箭内和子……山笑う・山眠る
福島県の山 5
両親と登った安達太良山――1994.8



■両親と登った安達太良山

 私の父は、1920年生まれ。母は、1923年生まれです。父は若い頃、山歩きを趣味の一つとしてやっていました。だから、一応、5万分の一の地形図を読めるのです。今は二万5千分の一の地形図が主流ですが、父の若い頃は、5万分の一だけだったそうです。
 私も中学生の頃まで、父と奥多摩の山を何度か歩いたことがあります。父は、小企業のオーナー経営者として50年近く、ずっと第一線で頑張ってきました。山からはだんだん遠ざかり、休みの日は、毎週ゴルフ・ゴルフでした。
 そんなある日、父は母と同じ楽しみを持ちながら、老後の時間を過ごそうと考えたのです。(これは、娘の私の推測なのですが・・・) 父が65歳くらいになった時、山歩きを再開しました。同行者は、母だけ。母は昔の女なのか、父の言うとおりに山を歩きました。
 病弱で細い体の母に山を歩く体力があるのか不思議でしたが、山の空気を母も好んだようです。二人は、尾瀬の景色に魅了されて、凝り性の父の20数回の尾瀬通いが始まりました。
 時々、私達夫婦にも声がかかります。父が75歳くらいまでは、山行リーダーは、父でした。私が登山教室に加入し、本格的に山歩きを始めたと知り、この年(94年)の8月に両親が、安達太良山を登りに来ました。父74歳、母70歳、夫43歳、私42歳のパーテイです。
 登山ルートは、奥岳からスキー場のゴンドラに乗って、五葉松経由山頂〜牛の背〜馬の背を歩いて鉄山に向かい、途中からくろがね小屋に向けて、下山。(今は、この登山道は歩行禁止になっています) 奥岳の遊歩道をゆっくり下るルートです。
 天気は、上々。山頂の風も穏やかで、山頂でのんびりランチタイム。沼の平の荒涼とした風景や矢筈森の眺め、あれが、鉄山などと話しながら、本当に楽しい稜線歩きでした。
 順調に歩いて奥岳の遊歩道になりました。ここからの歩きが、超スローペースになってしまい、「疲れたよ。」の連発です。私も、この遊歩道歩きは、飽きるくらい長く感じました。
 休みながら、無事登山口に到着。私の大好きな安達太良山に両親と登ることが出来て、幸せでした。この時、山頂で撮った写真は、大きく引き伸ばして、両親の家にも、我が家にも飾ってあります。

――2008.1.25 記


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