★0809「初めての、ほぼ遭難」
▲毛無山 1997








★0809「初めての、ほぼ遭難」毛無山_1997
「初めての、ほぼ遭難」は計画書の中に、すでにその匂いがありました。
*西丹沢前衛の不老山から急遽変更です。
*7/27の日曜日、台風の余波の残る愛鷹山から下山したところで、長靴を履いた登山者から声をかけられたのです。「みなさんもそうとうの変わり者ですね」というのが第一声でしたから「仲間」と見られたのかもしれませんが、毛無山に900回以上登っているとのこと。沢が増水して登れなかったので愛鷹山にまわってきて私たちと出会ったわけですが、秘密を教えてくれました。毛無山の山頂部に300mに渡ってシモツケソウが一面にピンクの花を咲かせるのだそうです。花期は8月上旬から下旬、なかでも8月10日ごろが見頃なのだそうです。
*咲くのは標高1,945.6mの一等三角点の奥、1,959mの水準点のある本峰を越えたその先の一帯なので、毛無山登山者にもほとんど知られていないという秘密の花園らしいのです。
*その長靴登山者の話をきちんとイメージできませんが、とにかく登ってみたいと思います。
……というわけで、私たちは東海道新幹線で新富士へ、そこからタクシーで一気に朝霧高原の登山口まで行ったのです。
 10時ごろ出発、標高差約1,000mの登りに5時間を用意して、下りに4時間。タクシーで新富士駅まで戻るという計算でした。登山口にあった案内図でも登り140分、同じルートでの下り100分で、地蔵峠まわりで下ると150分となっていましたから、糸の会流の「ゆっくり登って・ゆっくり下る」という計算で行動できると再確認したのです。
ところが登りの道が毛無山の稜線にぶつかったところまで戻ったのが16時20分、6時間20分が経過していたのです。その時点で、私たちには「黄色信号」が灯っていたはずなのです。登ってきた道を下るべきでした。
 ところが、私はそうしませんでした。地蔵峠に着いたのが17時50分、日没まで約1時間、そこからさらに1時間は無灯火でもかろうじて行動できる明るさがあるはずです。……でも電話は通じず、ペースは上がりませんでした。
 待たせてあったタクシーが遭難の疑いをもち、いよいよ捜索隊を出そうかと地元の人たちが動き始めたところに、私たちは到着し、タクシーのなかで警察から説明を求められました。また東京方面への電車はなくなり、当時関西方面から東京ディズニーランドに向かう若者たちでムンムンの大垣発東京行きの夜行快速「ムーンライトながら」の後を追う臨時の夜行列車で、私たちは帰ったのです。
 糸の会は私がただ一人コーチ(リーダー)ですから、判断責任は100%私にあります。登った道を素直に下っていれば、起きなかった「ほぼ遭難」事態でした。ここに下山にかかわる写真がないのは、私がコーチ(リーダー)に専念していたからで、写真を撮る余裕がなかったということです。
▲写真56点