発見写真旅・展(8)――2012.6.28 潮来
発見写真旅・展(8)――2012.6.28 潮来



糸の会「6p発見写真旅・水郷潮来」はJR成田/鹿島線の千葉始発鹿島神宮行き電車で終点まで。鹿島神宮から佐原まで5駅分を歩いて戻ろうという計画でした。
鹿島神宮駅前の観光案内所でガイドマップの類を入手して、スタートしたのが10時過ぎ。十二橋駅まで歩いて、午後4時半に歩きを終了しました。
約30分電車を待って2駅先の佐原へ。食事をして、町を歩いて、銭湯に入って、約1時間の電車待ちをして午後8時半の電車で帰途につきました。

今回の写真出展メンバー(五十音順)は以下の4人です。
伊藤 幸司(5点)
国木田 之彦(3点)
鈴木 明美(3点)
松浦 千恵子(5点)
矢野 博子(5点)


【01】から始まる本編の写真は提出された写真をシャッフルしてランダムに並べた「仮展示」の状態のままです。
ネット上での二次的な「発見写真旅」を楽しんでいただいた方から、そこにさまざまな「投票」が寄せられました。
投票締切後、それぞれの写真に撮影者のキャプション(あらかじめ提出されていました)を加えたので、写真の意図が初めて明らかにされたというものもあるかもしれません。この段階でも二次的な「発見写真旅」を楽しんでいただけるかと思います。
さらに写真サンプルを撮影者別に並べた索引ページを作りました。そのサンプル写真からも展示写真に飛ぶことができます。


撮影:松浦 千恵子

【21】 【05】 【01】 【03】 【12】


【21】鹿島神宮の輪くぐり。4回くぐって、人形を納めると半年健康でいられるとか。
【05】泳ぎ疲れて羽を休めている鵜? 2羽で仲良く何を見ているの。
【01】あやめ公園の流れに架かる橋
【03】佐原の町には所々にベンチが。観光客の足を休めてくれる。
【12】佐原の料亭。籠盛りのアジサイが客を待つ。


撮影:矢野 博子

【17】 【02】 【09】 【07】 【15】


【17】寂れた町から一歩はいると 境内には 清澄な空気が流れていた。思わず 深呼吸する。大きな杉の下で 朱塗りの建物が目を引いた。
【02】主役のアヤメに代わり アジサイが脇を固めていた。梅雨空に ブルーが良く似合う。
【09】震災で壊された瓦は 所々 青いシートがかけられていた。 小さな声が聞こえてくる。
【07】ユメは 追うもの?食べる物? 私は いつまでも 見ていたい。
【15】数百年の歴史を誇る佐原の町には こんな看板もありました。 日本最古の薬店です。お話を伺いたくて 店内にはいりましたが どなたも居ませんでした。 


撮影:国木田 之彦

【06】 【04】 【16】


【06】シャッターが降りて久しいのか。それにしてはゴミもなくきれいである。己が店をふりかえり雑草の力強さをいつくしんでいるのか。
【04】水路の際に売地のカンバン。別荘地をうたっているので、水郷めぐりの観光客が目当てらしい。坪4万3千円ほど。どうです。買いませんか。
【16】銀行の佐原支店のような趣きである。よくよく見ると小堀屋本店とある。ネットでさがすと天明2年(1782年)創業の蕎麦屋さんである。昭和4年築の旧千葉銀行の建物が本店別館となっている。


撮影:伊藤 幸司

【08】 【19】 【20】 【10】 【13】


【08】鹿島神宮参道の店で食べたなまずの寿司です。なぜか突然、丹沢の中川温泉で食べたペヘレイの寿司を思い出しました。十分に噛み応えのある白身の魚ですが、味は私の舌では検知不能。不味いのではありません。味がないという感じ。あるいは臭みを上手にとってしまったのか。いつか、栃木市の食堂で「なまず」という名札をみて食べたことを思い出しました。食べてみたけれど、味として記憶に残るものではなかったということも。この店「なまず・うなぎ・てんぷら」の鈴章にはなまず尽くしのメニューもありました。
【19】道筋の至る所で、壊れた屋根を目にしました。古い瓦屋根の家の、何軒かに1軒が、という感じで被害を受けていました。あの3.11の日の被害なのか、その後の余震に耐えきれなかったのか、わかりません。道筋には震災がれきの仮置き場もありました。茨城県南端から千葉県北端にかけての地域も被害地だったのです。
【20】潮来のあやめ祭のメイン会場となる前川あやめ園に、この銅像がありました。潮来の伊太郎というのだそうですが、みんな知っている名前にしては具体的なイメージがありません。想像上の人物だからか、風の吹くまま歩を進める股旅者のイメージがじつに見事。この前川あやめ園の隅には、町中の人たちがたくさんのグループで手分けしてあやめ園を維持しているという名簿がありました。
【10】これはJR鹿島線の十二湖駅。周辺に人家はまったくなく、田んぼが広がっているだけです。まるで新幹線の駅みたいに、わざわざ町と町の間につくったかのようです。次の電車を待つ間の30分に貨物列車が通過しました。鹿島コンビナートへの物資輸送路という感じです。階段の下には駐車場と駐輪場、それに缶飲料の自販機が1台ありました。
【13】宵闇が迫る頃、佐原の町を歩きました。古い町並みが運河沿いに残っていました。伊能忠敬の旧宅も含めて、そこが「まちぐるみ博物館」の中心でした。


撮影:鈴木 明美

【14】 【11】 【18】


【14】自分の力だけでは支えられない辛さ。
【11】一番上の花は咲き終わっているがまだ付いている。下が元気だからでしょう。下に支えられて天寿全うかな?
【18】潮来です


 


【01】撮影:松浦 千恵子
あやめ公園の流れに架かる橋

■投票:国木田 之彦
水郷潮来です。もうすぐ花嫁さんをのせた舟が現れそう。

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【02】撮影:矢野 博子
主役のアヤメに代わり アジサイが脇を固めていた。
梅雨空に ブルーが良く似合う。

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【03】撮影:松浦 千恵子
佐原の町には所々にベンチが。観光客の足を休めてくれる。

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【04】撮影:国木田 之彦
水路の際に売地のカンバン。別荘地をうたっているので、水郷めぐりの
観光客が目当てらしい。坪4万3千円ほど。どうです。買いませんか。

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【05】撮影:松浦 千恵子
泳ぎ疲れて羽を休めている鵜? 2羽で仲良く何を見ているの。

■投票:林 智子
しみじみと 来し方行く末を 見つめ 仲良く 語り合っている カップル。
まるで 私と ○○○ろーみたい。
<思えば 遠くへ来たもんだね>と ささやいたところで
武田鉄やの 歌が駆け巡る。
<思えば 遠くへ来たもんだ〜♪
思えば遠くへ来たもんだ〜 ♪>
しみじみも ものの哀れも ふっとんだ。
これからも 仲良くいこーぜ。

■投票:矢野 博子
二羽 揃って同じ方を向いて 何をか語らん しみじみとした感じ。

■投票:国木田 之彦
水郷というより港町かな。ヴェネチアの写真によくあるでしょう。

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【06】撮影:国木田 之彦
シャッターが降りて久しいのか。それにしてはゴミもなくきれいである。
己が店をふりかえり雑草の力強さをいつくしんでいるのか。

■投票:伊藤 幸司
10秒間見ていると想像がどんどん広がっていきます。
この店がどこにあったのか全然気づきませんでした。
小さな緑はどんな経緯でここに居場所を定めることになったのでしょうかね。

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【07】撮影:矢野 博子
ユメは 追うもの?食べる物? 
私は いつまでも 見ていたい。

■投票:林 智子
お店の どまんまえで 呑気にというか けなげにというか   
<いらっしゃーい・ゆめだよー!> などと がんばってる とんきち君には
負けました。
古い店構えには 夢や希望が 詰まっているようで なんだか ウフフです。
とんきち君がいれば こわいものなんか なにも ありません。

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【08】撮影:伊藤幸司
鹿島神宮参道の店で食べたなまずの寿司です。
なぜか突然、丹沢の中川温泉で食べたペヘレイの寿司を思い出しました。
十分に噛み応えのある白身の魚ですが、味は私の舌では検知不能。
不味いのではありません。味がないという感じ。あるいは臭みを上手にとってしまったのか。
いつか、栃木市の食堂で「なまず」という名札をみて食べたことを思い出しました。
食べてみたけれど、味として記憶に残るものではなかったということも。
この店「なまず・うなぎ・てんぷら」の鈴章にはなまず尽くしのメニューもありました。

■投票:松浦 千恵子
珍しい鯰のお寿司 ピンクが美しい! 美味しそう 勿論コーチ

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【09】撮影:矢野 博子
震災で壊された瓦は 所々 青いシートがかけられていた。
小さな声が聞こえてくる。

■投票:伊藤 幸司
震災の傷跡は千葉県の佐原の町のそこかしこにに残っていました。
これは割れた屋根瓦ですよね。
こんなふうな乱暴な切り取り方をしてくれると、画面の切れ目の文字をついつい読んでしまいます。

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【10】撮影:伊藤幸司
これはJR鹿島線の十二湖駅。周辺に人家はまったくなく、田んぼが広がっているだけです。まるで新幹線の駅みたいに、わざわざ町と町の間につくったかのようです。
次の電車を待つ間の30分に貨物列車が通過しました。鹿島コンビナートへの物資輸送路という感じです。
階段の下には駐車場と駐輪場、それに缶飲料の自販機が1台ありました。

■投票:矢野 博子
駅前というのに コンビニ一つなく 何とも殺風景なJR十二橋の駅・・・ 
だが この階段が 突如 遠くに見えたとき 歩き疲れていた私には ”あ〜あそこまで歩けばいいんだ!” 
シンデレラの階段のように見えました。

■投票:国木田 之彦
なんにもない田圃の真中の駅。ここに造った意図がわからん。
やっとこさたどり着いてザックが放り出してある。

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【11】撮影:鈴木 明美
一番上の花は咲き終わっているがまだ付いている。
下が元気だからでしょう。下に支えられて天寿全うかな?

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【12】撮影:松浦 千恵子
佐原の料亭。籠盛りのアジサイが客を待つ。

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【13】撮影:伊藤 幸司
宵闇が迫る頃、佐原の町を歩きました。古い町並みが運河沿いに残っていました。
伊能忠敬の旧宅も含めて、そこが「まちぐるみ博物館」の中心でした。

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【14】撮影:鈴木 明美
自分の力だけでは支えられない辛さ。

■投票:松浦 千恵子
古木を支える丸太柱の力強さが頼もしく感じました 国木田さん?

■投票:伊藤 幸司
鹿島神宮は、その神域の圧倒的な森の深さで日本有数の神社という威厳を示していました。
圧倒的な存在感を見せる御神木はたくさんありましたが、写真でその1本を取り出そうとすると、なかなか難しいと感じました。
境内の石灯籠はそのほとんどが3.11の大震災で倒れたという話も、この写真から思い出します。

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【15】撮影:矢野:博子
数百年の歴史を誇る佐原の町には こんな看板もありました。日本最古の薬店です。
お話を伺いたくて 店内にはいりましたが どなたも居ませんでした。

■投票:国木田 之彦
代々引き継いできたものか。骨董市で集めたものか。
「薬看板」のコレクションです。

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【16】撮影:国木田 之彦
銀行の佐原支店のような趣きである。よくよく見ると小堀屋本店とある。
ネットでさがすと天明2年(1782年)創業の蕎麦屋さんである。
昭和4年築の旧千葉銀行の建物が本店別館となっている。

■投票:林 智子
<ウワー・懐かしい!・どうしてー?>と 思わず叫んでしまいました。
この 建物は 私の故郷 弘前の かつては 土手町といわれた
中心街に あった 建物とそっくりです。
きっと 同じころに ちょっと 斬新な建物として 作られたのでしょうか。
同様の建物が 何件も建っているのです。
佐原は 町歩きに 一度しか行ったことはありませんが そのひなびたぐあいが
わが故郷に 良く似ていて 心地よかった。
ちなみに 弘前はただいま <コーヒーとフランス料理の街>として うっています。
夏には 扇ねぷた祭りも あります。
皆さま ぜひ一度 弘前へも お越しくださいませ。

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【17】撮影:矢野 博子
寂れた町から一歩はいると 境内には 清澄な空気が流れていた。思わず 深呼吸する。
大きな杉の下で 朱塗りの建物が目を引いた。

■投票:国木田 之彦
近所の八幡様よりはりっぱだけれど、
鹿島神宮とは思えないコンパクトさ。

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【18】撮影:鈴木 明美
潮来です

■投票:松浦 千恵子
水面に映る緑が揺れてきれい 矢野さん?

■投票:伊藤 幸司
12の橋を全部渡ってみたいと思うのに、それがうまくいきません。橋は基本的に行き止まり。人しか通れません。橋によってはその敷地自体が私有地になっていて、観光客の出入りを禁じているものもあります。
さて、12の橋はどのような役目で維持されてきたのか。
勝手に橋を渡ると向こう側の家の庭なのですが、迷惑気な雰囲気で顔を出した人に聞いてみると「隣家との行き来」とのこと。納得できる答えではありません。
国木田さんの慧眼が光りました。運河の向こう側の人がこちら側の道に出る橋ではないのか。
そういう目で見るといろいろ納得できるのです。江戸時代に日本中で繰り広げられた新田開発の中で、ここでは三角州に「一島二戸」の生活圏が形作られていったそうです。湿地帯にちょとかさ上げした住宅地を作ったのだと想像します。
江戸時代には重量物の運搬は全て船ですから運河が表通り。橋の両側にはそれぞれの家の船着き場の石段が残っています。そこにかかる粗末な橋が隣家との人的交流を受け持ったのだと思います。が、後に集落を通る道が1本できると、運河を挟んだ奥の家には道に出るための橋がいわば玄関口になったのだと思います。
十二橋は奥の家の玄関口と考えると納得できるのです。
もちろん今は奥の家の裏側に車の通れる道がありますし、荷物を船で運ぶ必然もありませんから、十二橋は観光橋として妙に立派で新しい遺物となっているのだろうと想像しました。

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【19】撮影:伊藤幸司
道筋の至る所で、壊れた屋根を目にしました。
古い瓦屋根の家の、何軒かに1軒が、という感じで被害を受けていました。
あの3.11の日の被害なのか、その後の余震に耐えきれなかったのか、わかりません。
道筋には震災がれきの仮置き場もありました。
茨城県南端から千葉県北端にかけての地域も被害地だったのです。

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【20】撮影:伊藤幸司
潮来のあやめ祭のメイン会場となる前川あやめ園に、この銅像がありました。
潮来の伊太郎というのだそうですが、みんな知っている名前にしては具体的なイメージがありません。
想像上の人物だからか、風の吹くまま歩を進める股旅者のイメージがじつに見事。
この前川あやめ園の隅には、町中の人たちがたくさんのグループで手分けしてあやめ園を維持しているという名簿がありました。

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【21】撮影:松浦 千恵子
鹿島神宮の輪くぐり。4回くぐって、人形を納めると半年健康でいられるとか。

■投票:林 智子
<黒髪を 束ねてくぐる 茅の輪かな>
これは 糸の会・俳人クラブ・部長の 山チャンさまこと ○本○彦さんが 
数年前に 詠んだ 優れた 作品でありますが 若干60・・うん歳にして 初めて
<茅の輪>というものを 私が知った 記念すべき作品でもあります。
黒髪を束ねて・・・というところが 妙に 色っぽい 想像を掻き立てさせて
誰の黒髪なの? などと ○チャンさまに詰め寄ったことも 懐かしい
思い出。
うーーん。 それにしても 互いに 黒髪も少なくなってしまいましたわネ。
ちなみに <俳人クラブは 最初から 存在しておりません・ごめんね!> 


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