1972アムカス探検学校アフリカ・みなさんの声
*とりあえず姓名を「ひらがな+漢字」という表記にさせていただきます。


■2014.8.13――なかばやし八重子(旧姓たかぎ)さんから「有難うございます」
■2014.8.9――なかばやし八重子(旧姓たかぎ)さんから「沢山の写真と日誌?」
■2010.12.5――しもだ美紀子(旧姓わたなべ)さんから「CD受領」
■2010.11.9――伊藤幸司から「新聞記事を追加」
■2010.11.4――アムカス探検学校の ちかやま雅人さんから「とりあえず写真1枚」
■2010.5.6――アムカス探検学校 ほんじょう章代さんから「写真をお返しします」
■2010.4.26――アムカス探検学校 ほんじょう章代さんから「1972アフリカ」のCD-ROM受け取り
■2010.4.19――アムカス探検学校 まつうら たか子さんからの第2信
■2010.4.19――アムカス探検学校 ほんじょう章代さんから
■2010.4.12――アムカス探検学校 まつうら たか子さんからのメール
■2010.4.10――アムカス探検学校 しもさか(旧わかまつ)弥生さんからの手紙
■2010.4.3――アムカス探検学校 あべ克巳さんからの手紙


■2014.8.13――なかばやし八重子(旧姓たかぎ)さんから「有難うございます」
伊藤幸司さま
早々にホームページが見られるようにしていただき、また『宅ふぁいる便』までお送りいただき有難うございます。
はじめての『宅ふぁいる便』に戸惑いながら・・・、どうにかダウンロードすることが出来ました。

まだ少ししか拝見ておりませんが、コンゴ川の船旅やトラック便による大移動など懐かしくよみがえってきます。
伊藤さんのご苦労、あまり考えたことありませんでしたけれど・・・・・。 考えてみれば旅慣れぬ私たちをアフリカという地であのような素晴らしい経験をさせてくださったのですから・・・、そのご苦労は大変なものだったと思います。
改めて、その節はいろいろお世話になりました。。

写真も旅レポートもダウンロードさせていただきましたので、これからじっくり拝見させていただきます。
お手数お掛けし失礼いたしました。
ほんとに有難うございました。



■2014.8.9――なかばやし八重子(旧姓たかぎ)さんから「沢山の写真と日誌?」
伊藤幸司様
なかばやし(旧姓、たかぎ)八重子です。
長いことご無沙汰しております。
乾徳山でケガされたとのことですがその後、如何ですか?
快癒されていることを願っております。

弥生さんから『糸の会』のこと、Web を開くとアフリカを旅した時の写真が見られると教えていただきました。
開きましたところ沢山の写真と日誌?のようなものがあったと思いますが・・・・・。
後でじっくり見せていただこうと後回しにしておりましたところ、今は見られなくなってしまいました。

あの懐かしいアフリカ旅行を伊藤リーダーの写真で振り返えることができたらうれしのですが
たいへん恐縮ですがWeb で拝見できるようにしていただくか、またはCDがございましたら、CDをわけて
いただけますでしょうか。

ご面倒お掛けします。よろしくお願いいたします。


■2010.12.5――しもだ美紀子(旧姓わたなべ)さんから「CD受領」
懐かしさでいっぱいでした。
一挙に思い出しました。
土や空の色、人々の声やざわめきも、甦ってきました・・・しばし、茫然と見入ってしまいました。
本当にありがとうございました。
どうぞお体に気を付けて。
お礼メール遅くなってごめんなさい。


■2010.11.9――伊藤幸司から「新聞記事を追加」
古いスクラップブックから新聞記事を発見しました。
9.22ナイロビ発の記事と、9.27羽田到着の記事をそれぞれの月日のところに追加しました。
あのときの体験、覚えている方は教えてください。


■2010.11.4――アムカス探検学校の ちかやま雅人さんから「とりあえず写真1枚」

どの程度の大きさが適当なのか、
取り敢えずテストしてみました。



■2010.5.6――アムカス探検学校の ほんじょう章代さんから「写真をお返しします」
伊藤さま
今頃お返ししても仕方ないでしょうけど、頂いたネガをお返しします。
帰国後の写真の見せっこで集まったとき、多分その時に頂いた写真のネガ?です。
ネガをペーパー写真にしたのかどうかはもう思い出せませんが、ただ他の写真と一緒に大事に持ってました。
先ほどそのネガのことを思い出し、探して出掛ける息子に急ぎ発送を頼みました。ネガだけで失礼な送り方ですみません。
ひょっとしてお借りしたのか…?? お借りしたのならお返ししたはずですし……
40年も経って記憶も曖昧で、もしお借りしてたなら今頃になって申し訳ありません。
ただ当時、他の方にもネガを上げてたような気がします……

ブログの、第7回・ナイジェリア、当時を思い出します〜♪
嫌な空港でしたがそれは今も変わらないようで……
それどころか今は一般の人びとも、当時の空港の人たちと同じ様な感じ、残念です。
「アフリカは100年後も今と変わらないでしょうね…」一昨年でしたか、江口一久さんにそう言ったら、江口さんは反論なさいませんでした。それは日野さんも同じです。
探検学校のブログ、次も楽しみに待っています。


■2010.4.26――アムカス探検学校の ほんじょう章代さんから「1972アフリカ」のCD-ROM受け取り
CD、ありがとうございます。
落ち着きましたら、ゆっくり見せて頂きます。(この家には引越したばかりでまだ荷物を片付け中。その上遠方から友人が来たりでしばらく落ち着きません)
PCの写真の方は懐かしくもう何度も何度も見せて頂いてます。
旅の成り立ち・リーダーのノートも、特に楽しみにしてます。
波多さんに、伊藤さんのブログアドレスをメール連絡しましたら、次のような返信がありました。

ザイール川! うわ〜、懐かしい写真!!
伊藤さんのホームページ、さっそく拝見しました。
ザイール川の水上マーケットのナマズとか、芋虫、猿のミイラ、それにトラックでの道行き,雨で立ち往生した所とか、思い出のシーンいっぱいあって感動です。有難うございます。
このザイールのページと別にカメルーンのページもあるんですね………

伊藤さんの写真の一部を、私のPCに取り込ませてもらいました。
その内落ち着いたら、私の写真もPCに取込み、合わせて以前から考えてた、私のアフリカの旅のDVDを作るつもりです。
伊藤さんの写真のお陰で、早く作り上げたくてなりません。わくわく楽しみです♪
CDの費用はどのようにお支払いしたらよろしいでしょうか。ご連絡下さいませ。
 72年のアサヒグラフ?だったかしら、伊藤さんが書かれたアフリカ探検学校という旅の記事。つい先だって、初めて息子にも見せました。私だって若かい時があったんだから〜!なんて云ってです。
あの本と、アムカスの”旅”の特集のも、大事な記念に取ってあります。
時々思うんですよ。あのラジオに出演していた、伊藤さんとの出合いがなかったら…って。あの出合いがなかったら、人生は全く違ってて、こんなにわくわくした楽しい人生を過ごせなかったでしょう。
ありがとう。

【伊藤幸司から】
●喜んでいただいて、うれしいです。
●調子の悪い画像がありますが、いずれ直せると思います。そのときにはまたお知らせします。
●お送りしたCD-ROMに関しては一方的なプレゼントです。本当ならいろいろなかたちで差し上げていなければならない写真でしたが、当時のカラースライドからのプリントなどはとんでもなく高価なものになってしまうので、方法がありませんでした。
●いま、デジタル化したことでほとんど経費をかけることなく、みなさんにお渡しできるようになりました。拡大写真用のデータ(タイトルに250mmとあります)を、いま流行のフォトフレームに入れると、簡単なデジタルアルバムになります。
●あるいはプリントしたい方には、もっと大きなデータをお渡しできますが、その場合は写真番号をお知らせ下さい。
●いずれも、費用などについては一切お考えいただかなくてけっこうです。
●それよりも、できればあの旅に参加したみなさんにお送りしたいのです。
●まずはHATAさんの連絡先をお教え下さい。
●いずれにしても、これまで使ってきたフィルムスキャナーの不調による画像の不良部分を入れ替えるのが先なのですが、それにはすこし時間がかかりそうです。
●お待ちいただきたいと思います。


■2010.4.19――AMKAS探検学校・まつうら たか子さんからの第2信
伊藤幸司さま
 CD、本日受け取りました。ありがとうございます。
 何だかとても懐かしく、時間の経つのも忘れて見入ってしまいました。あれから40年になるのですね。
 もしお写真を利用させていただく際には、クレジットは必ずつけますので、ご安心ください。代価は不要とのこと、痛み入ります。
 アフリカ旅行の友人たちで、未だに音信が保たれているのは、残念ながら賀曽利さんご夫婦だけです。そのうちに同窓会(?)でも開きたいものですね。
 私は脳腫瘍からくる軽度のパーキンソン症候群とやらで昨年来、足が多少不自由なのですが、そのうちに克服できるものと信じています。
 伊藤さんにはどうぞお元気でご活躍ください。
 では失礼いたします。


■2010.4.19――AMKAS探検学校 ほんじょう章代さんから
伊藤さま
連絡下さりありがとうございます。
懐かしい探検学校の写真を早速ネットで見せて頂きました。
本当にほんとに懐かしい…
そして、このれらの写真をCDにして下さるとのこと、とても嬉しく楽しみです。

実は只今引越中なのです。
昨年神戸から新宿の富久町に引越しましたが、今度は富久町から新宿1丁目に(荷物はまだです)引越しました。
引越では、と云うよりそろそろ老い支度、持物を簡素にしなければなりません。(実際には物は捨て難く中々減らないのですが…苦笑;)
古い物を片付けていると、大切に仕舞い過ぎて見つからなかった、伊藤さんが探検学校を書かれた雑誌が見つかりました♪
40年近く前の日観研の「あるくみるきく」そして「アサヒグラフ」?
それらを改めて読み、息子にも読ませたのはつい最近のことです。私だってこんな若いときがあったんだから!などと云って(笑)
そして引越も落ち着いたら、私の持つアフリカの旅の写真もCDにしたいと思っていたんです。
ですから、伊藤さんがCDにして下さるとのこと、大変嬉しいです。
そして楽しみにして待っております。

あの探検学校の仲間で、今も住所かネットのアドレスを知ってるのは、いとうさん、かそりさん、のむらさん、ちかやまさん、そして はたさん…
写真を見せて頂いて、40年ぶりに皆さんに会いたいような気持ちにちょっとなりました。
連絡下さってありがとうございます。CDは本当に楽しみにしています。


■2010.4.12――AMKAS探検学校 まつうら たか子さんからのメール
 伊藤幸司さま
 たいへんご無沙汰しております。
 その後お元気でご活躍のご様子、何よりです。
 かそり洋子さんから、貴サイトの存在をうかがってお訪ねしました。72年のアフリカ旅行の写真がたくさん並んでいて、とても懐かしく、感激しました。
 私はあれからフランスに留学して、帰国後新体操関係の仕事につき25年ほど勤めてきましたが、2005年の暮れに脳腫瘍が発見され、開頭手術を受けて、その後仕事を辞め、今は郷里に帰って療養しています。
 機会を得て、一昨年新体操に関する体験談のようなものを出版しました。一部お送りしますので、ご一読いただければ幸いです。
 「参加されたみなさんには、ご連絡いただければ全写真のデータをCD-ROMでお送りします」とのことで、よろしくお願いいたします。

【伊藤幸司から】
松浦たか子さま
●メールありがとうございます。
●お久しぶりです。
●何かの折りに松浦さんがなにか大きな病気をされたと聞いて(どのよ うな病状なのかは知らぬまま)古い写真を引っ張り出してみる気になっ たのです。
●お見舞いも申し上げていませんが、とにかく勝手に、こちらではパン ドラの箱を開けたのです。
●画像の保存性の高いコダクロームを使っていたこともあり絵は残って いましたが、それはそれ、古くなっただけの色抜けや変色はありました。
●その調子を整えるのは手間もかかり、かつ私の腕では不十分なのは 知っていましたが、以前ダメと判断していた画像処理ソフト PhotoShop の自動処理が意外に有効だとわかったのです。
●以後、仕事と平行してスキャニングをすすめ、今では自分の古い写真 をことごとくデジタル化する勢いなのですが、ともかくその第一弾とし てカメルーン探検学校を完全デジタル化したので す。
●じつは問題があって黒の部分に縞模様が入っています。フィルムス キャナーはいまや中古でも入手しにくくなっていて、そのまま作業を続 けましたが、問題が解決すればスキャニングし直す つもりです(いつに なるかわかりませんが)。
●CD-ROMに収録したのはホームページの原稿データです。大きく プリントするには不十分なので、番号をお知らせいただければプリント 用データをお送りします。
●とりあえずそういうことで、ブログでは現地でノートに書きためて あった文章を(たぶん10回分ぐらいでしょうが)テキスト化しつ つ連載しています。
●CD-ROMについては、明日・明後日と山ですので、近日中に発送 します。


■2010.4.10――AMKAS探検学校 しもさか(旧わかまつ)弥生さんからの手紙
 伊藤幸司様
 すっかり御無沙汰しております。
 このたびは、アフリカの旅CD-ROMをお送り下さいまして、どうも有難うございます。
 さっそく、俊樹さんと2人で拝見しました。写真の中の誰もが、若くて、まぶしく生き生きしていますネ。顔が小さく解らなくても(写真の)着ている服、帽子の何と印象の強いことか。その人らしくて、誰かすぐに、解って、笑ってしまいました。私達も40年近い年をこえて、自分に対面し、当時のあれこれが、空気や匂いまでも思い出され、なつかしさで一ぱいになりました。あんなに面白く、楽しく、エキサイティングな体験は、後にも先にもありません。
 伊藤さんは時に、知的な旅ができる人、出来ない人とおっしゃいました。もちろん我々は後者。でも語学や知識が乏しくても、自分のもっている能力をフル活用した強烈な2ヶ月間は、その後の人生に大きな影響を受けました。
 気持を楽に生きるようになり、子育てにも良い影響を受けました。現在、娘、裕美は、東京大学で学び、写真部で活躍し、本と旅が大好きな、とても感性豊かな娘に成長しました。思えば、伊藤さんとの出会いのお陰です。感謝しています。
 明日から京都に娘と旅行に行く予定です。取り急ぎ、お礼と近況をお知らせしました。
 どうもありがとうございます。
【伊藤幸司から】
ご主人のしもさか俊樹さんは、ご存じの方も多いかと思いますが、蓼科の「俊樹そば・しもさか」のご主人です。


■2010.4.3――AMKAS探検学校 あべ克巳さんからの手紙
 伊藤幸司様
 先日はアムカス探検学校の写真をお送りいただきありがとうございました。
 写真は、昨年高齢者の仲間入りをした私も、まだ20代。まさに、40年前に埋めた素晴らしいタイムカプセルを掘り起こした気分です。
 勤めていた出版社を辞め、ただただ、好奇心を満たすためにアムカス探検学校に入学。未知の大陸、アフリカへ。

 未明にカイロ到着。飛行機のタラップは、サーチライトに照らされ、その後ろ装甲車から一人一人銃口を向けられて入国。当時イスラエルと戦争状態にあったエジプト入国、いや初めてアフリカの土を踏む人への割礼の儀式でした。
 この印象は2カ月のアフリカ旅行中で、随所に頭をもたげました。
 ナイジェリアに向かう飛行機の中で隣り合わせた、ヨルダン人から1972年イスラエルのテルアビブ空港で乱射事件を起こした岡本公三について、日本人としてどう思うかを問われたり。
 カメルーンに入国するや秘密警察に付け纏われたり(当時同国は戒厳令が敷かれていた)、ナイジェリアのビアフラ地区(この地区は石油の埋蔵量があり前年にフランスを後ろ盾に独立を図ったが、内線に破れた)に入ると、川の真ん中で橋が折れていたり、飛行機の尾翼だけが野原に残されていたり、宿に泊まれば、パトロールの兵隊からビールを奢れと、自動小銃を向けられたり。
 戦争のないということは素晴らしいことだと実感いたしました。

 もちろん楽しい出会いもありました。ナイジェリアのイフェでの青銅器文化の素晴らしさ、カメルーンの奥地、ドゥアラの小学校で目を輝かせてフランス語や算数を学ぶ子供たち。荒れ果てたビアフラで私にパンを呉れた子供たち。
 何で日本は戦後急激な経済復興を遂げたのかと、私の部屋まで押し掛けてきたガーナの大学生。フランス語しか通じない西カメルーンで英語に翻訳してくれた英国の女子大生。日本と貿易がしたいと私の家まで手紙をくれたナイジェリアの若者。

 少々怖いこともありましたが、アムカス探検学校は私の好奇心を十分に満足させてくれました。もっとも、帰国すると日本はオイルショックという経済氷河期の真っ最中。八カ月ばかり食うためなら何でもやるの心意気で、雑文業、編集業、時にはビラ配り、通訳などで糊塗してまいりました。

 この写真は何物にも代えがたい宝物です。本当にありがとうございます。


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