山旅図鑑…糸の会&伊藤幸司

糸の会の古文書──最初の10年

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■2005.11.3──11.3「糸の会10年目のささやかな集まり」

■2005.10.14──T林さんから「10e栗駒山」のエピソードなど

■2005.10.10──T山本さんからの引退届

■2005.10.5──K大塚さんが「c伊豆ヶ岳」で転びました

■2005.10.3──R豊田さんから——武蔵小金井の「名医」について

■2005.9.25──H矢野さんから「コーチ」について

■2005.9.25──燧ヶ岳の帰りの電車で「行きたい山」の希望メモがまわってきました

■2005.9.1──糸の会10年目のお願い——「いとうコーチ」と呼んでください

■2005.8.25──ホームページのアドレス(URL)が変わりました

■2005.8.25──糸の会案内

■2005.8.25──山の報告(2005.3-8_終了分)

■2005.8.25──2005年度 10-3月予定

■2005.8.19──中西良栄さんの穂高縦走報告

■2005.7.23──国木田之彦さんの北穂・奥穂・前穂縦走報告

■2005.4.19──市野武さんの御前山の直前レポート

■2005.4.1──2005年度上半期の計画+入会案内

■2005.3.10──「70歳」をどうするか?

■2005.2.17──上高地でギックリ腰をやりました

■2005.1.10──八甲田山の宿泊つき往復航空機パックの仕組みについて

■2004.11.9-10──入門・小屋泊まりのための装備ガイド

■2004.10.16──初級新講座の持ち物ガイド「朝日カルチャーセンター千葉」の場合

■2003.9.5──「ごめんなさい」をいろいろ

■2003.3.25──飛行機利用のことなど

■2002.4.5──お知らせいろいろ

■2002.4.5──プランあれこれ

■2001.9.30──お知らせいろいろ

■2001.9.30──プランについてあれこれ

■2000.3.20──7月に大雪山をやります

■2000.1.22-23──北八ヶ岳メルヘン街道スキー大滑走・装備ガイド

■1999.9.25──お知らせいくつか

■1999.3.15──新しいカタチを模索する年にします

■1998.9.5──木ノ又大日沢遭難未遂報告

■1998.8.1──出版記念会

■1998.7.5──いただいた手紙

■1998.7.5──確認事いろいろ

■1998.4.1──1998年度の方針

■1997.11.20──たまっていた手紙

■1997.7.10──いただいた手紙

■1997.5.10──いただいた手紙

■1997.5.10──新しい本について

■1997.3.28──再度、保険について

■1997.3.15──市野さんの「糸の会・活動大写真」鑑賞会

■1997.2.5──いただいた手紙

■1997.2.5──4月から糸の会のかたちをすこし変えます

■1996.12.10──いただいた手紙

■1996.11.5──ちょうど1年

■1996.9.5──みなさんから

■1996.9.5──カルチャーセンター登山講座からの由来

■1996.9.5──ダブルストックで歩いてみます

■1996.7.26-28──白馬岳報告_心拍数

■1996.7.25──心拍計の話

■1996.7.1──山岳保険のこと

■1996.6.1──最初の事故

■1996.4.10──朝日カルチャーセンター千葉——初歩の山歩き・新講座講義資料

■1995.11.1──糸の会設立案内2

■1995.10.30──糸の会設立案内







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■2005.11.3──11.3「糸の会10年目のささやかな集まり」

■2005.11.4——糸の会10年目の集まりにお集まりいただいた方、裏方でいろいろやっていただいた方、ありがとうございます(伊藤幸司)
●おいでいただいた方は(たぶん)以下の41人のみなさんかと思います——安藤 S、市野 T、伊藤 Y、稲田 I、宇田川 Y、海老沢 T、大杉 T、大西 E、大森 T、岡田 K、春日 Y、河田 K、清川 M、国木田 Y、桑久保 N、河野 M、斎藤 K、齋藤 T、酒井 K、酒井 T、佐藤 S、佐藤 T、志賀 I、柴田 M、鈴木 H、高橋 K、高橋 Y、高松 T、塚元 T、豊田 R、永田 S、中西 Y、林 T、船津 T、増井 Y(娘さんと)、松浦 C、宮城 S、宮城 S、山川 K、山田 Y(このうちの27人の方が夕食まで)
●ほとんど予定開始時刻には飲み物+菓子コーナーが動き始め、中央の長いテーブル(約6m)に写真が積まれ、みなさん見始めました。5時以降バタバタと片づけられるまで、多くの方が持続的に写真をごらんいただいていたのをみて、「写真展」としては成功かと思いました。ただ、写真即売会としては意外に売り上げ枚数が少なく、50枚=1,000円といったところが平均的かと思われます。ほとんど同じ重さの写真を持ち帰るハメになりました。腰に負担がかかりましたね。
●立派なお花をいくつもいただきまして、会場がはなやかになり、ありがとうございました。船津 Tさんにはケーキを驚くほどたくさんつくっていただいて、ありがとうございました。料理学校のパンの先生だったそうですからプロの技ではありますが、圧倒的な量でした。お持ちいただくに当たって運搬係をされたかたも、ごくろうさまでした。
●最初から裏方をしていただいて準備リストのチェックなどもしていただいた稲田 Iさん、今回そのアシストにまわってくださった山田Yさんには(無言ながら)ずいぶん尻をはたかれた感じがします。おつかれさまでした。
●会場ではみなさんいろいろ動いていただき、なごやかながら集中感のある場がつくられました。「ささやかな集まり」としてはたいへんよかったと感じました。
●私としては、最近御無沙汰のかたがたが何人もおいで下さり「OB会」の趣もあったことが、たいへんうれしいことでした。糸の会はあくまでも「講習会」で、年度ごとに現役会員を登録するという原則に切り替えましたので、復帰のきっかけをなくしてしまった方もいらっしゃいます。「70歳超」にまで範囲を広げたこともありますので、こんごはこの会員欄を「年度会員」と「OB・OG」と「周辺のみなさん」とすることで「OBのみなさん」という領域を加えたいと考えます。
●今回は最初のご案内を糸の会、東急セミナーBE、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクール、八王子そごう友の会(糸の会に参加の方)合計約450通を出しました。住所不明などで戻ってきたのは約40通でした。欠席通知は15人、残りのみなさんでご案内したホームページをご覧いただいている方もいらっしゃるかと思います。今後、この場(ホームページ糸の会欄)を利用していただくことがあれば幸いです。
●「楽しい一日だった」とおしゃってくださった方もいます。そうであればよかったなと思います。
●みなさん、ありがとうございました。


■051104——11.3出席の齋藤 Tさんから
●伊藤 コーチ殿
●おはようございます。
●昨日は、楽しい企画を有難うございました御礼申し上げます。
●6月の「黒檜岳・社山」以来、久し振りで皆さまにお目にかかれ、楽しい一時を過させて頂く事が出来ました。
一昨日、術後の検査結果を聞きに通院してまいりましたが、全てに異常なくこれからは全ての運動をOKとの結果でホットしております。
●11月から、ACC千葉の山歩きには全て参加させて頂きますので、改めて宜しくご指導の程お願い申し上げます。
●糸の会の10月〜3月の予定につきましては、遅くなりましたが下記の通り希望しますので宜しくお願いします。
●取り急ぎ、御礼とお願いまで。


■051103——11.3の裏方を全面的に担当して下った稲田 Iさんから
●伊藤コーチへ(一応非公開で)
●今日は楽しくあわただしく、あっという間に過ぎてしまいました。
●なるべく準備していたつもりが、いざとなると些事に追われ、中途半端なことばかりしていました。
●会計は清川さんに救われ何とか済みました。
●一番の反省は出席者を記録していないこと。
●山田さんにリストをわたす筈でしたが、紙はどこへ行ったか。
●一次会41人の出席と聞いていますが、把握していらっしゃいますか。
●会費の箱から7,000円経費を取って13,500円残っていたはず。
●予定の34人は全員来て残り7人が問題です。
●桑久保さん 春日さんは確か。 増井さんでしたよ。
●夫婦で来られたのは酒井さんですか。後2人がわかりません。
●事前に考えていた受付のチェックが聞いてあきれますよね。
●二次会の出席者27プラス1はわかっていますので
●必要ならばお知らせします。
●何はともあれご苦労様でした。
【コーチから】
●主催者が会場に到着したのが1時35分頃。携帯電話を忘れたりして、予定より30分遅れました。
●会場入口で今や遅しと待ちかまえていたのが桑久保Nさんと、裏方を買って出て下さっていた稲田Iさんと山田Yさんでした。
●荷物を上げ、車を置いて(目星をつけていた駐車場がどこもいっぱいで、結局ホテルまでいくはめに)帰ってきたら、2時5分頃。たくさんの菓子が並べられて、会はすでに始まっていました。おおかたのみなさんが開始の2時には集まっていたということになります。恐るべし糸の会。
●とにかく、尻はたき役をやって下さった稲田さん、ありがとうございます。


■2005.11.3——11.3出席の岡田 Kさんから
●いただいた写真を、すみません、ジョキジョキ葉書大に切ってうちのミニミニ画廊に額に入れて飾ったら素晴らしい!
●変更男体山b△→☆、 2b☆→〇


■11.3早稲田での「糸の会10年目のささやかな集まり」……出欠状況(敬称略、ほぼ五十音順)
【○】参加予定——略
【△】参加可能かも——略
【×】参加できず——略
*11.3集会のお知らせは10.14をごらんください。

■出品希望&購入希望
【売りたし】
【1_済み】未使用Tシャツ——MUSSHU-Mサイズ、色はえんじ系、胸幅いっぱいにあて布ポケット(中西 Yさん、1,000円希望。10.26メール参照)★中西さんへ 稲田 Iより——Tシャツ是非譲ってください。えんじは好きな色ですし、他のスポーツもしているので即乾性のTシャツは何枚あっても足りません。3日にお会いできればよいのですが、無理なようでしたらまた方法を考えましょう。
【2_済み】ほぼ未使用のクライミングロープ(伊藤幸司から、とりあえず岡田 Kさん向けに)——10mm×40mですが、EDELRID(エーデルリッド)はかなり特殊な伸びないロープだそうです。EDELRIDはパラグライダー用ロープの主要ブランドのようで、しなやかで高品質なのだそうですが、伸びない性質はケービングなどに向いているとか。岡田さんには向かないかもしれません。周囲のひとに聞いてみてください。価格は10,000円ぐらいのようですから必要なら80%offあたりで。★ありがとうございます。でも、実はあれからクライミングの先生にロープをもらってしまいました。(岡田恭子)
【3】45リットルのザック、カモシカスポーツ製、赤、岡田名前がマジックで書いてある、数回使用、きれい(岡田 Kさん)
【4】L.L.Bean デイパック(通学用)、色:グレー、底部ブラック、スコッチライト(反射素材)のトリムあり。タウンユースに最適。新品・タグ付き、希望譲渡価格1,000円(高橋 Kさん)

【買いたし】
【1】佐藤 Tさんが手放したがっている10年もののダブルストック(LEKI super makalu_18,000円ぐらい)——もし90%offあたりなら現地手渡しでいただきたい(伊藤幸司)
【2】LEKIのダブルストック(マカルー、コンパクト、スーパーショート)——買い換えたい、調子が悪い、片方だけ残った、一部壊れている……などのものがあれば(できるだけ安価に)譲ってください。新規参加のみなさんに購入前に貸与できるものをすこしそろえたいのです(伊藤幸司)


■2005.11.2——宮本 Yさんから11.3欠席通知
●伊藤さま
●ご案内状ありがとうございます。
●私もこの記念すべき日に参加できて、興味深い写真を見ることができれば、と思っていたのですが、明日から日曜まで旅行に出ることが決まっていましたので、残念ですが出席できません。
●これから歳を重ねるとともに、伊藤コーチと、どういう山歩きができるのか、楽しみにしております。
●10周年、おめでとうございます!
●実は、私は横浜の朝日カルチャーに2回位参加しました。
●もう20年位前でしょうか?
●父の具合が悪くなり途中で行かれなくなりました。
●続けていれば、長いご縁でしたね。


■2005.11.2——菅野 Kさんから11.3出席不可の連絡
●伊藤様
●やはり、でした。仕事に追い込まれ、3日は出社せざるを得なくなりました。会の方は申し訳ありませんが、欠席させていただきます。皆様によろしくお伝えいただければと思います。


■2005.11.2——八王子そごう友の会担当だった宮城 Sさん、Sさんから11.3あるいは参加の通知
●糸の会10周年おめでとうございます。私たちが参加させていただいたのは一度だけですが、その時の貴重な経験(沢歩き)は、昨日のことのように覚えています。その一方で、この10年は何となく20年位にも感じています。
●何はともあれ、伊藤先生には本当に感謝いたしております。明日は都合がつけば、おじゃましたいと思っています。


■2005.11.2——清川 Mさんから11.3参加通知
●伊藤コーチ
●10周年の集まりに参加したくご連絡します。
●わざわざWebページのコピーをお送りくださりありがとうございました。
●このところ業務が輻輳していて、会社で一日10時間もパソコンの画面に向かいながら、糸の会のHPを見る余裕なしでした。
●(夕食も参加したく・・・まだ人数可能でしょうか???)
●よろしくお願いします。


■2005.11.2——市野 Tさんから11.3参加か?通知
●ご無沙汰いたしております。
●急な連絡で申し訳ありませんが、11月3日どうやら休みになりそうなので参加の予定です。確定ではありませんのでとりあえず△としてください。
●二次会のほうは不参加とさせてください。糸の会もなにやら大所帯になっているようで、とてもついていけそうにありません。
●10月上旬に北東北の某所に行ってきました。やはり、人の少ない東北の山は最高です。もうほかの山域には興味がなくなりました。
●待望の新兵器も手に入れたので、能力の低さはこれでカバーできるかも.....と思っています。


■2005.11.1——田井 Mさんから11.3欠席通知(ファクシミリ)
「糸の会10年」おめでとうございます
私はいい時に担当させていただいて
ずいぶんとたくさんの山を歩かせてもらいました
小屋泊まりも経験しました
感謝しております これからもどうぞよろしく
お願いいたします
11月3日、旅行の予定をたてておりまして
申し訳ありません 欠席です
若松、丸島も各々、予定があるようで
千葉から3人とも行かず すみません
私もあと1年と少しで退職なので“糸の会”
へも参加させていただくかもしれません
「糸の会」と伊藤コーチのますますのご発展と
ご活躍をお祈りしています


■2005.11.1——小林 Aさんから11.3欠席通知
●伊藤幸司様
●糸の会ホ-ムペ-ジ会員欄.ロゴマ-クをクリックでOKです。
●糸の会10周年おめでとうございます。
●例によって11・3欠席します。
●今夏は天候に恵まれ1人ぽっちのドラマティックな沢山の山々を楽しめ、冬も近くなっているのにその切れ切れを思い出してはクスッと笑ったりしているこの頃です。
●ともあれ、糸の会ホ-ムペ-ジを開けるようになりやっと正式メンバ-に加えてもらえた気分です。


■2005.11.1——徳山 Yさんから11.3欠席通知(ファクシミリ)
●糸の会、伊藤様
●11/3の会へのお誘いを有難うございます。
●今、我が家は老犬(16才)の介護中心の日々です。彼の体調に一喜一憂している次第。こんな状態ですので残念ですが、失礼いたします。
●先月の栗駒山では、靴のことで大変おせわになりました。まだ、新しい靴は手に入れておりません。11月の山行はいけるかどうか?? 出来るだけ参加したいとは思っています。
●ご盛会である様に祈っております。


■2005.11.1——榎本 Aさんから11.3欠席通知(10.31はがき)
●深まりゆく秋、すっかり御無沙汰申し上げております。
●この度は“糸の会10年の集い”にお誘い下さいまして有り難うございました。
●当日は、私共でもささやかな祝いごとがございまして、先生はじめ皆様にお目もじ叶いませんこと、心より残念に思います。
●私事でございますが痛めました膝もやっと快方に向かい、4月頃から10キロずつ月2回を目標に歩く練習をしております。
●いつの日にか、先生の厳しいご指導のもと、又、山歩きに参加させていただけましたらと。
●山々の美しい紅葉が目に浮かびます。
●どうぞお体お大切に。 かしこ


■2005.10.31——野原 Aさんから11.3欠席通知(ファクシミリ)
●伊藤コーチへ
●糸の会10年目、おめでとうございます。
●残念ですが、今回の集まりは、予定があり欠席させていただきます。
●出欠の柔軟さに救われて、参加が続けられています。
●「70歳超」のクラスまで参加続けたい……と思っています??


■2005.10.31——日比生 Yさんから11.3欠席通知
●伊藤コーチへ
●日比生夕紀子です。お手紙落手。全くもれておりません!
●実は初めての山行(25日)の計画書をいただく前に3日のご案内を頂戴しておりました。その時点で先約があったのですが、おめもじする前でもありまして、「不参加」とお返事するのまで遠慮してしまいました。
●申し訳ありません。そのせいで、二重にご連絡いただくこととなってしまいました。
●10年のおめでたい節目のときにご縁ができたのは、幸先イイナアと勝手に思っています。
●1年後には50歳になるのですが、「糸の会」のこれからの10年が、私の50代に大いに花を添えてくれること(??!!)を期待しています。(ズウズウシイ!)
●ご盛会をお祈りしています。


■2005.10.31——高橋 Kさんから11.3○×不明通知と出品希望
●「会員の皆さんへのお知らせ」等のクロネコメール便受け取りました。
●3日、予定がたたず、○×不明です。できれば一瞬でも顔を出せればと思っています。
●【出品希望】L.L.Bean デイパック(通学用)1本 色:グレー、底部ブラック スコッチライト(反射素材)のトリムあり。タウンユースに最適。新品・タグ付き 希望譲渡価格1,000円


■2005.10.31——11.3準備について稲田 Iさんから
●伊藤コーチへ(非公開で)
●3日の人数、現在コーチと中西さんを入れて30ですね。
●菓子については、午前中、高田馬場の店にとりあえず30予約し、当日買い足せるように手配しました。が、先程船津さんから電話連絡がはいり、一人で持ちきれないほどのマドレーヌなどを焼いてくれるそうです。
●店には頼まなくてもよいと言われましたが、お土産用にするからといって了承(?)してもらいました。
●40人まで想定して作ってくださるそうです。
●ケーキナイフは用意してくださるそうです。
●こちらは予算内で紙ナフキンを用意します。
●というわけで、火曜の夜の人数確認は必要ないです。
●船津さんと林さん他は2時ごろ到着しそうです。
●私と山田さんは1時20分か30分ごろの予定です。
●盛り上がってきましたね。


■2005.10.31——溝上 Kさんから11.3欠席通知(ファクシミリ)
●伊藤コーチ
●11月3日の「糸の会10年目の小さな集まり」は欠席いたします。
●この度はお知らせを頂きながら無益に過ごしてしまいまして申し訳けございません。
●3日は「三多摩合唱祭」のために休日返上で練習があります。
●7,000枚の写真展、お茶の会、ブッフェディナーなど楽しい集いですね。
●私も、そごう友の会で山歩きを始めて10年になります。糸の会と同じ年月でうれしいです。
●ずーと伊藤先生に教わっていたのですね。
●これからも事情が許す限り歩きたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
●増井雪子様のお便り、懐かしく読みました。
●近くに住んでいながら、お会いしていません。
●私を「糸の会」に連れて下さった先輩です。


■2005.10.31——志賀 Iさんから11.3出席通知
●伊藤コーチ
●またまたのご無沙汰です。お知らせなど有り難うございました。
●3日は参加させて頂きます。返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
●海老沢さんも、もしかしたら参加するかもしれません。
●よろしくお願いいたします。
●PS:今年度後期の山行きは、また次回のメールで申し込む予定です。


■2005.10.31——鈴木 Hさんから11.3出席通知のファクシミリ
●伊藤幸司さま
●11/3のこと
●14:00〜16:30までは、出席できそうです。
●この時間だけでもよいですか?
●(シンポジウム会場に17:00に行けばよさそうなので)


■2005.10.31——豊田 Rさんから11.3参加通知
●伊藤先生
●いつもお世話様になっております。
●10周年のお祝いの会のお知らせありがとうございます。
●お返事が遅くなり申し訳ございません。
●先生の素敵なお写真を拝見させていただきに少しお邪魔したいと思います。
●先輩方の楽しいおしゃべりも楽しみにしております。
●夕食の会までは、参加できませんがよろしいでしょうか?
●いつも皆様にご迷惑ばかりかけて、申し訳なく思っておりますが、一ヶ月ぐらいたつとご迷惑をかけたことを少し忘れて又参加してしまうという日々が続いています。
●よろしくお願いいたします。
●(というわけで)11cの参加を△から○に変えさせていただきます。よろしくお願いいたします。


■2005.10.30——矢野 Hさんから11.3欠席通知
●アッという間に 10月も終わろうとしてます。秋本番なのでしょうが、きれいな紅葉に今年はまだ出会いません。
●お返事が遅くなりました。11月3日の10周年記念大祝賀会は 欠席です。コ−チの撮影された沢山の写真が 格安で当日入手できるのでは?と楽しみにしていたのですが、残念です。(コ−チの撮影した写真が すばらしいので最初びっくりしました。最近は 当たり前のように拝見してますが。(笑))
●私は糸の会に参加始めてから 3年経ったところですが、70歳対応の計画も立てていただけそうなので 心強く思ってます。(でも 超軽量級とうたって始まった 第4火曜のクラスの初回が 標高差1000mで ヤラレたと感じましたが) 糸の会がこれからも末永く続くことを願ってます。


■2005.10.29——「11.3 糸の会10年目の小さな集まり」にご参加予定のみなさまへ(最終案内発送)
■以下のみなさんにお送りします。(10.29正午現在)
【○】参加予定——略
【△】参加可能かも——略
■会場(と服装)について
●約7,000枚の写真を見ていただく会場は24畳のシンプルな板張りのスタジオですが、組み立て式の長テーブル兼長ベンチがありました。壁際に並べてベンチにします。スペース的には全員が座れます。それと全員分の小さなマット(ミニ座布団)があります。「中央に車座」が原則ですが、ベンチもあるので、ご安心を。
●エアコンがありますから暖房はできるのですが、季節柄、床の冷たさは避けられないかもしれません。暖かい室内履きやソックスをお持ちいただくのが賢明かと思います(階下の喫茶店に逃げるという手もありますが)。さらに膝掛けなどあれば快適かとも思われます(こういうときにコンパクトシュラフやキャンプ用マットが最高なんですよね)。
●ともかくベンチが用意できたので板床に車座でなくてもすむようになり、服装もかなり自由に選べるようになったかと思います。(佐藤時子さん、「普段着」でなくてもけっこうです)
●午後2時から6時まで、その「イトーターリのPA/Fスペース」で写真を見たり、旧交を暖めたりしていただくわけですが、コーヒーと、紅茶と、緑茶、それからちょっとした茶菓子を稲田郁子+山田よし子さんが買い出ししてくれます。また船津タツさんがパンかケーキを焼いてお持ちくださるとか。
■夕食について
●うまいものがあるはずがない早稲田については、以前近くに住んでいたという稲田郁子さんが本気で心配していました。——とすでにホームページに書きましたが、早稲田大学の反対側にあたる「リーガロイヤルホテル東京」のロビー階「カフェ・コルベーユ」の個室ふう空間を予約しました。そこのブッフェ・ディナーにしましょう。「秋の味覚&世界の料理ブッフェ」とか。午後9時までの土休日メニューです。味はわかりませんが、3,900円に乾杯用アルコールを加え税・サービス料込みで5,000円というところです。時間をかけて二次会という感じにしましょう。ホテルは何年か前、大学の財政再建のためもあって大隈庭園の向こう側に誘致したもので、ゆっくり歩いても5分といったところ(すぐです)。
●予約はタイトなかたちではなく、隔離されたスペースを確保しているだけです。5時半ごろに電話を入れれば調整できます。食事はしないという方は、当日最終確認しますので、ご心配なく。あるいは飛び入りで食事もというひとが増えても、窮屈になりますが座れればいいので、問題ないと思っています。なんでもアリのワセダですから……。
■荷物について
●荷物はその間、会場に置いておけます。……が、できるだけたくさんの写真を皆さんに買っていただきたいわけでして、いろいろ考えました。買っていただいた写真は後からお送りすることにしましょう。したがって身軽になって食事に行けるかと思います。会場に戻らずに、そのままお帰りいただけます。
■念のため、会場案内再録。
●11月3日 午後2時→6時——その後夕食(荷物は置いておけます)
●場所は地下鉄東西線・早稲田駅から徒歩2分
・馬場下町18フェニックスビル3階「PA/F(パフ)SPACE」
・早稲田駅出口2または3b(早稲田大学方面)を出て馬場下交差点へ
・角が交番と銀だこの道を入ると、4軒目の黒いビル(穴八幡の向かいで、文学部入口の手前)。1階がドコモショップ、2階がフェニックス・カフェ、その3階です。
●参加費500円
●当日の問い合わせ電話——伊藤携帯(略)
★飛び入り歓迎ですが、準備の都合もありますので、ご参加いただけそうな方は、事前にご一報いただければさいわいです
●糸の会のホームページは(会員欄については)ほとんど毎日更新しています。インターネットを利用していらっしゃらない方もあるかと思いますので、10.29現在の会員欄ページをプリントアウトして同封しました。


■2005.10.29——河田 Kさんから11.3出席通知
●伊藤コーチ
●11月3日糸の会集まり出席させてください。お願い致します。
●自宅の改装で一時的なのですが転居のためメールが繋がらず返事が遅くなりましたが宜しくお願いします。
●御岳山、ありがとうございました。
●久振りの千葉カルチャーで前日まで何故かドキドキでした。
●懐かしい顔に会えた途端に緊張もほぐれ、また新しく加われた方達もいらしてこれからの参加が楽しみになりました。
●御岳山は京都の山によく似た雰囲気の山でキツイ難所も所々有りましたが、何とかついて行く事ができホットしました。
●これからも糸の会と併せ参加させて頂きたいと思いますのでご指導よろしくお願い致します。


■2005.10.29——大西 Eさんから11.3出席のファクシミリ
●伊藤幸司様
●先日は「糸の会」10年のお誘いとお知らせを頂きありがとうございました。
●11月3日の会に出席させていただきます。
●糸の会ホームページを見まして、皆さん山歩きを続けていてお元気なので、なつかしく読ませていただきました。
●当日、皆さんにお会い出来る事を楽しみにしています。


■2005.10.27——「11.3・糸の会10年目の集い」の現地下調べをしてきました(伊藤幸司)
●予定会場の備品など、こまかなチェックをしてきました。参加予定のみなさんには最終のご案内をメール便で(数日中に)お送りしますが、まずはいくつかの要点レポートです。
●板張りの床に4時間座るという山小屋スタイルを当初考えていましたが、組み立てベンチでいちおう全員が座れます。24畳のスタジオですから壁側にベンチを回して、床に座る人はその内側に車座というイメージでいきましょう。尻当てみたいな小さなクッションが人数分あります。エアコンもありますが、板張りの床は冷たく感じるかと思いますので、室内履きや厚手の靴下、あるいは膝掛けなどお持ちいただくと安心です。高級シュラフを無造作に使うなど、ゴージャスかと思いますが……。
●うまいものがあるはずがない早稲田については、以前近くに住んでいたという稲田郁子さんが本気で心配していました。結論をいいますと大隈庭園きわに建った「リーガロイヤルホテル東京」のロビー階にある「カフェ・コルベーユ」の個室ふう空間を予約しました。そこのブッフェ・ディナにしましょう。味はわかりませんが、3,900円に乾杯用アルコールを加え税・サービス料込みで5,000円というところです。時間をかけて二次会という感じにしましょう。
●荷物はその間、会場に置いておけます。……が、できるだけたくさんの写真を皆さんに買っていただきたいわけでして、いろいろ考えました。たくさん買っていただいた場合には写真は後からお送りすることにしましょう。したがって身軽になって食事に行けるかと思います。
●おおよそ、そんなイメージでおいでください。


■2005.10.27——伊藤 Nさんから11.3出席通知のファクシミリ
●伊藤幸司様
●大菩薩峠では大変お世話様になりありがとうございました。
●糸の会10周年おめでとうございます。11月3日早稲田出席できるようになりましたので、よろしくお願いいたします。
●私が糸の会に初めて参加したのは、1996年1月13日の大山三峰からです。横浜の朝日カルチャーで、40歳からの登山入門教室を受けてから3年たっていました。横浜のOB会で「やまゆり会」があったのですが入会しないままになっていました。
●あの日、本厚木の駅に行きましたら、伊藤コーチと、横浜の懐かしい顔ぶれに接し、嬉しく思いました。うきうきして歩いていたとき、ゆるい下り坂で足を滑らし、2mほど転げ落ち、体が九の字に木に引っかかり止まりました。幸いに怪我はしませんでした。
●頂上では、暖かいミルクティーを沸かしてくださいました。集合写真と、一人ずつの写真も撮ってくださり、とても気に入りあの時の写真にしようと思いました。
●1999年3月の定年までに68回参加しました。定年後6年半過ぎましたが70回で、合計138回です。定年後は水曜と土曜に里山保全のボランティアに行っているので抜けられない日もあり、又旅行等もありますので、少なくなっております。
●10年ということで、そろそろ卒業、というお話も出ているようですが、私は自分のリュックが背負えなくなったとき、怪我をするようになったら引退と考えております。
●それまでどうぞよろしくお願いいたします。


■2005.10.26——海老沢 Tさんから11.3出席とのはがき
●前略
●ご無沙汰しております。
●連絡もなしに退会という形になって、ずっと心苦しく思っておりました。その節は、申し訳ありませんでした。
●それにもかかわらず、今度の集まりにも声をかけていただきありがとうございます。ぜひ参加させて下さいと思い、ご連絡致しました。
●よろしくお願い申し上げます。
●かしこ


■2005.10.27——大森 Tさんから11.3出席通知
●伊藤幸司さま
●11月3日(木) 糸の会10周年の集いのお便りありがとう御座いました。
●ぜひ参加させていただきます。
●懐かしい方々にお会いできることを楽しみにしております。
●メールアドレスが新しくなりましたのでお知らせいたします。
●よろしくおねがいします。


■2005.10.27——山田 Yさんから11.3出席通知
●伊藤先生へ
●長いこと御無沙汰をしています。
●忙しかったり、病気ばかりで、今シーズンは全く山に行けませんでしたが、3日は、参加させていただきます。
●なにか、お手伝いできることがありましたら、おっしゃつてください。


■2005.10.26——高橋 Yさんから11.3出席通知
●伊藤幸司様
●高橋 Yです ご無沙汰しております。
●先日はお知らせありがとうございました。11月3日の会参加を希望いたします。ご連絡遅くなりましたがよろしくお願いいたします
●肩の痛み(50肩?)がすこし良くなって腕が上がるようになってきたので また山へ行けるかなと思っています。 近況報告まで。


■2005.10.26——菅野 Kさんから11.3参加通知
●伊藤様
●“10周年”の集い、参加させていただく予定で。
●ドタキャンのときはご容赦。


■2005.10.26——中西 Yさんから「未使用のTシャツ」出品希望
●伊藤コーチ
●フリーマーケットに 未使用の半袖Tシャツをだします。
●メーカーは MUSSHU-Mサイズ 色は えんじ というのでしょうか?黒っぽい赤です。胸幅いっぱいに当て布がしてあって、それがポケットになっています。
●元の値段はいくらだったか忘れましたが、1,000円で買ってもらえるでしょうか?
●さらに太ったとも思えないのに、このごろはスリムなタイプが流行っているから細身に作ってあるらしくて窮屈である事が分かりました。
●11月3日はNTTが工事に来ます。今のところ時間がわかりませんので、出欠はまだ分かりません。


■2005.10.24——池浦 Hさんから11.3欠席のメール
●伊藤コーチ
●10周年おめでとう御座います。
●11月3日のお知らせ頂きましたが 残念ですが(ここ数年は 諸事情で年に2,3回の参加がやっとですが 年に10回以上参加できてた頃が懐かしくその頃の皆様に会場でお会いしたい気持ちいっぱいですが)欠席させて頂きます。


■2005.10.22——岩田 Tさんから11.3欠席のはがき
●前略、お久し振りでございます。私のところへも「糸の会」を通してのご案内をいただきありがとうございます。
●此の度十才のお誕生日を迎えられた由、おめでとうございます。数々の経験をされ、充実感で一杯のことと存じます。
●私は東武カルチュアスクールの山登りで、2000年10月〜2002年3月まで参加させていただき、今でも大きな財産となっています。
●一時ヒザを痛め、止むなく退会させていただきましたが、今春より地元のハイキングクラブに入会し、再び山登りを楽しんでおります。
●年令も加算され、レベルが精一杯と思うこともございますが、このチャンスを逃したら……と、月1回歩くことが出来、この上ない喜びでおります。
●当時の皆様とはすっかり疎遠となりましたが、伊藤コーチ共々ご健勝のことと拝察いたしておりました。
●これからも益々ご活躍下さいます様、ご発展をお祈りいたしております。
●3日の催しには出向けませんが、ご盛会であります様……。ご返事旁ご挨拶まで。


■2005.1020——増井 Yさんから、11.3欠席の手紙
●ご無沙汰いたしております。
●糸の会十周年おめでとうございます。お便りを頂きなつかしく拝見いたしました。
●そごう友の会より先生に、あっ……コーチにお世話になりまして、糸の会にも入れて頂き、私の六十才代はとても楽しく、若い時とは又違う充実感があり、山の写真も大切な宝物になりました。
●七十才を過ぎた今ではひざが悪く、三頭山のふもとにおべんとうを持って行き、食べたり、山の空気にふれることの楽しさを味わっております。
●糸の会だけで七百回余りの登山、その前を数えると何千回、頭が下がります。
●今回主席できませんが、ますますのご発展をお祈りしております。
●会の名前、先生の呼び方と言い、すべて氏、名に関係して、ほんとうに良い呼ばれ方が出来ましておめでとうございます。山小屋でのミーティング、楽しそうな様子が目にうかびます。


■2005.10.20——鈴木 Hさんから、ほぼ欠席というファクス
●伊藤幸司さま
●「10b」まことに魅力的なプランですが、大阪出張が入り、あきらめます。
●11月3日のもよおしも、ドイツのデザイナーとのシンポジウム(ドイツ年ですね)と重なり、あやしそうです。
●ノーブルさん、日本に「定住」しました。
●荻窪に一軒、アトリエ+住居でみつけたそうで、そろそろ引っこしかと思います。
●そのうち、ノーブルさんを誘って、入会がてら糸の会に参加します。


■2005.10.20——岡 Yさんから11.3欠席通知
●11月3日のお知らせとその他のお便り ありがとうございました。
●10周年なのですね。 おめでとうございます。 私は、残念ですが、欠席させていただきます。
●糸の会の10年の間に 私は2002年の4月(千葉朝日カルチャー)から 2006年の8月まで2年4ヶ月の在籍ということになります。その間に 数えてみたら39回の山行でコーチしていただいたことになりました。思い出したらキリがないほど 新しい体験や発見をさせていただきました。結局 山歩きはいい 大好き ということに尽きます。
●いつまた 参加できるか分かりませんが お便りによれば 70才超の山歩きもできそうですので(私が健康なら) 元気でいたいですね。もちろん 伊藤コーチあってのことです。
●糸の会のますますのご発展をお祈りいたします。


■2005.10.18——齋藤 Tさんからのメール
●伊藤 幸司 様
●「糸の会・10年目のささやかな集まり」 ご案内有難うございました。
●改めて 「糸の会 創立10周年記念」 おめでとうございます。
●11月3日「糸の会 10周年の集い」、楽しみに参加させて頂きます。
●私が、伊藤コーチに初めてお会いしたのが、朝日カルチャー教室 「中高年のための初級の山歩き」 で、2003年4月9日西武秩父線・高麗駅から巾着田経由 「日和田山」 から鎌北湖でした。
●あれから、朝日カルチャー日帰りコースで26回、小屋泊まりコースで8回、糸の会で4回、合計38回の山行へご一緒させて頂くことが出来ました。
●その間、関東近辺はもとより、北は利尻礼文、南は屋久島まで連れて行って頂き、本当に楽しい想い出が一杯です。
●サラリーマン生活をリタイア後、何に生きがいを見つけようか??・・・・・自然大好き・・・・・正解でした。
●お蔭様で、毎月山へ行く日が待ち遠しく、とても充実した無所属の世界を楽しんでおります。
●これもひとへに、伊藤コーチの素晴らしきお人柄、ご一緒いただく良きメンバーの皆さまに恵まれてのことと、改めてここに厚く御礼申し上げます。今後とも、末永くご指導ご厚誼の程お願い申し上げます。
●ところで、本日、術後2ケ月の胃カメラによる検診を受診してきたのですが、本来、今頃外れているはずの胃粘膜のクリップが排泄されず3本残っており、今月の山登りは中止した方がベターとの事、今月の復活を楽しみにしていたのですが欠席させて頂き11月から参加とさせて下さい。
●取り急ぎ、お祝いとご連絡まで。


■2005.10.17——山下 Mさんから近況報告とある出来事
●前略御免下さい。
●早稲田の集いのご招待と山の関連ニュース、確かに受取りました。
●私は、2004年4月14日病院のベッドがあくのを待って、都内の大学病院に入院。腹膜の全部と直腸の大半を癌でとり、何回かあちこちに転移しましたが、現在小康状態です。2005年8月中旬迄数回入・退院をくり返し、現在は自宅で療養中です。左腹部にストーマー(大便の処理)、右足に?用のレッグウォーマー(尿の処理)をつけています。
●2004年2月28日、守屋さん登山の折、先生に凄いケンマクで、何故、皆と一緒に行動しないのかとすごまれ、自らも体力の限界と感じて入院・手術しました次第です。その折激怒の顔でした。
●現在1,000m位は歩いて居りますが、今の所、ハイキングも無理です。だが、いつかはせめてハイキング位は行けるようにしたいと考えています。必ず実現したいものです。
●以上の如き現状故、早稲田の集いは欠席します。
●悪しからず事情斟酌のうえ御諒解下さい。 早々


■2005.10.17——ホームページについて、国木田 Yさんからのメール
●伊藤 コーチ
●いつもお世話様です。
●糸の会HP、インターネットの検索でYahoo、Googleとも一番上に出ています。
●改善点を一点申しますと
●トップページの本文2行目に
●[糸の会で]実施した山歩き
●と[糸の会]を加えたほうがいいと思います。
●検索で内容が3行ほど紹介されますが現状では休憩時間うんぬんと出てしまいます。
●11月3日の集まりを楽しみにしております。


■2005.10.16——河野 Mさんからメール
●伊藤幸司様
●先日の栗駒山はドタキャンでご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
●「嵐をよぶ男」が不参加だったので(?)好天に恵まれ皆さん秋の山を満喫されたご様子、なによりでした。
●11月3日の「糸の会10周年の集い」、参加させていただきます。
●楽しみにしております。


■2005.10.16——橋本 Tさんからメール
●伊藤幸司様
●ご案内頂きましたが、既に家内との妙高高原への旅行が決まっており参加できません。残念です。
●こんな行事を今後とも企画してください。皆さんとのコミュニケーションも広がると思います。


■2005.10.16——稲田 Iさんからメール
●伊藤コーチ
●3日の会に参加させていただきます。
●夕飯まで残りそうですが、適当な場所がありますかね。
●何かお手伝いをいたしましょうか。
●10b の参加もおとといファクスで送りましたが、届きましたか。
●よろしくお願いします。


■2005.10.14発送の手紙——「1995年からの10年間に山でご一緒したことのあるみなさまへ」
●東急セミナーBE、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクール、そして糸の会の山歩きの講座に参加されたみなさんの住所録にしたがって、突然ですが、お便りを差し上げることにしました。
●あるいはこれが失礼なかたちになる方もいらっしゃるかと思いますが、いくつかのお知らせをさせていただきたいと思いました。
●とにもかくにも、みなさん、お元気でお過ごしになっていらっしゃることと拝察いたします。
■11月3日(文化の日)に早稲田で小さな集まりを計画しました。ご参加ください。
●山歩きの講習会の写真の見本帳が処分しきれずに(たぶん)7,000枚以上たまってしまいました。バラバラになっている写真をランダムに見ていただく会を開きたいと思いました。10年前のあなたが突然登場する……というようなタイムスリップ体験と合わせて、山の光景の断片をパラパラと見ていだく、一種の写真展とも考えています。
●しかし本心は、たまたま捨てられなかった写真見本の処分市です。全部の写真に日付が入っていますから、山名リストによってどの山かわかります。気に入ったものがあれば1枚20円(早いもの順です)、お買い上げいただきたいのです。売れ残ったものはいよいよ処分しますので。
●当日はパソコン上で(ほぼ全部の)写真の検索もできるはずです。検索できる範囲の写真をご注文いただければ、従来通り1枚300円でプリントサービス可能です。
■皆さんの旧交をあたためる機会になればうれしいのですが。
●場所は地下鉄東西線早稲田駅からすぐ(徒歩2分)の小さなスタジオです。義妹(イトーターリ=パフォーマンス・アーティスト。念のために、あちらも本名伊藤です)が身体トレーニングやワークショップの場としている24畳ほどの床張りの空間に座り込んで……という感じです(インターネットなどで見るとイトーターリは「レズビアン・パフォーマー」とか「セクシャリティを問い続けるパフォーマー」とかありますが、おどろおどろしい場所ではありません)。茶菓を用意しますから、ご自由に(階下は喫茶店ですからゆったりしたい方は移動されてもけっこうです)。時間は午後2時から6時とし、そのあと残れる人は早稲田祭直前の(たぶんにぎやかな)早稲田のどこかで食事して、というイメージです。参加費500円をいただくということにしておきましょうか。
■不要品のフリーマーケットもやりましょう
●それからみなさんにお願いですが、身の回りにある山の道具類で、買ったままほとんど使わずにいて、できれば目の届く範囲から消えてほしいというようなものがありましたら、フリーマーケット的にお持ちいただきたいのです。荷札を用意しておきますからお名前と、希望売価(定価の5割引、7割引、9割引というあたりを目安に)を書いて展示してください。
●しかし安ければ売れるとも思えないので、持ち帰るむなしさも予想できるところ。大物については事前に品名と希望売価をお知らせいただければ、ホームページ(会員欄)に掲載します。どなたか反応があったらお持ちいただくというのではいかがでしょうか。
●たぶん、ほとんど使っていないゴアテックスシュラフカバー、羽毛の高級シュラフ、どこかで買わされた冬山装備、岩登り用装備、着ない山シャツやはかないズボン、余ったストック、サブザックなどがきっとどなたかのところで眠っていることでしょうから、欲しいものがある人は手をあげてみてください。こちらもあらかじめホームページに掲載すれば、反応があるかと思います。(事前の仲介も試みます)……来年はいよいよ東北の山の避難小屋利用の計画も試みる予定です。現役の皆さんはシュラフカバーやシュラフが必要になってくるかと思います。
■10年間のデータと写真をまとめ始めました。ご覧ください。
●最近ようやく「糸の会」のホームページがかたちをなしてきました。10年間、700回余の山歩きの計画と結果、写真による説明——というのを(少しずつですが)公開していく場と考えています。糸の会の山歩きだけに限っていませんので、各カルチャーセンターの皆さんの参加されたものも登場します。インターネットの環境の整っていない方は、一度周囲のどなたかに見せてもらっていただければさいわいです。いまのところ天城山、大蔵高丸、雲取山、甲武信ヶ岳、二子山、屋久島(宮之浦岳)を公開できました。また10年間に配布した書類の採録もしています。その一例として、「糸の会」の発端となった最初の文章を資料としてあとでご紹介しておきます。また「★会員の皆さんと周辺の皆さんへ、専用のお知らせ(暗証番号が必要です)」もどうぞのぞいてみてください。
●それから11月のアタマからですが、小学館のインターネットマガジンというのでしょうか、「ボンビバン」と検索すると出てくるところで山歩きのガイドを始めます。糸の会のホームページが生なデータ整理とすれば、表現を加えたものが月2本ペースで始まるというわけです。小学館の雑誌「ビーパル」と「ラピタ」のおやじバージョンとも合体という感じになっているようです。なお、その「ボンビバン」の古いバージョンではオリンパス提供の「撮る見る創る」という写真企画で、自分自身の記念写真などを素材にした6回の連載をしています。スポンサーとの関係によるとのことですが、残っていれば、そちらも。……とこれらはいずれもインターネット上で、タダで見ていただけるものです。
■そして新しい(たぶん)5年を考えて。
●これもホームぺージの最近の項目として読んでいただけますが、糸の会を「登山コーチングシステム」としました。「山歩き講座」から若干のシフトを宣言したというわけです。なにが変わるというわけではありませんが、あと5年、続々と70歳台に突入していく方々ともおつきあいしつつ、「中高年」に始まった山歩きの、私なりのまとめをしていきたいと考えています。これについても最近の配布文書として公開しましたので、ご紹介します。
■どうぞ11月3日、お気軽においでください。——2005.10.10 伊藤幸司

■資料1——東急セミナーBE登山教室閉講通知(1995.10.30)
●昨年10月から3カ月を1期として開講した「初めての山歩き」はちょうど1年、4期で終了いたしました。とりあえず閉講のごあいさつをいたしたく、この手紙を書いています。残念ながら当講座と相性の良くなかった方もいらっしゃいますが、それはそれとして全参加者のみなさまにお礼申し上げます。
●閉講の理由は東急セミナーBEによる危機管理の見直しによるもので、講座開設中に生じたことがらによるものではありません。それゆえ閉講にかかわるこのお知らせも講座担当の三好さんによって発送していただけるということになりました。
●最後の講座がおこなわれた9月28日に4期の出席者の方々に、お別れ会に招いていただきました。その折、この登山講座をベースにして伊藤流の山歩きの会をやってみるという結論に達しました。本来はみなさんに早く卒業していただきたいというのが私の立場でしたが、冬の北八ヶ岳と来夏の北アルプスの企画まではなんとか責任を持ちたいということから、けっきょく月1回の、従来どおりの山歩きを、比較的自由な参加条件で続けてみたいという考えに至りました。
●山の会をやるやらないにかかわらず、もともと、了承していただいた方々の連絡名簿をつくって今後の個人的な交流に役立てていただきたいとは考えていました。ですからここではそれに加えて新しい山の会の当面の連絡名簿とさせていただけるかどうかの了解をいただきたいのです。そのお別れ会のあと、約1万1000円の残金をご寄付いただきましたのでそれで名簿が作れます。名簿に記載されることを了承され、今後新しい山の会の案内が届くということに関してOKの方は電話、FAX、郵便などで伊藤までお知らせいただきたくお願い致します。
(9月28日の会に出席のみなさまに関しては、すでに了解をいただいていると考えています。また山の会のかたちについては考え方を決めました。別紙をご覧下さい)
●最後に、何からなにまでやりたいようにやらせていただいた東急セミナーBEと担当の三好 Rさんにお礼を申し上げます。
1995.10.30——伊藤幸司

■資料2——糸の会10年目のお願い——「いとうコーチ」と呼んでください(2005.9.1)
●8月29日、標高3,100mの北穂高小屋での夜のことです。
●チーズ盛り合わせとオリジナルワイン(驚くほど磨き上げたワイングラスがでてきました)を楽しみながらのミーティングでみなさんに相談したことがあります。
●「先生」というのをやめて、そろそろ別のものにしてもらいたいのだけれど……という提案を初めてしてみたのでした。
●生まれて初めて「先生」と呼ばれたのは朝日カルチャーセンター横浜の登山講師になったときですから、1983年11月。もう20年以上前になります。
●もともと愛称や敬称を使うのが嫌いだったので抵抗はありましたが、5人の講師の末席でしたから甘んじて……という状態でした。
●糸の会のみなさんはほとんどが各カルチャーセンターからのおつきあいですから「先生」役が無難な流れになってきており、ごくまれに「いとうさん」だの「いとうくん」、あるいは「リーダー」と呼ぶ人がいるのですが、そちらが違和感を感じるようになっています。
●そろそろ……、と考え始めたのは、やはり糸の会が10年という節目を考えてのことでした。「師匠」と呼ばれるにはちょっと味が不足しているし、「親分」という柄でもないし、「ボス」でもないし……という話をしたのでした。
●相談に乗ってくれたのは(五十音順に)K石川、I稲田、T高松、K能藤、K山川のみなさん。そこで(どなたの発言でしたっけ)「コーチ」という言葉が出たのでした。(確かめたところ、K山川さんが「じゃ、コージは?」といったのに反応して、I稲田さんが「コーチ」と発言したとのこと)
●なんで気づかなかったのだろうか、と思いました。その数日前に日本のプロ野球界にコンディショニング・コーチという役割を確立した立花龍司の話をテレビで見ていました。簡単にいえば野茂英雄を大リーガー・プレーヤーにした陰の立て役者です。かれが「コーチというのは選手を最善の状態でプレーさせる役目」といっていました。加えて、「コーチ」というのは大型4輪馬車に始まってバスや列車の客車の名称となり、「安全に運ぶ」ことから、指導者としての「コーチ」が派生したと語っていました。「コーチマン」というと御者になるそうです。
●じつは山歩きにおける私の役割を、従来型のリーダー/サブリーダーという方法論から距離をとりたくて、ディレクターとかコンダクターという意味をかぶせて位置づけようとしてきたところがあります。う〜んと引いて「世話役」までも視野に入れてきたつもりです。
●しかし、どうも、しっくりこなかった。……なんで「コーチ」という概念に気づかなかったのだろうかと、思ったのでした。
●これからは「いとうこうじ」ではなくて、「いとうコーチ」と呼んでください。糸の会が「伊藤幸司による登山コーチングシステム」としてこれから(何年か)(すこしは)進化していくという確信があります。
●積極的な意味で、初歩的な山歩きにもコーチングシステムがあるべきだ——と語りたかった、のだった、というふうに、視野が開けてきたのでした。「教える」とか「率いる」とか「案内する」とか、ではなくて、安全・快適(すなわち「がんばらない」)状態で計画をすすめながら、みなさんの状態をできるだけいい方向に向けていく役目として機能したい。
●このところ積極的に考え始めた「70歳超」クラスのみなさんへの対応も、コーチングという考え方で進めるべきかと思っています。(これまでは「実験」とか「モルモット」とかいっていましたが……)
●それと、ごく最近、ある人に書いたメールの内容が、私の、糸の会におけるコーチングの原則をはからずも明らかにしていました。ちょっと複雑な内容なので、前後を切り離して、直接関係する部分だけをここでは紹介しておきます。
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●アシストする側にたってお考えいただければ、そこで100%のがんじがらめのアシストが必要なのか、最後の10%のアシストでいいのかがお互いに通じ合えるかというような、(岩登りでのパートナーシップと似たようなことだと考えますが)問題かと思います。
●だから、「前向き」から「後ろ向き」に、さらに「三点支持に」というふうに技術、危険度に対応することによって、おたがいに危険レベル(個人差と、状況差が大きいと考えています)の判断を共有することが必要なのです。事故が起こる前ならかなり有効にアシストできます。それはたかだか10%程度の安全確保の上積みでいいので、難しいことではないのです。(いい例が、だれかが状況を見てあげるだけでも安全度は格段に向上します。直接助けてあげるというような行動をイメージしているとは限らないのです)
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●「10%のアシスト」あたりが「いとうコーチ」の方法論となるのかもしれません。
●すっかり「コーチ」にはまっています。どうかみなさん、「先生」ではなく「コーチ」と呼んでください。お願いします。「いとうさん」でも、もちろんけっこうですけれど。(2005.9.1)


■2005.1013——曽根 Iさんから11.3欠席通知
●栗駒山山行ではお世話になりました。紅葉、黄葉をまた見に行きたくなりました。
●レストラン世嬉の一も趣のある店で、食事も大変美味しく満足しました。
●ところで、11月3日の早稲田での集いは残念ですが欠席いたします。
●当日は先約でセイメイバンという山に行くことになっております。ご了承ください。
●集いのご盛会をお祈りいたします。


■2005.9.12——「糸の会」で検索しやすくなりました。
●8月のお盆明けにYahooに「糸の会」ホームページが新規登録されました。それに続いてGoogleやGooのサイト検索でも「糸の会」で5〜6番目に出るようになりました。……ということは、みなさんご利用のプロバイダーのサイト検索画面に「糸の会」と入力すると出てくる可能性がきわめて大きくなったということです。URL(ホームページのアドレス)を入力せずに簡単に呼び出せますので、できれば周囲の方にもお知らせください。見る人が増えると1ページ目の画面にパッと出てくるようになります。(便利?になるわけです)
●じつはこの作業、手持ちの写真と計画書のデータ整理をそのままホームページにアップしていくというかたちになっています。材料は(私の作業量からすれば)ほとんど無限にありますから、細く長く続けていきたいと考えています。生のデータ羅列にはそういうこちら側の事情もあります。
●加えて、これからは、ホームページ上で「登山コーチング」を展開すべく、いろいろなテーマでこれまでのまとめをしていきたいと思っています。要するに新しい本を書くというのに近い作業を、そろそろしなければ……と考えはじめています。
●それから、皆さんからいただくレターなどを(以前やっていたように)できるだけ公開させていただき、できれば「メールによるコーチング」というところまで進めたいと考えています。(私の態度が、いくらか親切になるという程度にご理解いただくのが適当かとも思います)
●ですから、みなさん、できるだけメールでお願いいたします。個人的で公開不可という場合は明記していただくとして、お名前ですが、指示がなければ「K伊藤」という表記にします。ご指示いただければ仮名でもなんでも。いただいたメールは原則として「そのまま」(ただし見出しや改行など編集的な作業はさせていただきますが、内容には手をふれずに)紹介したいと思います。短すぎるのは困りますが、長いのはオッケイです。よろしくお願いいたします。


■2005.8.7——メールアドレスとホームページをニフティに移しました。よろしくお願いいたします。
●それを機に、ホームページの内容を整えました。以前から国木田さんからいろいろ意見をいただいていましたが、ようやく骨格が整ってきたと思います。もっとも、見せるためのホームページというよりも、データ整理のためのホームページという側面がもともと大きいので、素っ気ないというところはそのまま放置してありますが……。


■2005.8.7——「9e」の立山はやはり「e」でいきます。
●どこかでつぶやいたことがありますが、高い交通費をかけて立山だけというのはもったいない……という気持ちがあって、「9e」にオプションで剱岳を加えるかもしれない、という可能性を考えていました。しかし、「e」の楽しさは山だけでなく、その前後につながる「旅」にもあるということが重要ですから、糸の会にとって不運が続いた剱岳の雪辱戦は、当然、別の機会に、それなりの余裕を持って行うべきだと思うに至りました。したがって、「9e」の立山は標高3,000m級の稜線散歩を純粋に楽しみたいと思います。

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■2005.10.14──T林さんから「10e栗駒山」のエピソードなど
■2005.10.14——T林さんから「10e栗駒山」のエピソードなど
●い・と・う・こ・う・じくん。
●先日は 栗駒山にて 大変 お世話になり ありがとうございました。
●具合が良くない・・などと 思っていたわリには 登っているうちに すっかり 頭痛が 治りました・・のは これ 如何に?
●栗駒・山頂から 思いもかけず T佐藤・お姉さまの 須川温泉に入るんだ! コールで 駆け下りた 1時間!
●ハプニングは多々あれど・・・
<佐藤さんの ストックの 先が 抜けた
佐藤さんが 転んだ
ズボンが ドロドロに なった > エトセトラ。
●須川温泉の 紅葉を 仰ぎ見ての 白濁の 心地よさ。
●そして 至福のとき
<つめたーーーい・びーる。 おまけに わたくしたちは
いわなの 塩・串焼きで 乾杯! 感涙に 咽んだので
ございますよ!>
●おねえさまの 一声あればこその 幸せ・・でした。
●おそるべし・・佐藤さん・パワー・・・・それも 妹分としては 大変に 嬉しい パワーでした。
●駒と 名のつく山は やさしくはありませんか?
●東北の 香や 空の青さは 弘前のそれと なぜか 似ていて きゅんと なってしまいます。
●山は なぜか ふるさとに帰る・・そんな 感じですね。
●最後の 怒涛の 猛・ダッシュまで 本当に 愉しい 2日間を ありがとうございました。
*11月3日を楽しみに して おります。
*どうぞ 先生も どこかで チャンと お眠りくださって たまには ぐうたら お過しくださいませ。

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■2005.10.10──T山本さんからの引退届
■2005.10.10——T山本さんからの引退届
●ご無沙汰いたしております。相変わらずお忙しい日々を送っておられることと存じます。糸の会のホームページ拝見しております。ますます充実の内容に会員の皆様も楽しみにしておられることと思います。
●さて、小生2002年4月の朝日カルチャー登山の会に参加させていただいて以来、3年半の間色々とお世話になり、会社勤めの間には味わえなかった山の楽しみを教えていただき有難うございました。おかげさまで、関東近辺のいろいろな山に登ることができましたし、大台ケ原、霧島、開門岳、鳥海山、白山、磐梯山、立山など遠方の山々にも行くことが出来ました。いい思い出になりました。
●私も古希を迎えてわれながらいい年になったものだといまさらながら歳月の速さに驚いているところです。前々から考えておりましたが、やはり70歳を契機に若いかたがたと一緒に山に登るのは遠慮することにしました。いつご迷惑をかけるかもしれないという愚妻の意見も取り入れることにしました。今後はもう少し軽い旅行もかねた里山程度のところをゆっくり歩いてみようと思います。
●改めて、今までのご指導に感謝申し上げますとともに、糸の会のますますのご発展を祈念します。

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■2005.10.5──K大塚さんが「c伊豆ヶ岳」で転びました

■2005.10.5——K大塚さんが「c伊豆ヶ岳」で転びました
●9.28——昨日はご心配をおかけしました。幸い骨には異常ありませんでしたのでご安心下さい。K大塚
●10.5——手の痛みが治まらないので別の病院で見てもらったら骨折していました。で、10月25日の鼻曲山は欠席します。K大塚
【コーチから注記】
●大塚さんは子の権現から下って青場戸で舗装路に出たところ、滝不動(だと思います)の太鼓橋のコンクリートが苔で覆われていたので滑って転んだのでした。その後下り傾斜の強い道路で再転倒。その最初の転倒で手首を痛めたのはすぐにわかって、皆さんの協力で湿布などしたのでした。痛みの感じでは骨まではいっていないのではないかと思っていたのでした。
●大塚さんは、じつは足にちょっとした不都合があるとのことで下りでつま先加重がしにくいのです。それでときどき転んでいました。さらに悪いことには、ストックの使用が身についていなかった。
●これは現在「c」の主力になっている東武カルチュアスクールの皆さんに共通の問題点なのですが、「超入門」をいいことにして、甘やかしてきたということです。各自が多かれ少なかれ危険に身をさらしているという自覚に欠けている……とコーチがいうのも問題ですが、5年目で東武の講座を廃止したのは、「超入門」にもう我慢がならなかったというわけです。糸の会にきてくれた人にはぜひもっと高くて、大きくて、味わいの深い山を体験してもらいたいと考えていました。
●みなさん長い人はすでに5年半ですから、自分たちの実力をもっときちんと理解して、甘やかされて残っているバラツキの弱いところに直面していただきたい……のです。
●「9b」の日光・燧ヶ岳にR豊田さんが参加しました。「e」ではなくて「b」への参加の理由は、8年ほど前、家族で登ろうとして敗退したからとか。リベンジマッチであったわけです。豊田さんは「超入門」の東武グループの中でもきわめつけの下り下手。やさしい山でも下りになるととたんにブレーキになってしまう人でしたから、もちろんコーチとしては御池へのあの下りが心配でした。燧ヶ岳のいちばんいやな下りです。
●そういういわば「本番」で豊田さんはよれよれになっていましたが、みごとに完走。立派でした。じつはちょっとずるい手を使いましたが、本気になれば驚くほど潜在力がある……ということを実証できました。その醍醐味をみなさんに知ってもらいたいと思っています。
●大塚さん、元気になったらダブルストックの特訓をしましょう。驚くほど安全になりますから。

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■2005.10.3──R豊田さんから——武蔵小金井の「名医」について

■2005.10.3——R豊田さんから武蔵小金井の「名医」について
●以前から主人が、膝の調子が悪く、今日は、先生ご推薦の面高先生のところに連れてまいりました。
●早速治療をしていただいて、とても助かりました。又、痛くなったら来なさいという言葉に、ちょっと安心いたしました。
●待合室で、以前東武カルチュアでご一緒だった山本さんにお会いいたしました。大分お元気になられたようです。
【コーチから注記】
●面高先生という人は、整形外科にはめずらしくリハビリをしたくないらしいのです。ひとつの症状が深い根をもっているというふうには扱わなくて、とりあえずひとつの症状を1回の治療で解決しようとします。仕事を一面的に考えようとするわけです。だから遠くの人でも行ってみるだけの価値があるかもしれないということなのです。セカンドオピニョンとしては重要です。
●ただし、それについて、朝日カルチャーセンター千葉の受講生の後藤先生(循環器?)によれば、鎮痛剤などで1週間痛みを抑えておくあいだにできるのは機能回復なので、面高先生の口調にある「良くなった」とは理解しない方がいいとのこと。かつて矢野博子さんが安心して動かしすぎてかえって悪くしたという例もあります。治療はあくまでも一面的であり、それを突破口にしていい方向に流れをつくるという理解の仕方が適当かと思います。

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■2005.9.25──H矢野さんから「コーチ」について

■2005.9.25——H矢野さんから「コーチ」について
●残暑厳しかった 今年の夏もそろそろ終わりになりつつあり ホッとしてます。
●早速ですが、9月27日の資料頂いたのですが、残念ながら家人、体調崩し、外出できなくなりました。月に一度山の空気を吸うことは 私の何よりの脱日常で、次の一ヶ月働くエネルギ−の元なのですが、また山へ行ける環境になったら 参加いたしますので ヨロシクお願いします。
●”いとうコ−チ”という呼び方、一番自然な感じです。他の方が”先生”と呼んでいましたが、何か私は 違和感を感じていました。”先生”というのは、小学校の先生のように ”全員、右向け 右!”という強制的な匂いがするからあまり好きでありません。私の望むコ−チ像は ONE POINT ADVISE を各人にレベルに合わせて与えてくれる人です。そして 一般論に振り回されないポリシイのある人です。(これは 十分 クリアされていると思いますが・・(笑))
●おしゃべりが長くなりました。隙間をぬって参加します。

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■2005.9.25──燧ヶ岳の帰りの電車で「行きたい山」の希望メモがまわってきました

■2005.9.25——燧ヶ岳の帰りの電車(1831会津高原→2204浅草)で、「行きたい山」の希望メモがまわってきました
●K山川さん、T高松さん、R豊田さんのブースから次のような山名メモがまわってきました。
●従来はそういう希望を聞いた場合、もし次のスケジュールに入らないと「忘れられた」とか「拒否された」とか思われるといやだ……という気の弱さから「聞かない」ことにしていたのですが、「コーチ」と呼ばれる以上、みなさんの「ご要望」にも耳をかたむけつつ考えるという姿勢をもたなければいけないとも思います。
●その「山行リクエスト」は——聖岳+光岳、皇海山、飯豊連峰、恵那山、薬師岳、西穂高岳〜槍ヶ岳
●それにK岡田さん、S内藤さん、K河田さんのブースで書き加えがありました。荒川岳+赤石岳、塩見岳、野口五郎岳、黒部五郎岳、戸隠山、八海山、石鎚山+剣山、大山、鳥海山+月山
●まあ、みなさん、難しいところをご希望なさる。
●すでに寝袋を購入していただいた方に「来年は飯豊連峰をやります」と約束しています。夏か、秋にできれば縦走で、と考えてはいるのですが、ヘビーすぎるかなとも。2泊でも山の大きさはわかりますから。
●それから「西穂高岳〜槍ヶ岳」はいまや一般ルートになりつつありますが、糸の会ではやりません。ご希望の方は岩登りのきちんとしたトレーニングを受けて、できればきちんとしたガイドシステムによってトライしてください。本場アルプスの登山と同様に考えていただくのが安全で実りも多いかと思います。その代わり、糸の会では来年かその次に前穂高岳往復と西穂高岳往復を初級レベルでやるつもりです。
●……ということですから、ご希望など、ありましたらお知らせください。オープンにして「善処する」という方向で……

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■2005.9.1──糸の会10年目のお願い——「いとうコーチ」と呼んでください

●8月29日、標高3,100mの北穂高小屋での夜のことです。
●チーズ盛り合わせとオリジナルワイン(驚くほど磨き上げたワイングラスがでてきました)を楽しみながらのミーティングでみなさんに相談したことがあります。
●「先生」というのをやめて、そろそろ別のものにしてもらいたいのだけれど……という提案を初めてしてみたのでした。
●生まれて初めて「先生」と呼ばれたのは朝日カルチャーセンター横浜の登山講師になったときですから、1983年11月。もう20年以上前になります。
●もともと愛称や敬称を使うのが嫌いだったので抵抗はありましたが、5人の講師の末席でしたから甘んじて……という状態でした。
●糸の会のみなさんはほとんどが各カルチャーセンターからのおつきあいですから「先生」役が無難な流れになってきており、ごくまれに「いとうさん」だの「いとうくん」、あるいは「リーダー」と呼ぶ人がいるのですが、そちらが違和感を感じるようになっています。
●そろそろ……、と考え始めたのは、やはり糸の会が10年という節目を考えてのことでした。「師匠」と呼ばれるにはちょっと味が不足しているし、「親分」という柄でもないし、「ボス」でもないし……という話をしたのでした。
●相談に乗ってくれたのは(五十音順に)K石川、I稲田、T高松、K能藤、K山川のみなさん。そこで(どなたの発言でしたっけ)「コーチ」という言葉が出たのでした。(確かめたところ、K山川さんが「じゃ、コージは?」といったのに反応して、I稲田さんが「コーチ」と発言したとのこと)
●なんで気づかなかったのだろうか、と思いました。その数日前に日本のプロ野球界にコンディショニング・コーチという役割を確立した立花龍司の話をテレビで見ていました。簡単にいえば野茂英雄を大リーガー・プレーヤーにした陰の立て役者です。かれが「コーチというのは選手を最善の状態でプレーさせる役目」といっていました。加えて、「コーチ」というのは大型4輪馬車に始まってバスや列車の客車の名称となり、「安全に運ぶ」ことから、指導者としての「コーチ」が派生したと語っていました。「コーチマン」というと御者になるそうです。
●じつは山歩きにおける私の役割を、従来型のリーダー/サブリーダーという方法論から距離をとりたくて、ディレクターとかコンダクターという意味をかぶせて位置づけようとしてきたところがあります。う〜んと引いて「世話役」までも視野に入れてきたつもりです。
●しかし、どうも、しっくりこなかった。……なんで「コーチ」という概念に気づかなかったのだろうかと、思ったのでした。
●これからは「いとうこうじ」ではなくて、「いとうコーチ」と呼んでください。糸の会が「伊藤幸司による登山コーチングシステム」としてこれから(何年か)(すこしは)進化していくという確信があります。
●積極的な意味で、初歩的な山歩きにもコーチングシステムがあるべきだ——と語りたかった、のだった、というふうに、視野が開けてきたのでした。「教える」とか「率いる」とか「案内する」とか、ではなくて、安全・快適(すなわち「がんばらない」)状態で計画をすすめながら、みなさんの状態をできるだけいい方向に向けていく役目として機能したい。
●このところ積極的に考え始めた「70歳超」クラスのみなさんへの対応も、コーチングという考え方で進めるべきかと思っています。(これまでは「実験」とか「モルモット」とかいっていましたが……)
●それと、ごく最近、ある人に書いたメールの内容が、私の、糸の会におけるコーチングの原則をはからずも明らかにしていました。ちょっと複雑な内容なので、前後を切り離して、直接関係する部分だけをここでは紹介しておきます。
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●アシストする側にたってお考えいただければ、そこで100%のがんじがらめのアシストが必要なのか、最後の10%のアシストでいいのかがお互いに通じ合えるかというような、(岩登りでのパートナーシップと似たようなことだと考えますが)問題かと思います。
●だから、「前向き」から「後ろ向き」に、さらに「三点支持に」というふうに技術、危険度に対応することによって、おたがいに危険レベル(個人差と、状況差が大きいと考えています)の判断を共有することが必要なのです。事故が起こる前ならかなり有効にアシストできます。それはたかだか10%程度の安全確保の上積みでいいので、難しいことではないのです。(いい例が、だれかが状況を見てあげるだけでも安全度は格段に向上します。直接助けてあげるというような行動をイメージしているとは限らないのです)
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●「10%のアシスト」あたりが「いとうコーチ」の方法論となるのかもしれません。
●すっかり「コーチ」にはまっています。どうかみなさん、「先生」ではなく「コーチ」と呼んでください。お願いします。「いとうさん」でも、もちろんけっこうですけれど。(2005.9.1)

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■2005.8.25──ホームページのアドレス(URL)が変わりました

■ホームページのアドレス(URL)が変わりました。
●糸の会のホームページは中途半端な状態でず〜っと続いてきましたが、ようやくベースが固まりました。じつはいまこの原稿を書いている「クォークエキスプレス」という印刷業界標準のページレイアウトソフト(ワープロよりメチャメチャ精密なレイアウト作業が可能です)で同じようにHTML文書として書いていたのですが、それをテキストファイルに変換して、WWWブラウザーの画面で見て、またクォークエキスプレスで書き直してという面倒くさいことをしてきました。
●そこに、たまたま別の理由から「Jエディット」というエディター(ワープロよりシンプルな入力性能に特化したソフト。エディターといえば昔はメチャクチャ高速でしたが、いまはそうでもないみたい)を導入したところ、HTML文書を直接書くのにも便利だということがわかったのです。書きながら仕上がり画面を簡単にチェックできるようになりました。
●もちろん、ホームページをつくる専用のソフトもあることは知っているのですが、書籍の編集者の片割れとして、あくまでも書籍編集の延長線上でホームページもつくりたいと考えたのです。
●その途中で、小学館とNEC系のプロバイダーBIGLOBE(ビッグローブ)の提携によるインターネットマガジン「おとなのたまり場ボンビバン」というので「もういちどカメラ——撮る・見る・創る」(オリンパス提供)の執筆を担当しました。立ち上がりの段階だったので、デザイナーとの企画会議にも顔を出して、これまでいささかバカにしていたインターネットの表現力を再認識しました。文字と絵のページが重層的に配置されて自由にめくれることによって平面が奥行きをもち、一方で、音と動画がリアルタイムの時間の流れに読者を縛り付けることもできます。いわば4次元の表現をも可能にするのです。テレビなどとは比べものにならない表現力を備えていることがわかったのです。(サイト検索で「ボンビバン」と入れると出てきます)
●でも、絵の置き方やら文章の文字数など、「見やすさ」などという見る人を小馬鹿にしたいろいろな制約によってインターネット的表現は呪縛されつつあるようで、いわば雑誌のタイアップ記事を並べたようなテイストになっていました。
●私がやりたいのはもっと図書館的、博物館的、屋根裏倉庫的なもので、個人のものとしては膨大な量のテキストと画像をできるだけナマな状態のまま保管し、閲覧できる状態にしたいというとことでした。
●だから「糸の会」のトップページも素っ気ない作りです。いまは見せ方よりも、作り方のほうの合理性を追求していまして、いわば山歩きの資料の整理がそのままホームページのコンテンツになるようなかたちに合理性を求めています。
●ただ、あまりにもマイナーなのでサイト検索で出てこないのが悩みでしたが、最近 Yahoo!(ヤフー)のサイト検索で「糸の会」と入れるとバンと出てくるようになりました。計画書と写真を整理しながらできるだけたくさんの山歩き情報を保存していく段階になりました。
●参加された山歩きの【結果】欄や写真解説欄に書き加えたいものがあるかたはぜひお知らせください。署名入りで掲載させていただきます。(公表されては困る部分については「ダメ」と明記してくださればまもります。名前についても同様です。なお会員内での閲覧が好ましいものについては「会員欄」に掲載します。よろしくお願いいたします。

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■2005.8.25──糸の会案内

●糸の会は日帰り登山を基本にして、できれば山小屋泊まりの山歩きも楽しみたいという人のための講習会です。
●行動時間枠を目安にしたグレードを設定しました。自分に合ったものを選びながら、夏には高い山に、冬には雪景色の山にチャレンジしていただきます。
【a】…標準的な日帰りで第2土曜日に実施。
【b】…「a」の小屋泊り版で第4土曜とその翌日に実施。
【c】…「軽量」の日帰りで第4火曜日に実施。
【d】…「軽量」の日帰りで第3火曜に実施。
【e】…「c」「d」の1泊2日版。入門編で「70歳前後対応」とお考え下さい。第2火曜日とその翌日に実施。平日ですから宿泊環境がいいので、山麓の温泉宿(山小屋宿泊料金程度の宿)に前泊して軽い山歩きというイメージです。
*なお、温泉旅館やペンションをチェックしますので、参加可能な方は早めにお知らせ下さい。とくに洋室のペンションなどの場合、宿泊人数が限られる場合があります。こちらもおおよその人数を目安にしてできるだけおもしろい(さびれた……という演出も含めての)宿を探したいと考えています。
【s】…特別企画、「b」のグレードアップ版。
●計画のグレードはおおよそ、行動時間を目安としますが、現地での行動テーマの設定もちがいますから、それについては各計画書でお確かめください。
【a】…山手線駅08時集合→18時下山(行動枠約10時間)
【b】…長い場合04時出発→18時下山(行動枠約14時間)
【c】…山手線駅09時集合→16時下山(行動枠約7時間)
【d】…山手線駅09時集合→16時下山(行動枠約7時間)
【e】…登りの目安を高度差で毎時250m以下というゆっくりペースにしてみます。下りも余裕のあるスケジュールにしておきます。
【s】…実験的な要素を含みますから、参加者を特定する場合があります。とくに岩場の通過技術やザックの重さに対するパワーなどを計算できるメンバーでチームを組みたいと思います。
●糸の会への参加には資格や制限はありませんが、年度会員になっていただくことが前提です。
●2004年度と同じですが、年度会費は10,000円。ただしその10,000円は最初の1〜2回分(あるいは「☆」印の予約分)として参加費に充当させていただきます。会員をその年度の実働メンバーとしたいのです。(年度末に参加費として落とせなかった残額があれば、会費残金として頂戴します)
●会員の方には糸の会通信をお送りしますので、各山行については参加希望(○印)、あるいは関心のあるもの(△印)があればお知らせください。計画書を作った段階でその方々にお送りします。その参加希望状況はホームページに掲載してありますので、確認していただけると安心です。
●はじめて申し込まれる方は、お名前、ご住所のほか、電話(ファクス)、生年月日、血液型が必要です。
●保険は会員のみなさんには原則として三井海上のハイキング保険(年間3,000円のものでけっこうです)を個別にかけていただきます。三井海上のハイキング保険申込みは電話03-3755-9718かファクス03-3754-7566へ直接資料請求してください。
●当初は計画ごとに団体保険をかけていましたが、現在では伊藤側では保険はいっさいかけていません。事故に対しては(個人行動にも適応できるよう)各自で自衛していただくことを前提にしています。ご了承下さい。
●講座料や写真代金の振込のために糸の会では「通常払込料金加入者負担」という郵便振替用紙を用意していますが、これは料金を差し引かれて届くというだけのこと。郵便局備え付けの用紙で振り込んで下さる場合には、料金(1万円以下=70円、10万円以下=120円)を差し引いた金額をお送り下さい。気がつけば、こちらでも処理しますが。
●山行リストのうち参加希望(予約一覧に○印がつきます)、あるいは計画書を見て検討したいもの(△印がつきます)をあらかじめまとめて教えておいていただけば、計画書ができた段階でお送りします。最終的な出欠については、前日までに電話・ファクス・電子メールで連絡いただければさいわいです。当日持参する正確な参加者名簿が作成できます。△が○に、あるいは○が×になります。
●旧来の参加費払い込み済みの「◎」印はできるだけ使わないようにします。従来「◎」にしていたところを「○」とし、計画終了後に参加費精算という方式に一本化します。払い込まれた参加費はいったん「残金」にプールして、単に「○」とさせていただきます。
●しかし、半期ごとに参加予定の山行を「完全予約」しておきたいという方もいます。私がすすめる「月イチ」の山行をしていただくために「☆」組を設けます。【a】と【d】と【c】(混在可)、あるいは【b】と【e】(混在可)を3回分「キャンセル時返金なし」として申し込んでいただく場合、「☆」印になります。その際の参加費は「2回分」(【a】【d】は10,000円、【b】【e】は20,000円)となります。その3回分は半年のリスト内ならどういう組み合わせでもよく、何セットでもけっこうです。(事前であれば)申し込みの時期も問いませんし、組み合わせの変更も可能です。
●「☆」は(事前であれば)申し込みの時期も問いませんし、組み合わせの変更も可能です。糸の会側の事情で「残金=?円+日帰り☆印1個分」などとなる場合も生じてきました。変更自由度は高くしてありますので、年度末(3月)までにクリアしてください。残っても次年度には繰り越せません。
●講座料は、講師側の経費などを含めて、以下のとおりになります。
日帰りの【a】【d】…5,000円。
小屋泊まりの【b】【e】【s】などは1日あたり5,000円。
【s】などで、単なる前泊がある場合は、日数に含みません。
なお世の中でいう最少催行人数は、日帰りでは2人、宿泊山行の場合は3人と考えています。
●参加者各人の登山にかかる現地の費用は各自清算、ないし均等割り支払いが原則です。なおタクシー料金を精算する人は念のため領収書を受け取っておいてください。乗車した車が特定できますから、忘れ物などの場合、役に立つことがあります(領収書の保存の義務はありません)。
●原則的にキャンセルは自由と考えていただいてけっこうです(集合場所に来ない方はキャンセルとみなして探索しません)。キャンセルとなった場合は講座料を「残金処理」として繰り越しますので、その後の講座料、写真代金などに当てていただけます。
●「現地費用は各自精算」で「キャンセル自由」が原則ですが、山小屋ではなく旅館を利用するものについては旅行代理店に手配を頼むことが多くなるかもしれません。その場合は通常のパッケージツアーの場合と同じく、キャンセル料金が発生する場合があります。旅行代金を代理店に振り込む場合には、ご注意ください。
●また写真代金などを「残金処理」することによって残金が▲(マイナス)になることがありますが、あくまでも当方のデータ記入を一括処理したいために生じる前後逆転ですので、気を悪くなさらずに。次の機会に帳尻を合わせていただければけっこうです。会計記録は原則として山行計画書や写真の送付時に同封しますのでご確認ください(かなりの計算ミスが発生しています。監視の目を怠らないように……)。残金処理に関してはいつでも全データをプリントアウトすることができますし、返金できますのでお知らせ下さい。

■会員登録に当たってのお願い
●糸の会に始めて参加される方は、最初は【d】(あるいは【c】)か【a】にご参加下さい。相性ということもありますから、最初の回は参加費のみの「特別参加」というかたちでもけっこうです。糸の会はあくまでも初心者対応の講習会と考えています。【d】から参加して、ゆっくりと装備を整え、夢をふくらませていくという方の新規参加を期待しています。
●それから、保険の件です。最近はあまりチェックしていないので不安なのですが、会員のみなさんにはハイキング保険(あるいは山岳保険)に入っていただくことを前提にしています。いざというときに迅速にヘリを呼び、救助隊を要請できるための保険ですから三井のハイキング保険の最低価格のものでけっこうです。これは救命という意味での初動に大きな役割を果たしてくれるはずです。糸の会でまとめてという方法をとらずに個人加入にしているのは、みなさんの年間のすべての山歩きに対応できるように、という考えからです。
●……で、不幸にして事故が起きた場合の傷害・生命保険部分は低額ですし、保険がどこまでカバーしてくれるかという問題も生じてくるかと思います。それはほかの保険で補っていただくよう、チェックしておいていただきたいのです。
●また、健康状態や当日の体調については各自責任を持って管理していただくのが原則です。……が、不安がある場合には伊藤までお知らせください。100%の配慮ができるかどうかわかりませんが、【d】や【e】はそのような状況に積極的に対応できる計画、という了解の上で、みなさんに参加していただいていると考えています。【a】などについては、ときにハードな設定になっていますから、計画書を見た上で、当日の体調など不安があれば無届けで欠席していただいてもけっこう、という考え方をしています。

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■2005.8.25──山の報告(2005.3-8_終了分)

376…3e…3.8/09(火水)
■蔵王+蔵王温泉…東北新幹線
【計画】蔵王の樹氷地帯をスノーシューでぺったん、ぺったん歩きますが、基本はロープウェイやリフトで登って急斜面の樹林を下ってくるという雪遊び。蔵王温泉にはいいペンションもあるようですからそのあたりも探してみます。
●参加——
●——試験的にJTBの団体セクションと連携したのですが、結果的にはあまりうまくいかないということが明らかになりました。30人、50人の団体だとあちらも力を発揮する場ができたのでしょうが。
●アタリは観光協会で貸し出している輪カンジキ。蔵王温泉では借りられるスノーシューがほとんどなく、やむなく500円の輪カンジキだったのですが、それがみなさんに好評。私のMSRのスノーシューをつけた永田妹(?)嬢が急斜面で悪戦苦闘していたのもそれを助長したようです。(私? 輪カンジキをはいていました)
●天気は1日目が濃霧と強風でどうしようかと思ったけれど、2日目は快晴と強風で、樹氷林をさまよい歩くには最高の天気に。電車ごっこスタイルで先頭の運転手が好きなルートを選んで進むという行き当たりばったりの下り、時々気まぐれに登り。八甲田とは比べものにならないスケールを存分に楽しみました。

377…3a…3.12(土)
■小野子山…JR上越線
【計画】以前、子持山から小野子山へとつなげた計画をして、子持山を下ったところでギブアップ。今回はその後半の小野子山です。十二ヶ岳というのを抜けていくつもりです。
●参加——
●合計56ポイント——雪がかなり積もっていて、それも表面の皮が固くなった饅頭みたいな状態で、雪のおかげで歩きやすいというのとはちょっと違っていたのです。
●本格的な登りにかかるころ下ってきたグループが頂上に届かなかったとか。私たちもけっきょく頂上までは行ったものの、先に進んだら確実に暗くなるということで、引き返しました。

378…3d…3.15(火)
■三筋山…伊豆急行
【計画】伊豆の稲取から入ります。春の伊豆の軽い山歩き。おいしい魚を食べられたらいいですね。
●参加——
●——伊豆急行稲取駅から山に向かって直接歩き出しました。目指す山の入口にはまだ開かれていない山菜取りの受付があり、その先は黒く焼かれた草原になっていました。大きな海と空を堪能できる山でした。

379…3b…3.26/27(土日)
■雲取山+三條の湯…JR青梅線
【計画】3月に飽きるほど繰り返した雲取山……です。でもやはり雪の一番深いこの時期が歩きやすいし、富士山はきれいだし、やっぱりいいんです。飽き飽きした人も多いでしょうが、今回は「e」に近い入門編として後山林道から入って三條の湯に泊まり、奥多摩側の長い尾根をゆっくりと下ります。
●参加——
●合計120ポイント——三条の湯に向かう林道がそろそろ終わりになるあたりで、正面に飛龍の白い稜線が見えてきました。さすがに雪はそれほどではありませんでしたが、歩きやすい程度には残っていて、意外に(というか計算どおりに)軽く歩くことができました。

380…4a…4.9(土)
■二子山…西武秩父線
【計画】石灰岩の岩稜がすばらしいスリルな体験をさせてくれます。これをスリルと感じる人と、恐怖と感じる人とで岩好きかどうかを判定できるのです。初歩的なクサリ場で伊藤流の歩き方を教わっている人なら初級の人でもだいじょうぶです。高度感のある数時間を堪能できます。
●参加——
●合計33ポイント——久しぶりに二子山に登ってみると、あちこちに立派なクサリがついていました。石灰岩でホールド、スタンスがふんだんにあるのがこの山のいいところなので、できれば控えめに、という気持ちでした。

381…4e…4.12/13(火水)
■八幡平+後生掛温泉…東北新幹線
【計画】スノーシュー・トレッキングです。温泉は後生掛にしようか、奧の蒸ノ湯にしようか迷うところですが、ともかく、まだ雪の八幡平です。
●参加——
●——温泉と軽いスノートレッキングという計画でした。後生掛温泉までは通年通行可能ということで冬期最奥の温泉宿。なかなか多彩な湯治ワールドを堪能。2日目は深い霧で、平ったい八幡平ではルートを探るので精一杯という状態。スリリング(?)なレンタカーで帰りがけに玉川温泉に立ち寄ろうという計画は国道が開通していなくてパス。戻る途中の湯瀬温泉ではからずも贅沢三昧の風呂に入ることができました。

382…4d…4.19(火)
■嵩山…JR吾妻線
【計画】「11a」で初めて行きました。登山の山ではなくて観光地化しているのですが、それでもなかなかおもしろかった。ようすがわかったので【d】でやります。小さな山ですが印象に残ります。鹿沼の「岩山」と甲乙つけがたいという感じでしょうか。
●参加——
●合計16ポイント——予想どおり、なかなか楽しい山でした。体格測定装置のある岩のところで往生していた人もありました。

383…4b…4.23/24(土日)
■火打山(妙高)…JR信越本線
【計画】さて、残雪がプラスと出るか、マイナスと出るかですが、高谷池ヒュッテが使えるので行ってみてのお楽しみとしておきましょう。火打山には登れると思いますが、妙高まで回れるかどうかは行ってみて……ということに。
●参加——
●合計78ポイント——とにかく雪が多かった。冬道が雪崩の危険で止められて、夏道のある斜面を勝手に登りなさいという状態。小屋開きの宿泊客はほとんどがスキーヤーで果敢に火打山に登っていきましたが、私たちは黒沢岳の稜線をたどって下り、十二曲りの急斜面を尻制動で一気に突破。京都の車に拾われて下山となりました。

384…4c…4.26(火)
■御前山…JR青梅線
【計画】じつはカタクリをねらった御前山は一度も成功していません。今回はどうでしょうか。新設の【c】は超軽量級ですから、最短コースということにしておきます。
●参加——
●合計58ポイント——カタクリはありました。……が、日が出なかったので花はほとんど開いていませんでした。新設の「c」って「a」みたいという声もありましたが、なにごともなく。

385…5e…5.10/11(火水)
■吾妻連峰+微温湯温泉…東北新幹線
【計画】まだ車では上がれないので、風情いっぱいの「ぬるゆ」温泉泊まりにして、雪道を日帰りで浄土平往復、できれば吾妻小富士ぐらいは、という温泉+軽い日帰りという標準的な【e】を考えています。
●参加——
●——微温湯温泉は31度Cとかのぬるすぎるお湯がド〜ッと流れている湯船でした。ほとんどスイミングプールに浸かっている状態ですが、不思議に重力が奪われ、時間が奪われ、瞑想に浸っているような気分になるのです。流れる水の中で静寂を感じるがごとき境地……でした。
●山は1日目の霊山が変化に富んでいてアタリ。本番の吾妻山は吾妻小富士に登って、一切経山に転戦。五色沼を見下ろしたところで、引き返してきた人があり、不動沢まで下るとなると雪がやっかいそうということでUターン。

386…5a…5.14(土)
■二十六夜山…富士急行線
【計画】今倉山から道志の二十六夜山です。新緑の時期をねらっていますが、まあ地味な山ですから。
●参加——
●合計53ポイント——地味でしたが、新緑のなかなか美しい山でした。

387…5d…5.17(火)
■荒船山…上信電鉄
【計画】新緑の荒船山です。タクシーの使い方を考えなければいけないのですが、荒船不動から軽い登りで舳先にあたる経塚山に至り、艫岩から長い下りを選んで、相沢経由で荒船の湯まで歩こうかと思います。
●参加——
●合計45ポイント——ジャンボタクシーを使うために高崎駅から直接登山口へ。荒船の湯まで歩きました。

388…5c…5.24(火)
■天城山…JR伊東線
【計画】ご存知、シャクナゲの天城です。今年はどうでしょうか。ルートもいつもと同じです。花芽の状態を確認していませんが、《シャクナゲ・シリーズ2005》の第一弾ということになります。
●参加——
●合計67ポイント——シャクナゲ第1弾は大当たりでした。別名「冥土への土産」シリーズがドンピシャというすばらしい花見になりました。

389…5b…5.28/29(土日)
■甲武信岳…JR中央本線
【計画】《シャクナゲ・シリーズ2005》の第二弾。シャクナゲですから十文字小屋泊まりにしたいと思っています。それから甲武信岳から西沢渓谷への戸渡尾根もシャクナゲのトンネルを期待できます。たっぷり歩けるルートでもあります。
●参加——
Noble、能藤 兼男、溝上 京子
●合計93ポイント——十文字峠のシャクナゲはまだ堅いつぼみでした。が、カモシカ展望台への道には満開のみごとなシャクナゲもありました。ちょっと早かったというわけです。2日目の戸渡尾根の下りはシャクナゲのトンネルになりました。

390…5s…5.31/6.1/2/3(火水木金)
■屋久島…屋久島空港
【計画】《シャクナゲ・シリーズ2005》の第三弾は屋久島です。すでにお知らせしているように、稲垣節代さんがシャクナゲの花芽がいっぱいついていることを確認しています。当たり年は間違いないところです。時期が問題ですが、5月29日が地元で設定した「シャクナゲ登山」の日ですから、計画としてはベストかと思います。
●ただ、屋久島はすでに2回やっているので今回は成立するかどうか。ご希望の方は早めに意思表示していただけるとさいわいです。足はスカイマークエアラインの割引チケット「スーパー前割49…11,000円」+屋久島行き飛行機で、往復4万円前後かと思います。それと宿に2泊(合計約20,000円)。もう1泊は避難小屋です。飛行機チケットの手配を確実にするためには3月31日に購入したいところです。
●今回は白谷雲水峡から小杉谷に抜け、屋久杉地帯を抜けて縄文杉を経て新高塚小屋へ。2日目は宮之浦岳から永田岳を経て永田歩道を永田浜へと下ります。したがってウミガメの産卵はその夜歩いて見に行くことができます。1日目の午後と、3日目の午前中をどうするかは人数が見えてきてから考えましょう。行動レベルは前2回とほぼ同じかと思います。
●参加——
●合計150ポイント——2日目に縄文杉を越えるとすばらしいシャクナゲの森になりました。ところが夜から激しい雨になり、朝になってほとんど嵐に。行けるところまで行こうという気持ちでしたが、宮之浦岳はパスして永田岳に。飛ばされそうな風に、真横から打ち付ける雨粒が、まるで雹、霰のように雨具の上から打ち付けてきました。
●進むか、戻るかで悩んだ末に、滝のような道を下り、鹿之沢小屋へ。ここでゆっくりと食事をとり、休憩して、渡渉のない花山歩道へ逃げることにしたのでした。
●小屋から下はもう樹林帯でしたから嵐の影響は小さくなって、あとは明るいうちに林道に出られるかという問題だけになりました。
●かろうじてライトをつけずに林道に出られたし、その直前に携帯電話が通じるという幸運に恵まれたものの、「現在林道へは入れません」という返事。しょうがないから国道に出たところに車(バス)を待たせておいたら、着いたのが9時。島を3/4周して宿に着いたのが11時半、夕食が4日目の午前0時からとなりました。
●その4日目はまた高価な交通費を払って2/3周ほど戻っていわさきホテルで昼食。帰りがけに庭園周回のバギーを借りられることになって、なんとホテル専用の滝見物まで。ただし高明さんが足の負傷で別行動となりました。

391…6a…6.11(土)
■高山…東武日光線
【計画】なんでまた高山にしたかったのか、もう忘れていますが、たぶん新緑のカラマツの高山ということだったかと思います。小田代ヶ原も戦場ヶ原もみずみずしい季節かと思います。
●参加——
●合計39ポイント——じつは6.4-5に中禅寺湖の南岸がすばしいシロヤシオ(ゴヨウツツジ)の乱舞だということがわかっていたのですが、高山ももちろんシロヤシオの乱舞にアズマシャクナゲ。下った千住ヶ浜ではクリンソウと花尽くし。仕上げは仕込みの遅い風呂付きレストランでのんびりして、やむなくJRでなんとか東京へ。

392…6e…6.14/15(火水)
■天城山+湯ヶ島温泉…伊豆箱根鉄道→【変更】十文字峠
【計画】《シャクナゲ・シリーズ2005》の第四弾の天城です。湯ヶ島温泉から天城峠に出て、天城山縦走という爽快な1日になるかと思います。
●参加——
●合計57ポイント——「5b」で毛木平のベニバナイチヤクソウと十文字峠のシャクナゲが早かったので、計画を伊豆から急遽変更。清里の清泉寮に泊まって、1日目は入笠山のスズラン(すばらしかった)、2日目は三国峠から十文字峠へ出て毛木平へ。第1陣のシャクナゲはもう終わっていて、第2陣がフレッシュな状態。毛木平はベニバナイチヤクソウの絨毯という感じでした。

393…6d…6.21(火)
■吾妻耶山…JR上越線
【計画】花を期待しての吾妻耶山ですが、どうでしょうか。緑の稜線をたらたらと歩いた末に、谷川岳の展望台が山頂です。当たればいろいろな花が見られると思うのですが。
●参加——
●合計39ポイント——ここの花は雪解け直後が新緑にまさるという結論になりましたが、偶然のことからモリアオガエルのタマゴを多数発見。静かな山を楽しみました。

394…6b…6.25/26(土日)
■八ヶ岳…JR中央本線
【計画】この時期の八ヶ岳なら横岳の稜線に行かなくてはならないでしょう。そしてできれば権現岳へ。どこの小屋に泊まるかですね。八ヶ岳のすばらしい花の季節を楽しみたいと思いますが、計画はおおよそのメンバーが見えてからに。《シャクナゲ・シリーズ2005》の第五弾となります。
●参加——
●合計107ポイント——硫黄岳のコマクサも横岳の花畑も気持ち早かったようですが、1日目は花の旅。赤岳天望荘に泊まって、2日目はキレットを越えて権現岳へ。クサリとハシゴとザレ場とを堪能。閉じているキレット小屋脇のコマクサ畑にみごとな白花。
●権現からの長い下りで、まるまる1時間以上もハエアブとかにまとわりつかれて、全員10か所、20か所という噛み傷。

395…6c…6.28(火)
■羅漢寺山…JR中央本線
【計画】甲府の昇仙峡の裏山歩きという感じになるかと思います。軽くのんびりと歩きましょう。ドラマチックな光景もありますし。
●参加——
●合計47ポイント——昇仙峡遊歩道の最終地点というべき長潭橋から対岸に渡って、草に覆われた道をのんびりと。途中で木イチゴが鈴なり、桑の実も鈴なりという幸運もあって、トクした気分の1日でした。

396…7a…7.9(土)
■大岳山…JR青梅線
【計画】大岳山はいまや【d】でも【c】でもできますが、久しぶりに奥多摩駅から鋸尾根を登ります。いくぶんハードな【a】になるかと思います。
●参加——
●合計59ポイント——鋸尾根には上級コースという雰囲気があって、行き交う登山者がみなさんそれぞれいかにも健脚。こちらも健脚だぞという顔つきでひたすら歩きました。

397…7e…7.12/13(火水)
■秋田駒ヶ岳+乳頭温泉…東北新幹線
【計画】《シャクナゲ・シリーズ2005》の第六弾。真打ちです。10月に紅葉の秋田駒ヶ岳で鈴なりの花芽を見てから2005年はシャクナゲを見逃すまいと考えはじめました。乳糖温泉の湯めぐり+シャクナゲ三昧の軽い山歩きという考え方です。
●参加——
●合計54ポイント——1日目は乳頭温泉の入浴ハイク。2日目のシャクナゲはまだちょっと時期が早くて残念でしたが、火山礫の斜面に咲く無数のコマクサと緑の急斜面には驚くほどたくさんのシラネアオイ。とにかく花いっぱいの山でした。
●一部メンバーは岩手から夜行バスとして、南部どぶろく屋へ。

398…7d…7.19(火)
■草津白根山…JR吾妻線
【計画】コマクサの草津白根です。夏らしい山歩きを楽しんで、草津温泉に下つもりです。ゆっくりと、軽めに歩きたいと思います。
●参加——
●合計33ポイント——地元の小学生たちが植えて増やしてきたというコマクサはちょっと遅かったけれど、まだコマクサいっぱいという状態ではありました。
●時間を間違えて飛び出してきた福田さんとは帰りが一緒という感じ。

399…7s…7.22/23/24(金土日)
■空木岳…中央高速バス
【計画】今年の目玉のひとつとして、なかなかやれなかった中央アルプスの空木岳をやります。南アルプスの塩見岳や赤石岳と比べたら軽い山ですが、稜線歩きを堪能できると思います。1泊目は足慣らしで宝剣山荘泊まり、2日目に木曽殿山荘泊まり。3日目に駒ヶ根高原に下ります。
●参加——
●合計140ポイント——「2日目に木曽殿山荘泊まり」というのがダメになって「空木避難小屋泊まり」ということで出発したが、とうてい空木岳を越えられないという時間になって木曽殿山荘着。満員で泊められないというところを食堂に泊めてもらってなんとか遭難騒ぎにならずにすみました。
●原因はなだらかな中央アルプスの稜線の登山道が意外に岩っぽかったこと。最初の宝剣岳がスムーズに歩けないと、予定がどんどん遅れていくという構造なんです。3日目、木曽殿山荘から空木岳に登るにもずいぶん時間がかかりました。前日がんばっていたら、ライトの光ではたどりきれないルートがたっぷり残っていました。

400…7c…7.26(火)
■御坂山…富士急行線
【計画】旧御坂峠の天下茶屋から黒岳に登りますが、今回は北麓に下ってみたいと思っています。計画がずいぶん軽くなります。大橋桂子さんの話によるとレンゲショウマの群落が見られるかも。
●参加——
●合計38ポイント——台風がこの日関東全域を直撃するという(予報)状況で、新宿で指定列車に乗ったのはY三浦さんひとり。途中から乗ってくる可能性のある人もいたので、最悪参加ひとりで実施すると決めました。以前1度だけ、十二ヶ岳で同じケースがありました。無理して中止しなかったのは、もちろん今度の台風と私自身が向き合ってみたかったから。
●計画は最初から黒岳の北斜面にターゲットを絞っていました。石和温泉駅から乗ったタクシーはただ1台の小型とかで、私たちは運がいいのか、運が消えたのか。運転手さんの目には怪しい二人連れに見えていたかもしれません。「こんな日に……」と繰り返していました。
●黒岳の北斜面はたしかにすばらしいレンゲショウマの群生地でしたが、ほとんどが緑のつぼみで、見つけた花は2つ、3つ。おそらくお盆休みですね、花期は。

401…8e…8.9/10(火水)
■唐松岳+唐松岳頂上山荘…JR大糸線
【計画】八方尾根から唐松岳の「往復だけ!」です。花の尾根歩きと、北アルプス北部のすばらしい風景と、唐松岳山頂のドラマチックな気分とを味わえます。【c】【d】レベルの小屋泊まりとしては理想のプランではないかと思います。
●参加——
●合計52ポイント——地元白馬村で出版された『色検索白馬八方尾根花の旅』というガイドによって往路で約70種の花を確認。それによってチャンスを逃したのは唐松岳頂上山荘の凍ったジョッキで飲む生ビールでした。
●翌日は朝から嵐。富山県全域に雷注意報が出ているとか。小屋を出ると2kmぐらいの距離の雷が四方八方に。……で、引き返しました。1時間半後に再出発すると雷は遠ざかり、晴れ間が近づき、展望も開けてきました。

402…8a…8.13(土)
■乾徳山…JR中央本線
【計画】別に難易度が高いというわけではありませんが、穂高縦走に参加ご希望の方はクサリ場でちょっと余分に遊んでおきませんか? 岩場の苦手の方もどうぞ。
●参加——
●合計40ポイント——登場直下のクサリ場で登りと下りをていねいに体験。人数が少ないとロープを使った「安全第一でない」体験ができるのでときに有効かと思いました。

403…8d…8.16(火)
■瑞牆山…JR中央本線
【計画】お盆休みにしては時間的にちょっとハードですが、なぜか【d】の瑞牆山です。出発時間をできるだけ早くしなくてはいけないでしょうが。
●参加——
●——「d」のみなさんが次の「c」に総移動してしまったようなかっこうで○印がゼロに。

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■2005.8.25──2005年度 10-3月予定

■2005年度 10-3月予定一覧
411 10a 10.8(土) 天狗山 JR小海線
412 10e 10.11/12(火水) 栗駒山 東北新幹線
413 10d 10.18(火) 小楢山 JR中央本線
414 10b 10.22/23(土日) 大菩薩峠 JR中央本線
415 10c 10.25(火) 鼻曲山 JR信越本線

416 11e 11.8/09(火水) 那須岳 東北本線
417 11a 11.12(土) 太刀岡山 JR中央本線
418 11d 11.15(火) 筑波山 常磐高速バス
419 11c 11.22(火) 三峰山 秩父鉄道
420 11b 11.26/27(土日) 男体山 JR水郡線

421 12a 12.10(土) 水沢山 JR上越線
422 12e 12.13/14(火水) 開聞岳 鹿児島空港
423 12d 12.20(火) 高尾山 京王線

424 1e 1.10/11(火水) 安達太良山 東北新幹線
425 1a 1.14(土) 笹尾根 JR五日市線
426 1d 1.17(火) 西沢渓谷 JR中央本線
427 1c 1.24(火) 三筋山 伊豆急行
428 1b 1.28/29(土日) 蔵王スノーシュー 東北新幹線

429 2a 2.11(土) 赤城山 JR両毛線
430 2e 2.14/15(火水) 八甲田山 青森空港
431 2d 2.21(火) 守谷山 JR中央本線
432 2b 225/26(土日) 北八ヶ岳 JR中央本線
433 2c 2.28(火) 釈迦ヶ岳 JR中央本線

434 3a 3.11(土) 三峰山 東武日光線
435 3e 3.14/15(火水) 美ヶ原 JR中央本線
436 3d 3.21(火) 三毳山 東武日光線
437 3b 3.25/26(土日) 上高地スノーハイク JR中央本線
438 3c 3.28(火) 岩山 東武日光線


■計画の概要(10-3月期)

411…10a…10.8(土)
天狗山…JR小海線
●以前、清里に1泊して登りましたが、アプローチが短縮されて日帰りが可能になりました。なかなか楽しい岩稜で、かつ八ヶ岳が眼前に遮るものなく……という絶景です。

412…10e…10.11/12(火水)
栗駒山…東北新幹線
●栗駒山はブナの紅葉がすばらしいのですが、今回は須川温泉泊まりです。湯がそのまま川となって流れ下る「もったいない」ほどの湯治温泉。2日目の夕食は例の、一関「世嬉の一(せきのいち)」のもち懐石にしましょうか。

413…10d…10.18(火)
小楢山…JR中央本線
●これまでまだあまり当たっていないカラマツの紅葉をねらっています。足下が一面の黄金の原になる……はずなんですが。下ったところでブドウですかね。

414…10b…10.22/23(土日)
大菩薩峠…JR中央本線
●計画素案でこれをなぜ「b」にしたのか一瞬「?」となりました。泊まるのは若旦那ががんばっている介山荘です。1日目は青梅街道の柳沢街道から稜線を楽しんで、2日目は脇街道を丹波へと下ります。夕日と朝日をお楽しみに。下りは深い紅葉の森がず〜っと続くという計算です。

415…10c…10.25(火)
鼻曲山…JR信越本線
●これも紅葉ねらいです。鼻曲山は何度行っても新緑の美しさがピカイチ。したがって紅葉もピカイチかと思うのです。時期が合うかどうかわかりませんが、期待はできると思います。

416…11e…11.8/09(火水)
那須岳…東北本線
●秋から冬へのきわどい時期かと思います。宿はやっぱり三斗小屋温泉ですかね。風呂はやっぱり煙草屋のほうがいい、露天風呂もありますし。往路、帰路とも最短ルートをたどります。

417…11a…11.12(土)
太刀岡山…JR中央本線
●昇仙峡の奥の岩山です。簡単かもしれないし、けっこうやっかいかもしれないけれど、行ってみたいのでとりあえず「a」で。

418…11d…11.15(火)
筑波山…常磐高速バス
●じつはまだ、筑波山から富士山を見たことがないのです。ひとつはその富士山ねらい。それから(うまくいけば……)筑波山ホテル青木屋の眺望絶佳の露天風呂に。もちろん「ゐだ」のそばでしめくくり。そうそう、つくばエキスプレスにも乗りましょう。

419…11c…11.22(火)
三峰山…秩父鉄道
●ロープウエイに乗らずに三峰神社へ上がります。神社の森ならではの深い森林をくぐり抜けていく道です。

420…11b…11.26/27(土日)
男体山…JR水郡線
●何度目になるでしょうか。奥久慈の男体山は春もよければ秋もいい。今回は海辺の宿を探してみようかと思っています。

421…12a…12.10(土)
水沢山…JR上越線
●「a」にしては軽い山かと思いますが、「水沢うどん」の水沢山です。あんまり考えずに決めています。

422…12e…12.13/14(火水)
開聞岳…鹿児島空港
●一応スカイマークエアラインズで片道1,1000円の「スーパー前割49」を押えにして、指宿温泉の1泊2日宿泊パック(往復航空券付きで25,000円前後)を探そうかと考えています。……で、「e」ですから開聞岳1本でいいかとも思うのですが、せっかく霧島山の面前に着陸するのですから、1日目に足をのばして坂本龍馬が新婚旅行で登ったという高千穂峰にでも軽く登っておきましょうか。天気が悪くなければ……ということにしておいて。

423…12d…12.20(火)
高尾山…京王線
●この時期、うまくすれば「シモバシラ」が見られます。いまや高尾山の観光ポスターにも登場する氷の花「シモバシラ」です。

424…1e…1.10/11(火水)
安達太良山…東北新幹線
●久しぶりの安達太良山です。冬山の厳しさをこれほど安全に体験できる山も少ないでしょう。まだの人はどうぞこのチャンスに。くろがね小屋の温泉は岳温泉の源泉掛け流しですから最高です。ハーモニカおじさんの橋本さんが定年退職して雰囲気が変わった……かな?

425…1a…1.14(土)
笹尾根…JR五日市線
●三頭山から陣馬山へ(ほとんど)果てしなく続く緩やかな尾根をひたすら歩き続けるという独特の趣が味わえます。過去の実績からいうと数馬の槙寄峠から浅間峠か三国峠。陣馬や高尾はまだまだ遙か彼方です。

426…1d…1.17(火)
西沢渓谷…JR中央本線
●氷瀑の西沢渓谷です。観光バスもくる季節ですが、観光ルートをはずすつもりもありません。

427…1c…1.24(火)
三筋山…伊豆急行
●おおらかな伊豆の山です。のんびり登って、のんびり下ります。もちろん魚を食べて帰りましょう。

428…1b…1.28/29(土日)
蔵王スノーシュー…東北新幹線
●あんな快晴(2004年度「3e」)はもうないでしょうが、スキーヤーには立ち入り禁止の樹林地帯を自由に歩ける贅沢はこたえられません。伊藤が絶賛するスノーシューより、観光協会で500円で借りられる輪カンジキのほうが歩きやすいというのがみなさんの評価。処女雪地帯の電車ごっこという感じ。

429…2a…2.11(土)
赤城山…JR両毛線
●関東周辺で全面凍結する湖がほとんどなくなってきました。赤城山の大沼(おの)は氷上のワカサギ釣りが冬の風物詩となっています。ワカサギを釣るか黒檜山に登るかは未定ですが、寒さを体験しに……。

430…2e…2.14/15(火水)
八甲田山…青森空港
●いまや恒例の八甲田山です。今回はぜいたくに八甲田ホテルも考えてみようかと思うのですが。

431…2d…2.21(火)
守谷山…JR中央本線
●雪の多い冬ならば最高のスノーハイキングになります。そしてここはまだ太平洋岸の気候帯なので晴れて展望最高という可能性が大です。足下の諏訪湖、眼前の八ヶ岳、白く輝く北アルプス、中央アルプス、南アルプス。

432…2b…225/26(土日)
北八ヶ岳…JR中央本線
●どこに泊まるかはまだ考えていませんが、軽アイゼンで粉雪踏んでグングン歩く楽しさを、今回は期待したいと思っています。

433…2c…2.28(火)
釈迦ヶ岳…JR中央本線
●雪の時期の釈迦ヶ岳はなんであんなに記憶に残るのでしょうか。騙されたと思って、ぜひ。石和温泉で風呂と食事になると思います。

434…3a…3.11(土)
三峰山…東武日光線
●栃木駅から出流川上流へと入り込んだところにある信仰の山。御嶽山やら浅間大神やら三峯大神やら、いろんな神様が集う山のようです。出流山満願寺まで出られると満点なのですが……。

435…3e…3.14/15(火水)
美ヶ原…JR中央本線
●スノーシューで、ところかまわずペタペタ……というのが冬の美ヶ原のすばらしさ。晴れれば日本の高い山のほとんどがぐるり360度。

436…3d…3.21(火)
三毳山…東武日光線
●カタクリで有名な「みかもやま」です。いまやほとんど観光地ですから軽くいきましょう。

437…3b…3.25/26(土日)
上高地スノーハイク…JR中央本線
●「e」にしてもいいくらいの往復計画。泊まりは中ノ湯にして、河童橋の先、明神池まで……と考えています。

438…3c…3.28(火)
岩山…東武日光線
●「9d」と重なっていました。「c」だからいいでしょう。同じ説明になります。
●独特の雰囲気をもっている小さな岩山。岩好きの人も、嫌いな人もそれぞれ楽しめるできのいいワンダーランドです。

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■2005.8.19──中西良栄さんの穂高縦走報告

北穂高岳に行きたかったのですが、糸の会の日程では都合が悪くなりました。
それで、小人数のツアーで8月6・7・8日と行ってきました。(ガイドと4人の参加)
北穂高に行きたかった理由は、夫が一昨年だったか、一人で続けて2回も登っています。
私も行きたいと言いましたが、いい返事をもらわないままになってしまいました。
その山行の時にあったことなどいろいろ聞いていて是非行きたいと思っていました。

初めてのガイドと行くのはその人の行動パターンが分からないので不安でしたが思いきって参加しました。
コースは糸の会と同じです。国木田さんとは違う視点で報告します。

【1】6日は9:50、松本集合。ガイドの車で沢渡まで。その後はタクシー。
上高地で昼食をとり、岳沢ヒュッテまで2時間30分。
テラスは広くテーブルも沢山あって、皆ゆっくりくつろいでいた。
小屋にくずかごはある。トイレに紙はない。
個室を利用したので6人部屋に5人でした。

【2】7日は4:30出発。朝食をお弁当にしてもらったので出発前に少し食べる。
重太郎新道では、脚が宙に浮くような感じになってきた。
低血糖の兆候と思い、小指の先くらいのブドウ糖とクエン酸を少し、を3回くらい舐めて落ち着く。 
もっとすごい登りかと思っていた。
前穂高は約1時間で往復。
紀美子平からは両側がキレ落ちているというので、平均台の上を歩くように行くのかと恐れていたが、そんな馬鹿な道ではありませんでした。
穂高岳山荘に12:00着。穂高岳山荘についてから来たほうを見返してみると、その急な事に改めてビックリした。
朴葉寿司があったのでお昼ごはんに買った。2つ入っていたので、4分の3ほど食べて残りは明日の出発前に食べようと思った。
30分ほどl休憩し、最後の日の行程が長くなるので此処では泊まらずに、北穂高小屋を目指した。
涸沢岳が過ぎてから雨と雷。雷は遠かったし、あめも雨具は上だけでもいいくらいで、小屋に着いたときにはズボンも乾いていた。雨でも岩は滑りませんでした。
恐くはなかったけれど、緊張の連続でした。16:30着。

乾燥室にはいっぱいぶら下がっていましたが、風も送っているのでよく乾きました。
ただ、トイレの続きの部屋にあるのでトイレが強調されるように思いました。
北穂高岳頂上の真下に小屋があり、スリッパでも階段をちょこっと上がれば、また頂上に出られて360度の景色が堪能できるのでした。
小屋にはくずかごはありません、トイレには紙があります。水は無料で入れてくれます。

今日は行程が長くて疲れました。
小屋は混んでいましたが、私としては北穂高小屋に泊まれてとても嬉しかったです。

【3】ご来光は5:00という事でしたが、
8日は4:00に小屋を出ました。暗いでした。ヘッドランプを使いました。
この下りも結構きついでした。風が強く冷たいでした。
涸沢小屋が過ぎると道は楽になりました。
途中3箇所落石の多いところがあり、2人死んでいるということで、急いで歩くようにいわれました。
そんなところでも登りの人と行き違うと立ち止まらないといけないので??運だなーと思いました。
本谷橋からは早足になりました。
ガイドは岩の人なので、アプローチでは速く歩く癖がついているようです。
(糸の会で槍ケ岳に登った帰り、槍沢小屋から早足になってから急に靴擦れてマメが両足にいくつも出来たのを思い出していました。)
私は横尾から徳沢まで48分で歩いたのだけど、それでも遅いでした。
上高地には12:00着。

やっぱり穂高は大きい山なんですね、2日目が長かったこともありますが、膝を酷使してしまったようで、帰ってから痛くなりました。散歩もお休みしてます(ノω・、)。
私の場合は、穂高岳山荘にもう一泊したら膝の為にも良かっただろうにと思いました。
国木田さんとは逆コースですが、健脚な方だナーと思いました。

【追記】ガイドの話では、パノラマコースは道が荒れているので入ったら大変だ!!ということでした。

そごうの「初めての山歩き」に参加してから11年でしょうか、
先生に歩き方の基本を教えていただき、山を歩けるようになったことを感謝しています。
63歳にして、前穂高岳・穂高岳・涸沢岳・北穂高岳までいけたんですから、バンザーイ!!です。
ありがとうございました。

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■2005.7.23──国木田之彦さんの北穂・奥穂・前穂縦走報告

●国木田之彦さんから穂高の縦走報告が寄せられました。方向は逆ですが「8s」のまさに偵察レポートです。掲載させていただきます。


いつもお世話様です。
海の日の連休明けに穂高に登りました。
糸の会のおかげで山行記録のような縦走もこなせるようになりました。ありがとうございます。
帰りに寄った乗鞍高原一ノ瀬園地はスノートレッキングに最適だと思いました。資料を別便で送ります。


山行記録(7)北穂・奥穂・前穂縦走
05.7.23
国木田 之彦 
登山日:05年7月18日〜21日

同行者:単独


7月18日(月) 曇・晴
週間天気予報をみて急遽上高地へいくことにする。
07.30朝の「さわやか信州号」にのる。海の日の連休最終日ですいている。中央道も順調。
沢渡下で土砂崩落があり通行止め。乗鞍高原に迂回する。イガヤセンターでアルピコのバスに乗り換える。白骨温泉から下の道幅はせまく渋滞している。
12.55上高地バスターミナル着。それほど遅れていない。
河童橋際の土産店2階の食堂でカツ丼をたべる。みそソースがからく、量がおおく閉口する。
13.40河童橋スタート。
14.15明神。
15.00徳沢園。
15.45横尾着。2時間5分で来たからまずまず。
さっそくフロに入る。せっけんは使えないが汗をながし気持ちがいい。窓の外が暗くなり雨がふりだした。
18.00夕食。チキン、白身魚の西京漬、さかなの角煮、しゅうまい、ポテトサラダのプレート。おいしくいただく。
宿泊者は60名ほど。もう一度フロにはいる。60代の2人、槍沢泊で槍に登ってきたもよう。


7月19日(火) 晴
05.30朝食。
06.00スタート。
06.50本谷橋。涸沢カールにはいると一面の雪渓。昨年7月2日にはまったく雪がなかったから今年はかなり多い。踏み跡があるとはいえ歩きにくい。下りは軽アイゼンを使ったほうがいいだろく。小屋の下でパラパラと雨が降り出す。
08.20涸沢小屋着。ひさしの下で様子をみる。おにぎりを食べる。ともかく雨具を着る。
08.55スタート。歩きだすとあつく雨もたいしたことがないので雨具を脱ぐ。
11.35北穂高岳北峰。風が強い。まわり一面ガス。
二畳に一人の割り当てでゆったり。小屋は全体に小規模だが手入れがゆきとどいている。となりの人は大阪からでカメラ機材の大荷物。4日ほど連泊で写真をとる由。槍から渡ってきた30代のカップル。女性の第一声は「まいった」。4時ごろ槍がはっきりみえる。涸沢ヒュッテがはっきりみえる。下からはこんなにみえない。
18.00夕食。しょうが焼き、スパ、キャベツのサラダ。おいしい。窓からおなじ高さに槍がみえるのは気持ちがいい。
小山義治著「穂高を愛して二十年」に息子さんの署名をもらう。昨年松本の古本屋で購入したもので署名入りの親本である。


7月20日(水) 曇・晴
05.00朝食。目玉焼きにウィンナー。ごはんがおいしい。
05.45北穂小屋出発。風が強い。滝谷側も涸沢側もよくみえる。飛騨側からの風が強くヤッケがパタパタと鳴り緊張する。涸沢がわに入るとほっとする。
06.45最低コル。2人が先行している。
07.30涸沢岳。
07.45穂高岳山荘。ちょっと緊張気味の二時間だった。先行した人に声をかけられる。
ここの小屋は規模が大きくロビーも広々している。連泊の人が何人かいる。ホットミルクを飲む。
08.00出発。
08.35奥穂高岳山頂。
吊り尾根を間近にみるとスムーズな弧ではなくゴツゴツしたアップダウンだ。岳沢側の少し下を巻き道のように登山道がつづいている。
10.00紀美子平。10名ほどの人が休憩中。
10.40前穂高。
11.25紀美子平出発。陽がさしてきて暖かい。完全に晴。Tシャツになる。重太郎新道を下る。北アルプス第一の急登とか。ともかくきつい。
北穂からクサリ、ハシゴがたくさんあったが基本を守っていればそれほど難しくない。
13.20岳沢ヒュッテ着。ここまでおりてきてほっとする。ラーメンをたのむ。
13.45出発。脚のすすみも軽快とは言いがたい。登ってきたTV取材チームに「奥穂からですか」ときかれ「奥穂でなくて北穂です」と答える。
15.15河童橋到着。行動時間9時間30分。くたびれた。
上高地アルペンホテルのハイカーズベッドに泊まる。さっそくフロにはいる。
18.30夕食。懐石風のメニュー。サーモンのやまかけじたて、やまめのてんぷらとおいしい。宿泊料は8,925円。お徳です。


7月21日(木) 晴・暑い
05.30入浴。窓から昨日あるいた奥穂、吊り尾根、前穂がみえにんまりする。
06.00河童橋まで散歩。ひんやりと気持ちいい。
09.10バスで乗鞍高原に向かう。白骨温泉のあたりもスムーズ。
観光センターでおりる。ちょうど周遊バスがあったので一ノ瀬園地入り口までのる。
2時間半ほど散策。アップダウンがゆるくちょっともの足りない。スノートレッキングなら軽快に歩け楽しそうだ。
松本に出、16.35「スパーあずさ」で帰京。

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■2005.4.19──市野武さんの御前山の直前レポート

●ご無沙汰いたしております。
●本日、御前山に行ってきました。来週、糸の会で予定が入っているようですので、以下直前情報ということでご報告。カタクリ目当てで行くならコースは奥多摩湖からの大ブナ尾根が間違いなくベストです。花の密度が他のコースと違います。
●この時期にこのコースから登るのは今日が5回目。最近登山の頻度が減っているため、脚力低下が懸念されるので、今日は荷物を軽くして出発。
●自宅発5:40
●立川発 6:50——奥多摩駅着 8:02
●西東京バス乗ったらすぐ出発——奥多摩湖着 8:25
●桜満開!
●登山口発 8:40
●このコースは登山口から15分ほどが最も傾斜がきつい。木の根と岩混じりの急登でロープも張られている。ミツバツツジが一際鮮やか。5分程で2名の先行者に追いつくが、あえいでいる感じなので登りが一段落するまで追い越すのを控えた。さらに3名を追い越し、檜の植林帯を左に見ながらペースを上げる。この辺りは道も状態が良いので快調。
●サス沢山 9:12
●ここは標高940mで特に標識はなく、奥多摩湖側の展望があるが今日は曇っていて対岸の石尾根方面の展望ははっきりしない。3名ほど休んでいたが、ここはそのまま休まず出発。湖畔から400m程登ってきたことになるが、なぜかいつもよりペースが早い。ここからは傾斜も緩んで一段と歩きやすくなる。狭義ではこの辺りを大ブナ尾根と呼ぶようだが、特にブナが多いというわけでもない。標高1000m辺り、いつもならこの辺がカタクリが最初に見られる所なので注意しながら歩くと、発見!第一弾。
●10mも進まないうちに左右につぎつぎと発見。そこから先はあるわ、あるわで歩くペースがめっきり落ちる。やはり1000m付近が下限地点のようだ。ここから先惣岳山までは尾根も広く防火帯になっている所もあり快適に歩ける。部分的に急な所があるものの概ね開放的な道で苦にならずに歩ける。バイケイソウ、ハシリドコロなども現れる(あまり詳しくないので違うかも)。やがて急な木の階段の道になるが、この階段はほとんど階段の役目をしておらず、張ってあるロープも邪魔くさい。ここはこのコースで2番目につらい所かも知れない。ここを登りきると惣岳山。
●惣岳山 10:10
●ここは標高1340m。小河内峠方面からの道の分岐となっているので10名ほどが休んでいた。最もカタクリの多い所をはずして歩いた気の毒な人達だ(大きなお世話か)。ここまで来れば御前山は着いたも同然。ここも休まず一気に御前山をめざす。少し下った鞍部で左に体験の森方面の分岐がある。惣岳山から先はカタクリの姿はめっきり減ってくる。登り返しの途中で数株が見られるくらい。1週間後にはもっと増えているかもしれない。山頂直前、左に曲る所で右側ににベンチがあるが、ここは晴れていれば富士山の展望が素晴らしい所。この辺り真新しい杭がたくさん置かれており、杭の取替えが行われているらしい。ここからすぐに山頂。
●御前山 10:22
●意外と登山者は少なく2組7名。一組が山名標識を占拠して代わる代わる何度も何度も写真を撮っていた。傍若無人。山頂一帯も工事中で杭が山積みされ、新しいベンチも据付途中で使えるベンチは2台だけだった。その1台に腰掛けて本日最初の休憩。ここまで気がついたら、飲まず食わずでひたすら歩いていたことになる。こういう歩き方はマズイ。もっと余裕を持ちたい。でも脚力は低下してないようなので少し満足。山頂からの展望は正面に見えるはずの石尾根方面もぼんやりとしている。今日は展望はずっとサッパリだった。食事を済ませ出発。
●御前山 10:45発
●山頂から下山は境橋へ。下り始めるとすぐに新しい杭の設置工事中。4名ほどが作業中で脇を通るように指示された。1週間後には完成しているでしょう。湯久保方面への分岐点で左の避難小屋方面へ進む。避難小屋から先はカタクリはポツリポツリ程度。
●ここから先は体験の森に入る。このあたりで少し両腿に張りを感じたが直ぐに回復。下りはじめにこうなることが多い。体験の森に入るがこの辺りで人を見かけたことは一度もない。ここを利用する人はいるのかと思う。山道ではなくなり、更に舗装道路 となり山はもう終わりという雰囲気になる。緊張感がなくなってだらだらと歩くが、舗装道路は延々という感じで続く。ようやく終わって栃寄沢分岐に着いた。大滝を右に見て沢底まで下る。しばらく流れがないが左に曲がる辺りで流れが現れる。この沢沿の道は気分が良く、最近は毎回下りに利用している。ワサビ田がいくつもあり、水質も良さそう。ワサビ田で作業中の人がいて「コンチワ」と声をかけたら「コンチワ」と返ってきた。あたりまえか。
●登山口 12:00
●ここから境橋までは車道になる。ほとんど退屈な道で車もほとんど通らないので、ipodを聞きながら歩く。15分で到着。
●境橋  12:15
●橋の途中にあるバス停で時刻表確認。マズイ!次は12:57。40分以上ある。しばらく考えて奥多摩駅まで歩くことにした。駅までの青梅街道はかなり長いが、桜が多く民家の庭も花盛りで花見がてらに歩くことができて退屈しなかった。
●奥多摩駅着 12:48
●駅でワサビ漬を買って乗車。13:13発青梅行き。
●以上、長文失礼しました。

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■2005.4.1──2005年度上半期の計画+入会案内

★糸の会(ito-no-kai)はカルチャーセンターの入門登山講座とシームレスにつながっている伊藤幸司の山歩き講座です。
★基本的には中高年になって初めて自発的に山歩きをしたいと考えるみなさんを対象とする「超入門」の講座ですが、すでに10年来の会員もおり、70歳代に突入した会員もいるため、いろいろなバリエーションが必要となっています。


■2005年度 4-9月予定一覧
380——4a——4.9(土)——二子山——西武秩父線
381——4e——4.12/13(火水)——八幡平+後生掛温泉——東北新幹線
382——4d——4.19(火)——嵩山——JR吾妻線
383——4b——4.23/24(土日)——火打山(妙高)——JR信越本線
384——4c——4.26(火)——御前山——JR青梅線

385——5e——5.10/11(火水)——吾妻連峰+微温湯温泉——東北新幹線
386——5a——5.14(土)——二十六夜山——富士急行線
387——5d——5.17(火)——荒船山——上信電鉄
388——5c——5.24(火)——天城山——JR伊東線
389——5b——5.28/29(土日)——甲武信岳——JR中央本線
390——5s——5.31/6.1/2/3(火水木金)——屋久島——屋久島空港

391——6a——6.11(土)——高山——東武日光線
392——6e——6.14/15(火水)——天城山+湯ヶ島温泉——伊豆箱根鉄道
393——6d——6.21(火)——吾妻耶山——JR上越線
394——6b——6.25/26(土日)——八ヶ岳——JR中央本線
395——6c——6.28(火)——羅漢寺山——JR中央本線

396——7a——7.9(土)——大岳山——JR青梅線
397——7e——7.12/13(火水)——秋田駒ヶ岳+乳頭温泉——東北新幹線
398——7d——7.19(火)——草津白根山——JR吾妻線
399——7s——7.22/23/24(金土日)——空木岳——中央高速バス
400——7c——7.26(火)——御坂山——富士急行線

401——8e——8.9/10(火水)——唐松岳+唐松岳頂上山荘——JR大糸線
402——8a——8.13(土)——乾徳山——JR中央本線
403——8d——8.16(火)——瑞牆山——JR中央本線
404——8c——8.23(火)——金峰山——JR中央本線
405——8s——8.27/28/29/30(土日月火)——穂高縦走——JR中央本線

406——9a——9.10(土)——根本山——JR両毛線
407——9e——9.13/14(火水)——立山——JR大糸線
408——9d——9.20(火)——岩山——東武日光線
409——9b——9.24/25(土日)——燧ヶ岳——JR上越線
410——9c——9.27(火)——伊豆ヶ岳——西武秩父線


●糸の会は日帰り登山を基本にして、できれば山小屋泊まりの山歩きも楽しみたいという人のための講習会です。
●行動時間枠を目安にしたグレードを設定しました。自分に合ったものを選びながら、夏には高い山に、冬には雪景色の山にチャレンジしていただきます。
【a】…標準的な日帰りで第2土曜日に実施。
【b】…「a」の小屋泊り版で第4土曜とその翌日に実施。
【c】…「超軽量」の日帰りで第4火曜日に実施しますが、とりあえず半年間という仮設定です。かつて日曜日の「c」がありましたが、新しい「c」は60回(5年)も続いた池袋の東武カルチュアスクールの「超入門」を終了したので、まだ卒業できないみなさんの仮の受け皿として、同じ日程で、同じレベルでとりあえず半年続けることにしたものです。いまさら「超入門」でもないので「超軽量」として、このところ圧力を感じる「70歳以上」対応としても考えてみます。ともかく東武カルチュアスクールからのみなさんには、できるだけ「d」なり「a」なりへステップアップしていただいて、早く高い山のすばらしさを知っていただきたいと思います。すでに外部の山歩きツアーなどへも参加できるところまで歩き慣れているはずなので、もう一段広い世界へ飛び出していただきたいとも思います。——なお、1995年11月に始まる「a」は東急セミナーBEが(東急本社法務部の危機管理的判断で)突如終了させられたことに由来します(糸の会の創設)。「d」は1997年4月に東急セミナーBEの第2期終了時に同様の受け皿として設定したもの。朝日カルチャーセンター千葉のように「中級クラス」を設定できると、「入門クラス」が固定しないので、流動性が確保されるのですが……。
【d】…山歩きそのものになれていない人と、故障をかかえている人のリハビリに基準をおいた軽い日帰り。早めに下山する分、その後の“楽しみ”も。第3火曜に実施。
【e】…「d」の小屋泊まり版。入門編で「65歳前後対応」とお考え下さい。第2火曜日とその翌日に実施。平日ですから宿泊環境がいいので、山麓の温泉宿(山小屋宿泊料金程度の宿)に前泊して軽い山歩きというイメージです。
*なお、温泉旅館やペンションをチェックしますので、参加可能な方は早めにお知らせ下さい。とくに洋室のペンションなどの場合、宿泊人数が限られる場合があります。こちらもおおよその人数を目安にしてできるだけおもしろい(さびれた……という演出も含めての)宿を探したいと考えています。
【s】…特別企画、「b」のグレードアップ版。
●計画のグレードはおおよそ、行動時間を目安としますが、現地での行動テーマの設定もちがいますから、それについては各計画書でお確かめください。
【a】…山手線駅08時集合→18時下山(行動枠約10時間)
【b】…長い場合04時出発→18時下山(行動枠約14時間)
【c】…山手線駅09時集合→16時下山(行動枠約7時間)
【d】…山手線駅09時集合→16時下山(行動枠約7時間)
【e】…登りの目安を高度差で毎時250m以下というゆっくりペースにしてみます。下りも余裕のあるスケジュールにしておきます。
【s】…実験的な要素を含みますから、参加者を特定する場合があります。とくに岩場の通過技術やザックの重さに対するパワーなどを計算できるメンバーでチームを組みたいと思います。
●糸の会への参加には資格や制限はありませんが、年度会員になっていただくことが前提です。
●2004年度と同じですが、年度会費は10,000円。ただしその10,000円は最初の1〜2回分(あるいは「☆」印の予約分)として参加費に充当させていただきます。会員をその年度の実働メンバーとしたいのです。(年度末に参加費として落とせなかった残額があれば、会費残金として頂戴します)
●会員の方には糸の会通信をお送りしますので、各山行については参加希望(○印)、あるいは関心のあるもの(△印)があればお知らせください。計画書を作った段階でその方々にお送りします。その参加希望状況はホームページに掲載してありますので、確認していただけると安心です。
●はじめて申し込まれる方は、お名前、ご住所のほか、電話(ファクス)、生年月日、血液型が必要です。
●保険は会員のみなさんには原則として三井海上のハイキング保険(年間3,000円のものでけっこうです)を個別にかけていただきます。三井海上のハイキング保険申込みは電話03-3755-9718かファクス03-3754-7566へ直接資料請求してください。
●当初は計画ごとに団体保険をかけていましたが、現在では伊藤側では保険はいっさいかけていません。事故に対しては(個人行動にも適応できるよう)各自で自衛していただくことを前提にしています。ご了承下さい。
●講座料や写真代金の振込のために糸の会では「通常払込料金加入者負担」という郵便振替用紙を用意していますが、これは料金を差し引かれて届くというだけのこと。郵便局備え付けの用紙で振り込んで下さる場合には、料金(1万円以下=70円、10万円以下=120円)を差し引いた金額をお送り下さい。気がつけば、こちらでも処理しますが。
●山行リストのうち参加希望(予約一覧に○印がつきます)、あるいは計画書を見て検討したいもの(△印がつきます)をあらかじめまとめて教えておいていただけば、計画書ができた段階でお送りします。最終的な出欠については、前日までに電話・ファクス・電子メールで連絡いただければさいわいです。当日持参する正確な参加者名簿が作成できます。△が○に、あるいは○が×になります。
●旧来の参加費払い込み済みの「◎」印はできるだけ使わないようにします。従来「◎」にしていたところを「○」とし、計画終了後に参加費精算という方式に一本化します。払い込まれた参加費はいったん「残金」にプールして、単に「○」とさせていただきます。
●しかし、半期ごとに参加予定の山行を「完全予約」しておきたいという方もいます。私がすすめる「月イチ」の山行をしていただくために「☆」組を設けます。【a】と【d】と【c】(混在可)、あるいは【b】と【e】(混在可)を3回分「キャンセル時返金なし」として申し込んでいただく場合、「☆」印になります。その際の参加費は「2回分」(【a】【d】は10,000円、【b】【e】は20,000円)となります。その3回分は半年のリスト内ならどういう組み合わせでもよく、何セットでもけっこうです。(事前であれば)申し込みの時期も問いませんし、組み合わせの変更も可能です。
●講座料は、講師側の経費などを含めて、以下のとおりになります。
日帰りの【a】【d】…5,000円。
小屋泊まりの【b】【e】【s】などは1日あたり5,000円。(【b】は従来の8,000円が10,000円になります)
【s】などで、単なる前泊がある場合は、日数に含みません。
なお世の中でいう最少催行人数は、日帰りでは2人、宿泊山行の場合は3人と考えています。
●参加者各人の登山にかかる現地の費用は各自清算、ないし均等割り支払いが原則です。なおタクシー料金を精算する人は念のため領収書を受け取っておいてください。乗車した車が特定できますから、忘れ物などの場合、役に立つことがあります(領収書の保存の義務はありません)。
●原則的にキャンセルは自由と考えていただいてけっこうです(集合場所に来ない方はキャンセルとみなして探索しません)。キャンセルとなった場合は講座料を「残金処理」として繰り越しますので、その後の講座料、写真代金などに当てていただけます。
●「現地費用は各自精算」で「キャンセル自由」が原則ですが、山小屋ではなく旅館を利用するものについては旅行代理店に手配を頼むことが多くなるかもしれません。その場合は通常のパッケージツアーの場合と同じく、キャンセル料金が発生する場合があります。旅行代金を代理店に振り込む場合には、ご注意ください。
●また写真代金などを「残金処理」することによって残金が▲(マイナス)になることがありますが、あくまでも当方のデータ記入を一括処理したいために生じる前後逆転ですので、気を悪くなさらずに。次の機会に帳尻を合わせていただければけっこうです。会計記録は原則として山行計画書や写真の送付時に同封しますのでご確認ください(かなりの計算ミスが発生しています。監視の目を怠らないように……)。残金処理に関してはいつでも全データをプリントアウトすることができますし、返金できますのでお知らせ下さい。


■会員登録に当たってのお願い

●糸の会に始めて参加される方は、最初は【d】(あるいは【c】)か【a】にご参加下さい。相性ということもありますから、最初の回は参加費のみの「特別参加」というかたちでもけっこうです。糸の会はあくまでも初心者対応の講習会と考えています。【d】から参加して、ゆっくりと装備を整え、夢をふくらませていくという方の新規参加を期待しています。
●それから、保険の件です。最近はあまりチェックしていないので不安なのですが、会員のみなさんにはハイキング保険(あるいは山岳保険)に入っていただくことを前提にしています。いざというときに迅速にヘリを呼び、救助隊を要請できるための保険ですから三井のハイキング保険の最低価格のものでけっこうです。これは救命という意味での初動に大きな役割を果たしてくれるはずです。糸の会でまとめてという方法をとらずに個人加入にしているのは、みなさんの年間のすべての山歩きに対応できるように、という考えからです。
●……で、不幸にして事故が起きた場合の傷害・生命保険部分は低額ですし、保険がどこまでカバーしてくれるかという問題も生じてくるかと思います。それはほかの保険で補っていただくよう、チェックしておいていただきたいのです。
●また、健康状態や当日の体調については各自責任を持って管理していただくのが原則です。……が、不安がある場合には伊藤までお知らせください。100%の配慮ができるかどうかわかりませんが、【d】や【e】はそのような状況に積極的に対応できる計画、という了解の上で、みなさんに参加していただいていると考えています。【a】などについては、ときにハードな設定になっていますから、計画書を見た上で、当日の体調など不安があれば無届けで欠席していただいてもけっこう、という考え方をしています。


■リーダーから 伊藤幸司——2005.3.5

■「70歳」をどうするか?
●このあいだ、朝日カルチャーセンター千葉の受講者名簿を「年齢順」にしたところ、大きな反響がありました。予想年齢と実年齢とが大きく違っている人がいてオオ〜ッ!というのがみなさんの関心のようでした。そして私は全体の年齢のアップ&アップ状態に愕然としたのです。
●とはいえ私自身も今年は60歳。予想していなかった人生域に突入という感じがします。ここ数年、肉体的な老化のハシリを感じたりして思うのですが、ピークを過ぎたと思ったところから転げ落ちる人生は、ある意味で全員がそれぞれ先頭を走るオンリーワンの体験になるのではないかと思うのです。いったん老境に踏み込むと、そこは未知の世界。人はみな「内なる探検家」となるのではないかと思うのです。
●そういう思いを抱きはじめると、「65歳が境界年齢」といっていたことなどはとっくの昔に後ろへ去っていたとわかったのです。65歳あたりを境にして肉体的な個人差が大きく広がって、一律に管理することはできないということに関しては以前と同じなのですが、「70歳まで」、あるいは「70歳を超えて」どこまでやれるかと考えはじめたみなさんに大きくあおられてしまいました。まあ、みなさん、線香花火みたいなものなのでしょうが、「最後のひと花」という思いを頭の片隅におきながら、勇猛果敢に突き進む姿が印象に強く残るようになっていきます。
●ある意味でとても危険な思想ではないかとも思うのですが、それを「技術」で解決できるならおもしろい……とも思うのです。「あきらめない人生」というのがあるなら、「やめない山歩き」というのもアリかな? と思うのです。約束はできませんが、これまでとはちがう価値観の山歩きを模索してみたいと思っています。

■2月17日に上高地でギックリ腰をやりました
●朝日カルチャーセンター千葉で上高地のスノーハイクに行きました。初日の2月16日は松本で雨、中ノ湯温泉も雨でした。
●翌17日は朝7時に中ノ湯で0℃というあたたかさ。しかも予想を裏切る完璧な晴天でしたからゴアテックスも着る気になれずに釜トンネルを抜けて上高地へと行きました。
●青い空にくっきりと白い穂高連峰を眺めながら河童橋へと至り、順調なペースでしたから明神池まで足を延ばしたのでした。
●その帰り、小梨平のキャンプ場に入ったあたりでちょっとしたハプニングが起きたので長い休憩をとりました。Kさんがフラフラと倒れたのでとりあえず食事休憩としたところKさんは回復。のちに低血糖症という疑いが濃厚になりました。
●その小梨平での休憩のとき、下ろしたザックから食べ物をとろうとしゃがんだときにバ〜ンという感じで動けなくなったのです。
●30秒ぐらいだったかと思いますが、立ち上がれるようになったので重いギックリ腰ではなかったようです。その日は釜トンネルの手前でもう一度軽いギックリ腰となり、松本駅でタクシーを降りた瞬間に、またかなり長い間動けなくなりました。
●そんな状態ですから新宿で下ろしたザックを持ち上げるまでに何分もかかるというような状態でした。いったん背負ったら下ろせないので、家まで背負ったまま帰ったのです。
●じつは、腰についてはあまり心配していなかったのです。腰痛持ちのスポーツ選手はいっぱいいますし、丹沢・鍋割山荘の草野さんもかなりひどい腰痛持ちだそうですが「職業病だから」と語っていたことがあります。痛いけれど、仕事はできる……というふうに思っていました。ところがどっこい、痛いだけでなく、動けなくなってしまうということを知ったのです。
●そこで翌朝、JR武蔵小金井駅北口の名医のところに行きました。じつは3度目なんです。腰に違和感を感じてビリっときたことが2回あって、そのときは大いなる不安から見てもらったのです。
●今回も同じでした。「筋肉をゆるめる注射」をチョン、チョンと打って、湿布薬を背中に張って終わりでした。「2〜3時間したら完全に元に戻る」といいうことと、「もしおかしかったらレントゲンもとってみましょう」ということで放免されたのです。腰に当てる簡単な板も渡されました。さらに薬局で湿布薬と飲み薬(痛み止めと神経をゆるめる薬とか)。保険が効くので初診料も含めて2,000円弱でした。
●ギックリ腰は腰とつながっている筋のどれかがこわばってしまった状態というのがその面高先生の考え方。だから痛みのある腰ではなくて、背中を3分の1ぐらい上がったところに湿布薬を貼ります。「一発で直らなければギックリ腰ではない」という考え方をしているのです。
●今回も、もしかして筋肉疲労も……と考えたのですが、重いものを持とうが持つまいが関係なく、「冬は温めて、夏は冷やさないように」というのに尽きるとか。考え方は明快です。
●それでストーリーが全部つながったのですが、じつはこの冬はズ〜っと腰に違和感があったのです。階下の居間のドアを開けっ放しにして暖房熱が2階まで上がるようにしたので、仕事中に暖房をしませんでした。深夜、「寒い」と感じたときに、からだがそうとう冷えていると思ったことが何度かあり、ごく軽いものながら、腰に違和感があって、「暖めようかな」と思ったこともあったのです。
●冷えということでは、上高地で、明神池から引き返しはじめたときに足が冷たく感じたのです。その日は暖かったのと、防水靴下がまだ新品同様だったので、足にカイロを入れずに、歩いてみようと思ったのです。0℃なら日帰りの雪の山とほとんど同じです。
●そういうわけで、冷えが原因なら、十分にあったわけです。それがギックリ腰となった筋道ということになります。
●武蔵小金井の面高整形外科医院は(たまたまかどうか知りませんが)3回ともほとんど待たずに見てもらって、ケロッとして帰れました。なぜ名医なのにガラガラなのか?
ひとつの推理は、来た人を1回で手放してしまうのでその地域からお客さんがどんどん少なくなってしまった。もうひとつは、1回なら名医だけれど、名医故に何回も通うとなるとこまかなところで考え方がぶつかるようになる……かも。
●ともかく、一発で直してくれる名医ですから、1回だけ行ってみるという価値はあります。遠くの人でも、かかってみる価値ありと思うのです。そういうわけで、その面高先生のところをご紹介しておきます。
●場所はJR中央線の武蔵小金井駅北口。西友と長崎屋の間の道(長崎屋の脇にあります)をまっすぐ入っていくと、商店街の街灯がなくなるちょっと手前、左側にあります。駅からすぐのところです。ちなみに住所は小金井市本町5-19-30、電話は042-383-5006。診察時間は0900-1200/1500-1800で木曜と日曜休診、土曜日は午後休診となっています。


■計画の概要(4-9月期)

■380…4a…4.9(土)————二子山…西武秩父線
●石灰岩の岩稜がすばらしいスリルな体験をさせてくれます。これをスリルと感じる人と、恐怖と感じる人とで岩好きかどうかを判定できるのです。初歩的なクサリ場で伊藤流の歩き方を教わっている人なら初級の人でもだいじょうぶです。高度感のある数時間を堪能できます。

■381…4e…4.12/13(火水)————八幡平+後生掛温泉…東北新幹線
●スノーシュー・トレッキングです。温泉は後生掛にしようか、奧の蒸ノ湯にしようか迷うところですが、ともかく、まだ雪の八幡平です。

■382…4d…4.19(火)————嵩山…JR吾妻線
●「11a」で初めて行きました。登山の山ではなくて観光地化しているのですが、それでもなかなかおもしろかった。ようすがわかったので【d】でやります。小さな山ですが印象に残ります。鹿沼の「岩山」と甲乙つけがたいという感じでしょうか。

■383…4b…4.23/24(土日)————火打山(妙高)…JR信越本線
●さて、残雪がプラスと出るか、マイナスと出るかですが、高谷池ヒュッテが使えるので行ってみてのお楽しみとしておきましょう。火打山には登れると思いますが、妙高まで回れるかどうかは行ってみて……ということに。

■384…4c…4.26(火)————御前山…JR青梅線
●じつはカタクリをねらった御前山は一度も成功していません。今回はどうでしょうか。新設の【c】は超軽量級ですから、最短コースということにしておきます。

■385…5e…5.10/11(火水)————吾妻連峰+微温湯温泉…東北新幹線
●まだ車では上がれないので、風情いっぱいの「ぬるゆ」温泉泊まりにして、雪道を日帰りで浄土平往復、できれば吾妻小富士ぐらいは、という温泉+軽い日帰りという標準的な【e】を考えています。

■386…5a…5.14(土)————二十六夜山…富士急行線
●今倉山から道志の二十六夜山です。新緑の時期をねらっていますが、まあ地味な山ですから。

■387…5d…5.17(火)————荒船山…上信電鉄
●新緑の荒船山です。タクシーの使い方を考えなければいけないのですが、荒船不動から軽い登りで舳先にあたる経塚山に至り、艫岩から長い下りを選んで、相沢経由で荒船の湯まで歩こうかと思います。

■388…5c…5.24(火)————天城山…JR伊東線
●ご存知、シャクナゲの天城です。今年はどうでしょうか。ルートもいつもと同じです。花芽の状態を確認していませんが、《シャクナゲ・シリーズ2005》の第一弾ということになります。

■389…5b…5.28/29(土日)————甲武信岳…JR中央本線
●《シャクナゲ・シリーズ2005》の第二弾。シャクナゲですから十文字小屋泊まりにしたいと思っています。それから甲武信岳から西沢渓谷への戸渡尾根もシャクナゲのトンネルを期待できます。たっぷり歩けるルートでもあります。

■390…5s…5.31/6.1/2/3(火水木金)————屋久島…屋久島空港
●《シャクナゲ・シリーズ2005》の第三弾は屋久島です。すでにお知らせしているように、稲垣節代さんがシャクナゲの花芽がいっぱいついていることを確認しています。当たり年は間違いないところです。時期が問題ですが、5月29日が地元で設定した「シャクナゲ登山」の日ですから、計画としてはベストかと思います。
●ただ、屋久島はすでに2回やっているので今回は成立するかどうか。ご希望の方は早めに意思表示していただけるとさいわいです。足はスカイマークエアラインの割引チケット「スーパー前割49…11,000円」+屋久島行き飛行機で、往復4万円前後かと思います。それと宿に2泊(合計約20,000円)。もう1泊は避難小屋です。飛行機チケットの手配を確実にするためには3月31日に購入したいところです。
●今回は白谷雲水峡から小杉谷に抜け、屋久杉地帯を抜けて縄文杉を経て新高塚小屋へ。2日目は宮之浦岳から永田岳を経て永田歩道を永田浜へと下ります。したがってウミガメの産卵はその夜歩いて見に行くことができます。1日目の午後と、3日目の午前中をどうするかは人数が見えてきてから考えましょう。行動レベルは前2回とほぼ同じかと思います。

■391…6a…6.11(土)————高山…東武日光線
●なんでまた高山にしたかったのか、もう忘れていますが、たぶん新緑のカラマツの高山ということだったかと思います。小田代ヶ原も戦場ヶ原もみずみずしい季節かと思います。

■392…6e…6.14/15(火水)————天城山+湯ヶ島温泉…伊豆箱根鉄道
●《シャクナゲ・シリーズ2005》の第四弾の天城です。湯ヶ島温泉から天城峠に出て、天城山縦走という爽快な1日になるかと思います。

■393…6d…6.21(火)————吾妻耶山…JR上越線
●花を期待しての吾妻耶山ですが、どうでしょうか。緑の稜線をたらたらと歩いた末に、谷川岳の展望台が山頂です。当たればいろいろな花が見られると思うのですが。

■394…6b…6.25/26(土日)————八ヶ岳…JR中央本線
●この時期の八ヶ岳なら横岳の稜線に行かなくてはならないでしょう。そしてできれば権現岳へ。どこの小屋に泊まるかですね。八ヶ岳のすばらしい花の季節を楽しみたいと思いますが、計画はおおよそのメンバーが見えてからに。《シャクナゲ・シリーズ2005》の第五弾となります。

■395…6c…6.28(火)————羅漢寺山…JR中央本線
●甲府の昇仙峡の裏山歩きという感じになるかと思います。軽くのんびりと歩きましょう。ドラマチックな光景もありますし。

■396…7a…7.9(土)————大岳山…JR青梅線
●大岳山はいまや【d】でも【c】でもできますが、久しぶりに奥多摩駅から鋸尾根を登ります。いくぶんハードな【a】になるかと思います。

■397…7e…7.12/13(火水)————秋田駒ヶ岳+乳頭温泉…東北新幹線
●《シャクナゲ・シリーズ2005》の第六弾。真打ちです。10月に紅葉の秋田駒ヶ岳で鈴なりの花芽を見てから2005年はシャクナゲを見逃すまいと考えはじめました。乳糖温泉の湯めぐり+シャクナゲ三昧の軽い山歩きという考え方です。

■398…7d…7.19(火)————草津白根山…JR吾妻線
●コマクサの草津白根です。夏らしい山歩きを楽しんで、草津温泉に下つもりです。ゆっくりと、軽めに歩きたいと思います。

■399…7s…7.22/23/24(金土日)————空木岳…中央高速バス
●今年の目玉のひとつとして、なかなかやれなかった中央アルプスの空木岳をやります。南アルプスの塩見岳や赤石岳と比べたら軽い山ですが、稜線歩きを堪能できると思います。1泊目は足慣らしで宝剣山荘泊まり、2日目に木曽殿山荘泊まり。3日目に駒ヶ根高原に下ります。

■400…7c…7.26(火)————御坂山…富士急行線
●旧御坂峠の天下茶屋から黒岳に登りますが、今回は北麓に下ってみたいと思っています。計画がずいぶん軽くなります。大橋桂子さんの話によるとレンゲショウマの群落が見られるかも。

■401…8e…8.9/10(火水)————唐松岳+唐松岳頂上山荘…JR大糸線
●八方尾根から唐松岳の「往復だけ!」です。花の尾根歩きと、北アルプス北部のすばらしい風景と、唐松岳山頂のドラマチックな気分とを味わえます。【c】【d】レベルの小屋泊まりとしては理想のプランではないかと思います。

■402…8a…8.13(土)————乾徳山…JR中央本線
●別に難易度が高いというわけではありませんが、穂高縦走に参加ご希望の方はクサリ場でちょっと余分に遊んでおきませんか? 岩場の苦手の方もどうぞ。

■403…8d…8.16(火)————瑞牆山…JR中央本線
●お盆休みにしては時間的にちょっとハードですが、なぜか【d】の瑞牆山です。出発時間をできるだけ早くしなくてはいけないでしょうが。

■404…8c…8.23(火)————金峰山…JR中央本線
●大弛峠までタクシーを使う最短ルートの金峰山です。奥秩父稜線の往復ルートにして、ついでに北奧千丈岳、国師ヶ岳も加えておきましょうか。帰りもタクシーです。

■405…8s…8.27/28/29/30(土日月火)————穂高縦走…JR中央本線
●以前、奧穂高岳から吊り尾根を前穂高岳へ抜ける計画をしましたが、天気がちょっと悪かったこともあって引き返しました。今回は岳沢ヒュッテに泊まって、前穂高岳から奧穂高岳へ抜けて穂高岳山荘泊まり。3日目は条件がよければ北穂高岳の北穂山荘泊まりですが、あるいは予備日として端折ります。4日目に涸沢経由で上高地に下って帰京します。

■406…9a…9.10(土)————根本山…JR両毛線
●別名行者山という根本山です。桐生からタクシーで入ります。軽い山のようですが、初めてなので【a】で。

■407…9e…9.13/14(火水)————立山…JR大糸線
●この時期、ときには雪が来るかもしれないという3,000mの世界。立山連峰は3,003mの雄山、3,015mの大汝山をめぐります。泊まりはお風呂にこだわってみくりが池温泉にしましょうか。【d】の小屋泊まりという設定です。

■408…9d…9.20(火)————岩山…東武日光線
●独特の雰囲気をもっている小さな岩山。岩好きの人も、嫌いな人もそれぞれ楽しめるできのいいワンダーランドです。

■409…9b…9.24/25(土日)————燧ヶ岳…JR上越線
●秋の尾瀬です。鳩待峠から尾瀬ヶ原を抜けて、2日目に燧ヶ岳登山。尾瀬御池から檜枝岐に出ます。温泉小屋泊まりというのもいいかなと考えています。

■410…9c…9.27(火)————伊豆ヶ岳…西武秩父線
●秋の日は釣瓶落としと感じるこの時期に、暗くなるまで歩いてみるという奥武蔵の稜線歩き。逆にいえば暗くなるころには終わるという計画。「超軽量」ですからゆっくりと。


■山の報告

■353…9e…9.14/15(火水)————西穂独標/入門…中央高速バス
●入門編の北アルプスです。新穂高温泉から(ロープウェイ利用で)西穂山荘に泊まって、独標まで。天気とメンバーによっては西穂高岳まで行くかもしれません。穂高連峰の一角ですから晴れれば展望はお墨付き。
●2002年の3b(は雪の季節でしたが)がこちらの不手際で流れているので、糸の会としては最初です。
●合計53ポイント——たいへんすばらしい天気でした。独標から先はクサリ場対応のできる人のみということで6人が西穂高岳へ。快晴無風という条件からすれば西穂本峰へのハードルをちょっと高くしすぎたかと思いました。

■354…9d…9.21(火)————太平山…東武日光線
●関東ふれあいの道のガイドブックを作るので歩いたことがあります。山というより、関東平野を取り巻く丘陵地帯という感じですから、足利の行道山と同じイメージ。ちょっと長く歩いて情緒ある栃木市まで行きましょう。
●合計31ポイント——栃木市の中心にあるホテル鯉保で昼食を食べてから歩きました。女優山口智子の実家で江戸時代に奥の細道に出かける松尾芭蕉が千住で別れを惜しんで詠んだ「行く春や鳥なき魚の目は涙」の相手、鯉屋藤左衛門(杉風)が鯉保の祖先とか。ともかく可もなし、不可もなしの昼食のあと、岩舟山から晃石山を経て太平山まで低い尾根道を歩きました。

■355…9b…9.25/26(土日)————守門岳…JR只見線
●豪雪の守門岳です。新潟行きの高速バスで小出に出て、只見線にそって上条か入広瀬へと入るのですが、泊まりをどこにするかはいろいろ調べて決めましょう。山はゆっくり、のんびり歩けると思います。
●参加——飯塚 幸代、石原 利子、伊藤 義子、稲垣 節代、高橋 美江、内藤 園子、内藤 忠史郎、能藤 兼男、三上 洋子、溝上 京子、山川 和子
●合計?ポイント——地形図が入手できないまま計画書をつくったのでポイントは算定せず、登り約4時間半、下り約2時間半という計算でした。山は濃いガスに包まれていましたが、民宿の売りは魚沼産コシヒカリの新米。土産に買って帰る人が続出しました。あのあたりの田んぼはその後どうなっているのでしょうか。

■356…10a…10.9(土)————鶏頂山…東武鬼怒川線
●那須連峰と日光の山々の間に位置する高原山のふたつの峰、鶏頂山と釈迦ヶ岳に登るつもりです。できれば紅葉も期待したいところ。秋の軽い山歩き……かと思います。
●合計47ポイント——台風22号が首都圏を直撃するというその日に、非常識を覚悟で出かけてきたのがいずれも「いい年」をしたおふたり。私が提案する台風見物という点では、台風の方が太平洋岸に逃げたので肩透かしではありました。実際の山はしっとりと雨が降って、山頂で一瞬雲が切れて、それなりに報われました。東武はもちろん私鉄各社の特急が運休を決める中、悠々と帰りました。

■357…10e…10.12/13(火水)————秋田駒ヶ岳+乳頭温泉…東北新幹線
●この季節、東北の温泉宿はどこも混んでいるにちがいないのですが、平日だからなんとかなるだろうという計画です。山は軽くしたいので秋田駒ヶ岳だけで、乳頭山方面への縦走はしません。したがって第1日目は温泉三昧、2日目は「d」としても軽い山という組み合わせです。東北の秋をさがしに……という感じでしょうか。
●合計52ポイント——紅葉の季節の乳頭温泉は平日でも宿がとれないということに、直前になって気がつきました。あわてて問い合わせると大釜温泉がOKに。初日は入湯手形をもって蟹湯、孫六湯、黒湯とハシゴ。なかなか楽しいものでした。2日目は【e】ですから八合目から山頂に上がり、湯森山からブナの樹林を入湯温泉へと下りました。大発見はシャクナゲの花芽。同様の軽い【e】でシャクナゲ登山をやることに決めたのでした。

■358…10d…10.19(火)————高ボッチ山…JR中央本線
●たしか個性的な富士山の眺望で有名になったことがあります。車とのかねあいでどう歩くか考えなければいけませんが、秋の高原歩きをお楽しみに。
●合計48ポイント——晴れれば諏訪湖の向こうに富士山が見えるという展望台のはずでしたが、濃い霧に包まれて、おまけに寒くて、歩いたのはほとんど車道という1日でした。終盤、道際にニホンカモシカを見たぐらい。おまけに下った岡谷で期待していた食堂が廃業とか。みなさん、ご苦労様でした。

■359…10b…10.23/24(土日)————白毛門…JR上越線
●紅葉の谷川岳……、それもマチガ沢、一の倉沢、幽ノ沢など、谷川岳の大岸壁を見に行きます。秋まっさかりではないでしょうか。湯桧曽あたりか、あるいは湯ノ小屋温泉で泊まります。山は土合からの「しらがもん」山頂ピストン。軽くはありません。
●合計?ポイント——2日目の登り3時間、下り2時間半という白毛門往復は快晴&紅葉のすばらしいものとなりました。1日目は一の倉沢にちょっと深入り。夕食時に中越大地震の直撃を受けました。東京で一般的な横揺れ、縦揺れとはちがって、戦車軍団が近づいてくるような音と震動が高速で通り抜けていきました。それが3度。谷川岳周辺は岩盤がしっかりしているとのことでした。

■360…11e…11.9/10(火水)————丹沢表尾根…小田急線
●一度は泊まっておいていい鍋割山荘の体験バージョン。2日目は塔ノ岳を越えてヤビツ峠へと下ります。健脚なら日帰りのルートをゆっくりと2日かけて歩きます。
●合計67ポイント——鍋割山荘はちょっと変わっていました。草野さんがつとめていた山小屋オーナーのスーパーが店終いして、山と平地を忙しく上り下りしていた草野さんは山小屋専業になったようでした。平日、私たちだけでしたから、以前なら夕食後に草野さんは下山していたところを、夜半までじっくり話すことができました。夕食のウナギはちょっとヘビー?でしたけれど。

■361…11a…11.13(土)————嵩山…JR吾妻線
●「たけやま」と読むそうです。すごく小さな山ですが、クサリ場があるとか。岩っぽさを軽く楽しもうという計画。
●合計16ポイント——なんと登り1時間、下り1時間弱という小さな山を【a】でやったのです。みなさんよく参加していただけたと思いますが、独立峰ゆえか、なかなかドラマチックな印象でした。大きなザックを背負った一団は、むしろ違和感のある完全観光山岳ながら、また行きたくなる山でした。風呂+食事派はタクシーでわざわざ四万温泉まで行き、またわざわざタクシーで中之条駅までもどって、それから高崎でぐるりと食べ物屋さがし。これまでしっくりいかなかった高崎での食事にひとつ定番が決まりました。

■362…11d…11.16(火)————南高尾山稜…京王線
●甲州街道の大垂水峠から稜線をたどって高尾山に近づいていきます。この時期、秋の気配が楽しめるのではないかと思います。
●合計43ポイント——なにか想定外のミスがあって、往路の列車がバラバラになったのでした。そのため高尾まんじゅうの有喜堂本店を待ち合わせ場所にして、ゆったりとお茶やコーヒーを飲んでから出発となりました。すなわち計画とは逆ルートになって、大垂水峠まで、順調に歩き通したのでした。

■363…11b…11.27/28(土日)————小金沢蓮嶺…JR中央本線
●1日目は裂石温泉から大菩薩峠まで歩かなければならない時期かと思います。しかしできれば嵯峨塩温泉泊まりという気張った計画になるかもしれません。小金沢蓮嶺は南大菩薩の大菩薩峠から湯ノ沢峠までの部分になります。
●合計110ポイント——稜線歩きをたっぷりと楽しみたいということで、出発地点は青梅街道の柳沢峠。裏街道の大菩薩峠の介山荘に泊まって、南大菩薩はおなじみの湯ノ沢峠から米背負峠へ。冬の大蔵高丸経由で歩きました。ちょっと寂しい人数でしたが。

■364…12a…12.11(土)————飯盛山…JR小海線
●「a」としてはカンタンに思える野辺山のメシモリ山ですが、この時期は
すでに冬。けっこうドラマチックな1日になるのではないかと思います。晴れればすばらしい雪の山々。
●合計25ポイント——わざわざ清里まで行って25ポイントの山歩きは、じつはこの時期、雪がついていることを期待してのこと。八ヶ岳から吹き下ろしてくる北風に体を慣らすという想定のもとでしたが、雪なんてまったくなし。晴れて展望には恵まれましたが、ちょっぴり拍子抜けの山でした。風呂に入ってさあ食事というときには駅周辺はもう真っ暗。かろうじてスパゲティが食べられたのがラッキーという感じでした。

■365…12e…12.14/15(火水)————美ヶ原…JR中央本線
●真冬の雪原にはまだ早いかとかと思いますが、日本の3,000m級の高峰がほとんど全部見られる至福の展望台です。はやばやと冬の寒さを体験できるかと思います。山派の山本小屋の美ヶ原高原ホテルか、写真派の王ヶ頭ホテルか、考慮中です。
●合計?ポイント——ポイント計算するほどの行動ではありませんが、雪のまったくない美ヶ原。当初は王ヶ塔ホテルに泊まる予定が、予想外の料金値上げで嫌気がして、山本小屋の美ヶ原高原ホテルにしました。例によって1日目は牛伏山と美ヶ原高原美術館。雪に埋もれていて気がついたら美術館の中……という状況ではありませんでしたが。2日目は王ヶ塔から王ヶ鼻へ。いちおう日本の3,000m前後の山々を360度、存分に見つつ、雪よこい、という感じ。ただ「ふたご座流星群」のピークの翌日ということで、前夜はガスに包まれて見えなかったというのに対して、星はふんだんに見えました。美しの塔のところで全員ひとつ、ふたつ、3つ、4つぐらいは星に祈りを……という感じでした。

■366…12d…12.21(火)————鐘ヶ岳…小田急線
●大山三峰山の手前の鐘ヶ岳。軽く登って、広沢寺温泉でゆっくり暖まるか、七沢温泉で名物ボタン鍋か。当日の気分で決めればいいことなのですが。
●合計29ポイント——山は小さいので軽く歩いて、広沢寺温泉を通り過ぎて、立派なサザンカを見ながら七沢温泉に入りこみ、七沢荘からいくつかの温泉宿を通過して一番奥の元湯玉川館へ。火曜日は食事ができないのが残念でしたが、古い家屋を移築したという建物と、シンプルで格調をそなえた浴室はなかなかのものでした。ちょうどバスがあったので本厚木に出て、焼き肉屋かなにかで夕食。いつもどおり本厚木ではハンパな感じになりました。

■367…12b…12.25/26(土日)————安達太良山…東北新幹線
●風の名所、安達太良山の刺激的な冬です。岳温泉源泉の掛け流し温泉も。名物オヤジの橋本さんが定年でリタイアして、小屋の雰囲気がどう変わったか。
●合計39ポイント——参加予定2人だったのが1人になり、やむを得ず中止にしたら2人が参加を表明という、減ったり増えたり状態でした。ようやっと雪が来たのに。

■368…1a…1.8(土)————稲含山…上信電鉄
●岩の山頂に立つと、荒船山が驚くほど完璧な横顔を見せています。晴れていれば、信念にふさわしい山になるはず。
●合計16ポイント——タクシーが登山口まで入れば16ポイントという軽い山ながら岩峰なので見晴らし絶佳。とくに荒船山は見る価値アリというなかなかの山で、期待を裏切りませんでした。タクシーは奧まで入れず、最終集落から往復各1時間をプラス。風呂は高崎温泉・不動かくれの湯とし、高崎で夕食。この日の最大のハプニングは往路高崎駅で、構内の上信電鉄切符売り場で6枚つづりの回数券を買ったときに起こりました。くわしくは書けませんが、回数券の割り勘でもたもたしているうちに到着電車が入って、われわれは追い払われ、高崎駅で精算すべききっぷを持っていた数名はそのまま通過。さらに約1名は最低金額の最初のきっぷで精算機をだましてなんだかすごい金額をキセルしてしまったとか、しなかったとか。もちろん往復ちゃんと買ってきた人もいれば、熊谷までのホリデーパスだった人もいたけれど。悪意なしにトクした気分……は春の椿事、かな。

■369…1e…1.11/12(火水)————高峰山+高峰温泉…長野新幹線
●なんといってもメインは高峰温泉です。まだの方はぜひご参加ください。自由に使える和洋のスノーシュー、クロスカントリースキー、ゲレンデスキーで遊びます。浅間山の外輪山・黒斑山は登山禁止かもしれませんから背後の高峰山としておきましょう。集まった顔触れによってどんな雪遊びをするか考えます。平日とはいえ、人気の宿ですから参加可能な方は早めにお知らせ下さい。
●合計?ポイント——15人前後というのはにぎやかでいいですね。週末ではなかなか泊まれない高峰温泉もこの日の主役はわたしたち。スノーシューもクロスカントリースキーもよりどり見どりで自由に使えるので、行ってからということにしておいたら、お山は雪。宿から高峰山へのスノーシュー・トレッキングは新雪のラッセルですばらしいものになりました。そして2日目は林道をクロスカントリースキーで。これも降り積もる雪の中、ラッセルの楽しさを堪能しました。——そして宿の若主人?によると、午後のバスは大雪でこないかも、と。昼過ぎにタクシーを呼んだら、ジャンボタクシーが上がってこれなくて大騒ぎ。雪上車で公道まで送ってもらってようやくタクシーと合流できました。そのドタバタでタクシー料金も驚くほど安くすんだし。

■370…1d…1.18(火)————高川山…JR中央本線
●もうご存じ、富士山展望の高川山です。冬型の気圧配置なら天気は当然快晴。純白に雪をかぶった富士山が眼前にそびえてきます。小さいながら、変化もあれば雰囲気もある名山ですから、まだの方はぜひこの機会に。
●合計33ポイント——十分な雪があって、展望は富士山はもとより南アルプスまで見えて文句なし。それから下山にかかると新雪直後のトレースが禾生/田野倉への一般ルートのほかに、小形山に出る北西へのルートについていました。かねがねたどってみたいと思っていたところなので、雪道を幸い、そちらに進んでいきました。まずはなかなかの急斜面。それからやせた稜線をえんえんと下って、小形山に下りたのでした。

■371…1b…1.22/23(土日)————北八ヶ岳…JR中央本線
●どうしようかと考えていますが、この時期は雪質がいいので、久しぶりにメルヘン街道スキー大滑降といきましょうか。ピラタス横岳ロープウェイで上がって、縞枯山と茶臼山を経て麦草ヒュッテ泊まり。2日目は初心者向け練習の後、ぶっつけ本番の国道・メルヘン街道6kmのドタバタ滑降。生まれて初めてスキーという人を対象にしていますから、ご安心。不安な人はどなたかに聞いてみてください。かつて糸の会の冬の定番だったプログラムです。
●合計38ポイント——天気晴朗にして気温は氷点下10℃以下。約束どおりの北八ヶ岳でした。茶臼山の下りでボブスレーもしたし、その鞍部の吹きだまりで雪まみれ遊びも。2日目はテレマークスキーで白駒池まで行き、午後には恒例のメルヘン街道大滑降。新雪が積もりすぎて、スキーはあまり滑らなかったけれど、これこそ真冬の北八ヶ岳という2日間でした。

■372…2e…2.08/09(火水)————八甲田山+酸ヶ湯温泉…青森空港
●最高のスノーシュー・ハイキング。晴れれば素晴らしい樹氷風景ですし、一瞬にしてガスに巻かれればホワイトアウトのふかふか雪。スノーシューをはくと、上級スキーゲレンデの脇の処女雪が完全に遊び場になってしまします。経験しておかないのはもったいない。……というだけでなく、酸ヶ湯温泉のなんともいえない湯治湯の雰囲気と、1日目には(たぶん)人気の八甲田ホテルでのランチ。チケットはスキー客用の宿泊つき格安チケットを利用します。往復+宿泊で33,000円ぐらいのはず。参加希望は早めにお願いします。
●合計?ポイント——定番となってきた八甲田山。1日目は八甲田ホテルで昼食の後、冬季閉鎖中の十和田ゴールドラインを傘松峠方面へ。全く踏み跡のない深い雪道を50歩交代で傘松峠往復。2日目は視界20mという濃い霧の中で樹氷地帯を一周。それから下り一方のスノーシュー・ダウンヒル。途中で雪遊びなどもして荒れる時期の八甲田山はやっぱりいい、と思いました。

■373…2a…2.12(土)————越前岳…東名高速バス
●愛鷹山の最高峰です。じつはそれほどハードではないので厳冬の富士山を見に行くというイメージ。気持ちのいい晴れの日にちがいないと考えています。
●合計43ポイント——御殿場に向かう東名高速バスからはすばらしい真白の富士の嶺が見えていました。とことがところが、登りはじめるととたんに雲に覆われて、目の前にありながら、どこ? どこ? という感じ。それでも駿河湾も南アルプスの山々もちゃんと見えて、冬らしい清冽な空気感もすばらしく、富士山さえあれば……という1日。その後は御殿場市温泉会館からシチューの力亭へ。バレンタインサービスとかで割安感がありました。

■374…2d…2.15(火)————金時山…小田急高速バス
●2月は「d」も富士山を見に。小田急の箱根行き高速バス利用です。山頂ではもちろん2軒の茶屋のどちらかで暖かいものを。
●合計54ポイント——雪がついて歩きやすいかと思ったら、日の当たる稜線はかなりぐしゃぐしゃ。それでも冬らしい気持ちよさで山頂に至り、ゆっくりと昼休み。下りは北面の急なハシゴ道をたどって、小山町円通寺方面への長い尾根を下りました。その後は定番の御殿場市温泉会館からシチューの力亭へ。

■375…2b…2.26/27(土日)————丹沢縦走…小田急線
●積雪がどの程度かわかりませんが、海を見ながらの主脈縦走。塔ノ岳の尊仏山荘に泊まって、2日目は丹沢山→昼ヶ岳の稜線をたどります。
●合計102ポイント——大倉尾根を塔ノ岳の尊仏山荘まで登った1日目は吹雪。すでにかなりの積雪があって歩きやすさはこの時期ならではのもの。掘山の家が営業中だったのでひと休み。ゆっくりと無難に尊仏山荘へ。尊仏山荘の「具なしカレー」はホームページでも自慢しているように、なかなかの味で、今回はかなりリッチで「具なし」という不満はありませんでした。でも「あのとき」はたしかに欲求不満になる「具なし」だったのは全員の意見の一致するところ。1回だけではなかったし。でもこれからは積極的に泊まれると思います。2日目は快晴。伊豆大島方面はすこしぼんやりでしたけれど、南アルプスや八ヶ岳は紺青の空に白くそびえていました。トレースが消えそうな心配を抱きながら、行くと、以前大雪の後に歩いたときにはまだ見えていたクサリ場も、終わってから気づくようなありさま。今年は蛭ヶ岳で約1mだということですが、ずいぶん雪が多いという感じ。蛭ヶ岳山荘でカップラーメンを食べて、長い下りを楽しみました。久しぶりに「よく歩いた」という満足感が元気な3人(元)娘のみなさんにあったようです。

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■2005.3.10──「70歳」をどうするか?

●このあいだ、朝日カルチャーセンター千葉の受講者名簿を「年齢順」にしたところ、大きな反響がありました。予想年齢と実年齢とが大きく違っている人がいてオオ〜ッ!というのがみなさんの関心のようでした。そして私は全体の年齢のアップ&アップ状態に愕然としたのです。
●とはいえ私自身も今年は60歳。予想していなかった人生域に突入という感じがします。ここ数年、肉体的な老化のハシリを感じたりして思うのですが、ピークを過ぎたと思ったところから転げ落ちる人生は、ある意味で全員がそれぞれ先頭を走るオンリーワンの体験になるのではないかと思うのです。いったん老境に踏み込むと、そこは未知の世界。人はみな「内なる探検家」となるのではないかと思うのです。
●そういう思いを抱きはじめると、「65歳が境界年齢」といっていたことなどはとっくの昔に後ろへ去っていたとわかったのです。65歳あたりを境にして肉体的な個人差が大きく広がって、一律に管理することはできないということに関しては以前と同じなのですが、「70歳まで」、あるいは「70歳を超えて」どこまでやれるかと考えはじめたみなさんに大きくあおられてしまいました。まあ、みなさん、線香花火みたいなものなのでしょうが、「最後のひと花」という思いを頭の片隅におきながら、勇猛果敢に突き進む姿が印象に強く残るようになっていきます。
●ある意味でとても危険な思想ではないかとも思うのですが、それを「技術」で解決できるならおもしろい……とも思うのです。「あきらめない人生」というのがあるなら、「やめない山歩き」というのもアリかな? と思うのです。約束はできませんが、これまでとはちがう価値観の山歩きを模索してみたいと思っています。

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■2005.2.17──上高地でギックリ腰をやりました

●朝日カルチャーセンター千葉で上高地のスノーハイクに行きました。初日の2月16日は松本で雨、中ノ湯温泉も雨でした。
●翌17日は朝7時に中ノ湯で0℃というあたたかさ。しかも予想を裏切る完璧な晴天でしたからゴアテックスも着る気になれずに釜トンネルを抜けて上高地へと行きました。
●青い空にくっきりと白い穂高連峰を眺めながら河童橋へと至り、順調なペースでしたから明神池まで足を延ばしたのでした。
●その帰り、小梨平のキャンプ場に入ったあたりでちょっとしたハプニングが起きたので長い休憩をとりました。Kさんがフラフラと倒れたのでとりあえず食事休憩としたところKさんは回復。のちに低血糖症という疑いが濃厚になりました。
●その小梨平での休憩のとき、下ろしたザックから食べ物をとろうとしゃがんだときにバ〜ンという感じで動けなくなったのです。
●30秒ぐらいだったかと思いますが、立ち上がれるようになったので重いギックリ腰ではなかったようです。その日は釜トンネルの手前でもう一度軽いギックリ腰となり、松本駅でタクシーを降りた瞬間に、またかなり長い間動けなくなりました。
●そんな状態ですから新宿で下ろしたザックを持ち上げるまでに何分もかかるというような状態でした。いったん背負ったら下ろせないので、家まで背負ったまま帰ったのです。
●じつは、腰についてはあまり心配していなかったのです。腰痛持ちのスポーツ選手はいっぱいいますし、丹沢・鍋割山荘の草野さんもかなりひどい腰痛持ちだそうですが「職業病だから」と語っていたことがあります。痛いけれど、仕事はできる……というふうに思っていました。ところがどっこい、痛いだけでなく、動けなくなってしまうということを知ったのです。
●そこで翌朝、JR武蔵小金井駅北口の名医のところに行きました。じつは3度目なんです。腰に違和感を感じてビリっときたことが2回あって、そのときは大いなる不安から見てもらったのです。
●今回も同じでした。「筋肉をゆるめる注射」をチョン、チョンと打って、湿布薬を背中に張って終わりでした。「2〜3時間したら完全に元に戻る」といいうことと、「もしおかしかったらレントゲンもとってみましょう」ということで放免されたのです。腰に当てる簡単な板も渡されました。さらに薬局で湿布薬と飲み薬(痛み止めと神経をゆるめる薬とか)。保険が効くので初診料も含めて2,000円弱でした。
●ギックリ腰は腰とつながっている筋のどれかがこわばってしまった状態というのがその面高先生の考え方。だから痛みのある腰ではなくて、背中を3分の1ぐらい上がったところに湿布薬を貼ります。「一発で直らなければギックリ腰ではない」という考え方をしているのです。
●今回も、もしかして筋肉疲労も……と考えたのですが、重いものを持とうが持つまいが関係なく、「冬は温めて、夏は冷やさないように」というのに尽きるとか。考え方は明快です。
●それでストーリーが全部つながったのですが、じつはこの冬はズ〜っと腰に違和感があったのです。階下の居間のドアを開けっ放しにして暖房熱が2階まで上がるようにしたので、仕事中に暖房をしませんでした。深夜、「寒い」と感じたときに、からだがそうとう冷えていると思ったことが何度かあり、ごく軽いものながら、腰に違和感があって、「暖めようかな」と思ったこともあったのです。
●冷えということでは、上高地で、明神池から引き返しはじめたときに足が冷たく感じたのです。その日は暖かったのと、防水靴下がまだ新品同様だったので、足にカイロを入れずに、歩いてみようと思ったのです。0℃なら日帰りの雪の山とほとんど同じです。
●そういうわけで、冷えが原因なら、十分にあったわけです。それがギックリ腰となった筋道ということになります。
●武蔵小金井の面高整形外科医院は(たまたまかどうか知りませんが)3回ともほとんど待たずに見てもらって、ケロッとして帰れました。なぜ名医なのにガラガラなのか?
ひとつの推理は、来た人を1回で手放してしまうのでその地域からお客さんがどんどん少なくなってしまった。もうひとつは、1回なら名医だけれど、名医故に何回も通うとなるとこまかなところで考え方がぶつかるようになる……かも。
●ともかく、一発で直してくれる名医ですから、1回だけ行ってみるという価値はあります。遠くの人でも、かかってみる価値ありと思うのです。そういうわけで、その面高先生のところをご紹介しておきます。
●場所はJR中央線の武蔵小金井駅北口。西友と長崎屋の間の道(長崎屋の脇にあります)をまっすぐ入っていくと、商店街の街灯がなくなるちょっと手前、左側にあります。駅からすぐのところです。ちなみに住所は小金井市本町5-19-30、電話は042-383-5006。診察時間は0900-1200/1500-1800で木曜と日曜休診、土曜日は午後休診となっています。

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■2005.1.10──八甲田山の宿泊つき往復航空機パックの仕組みについて

●八甲田山の宿泊つき往復航空機パックの仕組みがわかりました。
●計画書には次のように書きました。
チケットをゲットしてください。
近くの旅行代理店で「JAL STAGE」(ジャルステージ)の「ステイ八甲田2日間・酸ヶ湯温泉旅館」(商品コードNJ8072C)を2月8日出発分で購入してください。1人部屋で33,500円です。2-3人だと31,500円になります。のっけからダメな場合はお教えください。奥の手が使えるかもしれません。
飛行機は往路JAL1201便(0745羽田→0855青森)、復路2月9日JAL1210便(2045青森→2200羽田)にしてください。ただし往路がとれない場合はそのあとのJAL1203便(1010羽田→1120青森)でもけっこうです。空港から宿までは無料の送迎サービスがついていますからご心配なく。合流できます。
けっきょくとれない場合で、なおかつ参加したいという場合には青森行きの夜行バスが往復17,000円もあります。ちなみに2120渋谷マークシティ→0800青森駅通り、2115青森駅通り→0727渋谷マークシティとなります。しかも宿の無料送迎あり。
昨年の「3e」を流してしまったので、今回はなんとかして成立させます。


●ところがみなさん、うまくゲットできませんでした。以下は緊急のファクス通信です。
八甲田山の計画書がお手元に届いているかと思います。参加予定の方の何人かが宿泊つき航空券を申し込んだところトラブルがありましたので、△印の皆さんも含めて、お知らせします。
最寄りの旅行代理店から計画書にある「JAL STAGE ステイ八甲田2日間・酸ヶ湯温泉旅館」(商品コードNJ8072C)を申し込んでいただければいいのですが、飛行機はとれるのに宿がとれないというトラブルが発生しました。
事前に申し入れておいたことがしかるべき人に届いていなかったのが原因でして、JAL STAGEの1人部屋の枠が5つしかないためでした。当方はグループで、最悪部屋がなければどうにでも対応するということで、とりあえず受け入れてもらうことを確認しました。2月8日はガラガラではないかと思います。
……で参加される方は上記申し込みの際に名前の後ろに「糸の会」とつけてください。
それから、旅行代理店を安心させるために、先方(酸ヶ湯温泉旅館)フロントのオオタカさんが了解済み、と言い添えていただければ完璧です。
飛行機の席がとれなくなればだめですが、宿のほうは大丈夫ですのでご安心ください。
とりあえず緊急にご連絡、です。2005.1.10——伊藤幸司

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■2004.11.9-10──入門・小屋泊まりのための装備ガイド

●小屋泊まりのための装備
●鍋割山荘は草野さん手作りの山小屋で、標準的……というか、古いタイプの山小屋とお考え下さい。北アルプスの人気の小屋などと比べると、狭くて、暗いというのが第一印象かもしれません。
●ところが泊まり客と草野さんのコラボレーションによって、独特の雰囲気が作られていきます。それも有名な小屋のオヤジという感じではありませんからお楽しみに。食材もゴミも、みんな草野さんが自分で担ぎ上げ、担ぎ降ろしています。ちょっと哲学的なオヤジなのです。
●稜線で水のない小屋ですから、余力のある人は登山口に置いてあるPETボトル入りの飲料水を担ぎ上げることになっています。そういう仕掛け、最初はいくぶんいやな気分がしたのですが、足らなければ草野さんが自分で担ぎ上げるのですから、まあ、1リットルか、2リットル、運んでみたらどうでしょうか。時間はあるので、ゆっくりと登ります。
●鍋割山は稜線上の小さな突起に過ぎませんが、景色のいいところです。こちらもお楽しみに。
●で、小屋泊まりの装備ですが、ポケットライトが必要です。
●着たまま寝ますから、寒かったら上に重ね着するだけ。休憩時間にも羽織れるフリースのシャツを1枚防寒用に持っていたいものです。
●それでも寒いというときのために、貼るカイロ(ミニサイズ)を10枚ほどお持ち下さい。ふとんの中に持ち込んで、寒いようなら足裏に左右各1枚、それでもだめなら腰に1〜2枚、……でもだめなら腹、肩というぐあいに貼ってください。
●貼るカイロで低温やけどを起こさないために必要なのは肌着です。上は登山用のTシャツ(半袖の夏用)、下には登山用のタイツ(ドライタイプの、いちばん薄手のもの)をはいていると、安全です。
*男性でステテコをはいている人がいたら、最悪の選択です。この際に登山用品店で七分丈のタイツ(もちろんドライタイプで薄手のもの)をお買い求め下さい。
●以前は小屋泊まりで安眠を確保するためにゴアテックスのシュラフカバー(寝袋用防水カバー、1〜2万円)をすすめていましたので、持参する人もいるかと思います。今回のために買っていただく必要はありませんが、どんなものか見せてもらえるといいと思っています。(お持ちの方はよろしく)
●山小屋の布団が不潔だと感じるのが正常な感覚です。襟元のカバーになるような手ぬぐいなどあると便利かも知れません。
●山の上はすでに初冬、しかも小屋泊まりの場合には翌日の天気がどうなるか予想を超える展開になる場合があります。危機管理という意味でも、ゴアテックスのレインスーツが必要です。最悪、それを着て寝るということもあります。もしまだお持ちでない方はこの機会にお買い求め下さい。ゴアテックスの薄手(レインテックス2やリップストップナイロンゴアテックス)のものが安全です。ただし最近、新世代ゴアとかいって値上がりしたみたいなので、ランクを落として東レの和製ゴアテックス「ダーミザクス」のものもいいかも知れません。伊藤の黒いレインパンツがそれみたいです。
●手袋、防寒用帽子、予備のソックスなどがあれば、着るものは冬の日帰りと同様で問題ありません。

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■2004.10.16──初級新講座の持ち物ガイド「朝日カルチャーセンター千葉」の場合

●新しい講座にご参加いただきましてありがとうございます。
●この講座は「まったく初めての方」を想定しています。基本的には歩き方と道具のそろえ方から始めますので、今回は「あるもの」だけでご参加下さい。
●最終的にそろえたいのは「登山用のドライタイプTシャツ」「25リットルクラスのデイパック/ザック」「薄い手袋」「保温用フリースシャツ」「レインウェア」あたりですが、早急に買わないでください。1回目が現地での装備解説編とお考え下さい。
●今回、足ごしらえは「はき慣れた運動靴」、荷物が全部はいるザックがあればそれ、なければ登山用品店で「25リットルクラスのデイパック/ザック」(登山用は10,000円前後します。現物を見て大きすぎると思うのは初心者だからで、最小のサイズです)をお買い求め下さい。
●肌着は(いずれ登山用品店で「ドライタイプの半袖Tシャツ」を買っていただきますが)今回はなんでもいいです。ただし着替えをお忘れなく。
●ズボンやシャツ(カッターシャツやブラウスシャツ)は綿でなく化繊のもの(できればスポーティーなもの)ならなんでもけっこうです。
●雨具は今後続ける方には冬に向けて「ゴアテックスの上下」(定価で25,000円前後)を買っていただきます。単なる雨具ではありませんので半端なものをお買いにならないように。……というわけで、当分は使い捨てのビニールの雨具(上下タイプ)をお持ち下さい。それと軽い折り畳み傘(100円ショップものでもけっこうです)を。
●10月半ばに標高2,000mに登りますから、天気によっては「冬」になります。もちろん秋晴れならポカポカですからいいのですが、風は冷たくなっています。寒さに対する保温より、手足などの末端部の冷たさに対する保温が重要になってきます。手袋はスーパーに売っている小さくなる化繊の薄い手袋などがベストです。間違っても木綿のもは持たないように。靴下は木綿を避けたいところですので、冬用のポリエステルの薄手や中厚手のものを引っ張り出してみてください。雨に濡れたときのイメージで冷えない感じのものをお持ち下さい。それから保温用としては帽子が重要ですが、この時期にはまだなんでもけっこうです。これから買うときには耳覆いのついた(あるいは引き出せるようになっていたり、帽子そのものを耳まで引き下ろせるような)もので、フリース地のものをひとつ試してみてください。いずれフリース素材の手袋も必要になります。
●この冬も続ける方はシャツやズボンもフリース素材のものが必要になってきますが、たとえばユニクロの1,000円前後で買えるシャツやズボンで機能的には十分ですからあわてなくて大丈夫です。
●最後に適当な運動靴がないという方、間違ってもハイキングシューズや軽登山靴をお買いにならないように。私はここ数年ずうっと「運動靴」です。ワンサイズ大きなランニングシューズなどにゴアテックスなどの防水靴下で1年中(もちろん雪の山も)歩いています。防水運動靴も豊富に出回ってきましたから軽くて濡れにくいウォーキングシューズという選択がおすすめかと思います。
●それでも不安という人は使い捨ての「張るカイロ」(ミニサイズ)を数枚お持ち下さい。足や手や、からだが冷えた状態では最高の非常用保温装備となります。服装が不十分でもからだをいじめずに帰ることができます。
●それから最後に——食料です。
●水はペットボトルの水やお茶やスポーツドリンクなどを予備も含めて合計1リットル。行動食(休憩時に立ったままでも食べられる昼食)としてコンビニ(や駅売店)のおにぎりを3個〜5個お持ち下さい。そこからいろいろ発展させていただければと思います。

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■2003.9.5──「ごめんなさい」をいろいろ

●9月アタマと11月の格安航空券のチャンスを逃してしまいました。一部の方から期待があったようなのですが、手を出す余裕がありませんでした。ついでにあらかじめ予防線を張っておきますと、この冬も、あまり積極的に飛行機利用の「f」はできないかもしれません。(「1f」の八甲田と「2f」の札幌周辺は飛行機利用のスノーシュー遊びですが、単純に「b」の安チケット利用企画です)
●じつは、3年目に入る「宮本常一写真集」(仮題。2巻+α。毎日新聞社)の編集作業の、上巻の守備範囲がこのところ回ってきていて、それで時間がとられています。気持ちがそちらへ向いてしまっているのです。


■8年目のまとめ作業も
●それからもうひとつあります。1995年の秋に糸の会を始めるに当たって「ガイドブックの取材と兼ねてなら山歩きの講習会をやれるかも」と考えた、そのガイドのまとめをようやく具体的に始めました。「登山道《フォト》ガイド」と「登山道《マップ》ガイド」の2本立てという構想で、いまは「フォトガイド」の準備をすすめています。近日中に、山ごとの写真集積というかたちでの「フォトガイド」をお見せできると思います。
来年は歯ごたえのあるものをいくつか
●——という言い訳ですが、この半年は基本的に定例のものだけ、とさせていただきます。
●で、来年の夏に向けてですが、大物企画の取りこぼしがいくつかありますので、それを重点的に考えようと思っています。
●ひとつは剣岳。前回は一部の人だけしか登頂できませんでした。もう一度やらないと。
●白馬も一度だけしかやっていません。入門編としてもう一度と考えています。
●それから穂高連峰も中途半端なままです。中央アルプスの空木岳も考えなくては。
●それと今年チケットがゲットできずに流れた利尻・礼文を6月あたりに札幌から陸路というかたちでやりたいと思っています。


■「月イチ」の山歩きが基本です
●「s」などの大モノへの参加が可能かどうかという打診をしてくる方がいらっしゃいますが、例によって私は判断しません。もし、背伸びして行きたい山があるのなら、それなりの助走が必要なのはいうまでもありません。
●必ずしも「糸の会」とは限りませんが、毎月1回は山に行くという程度のことは最低限必要で、できれば調子の流れを見せていただくという意味で「a」や「b」に時々参加していただきたいと思います。みなさんの調子を「流れ」で見ておかないと、いざ必要なときにもこちらの対応がしにくくなります。
●岩っぽい山へ行きたい人は、両神山、十二ヶ岳、石裂山あたりを自分なりのステップとお考え下さい。春には二子山もやるつもりです。いずれも技術的にどうこうという以前に、岩場歩きが自分にとって楽しいかつらいかという素朴なところをきちんと見ておいていただきたいのです。こちらは「予期せぬ行動」が発生する危険がある人かどうかを見ているつもりです。
●基本的には「きちんと歩けば安全」という山ばかりです。糸の会へポツポツと参加して、別の機会も利用して「月イチ」は維持するようにお願いします。
●大モノに対しては3ヶ月前ぐらいから心の準備、体の準備をしていくというくらいのていねいさがほしいと思います。体の調子がある程度見えていての山歩きが、けっきょくは体にやさしいと考えます。


■失敗がいろいろありました
●台風に最接近した伯耆大山のことは前回報告しました。いい山なので、また計画したいと思います。三瓶山も晴れた日に外輪山を一周したい。
●至仏山は7月1日解禁で、登れなかったので、初日は尾瀬ヶ原と尾瀬沼を越えて長蔵小屋泊まりとして、2日目に鬼怒沼を越えて奥鬼怒温泉郷までとしたのですが、道が藪に隠れていて時間の計算ができないので、途中から大清水に逃れ、物見山に登り返して鬼怒沼に下るというルートに変更。なが〜い1日になりました。風呂なし、夕食もコンビニでの買い出しで鬼怒川温泉駅でかろうじて最終の特急に飛び乗るという思い出深い山になりました。
●次も報告済みですが、7月4-7日の利尻・礼文が消滅しました。ANAの「超割」チケットはマイレージ会員向けの事前予約でも取れなかったようで、完敗。ただ小林絢子さんはラッキーなことに予約開始5分後に電話が通じたとかで、予約はできなかったものの往路のみキャンセル待ちに登録されました。そのキャンセル待ちが生きて稚内までの片道チケットを1万円でゲット。けっきょくそれにノーマルの復路チケットを購入してひとり旅を実施しました。
●伊藤は「超割」がとれなかった押さえに、エアドゥーで札幌往復。それに稚内行きの夜行バスを組み合わせて、実施可能は確保しておきました。来年はこの方式と「超割」とのダブルねらいでやってみようと思っています。
●皇海山も結局は桐生駅から引き返しました。沼田側からの計画を変更して足尾側の豪華避難小屋の庚申山荘に泊まって鋸山十一峰を越えていくという決断をしたまではよかったのですが、台風がらみでしたっけ、集中豪雨で渡良瀬川は大増水。わたらせ渓谷鉄道は不通になっていて、国道122号線も通行止め。レンタカーで行けるだけ……という考えもあったのですが、もともと日帰りの避難小屋泊まりに変更したので、無理に無理を重ねるという方向に警戒して、台風を押して出てきたみなさんにあきらめていただいて、三日月村とスネークセンターのある藪塚温泉で風呂に入って帰りました。
●白山は花がすばらしい山だったし、会津駒ヶ岳は3kgの豚しゃぶに小屋の管理人さんが涙していましたし、唐松岳〜五龍岳は腕が見る見る火ぶくれになっていくような夏らしい太陽に恵まれて、花畑も夏の到来のようなフレッシュな花にあふれていました。糸の会にはアタリもありました。念のため。


■今年の装備について
●お気づきとは思いますが、アディダスの防水バスケットシューズをやめました。猛烈な欠点が出たのは伯耆大山のときでした。ホテルのK.小池さんのベッドの脇に雨具でくるんで置いておいたのですが、猛烈な臭いでした。小池さんが先に文句を言わなかったのは、たぶん強烈すぎたからだと思っています。
●あの靴は冬用らしいのです。バスケットシューズのほかにトレイルランニングシューズとしてもあるようなのですが、換気穴をつけずに防水性の外皮で覆っているのです。それだけなら昔愛用したスノトレもどきなのですが、贅沢なクッションが入っているところが高級なのです。
●そのクッションが水を吸うので、夏に水漏れがすると蒸れるのです。簡単に乾かないという欠点も露わになってきました。以来、蒸れた足の臭いがいつもちらついて、とうとう我慢できなくなって、ふつうのランニングシューズに変えました。
●もうひとつ、夏前に半袖Tシャツを5枚買いました。ユニクロの売り出しバーゲンで1枚たしか780円。デュポンのクールマックスを使っているということで買ったのですが、まあまあです。肌触りは登山用と比べるといささか悪いので一般に受け入れられたとは思いません。……が、着てしまうと忘れてしまう程度の違和感です。安ければ、めっけものといえそうです。
●もうひとつ。お気づきでないかもしれませんが、1本のズボンをはきっきりにしています。たぶん3年になるでしょうが、これは薄くて、露草の中を歩いてもどんどん乾いていきます。雨で濡れるのもほとんど気にしなくていいのです(ただし雨量が多そうなときには、ザックの底から回り込んでくる雨で腰回りが濡れるのを防ぐために雨具をつけています)。イタリア製のズボンで、たまたまバーゲンで買ったのですが、ほかのズボンをはく気になりません。そろそろ新しいものを探さないといけないのですが。

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■2003.3.25──飛行機利用のことなど

●昨年は「f」にけっこう夢中になりました。今期は控えようかと思っていたのですが、ANAの「超割」(全便一律10,000円)とJAL/JASの「バーゲンフェア」(地域によって違いますが、今期では出雲9,000円、小松7,000円)を見たら、またやりたくなってしまいました。
●鹿児島へのSKY(スカイマークエアラインズ)は事前購入割引の「カウントダウン49」(たぶん8,900円)。それがとれなくても、往路の「モーニングサービス」(13,000円)と復路の「スターライトサービス」(16,500円)も利用できます。
●ANA、JAL/JASの格安チケット購入は電話でやるのがいちばん簡単ということがわかってきました。発売初日の朝一番で電話をしてみて、10回呼んでだめなら、昼過ぎぐらいにもう一度かけてみます。それでもだめなら、念のために翌日もう一度。その程度の気持ちでいいのではないでしょうか。
●ANAの「1日乗り放題」を当てにしたのが2月1日の「支笏湖畔」でしたが、だれもゲットできませんでした。でも、発売日の午後でも、昼の時間帯の羽田→新千歳は残っていました。今回の出雲、稚内、小松などは、ゲットしやすいルートではないかと思います。往復で予約できますから、初めての人はコンビニでの現金精算にすると簡単です。もちろん旅行代理店に頼んでおくということもできますが、それならむしろANAがマイレージ会員に対して事前に申し込みを受け付けるというような特典を利用した方がいいように思います。いままでのところ、各社とも電話の受付対応がすばらしいので、かかりさえすれば問題はないからです。


●冬にトライしたスノーシューは想像以上のおもしろさです。「12a」の守屋山でテストして、「1f2」の大山+三瓶山、「3f」の礼文島でおおいに楽しみました。
●なにしろ、スキー場の上級斜面以上の急斜面での下りが、とてつもなく楽しいのです。今度の冬には格安の北海道スキーパックを利用して、存分に楽しんでみたいと考えています。
●スノーシューはやはり、MSR社の製品が当たりでした。クッキングストーブでユニークな製品を出しているMSR社のDENALI CLASSIC(デナリ・クラシック)です。定価が(たぶん)20,500円で実売価格が16,500円。プラスチック製で色は赤、黒。適応体重40-55kgとなっていますが、それで大丈夫です。もし安売りで見つけたら買っておいていただいて損はしません。スノーシューで新雪の斜面をずり落ちる快感は一度体験しておくに値します。漠然と探していた雪遊びの正解!という感じです。


●それから、5月に学研(学習研究社)から本が出る予定で、いま最終段階にさしかかっています。じつは1年遅れの本なのですが、『がんばらない……』の続編に当たるもの。担当編集者の柿本さんという人のスポーツ・ガイドシリーズの1冊に加わる予定です。まだタイトルも決まっていませんが。


●追記——「5f」霧島山と「6f1」屋久島に参加希望の方は、往路の始発便と帰路の最終便を「カウントダウン49」で購入しておいてください。電話は03-3433-7670。往路はSKY301で0705羽田→0855鹿児島、復路はSKY306で1930鹿児島→2115羽田だと思います。現地合流、現地解散でもけっこうです。また決定できない場合には「49日以前」の割引ですからあわてずに。また予約から購入までの間に数日の猶予もあります。早朝割引、最終便割引だと購入をずらせられ、キャンセル条件も有利になります。


■会員登録に当たってのお願い
●山行予約欄をつけた郵便振込用紙を同封しました。2004年度の会員登録をされる方は、おおまかに△あるいは○をつけて、年度会費1,000円を振り込んでいただけるようにと。もちろんお金を動かさずにファクスやEメールでもけっこうです。4月中にお願いします。新しい名簿を整備しますので。
●それから、保険の件です。最近はあまりチェックしていないので不安なのですが、会員のみなさんにはハイキング保険(あるいは山岳保険)に入っていただくことを前提にしています。いざというときに迅速にヘリを呼び、救助隊を要請できるための保険ですから三井のハイキング保険の最低価格のものでけっこうです。これは救命という意味での初動に大きな役割を果たしてくれるはずです。糸の会でまとめてという方法をとらずに個人加入にしているのは、みなさんの年間のすべての山歩きに対応できるように、という考えからです。
●……で、不幸にして事故が起きた場合の傷害・生命保険部分は低額ですから、それはほかの保険で補っていただくよう、チェックしておいていただきたいのです。
●また、健康状態や当日の体調については各自責任を持って管理していただくのが原則です。……が、不安がある場合には伊藤までお知らせください。100%の配慮ができるかどうかわかりませんが、「d」はそのような状況に積極的に対応できる計画、という了解の上で、みなさんに参加していただいていると考えています。「a」などについては、ときにハードな設定になっていますから、計画書を見た上で、当日の体調など不安があれば無届けで欠席していただいてもけっこう、という考え方をしています。

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■2002.4.5──お知らせいろいろ

■scrolling messages
*このメッセージは、私のすべての計画書(糸の会、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクール)に、順次スクロールしながら載せているものです。ここに再録したのはその10.6〜2.24分。古いものが順次後ろへと送られていきました。


●スキーは2回目というY.三橋さんとT.竹内さんが「初体験でも(ほとんど)だいじょうぶな中級」というのに参加しました。北八ヶ岳の麦草ヒュッテ泊まりの糸の会の「2b」を今回は「スキー三昧」にしたのです。1日目はメルヘン広場から迎えのスノーモビルでわずか13分で麦草ヒュッテへ。午後いっぱい使って白駒池往復+高見石往復(これは歩きで)を敢行、2日目は朝7時半から約8時間かかって雨池→ピラタス横岳ロープウェイ山頂駅→五辻という周回ルート+メルヘン街道の6km大滑降。北八ヶ岳のクロスカントリースキーのフルメニューをやってしまいました。
●竹内さんは終盤、激しく転んでヒザをいためてしまいましたが、とりあえず下山後は温泉に浸かり、ビールを楽しんでいましたから、ちょっぴり安心。
●……で、今年のスキーの総括ですが、入門には美ヶ原がベストだと思います。温泉つきホテルの玄関まで送迎してもらい、高原上は自由気ままに歩けるだけでなく、展望がすばらしい。北アルプスから御嶽山、中央アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳、浅間山……と本州中央部の主要な山々にぐるりと囲まれているという特別な感覚があるだけでなく、歩くごとに風景がドラマチックに展開するというおまけつき。歩く楽しさが凝縮しているのです。山本小屋の美ヶ原高原ホテルにはレンタルのスノーシュー、クロスカントリースキー、テレマークスキーがありますし、講習もありますから個人的にもぜひ真冬に行ってみてください。行くだけの価値ありです。
●そして北八ヶ岳のフルメニュー・スキーは、美ヶ原では滑り足りないという人になかなかいいのです。来年のシーズンにはスキーにもうすこし力を入れようかなと思いました。(2.24)


●引っ越しは、おかげさまでみごとな手並みで終わりました。……が、そこはそれ、一部の(あふれた)荷物が夫婦の寝室と私の仕事場にはみ出ていて、これが消えるにはかなりの時間(どれくらい?)がかかりそうです。いつのまにかそれが常態化しそうな気配もあります。ともかく、パソコンは動きだし、電話線もタコ足配線が終わって複雑につながりました。2年間さがしていたデジカメが足元から発掘されたような悲惨な状態はなくなりましたが、机の上にひと山あった書類をまとめて放り込んだ段ボール箱2つを、まだこわくてそ〜っと置いてあります。(2.20)


●今シーズンの雪の山はおおかたラッキーバージョンという感じがします。12/22-23に新雪後の安達太良山で先頭グループとしてルートづくり、1/9-10にこれも大雪直後で膝上の3時間ラッセルを堪能した北八ヶ岳、1/9-10にドカ雪の美ヶ原で野外美術館内を歩くスキーで彷徨……といったぐあい。——で靴ですが、ゴアテックスなどの防水ソックスがベストチョイスという感じがします。メッシュのランニングシューズは雪が侵入して穴だらけになってしまったので、急遽、夏向きの革のスニーカーを履いていますが、防水ソックスと貼るカイロで快適です。昨シーズンからはいているゴアテックスのものを限界まで使いつつ、新しい予備と、女性用のものとを持っています。ごらんになりたい方はいつでも……。
●それから、今シーズンはナイキのゴアテックスのランニングシューズがあんがい買いやすかったようですが、ナイキの靴は足に合わない人が多いので、あきらめた人もいるようです。そこでお知らせですが、神保町のサカイヤスポーツの靴売り場にモントレイル montrail というブランドのゴアテックスシューズがありました。山靴の軽いのではなくて、ほとんどランニングシューズ。ナイキのものとほとんど同じクラスです。価格も1万4000円ぐらいで同等です。どなたか、はいてみてレポートしていただけるとさいわいです。
●ナイキの靴について1/14にH.鈴木さんから報告がありました。
★たいしたことではないのですが、ニューヨークでナイキのゴアテックスを1足買いました。ナイキタウンというビル丸ごとがナイキという建物に行き、最上階の「アウトドア」というコーナーで、ゴアテックスあるか? と下手な英語できいたら「あるある」といって、2種類見せてくれました。明るい色のと、暗い色のと、でした。全体が黒に近い紺色の方を買い求めました。現状の欠点を補っているようです。
(1)ここ(図でひもをおおうカバー)のジッパーが、歩いていると下がってくる。
(2)このゴム(つま先保護のゴム)の接着がはがれやすい。——この2点の対策ですね。
★コンピューターで型番を打ち出すと、商品専用エレベーターが、希望サイズともうワンサイズの2箱を、サーッと送り込んでくる、というシステムでした。ただブラブラあるいていても、と思い、いくつか目的をつくって、と思って散歩した一端での買い物でした。
●マイナス5℃、10℃という世界では、防水靴下をはかないでも、雪は溶けてきません。忘年会登山の安達太良山の初日、奥岳温泉からくろがね小屋まで、山川和子さんは夏向きのスニーカーのままで、ほとんど問題なしにあるいていました。——一方的に守りを固めるだけでなく、そういう開けっぴろげな体験をこの冬はやってみてください。雪の山をスニーカーであるくためのショッピング袋でのオーバーシューズシステムはすでに何年も前に完成していますから、どんな靴でも実験可能です。ご相談下さい。対応できる準備をしておきます。(2.3)


●昨秋のパソコントラブルで写真データを消失して以来、なかなか発送できなかった写真が、ようやくまとまりました。古いものでは真夏の山からですから、たいへんご迷惑をおかけしました。以後は(引っ越し後にパソコンシステムがスムーズに立ち上がってくれれば)通常の状態に復帰します。(2.3)


●事情があって、突然、引っ越すことになりました。荻窪駅から歩いて15分ほどのところです。引っ越しが2月の14/15/16日なのですが、ヤマトの全部お任せパックなので、「翌日から仕事が可能かな?」と甘く考えています。それよりも18年ため込んでほとんどゴミ箱状態になっている仕事部屋から「捨てる、捨てる、捨てる」という作業がたいへんです。次のお知らせからは新住所になるはずです。(1.31)


●あけましておめでとうございます。みなさん、よい年を迎えられたことと思います。老化しつつある肉体とおだやかな生活環境を狂わさない程度に、過激に山歩きを楽しんでいただきたい……と思っています。とくに冬の山歩きには、計算外の、いろいろな刺激が期待できます。お楽しみに。(1.1)


●冬に向けて昨年と同じ軽アイゼン(1セット2,000円)を用意しましたが、同時に、雪がかたまりとなってはりつくのをふせぐプラスチック板も余分に購入してあります。(たしか)500円です。交換したいひとはどうぞ。(12.13)


●JR五反田駅の近くにTOC(東京卸売センター)というのがあって、その1階に事務用品の Office DEPOT と UNI QLO が入っています。オフィスデポの方に用があったのですが、何気なくユニクロをのぞいてみると、フリースのズボンがあるではないですか。1,900円なのでとりあえず買ってみました。ズボンに関してはこれまでは登山用しか使いものにならないと思っていたのですが、良さそうなんです。
●ついでに、何人かの方が着ているフリースTシャツふうのやつ(1,000円)とフリースの手袋(1,900円)まで買ってしまいました。気がついたら肌着のTシャツもユニクロでしたから、ユニクロマンという感じ。この冬に使ってみますが、まずは問題ないでしょう。フリースは山用である必要はないという時代になったんですね。みんながユニクロになってしまうと気持ち悪い集団ということになりそうですが……。(12.13)


●今年の1月から配本が始まった朝日新聞社の「週刊日本百名山」(全50巻)がそろそろ完結します。先日その打ち上げの会が行われて、初めて知ったのですが、合計部数が600万部、単純平均で各号12万部という破格のベストセラーになったそうです。みなさんのなかにも購読して下さった方がたくさんいらっしゃるので、あらためてお礼申し上げます。
●ちなみにこの種のシリーズ本は、最初の部数が号を重ねるごとに減少して、最終号で最少部数になるというのが常識なのだそうですが、創刊号を45万部ほど刷ってスタートし、最終号も採算点の6万部を割らずに完結できそう……と編集長が語っていました。
●このシリーズでは企画の軸となっていた写真家の内田良平さんの名があまりにも目立たないのに対して私の名が目立つのですが、「構成・伊藤幸司」という内実は、ほとんど「おまかせ」でした。初期の段階で編集責任者との間にボタンの掛け違いが生じたまま最後まで走ることになったので、本を読んでいないのです。編集者は最初のうちは校正ゲラをファクスで送ってきていたのですが、こちらが読まないということで、それもなくなりました。
●糸の会の9sで赤石岳に行ったとき、宿泊者無料の送迎バスにとりあえず料金を支払って乗る……というシステムに憤慨していた私の不思議は、筆者自身がその号を読んでいないということを露呈したものでした。
●途中から代わった編集者との間では意思の疎通は非常によくなったのですが、流れは大きく変わることはありませんでした。したがって、あれは「編集部・編」という意味に近いのです。
●ところがこんどは書籍出版のセクションから、ガイド部分を主役にした2冊組の編集本(焼き直し単行本)が出るそうで、了解を求める挨拶がありました。例のシミュレーションマップは省くそうで、編集者がリライトしているそうです。ゲラをチェックするのが私の役目になるようです。もちろん読んでも直すところはないでしょうからスルーパスという感じになるでしょうが、世の中のそういう仕掛けに乗っている居心地の悪さを感じています。
●でもご安心下さい。「体験したことしか書かないガイド」の執筆作業に、ようやくとりかかる段階になりました。かたちが見えはじめるのがいつごろかは、まだわかりませんが。(12.13)


●I.志賀さんからの電子メールです。(12.10受信)
★昨日「六つ星山の会」で日和田山に行ってきました。西武池袋線高麗駅から日和田山、物見山、北向地蔵、五常の滝、武蔵横手駅に出る9キロほどのコースでした。
★総勢59名という大人数で、6つの班に分かれての行動です。糸の会では考えられない人数にびっくり仰天ですが、昨日はたまたま忘年登山ということで、普段よりずっと多かったそうです。下山後は忘年会でした。
★視覚障害者と晴眼者の割合は2:3くらいだったでしょうか? 男性と女性の割合は2:1くらいで、10代から70代まで年齢層の幅はありますが、30代から50代が一番多かったようです。
★サポートの仕方は、基本的にはふたり一組で、晴眼者のザックに登山ロープが縦に結び付けられていて、それを視覚障害者がつかんで歩きます。晴眼者は道の状態(木の根がたくさん出ているとか、大きな段差があるとか、右側は道が切れているとか、左側の木の枝に頭を気をつけてとか)を伝えていきます。
★また視覚障害者の後ろを歩く人は、視覚障害者の足の運びを見ていて、もし足を下ろす場所を捜しているようなら「右足をもう少し右上に」とか「左足はもう少し下のほうが安定する」とか声をかけます。ですからふたり一組とはいっても、後ろの人も一緒にサポートしていくわけです。
★私も平坦な場所をほんの少しだけサポートさせてもらい、あとはもっぱら休憩などの時に、周りの景色や人の様子を話したのですが、見たものを生き生きと伝えることの難しさをしみじみ感じているところです。
★「六つ星山の会」は今年20周年だそうで、毎月の例会のほか個人山行も盛んのようです。スイスやカナダ、オーストラリアの山に行ったとか、スキーをしてきたとか、そんな話も数人から聞きました。みんな積極的ですごいなぁと思います。
★この会のことは、対面朗読ボランティアをしている点字図書館で最近知ったのです。
★入会しませんかと昨日は何人も声をかけてくれたのですが、糸の会の山行とぶつかってしまうので、少し考えさせてくださいと言ってあります。といっても私は第2土曜日もつぎの日曜日もめったに参加しませんけど…。
★というわけで、今日は簡単な報告でした。


●冬に向かっての肌着と足ごしらえの話です。
●12月の糸の会の「a」は奥多摩駅から本仁田山に登り、川苔山の向こう側に下るというロング・ロング・ウォーキングでした。途中でまちがいなく暗くなるという保証付きのこの日に、大発見をしたのです。E.野原さんが着てきたミズノの「汗で暖かくなる」シャツを最初はバカにしていたのです。「汗をかくとあったかくなるとして、寒かったら、まず汗をかかなきゃね……」 悪態をついたのは、去年、その手袋であんまり効果を感じなかったからでした。
●ところが、気温が0℃ほどにも下がった本仁田山の山頂で、野原さんだけが登りの服装のままケロッとしているではありませんか。汗をかいたときにあったかくなるの? という疑問はともかくとして、汗をかいた後に冷えないという効果はあるようなのです。興味のある方はおためし下さい。
●朝日カルチャーセンター千葉の最古参グループ(花の1期生)のひとりT.佐藤さんがナイキのゴアテックスシューズを買いました。佐藤さんは以前お知らせした吾妻山(10.10-11)での「ほぼ遭難」のときにいちばん苦しい思いをしたひとで、奇しくもその前半戦で軽い靴の相談にのっていたのでした。「週刊日本百名山」に軽い山靴の宣伝があった……という話を私がさえぎって、山靴ベースではなく、ランニングシューズベースで「軽さ」を考えないと不十分と話していたのでした。
●佐藤さんはその後、新宿に出た折にたまたま入った百貨店で「ゴアテックスのナイキ」を聞いたところ、「こちらは京王百貨店、あちらの小田急ハルクにナイキショップがありますよ」といわれて行って、ゲットしたというのです。それはかなりラッキーな結果でした。
●毎年ナイキはゴアテックスを使った防水運動靴を冬季商品として出しているのですが、11月下旬ごろに売り出されるとすぐに買いに走るファンがけっこういるらしく、ほしいサイズがなかったり、女性向きの小さいサイズが用意されていなかったりで、振り回されることが多いので、「もううやめた」という感じになっていたのです。今年は10月中にもう売り出されていたわけで、佐藤さんがゲットできたのはどう考えてもラッキーだったようです。
●その靴を翌月の奥久慈・男体山(11.14-15)にはいてきて、「いいわよ」という結論に達したのです。それを聞いたT.林さんが、次の丹沢縦走(12.5-6)にはいてきました。幕張にあるナイキショップで買えたというのです。ことしはナイキのゴアテックスシューズが豊富に出回っているのかもしれません。
●が、すでにお知らせしたように、私はこの冬は防水のゴアテックス靴下で通します。足に合った運動靴(たとえばランニングシューズ)のワンサイズオーバーのものを冬用にして、厚手の靴下とゴアテックス靴下を重ね履きすれば、スノートレッキングなど雪の山の計画も問題ない……ということは、すでに昨シーズンに実験済みです。林さんはゴアテックスではない同種の防水靴下も購入していますから、その性能も確かめてみたいものです。もしこれからはく方は、毎回帰ったら裏返しにして水を入れてぶら下げておいて下さい。しだいにしみ出てくるようになるでしょうが、その段階でも十分に使えます。どこまで実用域といえるのか……を知りたいのです。(12.9)


●来年の「屋久島+ミヤマキリシマ探訪ドライブ登山」と65歳以上を想定した「槍ヶ岳ぜいたく登山」の概要を決めました。
●屋久島は5/31(金)から東京・鹿児島往復飛行機の2泊3日で、民宿1泊+避難小屋1泊(現地解散)となります。そのあと希望者(9人以内)はドライブ&キャンプで4泊5日の九州縦断登山。
●日程は(いちおう)5/31(金)東京→鹿児島→屋久島泊まり、6/1(土)淀川登山口から宮之浦岳を経て新高塚小屋泊まり、6/2(日)縄文杉から大株歩道・トロ道経由で荒川口へ。現地解散ですが、その日のうちに東京に帰れます。
●さらに希望者は鹿児島からレンタカーで霧島山へ。6/3(月)霧島山、6/4(火)阿蘇山、6/5(水)九重山というミヤマキリシマずくしの登山をします。宿泊の自由度の高いキャンプ場を選びながら、食事はできるだけ現地レストランで。途中で予約がとれれば、九州で人気ナンバーワンという黒川温泉や全国ブランドの湯布院温泉も考えてみたいと思います。6/6(木)に福岡から飛行機で東京へ……という計画です。
●槍ヶ岳は8月の下旬です。いわゆるオモテ銀座をゆっくりと歩きます。8/21(水)に東京を出て中房温泉泊り、6/22(木)燕山荘泊まり、6/23(金)西岳ヒュッテ泊まり、6/24(土)槍岳山荘泊まりと、丸3日かけて登ります。予定では6/25(日)に上高地に下り、その日のうちに帰京しますが、不安な方は安全圏で、かつ風呂のある横尾山荘か徳沢園、あるいは上高地でもう1泊を予備日としておいてください。
●ゆっくり歩きますから、よほどの悪天候でないかぎりどなたでも歩けますが、問題は高度障害。標高の高い山小屋に泊まるので、標高2,700m以上で宿泊した経験がある人に限ります。経験のない人には事前に御嶽山、木曽駒ヶ岳、乗鞍岳あたりで高度障害の出方をチェックしておいていただきます。早めにご相談下さい。
●ついでにもうひとつ。来年の夏(たぶん7月)に、いよいよ奥穂高岳をやります。涸沢からザイテングラードを登って穂高岳山荘に泊まり、状況が悪くなければ吊尾根から前穂高岳を経て岳沢を下ります。(12.3)


●パソコントラブルに関するお知らせ2つです。糸の会では振り込まれた金額や発生した費用などをその時点で記録して会計データとしていますが、夏に事故が起きました。いわゆる表計算ソフトの「エクセル」を使っているのですが、それがどうしても保存できなくなり、バックアップしてあった時点まで戻って振り込み通知などを見ながら再入力したのです。もとより万全とはいえないため、以後次のようなお知らせをのせてきました。「なお、7月下旬から8月上旬のデータが消えたため、書き直しました。間違いが生じているかもしれません。ご確認下さい」
●ところがS.矢野さんから指摘されてわかったのですが、山行計画書や写真を発送するときに皆さんに同封している会計報告の9月8日付けの写真発送時のものが欠落していました。それが21人の皆さんに及んでいました。さっそく11月12日付けで追記させていただきました。その旨明記してありますので、該当する方は次の機会にご確認下さい。
●という作業をしたちょうどその日に、実は大失敗をやらかしてしまいました。パソコンに取り込んでいた最近(夏以降)のデータが消えたのです。仕事では4台のマッキントッシュパソコンと1台のウインドウズパソコン(これはまだ試運転中)を使っているのですが、マッキントッシュのシステムがバラバラだったのを統一させようとこのところ悪戦苦闘してきました。なにかを新しくするとどこかに不都合が生じてくるというのがその原因なのですが、ここ1週間ほどのそういう混乱のなかで、写真のデジタル化を主体にしているパソコンのデータを安全な場所へ回避させておいて新しいシステム環境を整えようとしていたところ、回避の準備までで、次の作業に移ってしまったらしいのです。ハードディスクからデータを取り出せない状態にしてしまったので、写真に関しては全部データ化をし直さなければなりません。不幸中の幸いは文書データを扱っているパソコンでなかったこと。フィルムが残っているので、同じ作業を(もう1度)しさえすればいい!! のです。(11.12)


●冬の足ごしらえについて、今年の提案です。
●以前はこの時期になるとスノトレ(アシックスのスノートレーニングシューズ、あるいはミズノのスノートレッキングシューズ)のたぐいを探していました。スキーブランドのウォーキングタイプのスノーシューズや、雪国用の防水運動靴のディスカウント品をずいぶんはいたりしました。結論として、ひと冬なんとか過ごすと、突然、縫い目から全面的に浸水して来るというのが寿命でした。きちんとしたもので7,000〜8,000円、格安品は3,000円前後という感じです。
●その後、毎年11月末から12月初旬に、ナイキがゴアテックスを使った防水のトレーニングシューズを出してくれるようになって、自分のサイズを獲得するためにお互い連絡しあって買い占めに走ったりしました。価格は1万4000円前後と高く、伊藤のペースだと約1ヶ月、皆さんなら履き続けて夏から秋にしだいに浸水が始まるという感じでしょうか。そのうちの1足は1年半、全山行に使って、とうとう靴底の内部に指が通るようになって捨てましたが、靴そのものとしては150日ぐらいの耐久性がありました。
●そして今年の冬に実験したのはゴアテックスの靴下。1足6,000円ぐらいのものです。毎回帰ると水を入れて吊るして防水をチェックしたところ、やはり1ヶ月(約10日の使用)で水漏れがはじまり、しみてくる状況になりました。みなさんならひと冬はもつということです。しかし、しみてきて、靴下が濡れる状態でも貼るカイロを入れれば足はほとんど冷えません。むしろ透湿機能によって蒸れないことによる冷えの防止の効果も期待できるので、プラスマイナス・ゼロという印象です。
●ゴアテックスの靴下がいいのは、非常用として持ち歩けばいいので、使う機会はかなり限定される……ということから、年間を通して利用できるということです。私は夏から履いているアシックスの「富士登山マラソン用ランニングシューズ」とゴアテックス靴下の組み合わせでこの冬を乗り切ろうかと考えています。歩きやすい運動靴で冬も出かけて、雨や雪のときにはゴアテックスの靴下で足濡れと足の冷えを防ぐという考え方です。どなたか、いっしょにトライしてみませんか?(11.5)


●いよいよ冬の到来です。今年、新しい冬の体験をする方も多いのですが、糸の会では冬の小屋泊りを全般的に入門編にしています。
11b 11.24-25——山小屋体験/八ヶ岳
12b 12.22-23——忘年会=安達太良山
1b 1.26-27——美ケ原・歩くスキー
2b 2.23-24——北八ヶ岳・麦草峠・スキー
●そこで、新しい体験として、冬の日帰りと小屋泊りのために必要な装備についてまとめておきます。
●今年1月の東武カルチュアスクールの箱根・神山の計画書には次のように書きました。
1)靴が濡れる心配のある方には応急処置的な防水をしますのでご安心下さい。
2)ズボンの裾に巻くスパッツをお持ちでない人は、近くの文具店でナイロン布の「腕カバー」(袖カバー)をお買い求め下さい。買えなかった人には伊藤の腕カバーをお貸しします。
3)防寒コートの替わりにフリースのジャケットがあると便利です。ない人はユニクロのフリースなどでも十分です。
4)タイツをはいた場合は薄着になれるように。
5)防寒の不安部分は使い捨てカイロ(貼るカイロ)で補えます。5枚から10枚お持ち下さい。
6)ゴアテックスのレインウエアをお持ちでない方は、ビニールの使い捨て雨具(上下セパレートタイプ)をお持ち下さい。
●冬季日帰り標準セット
1)足まわり=防水運動靴+(軽アイゼン+ダブルストック)
2)行動着=ドライタイプの登山用Tシャツ+長ズボン+長袖シャツ
3)防寒着=手袋(アンダーとアウター)+耳おおいのある帽子+替えの靴下+フリースシャツ+貼るタイプの使い捨てカイロ
4)雨具=折りたたみ傘+ゴアテックスレインスーツ
5)小物=地図+健康保険証コピー+時計+ポケットライト
●冬の小屋泊りについては今年の糸の会「1b」の麦草峠スキー(実は記録的な大雪のため中央本線が不通となり小淵沢で緊急宿泊となった)の計画書(「昨年のものを流用」と書いてあります。例年ほぼ同じです)を以下に引用します。これが伊藤幸司方式としては「ほぼ万全」ということになります。
1)足ごしらえ=スノトレ+ソックス+厚手のソックス+(中厚手のソックス)+貼るカイロ+スパッツ
*気温がマイナス10℃級ですから、貼るカイロ(ミニ)を4枚(2枚×2日)、行動用として持って下さい。
*麦草ヒュッテで借りるテレマークスキー用の靴というのは、革の本格的なスキー兼用登山靴と考えていただければまちがいありません。厚手のソックスのほか、中厚手のソックスも1枚用意しておくとサイズあわせに安心です。
*スパッツは通常使用のもので問題ありません。実用上は近くの文房具屋で売っているナイロン布の事務用腕カバーでも十分です。
*軽アイゼンは第1日目にあると便利かもしれません。必携ではありませんが、ある人はお持ち下さい。
2)行動着=登山用肌着(上下)+長ズボン+長袖シャツ+セーター
*上はTシャツでいいですが、タイツが必要です。厚さはあまり関係ありませんが、夜もはいたまま寝るということを考えるとドライタイプのタイツが快適だと思います。しかしウールのタイツ(ももひき)があればそれでもけっこうです。女性用の保温性のあるタイツでもいいと思います。
*保温用にここでも貼るカイロをあてにできるので、モコモコにする必要はありません。行動用の下半身暖房用貼るカイロ(ミニ)は4枚(2枚×2日)、それから就寝用に3枚(腰と足裏)あれば万全のはずです。
*ズボンと長袖シャツはウールかウール混紡のものできつくないものを。フリース(ポーラテック使用のものなど)なら文句ありません。
3)オーバーズボンとオーバージャケット
*標高2,400mの山に登りますから、行動中は基本的にゴアテックスのレインウエアの上下をアウターウエアとしてかためます。スキーウエアもこれにあたります。
4)防寒用品=フリース(セーター)+手袋+帽子
*しっかりしたフリースのシャツが防寒着として必要です。これは行動中には着ませんが、休憩時に引っぱり出すことがあるかもしれませんから、これだけポリ袋にくるんで、できるだけコンパクトにしておきます。イメージとしては非常用防寒着という感じです。
*手袋は、はめたままザックの開け閉めができ、靴のひもを結べる薄手のものがかなり重要な道具となります。
*防寒用手袋はスキー用でも毛糸のあたたかそうなものでもけっこうです。この機会にというひとは登山用品店でフリースの厚手の手袋を買ってみて下さい。手も貼るカイロで暖められますからあまり心配する必要はありません。
*重要なのは手袋には内側の手首のところに10cmほどのゴムひもを輪にしてつけておくこと。手袋を外したときに手首のところにぶらさがるようにしておきたいのです。これはきわめて重要な安全対策になります。冬山では手を凍えさせないというのが全体の安全と快適につながるので現地でいろいろやってみましょう。
*帽子は耳までおおえるものでなくてはいけませんが、毛糸の普通の帽子でけっこうです。
5)安眠確保のために=耳栓+(ゴアテックス・シュラフカバー)
6)小物=地図+時計+ポケットライト+(カメラ)+(双眼鏡)+ポリ袋+貼るカイロ
*ポケットライトは道に迷ったときのためではありません。山小屋の夜に、トイレに行ったり、ザックの中を調べたりといった手元の仕事用という風に考えて、できるだけ小さくて軽いものを。
*ポリ袋は荷物の整理用として、手つきのもの何枚かと、30リットル級ゴミ袋を1〜2枚を濡れもの整理、濡らしたくないものの防水用として使います。2日目は自分の靴をザックに入れてスキー靴をはきます。
*貼るカイロはミニサイズだけにしてください。最低10枚、装備に不安のある人は20枚用意しておいて下さると、寒さに起因する苦痛はほとんど回避できます。
*なお、肌着の上から貼る50℃級の「貼るカイロ」でなしに、直接肌に貼れる40℃級の「直貼り」をテストしてみて下さい。
●今年も軽アイゼンを用意しました。1セット2,000円です。(11.1)


●10月27-28日の妙高山+火打山(火打山は割愛しました)では、妙高山山頂にいたほんの一瞬だけですが、吹雪の気配となり、あわてて下山を急ぎました。高度を下げるに従って急に温度が高くなり、燕温泉あたりでは紅葉の最後の輝きを楽しみました。
●そのあと事件が2件。燕温泉の無料露天風呂で、女性専用風呂から男性(一般)風呂に「越境難民事件」が起きました。妙高高原駅に着くと、来るべき列車が隣の駅へ引き返したというではありませんか。「空転」というその理由が最初は理解できませんでしたが、強風に舞った落ち葉が線路に積もって車輪を空転させたというのです。火打山を割愛して浮いた時間が消えるころ、6両編成で滑りにくい(滑ったのは4両編成の列車)という快速列車がやってきました。無差別テロ的不安のなかにしばらく置かれたのでした。(10.28)


●T.関根さんが糸の会の10dで半年ぶりに復帰しました。通勤時にセンターラインオーバーしてきた車に正面衝突されて、長い入院ののち、背骨も一部つぶれていることがわかったのだそうですが、その背骨をだましだましのリハビリ登山になりました。以下、翌日届いたファクスです。
★三国山、ご心配おかけしてしまったかと心苦しく思っています。なんとか最後まで皆さんについて、楽しく尾根歩きが出来、数ヶ月ぶりの幸せな1日となりました。前日からの苦しい程の緊張感も、朝、先生にお会いした時「大丈夫ですョ」の一言でスッとほぐれ、リハビリのつもりの山歩きも、楽しむ心のゆとりが出来ました。本当にありがとうございました。それにしてもストックは強力な味方でした。これから、又、少しずつ自分の体調と体力に見合うところで参加させていただきたいと思います。(10.17)


●10月から糸の会に「c」を復活しました。——なぜそのお知らせをするのかというと、日帰りのボリューム設定に最近悩みが出てきていることと関係があるからです。
●日帰りの山歩きをハード系(それなりにたっぷり歩いた気分になりたい)とライト系(リハビリも含めて、いい汗かいたら軽めに終わらせたい)に分けて「a」(山手線駅08時集合→18時下山で行動枠約10時間)と「d」(山手線駅09時集合→16時下山で行動枠約7時間)とし、東武カルチュアスクールの講座は「d」を基準にしています。
●問題は朝日カルチャーセンター千葉の日帰りで、2講座を1講座にまとめたことから、どうしても「a」から[d」までの幅に大きく振れる気配があって、こちらがふらついてしまうのです。糸の会のほうでここ1年お休みしていた「c」を復活して、「a」と「d」の中間のいいとこ取りを試みつつ、朝日カルチャーセンター千葉の日帰りも「c」という軸で考えていきたいと思っています。結果的には何も変わらないかもしれませんが、そんなふうな気持ちでやっていきたいと思っています。(10.14)


●宵闇に追いつかれた吾妻山で新しいライトの実験ができました。新宿のコージツで見つけて買った「ウルトラブライトLEDライト」というもので、購入価格は900円ぐらいだったと思います。いつもカメラケースのあたりにぶら下げていますので見ていただけますが、時計/電卓用のボタン電池2枚を使う発光ダイオードつきのキーライトです。手に持って使うライトとしては単3電池2本型のポケットライトを予備に4個持っていましたが、これはそれに十分匹敵します。しかも連続点灯約12時間です。私は電池交換もするでしょうが、ヨドバシ価格で270円×2枚ですから、まともに買うと新品を買った方が安いというような本体価格になっています。
●LEDライトとしてはフランスの登山ブランドのペツルのLEDヘッドライト「TIKKA」も使いました。これは単4電池3本で明るい状態で連続12時間点灯した後、ゆっくりと明るさを減じながら150時間まで実用可能というもの。「ウルトラブライトLEDライト」のLEDが3つ並んでいると考えてよく、登山道を歩く光量としてはLED1個で十分ということがわかりました。
●ただし、ヘッドライトタイプでは日本が誇るマネシタ?電器からペツルさんそっくりのものが出ていて、これのほうが、安くてよくできているようにも思えます。またキーライトタイプのLEDライトには色つきのものや点灯タイプのものなど多種多様ですから、まずは松下かペツルのヘッドライトのLEDをチェックして、そのレベルの明るさのものをお探し下さい。ちなみに購入したものは登山用品を扱っているハイマウントという会社の商品です。(10.12)


●また、遭難未遂の報告です。朝日カルチャーセンター千葉の小屋泊りの吾妻山(10.10-11)で午後7時に浄土平到着予定という計画が1時間半遅れて、かろうじて最終の東北新幹線で帰京ということになりました。
●この計画は当初から無理を重ねていました。浄土平の吾妻小舎に泊まれば縦走して最高峰の西吾妻山(2,035m)に登り白布温泉に下ることが可能なのですが、その吾妻小舎が体育の日の連休後の休みということで、ルートを逆にしたのでした。白布温泉側からでもロープウェイと登山リフト3本を乗り継ぐと標高約1,800mまで上がってしまうので浄土平の標高約1,600mより有利に思えるのですが、ロープウェイの始発が8時20分で、上に着くまでに約1時間かかるので、歩き始めが9時半になるという時間的な制約がありました。リフトの係員が「西吾妻山に登ってからの縦走じゃ暗くなる」といっていましたが、まさに最初から、後ろの30分ほどが暗くなるという計画でした。
●判断の分岐点は午後2時到着予定の東大巓で、1時間遅れでした。計画では残り5時間ですから、予定通りいって午後8時。1時間の遅れになる計算なのですが、その5時間というのは標高約400m下って300m登り、200m下るというなだらかな勾配のところを、全部登りの計算で時間を出していたのです。湿地帯には木道があったりして30分ぐらいは縮まるだろうと考えて、携帯電話でタクシーに7時の予定が7時30分になるかもしれないと伝えたのでした。
●ところが沢筋を下って、登り返す道は、前日山形新幹線が不通になったという集中豪雨(私たちは不通になる前に米沢まで行き、その夜、テレビで集中豪雨の危険を伝えられていましたが、実感はありませんでした)が、道が全部川になっていて、平坦なところは水をかぶったぬかるみになっていました。あらゆる場所に木の根が浮き出ていて、何カ所もの渡渉点が堂々たる流れになっていました。結局計画書で5時間のところを5時間半かかったので、到着が合計1時間半遅れたのです。
●この時期には、意図的に下山が暗くなるという計画を立てることが多いのであまり真剣に考えずにいたのですが、有効な逃げがとれていませんでした。そのことがしだいに大きな負担となっていたということを反省しています。……もちろん、ライトをつけずに暗闇を歩くという余裕はありませんでした。みなさんにずいぶん無理を強いてしまいました。ごめんなさい。お疲れさまでした。(10.12)


●I.志賀さんからのEメールです
★視覚障害者と晴眼者の山の会に「三ツ星山の会」というのがあって、そこの会の人(視覚障害者)から、是非一緒に山に行きましょうと誘われています。詳しいことは分かりませんが、視覚障害者が晴眼者のザックにつかまる形で、視覚障害者をガイドしつつ山を歩くようです。
★でもその人に、ガイドできるのは登りだけ、下りは自分ひとりだけでも大変だからって言ったら、それでもいいんですって。ですからまずは易しそうな山に参加してみようかなぁ、なんて考えています。街中をガイドするのはちょっとだけ習ったことがあるのですが、山道となるとまるで違いますから、一体どうなるでしょう。もしも行ったときには報告させてください。(10.6)


●森山正子さんから9.3のEメールの続編です
★4日に糸の会の資料が届きました。退会の意思をお伝えしましたが、私は2002年3月まで在籍している事を忘れていました。一昨年の麦草峠と高峰温泉のスキーは生まれて始めての体験と楽しい思い出は強烈に残っていますが、スキーが中途半端のまま終わってしまった悔しさも強く残っています。ぜひもう一度チャレンジしたいです。来年1月まで一所懸命ヘソクリを貯め健康に留意して参加したいと思いますので、美ヶ原スキーの資料を送ってください。(10.6)

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■2002.4.5──プランあれこれ

■いつものことながら、遅くなりました。これが「9.30掲示板」に続く新しいお知らせです。ようやっと4月-9月の計画をお送りします。
●今年は6月に新しいかたちの「s」をやることにしました。2泊3日の屋久島のあと、4泊5日の「キャンプde登山」というのをやります。
●ひとつは、遠い山をやるには「1万円航空券」のたぐいをうまく利用して、取れた人で行くという考え方がおもしろいのではないかと思うのです。最近は多くの方にファクスでお知らせを送ることができますが、たぶん近いうちにインターネット上で連絡できるようになると思います。そうなると「この指止まれ」方式がやりやすくなります。
●それと、事故の危険がいちばん高いのが自動車ですから手を出したくないという気持ちもあるのですが、レンタカーが乗り捨てしやすくくなったこともあって、九州縦断オートキャンプ登山をやってみます。テントを持っていれば何とでもなりますから、あとは外食主義でいきます。どんなことになりますか。
●ちなみに、屋久島は全日空の「超割」がちょうど6/1-3に設定されたので利用しましたが、スカイマークエアラインズの「カウントダウン運賃」が8,900円で6/1も6/3もまだ買えそうです。一般正規運賃が31,000円のところ、スカイマークは普通運賃でも(日にちによって変わりますが)16,500円という可能性があります。各社の割安チケットも20,000円前後ならいろいろあります。まだまだ2カ月先ですので、参加可能です。(九州縦断のミヤマキリシマ追っかけ登山はあと1-2人で締め切ります)
●「7s」の奥穂高岳はようやく、です。奥穂高岳から吊尾根を経て前穂高岳までのミニ縦走の予定です。天候にもよりますが、糸の会の中では岩場に強い人を対象にしています。
●そのかわり「8s」はのんびりとぜいたくに、表銀座コースからの槍ヶ岳です。高度障害さえ出にくい人ならどなたでも行けるような初級・65歳以上向けの計画です。私個人としては、「ヒュッテ西岳」に泊まってみたいとかねがね思っていました。魅力的なロケーションに思えるのです。もっともまだ燕山荘に泊まったことのない人にもおすすめです。日本一「高い」と自慢のスイカを食べましょう。
●その「8a」の「ゆっくり槍ヶ岳」参加の条件は「標高2,500m以上で泊まった経験のある人」ですので、日本アルプス、八ヶ岳、もちろん富士山などでの経験が必要です。そうでない人は木曽駒ヶ岳、乗鞍岳あたりで山小屋泊まりを試みておいてください。糸の会としては「7b」で御嶽山をやります。山頂直下の山小屋で1泊できれば合格です。御嶽山はかんたんに登れて3,000m、かつ展望絶佳という魅力的な山ですから、これもおすすめです。
●今年はいくつかの新しいことを考えていますが、引っ越し騒ぎで頓挫しています。近いうちにはきりとした変化が表れてくると思いますので、お楽しみに。

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■2001.9.30──お知らせいろいろ

■scrolling messages
*このメッセージは、私のすべての計画書(糸の会、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクール)に、順次スクロールしながら載せているものです。ここに再録したのはその6.18〜9.25分。


●事故未遂と睡眠薬についての報告です。9月20日から4泊5日の赤石岳+荒川岳はとんでもない好天でした。残念ながら西は白山までで日本海は見えませんでしたが、東は伊豆大島から駿河湾の奥に沼津アルプスもバッチリ見え、南は浜名湖、北は北アルプス全域と雨飾山〜妙高山あたりまで。富士山は前日の初冠雪で白く輝き、時間とともにそれが少しずつ消えていく……といったドラマチックな風景のなかを歩きました。晴れているのに風はなしという爽快な天気に、赤石岳山頂ではけっきょく2時間半も遊んでしまいました。
●で、事故未遂ですが、3日目のその好天の朝、K.西沢さんが岩稜で岩から転落、千枚岳と悪沢岳(荒川東岳)の鞍部の谷に吸い込まれていきました。今回のルート上には慎重に通過したい場所が3カ所あったのですが、その最初で事故は起こりました。クサリをつけるほどではない岩場ですからホールドもスタンスもあって危険ではないのですが、左右は深く切れ落ちて、高度感はすこしあります。しかし、その恐怖感によって動きが鈍ったというのではないようでした。
●西沢さんは昭和ひとケタ世代ですから糸の会ではしばしば最高齢の参加者となりますが、喘息をかかえながら「a」と「b」に積極的に参加されています。今回はその喘息が(発作としては軽いものだったそうですが)出て、長い登りはちょっと苦しそうでした。そのような疲れもあったでしょうが、直接的な問題は岩場で裏返って三点支持で下る数歩のところで、手袋をはずさなかったことにあると見えました。結果的に幸いだったのは悪沢側の谷に転がり落ちていったのですが、そこは草つきのふかふかの土の斜面で、西沢さんは10mも下らずに、足を踏ん張って止まっていました。小さな打撲と、眼鏡の紛失というだけで、済んだのは、標高3火000mの岩稜での転落としては奇跡的でした。
●……で、話は睡眠薬についてです。夜のミーティングでA.小林さんが、睡眠薬や睡眠導入剤などを使用すると、朝目覚めても、薬の影響は18時間ぐらい続くので危険なことが多いという話をしました。西沢さんは山小屋での安眠を確保するために少量の精神安定剤を利用していたのです。
●……で、3泊目と4泊目に西沢さんは精神安定剤の使用を中止しました。その結果、やはり薬を使わないと午前中の体の動きがずいぶんちがうということを確認したということです。じつは8月の北岳〜塩見岳で(西沢さんは大丈夫だったのですが)K.斎藤さんが苦しみました。もともと高度障害の出やすい体質だったのですが、1泊目の北岳肩の小屋で眠れなかったことから翌日は胃が食べ物を受けつけることができなくなって、消耗戦になったのでした。そのとき安眠対策をいろいろ話し合ったのですが、睡眠薬にしろ、睡眠導入剤にしろ、精神安定剤にしろ、薬で眠ろうとする結果が、翌日に危険な要素を残すという認識まではありませんでした。山小屋泊りを嫌うH.小池さんあたりに睡眠導入剤などの利用をすすめたりしてきましたが、こういう危険があるということは十分に考えないといけないと思いました。(9.25)


●最近、写真に一歩踏み込もうとしている人を見かけます。流れのひとつはカラーリバーサルフィルムで撮りたいというケース、もうひとつはデジタルカメラにしようかなと考えているケースのようです。
●簡単に書きますが、花の写真などには接写能力に優れたデジタルカメラが向いています。画素数は200万画素で十分ですから、5万円以下で買えるはずです。パソコンを使える人は、エプソンやキヤノンの写真画質プリンターの最高品質のもの(実売価格6万円以上)を使うといろいろなことができます。それらのプリンターでダイレクトにプリントできる機種もありますが、パソコンなしにデジタルカメラを使いたい人は、フジの看板を出したDP店で、「フロンティア」というデジタルミニラボ機をそなえたところを探して下さい。従来のカラープリントと同様の写真が(いくらか割高になるかもしれませんが)プリントできます。データをCD-ROMに保存しておいてもらうこともできます。
●また、従来のカラー写真(カラーネガフィルムからDP店でプリント)では見たものがそのまま写らないという人は、多くの場合、カメラが悪いからではありません。注文をつけて焼き増しを頼むと驚くほどちがった写真になって出てくるので、そのことがわかります。プリントのときにキカイとオペレーターがシロウト好みに調整しているからです。そういう他人のお節介がいやな人は、カメラが撮った写真をそのまま再現してくれるカラーリバーサルフィルムを使うのですが、これはデリケートなフィルムなので、コンパクトカメラなら10万円以上の高級機、あるいは一眼レフカメラでないとなかなかうまく撮れないはずです。とりあえず試してみたい人は量販店でフジクローム「プロビア100F」を1本買って、オートのまま撮ってみて下さい。それで「驚くほどいい」写真が撮れていたら、そのカメラはOKです。
●その結果、本気で撮ってみたいと思ったら、写真を見るためのライトボックスとルーペが必要です。ライトボックスはフジカラーのものをすすめます。A4薄型で普及価格の「カラーイルミネーターLite」(定価27,800円)か、小型で安い「フジクロームビュアー5000」(定価13,000円)が最低条件と考えておいて下さい。ルーペはプロ品質の4倍がベストです。フジ(定価14,800円)、キヤノン(定価19,000円)、ニコン(定価14,000円)、ケンコー(定価19,800円)、ドイツ製の最高級品としてはシュナイダー(定価28,000円)やローデンシュトック(定価28,000円)があります。私が仕事で使っているのはニコン印ですが、同じものがプロラボの堀内カラーから出ています。定価はたしか9,800円。HCLというマークが入っていると思います。DPチェーン店のカメラのキタムラの堀内カラーのコーナーで買えるようです。いずれも定価は量販店で割引価格になります。
●なお、カラーリバーサルを現像に出すときには「スリーブ仕上げ」として下さい。要するに6コマ切りのフィルムが透明シートに並んで入ってくるだけです。それをライトボックス上でルーペで見て、ザッツ・オール。終わりです。プリントしたり、印刷したりするのは二次的なことで、フィルムをルーペできちんと見たときが最終の写真のカタチと考えておいて下さい。(9.15)


●朝日新聞社の「週刊日本百名山」の最終巻(第50巻)の原稿を入れました。無責任な書き方ではありましたが、毎週2山(しかも地図を先行入稿)というのはけっこうたいへんで、連休などを利用して書きためようと思ったことも何度かありましたが、けっきょくズ〜ッと締め切りに追われっぱなしで終わりました。本は12月まで出つづけますので、原稿料も年内支払われるわけですから、その間に代わりの仕事をやるように準備していたところ、某出版社の編集者が『がんばらない山歩き』の続編のようなものを書けませんかと言ってきました。初対面で、やることに決めました。たぶん、ここ6年間の500山に近い体験で実際にあったエピソードをきっかけに、道具と技術について語れればと思っています。……それはどちらかというと軽い仕事だと思うのですが、いよいよ、糸の会の発端でみさなんに了解していただいた「ガイドブック作りのための取材を兼ねて」の山歩きのまとめにかかります。地図をどうするかという大きな問題に解決策が見えてきたのと、インターネット上でも扱える方法というのが視程内に入ってきたからです。こちらはこれから、ゆっくりと動き出します。(9.10)


●M.森山さん(ACC千葉&糸の会)からのEメールの全文です
★突然ですがお別れの時がきました。田井さんに10月期欠席通知のTelを入れてから数日後、パート先の店が9月いっぱいで閉店する旨、上司から通知があって私達パート一同路頭に迷う事になってしまいました。2〜3ヶ月前から何となく嫌な予感がして、「店が潰れるのが先か、私が潰れるのが先か」なんて言っていたのですが、思ったより早く店じまいになりました。ということは、私の生活が土台から考え直す時期でもあると思いました。
★今のパートは13年になりますが、平成9年2月にA.C.C千葉の山歩きを始めてから生活がとても張りのある楽しいものになりました。苦しみ、自信喪失、先生はじめ会員の皆さんに会える喜び、帰りの食事やお風呂の時間の楽しかった事、想い出は数限りなくあります。山歩きの経験やレベルは拙くとも私なりに精一杯過ごしました。
★これからやりたい事がいっぱいあります。好奇心のおもむくままに列挙してみますと、まず金時山、高尾山、筑波山、三頭山といった低山を四季を通じて歩いてみたい。ボランティア、書の練習の再開、将棋を初歩から、パソコン教室に通いたい。きっと私の事だからみな中途半端になるかもしれないですね。
★何はともあれ4年間ありがとうございました。ACCと糸の会を退会させていただきます。皆さんによろしくお伝えください。ただ心残りといえば、今一度先生の転ぶところを見たかった。地球上のどこかで私を見かけることがありましたら、声なり足なりかけてください。
★2001.9.3……Moriyama


●夏のはじめにユニクロのドライTシャツを買いました。売り出し特価で700円ぐらいだったと思います。ところがそれは綿が60%も入っていて、「乾きやすい綿Tシャツ」という域を出ないものでした。ところが見落としていたらしく、定価1,900円でポリエステル100%のドライTシャツがあったのです。8月も半ばを過ぎて買いに行くと、オレンジとイエロー2色のSサイズだけが20着ほど(五反田TOC店)残っているだけ。特価1,000円でとりあえず1枚買いました。これは米国デュポン社のクールマックスを使っているので、登山用のTシャツと同じと考えていいいようです。着たときの軽いベタつき感も本物です。……残念ながら今年は終わりで、また来年の夏だそうですから、情報としては役立たずですが、ドライタイプのTシャツが来年には安く買えるようになるのでしょう。(8.18)


●ヒザを故障しました——という報告です。7.11-12にACC千葉で鳳凰三山に行きました。地蔵岳の山頂付近でキバナノアツモリソウの群落を見るなどすばらしい山でしたが、標高差約1,600mの下りで左足のヒザを痛めたらしいのです。じつは昨年の暮れに、どこかの山で右ヒザを木の根の出っ張りにぶつけて、(ほとんど忘れていたのに)ときどき痛むようになって、下りで深い角度でヒザを曲げると痛みが出るようになっていました。鳳凰三山から帰ってしばらくして痛みが出てきたので、無意識のうちに右ヒザをかばったことで左ヒザに疲労が蓄積したのかと思いました。
●そのうちヒザが腫れてきて、心配が大きくなりました。7.20-23の糸の会の北アルプス・雲ノ平では最終日に双六小屋から新穂高温泉まで標高差約1,500mの下りがあります。7.28-30の槍ヶ岳では山頂から新穂高温泉まで、一気に2,000m下ります。正座ができない状態でしたので、大きな不安をかかえての出発になりました。そして行ってみて驚いたのは山小屋の和式のトイレでしゃがめないこと。こんなに苦しい思いは……そういえば最近なかったなあ、と妙な感心をしながら悪戦苦闘をしていました。
●ところがどうも、疲労によるヒザ痛ではなかったようです。もちろんストックを使ってていねいに下りましたが、ヒザ痛はひどくならず、槍ヶ岳のときにはトイレでなんとかしゃがめるまでに回復しました。いろいろ観察していると、どうも右ヒザと同じような性質の痛みなのです。そういえば、鳳凰三山でだったか、左ヒザをやっぱり木の根でコツンとつついていたということに気づきました。ヒザ頭は想像以上に弱いようです。
●……で、左右同じような痛みが同じような場面で出てくるのですが、今回の事件で徹底したことがひとつあります。痛み止めを使わなかったことです。さすがに雲ノ平に出かけるときにはバンテリンかなにか買っておこうと思ったのですが、買うのを忘れて出かけました。買ったとしても、もとより使う気はなく、痛みをとことん観察してみるつもりでした。自分の体と直接対話できるのはたぶん痛みという言葉によってだろうと思うからです。それと、小さな痛みと大きな痛みを勝手に評価してしまってはいけないとも思っていました。機能が阻害されることは恐れていましたが、痛みは(もちろん不安の元でしたが)それなりに楽しみにしていました。
●山の世界の人たちには、足や手をつぶしたり、凍傷で失ったりしている人が驚くほどたくさんいますが、機能障害と痛みとをかなり明確に分けています。どんな痛みであれ、山にいる間は痛みととことんつきあってみるという考え方から、自分の体との新しい関係が生まれてくると思います。そういう意味で、両ヒザの痛みはかなり安定的に残っていますが、対話は断続的、かつ友好的です。ともかくヒザのおかげでスリリングな夏になりました。(8.15)


●たまたま高齢な方が……というふうにしておきますが、登りで予定時間をオーバーするという例が何件か続発しました。日帰りの苗場山(糸の会)と編笠山(ACC千葉)がその象徴的な例ですが、じつは同じ問題があちこちで見え隠れしています。糸の会の雲ノ平や槍ヶ岳への参加を見合わせた方が何人かいらっしゃるのも同根と考えます。要は、「皆さんに迷惑をかけずに登れるだろうか?」という不安をかかえた方がたくさんいらっしゃるのです。しかも私は「行ける/行けない」というようなことに関して一切保証をしません。「行く/行かない」という判断は皆さんにしていただくのを前提にしているからです。
●私の山行はしょせん「お勉強」ですからある程度の許容度はもたせています。それにチャレンジ精神を尊重します。チャレンジするということは結果が失敗に終わるということも含んでいるということを前提にしています。……でも、判断基準にあいまいさがあるということは認めざるをえなくなりました。それは歩きながら(どちらかといえば)軽い方へシフトさせる心づもりを含めていた糸の会の「c」やACC千葉の「I」がなくなったことによります。軽めのものと、逃げ道のないハードなものとが混在すると、日帰りでは少々無理のある苗場山や編笠山のように予想と現実がずれるケースがでてきます。
●そこで、そのような不安を感じていらっしゃる方に提案です。私がはめているフィンランド製のスント(SUUNTO)の高度計つき腕時計をお買い求め下さい。各種ありますが登山用品店の割引価格で2万5000円以下で買えます(私のは高度計と温度計がついただけの最低価格のものです)。これには毎分の上昇/降下速度が表示されるので、それでペースを見ながら自分の健脚度をチェックしていただきたいのです。
●私は1時間に300m登るというのをひとつの基準にしていまして、調子のいいときにはそこに短い休憩が含まれるような歩き方になっているつもりです。毎時300mの上昇は単純平均で毎分5mですから、調子のいいときには毎分7〜8mの上昇となっていることがあるはずです。そういうときに自分が遅れて、毎分5mほどになっているというのは十分に許容範囲に含まれています。問題はなにもないのです。
●遅い人が何人かいて、そういう人は毎分5mぐらいまで落ちているけれど、自分はさらに遅くなって、毎分3mしか出ていない、というような場合が問題なのです。山歩きの脚力は平たんなところでのスピードではなく、1歩ごとの登坂力なのです。だからちょっと遅れても平たんなところで追いつくという計算は正統ではないのです。遅れ気味の人が毎分5mの上昇速度となっている急登で、自分が毎分3mしか出ないというのは、比べれば、あきらかなパワー不足です。弱者基準の山歩き(糸の会の「d」のような)にするか、頭脳的にチャレンジするかしかないのです。
●標高差300mを1時間で登るのは毎分5mですが、10分の休憩を捻出して50分で歩くとすると毎分6mになります。もし毎分3mなら1時間に180mですから300m登るには1時間40分かかる計算になります。
●シミュレーションマップの急登の部分で上昇速度を見て、自分が毎分5mという上昇速度を維持できないかもしれない領域がどのくらいあるか見て、そこで脚力をチェックするという見方をしていただきたいのです。急登の領域が少なければ、そこで遅れても全体の時間に吸収されて問題にはなりません。計画に時間的余裕のある場合には急登部に予備の時間を投入することが可能です。そういう「逃げ」を設けられないタイトな計画のときもあるので、そのへんの読みをしていただきたいのです。糸の会の「a」でもACC千葉の日帰りでも、3つにひとつの見当でハードめにした計画を混ぜています。逆にいえばソフトめも入れてあるということなのです。そういうあいまいさが、みなさんの「行ける/行けない」の判断をいくぶん揺すっているのではないかと思います。
●ちなみに、78歳のT.大杉さんが7月の入門編槍ヶ岳(糸の会)に参加したかったのを家族に止められたと残念そうでした。「80歳になるまでの夢」だそうですから、大杉さんの来年の可能性を考えながら槍ヶ岳へ行きました。自分の体がどれだけの登坂能力を残しているか、もう一度(いくぶん科学的に)チェックしてみませんか? 糸の会では来年、「65歳以上で槍ヶ岳」というプランをやってみようかと考えはじめています。(8.1)


●H.鈴木さん(糸の会)の『知恵蔵裁判全記録』(太田出版、4,700円)をようやく読み終えました。発行が1月28日で、すぐに鈴木さんからいただいた本なので半年かかりました。いつだったか「トイレで読んでいます」といったら、鈴木さんがムッとしたようですが、読書家でない私は、端から全部読む本はトイレで読むことにしているので、これも律儀に読みました(悪しからず)。負けた裁判のドキュメントなのですが、極端にいえば最近の政治改革の流れと通底する、裁判(法)との対決のドキュメント。デザイン(システム)フォーマットという著作権の最前線が裁判にどこまで理解されたか(たとえば建築設計と比べてみて)という記録です。できましたら、みなさん、図書館から借りて、パラパラとめくってみて下さい。
●朝日新聞社の登場人物の中で出番がもう少し早かったら裁判になんぞならなかったといういい役で登場するのが先日まで朝日カルチャーセンター千葉の社長だった長塚進吉さん。59ページから数ページにわたってやりとりがあります。ちなみに178ページにWeb上の判例集を書いている小樽商大の長塚真琴というのは長塚さんのお嬢さんということがある段階で突然明らかになったのですが、鈴木さん側から見て父は味方、娘は敵という認識だったようです。
●デザイナー・鈴木一誌について知りたい人は控訴審に提出された専門家の陳述書のうち、作家・金井美恵子(238ページ)とグラフィックデザイナー・戸田ツトム(241ページ)のところをお読みいただきたいと思います。
●巻末にいろいろと付録(あるいは本文)がついていますが、知恵蔵裁判の深みを感じられるのは鈴木さん本人が節目節目に書いた「複製論」(280ページ)と「複製論2」(288ページ)ではないかと思います。「雨上がりの山道を歩いていて、体長20cm近いミミズに出会うことがある」というような一節もありますが、こういう文章を読んでいると、鈴木さんは山ではほとんど頭を使わずにしゃべっているということがわかります。頭を使っているときにはドタバタとコケそうになっているんです、たぶん。
●知恵蔵裁判の開始が1995年3月、鈴木さんが糸の会に参加するのが96年の1月ですから、裁判の進行にかかわる断片をときおり聞いていましたが、私は日和見のひとりでした。265ページ、黒田弁護士の手紙にこういう一文があります。「ちょうど家内に文章を読んでもらう機会がありました。『タチコウ(都立立川高校の略)』の人は皆こだわりをもった生き方をしているのね、とは彼女の感想です。そうではありません。こだわりを持った生き方をしている多くの同級生と私が機縁を深めているだけなのですが」
●鈴木一誌さんは映画の評論家でもあって、最近はとくにドキュメンタリー映画に深く関わっていますから、この裁判の記録もドキュメントとして一級品だと思います。読んでいくと法廷ドラマとしてもなかなかおもしろいのです。私は法律の一歩先に論陣を張るという戦術によってビジネス的に世界制覇を果たしたビル・ゲイツ(マイクロソフト社)という人のやり方と重ね合わせながら読んでいました。朝日新聞社も鈴木一誌さんもビル・ゲイツじゃないですけれど……。(7.10)


●……と書いたらすぐに、K.高橋さんのもう1冊の本が出ました。講談社文庫でなんと650ページ、1,067円という厚い本で、Gパンの尻ポケットに入りません。それがジェリー・ケニーリーという作家の『誘拐指令』。「4年も前に訳したので、ほとんど忘れてしまっている」そうですが、ロス市警の警官から私立探偵になって作家に転身したというケニーリーの初邦訳本とか。高橋さんの小説翻訳は同じ講談社文庫にカッツェンバックの『理由』と『追跡』、ニック・トーシュの『抗争街』があるようです。ばくは読んでいないのでそれ以上わかりません。『理由』は映画化されましたっけ? 7/20からの雲の平(糸の会7s1)に持っていこうかな、と考えています。山で本が読めたためしはないのですが……。(7.1)


●K.高橋さん(糸の会)の翻訳がまた出ました。英国の経済ジャーナリストのポール・ウォーレスという人の『人口ピラミッドがひっくり返るとき』(2001.6・草思社・1,900円)です。ついこのあいだまで私たちが恐れていた地球の人口爆発はすでに危険領域から遠ざかり、20世紀文明の成果であった死亡率の減少や長寿化が、高齢化という人口革命を引き起こしつつあるという新しい恐怖のストーリー。世界の高齢化が専門家たちの予想をはるかに上回るスピードで進行しつつあるという警告の書。世界が驚くほど急速に変化していくというシミュレーションです。元百科事典編集者の高橋さんの翻訳は『2000年間で最大の発明は何か』(2000.1・草思社・1,500円)や『鳥と飛行機 どこがちがうか』(1999.10・草思社・1,900円)など、ちょっと癖があるけれど、革新的なものに相性がいいのでしょうか。(6.18)

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■2001.9.30──プランについてあれこれ

●いつものことながら、遅くなりました。これが「6.20掲示板」に続く新しいお知らせです。ようやっと10月-3月の計画をお送りします。
●大きな変化は「c」を復活したことです。『週刊・日本百名山』の原稿執筆が終わったから……ではありますが、「a」と「d」の間に「c」を加えることで、「a」は「a」らしく、「d」は「d」らしくしてみたいと思います。「a」はちょっと不安、「d」はちょっと物足りないと感じたときに「c」はどうでしょうか、ということなのですが、できれば「a」や「d」と同じ計画書で、現地での対応だけがちがうという方法論も立ててみたいのです。けっきょくそこまでは思い切ってやりきることはできないとしても、「c」はあくまで中間的に、その場、その場で適当に……と考えています。
●毎年のことながら、秋〜冬の小屋泊りを決めるのには四苦八苦です。アイゼン+ピッケルを持って「滑落停止」の備えをするいわゆる「冬山登山」でなしに、軽アイゼンとダブルストックで行動できる冬の山で小屋泊りを必要とするところはかなり限られてしまうからです。そこで今シーズンは「d」レベルでの参加を前提とした体験的小屋泊りという考え方を導入しました。スキー(テレマークやクロスカントリーなど歩くスキー)も同様に「d」レベルでの参加可能な計画としています。冬の寒さとふかふかの新雪を存分に楽しみたいと思います。ともかく、雪の山を歩くと、ふだんの歩き方が大きく変わってきます。そういう教育的効果をむしろだいじにしたいと考えています。
●8月1日付けのスクロール・メッセージで触れた「65歳以上で槍ヶ岳」(年齢にはこだわりません)ですが、中房温泉から表銀座を槍ヶ岳へとぜいたくに歩いてみたいと思います。来年の8月のお盆休み以降と考えています。
●また、『週刊・日本百名山』の最後が屋久島の宮之浦岳だったのですが、それを来年の6月にやろうかと考えています。飛行機往復で2泊ないし3泊。時間のある人は開聞岳やミヤマキリシマの霧島山も……というあたりを考えています。
●今年の夏の4つの「s」は天候に恵まれたというか、どれもなかなかドラマチックでした。大物で残っているのは奥穂高岳ですが、登って下りるだけではもうつまらないでしょうから、穂高の縦走的な計画にしたいところですが、万にひとつの危険というところで微妙な感じがしています。やさしく、サラッとやるかどうか。来年の夏の計画ですから、いずれじっくり考えてみます。

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■2000.3.20──7月に大雪山をやります

■7月に大雪山をやります
●7sの大雪山については、常連の皆さんには写真送付時に付記するというかたちで概略をお伝えしたこともありますが、ここに正式に発表します。(第5日目を加えるなどいくぶん変更があります)
●日程は以下の通りですが、参加コースを4パターンに分けました。
1)7s1=7.20-23(3泊4日)——フル装備必要
2)7s2=7.20-24(4泊5日))——フル装備必要
3)7s3=7.22-23(1泊2日)——通常の小屋泊り
4)7s4=7.22-24(2泊3日)——通常の小屋泊り
*7sの1〜4の割当に関して、すでに中間的にお知らせした分と違いがあります。これが最終分類となります。
*カレンダーは20(木/海の日)、21(金)、22(土)、23(日)、24(月)
*講座料は1日あたり5,000円として下さい。
*今後計画を煮詰めていきますので「大雪山チーム」を結成します。○、△の方も早めにお知らせ下さい。


●第1日——7.20(海の日)
1400旭川駅集合予定。タクシーで裏大雪の高原温泉へ(約1時間半、1台約12,000円。若干の観光気分も味わいましょう)。空港や層雲峡からの合流も可能かと思います。高原温泉泊まり。
*羽田→旭川の午前中の便はANA、JAS各1便と臨時便だと思いますから、便数から考えて、羽田→札幌(新千歳)を利用するのも手です。JRは1147新千歳空港始発(特急ライラック9号旭川行き)→1230札幌→1400旭川で間に合います。該当する便はJAL、ANA、JAS、ADO(北海道国際航空)が全部で10便以上あります。
*なお、航空券の予約は搭乗日の2カ月前からです。各種割引についてはJTBの時刻表などで一覧できます。
●第2日——7.21(金)
標高差約1,000mを登って白雲岳避難小屋へ。5時間前後の荷揚げ登山。白雲岳避難小屋泊まり
*避難小屋は60人収容で、この時期には管理人がいますが、寝具・食事なし、混む時期ですから全員入れる保証はまったくありません。このルートをとる以上、野営の準備をしておく必要があります。
*野営をする場合は雪原ですから、個人装備としてゴアテックスのシュラフカバーのほかに断熱マットが必要です。団体装備としてテントとツェルトを伊藤が用意します。自炊に関しては後述。
●第3日——7.22(土)
稜線をたどって黒岳石室へ約3時間。荷物を置いて表大雪散策。黒岳石室泊まり
*黒岳石室(収容160人)は6月から予約開始。予約をとりますから寝られます。毛布・寝袋を借りることができますが、自炊です。
●第4日——7.23(日)
黒岳石室から旭岳を経て、表大雪縦走。午後早めに旭岳温泉へ。タクシーで(美瑛のラベンダー畑を見るなどして?)旭川空港ないし旭川駅へ。
*旭川→東京の飛行機は1710→1855、1740→1925、1930→2115(JAS198)が利用可能ですが、最終便を確保してください
*札幌(新千歳)へ出る場合には1800旭川始発(特急スーパーホワイトアロー24号札幌行き)→1920札幌/1949札幌始発(快速エアポート196号)→2028新千歳空港で、最終便の2130→2300(ANA970便)に乗れます。
*また1730旭川始発(特急ライラック22号札幌、快速エアポート190号となって新千歳空港行き)→1936札幌→1940新千歳空港だと、2030→2200(JAS118)、2035→2205(JAL524)、2035→2205(ANA72)や臨時便が利用できます。
●第5日——7.24(月)
予備日兼オプション登山として、高山植物で有名な夕張岳を予定しておきます。岩見沢から、あるいは新千歳空港からバスで1時間40分というところをタクシーで飛ばせば、夕張のスキー施設に泊まれると思います。標高差約1,000mの日帰り登山です。帰路の飛行機は最終便を予約しておいて下さい。


■大雪山の持ち物について
●服装は雪渓歩きを基本に考えて下さい。雪渓は溶け始めている状態だと思います。気温は0℃以上でしょうから服装は冬の日帰り程度でいいですが、3日間雪の上を歩きますから、靴の防水は重要です。
●山の上での2泊のためにゴアテックスのシュラフカバーと半身用のマットが必要です。とくに白雲岳避難小屋では小屋に入れない場合もありますから、キャンプ指定地に野営というケースも十分に考えられます。いざという場合のために貼るカイロも必要になります。
●リーダーのほうで非常時用のテント、ツェルトなどを用意します。いわゆる団体装備ですが、各人宛の分担がありますから持って下さい。
●食料は2日目の昼+夜、3日目の朝+昼+夜、4日目の朝+昼の合計7食と予備食が必要です。リーダー側でメニューを考え、フリーズドライ食品を仕込みますので、分担して持っていただきます。また調理具や食器も必要になりますが、これもリーダー側で用意しますので分担してもって下さい。
●かくしてみなさんのザックの重量は10kgをかなり越えるはずですので、ゆっくりと歩きます。ですから、「7S」に向けて、重いザックを背負ってみるというような体験の積み重ねが重要になります。これからの半年間で肉体的能力をもう一段ブラッシュアップしたいものです。


■大雪山の費用など
●航空運賃は羽田→旭川が29,300円ではないかと思います。割引によって、それが30%から最大50%安くなる可能性があります。羽田→札幌については多客期として26,000円だと思いますが、ADO(北海道国際航空)が20,000円で、大手3社もそれに類した割引運賃を設定しています。研究してみて下さい。まずは席の確保(予約)が必要です。老婆心ながら、安いだけでなしに、キャンセルや変更のさいの自由度も重要です。情報を交換しながらやっていきましょう。
●宿泊代は高原温泉の高原山荘が2食付きで10,650円です。あとの2泊は有料ですが安いものです。タクシー代が全体で1人あたり5,000円前後かかると思います。
●食費は登山用食料を一括購入した上で請求しますが、フリーズドライ食品でも1食あたり1,000円はかからないと思います。相談しながらすすめていきたいと思います。
●講座料は団体装備のリーダー側での準備なども含めて、1日当たり5,000円いただきます。
*予約金額についてすでに発表した分がありますが、参加日数×5,000円の講座料を振り込んでいただくことによって予約というふうにシンプルにしました。
●募集人員について
1)一応定員を20人としておきますが、当面高原山荘を30人確保しておきます。よって、最大30人として、ようすを見ながらメンバーを確定していきたいと思います。
2)時間がどうしてもとれないという人のためにショートコースを設けておきます。第3日目(7.22=土曜日)の夕方までに黒岳石室で合流して下さい。7.23の表大雪縦走をして日曜日中に東京に帰る「土+日」2日間の予定が組めます。
●計画の変更
1)天候その他、現地判断で予定どおりの行動ができないときには、計画を変更します。その場合、層雲峡からのロープウェイを利用できる黒岳石室をエスケープ地点として利用します。
2)もちろん、事故の発生などによって予定どおりに帰れないという事態も起こり得ますが、帰り便の飛行機についてはともかく、帰らなければならない人を優先した計画の変更を考える場合があります。
3)人数が多い場合にはアシスタントをつけるかもしれませんが、原則としてノーアシスタントでやるつもりです。ですからその分、皆さんの個人的能力を確認し、高めておかないといけないわけです。早い時期から「大雪山チーム」を形づくっていきたいと思います。

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■2000.1.22-23──北八ヶ岳メルヘン街道スキー大滑走・装備ガイド

計画のポイント
●例年、2月末にやってきたのを1カ月早めました。いい雪質の時期ということです。聞いてみましたら、雪はバッチリついているとのこと。2日目は午前中に軽く練習をして、メルヘン街道6kmのロングロング滑走(滑歩)を楽しみます。
●初心者の方の不安を耳にしますが、あまり親切に答えていません。「まったくの初心者でもできるようにします」という約束はできません。しかし、強烈に思い出に残る体験になることは約束できますし、ケガはほとんど起こりません。ザックは運んでもらいますし、時間切れになったら、人間もスノーモビルで運んでもらえますから、安心してチャレンジして下さい。大いに転んで、雪と戯れてほしいのです。そうするとそれが、じつはストックワークの効果的な練習になるのです。
●もうすこしくわしくいうと、使用するスキーは「テレマーク」。いわゆる歩くスキーの進化タイプで、かなりしっかりした専用靴をはきます。スキーと靴はつま先が固定されているだけなので、転んでも足周りのネンザ、骨折などはほとんどありません。ただ、転んだとき、スキー板の上にお尻が乗ると痛い思いをしますし、頭を打って目に火花が散ったという人は何人かいます。また、残念なことに、メルヘン街道の大滑走へのチャレンジを完全に棄権という人も1、2ありました。基本的に、歩いてもよく、待っていればスノーモビルで運んでもらえます。「安心してチャレンジ」というのはそういうことです。
●なお、今回は1日目はスキーでなしにスノートレッキング。1996年2月に糸の会の第5回目の山行としておこなった「北八ヶ岳スノーハイキング」(全員初体験!)と基本的に同じ計画です。メルヘン街道大滑走は5年目になります。


ルートシミュレーション
●1日目のスノートレッキングは標高2,233mのロープウェイ山頂駅から標高2,403mの縞枯山に登ると、あとは稜線歩きになります。天気が良ければ北アルプスから中央アルプス、南アルプス、あるいは八ヶ岳連峰のほぼ全部を眺めなららの爽快な山歩きになります。もし逆に悪天候なら、冬の山の厳しさと、樹林に守られた道の静けさとを体験できます。
●メルヘン街道の大滑走は約2時間の制限時間内にメルヘン広場まで到着できれば「糸の会的上級」となります。約2/3の地点にある日向木場展望台まで到達できれば「中級」、それに届かずにレスキューされたひとは「初級」というレッテルを貼るのが妥当かと思います。
●従来のケースでは、初体験で「初級」だったひとが2年目に「中級」、3年目に「上級」という例が標準的と考えられます。しかし「初級」で棄権というひとも多いので、一発勝負という観点からいうと、初歩のボーゲンができるひとは「糸の会的中級」から「上級」になります。麦草ヒュッテから緩やかに下って国道に出る道で大騒ぎしているひとが「初級」と「中級」に分かれます。バランス感覚があって、ドタバタしながら踏み換えターンをやってしまえるひとは、たぶん「上級」に分類されると思います。


持ち物(基本的な内容は昨年とほとんど同じです)
●足ごしらえ
スノトレ+ソックス+厚手のソックス+(中厚手のソックス)+貼るカイロ+スパッツ
*気温がマイナス10℃級ですから、貼るカイロ(ミニ)を4枚(2枚×2日)、行動用として持って下さい。
*麦草ヒュッテで借りるテレマークスキー用の靴というのは、革の本格的なスキー兼用登山靴と考えていただければまちがいありません。厚手のソックスのほか、中厚手のソックスも1枚用意しておくとサイズあわせに安心です。
*スパッツは通常使用のもので問題ありません。実用上は近くの文房具屋で売っているナイロン布の事務用腕カバーでも十分です。
*軽アイゼンは第1日目にあると便利かもしれません。必携ではありませんが、ある人はお持ち下さい。
●行動着
登山用肌着(上下)+長ズボン+長袖シャツ+セーター
*上はTシャツでいいですが、タイツが必要です。厚さはあまり関係ありませんが、夜もはいたまま寝るということを考えるとドライタイプのタイツが快適だと思います。しかしウールのタイツ(ももひき)があればそれでもけっこうです。女性用の保温性のあるタイツでもいいと思います。
*保温用にここでも貼るカイロをあてにできるので、モコモコにする必要はありません。行動用の下半身暖房用貼るカイロ(ミニ)は4枚(2枚×2日)、それから就寝用に3枚(腰と足裏)あれば万全のはずです。
*ズボンと長袖シャツはウールかウール混紡のものできつくないものを。フリース(ポーラテック使用のものなど)なら文句ありません。
●オーバーズボンとオーバージャケット
*標高2,400mの山に登りますから、行動中は基本的にゴアテックスのレインウエアの上下をアウターウエアとしてかためます。スキーウエアもこれにあたります。
●防寒用品
フリース(セーター)+手袋+帽子
*しっかりしたフリースのシャツが防寒着として必要です。これは行動中には着ませんが、休憩時に引っぱり出すことがあるかもしれませんから、これだけポリ袋にくるんで、できるだけコンパクトにしておきます。イメージとしては非常用防寒着という感じです。
*手袋は、はめたままザックの開け閉めができ、靴のひもを結べる薄手のものがかなり重要な道具となります。
*防寒用手袋はスキー用でも毛糸のあたたかそうなものでもけっこうです。この機会にというひとは登山用品店でフリースの厚手の手袋を買ってみて下さい。手も貼るカイロで暖められますからあまり心配する必要はありません。
*重要なのは手袋には内側の手首のところに10cmほどのゴムひもを輪にしてつけておくこと。手袋を外したときに手首のところにぶらさがるようにしておきたいのです。これはきわめて重要な安全対策になります。冬山では手を凍えさせないというのが全体の安全と快適につながるので現地でいろいろやってみましょう。
*帽子は耳までおおえるものでなくてはいけませんが、毛糸の普通の帽子でけっこうです。
●安眠確保のために——耳栓+(ゴアテックス・シュラフカバー)
●小物
地図+時計+ポケットライト+(カメラ)+(双眼鏡)+ポリ袋+貼るカイロ
*ポケットライトは道に迷ったときのためではありません。山小屋の夜に、トイレに行ったり、ザックの中を調べたりといった手元の仕事用という風に考えて、できるだけ小さくて軽いものを。 *ポリ袋は荷物の整理用として、手つきのもの何枚かと、30リットル級ゴミ袋を1〜2枚を濡れもの整理、濡らしたくないものの防水用として使います。2日目は自分の靴をザックに入れてスキー靴をはきます。
*貼るカイロはミニサイズだけにしてください。最低10枚、装備に不安のある人は20枚用意しておいて下さると、寒さに起因する苦痛はほとんど回避できます。
*なお、肌着の上から貼る50℃級の「貼るカイロ」でなしに、直接肌に貼れる40℃級の「直貼り」をテストしてみて下さい。
●食べ物・飲み物
1日目昼食と昼食用飲料+2日目昼食と昼食用飲料+おやつ
*1日目の昼食はピラタス・ロープウェイの山頂駅で食べるつもりです。休憩室を利用しますから持参した駅弁でも食べられますし、軽食レストランがありますから利用できます。
*2日目の昼食は麦草ヒュッテですから、ここでも小屋のメニューを利用できます。
●着替えとザック(サブザックとメインザック)
*防寒衣類が入って、しかも1泊分となるとザックはふだんより重くなりますが、1日目の行程は標高差200mほどの軽い山歩きに過ぎません。寒さはたぶんきついでしょうが、山歩きは超軽量級というわけです。
*昼食2食を持たずに参加できますから、食べ物系を思い切って減らせば、日帰りの小ぶりのザックでも参加できるのではないかと思います。それに衣類を冬山用として完ぺきに固めてしまうと列車内で暑くてかなわないというようなことになりかねません。温度調節の幅を大きくとれるよう、重ね着をいろいろ考えてみて下さい。
*また、メルヘン街道大滑走のときにはザックはスノーモビルで運んでもらえます。水筒とお菓子、それに防寒着程度を入れて背負えるサブザックを用意すると便利です。

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■1999.9.25──お知らせいくつか

■「残金処理」が多くなりました
●お気づきの方も多いと思いますが、これまではみなさんからの直接の指示がなければ動かさなかった残金欄をこちらで勝手に書き替えるだけでなく、残金のない場合にも強引に「残金処理」をしてマイナス(△印)の金額にしてしまいます。
●金額をマイナス表記されることに強い抵抗を感じる方がいらっしゃるのも承知の上で、やはり当分、「残金処理優先」でやらして下さい。
●きちんきちんと計算して振込をして下さっていた皆さんも多いのですが、「残金で充当」という指示をいただきにくいこともあって、全体に残金がふくれあがって、それがこちらでは負担になってきています。この種のお金はできるだけ貯めたくないのです。
●そこで、計算を金額発生時にこちらで先にやってしまいますから、お金はワンテンポ遅れて払っていただければいいということにします。それが気になる方は少しずつ早めに残金をつくっておいていただければ、そこから差し引いていきます。これまでもどんぶり勘定方式で残金を残しておくという方式の人もいたのですが、支持がない限りこちらでは動かさないようにしてきました。これからはどんどん引いてしまいます。
●いずれにしても金銭に関する記録はいつでも最初まで遡って見ていただけますから、「おかしい」と思ったら、遠慮なく言って下さい。すぐにプリントアウトしてお送りします。
●なによりも、山行予約をするときに最新の残金状況がわかるようにしなければいけないと考えて、10月からは山行計画書に予約状況と残金状況とを同封することにしました。これまで、参加者名簿に載せていた会計データを、山行計画書にも加えるということです。これで、たぶん、お金のやりとりに関するコミュニケーションは常連の皆さん以外にもかなり濃いものになるのではないかと思います。
●かえって面倒という方も多いかもしれませんが、当分はこちらの記録ミス、計算ミスがないかどうか、見張っていていただきたく、お願いします。


■これから2年間、ちょっと忙しくなります
●8月から新しい仕事が始まりました。簡単にいうと、1冊15,000円の豪華写真集を12冊つくります。毎日新聞社が刊行する『世界の遺産』全集です。2カ月に1冊のペースで2年かかるというわけです。私の担当は写真集め。長いつきあいのメンバーの小さなチームでやりますから、自分の守備範囲はかっちりやらないといけないわけです。いまは最初の1冊なので、レベル合わせに手間がかかっています。
●——そういうわけで、朝から夕方まで写真を見続けるという日が月に何日も必要になってくるのでありまして、そのしわよせがまたまた糸の会の方に出ないとはとてもいえない予感です。みなさんにご迷惑をおかけしますが、写真を見る仕事はなんといっても楽しいのです。どうしてもそちらに力がはいってしまいます。悪しからず。


■髪を伸ばしています
●ほとんどが悪評のようですが、夏に向かって伸ばし始めた髪を伸ばし放題にしています。特別な意味はないのですが、人生に1度ぐらい「長い髪」を体験してみてもいいと思ったのでした。
●という以前に、ここ2年ぐらい髪を短くしていましたが、それも「人生に1度くらい」の体験でした。短くしたのだから、長くしてみようか……という程度のことでして、あまり意味はないのですが、息子に「今のうちにやっておかないとできなくなるかもよ」といわれて、それもそうだと思っています。
●今までは頭になにもつけなかったので頭を洗うこともあまりなくて、楽だったのですが、ほとんど毎日洗髪しなければいけないというのが新鮮です。いつかそれに耐えられなくなるとは思いますが、しばらくはモジャモジャ頭でいくことでしょう。
●いいおじさんがだらしない——と顔をしかめていらっしゃるらしい方々の存在も気にはしていますが、どうか、もうしばらくのことでしょうから、見て見ぬふりをお願いします。夏を超してしまったので、冬までいってしまうかもしれませんが……。
●髪結いさんが「放ったらかし」OKという人なので、こちらも勝手に放ったらかされているわけでして——。


■写真の本格的な額入りプリントを考えています
●展覧会で展示するレベルの写真のプリントをご希望の方に提供できるような準備を始めています。かなり高価なものになりますが、半切(356×432mm。A3判よりひとまわり大きなサイズ)を額に入れて3万円程度と考えています。
●皆さんに買っていただいている写真のうち、画面の小さな(約140×180mm)デジカメ写真以外は、全部カラーリバーサルフィルムで撮っていますから、プロ用現像所でプリントすることができます。
●基本的にどの写真でもOKですので、絵柄のコピーをいただければ、フィルムをチェックしてみます。小さな見本をプリントしてから本番にかかりますから、クオリティに問題がありそうな場合には事前にお知らせします。
●額については写真用額からこちらで選ぶつもりですが、相談に応じることも可能です。なお、本格的なスタートは来年春あたりからと考えていますが、テストケースとしてでよければいつでもけっこうです。


■来年の7月のSは大雪山のつもりです
●そろそろ、遠くのいい山にも登りたいと思うようになってきました。
●来年は7月20日の海の日がらみで、北海道の大雪山に行くつもりです。現地集合、現地解散にしますから、参加希望の方は各自飛行機のチケットを確保して下さい(もちろん、徒歩、寝台列車、フェリーなどでもけっこうです)。もっとも込む時期ですから、足を確保できた人だけが参加可能ということになります。割安切符など研究しましょう。
●朝一番の飛行機で旭川に飛べば、その日のうちに層雲峡から登って黒岳の小屋に泊まることができると思います。翌日に大雪山を縦走して旭岳から下ります。
●予備日を設けておく必要があるので、続けて十勝岳に登るという計画にしておきましょうか。3日目の夜の便で帰る人は大雪山だけで終わるかもしれませんが、4日目の夜の便で帰る人は十勝岳にも登れるという見込みになります。
●こまかな計画は今年中に立てます。なにしろお花畑の大雪山です。

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■1999.3.15──新しいカタチを模索する年にします

■新しいカタチを模索する年にします
●糸の会は1995年11月にスタートし、4月で年度を切り替えるようになってから、1996年度、1997年度、1998年度と続いてきました。当初「いつまで続くかわかりませんが……」と逃げを打つと、小池日出男さんあたりから「責任をとってください」と尻をはたかれ、「とことんやる」というわが人生はじめての積極的な決断をしたのでした。
●おかげさまで、これまでハンパに、断続的にやってきたコトゴトが軸をもって回転しはじめたように思います。「糸の会」というものを主宰することによって私自身がえたものはすばらしく大きかったと感謝しています。
●しかしながら、それは理想の方向へと登り詰めていくようなものでもなく、ある安定ラインを維持しようとするものでもないというふうに私は当初から考えています。私自身が常にドタバタと試行錯誤できるゆるみをもっていること、入ってこられる方が、いろんなカタチで波紋を投じてくれるようなゆるみももっていることをだいじにしてきたつもりです。
●それは、技術的に重要なところは強制的に徹底したいけれど、はしからはしまで伊藤流を押しつけたくはないということにも通じます。あるいはさまざまなトラブルメーカーの登場も望んでいるということでもあります。ひそかに反省するハプニングやトラブル、あるいは事件が、いろんなかたちで私の財産になってくるからです。ですからいろんな人が、いろんな入り方をしてくださるといいな、というのが私のもっとも望むところとなっています。
●そうやって、とにかく3年と半年が過ぎました。そして冷静に振り返るとき、「ひとつの時代が終わりつつある」というふうに思います。糸の会が大きく変わろうとするところにあるのだと思うのです。
●たぶん、「伊藤流」を、もうすこしはっきりさせていきたいのだと思うのです。逃げ道のないところへ追い込めるものなら、追い込んでみたいのだと思うのです。
●なんだかまだ、はっきりはしませんが、骨格的なところを見つけてだいじにしながら、「次」を考えていきたいと思います。
●今回、1998年度会員のみなさんだけでなしに、参加順に通し番号をつけている糸の会の全参加者のみなさんの、全参加リストを巻末に加えました。小さい文字で読みづらいかもしれませんが、一種の棒グラフとして見ていただければさいわいです。

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■1998.9.5──木ノ又大日沢遭難未遂報告

■木ノ又大日沢遭難未遂報告
●8月16日の日曜日におこなったのは8Cの木ノ又大日沢でした。まずはその計画書(糸の会通信755-757ページ)の「テーマ」と「行動」を再録しておきます。


■テーマ
●お盆休み恒例の沢遊びです。沢登りというより、ワラジをはいて濡れた岩場を歩いてみるという体験です。
●「8C」は原則として遅めの出発なのですが、夏休み特別バージョンということで早い出発にしました。じつは糸の会でやれる沢がなかなか見つからなくて、今回は従来よりさらに標高差が大きくなりました。早起ちが好ましいのです。
●沢ではワラジを履きます。当日、大倉バス停前のどんぐりハウスで購入しますので、破れていい靴下のたぐいをお持ちください。(くわしくは持ち物欄参照)
●着ていった服は沢で全部濡れてしまうかもしれませんので、着替えを一式、ポリ袋で二重に防水してお持ちください。
●安全第一に登りますが、手足の擦り傷などはありうると覚悟しておいでください。


■行動
1100ごろ_戸沢出合に集結
*戸川林道を行き止まりの戸沢出合までレンタカーで行きますが、2往復することも考えられます。待ち時間は昼食時間に当ててください。
1100ごろ_戸沢出合出発
*登山道の書策新道を登ります
1200ごろ_水無川本谷。沢歩きを開始
*時間がどれくらいかかるかわかりませんが
1500ごろ_表尾根稜線
1600ごろ_塔ノ岳
*時間に余裕がなければ行者ヶ岳方面に下ります
1800ごろ_戸沢出合
*風呂に入りましょう


●参加者は以下の14人でした。わかりやすくするためにグループ別に名前を紹介しておきます。

伊藤 幸司——伊藤 朝(娘=中1)
I.植松——M.伊藤(姪=21歳)
M.本川——A.今井+けいた(娘と孫=小1)
Y.笹本——K.岡原+あかね(娘と親戚の子=小2)
Y.春日
T.関根(千葉)
K.武田(千葉)
K.吉澤(復帰後初参加)

●植松さんは今度の本で沢歩きに初参加した感激の手紙を引用させていただいたUさん。すなわち昨年の流れの沢(8.7の8Fw)が糸の会初参加。姪のM.伊藤さんは蓼科山のスキー(2.28-3.1)に参加しています。
●本川さんは千葉の朝日カルチャーの1期生で常連ですが、糸の会への参加は昨年の夏からで、植松さんと同じく流れの沢が糸の会初参加。その月の大山(8.16の8Fc)には孫のK.今井くんを参加させています。
●けいたくんは昨年、幼稚園の年少組ながらがんばり屋のところを発揮していました。そのお母さんのA.今井さんから、8.12に次のような問い合わせがファクスで入りました。
★前回の御案内の中で、この沢登りは子連れ可という様に記載されていたかと思い、息子(けいた、小1、身長130cm、27kg、小3ぐらいの体力あり。昨年はお世話になりました)を連れて参加しようと考えております。が、よろしかったでしょうか?
★子連れが不可の場合は、恐れ入りますが、下記迄FAX返信頂ければ有難く思います。
★お忙しいのにお手間をとらせて、申し訳ございません。少し不安になりましたので、FAXさせて頂きました。

●けいたくんのお母さんのその「少し不安」が現実のものになってしまうのですが、小学2年のあかねちゃんを参加させたいというY.笹本さんからも次のようなファクスが入りました。
★連絡遅くなって済みません。子供のことが心配だったので私の長女も一緒に参加させて下さい。教師をしています。
あかね(8歳)親戚の子
K.岡原(私の長女)
★伊藤さんに散歩会で2回ほど丹沢の沢登りに連れて行ってもらったことがあります。「クズハ川」と「流れの沢」です。とても気持の良かったのを覚えています。
●笹本さんからの最初のファクスは次のようになっていました。
★ごぶさたしております。伊藤さんにはいろいろお世話になりました。千葉さんにも聞いたと思いますが、左のヒザを少し痛めて下りますので不安を抱えております。
★8C=8.16(日)の沢登りに参加させて下さい。小学校の女の子も一緒にお願い致します。時間、その他、お知らせ下さい。
●笹本さんのいう「散歩会」は、山と溪谷社の元社員でいまは独立して「ポカラ」という雑誌を出している阿部さんという人が中心になっている遊びの会員組織「遊人倶楽部」のなかの催しのひとつで、1991年から93年にかけて、日帰りの山歩きに何度かご一緒しています。その散歩会の世話人がマンガ原作者のS.千葉さんで、まずご当人が糸の会に会員登録、配下のY.笹本さんとK.茨木さん(どちらも会員登録ずみ)のおふたりの歩き方のリハビリを依頼してきたのでした。ですから笹本さんは糸の会は初参加でも、馴染みではあったのです。


●このような2人のお子さんに対する不安に私がわりに軽く対応していたというのが今回の遭難未遂の重要な伏線になっています。
●そこで、なにがどうなったかというと、計画で15時に出るはずだった表尾根稜線(木ノ又小屋近くの木ノ又大日。道標のコースタイムで塔ノ岳まで25分のところ)に出たのが19時だったのです。4時間の遅れでした。
●しかし、私はまだそれほどあせってはいませんでした。そこから塔ノ岳を経て大倉尾根稜線から戸沢出合に下るのを3時間と見ていましたから、行者ヶ岳手前から戸沢出合に下る道をとれば、そこにレンタカーを置いてあるので、全員乗り込んで駅まで走れるというふうに踏んでいたのでした。しかし車にたどりついたのは午前0時。下りにさらに5時間かかったのです。

●沢は戸沢出合から書策新道で水無川本谷の上流部に出ます。そこまではだいたい予定どおりにいきました。沢は明るく清潔感のあるところが好ましく、春日さんと「いいですねえ」などといいながら登っていったのですが、気持ちのいいシャワークライミングという感じのところがなくてすこし寂しい気がしていました。
●そこで核心部の「F2=5m」という滝を全員で登ろうとしたのが、15時前後。伊藤が登り切れずに高巻きしてロープをセットし、全員が登り切ったのでした。
●その上の「F3=8m」は滑り台を登るような高巻きをして、いよいよ源頭部に出たのでした。山と溪谷社から出ている『丹沢の谷110ルート』の超初級の沢は鈴木澄雄さんがていねいに書いているのですが、最近では山岳写真家として名の出てきた鈴木さんも遊人倶楽部の関係者で、私に「流れの沢」を教えてくれた人でした。彼は最後の詰めのところをこのように書いています。
「F3の上は明るく開け、表尾根を見上げれば広大なガレ場開けている。ガレた源流でも伏流にならずに、水流がある。適当なところでガレの右側の尾根に逃げる。雑木につかまりながら登っていくと、古いロープが張ってあった。木ノ又小屋の水場へのルートになっているようだ。最後はスズタケの中の踏み跡になり、木ノ又大日に登り着く。」
●この「適当なところ」から「雑木につかまりながら」登っていくというあたりで濃い夕暮れになり、悪戦苦闘という感じになっていったのでした。
●崩落地形の周囲の急斜面のところを強引に登っていくのは山道を歩くのとはまったくちがう大きなパワーが必要なところで、薮漕ぎですから1時間でどれだけ進めるかもわかりません。ようやく「スズタケの中の踏み跡」を確認した草付きの斜面で休憩。街の明かりを見たのでした。「こんなきれいな風景はあまり見られないわね」というような元気づけの言葉が交わされたのでした。稜線に出たのは、それからもうひと踏ん張り、笹薮をくぐり抜けた後でした。
●真の闇に包まれる前に登山道に出たいというのが私の、このときの最重要課題でしたから、休憩をほとんどとらずに登りつづけてきたのでした。F2をひとりひとり登ったときに、武田さんにお茶を湧かしてもらって1杯ずつ飲んだのが休みらしい休みの最後でしたから、みなさん、夕闇に背中を押される気分でずいぶんがんばったわけです。
●表尾根の稜線の道は、まるで舗装路のようにしっかりとして広々と感じました。塔ノ岳の尊仏山荘の明かりが、でも25分では無理だろうなというところに見えていました。私はみなさんに休んでもらって、甘いものを分け合ってもらったりしましたが、夕食にあたるようなものはありませんでした。

●そこで私はどうしてもしておかなければならないことがありました。レンタカーの営業所が閉まる20時までに今日は返せないということを連絡しておく必要があったのです。電話が通じるかどうかチェックするために自宅にかけたらかかったので、いま4時間遅れで尾根に出たこと、これから暗くなるので下山が何時になるかわからないので、もし電話があったら安全に下っていると伝えてほしいということを妻に頼んでおきました。つづいてレンタカーとも連絡がとれて、明朝8時に返せばいいということになったのでした。
●まだかすかに道が見えるので、できるだけ進んでおきたいということと、稜線のあちこちから街の明かりが見えるはずなので、小さな休憩を入れるごとにみなさんに自宅に連絡をしてもらおうと考えていたのです。
●携帯電話は、笹本さんのが稜線に出る手前のところで鳴って通じていましたが、それ以降はかからなくなってしまいました。電池切れと笹本さんはいっていましたが、フル充電して、スイッチを切って持っていた私の携帯電話もそれ以後、どこからもかけることができなかったのです。足元に秦野の明るい光があるのに、電話は通じないのです。
●木ノ又小屋も新大日茶屋も書策小屋も、みんなもちろん閉じていました。歩く速度は急激に落ちて、行者ヶ岳手前の下山路まで1時間以上かかっていました。

●そしていよいよ森林の中の下りです。昨年の毛無山の遭難未遂の遠因のひとつにライトの不足があったので、あるだけのライトということで4本持ってきていたのですが、足りませんでした。ちょうど、軽くて小さくて扱いやすいコールマン印のポケットライトを見つけたので、使ってみてよければまとめて買っておこうかと思って持ってきていたのですが、それもまだ1本だけ。14人のうち半分の人がライト無しだったのです。
●例によって、できるだけ点灯時間をセーブしながら、かつ転倒しないようにゆっくりと下り始めたのでした。ガイドブックのコースタイムで1時間10分のこの道は6月に朝日カルチャーセンターの人たちと下っています。昼間で2時間といったところでしょうか。
●ここではもう全員がヘトヘトでしたが、歩かなければどうにもならないということで、不平や非難の言葉はまったく出ませんでした。2人の小学生に逆に元気づけられながらただ黙々と下っていったのでした。
●一番大変だったのは小2のあかねちゃんでした。すでにF2をシャワークライミングするところから恐怖を感じたようで、泣いて訴えることが多くなりました。F3脇の高巻きでは滑り落ちそうな斜面にしばしばストップ。そこから稜線までは、お母さん役の岡原さんとおばあちゃん役の笹本さんに押し上げられたようなものでした。

●稜線に出てからは、先頭の私があかねちゃんと手をつないで、その後ろにけいたくんが続くというかたちを取りましたから、笹本/本川グループの6人が列の前半を固めたかっこうになりました。
●22時を過ぎるころには、もうだれもが歩き続けるのにうんざりしていました。車を置いた河原あたりのキャンパーの明かりが杉林越しにはっきりと見えてからでも、いくら歩いても着かないのです。沢音が近づいても、それが期待をまた裏切ってしまうのです。2度ほど、近くでシカが鳴いたのをそれぞれの思いで聞いたのでした。
●下りがどこまでも終わらないという気分におちいったあたりで、あかねちゃんの疲労はピークに来ていました。「あと10分で着きマスカ?」としきりに私に聞くのです。「15分かもっとかかるよ」とけいたくんは叱咤激励しています。子どものそういうやりとりが、14人の列に動きつづけなくてはいけないという暗黙の了解を与えていたと思うのです。
●ライトに電池切れのものが出てきました。使い初めて4時間以上、うまく使ったと思いますが、また条件は悪くなってきたのです。暗くなってからは、転倒が一番恐いのでスピードは絶対に上げられません。しかしそうするとライトの転倒時間が長くなる。そこのところの綱渡りが、じつはいちばんむずかしいところなのです。
●ほんとうにあと一歩というところで、あかねちゃんは眠気に襲われ始めました。私の手の張りが弱くなると、とたんにしゃがみこんで、ぐったりとしてしまうのです。笹本さんは後ろからいろいろやっていますが、とうとう限界という感じです。春日さんに荷物をすこしもってもらってザックの上にあかねちゃんを乗せてみましたが、眠られたら落ちそうな危険を感じて、きちんと背負うことにしました。私のザックは植松さんの姪のM.伊藤さんが背負ってくれると申し出てくれました。
●あとで聞くと娘の朝もそうとう眠かったそうですから、小さい2人にはほんとうにつらい山歩きになってしまいました。

●ともかく午前0時ごろにようやく車のところにたどりつき、14人が乗り込んで秦野駅へと下りました。そこで各人家に電話を入れて、善後策を相談しました。千葉からの武田さんと関根さんは、24時間営業の入浴施設・皇源健康センターの仮眠室を利用して、朝の電車で帰ることとなり、車の乗車人数はおとな10人と子ども2人となったので、東京まで走ることになりました。武田さんたちを風呂に送る道筋にあった不二家のファミリーレストランでとりあえず食事。さすがに疲れた本川・笹本グループは飲み物とアイスクリーム程度でしたが、ほかの人たちは遅い食事をすませたのでした。
●車は国道246号を東京方面に向かいながら、タクシーのつかまりそうなところでみなさんを下ろして、午前4時半ごろに大森で笹本さんと茜ちゃんを下ろしたのが最後でした。


●翌日がフリーの人はともかく、仕事のある人にはたいへんご迷惑をおかけしました。山では時間に遅れが出ることは十分にありうることとはいえ、日帰りの計画がその日のうちに帰れないというところまで遅れたら、それは計画に余裕がなかったといわざるを得ないのです。
●ここではくわしくは書きませんが、糸の会の行動ではサブリーダーを設けませんが、同時に連絡本部という機能も備えていません。どちらも山の行動では常識的な必要要素でありながら、あえて私はそれを排除した完全ワンマンシステムをとっています。
●ところが今回は、計画書と名簿をきちんとセットにして自宅に置いてきていた上に、午後7時に電話の感度チェックのためとはいえ、みなさんの留守宅から問い合わせがあったら対応してほしいという依頼をしたのでした。これによって、妻と長男は連絡本部としてすべきことはないのかといろいろ話し合って、午前0時を過ぎても連絡がなかったら警察に相談しようと決めていたというのです。
●ひとつだけいえば、山でなにかあったとき、それが遭難未遂という段階なら、ありうることは「朝を待つ」ということです。ですから夜中に連絡しても、それだけでは警察も動きようがないのです。もし実際に事故が発生していたら、私たちのように大人数の場合には、だれかが直接救助を求めるか、動けない人だけ朝を待つ態勢をととのえて、元気な人だけで下山するというような方法の方が一般的です。「朝を待つ」ところから、いろいろな動きがはじまると考えていいのです。そういういろいろな「読み」ができる人間が決定権を託されて連絡を担当するのでなければ、問題が複雑になるばかり——ということが多いのです。
●実際にわが家に入った問い合わせの電話は1本だけでしたから、留守宅に具体的な仕事は何もなかったといえるのですが、帰ってから、留守宅のあり方についていろいろと話すことになりました。
●こういう仕事をやっていると、いつかなにか遭難に類することが起こるかもしれないわけで、そのことを考えれば家族の協力ということよりも、山岳界といった世界との連携を求めることのほうがはるかに重要なのです。が、私はあくまでも周囲との関係を断ち切ってやってみたいと考えているのです。
●長男は「計画どおりにいかなかったのだから講座料を払い戻すべきではないか」と感じたというのです。責任の取り方として一理あると認めるものの、そういう解決策こそ安易に流れるという主張を私は通しました。というのは安全にやる方法を知らないわけではないからです。主催者がいてそこが神経質な場合には、計画段階で安全度を高めておきます。安全なお皿の上でスリルを演出するという方法を私もやっていないわけではないのです。しかし、そういう演出主義にあまり踏み込みたくないと私は思っています。
●けっきょく、娘の朝が参加者のひとりとして感じたみなさんの雰囲気は、気持ちをひとつにして難局を乗り切ったという印象だったということで、留守宅の不安やら不満は一応解消したのでした。何があったのかをみなさんにきちんと報告することと、できるだけ早く、参加したみなさんにお詫びするということで、家族ミーティングは終わったのです。この報告は、したがって家族会議の結果どうしてもまとめなければいけないもの、となったのでした。


●ただ、お詫びの方はそのままになって現在にいたっています。あの日、午前8時に秦野駅前にレンタカーを帰した後、わが家は車で月火水と家族キャンプに出かけ、そのあとは土日・火・水・木金と山行きの仕事が続いて、当面、丹沢の沢は遠い昔のことのようになってしまったのです。
●おくればせながら、ご迷惑をかけましたこと、お詫びいたします。一番心配なのはあかねちゃん。こちらは小さい女の子と手をつないで長い時間山歩きをするという素晴らしい体験もできましたし、背中で眠ってくれてホッとしたりで楽しい思い出になっていますが、あの年頃であれだけ強烈な体験をしてしまうと、山嫌いになってしまうのではないかと心配です。
●ふたりのお子さんの保護者の方々にとってちょっと心配な計画であったことは事実です。その不安を私があまり重視しなかったというのが直接の判断ミスでしたし、お子さんを受け入れるなら知っている沢にするか、下見をして実施すべきであるという世の中の原則がやはり必要であったかと思います。必要である、なしにかかわらず、「大丈夫でしょう」という返事に裏付けがなかったわけです。
●どういう言い訳をしようと、この山行はハプニングを起こしてはいけないタイプになっていたといわざるをえません。そこのところの認識が甘かったのが、「大丈夫でしょう」という甘い返事になってしまったわけです。
●とにかく、小さな女の子を山嫌いにさせてしまうほどのハプニングは起こしてはいけなかったと反省しています。道々けいたくんが「沢登りはたいへんだけど、山登りなら大丈夫だよ」とあかねちゃんをなぐさめていました。それが私には一番つらい言葉でした。ごめんなさいあかねちゃん。


●なお、秦野で仮眠した千葉のおふたりからは、その後ファクスをいただいています。

■武田和夫さん——8.19
●先日はすっかりお世話になりました。
●夜中と早朝にふろに入り、一番で帰りました。

■関根登美子さん——8.19
●伊藤先生、16日の沢遊びは、本当にお疲れになった事と思います。ありがとうございました。
●とにかく私は初めての経験で、わらじを履いて、登り始めはワクワクとしていたのですが、すぐに登りきれなかったらどうしようと不安な気持ちに変わってしまいました。
●でも、その場、その場で先生が何をどうしたら安全かを考えて下さり、又、かわいい小学生の2人が必死に頑張っている姿や、朝ちゃん達の若いパワーに勇気づけられて、何とか最後まで無事に行動出来ました。本当に皆さんのおかげです。しかも天候に恵まれて、満天の星と180度の素晴らしい夜景まで見る事が出来、参加して良かったと思いました。
●案外にぎやかな真夜中のレストラン、それにめったに出来ない朝帰りとおまけは一杯。楽しかったです。ベランダに揺れているわらじは私の“金メダル”です。
●心よりお礼申し上げます(FAXにて失礼致します)

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■1998.8.1──出版記念会

*写真は、鈴木一誌さんが撮っておいて下さったものです。本来はカラーでプリントしたかったのですが、アプリケーションとのマッチングが悪いので、やむなく白黒写真にしました。

●8月1日(土)午後6時半から中目黒スクエアという住民集会施設を使って『がんばらない山歩き』の出版記念会を開催させていただきました。著者が主催するこの会について、案内状では次のように書きました。
★かくして細々と、山歩きへの関心が何冊かの単行本となってきたのですが、今度の本は1995年秋以降に山歩きにご一緒した方々へのひそかな観察から生まれたといっていいのです。写真もたくさん使っています。
★そういうわけで、みなさまのおかげでまとまった本であることを明らかにして、著者としてお礼を申し上げたいのです。
★そこで出版記念の会を企画しました。ふつう出版記念パーティというと発起人が呼びかけて著者を祝うというかたちになりますが、今回のものはちがいます。著者が会場と食べものと、本を手配します。その費用を会費として負担していただいて旧交を温めていただくという場にしたいのです。基本的に山歩きをご一緒した方々にこのお知らせをさしあげますので、おいでいただければ幸いです。

●けっきょく人数は私たち主催者もふくめて64人となったのですが、当初30〜40人と考えていただけに「大人数」の集まりになりました。一番大きな部屋が空いていたのがラッキーでした。
●会場を確保し、届けてもらう食べ物や飲み物の手配まで終えたものの、当日の最後の買い出しに手間取って、主催者が会場に着いたのは6時を10分以上過ぎていたでしょうか。もう何人もの方が集まっていましたが、カレー屋も酒屋も請求書をもって時間どおりに届けてくれていたので、清川さんがとりあえず勝手に受付をして会費を集め、払うべきものを払い、会場をあけてくれたところでした。
●もうほとんど開始時刻に、集まった皆さんで会場づくり。みなさんが勝手に準備をととのえてくれました。レンタカーのライトバンがはちきれんばかりの荷物に振り回されていた私が会場に上がったときには、もうほとんど会場はできていました。
●カレーと、果物と、飲み物だけというシンプルなメニューに「式次第なし」という、ほとんど無策の会でしたから、どうなることかと思っていましたが、みなさんおたがいに場を盛り立てて下さって、私はナンを半分食べたくらいで、ほとんど隅っこの方でうろうろしていました。
●だいたい、カメラもビデオもみんな忘れてきたくらいですから、会場で、なにがどう進行していたのかも、じつはあまりみていません。ふだんとは別人のような皆さんが、ひらひらとあっちへいったり、こっちへきたりという感じを、いくぶん呆然と眺めていたという感じです。
●ただ、はっきり覚えているのは、8時を過ぎたところで料理を片づけようということで、残ったカレーを皆さんに自由にお持ち帰りいただこうということにしたら、じつにみごとにきれいになったことです。そのあとはティータイムという予定だったのが、もともと会館の湯沸かし器が故障ということからのやりくりだったのですが、お湯があまり自由にならなくて、尻つぼみの雰囲気になっていってしまいました。

●ほんとうは中締めというつもりだったのですが、みなさんの行動力が再び遺憾なく発揮されて、会場がたちまち体育館のように広々とした空間になってしまったものですから、なんとなく大きな輪になったまま、挨拶というかたちになってしまいました。突然指名したフリー編集者の鷲巣俊子さんの感想がファクスで届いています。
★先日は、じつに楽しい「文化祭」でした。伊藤家の皆様の大奮闘のおかげで、おいしいカレーもおなかいっぱい食べられて、ビールも入り、「うーん、満足」とすっかりいい機嫌でいたら、いきなり「企画者の鷲巣さん」とかいわれて「おっとっと」となってしまいました。
★「えー、伊藤さんは大学のゼミが一緒で、伊藤さんは最初は出てきたのですが、青ヶ島に調査に行くといっていなくなり、それから顔を見なくなりまして……」とか始めた方がよかったと後から思いましたが、なにしろ、参加者の皆さんの若さと、楽しそうなパワーに圧倒されてしまって、あの時は何も出てきませんでした。また、鈴木さんたちデザイナーの苦労、とくに立体化の工夫には触れるべきだったと思いました。まったく至らなくて申し訳ありませんでした。でも皆さんには、本をご覧になればわかっていただけると思います。
★写真から、何となく山歩きのスタイルのイメージがこちらの頭の中にあったようで、皆さんの華やかさに、すっかり、著者や制作側より「参加者の皆さんが主役だ、こりゃあ」と思ってしまったのでした。

●最後に妻からの長いお礼。
★あの日、皆様より先に会場に着けなかったこと、お酒のおつまみを忘れたこと、お茶の用意が整っていたのに専用のテーブルを作らなかったこと、等々と、冷や汗が出るような反省ばかりです。何とも申し訳ございません。
★皆様の印象を息子は「行動的な方ばかりだねえ!」と話しておりましたが、出席された方々の手や足が動き出すや、アッという間にテーブルがセットされ、楽しい時が流れ、そして瞬く間にチリひとつない部屋にもどり、まるで魔法のような一夜でした。
★インドの方の焼いた大きなナンを喜んで下さったり、6種のカレーの中でこのカレーが好きと言っていただいたりで、ホッとしました。
★私がひそかにアイディア勝ちだったと思っておりますのは、長野県下高井郡で健康で安心な果物をと、一家でがんばっておられる山崎信一さんからあの日に届いたソルダムと桃です。
★その昔、倉敷民芸館の館長だった外村先生に機織りを習っていた時に、桃畑に連れていっていただき、生まれて初めて、あのもじゃもじゃの桃を皮ごとかぶりついて感激したことがありました。山崎さんの果物ならば……と思ったのです。ソルダムは畑に行ってみて未だあったら送りますということでしたので、届いたことがラッキーでした。
★山行きの写真でお目にかかっているたくさんの方々にお会いできて、ああ……こういう方々に伊藤は支えられているのだなあと思いました。幸せそうな伊藤の顔が思い出されます。
★布を敷いていつのまにかお花や色紙を飾ったコーナーを作って下さったり、手料理を持ってきて下さったりと、皆様のお気持ちやお心遣いが嬉しかったです。本当にありがとうございました。
★支援したいので山崎さんの宣伝です。これから巨峰、キウイフルーツ、くるみ、りんご(さんさ、つがる、千秋、ジョナゴールド=おすすめです、王林、北斗、ふじ)。5kg(16-20個)で2,200円+送料から。FAX0269-33-5779、電話0269-33-0772。

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■1998.7.5──いただいた手紙

*いただいた手紙、ハガキ、ファクス、郵便振替用紙の通信欄など、文字で書かれたもののすべてから(事務的な連絡と挨拶部分を除いて)できるかぎり原文のまま紹介します。
*「1.15掲示板」(通算625-638ページ)で紹介した分以降のものから、一部入力した分を掲載します。古い順に並べましたが、この時期のもの全部、というわけではありませんし、とくに選んで、というのでもありません。たまたま入力してあったものとお考えください。


■M.清川さん——3.4
■小海線30駅全区間乗車
●「佐久平」で、先生始め長野新幹線への乗車変更組の皆様が降車された後、小海線/小淵沢行きの車内は、乗客も次第に疎らとなり気がつくと、我々7人の貸切り状態となりました。長椅子でゆったり眠る人あり、車掌さんと一緒に記念撮影をする人あり、ボックス席では飲んでは食べ、それは優雅な時が過ぎていきました。
●しかし、長い。ようやく去年来た「松原湖」だったりする。野辺山あたりでスキー場の明かりに、ちょっと窓の外を覗いてみるものの飽きてきて、車掌さんを呼び止め、接続の確認などしてみる。我々「あずさ70号に乗り隊」は、そこで初めて、70号に間に合わないことを知りました。その上、次の新宿行き特急の最終「あずさ16号」は小淵沢は停車しないみたいだということが判明。車掌さんもよくわからないようだ。新幹線組が丁度東京に着かれた頃、あずさ隊には不安の渦が。
●でも今更どうにもなりません。小淵沢に着いたら考えよう。「糸の会」で鍛えられた私達。物事は前向きに。「小諸」から「小淵沢」まで、小海線を全部乗るという機会はめったに無い,これは貴重な体験だということで納得。
●幸い小淵沢駅で、韮崎で最終の特急に接続する各停甲府行きに乗れて一安心。韮崎からの自由席も皆座ることができました。
●結局
17:48小諸発→19:57小淵沢着
20:15小淵沢発→20:40韮崎着
20:59韮崎発→22:36新宿着(あずさ16)
という道のりでした。
●茅野−小淵沢間が特急で15分しかないということ,帰りの切符は回数券は止めよう,乗車予定経路の時刻表のコピーを用意しよう・・・・などなど学びました。
●思えば、一日目、最初に乗ったタクシーがパンクしていたところから、いろいろありました。
●私はタクシーで小屋まで早く着けたので楽させて頂きましたが、マイクロバスの皆様は、途中で乗り換えたり、またアイゼンまで出してバスを押したりとお疲れ様でした。
●1日目のスキーは新雪の中、楽しく遊べましたね。
●夜は☆も見えたのに、次の朝は雪。雪崩の危険も考慮して、来た道を帰ることに。というわけで、茅野には行けず、小諸に戻ることとなったのです。
●前日車で登ってきた道は、40センチくらい新雪がつもり、一度サブザック&スキーで小屋を出たものの、小屋のご主人の車が動かない。
●吹雪の中、雪を掻き力ある方々が車を押しても、結局無理ということで、再度小屋に戻って、皆、荷物全部を背負う。途中のホテルまでの4キロの道のりを、交替でラッセルしながら、スキーで下る。新雪の中、転ぶと簡単には起きられません。踏み跡の無い道を最初に歩く(滑る)のは、大変気持ちがよいが、結構しんどい。
●ようやく無事、タクシーの呼べるホテルまで到着し、あとは、懐古園の隣の小諸温泉につかり、お蕎麦を食べ、小海線には、よくあるかけ込み乗車。そして佐久平で二手に。
●今回感激したのは、小屋で「電気敷毛布」で眠ったこと(約1名、コンセントが抜けた事に気づかず寒い思いをされた方が・・)、小屋は貸切りで夕食の鍋&雑炊と野菜の揚げ物が美味しかったこと,小屋のご主人がとても気さくな楽しい方で、山の話とお酒をご馳走になったこと・・・・など。
●先生,皆様、お世話になりました。


■K.高橋さん——3.9
●題名—参加申し込み
●3A、青梅線なら近いので、参加するつもり。いちおう『通信』を早めに送ってください。
●ただし、不確定要素もあるので、間際に連絡します。
●3Bも参加予定に入れておいてください。


■K.高橋さん——3.12
●題名—ごめん、欠席です(3月14日)
●土曜日、せっかく国立駅の時刻までお知らせいただいたのですが……やはり都合つかず。残念ですが欠席させていただきます。


■H.池浦さん——3.14
●おはようございます。早朝に申し訳ございません。お出掛けになる前にと思いまして。
●突然に娘(妊娠中)の調子が悪くなり、孫(1歳8カ月)の相手をする事に成りましたので、本日の山行を欠席致します。
●鳩の巣からのコースは初めてでしたので楽しみにしておりましたが、残念です。


■K.山下さん——4.10
●伊藤さん、お元気でお過ごしのことと存じます。
●糸の会会報、ありがとうございます。
●「山に行きたい、山に行きたい。」と思いながら、生来の先を急ぐ性格の故か、せきたてられるように休日も仕事をするような何年間かが過ぎました。1年前、合格すれば会社から留学奨学金が出ることが決まり、米国のビジネス・スクールを目指して、仕事に加えて勉強を続ける毎日が続き、今日まで走ってきてしまいました。
●身体を動かす充実感を感じてリフレッシュしたいなあ(否、しなきゃいけない!)、と思っているのに、結局は山行に1度も参加せずじまいになってしまい、申し訳なく思っております。また、今年は新年のご挨拶も差し上げず、恐縮しております。丁度出願論文を書くピークと重なってしまいました。
まだ行き先は確定しておりませんが、おそくとも7月には渡米の予定です。また、5月には初めて父親になる予定です。
思い起こせば、留学のきっかけとなったのも、もう10年余も経ってしまいましたが、Operation Raleighに参加することができたからですし、かみさんの弥佐子もRaleighの8期生です。出願の為に執筆した論文には、Raleighの経験やその後事務局(今はEarth Trek with Raleigh Internationalの名前になっておりますが)の運営に携わったことが随分と織り込まれる形になりました。伊藤さんをはじめとして、私を見出してくださった方々には感謝しています。
今でも、旧日本電装の山下さん、事務局の連中、その他Raleighのネットワークを大切にして、E-mailでやり取りをしています。また、ボランティアベースとなって10周年を迎える今年、事務局はシンポジウムなどの記念行事を企画しています。今年はもう、15期生が旅立つ年になりました。
伊藤さん、今後とも宜しくお願い申し上げます。


■N.桑久保さん——4.11
●あまりの陽気に、八王子・高尾の桜実験林にある遅咲き桜もすっかり咲いてしまったと聞いています。緑の桜(御衣更)黄色の桜(鬱金)の事ですが、例年ですと4月後半に咲くと云うものです。
●先日お送り下さった糸の会通信の中に、支払取扱票が入っていた事を 後で気づきました。封筒の中に残っていた訳です。手持ちの用紙で振替を済ませてしまいましたが、「専用」と印刷されていましたので御返送致します。早トチリで却って面倒をおかけしますが御了承下さい。
●尚、残金の整理は、次回振込時にでも済ませまる様に致します。
●過密スケジュールに倒れない様、お気をつけ下さい。
*伊藤から——糸の会にかかわる手続きなどは「ルール」ではなくて「コミュニケーション」と考えていますから、思いつきで、行き当たりバッタリにやっています。いろんなかたちで対応していただいてまったく問題ありません。


■K.武田さん——4.16
●過日、糸の会入会金千円ふりこみ、次の講座を申しこみました。4B、6B、7B、8B。
●4Bが一週間後ですが、その前に連絡があるのでしょうか。朝日カルチャー(千葉)と同じに、近くになってからでしょうか。こちら初めてで心配なので書きました。


■K.磯部さん——4.18
●去る日は青梅線で久しぶりにお会いして何故かほっとした感じでした。ご元気で何よりのことです。
●皆様が心よく会話をして下さって車中でのお別れが名残惜しくなりました。明るい方々ですね。
●ところで当日 御前山へは(二度目になります)今回は「境橋」でバスを降りて「栃寄」とかいうところを通って(少しでも体力温存の意味で歩き易い道を選びましたので)山の北面を登りました。
●標高700m過ぎ辺りで数輪のカタクリの花を見ましたが、まだ葉も少なく、より高い位置にはカタクリの葉も目に入らなくなりました。
●標高1200m? あたりから沢に雪が多量に残っていて、はいていたズック様の靴では足をとられて歩きにくく、1300mあたりから続く(隣の)尾根にルートを変えて登りました。
●頂上はさっぱりカタクリなしでがっかりして、予定の五日市側に下りようとしましたが、湖側から登った人の情報で「咲いている」とのこと。急遽変更して湖側に下山、情報通り群生に出合いました。まだ3分か4分程度でしたが、「来た甲斐があった」とよろこんでいます。
●人々の1.5倍かそれ以上のペースで登り、余り荒い息づかいもなく済みました。その代わり帰宅は遅いということになります。
●花をめあての山 或いは丘歩きは、また楽しいものだとつくづく思いました。


■I.植松さん——4.23
●実は 今度の両神山の事で相談をしたくてTELを入れたのですが 今日は山で遅いようなので取りあえずFAX入れる事にしました。
 先日の川苔山以来 どうも 体が不調なのです。その一週間後も高尾山に行ったのですが 後半、背中から首、頭(すべて右側)にかけて ドーンと痛く 重くて 翌日は 昼すぎまで起きれませんでした。
●首の右横から後ろにかけて 大きくはれている様な感じがしたので 病院でCTまでとって検査してもらいましたが 何でもなし、それじゃあ 肩こり? と思ってマッサージをしてみてもらっても たいした事なし……と云われ どうして?? って感じです。ただ右半分(背中から頭にかけて)が じっとしていても 何かあつく違和感があるのです。送っていただいた両神山の案内によりますと“徹底的に体に負担をかけない歩き方をしたい”と云うことで 私はこれにすごい魅力を感じて 何とか行きたいと思い 自分の体の様子を伺っていたのです。でも少々不安でもあるのです。途中で具合が悪くなったら最悪だし、又 人に迷惑をかけることは出来ませんし……
●今回はやめた方が いいかも知れませんネ。
●書いているうちに そう思いはじめました。さし迫っている時にごめんなさい。とりやめにして下さい。


■K.小泉さん——5.5
●今日、沼津アルプスのお知らせ届きました。ありがとうございます。
●2カ月ぶりの糸の会の山行、夢で登山靴をはくのを忘れて駅まで行ってしまうまでうなされています。
●参加費は残金の方からお願いいたします。不老山、四阿屋山の写真もよろしくお願いいたします。
●富士山と駿河湾の展望を楽しみにしております。


■K.岡田さん——5.6
●速達の計画書をいただいて恐縮ですが、吾妻山は不参加です。このあとも速達をいただいてしまうと恐縮しきってしまう(!)ので、かぎりなく曖昧な△は、×にします。急に参加できそうなときは、こちらからFaxします。
●残金について——12,000円の残金はないはずですが、最近の私のボケはそら恐ろしいものがありますので、もらえるものなら喜んでウキウキともらっちゃいますが、とりあえず、4A保険料かけ忘れ分500円は戴き過ぎです。どんどん残金が増えるのは、貯金が増えるみたいです。
●閑話休題。両神山、ありがとうございました。両神山荘のいわたけ、山の薯などの山菜ずくしは、私にとって感激の食事でした。また、雨のおかげで、白井差ルートのにりんそうの雨の滴か、白い宝石が散らばっているかのような大群に出会えたのは、先生に感謝です。にりんそうは one of my favorite flowers なので。
*伊藤から——残金の間違いがいろいろあります。基本的にこちらでは残金の「発生」については対応しますが、残金を減らす操作は、具体的な指示をいただかないかぎりおこないません。それが残金が増える一方の原因だと思います。そこで、原則的に、何かの振込をするときに、残金をなくすような方向で処理していただくと、ありがたいのです。郵便振替の記録は完全に保存されますから、その中でおこなわれていれば残金処理の明細もきちんと保存されますので、いちばんありがたいのです。会計上の疑問があれば、どのようなものでもお教え下さい。会計の記録は、最初から全部残してありますし、振替用紙もチェックできるわけですから、経過をたどって再チェックしていただくことができます。そういうチェック機構を用意してあるので、管理がいい加減という点があるとは思いますが……。


■T.市野さん——5.6
●毎回連絡が遅くて申し訳ありませんが、5Aに参加します。日時が迫っていますので、集合場所、時間等をFAXでお知らせ下さい。残金が4000円あるようなので、今回の分に充当して残金0にして下さい。残りの1000円を、遅れましたが年度会費今週中に振り込みますので名簿から抹消することなく今後とも宜しくお願いいたします。
●2月に完成した自作PC(Pentium II 333MHz)快適に作動しています。これでWIN98も恐くない! もう以前の環境には戻れません。4月に400MHzが出たので今では最速機ではなくなりましたが、いつでもアップグレード可能なのであまり気にならないのが自作機の強みです。しかし実際には長男のゲームマシンになっている時間の方が長いかも知れません。
●今後の日程を見ましたが、取りあえず6A、7Aに予約を入れておきます。その他はまず参加不可能と思います。5Bのコースはもしかしたら日帰りで逆コースから歩こうかとも考えています。日帰りのBの復活を強く望みます。
●7Aの篭の登山は、スーパーホリデイパスを使えば易くなります。帰りは新幹線ではなく鹿沢温泉から満座鹿沢口駅に出て、吾妻線の特急で座って帰るという手もあります。また時期を考えると高峯山に寄って行かないのはもったいないのでは?
●北岳は2度行っていますが白根三山を歩いて大門沢を下るコースは下りがうんざりする程長く、降りてからも帰るのに時間がかかったことだけを記憶しています。2度目は御池小屋に泊まって北岳に登り、北岳山荘に荷物を置いて間の岳をピストンし北岳山荘に戻って、翌日は八本歯のコルから広河原に戻るというコースでした。これは体力的にもかなり楽で下りの道は花も多くハシゴもふんだんにあって、雪渓もあり、バットレスを仰ぎ見ながら下れるので飽きることがなく、下ってからも比較的スムーズに帰れました。けれど日本一高い稜線を縦走するという満足感も捨て難い気もします。
●さて、GW期間中は休みが1日だけで少々バテ気味のため現在体力的にかなり低レベルの状態です。今回のコースも標高の割にはなかなかハードらしいので少々不安です。9日は天気も良さそうなので大きな富士山を余裕を持って見ながら歩きたいと思います。


■M.志村さん——5.7
●5A沼津アルプス参加致します。5C吾妻山不参加です。
●朝日旅行会・榛名山群…掃部ガ岳・杏ガ岳に申し込んでいました。希望日参加者不足の為、5月10日に変更参加して下さいとの要請を承諾しました。沼津アルプスも多比バス停で皆様と別れ帰ります。10日朝日旅行会に参加してきます。度々勝手を致します。
●鳴神山〜吾妻山縦走路、歩き易く危険箇所もなく一本道でした。早歩きも楽しめます。私達全行動8時間30分の中、休憩は95分でした。スピードは私が先頭の歩きです。ご想像下さい。気に入った所で立ち止まり、芽吹きの新緑を充分に楽しんだ歩きでした。残念です。もう一度ミニ縦走計画されますことを願っています。


■H.池浦さん——5.7
●沼津アルプスの山行資料、昨日速達にて頂きました。
●3年前の秋歩いた山道、晩春は如何か!! と楽しみです。太平山への道は、はっきりした道があったと記憶しておりますが……。
●危険な計画ですが、5/10(日)も山行の予定(朝日旅行で掃部が岳、杏が岳)がありますので、多比バス停か、交通便の良いところで失礼致します。


■I.植松さん——6.4
●何回も のんだりはいたりで 大変申し訳なく思いますが 実は膝の具合が 思った程かんばしくないのです。行きたい気持はいっぱいなので ムズムズして先週末 もう平気だろう! と 足ならしのつもりで丹沢・三ノ塔に行きました が、ガーン! やはり 右膝が痛く ソロリソロリの歩きにならざるを得ず ヘトヘトに疲れてしまいました。 見た目は何ともないのでもっと軽く考えていたのですが これではいつまでたっても悪循環だと思いますので 思い切って8月までの山行を全面的に休んで 真剣に直そうと思います。
●すでに申込みをしてある神山、篭ノ登山、燕岳、沢(未定) すべて×にして下さい。

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■1998.7.5──確認事いろいろ

■まずはご無沙汰のお詫びから
●今回、「糸の会通信」として年度会員のみなさま全員にお送りするのは、通算673-686ページの「4.1掲示板」につづく「7.5掲示板」です。「ご無沙汰いたしました」と何人もの方に申し上げなければなりません。
●昨年度は、年度会員の方にはこの「糸の会通信」を全ページお送りするというかたちをとっていました。どれにでも自由に参加・不参加の判断ができる環境を整えたいという思いからでしたが、年度の後半は、あらかじめの参加予定者の方々だけに計画書を間に合わせるのがやっとで、残りの方には事後にまとめてお送りするというていたらく。希望する山の資料だけをお送りするかたちのF(フリー参加)と区別がつかなくなってしまいました。
●その反省から、今年度は年度会員の垣根をうんと低くして、会員のみなさんにはこの「掲示板」を不定期にお送りし、山の計画書は求められた分だけお送りするというかたちに変えたのです。
●それもやはり「掲示板」として、ある程度頻繁なお知らせをお送りできての話。先日初参加の能藤さんなどは参加希望を伝えたはずの山の資料がいつまでたっても届かないので忘れられたかと不安になって電話をくださったという具合です。「忘れられているのではないか」という方がまだたくさんいらっしゃるのではないかと思います。年度会費をいただいていながら、申しわけありません。
●どの山を参加希望(○)なのか、資料希望(△)なのかといった確認にはじまって、山行取りやめや参加予定の変更による会計上の残金の動きについても、最近では各山行の参加者名簿にのせるようにしています。ですから山に参加されている方々には確認していただけるのですが、会員登録だけという方にはなしのつぶてになってしまったというわけです。かさねてお詫びいたします。
●したがって今回は年度会員のみなさま全員について、「参加希望」と「会計経過」とを3カ月分、一挙にまとめておきました。間違いがあれば、どうぞご遠慮なく、お教えください。残金の計算違いという指摘をすでに何人もの方からいただいていますから、ほかにもないわけがない、と考えています。いまのところ私が得をするケースばかりなので、逆の例がないはずがないと思います。はっきりと申し上げておきますが、私の、人数の確認や宿の支払いなどに関する計算能力はみなさんからほとんど信頼されていません。どうぞみなさん、ご自身の分だけは疑いの目でチェックしてください。お願いします。


■写真送料に関する考え方
●なお、写真に関しては送料などを加えてお支払いくださる方がいらっしゃいますので、ありがたくいただいておりますが、正式にいえば、写真代に送料は不要です。じつは他のところでは写真の価格も高く設定し、その上で「基本送料」というものをいただいています。……というのは1人当たりの平均注文枚数がまったくちがうのです。他のところでは3枚前後というのが一般的だと思います。
●だから割高にしている……というよりも、山歩きの体験をできるだけ高密度に保存しておきたいと考えて写真をたくさん買っていただくようなかたちになる方は、たぶん糸の会に入ってこられる。そして、ある時期、いいのかなと心配になるほどたくさん注文してくださる場合があるというわけです。10枚以上、ときには20枚というような注文があると、いいのかなあという気持ちになることがありますが、ムダ買いというふうには見えないので、そういう時期もあるというふうに理解しています。糸の会が山歩きの通過体験の場としてある以上、写真がたくさんほしいという時期がそこに重なってくる人があるということは私のいちばんうれしいことですから。糸の会での「公式記念写真」はそういう状態の人に基準をおいて考えています。したがって、みなさんがあまり写真を買ってくださらないようになったら、(たぶん糸の会自体の存在意義を考えなければいけないのだと思いますが)送料も請求させていただきます。
●また、写真郵送用のボール紙などが捨てにくいので困るという声があります。ためておいて送ってくださった方もいます。こういう時代ですから、気になる方は山行のおりにでもお持ちいただければありがたく頂戴します。


■山行予約のしかたと◎○△について
●山行予約に関しては△印をつけた方にちょっと混乱を生じさせてしまうことがありました。山行予定日の直前に計画書が速達で送られてきて、参加・不参加を問われたら、やっぱり気軽に△をつけるわけにはいかなくなります。……ということがわかったので、その後△印は、「参加の予定はないけれど資料だけは読んでみたい」という意味にシフトさせました。したがって「原則は不参加、ひょっとしたら参加するかも」ということで、資料を速達で送るなどしませんから、気軽に△印をつけておいてください。あわてて△印を引っ込めた方がたくさんいらっしゃいますので、お詫びします。
●それと、慣れない方に残金の取り扱いについて申し上げますと、糸の会は月に1度は参加されるという方を基本に考えていますから、当然、参加・不参加は個々の山の内容以前に、糸の会のいつの山行に参加できるかという設定が最初にあって、次にその山が行くに値するかどうか(計画に身を任せていいか)というふうになるのだと思うのです。期待に胸を膨らませる山もあれば、まあ、定例の山だからという程度の山もあるでしょうし、その結果が予想以上の場合も、以下の場合もあります。そのあたりから、今度は糸の会との距離感の変化が生じてくると考えています。
●私はそういう心の振れをだいじにしたいので、予約しやすく、キャンセルしやすいやりかたを第一にしているつもりです。とくにキャンセルは体に無理をさせない、ご家族など周囲の人々に余分な迷惑をかけないようにしたいという意味で重要ですから、最終的には当日集合場所に来なければ自動的にキャンセル扱いになるというかたちをとっています。
●その場合、帰ってから来なかった人の会計欄に取消事項を記入し、その金額を残金に入れるのですが、その作業を忘れたりする危険が、なきにしもあらずなのです。念のために書き添えておきますと、講座料の振込に関しては金額欄にきちんと記録したものの、予約状況一覧のところに◎印をつけるのを忘れるという場合もあります。郵便振替による入金については郵便局側で通し番号を振ってきちんと整理してくれていますから、到着順に漏れなく記入するという大原則を守っていれば事故は起きません。予定どおり山行に参加していただいた分については何もしないでいいわけですから、なにか不都合が起きるとすれば問題はその後の数字の動かしの部分です。勝手ながらチェックしていただきたいポイントです。
●会計項目は必要ならいつでも、最初から全部まとめて出力することができますので、通してチェックしていただくことができます。順序を古い順に、上から下に並べ替えると、動きが見えやすくなります。お気軽に請求してください。(できれば手紙か、ファクスで)


■保険について
●保険については悩みを残したままのスタートでしたが、いまでもそれが続いています。三井海上火災のハイキング保険(年額5,000円)は今年になってもやはり画期的な保険だと思います。今年から、曜日に関係なくなりましたから、休日中心の5,000円と平日も含めた7,000円という分類はなくなりました。
●ただ、年間保険ですから毎月1回以上山にいくという習慣性の山歩きができるようになる以前にはあんがいヘビーに感じるというところ。おまけに山岳保険の流れですから救助費用が中心で、死亡やケガに対する給付はきわめて低いものとなっています。
●それに対して山行ごとにかけている旅行保険(1回500円)は死亡・後遺障害に対して約1,100万円、入院に対して日額5,000円、通院3,000円となっています。理論的には保険の掛け金を増やせば保証を大きくできるのですが、そこは保険ですから、山がらみだと死亡に対しては最低額の1,000万円程度というのが常識のようです。(東急セミナーの講座が突然消えて糸の会が発足するに至った直接の原因は、山関係の講座では死亡に対して1,000万円以上の保険が掛けにくいという現実に本社=東急電鉄が気づいたことからでした)
●そしてもうひとつの、私がいま悩んでいる問題は、真夏の沢遊びや冬のスノートレッキング、山スキーなどが適応になるかどうかの線引きを保険会社のなかなか微妙な判断にまかさざるを得ないという点です。また日動火災で毎回掛けている保険の以前のかたちは入院6,000円、通院4,000円だったのですが、やってみた結果、保険会社がほとんど儲からなかったので保証額を低く押さえたのです。
●実際には糸の会で想定できるのは小さなケガや転んで足まわりを傷めることくらい——と私はいいたいわけでして……、それに関しては一般の障害保険だと治療費が出る上に入院・通院費が出るわけですから、そのほうが正統的です。ただ、合法的かどうかは知りませんが入院・通院の日額の給付は複数の保険でそれぞれに請求できるようですから、そういいう意味では、何かの会員券などにサービスとしてついている障害保険もきちんと管理することが賢いようです。
●しかし、糸の会で事故が起きたときの最低のエクスキュースとして、死亡・後遺障害に対する保険は必要です。主催者たる私自身の立場として、保険をみなさんの自由に、というふうにはできないのです。十分に、というのなら、死亡に対して何千万円とか1億円というような契約が必要かもしれませんが、そういう金額が必要と考える方はどうかご自分で。おそらくすでに手を打っていらっしゃるでしょうから、糸の会の責任者としての私がしておかなければいけないのはかならずしも金額的な充分さではない、というふうにも考えられます。
●けっきょく三井火災海上のハイキング保険が再浮上してくるのですが、年間5,000円の掛け金に対して、死亡・後遺障害が200万円、入院日額1,500円、通院日額1,000円という保証の金額はともかく、遭難・捜索費用が500万円あるのです。最近では低い山の遭難事故でもすぐにヘリが飛ぶようになりましたし、いったん遭難として救助隊が編成されれば救助に参加した人・物に対して費用が発生します。そしてその遭難時、リーダーである私はどうなるかというと、行動の指揮権を捜索・救助隊にゆだねなくてはなりません。つまり、よろしくお願いします、というしかないのです。
●糸の会の遭難は、だれかが足にケガをしたというだけのことからも発生します。地元のみなさんの力にすがり、文明の利器を使って人命だけは守ろうというときに山岳保険系のハイキング保険は有効なのですが、その対象となった人全員で費用を分担するということになります。つまりだれかの保険で500万円まで負担して、足りなければ次の人の、というわけにはいかないのです。対象者全員で割った費用を個々の保険で処理するわけです。糸の会の方で1回ごとにかける保険の人は、そういう場合に問題が出てくるのです。山における平等ということを考えると、いざというときのための保険も基本が同じでないといけないと思います。日動火災の方に何度も申し入れてみているのですが、分母が小さいまま危険度の高い保険は造りにくいというのがホンネのようでうまくいきません。
●そこで、常連のみなさんにはぜひ三井火災海上のハイキング保険にお入りいただきたくお願いします。「三井海上」という看板のある代理店で申し込むこともできますが、三井ビューローの大川淳さんあて電話(03-3755-9718)かファクス(03-3754-7566)で申込用紙を請求してください。今年度から保証金額だけを増額させた7,000円のものも出ました。登山の範囲は「縦走、沢登り、山スキー」と明記されています。また保険の切り替え期日を4月1日としたために途中からの申込みは残り日数分だけでいいようになりました。ちなみに7月中の申込みは5,000円が3,800円に、7,000円が5,200円になります。その金額についても申込書類にありますからお確かめください。


■その他のお詫び
●この「掲示板」ではいただいた手紙をご紹介しています。原則としていただいた手紙、ファクス、振替用紙の通信欄のメモ書きなど、文章として再録できるものは全部のせていく原則なのですが。これがそのまんま半年分たまっています。今回もいくらかは入力してあるのですがなかなか進まずに、それが「掲示板」の遅れの原因のひとつとなっています。何とかしなければいけないのですが、今回は入力分だけ掲示します。必ずしも古い順の入力ではありませんのであしからず。
●最近、長い文章をワープロで打ってファクスでお送りいただいている例が多くなってきたので、できれば電子メールでいただければ、ありがたいと思いますし、ワープロ書きの方には「MS-DOS」にフォーマットしたフロッピーをお渡しできますので、それでいただけるようになるともっと積極的に文集的な側面を拡張できるようなります。たぶん数年後には、糸の会もインターネット上にあるでしょうから、少しずつみなさんの「電子化」もすすめていただくというのはいかがでしょうか。(フロッピーは伊藤のところに捨てたいものがいくらでもありますから、必要な方にはまとめてお渡しできます。裸のまま定型封筒に入れて90円で送れます。元データはワープロに残っているわけですからダメだったらやり直せばいいわけで、何度かやってみれば簡単だということがわかります。
●ちなみに私はそのあたりの分野を仕事のひとつとするライターでありまして、いまマイクロソフト社のホームページをのぞくと、「週刊ダイヤモンド」で連載していた10回の広告連載——BackOfficeが変えてゆく情報システム・全国探訪——というのをごらんいただけるはずです(未確認ですが)。
*http://www.microsoft.com/japan/smallbiz/BackOffice
●今度の、講談社からの本『がんばらない山歩き』(すみません、発行日は7/3現在、まだ未定ですが、7月末か8月初めには発売になります)のブックデザインは鈴木一誌さんですが、鈴木さんの事務所でカバー写真から、何から何まで全部をマッキントッシュパソコンで仕上げてくれました。鈴木さんはいま印刷の完全電子化という大嵐の中で日本語をどう扱って行くべきかというデザイン原則について積極的に発言しているトップデザイナーです。その世界では鈴木さんが提案した「ページネーションマニュアル」が多くのデザイナー、編集・印刷関係者の重要な指針となっています。この「糸の会通信」が鈴木一誌さんのデザインコンセプトの内側に入るころには、糸の会のデジタル化もかなり大きく進んでいると私は想像しているのですが、どうでしょうか。

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■1998.4.1──1998年度の方針

●1997年度の「糸の会」にご参加いただいたみなさんにお礼を申し上げます。
●また年度会員のみなさんには、「糸の会通信・掲示板」のコンスタントな発行も実現できなければ、山行計画を受け取っていただいてから最終的な参加・不参加の決定をしていただけるような日程的環境も整えることができませんでした。おわび申し上げます。
●なかでも3Fcの「77]権現山は参加予定2人という少人数ではありましたが、私の仕事上の進行からどうしても無理になって、前日になって中止とさせていただきました。初めて計画を中止しました。申し訳ありませんでした。
●それに準じたケースとして、2aの「72]武川岳は突然の発熱のために計画半ばで下山というかたちになりました。みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしました。
●いろいろと反省すべきところもありますが、みなさんの温かいまなざしのおかげで、私自身はめいっぱい山歩きするという1年間を体験することができました。数えると1997年4月から1998年3月までの丸1年間の山行は80回=93日になりました。糸の会はそのうちの45回。山の世界では年間100日を超えないと「多い」とはいえないと思いますが、かなりめいっぱい山にのめりこんだこの1年間の体験が、近刊の『がんばらない山歩き』(仮題。講談社)の骨格になっています。(ちなみに昨年6月に発売された成美堂出版の『中高年の山歩きガイド』は1994年10月から1995年9月までの東急セミナーBEでの講座「初めての山歩き」のあまりにも意固地でヘビーな講義内容から生まれたものです)
●お金をいただいて山に行って、その体験から得たもので単行本がまとめられるというのはたいへん幸せなことだと思っていますが、単行本はよほどたくさん売れないかぎり、生活には寄与しません。むしろ足を引っ張るというのがふつうなのですが、実際のところ、計算ちがいになったのは写真でした。
●もともと「糸の会」の発足時に、いずれ山歩きのガイドをまとめたいので、その取材を兼ねた講座にさせていただくという(かなりムシのいい)お願いをしましたが、その写真が、みなさんにたくさん買っていただいて材料費は十分に出るものの、写真原稿として使われるところまでいかないために、一方的な蓄積となって終わりました。もちろん自分の本に存分に使えるということで写真が豊富にあるということは嬉しかったのではありますが、外部での仕事としてはほとんど回転しなかったわけです。それと、写真のプリンターが連続的に動いていることによる本業への影響もかなり深刻なものでした。(かなりいい制作態勢であったはずなのですが、なにぶんにも山の量が多すぎました)
●そういうわけで、山には存分に出かけたけれど、表現者としての活動はおろそかになったというのが大きな反省となっています。今年はですから、一度ペースをゆるめたところで、本来の仕事の割合を高くして、余裕を見て、また山行を増やしていきたいと思います。
●新しい年度の方針については3aの御岳山→大岳山のときに下案原稿を見ていただき、3bの雲取山で、かなり固まったものを見ていただきました。
●講座料の大幅な値上げなど(みなさんご意見はおありだろうと思いますが)一方的に認めていただいてしまったものもあり、またいくつか、意見をいただいたものもあります。まずは雲取山参加のみなさんに読んでいただいた新年度の概要を再録しておきます。


■1998年度の方針(3.28雲取山で発表)
●昨年度に実施した「年度会員」はなくします(「追記」に書きますが雲取山でご意見をいただいて「年度会員」を設定することにしました。1997年度とはちがいますが……)。理由はいろいろありますが、計画を何段階かのグレードに分けて、はじめてのみなさんにも自由に選択していただけるようなかたちにします。(すなわち昨年度のFコースの拡大。あるいは一昨年への回帰)
★超入門——東急セミナーBE渋谷(第3火曜)にご参加下さい。——山手線駅10時集合→16時下山(行動枠6時間)
★軽い日帰り——C(日曜。ただし、第2土曜の翌日)——山手線駅09時集合→17時下山(行動枠8時間)
★標準日帰り——A(第2土曜)——山手線駅08時集合→18時下山(行動枠10時間)
★挑戦——B(第4土曜+日曜。ハードなものには参加条件設定)
小屋泊りまたはハードな日帰り
★特別——S(ハードなものには参加条件設定)——いろいろな突発的企画
●申込みは、まず参加可能のものの資料請求をして下さい。はじめての方の場合、お名前、ご住所のほか、電話、ファクス、生年月日、血液型が必要です。掲示板の予約一覧表に△がつきます。およそ2週間前までにはお送りしますので、講座料の振り込みをもって参加申し込み(△が◎になります)とします。電話・ファクス・電子メールでの連絡でもけっこうです(△が○になります)。
●何らかの理由でキャンセルとなった場合は、保険料など、かかった経費を差し引いた金額を「残金」として繰り越しますので、次回の参加申し込み時に清算していただきます。写真代金の清算などに当てていただいても結構ですが「残金より○○円を充当」と明記して下さい。残金は不定期にお送りする「糸の会通信・掲示板」に記載しますのでご確認ください。またいつでも返金しますのでお知らせ下さい。
●保険は昨年のFのように毎回の参加に500円の保険料をかけますが、三井火災海上のハイキング保険など、年間の保険をかけている人は保険免除というかたちにして下さい。こちらでは保険をかけません。保険免除の方は、講座料は500円引きになります。
●講座料は昨年度のFと同じで、保険料・通信費・講師経費などを含めて日帰り山行=5,000円、宿泊山行=8,000円です。参加者各人の登山にかかる現地の費用は各自清算、ないし均等割り支払いが原則です。
*技術的なことについては伊藤幸司著『中高年の山歩きガイド』(成美堂出版、1997.6発行、1,200円)を、考え方については伊藤幸司著『がんばらない山歩き』(講談社、近刊)お読み下さい。


■追記(3.30)
●糸の会通信に関する問題で、「掲示板」の発送範囲がどのように決められるのかというあいまいさが指摘されました。そこで今年度も年度会員は設定します。山行に参加される方は、その最初に「1998年度入会金1,000円」を払っていただきます。これによって、以後年度末までの「掲示板」をお送りすることにします。
●それから、講談社からの本が発売になるころ(連休明けから夏前のいつか)に、糸の会とその周辺の山歩きの講座に参加された方々にできるだけ広く声をかけて、会を催させていただきたいと考えていることを明らかにしました。
●一部の方々から出版記念の会でも……というお話があるようですが、今のところは著者みずからが主催するつもりでいます。というのは糸の会以後の写真がかなり大量に使われており、本文中にもそれらのエピソードが語られていますので、本来は個々にお礼申し上げるべきところですが、こちらにそういう余裕がないので、最近流行の「本つきの会費制出版記念会」のかたちを借りて、(当方の経済的負担なしに)お集まりいただく機会をつくりたいと考えています。
●私のほうでは糸の会、朝日カルチャーセンター千葉、東急セミナー、八王子/多摩そごうの写真見本を全部見ていただけるようにします。市野さんのビデオも見られるかと思います。また(一部の方々からの提案でもありますが)みなさんの山の写真アルバムや山の資料などもお互いに披露しあうというようなゆったりした会にしたいのです。式次第のない集まりにしたいと、いまのところは考えています。

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■1997.11.20──たまっていた手紙

*今号はたまっていた手紙の紹介で精いっぱいでした。
*いただいた手紙、ハガキ、ファクス、郵便振替用紙の通信欄など、文字で書かれたもののすべてから(事務的な連絡と挨拶部分を除いて)できるかぎり原文のまま紹介します。


■K.西沢さん——8.18
●8月5日付け私信にて三井の事故保険につきご報告し、保険金の支払いについて、後日お知らせすると申し上げました。8月11日より17日まで実家に帰省しておりましたためご報告が遅れましたが、保険金の請求書は即刻処理され折り返し銀行振り込みの「支払いの通知書」が留守中に届いておりました。請求書の記入に問題が無ければ支払いは即刻されることが確認できました。
●後になりましたが、8月9日実施の毛無山では大変お世話になりありがとうございました。一ヶ月ぶりの山行き、それに私には非常にきつい山道でした。特に下りは雨のうえ、暗くなり、しかも、電池の予備を忘れるという全くの初歩的ミスを犯し皆様に大変ご迷惑をおかけしました。頂上ではシモツケソウの群生に感動しながらも、下りでは本当に下り切れるだろうかとの不安を途中感じた程でした。皆様の励ましでやっと下山出来たというのが正直なところです。皆様本当にありがとうございました。
●毛無山の山行きより一週間が経ちましたが、まだ肝心の足に不安が残ります。残念ですが8bの槍ヶ岳は不参加とさせていただきたく、申し訳ありませんがお取消し下さい。当日良い登山日和でありますようお祈り致します。


■N.加藤さん——8.20
●雨降山(大山)らしい山行も下山後の入浴と豆腐料理(5品)の〆で、又楽しく終わりました。
●下りてきたらアメのアの跡もなく、泥ンこの靴は何? といった感じでしたが……。
●私こと、時間にしばられなくなった毎日が嬉しくて、ついフリーフリーといってしまいましたけれど、田中澄江さんが著書の中で「家事に忙しい主婦たちの多い山の会では」とか「主婦としての中で山登りを計画し楽しんでいる」と書いていらっしゃるということは職業として入れてもおかしくないと思い直しましたので、一言御連絡まで。
●がんばりや啓太君の可愛かったこと!


■A.今井・K.今井さん——8.21
●先日の大山登山では、親子共々大変お世話になりまして、本当に有り難うございました。
●息子は、先生のすぐ後ろを歩かせて頂き、色々と声を掛けていただけて、大変リラックスして(精神的にも、肉体的にも)行動できたようです。リラックスし過ぎて、歩いている間中つまらぬことを先生にお話をしてしまって、かえって先生の方がお疲れになったのではと申し訳なく思っております。
●先生のお気遣いのお陰で何事もなく最後まで歩く事が出来たのだと本当に感謝いたしております。
●街中で生活をしておりますと、特に小さい子供は自然に接する時間があまりなくて、虫や魚や、土に触れることが苦手になりがちです。
●親の方が積極的に行動をおこさなければ、どんどん自然から遠のいていってしまいますので、多少の危機感を覚え、本川の母に相談のうえ、今回ご無理を申しまして参加させて頂いた次第でございます。
●帰宅後、息子の様子をみますと、非常に充実感のある顔つきで彼なりに達成感を得ることが出来たようです。親の私も久しぶりの山歩きで、2、3日は筋肉痛で苦しみましたが、日頃の雑事を忘れての、楽しい一日でした。本当に有り難うございました。


■T.武井さん——8.23
●「糸の会」の資料をお送り下さいまして、有難うございました。都留様を通して入会をお願いしたのですが、活動日を確かめてからにすればよかったと思って居ります。お手数をおかけしましたけれど、木曜日は、十年ほど前から始めたフルートのレッスンの日にあたり、まだまだ続けたいと思って居りますのでここへ来てやめるわけにもいかず、又、土・日は家族で出かけることが多いので、これ又、参加出来ない日が多くなると思います。せっかく御案内下さいまして申しわけありませんが、入会をとりやめさせて頂きます。


■K.高橋さん——8.25
●【槍ヶ岳】無断欠席し、ご迷惑おかけしました。お詫びします。理由はズバリ、列車に間に合わなかった、こと。
●これまで学校や会社に遅れることはあったけど、[遊びごと]に間に合わなかったというような経験はこれがはじめて。
●8時33分八王子で[スーパーあずさ3号]に乗るつもりで、8時16分西国分寺発の電車に乗り、八王子についたところ、すでに特急は行ったあと。
●西国分寺−八王子間は、駅の柱に出ている所要時間表では、[16分]となっている(これはあとで見た)。そのことは知らず、いつもの概算方法(この方法で都内の交通機関はたいていうまくゆく)で、駅間の平均を最大3分、最小2分と見て、西国分寺−八王子間は10分以上15分以内、となんとなく計算していた。
●いずれにしても、ぎりぎり間に合うはずが、じつはぼくの乗った電車はすでに立川で[あずさ]を待避し(新聞を読んでいて、気づかなかった!)、八王子には8時39分に到着。西国分寺−八王子間に23分かかったわけ。
●10時すぎ、【通信】に記載されていたタクシー会社3社に電話をしてみたが、[糸の会・伊藤]の予約は入っていないとのこと。
●2時ごろ、[横尾山荘]へ電話し、糸の会のリーダーに「高橋は欠席」と伝えてほしい、と依頼、宿泊予定21名から1名減となることを係りの人に詫びておいた。
●以上、経過のご報告です。今回の件では、反省やら教訓やらいろいろ感じていますが、長くなるのでとりあえず、このへんで……


■K.島崎さん——8.25
●25日、ユングフラウより。
●涙が出そう(出ませんが)な程、とっても美しい景色と、雄大なながめ。
●登山電車の中です。糸の会の皆様と行けたら素ばらしいなぁと考えながらお手紙書いてます。


■T.大森さん——8.27
●槍ヶ岳は雲一つない紺碧の空で、私達をやさしく迎えてくれました。(東京ははげしい夕立だったそうです)
●憧れの山に調子良く登頂できたのも暖かい皆様のおかげと思っております。
●加瀬さんのザックからは次々と魔法のように出てくるごちそう。誕生日がすぎたばかりという私にケーキカット迄させて下さって……。
●冷たく冷えた果物をごちそうして下さった方々ありがとう。ごちそう様でした。
●天狗池に映った槍ヶ岳、そして素晴らしい御来光、思わず拍手してしまいました。苦労して登った前日のつかれも一ぺんにふきとんでしまいました。
●槍ヶ岳は眺めて良し、登って良し……の山でした。


■Y.中西さん——8.28
●槍山行では大変おせわになりまして、ありがとうございました。
●天狗池への分岐の頃にはバテていたため空身で往復することにして下さいましたが、池より返る時、中岳の方へ行けば下山時と違う道が歩けるのに申しわけなく思いました。私自身は2時間程背中を休めてやることができましたので、苦しさを乗り切ることができました。
●また小屋では、1時間の休憩があったので、頂上へ登る気持ちになれました。休ませていただいて、有難うございました。
●また、人間の生活には水の有無で、清潔さ、豊かさ、潤いに大きな差の生じることを痛感しました。
●下山時、槍沢では大丈夫と思っていた指の痛さが、速足になってから段々と増してきて速く歩くことができなくなってしまいました。松本ではお風呂屋さんに行くのも躊躇してしまう程で、、早い列車で帰ることにしました。
●26日の朝、デジタル・ノギスで豆を測ってみました。図のように方策でした。(図は省略。右足裏に14.6×9.8mm、20.3×11.1mm、左足裏に13.2×7.5mm、14.8×8.3mm、5.6×9.2mm、7.1×27.2mm)
●それにしてもあの槍の頂上に登ったことは自分でも信じ難い程ですが、回りの山々を見渡した時には感激して涙が出てしまいました。一生の思い出になると思います。
●家では、子供が初めてキャンプから帰ってきた時のような感じで迎えられまして、さらにうれしい想いが増しました。


■Y.永山さん——9.1
●槍ヶ岳では大変お世話になりました。ずっとあこがれていた槍ヶ岳を高度障害の為か、当日頂上まで登る事が出来なかった時の私の気持ちは「参加しなければよかった」と落ち込んでおりました。
●翌朝、強風の中、しかも先生もお疲れのところ御同行いただきありがとうございました。高松さん、加瀬さんにもお世話になりました。おかげ様で頂上に立つ事が出来ました。山荘に戻り、前日いただいたタグを取り出し、子供の様にザックに付けました。
●日頃血圧が高く薬は常用しておりますが少々体調が気になり、掛かり付けの医者に診察していただいたところ、日頃165位のところが123まで下がっておりました。「何か変わった事がありましたか」と問われ、今回の様子を説明したところ、高血圧と高度傷害は関係ないとの事。「山登り大いに結構」と言われ気を良くして帰って参りました。


■H.鈴木さん——9.4
●9月1日から移転しましたので、お手数ですが住所録をご変更ください。電話とファクシミリの番号は変わりません。
●ひっこしでとんでもないことになっています。すくなくとも9aは欠席です。ひっこしも山登りぐらい体力を使うことを思い知りました。しごとのあとのビールもうまいです。


■R.山崎さん——9.5
●9月27-28日の仙丈岳の講座料1名分5,000円を今日郵便局より振り込みましたので、よろしくお願いいたします。仙丈岳にはかなり以前に甲斐駒ヶ岳と一緒に登ったことがあるのですが、甲斐駒は良かったのですが、仙丈に登った日は天候に恵まれず、何も見えませんでした。それで今回、天気の良いことを期待して、再度挑戦する訳です。


■M.本川さん——9.8
●啓太は翌日、早くから起きていつもと変わらず、脚を痛がる母親をいたわる有様でした。アイゼンをつけて頂いたのがうれしかったようでした。
●ガマ蛙と、蛇の子供と、何故か水の出なかったおじさんの水筒が印象に残ったそうです。
●お世話になりました。


■M.志村さん——9.9
【伊藤から】申しわけありませんが、ファクスで送られてきたこのレターの行頭の1-2文字が印字できていません。□という記号を欠落部に入れましたので、推理してお読みいただきたく……。なお志村さん(と中西さん)に顕著ですが、ファクシミリ送信では余白をとっておかないと受信機のプリンターで欠落することがしばしばあります。私の機械はファクス兼用パソコンなので通常は欠落部をモニター画面でチェックしているのですが、これについては流し読みでファイルしてしまったということのようです。スミマセン。
●□に入り夏山シーズンも終わりました。毛無山遭難未遂事件、愛鷹山荘□自炊の様子、鹿島槍ヶ岳の夜明けの登山隊6名の元気組は誰……と□を巡らせながら会報を読みました。槍ヶ岳は如何でしたか。お会いした時の□みにしておきます。櫛形山以降糸の会皆様と別行動をとっていた□浦、志村両名も、黒岳、北鎮岳、大雪山縦走(7/23-25、朝日旅行会)、□槍ヶ岳(8/13-15、毎日旅行会)、北アルプス縦走(8/25-31、ガイド付き)を無事□り、ようやく落ち着きました。初めての北アルプス、ベテランの山岳ガイド荒木□雄先生とご一緒とはいえ不安そのものでした。6月に届いた行程表を見て□地理院1:25,000地形図4枚を継ぎ合わせて見たら、長い、長い。又数冊の□ブックを読みました。読むのと実登山道の状況は大違いでした。
●□でもか、これでもかと次々に現われる険路、難路に初級者の自分にとっては□戦でした。特に読売新道はキツク長かった。自分の意志で来たのだ、頑張る□だsto言い聞かせ歩きました。頑張ったご褒美はありました。全行程晴天に□れました。(双六小屋手前でにわか雨に会ったのみ)。水晶小屋手前、広々とした平坦地□360度の大展望。写真集やテレビでしか見た事もない百名山の山々がいく重にも□った北アルプスの山並み。「ワァースゴイナー」と溜息をつき「来たぞ、バンザイ」と□を出しました。飲んだコーヒーの美味しかったこと。まさに夢見心地でした。高天原□満天の星空を見上げながら入った川原の露天風呂、登山道に咲いた花、花に□ませられました。休憩毎にお湯を沸かして熱い飲み物を、雪渓の雪で□ンスミルク+まっ茶のかき氷を、山小屋の弁当がダメな人には弁当のご飯で□を作り、平均年齢58.7最の初級者のおばさん7人(このコースでは4〜5名が限度)□日間に渡りガイドして下さった荒木先生のご苦労に感謝すると共に、自分自身も□頑張ったと思いました。予定より3時間遅れ(渡し船に乗り遅れる2時間待ちを含めて)□無事下山し、黒四ダムの堰堤でストックを高々と上げ、バンザイをした時は□無量でした。「来年は北岳に登るぞー」と言った私の言葉に「又行きましょう」と□先生が笑顔で言葉を返して下さいました。17:05発のトロリーバスで□沢へと発車した時はどっと疲れが出ました。
●北アルプス縦走(ちょっと見て下さい)
行程——新宿→松本→新穂高温泉→ワサビ平小屋。→秩父沢→鏡平小屋→弓折岳→双六小屋。→三俣山荘→黒部源流→雲の平→高天原。→水晶岳→岩苔乗越→水晶小屋。→水晶岳→赤牛岳→奥黒部ヒュッテ。→平ノ渡場→黒部ダム→扇沢→大町駅
●歩行時間。1日目1:20、2日目6:00、3日目7:45、4日目4:00、5日目6:50、6日目5:10
●志村・池浦居残り。葛温泉→七倉ダム→高瀬ダム→大町駅
●志村総決算139,814円。
ガイド料(12,000円×5日)——60,000円
諸経費(山小屋代他)——50,000円
前夜泊小屋代(ワサビ平小屋)——7,000円
往復交通費(あずさ回数券)——9,980円
タクシー(松本→新穂高温泉1人)——4,830円
居残り費用(宿泊、タクシー)——25,000円
雑費(Tシャツ、バンダナ、バッチ等)——8,000円


■山川和子さん——9.10
●先日の山行きでは大変お世話になりました。ありがとうございました。
●去年燕岳頂上で日没迄の贅沢な時を過ごした日も、翌日大天井岳、常念岳への稜線を歩いていた時も凛とそびえる槍ヶ岳にいつも見守られてるような気がしてどうしても一度は行ってみたいと思っていた山でした。
●山手線新宿ホームに降りたのが、あずさ発車の1分前、階段をかけ上がりました。必死の顔をしていたのでしょう、降りてきた人が端に飛びのきました。何番ホーム? 電光掲示板に目をやり今度は足がもつれそうになりながら階段を転がるように降りおりました。
「かいじ」がまず目に入った。ウォッ! こっちじゃないと反対側に飛び乗ると、間もなくすべるようにあずさは動きだしたのでした、フーッ間に合った。そしてすぐそばにいた車掌さんにここは何号車? と聞き、席からあふれた人達をかき分けかき分け、3号車まで行くのが大変でした。汗をかきながら進む。焦りながらも自販機の冷茶を見つけると即買ってる自分がなぜか可笑しい。列車の揺れもてつだってか又背中のリュックのせいか、よたよたと何人かとぶつかるようにして席で気をもんで待っていてくれた永山さんの隣の席に着きました。
●お喋りをしたり早めの昼食をとったりしているうちに松本に着きました。
●こんなわけで発車ン秒前のあずさに飛び乗り、松本からのちょっと渋滞したタクシーを降り、河童橋に立った時は、何か待ちに待った槍が岳! 嬉しい! 楽しい! とわくわくしてきました。
●明神で食べた岩魚の塩焼きの美味しかったこと! 頭から尾まできれいに全部いただき、かろうじて残ったのはお皿だけでした。お魚というよりは香りの良い上等なおやつをいただいたという感じがしました。1匹900円也も、もう少しお安かったら、又もう少し時間が有ったら絶対お代わりしていたかもしれません。
●河童橋では家族連れ達で賑わっていたせいか蒸し暑く感じましたが、横尾までの道は何度となく歩いた道でもあり、平坦だし、空気もヒンヤリとしてメンバーとお喋りしながらの楽しい時間でした。
●横尾山荘では布団の置いてあった少し高くなった所が今日の私のベッドでした。もしここから落ちたら下の瑞穂さんがつぶれちゃうかな、なんてうとうとしていましたが、リーダーの「3時です」のお声を聞くまでぐっすり眠ったのは昨夜のお風呂とビールのおかげだったのでしょう。
●玄関を出ると満天の星がキラキラときれいでした。まだ真っ暗です。ライトはなるべくつけないリーダーの指示のもとで出発しました。毛無山の下山を思い出す。でも今日はこれから段々明るくなる道だからいいななんて思いながら……。
●1回目の休憩は槍の先が少し木々の間から見える所でした。弁当は胃もまだ目覚めていないのか食欲も余りない。果物なら口当たりも良く、これなら美味しくたべられる。ところが、ウム! 隣のMさんの弁当は既に空っぽ! えらい! すごい! と大いに感心した。やっぱりごはんは少しずつでも食べておきたい、登山の大切なエネルギー源だものと。
●しばらくは樹林の中を行き、槍沢ロッジでも休憩をとり、テント場を過ぎたあたりから陽射しが随分強くなってきた。喉も渇くしひとやすみしたいなと思うころ休憩になると本当に嬉しい。少し食べたり飲んだりすると疲れた体が蘇り、又元気に歩けるのです。目の前に迫る大きな横尾尾根の手前でリュックを置いて天狗原へ向かう。ここの景色も充分にメンバーを元気にさせる美しさでした。槍ヶ岳がデーンと大きく見えていて、随分そばまできたなと嬉しくなってしまう。
●しかしリュックまで戻り、再び槍を目指すあたりからだんだんきつくなってきました。坊主岩小屋、殺生ヒュッテを過ぎ、槍ヶ岳山荘が見えて来た辺りからがもうとってもきつくて1歩1歩ほんの少し前へ出してかろうじて前進している程度だ。なのにメンバーは元気そう(後で聞くとこの時つらいと思っていた人が多かったようだ。皆一緒だったのですね)。山荘に着き、一休みしていよいよ槍の穂先にトライだ!
●サブリュックとストック1本で出発。結構人が多い。1人ずつしか進めない所が多いので待っている時間がかなりある。三点確保で進むのでストックは無いほうが良かった。背中のリュックに(宮本武蔵風に、いや佐々木小次郎だったかしら)差し込んだので両手が使い易くなった。ガスで下の槍ヶ岳山荘も見えなくなったり、又サーッとガスがなくなって見渡せたりする状態だった。最後の梯子を登って頂上へ着いた。思っていたよりは広い槍の頂上、アルペン踊りだってできそうでした。今までに歩いた山々が見える。常念も燕も穂高も。私、今、槍に立ってる! 感激でした。ちょっぴり涙がでそうでした。
●しかし槍からの下山がこれも又スリルがありました。登りはどういうこともなかった梯子が降りは体の芯までキューンとなって思わず手に力が入ってしまうのです。下を見ると余計恐いので手元を見て下りました。鎖も使わずに岩場を下りました。小屋に戻り柔らかめだったごはんの夕食の後、フルートの演奏は布団の中で渡辺さんの心づくしのストレッチを受けながら聞き、もう気持ちが良過ぎる程でした。
●なのに翌朝は目が覚めると頭が重く、今朝の槍行きはパスしました。しばらくして起きて小屋の周りに出てみました。もううっすらと明るくなっています。北鎌尾根の荒々しい稜線の岩もはっきり見えました。起き抜けの体に朝の冷気がしみます。槍の片側から太陽がパアーッと差した時のなんて美しかったこと。山の早起きは三文の徳以上です。やはり山では、御来光と呼ばれるだけのことはあります。逆光の中、メンバーの下山の様子も下からよく見えました。
●朝食の後、前日2日のコースを今日は一気に下ります。いつも下りで膝が痛くなりやすいので気を付けて下ります。時々振り返って槍を見ながら、花を見ながらの下りでした。ヘリコプターが何度も大きな荷をつり下げて往復していました。青空に槍とヘリ、なかなか絵になる景色でした。
●天気も良かったせいかとても喉がかわき、休憩の度に水分をよくとりました。横尾に着くと缶1本あっという間に飲み干したのですが物足らずに、もう1本たて続けに飲みました。水分が身体中にしみ込むという感じでした。こんなに水分を身体が欲しがったのは初めてでした。
●下山後、風呂か蕎麦か、究極の選択を強いられ、蕎麦の男性と風呂の女性と2つに分かれ、ゆっくり湯船に入り手足を伸ばし、汗を流して松本駅に大急ぎで戻りました。とても美味しかったという蕎麦の楽しみは次回に残して空いていたあずさの自由席でビールとワインで反省会をしながら新宿に戻りました。槍ヶ岳の登山道は良く整備されていて本当に歩き易く、良い道だったとおもいました。


■鈴木一誌さん——9.10
●9月も山に行けないとあきらめていたところ、13日・14日と玄関の工事で出入り禁止となり、時間がぽっかりと空きました。
●もしかすると、13日は9aではないか?
●資料が見つかる状態ではないので、恐縮ですが、13日に9aがおこなわれるのか、もしそうならどこへ行くのか、お教えくださいますか?
●基本的に行くつもりになっています。しかし、山の道具はどこのダンボール箱かなー。


■大森富子さん——9.10
●槍ヶ岳に登って少し自信がついてきましたので、9/13-14-15と南アルプスの白根三山縦走(北岳、間ノ岳、農鳥岳)に行こうと思います。北岳からは9bで行く仙丈岳が間近に望めるとのこと、お天気の方が心配ですが……。
●石裂山、みなさんと御一緒できなくて残念です。間近になって申し訳ありませんが、9aはキャンセルとさせて下さい。


■加藤木かほるさん——9.10
●ファクスが使へる様になりましたのでお知らせいたします。


■小泉佳与子さん——9.10
●先日の高川山、富士山と御対面はできませんでしたが、実りの秋を感じる山行で、さる、りすの姿を目にすることも出来楽しい一日でした。
●春日さんが取って下さった「あけび」を簡単なリースにして壁に、くるみは果肉を洗いましたら結構先がとがってさわると痛いです。思い出の品々が先生の写して下さった写真とともに小さなかごの中で語りかけています。
●東急のトレッキングも学生時代体をうごかすのが大きらいだった私が大決心をしまして参加いたしましたら、大らかな雰囲気の先生とすぐにうちとけた会員の方々とで、毎回毎回楽しく参加でき、あっという間の一年間でした。
●これからは糸の会だけでがんばり、いろいろな山にめぐり会えたらと思っております。


■鈴木一誌さん——9.12
●今日、ぶじ「糸の会」お知らせとどきました。
●現在、ホテル住まい(ホテル・エドモント・飯田橋)なのですが、同じ部屋がとれない日が何日かあるといわれており、それがなんと明日(13日)にぶつかってしまいました。
●つまり、ホテル内でひっこしをしなければならないわけで、家人一人にやらせるわけにもいかないし……、残念ですが、当初の予定どおり欠席させてください。


■國井政臣さん——9.13
●先般は突然電話を差し上げ不躾なお願いを致し失礼を申し上げました。それにも拘わらず御多用中の処早速に多数の資料を御送付賜り有難くあつくお礼申し上げます。内容を拝見させて頂き詳細にして明快な資料を作成されておられますことに敬服した次第です。
●会則を拝承致し、且、過日の電話にてFコースへの参加をおすすめ頂いた事も勘案致し、それに加え小生の個人的事情より日曜日は全てと土曜日も間々多用がありますので木曜日のFコースにフリー参加をさせて頂ければと存じます。


■志村咸子さん——9.17
●雨の中、石裂山山行無事終わる事が出来ました。
●ストックはバランスを取る為にだけ使っていたような私には先生の適切なご指導が身にしみました。先生のお言葉通り上手に利用しなければ持っていても何にもならないし、上手に利用してこそ役立つ道具だと思いました。帰宅してから先生のご本しっかりと読み返しました。他の本に書かれていた「ストックは魔法の杖ではない」という言葉を思い出しました。運動神経の良くない私には又々ストックワークが課題となりました。少しでも長く楽しい山歩きを続けるには頑張るのみです。適切なご指導を頂きながら、思うように使えない私を見てさぞかしもどかしさを感じられたと思います。段差の大きい所や、急な下りを二本のストックで体を支えるような時、まだチョッピリと恐怖心が走ります。登りの途中、段差の大きめの所を「まずいな大股すぎる」と思いつつ体を持ち上げていた所で、上から「志村さん、歩幅が大きい、それでは強引に登っている。年を考えなさい」と先生の声が掛かった時には「言われてしまった」と声に出しましたが、常にメンバーの足取りに気配りをされながら歩いていて下さるのだと思いました。
●タクシーで向かった佐藤さん推薦の葛生のそば屋は遠かった。まっ暗な山間の道を一山越してもまだ見えぬ、二山越してもまだ見えぬ。空腹と車酔い気味の私は少々やけっぱちで「アーア腹減った、こんな山奥に本当にそば屋はあるのかね。経営者は人間様に化けた狸かい」等と女性たる身を忘れて口走っていました。「もうすぐですよ」と言った小太りの運転手さんも心なしか狸に見えたり(失礼)、そして又々三つ目の山越えでようやく見えた人家の明かりにほっとしたけど目指すそば屋は見つからず、二度、三度と聞きながらようやく着いた「いづる家」さん、店の方総出で気持ちよく迎えて下さいました。タクシーで一時間以上も走って食べたおそばと天ぷら、おいしかった。一抱えもありそうな大笊でデーと出されたおそばに先生の目が輝きましたよ〜。
●こんな体験、他の山行ではちょっと出来ませんね。雨でぬれたすべりやすい岩場、鎖場、ハシゴ等スリリングで手強い山でした。ガイドブックにも初級者はベテランの同行者と一緒にと書いてありました。皆様と一ご緒だったから無事に達成できました。


■高橋健次さん——9.21
●「通信」は意見しました。9月bに参加申し込みます(ほんとに行きます)
●11月から電話の局番が変更になるのでお知らせしておきます。ただし、同一局内からかけるのでなければ、文字列は同じです。また、e-mailのアドレスも新しくなりました。


■中西良栄さん——9.21
●LOWAの靴は、新品に取り替えてくれました(カモシカ)。
●とりかわした文書をごらんになるならFAXします。又はお会いしたときに話します。
●夫に頼んで足慣らしをしてきました。高尾山のつもりのところへ、先生からの地図が届きましたので、石割山に行きました。平野に車を置いて、帰りは長池よりタクシーで、平野まで。後は……(以後1行印字領域外のため判読不明でした。発見したそば屋のことのようです)
●そば屋の名前は軽兵衛です。津久井街道の商店の並ぶ道筋にあります。ここは、本当に打ち立てですいつ行っても、店先で、少しずつ打っています。量が少ないのが難点。(相原に近いところかもしれません)


■中西良栄さん——9.30
●糸の会に入れていただいて丸一年が経ちました。
●一年の締めくくりが、南アルプスの女王といわれる仙丈ヶ岳(中西さん、計画書にあった千丈は間違いです。お詫びして訂正させていただきます)で、その前月には槍にも登れたということで、入会前には想いもしなかったことです。一年間のできごととは思えない程です。
●おまけに仙丈の馬の背ヒュッテでは、とうとう恐れていた一畳に二人とかに直面しました。缶に詰められた、正にオイル・サーディンの様でした。同じ姿勢で寝ているので、背中が痛くなったり、腰が痛くなったりすると、起き上がって様子をみたいのですが、両足を両側の二人の方の上体に支えられている為、一気に腹筋力で起き上がることができるのですから痛快でした。
●問題のあった靴も、新しいのは若干、細い型と思いましたが、苦痛もなく歩き切ることができました。以前に比べると体力の低下を感じていますが、先生の会員に対する御配慮に、これからも安心してついていきたいと思っています。


■小泉佳与子さん——9.30
●先日の石割山でのあけび、トリカブトの鮮やかな紫、たのしい一日でした。
●あけびの料理。あけびの白いところを取り、油みそいためする。ほろ苦いなすの食感でした(岩手の宿で食べました)。
●私が山に興味をもった時から一度訪ねてみたいと思っていた七時雨山に行ってきました。七時雨山(山を愛する人々により開発の手から自然のままで残ることが出来た山)。
●七時雨に吹く風はとても、とても、心地好かったです。その後、裏岩手縦走の三ツ石山に登り、目にまばゆいばかりのもみじの紅葉に出会って昨日帰ってきましたので、木曜日の幕山に行くのは家の者に良い顔をされそうもないので、残念ながら欠席します。


■大森富子さん——10.1
●仙丈ヶ岳はやっぱり雪でした。
●下界とは余りにも景観も温度も差があり、一度に秋と冬を体験致しました。
●間近で見た雷鳥親子の可愛らしかったこと。羽もすっかり冬の準備をしておりました。仙丈ヶ岳より帰ってきましたら、槍ヶ岳の写真が届いておりました。


■下坂俊樹・弥生さん——10.1
●過日は「糸の会」の案内書をお送り下さいまして有り難うございました。9月初め迄、蓼科に行っておりましたので、夏の登山に参加できず残念でした。
●裕美は体力がずい分ついて、この夏は、八ヶ岳や八子ヶ峯に10回登りました。秋は学校の行事も多く、又週末は蓼科へ帰るので、参加が難しいと思いますが、冬になりましたら、都合をつけて、お願いしたいと考えております。


■加瀬春江さん——10.6
●仙丈ヶ岳の山行ありがとうございました。
●大平から薮沢登山道〜馬ノ背にでる稜線あたりまで花の道だそうです。雄大だった仙丈ヶ岳もシコタン草が咲くそうです。故郷のシコタンからはるばる旅が出来たのも氷河時代の冷房完備の乗物に乗れたのだからだと本に書いてありました。この様な事を知ると色々な花を見る眼が違うような気がします。
●午前7時の仙丈ヶ岳頂上での朝食をすませ小仙丈に行く途中行きをかぶり朝日が葉の裏側からあたりそれは美しく見事に紅葉したウラシマツツジを見つけ、わあーきれいと思わず足をとめていましたら、後ろを歩いていた宇田川さんがわー、ルビーみたい。まさにピッタリの表現。このウラシマツツジも葉の出る前に淡黄色の花が枝先に3〜5個下向きにさくそうです。じみそうな花が見事な紅葉を見せてくれたのです。他の草花も雪をつけ印象的、岩についたエビのシッポも珍しい現象でした。夏から秋に咲くハクサンフーロも葉を美しく紅葉していました。
●360度の展望と景色が、前日の雨を忘れるほどの感激の山行でした。
●槍ヶ岳の写真集にありました紫色の小さな花はミヤマムラサキだと思われます。たくさんの仲間があるそうです。鈴木さんや中村さんみたいに。でも写真で見てはじめて、え? どこで見つけられたのでしょう。
●二合目からのくだりで、林小の光にあたりながら群生していた小さな白い花はセリバシオガマでした。でも、朽ちかけた木に綺麗なブルー色をしていた菌? はキノコ類なのか、苔なのかわかりません。
●次の山行では何に出逢うのでしょうか。


■市野武さん——10.10
●FAXが届いておりました!
●何度も送信させてしまった様で申し訳ありません。
●明日に迫っているのに連絡がなく、気になっていましたが、これで安心しました。
●明日はもちろん参加します。
●畦ヶ丸にはまだ登ったことがないので、楽しみにしています。


■志村咸子さん——10.14
●畦ヶ丸山行ありがとうございました。展望は得られませんでしたが静かな山歩きができました。大好きな新緑の季節に再度訪れたいと思いました。


■小泉佳与子さん——10.14
●先日の仙丈岳の時は大変失礼いたしました。△印の時はそのままで良いと思い込んでおり、連絡をせずにおきまして、おまたせしたようで……。
【伊藤から】参加希望の△印があれば、名簿には加えますが、それほど厳密に考えているわけではありません。こちらから予約状況を頻繁にお知らせできればもうすこし明快になるのでしょうが、そうなっていない分、参加・不参加の自由(融通)を確保しているとお考え下さい。最終的には集合時刻に集合場所に来た方が出席ということになります。あいまいでは困る場合には、こちらから問い合わせますのでご心配なく。
●木曽駒ヶ岳は、がんばって出席したいと思っていますが、大分寒くなったようで、初めての山小屋泊り(一度は尾瀬ではとまったのですが)不安です。又、夏にできた黒血のつめがとれそうでとれない状態でいるので……。
●今日『新ハイキング』の雑誌が届きましたら、新刊紹介に先生の御本(中高年山歩きガイド)がのっていました。うれしかったです。


■佐藤正美さん——10.16
●仙丈ヶ岳は御苦労様でした。
●糸の会の皆様と別れ、仙水小屋に泊まりました。翌日は、この秋最高の天気となり、展望の良い甲斐駒ヶ岳頂上から、360度の山々を堪能しました。
●10月以降の山行予定ですが、10月25-26日の木曽駒ヶ岳は、尾瀬での山中宴会にさそわれましたので不参加となります。


■志村咸子さん——10.20
●10b乾徳山キャンセルさせて下さい。
●理由=志村咸子バテ気味です。
(1)8/25-31 北アルプス縦走
(2)9/13 石裂山
(3)9/20 石割山
(4)9/27-28 仙丈ヶ岳
(5)10/5-7 赤城黒桧山他
(6)10/11 畦ヶ丸
(7)10/18-19 戸隠飯縄山
と、続きました。
●危険信号が出ました。疲労の自覚症状の第一、口内炎ができました。それ以外は特別疲れたとは思いませんが、これができると要注意なのです。乾徳山は以前より登りたいと思っていましたので、まだ4日間あるので頑張ろうかとも思いますが、迷いが出た事は辞めると言い聞かせていますので勝手を言って申しわけございません。


■加藤紀子さん——10.22
●乾徳山山行のお知らせ他受領しました。参加とさせていただきますが、岩場・鎖場と、2日目の歩行時間が不安です。トテモです。


■山崎亮三さん——10.31
●9月27-28日の仙丈ヶ岳はお世話さまでした。10月16-18日で夜叉神峠から鳳凰三山を縦走して白鳳峠から広河原に行ってきました。天気がよく最高の山行を楽しめました。


■桑久保奈美子さん——11.6
●早々に資料をお送りいただきありがとうございました。拝見し、考えた結果、年度会員として参加させていただき度く、お願い申し上げます。
●そごうダリヤの会での山行の折、教えていただいた事は今まで参加していた会でも大いに役立って、随分苦しくない歩き方が出来ました。何歳まで続くかわかりませんが、主人を一日も早く引っぱり込んでと考えてをります。


■鈴木早苗さん——11.6
●案内をいただく度に残念な思いをしてきました。糸の会の皆様の進歩にはついて行けるか心配です。久々に11b「男体山」に参加させていただきたく申し込みます。足手まといにならない様がんばりますのでよろしくお願いいたします。


■吉澤和美さん——11.8
●ごぶさたしています。いつも会報案内送っていただきありがとうございます。参加できませんが思いを巡らせ楽しんでおります。新住所に越しましたのでお知らせ致します。
●3月以降どの山行きにも参加できず、疲労が重なっていた所に、9月に風邪から肺炎にかかり2カ月も入院して明日退院という状況です。自宅静養1カ月等、会社復帰も、12月以降。
●当分安静を余儀なくされていますが、春には参加できるようにと願っております。


■加藤紀子さん——11.12
●先日の乾徳山、笹子雁ヶ腹摺山と私にとっては大変な山でしたが、下界におりた時は楽しさだけが残っている私です。
●話は変わりますが、昨日、以前山とは別の勉強でつながった会の集まりがあったのですが、その時山のベテランの方がとてもよい本として紹介されたのが糸の会のテキスト、先生の山歩きの本です。どっきりするやら嬉しいやら。
●そこでおたずねになるのですが、御本の購入を書店からではなく先生を通してお願いできるのかということと、割り引きしていただくことはできるのかの2点なのですが。
●失礼な質問なのですが、他の本で著者の方から何割引かで購入した例があるので可能かどうかとの話題も出ましたのでお伺いまで。
【伊藤から】本のことですが、一般に、著者は出版社から2割引で購入できます。言っていただければお持ちします。いつも何冊かは手元にありますからだいじょうぶです。ただし、お送りすると送料が200円程度かかるので安くならないのです。

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■1997.7.10──いただいた手紙

■M.志村さん——1997.3.31
●自分達のグループの山行もありますので、何回皆様とご一緒できるかわかりませんが、又お会いできます事を楽しみにしております。
●御前山から帰ってまもなくストック購入しました先生のストックについての通信文をさかいやスポーツの店長さんにそのまま見せました。店長さんびっくりして、しっかりと読んで感心していました(よく調査しているということに)。スプリング入りの物を両名共購入しました。近頃ダブルストックに少しずつ慣れてきたように思いますが、まだまだお荷物に感じられます。山行に参加しましたときにはご指導をお願い致します。
●ハイキング保険も雑誌「山と渓谷」で知り、千代田、三井両社より資料を取り寄せ、昨年3月に加入し、今年も継続加入しました。今年は先生の資料が大変参考になりました。ありがとうございました。
●最後にちょっと愚問ですが、糸の会の山行は朝の出発が遅いと私は思いますが、先生は朝が弱いのですか。それ共他に理由があるのですか。御前山の帰りの暗い道、良い勉強にはなりましたが、私は暗い山道は何か出て木そうでキライです。ごめんなさい。失礼なことを申し上げました。怒らずに山につれて行って下さい。


■K.山川さん——1997.4.4
●3月は公私共に忙しく、又、4月からの山行に参加させていただきます。よろしくお願い致します。
●なお哲太朗は4月より中学生になり、部活がスタートしますので、今現在は年会員には申し込みませんが、本人も山歩きは好きなのでこれからも参加させていただけたらと思っております。
●テレマークは指導時間も多く適切なアドバイスを個々にいただきほんの少しですが去年より楽しく滑ることができました。
●なによりだったのは、リーダーの「すい星が見えます、あたたかくして出て見ましょう」のお声で、太陽系のはるかかなたのすい星のふるさとからやって来たヘール・ボップの上の方に伸びる長い尾を見られたことでした。すい星は有機物と水分を含んでいて、地球の生命の種は宇宙から飛んできたすい星が運んだかもしれないなんて聞きましたので、肉眼で見ることができ感激しました。2,000年前にも地球に接近して、この後は4,000年後に、又太陽系に戻ってくるそうです。ゴールデンウィークぐらいまでは見ることができるとのこと、又どこかの山から見ることができるかもしれませんね。


■Y.中西さん——1997.4.13
●昨日は久しぶりの山歩きの上、テレマークスキー以来腰痛でしたので心配しましたが、何事もなく、楽しい気分で帰ることができました。ありがとうございます。
●先生もギックリ腰気味ということでしたのに、重いお荷物でしたが大丈夫でしたでしょうか。
●和田峠からバス乗り場まで、50分かかりました。17:10のバスを待つ人の列が長く、乗れるかどうか心配しました。17:10の定期バスに乗せてもらえず、17:15に臨時バスに乗りました。これは八王子までノンストップだったので、定期バスより速いのだそうです。
●ただ、その臨時に乗り込む迄が大変で、いつ臨時が来るか分からないから、立ってでも先に行こうと乗り込んでみたものの、臨時はノンストップで、すぐにやってくると分かって、下りました。とはいえ、臨時に変更する人が多くて座れないかもしれない心配がおきたりと、ウロウロしました。最後列席に都留さん、奥田さん、共に座れてほっとしました。
●車窓より満開の桜を見つつ、JR八王子まで行きました。


■K.吉澤さん——1997.4.7
●来週12日、生藤山楽しみにしていましたが、欠席致します。残念ですが。
●理由——靴のせいか足の親指のあたりが痛く、整形外科で治療中です。歩行できるようになりましたら参加させてください。桜が見れなくて残念です。


■H.池浦さん——1997.4.25
●何時も糸の会通信お送り下さいましてありがとうございます。岩殿山、石老山、生藤山の説明を読みながら、地図を見て、この三山は志村さん等と登った山で、具体的に思い出し楽しませて戴いております。
●御正体山に参加させて戴きたいと思いましたが、昨日桐生の鳴神山から吾妻山まで6時間余歩いてきましたので、残念です。
●6月の安達太良山山行には参加させて戴きたく、どのようなコースか、楽しみにしております。
●志村さん等とのグループ山行もありますので、何回先生の山行に参加させて戴くことになるかわかりませんが、よろしくお願い致します。


■K.春日さん——1997.4.25
●雁ガ腹摺山の下山で左膝内側側副靭帯を損傷して3ヶ月が経ちました。まだ膝の横揺れによる痛みが多少残っていますがコルセットをはずして歩行できるようになりました。靭帯は若い頃の膝の酷使に老化が加わるとちょっとした運動でも損傷することがあって、損傷した靭帯は元に戻ることはなくまわりの筋力でカバーするしかないのだそうです。
●日動火災のオガタさんへは通院の終わった時点で私から連絡する旨を応えてあります。伊藤先生の御配慮にお礼申し上げます。また会の皆様からも励ましの言葉をかけていただいています。そして皆様と一緒に山行できることを楽しみに歩行時間と距離を徐々に伸ばしています。


■K.高橋さん——1997.4.27
●そば屋、よかった。飲める男性がもう一人ぐらいいるともっとよかったかナ。


■K.島崎さん——1997.5.1
●御正体山ではお世話になりました。
●久しぶりに天上人となり、山の息吹を素肌で受けとめる心地よさに浸ることができ、大変楽しい1日を過ごすことができました。山に行くと、鏡の前に立たされたように、否応なく自分の姿を見つけてしまうのです。まだまだ初心者ですが、不器用ながら皆様に御迷惑をかけずに参加できたらと願っております。


■T.市野さん——1997.5.5
●4月29日に休みが取れたので、中学3年の長女を連れて三ツ峠に行ってきました。ここを訪れるのは5回目ですが、雨上がりだったこともあり、この時期としては珍しく絶好の展望日和となりました。富士山はもちろん、右に南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、大菩薩峠(少しアンテナが邪魔)、左には杓子山、鹿留山、その左には御正体山、西丹沢方面が山裾までくっきりと確認できました。塩見岳のすぐ下には御坂黒岳も見えていました。三ツ峠は山頂付近に人工の建造物がいくつもあって興ざめしますが、展望だけなら最高の山です。今年の秋か、初冬には糸の会でもスケジュールに組み込んでみてはいかがですか? 登ったことがある山を見つければそれだけで嬉しくなってしまうものです。


■K.磯部さん——1997.5.25
●資料をありがとうございました。
●はじめに、1,000円の件、1,000円の残というのは考えられないのですが。この額に相当する事柄が浮かんできませんので先生のご負担になっているのではないかと思う他ないのです。何かのおまちがいでしょうと想像しています。前便で申し上げましたように私は全くずぼらで、私の記憶さえあいまいなものですが、この1,000円に就きましてはどうもよくわかりません。申しわけありません。
●「キヤノン通信」特集はすごいデータです。中高年ブームについてはその無謀ぶりに顔をしかめているというその筋の人達の言葉をよく耳にします。実状を見たことがありませんので私にはわかりませんが、異常の有無が運動テストで発見されるようで自覚しないまま歩いたり登ったりしているとか聞きました。それだけに特集のような手段はその意味でも実用として評価されるべきものです。
「バランスを磨く方が中高年登山者には有効」について同感です。思い当たることがあります。白馬岳にてお世話になりました折、雪渓に向かって下りの間もないところで、片足立ちで次の足をおろそうとしたとき、つなの柵を越えてしまって止まったことがあります。めったにあり得ないことですが、バランス崩れに近い、ちょっとしたことは当時からありました。
●私はどちらかと言えば運動神経が余りよくないながらもよく動いていましたのでバランスの衰えはそれほど気付かなかったのですが、体験して衰えを知りました。
●左足母指球一帯の無感覚に近い状態(腰椎椎間板ヘルニアの後遺症)と右足母指球の時折の激痛(太極拳の在る動作の繰り返し練習の影響の痛み——治療機関にも行かないまま、10年以上経過)などというハンデを除いてもバランス機能の悪さが目立つ此頃です。オリエンテーリングで急斜面を下る速さが全く違ってきています。珍しく慎重、物に頼り易くなるような気の持ち方に変わってきています。
●参考までに——と余計なことを書いてしまいました。


■M.志村さん——1997.5.30
●今日池浦さんが紀伊國屋書店柏店で先生の新しい本を買いました。あいにく1冊のみだったので私の分は注文し5日ほどかかるとの事ですので楽しみに待っています。私は市の中心より離れていますので本屋もなく電話注文しては池浦さんにお世話になっています。
●先生の本の中の「行動時間」のページをコピーしてFAXで送信してくれました。読ませて頂きました。
●私は暗い山道をライトなしで特に危険を感じた場所のみでライトを点灯するといった経験は御前山だけですのでこわさとアブナイという思いが先に立ちました。
●私達のグループ(6〜8名)山行は早立ちです。私は乗車駅南柏を5:21または5:42には乗車します。タマタマメンバーの家庭環境が早立ちOKということでラッシュにもまれる事もなく、が第一。第二は暗い山道はコワイ、アブナイと思い込んでいること。第三は山歩きは早立ちが鉄則とガイドブック等にも書いてあること。度々の山行で早立ちをするので帰りは早い方が良いとチョッピリ気を使って見せたり(ハハハ——家族?いつも置いて行く主人に?)という事です。
●先頃のFAXで失礼な愚問をしました。読ませて頂いた文章で先生のお考えはわかりました。先生のおっしゃる日没後の行動が安全にできるようになり、先生のお考えに充分納得できるのは、まだまだ時間が掛かりそうです。勉強させて頂きたいと思います。
●何度か経験をすれば先生のお考えも解ってくると思います。山に行くからと前夜早々寝ようと思ってもダメで、確かに寝不足になります。近頃では山の厳しさコワサも解ってきたように思います。それにも増して山頂でのスカーッとした爽快感、下山後の充実感が次の山行に気を立たせるのでしょうか。


■M.佐藤さん——1997.6.4
●梅雨に入ったのでしょうか。ここ数日天気がはっきりしません。梅雨の山には梅雨の山の良さがある、と云われそうですが、山へ行くのは都合が悪くなりました。
●さて、6月は筑波山に登ってもらえることになりました。茨城県でただひとつ、千メートルに満たない山でありながら、深田久弥の百名山に入っている山です。
●御幸ヶ原の混雑を考えると茨城県人としてあまり誇れる山ではありません。人の歩かない、自然観察路もありますので、ちょっぴり期待して下さい。
●さて、丹沢三峰の帰りの入浴後の約束ごとですが、まず、筑波山登山後の入浴の件。知り合いを通して筑波グランドホテルに入浴をお願いしましたが、入浴のみは不可とのことです。
●もう一つ、登山後の飲食と、カラオケ無料歌い放題の件ですが、飲食の場所は確保しました。
●カラオケ無料歌い放題は先客があり、確保できませんでした。飲食の場所は、私がいきつけの居酒屋です。下館市の「すきや」という店で、希望があれば、おかみさん手打ちのソバ、定食類、山菜おこわなどが食べられます。
●勿論、ビール、お酒もどうぞ。居酒屋ですので、食事の類は多く作りません。当日朝、「すきや」に行かれる人数と、食事のリクエストをつのりたいと思います。


■T.市野さん——1997.6.7
●本が届きました。ありがとうございます。
●実は前日に書店に並んでいるのを見つけて早速購入していましたので、母親に進呈しました。今まで山に出かけることをあまり快く思っていなかったようで、多少気になっていました。時々届く郵便物を見て、「糸の会」というのは、なにやら怪しげな団体というような認識をもっているようでしたが、本を読んでどうやらその誤解がとけたようでした。これで我が家では少なくとも糸の会については公認されました。後は一人で出掛ける時に、どうやって納得させるかです。休日を利用してほとんど一気に読み終えてしまいましたが、読んでみて自分が優等生ではないのはもちろん、悪い見本なのではないかと思えてなりません。
●今日休みだったので、前から気になっていた西丹沢の大室山、加入道山に行ってきました(やはり1人、4時起きでコソコソと家を出ました)。
●新松田発7:14発のバスは満員で臨時のバスが出ました。西丹沢自然教室のバス停を8時30分頃出発して、犬越路に9:00着。10人ほど登山者がいましたが、ほとんど桧洞丸に向かうようでした。ここから見る桧洞丸は尖っていてなかなか立派な姿でした。
●大室山山頂11:40着。下では晴れていましたが山頂が近づくにつれガスが湧いて深山の雰囲気が漂っていました。山頂付近はつつじが満開で霧の中でピンクがひときわ鮮やかです。樹林に囲まれて展望は全くありません。山名表示板すらなく、あるのは2等三角点と国土地理院が立てたとおもわれる柱だけでした。静かな山頂ですが登山者が増えてきたので早々に食事をすませ、12:00出発。
●1時間で加入道山。ここも静かで地味な所で、表示やベンチがなければ素通りしてしまいそうな感じ。15分で白石峠。急降下の階段状の道を下って20分ほどで白石沢の源頭の水場。ここで喉を潤す。少しで白石大滝を過ぎて、13:45頃堰堤に出て、ここからは河原沿いの道になり何度か沢を渡りかえす。河原では少し不明瞭な部分もある。
●14:25白石沢キャンプ場。今朝通った用木沢出合に14:33。14:50西丹沢自然教室着。ちょうど臨時のバスが出るところで急いで飛び乗ったが、乗客は3人だけでした。15:00新松田着。御殿場線のホームから明神ヶ岳、金時山、矢倉岳がよく見えていました。
●考えてみると今日登った大室山の全体の姿は今日1度も見ていません。東京方面からは富士山を隠してしまうほどの大きい山なので、近くからだとなかなか全体が見えないのかも知れません。御正体山に登る途中、昼食で休んだ場所で富士山の反対側に見えていました。展望のない地味な山ですが、また何度か歩くことになりそうです。人の少ない平日に来たいところですが、平日には朝早いバスがないのが困ったものです。


■N.伊藤さん——1997.6.8
●この度は先生の御本、「中高年の山歩きガイド」を、お送り下さいまして有り難うございました。
●丹沢で見せていただいて、大変感激致しました。1冊ずつプレゼントして下さるというお話で、心待ちしておりました。日頃教えていただいていることが、よりいっそう分かりやすく、一気に読みました。これからも何度も読み返して、身につけて行きたいと思います。
●平成3年秋、朝日カルチャー(横浜)を受講し、OBとして数回参加してきました。講師の先生方、知り合いになった仲間と歩く、それは大変楽しいものでした。年2回では物足りないので、旅行会のツアーに何回か参加していましたが、ただあの山に登ってきたという感じで、良い思い出は残っていません。そんな時、糸の会のご案内を頂き、大山三峰より参加させていただきました。
●あの日、本厚木の駅で、伊藤先生、市野さん、奥田さん、鈴木早苗さん、山崎さんご夫妻ほかの皆さんとお会いし、又ご一緒に山歩きが出来る事を思うと、感激でいっぱいでした。そういうわけだったかどうか、あの時転んでしまいました。50センチほど滑り落ちた所に、直径10センチ位の木が生えており、体がくの字に引っ掛かり、助かりました。怪我は何もしなかったのですが、皆さんに心配かけてしまいました。
●近所の友達と、月1回、鎌倉や三浦半島を歩いていますが、先生に教えていただいたことをお話しし大変喜ばれています。5月18日に金時山、6月1日には伊豆天城山へ登ってきました。私にとっては4週連続登山となりましたが、あまり疲れませんでした。このように私的な行事が、間にうまく入ってくれて、糸の会に沢山参加できていること、嬉しく思います。これからもよろしくお願い致します。


■Y.中西さん——1997.6.16
●筑波山ではお世話になりましたありがとうございます。山は、案内書や人の話より、進行の山の風情があって、とてもいい山と思いました。
●帰路、「筑波駅」を土浦のような、バス停もある、電車も止まる、いわゆる駅と思っていましたので、佐藤さんに車から下ろされたときは、びっくりしました。春日さんといっしょだったので安心でしたが。
●切符売り場の青年は、厚紙の切符に日付を入れる場所が分からないらしくて、電話中の上司に尋ねながら、台から切符を落としたり、切符の向きを変えたりしていました。バス代が1,730円なので、春日さんはこの間、お財布の中に30円を探しておられました、けっこう長く。
●つくば市内で途中から乗ってくる人も合わせて、お客は8人でした。上野経由で東京駅へは9:05着。1時間50分でした。
●今回の登山は、とくに下りで疲れました。高速バスに乗りたかったこともありますが、遅くなるほど、疲れも積もる気がしまして、佐藤さんのご好意に甘えてしまいました。お陰さまで、楽に帰ることができまして、とても有り難いでした。


■H.加瀬さん——1997.6.16
●大阪・奈良の旅より帰りましたら本が届いておりました。ありがとうございました。パラパラとめくっていましたら運悪く(?)保険の外交員が来まして山の話になり、新刊よといいましたら、私はまだ高い山(アルプスの事らしいですが)に行った事がないから貸してね、といわれ渡しました。玄関のドアが閉まった時、本を買ってねといえば——(振替用紙の欄外にはみ出て、以下不明)


■K.西沢さん——1997.6.19
●5月1日の、花中心のゆったりした矢倉岳をスタートに、ややハードであったとは云え、丹沢三峰、筑波山を無事登り終え、漸く「a」「b」の山行きを再度生活に組み込む事が出来そうで喜んでいます。


■M.志村さん——1997.6.23
●筑波山行楽しく参加させて頂きました。山頂で食べたメロン、おいしかった。サクランボ、ブドウも初物でした。3度目の参加でしたが家族的な雰囲気で皆様の仲間に入れて頂きました。
●安達太良行きも近づいてきました。雨が降りませんように祈りながら、又皆様とご一緒できます事楽しみにして居ります。


■H.加瀬さん——1997.6.26
●ちょとわがままな発言をさせていただきます。山行の計画の際、集合時刻だけでもわかりますと嬉しいのですが……。なぜ。特に人気のアルプス方面の場合、1カ月前から発売される切符を入手したいと思いますので……。

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■1997.5.10──いただいた手紙

■Y.中西さん——1996.12
●今年は糸の会に入れていただいたこともあって、たくさんの山に行くことができました。こんなに山に行きたがる人になるとは3年前には思ってもいませんでした。
●日本は山だらけというのが、いつもの感想ですが、そのうち、どれだけ訪ねられるか、というのも楽しみです。
●基礎体力が軟弱ですから、いくつぐらいまで登ることができるかと思いますが、そういう意味では田中さんがとてもいいお手本です。
●今は、来年4月からの計画を早く知りたいなあ、と思っています。


■H.鈴木さん——1996.12.18
●御岳も楽しかったです。1s出席させてください。来年のほかのa/b分もとりあえず出席あつかいにしてください。
●糸の会で、名前をおぼえるのに必死だったのが、いつのまにか名を覚え、個人が見え出しているような気がします。
●お酒をのんだせいでそう思えるのかもしれませんが。


■E.大西さん——1997.1
●先日天子ヶ岳登山では大変お世話様でした。
●10月の尾瀬以来でしたので、ちょっと歩くのに不安がありましたが、何とも素晴らしいお天気と、又いつもの顔ぶれにとても楽しい登山ができました。
●今回ダブルストックを初めて使ってみての感想ですが、ストックに神経がいってしまい歩きにくかったように思います。私の身長では調整した長さでは少し長すぎて、他の方に少し短くしてみたらと言っていただきました。
●又下りでは逆にもう少し長い方が楽よと言われました。自分向きに調節し使いこなすには、何回か使ってみないと馴れないようです。
●それと今までストックなしで歩いていた時は、下った時手を下ろしたままの為むくんだようになっていました。
●今回ストックを使っていたためそのむくみがぜんぜんありませんでした。帰った次の日は右手に重点がおかれていたようで筋肉痛になっていました。<

■K.磯部さん1997.2.5
●雁ヶ腹摺山行の際には大変お手数をおかけしてしまいました。何とか一日無事過ごせましたこと、改めてお礼申し上げます。
●並でしたならば頂上へも行けたのでしょうと思います。私は金山峠辺りで皆さんの下山を待つ手も一時考えましたが、まさか1人残すことは考えられないことでしょう。待つ間、登山道上下して動物足跡でも探していれば寒さも防げるなどと……。
●さて、西沢渓谷行を希望しておりましたが、現状では危うく、迷っております。しかし、参加断念にしておきます。
●雁ヶ腹摺山行の翌日目がさめたときカゼの症状となり、しかも自分としてのカゼ体験にはメッタに見られない大カゼで、耳鼻科行きでしたが、抗生物質を飲んだりしていました。一時好転のように見えて、医師の言葉では後遺症とか(鼻づまり)。
●去る日曜から体ならし、足ならしに速歩き等を始めましたが、老人のカゼだからと思ってか慎重さが出て、大丈夫だと思いつつ迷っています。
●実は雁ヶ腹摺山当日、朝、カゼ気味が残っていて薬(医師の)を飲む予定が、飲み忘れて出発、山口館で勇気出して残るとすれば良かったのでしょうが、状態は全く良好に感じて、残るなどという意識すらありませんでした。歩き始めて、アイゼン特有の雪の下駄状だから歩き難く、金山峠で充分と冗談に思っていたのが、脚のつりもあり、つりをカバーする歩き方に代わり、スピードもダウンでご迷惑をおかけしました。
●脚のつりに就きましては、下山し、もう少しで山口館着と思える沢筋で、当日最高の痛みが1、2分おいて2度あり、その都度わずか10秒か12、3秒ですが(余り離れないようにするため)ストレッチで調整しました。以後、帰宅まで症状なしにすみました。
●もともとつり易いタイプにいつの間にかなって、例えば根岸先生ご健在中の三ツ峠行で峠西側からの高度差少ない登りで、真中辺でつってしまって、ストレッチしては歩き、を2、3度繰返していました。何か慣れっこになってしまって、これも困る現象かもしれません(箇所がいつもきまっています。歩き方のわるさでしょうか)
●余計なことを書いてしまいましたが、ついでに姿を記してしまいました。
●尚、昨年後半になっておよそ定めていましたことですが、テレマークスキー講座を最後に山行を終えようと思っています。丁度喜寿でもあり、その記念とも思いました。まだ幾分余力があるうちが潮時です。
●非常に有難く、役立つ催しに出会っていたことを幸せと思い感謝しています。めったに見られない、ご指導の入念さと知識を与えられ、とても有意義でした。
●雲取山でしたか、ストックを貸していただきました折、持つスタイルやその扱いなど、いくつか試行しましたのでお礼として報告しようと思ってはいましたが、自分用のメモ程度にとどめたのみでそのまま打ち過ぎました。
●本当にありがとうございました。せめて60代に入った頃からでもお世話になっていたらとしばしば思っています。


■K.高橋さん——1996.2.6
蛇足——ニュース、読みやすくなりました! でも字を小さくしたぶん、文字量が増えたのでは? (着替えとザック)なども大いに参考になりましたが、でもねえ、汽車のなかは暑いだろう、とか、大のおとなにはいまさらじゃないのかという気もしますが……?
●特急の予約方法が重複掲載されているのも、なんだかもったいない。その結果、p.5で肝心の「小淵沢」のコードが抜けているのはご愛敬?
●妄言多謝。


■T.都留さん——1997.2.28
●春一番の風と共に、日中はすっかり春めいてまいりました。西沢渓谷の美しいガラス細工の様な滝を思い出し、北八ヶ岳のスノーハイクはどんなにすてきだろうとうらやましく思いつつ、ここ数日、ウツウツと過ごしていました。新計画案を毎日ながめては山行きの許しを願い出ましたが、月1回の日帰りだけと云ふ許可しかもらえず残念でなりませんが、とりあえず3月3a杓子山と4月4a生藤山を申込み致します。


■K.磯部さん——1997.3.3
●テレマークスキー行事に際しましては、また大変お世話になりました。記念の参加として満足のいく良い体験をさせていただきました。
●先ずは参加費に関しまして、私は極めてズサンな人間でして申しわけないことをしているのではないかと思っています。
●通信「通算367」によりますと500円の余分があるやに思えますが、思い当たりません。
●次に西沢渓谷、雁ヶ腹摺山、テレマークスキーの参加費を振り込みしたようなしないようなあやしい有様です。講座振込受領証に該当行事名を書き入れるのを忘れた受領証があります。お忙しい中を申しわけなく思いますが、次の日付の振込をの通信欄を確かめていただきたく思います。——平成9年1月31日付で14,500円
●私としては想像ですが、西沢渓谷3,500円、雁ヶ腹摺山5,500円、テレマークスキー5,500円の合計額のように感じます。
●まちがいでしたならば改めてお支払いしますのでお知らせいただけますなら幸いです。
●3月15日(土)市野さんの活動大写真鑑賞会に参加予定しておりますので、その時にでもお教えいただけますならば、それもよろしいかと思います。翌日の県民オリエンテーリング大会諸準備が終了次第参上する予定です。多少遅れることも予想されますが、場合によっては電話連絡致します(会場に)。
●さて、テレマークスキーですが、アルペン経験者云々ということでしたが、少なくとも15年はスキーから去っております。しかも経験といいましても日数で数える方が適切な上、いかにも齢をとり過ぎております。初心者同様ですので該当クラスに入りました。またもう一つ、テレマークスキーのステップも知りたいということもありました。
●第1日は板の上に乗っているのに一苦労でした。第2日の午前で、11時以降の後半で何とか思い出せてきて疲れも余り気にならなくなりました。
●指導員の方には事情も申し上げませんでしたのでけげんに思われましたことでしょう。若し機会がありました折はよろしくお伝え願いたく思います。
●何れにしましても水を得た魚のたとえ同様、すがすがしい思いの2日間でした。改めて厚くお礼申し上げます。


■Y.中西さん——1997.3.3
●テレマークスキーではたいへんおせわになりまして、ありがとうございます。
●林間をスキーをはいてハイキングするという、あこがれていたことができるというので前日よりワイワイしていました。橋谷晃著『ネイチャースキー』ではどんなに楽しいかがいっぱい書かれていまして、そこばかりにとらわれていましたら、テレマーク・ターンという関門があったのでした。
●足首はいつも曲げた状態で、と指導員の先生の言葉で、そうそう、本にも書いてあったと、思い出すのですが、そのスタイルを維持することが、私にはとても、むつかしくて、ヘッピリ腰ですべっているとはしらずにころんでばかりいました。
●登りも、はじめはいいのですが、すぐにずり落ちてくるのも、へっぴり腰のせいであったとは、何で、へっぴり腰になるのか、脚力、腹筋力、背筋力の弱さでしょうか。あああ、といいたくなります。
●今日、会社より帰宅した夫に、何でオランウータンみたいな歩き方をしているのか、と笑われてしまいました、これもやっぱりへっぴり腰のせいなのです。腰痛が治ったら、毎日十秒ずつテレマークターンスタイルをして、来年に備えるゾッ、と心に決めたところです。
●それにしても、メルヘン街道を1時間20分(自己タイム)で滑り下りる時に見た樹々や、山々の美しかったこと、歩きながら見るよりも美しく感じたと思うのですが、スキーの力かもしれません。ありがとうございました。
■追伸——1997.3.8
●オランウータンになってしまったらなかなか人間にもどれません。大阪の友達に、テレマークスキーでオランウータンになってしまったと話しましたら、「ギャハハ、ハハ」と笑われてしまいました。
●テレマークターンとは、両足は揃えずに、山側の足の踵をあげて、膝は鋭角に曲げて引き、谷川の足は踵をつけたまま膝を直角に曲げる。上体はそのまま下ろす。前かがみにならないこと……。受話器片手にそのスタイルをしてみた友達が「それは日本舞踊の所作といっしょ」だというのです。彼女は子どもの頃、それがそれがとてもむずかしくて、なかなかできなかったそうです。動かない平面上でもむずかしかったというのです。
●どこかで年よりの冷や水という声も聞こえてきてきて、そんな年になっているのかと思ったりしています。私自身も、山では、人生五十年といった時代もあるのに、五十半ばで、こんなことを覚えようとしていると感心していました。
●来年は雪質のやわらかい時期に講習をしてもらえたらいいなあと思います。そして、スキーのもともと上手な人や若い人の上級と、ボーゲンはできるけど年より組と、全く初めての人の3組に分けてもらえたらいいなあ、と思っています。そんなわけで三条の湯泊まりの雲取山はパスします。


■E.大西さん——1997.3.4
●1月の天子ヶ岳山行いらいご無沙汰しております。天子ヶ岳では「春日お天気神」のおかげでとても素晴らしいお天気と雄大な富士山を見る事ができ、新年早々感激しました。
●今年も毎回参加とはいきませんが、又1年間よろしくお願い致します。


■N.加藤さん——1997.3.6
●まず先に3/8(土)杓子山の山行に参加できなくなりましたのでご連絡致します。
●北八ヶ岳から下界におりてきましたらとたんにのどがヒューヒュー咳込んでいます。土日2回の北八ヶ岳の世界とは大違いです。
●青あざになった膝にしっぷ薬を貼り、サポーターをつけ又の山行にそなえて大人しくしています。
●長い感想文など書きたいところですけれど、皆様御覧の通りどうにか頑張っている状態なので又の機会に……。
●でも我が人生の思いもしなかった展開に、伊藤先生や皆様にめぐり会えた幸せをかみしめています。


■M.清川さん——1997.3.7
●先週末体調を崩してご心配をおかけしました。一応回復しましたが、胃痛があり様子をみておりましたが、本調子でないため、たいへん申し訳ありませんが、明日は欠席させていただきます。
*15日のビデオ上映会には出席するつもりです。
*スキーツアーの時のあずさ号は、皆さん席が近くでしたが、私は偶然にも行きも帰りも井上さんと隣同士でした。


■Y.春日さん——1997.3.17
●左膝側副靭帯損傷概要
●1997.1.25——14時45分頃、雁ヶ腹摺山標高1,300m付近下山時雪上で転倒。15時50分頃金山峠で左膝ひねる。
●1.27——滋恵医科大学第三病院整形外科外来受診。左膝内側側副靭帯損傷のためギブス装着。松葉杖使用。解熱鎮痛消炎剤1週間服用。
●2.17——左膝固定用サポーターを4月いっぱい装着することになる。サポーターと経皮消炎剤を使用。
●いきさつ——14時4分頃、1,300m付近の急坂を下山中、前方の人たちの前進を待っているとき右足を雪にすくわれて左膝を折り畳んだ状態で転倒した。この時ポキッと関節を鳴らすに似た音がして瞬時の痛みがあったがそのまま急坂を下り、リーダーがポリ袋スノーシャットを試用している林道へ出てからは先頭に立って金山峠まで歩いた。
●15時15分頃ストーブであたためた缶飲料を取ろうとして歩きかけたとき左足がつまづいた気がしてバランスを崩す。左足をひねる感じで膝をついてしまった。この時はっきりした痛みと音を感じた。その後の下山中は軽い痛みが続いたが大月駅で大森さんの外用薬を塗って19時45分発立川行に乗車し帰宅した。
●翌々日滋恵医科大学第三病院整形外科外来受診して左膝内側側副靭帯損傷と言われて、3ヶ月間の山行中止となったのです。
佐藤正美さん——1997.3.21
●先日のビデオ会には参加できず残念に思っています。
●北八ヶ岳のスキーのつかれか、変電所機器トラブルでの土・日朝出勤のつかれか、10日ほど前より右ひざが痛くなりました。すぐに直ると思っていましたが、今も痛みが残っています。
●22日、23日の雲取山への山行をみあわせますので連絡いたしました。


■M.清川さん——1997.3.24
●おはようございます。昨日はたいへんお世話になりありがとうございました。
●さすがにくたびれ、本日出勤致しましたが、少し筋肉痛です。
●昨日、一寸話に出ました『山と溪谷』4月号のストックの記事をお送りします。特集「山を歩く 登山靴とストック」の中のストックの部分です。登山靴の方がメインのようで各機種の特徴などにページを割いています。(どちらかというと、こちらを送りたいのですが、FAXはカラーじゃないので、とりあえずストックの部分のみ)
●あと、鈴木さんのサインの一件、あまり当事者以外にはおもしろくない話かと、送るのをやめてしまったものですが、小池(日出男)さんのリクエストにより、一応FAX致します。
●鈴木先生サインの一件
●3/15のビデオの会は、いつもと違った趣向で楽しかったです。自分の記憶が曖昧なことも認識しました。
●市野さんに感謝申しあげます。今後はビデオカメラを意識しながら歩かないと行けないかも……。
●皆様と日吉で別れた後、渋谷のある串焼き屋に行きました。その後の顛末をお知らせします。
●しばらく飲んだ後、鈴木一誌さんが会計をしておりました。私は外に出ており、外からガラス越しにレジを見ると、鈴木さんの後ろにいる小池さんに、店の店長らしき年輩の男性が寄ってきて話しかけている。
●小池さんの手には、ビデオ上映会で当たった本『殺人山行 餓鬼岳』があり、その店長はそれを指して何やら言っている。
●そのうちに小池さんが出てきたので、話を聞いてみると、
店長 「あの本いただけませんか」
小池さん 「これは僕が貰ったものだから……」
店長 「では、直筆サインだけでも……
先生にお願いしていただけません
か?」
小池さん 「せんせい?……」
(何か勘違いしているな……)
「なら、自分で直接言って」
●といって本をあげて(取られて)出てきたとのこと。
●そしてまた、ガラス越しにレジを覗いてみると、鈴木さんがなにやらサインをしているようです。
●「まさか、梓 林太郎じゃないよね〜」と言いながら待っていると、コーデュロイのカジュアルスーツに帽子姿の鈴木さんが出てきました。(う〜ん、確かに先生風だ……)
●鈴木さんに聞いてみると、やはりサインをと言われたそうで、店長が指し出したその本にサインをしてきたらしい。「私は装丁だけです」と断ったそうですが、「それでもいいです」とのこと。
(あとから聞くと「勝新太郎の勝と書いて下さい」と言われたそうで、鈴木先生は、「勝 鈴木一誌」とサインしたそうです。)
●その本のカバーにある著者の写真と鈴木さんを見比べましたが、似てるとも思えない。確かに若者向きのその店では、なんとなく先生は目立ったかもしれませんが、いったい、あの店長はどう勘違いしたのでしょうか。
●そして、小池さんは、本を取られたと怒っています。


■K.磯部さん——1997.4.3
●糸の会通信No.392をありがとうございました。
●8月までの山行予定を拝見し、体力を一時忘れて心がはやるような思いで山名を見て、仮に登った試しがあるものであっても、何回出かけてもよいと思いますし、爽やかさを味わいたいものです。が、体力、能力の限界がわかってきています。現在は仰ぎ見ることでがまんすることとなりました。
●年度会員以外の者にも何かお知らせくださるご様子、該当者にとりましてはありがたいことです。会の様子の一端を知ることになるでしょうから——。
●それにしても私の場合はまず山行参加は不可能に近いことと思いますので、勿体ないことと思ってはいるのですが、同時に参考にしたいなどとも思って欲も出ます。
●以上のような結論ですが、私個人としては低山歩きぐらいは折にふれ出かけてみようと思っています。
●私のライフワークのようなオリエンテーリングはまだ続けて楽しむ心算です。これは標準として60分として設定するようですので3倍かかったとしても3時間ですみますし、何かのひょうしに山中(丘の中のこと)で現在位置不明になっても個人プレイですから自分だけを始末すればよいのですからのんきなものです。
●また昨年から始めましたSKIオリエンテーリングはまだ楽しめそうです。
●フットオリエンテーリングもSKIオリエンテーリングもレースですからUP DOWNあるいはFLATであっても走れるものなら走るというきついものですが、少時間ですみますので何とか楽しめるのでしょう。
●此度お世話になりましたTELEMARK SKIも少し覚えてBACK COUNTRY SKIとかNATURE SKIなどはやさしい範囲で楽しみたいひとつです。
●アルペンスキーとしてのツアーは体験しましたが(例えば菅平、根子岳、志賀横手、鹿島槍スキー場から青木湖スキー場等、余りのんびりしたものではありませんでした。
●数多くのプラスになる事柄を私のものとして活用できているものがたくさんあります。感謝しています。
●去る3月23日(祝)神奈川県民オリエンテーリングスタッフとして動きまわっていましたとき、寒い日(雨)でしたのでゴア手袋をしていましたとき、物の扱い上、教えていただきましたように手袋を脱いでもゴム輪で手首にぶらさげて作業をしていました時、仲間の一人が近寄ってそのぶら下がっている手袋をつぶさに見て「これはいい」とかんしんしていました「よしやってみよう」などと言っていました。「教えてもらった」と返事をしておきました。
●昨4月2日、体操クラブの老人面々を丁度巡り回った者としての役員だった関係で大楠山へ案内した折、下山の急坂での足運びを一言言って「そうか」などの返事が返ってきて、何とかおりられていました。
●全く小さなことでも随所に活用できそうです。
●ありがとうございました。


■T.高木さん——1997.4.18
●残金受け取りました。お手数をおかけしました。今後もFコースの参加したいと思いますので、またよろしくお願い致します。


■K.磯部さん——1997.4.21
●残金3,000円をありがとうございました。私もその一人に含まれますが致し方ない事情(極く希なことと思うのですが)以外は残金など無いように私共が考えねばならないことです。よく目に入りました。残金の多さ(人数のことです)に驚いていました。
●致し方ない事情の方がそんなに多くいるのかななどと不思議に思っていました。私の認識不足のためかもしれませんが、あれでは個々についての処置が複雑で大変なことでしょうと心配しておりました。
●先生の手間が少しでも省けるようにしなければならないことです。お手伝いもできないまま打過ぎ申しわけありませんでした。
●私も遅まきながらカタクリの花を求めて津久井湖辺に出かけてみようと思っていたところ急に予定変更やむなくなってガッカリしております。今年は桜同様少し早めに盛りがあったのでしょうか。いまからでも名残に咲く姿を見られればよいと心がけています。生藤山も岩殿も近い割合には人が余り入らないところでしょうから、もったいないことでした。
●会員の皆様は願ってもない会と感じ入って先生を頼りとして安心して山を歩ける喜びを味わっておられます。
●私事ですが脚の衰えを覚えた此頃です。例えば4月13日入間オリエンテーリング祭でポストを結ぶ直線距離で5.2km位のコースを楽しみました。17ポストを通過するとき、アップダウンの繰り返し(1/15000図で等高線5本入る割合程度でしたが)をしているうちに、心臓の負担はまだまだというのに腿を上げるのが大儀になってきてしまいました。
●少しでも速くポストに到着が目的ですから当然のことですが、それにしてもつくづく体力の落ちを知らされました。そのような有様ですのでほんとうのマイペースで楽しもうと思っております。

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■1997.5.10──新しい本について

●新しい本のタイトルが決まりました。笑わないで下さい。『中高年の山歩きガイド』といいます。出版社は成美堂出版。タイトルが決まるまでにいろいろあってかなり遅れました。表紙(カバー)の色校正が出たところで発売日と価格が決まるようで、もうすぐわかると思いますが、現在は未定。中身はすでに印刷工程に入っています。5月中には出るはずですが、営業的な配本日程の決め方もありますから、いまはまだなんともいえません。
●カバーと口絵の8ページはカラーで(担当者いわく)「伊藤ワールド」になっています。写真選びなどすべて編集者にまかせて私は一言も口をはさまないようにしたのですが、糸の会の楽しさをうまく引き出してくれています。もちろんみなさんが登場しています。お楽しみに、というより、ありがとうございます。
●私の方は、すでに次の本にかかっています。6月中に原稿が上がれば9月に講談社から出るという予定の本で、装丁・デザインは鈴木一誌さん。講談社の担当デスクは鈴木さんとの古くからの仕事仲間、フリーの担当編集者は私の大学のクラスメイトでどちらも催促のきつい女性です。逃げようとしても逃げ切れない雰囲気ですから、頑張ります。この糸の会通信の毎回の山行計画の地図から鈴木さんがどんなシミュレーションマップを作り出してくれるか、私も楽しみです。
●その本では具体的なエピソードをどんどん出していこうと思いますから皆さん覚悟していて下さい(第1章をとりあえずテスト版で書きましたが、石老山でKさんがバテた話をちらりと入れました)。
●その代わり、公平を期すために「リーダーのドジ」という失敗談を皆さんに出していただきたいと考えています。リーダーのドジ、リーダーの困った行動、リーダーに聞きたいあのときの判断、リーダーの責任・無責任、いまだからリーダーに言っておきたいこと……。そういうコトでパッと思い出すことがあったら、いつ、どのようなことかを教えて下さい。メモを送っていただければさらにうれしいのですが、最終的には原稿のカタチで書いていただいた方がいい場合と、話を聞かせていただいた方がいい場合とがあると思います。内容によると思います。まずは差し障りのない範囲で結構ですから、教えて下さい。
●糸の会の1年半の行動の中で、いろいろなことがあったと思います。リーダーのありようにかかわっていく糸口はいくつもあったと思います。ほかのグループだったら○○なのに……、というようなカタチで感じられたこともあるのではないかと思います。
*もちろん原稿は事前に目を通していただきますのでぜひご協力いただきたく。なお上記の件について、ほめ言葉は採用しません。我がリーダーは奇人・変人というような誤解(?)を生むモノを歓迎します。グサリとくるのを、こちらはグッとこらえて、期待します。
●その次の本についてはまだ未定ではありますが、モノライターとしての私の夢がかないそうな企画が進行中です。それにとりかかるためにも、講談社の本を、まず仕上げて……という状態です。
●今年は山歩き中心の生活にしたいと願ったのですが、次から次にチャンスが与えられています。とにかく走るつもりです。足元がおろそかになるかもしれません。そのときはヤンワリとでも、ビシバシとでも、アドバイス、お願いします。
●糸の会をやらせていただいて、とくに昨秋、行けるところまで行きますと決心したことは、私の人生の大きな転機となりつつあります。ワンマン・リーダーの講習会というカタチをとっていることの功罪はありますが、皆さんと試行錯誤しながら、お互いの人生のある時期、ある一面を共有する場としての、受け皿だけは守っていきたいと思います。
●実験的山歩きが私のテーマであるということは今度の本のまえがきを読んでいただければわかると思いますが、そういう意味でも、もう少し先まで進みたいと思っています。年度会員の皆さんとの場は、今年はある意味ではバックグラウンドの部分となって、始めての、一回限りの人との山歩きにかなり意識を集中させたいとは思っていますが。

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■1997.3.28──再度、保険について

●保険について、年度会員になるのに通常の障害保険でいいかという問い合わせを何件かいただいています。例外はあると思いますが、この機会に三井海上火災のハイキング保険(軽登山、沢登り、夏の縦走、スキー登山用)の5,000円コース(一般勤労者向け。平日については夏休み、冬休み、夜行日帰り、泊まりがけまでカバー)か7,000円コース(平日の日帰りまですべてカバー)のどちらかに入っていただきたいと思います。電話で資料請求して、申込書を郵送し、2日以上の間をおいて指定の銀行口座に振り込むと契約が完了します。あとは事故が起きたときに連絡すればいいのです。
●このハイキング保険の7,000円コースは、平日の日帰り登山までカバーするので掛け金が高いわけですが、じつは保障内容がうんと低いのです。ですから別保険と理解して説明を読んで下さい。しかし遭難捜索費用はどちらも500万円ですから山岳保険機能としては同じと考えても差し支えないともいえます。
●問い合わせのための電話は番号が変わったりしていてスムーズにつながらないようですが、担当者は東京第三営業部のスポーツ保険担当・大川淳という人。03-3344-3614が最新の電話番号かと思います。去年設定されていたフリーダイヤルに変わる資料請求電話は03-3755-9718(山の保険受け付けセンターという名の留守番電話)になっています。東京営業第三部の代表電話は03-3344-3614ですから、これも有効のようです。いずれにしても「ハイキング保険について」といえば、最終的に大川淳という人のところにいくようです。申込用紙と資料を請求して下さい。あとは簡単だと思います。
●保険は糸の会でまとめて申し込むことももちろんできるのですが、あえて個人個人でかけるという方法をとっておきたいのです。本格的な登山(岩登りや冬山登山。ザイル、ハンマー、ピッケル・アイゼンなどを標準装備とする登山)まで活動範囲を広げたい人は同じ三井海上火災に山岳保険がありますし、以前から個人でかけられる山岳保険を扱ってきた千代田火災海上の山岳保険があります。こちらは千代田保険センターの天野博文さんが担当で電話は03-5453-4480ですから資料を請求してみてはいかがでしょうか。ともかく、自分にとってベストだと思える保険にかかっておくというのがだいじだと思います。山岳/ハイキング保険もこれからまだ変わるような予感がしますから、あまり固定的に考えたくもないのです。
●お読みになった方も多いかと思いますが、先日の朝日新聞(3/24朝刊)に「遭難救助に山岳110番」という記事がありました。東京都山岳連盟が近く「山岳110番」(仮称)を設置する方針を決めたというのです。5年前に「レスキュー協議会」を発足させ、講習会や訓練で救助リーダーの育成を図ってきた上に、山岳共済など財政面を整えてきたもので、最終的に「レスキューセンター」を設立、JAF(日本自動車連盟)に近い、総合的な山岳救助の態勢を整えようとするもの——だそうです。これは中高年登山者が冬山登山の領域にまで広がってきていることから「中高年登山全盛期のいま、全国的な救助態勢は時代の要請でもある。110番は一般の人にも開放せざるを得ないだろう」という決断のようです。
●ちなみに問い合わせは都岳連事務局03-5275-3799ですからいざというときには相談するとして、レスキュー隊が出動すると、日当、交通費、食事、機材と、かなりまとまった費用がかかります。ヘリを飛ばすという華やか(?)な救助の場合でも、その前に、何人かの人が動くわけです。
●三井海上火災の資料にある支払い例では、高校山岳部の引率教員として雪の磐梯山に登って滑落、行方不明となって翌日に発見・救出されたケースの支払い例がのっています。4月2日の夜9時に警察に対して捜索依頼があって、翌朝8時に救助されていますから、すぐに発見されたわけですが、骨盤骨折の重傷ですから救助隊が迅速な行動を展開しなければ死亡していた可能性も大きかったのです。
●かかった費用は捜索救助隊員20人に日当各23,000円、1食1,000円の食費を2食×20人、1,000円の無線機レンタルを12台、10,000円の携帯電話レンタルを1台、隊員の車借り上げ1台5,000円×12台、高速道路料金16,000円、宿泊15,000円×2人——以上で628,000円になります。軽い事故がおきて、警察に通知して、地元山岳会で捜索隊が編成されると、たちまちこういうお金がかかるのです。
●新聞記事にあった山岳遭難の110番は、こういう捜索隊を迅速に編成できるという時代の到来を宣言するものなのです。一刻も早く!というお願いのあとには、こういう金額(磐梯山の例はたった12時間の活動)が請求されてくるのです。いままでは捜索に手間取った低山までにもそういうレスキュー態勢が整ってくるわけですが、ドライバーがJAFに加入するように、登山者はしかるべき準備を整えておくべきです。日本山岳連盟の傘下に入るというのがたぶんいちばん簡単な解決策なのでしょうが、時代はやはり「個人」を中心に動いています。ですから私たちはいざというときのために、まずは最低限の「保険」という武装をしておきたいのです。いざというときに、一刻も早い捜索活動を(当人の承諾を得ることなしに)依頼できるのがベストですから。
●上記の支払いに加えて本人の入院・通院費用(入院23日、通院19日で合計約11万円)が支払われて保険処理は終わったようです。この部分が安いのは残念ですから通常の障害保険で処理したくなるのですが、むしろここで注目しておきたいのはこのケースが雪山ながら5,000円のハイキング保険で処理されているということです。ハイキング保険は夏の小屋泊り縦走(当然日本アルプスも含む)から森林帯での雪山登山、一般的な沢登りまでカバーされるので糸の会の行動はすべてハイキング保険の範囲内と考えることができます。今年の「b」にはこれまでの旅行保険の適応範囲外のものも多くなっていることと、やはりいざというときのための遭難保険が欲しいということで、年度会員にはハイキング保険(あるいは山岳保険)への加入を義務づけることにしたのです。これはたぶん、みなさんの周囲の、組織に加入していない山歩き大好き人間にもすすめられるカタチではないかと考えるのです。

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■1997.3.15──市野さんの「糸の会・活動大写真」鑑賞会

●糸の会の山行に参加されたときにいつも8mmビデオをまわしている市野武さんの最初の5回分が120分に編集されたとうかがったのは昨年でした。年が明けたらわれわれの山の勇姿を見せてもらおうじゃないかということで、その場所と時間がようやく決まりました。
日時——3月15日(土)19:00〜21:30
場所——東急東横線日吉駅下車・康楽飯店
会費——5,000円(糸の会振替口座にお願いします)
●上映分は以下の5山です。
[03]1_96.1.13——丹沢=大山三峰山
[04]2a_96.2.10——大月=九鬼山
[06]3_96.3.9——秋川=浅間尾根
[07]4a_96.4.13——秩父=武甲山
[08]4b_96.4.27土——大菩薩峠越え
●中華料理を食べながらの鑑賞です。康楽飯店は日吉駅を慶応大学の反対側に出て、扇形に広がる道の右はじを行って、日吉東急百貨店が終わる手前を左に折れたところです。電話は0120-014569。会食は1900から、ビデオは1930からの予定です。

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■1997.3.1-2──北八ヶ岳テレマークスキーの持ち物

■テーマ
●滑る感覚というのが、じつは山歩きに非常に重要なのです。そのトレーニング効果を求めて——というのは半分冗談ですが、冬に晴天率の高い北八ヶ岳で雪と戯れようというのです。ハプニング続出だった昨年の反省で、今年はスキーツアーのための純正講習会をおこないます。麦草ヒュッテの2代目・島立正広さんに講習方をしっかりとお願いしました。全くの初心者と、心得のある初心者とに分かれますから、どちらの方もご心配なく。去年だまされたと思った方も、もう一度、だまされてみませんか?
靴のサイズを事前に麦草ヒュッテに知らせます後出の一覧表を確認して下さい。


■持ち物
●足ごしらえ
スノトレ+ソックス+厚手のソックス+(中厚手のソックス)+貼るカイロ+スパッツ
*気温が-10℃級ですから、貼るカイロ(ミニ)を4枚(2枚×2日)、行動用として持って下さい。
*今回は歩くのは雪の積もった(閉鎖された)国道だけですから、登山靴は不要です。長靴型のスノーブーツでもかまいません。冬の山ではくスノトレはいくぶん大きめのサイズにして厚手のソックスをはくと快適です。
*麦草ヒュッテで借りるテレマークスキー用の靴というのは、革の本格的なスキー兼用登山靴と考えていただければまちがいありません。厚手のソックスのほか、中厚手のソックスも1枚用意しておくとサイズあわせに安心です。
*スパッツは「水仕事用腕カバー」を伊藤が何枚か持参しますので持っていない方も買う必要はありません。
*軽アイゼンなども必要ありません。
●行動着
登山用肌着(上下)+長ズボン+長袖シャツ+セーター
*上はTシャツでいいですが、タイツも必要です。厚さはあまり関係ありませんが、夜もはいたまま寝るということを考えるとドライタイプのタイツが快適だと思います。しかしウールのタイツ(ももひき)があればそれでもけっこうです。女子用の保温性のあるタイツでもいいと思います。
*保温用にここでも貼るカイロをあてにできるので、モコモコにする必要はありません。行動用の下半身暖房用貼るカイロ(ミニ)は4枚(2枚×2日)、それから就寝用に3枚(腰と足裏)あれば快適のはずです。
*ズボンと長袖シャツはウールかウール混紡のものできつくないものを。フリース(ポーラテック使用のもの)なら文句ありません。
*行動用のセーターは古いもので上質の薄いものがありましたらベストです。長袖シャツの内側に着ることも、外側に着ることもできるからです。
●オーバーズボンとオーバージャケット
*ゴアテックスのレインウエアを持っている人は上下をそれでかためます。スキーウエアもこれにあたります。
●防寒用品
セーター(フリース)+手袋+帽子
*しっかりしたセーターかフリースのシャツが防寒着として必要です。これは行動中には着ませんが、休憩時に引っぱり出すことがあるかもしれませんから、これだけポリ袋にくるんで、できるだけコンパクトにしておきます。イメージとしては非常用防寒着という感じです。
*手袋ははめたままザックの開け閉めができ、靴のひもを結べる薄手のものを探してみて下さい。絹やウールの薄いもので古いものがあったら引っぱり出してはめてみてください。これがかなり重要な道具となります。
*防寒用手袋はスキー用でも毛糸のあたたかそうなものでもけっこうです。この機会にというひとは登山用品店でフリースの厚手の手袋(ポーラテック200を使用)を買ってみて下さい。手も貼るカイロで暖められますからあまり心配する必要はありません。
*重要なのは手袋には内側の手首のところに10cmほどのゴムひもの輪をつけておくこと。手袋を外したときに手首のところにぶらさがるようにしておきたいのです。これはきわめて重要な安全対策になります。冬山では手を凍えさせないというのが全体の安全と快適につながるので現地でいろいろやってみましょう。
*帽子は耳までおおえるものでなくてはいけません。毛糸の普通の帽子でけっこうです。
●安眠確保のために——耳栓+(ゴアテックス・シュラフカバー)
●小物
地図+時計+ポケットライト+(カメラ)+(双眼鏡)+ポリ袋+貼るカイロ
*ポケットライトは道に迷ったときのためではありません。山小屋の夜に、トイレに行ったり、ザックの中を調べたりといった手元の仕事用という風に考えて、できるだけ小さくて軽いものを。
*ポリ袋は荷物の整理用として、手つきのもの何枚かと、30リットル級ゴミ袋を1〜2枚を濡れもの整理、濡らしたくないものの防水用として使います。ほかに70リットル級の業務用ゴミ袋を1〜2枚。これは雪上で休んだときに多目的装備として活用できるかもしれません。
*貼るカイロはミニサイズだけにしてください。最低10枚、装備に不安のある人は20枚用意しておいて下さると、寒さに起因する苦痛はほとんど回避できます。
*なお、雪の中で気分良く腰を下ろしたい人は、クーラーバッグなど、片面を銀色にした保温シートの座布団を用意しておくといいでしょう。
●食べ物・飲み物
1日目昼食と昼食用飲料+2日目昼食と昼食用飲料+おやつ
*1日目の昼食は雪のメルヘン街道を歩きながら食べたいと思います。約2時間、散歩気分で歩きます。保温水筒に暖かい飲み物を入れておきましょう。*行動食としては、ポケットに入れておいて歩きながら食べられるようなもので食事代わりの満足感を得られるものを探して下さい。クロワッサンやカステラ菓子、乾燥フルーツ、ナッツ類などから連想していくと、いろいろ思いつくのではないかと思います。
*2日目の昼食はスキー講習の内容との関係でいまは未定ですが、外で食べられる行動食を用意しておいて下さい。
●着替えとザック
*スキー講習会のときに、ウインドブレーカーや水分を持っていけるサブザックがあると便利です。ウエストバッグなどでも、もちろんけっこうです。
*防寒衣類が入って、しかも1泊分となるとザックはふだんより重くなりますが、今回はメルヘン広場から麦草ヒュッテまでの6kmの往復だけです。昨年、ザックを背負ってスキーで下ったことから大トラブルが発生しましたが、今年もそういうことが発生しないとも限りません。軽量化の努力はだいじです。
*それから、冬山用ですから、行動着を着ていると、列車内で暑くてかなわないというようなことになりかねません。温度調節の幅を大きくとれるよう、いろいろ考えてみて下さい。
*となると、ふだん小さなデイパックでやってきた人は、装備が入りきらないということにもなりかねません。そういう人は、この機会にウエストベルトつきの本格的な登山用ザックをお買いになってはいかがでしょう。山小屋泊まりに使えるザックには、小さくても30リットル級、できれば50リットル級でしっかりした腰ベルトがついていて、荷物が少ないときに薄くでき、天蓋がきちんと閉まるものを探します。
*買うときには、恥ずかしいかもしれませんが、見本のザックを背負わせてもらって、まず肩ベルトをめいっぱい締めたときにきちんと締まるかどうか、肩ベルトをゆるめた状態で腰ベルトを腰骨のところで締めたときに気持ちよく締まるかどうかだけは、きちんと確認しておいて下さい。肩から腰までの長さがないと、ウエストベルトがついている機能的な価値が半減してしまうので、どうしても「大きなザック」でないといけないのです。それを大きすぎないように使うのがテクニックになるのです。あとはできるだけ安くて、デザインのいいものを。
●靴のサイズ
*混乱を避けるために、登山靴ではなく、通勤靴や運動靴のサイズを教えて下さい。ワンサイズ上のものを用意してもらい、実際に履いて決めます。悩んだら大きい方のサイズにしておいて下さい。サイズ覧が□印の人はファクスなどで教えて下さい。

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■1997.2.5──いただいた手紙

■M.清川さん——1997.1.14
●1/11の山行は、晴天に恵まれ、本年最初の「糸の会」にふさわしいものとなりました。
●雪に覆われた山肌の陰影もくっきりと、裾野まで大きく美しい富士山を見る事ができ、清らかな気持ちになりました。
●風もなく暖かく、富士山と対面しながらの昼食は「贅沢な休憩時間」でした。思っていた以上に雪がありましたが、特に不安な所もなく、最後はさすがに真っ暗になりましたが、満天の星空を見ることができました。
●今回、キャンプ場を出て、「プロの道」に入った最初の登りで、歩幅を本当に小さくし、いつも以上に身体を上に持ち上げるだけの感覚で歩いてみました。たいてい、登りの最初の30分〜1時間がきつくて、お腹が空いてたりするともう息も絶え絶え状態になるのですが、今回は、キャンプ場からの歩きでウォーミングアップが充分だったこともあるでしょうが、殆ど汗もかかず、息も切れず、不思議なくらい楽でした。(2年も前から言われている事を、わかっていたつもりでしたが、今頃改めて実感している私を、お許し下さい。)
●ストックを使うことで、姿勢が前屈みにならず、身体を楽に上に持ち上げられるような気がしました。
●次回も富士山を見ることができるよう祈っております。


■K.西沢さん——1997.1.16
■1月11日実施の天子ヶ岳に参加して
●約3カ月余のブランクと腰椎からの足の痛みが完全には解消していない中での山行きは大変不安でした。しかし、先生からいろいろお話を伺い、ご教示を頂き、自分自身痛みがあっても継続する意義を見いだし、思い切って参加致しました。下山時に足の痛みが増しましたが、幸い歩けなくなるほどの痛みではなく無事帰宅できましたことほっと致しました。
●当日は、とにかく“歩幅を狭く、足をフラットにおき、膝のクッションを使って歩く”ことをしっかり頭に置き、一歩一歩それを確認しながら歩いたつもりでしたが、やはり、長年の癖が抜けず歩幅が広くなったようです。
●翌日はダブルストックを使っての多少の腕の痛み、そして久しぶりに歩いた為の筋肉痛はあったものの、それも1日で解消し、むしろ、運動した後の元気を体に感ずることが出来ました。又、登山による腰椎への影響もなくほっとしております。
●と言っても、立派な腰椎すべり症と言う病名も頂いている現状に変わりなく、それといかに付き合っていくかが今後の課題です。
●長い間参加出来ずご迷惑をおかけ致しました事をお詫び致します。又、いろいろとアドバイスを頂き本当にありがとうございました。無理をしない範囲で引き続き参加させて頂きたく思っております。


■T.大森さん——1997.1.17
●富士西麓=天子ヶ岳は“春日お天気神”のお陰で穏やかな冬の1日を雪化粧の日本一の山を間近に見ながらの贅沢な登り下りでした。
●急斜面の雪道もアイゼンとダブルストックを使って調子良く歩くことができました。ダブルストックを使うようになって、手の浮腫がなくなりましたが、顔の浮腫は翌々日まで残ります。水分が不足だったのでしょうか? それとも歳のせい?
●さて、先日いただいた「キヤノン通信64号」(特集・ハートレイト=心拍数でガイドする八ヶ岳・赤岳登山)を大変興味深く読ませていただきました。そしてこの様な体験をさせていただいたことに感謝いたしております。特に阿弥陀岳の登りは高く評価していただき嬉しく思います。
●リーダーのご指導のお陰で、私なりの歩きが徐々に出来てきたのだと思います。あせらず、じっくりと山を味わいながら、そして呼吸法も重要かと思います。そしてリーダーのおっしゃる変化のある歩き方も少しずつ挑戦しております。
●しかし急斜面の下りの時の前傾姿勢にして、バレリーナになった気分はまだ合格しておりません。以前からの私の課題です。


■E.長谷川さん——1997.1.23
*伊藤・注——長谷川さんは朝日カルチャー千葉の生徒さんですが、昨年1年間ほとんど雨だったことの元凶と強く疑われていたひとです。糸の会では9aの桧洞丸に初参加。晴れ男の春日さんと競り合って稜線の右手に陽射し、左手は横殴りの嵐というドラマチックな天候を出現させ、ついに下りは集中豪雨。下りてみたら下界はほとんど降らなかったという信じられない最強の雨女と後ろ指さされつづけたのでした。10sの尾瀬でも、最後の最後でポツポツときた数分後に篠つくような強い雨。ただの雨ではなく、劇的な雨というところがキワメツキなのです。糸の会の今後の天気にも少なからぬ影響を与えるであろう長谷川さんからの、天気に関する速報が入ったのでご紹介します。——
●いつも楽しい山歩き、ありがとうございます。
●さて朝日カルチャー千葉の97年度の第1回は、なんと劇的な100%の快晴。誰もが認める雨人間としましては、後のない大ピンチに逆転満塁大ホームランをカッ飛ばしたような爽快感がありました。やったぜ!!
●丹沢の大山は信仰の山でもあり、山頂の阿夫利神社も、人々からのいろんな願い事の中に雨乞いもあると聞き、ちょっと場違いかな? と思ったりもしたけれど、文字通り眼下には相模平野、間近にさえ思える大島、そして房総半島も見える大展望が広がる様子に、大満足。この大展望は日暮れまで続き、下山の途中、あたりは日影が広がってゆく中で、一部太陽に照らされている部分はゴールドがかったオレンジ色に明るく輝いてさえ見えました。また日没後、暗くなった夜道では山間から、月がまあるく、こうこうと私達みんな(いいえ地球人みんなにでしょう)を導いてくれているように明るく、遠くその向こうには人の暮らしの感じられる町のあかりがキラキラと、まるで宝石のようでした。


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■1997.2.5──4月から糸の会のかたちをすこし変えます

●みなさんにいろいろご迷惑をかけております。もうしわけありません。いくつかの問題点を解決して、糸の会を今年はもう少し活発にやりたいということから、新しいかたちを考えました。山の行き帰りや宿でそのときどき相談させていただいていますが、概観をまとめてみますので、ご意見をいただければ幸いです。
●aとbは(記号は変わるかもしれませんが)基本的にこれまでと同じです。ただ、「年度会員」というかたちで参加範囲を限定させていただきたいのです。
●4月から1年間の会費(1万円)を払っていただき、個別に年間の山岳/ハイキング保険に加入していただいた方を「年度会員」として、固定化させていただきたいのです。年度会員でなくなった方には、その時点で「残金」を清算します。
●「実働会員」を確定したいというのが一番大きな理由です。年度会員の方には全ての通信物をお送りします。通信をもっとスムーズにできるよう、努力します。なお年度会員に途中から登録する場合は、3月までの残り月数に1,000円を掛けた会費をいただきます。
●保険はいくつかの候補の中から選んでかけていただければけっこうで、年額5,000〜7,000円です。従来の保険料徴収はなくなりますから、保険は個人で掛けるという方式に切り替わるだけとなります。
新しくf=freeという山行を、年度会員でない方や初参加の方のために用意します。
●これまでのaの「足慣らし」的役割を第3土曜日のcfと平日のwfに移行します。このfシリーズは糸の会への新規加入の窓口であり、本格的会員にならずに山歩きをしたいという方のためののものです。
●このfシリーズはグレードアップしません。繰り返しを恐れずに入門編だけを企画します。伊藤流の実技講座を徹底できる場とするために、人数的な限定(20人以上にはしたくありません)も加えたいと思います(これは講座料5,000円+保険料500円という講座料を考えています)。このfシリーズに年度会員の方が参加されることは拒みませんが、人数を限定させていただくことがあります。
●構造的な変更はこれくらいです。例外的なものであるsシリーズについては臨機応変に、と考えています。ですから今回の変更は、糸の会に内と外を分ける低い垣根をつくるというふうに考えています。
●じつは1年やってみると、aの企画がむずかしくなってきたというのが正直なところなのです。かといって同じ山を安易に繰り返すわけにもいかず、fシリーズという新手を考えたというわけです。aはいくぶんハードな日帰りにグレードアップして、地味な山も積極的にやりたいと思います。
ご意見、ご要望などありましたらいつでもお教え下さい。こちらではものごとをあまり確定的に考えていませんから……。

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■1996.12.10──いただいた手紙

■T.大森さん——1996.7.31
●夢であった白馬岳、大雪渓を経て色とりどりの美しい高山植物、頂上に立った喜び、すしづめの山小屋、無事下山できましたことを感謝致しております。ありがとうございました、只今、満足感でいっぱいです。


■K.磯部さん1996.8.1
●7月23日付「糸の会」案内をどうもありがとうございました。
「心拍計の話」も興味深く拝見しました。当日仲間と話しました(明神ヶ岳での休憩とその後)。おいしい飲み物が大量でしたので「あれだけで私達のザックと同じ重さになってしまう」「おまけに写真の重さ」etc. 厚くお礼申し上げます。
「心拍数」に就いては、私も高齢者の場合はといういことで、1年かけて少し学びました。
●心肺機能の問題と、腰痛対策(これは難しいです)のつもりの研修でしたが、その行為はその後も可能な限り続けてはいます。オリエンテーリング参加目的のためと言ってもよいでしょう。
●年とりますと、急に発進ができませんので、1ヶ月、2ヶ月前から行動をしなければなりませんので。
●もう一つ「血圧のため」という名目もあって、速歩、ジョグ、並足のリズムでの行動も加えてもいますが、心拍数が一つの目安であることには変わりません。
●明星ヶ岳への登りを超スローモーになさったというお話ですが、私にはそれで大変助かっています。(言い方を変えますと、それだけ若い方にはご迷惑をかけているということでしょう)
●また、参考にですが、その日の登りでもきついところは本当にマイペースでエネルギーのゆるやかな消費のために1歩1歩の登りを教えていただいた通りの(自分ではそう思って)膝つかいで、足を運びました。当然、前を行く人との間隔ははなれてしまっています。が、あの日はよくできていたものでして、少しゆるやか、または平らなところでは教わりましたようにリズムは余り変えないで歩幅で調節していますと、次の登りで前の人に追いつくという姿でした。
●次に私の体験ですが、主として山行または速歩歩きのときのことです。はじめの20分から30分が非常にきついです(それがなだらかな登りでも).
それが過ぎますと、あとは持続するようです。(心拍数と息づかいが少し安定するのでしょうか)
●いつぞやの両神山の際、朝早出で、まだ登りにもかかっていない1ピッチ目の休止のとき、心拍数を計ったとき、他の人は70台〜90台位であるのに、私は120でした。
●何かで聞いたか読んだことですが、はじめの20分か30分かは無酸素運動であるとか、この点先生はどう思われますでしょうか。これが私の言う最初の20分か30分がきついことの証なのでしょうか。
●ごく最近(7月)の例ですが、家の近くの市民の森コース(同封のレポートのコースも含みます)を1.5kmを無理のない速歩で歩き(往き)ますと、復路は平地またはゆるい登りをジョギングしても苦にならないようです。はじめの20〜30分の件は年齢のせいかとも思ってはいますが、よくわかりません。
●心拍数を余り気にしてもおかしいのですが、自分の疲労、あるいは無理の程度を確認する意味では大いにとり上げてよいと私は思っています。
●水泳の折にも一泳ぎの後、測定し、歩きで調整をくり返しています。
●近頃は測定しなくても心臓の鼓動、息づかいでその程度がつかめるようになってきているようです。


■H.鈴木さん——1996.8.2
●いつもメッセージを送っていただくばかりなので、雑然とはしていますが気がついたことを書きます。

■白馬岳行動のメモ
●16:25ころ、白馬山荘に到着。受付を待つ。
●16:35ころ、小池さんがくれたビールを飲む。
●16:50ころ、ビールを買って皆に配る。自分も飲む。自動販売機が、釣り銭不足のため、小銭しか受けつけなくなっている模様。1号館のトイレに行く。
●17:25ころ、部屋に入る。まだ誰もいない。春日さんと、とりあえず布団を敷いて皆のスペースを確保する。横浜組が別の部屋だとわかり混乱。知らない男女の2人組が、この部屋なんですけどと入ってくるが、雰囲気を察して廊下に退避していく。結局、糸の会11人が6畳に寝ることになる。誰が押入に寝るかなど、わいわいがやがや。
●18:30ころ、食事の予約をしなかった小池、井上、甲谷さんがレストランに行く。ここで小さな「事件」発生。一緒に行っていいかと小池さんにたずねたら、今日は自分一人のことで精一杯だからという理由で断わられたと、甲谷さんが憤慨しながら戻ってくる。荷物からパンを取り出して食べるが、なかなか怒りが収まらないようす。
●19:00ころ、甲谷さんを小池さんから離す方針でおのおのの寝る場所を確定。身辺整理にかかる。私は布団と布団のさかいめに寝ることになったので、シュラフカバーにはいることにする。そのうち小池さんたちが帰ってくる。「事件」について小池さん自身は気づいていない様子。真相はわからない。
●19:45ころ、皆で話し合い、食事まであと2時間も待てないということになり、レストランに行く。
20:05ころ、夕食を食べ始める。
20:45ころ、トイレをすまして、部屋に戻ると、小池、井上、甲谷さんはすでに布団のなかでうとうとしている。ポケット・ウィスキーを飲む。
22:00ころ、暑くて眼を覚ます。なるべく音を立てないように、靴下を脱いだり、脇のジッパーを開けたり、ウィスキーや水を飲んだりする。寝息、隣の部屋のいびきなどさまざまな音を聞く。
0:00〜1:00ころ、再び眠りについたようだ。
3:40、腕時計の目覚まし音で目覚める。

■白馬岳での心拍数について
●のぼりにかかると、息が切れ始める。心拍数がどんどん上昇する。つらいと思う。あまり前方を見ず、歩幅を狭くしながらしばらく耐えていると、つらさがやわらいでいく。心拍数も落ちついてくる。さらにのぼり続けると、再び心拍数は上昇するが、はじめほどの数値にはならない。
●心臓の側から見ると、のぼりが始まると、肉体が必要とするよりも多めの酸素を送る。ようすをうかがいながら供給量を減らし、さらに不足分を補うかたちで適正値に近づいていくという印象。
●つらさに耐えていると、少し楽になる時がおとずれるという発見。金時山で、高校の剣道部以来の限界を経験したおかげで、少しはつらさを客観視できたせいかもしれない。

■アイゼンについて
●アイゼンをつけると、アイゼンにたよる歩き方になってしまう。28日のくだりで、足に無理な力が掛かり苦しい時間があった。課題として自覚。

■体重のこと
「糸の会」に入った当初は、1回の山行ではっきりと体重が減ったが、最近では、目立って減少はしない。たっぷりとした水分と栄養補給のせいか、簡単に減らせる脂肪はおちてしまい、身体が別の段階に入っているのか、観察をつづけようと思う。

■混雑時の最後尾
●どちらかというと、列の後方を歩くほうが自分の性分にあっているようです(後述するカメラのせいもある)。今回のような混雑の中で最後尾を歩くと、背中にぴたりと他の集団が貼り付きます。われわれの列が、花を見るなどで立ち止まると、すかさず「立ち止まらないでください」と、うしろから声がかかります。私たちの列が監視されている気分です。
●なぜ列が止まるのかは、最後尾からは即座にはわかりません、背後の50人近い集団からは「なにやってんだ」という舌打ちが聞こえてきます。伊藤さんがケーブルカーのようすを見に先発したあと、列後方の状況を前方のだれに伝えたらよいのかわからなくなりました。ひとりひとりの判断でさみだれ的に追い越させるべきなのか、集団として追い抜かせたほうがよいのか。実際は、2〜3人がわれわれの列に食い込んできてました。後方集団のリーダーがツアーの職業的なリーダーなら、ペースを稼ぎたいでしょうから、いらだつのも当然かもしれません。
●結局、春日さんに先頭に立ってもらい、まもなく道幅の広い場所があり、休憩をかねて後方集団を2組ほどやり過ごすことができました。
●多少なりとも集団の統率を強める方向へ動いたことが果たしてよかったのかどうか、自信がもてません。ひとりで歩いていると思うべきなのか、集団を意識するべきなのかで、私は迷ったのかもしれません。
●責任の分散ということを考えます。「糸の会」は、組織でない組織を目指しているようです(「写真の会」もそうですが)。責任を分散させたとたんに「責任」や「権限」の存在を認めるということになるという矛盾を内包しているのかなとも思います。サブリーダーをおかないという理由も、そのあたりに想像します。
●「約束の夏」が終わったあと、「糸の会」はどうなるのでしょうか。何人かから心配する声を聞きました。継続を前提にするのなら、伊藤さんひとりの負担が重すぎる気がします。写真を誰に見せ、誰がどの写真を申し込んだか、発送など、分担できる仕事もあるはずですが、ここでふたたび「責任の分散」に戻ります。
●現状では、経済的な面もふくめて、伊藤さんのボランティアにたよりすぎているという思いがします。
●伊藤さんのことですから、さまざまなことを考察済みだとは思いますが、混雑した山道を歩き、他の集団と肩をすりあわせてみると、自分たちの集団性もまた見えてくるということでしょうか。

■カメラについて
●カメラをもつべきかどうか。写真は伊藤さんから分けてもらえばよいのだから、カメラをもっていく必要はない。逆に、好きな瞬間にだけ撮れればよいという気楽さも捨てがたい。列の速度を妨げないように気を使うと、絞りもフォーカスも両方マニュアルのライカR6は厳しい。せめて片方はオートでありたい。できれば両方オートが望ましいが、EOS-1やF4は大きい。カメラが重くて疲労したのでは話にならないから、しばらくはコンパクトカメラを持っていこうと思うが、花などのクローズアップはお手上げだ。
●目標地点まで好き勝手に行ってよいときは、写真を撮る数分を稼ぐために、早いペースにします。列にいるとき、後方を好むのは写真の撮りやすさもあります。カメラに関しては楽しみながらいろいろ試してみたいと思います。

■追記
●回答を求めているわけではなく、こんなことがあった、こんなことを思ったという報告です。


■K.斎藤さん——1996.8.13
●天候にも花々にも大歓迎された白馬岳でした。思い出にひたっていると、ひとりでに顔がほころんできます。
●山頂で拾った石(ホントハ、イケナイコト?)に日付を記して飾りました。


■K.斎藤さん——1996.9.10
●爪先顛末紀
●白馬岳の帰途、両足爪先の痛みを訴えてリーダーを困らせた私は、数日後、とあるドラッグストアで「銅+アルミ配合による電気刺激効果抜群!」という歌い文句の「筋肉保護伸縮テープ」なるものを見つけ、もしやこれが次回山行時の秘密兵器として強い見方になってくれるのでは、と秘かな期待を抱いて飛び付いたのでありました。
●いよいよ明日は燕岳へという前夜、同行の皆さんと共に肩、背中、大腿、ふくらはぎ、足の裏と、体中いたる所にペタペタと貼りまくり、勿論最も心配な爪先も、1本ずつ丁寧にテープでくるみ、これで安心、地図上いかにも恐ろしげな、あの三股の下りもこれでなんとかなるのではと、いざ決戦に備えたのであります。
●結果は? 可憐な花々と清らかな流れに囲まれながらの一の沢コースに変更になった(コレハ、ホントニアリガタカッタ!)にも拘わらず、帰宅後の数日間というものスリッパも履けない有様で、哀れな親指の爪は紫から黒へと変色して現在に至っているのです。
(例のテープの名誉のために付け加えれば、お蔭で今回は筋肉痛がほとんどありませんでした)
●何人かの方も履いているローバー軽登山靴で、何故私だけ毎日こういう目に遭うのか?
●カモシカスポーツのOさんの診断によれば、ローバーは元々皮革が柔らかい方だが、購入後1年2カ月とは思えないほどクニャクニャになっていると首をかしげ「この靴では日帰り登山はともかく、長い山行は一寸無理なのでは」ということになりました。
●それを聞いてナルホドと私はむしろ納得してしまったのです。
●思い起こせば1年2カ月前、あの豪雨の北八ヶ岳で、新品のローバーは芯から底までたっぷり水を含み、完全にふやけてしまったのでした。耳まで酸っぱくなる程「運動靴、運動靴」とのリーダーの教えに背いたバチが今ごろこんな形で現われようとは——。
●ま、今までのモヤモヤした疑問が晴れ、一歩前進したのかな、と思っています。
●ローバーご愛用の皆様、呉々も雨には御用心を!!——


■Y.中西さん——1996.9.11
●郵便受けから「糸の会・伊藤幸司気付」という封筒を取り出したとたん、「やっぱり! 先生は登山教室を持ってはってんワー」と、他の郵便物には目もくれず封を切りました。
●気が急いて、ゆっくり読めないまま、ざっと目を通してみて「言うてみるもんやなあ」と思いました。それは、そごう(八王子そごう&多摩そごう)の国師岳をキャンセルした時、都留さんにTELで、伊藤先生の主宰なさる登山教室はないのかしら、と話したからです。彼女が私の気持ちを伝えて下さったのかしらと思ったらそうではなく、先生が自発的に送って下さったと知り、これまたうれしくなりました。
●すぐに19aを申し込みたくてうずうずします。でも、迷っています。実は15〜16日と北岳に行くことになっています。自分でも「突然なぜ?」ととても不安です。ブナの林の中を歩く方が、私には向いていると思いますし、北岳をキャンセルして、檜洞丸にしたいのですが、もう少し早くこの案内が届いていてくれればと、悩んでいます。


■I.甲谷さん——1996.9.13
●今度こそaコースだけでも続けて参加しようと思っていたのですが、調子があまり良くないのと、雨がふりそうなので、申し訳ありませんが、キャンセルさせて下さい。


■K.奥田+T.井上さん——1996.9.13
●明日の山行(檜洞丸)は、天候により欠席するかも知れません。集合時間に不在の場合は欠席と判断して下さい。


■K.吉沢さん——1996.9.14
今日は参加しなくてどうもすみませんでした。非常に楽しみにしていたのですが、今朝も夜明けから天気を聞いたりして、1日中雨という予報で、出発時間まで迷い、結局やめてしまいました。
●東京は11時頃太陽が少し差したりで、行けば良かったと思ったり、雨が止まないのでこれで良かったのかと思ったり、1日中落ち着かない気持ちで過ごしています。連絡しなくてすみませんでした。


■T.都留さん——1996.9
●先日は当日になって欠席してしまい、大変申し訳なく思って居ります。朝5時に起きましたら八王子は大変な雨で、家人に止められて泣く泣くまた、床の中に入ってしまいました。次の折には雨にも負けず出席いたしたいと思っていますので今後ともよろしくお願いいたします。


■Y.春日さん——1996.9.26
●ハートレイトモニターグラフを送っていただきありがとうございました。
●自分では心拍数をコントロールしながら歩いたと思っていたのですが、鈴木様との乖離差からみるとその効果はでなかったようです。しかし、変動傾向は2人共似ているので、まるで地形図の等高線上を動いているように思えます。いい登山記録になるなアと思うものです。160(毎分160拍)台が続くとかなり苦しい登りになります。150台ではほどほどのつらさ、140台ではいい登りと感じております。
●この苦しい登りが今の私の悩みですがこれが心拍数から起こっていると知って、歩き方に問題があることに納得しました。
●心拍数を落とし、汗をかかずに歩くことが身につけば「自分の山歩き」が見えてきそうに思えるのです。


■K.磯部さん——1996.9
●早朝発の常念岳への行動では大変ご迷惑をおかけしてしまって申しわけありませんでした。大体夜歩行が下手なのでしょうか、よくわかりません。
●その時の現象を参考に申し述べておきます。後日ご教授いただけますならば幸いです。
●歩きはじめて早々から、すぐ後ろの女性の方が親切心からでしょうと思いますが、何となく私の足元近くに灯火先をあてて下さっていたのですが、私の脚の影で自分の足元が全く見えない有様でした。1.5m位前を歩く伊藤義子さんの足元の段は私にもよく見え、伊藤さんが実にゆったりと足を運んでおられました(伊藤さん自身は無灯火)。私がそこまで歩んで段を登ろうと思っても、適格な歩幅の判断のなさもあるのでしょうけれども、その位置に近づきはじめると前述の脚の影で全く不明となり、足で2、3度さぐっては岩石にのせたり、爪先だけが載ってしまったり、また、バランスも極めて不安定となり、一歩目は仮に載っても2歩目の予測がつかない始末で、急登あるいは長距離時の疲労とは全く異なるひどい疲労感におそわれ、このまま続行したら動けなくなると思って、「すみません、足のかげで見えないんです」といってしまいました。また具合が悪いことに(親切心からでしょうと思いますが)点け放しでしたので——全く時々、自分のライトを照らしはしましたが——、脈拍計を見てみればよかったと反省しています。
●私が言ったその返事として「すみません」と言われて、灯火先をご自身よりになおしていましたので、意識しておられたのかもしれません。
●ただでさえ、はじめの20分はしんどいのに、斯様な有様でしてすっかり参ってしまいました。3、4年前でしたか、長距離ナイトウォークに2度参加した折に体験しましたので、私はもし灯火するならば、全く自分の足元か、または少しうしろ側に照らすようにしていました。


■M.清川さん——1996.10.1
●数カ月前より幾度となく、前哨戦と称する設定がなされて、乗り越えなければいけない課題のようだった「赤岳」は、さわやかな秋晴れのもと、実に美しい山歩きでした。懸念のクサリ場も、ロープを動かすことに気がいき、恐さを感じるゆとりがありませんでした。これも、晴れて風もないという、天候に恵まれたおかげでしょう。
●雪化粧した富士山をはじめ、360度の素晴らしい展望を味わうことができ、本当に幸せでした。また、赤岳鉱泉の格別贅沢な就寝環境も、快適な山歩きができた要因のひとつだったと思います。
●赤岳から下る途中、振り向き仰いだ岩稜の大きさ、忘れられません。
●阿弥陀岳へも登ることができ、帰りの温泉と引き換えでも十分満足できました。
●行者小屋からの沢沿いの下りも、黄葉の樹林のなか、気持ち良く歩くことができたのは、行者小屋の味噌ラーメンのおかげでしょうか……。
●大変お世話になり、ありがとうございました。[祝*糸の会発足1周年] 2年目も引き続きよろしくお願いいたします。


■K.西沢さん——1996.10.2
●ハートレイトモニターのチャート昨日受取りました。ありがとうございました。
●良い体験をさせて頂きました。自分をコントロールするには大変良い機器だと思います。
●登山中メモを取らなかった為、間違いかも知れませんが、思い付くままチャート上にメモ致しました。これは余談ですが、鈴木様の上下動があまりにもはっきりしているのに驚きました。やはり鈴木様はお若く心臓がしっかりしているという事でしょうか。
●さて、私の足の問題ですが、この痛みは背骨から来ているようです。腰椎の下から4番目が曲がっており、それが神経を脅かしているのではないかとの医者の診断です。痛みがなかなか取れないようであれば再検査するとのことです。大変なショックであり、大変残念なのですが暫く山行は見合わせざるを得ません。取りあえず、10月12日の御前山をお取り消し頂きたくお願い致します。それ以降につきましては追ってご連絡申し上げます。


■Y.宇田川さん——1996.10.9
●秋の尾瀬の素晴らしさに、大感激いたしました。
●ダブルストック使用のためでしょうか、足の筋肉痛は全く感じず、これからの山行には持ち物として持参しようと思いました。


■Y.中西さん——1996.10.13
●どんな方々がいらっしゃるのか、多少気にしながらの初参加でした。よく歩いている健脚の方が多いなあと、登りがきつくなると、その都度感じました。
●事件(?)が起きても、静かにいつの間にか解決されているという信頼感も感じました。
●それと、目さえ慣れれば、夜空というのは、意外と明るいということを知りました。それにしても、最後は夜陰に乗じて逃れようとする落ち武者を追っかけているような気分で、はやく追いつきたくて、歌など歌いながら勢いよく歩きましたが、それがまた、けっこう楽しくもありました。
●温泉もおそばも横目に、帰路をたどりまして、家には8:50に着きました。


■A.田中さん——1996.10.22
●御前山での怪我についてご報告します。診断名「右小指中節骨々折」。レントゲンではこの様になっています。この辺の骨が剥離したのではないかとの事でした。現在は湿布と副木による固定をして居りますが、何かに当たらなければ痛みも感じませんので不自由さを我慢しながら普通の生活をして居ります。当分は経過観察のために週1回の通院です。


■T.都留さん——1996.10.30
●先日は御前山に参加させていただきありがとうございました。
●糸の会の皆様がどんな方々か解らないまま、とても不安な参加でしたが、何とか無事に山を下りることが出来とてもうれしく、少し自信もつきました。中西さんも一緒でしたので、糸の会の皆様ともすぐ言葉を交わすことも出来、楽しい1日を過ごせました。
●班のリーダーを務めて下さいました田中さんは帰り道、手におけがをしましたのに、とても明るく、多摩湖畔では歌など唱って元気を出しましょうと、暗いのでその力も借りて大声を出し、歌いながら歩きましたら、とても、又、新しい元気が出るものですね。
●ダブルストックの件です。初めは手がうまくおさまらず少々苦労しましたが、だんだん馴れれば左右上手に入る様になり、登り始めのきつい坂道もなんとか皆様について行けました。
●歩く調子とストックがうまくかみ合って歩ける様な感じになりましたのは1日の終わる頃でしたが、登りも下りもとても手の力を使えば楽な歩きになる感じがしました。
●自然な全身運動につながる様になると思いましたが、時々だらりと両手をさげると後に続く方の迷惑になるのではと心配しました。手を振る先にストックがあると云う自然な気持ちが持てるとしめたものだと思いました。
●少しすべり気味の下り道も何の不安もなく歩けたのはダブルストックのおかげだと思いました。これからストックの力も借りて少しずつ山に登りたいと思っています。1日中お借りしましたストックありがとう存じました。


■H.加瀬さん——1996.10.23
●先日のスペシャル尾瀬は大感激の連続でした。御世話様になりました。
燧ヶ岳の登山がなければ、回りの山々もあのひろーい尾瀬ヶ原の秋景色も違ったものでした。秋の景色を独り占めと思ったのは私だけでしょうか。
●帰宅後、友人に尾瀬から戻りましたよと話をしましたら、月曜日の8時頃何処にいたの(?) TV朝日で尾瀬ヶ原を中継していて、細い線がみえて、そのうち木道だとわかったの。人影も見えたのでしっかり画面を見つめていたらペアでした。団体さんではなかったわ。でもすごーいきれい、と感激していました。白砂湿原で朝食後まもなくヘリコプターの音がしていたのはTV中継でした。
●御池のバス停でカメラを持っていたオジサン(?)は年14回は尾瀬に来るとの事でした。
尾瀬は皆を魅力する所なのですね。
●写真の出来上がりが楽しみです。


■T.林さん——1996.10
●先日は「尾瀬」に参加させていただきました。ありがとうございました。
●はじめてお会いするメンバーと、はじめての山小屋泊り。他人の中で、自分は、どのようにできるのかを、ためしてみたいというきもちもありました。
●尾瀬の風景は、すばらしかったですね。ほんとうに。
●山に行ったときに思うのは、自分が軟弱である、ということです。たとえば、山でのトイレがこわい、とか、歯みがきの水がたりない、冷たい、とか、手が充分に洗えないと疲れる、とか……。常日頃、なるたけシンプルなくらしをしよう、とか、ものを多くもって生きるのはやめよう、とか、頭で考えているわりには、全くもって、軟弱だということをいつも知らされます。
●足腰がよわいとは決して思ってはいませんが、精神的にもろいです。もっとかっこよく、人間の基本的な生活を、さり気なく、さり気なく、できるような人になりたいと、私は考えていますけれど。
●日常のくらし方が軟弱といえば、軟弱なのでしょう。ほんとは何日もお風呂に入らなくても平気とか、下着をとりかえなくても平気という人に、私は憧れていますが……、その辺のところが、全くだめです。選択の問題だとは思いますが。
●尾瀬のあと、10月10日〜11日と、1泊で北八ヶ岳に行ってきました、夫と息子(22歳、大学生)の3人で。茅野駅→渋ノ湯→高見石→白駒池→高見石小屋泊。イエス・キリストみたいな御主人はるすでした。翌日は中山→天狗岳→黒百合ヒュッテ→渋ノ湯(温泉に入り、ビールで乾杯)→千葉、というコース。
●山小屋で働いている人とオシャベリしたりドブロクをのんだり、若い1人で来ていた女性ともオシャベリしたり、しあわせなことに、山小屋ではぐっすりと眠ることができたり。——但し、トイレは、ホント、ふるえました。
●中山でみた山々の素晴らしさが、最高でした。空と、雲と、山々と、木々と、そして、点みたいに小さい我々と。——かもしかもみました。
●山はとてもシンプルですネ。お水と、小さいおにぎりと、あめ少々。何ももたずに歩くのみ。自分の感情をすなおに表現できる。ころんだり、すべったりして、ぶざまでもある自分。ほんとはかざりなど、何もいらない。山はたのしい。木のにおいと、風のにおいと、水。そしてみんな素直だから「みんな好き」と思ったりする。
●人間はみな、よわくて、小さくて、ぶざまですヨネ。そこが良いのでしょうか。


■K.西沢さん——1996.11.6
●腰椎からの下肢の痛みはなかなか解消いたしません。かなり快方に向かってはおりますが完全に痛みがなくなるまでにはもう少し時間がかかりそうです。ある程度の痛みがあっても思い切って出掛けてみたらとも思うのですが(腰椎のダメージを知らなかった時はもっと痛くても歩いていたのですから)、一度この様な体験をし、時間的ブランクができますと不安が先立ちだいぶ臆病になります。もう少し時間をかけたいと思います。
●最も紅葉の美しいこの時期、山に行けず残念でなりません。「頑張ってしまった結果、体にきたしわ寄せ」と深く反省しながら先生の『初めての山歩き』を勉強しています。そして、できるだけ早く参加できる日を楽しみにしています。


■K.山川さん——1996.11.7
●瑞墻山の山容を絵葉書で見て是非行って見たいとずっと思っていました。
●10月27日早朝、5時25分に宿を出発。
●夜空にオリオン座や北斗七星が輝く下で準備運動は始まり、早朝と言うよりは夜と朝の間と言った方がピッタリで、冷たい空気に背筋をシャンとさせて歩きだしました。2、3日前十三夜だった月が私たちを背後から照らしている中を予定の山道ではなく車道を行く事になりました。
●歩きはじめて間もなくうっすらと明るくなりはじめてきました。紅葉が美しい! 靴底で落ち葉をカサカサと踏みながら、また木々からはハラハラと散り、舞い降りる落ち葉を頭や肩に受けながら「ウ〜ン、私は秋の……」これは書くと笑われそうなのでやめます。
●途中松谷川に下り橋のそばで朝食、増富温泉を出発した時より気温がずっと下がっているようで温かいうどんが冷えた体にうれしい温もりでした。
●瑞墻山荘からは登山道、富士見平までの回り道から見た荒々しい岩の山容が特別美しく見えました。なんて大きな岩の山なんでしょう。黄葉した木々も山の美しさを際立たせています。
●桃太郎岩という大きな岩も途中にありました。山頂まで巨岩ばかりが続きましたが思っていたよりは歩きやすく感じました。頂上からは八ヶ岳や南アルプスの山並みも見ることができ、すぐ目の前には南面のような岩山がそそり立ち、この絶景には大満足でした。また下りの道より望む瑞墻山は光の加減でしょうか、朝に見たのとはまた違った感じで楽しませてくれました。
●予定より25分遅れで瑞墻山荘前より車で増富温泉まで紅葉に歓声を上げながら戻りました。ゆったり温泉につかりタクシーを待つ間の皆さんとの楽しい会話の後、鈍行で新宿に帰ってきました。
●今回下山時に富士見小屋あたりから左膝が痛くなり、右手のストックを左に持ち替えて歩きました。次回はダブルストックでと思いました。ただ歩いていて前の人とある程度の距離を空けてストックの向きにも十分気をつけなければいけないと感じました。これからも膝の痛みを抱えながらも永く山歩きを楽しめたらと思いました。
●最後に今回の教訓「ため息つくよりストックつけ」は名言でしたね。次回の登山はどんな名言が生まれるのやら楽しみにしております。


■K.山川さん——1996.11.13
ダブルストックを購入して、今回本格的に使用しました。
●倉岳山は中央線鳥沢駅よりすぐ歩き出しました。かなりの高さにかかっている虹吹橋より川面を見下ろしたりしながら約2.5キロはアスファルトの道でした。貯水池辺りからが山道です。軽い食事の後、ストレッチをして登山開始。
●手の動きに足はどう付けるの? 手と足は同じに進めるの? それとも足踏みと同じに手足を左右違えて進むの? 登りと下りの時は? といろいろ試してみました。平坦な道は、足は2拍子、手は1拍子、急登は手足ともに1拍子。登りはストックを身体のやや後ろに突き、下りは前に突き、ストックの頭を掌で持ちました。
●歩行距離は10キロほどであまり長くはなかったのですが、雨上がりで道はけっこうぬかるんでいて滑りやすく急登もありましたのでストックに随分助けられました。尾瀬で使用した方に翌日筋肉痛が無いのよと聞いていましたので効果を期待していました。という訳で今回私もそれを実感することができました。腕の筋肉が痛くなるのではと懸念していたのですが心配無用でした。
●メンバーの中には、今筋肉を鍛えている最中なのでストックは使いたくないと言う方もいらっしゃいました。外国ではトレッキングにダブルストックは常識になっているとも聞きました。あとはスノトレを用意できれば足ごしらえは万全です。


■Y.中西さん——1996.11.27
●天気予報を裏切ってよい晴天となり、あこがれの雲取山は、やはりこんなにいい山であったかと感激致しました。紅葉(黄葉)していればそれはそれで声を出して喜んだでしょうが、裸木の為、山は明るくて、遠くも見えて、冬の為に準備しているような山の気配など、とてもよかったです。コースや季節を変えて、また登りたいと思います。小屋ではおふとんの敷き方を先生のおっしゃる通りにして、独りの空間が確保できて、朝4:30まで、よく眠りました。先生の方は遅くなった為かうまくいかず、眠りにくかったということですが、お陰様で生徒のありがた味を味わわせていただきました。
●澤の井で話をしたとき、私の水筒について、肩からさげていると危ないし、休み時間まで水を飲まないでいられるようにならないといけない云々と、注意をしていただきました。
●それには小屋の朝食の時に3杯ぐらいは、とにかくたっぷりと水分をとってから出発する、あるいは3日前から水分をたっぷりととっておくこと、などといわれました。
●もともとお茶飲みなので、家にいる時は2〜3リットルは飲んでいます。小屋では、水は不自由なので、朝はご飯の後1杯いただくのがやっとと思いました。私のあのアルミの水筒は900ml入ります。歩きながらも飲んでいますが、1回30ccくらいでしょうか、口をしめらす程度を何度もですが、翌朝までありました。バテない為には、飲みたい時に飲みたいだけ飲む方がいいとも聞きましたが、歩きながらも時々、お茶を飲めるようにと水筒をぶらさげて出かけるときは、やはり身に余る山かな? と心配が先立つ時なんです。
●往きの電車ですが、八王子を6:57の八高線で、東飯能7:41、8:08の西武に乗り換えました。その待ち時間内に1本鈍行がありました。8:08は満員でしたが、各駅に止まりました。それなら、1本前の鈍行で行って、正丸峠くらいで、次の電車に乗り換えると、その電車もすいてくる頃ですし、三峰口にも乗り入れるので便利なんだと分かりました。ずっと独りでしたので、バスの乗り場で先生の姿を見つけた時は、本当いってホッとしました。しかし、待つ人の列があまりに長いので、いっしょに乗れるのか、続行が出るのかなど心配しましたが、続行が出たのでなんとかなると、座ってゆられていました。下りたら、小池さん(女性)を見つけてまた、ホッ、そのうち何人かみつけてヤレヤレ。それにしても少ないなあと思っていたら、頂上でまた何人か。こうして三々五々の集まりとなるのだナ、と、自由と自立を感じました。
●荷物が重くて、新しいリュックで勝手がわかりにくいせいもあって、腰が重苦しい感じがしています。この時にギクッとならないように、そろりそろりと、昨日おとといと暮らしてまして、今日はほぼ解放されました。でも寒くなりましたので、やっぱり用心のため、貼るカイロのお世話になっています。
●早速、都留さんに電話してうらやましがらせてあげました。


■M.佐藤さん——1996.12
●瑞墻山、雲取山と参加させていただきました。どちらも、3、4回登った山ですが、時間をかけたため山を見回すことができ、初めて登ったような印象さえ受けました。
●時間をかけ、じっくりと登る山もいいものですね。
●さて、私の会社の人で曽根という方がいます。今まで全く山に登ったことはありません。私が山に行くことを知っているため、先日本人から「山に登りたい」との相談を受けました。そこで「糸の会」の話をしたところ参加したいと云っております。
●とりあえず本人のみの参加となりますが、来年4月ころからは奥様も参加したい意向です。
●「糸の会」も70人ほどの大所帯となり、伊藤様は大変だと思いますが、曽根氏の希望がかないましたらと連絡文を差し上げました。

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■1996.11.5──ちょうど1年

●糸の会の第1回の山行は昨年11月11日の高水三山でした。次の倉岳山(第22回)がちょうど満1年目になります。振り返ると、ずいぶん密度の濃い1年間であったと感じます。
●そういうこともあって、赤岳(第18回)と瑞牆山(第21回)の夜に糸の会全体に関する話し合いの機会を持ちました。何か結論を出すというようなものではありませんでしたから、私の立場で確認したことをいくつか列記しておきます。
★とりあえず1年間というようなことではなしに、続けられるところまで糸の会は続けていきたいと私自身が思い始めているということを表明しました。おつきあいいただける方はしばらくは続くとお考えいただいてけっこうです。
★ただし、あくまでも入門的な部分と、リハビリ的な観点でやりたいために、レベルは一定の線を越えないということ。夏の小屋泊り縦走から冬のスノーハイク、やさしい沢登りといった「ハイキング保険対応」の範囲です。残っているのは小屋泊りに準じたテント泊の体験ぐらいでしょうか。
★組織的なところで「なぜサブリーダーを置かないのか」という問題があります。それに関しては私自身にかなり深い思い入れがあるために議論の余地がないという一線があるのですが、これが一般的な「山の会」でななく、「山歩き講習会」であるという理解で、しばらく見てほしいというところです。冗談めかしていえば、「ダメなリーダーと、しっかり者のメンバー」というのが理想です。鈴木一誌さん流にいえば、組織と個人の間の「ボケ足」の中にはまりこんだ状態です。そこのところから、実はいろんな問題も生じてくれば、得るものもあるということなのです。
★通信物の引用部分と新規部分とが判然としないという指摘をいただきました。それについては、ある段階できちんとしたリニューアルをするつもりですが、当分はドロナワ式にやれる範囲で心がけます(DTP関連のハードとソフトの整備と合わせて、という気持ちが私の側にあるのです)。もっとも、重要部分と参考部分の識別などをもっと明快にすべきなのだという反省はしています。しかしそのことよりも、多くの人がスケジュールなどを用心深くチェックし直していらっしゃるということが分かりました。けっこうあるんですね、間違いが。そういうふうに疑いの目で読んでいただいているとこちらは安心なのですが、そのあたりに、問題の根っこがあるようにも思います。

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■1996.9.5──みなさんから

*前回のお願いに応えていただいて、絵入りのハガキを何通かいただいています。カラースキャナーで読みとってそのままプリントしたいという考えなのですが、当方の機材に不足がありまして、今回はまだご紹介できません。もう少しお待ちいただきたく……。

■K.山川さん——1996.6.23
●御坂山、黒岳では大変お世話になりましてありがとうございました。河口湖駅前でお見送りいただきましたタクシー、その後中央線もとてもスムーズに連絡がつきました。リーダーは車での帰途お疲れではなかったでしょうか。電車組一同で案じておりました。
●さてプリント15枚山から戻ると届いておりました。ありがとうございました。山では前日に届いたという方もいらして楽しみにしておりましたので早速封を開けてみました。北八ヶ岳のプリントと比べると格段の差があって、ほんとにどれもいいなと思いました。とくに風景のがとてもいいと思いました。今回リーダーがシャッターを切っていらっしゃるところを後ろから見ていましたので、あの場面、場面がどのようなプリントになるかと今から楽しみです。
●今回はしょっぱなからこけてしまいました。家を出るのが少し遅くなってしまったので駅まで息子が自転車で送ってくれたのですが、歩道の段差をお尻に受けながら後ろの荷台で息子のTシャツにしっかりつかまり、かなりのスピードでダッシュしたのですが、川崎での待ち合わせに遅れてしまい、川崎発05:41に乗れませんでした。
●東神奈川に向かおうとホームに下りたら南武線ホームに永山さんがいて下さって先に行って下さったとばかり思っていたのでうれしいやら申し訳ないやらで、何とか追いつけたらと後発の登戸行きで、乗り換えて立川まで行き、立川06:46→大月07:53/08:15→河口湖09:05と乗り継ぎました。「駅前でタクシーがまだ待っててくれるといいね」と話しながら……。
●河口湖の駅に着きドアの開くのももどかしく思えたほど急いで改札口に向かいました。ホームから知った顔が何人か見えたときは、間にあったんだとホッとしました。遅れて申し訳ありませんでした。「すんなり予定どおりの電車でなく、いろいろ方法を考えてなんとか結果的に間に合い楽しかったじゃない!」と永山さんが言って下さり、とてもうれしかったです。
●今回は花が多く見られてとてもよかったです。ヒトリシズカ、多人数シズカ?、エンレイソウ、ウラシマソウ?、ウマノアシガタ、ミヤマナルコユリ、日本タンポポ、西洋タンポポ、二色タンポポ、ギンリョウソウ、アヤメ、オダマキ、カモメラン、シギンカラマツ、マイズルソウ、カンゾウorキスゲ、グンナイフウロ……。名前を知らない多くの花も見ました。斉藤さんが花にとてもくわしいので知らない花を見つけるといつも教えてもらって、斉藤さんは花の先生とひそかに思っています、これからも花をたくさん見て歩き、名を覚えたいと思います。
●また鳥も間近で見ることができ、楽しさも倍増でした。あのヒナ鳥の口元の愛らしさは忘れられません。そしてミニルーペで見た虫のかわいらしい姿。ルーペで異なった世界が広がりました。
●また前回木の枝を杖がわりに歩いていらした方がいらしたのでストックを今回持っていったのですが、使わずにすんでよかったです。私自身は大石峠の辺りから左膝が痛くなり始めて足を引きずりながら歩いていました。加瀬さんからいただいたイトメシンコーワゾルを痛いところに塗って歩きましたらずいぶん楽になりました。それにしてもアスファルトの道は登山靴には当たりがきつすぎます。今履いている靴をリーダーが推奨の運動靴にしようと物色中です。
●今回も雨やガスもあり、雨具を着たり脱いだり、ずっと頭のてっぺんは見せてもらえなかった富士山と、天気も変化があって、花や鳥や虫といっしょの楽しい1日でした。
●お風呂も着替えを持っていなかったのでよそうと思っていたのですが、すすめて下さり、入ってとても気持ちがよいお風呂で、湯上がりのビールと“ほうとう”でしめくくることができ、帰路も順調で1日も楽しく終わりました。ただ前日のキャンプには時間の都合で参加できなかったのが残念でした。


■K.高橋さん——1996.7.3
●さっそくご案内お送りいただきありがとう。至れり尽くせりの内容ですね。しかも、もう名前が登録されていたのにはビックリ。7月13日ぜひ参加させて下さい。雨でも行くのですか? それと、靴は革のザンバランフジヤマでもいいですか? とかいろいろ考えています。


■H.加瀬さん——1996.7.11
●先日の大岳山の山行は滝あり、ブナの林ありで、東京の山にもあんなブナの林があるなどとは思いませんでした。大好きな樹木なので大感激です。ギンリョウソウにも逢えましたし。
●白馬行は大変楽しみにしております。もちろん期待と不安と。山川、永山、岡田さん親子、伊藤のりこさん、私と計7名は知り合いの白馬みそら野のペンションに泊まります。7.27の白馬駅集合時間に行きます。7.26.10:00新宿発の指定と、7.28白馬発17:11の切符が手に入りましたのでご安心下さい。
●行動食として、天狗に登ったとき初めて持参したケーキ類が、いまではちょっと一口のおやつになりました。菓子作り大好き人間としてはうれしく思っています。失敗作も持っていきますのでおゆるし下さい(やり直しがききません)。おやつ付きの山行もなかなかいいなと思っておりますので、どうぞお気になさらないで下さい。


■A.石側さん——1996.7.12
●楽しみにしておりました明神ヶ岳、ギックリ腰のため残念ながら参加できなくなりましたのでよろしくお願いいたします。


■K.岡田さん——1996.7.30
■私の軽量化ゲーム
●1995年春、横浜朝日カルチャー憧れの登山教室を申し込んでから、急に左肩・手に激痛が走り、頚椎症とのこと。整形外科では「重い荷物を背負った登山はもってのほか。趣味を変えなさい」と言われ落ち込んでしまいました。ま、講義だけならいいか、と通い始め、実技登山に行くとき、内田良平先生に伺ったところ「みんな、医者に止められても来てる連中ばかりですよ。まずカメラを持ってこないこと。リュックを軽くすれば大丈夫」と言われて本当にコワゴワ、デイパックで参加しました。このときの気持ちは「バテてほかの人に迷惑をかけるかもしれないので参加を遠慮しようか、と悩んでいる人もいる」(『初めての山歩き』伊藤幸司著、主婦と生活社、p16)の通りでした。あ、この気持ちのわかっていてくれる先生なら安心だな、と思ったのも、この本の読後感のひとつです。(途中からこの会に参加した方には、ぜひ一読をお薦めします。先生はこの本はもう古く、来春新しい本が出るので、とおっしゃっていましたが)
●そして実技当日、天城山で一睡もしないで不安の中で見た野生のシャクナゲの群落。涙で見ました。下山したら、なんだか肩も体も調子がよいのです。
●それから私の軽量化作戦が始まりました。日帰りの基本の荷物(昼食+水を抜いたもの)は合計2.5〜3.0kg
1)25リットルザック——500g
2)傘——190g
3)ゴアテックス——500g
4)非常食+おやつ
5)小物(地図、ポケットライト、救急用品……)
●これにおにぎり1〜2個と、水が、その日の天候や、途中で補給できるかどうかで、1000〜1500g以上加わります。何をそろえるにしても、まず重さを台所用計りで試します。水筒は「一番軽いのを下さい」といって買ったもので20g。セーターはカシミヤで150g、160g、320gの中から、白馬岳では160gのものを選択。財布もコンパクトなものに必要なものだけを入れる。泊まりとなると化粧品が入るので、容器を取ると100g節約。これはもう楽しいゲームです。ちなみに7.27-28の白馬岳では、
恭子(ベース4.0kg+昼食+水) 5.2kg
彩斗子 2.5kg
英佑 3.2kg
●白馬山荘の感想はみなさん書かれると思ったのでパスしました。私はおどされていたのがきいたのか、思ったより快適でした。1枚の布団に3人で寝れました。(先生の“怒り”とは調子がズレますが)子供達に“最悪”を経験させたいと思ったのですが、なんともなかったようです。「土と健康を守る会」という有機農法の会で生産者の作業小屋で雑魚寝とポットントイレも小さいころから経験ずみだったからかもしれません。


■K.山川さん——1996.7.30
■スリルとお花畑の大雪渓
●96.7.27は天候にも恵まれさい先のよいスタートでした。猿倉より雪解け水がドーッと豪快に落ちる流れを見ながら白馬岳に到着。冷たい水でのどを喜ばせてからアイゼンを付けて大雪渓にトライです。思っていたより歩きやすく、ときおり立ち止まり、周囲を見渡したり、振り返ったりしながら雪渓を楽しんで歩いていました。
●でもカラカラッ、カラカラッと杓子岳から小石が落ちる音がときおり聞こえ、ちょっと不気味でした。それが、アイゼンをはずし、葱平より少し登ったところでドドーンと大きな音とともに転げ落ちていった電話BOXほどの落石を目の当たりにしたときは一瞬にして心臓が凍りつき、そしてあまりの恐怖で涙とともに鳥肌が立ってしまいました。私は気が小さいので(目も小さいのですが)ほんとうに怖がり屋です
●そしてこの後、白馬山荘は近年最高の宿泊者8,200名(定員の5.5倍)が待っていたのでした。


■Y.春日さん——1996.8.1
■白馬岳夏山体験
●大きな岩石が地響きを立てて、大雪渓を跳ねる不気味な音にドキッとする。白馬尻小屋から頂上小屋まで登山者の行列は果てしなく前後に続き、山小屋は大混雑の状況でした。落石と渋滞で「この山に2度と来たくない」そんな言葉を幾度か聞く。
●白馬山荘に到着して、6畳の部屋を仲間10人で使う。当初心配していた酒、タバコ、トイレの臭いなど悪条件は皆無で気楽な雰囲気だった。2,900mの高山でビーフステーキの夕食を味わったのであります。こんなことに感動できる感覚がとてもうれしい。限られた季節を、限られた時間を使って、自然を楽しませてもらう。そんな私達に与えてくれる感動にこそ「この山にもう1度来たい」と思うのではないでしょうか。そんなことを考えながら眠りにつく。部屋は暑く女性7人は寝付かれなかったようです。風通しのきく廊下も案外よい寝場所となる。
●今回は、リーダーから心拍計「ポーラハートレイトモニター」を付けさせてもらった。両手指先も脈打つ感じがする。歩幅を縮め、歩数を数えながら呼吸を整えてみると150〜160に下がる。苦しさをひとつクリアしたような体感を得た。
●翌朝ご来光を待つ。槍ヶ岳も姿を見せる。湧き昇る雲は龍のようだ。この日は白馬大池から栂池へ出ることになった。12kmばかりの行程である。小石の隙に咲くコマクサは高山植物の女王と呼ぶにふさわしく美しい。足場の悪い岩道や雪渓、滑りやすい雪どけ道を歩きとおした皆様の勇気が心に残る白馬岳夏山体験でした。皆様ありがとうございました。


■M.志村さん——1996.8.7
●朝日カルチャー教室(朝日カルチャーセンター千葉)では数回の出会いでしたが素晴らしい皆様との出会いがありました。先生に撮っていただいた数枚の写真、特に南郷山(湯河原)での買い物袋の靴カバーをつけてのライン・ダンスの写真等、何度見ても吹き出してしまいます。朝日カルチャー教室で学んだ事柄と先生の著書『初めての山歩き』を読み、少しでも自分のものになるようにいたしたいと思います。
●糸の会会報をお送りいただきながら参加できず残念です。自分達のスケジュールが決まって居りました後ですので参加できないのです。糸の会会報は3回送った段階で予約がない時は郵送は打ち切りにしますと言われたように私は記憶していますが(伊藤注=そういうことはありません)……9月の桧洞丸も参加できませんのでわがままを承知でお願いをさせていただきたいのです。3回目の郵送を来年度の山行一覧に変えていただけませんでしょうか。すみません、よろしくお願いいたします。伊豆ヶ岳の写真代(8枚分)先生とご縁が切れないように、絶対に糸の会の山行に参加してお会いできた時にお支払いしますので、それまでお借りしておきます。


■T.高松さん——1996.8.8
●白馬岳への山行では、大変お世話になりましてどうもありがとうございました。下りの小雪渓で腿に力が入りすぎたため、脚がガタガタになり、帰京後1週間ほど階段の上がり降りに難儀をしましたが、やっと直りました。聞きしにまさる大混雑にちょっと閉口しましたが、平日等の空いているときならまた行ってみてもいいかなという気分になってきました。


■E.大西さん——1996.8.9
●白馬登山では大変お世話になりました。帰ってきて3日間はかなりきつい筋肉痛でしたが、念願の白馬へ登れてとても幸せでした。


■K.山川さん——1996.8.29
●松本のお蕎麦とコーヒーはいかがでしたか。私たちは16:10の高速バスにて帰路につきました。槍ヶ岳にずっと見まもられていたかのような稜線歩きの心地よく楽しかった余韻にひたりながら……。途中、小仏トンネルで渋滞にあい、新宿は19:55でした。


■H.加瀬さん——1996.8.29
●下記の山行を予約いたします。
●尾瀬=草もみじがたのしみです。
●瑞墻山=足のコンパスを必要とするところだと鈴木早苗さんが申していました。では私はシコの練習する必要あり(?)と尋ねましたら爆笑されました。
●天子ヶ岳=晴れたら眺望抜群?
●上高地=交通網が遮断されている(?)ところの入山は興味シンシン。
●西沢渓谷=行ってみたいところでした。
●北八ヶ岳=何度行っても好きなところです。


■H.鈴木さん——1996.8.29
●翌日(27日)は「こばやし」は全店臨時休業でした。「もとき」でそばを食べました。
●喫茶店で「信毎」新聞を読んでいたら、穂高で25日朝、女性が滑落死、とありました。同日昼過ぎ救助隊が遺体を発見と、伝えていました。われわれがなにげなく見ていたヘリコプターも、そんな動きに関係あったかと思っています。ふしぎな目撃の感触です。


■H.鈴木さん——1996.8.31
●稜線を一方向に歩いたため、顔の片側だけが日に焼け、皮フがポロポロむけつづけた今週でした。


■K.西沢さん——1996.9.1
●燕岳〜常念岳登山の際は大変お世話になり、まことにありがとうございました。下山日の松本城から松本駅までの最後のラッシュは大変こたえました。今回は珍しくゆっくりできると喜んでおりましたのにやはり最後はあのような結果に終わりました。これも、糸の会の糸の会たる所以と列車の中で皆で笑ったところです。また、脚が痛くやっと歩いていたはずの自分が列車に遅れてはならじとよくもあの速度で歩けたと、今考えると不思議でなりません。火事場の何とか力というものだったのでしょう。その代わり、下山後の2日間は食欲も出ないほどの疲労感を覚え、何も出来ず、全くの死に体でした。
●私は、約2カ月ぐらい前より右足下腿部に痛みを覚え、冷えに対しかなり敏感になり、冷気、特に機械的な冷気に当たると非常な痛みを感じていました。しかし、当初はこの痛みも歩行中は血行が良くなるためか解消していましたが、日がたつにつれ、その痛みが残るようになっていましたので、今回の燕岳〜常念岳登山も、参加することに大変な不安を感じておりました。現に23日に穂高に入り、穂高神社、碌山美術館等を皆で歩いている時は体調を含め最悪となりました。が、同夜同行の皆様のお手当で元気を取り戻し、お陰様で素晴らしい感動の日本アルプス登山をどうにか最後まで体験することが出来ました。しかし、山小屋宿泊中、夜は脚の痛みから薬を取り出したり、脚をマッサージしたりで皆様の睡眠の邪魔をしてしまい大変なご迷惑をお掛けすることになりました。ここに深くお詫びいたします。
●行動中一番疲労を覚えつらかったのは、やはり2日目の燕岳から常念岳への長い行程でした。しかし、すべての行程を歩き終えることが出来たのは、やはり同行の皆様の暖かい励まし、恵まれたお天気、素晴らしいアルプスの山々でした。この感動は一生忘れることはないでしょう。
●そして、下山後、日常生活に支障を来たさないためにはどう歩いたらよいか、また持ち物をどうしたらよいか等々、いろいろ勉強させられた登山でもありました。何とか脚の回復に努め、今後も素晴らしい登山が続けられるよう願っています。

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■1996.9.5──カルチャーセンター登山講座からの由来

●東急セミナーBE(渋谷)の「初めての山歩き」(1994.10〜1995.9)の突然の終了がこの「糸の会」の発端となったのですが、担当の三好律子さんの意地(?) でこの10月から「ネイチャートレッキング」が始まります。第3火曜日の実技のみ3カ月コースで、山がダメならお墨付きのハイキングコースでドーダ! と首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)を歩きます。とりあえず第1期の実施はめどが立ったようです。講座カタログの解説は以下のとおり。
★環境庁によって平成元年に設置された首都圏自然歩道『関東ふれあいの道』の142コースから毎月1本を選んで歩きます。長短・難易さまざまですが、いずれも日帰りのハイキングコースとして整備されたものです。軽快に歩くことで脂肪を効率よく燃やしてみましょう。基本的な歩き方に重点を置いて指導します。(雨天決行、教室での講義はありません)
★10月「神奈川県No.16大山参り簑毛のみち」
★11月「埼玉県No.2奥武蔵の古刹を訪ねるみち」
★12月「群馬県No.34桜山のみち」+「No.1三波石峡のみち」
★教室での講義はなく、初回はオリエンテーションレターをお送りした上で東急セミナーBEロビーで集合。以後は現地集合・解散です。現地での交通費・食費など当日の費用のすべては各自精算、タクシーなどは割り勘となります。

●東急セミナーの「初めての山歩き」の企画を立てたときには、月に1回の実技登山を前後2回の講義でサンドイッチ状態にして完結させたものを10/11/12月と3本並べたのです。それがこちらの勘違いで、ふたを開けたら連続3カ月、合計9回の講座。その妙なヘビーさが(私は)気に入って、カリキュラムも同じまま4期1年間続けさせていただいたわけです。その同じカリキュラムを4回繰り返しつきあって下さって4期まで定員を確保して下さったのが、以下に列記する会員の方々なのです。Y.宇田川、E.大西、T.大森、N.加藤、H.小池、K.斎藤、A.清水、T.高松、K.西沢、S.本間、H.本間、M.清川、M.藤増
●1期からではないけれど東急セミナーからの参加は、Y.春日、A.田中、T.高木、I.甲谷、のみなさん。
●東急セミナーでの今度のネイチャートレッキングは同じ月1回の実技で3カ月のコースですが、今度は講義を全部はずしてしまいました。糸の会での通信システムをさらにブラッシュアップしてみたいという気持ちもあります。ともかく、むかしメインライターを務めながら(調査メンバーの配送係をやったため)あまり現地を歩いていない『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』(朝日新聞社1989年)の再取材という気持ちも重ねています。

●4月から朝日カルチャー千葉でやっている「初歩の山歩き」は朝日新聞から『おじさんの登山術』(1990年)を出したときに編集部に在籍していた長塚進吉さんが朝日カルチャーセンター千葉に出向になって、千葉ではまだどのカルチャーセンターでもやっていない「登山」の講座をやりたいというお話から始まりました。そこでは東急セミナー方式を少し軽くして、毎月、講義と実技を1回ずつの3カ月コース。すでに2期目に入っており、来年3月まで(4期)の募集が決まっています。
●朝日カルチャーセンター千葉から糸の会への参加はこれから少しずつ増えそうですが、今のところは、T.佐藤、S.永田、S.早川、N.向井、H.池浦、K.金子、M.志村、N.鈴木、E.長谷川、T.林といったみなさんです。

●私が、バテた思い出ばかりの「登山」に関わるなどということは、朝日カルチャーセンター横浜で「40歳からの登山入門教室」の5人の講師の1人として地図担当に指名されるまでは考えても見ないことでした。1983年の秋からですから、今年が13年目ですが、残念なことに春の企画が流れたことでシリーズの幕を閉じ、第40期の上越・白毛門が最後になりました。朝日新聞社から出していただいた『おじさんの登山術』(1990年)はその当時のじり貧→消滅の危機に、朝日カルチャーセンター横浜が時代の先端を切った「中高年登山」の存在であったことを残しておきたいと思ったのが動機でした。朝日新聞出版局のプロジェクト室の大峡弘通さんが隠れ中高年登山者であったことが幸いしました。
●朝日カルチャーセンター横浜には大所帯のOB会の「山百合会」があります。そこで糸の会には1995年の2回の実技、39期=天城山と40期=白毛門に参加された方に[03]大山三峰山(1996.1)をご案内しました。
●大山三峰山から参加の朝日カルチャーセンター横浜組は、A.石側、T.市野、N.伊藤、T.井上、K.奥田、S.鈴木、T.山崎、R.山崎のみなさんです。その後[05]北八ヶ岳で参加されたのが、K.岡田、H.加瀬、S.高波、Y.三橋、H.三橋、K.磯部のみなさんでした。その他、K.加藤木、E.田野、T.矢田のみなさんも。
●十把ひとからげみたいになってしまいましたが、個人個人の選択でこの会は成り立っています。軽い発端の話としてご容赦。

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■1996.9.5──ダブルストックで歩いてみます

●軽く宣言していました「ダブルストック」の使用をボチボチと始めてみたいと思います。伸縮式の杖が手に入るようになってから、山道を歩くのに杖を使う人が多くなったのがここ10年ほどの動きであったと思います。ここでいうダブルストックはそれとは別物と考えて下さい。冬山でスキーのストックを広範に使う技術論から下りてきたストックワークが、山歩きを効率的な全身運動にしてくれるということで一般に評価され始めたものなのです。健康にいいということからストックをダブルで持つ人が増え始めていますが、私たちもそれをやろうというのです。
●やってみたいという興味のある人だけでいいのですが、購入するときにはとりあえずドイツのレキ(LEKI)のトレッキングポールのどれかにしておいて下さい。1996年のシーズンに用意されたのは以下の5シリーズです。いずれも両手で使うために2本セットになっています。
★スーパーマカルー・コルテックアンチショック(73-135cm、19,000円)
★スーパーマカルー・アンチショック(67-135cm、18,000円)
★マカルー・コンパクト(57-125cm、14,000円)
★マカルー・スタンダードアンチショック(72-140cm、12,400円)
★スキー&ツアー(67-145cm、11,000円)
●重さは2本で500gから600gといったところ。縮めて短く、伸ばしても短いマカルー・コンパクトは女性用ということのようですが、これにはアンチショックスプリングがついていません。腕に伝わってくる衝撃を吸収するアンチショックスプリングが内蔵されているもののほうがいいように思われます。
●スーパーマカルーと名付けられた上位の2種はグリップ形状が人間工学的に改良されたということと、グリップに付けられているセーフティストラップの長さを細かく調整できるオートロックシステムというのがついたというだけのようですから、わざわざこれにする必要があるかどうか……。
●いろいろ見ていくとマカルー・スタンダードアンチショックが一番手頃だと思いますし、それより伸縮能力の高いスキー&ツアーのほうがコストパフォーマンスがいいように思われます。ただしそれは定価の場合で、この5機種の中ではマカルー・スタンダードアンチショックだけが旧タイプ。実売価格ではうんと安くなっているかもしれません。
★LEKIのものでも1本売りのものがあって、グリップにいろいろな工夫がされているように見えます。しかし必要なのはスキーのストックと同じ「スポーツグリップ」のもので、左右それぞれが用意されている「ペア」仕様のもの、と覚えておいて下さい。
●LEKIのトレッキングポールは交換パーツもきちんと用意されていますから長く使うことになればさらに割安になります。詳しいパンフレットや販売店情報を欲しい人は(株)キャラバン(03-3944-2331)に問い合わせてみて下さい。
●ダブルストックによる山歩きは、購入した人がそれぞれに使ってみながらいろいろ研究してみたいと思います。誰かのものを見てから買うというのでも、もちろんけっこうです。くれぐれも「転ばぬ先の杖」ではなくて、「全身を使って歩くためのダブルストック」ということをお間違いなきよう。




■1996.7.26-28──白馬岳報告_心拍数

■POLARハートレトモニターをS/Hさんにつけてもらいました

●箱根外輪山の明星ヶ岳→明神ヶ岳→金時山で私自身が心拍数を見ながら歩いたことについては「1996.7.25掲示板」に「心拍計の話」を書きました(通算207-210ページ)。そこで使用したのはフィンランドのポーラエレクトロ社「POLARハートレイトモニター」の「エッヂ」というキカイでした。
●今回はさらに高級なメモリー機能付きの「バンテージXL new」というキカイを使用しました。いずれも日本総輸入販売元のキヤノントレーディング株式会社から拝借したものです。キヤノン販売株式会社およびキヤノントレーディング株式会社の広報活動の一貫としてテスト使用させていただいているもので、今回は46歳男性のS/Hさん(このデータは外部にも流れる可能性がありますから仮名とします)に装着してもらいました。
●胸につけた無線式トランスミッターの電極で心臓の拍数(ハートレイト)をとらえ、電気信号のかたちで送り出します。それを腕時計型モニターで受信して、60秒ごとに33時間40分(あるいは15秒ごとに8時間20分、あるいは5秒ごとに2時間40分)にわたって自動的に記録します。これはその第1次の素資料報告です。

■一般登山道はすでにゲレンデ化しているという認識に立って考えます

●行動全体の運動量配分についてはオリエンテーションレター(計画書。通算211-216ページ)にまとめて、参加のみなさんには事前に配布しましたが、糸の会独自の「1時間モデル」を目盛にして運動量を計るという方法をとっています。
●「1時間モデル」というのは、「1km先で300m上がる(下がる)」という勾配が一般登山道の急登部分の標準的なものであるということに着目して設定した行動管理の目盛です。歩き方のスピード調節(歩幅と歩速の選択)によって運動強度を一定以上に上げずに歩くことができれば(という技術課題をクリアできれば)行動時間がすなわち運動量に比例してくるという仮説にもとづいています。
●従来の登山技術では平坦なハイキング(距離要素が運動総量に占める割合が大きいもの)から岩壁登はん(高度差要素が圧倒的に大きく距離はほとんど無視できる)までを漠然と視野の中においているので登山における運動量を計ることができませんでした。「とりあえずしごいてみる」という乱暴な方法の根っこはそこにあります。
●伊藤はたまたま1984年から朝日カルチャーセンター・横浜の「40歳からの登山入門教室」で地図担当講師として当時は先端的な「中高年登山」にかかわり始めたのでした。詳しくは朝日新聞社から出した本(朝日カルチャーセンター横浜登山教室+伊藤幸司『トレーニング不要!おじさんの登山術』1990年/1,400円)にまとめましたが、一般登山道を「1km先で300m上がる」勾配で計ってみると、これを超える部分は一般登山道としてはきわめて例外的な部分であるということがはっきりしてきたのです。その「1時間モデル」のもっとも典型的な対応となるのは30度の斜面に20度の勾配の登山道をジグザグに切っている「県道富士上吉田線」、いわゆる吉田口登山道の5合目以上の部分です。あるいはスキーゲレンデの上級コースの斜面に夏道が切られていたら、それが一般登山道の急斜面部分のスタンダードなかたちと考えていいのです。
●そういう行動フィールドの限定化は登山界ではあまり好感を持たれない「ゲレンデ化」ではあるのですが、現実的には中高年登山者が求める登山コースはそのような平準化の中にあるのです。山岳地域においては地図上に描かれた徒歩道としての登山道は細かな部分での省略が多いために距離はきわめて不正確です。しかしながら誤差を承知の上で計っていくうちに、一般登山道が「歩きやすい道」に整備されていく過程で、ごく限られた条件内に押さえ込まれていったということが分かってきました。それは道を走りながら「オフロード」と自称する車族のオフロードに当たるものと考えることができます。それと比べると本来の登山では「オフトレール」というべきものの価値が大きくかぶさっていました。大学時代に探検部に所属した私には探検的登山としてのおもしろさはもちろオフトレールにあったのですが、ここではその領域を明確に切り離したものを一般登山道と認識しています。富士山を楽に楽しく歩く技術が、日帰りの山でも、日本アルプスの小屋泊り縦走でも共用可能だという技術論の基本はそこにあるのです。

■登山の運動量を「1時間モデル」によって計っていきます

●水平距離で1km進んだときに高度を300m獲得している勾配は300/1000ですから30%。角度でいえば約18度。これをおおまかに20度と言っているわけです。そしてこれを仮に「1時間」の行動目盛とすると(実用的な補正は後からおこないます)、山歩きのペースでは平らな道で時速4kmが穏当ですから、1kmは15分。15分ぶん前進したともいえますが、1時間に1kmしか進んでいないわけですから時速1kmということになります。
●1時間の運動のうち水平距離が15分ぶんですからあとの45分は体を300m持ち上げるために使ったということになります。すなわち高度差100mも15分という目盛になっているのです。山に登るという運動を水平方向に1km=15分、垂直方向に100m=15分という目盛で時間量に変換してみるのです。ちなみに私は下りも登りと同じ目盛で計ってから補正しますが、それは運動を水平方向の力と垂直方向の力とに分けて考えることが、登りで無酸素運動領域に入り込まずにすむために、下りで膝を中心にした関節への衝撃を小さくするためにきわめて重要なヒントとなるからでもありますが、それについてはここでは触れません。
●このような「1時間モデル」で山の大きさを測ってみると、日帰りで標高差1,000m前後の山(1時間モデル3個分)を歩けるようになると、その1日分の登下行分エネルギーを全部登りに投入すれば、日本アルプスの稜線まで問題なく上がれるということになります。あとは山小屋で翌日のための休息がとれるかどうか、2,000mを超えると人によって出始める高度障害が現われないかどうかといった、日帰り登山では判断できない新しい要素が加わってくるだけです。また本州中央部の日本アルプスの場合、ハイマツ帯から高山植物帯(お花畑)へと移行する大きな植生境界である森林限界は標高2,500m前後にあって、それに至る樹林帯の道は日帰り登山に選ばれる低山の歩き方とまったく同一のものです。すなわち日本アルプスでも、登下行のほぼ8割は低山歩きの延長線上にあるという認識が非常に重要です。ただし白馬岳の場合には有名な大雪渓があるために樹林帯の道は標高1,550mで終わります。その特異さが大きな人気を集めているというわけです。
●2ページの図解説欄に引用したのと同じものですが、計画書のルートチェックに次のように書いています。——バスを降りたところが猿倉荘で標高1,250m。白馬岳が標高2,932mですから標高差は約1,700m。ちなみに地形図上で測った距離は約6km。「1時間モデル」6つ分を一気に登るということを頭にたたき込んでおいてください。時間がかかってもいいですから無理をせずに登るということが基本中の基本となります。——

■登山テーマの設定と、データ提供者S/Hさんについて

●たまたまのなりゆきから私が個人的に指導する登山講習会として発足した「糸の会」は初歩の登山の領域を厳守しているつもりです。会則に当たるものは次のようになっています。——糸の会は毎月1回程度の日帰り登山を続けながら、年に何回か山小屋泊まりの山歩きも楽しみたいという人のための会(講習会)です。会則などは設けません。お知らせのための送付名簿を整備しながら、参加希望の方に個々の山行資料をお送りします。第2土曜日を「足慣らし&リハビリコース」とし、初顔の方はまずこれに参加していただきます。第4土曜日を中心にして現地早朝集合(金曜夜発)の計画や小屋泊りの計画を立てます。常連の方は無理のない範囲でご参加下さい。——
●この白馬岳の山行は日帰りの登山を3回以上体験した人ならだれでも参加できるという低いレベルに基準をおいていますから、計画には無理がまったくないように、基本のテーマを次の2つに絞り込んでおきました。——咲き誇るお花畑と大雪渓。シーズンの最も混むこの時期に、予約なしで大部屋に詰め込まれる山小屋体験をあえてやっておきたいと思います。——したがって小屋で眠れないという場合にも問題のない下山計画にしてありました。(当初の予定は大雪渓ルートをのんびり下るというものでしたが、驚いたことにひとりも不調者が出なかったために、帰路は稜線歩きの楽しさが味わえる白馬大池経由に変更したのです)
●心拍数をとらせてもらえる人をS/Hさんに決めたのは登山口の猿倉に向かうタクシーのなかでした。いずれは同時に複数の人の心拍数をとってみたいもの……と考えていましたから、今回はとりあえずどんなグラフが描けるかやってみたいということで前々日にキカイを借り出してきたいささかドロナワ状態であったのです。タクシーのなかで、S/Hさんはすぐれたホームドクター制の管理下にあって、糸の会に参加し始めてからその効果と思われるものがはっきりと数値に表われていると聞いていたことを思い出したのです。心拍数データが登山の記録としては成功しなかったとしても、個人的な健康管理に貴重なデータとなるかもしれないということに思い当たったのです。
●S/Hさんは1月から糸の会に参加して、丹沢・大山三峰山、北八ヶ岳スノーハイク(山小屋1泊)、秩父・武甲山、大菩薩峠越え、日光・鳴虫山、奥多摩・大岳山、御坂山地・黒岳(前夜キャンプ)、箱根・明星ヶ岳〜明神ヶ岳〜金時山と8回の山行に参加、これが9回目となりました。満46歳で運動とはほとんど無縁の座業(デザイナー)のうえ、アルコールがカラダのどこかで自覚症状を起こしつつあるという人生の曲がり角。「糸の会に入った当初は、1回の山行ではっきりと体重が減ったが、最近では、目立って減少はしない。たっぷりとした水分と栄養補給のせいか、簡単に減らせる脂肪は落ちてしまい、身体が別の段階に入っているのか、観察を続けようと思う」と山行後のメモに書いています。
●私の印象としては芯の強い人で、どの山でも淡々と歩いていました。正直いうとあまりドラマチックな心拍数は記録されないと思いました。じつはもう1台、メモリー機能のない「エッヂ」というキカイをK/Yさん(57歳男性)につけてもらいました。こちらはあまりにもドラマチック。K/Yさんのレポートにはこう書いてありました。
——今回は、リーダーから心拍計「ポーラ・ハートレイトモニター」を付けさせてもらった。急登にかかって心拍数は170に上昇する。心臓の高鳴りと同時に両手指先も脈打つ感じがする。歩幅を縮め、歩数を数えながら呼吸を整えてみると150〜160に下がる。苦しさをひとつクリアしたような体感を得た。——
●一般にはスポーツトレーニングの効率を高めるキカイと理解されているPOLARハートレイトモニターですが、私はこれを山でゆっくり歩くための補助用具として大いに活用したいという感触を得ています。すくなくともアタマにカラダの状態を正しく認識させるコミュニケーションツールとして、大きな価値を見出しつつあります。

■運動強度と「AT心拍数」という概念

●今回は心拍数を表わす表にいくつかの横軸を加えておきました。理由はS/Hさんの安静時心拍数が明らかになっていないので理論上の運動強度を心拍数として設定することができないということと、とりあえずはもっと概括的に、心拍数で登山という運動が記録・再現できるかどうかという点での興味をむしろだいじにしたかったからです。そこで仮にS/Hさんの安静時心拍数を60拍とすると、最大心拍数は一般推計値として「220拍−年齢」とされているので46歳のS/Hさんの場合は174拍と出ます。60拍と170拍の横軸はこれを表わしています。
●運動強度は安静時心拍数のときに0%、最大心拍数の時に100%となりますから、運動強度によって上下する幅は「最大心拍数−安静時心拍数=予備心拍数」の予備心拍数の部分です。これはS/Hさんの場合174-60=114と(仮に)見積もったわけです。運動強度50%は予備心拍数の50%(57拍)を安静時心拍数(60拍)に載せた117拍となるのですが、まるめて120拍としたのです。以下同様に130拍が60%、140拍が70%、150拍が80%という目安になっています。通常のスポーツトレーニングでは運動強度60%から80%の間で5%刻みぐらいの精密さで強度と時間を組み合わせたメニューを作るようですが、ここでは運動強度70%の140拍を超えるとかなり強い運動になっているという程度に見ておくのがいいでしょう。経験的にいえば、運動強度70%を超えると話をするのがおっくうになってきます。
●最大心拍数とは別に、AT(Anarobic Threshhold。無酸素性作業閾値)心拍数というのが設定できます。30分間持続できる最大パワーの心拍数で、有産素運動と無酸素運動の境界線にあたります。運動強度がこれを超えるとたちまち酸素で脂肪を燃やして動く筋肉(遅筋繊維)から瞬間的に大きな力を発生できる速筋繊維に仕事が渡され、筋肉中のグリコーゲンを消費して疲労物質の乳酸を作るのです。登山でバテるのは、AT心拍数を超えた仕事をカラダに要求した結果だと思います。
●このAT心拍数は各人それぞれに測定しなくてはいけないのですが、ごくおおざっぱに運動強度80%と見ておいてもいいのではないかと思います。ですからこの場合、150拍を超える部分があるごとに無酸素運動領域に踏み込んでなにがしかの疲労物質が生成されたというふうに見ていっていいのではないかと思うのです。
●またこの図を見るごく一般的なイメージですが、心拍数が140拍(運動強度70%)を中心にして上下しているときには積極的な有酸素運動領域にあり、120拍(運動強度50%)を超えたあたりで展開しているときには軽い運動でシェイプアップ効果の高い脂肪燃焼領域にあるというふうにいえそうです。白馬岳でのS/Hさんは本格的な有酸素運動領域に突入していたといえそうです。


■心拍数で描かれた白馬岳——全図

★1泊2日にわたる白馬岳登山の全貌を記録できる33時間40分記録モード(記録間隔1分)にしたが、残念なことに下山開始の時刻登録のさいに記録が中断してしまって、22時間弱のデータにとどまった。
★上に示されたのはその全体。120拍(1分間)を境にして運動中と休憩中の領域に分けて見ていただきたい。「登山開始」から山小屋到着まで約7時間だが、120拍以下に下がっているところは休憩時間と考えていいようだ。「消灯」後、S/Hさんは全部眠っていたわけではないようだが、心拍数はゆっくりと下降して、起きる直前にもっとも低いところへ落ちている。一般的に最低心拍数は睡眠の終盤、目覚めの1時間程度前にあるということだから、そういう落ち方ではある。ただし「1畳に4人以上」という空前の混雑の中で、安静時心拍数にまで落ちたかどうかは分からない。
★午前4時から頂上に上がって、約1時間にわたって日の出を待った。
★S/Hさんは日本でもっとも先端的なホームドクターに健康管理をゆだねているので、あるいは今後、専門的な見方も加えられるかもしれない。まずは(この図をS/Hさんに見せる前に)伊藤がリーダーとしての立場から、この登山の全体を(S/Hさんの心拍数を手がかりにして)振り返っておいてみようと思う。



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-1

★私たち19人は08:10に白馬駅で集合。ひとりが早朝着の夜行急行「アルプス」のグリーン車で、もうひとりが松本から朝の普通列車で到着。残りは白馬の町で民宿やら、ペンションやらホテルやらで泊まった。S/Hさんは昨夜着いて仲間のいる民宿に合流して泊まった。
★白馬駅からタクシーに分乗して猿倉へ。08:40にS/Hさんにハートレイトモニターを装着。小屋から林道に出るまでの200mほどが登山道。白馬尻の手前500mほどがまた登山道で、白馬尻荘の直前が急登。最後に150拍を超えているのがその急登部分。
★計画書ではこの区間をこう書いている。——バスを降りたところが猿倉荘で標高1,250m。白馬岳が標高2,932mですから標高差は約1,700m。ちなみに地形図上で測った距離は約6km。「1時間モデル」6つ分を一気に登るということを頭にたたき込んでおいてください。時間がかかってもいいですから無理をせずに登るということが基本中の基本となります。第1区は、まずは大雪渓の尻尾の白馬尻荘と白馬尻小屋のところまで。約2kmで300m登ります。ほとんどは車の走れる道ですから絶好のウォーミングアップ。猿倉のスタートが0900なら上出来でしょう。約1時間15分歩いたあと、白馬尻でおいしい水を飲みましょう。——



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-2

★まずは計画書から。——大雪渓を登ります。登り切って落石の心配の少なくなる葱平でのんびりと休憩を(天気によりますが)とるまで、「1時間モデル」2個分が雪渓です。雪渓はみなさんには歩きやすいと思います。要はゆっくりと歩くことで休まずに雪渓を登り切るというパワー配分を考えることです。実際にはこの雪渓は安全だと思いますが、足元に転がっている大小の岩がどこからどのように動いてきたのかを考えながら登ること。そういう観察を怠らないことが万一、どこかの岸壁で崩落が起きたときに冷静に対処できるというわけです。そうこうするうちに雪渓の上部は傾斜もきつくなりますから、とにかくゆっくり登ります。葱平で、できればのんびり1時間ぐらい休みたいと思います。それが1300〜1400なら順調です。——
★その「1時間モデル2個分」の大雪渓を、(いつもはやらないのですが)30分ごとに時間で管理してみた。最初は10:30→11:00で10分間休憩。次に11:10→11:40で20分間休憩。次ページにかかる3回目が12:00→12:40で大雪渓の終了。
★傾斜面を直登する動きの中で、S/Hさんは登高中は140拍前後に運動強度をコントロールしようとしている。休みにはいると2分で120拍以下に下がるが、こういう下がり方は回復力を示している。



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-3

★標高差650mほどの大雪渓(標高1,600m→2,250m)を休憩込みで2時間10分で登ったのだが、30分で標高差200mは、列に大きな隙間ができない範囲で早いペースであった。休憩を長めにとった(昼食を小分けに食べた)のはそのためだ。本当は「危機管理型スローペース」にしたかったのだが、広い雪渓上の1本のトレースを長蛇の列がたどるというカタチゆえ、周囲のペースを無視できなかった。
★標高2,000mから傾斜が急になると、S/Hさんの心拍数はレベルが次第に上昇、歩幅調節などでそれをなんとか下げようとしている。小さなデコボコはその工夫の跡。S/Hさんは次のようにレポートしている。——のぼりにかかると、息が切れ始める。心拍数がどんどん上昇する。つらいと思う。あまり前方を見ず、歩幅を狭くしながらしばらく耐えていると、つらさがやわらいでいく。さらにのぼり続けると、再び心拍数は上昇するが、はじめほどの数値にはならない。心臓の側から見ると、のぼりが始まると、肉体が必要とするより多めの酸素を送る。ようすをうかがいながら供給量を減らし、さらに不足分を補うかたちで適正値に近づいていくという印象。つらさに耐えていると、少し楽になる時がおとずれるという発見。——



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-4

★前ページで、大雪渓が終わった岩場(葱平)で休憩すると、S/Hさんの心拍数は十分に落ちついたが、落ちていくスピードはかなり遅くなった。疲れが溜まってきたというふうに私には見える。
★ところが続く150m(標高2,250m→2,400m)で心拍数が穏やかなのはどうしてか? この4.3km地点→4.6km地点(いずれも地形図上での計測による)の0.3kmは急登なのだが、完全な渋滞になっていた。距離0.3kmで標高差150mは距離1km=15分、高度差100m=15分という運動量で見るとわずか27分ぶんでしかないのに、1時間かかっている。休んでは数歩進むという状態が心拍数に現われている。その1時間の最後のところで150拍を超えているのは、斜面が急であるということのほかに、ちょっと無理すると心拍数が際限なく上がってしまうようなかなり疲労した状態になってきたことを示していると思われる。このグラフを見た上でご本人はなんというか……。
★小雪渓を超えるにあたって、念のために軽アイゼンを装着。休憩効果が出ている。しかしほぼ平坦なトラバースで、また心拍数は150拍を超えた。
★お花畑と呼ばれる標高2,500mまでの登りでも心拍数は上昇の歯止めが利きにくい状態になってきた。



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-5

★お花畑と呼ばれる地点からは頂上稜線がだいたい見える。場所によって、稜線手前の村営頂上宿舎も見える。15:00から15:45の登りは距離が約0.7kmで標高差が250mだから「1時間モデル」で計ると48分。登山者の列は相変わらず続いてはいたけれど、渋滞という状態ではなくなっていた。ときどき立ち止まりながら、歩くとしだいに心拍数が上昇していくという状態。どこの山でも胸突き八丁などと呼ばれる頂上直下の急登があれば、こういう状態が現われやすい。「もう一息!」とか「最後だガンバレ!」などといって尻をはたくと心拍数がビューンと上がってしまう。このときは女性の多くが頂上宿舎のトイレに立ち寄ったため、稜線上の分岐を集合場所にして各自それぞれ登ることにした。S/Hさんの150拍超は自分のペースで、しかも心拍数を見ていながら上がってしまったもの。「もう一息!」のこのがんばりで、血圧がどこまで上がっているかを計ったら、真っ青になっていたかもしれない。
★稜線に上がるとすぐ目の前に巨大な白馬山荘があって、その奥に山頂が見える。ところがその白馬山荘まででまたビューンと心拍数が上がって、150拍を軽く超えてしまっている。性懲りもなくアタマはカラダに無茶を強いるという典型的なパターンだ。



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-6

★白馬山荘に着いてみると受付に長い列ができている。「本日の予想、畳1枚に4人以上。皆様でうまく協力しあって下さい。よろしくお願いします」という看板。白馬岳山頂稜線にある山小屋は2軒で、白馬山荘が収容人員1,500人、村営頂上宿舎が1,000人といわれる。山小屋どころか大ホテルに匹敵する日本最大の2軒ではあるが、山小屋の定員は畳1枚(すなわち敷き並べた布団1枚)に2人ずつと計算している、「畳1枚に4人以上」というのは4人以上で好きにやって下さいということだ。はっきり言って、これは企画者である私の予想を超えていた。
★途中で会った監視員の会話では午前11時の段階で登山者の実測数が2,500を超えたという。私たちのグループはその日の登山者のしんがり部分だったが、目に見えた蟻のような行列は全部その2,500の後でカウントされたはず。山小屋が1畳4人以上と予想したということは倍の5,000人以上が登ると判断したということだ。
★いろいろあったがS/Hさんは仲間11人で6畳間に入り、部外者をうまく追い出してまずまずの寝場所を確保したようである。部屋の中でもいろいろの動きがあったらしいことが推察される。



心拍数で描かれた白馬岳——PART-7

★山小屋が混んだときには食事が何回も入れ替わる。それを×回戦と呼ぶのだが、この日は8回戦に及んだ。1回戦=16:00〜16:50、2回戦〜17:40、3回戦〜18:30、4回戦〜19:20、5回戦〜20:10、6回戦〜21:00、7回戦〜21:50、そして8回戦が21:50〜22:40となり、私たちはその回を指定された。私が横浜組と呼ぶ女性7人のグループは待ってその時間に遅い夕食をとったのだが、渋谷組を核にした11人は、結局夕食の食券をキャンセルして、私が(良くも悪くも)ファミリーレストラン級と評している別棟のレストランで別注文の夕食をとった。S/Hさんは生ビールとビーフステーキというスノッブを演じた。
★その結果独占した部屋を21:00に消灯。その前後のS/Hさんのレポート。——20:05ころ、夕食を食べ始める。20:45ころ、トイレをすまして、部屋に戻ると、K/Hさん(58歳男性)、I/Tさん(56歳男性)、K/Iさん(45歳女性)はすでに布団のなかでうとうとしている。ポケット・ウイスキーを飲む。21:00ころ、暑くて目を覚ます。なるべく音を立てないように、靴下を脱いだり、脇のジッパーを開けたり、ウイスキーや水を飲んだりする。寝息、隣の部屋のいびきなどさまざまな音を聞く。——



心拍数で描かれた白馬岳——PART-8

★S/Hさんのレポートの続き。——0:00〜1:00ころ、再び眠りについたようだ。3:40、腕時計の目覚まし音で目覚める。——
★最初に1時間ほどで目覚めたのがかえってよかったはずだ。一気に3〜4時間眠ってしまうと、その後がなかなか眠れなくなる。そういう意味では暑くて目を覚ましたのがラッキーだったといえるだろう。
★心拍数は小さな上昇・下降を繰り返しながらゆっくりとレベルを下げて、03:19に68拍、03:20には69拍、03:21に68拍と最低値を記録している。安静時心拍数はこのような睡眠終盤の最低心拍数か、あるいは目覚め直後の心拍数を1週間計って、その最低値を採用する。しかしこの68拍は標高2,840mという高地で、いささか異常な状態での値だから、安静時心拍数として扱うことには無理があるだろう。ともかくS/Hさんは白馬山荘に到着してからの缶ビール、ジョッキの生ビール、ポケットウイスキーなどの豊潤なアルコールのおかげか、十分な睡眠を確保できたようである。



■心拍数で描かれた白馬岳——PART-9

★19人中の17人(小学生と高校生の姉弟を除くオトナ全員)が04:00に玄関前に集合。約15分で標高2,932mの白馬岳山頂へ。山頂は黒山の人だかり状態になっていて、日の出を待つ。東の空は何度も赤みを見せながら、結局はどんどん明るさを増して朝になってしまった。しかし剣岳・立山の連峰と、槍ヶ岳から穂高連峰の山並みがくっきりと見えた。
★山頂から下る直前の05:03に65拍という低い心拍数を記録している。05:02が101拍、05:04が100拍だから、一瞬心拍数が落ちたというかたちになった。これが寒さと空腹に耐えながら小一時間山頂にたたずんでいたことによる肉体的な原因によるものなのか、下山前に記念写真を撮ったさい、身をかがめた瞬間に胸から電極が離れるなどしてキカイ的な読み取りミスが発生したのか現在のところは明らかでないが、ともかく低い心拍数を記録している。
★ハートレイトモニターによる記録は、06:00に白馬大池経由で下山すべく集合したときに、その時刻をメモリーしたところで終了していた。したがって下山時の記録は得られなかった。

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■1996.7.25──心拍計の話

●7月13日の箱根に新兵器を持っていきました。フィンランドのポーラエレクトロ社のスポーツ用心拍(ハートレイト)計「POLARハートレイトモニター」です。
●これはキヤノントレーディングという会社が輸入しているもので、私はキヤノン販売の広報に関わっているところからマスコミ向け広報に活用するということで借用してきたのです。とくに高価なものではありませんから、よければ自分(というより、高校で陸上競技をやっている息子)のために買うかもしれないという程度の興味ではありました。
●私の体験では、登山では心拍数を疲労の蓄積を知る目安として利用するのが効果的だと思います。休憩時にまず計って、1分後か2分後にもう1度計ったときの落ち方を見るのです。疲れてくると少し休んだからといって回復しない、ということが、この心拍数の落ち方から分かるのです。
●一時は私も心拍数をとったり、血圧を測ってみたりしましたが、やめました。というのはゆっくり歩くというペースづくりがうまくいっていれば、いちいち心拍数を見る必要などないのです。恐いのはむしろ心拍数の上昇にともなってグンと上がっているかもしれない血圧(*注記——心拍数と血圧の単純な相互関係は後に間違いだということがあきらかになりました)なのです。中高年の場合には血圧の上昇がもたらす危険のほうが大きいらしいのですが、血圧を管理しようとすると、いろいろと難しい点が出てくるだけでなく、気持ちが健康でなくなってしまいます。私たちは病人登山者ではないのです。気持ちが元気なら体も元気というあたりをあくまでも信じて、人間の体が本来的に持っている適応力、回復力、治癒力をよみがえらせたいと思うのです。「楽しさ」だとか「気持ちよさ」という判断に全幅の信頼を置きたいのです。
●このハートレイトモニターが筋持久力を求めるスポーツ選手に広く用いられているらしいということは知っていましたが、あまり興味がなかったのです。ただこのキカイを使って、これまで頭で考えてきた山歩きのエネルギーコントロールを心拍数という側面から見てみたいと思ったのでした。
●ベルト型の電極付き送信機(7,800円)を胸につけて腕時計型のレシーバー(11,800円〜18,800円)で心拍数を読むのですが、目標心拍数の上下を設定できるので運動強度を一定の幅の中にコントロールすることが可能になります。(使用したのは18,800円のエッジ)
●箱根では、宮城野から明星ヶ岳への登りは超スローペースと決めていました。理由のひとつはできれば全員で金時山まで行きたいというペース配分の計算から、もうひとつは梅雨明け直前のすばらしい蒸し暑さで、暑さからの疲労が考えている以上に大きなものになるはずなので、歩き始めに標高500mから900mへの一気登りではできるだけストレスを与えない方がいいという計算であったのです。

●私は自分の最高心拍数も知りませんし、安静時心拍数もまだ調べていませんでした。そこでほんの目安として、150拍(毎分)に上限をセットしたのでした。
●道は小さなジグザグを切って、一気に登っていきます。いつもなら呼吸の乱れと汗の出方を手がかり(インジケーター)として歩くところです。後ろから話し声が聞こえていれば、その雰囲気もペース加減のいい目安になります。
●心拍数を見ながら歩いていくと、これがすばらしい精度を持っているということがすぐに分かりました。150拍に達するとブザーが鳴るのですが、そこで深い呼気をします。すると149拍に落ちてブザーが止まるのです。安心して吸気すると、たちまちふあっと150拍に上がってまたブザーが鳴るではありませんか。
●しょうがないので、今度は歩幅をせばめてみます。歩幅を靴幅程度のところまでせばめると、とたんにまた149拍に落ちるではありませんか。そのまま抑えて歩いていると145拍ぐらいまで落ちていきます。私は昔カシオのパルスメーター兼用腕時計を使ったことがありますし、オムロンが指先で計れるポケット血圧計を出したときにはさっそく雑誌記事のために取材しました。でもそういうものとは比べものにならないキカイだということはすぐに分かりました。
●たとえば、スイスのトーメンという会社の高度計が長い間登山用として使われてきましたが、アナログ式であることもあって、エレベーターの上下が「見える」のです。もっともそれは航空スポーツ用ですから、ビルの屋上のあたりから地面までの高度の変化が見えないと使いのものにならないわけですが。同様に、心電図の精度をベースにして心拍数情報だけを取り出しているというこのキカイもホンモノという感じがありました。

●キカイが正確だと信じられなかったら、キカイのせいにしたくなるようなことが起こりはじめたのです。150拍というターゲット設定をしたときには、最初は十分に余裕をとっておいて、キカイの操作に慣れてきたらターゲットの幅をせばめていこうと考えていたのです。心づもりでは130拍前後で歩く予定だったのですが、とんでもない、たまたまセットした上限の150拍に貼り付いてブザーが鳴らないようにするので精いっぱいという状態になっていたのです。息切れはしていませんから体に異常感があるというふうにも思えませんでした。
●最初の20分ぐらいは150拍で頑張ってみたのですが、とうとうターゲット設定を155拍に上げました。同じペースを作っているはずなのに、心拍数のレベルが5拍上がってしまったのです。みなさんもかなり静かになりましたから、じつは「超楽ペース」ではなくなっていたのかもしれませんが、アタマでは同じペース、心拍数は5拍上昇という状態になったわけです。体のほうはどうなったか。実はそこがいちばん大事なところなのですが、かなりカッタるい感じで疲労が蓄積してくる感じではあったのです。
●バテてくるとたいていの人は何か後悔するのですが、この日は私は徹夜明け。いやな予感はありました。それからザックの重さ。後で計ると21kgでした。過去の山行の見本写真がケース共で4kg弱、冷やした麦茶が6kgの合計10kgはかならずしも限界というわけではなかったはずなのですが、この日は効いたようです。稜線に出ると負担が軽くなりましたから、登り勾配がきつかったようです。
●150拍から155拍に上げたターゲットをさらに160拍まで上げましたが、そのうちに160拍も越すようになったのでとうとうアラームをoffにしてしまいました。結局170拍あたりで止まったようですが。
●そのような心拍数の上がり方を見ていると、連続的に上がったり下がったりするのではなくて、階段状に上下するという印象でした。たとえば155拍の手前でしばらく行くと、疲労感にせっつかれるような気分の中でその一線を越えて行きます。車の運転を例に取ると、ギアを一段落としたのに気がついてみるとまたアクセルをめいっぱい踏み込んでいて、それなのにスピードがゆっくりと落ちてくるので、ギアをもう一段落とさなければならなくなる。そういう感じです。

●1時間半ほどの明星ヶ岳の登りで、バテはじめるの領域の心拍数の動きをおおまかに見ることができたのです。そこから明神ヶ岳を経て金時山の手前の矢倉沢までの長い稜線歩きは、昼食休憩もありましたし、冷たい麦茶がなくなって軽くなりましたし、登り下りも細かな繰り返しになって体への負担はとくに感じませんでしたが、結局3分の2の人が金時山登山を放棄したのは、全体の雰囲気がそんなふうだったからでしょうが、疲労がじわじわと蓄積していたからだと思います。
●明神ヶ岳の先ではみなさんに気持ちのいい速度で歩いてみてもらいたかったので解放し、私はしんがりを歩いて矢倉峠に着きました。そこで荷物を捨てて、空身で金時山登山組の8人を追いました。標高差300mの、標準的な「1時間モデル」でした。
●この日は陸上用品店で買った「トレールランニングシューズ」をはいていましたから、峠から登り始めを走ってみました。たちまち心臓がドキドキ鳴り出して、全身に疲労物質の乳酸がたまっていくという感じです。心拍数は170拍の終わりのあたり。177拍まで上がっていました。これはかなりの恐怖でした。
●若いころに「心臓が飛び出しそう」という体験をしたときと比べたらまだいくらか余裕があるとは思いましたが、じつは最高心拍数として通常使われる推定値は「220−年齢」拍なのです。きちんと調べる方法がないわけではありませんが、一般にはこの推定値を利用することになっています。したがって51歳になった私の場合は最高心拍数を169拍とするのが一般的なのです。ですからして180拍に突入しようかという恐怖にはかなりのものがありました。もしそこで気分でも悪くなったら、一巻の終わり! という感じです。
●そこでもちろん体勢を立て直して心拍数を下げながら歩くのですが、止まって160拍ぐらいまで下がるとまた歩き出して、できるだけゆっくりと、心拍数を上昇させないように登っていきます。しかし動いている限り心拍数はすぐに170拍を超えて、180拍にジリジリとにじり寄っていくのです。
●金時山登山で思い出したのは、若いころにとことんしごかれたときの記憶でした。徒競走のゴール直前のような全力疾走状態がノロノロとおこなわれているのです。止まれば楽になりますが、動いている限りはどんなにゆっくりでも運動強度は最高レベルに届いています。全身に疲労物質が広がってしまったようで、エンジン回転だけが簡単にレッドゾーンに入っていくという感じなのです。

●新しいキカイを持ったことで、以前なら絶対に踏み込まなかった領域に踏み込んでいくというのも恐いことだと思いました。私流のシミュレーションなら、矢倉峠から金時山までは1時間とります。途中に振り返ると気分のいい展望台がいくつもありますから、その展望を楽しみながら登ります。心臓の存在を感じるなんてことはないのです。ところがここのコースガイドは40分というのが相場のようで、それに惑わされる人はけっこう汗をかくでしょう。心臓をドキドキいわせる人もいるでしょう。急な斜面での登りのコースタイムというのは、たいてい「アルバイト(仕事)の満足感」を与えてくれるようになっています。ひと汗かかないと登った気にならないという律儀な人に歓迎される数字になっているからです。私は45分かかりましたが、空身で、めいっぱい歩いたということからすればいかにバテていたことか。バテて逃げ道のない状態に陥った人の気持ちがよくわかりました。
●もうすこしいい体調のとき、AT心拍数というのを計ってみたいと思います。30分間持続する最大パワーの後半の20分間の平均心拍数をAT(無酸素性作業閾値)心拍数といって、このAT心拍数のすぐ手前の領域で運動すると、心肺機能、スタミナ、筋肉持久力といった有酸素運動(エアロビクス)の最良のトレーニングが可能なのだそうです。
●このAT(Anarobic Threshold)心拍数は慣れると体感できるようです。10分間以上をかけながら徐々に運動強度を高めていくと、筋肉がゴムのような感じ(?)になって突然呼吸数が上昇するのだそうです。(たぶんバテ初めの明瞭な切り返しの瞬間のことだろうと私は思うのですが、どうでしょうか)
●これは実際に酸素の所要量が増加したための変化ではなくて、筋肉の仕事が無酸素領域に突入したために血液中の酸素が過剰になり、脳の呼吸制御中枢を刺激した結果起こる変化だというのです。筋肉は運動強度が弱いときには脂肪を積極的に燃やします(脂肪燃焼領域)が、さらに強度が高まると、血液によって運ばれる酸素を使って、さらに効率的に脂肪を燃やします。一般にいう有酸素運動(米国の空軍医ケネス・クーパーが理論付けしたエアロビクス)の領域です。人間は大気中の酸素をうまく取り込むことで、全体として相当大きな仕事をすることができるのです。一般に持久力といわれるのがその仕事能力をさしています。
●ところがもっと大きな力を出そうとすると、酸素で脂肪を燃やして動かす筋肉(遅筋繊維)には対応できなくなるので、瞬間的に大パワーを発生できる速筋繊維が仕事を引き継ぐのです。これは筋肉中のグリコーゲンを使って動くので酸素は使いません。したがって有酸素運動の最大パワー領域から無酸素運動の領域に突入すると、その瞬間に、供給されていた大量の酸素が失業状態になってしまうらしいのです。脳の呼吸中枢では体内の酸素量や炭酸ガス量を検知していますから、酸素過剰という判定になってしまうらしいのです。おまけに無酸素運動はグリコーゲンを消費して疲労物質の乳酸を作る化学変化ですから、たちまち疲労感が襲ってきます。
●そういうおおまかなストーリーを理解した上で、競技選手たちは自分の肉体能力を改善しようと悪戦苦闘するわけです。その一例として、AT心拍数からプラス10拍までの間では、自分の有酸素運動能力を拡大することが可能なトレーニング領域となるのだそうです。また、私たちがバテバテ状態になる領域(AT心拍数+10拍以上)はスプリント力に代表される無酸素的運動能力を拡大するための、最大筋力増強のトレーニング領域になるのです。この場合の最大筋力とは、たった1度しか発揮できないフルパワーのことで、「火事場の馬鹿力」といわれるもの。その最大筋力を拡大するには、たとえば3回で使いきるフル出力を高めていくというようなトレーニングをするのだそうです。
●AT心拍数の手前と向こうとでは人間の運動性能は「ジキルとハイド」ほどにも違うともいえるのです。このAT心拍数は30分間持続できる強度の運動をしてみて、「ややつらい」から「つらい」と感じる領域の心拍数というふうにつかまえることもできるわけですから、積極的な登りをしながら休憩時に脈をとってみることでおおざっぱにつかまえることができるように思います。結果として140拍前後のどこかになるのではないかと思いますがどうでしょうか。

●ちなみに運動強度をかなり厳格にコントロールしたいというときには、朝目を覚ましたときに、体を動かさないまま脈(1分間、あるいは10-15秒で1分間に換算)をとって、1週間の最低値を安静時心拍数とします。最高心拍数は「220−年齢(女性の場合はなぜか226−年齢)」拍による推計値を使うと、最高心拍数から安静時心拍数を引いた値が予備心拍数となります。
●たとえば50歳男性の場合、最大心拍数の推定値が170拍です。安静時心拍数が60拍であれば予備心拍数は110拍。運動強度によってこの110拍が上下するわけですからその部分を何パーセント使うかで運動強度の目盛とすることができるのです。
●いささかでも積極的に体を動かしてみようとする人は、運動強度の最低ラインを60%とするのがいいと思います。その60%から70%を脂肪燃焼領域+有酸素運動領域としてできるだけ長時間この強度を維持するという目標を立ててみるのがいいと思います。先ほどの50歳男性モデルの場合、予備心拍数が110拍ですから66〜77拍を安静時心拍数の60拍にのせて126〜137拍を目安と考えるのです。
●積極的な有酸素運動領域を70〜80%と設定しておくのが合理的だと思います。山歩きの場合でも自分で積極的にペースを作って、しかも乳酸の生産領域に踏み込まない(すなわち体がゴムのように感じられたり、鉛のように重くなったりしない)トレーニング効果の高い領域です。元気なときに、スピードを上げてみたり、荷物を重くしてみたりして、体力、脚力のパワーアップを試みていただきたい。人間の肉体の限りない可能性をだれもがかならず感じることのできる領域です。「気持ちのいい汗」の範囲ともいえるでしょう。さきほどの50歳男性モデルでは137拍から148拍の間と出ます。
●競技者用のトレーニングメニューでは「効率トレーニング」という名目でさらにハードな領域を使いたがるわけですが、私たちは運動強度を80%以上に上げないというふうに断固として決めた方がいいと思います。なぜか——もちろんわたしはその辺の問題に関してシロウトですが、筋肉の固まりである心臓は年齢に関係なく鍛えることが可能なのです。鍛えれば容量を拡大していわゆるスポーツ心臓になっていきます。ところがところが、車でいえばシリンダーの内側を削ってエンジン容量を大きくする方法がありますが、排気量を上げるのと引き替えに壁を薄くしてしまうのです。したがってフル回転させたときに壊れる危険も大きくなってしまうのです。中高年になってから肉体改造に目覚めた人たちが必ず落ち込むのがこの「壊れやすいスポーツ心臓」の問題なのです。
●もうひとつ、心臓が簡単にパワーアップしたとして、強力に送り出された血液は動脈中をその圧力で流れますが、血管が堅くなったり、もろくなったり、詰まり気味になっているとやっかいなことが起こります。同じ心拍数でも若い人と中高年では血圧のはね上がり方が決定的に違うということがいわれます。
●ですから私が初めから強調しているように「頑張ってはいけない」のです。山歩きを、弱い運動を長時間続けることに最適な運動方法と考えて、脂肪燃焼領域の上限あたりを長時間使うようなペース配分を心がけているわけです。ただ、歩きながら自分の体がいまどういう状態になっているのか確かめてみるために、ただいわれたとおりに動き続けている心臓の仕事量をモニターしてみるとどうだろうか、ということなのです。ですから体を鍛えている競技者ほどに心拍数をギリギリまで信じることはできません。おおまかに、そして低めに抑えながら、自分の肉体の時間的な変化をむしろ重く見るというのがだいじだと思うのです。
●ポーラエレクトロ社にはメモリー機能のついたバンテージXL new(49,800円)というキカイもあります。5秒ごと(2時間40分)、15秒ごと(8時間20分)、60秒ごと(33時間40分)の心拍数を自動的に記録します。どこかの山で使ってみたいと思います。しばらくは心拍数に夢中になるかもしれません。どうかよろしくご協力いただきたく。

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■1996.7.1──山岳保険のこと

■山岳保険に関するお答え

●茨城県下館市のM.佐藤さんの初参加がなかなかうまく実現しません。まずは[09]鳴虫山の後でいただいた手紙を紹介しておきます。
★前略。昨日は電話で失礼いたしました。(5月)11日、日光までの所要時間を勘違いしたのか、東照宮付近の駐車場に7時半に到着しました。鳴虫山山頂には10時に着きました。頂上でしばらく休んでいましたが、山行計画では、皆様の到着は13時ころと判断しました。頂上での3時間が待ちきれず、約束を違え下山させていただきました。
★この時期、鳴虫山へはヤシオツツジを目あてに登られた方が多いと思います。昨年は多くの花をつけたようですが、今年は例年の半分程度の花しかつかず残念なことでした。
★さて、鳴虫山への初参加がかないませんでした。6月8日の大岳山と、8月10日の丹沢=モミソ沢の山行予約をお願いします。
★山岳保険について確認したい件があります。私は東京都岳連の個人会員登録をしております。そのため山岳保険にも通年で加入しております。山行毎の保険に入る必要があるかどうかご連絡下さい。

●この手紙に対して2つほど書いておきたいと思います。
●佐藤さんは日光のご出身だそうで、鳴虫山は裏庭みたいなところだそうですから、現地で合流できれば……という含みを残していましたが、「糸の会」の基本的な考え方では、集合場所でいっしょになった人だけが当日の最終的な参加者です。いない人の捜索などはしないと決めています。つまり遅刻は切り捨てです。(リーダーである私が遅刻した場合にどうするかを決めておかなければいけませんが……)。電車を1本待ってみることができる場合もありますが、できない場合もありますから、集合できた人だけで山歩きを行なうという原則は立てておいたほうがいいと思います。したがって佐藤さんと山頂でお会いできるかもしれないとは思いましたが、それ以上のことは考えませんでした。
●佐藤さんの手紙に関するもう1点は保険のことです。山行ごとに毎回掛けているのは通常の国内旅行傷害保険で、死亡約1,000万円、入院6,000円/日、通院4,000円/日というもので、掛け金を最低金額の500円ジャストにするために死亡補償の金額を微調整しています(団体割引が効く人数の時には補償金額がすこし大きくなります)。いろいろ考えたのですが、やはり「糸の会」が初歩の山歩きに徹するという意味で、毎回のこの保険は省かないほうがいいと思うのです。(小さな事故に関して少額の補償をしてもらうというのがこの保険の役目だと考えています。それと対社会的な最低限度の備え)
●それとダブリますが山歩きが生活の一部に入り込んできた人には個々に「山岳保険」に入っていただきたいと思います。佐藤さんが加入されている山岳保険もそれに当たると考えていただきたいのです。
●この山岳保険については4月のお知らせ(通算118ページ)で、小屋泊りの計画に参加される方に掛けていただこうかと書いたまま、そのままになっています。かならずしもドンピシャではないらしいという部分がまだひっかかっているのです。
●山岳保険というのは山岳遭難の捜索・救出・移送・ヘリチャーターなどの経費をカバーする「遭難捜索費用保険金」を中心にしたもので、死亡保険金や入院保険金はきわめて低く押さえられているのが普通です。山岳団体が仲間の迅速な遭難救助を可能にするために作り上げてきたものだからです。最近の中高年登山ブームで、その保険に個人加入の道が開けてきたと考えておくといいでしょう。

●たとえばH.小池さんが加入した千代田火災海上保険の山岳保険は、国内でのあらゆる山岳登はんに対して遭難捜索費用が補償されます。
★Aコース……捜索費用100万円、死亡・後遺障害140万円……保険料1年間8,000円
★Bコース……捜索費用100万円、死亡・後遺障害150万円、入院1,000円/日……保険料1年間10,000円
★Cコース……捜索費用100万円、死亡・後遺障害190万円、入院2,000円/日……保険料1年間13,000円
●捜索費用というのは捜索隊が編成された結果生じた費用請求や有料の遭難救助隊を依頼した費用などがありますが、大きな目安は民間のヘリコプターを捜索・救出・移送にチャーターした場合の費用で、頼めば100万円はかかるというプレッシャーをはねのけて、迅速に手配ができるというところに一番大きな意味があるのだと思います。
●この保険では捜索費用を200万円まで増額できるようですし最長5年までの一括支払いをすると保険料は割安になります。
★問い合わせ……千代田保険センター/155世田谷区代沢2-48-33/電話03-5453-4480/ファクス03-5453-1932/担当天野博文

●これよりも新しい時代感覚で登場したのが三井海上火災保険の山岳保険・ハイキング保険です。
★問い合わせ……三井海上火災保険(株)東京第三中央支社/新宿区西新宿2-2-1新宿三井ビル18階/電話03-3343-1076/ファクス03-3343-1076/フリーダイヤル0120-756657/山岳・スポーツ保険担当大川淳
●三井海上火災の山岳保険は岩登り、雪山を含み、ザイル、ピッケル、ハンマー、アイゼンを使用した登山をカバーします。
★A-1コース……遭難捜索費用150万円、死亡・後遺障害150万円、入院なし、個人賠償250万円……年間保険料10,000円
★A-2コース……A-1に入院1,900円/日を加算……年間保険料13,000円
●これは登山計画書の提出の義務はありませんから、事故が発生してから手続きすればいいのです。
●山岳保険は千代田火災海上でも三井海上火災でも大差ありませんが、三井海上火災のほうにあるハイキング保険は休日登山者には大変割安になっています。この場合の「ハイキング」の範囲ですが、山の高さや場所で山岳保険と区別することはなく、「軽登山、沢登り、夏の縦走、スキー登山用」と規定されています。さらに「春山などで雪が所々にあるためにアイゼンを携帯使用する場合、沢登りで補助的にザイルを携帯使用する場合、森林限界あたりをスキー登山するときに一時的にアイゼンを使用する場合、等、冬山、岩登りとしての特殊な技術を必要としない場合は、ハイキング保険の適用範囲となります」と明記されています。北アルプスなどの夏山縦走も一般コースであればもちろん適用されるわけです。
★Bコース……遭難捜索費用500万円、障害見舞金100万円、個人賠償1,000万円、死亡・後遺障害400万円、入院2,250円/日、通院1,500円/日……年間保険料5,000円
●ただしこのハイキング保険には大きな条件があります。(夏休み、冬休みなどを除く)平日の日帰り登山は対象外になっているのです。
●平日も山歩きができるという人のために曜日を問わないハイキング保険(年間保険料7,000円)がありますが、これは割増料金ではなくて、保障内容がガラッと変わるまったく別の保険です。
★7,000円のハイキング保険……遭難捜索費用500万円、死亡・後遺障害210万円、入院1,800円/日、通院1,000円/日、個人賠償100万円
●しかしよく考えてみると、体調を崩したり、病気になる、あるいは転倒してケガをするといったことはいろいろ考えられるのですが、捜索隊や救助隊が出動するような遭難に至るという可能性は行動内容からいってきわめて少なく、これらの保険の遭難捜索費用保険金が「糸の会」の行動でどの程度適用されるか、まだよく見えてこないのです。
●ただ、いろいろなかたちで山歩きをするという場合にはハイキング保険の5,000円(一般勤労者向け)か7,000円のどちらかに入っていたほうが安心だと思います。それとダブる人が出てくるかもしれませんが、「糸の会」では従来どおり毎回500円の旅行保険を参加者全員に掛けます。ご理解下さい。
●とりあえず電話で資料を請求してみることをすすめます。

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■1996.6.1──最初の事故

●[08]大菩薩峠越え(4.27実施)で糸の会の初めての事故が起きました。目的地の丹波山村の丹波まであと1時間半というあたりでS.鈴木さんが転倒。左半身を頬+口+腕+脚と打撲、後遺症が残るかどうかはまだ分かりませんが、打撲をまんべんなく散らしたことで脳や骨への傷害は現在まで出ていないようです。整形外科と歯科のお医者さんも「不幸中の幸い」とのことです。丹波山食堂でのヤケビールも悪い影響は残さなかったようです。
●メンバーの中に看護婦という職業を秘匿していたS.小池さんがいて、きわめて適切な応急処置をしてくれました。とくに徹底的に冷やすことを指導してくれたことが連休明けに鈴木さんが社会復帰できた大きなポイントであったようです。まためまい、吐き気などの症状が出たら救急病院に入るようにという指導など、経過の予想を的確に解説してくれたことが精神的な安静を確保する上でたいへん大きかったと鈴木さんは語っていました。
●みなさんにもいろいろとご協力いただきました。ありがとうございます。事故はほんのひとまたぎの流れのところで起きたのですが、岩の角にはっきりとキスマークが残るような転び方になってしまっただけに、鈴木さんが自力で下山できない状態になっていてもおかしくない状況でした。いつでもだれにでも起こりうる転倒でした。不幸中の幸いというべきでしょう。鈴木さんの完全復帰の一日も早いことを祈ります。

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■1996.4.10──朝日カルチャーセンター千葉——初歩の山歩き・新講座講義資料

■朝日カルチャーセンター千葉——初歩の山歩き
■楽に楽しい登り方・下り方——第1期
■主旨
1)この講座は、月に1回の日帰り登山を続けると、半年後には北アルプスの山歩きも可能という私の主張の入門編です。
2)山の有名・無名、高い・低いに関わらず、一般コースの登山道は1km先で300mという高度差が標準的です。そこで山の大きさを「1時間モデル」で計ってエネルギー配分すると、山登りは楽で楽しいものになります。
3)また弱い運動を長時間続けることから、登山は血管を若返らせるもっともよい運動になります。
■スケジュール
1)4/10 (水)講義…足ごしらえと服装
2)4/24 (水)実技…大月・高川山
3)5/8 (水)講義…水と食べ物、休み方
4)5/22 (水)実技…湯河原・幕山
5)6/12 (水)講義…道具と危機管理
6)6/26 (水)実技…奥武蔵・伊豆ヶ岳
7)7/10 (水)講義…まとめと写真交換


■初歩の山歩き——1996.4.10講義資料

■最初に必要な道具(執筆中の原稿から)
●山歩きに限らず、なにか新しいジャンルに挑戦するとなると、最小限必要な基本的な用具が必要になります。3点セットとか5点セットというやつです。
●私が大学で探検部というクラブに入ったときに、最初に買わされたのは特大のキスリング型ザック(横幅が2尺4寸)と革の登山靴、それにフォーシーズン用の寝袋の3点セットでした。靴はワンゲル(ワンダーフォーゲル部)御用達の靴屋でオーダーメイドにすると担保も保証もなしに月賦になりました。いま冒険小説の第一人者といわれる船戸与一(先輩)も「3点セットを買わされたから、部をやめられなかった」という口だったと記憶しています。
●ただし、そういう強引な道具のそろえ方はあくまでも基本セットにとどまるべきで、なにからなにまでおそろいというのではお粗末です。
●そういう思いで見ていると、カタログ雑誌などの影響か、いまや、みんながペアルックという感じに思えます。それだけなら文句をつける筋合いではないのですが、本来なら技術の受け皿であったはずの道具が、道具の受け皿になりさがった技術を従えて歩いているような印象がしてなりません。そういう点で、最近はやりの「道具から入る」というかたちに、私は不満です。
●とくに、ハードウェアをそろえることによってソフトウェアの比重を軽くできそうな錯覚に陥ることがこわいのです。この本ではとくに靴の悪口をたくさんいうことになると思いますが、足を守ってくれるだろうと思って大金を払って買った山歩き用の靴が、多くの人の足を傷めているという現実があることを明記しておきます。道具から入る愚かさについて語るのに、いまは登山靴を引き合いに出すべき時期だと考えています。
●で、いま、山歩きを始めるのにどうしても必要な道具は何かと聞かれたら、登山用品店で買ってもらいたい道具を一点だけ挙げることにしています。肌を湿らさないタイプの登山用Tシャツです。
●それ以外は何があればいいのか。私が主宰する山歩き講座の会「糸の会」で初参加者に求める装備をすこしくわしく解説しながら、ここではあくまで概観的に紹介してみたいと思います。


■足ごしらえ
●足ごしらえについては、とりあえず、普段はいている運動靴とソックスでOKです。ただ、「運動靴でいい」のではなくて「運動靴がいい」と強調することにしています。
●どういう運動靴がいいかと聞かれた場合には、こう答えることにしています。
「普段はいていて足にあっているものならなんでもけっこうです。靴の種類より、歩き方の方が決定的ですから」
●適当な運動靴を持っていないという人には買ってもらうことになりますが、その場合はふたつの答えを用意しています。
「安売りの運動靴でいいです。1980円なんていうので十分です」
●というのと、
「きちんとした店できちんとしたテニスシューズかランニングシューズを足にあわせて選んでもらってください」
●安売りの運動靴でも、スポーツ種目にきちんと対応した運動靴でも実際にはどちらでもいいのですが、運動靴を山ではくと、ひとつだけ困った問題が起こるのです。下りで足指の爪をいためる危険があるのです。これは靴の中で足が前にずれたときに、靴の爪先と足の爪先との微妙な関係から爪を刺激して、ひどい場合には爪を殺してしまいます。ベテランになれば爪の1枚、2枚へしゃげていてもいいとしても、軽い気持ちでトライした最初の山歩きで爪をはがしたりしたら困ります。
●それは歩き方でかなりのところまでフォローできるのですが、靴と足の相性は、歩いてみないと分かりません。
●登山靴なら足首のところできちんとひもを締めれば、靴の中で足が勝手に前方にずれることを防げるということになっています。たとえそういかなくても、登山靴を買って爪をつぶしたのならシロウトさんに「しょうがない」と思わせる説明はいくつでも用意できるのです。が、運動靴となると、山歩きなんぞにわざわざはかせた人間の責任が大きい——という感じですから不思議です。たぶん登山靴風のダメ靴がたくさん売られているのは、商売人たちのエクスキュースのためなのでしょう。
●だから相性にかかわる不安があるときには、テニスやバスケットのように激しいブレーキングを必要とする種目の靴を、きちんとした店で相談して買えば、爪を傷める危険がかなり低下する——という意味なのです。この場合も運動靴の種目は問いません。したがって靴底の形状も気にしないでだいじょうぶです。
●足に合いさえすれば安物の運動靴でも歩くには問題ないので、十中八、九は問題ないのですが、とくにこの「安物の運動靴」というのは重要な伏線となっているのです。
●たとえ日帰りの低山歩きでも、冬、悪天候の場合を考えると、足ごしらえは定価で3万円以上のしっかりした登山靴(最上級の軽登山靴)でないと安心できなくなります。それに匹敵できる安価版が、わたしが知る限り、スキー用品店や雪国の靴屋で買える(実売価格5000円以下の)雪国用運動靴「スノトレ」なのです。価格帯から見てスノトレの上に位置する見てくれだけの軽登山靴/トレッキングブーツ/ハイキングシューズ/ウォーキングシューズなどは、冬にはまったく信用ならないものに成り下がります。
●じつは北八ヶ岳の真冬の山歩きに一番ふさわしいのがスノトレだとわたしは信じているのですが、安物の運動靴をはけない人には不安で歩けないだろうと思います。安物運動靴の通気性をゼロにし、防水靴にしただけのものが、わたしのすすめるスノトレだからです。だから、冬の山歩きの足回りをスノトレで万全にしてもらうために、夏は運動靴で存分に歩いてもらいたいというのが本心なのです。(スノトレについてはあとで詳しく語ります)
●ソックスについても後でくわしく語りますが、とりあえず、普段はいているものでけっこうですとしています。


■行動着
●山歩きの服装については、簡単に「登山用肌着+長袖シャツ+長ズボン」と書くのですが、よほど寒い時期を除いて一年中これでいいと思います。
●一般にいうアウトドアスポーツは「屋外運動」という意味のものがほとんどなので、行動が終わったらすぐに着替えてサッパリするというのが常識になっています。海水浴もゲレンデスキーもゴルフも、困ったら逃げ込めるところがあるので「オープンエア」を満喫すればいいのです。はやりのオートキャンプも逃げ込めるドアが近くにあるという意味でのアウトドアだから、別荘生活に限りなく近いかたちといえそうです。
●それに対して山歩きは、どんなにレベルを落としても野外完結型の行動です。途中で動けなくなるかもしれないという不安がある間は、衣服は第二の肌であり、環境から身を守るバリアという重い役目を与えられています。
●めいっぱい汗をかいて、パッと着替える——というのの対極にあって、濡らさないように歩く、濡れたら歩きながら乾かすということが基本的な考え方になっています。そういう汗くささが善良な市民のみなさんに嫌われるところだとは思いますが、それゆえに、帰りがけに温泉につかって、着替えて帰る、というのが登山者の至福の瞬間ともなるわけです。
●行動着の長袖シャツと長ズボンはゆったりしていて丈夫ならなんでもいいと私は考えています。夏は夏らしい、冬は冬らしい生地のものをはくに越したことはないのですが、私などは関東平野の周辺に限定される日帰り登山では、一年中ほとんど同じ服で過ごしてしまいます。
●これらは登山用品店やアウトドア用品店で買うと安心に思えるのですが、専門店で買ってほしいのはもう少し機能を限定した衣類で、普通の登山用行動着は割高なだけで、払った分だけの価値があると思えないものが多いという印象をもっています。
●登山用品店にあるカッターシャツはチェック模様ばかり、と文句を言っている人がありましたが、もっとおしゃれなシャツを、自由に、積極的に山で着てみていただきたいと思います。
●山歩きを始めるに当たって最初にこれだけは買ってもらいたいというのが登山用肌着ですが、これは毛細管現象によって肌の湿りを外へ吐き出してくれる新素材のシャツのことです。日常用の肌着でも次第に認知されてきている機能ですから同様のものが近くの店にもあるかもしれません。しかし私は「登山用品店で定価3000円前後のTシャツを買うこと」と言明します。
●近くの店でもいい品物を買えるかもしれませんが、一般のユーザーには肌触りをよくしたり、ポカポカと暖かく感じるような付加価値をつけないと売れないらしく、「肌を湿らさない」という本来の機能を見失ってしまうものも多いようです。まずは一枚、登山用品店で買ってほしいのはそのためです。
●その一枚のTシャツで行動中の着替えが不要になり、普段と違う環境の中で風邪をひくなどの失敗を未然に防いでくれる効果は想像以上のものがあります。冬なら保温用の服が一枚減らせるのですが、誤解を招くといけないので詳しい説明は防寒と保温についてきちんと書いてからにしたいと思います。


■防風・防雨
●ここで対象とする山歩きは、山岳雑誌などでは「低山」と分類する範囲です。本州中央部(たとえば日本アルプス)で標高2500m以上に現われる高山帯、すなわち森林限界の上の世界とは一線を画しています。
●「低山」対象とはずいぶん読者をバカにしているように思われるかもしれませんが、日本アルプスだって、下から登れば八割方は森林帯の中の登山。そういう意味では日本の山登りの基本的な部分について考えている——というふうにもいえます。
●覚えておいてほしいのは、森林帯の中では雨はほとんどまっすぐに落ちてくるということです。最近の都市のビル風による風雨などよりずっとやさしい雨が降る。これは嵐の日に山に出かけてみるとよくわかることです。したがって、山道では折り畳みのカサがもっとも合理的な雨具です。
●ただ、行程上の特定の場所で強風と共に横殴りに吹き付けてくる雨もあります。ほんの一時的のことですが、非常用バリアとしてのカッパ、レインコート、ポンチョ、レインスーツなどがほしいということになります。非常用ですから、最初は使い捨てのビニールガッパでもかまいません。あるいはゴミ袋を何枚か用意しておくと、かなり実用的な非常用バリアを適切に用意することが可能です。私は「ゴミ袋キャンプ」なるものの提唱者を自認していますから、それについても後で少しページを割きたいと考えています。
●防風は、夏はあまり気にならないのですが、寒い季節にはバリアに求められる機能として比重がどんどん大きくなってきます。しかも必ずしも完全防風がいいわけでもありません。風に対する自在な対応は、かなり高度な技術ということになるでしょう。
●そういうことの一切合切を含めて、野外完結型の行動である山歩きでの安全性を高め、持つべき衣類をコンパクトに保つために、いずれは購入してほしいのがゴアテックスのレインスーツです。これなどは雨具としてのみ評価するのではおばかさん、非常用バリアとしていまのところ絶大な価値をそなえているという多目的装備という視点で選びます。


■食べ物・飲み物
●経口燃料としての水と食糧については、書き出せばきりのないところです。とりあえず次のように列記することにしています。
「水筒+昼食用飲み物+昼食+おやつ」
●水筒の容量はここでは問いません。休憩ごとに取り出して一口ごと口を湿らせることが、ここでいう水筒の一番重要な役目です。容量よりも扱いやすさが重要です。
●そこで昼食時にお茶代わりに飲むものは別に考えます。紙パック入りの飲み物や、缶飲料を臨機応変に用意すると無駄がありません。途中に茶店があるときにはそれを当てにしてもいいわけで、計算が狂った場合のために、缶飲料一本を非常用としてザックに放り込んでおくようにすればいいのです。この非常用を自動販売機でホットでも売られる缶飲料にしておくと、冬には缶ごと暖めて値千金のホットドリンクとすることができます。
●昼食は「駅で買える弁当も可」としています。私の場合、妻が弁当を作ってくれないわけではないのですが、出がけに駅でおにぎり3つ買っていくというのがスタンダードになっています。ポケットに入れておいて歩きながら食べられるし、何回かに分けても食べられるという臨機応変が身上の行動食として、おにぎりは、まあ、上出来な選択なのではないかと思っています。安いですしね。
●そしておやつについては、凝り出せばきりなしです。私のように持たないという原則でもいいのですが、日帰り登山なら、予備の行動食と非常食を兼用するようなもので、ちょっとぜいたくなものを持ってみることから始めてみることをすすめます。


■小物・袋物
●私の「糸の会」ではその他の装備を「小物・袋物」とくくって、次のように列記しています。
「地図+時計+ポケットライト+(高度計)+(カメラ)+デイパック」
●出発前に地図上でどのようなシミュレーションをするかについてはこの本の重要な骨格のひとつなので見ていただくとして、その地図に行動時間を重ねていけばナビゲーションはほとんどOKというのが私の考え方です。(もっとも「一般コース」で「道をはずれない」という条件を前提にしているわけですが)
●森林帯の登山道は天候の悪化に対してはきわめて安全なのですが、展望がきかないために、道標がしっかりしていないと道に迷います。これが「低山」の一長一短というわけです。
●そこでナビゲーションの基本として、ルートをはずさないためには、日本の山では高度計によって現在位置を把握するのが合理的です。(現在地点を経度・緯度のかたちで直接知ることのできるGPSはまだすこしおおげさかもしれません)
●中高年の登山者はその社会的な環境から単独行が多くなり、ゆるい関係で結びついたチームのリーダー役をやることになる可能性も大きいようです。そこで高度計内蔵の腕時計を使うことを常識としたいと私は考えています。
●ポケットライトは安くて小さくて、口にくわえられて、もちろんポケットに入れておけるような正真正銘のポケットライトという意味です。これの使い方には十分なスペースが必要なので後で書きますが、とくに秋の山歩きには忘れてならない第一級の非常用装備です。
●そしてデイパック。入れ物は、ここまでの装備ならデイパックで十分でしょう。あわてて中途半端な登山用ザックを買うことに私は反対なのですが、それは靴と同じくらいいい加減なものを買わされてしまうことが多いからです。登山用ザックは目が肥えてから、きちんとした店で、十分に時間をかけて選ぶことをすすめます。
●それに対してデイパックというのは、いまや若者たちの日常的な道具にもなっていて、どこで買っても、シロウト考えで選んでも、まあ安全です。こまかな機能にこだわるよりも、むしろ全体的なデザインなど、自由な目で気に入ったものを選んだ方が賢いかもしれません。あえて付け加えれば、「大きめのものがいいですよ」というくらいです。


実技資料
■大月=高川山(執筆中の原稿から)

■日本中どこにでもありそうな、鉄道沿いの小さな里山なのです
●常識的に考えてみて、近間の小さな山で登るのにおもしろい山というのがゴロゴロとあるはずはないのです。かといって山を単なる坂道、トレーニングジムと考えるのも貧相です。
●頂上に立ったとき、登ってよかったという感動——まではいかなくても感激は味わいたいと思います。そういう意味でなら、小さい山でも、歩ける喜び、生きている喜びのようなものをしっかりと与えてくれる山はかなりたくさんあります。中高年の方々と山に登るようになって、どのような人にも、多少なりとも人生とかかわり合う山登りがあるということに気づいてから、私は小さな山を馬鹿にしなくなりました。
●この高川山は、JR中央線で甲府方面に向かうとき、大月を過ぎてから次の初狩駅までのあいだ、左手の車窓に映る小さな山です。日本中どこでも、山間部を走る鉄道や国道から見られる、ごく普通の里山のひとつです。
●標高が975.7mありますが、登山口の初狩駅が標高450mですから標高差は525mほど。この山の規模はだいたい「1時間モデル」を2つ積み上げた程度ということがわかります。ですからアプローチが長くないということと、道がしっかりついているという二つの条件がクリアされれば手頃な山ということになります。


■ガイドブックが自信をもって紹介しているのです
●ところが困ったことに、地形図には登山道が載っていません。里山で地形図に道がないという山は、とりあえず敬遠するのが常道なのですが、ガイドブックなどではこの山をかなり高く評価して書いているようです。
●山と溪谷社のアルペンガイド別冊に550コースを一覧できる『東京周辺の山』がありますがそこでは「低い山を歩く会」の阿部健さんが高川山をガイドしています。それによると「山は高くないが展望がよく、とりわけ空気の澄んだ秋から冬にかけては、富士山をはじめ、道志、奥多摩、奥秩父、丹沢と360度の大パノラマを楽しむことができる。東京周辺からの家族向きハイキングコースとしては最適な山のひとつだろう」ということです。
●さらに、「975.9mのこの高さでこれほどの景観が楽しめる山は、ちょっと他には見あたらない」とダメを押しているのです。信頼のできるガイドブックで、こう確信をもって語られると登ってみたくなります。


■岩場の記号が地形図で確認できます
●そこで地形図を見直してみます。山頂の三角点を取り囲む標高970mと960mの等高線はこの山頂が円錐形のてっぺん部分のかなり狭いものであることを示しています。その円錐形は標高950m等高線のところで大きく崩れて、北に細い尾根を張り出し、東がえぐられて急斜面となっており、南にはわずかながら岩の記号がついています。「高川山」の川の字の頭のところにその岩の記号が見えますから、頂上から南の方向は(樹木に視界を遮られずに)展望がいいという可能性が大きいわけです。そしてガイドブックはその景観が並々ならぬものだと告げているということになります。
●初狩駅の方に視線を下げていくと北東に延びる尾根の中腹に天狗岩というのがあります。標高650m等高線に沿うようにして、ここには岸壁を表わす記号がついています。登山道がそこを通っているなら、登り道の絶好の休憩所になるところです。
●低い山は前山が樹林に覆われているのが普通なだけに、岩の記号のある山はドラマチックな展開を期待できるのです。


■ガイドブックのコース図も詳しく見ると疑問が出てきます
●中高年向きの登山ガイドで私が信頼しているのに浅野孝一さんの『中高年向きの山100コース・関東編』の正・続2冊(山と溪谷社)があります。高川山について注目すべき記述があります。
「本コースの登路、初狩からの道は、最近要所要所に指導標が設置され登りやすくなった。かつての道は、多岐に分かれ、試行錯誤を重ねながらトレースしたもので、隔世の感がある」
●地形図に登山道が載っていないのはそういう経緯があってのことだということがわかります。
●さてそのコースですが、『東京周辺の山』では地形図を背景にして色刷りでコースが描かれています。『続中高年向きの山100コース・関東編』の地図は書き起こしたもので、山は等高線ではなしに尾根筋だけで概観させようとしています。
●どちらも概念図として示されているだけなのでコースの細部はかならずしも明確ではないのですが、複数のものを見比べてみると思わぬ問題点が浮かび上がってくることがあります。
●ここでは下山路が両者でちがっています。そういうことについての最新情報は地元の市町村役場の観光課などに問い合わせて道に迷う危険がないかどうか確かめてみることが必要です。新しく書かれたガイドブックを探してみたり、山岳雑誌の記事を調べてみたりするのが常道ですが、偵察と称して、同じ道を戻ってくる覚悟で出かけてみるというかたちの登山をすすめたいと思います。案外得るものが多いのです。


■町を出るまでは用心深く歩かないといけません
●とりあえず、手元のガイドブックで、そういう問題がどこに潜んでいるか分かりませんから、解説図から自分の地形図にコース情報を写し取る作業をしてみるわけです。はっきりしているところと、曖昧なところを明らかにしていければいいわけです。
●まずは起点となるJR初狩駅の標高を調べます。駅から国道に出ると水準点があって453mと記されています。しかし駅前に一本等高線が走っています。460mの等高線です。
●次に駅から登山口までの確認。ここでは駅を(北側に)出ると右手にしばらく行って、東京方面に200mほど戻ったところで線路をくぐります。そのあたりに標識があれば問題ないのですが、なければ早めに誰かに聞いて確かめることが必要です。ポピュラーな山の場合には、きちんとした案内表がない場合には何回も聞かれてたまらんという人が小さな標識を街角につけてくれていることが多いので、そういう小さな目印にも目を配りたいところです。
●線路をくぐるはおろか、またぐ記号も地形図にはありませんが、山側に小さな集落があって車の通れる道(一条線)がありますからそこに入っていけばいいのです。500m地点にお寺の記号があります。それを過ぎると道は斜面を本格的に登り始めます。
●この道は地形図に描かれている破線の道ですが、実際に歩いてみると一条線で描かれる林道で、車で上がれます。


■登りの目玉は天狗岩であるようです
●その破線の道は地形図では頂上直下の標高800mあたりまで登っているのですが、登山道は標高550mと600mの間ぐらいでこの道から分かれるのです。
『続中高年向きの山100コース』ではここのところがこう書かれています。「小さな橋を渡って10分ぐらい歩くとシイタケ栽培地に着く。栽培地の中ほどから指導標に導かれ、左手の林の中に入る。下ばえのヤブが若干気になるが、登山道はしっかりしている。やがて左へ斜面をトラバース気味に登るようになり、天狗岩に達する」
●この解説はじつに的確で、地図なしでも行けるという感じがします。しかし地形図で構造的に理解しておくと、見え方が違ってきます。
●標高600mの(たぶん)手前から登山道は地図上に「天狗岩」とある崖の記号の下に入り込んでいきます。等高線の密なところを斜め上に登りながら、天狗岩の尾根の先端に回り込んでいくのです。
●コースは地図上で想像するだけですが、登山道の分岐が1.2km、天狗岩の先端が1.5kmとすれば距離はわずか300m(ジグザグ道なら距離は五割増しぐらい)で標高差は50mといったところです。数字を入れるとずいぶん箱庭的な話ですが、初心者にはこれからいったいどうなるのだろうかという不安を感じさせるきつい登りに思われます。天狗岩の先端の展望休憩所で眺めのいい長めの休憩を楽しんでみてください、かなり長い間記憶に残る休憩になるはずです。規模は小さいながらドラマチックな登りがここにはあるのです。


■私はここの登りに二時間半を計上します
●コースは天狗岩の上部の尾根をしばらく登ってから特徴のない樹林の道になって、ひたすら登り続けます。頂上は私の計算で2.7km地点です。天狗の先端からは距離で1.2km、標高差で350mほどですから、「1時間モデル」ひとつ載せたかこうです。起点の初狩駅からでは2.7kmで標高差約500mですから距離1km=15分、高度100m=15分という時間目盛りで計ってみると合計1時間55分30秒と出ます。あくまでも概算ですから2時間です。
●私は初心者向きの登山実習をここで何回かやっていますが、天狗岩の展望を楽しみながら長い休憩を楽しむだけでなく、急坂で滑りやすいところや、岩っぽいところでていねいな歩き方講習をやります。それは登山道の傾斜に歩き方がフィットしていない人たちにそのコツをつかんでもらえる絶好の場所だからですし、頂上を越えてから、向こう側で、事故や故障を起こさずに下ってもらうための歩き方講習の導入も意図しているからです。
●リーダーが全員の足運びをきちんと見る機会をできるだけたくさん作っておく、という意味でも、コース上の難しいところを講習会の場にしてしまうというのが合理的な方法だと考えています。それによって、歩き方が下手くそゆえにバテている人には休憩が与えられ、長い休憩だったら退屈を感じるベテランには技術の向上のチャンスとなるのです。このへんはスキー教室の呼吸と似ているのではないかと思います。したがって、私なら登りの2時間に30分の休憩兼講習を加えます。


■下り口に確信がもてなくて、最初はとまどいました
●頂上で昼食というのが低い山では原則です。風が強かったり、雨に降られたら、その時は頂上の前後の林の中に場所を見つければいいのです。天気が良ければ、一時間は確保して、ぜいたくな時間をゆっくりと楽しむべきだと思います。小さな山ひとつを妙にせかせか歩いてもしょうがありません。
●いよいよ下りなのですが、下りのコースについては『東京周辺の山』(山と溪谷社、初版年不明)も『続中高年向き100コース』(山と溪谷社、1984年初版)のどちらも結果的に違っていました。これについては中央線沿線の山にこだわって登り続けている山村正光さんが『中央本線各駅登山』(山と溪谷社、1994年)に簡潔に書いているとおりでした。
「さて下りであるが、東に、しっかりとした尾根の踏み跡をたどる。すぐに、小形山への岐路となり、さらに下って中谷への道を左に見送る。ヒノキの植林地を抜け、沢を渡って林道が現れ、前方が開ける。大棚の集落(といっても大きな家が2軒)を過ぎて古宿となる」
●地図上に落とせた情報だけでは疑問符がいっぱいありましたが、たくさんの人が問題なく歩いている山なら道標が整っているはずです。行ってみた方が早いということも多いのです。


■下りの急坂で靴に頼らない自信をもてます
●結果として、私にはこの山に忘れがたい思い出が残りました。それは頂上から下山路にかかる急な下りのところで、一群の登山者が往生しながら下った後、運動靴の私たちが全員きちんと下れたのです。もちろんその中には「超」のつく初心者もいましたから、滑らないためには靴よりも歩き方の方が重要という私の考えを見事に証明してくれた瞬間でした。
●ぜひみなさんにやってみていただきたいのですが、山頂の隅からその急坂をのぞいたとき、直滑降の姿勢をとって前傾姿勢を確認し、そのままゆっくりと下りてみて下さい。滑るかもしれないという危険を感じながらギリギリのところで10歩ほどのその急坂を下れるだろうと思うのです。もちろん地面の湿り具合などによっても条件は変わりますが。
●下山路は北に向かう狭い尾根を50mぐらい下ったところから東側のかなり急な斜面に下りていきます。地形図で見ると950m等高線のところから八〇〇メートル等高線あたりまでは等高線の密度が高く、天狗岩の下と同じような急傾斜をここではジグザグを切りながらどんどん下っていきます。
●杉の植林地に切れられたジグザグ道は砂礫が表面に浮いているところでは足裏が滑りやすく、転ぶと斜面をどこまでも転落しそうな感じがするのでバランスに自信のない人はどうしても身構えてしまいます。どうするのかというと、10人が10人、腰が引けたり、体を開いて足をハの字や横置きにして、頭では滑りたくないのに、体の方はいたって滑りやすいフォームになっていきます。


■スリップする覚悟で下ってみることもだいじです
●ですから滑りやすい急斜面では、歩幅をできるだけ小さく(足幅の半分程度に)して足踏みするような感じで歩いてみたり、地面の形状のちょっとした凹凸を見つけるポイントを探してみたり、土の中に埋まっている小石の頭を上手に踏むことなど、いろいろ体験してもらうのです。
●それはけっきょく、前傾姿勢をきちんと保っていれば、足裏が滑っても姿勢は崩れないから、転ばない、ということなのです。車であれば車輪がスリップし始めてからの操縦法にあたるかなり高度な技術で、雪山では必須の技術になります。しかしわざわざ雪山に出かけなくても、高川山の下り斜面でやれるのです。滑らずに歩くということと、滑りながら歩くということの境界線で歩くということが、この程度の急斜面なら体験できるということです。
●そのコースが地図上のどの部分を通っているのかわかりませんが、標高800m等高線ではっきりと描かれている谷に、まっすぐ下っていくというふうに考えておけばいいのではないかと思います。私は地図上にコースをまっすぐに引きましたが、道は小さくジグザグを描いています。


■下りは最後まできちんと歩いて、関節回りを強化します
●谷筋を下っていくと標高650mまで上がってくる林道に出ます。それが3.5km地点とすれば、頂上からの下りは距離で800m、標高差で約300m。「1時間モデル」ひとつ分ということになります。ベテランはここを6〜7割の時間で駆け下りるかもしれませんが、私は登りと同じ一時間を取っておいて、その中に下りの歩き方講習をはさみながら、危険地帯を安全、かつ有意義に通過しようと考えます。
●車の通れる林道に出たら、もう標高差を考えずに時速4kmで計算しておいて大きな狂いは生じません。最終地点が富士急行電鉄の禾生駅の6.5kmですから車道を3km歩くということになります。ダラダラ歩くとたちまち足を痛めますから、きちんと、メリハリをつけて歩かなければいけませんが、おしゃべりは存分に楽しめます。こういうところは緊張感を失わないために、早歩きという意識で歩いた方がいいように思います。この3kmにも1時間用意しておくと、もし足を痛めた人がいたとしたら無理をしないですみます。
●高川山が私の評価でも際だっているのは、小さいのにしっかりした骨格を備えているからです。いずれベテランになってきた人たちと、いまやほとんど消えてしまっているいるかもしれない東尾根コースで本格的なヤブ漕ぎを体験してみようかなどと考えています。若い人たちとならヤブの中でのゴミ袋キャンプもおもしろそうだなぁと思います。そういう意味で一級品の里山だと思うのです。

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■1995.11.1──糸の会設立案内2

●さて山の会についてですが、名前はK斎藤さんの命名によって「糸の会」となりました。いろいろな意味が重ねられているようですが、アルファベットで書くとITOの会とも読めます。さっそく郵便振替口座を開設しました。
●この「糸の会」は会員規約といったものは設けません。伊藤幸司の私的な山歩き講座という考え方で、連絡名簿のみを順次作成するだけのゆるやかな組織にしたいのです。みなさんには個人的な山歩きも活発にやっていただきたく、またいろいろな登山教室も体験していただきたいところから、従来どおり入門編に徹したいと思います。それには故障者のリハビリも積極的に展開したいという新しい試みも考えているからです。
●どういう仕掛けを考えているかというと、山行は毎月第2土曜日を予定します。奇数月は「足慣らし&リハビリコース」で軽い山をていねいに歩きます。初めての参加者があれば、顔合わせはこのコースからということになります。偶数月は「早起き&ハードコース」で、参加者全員の調子がよければ積極的に歩きます。このほかにすでに予告済みのように冬の北八ヶ岳(2月下旬か3月上旬を予定)と夏の北アルプス(8月中〜下旬)を企画したいと思います。
●参加の方法ですが、日程表は事前にお送りしておき、参加希望の山行に対して3,000円の講座料を郵便振替口座(手数料60円で通信欄を活用できます)に振り込んでいただくと、オリエンテーションのプリントをお送りします。このプリントが紙上講座とご理解下さい。
●山行はもちろん伊藤の責任のもとにおこなわれますが、事故に対する補償制度は十分ではありません。事前に参加申し込みがあるわけですから旅行団体保険程度はかけるつもりです。そういう意味では同好の山の会や旅行会社の添乗員のみの登山ツアーと同様です。事前にご了承いただきたく思います。また山行にかかわる費用に関してはオリエンテーション・プリントにできるかぎりこまかく記しますが、参加者それぞれにかかる当日の山行費用はご自分で直接お支払いいただきます。タクシー代などはそれぞれ割り勘で、という方式になります。
●月例の山行以外のものは特別合宿ということになります。これもできるだけ現地集合・現地解散として、意欲的なみなさんにはその前後に自主的な山歩き企画を加えていただけるといいように思います。たとえば北アルプスでは前半を特別合宿とし、希望者は後半に自主合宿をつなげるというような自由度を考えるということです。宿泊がからむようなときには予約という問題も生じますから、山行費用の一部を申し込み時にいただくようなこともあるかもしれません。
●最後に「会員」ということに関して。私自身ができるだけ組織に加わらないという生き方をしていますので、この会もタイトな会員組織にはしたくありません。出入り自由のサロンというのがひとつのイメージです。そこで名簿を「連絡名簿」とし、相互の連絡用に活用していたければ、と思います。
●しかし個々の山行への参加条件についてはきちんとした基準を示したいと思います。それは山行そのものの中味に関わってくることだからです。第一に、初顔の方は奇数月の「足慣らし&リハビリコース」のみに参加していただきます。偶数月の「早起き&ハードコース」の参加者はお互いの脚力・体力・経験などを十分知っているというふうにしたいのです。また特別合宿に関してはそのときどきのテーマによって参加条件を指定します。たとえば冬の北八ヶ岳では指定する靴と衣類を用意していただくということが参加条件になります。北アルプスでは過去6カ月間のハードコースの参加を条件にするでしょう。
●参加されるみなさんと相談しながら進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

●「糸の会」山行予定
★11月11日(第2土)【初参加可能】——奥多摩・高水三山
★12月9日(第2土)【早起き&ハード】——高尾周辺・北高尾山稜
★1月13日(第2土)【初参加可能】——丹沢・大山三峰山
★2月10日(第2土)【早起き&ハード】——大月・九鬼山
★2月24-25日(土-日)【特別合宿】——北八ヶ岳(1泊2日)
★3月9日(第2土)【初参加可能】——秋川・浅間嶺
★4月13日(第2土)【早起き&ハード】——奥武蔵・伊豆ヶ岳〜竹寺
★5月11日(第2土)【初参加可能】——日光・鳴虫山
●参加ご希望のものがありましたら、前月末日までに郵便振替(用紙は郵便局にあります)で「糸の会 00150-6-102976」宛に講座料3000円(手数料は60円)を振り込んでください。お名前と住所のほかに通信欄に参加山名(あるいは月)を書いてください。こちらからプリントをお送りします。したがって初参加の方もこの振込によってオリエンテーション・プリントをお送りできます。また事前に参加取りやめの連絡をいただければ、講座料を別の月に振り替えることができます。したがって何回分かをまとめて払っていただいた場合も、事前の欠席通知で繰り越しすることができます。

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■1995.10.30──糸の会設立案内

■登山講座「初めての山歩き」を受講されたみなさまへ
■東急セミナーBE登山教室閉講通知

●昨年10月から3カ月を1期として開講した「初めての山歩き」はちょうど1年、4期で終了いたしました。とりあえず閉講のごあいさつをいたしたく、この手紙を書いています。残念ながら当講座と相性の良くなかった方もいらっしゃいますが、それはそれとして全参加者のみなさまにお礼申し上げます。
●閉講の理由は東急セミナーBEによる危機管理の見直しによるもので、講座開設中に生じたことがらによるものではありません。それゆえ閉講にかかわるこのお知らせも講座担当の三好さんによって発送していただけるということになりました。
●最後の講座がおこなわれた9月28日に4期の出席者の方々に、お別れ会に招いていただきました。その折、この登山講座をベースにして伊藤流の山歩きの会をやってみるという結論に達しました。本来はみなさんに早く卒業していただきたいというのが私の立場でしたが、冬の北八ヶ岳と来夏の北アルプスの企画まではなんとか責任を持ちたいということから、けっきょく月1回の、従来どおりの山歩きを、比較的自由な参加条件で続けてみたいという考えに至りました。
●山の会をやるやらないにかかわらず、もともと、了承していただいた方々の連絡名簿をつくって今後の個人的な交流に役立てていただきたいとは考えていました。ですからここではそれに加えて新しい山の会の当面の連絡名簿とさせていただけるかどうかの了解をいただきたいのです。そのお別れ会のあと、約1万1000円の残金をご寄付いただきましたのでそれで名簿が作れます。名簿に記載されることを了承され、今後新しい山の会の案内が届くということに関してOKの方は電話、FAX、郵便などで伊藤までお知らせいただきたくお願い致します。
(9月28日の会に出席のみなさまに関しては、すでに了解をいただいていると考えています。また山の会のかたちについては考え方を決めました。別紙をご覧下さい)
●最後に、何からなにまでやりたいようにやらせていただいた東急セミナーBEと担当の三好律子さんにお礼を申し上げます。

1995.10.30
伊藤幸司


■「糸の会」へのご案内

●さて山の会についてですが、名前はK.斎藤さんの命名によって「糸の会」となりました。いろいろな意味が重ねられているようですが、アルファベットで書くとITOの会とも読めます。さっそく郵便振替口座を開設しました。
●この「糸の会」は会員規約といったものは設けません。伊藤幸司の私的な山歩き講座という考え方で、連絡名簿のみを順次作成するだけのゆるやかな組織にしたいのです。みなさんには個人的な山歩きも活発にやっていただきたく、またいろいろな登山教室も体験していただきたいところから、従来どおり入門編に徹したいと思います。それには故障者のリハビリも積極的に展開したいという新しい試みも考えているからです。
●どういう仕掛けを考えているかというと、山行は毎月第2土曜日を予定します。奇数月は「足慣らし&リハビリコース」で軽い山をていねいに歩きます。初めての参加者があれば、顔合わせはこのコースからということになります。偶数月は「早起き&ハードコース」で、参加者全員の調子がよければ積極的に歩きます。このほかにすでに予告済みのように冬の北八ヶ岳(2月下旬か3月上旬を予定)と夏の北アルプス(8月中〜下旬)を企画したいと思います。
●参加の方法ですが、日程表は事前にお送りしておき、参加希望の山行に対して3,000円の講座料を郵便振替口座(手数料60円で通信欄を活用できます)に振り込んでいただくと、オリエンテーションのプリントをお送りします。このプリントが紙上講座とご理解下さい。
●山行はもちろん伊藤の責任のもとにおこなわれますが、事故に対する補償制度は十分ではありません。事前に参加申し込みがあるわけですから旅行団体保険程度はかけるつもりです。そういう意味では同好の山の会や旅行会社の添乗員のみの登山ツアーと同様です。事前にご了承いただきたく思います。また山行にかかわる費用に関してはオリエンテーション・プリントにできるかぎりこまかく記しますが、参加者それぞれにかかる当日の山行費用はご自分で直接お支払いいただきます。タクシー代などはそれぞれ割り勘で、という方式になります。
●月例の山行以外のものは特別合宿ということになります。これもできるだけ現地集合・現地解散として、意欲的なみなさんにはその前後に自主的な山歩き企画を加えていただけるといいように思います。たとえば北アルプスでは前半を特別合宿とし、希望者は後半に自主合宿をつなげるというような自由度を考えるということです。宿泊がからむようなときには予約という問題も生じますから、山行費用の一部を申し込み時にいただくようなこともあるかもしれません。
●最後に「会員」ということに関して。私自身ができるだけ組織に加わらないという生き方をしていますので、この会もタイトな会員組織にはしたくありません。出入り自由のサロンというのがひとつのイメージです。そこで名簿を「連絡名簿」とし、相互の連絡用に活用していたければ、と思います。
●しかし個々の山行への参加条件についてはきちんとした基準を示したいと思います。それは山行そのものの中味に関わってくることだからです。第一に、初顔の方は奇数月の「足慣らし&リハビリコース」のみに参加していただきます。偶数月の「早起き&ハードコース」の参加者はお互いの脚力・体力・経験などを十分知っているというふうにしたいのです。また特別合宿に関してはそのときどきのテーマによって参加条件を指定します。たとえば冬の北八ヶ岳では指定する靴と衣類を用意していただくということが参加条件になります。北アルプスでは過去6カ月間のハードコースの参加を条件にするでしょう。
●参加されるみなさんと相談しながら進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


■「糸の会」山行予定
★11月11日(第2土)【初参加可能】——奥多摩・高水三山
★12月9日(第2土)【早起き&ハード】——高尾周辺・北高尾山稜
★1月13日(第2土)【初参加可能】——丹沢・大山三峰山
★2月10日(第2土)【早起き&ハード】——大月・九鬼山
★2月24-25日(土-日)【特別合宿】——北八ヶ岳(1泊2日)
★3月9日(第2土)【初参加可能】——秋川・浅間嶺
★4月13日(第2土)【早起き&ハード】——奥武蔵・伊豆ヶ岳〜竹寺
★5月11日(第2土)【初参加可能】——日光・鳴虫山

●参加ご希望のものがありましたら、前月末日までに郵便振替(用紙は郵便局にあります)で「糸の会 00150-6-102976」宛に講座料3000円(手数料は60円)を振り込んでください。お名前と住所のほかに通信欄に参加山名(あるいは月)を書いてください。こちらからプリントをお送りします。したがって初参加の方もこの振込によってオリエンテーション・プリントをお送りできます。また事前に参加取りやめの連絡をいただければ、講座料を別の月に振り替えることができます。したがって何回分かをまとめて払っていただいた場合も、事前の欠席通知で繰り越しすることができます。

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