箭内和子……山笑う・山眠る
福島県の山 14
両親と至仏山――1996.6.14-16



■両親と至仏山

 尾瀬に凝っている父から、至仏山に登りに行くから、一緒に行こうと、誘いがかかる。
父(76歳)母(73歳)私達(45歳・44歳)の4人です。今回は、子供達は同行しません。長男は、大学生になり自宅を離れています。留守番は、次男一人でした。

1996年6月14日〜16日
●14日
 私達が郡山から東京に行き、両親の車で、4人で片品村・戸倉にむかう。
 タクシーで、戸倉から鳩待峠に向かう。その時のタクシーの車中から、目にしたひっそりと咲いているシラネアオイの姿が、今でも強く印象に残っている。
 この日は鳩待山荘に泊まる。
●15日
 鳩待峠から、至仏山へ向かう。両親と一緒なので、スローペースで歩く。
 残雪が出てきて、4本爪の軽アイゼンを着けた。
 両親は、何度か、至仏山に登りに来ているのですが、小至仏山まで登り、疲れて下山したり、荒天になったりで、山頂を踏んでいない。
 今回、やっと、至仏山に登ることが出来て満足そう。
 山の鼻へ直接下山する登山道は、閉鎖されていて、登りの道を引き返す。
 尾瀬ヶ原を竜宮まで抜けて、ヨッピ橋、東電小屋に泊まる。
 リュウキンカの花が、あふれるように咲いていた。
●16日
 両親は、ゆっくり鳩待峠に戻る。
 私達は、残雪の具合をみて竜宮から、長沢道を上がって、アヤメ平経由で鳩待峠に戻ることにする。
 予定通り、長沢道を登りだしたが、想像以上に残雪が多く、アヤメ平経由を断念。私達も尾瀬ヶ原を歩いて、鳩待峠に戻った。
 父が、山を再開したおかげで、私達も山を歩くようになってしまった。
 この後、私達は、どんどん、山にのめり込む。
――2008.3.27 記


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