箭内和子……山笑う・山眠る
遠くの山 19
白馬・杓子岳(双子尾根より)――2011.5.3-5



■白馬・杓子岳(双子尾根より)
日時       2011年5月3日〜5日
メンバー     (いわき)博美・裕子
(郡 山)克行・和子




 4月24日、西会津の高陽山に行った時に博美さんより、GWどうする?と言われた。1000円高速の間に、出来れば北アルプスに行きたいなあ〜と、答えた。私としては、燕岳から常念岳辺りを考えていたが、博美さんは、鹿島槍だった。私には、鹿島槍は、荷が重い。和子さんに任せるから、どこかプランを作ってと言われて、その日は別れた。月末に窓開〜坪入の予定もあるし、時間がないので、すぐ、何処に登るか決めなければと思って、「岳人」をペラペラと捲る。2008年の5月号にピンと来た記事があった。博美さんに白馬の杓子岳に双子尾根から、登りたいと連絡すると、すぐ、OKが来た。
 
5月2日・20時半、会津坂下ICそばの駐車場にて、いわき組と合流。裕子車にて、糸魚川ICに向かう。1000円の高速料金にいつもながら、感激してしまう。順調に走って、23時半に「道の駅・小谷」に着く。駐車場の脇にテントを張って、しとやかに、賑々しく、乾杯。
 5月3日・青空。猿倉荘下の駐車場に8時半着。駐車場は、余裕だった。猿倉荘(H1250)で、登山届や、トイレを済ませて、9時05分入山。猿倉台地〜小日向のコル(H1800)と、気持ちの良いハイクアップ。小日向のコルで、テント設営して、のんびりまったりするのもありかな、そんな気分にさせてくれる所だった。裕子さんのザックは、かなり重いみたい。ザックに振られそうで、バランスが悪い。博美さんが、明日、皆の体調が良ければ、杓子岳から白馬岳、白馬大池まで、縦走しようと、騒いでいる。その為には、樺平まで、登らなくては・・・。気を引き締めて、樺平に向かう。雪稜になるので、利き手側にピッケル、反対側にストックで登る。14時、樺平(H2080)に着く。大きなダケカンバの木が数本あり、すでに3張りのテントがあった。どこに設営するか、迷ったが、風を考えて稜線からコルへ下りた所にテントを張った。4段〜5段は防風ブロックを摘まないと風に煽られる。トイレの囲いまで設営して一息ついたら、すでに16時になっていた。雪がパラパラと落ちて来た。それぞれのテントに潜って、水を作りながら、食事の準備。私以外のメンバーは、お酒大好き人間。つまみが、お互いのテントを行ったり来たりしていた。19時半、就寝。夜は強風で、何度も目が覚めた。
 5月4日・晴れ。3時半、起床。6時、食事をして外へ出る。アイゼン、ハーネス、ヘルメットを装着。八方尾根〜唐松岳〜白馬槍〜杓子と連なる山を眺める。強風なので、今日の行動は、杓子岳のピストンとする。テントのフライの抑えに使っていたバイルやピッケルを雪面から抜くのに手間取る。6時半、発。時折、強風。展望は、まあまあだが、登るにつれて、ガスがかかってきた。稜線の途中に3か所ほど、テント跡があった。残っている防風ブロックの中で、休ませて頂いた。緊張するトラバースや雪の付いた岩を登る。ジャンクションピークで、下から来た若者3人パーテイに先行してもらう。9時半、杓子岳山頂。強風と、ガスで寒い。写真を数枚撮っただけで、下山する。白馬岳へ向かうパーテイが、方向が分からず、うろうろしていた。登って来る数パーテイと、すれ違いながら、下る。あるパーテイは、このまま栂海新道まで、行くとか・・・。
博美さんが、「若者は良いねえ。うらやましいねえ。若くなりたいねえ。」と、言っていたが、私は、今の自分で十分満足。若くなんてなりたくないです。もう一度生きなおすなんて、まっぴらだと、思った。時間がたっぷりあるので、ゆっくり、ゆっくり、下る。12時、樺平着。小日向のコルに下山も考えたが、テントの設営をやり直すのが億劫だ。このまま、樺平に停滞する。今日のトイレを新たに設営する。宴会用に博美さんが、タープを張ってくれた。雪のベンチとテーブルを作り、お疲れ会を開催。16時近くまで、お酒飲みは、グダグダ。18時半、就寝。風は止んだが、昨夜より寒かった。
 5月5日・晴れ。4時半、起床。朝食後、テント撤収。7時20分、周りの景色にお別れをして、アイゼンを装着して、下山開始。確実にフラットフィッテングで歩くように、博美さんより注意が入った。8時40分、小日向のコル。
小日向のコルの少し上の所で、裕子さんが、博美さんを巻き込んで、数メートル滑落した。一瞬ヒヤッとしたが、すぐに止まったので、良かった。小日向のコルまで、ビクビクしながら、下った。9時40分、猿倉荘着。今日は、山スキーの登山者ばかりと、すれ違う。山スキーのエリアとしても、楽しいエリアだと思う。
 湯船からの眺めが素晴らしい「倉下の湯」で、汗を流し、「大法院」で、ノンアルコールビールと、信州のつまみ、天ざる蕎麦を食べる。その後、博美さんの運転で、帰途についた。思いがけず、GWの白馬に来る事が出来て、嬉しかった。天候にも恵まれた。雪山での生活や、雪稜歩きも、貴重な経験になった。

後日談
裕子さんは、左の手の甲の一部を骨折していた。全治3週間。ちょっとした事でも怪我につながる。もし、足の骨折だったら、私達だけのセルフレスキューが、出来ただろうか? 細心の注意をして、謙虚に山に向かわなければと、あらためて思う。


★トップページに戻ります