曽根 一郎……百歳の夏へ・つれづれなるままに
72歳――2008.3.7



■72歳――2008.3.7

 私は1935年7月24日生まれなので、2035年7月24日に満百歳になる。
 いまはそれに向かって生きている。
 あと27年後の夏には私自身は、そして家族はどうなっているだろうか?
 日本は、そして世界はどうなっているだろうか?
「ケセラセラ」という歌に「・・・ケセラセラなるようになる、先のことなどわからない・・・」という文句があるように、27年後のことなどわからないが、それを言ってしまえば味も素っ気もないので、私はその時を楽しみに夢見ていまを生きている。いや、懸命にいきている。
 本気で百歳まで生きることを信じている。
 27年後には百歳をむかえる人はいまよりも多くなっているだろう。私もその仲間に入りたいとおもっている。

 なぜ、百歳まで生きたいのか。
 それは70歳を記念してはじめた山登りで、私の身体は変化したからである。
 筋肉が引き締まり、身体が軽くなり、食欲が旺盛になった。
 自然の景色や空気にふれて身も心もよみがえる。
 こうしたことで日々の生活は何事も前向きに考えるようになった。
 そして、不慮の病気や災難がなければ百歳まで生きられるかもしれないという自信がでてきたからである。

 もうひとつは、妻が若年性認知症で入院中だからである。
 今年の2月で満5年がたった。妻はいま68歳で症状は重度の障害である。
 いま省みれば、11年前の57歳ころから症状が現れはじめた。
 初めのころは、私が面倒を看ることができたが次第に手に負えなくなり、このままでは私自身が倒れてしまい妻も共倒れになってしまうような状況に追い込まれた。
 ようやく、ベッドの空いている病院が見つかりいまにいたっている。
 私はこの妻を残して先に死ねないとおもった。
 なんとしても私は長生きして妻の面倒を看てやらねばならないと、心に決めているのである。
 だから百歳まで生きたいのである。

 病院でいまの担当医に初めて会ったとき、医師は脳の写真を診ながら「奥さんはアルツハイマーです。若年性なので進行は速いとおもいます。
 いまの医学の段階では治らない。進行を遅らせることはできます。ご主人はこれから先、あなた自身の人生を考えてください・・・」といわれた。
 このとき私は冷たく見放されたような淋しい気持ちになった。
 しかし、あとで考えて、医師があのように言ったのは私が堕ちこんで、うつ病にでもならないようにと配慮したからだと理解した。
 そして妻の病気を嘆いてばかりいてもしかたない。
 私は前向きに生きてゆこうと心にきめたのである。
 いまは山登りに精をだしながら、家事におわれ、妻の面会に週2回行きながら毎日を楽しくすごしている。


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