林 智子……あたまをつかったちいさいおばあさん
生意気 テイちゃん――2009.1.11



■生意気 テイちゃん――2009.1.11

夫の 父親は なんと 生意気な奴 だったろう。
結婚してから この生意気君のことを 私は 陰では テイちゃんと呼んでいた。
テイちゃんと 私は 簡単に言えば 喧嘩友達だった。
表立って 喧嘩などは したことはもちろん ない。
ただ 心のなかで <そういう 我侭は ゆるされないのだよ・テイちゃん>と
一方的に 私が 張り倒していてあげたことは あったけれどね。
仏様のように 穏やかで 優しい妻<夫の母>に 対して このテイちゃんは 
我侭のし放題に 思えたからだ。甘えていたんだろうなあ。きっと。

テイちゃんは 函館の 呉服屋の息子だった。
早くに 両親が 亡くなり テイちゃんは 跡継ぎの 兄夫婦に 育てられた。
甥や 姪や 使用人が 大勢 いる 大所帯だった。
しかし テイちゃんが 中学生の頃に 保証人になったことから 家は 破産 した。

其のつぶれ方は 絵に描いたようだ。
差し押さえの 封印がべたべた 張られたり 夜逃げする など。
一家は チリジリとなり 彼は 函館から 花の銀座に 夜逃げした。
銀座に着てからの彼は 腕一本で どう生きたものか 。
上下白のスーツ姿 ポマードで ぴたっと 髪の毛を なでつけた テイちゃんは
なぜか モダンボーイとなった。
気取ったポーズの彼が 白い 車の前に立つ 素敵にハンサムな 写真がある。

<今 私は 我が家の お仏壇に 当時の頃のものであろう 一番のハンサム時代の
テイちゃんの 写真を 飾っているヨ・・・感謝してね。テイちゃん>

まだ 羽振りが良い 呉服屋のボンボン時代には 家にピアノがあった。 
テイちゃんは 機械が大好きで オートバイが好きで 部品を 東京から 取り寄せては 改造していた。
呉服の 仕入れ<?>での彼は 腕を振るった。
彼は おしゃれだったのだ。彼独特の 哲学 美意識を もっていた。

函館という 街そのものが 異国的だったのか?
私が テイちゃんと知り合った まだ 60代の頃も ピッタリと 身体に 会った 上質の スーツや
ネクタイや コートなどを 身に着けていた。
ネクタイが ピッタリと 決まっていたのは 彼自らが ネクタイの 太さを 改造するからだった。
靴は いかなる時も ぴかぴかに 磨かれており テイちゃんが 朝 ご出勤の時には 
義母は きっちり アイロンのかかった ハンカチを わたすやら 糸くずをとるための
こまごました 事柄やらで 大いそがしだった。殿のご出勤だ! と 私には 珍しく 面白かった。

あれやこれやあって 私は テイちゃんを 貧乏貴族!と 命名した。
何故 貴族か?
彼は 夜逃げした 呉服屋のぼんぼんだし お金には 無縁だった。
にも 係わらず お金には まったく 無頓着だったし なぜか彼は ひとり いつも
美味しいものを 食べていたからだ。
使用人に育てられて 好き勝手に していたのか 食べ物の 好き嫌いが 激しいテイちゃんは
バタ臭いもの お洒落なものが好き。 少々しか いただかない。
食事の 度に テイちゃんは 味付け そのほかを 批評 した。
<共稼ぎの 家じゃあ・・・許されないのだぞ・・・あーだこーだなんて>

職場で 事故に会い 手を怪我し リタイヤ してから後は クラシックを聞くことが 最優先の
趣味だった。
癌で 手術をし 集中治療室から 一般の病棟に移ってすぐに 彼がしたことが
クラシックを聞いたことだった。
彼が 心身共に 苦しい時をこえ 自分を取り戻すため 即 したことが クラシックを聞くことだったのが
いかにも 貧乏貴族の 彼らしいじゃないか。

私たち夫婦が お正月や お盆などに 千葉に遊びに来ると 彼は 決まって 息子の妻である この私の
きているものを 批評した。
当時 デニムの 長い ダラダラとした スカートをはいた私を見て ヒッピーだね といった。
当時 私は カーキイ色が好き デニムが好きだったから。
<今日は まともな 普通なものを着ているね!>と いうこともあった。
私が着ているものを あれこれと 言うのは どうも テイちゃんの喜ばしいことの一つだったようだ。
その辺は よく似ていた。 おしゃれには 関心が あった。
私が バーゲンで買った シャツなどを <安かった!>などと 自慢して 見せびらかすと 
<それ よくないなあ!><ぜんぜん 良くない> などと ずばり 言った。
<なんて 生意気な やつなんだ。><少しは お父さんらしく そうだ・・そうだよ・・・
 何だって いいんだよ・・・なんて 相槌の一つも 打てないものか!>

彼から 直接 聞いた話だ。
<私は 彼から 色々なことを 聞きだした!>
彼は 東京下町育ちの 雑貨屋の 娘と お見合い結婚したが 彼女は いつも
着物を着ていた。しかし 新婚旅行では 珍しく ワンピースなど着て にっこり 立っている。
このワンピース は テイちゃんが 縫ったものだというのだ。
生意気な テイちゃんの 大きな特徴 それは ひとえに 彼が ものづくりの
人であったということだろう。

大きなものでは 北側の 北極みたいな寒い寒い 自宅の 台所を 物置に改造。
頼まれて 娘の家の 2階に ベッドを作りつけた。
もちろん 庭の柵などは 簡単簡単 当たり前。白いペンキを塗った ロマンチックなものだった。
戦後 家が 焼けた時には 自分で 家を作った。腹巻に隠してあったお金で 木を買い
リヤカーで 東京から 運んできた・・んだって!
玄関には 燃え残った どこかの喫茶店の 分厚い ロシア風の
ドアが しっかりと くっついていた。<ヤッパリ 函館育ちは バタ臭い>

小さいものでは 息子たちの 木の自転車や イスや 遊具や テレビ。
階段下の 物置き場の改築や 電気のかさや 鉛筆立てなどの日用品。
家中の いたるところに テイちゃんの手が入り テイちゃんなりの 工夫がしてあって
人がいなくなると 消える電灯とか あやまあ!と 思うことは 多々あった。

自分なりの 美意識を 強固にもち 彼は 自宅で 77歳のときに なくなった。
最後まで 自分の 美意識を 貫いた。 
最後の最後のときまで 3時間かかっても トイレに這って いったのだった。
テイちゃんは 好きなように 生きたのだなあ
テイちゃんらしく 逝ったのだなあ・・と 思うけど。
あたしが 娘だったら あれやこれや もっと 質問攻めに したでしょうに。
だって 生意気な テイちゃんは 面白い 人だったもの。


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