一部でもある。この山は他にも、一等三角点百名山、関西百名山、近畿百名山、なんてのにも入ってるんですねえ。全然知らなかったです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時52分=伊藤 幸司
日出ヶ岳の山頂を離れるにあたって記念写真。
これはカメラのHDR(ハイダイナミックレンジ)という撮影モードで撮っています。ハイライト重視、シャドー重視の写真を加えた3枚の絵を合成していいとこ取りの写真にしてくれるという機能ですが、これなどはスマホで撮るともっとうまく仕上げてくれるのではないかと想像します。でも顔がわかって、背後の海も見えるので、糸の会の山頂での記念写真は、以前と比べたら良くなったんじゃないかと思うのですが……。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時52分=伊藤 幸司
同じ記念写真を通常撮影で背景重視で撮っておきました。自分がどれだかわかれば、それでいいじゃない? というレベルですけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時54分=伊藤 幸司
山頂からの別れ際の写真ですが、この山頂、じつは正式名称に不明部分があるのです。1/25,000地形図には「大台ヶ原山」の最高地点が「日出ヶ岳」となっています。そこまではいいのです。
武内正さんの労作『日本山名総覧』(1999年・白山書房)には「ヒデガタケ」とあって、カッコ書きで(大台ヶ原山 オオダイガハラヤマ、ヒデガタケ)としています。

武内さんはその本の「はじめに」で次のように書いています。
【2.5万分図から山名を拾いだす作業は確かに大変であった。しかし、それ以上に大変だったことは、山名の読み方調査だった。国土地理院にはその資料はある。しかし、それは一定レベルの役所や研究機関に提供しているだけで、民間には頒布していない。そこでやむをえず市町村役場に問い合せをすることになったのである。照会した市町村数は2,500市町村に及び、再依頼を含めると回答数は2,800通を超えた。90パーセント以上の市町村の対応は大変協力的であった。本書の完成には、全国の市町村役場の各担当者の協力が大きかったことを書き添えておきたい。】
そして判例のページに【ヨミ:現在地元で呼んでいる読みかたを基本にしたので、登山界や国土地理院の資料と異なる読み方の山がある。】

1991年に建設省国土地理院が『日本の山岳標高一覧──1003山』という本を出しました。これは山の高さをできるだけ正確に表記したいという要望を叶えるための「山の高さに関する懇談会」が国土地理院に設置され、国土地理院としての新しい情報として発信したものです。以後山の高さが以前と違う数値で書かれたりする例が多くなりましたが、この本を契機にしたものです。

その新しい標高については次のように書かれています。
【今回の調査における山の標高は、三角点、標高点がその山の最高地点にあると地形図から判読できる場合は、地形図上でのその標高値を採用した。それ以外の場合には、写真測量又は現地測量による山の最高地点の測定値を表示した。】

と同時に山の名前についてもその判断基準が述べられています。
【山名 <山頂名>
一山一峰の単純な山は山名をそのまま記載したが、複数の峰(山頂)を持つ複雑な構成の山は、全体を総称する名称を山名として表示した、さらにその最高峰に山名としたものと異なる名称があるときには、その名称に<>をつけて山頂名として表示した。
また、最高峰でない峰であっても、この表に掲載することが妥当と考えた著名な峰については、最高峰に続けて次行に表示した。
一つの山と見なした領域の設定と山名の取扱いについては「付属資料」を参照されたい。
山名を含む地名全般については、地形図の新規作成または修正の際に関係市町村長の確認を受けた資料を作成しているが、本表の山名についても原則としてこの資料によった。なお、由緒のある古い呼称などについては備考欄に示した。
山の呼び方は、山名・山頂名欄にひらがなで表示した。その典拠は上記に同じである。】

……で、日出ヶ岳に対する国土地理院の回答は次のようになりました。
【大台ヶ原山 <日出ヶ岳>おおだいがはらざん <ひのでがたけ>、ただし備考欄におおだいがはらやま<ひでがたけ>】

いかがですか、みなさん。私は『日本山名総覧』に準拠したままで、それは『日本の山岳標高一覧──1003山』の備考欄と同じなんですね、今回きちんと調べてみたら。次の機会にはどうしようかな?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時55分=伊藤 幸司
山頂のはずれにこの標識がありました。下山路と間違える人がいるのでしょう。登ってきた道から見ると、この道は山頂を挟んで180度の方向です。だれが、どう考えたって間違えっこないはずです。
でもあるんです。それも初心者じゃなくて、地図をきちんと見てきちんと考えて、自信をもってこの方向でいい、と結論づけたベテランに起きうる間違いなんです。

わたしもその経験があるといったら、糸の会のメンバーからは「けっこうある」と古い傷口をえぐり出されるようなことになるんですが、もちん写真のような天気のときにうかつにそんなことが起きたというケースは「あっても1〜2回」ぐらいかな。
こわいのはガスに巻かれているとか、強い風に吹かれているとか、雨の中で地図を見るのに不自由しているとか、なにか悪い条件が加わっているときに、頭がグルグル回ってしまうのです。ベテランになるほど考えることが多いのです。あれこれ考えて、つまり熟考した結果、こちらだ、こちら以外に正解はない、と決めたときに、方向が180度狂っているということがあるのです。どうですか、ベテランのみなさん。

考えすぎて最後の選択肢の二択状態でまちがえてしまうのです。
その危険を防ぐのは簡単です。方位コンパスを持っていればいいのです。でも高価な、方位角まで測れるやつだと正確すぎてやっぱりあやしいい。半世紀前、私が子どものころにはアルミの水筒のキャップに方位コンパスがついていたように思うのですが、ああいう「東西南北がわかる程度のコンパス」がその場面では重要なんです。単純に地図のアタマ(すなわち北)がどちらに向いているかを確認するだけで絶対に起こさない凡ミスだからです。でも(残念ながら?)高度な方位コンパスはいまやスマホはもちろん、いろんな電子機器に内蔵されていたりするのですが、方位角を精密に測れると、逆にそういう場面では間違っている人が自己を正当化する方向で使われたりしがちです。
道がないところではっきりした地点から方位と歩数で簡易測量しながら進むというような大平原での道迷いには精度の高いコンパスが必要ですが、どの道が正しいかと考えるときには地図の北が実際の北と合っているかどうかを確認するだけ、それだけが重要なのです。

……で私はどうしているかというと、けしからん話ですが、ここ10年は完全にノー・コンパスです。もしほんとうに困った事態になった場合にどうするというと、みなさんに「北はどっちですか?」と聞けばいいのです。パチンと答えが帰ってくることは少なくていくぶん情報が乱れますが、いいのです。南北に対して北がどちらかわかれば地図上の道のどれをたどろうとしているかわかるからです。

「私たちは登山道をはずれない」ということを愚直に守っている(守れない場面になったら偵察が必要な探検登山だと考えます)ので、(リーダーである私のアタマの中での混乱だったとしても)前進が保証されないときには何が何でも(ごめんなさいを繰り返してでも)戻ります。自分たちの勘違いの始まりがどこにあったのか知るために。

実際のところ、この看板を軽く見てほんのちょっと下り始めたとすると、途中から戻ることはとても難しくなります。よほど覚悟を固めないと「戻る」という判断ができなくなってしまいます。ずるずると下ってしまうのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 10時55分=秋田 守
さあ日出ヶ岳を後に、いよいよ大杉谷へと下っていく。ここまでの東大台ルートは、お天気さえ良ければ気軽にスニーカー履きでも十分に歩けるが、この先は登山支度をしっかりしていないと危険ということで、注意喚起の看板が立てられていた。お気軽気分の延長で入ってしまう人もいるのだろうか。時刻は11時前、計画では16時過ぎに桃の木山の家に到着予定。これから、まだ5時間、しっかり歩かなくてはいけない。気を引き締めて行こう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時00分=伊藤 幸司
東大台の正木ヶ原から日出ヶ岳山頂にかけて、伊勢湾台風が一発で鬱蒼とした森を立ち枯れの大草原に変えてしまったというすごい風景を見てきました。

じつは首都圏の山で元気な大木が次から次にへし折られた時期がありました。それはほとんどが雪でした。
雪といっても雪国の雪ではないのです。雪国の雪は斜面をずり下がるような雪の圧力で木の根本が大きくたわんでいる光景が一般的ですが、首都圏で見る雪害では湿った重い雪が葉を茂らせた元気な木に降り積もって、恐るべき重さで真上から押しつぶして、幹をへし折ってしまうのです。
この木もおそらく台風か何かの強風でへし折られたのだと想像しますが、これは屋久島の屋久杉と似ていると思います。屋久島では樹齢3,000年を越える杉を屋久杉と呼んでいるのだそうですが、その親分の縄文杉を始めとして、たぶんすべての屋久杉はチビです。

おそらく最初は健康優良児のごとくぐんぐん育っていったのでしょうが、出る杭は打たれるの言葉どおり、何十年かに一度の大嵐でへし折られてしまうのです。そこから上に伸びるエネルギーを太る方に注ぎ、さらには三代杉のように自分の子どもだか周囲の誰かの子どもだかを養子に迎えるようなかたちで巨木への道を歩んだのです。

この木がここで終わるのか、ここから新たな巨木への道を踏み出すのかはわかりませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時02分=伊藤 幸司
シャクナゲ、こちら側でもやはりツクシシャクナゲなんでしょうね。道際にポツポツと出てきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時03分=伊藤 幸司
この木が圧倒的なパワーでへし折られた日にもし私がこの道を歩いていたらどうだったでしょうか。
日出ヶ岳のあの吹きっさらしのことはとうてい想像できません。でもここのことはいくぶん想像の範囲内です。

というのは一時期わたしは積極的に「台風を見に行く」という山をみなさんにすすめていました。ひとつは予報の台風と、実際の台風とのちがいを一度体験しておくことに価値があると信じていたからです。
まだ中央本線が台風情報のなかでぎりぎり頑張っていた時代には計画が台風とぶつかると心がウキウキしたものです。たいていは「台風はどこ?」というようなすばらしい登山日和になるはずと考えていいのですが、さらに幸運に恵まれて台風が実際自分たちの上を通過していった安達太良山だとか赤岳だとかでは私は粋がってカサをさして歩いていました。雨の日にはいつもカメラのレンズを濡らさないためにカサをさしているのですが、樹林帯にいるかぎり、森が激しく唸っていたとして東京のビル街を歩くよりはるかに穏やかです。もちろん森林という保護層がなくなってしまえばそうはいかないわけですから「台風を見る」のはそこまでですけれど。
言い方によっては台風による敗退ですけれど、どこに下っても観光地ならガラガラ、予定が変わってもどうにでもなります。
つまりこの枝がへし折られるような強風が吹いていたからといって、ここがそのとき通れない道だとはいえないのです。もちろん緊張はさせられると思いますけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時03分=稲葉 和平
ちょっと変わったシャクナゲの蕾。ツクシシャクナゲという種類らしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時04分=伊藤 幸司
ほんとうに、すごい日があったのですね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時05分=伊藤 幸司
根こそぎゴロン、という倒れ方をする木は、山ではけっこうたくさん見ます。山では必ずしも土壌が深くないらしく、倒れた木を見る限りでは、あんがい危うい土台の上に巨木があるという印象なのです。だからこんなふうに転んだ木は、途中で折れた木ほどには驚きません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時06分=伊藤 幸司
シャクナゲ平という道標にしたがって下っていきます。花芽の数は多いとはいえないようですが、シャクナゲの林の中をくぐり抜けて行く感じです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時07分=伊藤 幸司
背が低い寸胴型の巨木がありました。寸胴のてっぺんから枝というか、新しい幹というか、元気な緑を育てています。屋久杉と似た、この森の主なんでしょう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時09分=伊藤 幸司
眼の前にシャクナゲの花があったので、撮りました。けれどもこれがツクシシャクナゲだという根拠は示せない写真です。実を言えばそのときツクシシャクナゲなんていう名前も知らず、知っていたとしてもどこかで見られるかもしれない希少種だぐらいにしか思っていませんでした。

山に行く前の予習はじつはあんまり好きではないのですが、このルートは3回目ですからね。前の2回は10月と4月。シャクナゲは咲いていないにしても、咲いたらツクシシャクナゲだ、ぐらいは過去の知識として知っていても良かったのに。ちょっと反省。そういう反省から「発見写真旅」というのを考え「山旅図鑑」というのに進化してきたつもりです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時00分=伊藤 幸司
シャクナゲ平という標識が出てくるのは11時33分です。山頂を出てからここで約20分ですが、もし道を間違えていたとして、ここから引き返すのはどう見たって億劫です。道はしっかりしているし、道標も完備されている。地図を見れば林道もある。このまま下ってもなんとかなるかもしれない、などと考えたりします。ほとんどの場合、たった5分下ったところでも同じように考えたりするんです。……だから「30分以内なら戻ってみる」という原則をもっていないと、ずるずると引き返せなくなってしまいます。

私がトップを歩いていたおよそ20年間に何度もそういう「ごめんなさい」をやってきましたが、10分戻るのでもブーブー、30分戻るのでもブーブーですが、たぶん同じブーブーです。「戻る!」と決めたら、その瞬間から新しい「前進」になるからです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時11分=伊藤 幸司
大台ヶ原にあるのはコバイケイソウではなくてバイケイソウのようです。
環境省の『吉野熊野国立公園 大台ヶ原』の『生き物紹介』『植物』に『バイケイソウ』があって、コバイケイソウはありません。
【湿原周辺の草原や明るい林内などに生育する多年草。春に芽を出し始め、初夏に高さ1メートル以上にもなる花茎を出し、緑白色の臭気のある花を咲かせます。全草にアルカロイドを含む有毒植物。】

写真にこういう解説がついていますから、ある/なしの確認以上には使えないと思っていたのですが、うかつでした。その【植物】の【名前の頭文字から検索しよう!】という窓口のすぐ上に【植物確認種リスト(pdf形式:74.4kb)】という1行があって、それを開くと、なんと『植物確認種リスト(平成19年度・種子植物)』が695種、『植物確認種リスト(平成19年度・シダ植物)』が200種、『植物種確認リスト(平成20年度・蘚苔類)』が425種の一覧表となっていて、文献それぞれに出ているものと、現地確認されたものおよそ平成15-20年に現地確認されたものとがチェックされているではないですか。私は植物には疎い方なんで有効活用できるとはおもいませんが、ユリ科を見るとバイケイソウはありますが、コバイケイソウやミヤマバイケイソウは「ない」ということがわかります。

……でついでにスミレ科を見ると11種が載っていますが、8つの文献のどれかに載っているもの全部がそれで、【平成15-19年現地確認種】はヒメミヤマスミレ、タチツボスミレ、コタチツボスミレ、フモトスミレ、シコクスミレ、アギスミレ、シハイスミレの7種です。

さらにツツジ科を見てみるとシャクナゲとしてはツクシシャクナゲのほかにホンシャクナゲもあるのです。でもホンシャクナゲは【文献8:「大台ヶ原山において2002年から2005年に採集した植物標本目録」(森本・瀬戸・菅沼・横田・松井、2006)】と【H15〜H19現地確認種】のふたつだけに登場しているらしく、それはまた2002年が平成14年、2005年が平成17年ですから根っこはひとつだと思われます。

ともかく、大台ヶ原の植物のアル・ナシが素人にもわかります。その名前でひとつひとつグーグルの画像検索で見ていく手間さえ惜しまなければ、相当のことがわかります。税金がきわめて有効に使われていると感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時12分=伊藤 幸司
さあて、大台ヶ原にあるシャクナゲはツクシシャクナゲとホンシャクナゲだそうですが、どちらも花弁が7裂し、雄しべは14本。ホンシャクナゲのほうがツクシシャクナゲの変種だそうです。素人の嗅覚としてはツクシシャクナゲ一本槍でいったほうが安全だし安心でしょう。

ちなみに『東京大学』の『日光植物園』のサイトで『ホンシャクナゲ(本石楠花)』を見ると以下のとおりです。
【ツクシシャクナゲの変種です。園内の多くのシャクナゲはアズマシャクナゲですが、それに混ざって植栽されています。花期も重なりますが、本種の雄しべは14本なのに対し、アズマシャクナゲは10本です。葉裏はオレンジ色で、本種はツルツルとしているのに対して、ツクシシャクナゲは細かい毛が多く、ふわふわしています。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時12分=伊藤 幸司
木は元気いっぱいなのですが、花はちょっと寂しい状態のツクシシャクナゲ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時12分=稲葉 和平
ツクシシャクナゲは紀伊半島より西の本州、四国、九州で見られるとのことだが、紀伊半島より東側で見られるアズマシャクナゲとの見た目の違いがよくわからない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時13分=山咲 野の香
かのこが崩れかけたようなツボミ。今にもみりみりと音を立てて開花しそう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時13分=伊藤 幸司
この写真、ツクシシャクナゲの覚悟というような気分に撮れたので、捨てられません。それ以上でも以下でもありませんけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時13分=伊藤 幸司
ツクシシャクナゲの花は開いてくるとこんなふうになるんですかね。少女の顔つき……といったところだと、私は思うんですがねえ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時14分=山咲 野の香
ブーケならこんな半々を選ぶでしょう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時14分=伊藤 幸司
ミヤマシキミがありました。この葉っぱを「革質」というのだそうです。厚ぼったくて、頑丈そうで、形は「倒披針状長楕円形」というのだそうです。冬になると赤い実がつきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時14分=伊藤 幸司
シャクナゲ庭園を歩いている気分になりました。まだまだ大台ヶ原山から東に伸びる緩やかな尾根を下っているという雰囲気で、大杉谷という感じはありません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時26分=伊藤 幸司
シャクナゲ平に入ったのだと思います。なんだか急に背丈の低いシャクナゲがまるで草のように地面を覆っています。標高は約1,500m。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時39分=伊藤 幸司
大きな木が根こそぎ倒れているこの風景は登山道ではあまり珍しいことではありません。そしていつの場合も根の脆弱さに驚きます。

写真のこの場合は白っぽい根を見せている2本の木と茶色の根を見せている木の二重の倒木になっています。どうしてこんな二重倒木になったのかはわかりませんが、茶色の根のほうには細い、もじゃもじゃの細い根が見えています。放置されて根が白骨化すると上向きになった根のように、太い根だけが残るのではないかと思われます。
でも、それにしても木としての立派な姿に対してどう見ても根は貧弱、周囲の木もこんなふうに砂上の楼閣という状態で成長してきたのではないかと不安になります。

そこで木の根の状態に関する情報をネットで調べてみると、いろいろあります。植木屋さんの移植や道路際の並木のケアなどが身近な問題のようですが、そのバックグラウンドを支える学術的な研究レポートもあります。
今回は『道総研』というサイトの『森林研究本部』の『季報74-3』というページのpdf文書が出てきました。ここまでがURLから読み取れる情報で、文書のタイトルは『樹木の根の生長と分布特性』筆者は『佐藤孝夫』となっていて文末に『(樹芸樹木科)』とありました。ちなみに同総研というのは「地方独立行政法人・北海道立総合研究機構」のことで、農業、水産、森林、産業技術、環境・地質・研究それぞれの部門に研究本部が置かれているようです。
さて『樹木の根の生長と分布特性』についてですが、一般の人にも読みやすい文章です。

【はじめに──樹木の生長については地上部だけを論じられることが多く,地下部の生長や地上部と地下部の生長との関係などの研究は少ない。しかし地上部と地下部は一体のものであるから,根がどのように生長するかを明らかにすることは,地上部の生長を考えるうえでもきわめて重要である。
また根は通常目にふれることがないために,どのような分布様式をしているかはほとんど知られていない。根の分布特性を知ることは,森林の育成をはじめ緑化樹の植栽や施肥などの維持管理を行う上でも大切である。
そこで,環境緑化樹に多く用いられている6樹種の苗を当場構内の苗畑に植栽し,根がどのような生長をし,それにともなって根の分布がどのように変化するかを5年間にわたって調べた。ここでは根の分布様式の異なるシラカンバ,エゾヤマザクラ,カツラの調査結果とともに,根の分布特性からみた植栽の仕方もあわせて紹介する。】

関心のある方には直接読んでいただくのをおすすめします。わかりやすい図やグラフがありますから。だから私はここで私の疑問にかかわる断片をいくつか引用させていただきます。
【さらに根張りと枝張りの推移をみると(図-3),根張りは枝張りの範囲を越えて広がっており,植栽5年後のエゾヤマザクラの根張りは枝張りの 2.7 倍に達し,根張りの小さなカツラでも 1.1 倍であった。このように,根張りは枝張りの範囲を越えており,一般に根張りの大きさはせいぜい枝張りと同じ程度と思われているが,そのような樹種はきわめて少ない。】

【根の深さは,比較的早く限界に達するようである。5年後の根の深さは,エゾヤマザクラの100cm からシラカンバの 160cm と,樹種による違いがみられる。根の下方への伸長量は植栽後2年間は大きいが,エゾヤマザクラのように3年目以降の伸長量は小さく,根の深さがほぼ限界に達するものもみられ,樹高や直径に比例して深くなるとはいえない。根の下方への年平均伸長量はシラカンバでも 28cm であり,これは樹高生長量の 25%,根張りの伸長量の 34%しかない。このように根の水平方向への伸長量に比べると垂直方向への伸長量は小さい。】
【根の垂直分布の仕方については,シラカンバのように地中深部にも根が生長し多くの根量がある樹種を深根型,エゾヤマザクラのように浅いところに大部分の根量がある樹種を浅根型といい,さらにその中間の樹種を中間型といい,3つの型に分けられる。
一般に深根型の樹種は乾燥地に多く分布する樹種であり,浅根型の樹種は水分の豊富なところに多く分布する樹種であるといわれている。】

【シラカンバとカツラの根の水平分布の推移をみると(図-6),カツラでは5年後でも全根量,細根とも根株の近くに多く分布するが,シラカンバでは根株から遠く離れたところまで根は広がっており,根株の近くでは細根の割合が少ない。このように,樹種によって根量の水平分布の仕方は異なっており,カツラのように根はあまり広がらず根株の近くに多いものを集中型,シラカンバのように根株から遠くまで広がっていくものを分散型といい,さらにその中間型との,3つの型に分けられる。
また,枝張りとの関係で根量の分布の仕方をみると(表-2),枝張りの内側には,エゾヤマザクラで全根量の約 85%以上が,カツラでは約 98%も含まれ,根量の大部分は枝張りの内側にある。しかし細根についてみると,カツラでは約 95%が含まれるものの,エゾヤマザクラでは約 50%しか含まれていない。このように多くの樹種ではかなりの細根が枝張りの外側に広がっている。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時42分=伊藤 幸司
シャクナゲは糸の会では5月にアズマシャクナゲ、6〜7月にはハクサンシャクナゲを期待して計画を立てることが多いのですが、関西系のホンシャクナゲというのもあるということは知っていますが、あまりなじみはありません。今回突然ホンシャクナゲじゃないよ、ツクシシャクナゲだよ、といわれた感じで、ちょっと遠目に眺める気分が抜けませんでした。

そこでシャクナゲをもう一度一覧してみたいと思って、京大系の植物学者で京都府立植物園の園長を勤めた麓次郎さんの『四季の花図鑑 花のすがた・花のこころ』(1985年・八坂書房)を覗いてみました。
するとシャクナゲの最初の見出しは「ツクシシャクナゲ」でした。
『本州の西部、四国、九州の山地に自生している大型の常緑低木、枝は疎らで太く横に広がる。』とありました。花についての解説もありますが、最後に『なお本種はわが国の原生種の中で最も耐暑性があるため栽培もしやすい種として知られている。』と書かれている。

そして次が「ホンシャクナゲ」。その書き始めは次のようになっています。
『本州中部から四国の山地に自生し、葉裏の毛が少なく、淡い灰白色を呈し、質はいくらか薄いが、ほかはほとんどツクシシャクナゲと同じである。近畿地方の山に生えているのはこの種類で豊かな感じの美しい花が深緑の葉に映えてじつに素晴らしい、花は普通淡紅色で漏斗状、七裂する。京都北山をはじめ、近畿北部の秩父古生層の岸壁に多く見られる。』
著者の麓次郎さんによれば『わが国で最も美しいとされるホンシャクナゲ』であり、ツクシシャクナゲは『花冠は淡紅色で花つきもよく美しい』とのこと。どれほど似ていて、どれほど違っているのか、具体的なところは、私にはわかりませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時42分=伊藤 幸司
日出ヶ岳から1.6kmでシャクナゲ平から370m、シャクナゲ坂へ740mで、桃ノ木小屋へ6.3kmという道標があったあたり。クサリが登場しましたね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時49分=山咲 野の香
ややっ、この根こそぎはすこぐない?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時49分=秋田 守
大杉谷へ下り始めてしばらくは、大台ヶ原と同じようにシャクナゲの花がずっと登山道脇を彩っていた。地名もシャクナゲ平、シャクナゲ坂、と続いた。と、突然、大木がひっくり返っていた。根っこが巨大な大きさ。人の背丈の倍以上もあったろうか。これも台風で倒れたのかしら。それとも落雷か。台風だとすると、風自体、半端ではない暴風だったんだろうな。そうでなければ、こんなに太い樹がそうそう簡単に倒れる訳がないからなあ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時50分=山咲 野の香
正面?から。倒木を見るといつも気なる。天寿を全うしたのかな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時50分=山咲 野の香
行きすぎて、また振り返ってしまう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時50分=伊藤 幸司
ここに倒れていたのは驚くほどの巨木……でした。まだ細い根が見える状態ですからそれほど古い倒木ではないようですが、この根がどれほどの木を支えてきたのか、と思いました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 11時50分=伊藤 幸司
そこで離れぎわに振り返ってみると、大木と思っていたこの木の地上部分はあんがいスリムでした。根の深さはともかく、広がりはおそらく枝張りと釣合うようなものに感じました。
となると、よく見る倒木は幹に対して根が驚くほど小さく見えて驚くので、根張りが悪いのでそのあたりで最初に倒れた、というふうに思うのは当然かも知れません。
残念なのは、そうやって目にする木が何なのか、私にはよくわかっていないことです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時13分=秋田 守
シャクナゲが群生する一帯は急傾斜の下り道が続いたが、シャクナゲ坂を過ぎるとようやくなだらかな道。あたりはさほど樹齢が古くなさそうな森。日出ヶ岳から2.4㎞、桃の木小屋まで5.4㎞、堂倉小屋まで820mという標柱が立っていた。歩くには日影がありがたい。この日、コーチからストックの手首にかけるヒモの長さをもう少し短くした方がいいとアドバイスされた。短く出来るなんて知らずに、買った時の状態のままで使っていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時32分=稲葉 和平
大杉谷という名前からは杉林に覆われているのかと思っていたが、ヒノキもかなり混じっていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時38分=伊藤 幸司
シャクナゲ坂は、なんだか歩きやすい下り道というふうに思っている間に終わって、この立派な堂倉避難小屋に着きました。ただし、がっちりと戸締めされていたのです。

入口にその説明プリントが貼られていました。
【この避難小屋は、緊急時に避難する場所として設置したものです。宿泊される場合は、すぐ近くにある粟谷小屋(有人小屋)をご利用ください。】
えっ! という説明です。小屋は戸締め状態で入れません。どうしてか? 
【2017シーズンは、粟谷小屋が開いている時は、施錠させていただきますので、緊急の避難時やトイレ利用の際は、そちらをご利用ください。】
【2017シーズン】と書かれている説明書ですから、切羽詰まって地図上のこの小屋までたどり着いたときにこれを読んだらどう思うでしょうか。今年は2019シーズンだぜ! 「夏季閉鎖」とか「使用停止」とかはっきりしてないと釈然としないかも……と思うかもしれません。

避難小屋機能停止の理由と思われる部分の説明もありました。
【最近宿泊を目的に利用される方が増え、ゴミや排せつ物による自然環境への影響、衛生上の問題が発生しております。】
すぐ近くに営業小屋があるということで避難小屋としての存在理由が問題になったのかもしれませんが、どうなんでしょうね。

『大杉谷登山センター』の『お知らせ・新着情報』にほんのちょっと修正された説明『堂倉避難小屋の施錠について』(2017年08月21日)がありました。
【平成29年8月24日から11月24日まで、粟谷小屋が開いている時は「堂倉避難小屋」は施錠させて頂きます。
もともと、大杉谷登山道内にある通称「堂倉避難小屋」は緊急時に避難する場所として設置したものであり、宿泊目的で使用する場所ではありません。宿泊される場合は、すぐ近くにある粟谷小屋(有人小屋)をご利用ください。
最近、宿泊目的に利用される方が増え、ゴミや排泄物による自然環境への影響、衛生上の問題が発生しております。ゴミを狙ってくるツキノワグマも小屋周辺で目撃されており、やむを得ずこのような対応となりました。
いつもルール、マナーを守り大杉谷を楽しんで頂いている登山者の方には大変申し訳ありませんが、美しい大杉谷を後世へ残していくためにも皆様のご理解・ご協力をお願い致します。 三重県・大台町・大杉谷登山センター】

どうなんですかね、粟谷小屋の人が鍵をもっていて、自分のほうが下山するたびにこの小屋の鍵を開けるんでしょうか。じつはこの小屋の足元に林道が通じているので、たとえばこの小屋は冬期小屋に限定してしまって観光シーズン中戸締めでも、トイレを作っていただけたら自然環境の保護には大きく寄与する施設になるのではないかと思いました。バキュームカーが上がれるんじゃないでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時38分=秋田 守
堂倉避難小屋。すぐ先に粟谷小屋があるから、宿泊するならそちらへ行くようにと注意書きがしてある。粟谷小屋が開いている時は施錠するとも。それならなんでここに避難小屋を造ったんだろうか。宿泊用の小屋ではなく、あくまで避難のための小屋というのだが、よく分からないなあ。粟谷小屋はどうも林道経由で車が入れるようで、そのためであろう、小屋の夕食時に刺身などのご馳走が出ると評判だ。桃の木同様、風呂にも入れるらしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時39分=伊藤 幸司
堂倉避難小屋から1分後に、私たちはこの林道を歩いています。前方の曲がり角のあたりから、再び登山道に入ります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時52分=伊藤 幸司
標高約1,200mの堂倉避難小屋から標高約850mの堂倉滝までは急な下りです。1/25,000地形図で見ると標高50mごとの等高線(計測線)がおおよそ100m間隔で並んでいます。おおよそ50%勾配、おおよそ27度。富士山の6合目以上の登山道をほぼまっすぐ下るのに近い傾斜です。
それゆえ一度は土留めの石柱を置いた階段にしたのでしょうが、完全に破壊されてしまっています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時54分=伊藤 幸司
私たちのチームは上りではふつーのシルバー登山グループですが、下りではダブルストックの使用で相当レベルの高いチームに変身します。速度もですが、安全性において驚くほど飛躍します。ダブルストックの使い方に関して一般の「定説」「常識」を否定し続けてきた20年ではあるのですが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時56分=伊藤 幸司
下りでのダブルストックの使い方についてその要点だけを言うとすれば「スキーでこれから急斜面に飛び込もうとするときにとる深い前傾姿勢をダブルストックでつくる」のです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時57分=伊藤 幸司
この手の文字情報は写真だけの「速報欄」のほうにはできるだけたくさん出しますが、こちらの「図鑑」では写真の文字情報はできるだけキャプションとして文字化して、私がいま、いくぶん野放図に引用させていただいているような文字情報にしておきたいからです。
ではなぜ、この歩き方に関するスローガンを絵として残したのかというと、私がこれまで何冊かの本を書いてきた中心課題がこれと微妙に絡み合ってくるからです。

どなたの発案か知りませんが、同じ看板が大杉谷の数か所、たぶん5か所ぐらいにあったかと思います。
「ヒザのバネを よくきかせて ゆっくりと歩こう」というのは下りの急斜面で岩だらけ、木の根だらけのところを長時間歩く人の安全のヒントにしてもらいたいという真剣な願いを感じます。日本有数の大渓谷を堪能できる歩道がまるで「観光歩道」のように延びていきます。でもそのスケールが違うのです。
日帰りの山歩きを楽しんでいる程度の人たちなら、緊張感と疲労でどこかで注意力が散漫になる危険が十分にあります。チーム行動なら一番弱い人に負荷が集中して時間が遅れ、焦りを生じることもあるでしょう。雨の日なら岩の表面はかなり滑りやすくなりますから、難易度は観光歩道どころではなくなります。おまけに大杉谷には山小屋のところ以外に逃げ道がないのです。

そういう長距離対策として、考えに考えをかさねてひねり出したのがこのアドバイスなんだと思います。
ある意味、私も100%同意です。バネをきかせて歩けばヒザにかかる負担を大幅に軽減できます。ゆっくり歩けば無駄なエネルギーを使わないばかりでなく、歩くごとに体を活性化させて、信じられないほどの長時間行動を気持ちいい疲労感とともに終了させることになるかもしれません。大杉谷を歩き通すことによって、自分の力を(アタマが考える範囲を遥かに超えて)飛躍させることになるかもしれません。

──でもだめなんです。この言い方では。とくにこの言葉を伝えたい人たちには「理解不能」のアドバイスではないかと思うのです。
もちろん、日本語のできる人なら意味を取り違えるはずなどありません。
問題はヒザのバネを効かせるにはどうしたらいいか、ゆっくり歩くとはどういうことか、といういう2点、つまりすべてにかかわります。

急な下りで、しかも足元に不安があると、多くの人は重心が後ろにずれます。それが顕著な場合は「へっぴり腰」に。スキー入門者のへっぴり腰は見ていると明らかに転倒する運命に向かっているのですが、本人は安全・より安全と考えてそういう姿勢になっています。
さて、後傾姿勢と「ヒザのバネ」との関係はもっと複雑で、スキーヤーのへっぴり腰と競技スキーヤーがとるクラウチングスタイルとが似て非なるものだと分かる人以外にこの先を説明するには、別の形をとらないといけないのです。

登山道ですから、ベテラン登山者がヒザのバネを生かして高速かつ安全に下っているのがお手本になるかと思います。まったく初心者の人がそういうベテランの下りの歩き方を見よう見まねでなんとかうまく下りきったとします。すると高い確率でヒザを痛めてしまうのです。ひどい例では一発で登山のできないヒザになってしまします。私は大学では「山岳部」ではなく「探検部」にいましたから登山界の常識だったかどうかしりませんが、下りでは先輩が「走れ!」といって、新入部員のヒザや足首を高い確率で故障させていました。

結論を言っておきましょう。ベテランが硬い山靴を履いてドン、ドン、ドン、と力強く下っていくとき、よく見ると(じつは目ではよく見えないのですが)最後の瞬間につま先をガン! と下げて、足裏全体で着地しているはずです。それも安全なところではともかく、着地点に危険がありそうなら、着地の瞬間のフラットに加えて、重心は足指の付け根のほうに移動しているのではないでしょうか。
初心者にそのようなところが見えるはずがありませんから先輩のように歩けばヒザのバネが効かせられるとおもってしまうのは仕方ないことです。

加えて、先輩のような本格的な登山靴をはけばもっとうまくできると考えるのは愚かでもなんでもないのですが、硬い靴で着地時に重心を前方に移動させるには力が必要です。硬い靴で足首をしっかり締めている靴が「足首を守る」というような東京オリンピック以前の登山技術の無意味な引き写しによって買ってみると、下りではかかと着地しかできません。重心を前にずらすにはかなりの力が必要だからです。

私は1996年の4月に当時千葉県のカルチャーセンターでは最初といわれた登山講座を始めたとき、大月の高川山の山頂からの最初の数歩の下りを見ていて大発見をしたのです。そのときは、山歩き用の靴はどのようなものを買うのがいいかという話をするために、最初は「履きなれていて汚れてもいい靴、スポーツシューズやズック靴」を履いてきてください、ということにしていたのです。
もちろん中にはハイキングシューズや軽登山靴を履いた人もいましたが、超初心者と思われる人たちがその「履きなれた運動靴」で下っているのを見ているうちに、分かったのです。

登山靴系の人たちは靴底のブロックパターンや靴底のエッジを滑り止めに使おうという歩き方、運動靴の人は爪先立って波風立てずに忍び足になっていく、という傾向が見えたのです。それから私は登山道(一般ルートとしておきましょう)ではく靴は「飛んだり跳ねたりできる靴」を推薦し「下りで怖かったらつま先歩き」「平均台を歩くつもりで」「バレリーナになったつもりで」という言い方で、ザラザラとかツルツルとか、ぐにゃぐにゃの急な下りで無理強いして体験してもらいます。
すると、あら不思議! 重心を指の付け根に持っていくと驚くほど滑りません。それから着地時にヒザのバネが有効に働きます。

ところが足を固める機能が売りの重い靴たちの(ビムラムソールが定番だった当時のフリクション性能のような感覚で)滑りやすい下り斜面で止めようとすると足裏をフラットに置いてブロックパターンを効かせるか、かかとで止めようとします。足裏に滑り止め機能が加えられていると信じているからです。
……で、かかと側に重心があるとどうなるか。着地の瞬間にヒザはかならず(100%)伸び切っています。伸び切っているからバネを効かせることができずに着地の衝撃が全部(こちらは100%かどうかは知りませんが)ヒザに来るのです。

看板の「ヒザのバネをよくきかせて」というのは言い方を変えれば「かかと着地をやめて」ということになります。ちなみに、柔らかい靴でつま先着地をするとどうして(驚くほど)滑らないのかというと、靴の滑りにくさは靴底のブロックパターンにあるのではなくて、体の重心が一点にあることのほうがはるかに大きいのです。……ということに、私はそのとき気づいたのです。

ではもうひとつ「ゆっくりと歩こう」というのは当たり前のことではないか、まちがいなく有効じゃないか、というごくごく一般的なアドバイスに見えますが、たぶん受け取る意味は「時間に余裕を持って」ということと「急がずに」ということでしょう。もし「ゆっくり」という言葉に「からだをゆっくり動かして」ということなら、糸の会のダブルストックの使い方のキモと重なってきますが、一般にはまったく通用しないはずです。

下りの基本原則をいいましょう。この長いルートを歩き通すためには無駄な動きや特別な動きはできるだけ使わずに、私の言い方としては「平地を時速4kmで歩き続けるパワー」で無理をせずに……、ということにつきます。そうでなければかならず体のどこかに負担が蓄積してしまいます。

(ここでは書きませんが)「平地を時速4kmで歩き続けるパワー」で登るためには登山道を「時速1km」で歩く歩き方を身につけてもらいたいのです。それは1時間の出力パワーの1/4(15分ぶん)を前進に使い、3/4を体を垂直に持ち上げるために使うという考え方です。もっともこれは「30/1000」という勾配(つまり1km先で300m上がる)という標準的な登山道の場合です。

それが下りではどうなるかというと、段差の先端に立って、降り出した足を(できる限り)垂直に下ろします。つまり振り出した足を斜め前方に落とすと必然的にかかと着地になるので、ヒザが伸び切り、衝撃がヒザに蓄積することになります。ですからつま先を下げてまっすぐ(できれば垂直)に体を落として、着地したら次の段差まで歩をすすめます。
そこでベテランは大きな段差をどのようにうまく小さな段差に分けて下るか考えるわけですが、糸の会では発会当初から女性陣の下りでのスピードダウンと転倒の危険を避けるためにダブルストック(当時出回り始めたLEKIのストックの石突が岩に対して素晴らしい刃物になっているのを知って、ただちに会員全員の標準装備と決めました)を使って「大きな段差をスローモーションで下る」というスタイルを導入したのです。
もちろんこの看板の文章を書いた人たちはそういうダブルストックの使い方を考えてもみず、むしろストック反対派でしょうから「大きな段差をゆっくり下れば安全性が増してスピードは落ちない」という糸の会の技術論とはまったく違う世界のことでしょう。

……ということで、この写真をあえて出させていただきました。(丹沢前衛峰の三峰山で見た「勇気ある撤退」とこの大杉谷の「ヒザのバネを生かして」とは、私の記憶に残るアドバイス看板です)

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 12時57分=伊藤 幸司
道はだんだん尾根道という雰囲気を強めていきます。右手後方から流れてくるのが堂倉谷、左手後方から流れてくるのが粟ノ谷を合流させた西ノ谷です。水音もだんだん大きくなってきました。
この2分後に日出ヶ岳から3.9kmで堂倉小屋から710m、堂倉滝まで750mで桃ノ木小屋まで3.9kmという道標がありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時06分=伊藤 幸司
またクサリが出てきました。こういう場所ではクサリは危険防止の親切な装置ですが、私はここでもちょっとひねくれた考え方をしています。車道のガードレールと同じ見方をするのです。

このクサリはいわば「危険地帯」という表現です。いざというときの安全装備です。そこでその存在をありがたく認めて……、でも自力で歩きます。自分にとって必要かどうかを判断します。
たとえば街なかのガードレールは歩車分離の境界表示で、車はそれに頼ることはあまりないと思います。でも山岳地の林道になると、ガードレールがあるとないのとでは運転者への心理状況は大きく変わります。
ですからまず、自分の歩く技量とこれを設置した人の安全基準との格差のようなものを知りたいと思います。それはここに雪がつていたら、雨に濡れていたらというような歩道そのものの難易度の変化にもよるものです。

あるのにまだ使わない理由のひとつは、不整地である登山道を長時間歩きつづけるために、左右のバランスを整えることを重視したいのです。だから自分なりの安全性を意識したときにはクサリの存在は視野の中に入れつつ、この道を自力できちんと歩きたいのです。その次に、予備的ホールドとして、いつでも使える状態にスタンバイさせたい、気持ちの安心を確保したいというのが写真のこの段階。そしてさらにクサリへの依存度を高めた歩きかたに多段的に選択していきます。
よほど危険な場面、あるいは安全を見誤るような精神状態の人がいる場合には、私はこのクサリに自己確保する簡易セルフビレイのロープも何セットか常備しています。高所恐怖症などの心理的危険要素が加わる場合、たとえばクサリにしがみついて歩こうとするとかえって危険になるという場面も想定できますから。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時14分=伊藤 幸司
危険性は転んだときにそのことだけで怪我をしたりするだけなのか、次の転落に繋がる場所なのかで緊張の度合いは全然違います。そういう危険防止に対しては先ほど見た「アドバイス看板」の「ゆっくり」という言葉が「安全に」という効果を高めてくれます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時25分=伊藤 幸司
とうとう川が見えてきました。大台ヶ原山が終わって、これから大杉谷に切り替わる記念すべき地点がそこにあるのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時27分=山咲 野の香
日出ガ岳山頂から約2時間半。ようやくたどり着い堂倉滝。落差約18m。シンプルに美しい!もうここで動きたくない気分。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時27分=伊藤 幸司
堂倉滝です。落差18m。突然現れたこの滝に私はしばし面食らった感じでした。というのは、私たちは尾根を下ってきて、ポンと出たところがここ、真正面にこの滝がありました。吊橋があるように、私たちが進むのはこの正面、つまり滝の方へと進むのです。ですから尾根に沿って右手側を下っていた堂倉谷が前進方向から落ちてくるという違和感があったのです。

地図をよく見ると堂倉谷は基本的には私たちの進行方向右手奥から追いかけてきて、ここでストンと落ちてきたというだけで、落口のところで流路にちょっと微妙な変化があったというだけのようです。
この滝は滝壺の大きさが大杉谷では特徴的のようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時27分=伊藤 幸司
10日間雨が降り続いて、私たちが来る前の日にはこの大杉谷の出口あたりでは登山バスの道路が雨量により通行止めになったそうです。そういう増水条件のなかで、これだけきれいな滝が見られるというのはラッキーということのようです。ここは紅葉の時期もいいそうです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時27分=伊藤 幸司
滝の写真を撮るとなると、全体像のほかになにかクローズアップ、人物写真でいえば全身像に対するポートレイトといったものを撮らなきゃならないという強迫観念があるはずですが、私にはそれがあまりありません。シャッター速度を変えて水の表情をいろいろ変えてみるということにもあまり関心がわきません。後ろめたい気分にならない範囲で、オートで撮って、撮れたままにしています。でもよく見れば、これも全身像か。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時27分=稲葉 和平
小さな滝。このさきはもっと大きな滝がみられるのだろうと、ちょっぴり期待。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時28分=山咲 野の香
1週間続きの雨の後、一昨日には5月で、一番の大雨。絶対濁っていると思っていた水が、この美しさ。エメラルドグリーンの広い滝壺。紀伊の大地の聖性を感じる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時28分=伊藤 幸司
こういう写真が、私は好きです。今回最初の堂倉滝と突然出会った気分が写っているような気がします。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時28分=秋田 守
微かに聞こえていた水音が次第に大きくなり、いよいよ渓谷沿いまで下ってきた。大杉谷らしい風景の最初は、堂倉滝。トロリと青い滝壺に優雅に落ちる水量たっぷりの滝。いいねえ。たくさん雨が降ってくれたおかげで、この景色を楽しませてもらうことが出来る。ありがたや、ありがたや。下り始めてからここまで約2時間半。コースタイム通りの順調なペース。滝壺の脇に吊り橋。今日はこの先、たくさんの吊り橋を何度も渡ることになる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時30分=山咲 野の香
青空と新緑と清流。穏やかな渓谷美です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時30分=稲葉 和平
このあたりの渓流はまだ細く大杉谷という名前には遠いが、水は濁りなく澄んでいて美しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時30分=秋田 守
堂倉滝のすぐ近くに白いウツギのような花が咲いていた。あれこれ調べたが、花の名前を特定しきれない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時34分=山咲 野の香
後ろ髪を引かれる思いで、堂倉滝吊橋を渡る。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時34分=伊藤 幸司
これが堂倉滝橋。埋め込みのプレートには「昭和58年3月竣工」とありました。「準拠基準:大杉谷登山歩道吊橋等技術指針」とも。昭和58年は1983年ですから36歳、古びた感じはしませんでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時34分=伊藤 幸司
堂倉滝から落ちた水はこの橋の下を下って左手後方の西ノ谷から下ってくる水を合わせて左手前方へと落ちていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時36分=伊藤 幸司
堂倉谷と西ノ谷の流れを合わせたところにダムのような、ダムにしては貧弱な施設がありました。ここが取水口になっていて、大杉谷の出口にあたる宮川第三発電所へと水を送っているのです。1/25,000地形図には水色の細い破線でその水路が描かれているのですが、流路はまず北に約3km直線的に延びて、不動谷の標高約800mあたりで谷を渡り、そこから今度は約3.5km、最初は北東方向に延び、最終的には東に向かって、宮川第三発電所へと落とされていくのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時38分=伊藤 幸司
少し下ると名前は大杉谷になっているかと思いますが、この右岸から左岸(川の右岸、左岸は流れを下る状態でいいます)に渡る堂倉吊橋が待っています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時39分=山咲 野の香
恐がらせようというアングルではないけれど、揺れました。堂倉吊橋。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時39分=伊藤 幸司
この堂倉吊橋は側面に4段の水平ワイヤーが張られているので、ものすごく安心感があります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時39分=伊藤 幸司
堂倉吊橋から下を見るとこんな具合。堂倉滝の水量の印象からするとおだやかな宮川源流という雰囲気。宮川という名で想像できるように、この流れは伊勢神宮の鳥居前町である伊勢市に下っていくのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時39分=伊藤 幸司
堂倉吊橋の下流側はこんなぐあい。発電用水を抜いたからといって、水量は、まあ、こんなものなんでしょうか。
吊橋を渡ったところに石版の道標があって、上流方面は大台林道(堂倉避難小屋と粟谷小屋のところ)まで約1.7km、日出ヶ岳山頂まで約5km、下流方面は桃ノ木山の家まで約2.9km、宮川第三発電所まで約9.1kmとなっていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時39分=秋田 守
堂倉滝脇の吊り橋を渡り、すぐにもうひとつの吊り橋を渡る。一面の緑の中に吸い込まれるようにして景色が広がる。なんだかこの日の象徴的な風景だったような気がする。もちろん足下には川の流れがゴウゴウと響き渡っている。谷筋を吹き抜ける風に身を任せていた、あの瞬間の幸せな一時を思い出させてくれる。ぼくとしては、今回の山行写真の中で最も心をざわめかせてくれる1枚です。眺めていると、また大杉谷へ行きたくなってくる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時41分=伊藤 幸司
大杉谷の歩道が始まりました。下が断崖絶壁でなければ、なんというこもない登山道です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時43分=伊藤 幸司
大杉谷の流れは、岩に挟まれてこんな感じで走っていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時45分=伊藤 幸司
道は断崖を削ったような、いくぶんスリリングなものになり、クサリも登場してきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時46分=伊藤 幸司
こういう状況を登山では「へつる」といいます。
『図解・ひとり登山 登山初級者の登山記録と山のあれこれをマンガで自習』というサイトに『山の用語集』として『へつる』がありました。
【沢や沢沿いのルートにおいて、岩場などの障害物のために、水流のすぐ上の岩場などの岸壁をへばりつくようにして横に進むこと。
足を踏み外せば水流に落下することになる。
沢や谷でなく、「へつるように付けられたルートを慎重に進む」などの表現で、山の急斜面を横断する場合にも使われる。
ちなみに私は「へつる」の意味を…「屁が漏れる」と思い、大きな誤解をしていました。
なので、危険場所を歩いていて「へつってる」と言われても屁に関することではないので動揺せず慎重に歩いて行きたい。
私はまだ行ったことがないのですが、黒部にある下ノ廊下はこんな風に渡るのですか?
行くとしてもやっぱり1人なのかなぁ…心が折れそうな時に励ましてくれる誰かや、通りきった時の達成感を誰かと分かち合えない…と思うと、行ってみたいけれど1人じゃ行けない場所の一つです。】

下ノ廊下も糸の会で行っていますが、黒部ダム建設の初期段階で人が荷物を背負って歩いた道ながら、ガードレールのない断崖絶壁の道を歩いていると気持ちがふらりと谷の方へ引かれそうになる気配は感じました。ここでは(まだ?)そういう恐怖感はありませんが、落ちれば流れにまで行ってしまう危険があり、そうなったらほぼ絶望的です。

危険度はたとえば甲武信ヶ岳南麓の西沢渓谷も同様ですが、あちらは正真正銘の観光客が訪れるので、たとえばこういう場所には谷側に手すり状のクサリが、まさにガードレールのように設置されていたりします。春、雪が降り積もった時期に行ったらそのガードレールを雪が覆い隠してしまっていて、どうにも危険なので雪投げをして帰ったことがありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時46分=秋田 守
次第に険しい道が現れ始めた。崖側には鎖が打たれている。ここはまだ振り返って写真を撮る余裕がある程度の難所だったが、何ヵ所か結構気を抜けない場所があった。こういう場所で、ストックをどう扱ったらいいのかがぼくはまだよく分かっていないように感じる。昨夜、こういう場合の質問もしたけど、実際の現場になってみると我流で済ませていると思う。きちんと自分で納得できて、安全確保できるような体勢を会得しなくては。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時47分=山咲 野の香
新緑の光と川床と流れの変化が素晴らしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時48分=伊藤 幸司
水と触れあえる雰囲気の場所に出ました。こんなところでお茶をわかしたら最高だと思いましたが、私たちは足を止めることもなく下りました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時49分=伊藤 幸司
流路の真ん中にある大きな岩は次に来たときにはないかもしれません。増水したときにこの岩がゴロン、ゴロンと大きな音を立てながら転がっていく可能性は少なくないのだと思います。大岩が大きな音を立てながら下るときに居合わせたら、生涯忘れられない思い出になること間違いありません。もっとも、そんなときには谷底の岩が動くだけでなく、両岸の崖の上からだって岩が落ちてくる危険を感じることでしょう。
「旅する巨人」といわれた民俗学者の宮本常一先生は旅先での体験は普通の人の何倍、何十倍あるかわかりませんが、山奥の村を訪ねる途中、谷川で岩がゴロン、ゴロンと落ちていく体験をしたときの話は、やはり生涯の大きな思い出のようでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時50分=伊藤 幸司
これが宮川源流の流れです。実際のサイズがわからないかもしれませんが、こっちから向こうへ渡れるかもしれないという程度の人間サイズの小川です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時51分=山咲 野の香
エメラルドグリーンの水底が透けて見える。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時51分=伊藤 幸司
深山幽谷。渓谷美はどんどん深みを加えていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時51分=秋田 守
マムシグサが道の脇に。昨日の大台ヶ原ひとり散策時以外は、今回はあまり植物を観察する機会がなかった。これも一眼カメラではなく、コンデジで適当にパチリと獲っただけ。だからピントが甘い。というか少しブレてるのかな。やはり歩くコースによって、持参するカメラセットを工夫しなくてはいけないな。今回はデジ一眼もマクロズームのみ付けて持参し、コンデジ、スマホと3台使いで写真を撮ったが、中途半端は一番いけないな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時54分=山咲 野の香
対岸の与八郎滝。三段40m。細くても引き裂かれた布のような勢いがある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時54分=伊藤 幸司
危険度は同じでも、目隠しがあるだけで「怖さ」は驚くほど小さくなります。でももし足を踏み外せば落ちる危険は同じようなものかもしれません。登山では「怖さ」と「危険」の関係が複雑に変化します。だからこそ、自分で自分の「安全」をその隙間に挟み込んでいかなければならないと私は思っています。こういう危険からかなり遠ざかった道でさえ「安全」を確認しながら歩いてほしいと思っています。

じつは糸の会の20数年の間に死亡事故はありませんし、復帰不可能な大怪我もありません。私の2回の阿呆な滑落が最大級ですかね。……ですが、大怪我にならないでよかったという事故はたくさんあります。その典型的な例は、例えばその日の行動の終盤近く、こんな場所でフッといなくなるような転落。途中で止まって「本当によかった!」というのを何度も体験していますし、いくらでも想像できます。

私たち一般ルートの登山者は自分の中で「安全」を確保しきれない状態が起こりうるということをしっかり自覚しておかないといけないのです。「危険な場所」でなくて「危険でない場所」で自分の内発的な要因で危険を大きくしてしまうことが多いと知ってほしいのです。それは登山者としてけっこうレベルの高い安全能力だと思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時55分=伊藤 幸司
滝が出てきました。2つ目の与八郎滝。2段40mだそうです。道標によれば堂倉滝から670m、桃ノ木小屋まで2.5km、次の隠滝までは270mとのことです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 13時56分=伊藤 幸司
与八郎滝は最初に見た瞬間が一番よくて、その後はなかなかうまく見られませんでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時03分=山咲 野の香
岩壁の浸食と渦巻く流れが美しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時03分=伊藤 幸司
しばらく歩くと隠滝吊橋。ほかの吊橋とたぶん同じ作りですが、隠滝がどこにあるのかキョロキョロしながら渡りました。これは上流側。なんだか寸詰まりの風景です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時04分=山咲 野の香
多分、隠れ滝を撮ってるのでは?どんなですか?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時04分=伊藤 幸司
隠滝吊橋から下流側を見ました。素直な流れがあるだけで滝のタの字もありません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時04分=伊藤 幸司
渡りきって後ろを振り向いたらありました。隠滝、落差15mはちょっと苦しいかな。でもここに強引に橋をかけたのがいけない、という感じ。
流れている水量も多くはないと思いましたが、ここで見ると「堂倉滝」−「隠滝」=宮川第三発電所だとして、ずいぶんたくさんの水をあそこで抜いているみたいです。日本の川はほとんどみな最低限の水しか流していない状態なので、昔の姿を想像しようとしても無理なんですが、この大杉谷だって、水がこの谷を作り上げたわけですから、もうこの水たちには破壊力とか創造力は与えられていないということになりそうです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時04分=秋田 守
どんどん滝が現れるから名前を覚えきれない。橋を渡って振り返ると、その名も隠滝が見えた。この現れ方もなかなかよかった。しかし、逆向きに登ってきたら、ちっとも隠れてることにならない。ひょっとしたらこれは別の滝なのかな。MAPの名前を見る限り、間違いなさそうなんだけど。と思って、桃の木山の家のHPの写真付き滝紹介コーナーで確認したら、間違いなかった。小屋のお姉さんとすれ違ったのはこのあたりだったろうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時06分=伊藤 幸司
隠滝吊橋で私たちは再び右岸に渡って、けっこうスリリングな「へつり」になりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時07分=伊藤 幸司
これまでで、一番狭い道ではないかと思います。これから先にどんなドラマが待っているのか、ちょっと気を引き締められる道でした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時10分=伊藤 幸司
隠れ滝から110mくると、光滝まで200m、桃ノ木小屋まで2.1kmという道標が出てきました。
道はすこし怪しい雰囲気を漂わせています。とくに悪い道というわけではないのですが、これまでの丁寧さを比べたら、よくあるフツーの登山道。沢筋で崩落のあった場所ですが、斜面はそれほど危険ではないので登山道は間違えずに歩ければ、それ以上の必要はない、という場所です。こういうところですこし早歩きをするとあんがい気持ちいいんです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時17分=山咲 野の香
左手に落差40mの光滝。あー、近寄ってみたいけど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時17分=山咲 野の香
ここまでは濡れてもなく、歩きにくいとは言えない探勝路です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時17分=山咲 野の香
アップにしても滝壺見えないし。ちょっと欲求不満。行けば正面に近づけたようなのですが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時17分=伊藤 幸司
前の方で写真を撮っています。おそらく、たぶん、光滝です。急に谷が広がって、新しい気分になりそうな気配です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時18分=伊藤 幸司
振り返ると光滝、落差40mです。本流の滝ですからそれほど大きな落差は期待できないところですが、側壁から落ちていた与三郎滝も、かならずしも大きな滝ではありませんでした。でも先ほどの隠滝と比べると水量は堂倉滝と同じか、それより多いかもしれないと感じます。顕著な支流が加わったわけでもないのに。
手前にごろごろと転がっている岩は、つい1分前に通過してきた崩落のあった沢筋から転がって来たものもあるでしょうが、奥の岩の感じでは光滝のところから放り出された岩のようにも思われます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時18分=稲葉 和平
少し遠いが、やっと滝らしい滝が出てきた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時18分=秋田 守
隠滝に続いて登場したのは光滝。水量多く、迫力ある落ち方であった。これだけたっぷり幅広く落ちることはそうないようです。桃の木山の家HPの滝紹介コーナーの写真は、もっと細い流れが2段になって落ちています。岩盤で砕け散った水が飛沫となって虹が架かりやすいとの説明も書かれている。いずれにせよ、この日、ぼくたちは普段の大杉谷より、ずっと迫力満点の滝を、青空の下、次々と眺めて回れたという幸運に恵まれていたようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時19分=伊藤 幸司
1/25,000地形図で見ると、隠滝のすぐ下にこの光滝があるので、水量は同じであってほしいのです。そこで14時04分の写真まで戻って見ると、そこの隠滝は水量のおおよそ2/3が手前の岩に隠されて見えていないのです。なあんだ、吊橋で隠されたのではなく、岩に隠されて全貌を見せない滝という意味だったのですね。
ここで日出ヶ岳から5.9km、隠滝から320m、下ると沖見沢まで760mで登山口まで8.1kmという道標が出てきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時22分=伊藤 幸司
初めて、白い砂浜が出てきました。岩はここまで押し流されてこず、小石や砂はここで沈殿したという場所。中流域の雰囲気です。とても気持ちいいので、休憩です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時26分=伊藤 幸司
この白い砂浜の隅っこから、サワグルミの巨木が驚くほど大きく枝を広げていました。なんだか神が宿っていてもおかしくない場所に感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時26分=伊藤 幸司
白い砂浜の蛇行部で下流側を見ると右岸が大崩落しています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時27分=伊藤 幸司
望遠レンズで覗いてみるとほんとうにすごい。

『私を登山に連れてって』というブログに『大杉谷への想い -2004年台風21号被害の現状-』(2006/11/16)というページがありました。テレビを見ての感想です。
【「毎日放送 Voice 2006.11.15 入山禁止の大杉谷 『岩なだれ』の現場にカメラが…」
見て驚いた!山のカタチが変わっている、巨石群が大崩落なんと高さ18メートルの巨石がごろごろ・・・撮影にあたりガイドの森正裕さんが同行されていた、この方は確か今現在も休業となっている大杉谷の山小屋である『桃ノ木山の家』の管理人をされていた方だ、大杉谷の隅々まで知り尽くし、遭難救助活動にも活躍されている方までもが、このように語る。
「釣り橋もなくなっているし、崩落しているところは歩けない。できることなら、私も入りたくない」
「最大で1秒間に4,000立方メートル、ドラム缶2万本の水がダムに流れこんだ」
人智を超えた現象だ・・・自然は素晴らしい、けど改めて自然の残酷さを感じる。2004年9月29日以前の恐ろしいまでに美しく、全く人の手が入っていない渓谷の記録はネットでも多く見ることができる。可能であれば保存しておいて、ずうっと閲覧できることを希望する。何故なら、この画像と記事を見る限り粟谷小屋から先は二度と見ることが出来ないだろう、登山道を復旧するなんて不可能だろう(一部ネットで堂倉滝までは下れるような事が書かれているが不明)私の淡い期待は消えてしまった。

『いつか行けるって思ってたけど・・・行けないな、こんなの見ると絶対ムリ、道どころか全部無くなってる』
『でも粟谷小屋てまだ営業してるやろ?』
鬼ヨメは大杉谷を知らない、粟谷小屋からの下りこそが日本三大渓谷であり、秘境なのだ
『そうやな・・・日出ヶ岳から粟谷下って山小屋に泊まるってコースが有るな、シャクナゲきれいらしいぞ』
『行きたーいお父ちゃん!TVで見たけど、山小屋のワリにはゴハンおいしそやったで』
結局食い気か?でも私もいつか(桃ノ木山の家)日の丸弁当を食べてみたかった・・・叶わぬ思いとなってしまったようだ。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時27分=秋田 守
光滝を過ぎると、いよいよ行く手に崩壊地が見え始めてきた。2004年、台風によって登山道の一部が崩壊し、以来10年間、大杉谷は立入禁止となっていた。5年前に登山道は再開された。その閉鎖原因の地点が、崩壊地という名前で今は大杉谷ルートMAPに記されている。山肌が大きくえぐられ、巨岩が崩れ落ちた様子が今も残っている。もし今、大地震でも起きたら、崩れるに決まってそうな危うい場所だ。どんな新しい道筋が開かれたのだろうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時32分=秋田 守
時刻は14時半。崩壊地の手前の広い河原で休憩。大きく枝を張っていたのはクルミの樹。これはサワグルミだろうか。秩父にある馴染みの蕎麦屋でクルミの若芽を食べさせてもらったことがある。世界を股にかけていた元商社マンのオヤジが築百数十年の古民家で道楽でやっている蕎麦屋。食べたことがないのでぜひ食べたいと、数年越しに実現させた。天ぷらでいただいたが、香ばしく美味しかった。が、食べ過ぎると毒とのことで注意が必要。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時34分=伊藤 幸司
これは休憩した白い砂浜にあったサワグルミの巨木の葉っぱ。
『桃ノ木小屋』のサイトに『崩壊地のサワグルミ』という紹介がありました。
【崩壊地のすぐ上部に大きなサワグルミの木があります。
長くこの地を見守っているシンボルツリーです。】
やっぱりね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時36分=山咲 野の香
崩落地上部のシンボルツリー、サワグルミの巨木の下で一休み。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時37分=稲葉 和平
水辺に近づくことができたが、このあたりの流れは緩く、期待はずれ感が湧いてくる・・・。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時38分=山咲 野の香
崩落の跡も見えるが、穏やかな流れにホッと一息。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時38分=山咲 野の香
相変わらず透明なエメラルドグリーンが続く。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時39分=伊藤 幸司
道はなんと右岸の崩壊地に向かっているではないですか。岩がゴロゴロしているとはいえ、それらの岩が安定すれば、歩くルートを開くのはそれほど難しいことではないでしょう。しかし、ルートは開けてもさらなる崩落が起こればそれこそ大問題。……ということで10年以上大杉谷の登山ルートは閉鎖されていたということなのでしょう。私たちはいよいよその崩壊地へと向かうのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時39分=伊藤 幸司
大杉谷のクサリ場がいよいよ「絶景」という気分になりました。ここでクサリの構造がよく見えました。ご覧のように頑強な金属杭を打ち込んで、クサリの輪がその杭の環のところで固定されています。どう見ても人が手すりとして使うだけなら文句なく安全、十分な安心感を与えてくれる装置となっています。しかもそれが基本的に同じ規格でずっと続いているといっていいと思います。

この場面、このクサリがなければ恐怖心から落下する事故が頻発するところでしょう。安全を託したクサリに頼った瞬間に緩んだりすれば、バランスを崩して、足を滑らせて、腕力や握力で持ちこたえられなくて、滑落事故となる遠因となりやすいのです。だからクサリは勝手に延びないように、杭ごとに輪の位置が固定されるように、細心の注意が払われているのだと思います。
ベテラン登山者には不要な感じがするかもしれませんが、一般登山道の安全装置としての配慮には、私は(これまでも、今回も)敬意を払います。

それでも人によってはこの場面で平常心を失うことがあるかもしれません。その場合にはこのクサリにさらに転落防止のロープをつけて、安全を100%保証して平常心を保ってもらうような準備もしています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時42分=伊藤 幸司
大崩落地にかかったところにギンリョウソウがありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時42分=秋田 守
今年の初物、ギンリョウソウ。実はこの手前にひとつぽつんと頭をもたげているのを見つけた。周りの方から、よくそんなものを見つけられるねと言われたが、これなどは白いからいくら小さくても見つけやすい方。花目が効く人というのはいるもので、花仲間の先輩には凄い目ざとい人がいる。ひとつ見つけさえすれば、目が慣れるから、次に現れたらすぐにひっかかる。この一群れのギンリョウソウは、そうやって見つけ出すことが出来た。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時43分=山咲 野の香
涼しげなガクウツギがたくさん。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時43分=伊藤 幸司
こういう道は北アルプスあたりならいくらでもあります。目印をつけて、段差の大きなところにちょっと歩きやすい工夫をしていただければ通行できます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時43分=伊藤 幸司
人間の通り道にこれ見よがしにこの糞がありました。テンの糞だと思います。

『gakuの今日のヒトコマ』は写真家・宮崎学さんのサイトです。『自然界の報道写真家宮崎学(gaku)のヒトコト日記。自然と人間社会とをあらゆる角度から複眼で取材。』というのですから意欲的です。そこに『テンの糞』(2009年10月19日)というレポートがありました。
もちろん写真があっての文章です。
【昨日、林道脇にバイクを停めたら、なにげに見えたのが動物の糞。
よく見なければわからないものだったが、ボクの視線は確かにそれを捉えていた。
それも、テンのものだということが近づいて確認しなくても、ボクにはすぐに分かった。
先日の台風で折れた木があったらしく、それを道路わきに切って片付けてあった。
その木の上にわざわざ糞でマーキングをするような動物は、テンとキツネくらいしか、いない。
しかし、その糞の大きさと場所からして、テンであることは、瞬間的に分かる。
近づいてみれば、サルナシの種子が見える。
この時期、テンもキツネもサルナシをよく食べるから、糞にその種子が紛れ込んでいるのも理解できるというものだ。
いよいよ、テンが活動的になったのだから、秋も深まり冬が近づいてきている証拠。
オイラも、サルナシの実を一つつまんで、その甘さから、秋の確認をしてきた。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時44分=伊藤 幸司
さてこれはツツジ。この色のものをグーグルの画像検索で探していくとコバノミツバツツジ、ミツマタツツジ、ウンゼンツツジ、モチツツジというあたりが浮上しました。
そこで念のため11時11分の写真キャプションで拠り所とした環境省の『吉野熊野国立公園 大台ヶ原』の『生き物紹介』『植物』で『ツツジ科』を調べると、コバノミツバツツジ、ウンゼンツツジ、モチツツジが大台ヶ原にはあることがわかりました。
いずれも雄しべは5本というのに、これはどうも6本に見えるのでけっこう無駄な時間を使いましたが『原色日本樹木図鑑』(1959・保育社)によると、同じようにのびている中の1本は先端に麦飯の粒のようなかたちになっている雌しべだと知りました。オリジナル画像を拡大してみると萼片のところにキラキラと光る毛(腺毛)があります。そこからネバネバする液を出すことから「モチ」ツツジだということなのでモチツツジということにしておきました。歩きながら撮った1枚でしたが、オリジナル画像を拡大すると花の1輪、1輪がじつに美しく写っていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時44分=伊藤 幸司
ここで大規模な崩落が起こったのが2004年(平成16)で全ルート開通したのが2014年(平成26)。それから4年後がこの写真です。

三重県側の地元、大台町大杉にあるのが公益社団法人大杉谷登山センターでそのサイトに『登山センターの沿革』がありました。
【近畿地方に残された唯一の秘境、大杉谷の原始的景観は吉野熊野国立公園の核心的景勝地として古くから審美的価値はいうに及ばず、学術的にも高く評価されているところです。
昭和40年〜50年にかけ経済発展に伴い余暇時間に自然とのふれあいを求める登山者で賑わいました。
その結果、植物相を中心とする自然景観の破壊やゴミ等の廃棄物による自然環境の破壊をはじめ、山岳遭難事故の多発という事態を生じました。昭和52年に三重県大台山系山岳遭難対策協議会は設立され、山岳パトロールや遭難救助に努めてきましたが、これを拡充 強化を図るため、昭和57年12月1日に社団法人大杉谷登山センターに改組しました。

近年では、平成16年9月の豪雨災害により約10年間に及び通行止めを余儀なくされていましたが、関係機関の多大なるご尽力のおかげで平成26年4月より再び全線開通することが出来ました。
平成28年3月には大台ケ原・大峰山・大杉谷ユネスコエコパーク核心地域として再登録され、関係者・登山者の皆様と共に自然と人の共生に向けて積極的な取り組みを行っています。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時45分=伊藤 幸司
巨大な岩の間に通路を見つけるだけなら、そんなに難しいことではないのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時45分=伊藤 幸司
迷路歩きのような楽しさが漂っています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時46分=伊藤 幸司
上流側を見ました。眼下に大きな砂州がありますが、私たちが休んだのはその奥の砂州。川幅が広がったので流れは蛇行を始め、カーブの内側に堆積物を積み上げていくという典型です。沢登りなどで谷を遡行すると、右岸から左岸、左岸から右岸へと移りながら、案外簡単に上流へと遡っていけることに驚きます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時46分=秋田 守
ここが問題の崩壊地。こんなに大きな岩が崩れ落ちてきたんだ。登山道が自然に繋がっているように見えるが、足下の石を見たら、ひとつひとつに石を割るための穴が開いているのが分かった。中にはたくさんの穴の跡が残るものもあった。ちょうどいい大きさにするため、苦労して割ったんだろうな。登山道再開にあたり、ルート確保のため、足場をしっかり新たに造ってくれたのだ。再びこの道筋を歩けることを感謝しないといけないと思った。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時46分=秋田 守
崩壊地を抜けようと歩いていていたら、こんなものが道の脇に置いてあった。ルートを間違えないように、木の枝にリボンを結んだりするが、たぶんその役割のためのものだろう。でも見た時には、ちょっとしたお洒落なプレゼントのように見えてしまい、思わず微笑んでしまった。なんかいいじゃないですか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時47分=山咲 野の香
崩落の跡につけた道だろうが、注意深くいくけど、ありがたいことに歩きにくい道ではない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時47分=伊藤 幸司
足元の大岩はすべて断崖から剥がれ落ちてきたのでしょう。でもこの通路、うまくできましたね。といっても大きな岩を乗り越えたら今度は岩の隙間に下るというアップ&ダウンという道ではあるのですが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時47分=稲葉 和平
整備された遊歩道のような道に少々飽きてきていたが、やっと渓谷らしい岩の道になった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時47分=稲葉 和平
渓流の流れも近くなり、気分もリフレッシュされた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時48分=伊藤 幸司
崩落地で少し上に上がったおかげで上流の光滝が見えてきました。たぶんこれが崩落地を横断する道では一番高いところだったかと思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時51分=伊藤 幸司
本格的に下っていきます。あともう少しという感じです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時51分=伊藤 幸司
下りにかかったところで、このルートを整備したときの痕跡が現れました。石片にあるのはドリルの痕でしょうか。岩にドリルで穴を開けて、そこにクサビを打ち込んで割っていきます。その破片が足元にいくつも落ちていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時52分=伊藤 幸司
これなどは、なんでしょうかね。ドリルの穴が無駄に空いているように見えます。遊んだのか、練習したのか、わかりませんけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時53分=伊藤 幸司
崩落地最後の難所というべきところ。岩のルートに沿って白いものが並んでいるのは一種のセメントですかね。気休め程度かと思ったら、あんがい耐久性があるらしく、滑り止めとして効果的だと思われました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時55分=伊藤 幸司
足元を見ると、谷は再び狭まって、複雑な谷底を見せていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時57分=伊藤 幸司
大崩落地の通過には15分ほどかかりました。本来の右岸の道に戻ったのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時58分=山咲 野の香
岩壁に沿ったしっかりとした探勝路。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時58分=伊藤 幸司
足元にイモリがいました。アカハライモリやニホンイモリという名も背負っているとのことです。
『ウィキペディア』で『アカハライモリ』開いてみると、けっこう驚愕の事実が書かれていました。
【イモリは脊椎動物としては特に再生能力が高いことでも知られている。たとえば尾を切ったとしても本種では完全に骨まで再生する。また四肢を肩の関節より先で切断しても指先まで完全に再生する。さらには目のレンズも再生することができ、この性質は教科書にも記載されている。多くの脊椎動物ではこれらの部位は再生できない。ちなみに、尾を自切し再生することが知られているトカゲでも、尾骨までは再生しない。

なお、この再生能力の高さは、生態学的研究の立場からは障害になる場合がある。個体識別をするためのマーキングが困難となるためである。一般に小型の両生類や爬虫類では様々なパターンで足指を切ってマーキングしたり個体識別(トークリッピング)を行うが、イモリの場合には簡単に再生してしまう。尾に切れ込みを入れても、傷が浅ければすぐに再生する。さらに札などを縫いつけても、やはり皮膚が切れて外れやすく、その傷もすぐに癒えてしまう。】

かつて、尾瀬でみなさんにサンショウウオを見てもらおうと、池塘の木道で長い休憩をする習慣がありました。ようやく見つけて「良かった!」と思った瞬間、ヤツめ、くるりと反転、赤い腹を見せて逃げていきました。アカハライモリ、すわなちニホンイモリにしてイモリ……でした。

でも尾瀬にサンショウウオはいるのです。
『尾瀬保護財団』の『尾瀬だより』に『2017年6月19日-尾瀬山の鼻ビジターセンターより(イモリとサンショウウオの違い)』がありました。
【今回のブログでは、今の時期によく見られるニホンイモリについてお伝えしたいと思います。
尾瀬ヶ原の池塘などの水たまりには、度々ニホンイモリを確認することができます。アカハライモリとも呼ばれ、その名の通りお腹が赤いのが特徴です。よく名前が似ているヤモリと間違えられ易いですが、イモリは両生類、ヤモリは爬虫類です。イモリは基本的に水辺や水中で生活し、池塘でぷかぷか浮いている姿が可愛らしいです。

イモリのことをサンショウウオだと思われる方が多いのですが、サンショウウオは昼間は落ち葉や倒木の下などに隠れていることが多く、水中で泳ぐ事は幼生や産卵の時以外は少ないです。
他にイモリとサンショウウオの違いを挙げると、イモリには顔の後ろに耳線というものがあり、上から見ると頭が角張っているのに対し、サンショウウオは丸みを帯びています。また体の表面にも違いが有り、イモリはぶつぶつしているのに対し、サンショウウオはつるつるとして光沢があります。
尾瀬にはニホンイモリによく似たクロサンショウウオやトウホクサンショウウオ、そして沢等の流水域付近に生息するハコネサンショウウオと三種のサンショウウオが生息しています。】

このイモリは真っ黒い背中がブツブツですが、もう一枚の写真を大きくして見たら、左前足の裏にほんのちょっとですが赤色が見えました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時58分=稲葉 和平
やっと渓谷らしい雰囲気になってきた。これ以上ないほどのしっかりした鉄鎖がついているから、足元の心配もいらない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時58分=秋田 守
崩壊地を過ぎたあたりでサンショウウオを見つけた。オオダイガハラサンショウウオではないだろうか。絶滅危惧種で、三重県、奈良県指定の天然記念物。昨年、和歌山県も天然記念物に指定。棲息するためには、渓流と林床が必要で、源流域を含む広い自然林が必要とのこと。また、冷涼な気候を好むため、このまま地球温暖化が進むと、さらにその数が減っていくのではないかと危惧されているようだ。
■コメント1:秋田 守=2019.7.4
少し上のコーチのキャプションにある通り、サンショウウオではなく、イモリのようですね。山の花でさえ名前が覚束ないのに、動物となったらお手上げです。お恥ずかしい。お詫びして、訂正します。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時59分=伊藤 幸司
大杉谷は再び谷底を狭めていくようです。やっぱり激流に近いところを「へつって」いくのが峡谷歩きの醍醐味でしょう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 14時59分=伊藤 幸司
いいですね。このスリリングな景色。もしこのクサリの安全装置が信頼できるものでなければ、私はこんなふうに最後尾から写真など撮ってはいられません。トップを歩いて、個々に安全を確認していかなければならなくなります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時02分=山咲 野の香
岩礁を縫う水流も見あきない。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時03分=山咲 野の香
しっかりしたクサリが出てきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時03分=伊藤 幸司
縞模様のちょっと変わった石がありました。動物のアタマのようにも見えてきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時04分=伊藤 幸司
水が音を立てています。水と岩との関係の、温和な時代と激烈な時代がここに折り重なって見えています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時12分=伊藤 幸司
3分前に沖見沢という場所を通過しました。特別な何かを感じることもなくこの吊橋、七ッ釜滝吊橋まできたのですが、その、沖見沢の道標には光滝から760m、七ッ釜滝へ500mとありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時16分=伊藤 幸司
七ッ釜滝吊橋を渡ると立派な警告板がありました。上流から下ってくる私たちに対するものです。

【警告 登山者のみなさんへ
これより先、七ッ釜滝の付近は特に転落事故が多発している地区です。足もとをよく確認して、一歩一歩慎重に行動してください。 三重県】
続いてクサリ場が始まる先に赤地の注意看板がありました。
【注意 これより先 死亡事故多発 谷側を歩くな!】

黒部の、下ノ廊下に似た登山道です。登山者どうしのすれ違いがあれば、かなり緊張する場面でしょう。
『大杉谷登山センター』の『大杉谷登山歩道事故マップ(平成元年〜)』を見ると、赤丸の【死亡・行方不明】と茶丸の【重症】が顕著に固まっているのが七ッ滝前後のこのあたりです。あとは明日通過する千尋滝の周辺、そして最後の最後、宮川第三発電所の手前の大日嵓。

『大杉谷登山センター』の『登山前の注意事項』を読むと、大杉谷の特殊事情がいくぶん見えてきます。
大杉谷では携帯電話が通じないこと、ヘリが来ないこと、遭難救助隊は民間の組織なので100%有料であること……などです。

【無謀な登山計画は止めましょう 大杉谷登山道事故マップ(登山センター調べ)
大杉谷登山道は、国内でも有数の多雨地帯であり、この豊富な雨が数々の滝とV字谷を作り出しています。そのため急峻で危険な箇所が多く、過去に多数の方が命を落としております。無謀な登山計画は止め、十分な装備を整えて登山してください。遭難事故が発生すると、連絡手段が無い為、第一報が入るまでに数時間〜半日ほどかかります。そこから救助隊が現場に到着するまでには半日〜、遅い場合は翌日となるため、初心者のみでの入山はお断りしています。また、救助隊は民間で組織されており、遭難に係る経費は全て自己負担となりますので山岳保険(登山保険)への加入をお勧めいたします。一人一人の事故予防と皆様のご協力が必要です。】

【状況判断──大杉谷登山道は一日の行動時間が長く日照時間も短い為、常に自分の現在地と今日の目的地を把握し、到着遅れが発生しない様、ペース配分を行いましょう。日中写真撮影等で時間がかかり、到着が遅れる事例が多発しています。山小屋や登山バス乗り場への到着が遅れそうな場合は、近くの登山者に伝言をお願いしてください。予定時間に到着せず、連絡もない場合は緊急事態と判断し、警察・消防・救助隊へ通報されてしまう場合があります。

グループで行動中、足の遅い方を切り離す場合は、 サブリーダー等、何かの際に判断・行動できる方が付いてください。本人は歩くのが精いっぱいで判断力等、余裕が無くなっており、滑落・道迷い等、新たなトラブルが発生する恐れがあります。メインリーダーは切り離したメンバーの迎えの手配を行ってください。警察・消防や他の人に依頼するのは論外です。

〇大杉谷登山のリスク
天候の急変──登山開始時に晴れていても、豪雨、強風、濃霧に見舞われることがしばしばあります。大杉谷は日本有数の多雨地帯であり、上流部にダムがあるため、雨が降ると川の水位は数メートル上昇します。また、登山道中には幾多の支谷があり、大雨が降ると想像以上の速さで増水します。第三発電所登山口から堂倉滝までの区間は特に川の近くを歩くことになるため、強い風雨の時は非常に危険です。気象条件や自分の体調をよく考え、無理をしないことが大事です。

滑落──大杉谷登山道は急峻な渓谷沿いを歩く岩場・鎖場の多い登山道です。岩場や常緑樹の落ち葉はとても滑りやすく、毎年滑落事故が発生しています。鎖が設置している箇所は必ずしっかりと鎖を掴み、慎重に通行してください。また、写真を撮る際は足場のしっかりとした場所で必ず立ち止まってから撮影しましょう。「ながら」登山は大変危険です。

落石──平成16年の豪雨災害で出来た「崩壊地」をはじめ、シカやカモシカなどの動物による落石、岸壁の剥離による落石など、落石が多い登山道です。「崩壊地」は現時点では、安定はしていますが、細かい落石による事故を防止するためにも速やかに通り抜けてください。

登山道以外を歩かない──滑落、落石の危険性が高くなるため登山道以外は絶対に歩かないようにしてください。登山道上でも滑落事故が発生していま す。登山道から外れてしまうと、滑りやすい岩や不安定な個所ばかりです。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時19分=伊藤 幸司
ここでもクサリは「登山歩道」と呼ぶにふさわしい安全と安心を与えてくれます。

登山道で一般に見るクサリの場合は、ふたりが同時に利用するとひとりの動きがもうひとりに危険な要素をあたえるという大きな危険を生じかねません。だから待ち時間が多くなります。ここではクサリはすべて打ち込まれた杭のところで固定されているので「ひと区間」が杭と杭の間になります。
しかもクサリの太さもきちんと選ばれていて、慣れない人が握ってもよし、慣れた人が握らずに指の関節を曲げて引っ掛けるだけでも十分に安全を確保できます。

私はそれなりにいろいろなクサリ場を見てきましたが、これは一般ルートの登山道としても過分でなく、登山道以下の、ハイキングルートとか、自然歩道の安全基準と考えてみても不測の事態が起きにくいと感じます。
おそらく設計者は「過剰品質」という非難を覚悟で押し通したのではないかと思いますが、視覚的な安心感という効用も含めて頑張られたにちがいないと思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時27分=伊藤 幸司
七ッ釜滝が見えてきました。この先に展望台があるはずです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時29分=山咲 野の香
七ツ釜滝。美バランスの三段の滝。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時29分=山咲 野の香
少し寄って。造園家だったら、こんな三段滝のミニチュアを作ってみたいな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時29分=稲葉 和平
滝の水しぶきと滝つぼの水の色が美しいが、写真に撮るのは難しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時29分=秋田 守
この日、多くの滝を見てきたが、ハイライトは七ツ釜滝。日本百名瀑のひとつだそうな。見学のための休憩所もあり、そこから見学。と言っても滝の全てが見える訳ではなく、見えているのは上から4段目、5段目、6段目の3段分。しかし、一部だけでも十分に迫力あった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時32分=伊藤 幸司
展望台となっているあずま屋(名前は避難小屋です)から七ッ釜滝が正面に見られます。これが大杉谷の今日の水量。写真などで見ると、これは水量の多いときの姿です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時32分=伊藤 幸司
これが七ッ釜滝の全体像。極論を言えば、空の見えるあたりからこの足元まで谷を掘り下げてきたのは水たちです。でもこの滝、今の人間たちが健全な景色として許せる範囲内に水量を絞って、生かさず殺さず、固定的に保存している状態ともいえるのです。ときどき反抗的な態度をとったりはしますけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時33分=山咲 野の香
新緑のカーテン越しの観瀑。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時34分=山咲 野の香
何を思い、何を見てますか?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時35分=伊藤 幸司
大杉谷の七ッ釜滝は「日本三大峡谷」にあって「日本の滝百選」のひとつです。ただ見るだけではもったいないと思いつつ、ただ時間をかければいいとも思えません。

『Rhythm あなたにちょうどいい、リズム』というサイトに『感性が磨かれる!「滝ガール流」滝観賞法・実践編』(2018.03.27)がありました。
【こんにちは。滝ガールの坂崎絢子です。
リズム読者の皆さまにはこれまで、「滝」は最強のリフレッシュツールである、ということをお伝えしてきていますが、今回は実践編です。
リフレッシュツールとして滝を活用するためには、少しコツがあります。わたしがやっているのは、五感を使って滝を「積極的に鑑賞する」ということ。具体的な滝ヒーリングの方法として、わたしがいつもやっている、滝ガール流の滝鑑賞法をお伝えしたいと思います。

この鑑賞法は、友人と一緒の旅で滝を訪れたときや、あるいは滝のガイドツアーのときなどに、わたしがよくレクチャーしています。もちろん基本的にはそれぞれが思い思いにじっくりと滝を眺めて、感じてもらえばOKです。ただ、参考までに最初に少しだけ鑑賞のヒントをお伝えしておくだけでも、「なるほど、滝ってこうやって楽しむんだ!」と喜んでもらえるので、うれしくなります。】

【ステップ1:「見る」擬人化すると滝がグッと面白くなる
まずは、滝を積極的に「見る」ことです。
滝に出会ったら、最初に「滝のファーストインプレッション」を捉えます。
周囲の景色と一緒に全体の雰囲気を見る。そして、その滝を人に例えたらどんな人かを考えてみるのです。

これが「擬人化」です。勢いや形状、色などを、人に例えてみます。
「乙女のような滝」「懐の深いおじいさんのような滝」「包容力のあるお母さんのような滝」とか……滝ってそれぞれ異なる個性的な「佇まい」が、あるんです。
滝によっては名前がそういうところからつけられている滝もあって、昔から、滝はそのようにして眺められてきたことが分かります。男滝、女滝、というのは特にメジャーな名付け方です。】

【その流れの中で、自分が気になる「部分」を探すのです。上から下に、流れ方は一定ではなく、流れの中にも「個性」がある。ピョンピョン跳ねていたり、くねくね曲がって落ちていたり……。自分はどの部分がお気に入りか、いわゆる「萌えポイント」を探してみます。
モデルさんの魅力的な姿を撮るフォトグラファーになりきったつもりで、いろいろな角度から見て、自分が気に入った萌えポイントを写真で切り取ってみるのもいいですね。】

【ステップ2:「聴く」 手を当てて滝の音だけに集中する
滝は「音が出る」というところが自然の景色のなかでも特別なものです。
滝の轟音は、あれだけの大きな音なのに、不思議と「うるさーい!」って不快になることはありません。それどころか、かなりのリラクゼーション効果があるのです。人間の身体は、水分が60%〜70%ともいわれるので、そこに共鳴しているのかもしれません。

わたしの観賞法では、積極的にその音を活用します。
滝の音をよく聞きたいときには、両耳に手を添えて滝の反対側を向いてみるのがコツです。それだけのことですが、集音効果によって、滝の音だけが大きく聞こえて、まるで滝の中に入った気分になるんです。】

【見るときには「擬人化」をしましたが、ここでは「擬音化」にチャレンジしてみます。
滝の音、と一言でいっても、それぞれの滝で違います。
どどどどど…なのか、しゃしゃしゃ…なのか?
結局、滝の音ってひとつの言葉では表せられないことに気がつくのですが、この試みを通じて、普段やらない「耳を澄ます」ことを意識的にできるようになります。

滝の音が浸透してきた耳には、今度は別の音がよく聞こえてくるようになります。身体の中の音、鳥のさえずり、木々の葉ずれなど……それぞれが聞き分けられるようになってくるので、楽しいですよ。】

【ステップ3:「触れる」
滝ガールは心地よく「鑑賞する」というスタイルなので、滝に打たれる「滝行」はしないのですが、水に触れることはしています。滝つぼの水に手で触れたり、水しぶきを浴びたり。水の温度やミストの細かさを肌で感じることで、生き物としての感覚が蘇ってくるようなのです。
冬場はさすがにやりませんが、もし浅い滝壺の場合なら、裸足になって足をつけてみます。肌触り、ひんやりとした温度を感じます。】

【滝の姿を眺める、滝の音を聴く、滝の水に触れる……それは単純に心地よい体験であると同時に、水の流れという自然の「動」が、前に立つ人間の五感を刺激してくれるものです。だから、癒しにつながるんですね!
滝は、地球がつくる偉大な芸術作品であり、ありがたいリフレッシュツールです。せっかくなら、感性をフル動員して、味わい尽くしてほしいと思っています。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時38分=伊藤 幸司
これは七ッ釜滝のでべそ、ですかね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時38分=秋田 守
七ツ釜滝展望所の滝と反対側に、いろいろな苔やシダが生えていて、こちらも大いに気になって、撮影したが、種名まで特定できず。ギブアップです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時51分=伊藤 幸司
こんなにたくさんの花をつけた木を見たのは昨日今日では初めてではないでしょうか。次の拡大写真でわかりますが、ガクウツギです。

『樹木の写真』サイトの『ガクウツギ』にこんなふうに書かれていました。
【山地の林下に生え、高さは約1.5mになる。よく分岐し、枝は開出する。
低木であるウツギの多くは、林縁など明るいところを好むが、ガクウツギはむしろ日陰を好むようだ。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時51分=伊藤 幸司
『樹木の写真』サイトの『ガクウツギ』を続けて読みます。
【花は5〜6月、枝の先に散房花序をつける。縁に、萼の変化した装飾花がある。萼片は3片が大きくなるが、大きさがばらばらなのが特徴。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時51分=秋田 守
小屋の手前に立派なガクウツギが花を付けていた。ガクアジサイのようなウツギ、ということでその名が付いているらしい。品のある風情で好ましい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時52分=伊藤 幸司
なんだかわかりませんが、面白い葉っぱ。シソ科の葉っぱだとは思いますが、この大小、いったいどういう関係なんだろう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時53分=伊藤 幸司
なんだかどんどん下っていく感じです。時計を見ると、山小屋に泊まるときに大きな目安となる16時が目前です。計画では16時30分に桃ノ木小屋到着としていますが、できれば16時到着という計画にしておきたいところなのですが、大台ヶ原で日出ヶ岳への行き道に大蛇嵓への道草を加えました。それがいま、時計にかぶさってきています。

山小屋によって一律ではありませんが、16時に夕食の準備にかかるとき、人数を確定していたいのです。だからあとから来ても対応できないかも……しれませんというエクスキュースに「16時到着」というハードルを設けているのが一般的なのです。通常なら途中から「向かっています」という電話を1本入れておけば安心なのですが、ここでは私たち7人が予約どおりに向かっているかどうかさえわかっていないのです。すぐ近くまで来ているという確認もないわけです。
でも、こちらの計画通り、16時30分までには着けそうです。下手に急ぐ必要も、もうないのです。小屋が見える直前まで、今日一日の山歩きであればいいのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時55分=稲葉 和平
雑木の間から垣間見える澄んだ水の色が美しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時56分=山咲 野の香
崩落の名残か、かなりの巨岩が乗っている。流れてきたか、落ちてきたか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時57分=伊藤 幸司
河岸を「へつる」道になりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時58分=伊藤 幸司
登山道はどんどん下がって、水面に思いっきり近づきました。そこまで水が上がることは、ないとはいえないにしても、ほとんどないということなのでしょう。だから、景色はずいぶん穏やかな印象になりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 15時59分=伊藤 幸司
でも1分前の気分ががらりと変わります。前方にあった緑の中へと登っていくらしいのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時00分=伊藤 幸司
次の1分、まだ登っています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時02分=山咲 野の香
本日の宿、桃の木山の家に無事到着。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時02分=伊藤 幸司
そして2分後、下りにかかったら、前方に見えました!

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時02分=秋田 守
16時を回った頃、今夜世話になる桃の木山の家が見えてきた。いやあ長い道のりだった。意外と大きな小屋。登山道が閉鎖されていた間は、この小屋も閉鎖せざるを得なかった。お客さんが来たくても来られないんだから当然と言えば当然だが、よくそれで持ちこたえられたなと感心してしまう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時04分=伊藤 幸司
そしてさらに2分後。やれやれ、わかりにくいのですが、石段を登ればそこが桃ノ木小屋。明日は吊橋を渡って行きます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時50分=伊藤 幸司
部屋に落ち着き、風呂に入り、夕食が「2回戦」の17時30分からになったので、吊橋を渡って桃ノ木小屋を撮りました。登山禁止で10年間営業できなかったのを耐え忍んできたのだと思いますが、たぶんいい方向で元気に再開できたのではないかと感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時52分=伊藤 幸司
吊橋の上から「作品1:森に潜むイリオモテヤマネコ」

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時52分=伊藤 幸司
吊橋の上から「作品2:情緒不安定」

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時53分=伊藤 幸司
吊橋の上から「作品3:日々の生活皺」

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時53分=伊藤 幸司
吊橋の上から「作品4:生まれいづる者」

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 16時53分=伊藤 幸司
吊橋の上から「作品5:カバのおじさん」

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 17時09分=秋田 守
玄関前の吊り橋から見た桃の木山の家。数百名が宿泊できる規模だそう。ぼくたちは大部屋に泊まったが、個室もたくさん用意されていて、人気があるようだった。お風呂があるのが嬉しかった。木の浴槽は3人入れば満員だったが、汗を流せるだけでありがたかった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 17時15分=稲葉 和平
桃ノ木小屋。ホームページの写真は、地図では近くまで林道が来ている割には古めかしい山小屋のように見えたが、思っていたより大きく、なかなか風格もある。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 17時33分=秋田 守
夕食は2交代制。ぼくたちは早番で17時半から。フロントに並ぶと、二人分をひとつのお盆に載せて渡してくれた。合理的なやり方。この小屋の名物は豚カツと聞いていたが、今夜はそれとカレーライスだった。カレーは1回限りお代わりできるというので、しっかりお代わりもいただいた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 17時34分=秋田 守
風呂上がりに小屋の外でWさんと缶ビールを呑んだ。夕食時には、同じく小屋で売っていた地酒のワンカップ、東獅子。昨晩の猩々はぼくが買ったので、今夜はWさんがおごってくれた。蔵元は麓の元坂酒造。その時は気がつかなかったが、調べたら、なんと銘酒、酒屋八兵衛の蔵元ではないですか。こりゃ上等ですな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 17時36分=伊藤 幸司
桃ノ木小屋の夕食は、おかわり可能のカレーライスとたぶんトンカツ。と味噌汁とつけもの。ぜ〜んぜん不満なし。

『ひなたびBLOG』の『山旅、山小屋ごはん』(2016/07/09)は『山小屋ごはん「大杉谷 桃の木小屋」』
【「桃の木小屋」は、大杉谷の真っ只中、険しい渓谷の底にある宿。ヘリコプター輸送も難しい立地のため、物資は索道で運び込んでいるそうです。
宿泊人数が多いため、食堂は入れ替え制。テーブルは人数に比べれば広め。肩が触れ合うことはなさそうに思います。

夕ごはん
こちらの夕食は名物カツカレー。スペースが限られた山小屋では保存が難しいだろうに、一人づつ豚カツを揚げて提供するなんて、恐れ入りますね。その分付け合わせは簡素なものですが、一点豪華主義は嫌いじゃないですね。御飯がおいしいのもうれしいところ。
水が少ない小屋だと、揚げ物の方がよい場合があるそうですが、桃の木小屋は沢沿いで水は豊富なのです。いつからの伝統なのでしょうね。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】2日目 19時20分=伊藤 幸司
この日の日没は三重県(県庁所在地)で18時55分。食後また吊橋の向こう側から振り返ると、桃ノ木小屋は渓流ぞいの温泉宿のようでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 05時59分=伊藤 幸司
ホテルでいえばフロント。夕食もそうでしたけれど、そこから食事は出されます。各人が受け取って適当な席へ。それも夕食と同じです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時01分=秋田 守
最終日、5時起床。朝ご飯は5時半からだが、並んだ順にということで早立ちしたい人の行列。多くの方はこれから大台ヶ原へ登る長丁場のため、少しでも早く発ちたいと並んでいるが、ぼくたちは下るだけで、しかもバスではなくタクシーを予約しているので余裕をもって行動できる。6時前にそろそろ席が空いたとのことで食堂へ。朝食は山小屋としては十分上等な内容。しっかり食べて、身支度を整えた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時19分=伊藤 幸司
これは屋内物干し場という感じでしたが、私たちは夜のミーティングに使いました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時20分=伊藤 幸司
かなりシンプルで使いやすい大部屋。個室は別棟です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時38分=伊藤 幸司
飛ぶ鳥跡を濁さずでしょうか、昨夜は泊り客なしでしょうか。この部屋は食堂のとなり?
大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時38分=伊藤 幸司
別棟の建物の間が雨の日の屋根付き玄関となっているようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時39分=伊藤 幸司
ここが展望食堂。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時39分=伊藤 幸司
フロントスペースです。桃ノ木山の家が発行した『大杉渓谷詳細図』は【平成2年8月に桃ノ木山の家開設50周年を記念して作成したものです。】というイラストマップ。600円でしたかね、買う価値アリです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時42分=伊藤 幸司
下山するグループが出かけて行きます。1日一本の登山バスが宮川第三発電所のちょっと先から12時10分出発ですから時間に余裕はありません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時49分=伊藤 幸司
私たちは登山バスとすれ違わないように登ってくるジャンボタクシーですから、ワンポイント遅らせての出発です。
今日は桃ノ木小屋の『大杉渓谷詳細図』をトップの人が持つことにして「見もの」ごとに交代するという方式にしました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時50分=稲葉 和平
三日目もお天気は良さそう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時54分=伊藤 幸司
そして出発。ここは日出ヶ岳から7.9km、七ッ釜滝から690m、下りは不動谷出合まで260mで登山口まで6.2kmとのこと。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時54分=山咲 野の香
桃の木山の家をゆっくり出立。山小屋の朝と行程に余裕がでたのはありがたい。下山後バスではなくタクシー利用となったため。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時57分=伊藤 幸司
朝の気持ちいい山道です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 06時58分=伊藤 幸司
コケなのかシダなのかわかりませんが、朝日が差し込んでフレッシュな気分です。
すぐに【不動谷出合】という道標がありましたが、桃ノ木小屋のすぐ下流に左岸から注いでいるのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時00分=伊藤 幸司
下りでダブルストックを使うときには、大きめの段差をスローモーションで下るのが楽で早いのです。スキーでこれから急斜面に飛び込もうとするときの、思いっきり深い前傾姿勢をとって(3歩先へストックを突きます)、1歩目は降り出した足を真下へ、2歩目で通常の姿勢に戻ると、3歩目のところにあるストックをさらに前方に降り出していきます。いま、写真にそのポジションの感じが出ています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時05分=伊藤 幸司
朝日を浴びながら進みます。大杉谷ならではの、という道ではありませんが、小屋を出て、この深い谷の中で朝日を浴びるという気分は格別です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時09分=伊藤 幸司
糸の会では苔派の第一人者。おかげで最近、誰も彼もが急にコケに目がいくようになってきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時09分=伊藤 幸司
コケだかシダだか、とりあえず撮っておきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時10分=秋田 守
吊り橋を渡って、歩き始めは明るい広葉樹の森の中をゆく。コーチの提案で今日は10分交代ではなく、滝ごとに交代にしようとなった。実は昨日と違って、そんなに滝の数は多くないんだけど。、ま、いいか、行ってみよう。今日も元気で。が、実は、情けないことに昨日の1000m一気下りのため、少々太もも前面とふくらはぎに凝りが発生。歩けないほどのことではないのでいいけど。やはり下りは足に来るなあ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時12分=伊藤 幸司
これもコケです。たぶん調べてもキャプションをつけられるところまで行けないと思いますが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時12分=伊藤 幸司
なんの変哲もない道際の風景ですが、知れば知るほどおもしろいのかもしれません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時13分=伊藤 幸司
苔むす岩……なんでしょうが、岩の隙間に樹木が根をねじ込んでくるのと、コケが自立して生活しながら自分たちの敷地としてべったりひろがってくるのと、どちらが岩にとっては好ましいのでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時23分=伊藤 幸司
嘉茂助橋がありました。昭和57年3月竣工の一連の吊橋のひとつです。
でもこの吊橋は対岸へ渡るものではありません。右岸の小さな沢をひとつ渡るだけ。先ほどから平等嵓というのが対岸にあるのでどれだ、どれだ、と見ているのですが、なかなか「さすが」と思わせてくれるものが出現してくれません。それだからか『大杉渓谷詳細図』には【コケむした岩】【コケの岩壁つづく】【コケの大岩】などと足元情報が並んでいます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時27分=伊藤 幸司
これはナツツバキでしょうか。ずいぶん奇抜な姿をしていますが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時27分=伊藤 幸司
見た目の割に普通の道なんですが、わたしたちは「平等嵓」が確認できないもどかしさとともに歩いています。というのは、今日は見るべきポイントごとに先頭を交代するというルールで歩いているからです。『大杉渓谷詳細図』だと「平等嵓」の展望ポイントが過ぎてしまったようにも思われるのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時30分=伊藤 幸司
1分前に「平等嵓」まであと250mという道標がありました。なんだまだだったのか、という気分です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時35分=伊藤 幸司
カンアオイの仲間でしょうか。突然「ポンとひとり」という感じでの出現。もちろん、調べるつもりありません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時36分=山咲 野の香
朝日を受け、そそり立つ平等くら。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時45分=秋田 守
小屋を出てから約1時間。本日、最初のスポット、平等嵓。嵓(くら)とは、険しく切り立った大きな岩のこと。平等嵓もひとつの巨大な岩の塊なのだ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時46分=伊藤 幸司
出ました。平等嵓です。何がどうすごいのか、よくわかりませんが、孤高の大岩、という意味で名前がついてもいい、とは思います。

『近畿中国森林管理局』の『三重森林管理署』に『大杉谷の自然』がありました。
【大杉谷国有林は、伊勢平野の南部を東に流れ伊勢湾に注ぐ宮川の源流部にあたり、標高1,695mの大台ケ原山(日出ヶ岳)の北東側に位置しています。大台ケ原周辺は、日本有数の多雨地帯として知られており、激しい浸食作用により、地形はけわしく複雑で、谷は深いV字型となり大小さまざまな滝が見られます。

豊富な雨と変化に富んだ地形により、この地域の森林は、カシ類を主体とした常緑広葉樹林、ブナ等に代表される落葉広葉樹林、トウヒやウラジロモミ、コメツガを主体とした常緑針葉樹林など多様な森林が成立しています。
この豊かな森林を守り、末永く後世に伝えていくため、平成3年3月、大杉谷国有林を「大杉谷森林生態系保護地域」に設定しました。】

さらに【大台ケ原は紀伊半島の主要な河川の水源地となっています。北西に流れる本沢川は吉野川となり、やがて紀ノ川と名を変え紀伊水道に注ぎます。南に流れる東ノ川は、北山川と合流し、熊野川となって熊野灘に注ぎます。東側は、堂倉沢や西谷川の水を集めた大杉谷より宮川となり伊勢湾へ注いでいます。

深いV字谷を形成する大杉谷には、大小100に及ぶ滝があり、主なものに、千尋滝、七ツ釜滝、光滝、堂倉滝などがあります。
大杉谷のこのように変化に富んだ特異な地形は、この地域の地質と気象条件に深いかかわりがあります。大杉谷一帯は、秩父古生層の砂岩、頁岩、チャート、石灰岩などの堆積岩と、火成岩より構成されています。これが、日本でも有数の多雨地帯である大台ケ原の水系による激しい浸食作用を受けますが、その地質の違いにより風化や浸食の度合いが異なることから、変化に富んだ断崖や滝、淵などの地形を形作っていくのです。】

そして嵓(くら)について。
【大日嵓、平等嵓、大蛇嵓など、大杉谷や大台ケ原には「嵓」がつく地名が多く見られます。「嵓」は「けわしく切り立った大きな岩」という意味があります。】
平等嵓は大杉谷で特筆すべき大岩ということになるようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時46分=伊藤 幸司
これが平等嵓吊橋。歩道橋とはいえ、ガッチリ作られているので、揺れるけれど怖くない、という微妙な調整がなされているように感じます。吊橋感を残しつつ不安感を与えないというわけですが、揺すってみても揺すってる感以上のものにならないので、つまらない感じもします。
昨日日出ヶ岳の山頂への立派すぎる? 廊下型の階段木道に驚きましたが、大杉谷に入ってからの吊橋群もなにか特別な製作(建築?)基準で一気に作られた感じです。

最初の堂倉滝橋(昨日の13時半)の埋め込みプレートには昭和58年3月竣工とありましたが、そこに『準拠基準:大杉谷登山歩道吊橋等技術指針』とありました。ちなみに昭和58年は1983年です。
帰ってウェブで調べようとすると、真っ先に出てきたものが、時期的に、それと関係しているに違いないと思いました。

あったのは『ウィキペディア』の『大杉谷』でした。
【吊橋事故──1979年9月15日、登山サークル一行(ほとんどが初心者で総員52人)が、老朽化した吊橋を「通行は一人ずつ」との警告板を無視して8人で一度に渡ろうとしたところ、ケーブル2本のうち1本が切断し、1人が墜落死亡・1人が重傷を負った事故(事故当時、先行の登山客2人が渡橋中で、橋上にいたのは合計10人)。当該サークルは、1泊2日で行程を組んでいたため、当該吊橋で待たされると日没までに山の家に到着しなくなることを恐れ、前に渡っている登山客が制止するにもかかわらず通行した。

本事故に関するサークルリーダーの刑事責任は不問とされた。
遺族は三重県と国に対し、6900万円の損害賠償を求める国家賠償訴訟を神戸地裁に起こした。神戸地裁は1983年12月、三重県には吊橋の管理に瑕疵があり、国には吊橋の設置管理費用負担者の責任がある、一方死亡者にも警告板を無視した過失があるとして3割を減額した賠償を命じた判決を下した。

本判決に原告・被告とも控訴した。
特に被告側は、裁判官が被告側の要求する現地検証を拒否し、登山道を「ハイキングコースであり、スカートやヒールでの登山客もいる。」と認定するなど大きな事実誤認をしたと主張した。控訴審判決(大阪高裁、1985年4月)では、被告側の主張を一部入れ、死亡者の過失割合を4割に増やした。
被告の上告を受けた最高裁では、国を費用負担者と認定せず、三重県には上告棄却(敗訴)、国には原審破棄(勝訴)の判決を下した(1988年12月)。

本件を契機として、環境庁は登山道の安全に神経を尖らせ、多くの登山道が通行禁止となり、自然保護団体からは自然破壊と評されるほどの登山道整備を行った。本登山道も、岩盤に発破をかけるまでの自然に負荷を掛ける方法で登山道を整備しなおし、1983年に再開された。】

なにか、私たちには重要な事件とその波紋だったようです。それがこの吊橋に秘められていたと知ったので、もう一歩踏み込んでみたいと思いました。
『登山事故の法的責任を考えるページ』に『大杉谷吊橋事故の損害賠償請求訴訟とその影響』(2005年6月14日 by SOMIYASEIYU)がありました。

【以下は、数度のメールのやりとりをへて、本HPに掲載させていただけることになった大台ヶ原・大峰の自然を守る会・会長の田村義彦さんのご論文「大杉谷吊橋事故の損害賠償請求訴訟とその影響」である。この裁判事例は、本HP「登山事故関係など主要判例一覧」のNo. 009で紹介していた。しかし、田村さんにご指摘いただくまで、原告主張と判決についての重大な問題性に全く気づくことができなかった。まさに、我が身の不明、愧いるばかりである。
ぜひとも、判例タイムス513号と判例時報1105号の一審判決及び判例時報1166号の控訴審判決を読んでみていだたきたい。私は、両者を読み比べて、田村さんのご主張趣意の合理性は明らである、と思料するものである。
なお、ウェブ上で文字化けなどの誤りが発生したとしたら、それらはすべて私のミスである。
2005.06.14

大台ヶ原・大峰の自然を守る会
田村 義彦
2005年5月30日
[要約]
1979年、大杉谷で観光サークルが吊橋切断死亡事故を起した。遺族は国と三重県の管理責任を求めて提訴した。第一審と控訴審の大阪高裁は、国・三重県の管理責任を認めたが、最高裁は、三重県については大阪高裁の判断を是認したが、国については原判決を破棄し、第一審判決を取り消し、遺族の請求を棄却した。
この訴訟によって行政内部では、“利用者の安全”が国立山岳公園の本質論を越えた至上命題になった。行政の責任回避のための過剰施設整備が安全の美名のもとに各地で行われ、原生的自然が破壊され人工化されることになった。そのきっかけになったのがこの裁判である。

◆はじめに
いささか旧聞に属するが、1979年9月の大杉谷吊橋事故について、筆者は『自然保護辞典』[山と森林]緑風出版発行(1989年)に「過剰施設整備と大杉谷の自然」と題して批判を書いたが、この度、ウエブサイト「登山事故の法的責任について考えるページ」に投稿するために、緑風出版に相談したうえで上記の拙文を引用しながら改めて要約を書いた。一行でも短くするために、意を尽くせば数十行になる重要なテーマをあえて十行前後に要約したが、それでも冗長になったことを最初にお詫びする。詳細な議論はあとに譲る。

【1】大台ヶ原・大杉谷吊橋事故
(1)事故の概要
1979年9月15日、吉野熊野国立公園大台ヶ原山・大杉谷の上流から二つ目の堂倉吊橋(全長46m)において、自らは登山サークルと称する大阪の観光サークルの一行52名が「通行制限。一人ずつゆすらないで静かに渡って下さい。三重県・宮川村・大台警察署」の警告板を無視し、しかも、まだ渡りきっていない先行パーティ2名の制止をさえぎって、強引に8名もの多人数で渡橋しようとしたため、吊橋が10名の荷重に耐えきれず、直径21.5mmのメインワイヤー2本のうち川上側の1本が切れ、橋板が45度に傾き、1名がワイヤーにぶらさがっていたが2分後に約20m下の河原に墜落、露岩に激突死亡、1名がワイヤーに跳ねられて重症を負う事故を起した。死亡者のザックには、途中、河原で拾った岩が入っていた。

(2)観光サークル役員会の不可解な登山観と、傲慢で甘えの権利意識
観光サークル役員会(以下、「役員会」と書く)の実質的な責任者は、「登山と観光とスポーツから誰でも参加できる基本は発展させたい」(日本語の文法を超えた難解な文章であるが原文のまま引用する・・筆者)と言う。そして、登山と観光とスポーツを同一次元でとらえる不可解な思考から次のテーゼを導き出した。「山と自然はみんなのもの。決意を強くもてば、誰でもどこでも行ける。」「いかなる理由と事実があっても、いつでも誰でもどこでも行ける人間の権利と要求を抑圧する理由にはならない。」自然に対するこの傲慢で甘えた権利要求を、大杉谷の原生的自然はあっさり拒絶した。
「白神山地のブナ原生林を守る会」事務局長奥村清明氏は近著『白神山地ものがたり』(無明舎出版2005・3)に、白神山地について次の様に書いている。「国有林には、国民は誰でも自由に入山できる権利があるなどと、主張する人もいます。国有の施設に、国民はいつでも自由に出入りはできません。国道の真中をだれでも自由に歩くことはできません。利用するためには、どこにでもルールがあります。」

(3)遭難の絶えない危険なコース
大杉谷は「いつでも誰でも」楽に安全に行けるハイキングコースではない。大台ヶ原に降る年間5000ミリ近い豪雨を集めて流れ下る大杉谷は、直線距離8.4kmの間に標高差1400mの落差をもち、その間に40mから140mの滝が七つ連なり、断崖、深淵、急流に沿って険路と吊橋13本が連続する危険に満ちたコースであり、年間5〜6件の転落事故が絶えない。この危険なコースに、不可解な登山観と権利意識を抱き、経験・技術ともに未熟な役員会が、ほとんど初心者の52名もの大集団を連れて入ったこと自体、事故は約束されていたと言わざるを得ない。山岳遭難というよりは登山大衆化状況のなかで生じた観光事故という方が当たっている。

(4)無謀なスケジュールと行動
役員会は「大台ヶ原から桃ノ木小屋までのコースタイムは、地図で4時間40分です。しかし、六つのつり橋を看板(通行制限の警告板・・筆者)通り一人か二人で渡っていたら、つり橋だけで5時間もかかり、桃ノ木小屋まで夜行登山しなくてはなりません。」として「夜行登山を避けるために、一人しか渡ってはいけない吊橋を三人で、二人しか渡ってはいけない吊橋を五人でわたることに決めた。」
一行は、朝大阪を発ち、電車・バスを乗り継いで正午前に山上駐車場に着き、その足で大杉谷を下り、夕刻、桃ノ木小屋に着こうとした。山上駐車場に正午前に着いて、その足で桃ノ木小屋まで下ることができるのは、山馴れした足の速いパーティにのみ許されることで、ほとんどが初心者の52名もの大集団には到底不可能である。

当時の大杉谷では土曜、日曜に吊橋で待たされるのは常識であった。老朽化して警告板が立っている吊橋を安全に渡るためには、時間をかけて慎重に渡るしかない。初日は山上の宿舎で一泊し、翌日早朝に出発して一日かけて大杉谷を下るのが大杉谷のルールである。それでも、1977年10月に日本自然保護協会一行22名が初日は山上で一泊、翌日早朝に発って大杉谷を下ったが、桃ノ木小屋に着いたのは午後7時であった。山馴れた一行にしてこれである。下山途中雨になり、登山道が増水に洗われて通れなくなり引き返すことは大杉谷では珍しくない。
役員会が吊橋の老朽化を無視して、時間を人数で割って “3人” “5人” を割り出したのは信じ難い暴挙である。いくらメインワイヤーが腐食していたとはとはいえ、一人ずつ渡っておればこの事故は起きなかったであろう。事故は起こるべくして起きたと言える。

(5)登山者の自己責任
山で状況を判断し、行動を決定するのは登山者自身の責任で行うことであり、従ってその結果については自分が負うべきは当然である。自然の中での安全は他人につくってもらうものではなく、自分でつくるものである。
吊橋にしても、変化に富んだルートの途中に、たまたま存在する一つの部分に過ぎない。それを渡るか渡らないかは登山者の自由な判断に任せられる。誰が、いつ、何の目的で架けたかわからない吊橋を、登山者が渡った方が都合がよいから利用するだけのことである。
事故のあった吊橋は1962年頃、三重県が発電所建設工事関係者の通行のために架橋したもので、1968年に国の承認を得て登山道に組み込まれたものである。架橋後20年近く経ち、老朽化していることは、一目見れば誰にでもわかる。

(6)不可解なリーダーシップとパートナーシップ
不可解な登山観と権利意識をもち、登山経験・技術ともに未熟な役員会は、参加者に対しては「どんなことがあってもパーティに遅れない決意が大事。行動中団結を乱し、参加者に動揺をもたらす発言と行動(特に経験者)は許さない。意見、発言等は、リーダーと役員会に休憩時に出す。緊急時はその限りではない。リーダー、役員会、班長に団結するのが基本。」「初心者50人〜100人では、個人のリーダーがいくら経験や能力があってもまとめきれない。集団の力で運営する。」「集団の英知を引き出しまとめる立場」などと意味不明なことを言う。

「まとめきれない」ことがわかっていて、何故52名もの初心者を危険な大杉谷に連れて行ったのか。「集団の力、集団の英知」というが、それは経験ある登山者の集団で初めて言えることで、初心者にそれを求めることは役員会の責任放棄である。
「リーダー、役員会への団結」とは「服従」と同義語ではないか。服従を要求しておきながら「まとめきれない」から皆で考えろとは、どういう精神構造なのか。初心者だけの「集団の力・英知」で登山ができるのであれば、リーダーなど最初から要らない。

(7)集団登山の危険性とリーダーの刑事責任
役員会は、進んで事故原因の解明に努め、主催者としての責任を全うすべき責務がある。ところが事故後「リーダー責任」を自覚した役員会は、三重県警の取り調べに頑強に抵抗し、行政の管理責任をことさらに追求した。これでは、果たすべき自らの責任を回避するために、すべてを行政の管理責任へ転嫁しようとしたと批判されてもやむを得ないであろう。

もっとも、山岳事故の場合、他の場合であれば当然刑事責任の対象になる注意義務の懈怠による事故であっても、対象とされない場合もある。それは、登山パーティが本来危険の同意に基づいており、事故の不可抗力性、自己過失に起因することなどが違法性阻却の理由とされているからである。したがって、よほどの重過失をした自覚がなければ、捜査に抵抗する理由など全くないはずである。

《松本深志高校の西穂高岳落雷事故の場合》
例えば、1967年8月、北アルプス西穂高岳登山中の長野県松本深志高校の生徒11名が落雷にうたれて死亡した事故について、長野県警は学校側の刑事責任を追及しなかった。その免責理由は、落雷という不可抗力的な事故であることのほかに、(1)登山計画に無理がなかったことと、(2)当日の行動に無理がなかったこと、をあげている。逆にいえば、登山計画と当日の行動に無理があれば学校側は刑事責任の対象になった、ということである。であるならば、無理な登山計画と無理な行動をした役員会の刑事責任は当然問われて然るべきであるが、それを追及し得なかった三重県警は明らかに職務怠慢である。

松本深志高校では2年をかけて事故原因を究明し、「集団登山は安全度を非常に高く取って、危険に近づいてはならない。安全が、その内在する危険の本質を知らずして保たれているのであるならば、それは真に安全性が確保されていることを意味しないのである。」と結論づけた。
観光サークル役員会は、主催者として、無謀な計画と行動に内在する危険性を当然知っておくべきであったにもかかわらず、これを全く知らなかった役員会の主催者責任は極めて重い。

【2】損害賠償請求訴訟 
三重県警は役員会のリーダー刑事責任を不問に付したが、遺族は国家賠償法に基づき、三重県に対して吊橋の設置、管理の瑕疵責任を、国に対しては設置管理費用負担者としての責任を問い、連帯して6900万円の損害賠償を請求する訴訟を神戸地裁に起した。

争点は、(1)三重県の設置管理の瑕疵、(2)国立公園の事業者でない国は補助金により設置管理費用の負担者といえるか、(3)被害者の過失相殺、の3点であって、問われるべき「リーダー責任」は問われなかった。

(1)事実誤認の第一審判決(神戸地裁)
神戸地裁は、吊橋は自然公園法に基づいて三重県が環境庁長官の承認を受け、国立公園事業の一部の執行として設置管理したもので、三重県は腐食したメインワイヤーの交換、通行禁止または監視員の配置などにより、確実性のある具体的危険防止措置をとるべきであった、と管理に瑕疵があったと判示した。

また、国は自然公園法に基づき、吊橋の補修工事に関して補助金を交付しているが、同法の目的は、本来国が執行すべき国立公園事業について、都道府県に財源的な裏付けを確保するとともに、その執行を義務付け、かつその執行が国立公園事業としての一定の水準に適合すべきものであることの義務を課すことにあり、利用者の事故防止に資することを含むものであるから、国は国家賠償法により吊橋の設置管理費用の負担者としての責任がある、と判示した上で、死亡者は、通過制限の立看板を無視して多数で渡った過失があるとして3割を相殺し、国・三重県は連帯して4316万円を支払うよう命じた。1983年12月20日のことである。
この判決に、三重県・国が控訴し、原告らも認容額を不服として付帯控訴した。

《事実誤認に導いた原告側の証言》
判決は「証拠によれば、大杉谷線道路は、一泊二日の登山コースとしては比較的楽な、登山というよりはハイキングというべきコースであり、スカートやヒール靴をはいたままの登山者もあること、近鉄がこれを一般用の登山コースとして宣伝していること、ここ1年間1万2千名、シ-ズン中1日約5〜600名の登山者が訪れること、現に本件事故当日は約400名の登山者が訪れていた。」と判示しているが「大杉谷線道路は、一泊二日の登山コースとしては比較的楽な、登山というよりはハイキングというべきコースであり、スカートやヒール靴をはいたままの登山者もあること、」は完全な事実誤認である。裁判官が実地検証をすれば、きびしい登山コースであることはすぐわかることであり、三重県・国はそれを要求したが行われなかったのは裁判所の怠慢と言わざるを得ない。

その上、裁判官に誤った判断材料を与えたのは、役員会の事実に反する証言である。曰く「『通行制限、一人ずつゆすらないで静かに渡って下さい』との警告板の表示は、その文意からして、吊橋の揺れによる危険を強調するもので、ワイヤー切断の危険を警告するものではない」「通行制限の表示は、登山者の間では必ずしも遵守されず、多人数の渡橋が日常化していた」「この事実から、吊橋のメインワイヤーが荷重により切断することは夢にも思わぬ出来事であり、到底予見することのできないものであった」「会としては、事前に吊橋の渡橋方法について、通行制限が1人のところは3人で、2人のところは5人で渡橋するように打ち合わせていた。その理由は、吊橋を渡る時の心理的恐怖心を考慮して、むしろ複数名による渡橋のほうがかえって安全であると考えたからであり、右の考えには合理性がある」と。

いかに法廷技術とはいえ、よくもこれだけこじつけが言えたものである。強弁に“合理性”など全くない。大杉谷の現場検証を行わなかった裁判官はこの「作り話」を真に受けて「認定の事実」とし「右認定を覆すに足りる証拠はない」として、三重県・国に対して「本件吊橋を通行禁止にし、又は、同時に多人数の登山者が渡橋しないよう監視員を配置するなど、単なる前記警告板設置以上に、より確実性のある危険防止の措置を構ずべき義務が存したものというべきである」と責任を問うた。

「監視員の配置」など到底実行不可能で、現場を知らない裁判官なるが故に言える空論である。この事実誤認を覆す「証拠」はいくらでもあるにもかかわらず、裁判所はその努力を怠った。

大杉谷の吊橋は1975年の国体のときに改修した3本を除いて、残り10本はすべて老朽化しており、橋板は腐り、ワイヤーも何本かは切れたり、はずれたりしていた。その状況を見れば、警告板が「荷重制限」であることは誰にでもたやすく理解できることである。役員2人は観光サークルの機関紙に「大杉谷事故の報告」(1979・9)と題して「事故現場に来た時、吊橋では40人からの人達が待っており、『よけ(大勢)いるな』『時間がかかるな』『ロープ(ワイヤー)が切れるのか』等話していました。」と、はっきり書いているではないか。事故現場にいた役員2名はワイヤー切断を予感していたのだ。

裁判所は、多くの事実誤認をしたが、役員の事実に反した証言の一部については「事実認定」をしなかった。事故時の渡橋の状況について、役員は「前の者がすべて渡り終るのを確認してから渡橋を開始した」と証言したが、裁判所は、この証言を「前提証拠に照らして信用できず」としたのである。「信用できず」とは、言い換えれば、本当のことを言っているとは思えないということだから、裁判所は役員がウソをついているという心証を持ったということである。役員は法廷でありのままの真実を証言するという基本的責務を果たしていないと言わざるを得ない。

また「多人数での渡橋の日常化」の事実も証拠もない。この作り話を観光雑誌に書いたルポライターは「ニュースソースは秘匿せざるを得ない」と断って「1人のところは10人まで耐久力があるという論拠不明の伝説」が地元で語られていると驚くべき無責任なことを平然と書いている。その「出所が秘匿された論拠不明の伝説」を、裁判官が「証拠」に採用したとは何たることか。「10人通行可能」の出所として類推できるのは、架橋当時は10人まで渡れると言われていたようであるが、架橋後20年近く経って老朽化すれば「10人」が無理であることは誰にでもわかることだ。

大台・大峰山系を歩いて50年、大杉谷のガイドマップも書いている本会元会長米田信夫氏は「そんな噂は聞いたことがない。」と言下に否定した。また、大杉谷の登山者の実態を誰よりも知る桃ノ木小屋の管理人は「吊橋は1人で渡るべきである。多くても3人が限界だ。大体の登山者はきちんとその重量制限を守ってきた。」と、毎日テレビの取材に語っている。役員会が「3人」「5人」と決めた理由は、前述の如く、強行スケジュールで時間が足らなかったからで、役員会はその理由を機関紙に度々書いているではないか。「吊橋を渡る時の心理的恐怖心を考慮して、むしろ複数名による渡橋のほうがかえって安全」も、もちろん法廷技術上の「作り話」であって、それを見ぬけなかった第一審判決の責任は大きく、裁判史上に汚点を残した。

(2)第一審判決の誤りが正されなかった控訴審(大阪高裁)
控訴審では三重県・国が原告側の「作り話」について「本件事故の原因は、人数制限を無視して同時に多人数が渡橋したことにある。事故当日、事故が発生するまでに100名以上の登山者が渡橋して事故は起きていない。本件事故は自損事故に等しい。吊橋の管理瑕疵に基因するものではない。」と反論した。しかし、審理のほとんどは、国の管理費用負担者としての責任論に費やされた。
事故原因については判決理由にも触れられていないのは控訴審の性格から止むを得ないとしても残念である。死亡者の過失相殺が第一審の3割から4割に増え、賠償額が減額されたところに反映していると見ることもできるが、真の加害者の責任は問われなかった。

控訴審では、三重県・国の責任については第一審の判断を維持し、国が本件吊橋の設置管理のために三重県に交付した補助金は三重県の支出額の1/4に過ぎないので国家賠償法に基づく責任はない、という国の主張に対して、半額補助の費用負担者責任を認めた最高裁判例(昭和50年11月28日)を引用したうえで、国の負担割合は1/2近くに達しているので、国家賠償法の設置管理費用の負担者というべきである、と判示して国の主張を退け、過失相殺の割合を4割と増やして、国と三重県が連帯して3676万円を支払うように命じ、原告らの付帯控訴は棄却した。1985年4月26日のことである。
この判決について、三重県・国は控訴した。原告には国民の税金から「執行金」が支払われた。

(3)国に責任なし、三重県に責任あり・・・最高裁判決
最高裁は、三重県に対しては、大阪高裁の判断を正当と是認して、1988年12月15日に上告棄却の判断を下した。
一方、国に対しては「国は国家賠償法にいう費用負担者には当たらないので、国が費用負担者であるという原審の判断は法令解釈適用を誤ったというべきである」として1989年10月26日、原判決(大阪高裁)を破棄し、第一審判決(神戸地裁)を取り消した。俗に言えば三重県は負けて、国は勝ったということである。遺族は請求を棄却されたので、既に「執行金」として支払われている中から国の負担分を返さなけばならないことになった。もっとも「執行金」の三重県・国の分担の割合が不明であるから、仮に全額を三重県が支払っておればそのままである。

この判決には一名の反対意見が付された。その裁判官は切れた吊橋を「総合的施設」と見たが、他の裁判官は「独立の営造物」と見て判決が下された。この論議は筆者がこの文章を書く意図から離れるので、これ以上の記述は避けるが、昨年(2004年)10月26日に発表された小池百合子環境大臣の「三位一体改革について」の新方針によって、本年(2005年)度から、国立公園については補助金を廃止して、国の直轄事業として実施することになったので、今後は、国と地方自治体との間で、補助金をめぐる責任のなすりあいはなくなるであろう。
他の判例については、『自然保護辞典』で若干触れている。

【3】訴訟の影響――行政の責任回避・・・安全至上論と過剰施設整備
事故の翌々月、衆議院公害環境保全委員会で、日本共産党議員が環境庁の責任を追及した。環境庁自然保護局は、1983年6月「自然公園における利用者の安全対策について」と題する通知を、都道府県知事並びに国立公園管理事務所長、国立公園管理員宛に出した。

偶然にもこの年の8月には富士山で落石のため12名が死亡する事故が起きたが、この事故について、落石はあらかじめ予想できたはずで、それを放任しておいた行政の責任だ、という声が自然を知らないメディアなどから出た。行政内部では利用者の安全に対して異常なまでに神経を使うようになり、国立公園の本質論を越えた至上命題になった。各地の登山道が「通行禁止」にされ、巨額の税金を投じた過剰施設整備が安全の美名の下に各地で行われた。

例えば、岐阜県笠ヶ岳クリヤ谷の吊橋はすべて営林署が撤去した。大台ヶ原の筏場道も通行禁止になった。兵庫県の六甲山ではロックガーデンのコンクリート階段化工事が行われた。
大杉谷では、第一審の判決がまだ出ていない1980年〜82年に3億7千万円の巨費を投じて、7本の吊橋を撤去、天然記念物指定の岸壁をハッパで崩して迂回路を新設、深山幽谷には似つかわしくない過剰整備を行った。そのためにかえって危険になったところも出来た。

行政の、責任回避のための安全至上論はその後更にエスカレートして「緑のダイアモンド計画」など巨大過剰施設整備に拡大され、原生状態にこそ価値のある国立公園の亜高山帯、高山帯の自然が破壊され、人工化されることになった。そのきっかけになったのが本裁判であった。

一方、過剰整備後「大杉谷が安全になった!」という観光資本、マスコミの宣伝によって,今まで危険だからと敬遠していた人達までが気楽にやってくるようになり、皮肉にも事故が激増した。登山大衆化現象の中で、老人・女性の疲労による事故の増加が特徴的であった。救助に動員される地元は悲鳴をあげ、入山口に「遭難救助費用原因者負担」の制札を立てた。

本会は近鉄発行の「大台ヶ原・大杉谷サニット」が遭難の一助になっていると発売中止を申し入れた。サニットを買った人は、大台ヶ原で天候が悪化し、体調が不良になっても大杉谷の宿泊費・帰路の交通費が払い戻されないため無理をして大杉谷へ下り、事故につながった。
近鉄はサニットの発売を中止し、大杉谷の宣伝を控えた。大杉谷の入山者は半減した。

◆おわりに
大台ヶ原は昨年(2004年)、数次にわたる台風襲来を受け、通算4200ミリの豪雨に見舞われ、想像を絶する壊滅的損傷を受けた。必要以上に頑丈に作られたと見られた大杉谷の吊橋は、水勢で鉄骨・ワイヤーが折れ曲がり、長さ40mの1本が流失し、登山道は流れる岩に削られ、中流域で21ヶ所崩壊した。大台ヶ原の自然は人間の過剰整備を25年にして拒絶して元の姿に戻した。吊橋事故と裁判をめぐる人間の愚劣さを豪雨が流し去ったように思える。

現在三重県は、復旧工事を下流から行えないので、奈良県側の上流から始めているが、今後は、環境省直轄事業となるであろう。環境省は近年、登山道の整備を、東大台周回線歩道整備に見られるように必要最低限度に行うようになった。本会は復旧工事が、25年前のような過剰整備にならないように要望書を提出する。
大杉谷が通行可能になるのは4、5年先になるだろうと言われている。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時47分=伊藤 幸司
この平等嵓吊橋は大杉谷の吊橋の中では特段、美しく見える場所にかかっている、というか、印象的に見えるところに立つことができるのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時47分=伊藤 幸司
この、サイドに張られたワイヤーが横揺れをほぼ完璧に止めているので、歩きだしてからフワッと感じる不安感がありません。いいかどうかわかりませんが、耐震構造のようなもので、機能の劣化を防ぐ役割も果たしているのでしょう。今回私たちは渡橋にあたっての「人数制限」などの表示を一度も見ていません。

むかし旧建設省の新しい国道網整備計画のための広報資料をつくるため、外部ライターとして招かれたことがありますが、そこで「橋は道路開発の顔」としてサンフランシスコ湾のゴールデンゲート・ブリッジを紹介し、日本のトンネル技術がどれほど評価されようと、世界一の明石海峡大橋が与えるインパクトはゆるぎない、というようなことを書いた記憶があります。
そういう意味で、大杉谷の吊橋は(いかなる事情によってか知らないでも)本気で作った人たちの作品群だと感じます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時47分=秋田 守
平等嵓を過ぎて間もなく吊り橋で川を渡る。今日も吊り橋はたくさん渡る。橋の上で、左手を皆さんが見ているが、ニコニコ滝がそちらに落ちている。名前の由来は諸説あるとか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時48分=伊藤 幸司
いちばん痛みやすい板張りの床も、きちんと整備されていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時48分=伊藤 幸司
じつはここでちょっと揺すってみたのですが、前を歩く人にはなんの影響もありませんでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時48分=伊藤 幸司
ふつうは橋から下を見たときにじゃまに感じるワイヤーがこの綺麗なカーブのおかげでフォトジェニックな効果をもたらしてくれています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時48分=山咲 野の香
平等くら橋を左岸へ。大杉谷には11の吊橋があるらしいが、さて、いくつ渡ったかしら。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時49分=伊藤 幸司
吊橋を渡り終わったところから見た平等嵓の岩壁です・まさにこれを「嵓」というのでしょう。名のある岩だけに登っている人がいるかもしれないと思ってウェブ上で軽く検索してみましたが、見つかりませんでした・

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時50分=伊藤 幸司
平等嵓を吊橋越しに振り返るとまたちょっと顔つきが変わりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時52分=伊藤 幸司
すれ違ったのは、テレビ用かどうかわかりませんが、4〜5人の取材班でした。最近ではテレビカメラが小型化したのと、一眼レフカメラで動画を撮れるようになったので、どういう取材か見当がつきません。

1991年から毎月1回、テレビ朝日の深夜番組「プレステージ」中のミニ情報番組で1回5分、月〜金の帯という雑誌なら4コママンガの連載みたいなものを10回(10か月連続)でやったことがあります。番組のAD(アシスタント・ディレクター)に競わせるもののひとつだったようですが、栗田郁也さんのデビュー作になりました。
ついでにいうと、1回目は一部で有名になった「ゴミ袋キャンプ」(まだホームレスによる上野駅占拠の遥か以前でした)、それからあらゆる輸送手段を活用する「MTB(マウンテンバイク)ツーリング」、川の流れに身を委ねる「ボディラフティング」、トランクひとつで2人の夜を演出する「豪華オートキャンプ術」、30分以上歩かないと入れない湯の宿を東北自動車道沿いにたずねる「徒歩温泉郷」、ポンコツ車でクラッシュ続出の激しいバトルを繰り広げる安価かつ安全な「軽自動車6時間耐久オフロードレース」、真冬に沖縄の島一周に挑戦した「海のピクニック」、雪の山中で「ゴミ袋キャンプ・冬版」、スキー場でスキーをはかずに新雪を遊び尽くす「雪上遊戯」、山小屋を楽しむ入門編「冬の北八ヶ岳縦走」でした。

……が、そのときの取材体制はディレクターと企画・出演の伊藤、付き人がこないレベルの女性タレント(ときに助っ人として大学の女子アナ希望者など)、さらにワンボックスカーにカメラ+カメラマンと録音機+音声さん、それにドライバー兼用のアシスタントという6人チームが基本でした。そして山道を歩くときなど、私が三脚を持ちました。
外部の撮影スタッフは車付きで1日いくらという計算だそうで、カメラ価格は通常のレンズつきで1,000万円(壊した場合の心配がありました。もちろん保険がかかっていましたけれど)。カメラにスタッフがついてくるという感じでした。

その撮影部隊がテレビ取材なら音声さんが重要です。出演者が無線マイクをつけていれば複数のマイクを同時にコントロールできる受信機をかかえていますし、環境音も入れたいなら長い竿に風防をつけたマイクをふりまわします。カメラにつけたマイクでは、余分な音が入ってしまって仕事になりません。

そしてもうひとつ、大きな三脚が必要です。スチル写真の静止画は数百分の1秒というような「静止」でいいのですが、動画でそれにあたるシーンを撮ろうとすると、三脚が必要です。しかも厳密に水平でないとパン(水平移動)ができません。そのためスチル写真で使われる三脚より大型で、なめらかにパンやティルト(垂直移動)ができる油圧式の雲台がついています。

写真のこのチームは放送局の名前がどこにも見えないようだったので、観光宣伝や地域振興の動画撮影のように感じました。NHKの「ブラタモリ」などではずいぶん多くの撮影チームが同時にぞろぞろ移動しています。2008年9月27日でしたっけ? 白馬鑓温泉に泊まったとき、冬に向けて解体間近のその宿に、NHKの「小さな旅」の取材班が来ていて、夕食風景に私たちの姿も出たことがありました。そのときは小さなチームでしたが、たしか3チームに分かれて取材しているとのことでした。
2016年7月20日に赤石岳山頂の避難小屋(管理人のいる有料小屋)に泊まったときにもテレビの取材班と同宿になりましたが、若い女性のディレクターが集中的にしごかれているという印象を受けました。そういうチーム作業は、見ていると面白いと思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時56分=伊藤 幸司
倒木とか落石とかいうのでしょうが、ひとのサイズと比べてみるとなかなか、ちょっと不思議な気分になります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時57分=伊藤 幸司
滝が近づくと当然音が聞こえてきます。樹林越しに見えたのがこの状態。ニコニコ滝との出合いです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 07時58分=伊藤 幸司
ニコニコ滝。歩きながらだと滝を見ている感じがしますが、写真に撮ると見えているといえるかどうかわかりません。滝を見るときには、その全体が、100%見えないと満足できないという、潔癖主義を感じます、いつも。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時00分=山咲 野の香
二段50mのニコニコ滝。
上流にはいく段もあるらしい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時01分=伊藤 幸司
下っていくと前方にあずま屋が出てきました。桃ノ木小屋の『大杉渓谷詳細図』にはちょうどこの部分に「木の根道(足元注意)」と「クサリ場(足元注意)」の2つの記号が重なっていて、その先に「案内板」があり「避難小屋」があると書かれています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時01分=山咲 野の香
光り輝く飛沫の雰囲気を撮りたいと飛沫の雰囲気少しずつ切り取ってアップにしてみるものの…

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時05分=伊藤 幸司
これがニコニコ滝。2段、50mだそうです。滝の展望台となっているあずま屋(避難小屋だそうです)からだと、残念ながら滝壺部分がよく見えません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時05分=伊藤 幸司
ニコニコ滝は本流の滝ではなく、対岸の加茂助谷から落ちています。上流部では与八郎滝に続いて2本めです。この写真だけ見ると、水量から本流の滝と間違いそうに思えます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時05分=山咲 野の香
どんな風に撮れてますか?

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時06分=稲葉 和平
新緑と滝のしぶきが気持ちよい。少し遠いのが残念。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時07分=秋田 守
これがニコニコ滝。下の段、2段目をクローズアップ。今日も水量豊かで迫力ある滝を眺めさせてもらえる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時09分=伊藤 幸司
ニコニコ滝は、けっきょく全身が見えていません。それだけのことですが、決着がつかない感じがして、こんな写真も撮ってみたくなります。
このあずま屋のところにある道標だと。日出ヶ岳から9.3km下ってきて、平等嵓から440m、下っていくと260mでシシ淵、登山口まで4.8kmとなっています。
警告の標識には『これより先、シシ淵の付近は特に転落事故が多発している地区です。』と書かれていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時13分=伊藤 幸司
1/25,000地形図で見ると平等嵓吊橋のところが標高約450m、シシ淵のだいぶ先まで行って標高約400mですから、ほとんど下る感じではないのですが、こういう道があるわけです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時15分=伊藤 幸司
突然、ようやく、ニコニコ滝が姿を現しました。「2段、50m」の上段がどれほど見えているのか定かではありませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時17分=伊藤 幸司
こういう落差を下っていくのに、1/25,000地形図ではほぼ平坦な道にしか見えない、というあたりが地形図の限界かもしれません。画面左上から白い部分が斜面を下っていますが『大杉渓谷詳細図』には白い○印が2つ並んで「水場」とあります。その○印は並んでいる数によって規模を示すらしいのですが「小谷のガレ場、カレ谷(増水時注意)」という記号のようです。ちょうど太陽の光が注いで光っているのですが、上部の大きな白い部分は木の枝、壁面の白い帯が水流です。写真ではわかりにくいのですが道際に落ちる流れをひと口すすりたくなる場所です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時23分=稲葉 和平
やっと渓谷らしい雰囲気になってきた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時24分=山咲 野の香
変幻自在の姿で流れ落ちます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時24分=山咲 野の香
飛沫がかかる距離に小さい滝が現れた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時24分=稲葉 和平
三日前までは雨が降り続いていたせいか、水量も豊富、見事な滝だ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時26分=山咲 野の香
一瞬のしぶきが一抹の煙となる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時26分=山咲 野の香
ちょっと虹を期待したけど…代わりにに緑目の怪人が。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時29分=伊藤 幸司
『大杉渓谷詳細図』で○印2つの「カレ谷」からクサリ場の記号(○印ふたつを線でつないでいます)を抜けると、○印3つの「小谷のガレ場、カレ谷(増水時注意)」があって、その上部に「二本の滝」と書かれています。
これがその滝。「二本」というのは、たぶん左端に下ってくる小さな滝とのことでしょう。

私たちはここで8時20分から5分の軽い休憩に入りましたが、結局40分まで遠長することになりました。コケ愛好家たちの撮影タイムとなったからです。
じつはこの場所、すぐ足元がシシ淵です。河原に出てピクニック気分で休むのが順当なところだったのでしょうが、私たちはコケ休憩になりました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時29分=秋田 守
どこかで一服した時に、シダが気になってマクロ撮影したけど、何というシダだか、全く分からず。ただし、シダ類は葉を裏返して見ることだけは励行している。胞子嚢が付いている場合があり、それはそれで面白いのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時30分=伊藤 幸司
私はまだコケ派ではないので、コケだけだと大海原に飲み込まれるような気分になります。そこで手前にフツーの植物があるところを、どうしたって選んでしまいます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時31分=伊藤 幸司
顔つきに特徴のあるコケがありました。……が、それとは別のこの葉っぱ、土壌から直接出てきて一人前の顔つきをしているのも、個性的。この葉っぱは、まさかコケではないでしょうね。
帰って調べてみると、私は「コケ」というものの基本が全然わからないまま、見ていたようです。

『ウィキペディア』で『コケ植物』を見ました。
【コケ植物(コケしょくぶつ、英: Bryophyte)とは、陸上植物かつ非維管束植物であるような植物の総称、もしくはそこに含まれる植物のこと。コケ類(コケるい)や蘚苔類(せんたいるい)、蘚苔植物(せんたいしょくぶつ)などともいう。世界中でおよそ2万種ほどが記録されている。多くは緑色であるが、赤色や褐色の種もある。大きな群として、蘚類・苔類・ツノゴケ類の3つを含む。それをまとめて一つの分類群との扱いを受けてきたが、現在では認められていない。
なお、日常用語にて「コケ」は、そのほかに地衣類なども含む。】

【蘚類・苔類・ツノゴケ類の3つ】というところですね、とっかかりは。そこで画像検索してみたのですが、わかりません、私には。
そこで『国立科学博物館』の『アクセス・利用案内』のなかに『コケ植物の特徴』というのがありました。『謎の植物ナンジャモンジャゴケ』のところにあったのですけれど。
【コケ植物(コケ植物門)は維管束を持たず,胞子で増える陸上植物です。多くは小型で高さは大きくても数センチ程度,色は緑が中心ですが赤色や褐色のものもあります。
一般に湿った環境を好み,森林や岩場,渓谷などでよく見られます。特に雲や霧に覆われていることの多い雲霧林では,地表や木の幹にマットのように一面にコケが着生することがあります。多くのコケ植物は配偶体と胞子体というふたつの姿(世代)を繰り返しています。私たちが普通見慣れている姿は配偶体です。配偶体は有性世代とも言われ,精子をつくる造精器,卵子をつくる造卵器を持ち生殖に関与します。ひとつの株に造精器と造卵器が揃っている種(雌雄同株)と,どちらか片方ずつしか持たない,雄株と雌株に分かれる種があります(雌雄異株)。

雨などによって水に触れると,造精器から精子が泳ぎ出し,やがて造卵器に辿り着いて受精し,受精卵をつくります。受精卵は配偶体に養分を依存する寄生生活をしながら発達して胞子体を形成します。胞子体は先端にある蒴(さく:胞子嚢)で胞子をつくり,成熟した胞子が放出されて発芽することで,次世代の配偶体がつくられます。

コケ植物門は伝統的に(※3),蘚類(蘚綱)・苔類(苔綱)・ツノゴケ類(ツノゴケ綱)の3つの綱に分類されます。
蘚類は配偶体の形が維管束植物に似て,茎の形をした部分と葉の形をした部分とが明確に分かれています。葉にあたる部分は茎にラセン状につくことが多く,木の葉に似た形をしています。胞子体は頑丈で長期間存在し,蒴の先端にある蓋状の構造が外れることで胞子が放出されます。ミズゴケ,スギゴケ,ヒカリゴケなどが蘚類に属します。

苔類も,茎と葉にあたる形がはっきりしたものが大半ですが,ゼニゴケのように平べったい葉状のものもあります。一般に,葉の形は丸味があり,深く裂けることが多く,背面に二列,腹面に一列に茎につきます。胞子体は脆弱で比較的短期間しか存在しません。蒴が4つに裂けてそこから胞子を出すものが多く見られます。ゼニゴケやコマチゴケなどが含まれています。

ツノゴケ類の配偶体は,ゼニゴケのように葉状です。ひとつの細胞あたりの葉緑体が少なく,葉緑体にはピレノイドと呼ばれるタンパク質性の粒があります。ピレノイドは炭素を取り込むための細胞小器官で,ツノゴケ類のほかには藻類が持っていますが他の陸上植物には存在しません。胞子体は細長い角状で,熟した蒴は二つに裂けます。】

ものすごく明快な解説だということはわかりますが、私にはチンプンカンプン。植物だか動物だかさえわからなくなってきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時31分=伊藤 幸司
コケ派の人たちは、間違いなくコケそのものに接近していきます。舐めるように撮るという感じです。撮られた写真と、そのキャプションが楽しみです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時31分=伊藤 幸司
ひょっとすると、これイワタバコの葉に似ていませんか? こんな雰囲気のところに唐突に出現するというのは何回か見ています。いつもはピンク系の花があってのイワタバコですけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時31分=秋田 守
これまたお遊びカット。コケをマクロ撮影した。光の具合がとても美しかったので。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時32分=伊藤 幸司
私はどちらかといえばシダのほうに目がいきます。
シダとコケとはしばしば共存関係にあるように思ってきましたが、よくわかりません。

そこで『ウィキペディア』で『シダ植物』を見てみました。
【シダ植物(シダしょくぶつ、羊歯植物、歯朶植物)は、維管束植物かつ非種子植物である植物の総称、もしくはそこに含まれる植物のことで、胞子によって増える植物である。】
とのこと。そして、

【陸上植物は車軸藻類と姉妹群の関係にある。陸上植物の中ではコケ植物がまず現れ、苔類、蘚類、ツノゴケ類の順に古い起源を持つ。維管束植物は、ツノゴケ類と同一の起源から進化してきたと考えられる。
初期の維管束植物は、茎が発達する一方で、葉の未発達な段階があったと考えられ、そこから小葉シダ類と大葉シダ類が別々に葉を発達させてきた。大葉シダ類からは、種子植物が現れる。小葉シダ類からヒカゲノカズラ植物門が生き残り、大葉シダ類からシダ植物門の各種が生き残った。】

なんだか恐竜の話を聞いているような気分ですが、深い海の底を覗いているような雰囲気は、……だからか、なんて思ったりもします。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時35分=伊藤 幸司
調べていませんが、ヒゲモジャ君という感じの「コケ」ですよね。これは。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時42分=伊藤 幸司
コケ休憩地の足元の白っぽい部分がシシ淵なんです。ここにもクサリがついています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時49分=伊藤 幸司
これが有名なシシ淵の風景。心地よい明るさを満喫しながら長めの休憩をとる場所ですが、私たちはコケに変えてしまったので、通過です。一部のみなさんにはあまり印象に残らないかもしれません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時49分=秋田 守
ここがおそらくシシ淵というポイントではないかと思う。振り返って見た景色で、なおかつ看板などがある訳ではないので定かではない。角度をうまく探ると、向こうにニコニコ滝が見えるはずだったのだけど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時50分=伊藤 幸司
シシ淵の山側を回り込むようにクサリ場がのびています。これが『大杉渓谷詳細図』に「切立った岩のトンネル」と書かれたところ。岩の隙間にまっすぐ入っていきます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時50分=伊藤 幸司
『大杉渓谷詳細図』の「岩のトンネル」のところには○印が3つあります。「カレ谷」ですが、たぶんその水の一部が、ちょうどこの部分にシャワーのように降り注いでいるのです。ときには全身ずぶ濡れになるかもしれないという名所です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時50分=稲葉 和平
「美女美女よおー」と、上りの女性が3人叫びながら飛び出してきたので少し用心しながら突入したが、このくらいの楽しい仕掛けがあってもいい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時50分=秋田 守
こっこのポイント名は分からないが、頭上から石清水のシャワーを浴びて気持ちよかったナイスポイント。大杉谷ならではの楽しみ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時51分=伊藤 幸司
シシ淵の出口のあたりから道は高巻きするようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時51分=稲葉 和平
美しい水の色を撮りたいのだけれど。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時52分=伊藤 幸司
シシ淵から上流を振り返ると、そこにニコニコ滝があるのです。この、正面に見える感じが印象を混乱させるのですが、本流はニコニコ滝のところで右に巻いているのです。シシ淵から見たニコニコ滝の写真には傑作が多いと思いますが、天気と光線に恵まれれば、ということですね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時52分=山咲 野の香
岩を境に変わる水色。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時52分=山咲 野の香
上流奥深く滝の気配。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時53分=伊藤 幸司
引いてだめなら押してみな……というわけで、ここでもニコニコ滝についてはアップでなんとか印象に残る光景をとらえてみたいと、ほんのちょっぴり悪戦苦闘したわけです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時53分=秋田 守
せっかくマクロで撮影したのだが、花の名前が全く不明。ギブアップ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時00分=伊藤 幸司
シシ淵の出口では、この水の色。神秘的な印象が残りました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時54分=伊藤 幸司
高巻きの道はけっこうドラマチックでした。『大杉渓谷詳細図』には「土砂崩れの跡 大きく高巻く」とあります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時55分=伊藤 幸司
大杉谷のクサリは驚くほどしっかりと取り付けられています。落石一発、かどうかわかりませんが、こういうことも当然あるわけで、それを考えるとほんとうに、よく整備されていると感じました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 08時58分=伊藤 幸司
足元にイチヤクソウがありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時12分=伊藤 幸司
杉の木ではないでしょうか。ものすごくきれいな木肌という感じがしたので撮っただけのことですが、振り返ってみるとやっぱり特別な木だったかも、と思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時13分=伊藤 幸司
私たちはこの二人組の巨木のおかげで右手から回り込むことを余儀なくされました。安全、安心な道であればどんなに振り回されたって文句などありませんが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時13分=山咲 野の香
やゃ、この曲がり具合!

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時14分=伊藤 幸司
その二本の巨木の背後に回り込むとこの二人組、けっこう複雑な人生をたどってきたようです。なんですかね、幼少期か思春期に大きな事件を体験している。それでもその後はまっすぐに育っていった。……雪国だとけっこういろいろな人生体験があるみたいですけれど、なんですかね、この人生体験は。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時14分=山咲 野の香
振り返ると石も噛んでます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時17分=伊藤 幸司
1/25,000地形図では標高400mから350mへとゆっくり下る道ですが、クサリ場が続きます。
この少し先に初めて見るタイプの看板がありました。三重県山岳連盟によるもので、上流方向への登山者には「大杉谷では携帯電話は繋がりません! 緊急時はもよりの山小屋へ!」下流側への登山者には「大杉谷では携帯電話は繋がりません! 当地より三発方面での緊急時は! 大杉谷登山センターへ! 駆け付けて下さい!」とのこと。「三発」とは宮川第三発電所のことです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時21分=山咲 野の香
延々ととこんな風に歩いてきました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時32分=伊藤 幸司
ここには珍しく支柱を立ててクサリをつけていますが、積雪期の想定はしていないはずなので、濡れて転んで、止まらずに斜面に落ちると、そこから後が危険、という場所のようです。『大杉渓谷詳細図』に「岩盤の上すべりやすい」と書かれている場所でしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時36分=伊藤 幸司
10日間連続して降った雨がようやくやんだ日に、私たちは大台ヶ原に泊まりました。登山口の宮川第三発電所までの道が大雨で通行禁止になったというのが一昨日のことです。その雨の中では、このあたりの岩は滑りやすかったのでしょうね。体力と神経と時間を浪費したかもしれません。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時39分=伊藤 幸司
岩の種類に関して知識はほとんどありませんが、岩が石になり、砂利になって砂になるという人生遍歴にはすごく興味があります。岩はほとんど自分の側の要因で風化し、冬に気温が下がれば水分の膨張によって崩壊させられていくのですが、草が住みつき、樹木が根をねじ込んで侵略的外圧によって人生を変えられていくように見えてきます。たまたまここで、これがこの岩の「表情」のように見えました。ただそれだけのことですが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時45分=伊藤 幸司
コケは岩の表面を占拠しますが、根はただ岩の表面に自分のからだを引っ掛けるだけのことで、生産活動にはまったく岩に頼っていないのだそうです。でもコケが地球という星の海から陸に先駆的に這い上がって、そこからありとあらゆる植物が進化したということであれば、コケのマットをゆりかごとして岩肌に根をねじ込んでいく植物が出現するのを否定はしないのだろうと思います。なんだか勝手な想像ですが、コケにはそういう原初のモノという雰囲気がそなわっていると思うのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時46分=伊藤 幸司
よく見ると、突然、人工物が出てきました。千尋滝の展望台となっている避難小屋(あずま屋)です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時47分=伊藤 幸司
千尋滝です。落差180mと『ウィキペディア』にありますが『大杉渓谷詳細図』では「約135m」。いずれにしても大杉谷で見られる滝では落差では一番です。そしてこれは本流の滝ではなく、与八郎滝、ニコニコ滝に続いて、側壁の千尋谷から落ちています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時52分=秋田 守
本日の最大の見せ場、千尋滝。大杉谷の中で最大の落差、135mの滝。展望できる東屋があった。水量が多く、かなりの迫力だった。東屋からは最上部しか見えなかった。逆コースで登ってくる人達にとっては、ここが大杉谷最初の洗礼。いきなりこれを見たら度肝を抜かれるだろうな。それにしても、昨日から観てきた大滝の数々。他所の川だったら、ひとつだけでも十分それだけで大名勝となりうる規模。ここはまさに、滝のテーマパークだな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時54分=伊藤 幸司
これが大杉谷の「避難小屋」の標準形。基本的に夏仕様で、谷底にあるため風対策も重要ではなく、雨露がしのげれば、ということでしょう。でもできれば、展望あずま屋として滝をもうすこし見せてくれるとありがたいと思いました。滝が見えると思わなかった人さえいたようですから。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時55分=秋田 守
まだ千尋滝の東屋に滞在中。今日はゆっくり休みながら進んでいる。なので、もう一度、千尋滝を別アングルで。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時58分=伊藤 幸司
千尋滝。ほとんど同じ位置からすこし望遠にして撮っただけです。
ここの道標ではシシ淵から1.1km、登山口まで3.5kmとなりました。滝はこれが最後のようです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 09時59分=山咲 野の香
千尋の滝。大杉谷で最大級、落差160m。こんなことがあっていいのか、という風に見えた。全くの想定外の姿。クグリ過ぎなくてよかった。この感動。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時00分=山咲 野の香
アップで。忽然と緑間からたわわな水!

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時04分=山咲 野の香
てんからの贈り物は、仰ぎ見るこの距離感がリアルな迫力。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時04分=稲葉 和平
スマホの望遠能力ではこの程度。それでも、拡大してみれば十分に水の色の美しさはわかる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時04分=稲葉 和平
今回一番の滝。距離は遠いが、なんとか素晴らしい水しぶきを撮れた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時04分=稲葉 和平
素晴らしい水の色だ。これまであちこちの美しい海の水の色は見てきたけれど、渓流の色は趣が違う。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時00分=伊藤 幸司
千尋滝は、避難小屋を出た後も最初に見た印象以上のものにはなりませんでした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時08分=山咲 野の香
コバルトブルーのみなそはまだ続いていた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時08分=稲葉 和平
少し距離があるのが残念。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時26分=伊藤 幸司
これは平成8年(1996)に架けられた日浦杉吊橋。本流を渡るのではなく。左岸の落石の多い危険地帯を橋で安全に抜けられるようにしたようです。吊橋ではあるけれど、これまでのものとはだいぶ違っています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時45分=山咲 野の香
川原に降りたいのを我慢して先を急ぎます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時46分=山咲 野の香
珍しくもないマメヅタだけど、見るたびテリテリで陽気な気分になる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時47分=伊藤 幸司
千尋滝の水を合わせたあたりから流れは緩やかになります。標高差も登山口までの約2.5kmで50mほどしかありません。大杉谷はすでに終わって、本名の宮川になったのかと思いました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時47分=稲葉 和平
やっと河原に降りることができた。ほっと一息。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 10時58分=秋田 守
千尋滝から1時間ほど下り、京良谷というあたりの近くで見かけた木。幹が途中でくるりと1回転していた。なんでこんな妙な形に育ったんだろう。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時05分=伊藤 幸司
河岸にあったのは「大日嵓水位観測所」宮川第三発電所の下流に広がる宮川ダムの水位管理のための観測装置のようです。ここに「標高301.0m」とありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時16分=伊藤 幸司
ほぼ終わったかと思ったら、まだクサリ場がありました。よく見たら『大杉渓谷詳細図』に記述されていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時17分=伊藤 幸司
見下ろすと広がった水面がシシ淵のようなエメラルドグリーンに染まっていました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時18分=伊藤 幸司
一体は地蔵谷の川口です。それを渡る地蔵谷吊橋がありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時18分=山咲 野の香
地獄谷吊橋を渡る。
エーッ、天国でしたけど!

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時26分=伊藤 幸司
能谷という支流が流れ込むところに能谷川原がありました。大杉谷というか、宮川というか、その流れと親しむ時間を持つことができました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時26分=秋田 守
河原でゆっくり休憩した。川の水をそのまま飲んだら、冷たくて美味かった。川の中をよくよくみたら、オタマジャクシが泳いでいた。何という種類のカエルに成るのか分からないが。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時27分=山咲 野の香
ようやく川面に触れることができた。迎えてくれたのは一匹のおたまじゃくし。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時27分=稲葉 和平
渓流の近くで大休止。水は冷たく、気持ちよかった。昔だったら平気で飲んでいただろうと思う。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時33分=伊藤 幸司
能谷川原の対岸は常緑樹の鬱蒼たる森林に見えました。これまでこんな森の中を抜けてきたのか。伊勢湾に近づいて林相が変わってきたのか、わかりませんが、ここで初めて見る森林のように感じて写真を撮りました。
道標によると、ここは桃ノ木小屋から5.3km、登山口まであと890mですが、660mのところに「大日嵓」とありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時33分=秋田 守
休憩した河原の対岸の山。色とりどりの若葉の緑色が、色見本帳のように微妙なグラデーションを見せてくれていて、しばし見つめてしまった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時40分=伊藤 幸司
ここにこの植物がありましたが、初めて見るものと思われました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時43分=伊藤 幸司
能谷吊橋を渡りました。最後尾で振り返って撮っています。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時45分=伊藤 幸司
これは能谷から押し出されてきたものか、本流を下ってきたものかわかりませんが、大きな岩がゴロン、ゴロンとあるだけで、荒ぶる川というもうひとつの顔のあることを思い出させます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時51分=伊藤 幸司
道が再び登りにかかると、見上げる岩場に小さな流れがありました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時51分=山咲 野の香
登山道脇に、どこからともなく滝シャワーのプレゼント。岩壁に口を寄せ滝の直飲みした人4人。しなかった人3人。意外にもぬるくお味は?だっけど、私はなぜか鼻からも吸引し、溺れた感が新鮮でした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時52分=伊藤 幸司
その小さな流れの末端に直接口をつけてみると、野趣があるけれどけっこう飲むのはむずかしい……のです。みなさんに勧めました。

以前は山で流れる水は「安全」すなわち「三尺流れりゃ元の水」と決まっていましたから、コップをリュックにぶら下げるというスタイルがハイカーによく見られたと思います。国土地理院で山の高さをできるだけ正確に表示しようとした動きを主導した日本最初のフリーの氷河研究者・五百沢智也さんは「マヨネーズのプラスチック容器を半分に切ると最高のコップになる」と教えてくれました。ズボンの尻ポケットにも入れられるので最高ですが、最近は山の水は日常的にはほとんど飲まなくなりましたね。
『大杉渓谷詳細図』に「水場」とあるのは、ここだと思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時53分=伊藤 幸司
クサリ場をどんどん登っていく感じです。昨日最初に見たクサリとほとんどというか、全くというか、同じ基準で設置されていると思いました。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時55分=伊藤 幸司
これは地衣類なんですね。『国立科学博物館』の『ち衣類の探求』に『地衣類って何だろう?』という解説がありました。

【地衣類とは、菌類の仲間で、必ず藻類と共生しているという特徴をもっています。菌類は、藻類と共生すると"地衣体" と呼ばれる特殊なからだを作ります。そして、地衣類を構成している菌と藻は、互いに助け合って生活しています。菌類は藻類に安定した住み家と生活に必要な水分を与えるかわりに、藻類が光合成で作った栄養(炭水化物)を利用して生活します。両者の共生関係は非常に密接で、地衣体の形態、生理機能、繁殖のしかたなどは単独の生物と同じように遺伝します。つまり、あたかも独立した生物のように見えるというわけです。】

【地衣類とまちがえやすい生き物】という表を見ると、地衣類は「菌界」にありますがコケ類は「植物界」、ちなみに同じ菌界にあるのが「菌類」すなわちキノコだそうです。
色と外形上の違いでは「地衣類」では茎や葉の区別がなく、固着、樹枝状、葉状で灰色、黄緑、橙色などですが、「コケ類」では茎と葉の区別があって、茎葉体、葉状体とか、色は緑色。「キノコ」では茎も葉もなく、菌糸の塊で色は肌色、茶色など、と書かれています。
しかし、これがなんという名の地衣類かというとわかりません。

『日本地衣学会』の『地衣類とは』にこう書かれています。
【地衣類は、一般には蘚苔(センタイ)類(コケ植物)などとともに「こけ」と認識されていることが多いです。「こけ」は「むし」などと同じく雑多な小さな生物群の総称であり専門用語ではありませんので、地衣類のことを「こけ」と呼んでも間違いではありません。しかし、コケ植物(あるいはコケ類)というと間違いになります。】

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時55分=伊藤 幸司
このコケは姿かたちから正体を突き止められるかもしれないと思ってグーグルの画像検索で探し回ると、ホウオウゴケという候補が出てきました。

『三河の植物観察』の『コケ観察』に『ホウオウゴケ 鳳凰蘚』がありました。
読めば読むほど難しいな、と思いますけれど。
【三ヶ根山付近では、ところどころで見られる。ホウオウゴケは大形であるが、ホウオウゴケ属には小形も多い。
植物体は大形、長さ2〜9㎝(China Moss: 長さ18〜60㎜、葉を含めた幅5.5〜10㎜)。茎は這い、まばらに分枝し、葉が2列に規則正しく扁平に18〜46(China Moss:14–26 )対並び、下部の葉は小さい。葉の基部は茎を抱く。葉腋瘤はない。上部の葉は長さ5〜9㎜(China Moss: 4.7〜5.5㎜、幅1.0〜1.2㎜)の披針形、鋭頭、中肋は葉先の近くまである。腹翼は葉の長さの約1/2、1細胞層。上部の葉縁の2〜4細胞列は2〜4細胞層があって厚く、濃色で、暗い帯状になり、縁には大きな不規則な歯牙がある。背翼の細胞は長さ6〜13(China Moss:7〜14)µmの方形〜六角形、厚さは2細胞層。細胞壁は厚い。細胞表面は平滑、高いマミラがある。腹翼は1細胞層。雌雄異株。蒴はめったにつかない。蒴柄は長さ5〜15㎜。蒴は茎の上部の葉腋につき、わずかに曲がった円筒形で、やや傾いてつく。蓋の嘴は長さ0.4〜1.3㎜。蒴歯は1列、長さ約0.4㎜、基部の幅100µm。胞子は直径11〜18µm。n=12  
[分類] 蘚類
[草丈] 2〜9㎝(長さ)
[生育場所] 湿った岩上、地上
[分布] 在来種 日本全土、朝鮮、中国、インド、ネパール、スリランカ、ミャンマー、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ニューギニア、フィジー】

【葉が2列に規則正しく扁平】というあたりで違うかもしれません。残念ながら。別のサイトのヤクシマホウオウゴケは雰囲気が似ていたのですがね。そういう無駄なネットサーフィンは新しい世界をちらりとのぞかせてくれるので散歩の気分のうちはいいのですが、迷路に迷い込むと疲れます。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時55分=伊藤 幸司
大日嵓吊橋を渡りました。
今朝、7時46分に平等嵓吊橋で右岸から左岸に渡って、以後ずっと左岸(川の流れに従って左側)をたどってきました。終盤になって地蔵谷吊橋、能谷吊橋、大日嵓吊橋と渡ったのは、全て左岸側から落ちてくる支流を越える橋でした。そういう意味で平等嵓を境にして上流と下流では川の性格が違うといえそうです。

たとえば、昨日は本流にかかる滝が中心でしたが、今日は支流から落ちる滝を2つ見ただけです。
ふつうなら昨日と今日では気分までがらりと変わってしまうところでしょうが、いまここで、ほとんど最後の最後にいるとわかっていても、歩いている道の感じはずっと「大杉谷」の道なのです。まだそこから抜け出られていないという2日目の気分を味わいながら歩いています。
大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時56分=伊藤 幸司
この2日間で何度も何度も体験したクサリ場です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 11時58分=伊藤 幸司
クサリ場を登ったと思ったら、下ります。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時01分=秋田 守
まるでコンクリートで護岸工事をしたかのように見えるのが、大日嵓。嵓というからにはもちろん一枚の大きな岩である。凄いねえ。そしてその下を流れる宮川の澄み切った青色。もうここまで下ってくると、昨日から今朝にかけてずっと聞き続けていた、ゴウゴウという激しい流れの音は消え去り、静かにひたすら海に向かって流れ下るのみ。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時02分=伊藤 幸司
まるでコンクリート護岸のような風景が出現しました。一瞬宮川ダムの始まりかと思う光景です。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時02分=伊藤 幸司
じつはこれが大日嵓。巨岩が左岸に立ちはだかって、水とどのように格闘した結果か、こんな滑らかな、かつ幾何学的な姿になったということのようです。この上部がどのようにそびえていて嵓(くら)と呼ぶに値する大岩壁となっているのか、私たちには見えませんが。

ちなみに、ここに立つ道標には上流側は桃ノ木小屋が6.0km、下流側は登山口まで、あとたったの230mとありました。さらに第1渡船場まで730mとありましたが、以前は宮川ダムの水位によって、その時々の船着き場が変るというシステムながら、とりあえず第1乗船場まで730mという意味でした。

現在は230m先の登山口まで、日に1本、予約制の登山バスが運行していて、今日私たちより先に出た人たちは12時10分に出るバスに間に合うように、たぶん今ごろは登山口でトイレなどを済ませているのだろうと思います。そのバスでJR三瀬谷駅まで出るのなら乗車時間は1時間半ほどになりますから。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時04分=伊藤 幸司
コンクリート製の護岸と見えたものが巨大な岩壁だったということがここでよくわかります。
ちなみに『大杉谷ドローン 登山道入口→大日嵓 Dainichi Rock Wall 三重県大台町』でこの場所を上空から見ることができます『dorone club』というのがあるんですね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時06分=伊藤 幸司
大日嵓という名を記憶に残す印象的なクサリ場になっていると思います。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時08分=伊藤 幸司
ここがたぶん、黒部の下ノ廊下に似ているという場所ですね。逆方向で登山口からくると、まず最初にここですから、印象に残るのでしょう。初心者集団がすれちがうとなったら大騒ぎになるでしょう。もちろん下ノ廊下とはぜんぜん違いますが、糸の会が向こう側から登り始めるのだとしたら、最初にクサリ場でのすれちがいについての基本を徹底しておきます。

通常、登山道では上り優先ですが、ここでは下山する人が時計を気にしているという特殊事情があるので積極的に譲ります。それはまたこちらの安全優先でもあるので、クサリをしっかり持って、岩壁側に体をしっかり寄せて、あちらに恐怖感があるばあいには抱きかかえられるかっこうでクサリを離さない状態で「乗り越えていく」感じを想定します。

するとやばいですよね。しがみつかれたりするかもしれません。だから、そういう目で、すれ違い場所を積極的に探して、こちらは「時間を気にしない」ということが重要です。こちらのメンバーが固まった状態だと混乱が生じますから、ひとりひとりが自分の安全だけを考えてすれ違いしやすい場所を提供する代わりに、自分の安全を100%確保するという確固たる意志が必要です。

かつて両神山の清滝小屋の運営がうまく回り始めたころに、管理人の方が転落死したことがありますが、すれ違いのときに起きた事故だと聞きました。こういう場所ではザックが軽く触れただけでもバランスを失ったり、足を滑らせたりして大きな事故になりかねません。「山側で道を譲る」という基本姿勢を徹底的に守ることが自分を護り、相手も護ることになる……と考えます。安全のために時間をケチらないことです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時08分=秋田 守
最後の最後に、いかにも無理矢理崖を手作業で削って登山道を付けました、という感じの道が現れた。ここも天気が良ければ、なんでもない道だが、雨が降っていたら、滑りそうで怖い道に変わるんだろうな。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時10分=伊藤 幸司
これが宮川第三発電所です。登山口という道標があって、日出ヶ岳まで14.1km、桃ノ木小屋まで6.2km。下りはこの先にバス停がありますが、以前は第一乗船場が500m、大杉バス停(大杉谷登山センター)9.6kmとなっています。ちなみに以前は宮川貯水池を船で大杉谷登山センターまで運んでもらっていたのです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時11分=伊藤 幸司
これがこのときの宮川第三発電所の排水です。昨日13時30分に最初に見た堂倉滝のところ、すなわち標高約1,200mのところから引いた水がここでタービンを回しているというわけです。ご苦労さんという感じですが、思ったほど大量の水ではないようですね。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時12分=秋田 守
タクシーとの待合せ場所近く、宮川第三発電所があった。電力会社は中部電力。関電ではなかった。こうした発電所やダムを全国訪ね歩いているマニアもいる。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時13分=伊藤 幸司
もともと発電施設のための敷設道路だったのですから、登山道は終わりです。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 12時14分=伊藤 幸司
登山口にはトイレが有り、衛星電話の公衆電話があって、タクシーを呼べるようになりました。電話して車があいていれば「50分でくる」ということのようです。

私たちは当初登山バスを予約しましたが、時計を見ながら下るということに私は絶対反対で、下りきるまで時計を見ない、という歩き方(見ないわけではありませんが、帰路のスケジュールに合わせようとしない)を大原則としています。だから通常、バスがだめならタクシー、タクシーも自由にならなければ入浴や食事を抜くか、帰路の電車を遅らせる、それでもだめなら明朝の電車も覚悟、というように帰路を遅らせる心づもりをすることで登山道が終わるまでは絶対に急ぎません。

ですからその原則にし違ってタクシーを検討したところJR三瀬谷駅までジャンボで17,000円、7人で割ると2,400円ほどとなり、バス代の2,500円より安いので、躊躇なくタクシーにしました。タクシーにすることで下山まで(とりあえず)時計を見る必要はなくなります。

料金の問題ですが、じつは大台ヶ原の宿に同じタクシー情報があったので、近鉄松坂駅まで29,000円というジャンボ料金も検討していました。JR三瀬谷駅は不思議な事にローカル駅のくせに特急が止まります。すると名古屋まで出てしまって入浴と食事にするという格好にならざるを得ません。できれば松坂で入浴と食事ができないかという選択肢を考えていたのです。7人分のJR運賃と特急券を加えたら……ということで。

いまは公衆電話に300円ほど投入すればタクシーを呼ぶだけの通話時間を確保できるという親切なアドバイスもついています。以前は9.6kmの道をトコトコ歩かなければならなかったので、とてつもなく安心です。50分待っていればいいのですから。シニアの登山グループの場合、ある程度の金額でクリアできるなら視野に入れておきたいのがアプローチのタクシー情報です。ちなみにここはソフトバンクの携帯電波は通じます。理由は想像するだけですが、発電所の遠隔監視のためにソフトバンクのアンテナを立てたのでしょうか。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 14時23分=秋田 守
下山後、予約してあったジャンボタクシーが迎えに来てくれて、運転手さんの勧めに従って、コンビニ経由で、松阪市のショッピングモールにある鈴の湯へ送ってもらった。なかなかお洒落な出で立ちの運転手さんで、冬はこっちは雪が少ないけど、奈良県側へ峠を越すと雪が積もっているなどの話を聞かせてくれた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 15時23分=秋田 守
入浴した松阪のスーパー銭湯、鈴の湯。松阪には名前に鈴が付く場所が多いが、それはこの地が生んだ偉人、本居宣長が鈴好きだったためと送ってくれた運転手さんが教えてくれた。2日間の疲れをお風呂で癒やせたのは本当に良かった。ただひとつ、残念だったのは、風呂上がりにビールを呑もうと自販機を探したらなかったこと。と言って僅かな時間に食堂で高いビールを飲む気にもなれず、ぐっと我慢をしてしまった。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 16時11分=伊藤 幸司
タクシーを飛ばして約2時間、松坂で風呂に入り、旅の達人2人が異口同音にすすめた松阪牛のホルモン焼きに。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 16時16分=秋田 守
松阪へ来たならば肉を食わなくては。というわけで向かったのは、これまた先ほどのタクシーの運転手さんイチオシの焼肉ホルモン味園。店を教えてくれただけでなく、食べるべきメニューとその順番まで教示してくれた。その教えに従って、まずはタン塩。そうそうもちろん酒飲み組はその前に生ビールをぐいっとやってます。次に、ハラミ、そして上ミノ、あとはホルモン、野菜焼きなど。ちゃんと七輪で焼くから美味しい。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 16時43分=秋田 守
肉を焼いた後は、〆の冷麺。ぼくとWさんは仲良くシェアしていただいた。いやあ大満足でございました。ご馳走様でした。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 17時09分=秋田 守
焼肉ホルモン味園は、松阪駅のすぐ近く。ぼくが20年ほど前に立ち寄って結構いいなと思った一升瓶という店は、その後大きくなってしまって今では市内にいくつものチェーン展開をしていて、運転手さんによれば昔は良かったけど今はお勧めできない、とのこと。お風呂から味園まで乗ったタクシーの運転手さんは、17時過ぎでないと開店しないが今度来た時に行ってみてと、この近くの「いとうや」という本当に小さな店を教えてくれた。

大台ヶ原〜大杉谷
【撮影】3日目 17時43分=伊藤 幸司
最後のこの写真は松坂から名古屋へ向かうJRの先頭車両から。なぜJRに乗ったのかというと、ほとんどのみなさんがジパング倶楽部の3割引チケットを買っているのでJRなのですが、それに縛られない約1名は常識的に早くて安い近鉄特急で行きました。
この写真の左側、ちょっと暗いところを見て下さい。線路が2本。JRは単線で、近鉄は複線なんです。関東でいえば東武鉄道とJRの関係をひっくり返したような光景。私は鉄道オタクではないのでこの程度のことでびっくり仰天していたのですが。

ちなみに私はこの日、名古屋から東海道線の普通列車で行けるところまで行ってみるという無策の掛けをして、東海道本線の凄さを知りました。
ひとり分かれてどうなったのかという疑問に答えてメール欄に次のような報告をしました。

【コーチから
*今日、山咲さんからの質問がメールでありました。名古屋で皆さんと別れた伊藤が、果たして本当に鈍行で東京へと戻ったかどうかです。
1850ごろ……あのとき、皆さんと別れて東海道線のホームに向かうとなにやら発車間近の気配、飛び乗ったら米原行きの快速急行でした。しばらく考えて、逆方向だとわかったのですが、快速急行は尾張一宮まで止まりませんでした。

1905ごろ……尾張一宮に着くとすぐに特別快速豊橋行きが入ってきました。1920ごろ名古屋に戻り、2025ごろ豊橋着。
2035ごろ……豊橋始発の普通浜松行きで2105ごろ浜松。
2125ごろ……浜松始発の普通静岡行きで2235ごろ静岡。
2240ごろ……静岡始発の普通三島行きで2305ごろ蒲原下車。

*蒲原駅の前が由比駅でした。ここは浜石岳への最寄駅として何度か降りています。そういうつもりで車窓を眺めていたら、ホームになんだか気になるポスターがかかっていました。
*そこで次の蒲原駅でも見ていたら、同じものがありました。「TOICA」にかかわる、ものすごく大きな、看板みたいなポスターでした。それがものすごく気になって降りたのです。

そのポスターによるとJR東海の交通系ICカードはSuicaを含めたJR各社のICカードと完全に相互利用できるものの、JR各社(たとえばJR東海とJR東日本)の境界をまたいで使うことはできないという解説でした。
*そこは無人駅でしたから改札のキカイを見ましたが「Suicaが使える」というような記述はなく、さらに「乗車証明書」の発券機もありません。果たしてSuicaが自由に使えるかどうか、確信の持てない部分もあったので、夜0時まで通じるという問い合わせの電話番号にかけたところ「Suicaで乗車できます」とのこと。ICカードは完全相互利用となっているけれどJR各社の「国境」を超えると乗車記録を消去して通常きっぷと同様の現金決済になるということなのです。

2341ごろ……次の普通沼津行きで蒲原発、2410ごろ沼津到着。前の電車だと2342に三島で止まって「国境」を超えるには朝を待たなければならなかったということを後で知りました。最終列車はその後で2436沼津着。
*蒲原で途中下車しなければ2342三島着でしたから名古屋発1920ごろとして4時間20分というところ、しかも気分のいいことに、接続はスムーズでした。私はバスや電車に乗るときの最大の楽しみが「眠ること」なので、終点→始発の乗り換えにまったく気を使わずにすむ東海道本線のリレー・サービスに感激したのです。

*沼津で驚いたのは、翌日の始発電車が0600だったということ。4時半ぐらいにあるのだったら怪しい風体で夜を過ごしてみてもいいと思っていたのですが、6時始発なら眠れるね、ということで駅前のインターネットカフェで熟睡しました。
*……に加えてもう一つの驚きは、0600沼津始発の列車は「上野東京ライン小金井行き」10両編成で「JR東日本国」に入った熱海で15両編成になりました。
*私は0640に小田原で下車、0655小田原始発の小田急線快速新宿行きで0830新宿着。

*帰って調べてみるとJR各社による「交通系ICカード全国相互利用サービス」は2013年からとのこと。関西でSuicaやPASMOが使えるようになったときからJR東海でも使えていたのです。でも私たちが登山のために使うのは御殿場線や東海道線で沼津あたりまでということが多いので、国境侵犯的いや〜な気分を味わわされてきたのです。そのころのJR東海側の辺境駅では精算対応もよくなかったように思います。

*JR東日本が「Suica」を導入したのが2001年だそうですが、その画期的な新機能の一つがソニーの「非接触式ICカード技術」でした。カードと情報をやり取りする装置(リーダーライター)が離れていてもデータをやり取りでき、カード側に電力も供給できるというもの。当時一緒に仕事をしていた理系のフリーライターは駅でカードがどれくらい離れていてもOKなのか、静止時間によってどれだけ離れていてもOKなのか、といったことをしつこく調べていたことを思い出します。
*というわけで、私の名古屋〜東京鈍行旅はほとんどストレスなしに終わったのです。】


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