発見写真旅・展(133)――2017.1.4 岩殿山(22パワー)<b> 発見写真旅・展(133)――2017.1.4 岩殿山(22パワー)


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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
写真キャプションもお読みいただけます。
ご覧いただいたみなさんからのコメントはキャプションの後に掲載させていただきます。


★糸の会山行 No.1017 岩殿山(22パワー)────2017.1.4
*登り5p→稜線12p→下り5p

*計画書には次のように書きました。
 多くの皆さんには、たぶん懐かしい大月駅からの「駅近」登山です。
 新春の富士山展望に期待して、岩殿山の山頂で温かいもの(伊藤が用意します)を飲みながら日没を迎えたいと思います。(貼るカイロご用意ください。可能性がなければサッサと下りますが)
 この日はJRの3割引きチケット(途中下車不可)が使えないので、入浴・食事は高尾か八王子まで行ってから途中下車で。
 この機会に、周囲の方の「お試し参加」歓迎します。招待した方の☆印クーポン使用できます。超初心者対応のクサリ場体験準備します。


1月24日
・1100……まずは駅前の「月cafe」で昼食。タクシーで浅利の吊橋へ
・1220……浅利の吊橋に着くも通行禁止に。迂回路に向け出発(標高約400m)
・1230……登山口を出発(標高約400m)
・1240-45……休憩(標高約400m)
・1255-1300……稚児落し直前で休憩(標高約550m)
・1310-15……稚児落しで休憩(標高約550m)
・1335-40……天神山の鉄塔で休憩(標高約550m)
・1400-45……兜岩のクサリ場で準備・通過(標高約500m)
・1510……築坂峠を通過(標高約500m)
・1540-1645……岩殿山山頂と展望台で富士山鑑賞(標高634m)
・1715……丸山公園入口(標高約400m)
・1730……大月駅(標高約350m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。
伊藤 幸司(39点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:伊藤 幸司

















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【01】撮影:11時34分=伊藤 幸司
JR大月駅前の「月Cafe」で昼食としたのは時間を調整するため。今回の計画では16時46分の日没時(甲府市)に岩殿山の山頂にいたいということが最重要課題でした。
この季節ゆえ温かい飲み物も用意してありますが、風などが吹いていようものなら長居は辛くなります。まずはゆっくりと食事して、残り時間を計りながら歩こうというプラン。みなさん山歩きを始めた頃に一度はたどっているルートです。
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【02】撮影:12時09分=伊藤 幸司
大月駅の背後に、今日の縦走路が7割方見えています。右奥が終着点の岩殿山。左端の小さな盛り上がりが天神山。天神山の左には「稚児落し」という恐ろしい名前の大岩壁が隠れています。
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【03】撮影:12時20分=伊藤 幸司
タクシーで「浅利の吊橋」へ。ところがこれが通行止めになっているではありませんか。渡った向こう側に何軒かの家があって車で入れるので、道はこの歩道橋だけではないはずですが、どれほど大回りしなければいけないか、時間がちょっと気になりました。
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【04】撮影:12時36分=伊藤 幸司
大回りしても10分ほどのロスで登山口のところまで来ることができました。
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【05】撮影:12時41分=伊藤 幸司
登り始めの急登部分。ロープを張ってありますが、これが登山初心者には大難所。下りだと大騒ぎになります。ダブルストックの使い方を体験するのに絶好の場面です。
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【06】撮影:12時50分=伊藤 幸司
稜線に出ると右手、大月市街の側は驚くほどの断崖になっていますが、これはまだ稚児落としの導入部分。前方に見える高まりが大月駅前から見えた天神山(標高589m)。その間に深い谷が隠れています。
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【07】撮影:12時55分=伊藤 幸司
緩やかな登りが続きます。冬枯れの低山は、太平洋岸では西高東低の気圧配置で快晴が多く、当然のこととして富士山の展望を期待できます。
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【08】撮影:12時57分=伊藤 幸司
正面の岩壁の上を左から右へと渡ります。この深い谷は馬蹄形にえぐられているだけなので、流水による浸食とは考えられず、やわらかな礫岩がすこしずつ剥離していったのだろうというのがシロウトの見立て。岩殿山ではかなり大規模な地すべりが発生して、1972年に中央自動車道が123日間不通になったといわれています。この先の鎖場のところでは近年そういう剥離を心配して除去作業を行ったともいわれています。岩殿山の大岩壁も、そういう目で見ればスパッと剥離した岩が桂川の谷に落ちて、新たな絶壁が残ったというふうに感じられます。
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【09】撮影:13時02分=伊藤 幸司
稚児落しへの最後の登りという感じのところ。首都圏の冬には、このような「ひだまりハイク」が最高です。
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【10】撮影:13時03分=伊藤 幸司
今日の目的は富士山と夕日ですから、とりあえず富士山が確認できてひと安心。昼前後にかすんであまりはっきりしないのは太陽光の角度の問題と考えておいていいのですが、このあと西の空に雲が湧き出てきたら要注意。
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【11】撮影:13時10分=伊藤 幸司
稚児落しに出ました。右側がスパッと落ちているのですが、柵もなければ立て札もないので、ちょっとよろめいたりすると、絶望的な状態になると思われるところ。こういう場所で「見えない怖さ」を感じない人がいたりするので、初参加の人がいるときにはものすごく注意します。
ちなみに、稚児落しという名は、武田氏滅亡の最後のきっかけとなった岩殿城・小山田信茂の造反と、その小山田に対する織田軍の厳しい処分が歴史的事実としてあるそうで、正面に見えてきた岩殿山の城から逃れる婦女子の一団が、敵に知られるのを恐れて泣き声を立てる赤子をここで投げ落としたというお話のようです。
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【12】撮影:13時13分=伊藤 幸司
ここはまだ稚児落しの手前側。ひと休みしています。桂川の谷が下っていきますが、富士山の溶岩(猿橋溶岩流)はこのあたりまで流れ下ってきています。ここが富士山の東の端といえるのですが、南の端は田子の浦あたりで駿河湾まで、ちなみに北は御坂山地までですが、?(せ)の海を埋めて西湖と精進湖を作っています。西は天子山地まで……となります。かつて私は雑誌「岳人」で連載し、東京新聞出版局から『富士山・地図を手に』(1980年)という本を出していただいたことがあります。
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【13】撮影:13時18分=伊藤 幸司
稚児落しの岩壁の向こう側に渡ると、富士山がきれいに見えてきました。
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【14】撮影:13時19分=伊藤 幸司
稚児落しの大岩壁を振り返っています。足元の岩は礫岩、海底から持ち上がってきた柔らかな岩です。
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【15】撮影:13時19分=伊藤 幸司
富士山の手前にかる山は大月駅から向こうに歩いて行けば登れる高川山。手前の斜面はさっき登ってきた、稚児落しの向こう側です。
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【16】撮影:13時40分=伊藤 幸司
稚児落しのとば口にあたる天神山のところから見た富士山です。左手前に見えているピークは富士吉田から登れる杓子山と鹿留山。
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【17】撮影:13時46分=伊藤 幸司
いよいよ兜岩のクサリ場に向かって細い稜線をたどっていきます。
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【18】撮影:13時47分=伊藤 幸司
前方には岩殿山。右下には中央自動車道があり、桂川の谷があり、大月の町並みが広がっています。
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【19】撮影:13時50分=伊藤 幸司
先客が2組も、稜線で休んでいました。
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【20】撮影:13時53分=伊藤 幸司
道は兜岩の裏側へと回り込んでいきます。
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【21】撮影:14時30分=伊藤 幸司
兜岩のクサリ場。次の写真(22)のクサリを下ってから、下の木のところまで行って、岩壁の下をトラバースするかたちで画面左側に渡っていきます。私はその中間地点に立っています。
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【22】撮影:14時44分=伊藤 幸司
これがクサリ場の最上部から踊り場へと降りるところ。「三点支持」のできない人にはそうとう危険なところで、この状態で下から足場を指示しないとちょっと怖い場面もありそうです。もしドジると、たぶん止まらずに行ってしまいます。初心者の場合はロープで確保してクサリ場通過のきちんとした体験の場と考えるほうが安全で合理的です。クサリ場初心者がいる場合は、巻道を選ぶことも可能です。
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【23】撮影:14時51分=伊藤 幸司
これが兜岩の岩壁。木の枝の見えているあたりからクサリを下って、このトラバースルートをたどります。この部分、岩の状態が不安定になったとかで、一時期通行できなくなったことがあります。
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【24】撮影:15時02分=伊藤 幸司
これはかなり長いクサリ場ですが、鉄の足場をつけてあるため初心者向きとなっています。
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【25】撮影:15時02分=伊藤 幸司
桂川の下流側。百蔵山の向こうに大霧山が続いています。
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【26】撮影:15時05分=伊藤 幸司
稚児落しから岩殿山に向かう岩稜ではこれが3つ目のクサリ場。難易度は高くありませんし、危険度も大きくありません。こういうところできちんとした岩場の歩き方をしていくことが自分の安全のためには重要だと思います。
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【27】撮影:15時24分=伊藤 幸司
築坂峠を過ぎると岩殿山への登りになります。山体上部に見える白いブロックは、崩落した岩盤を補強した跡のようです。
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【28】撮影:15時37分=伊藤 幸司
丸山公園経由で登ってくる岩殿山城の道に合流すると、すぐに「揚城戸跡」。第二の城門とか。
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【29】撮影:15時56分=伊藤 幸司
標高634mの頂上。桜の季節にはこの左手の斜面にカタクリが咲きます。
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【30】撮影:16時17分=伊藤 幸司
この日の山梨県県庁所在地(甲府)での日没時刻は国立天文台によると16時46分ですが、私のカメラの時計では16時17分に太陽は三ッ峠山に落ちました。水平線を想定した時刻の約30分前ということになります。
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【31】撮影:16時28分=伊藤 幸司
日没時の山頂展望台でのようす。温かい甘酒とココアで体はちょっとあったかい状態でした。
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【32】撮影:16時31分=伊藤 幸司
黄昏のなかで、富士山は美しく見えていました。右手前の山が高川山でその右に太陽が落ちた三ッ峠山があります。
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【33】撮影:16時39分=伊藤 幸司
三ッ峠山の山頂です。アンテナがこの山の姿を特徴的なものにしています。
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【34】撮影:16時40分=伊藤 幸司
桂川の谷をたどって富士山に至る、奥行きのある風景が岩殿山からの展望の特徴です。もっともこの足元まで富士山の溶岩流が流れているので、富士山の裾野から見上げる富士山……といっても間違いではありません。
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【35】撮影:16時43分=伊藤 幸司
これがおおよそ「日没時」の富士山。正月に富士山を見に来る山としてはなかなかのもんだと思いませんか?
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【36】撮影:16時53分=伊藤 幸司
日没時刻から30分間は登山道をライトなしに下れます。その先の30分は明るい道と暗い道とで違いますが、西側に開いたこの城の道ではまったく問題ありません。日の出と日の入りの前後で人間の目の普段気づかない能力を確認するということは登山での貴重な体験だと考えます。
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【37】撮影:16時58分=伊藤 幸司
桂川の深い谷が見えています。大月の町がその河岸段丘に広がっているということもわかります。川の右岸(上流から見ているのでこの写真の右側)になんとなく黒っぽい筋として見えるのがJR中央本線の線路です。ちなみに中央自動車道はこの山に張り付いていて、真下の部分は「大月トンネル」となっているので、わずかに位置を想定できる程度にしか見えません。
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【38】撮影:16時59分=伊藤 幸司
街の明かりがどんどん広がって、肉眼ではむしろ華やかな風景に見えています。山から見下ろす黄昏の町並みは印象的です。画面下部にうっすらと横に伸びるライトの線が見えるのは大月駅。そこに小さな青い点が見えますが、それは次の写真(39)で。
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【39】撮影:17時30分=伊藤 幸司
大月駅前に戻ってきました。大月での夕食なら濱野屋が定番ですが、大月の入浴環境が悪くなって、JRで藤野か高尾か八王子へ移動ということが多くなりました。この日は高尾から京王高尾山温泉・極楽湯へと向かいました。

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