発見写真旅・展(85)――2015.9.27 江戸東京たてもの園 発見写真旅・展(85)――2015.9.27 江戸東京たてもの園

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*久しぶりの発見写真旅、本編です。今期4~9月の6本の企画は4月のサクラ保存林(高尾)と9月の江戸東京たてもの園以外は残念ながら中止にさせていただきました。
*写真を主体にして歩くという趣旨で2012年の4月(奥多摩渓谷)から始めたフォトハイキングや街歩き。いろいろな試みをさせていただきましたが、相変わらずの試行錯誤です。
*今回は小金井公園にある都立江戸東京博物館分館の江戸東京たてもの園。最初の1時間ほどは全員でおおよそまとまって動いたので、写真は全員のものを撮影順に並べることにしました。そしてインデックスは撮影者ごとのテーマがわかるようにしてあります。浅く広く見るという視点と、自分なりに細かく見るという二面展開のバランスを考えました。写真の中にはテーマに組み込まれていないものも多数あります。


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の5人です。
稲田 郁子(7テーマ36点)
稲葉 和平(6テーマ43点)
宮本 幸江(8テーマ67点+91点)
矢野 博子(3テーマ21点+8点)
伊藤 幸司(3テーマ24点)


*【01】から始まる本編の写真は提出された写真のすべてを撮影順に並べています。この状態ですべての写真を「10秒ずつ」(おそろしく時間がかかるかもしれませんが)見ていただきたいのです。その中にかならず「動き出す写真」「語り出す写真」があるはずです。
*撮影者にとっての「発見写真旅」は撮影現場と写真選びにあります。写真選びでは全ての写真を「10秒見る」という方法を強くすすめてきました。そしてこの展示を見ていただく方にも「10秒見る」ことで「発見写真旅」を体験していただけると考えているのです。
*さらに冒頭のインデックス・ページでは、個々の撮影者の写真の意図なども明らかになるかと思います。そのサンプル写真をクリックすると展示写真に飛ぶことができます。サンプル写真に戻るにはデリートキー(delete key、削除キー)を押してみてください。
*この「発見写真旅・展」では「コメント」を募集しています。写真番号をつけてメールでお送りください。順次掲載させていただきますのでよろしくお願いいたします。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:稲田 郁子────テーマA:写真場

【044】 【046】 【050】 【053】 【061】


【044】常盤台写真場の外観、つまらないけどやはり必要か。
【046】玄関脇の応接室。撮影前にはどきどきしていたのだろう。
【050】窓に向かって机があり、椅子が並ぶという珍しいつくり。写真で必要だったのか。暗室もあったが、入れなかった。
【053】2階の撮影室。見ているだけでわくわくする。
【061】前の椅子なら、見学者もOK。

撮影:稲田 郁子────テーマB:ボランティア

【007】 【097】 【151】 【250】 【281】


【007】前川邸のボランティアは、詳しく建物の説明をしてくれた。戦時中で、100平米に制限されていたことなど。それにしてもこの建物の新しさには驚く。
【097】綱島家(農家)のボランティアは、囲炉裏の火を起こしていた。また脱穀機などの説明もしてくれた。
【151】この着物姿の方は、はじめ入り口で雨の中、案内をしていた。高橋是清邸で再会?したので、撮らせてもらった。2.26事件の場である。
【250】下町ゾーンで紙芝居をしている方もいました。
【281】万世橋交番の前のサーベル姿。服も本物だそうです。

撮影:稲田 郁子────テーマC:縦と横 1/2

【089】 【114】 【128】 【155】 【179】


【089】建物内を撮ると縦横の線がはっきりする。私のカメラは広角なので、真っ直ぐにならないが、気にならない。広角で撮った広々した感じが好き。吉野家。
【114】三井邸の2階。箪笥がきちんとはまり込んでいるのが、気に入った。
【128】同じく三井邸、金ぴかの割りに狭い部屋で、縦が強調される。
【155】高橋是清邸。2.26現場2階の窓の格子。
【179】会水庵(茶室)の中を覗く。暗くて手振れか。

撮影:稲田 郁子────テーマC:縦と横 2/2

【284】


【89】西川家別邸。これぞ日本建築。玄関も風が通る。

撮影:稲田 郁子────テーマD:並んだ商品

【187】 【189】 【201】 【203】 【243】


【187】後の鰹節をとりたかったのだが。
【189】荒物屋というのだった。つるしたヤカンが楽しい。
【201】蛇の目傘と中の神棚がきれい。
【203】やはり酒屋はなくてはならない??
【243】これは商品というのか…。着物が風で回転していた。

撮影:稲田 郁子────テーマE:酒飲みの視点

【246】 【204】 【231】 【235】 【236】


【246】あったあった、酒屋。
【204】樽から量り売りもしてくれるのかな?
【231】やっぱり店で飲もうか。ふーん鍵屋というのか。
【235】鍵屋の中。熱燗の用具が珍しいような。
【236】カブトビールか櫻正宗か。飲みすぎて、写真の映りがひどいのにも気付かない??

撮影:稲田 郁子────テーマF:昔見たような

【192】 【194】 【195】 【262】 【276】


【192】店(生花店?)の裏手の生活圏。コンロと奥の火鉢に懐かしさがつのる。
【194】井戸と物干し竿が雰囲気をかもし出している。路地が広すぎるが。
【195】なぜかはずせない1枚。
【262】まさにドラえもんまで続く風景。
【276】これは売店で、たてものはふるくないのだが、駄菓子のならぶ感じがなつかしい。

撮影:稲田 郁子────テーマG:銭湯は最高

【241】 【207】 【208】 【216】 【219】


【241】子宝湯、とは名前もよい。
【207】解説なしで楽しい。
【208】男湯はやはり富士山。
【216】女湯の山は何だろう?
【219】小道具もいろいろ。

撮影:稲葉 和平────テーマA:建物外観 1/2

【001】 【002】 【003】 【045】 【066】


【001】W9:小出邸
【002】W6:前川邸
【003】W7:大川邸
【045】W2:三井邸
【066】W10:デ・ラランデ邸

撮影:稲葉 和平────テーマA:建物外観 2/2

【160】 【167】 【197】


【160】C2:自証院
【167】C3:高橋是清邸
【197】E1:天明家(農家)

撮影:稲葉 和平────テーマB:窓 1/2

【004】 【035】 【142】 【025】 【184】


【004】W6:前川邸
【035】W9:小出邸
【142】W7:田園調布・大川邸
【025】W9:小出邸
【184】C3:高橋是清邸 長い廊下に大きなガラス戸

撮影:稲葉 和平────テーマB:窓 2/2

【185】 【200】 【222】


【185】C3:高橋是清邸 秋にはモミジが美しいという
【200】E1:天明家(農家)
【222】E4:子宝湯 鏡で広々として清々しい雰囲気

撮影:稲葉 和平────テーマC:調度品など 1/2

【014】 【054】 【144】 【145】 【147】


【014】ガスレンジ
【054】ミシン W1:常盤台写真館
【144】オーブン W7:大川邸
【145】冷蔵庫 W7:大川邸 氷の冷蔵庫、懐かしい
【147】電話機 W7:大川邸

撮影:稲葉 和平────テーマC:調度品など 2/2

【212】 【012】


【212】洗濯機 E3:居酒屋 電気洗濯機の手回し絞り機
【012】スチーム W6:前川邸

撮影:稲葉 和平────テーマD:風呂屋 1/2

【217】 【227】 【218】 【221】 【223】


【217】入浴料金
【227】入浴心得
【218】脱衣処
【221】男湯 定番・富士山の絵
【223】真ん中にカラン

撮影:稲葉 和平────テーマD:風呂屋 2/2

【228】 【237】


【228】女湯 この絵の山はどこでしょう
【237】番台

撮影:稲葉 和平────テーマE:消費生活

【269】 【238】 【234】 【249】


【269】文房具屋の硯、高い!
【238】風呂屋の壁の広告、モーニングサービスのコーヒー、70円
【234】風呂屋の壁の広告、暮らしにゆとりを?、月賦販売
【249】酒屋の壁の広告、抽選の景品にCANONの最新鋭高級カメラ!

撮影:稲葉 和平────テーマF:店など 1/2

【242】 【252】 【274】 【278】 【213】


【242】宿屋の受付、何故か富山の置き薬の箱がカウンターに
【252】酒屋のレジ
【274】乾物屋のレジ
【278】化粧品屋の注文台帳とそろばん
【213】居酒屋のカウンター

撮影:稲葉 和平────テーマF:店など 2/2

【210】 【240】 【270】 【275】


【210】居酒屋のお品書き
【240】仕立屋、祖母に連れていかれた仕立屋、こんな感じでした
【270】文房具屋
【275】荒物屋

撮影:宮本 幸江────テーマA:前川國男邸 1/4

【005】 【009】 【126】 【010】 【137】


【005】前川國男邸 建築家前川國男の自邸として戦争中(1942年)に建てられたものです。限られた建築資材と100平米以下という制限の中で建てられ1973年に前川夫妻が引っ越すまで30年余り住まれた家です。
「壊すのはあまりにももったいない」という弟子の訴えで解体され部材が軽井沢の別荘に保管されました。1996年にこの場所に復元されたのです。
数年前ここを訪れとても印象に残り、また来たいと思っていました。
外観は和風建築。ガラス格子と白い障子が印象的で 安定感のある家です。
【009】北側の門(扉はない)から玄関までは、ゆったりしたアプローチ。南側ほどではないですが、やはり大きなガラス窓が占めています。
【126】リビングに通じる大きなドア。
師であるル・コルビジェの家にも同じような大きなドアがあるそうです。
【010】南側の天井高くにまで造られたガラス格子に目を奪われます。
柱がなく、南から北へ、北から南へと風が吹き抜ける。光がいっぱいのリビング。照明はイサム・ノグチ。この家にあっています。
【137】ロフトに上がる階段に光と影。

撮影:宮本 幸江────テーマA:前川國男邸 2/4

【117】 【127】 【121】 【118】 【132】


【117】食卓セットは天童木工だそうです。70年前のものとは思えません。
【127】しばらくの間 このソファーに座って庭を眺めていました。
静かな時間が流れる家です。
【121】南側の天井までのガラス格子。欅の緑が目にやわらかい。欅の木が好きで、そのそばに家を建てたそうです。
【118】「二人でお茶を」ですかね?
【132】書斎の椅子。

撮影:宮本 幸江────テーマA:前川國男邸 3/4

【015】 【016】 【138】 【110】 【198】


【015】台所。超モダン。4口のガステーブル。どんなお料理を作ったのでしょう。
【016】朝食はトーストにスクランブルエッグ、フレッシュジュース?
【138】黒のタイル総張りのトイレ。唖然。
【110】門を入ってすぐ右手のカラタチの木に、実がなっていました。
”からたちの花”が咲いたのですね。
【198】窓はガラス以外は、サッシの車輪・レールにいたるまで、全て木材で作ってあるそうです。現代ならば、屋根のこの部分も木材を使っていないのでしょう。

撮影:宮本 幸江────テーマA:前川國男邸 4/4

【196】


【196】建築学科の学生なのか、いろんな部分を熱心に写真を撮っていました。
大きな瓦屋根の勾配が美しい。

撮影:宮本 幸江────テーマB:小出邸の木彫 1/2

【063】 【058】 【037】 【059】 【191】


【063】小出邸は三角の屋根と四角い建物で構成されている。
【058】レンガのアプローチが温かい。
【037】木彫りの柱に囲まれた玄関。
【059】木彫りの柱。黒っぽい茶色の色がいい。
【191】三角 四角に、円○ があらわれた。

撮影:宮本 幸江────テーマB:小出邸の木彫 2/2

【060】 【041】 【051】 【039】 【055】


【060】○が風景を切り取っている。
【041】シックな洋室は床の上から板壁を張り、木彫を施している。
【051】幾何学模様が美しい。
【039】2階は和室だが、やはり幾何学的要素を感じさせる。
【055】玄関の作り付けの下駄箱。洋室の木彫のほうが好みだが、細かいところまで気配りしているのに驚く。

撮影:宮本 幸江────テーマC:田園調布の家(大川邸)の外周 1/2

【148】 【156】 【159】 【154】 【152】


【148】家の裏の木にクモの巣が張っていた。
【156】紫陽花がまだ色を残している。
【159】この紫陽花も色が残っている。透けた繊維も。
【154】床下の通風孔。なんの模様? 水、波、蕨?
【152】部屋の中を覗いてみました。

撮影:宮本 幸江────テーマC:田園調布の家(大川邸)の外周 2/2

【161】 【172】 【180】 【181】


【161】玄関灯。なんという鳥でしょう? 超モダン!
【172】部屋の中から見た隣の前川邸。
【180】庭の境に規則的に植わっている。
【181】大正14年に建てられたと思えない、おしゃれな外観。

撮影:宮本 幸江────テーマD:常盤台写真場 1/2

【062】 【074】 【075】 【065】 【077】


【062】常盤台写真場。自然な笑顔のポートレイトが並んでいます。
【074】時代を感じさせる応接セット。待合室でしょうか?
【075】外の光が入って、緑が透けて見えるガラス扉。
【065】よく手入れされた階段を上って……やはり窓がある。
【077】オレンジ色の照明が優しい。チョコレート色の手摺、窓枠がおしゃれ。

撮影:宮本 幸江────テーマD:常盤台写真場 2/2

【079】 【078】 【071】 【069】 【073】


【079】チョコレート色の手摺の下の壁に、丸いくりぬきがあり、外の景色が切り取られています。遊んでますね〜
【078】大きな窓から北側の光が入る2階の撮影室。あっと驚くおしゃれな空間。
【071】1階のこの部屋は何? 勉強部屋? それともカウンターつきの食堂? もしそうなら超モダン。座ってみたい。
【069】洗い場には、ブリキのバケツと桶。
【073】公けの場所は洗練された洋風なのに、生活の場は純和風。

撮影:宮本 幸江────テーマE: デ・ラランデ邸の あかり 1/2

【104】 【081】 【094】 【095】 【087】


【104】デ・ラランデ邸。明治46年建築家デ・ラランデにより平屋建ての洋館から、3階建てに増築される。赤い屋根の大きな洋館。1階はレストランになっている。
【081】応接間。一部レストラン。布で覆ったあかり。
【094】よくあるかたちだが曲線がきれい。
【095】黄色いあかりがランタンのよう。四角い窓ガラスと四角がお揃い。
【087】一見和風? 唐草模様。素材が異なる。

撮影:宮本 幸江────テーマE: デ・ラランデ邸の あかり 2/2

【080】 【098】 【099】 【100】 【102】


【080】外からのレースのカーテン越しのあかりがほのか。これは帽子掛け? ラインが不思議。
【098】階段の壁の曲線にも光が当たっている。
【099】踊り場の窓からのあかり。シャープでいい。
【100】重厚で落ち着いたあかり。
【102】天使がかざすあかり。

撮影:宮本 幸江────テーマF:高橋是清邸のガラス 窓

【225】 【226】 【229】 【232】 【230】


【225】高橋是清邸のガラス窓。格子の入り方が面白い。
【226】こちらは、すりガラス。
【229】現代美術の様だと思ったら……耐震装置でした。
【232】すりガラスに花模様が入っている。
【230】外の景色がゆがんで見える。明治の手造りガラス。

撮影:宮本 幸江────テーマG:子宝湯 1/2

【258】 【259】 【256】 【253】 【257】


【258】子宝湯。神社仏閣を思わせる大型の唐破風。贅をつくした造り……だそうです。
【259】子宝なのにどうして爺さん婆さんなのか? 命が続くということか。
【256】そうそう、銭湯は番台で男湯と女湯に分かれていましたね。
【253】昔なつかしい脱衣所の竹籠。
【257】天井が高く、あかり取りの窓と照明が面白い(カメラのいたずら)

撮影:宮本 幸江────テーマG:子宝湯 2/2

【254】 【255】 【260】 【265】


【254】こんな体重計ありました。
【255】富士山ではない! パステルカラーの浴場。
【260】玄関の屋根の上では大黒さんがほほ笑んでいました。
【265】子宝を得た人たち。

撮影:宮本 幸江────テーマH:秋の花 1/2

【205】 【209】 【211】 【214】 【282】


【205】曼珠沙華。高橋是清邸の前の林で。
【209】曼珠沙華。
【211】曼珠沙華。
【214】曼珠沙華。
【282】水引草。伊達家の門の脇で。

撮影:宮本 幸江────テーマH:秋の花 2/2

【286】 【190】 【036】


【286】白花の不如帰。
【190】これだけは夏の名残りの花、木槿。小出邸に咲いていた。
【036】この日の香りの主役は金木犀。どこに行っても香りが漂っていた。

撮影:矢野 博子────テーマA:まるとしかく 1/2

【018】 【026】 【029】 【040】 【096】


【018】前川國男邸のリビングは その天井が高く のびのびしていて 気持ちの良い空気に包まれていた。満月のような電灯が印象的だった。今回の写真で 一番気に入っています。
【026】まーるく切り取られた景色は 絵を見ているようで 見る人を惹きつけた。
【029】【026】と同じ景色だが 遠景は こんな感じだった。
【040】四角に形つけられた扉から覗く 手入れの行き届いた芝生。何とも お洒落。
【096】農家の窓際には 十五夜に備えて ススキが飾られていた。そして 中ではいろりに火が入り それを囲むワラで作った座布団。にぎやかな声が聞こえて来そう。

撮影:矢野 博子────テーマA:まるとしかく 2/2

【140】 【177】 【178】 【290】


【140】きれいに磨かれた窓ガラス そして 廊下。気持ちが引き締まります。(多分 三井邸)
【177】植村邸の門燈。銅板で作られた店構えは この門燈でぼんやりと照らされていたのだろうか。
【178】看板建築の本領を表したような紋章。UとSが絡み合っている。
【290】月が顔をビルの間から 覗かせていた。そうだ 今日は 中秋の名月。真ん丸な月が帰路を照らしていた。バスの中からの一枚。

撮影:矢野 博子────テーマB:フォトグラファー 1/2

【019】 【047】 【048】 【199】 【287】


【019】最初に訪れた前川邸は かなり魅力的だった。今回撮影した写真の枚数は 圧倒的にここでのものが多かった。ここに映っているMさんもそうではなかったかと確信してますが どうだったでしょう?
【047】昔と今では かなりカメラの性能が違っていたと思われるので この様な沢山のライトが必要だったに違いない。常盤台写真場の建物自体にかなり 惹かれた。
【048】この赤い椅子には どんな人たちが 座ったのだろう。お見合い写真も多かったに違いない。みんな おめかしして いい顔して撮影されたのかな。
【199】どんな所にカメラと向けているのか 気になるけど それにしても 足が長くて ウラヤマシイ。
【287】一生懸命 花を撮影している娘。そして その娘を撮影する母。この母にして この子あり。

撮影:矢野 博子────テーマB:フォトグラファー 2/2

【288】


【288】段々 被写体に近づいて 本格的! 真剣そのもの。仕上がりはどうだったのだろう。

撮影:矢野 博子────テーマC:秋の訪れ 1/2

【034】 【093】 【101】 【245】 【247】


【034】園内は どこを歩いていても 金木犀の香りが漂っていた。しかもどの木も大きかった。むせるような匂い。少し 離れた所ぐらいからの香りが 私は好き。
【093】今日は 中秋の名月。秋の花と栗が 供えられていた。このような 季節を伝える昔からの風習は 残したい。
【101】ススキは 裏庭を 飾っていた。サラサラと揺れ動く音が聞こえてくる。
【245】かなり ピンボケに写ってしまったが 秋を代表する草。ワレモコウ、ミズヒキは 外せない。私の好きな草の一つ。
【247】立派な御門にススキは 良く似合う。秋は そこまで来ている。

撮影:矢野 博子────テーマC:秋の訪れ 2/2

【289】


【289】この沢山の黄色のコスモスが 私たちを見送ってくれた。そう もう季節は 秋なのだ。あの猛暑が 嘘のよう。

撮影:伊藤 幸司────テーマA:小さな窓 1/2

【008】 【105】 【057】 【083】 【084】


【008】戦時中に気鋭の建築家が建てた自宅は、建坪から使用材料まで制約の多い中で、いまでもうらやましい感じのするシンプルなスマートさに満ちていた。これなどはノートパソコンなら快適に使えそうなデスクで、障子を使っていながら単なる和風には陥っていない。デザインの力がそこにはある、と納得させられた。
ただし、現実には事務所機能もここに合体せざるを得なかったというから、足の踏み場もないような家だったかもしれないけれど。(前川國男邸)
【105】昭和27年(1952)に西麻布に建てられた三井家総領家公邸(代々三井八郎右衛門を名乗って11代目の三井高公による)は第二次世界大戦後財閥解体で財産を失った後、あちこちにあった建物から部分部分を移築し、組み合わせたとのこと。和室での洋風生活もそういう流れでのライフスタイルとか。(三井八郎右衛門邸)
【057】昭和12年(1937)に板橋区常盤台に建てられた常盤台写真場。階段踊り場の窓が、外から見られることを意識した完全な洋風建築。スタジオは2階なので、訪れた客はみなこの踊り場で気分を入れ替えたにちがいない。
阪急電鉄・小林一三の私鉄沿線開発に始まる動きのひとつとして東武鉄道が浜甲子園健康住宅地と田園調布をお手本に、ときわ台駅前に開発した常盤台健康住宅地をシンボライズするものとしてここに移築されている。
【083】明治時代に物理学者・北尾次郎が自ら設計したという信濃町の木造平屋建て洋館を、明治43年(1910)にドイツ人建築家・ゲオルグ・デ・ラランデが自宅として、木造3階建てに大増築したといわれる。その後何度か持ち主が変わり、昭和31年(1956)からカルピス創業者・三島海雲の住居となり、さらに食品会社の事務所ともなったという。東京都に寄付された後、古い写真によって、大正時代のデ・ラランデ邸として復元。江戸東京たてもの園ではカフェとして営業している。2階に上る階段は、個人住宅としては驚くほどの重厚感。(デ・ラランデ邸)
【084】デ・ラランデ邸の2階には大きな部屋が(たぶん)4つあり、厚い床板が重厚な雰囲気を今に伝えている。窓からの光が闇を失わせないヨーロッパ的な光の使い方を感じさせる。(デ・ラランデ邸)

撮影:伊藤 幸司────テーマA:小さな窓 2/2

【033】 【224】 【120】


【033】これはヨーロッパから帰国した建築家・堀口捨己が和洋折衷の新建築を試みたという大正14年の個人住宅。文京区西片という当時知識層が集まった新しい住宅地域に、外観は洋館だが、内側にはくつろげる和室もあるという和洋折衷。なんとなく文化住宅という感じがしないでもないけれど。(小出邸)
【224】下町の風情を味わいことのできる昭和の町家群の最奥にどんと構えた銭湯・子宝湯。高いところから光を入れる窓には飾り金具がつけられていた。(子宝湯)
【120】この形でも丸窓というのでしょうか。なんとなく安っぽいと思いつつ写真を撮りました。しかしよく見るとなかなか手の込んだ障子だと思います。(三井八郎右衛門邸)

撮影:伊藤 幸司────テーマB:大きな窓 1/2

【006】 【086】 【134】 【153】 【111】


【006】南に大きく開いたガラス戸があり、その上が天井まで、格子状のガラス窓になっています。小さな家の中心に置いた大きな居間に陽光が満ちあふれます。上大崎というと目黒駅から白金台へ向かうちょっと手前ですが、この家は崖っぷちに建っていたので、見晴らしが良かったようです。「掃除が大変!」とつぶやいていた女性がいましたが、戦争の中で国賊呼ばわりされずに、ささやかながら明るい家をつくりたいと考えた建築家の意地のような窓だと感じました。もちろん冬の寒さも想像できますが、建築当時からこの窓下にはスチーム暖房が用意されていました。(前川國男邸)
【086】じつはこれ、デ・ラランデ邸の「小さな窓」として登場した階段の窓。同じ窓が小さかったり大きかったりしてもいいじゃないかと思ったのは写真を見てのこと。周囲との関係で、役目の大小は変わるから。このたてもの園ではガラスなども当時の古いものがそのまま残されていたりするけれど、これはさすがに修復されたもの、でしょう。(デ・ラランデ邸)
【134】西は芦屋の六麓荘町やロンドン郊外の列置ワース、サンフランシスコ郊外のセントフランシス・ウッドなどと並ぶ東京の田園都市(高級住宅街)を作るべく、大正7年(1918)に渋沢栄一らが田園都市株式会社を設立、大正12年から分譲を開始したとされている。これは大正14年に建てられた全室洋間の大川邸。床にカーペットを敷き、ピアノが置かれた「理想的な住宅」の一例とか。大きなガラス窓には障子の香りも漂いながら、みごとに洋風の窓になっている。(田園調布の家・大川邸)
【153】昭和11年(1936)の2・26事件の現場となり、赤坂にあったこの家の2階で大蔵大臣として暗殺されたという。ボランティアガイドの人によると、どの部屋で暗殺されたかは定かではないのだそうだが、これは玄関部分を見るガラス窓。ちなみにこの家が建てられたのは明治35年(1902)とか。(高橋是清邸)
【111】階段のこの踊り場がなんとなく和風、洋風両方の雰囲気を漂わせているのが、この建物の最大の特徴か。三井総本家のこの建物は、訪れた人をさまざまに混乱させたのではないだろうか。(三井八郎右衛門邸)

撮影:伊藤 幸司────テーマB:大きな窓 2/2

【123】 【149】 【170】


【123】庭に面したこの部屋からは、直接庭に出られるみたい。その引き戸と、それに連なる窓とが、大きな風景を見せてくれているけれど、防犯上はこんなもので大丈夫だったのだろうか。西麻布で。(三井八郎右衛門邸)
【149】長い廊下の窓だったと思うけれど、さすが大政治家のお屋敷という格式。今風にいえば料亭みたいな豪華さか。(高橋是清邸)
【170】じつはこの江戸東京たてもの園はすごい、というのがメンバー共通の印象だった。歴史的な価値ある建築物を移築するということなら、古民家を都会に持ってきてレストランなどの店舗にする例はよくある。私の友達などは仕事に成功して古民家を横浜に持ってきて住んでいる。しかしこの江戸東京たてもの園では、庭の雰囲気もできるだけ当時の雰囲気に似たものにするというところまで頑張った。三井八郎右衛門邸やこの高橋是清邸も「庭の雰囲気」まで心配りしている。だから建物の見え方が違うのだろう。こんな風に窓の外を見て暮らしていた人がいたというふうに信じられる。(高橋是清邸)

撮影:伊藤 幸司────テーマC:廊下の風景 1/2

【122】 【158】 【124】 【162】 【186】


【122】長い廊下に、元は絨毯など敷いてはなかったと思うけれど、歩いていて見える庭の風景はこんなものだったにちがいない。こんな長い廊下のある家に住んだら、掃除が大変、などと庶民は考えてしまうけれど。(三井八郎右衛門邸)
【158】こういう風景になると、建物だけでは復元は十分ではない、ということはわかるけれど、この開放的な気分を味わえる庭の広さは生半可なものではない。手入れの必要性など考えると、江戸東京博物館の規模がわかる。外国へ行って博物館や美術館を訪ねるのと同じレベルのものがここにある、と初めて知った。じつは歩いていける距離のところに住んで4年になるのに、小金井公園のサクラは見ても、たてもの園はこれがはじめて。シニア割引で200円という格安入園料なのに。(高橋是清邸)
【124】この大きなガラスの引き戸はすごい。戦後だから大きな板ガラスはすでに入手可能だったとは思うけれど、大きなガラスを作るとか、複雑な曲面のガラスを作るというのは時代の発展とものすごくタイトに結びついている。車を見れば明らかだし、新しい建築物にも最新のガラスがこれみよがしに使われる。この華奢な木製窓枠にこれだけ大きなガラスをはめたのは、さすが三井、という感じがしないだろうか。(三井八郎右衛門邸)
【162】古い建物でこんなふうに見えるところがあると、私はとてもうれしくなる。古いガラスはものがゆがんで見えるという特技をもっているからだ。たてもの園の建物では、古いガラスが使えれば使っているというから、おおいに楽しむことができる。(高橋是清邸)
【186】大田区の鵜ノ木に江戸時代からあったという名主の旧家。屋根は美しい茅葺きで、ガラス戸の入ったこの廊下は、もちろん江戸時代のものではないにしても、日本全国にこのような旧家があったというひとつの見本だろう。(天明家・農家)

撮影:伊藤 幸司────テーマC:廊下の風景 2/2

【157】 【248】 【272】


【157】いくつかの部屋を通して外が見える。日本家屋の景色の美しさはこういうところにあるのだと感じる。寺社を訪ねるとまず間違いなくこういう光景を見ているはずだけれど、なにか他の、価値あるものを探していたような気がする。(高橋是清邸)
【248】多摩地方で製糸会社を興した実業家・西川伊左衛門が、大正11年(1922)に昭島に建てた接客兼隠居所とのこと。おそらく客にはこの風景でもてなしたのだろう。(西川家別邸)
【272】八王子千人同心は江戸時代に甲州街道の警備に当たった幕府の戦闘部隊。千人頭は200石から500石の旗本、10組に別れる組頭は10俵〜30俵という縁であったという。この千人同心のなかに天然理心流道場を開く近藤家があり、新撰組が誕生していく。開け放たれた縁側が心地いい。(八王子千人同心組頭の家)
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【01】撮影:稲葉 和平=10時21分
W9:小出邸
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【02】撮影:稲葉 和平=10時21分
W6:前川邸
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【03】撮影:稲葉 和平=10時21分
W7:大川邸
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【04】撮影:稲葉 和平=10時26分
W6:前川邸
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【05】撮影:宮本 幸江=10時26分
前川國男邸 建築家前川國男の自邸として戦争中(1942年)に建てられたものです。限られた建築資材と100平米以下という制限の中で建てられ1973年に前川夫妻が引っ越すまで30年余り住まれた家です。
「壊すのはあまりにももったいない」という弟子の訴えで解体され部材が軽井沢の別荘に保管されました。1996年にこの場所に復元されたのです。
数年前ここを訪れとても印象に残り、また来たいと思っていました。
外観は和風建築。ガラス格子と白い障子が印象的で 安定感のある家です。
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【06】撮影:伊藤 幸司=10時26分
南に大きく開いたガラス戸があり、その上が天井まで、格子状のガラス窓になっています。小さな家の中心に置いた大きな居間に陽光が満ちあふれます。上大崎というと目黒駅から白金台へ向かうちょっと手前ですが、この家は崖っぷちに建っていたので、見晴らしが良かったようです。「掃除が大変!」とつぶやいていた女性がいましたが、戦争の中で国賊呼ばわりされずに、ささやかながら明るい家をつくりたいと考えた建築家の意地のような窓だと感じました。もちろん冬の寒さも想像できますが、建築当時からこの窓下にはスチーム暖房が用意されていました。(前川國男邸)
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【07】撮影:稲田 郁子=10時27分
前川邸のボランティアは、詳しく建物の説明をしてくれた。戦時中で、100平米に制限されていたことなど。それにしてもこの建物の新しさには驚く。
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【08】撮影:伊藤 幸司=10時29分
戦時中に気鋭の建築家が建てた自宅は、建坪から使用材料まで制約の多い中で、いまでもうらやましい感じのするシンプルなスマートさに満ちていた。これなどはノートパソコンなら快適に使えそうなデスクで、障子を使っていながら単なる和風には陥っていない。デザインの力がそこにはある、と納得させられた。
ただし、現実には事務所機能もここに合体せざるを得なかったというから、足の踏み場もないような家だったかもしれないけれど。(前川國男邸)
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【09】撮影:宮本 幸江=10時29分
北側の門(扉はない)から玄関までは、ゆったりしたアプローチ。南側ほどではないですが、やはり大きなガラス窓が占めています。
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【10】撮影:宮本 幸江=10時30分
南側の天井高くにまで造られたガラス格子に目を奪われます。
柱がなく、南から北へ、北から南へと風が吹き抜ける。光がいっぱいのリビング。照明はイサム・ノグチ。この家にあっています。
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【11】撮影:宮本 幸江=10時30分
銅のお盆をのせたようなテーブル。木の組み合わせが面白い。
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【12】撮影:稲葉 和平=10時33分
スチーム W6:前川邸
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【13】撮影:宮本 幸江=10時33分
前川邸。キッチンテーブルも現代的。
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【14】撮影:稲葉 和平=10時34分
ガスレンジ 
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【15】撮影:宮本 幸江=10時35分
台所。超モダン。4口のガステーブル。どんなお料理を作ったのでしょう。
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【16】撮影:宮本 幸江=10時35分
朝食はトーストにスクランブルエッグ、フレッシュジュース?
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【17】撮影:宮本 幸江=10時35分
前川邸。北側前庭を見る。
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【18】撮影:矢野 博子=10時36分
前川國男邸のリビングは その天井が高く のびのびしていて 気持ちの良い空気に包まれていた。満月のような電灯が印象的だった。今回の写真で 一番気に入っています。
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【19】撮影:矢野 博子=10時36分
最初に訪れた前川邸は かなり魅力的だった。今回撮影した写真の枚数は 圧倒的にここでのものが多かった。ここに映っているMさんもそうではなかったかと確信してますが どうだったでしょう?
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【20】撮影:宮本 幸江=10時36分
前川邸。4個口のガスレンジと風呂釜?
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【21】撮影:宮本 幸江=10時36分
前川邸。ロフトを見上げる。お昼寝のベッドが置いてあるそうだ。寝心地がいいでしょうね……
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【22】撮影:宮本 幸江=10時36分
前川邸。写真を見て気が付いたが、長椅子にはアームがない。おしゃれですね〜。家具もご自身のデザインだとか。
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【23】撮影:宮本 幸江=10時42分
前川邸。柱が縦横に交叉している。力強さを感じる。
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【24】撮影:宮本 幸江=10時43分
前川邸。黒いタイルのトイレ。これが70年前のデザイン?
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【25】撮影:稲葉 和平=10時44分
W9:小出邸
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【26】撮影:矢野 博子=10時44分
まーるく切り取られた景色は 絵を見ているようで 見る人を惹きつけた。
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【27】撮影:宮本 幸江=10時44分
前川邸。書斎から見た眺め。仕事がはかどりそうな部屋。
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【28】撮影:矢野 博子=10時44分
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【29】撮影:矢野 博子=10時45分
「26」と同じ景色だが 遠景は こんな感じだった。
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【30】撮影:宮本 幸江=10時45分
前川邸。リビング。
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【31】撮影:宮本 幸江=10時47分
小出邸。
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【32】撮影:宮本 幸江=10時47分
小出邸。四角い枠に白い円。目を奪われる。
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【33】撮影:伊藤 幸司=10時48分
これはヨーロッパから帰国した建築家・堀口捨己が和洋折衷の新建築を試みたという大正14年の個人住宅。文京区西片という当時知識層が集まった新しい住宅地域に、外観は洋館だが、内側にはくつろげる和室もあるという和洋折衷。なんとなく文化住宅という感じがしないでもないけれど。(小出邸)
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【34】撮影:矢野 博子=10時48分
園内は どこを歩いていても 金木犀の香りが漂っていた。しかもどの木も大きかった。むせるような匂い。少し 離れた所ぐらいからの香りが 私は好き。
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【35】撮影:稲葉 和平=10時49分
W9:小出邸
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【36】撮影:宮本 幸江=10時49分
この日の香りの主役は金木犀。どこに行っても香りが漂っていた。
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【37】撮影:宮本 幸江=10時50分
木彫りの柱に囲まれた玄関。
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【38】撮影:宮本 幸江=10時50分
小出邸。レンガ造りの門が温かい。
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【39】撮影:宮本 幸江=10時51分
2階は和室だが、やはり幾何学的要素を感じさせる。
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【40】撮影:矢野 博子=10時53分
四角に形つけられた扉から覗く 手入れの行き届いた芝生。何とも お洒落。
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【41】撮影:宮本 幸江=10時53分
シックな洋室は床の上から板壁を張り、木彫を施している。
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【42】撮影:宮本 幸江=10時54分
小出邸。赤の応接間。
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【43】撮影:宮本 幸江=10時56分
小出邸。スリガラスと透明なガラスの配分。
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【44】撮影:稲田 郁子=10時57分
常盤台写真場の外観、つまらないけどやはり必要か。
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【45】撮影:稲葉 和平=10時58分
W2:三井邸
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【46】撮影:稲田 郁子=10時58分
玄関脇の応接室。撮影前にはどきどきしていたのだろう。
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【47】撮影:矢野 博子=10時58分
昔と今では かなりカメラの性能が違っていたと思われるので この様な沢山のライトが必要だったに違いない。常盤台写真場の建物自体にかなり 惹かれた。
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【48】撮影:矢野 博子=10時58分
この赤い椅子には どんな人たちが 座ったのだろう。お見合い写真も多かったに違いない。みんな おめかしして いい顔して撮影されたのかな。
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【49】撮影:矢野 博子=10時58分
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【50】撮影:稲田 郁子=10時59分
窓に向かって机があり、椅子が並ぶという珍しいつくり。写真で必要だったのか。暗室もあったが、入れなかった。
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【51】撮影:宮本 幸江=11時00分
幾何学模様が美しい。
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【52】撮影:宮本 幸江=11時00分
小出邸。2階和室 襖の寸法は計算された配分?
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【53】撮影:稲田 郁子=11時01分
2階の撮影室。見ているだけでわくわくする。
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【54】撮影:稲葉 和平=11時02分
ミシン W1:常盤台写真館
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【55】撮影:宮本 幸江=11時02分
玄関の作り付けの下駄箱。洋室の木彫のほうが好みだが、細かいところまで気配りしているのに驚く。
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【56】撮影:宮本 幸江=11時02分
小出邸。廊下の収納。
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【57】撮影:伊藤 幸司=11時03分
昭和12年(1937)に板橋区常盤台に建てられた常盤台写真場。階段踊り場の窓が、外から見られることを意識した完全な洋風建築。スタジオは2階なので、訪れた客はみなこの踊り場で気分を入れ替えたにちがいない。
阪急電鉄・小林一三の私鉄沿線開発に始まる動きのひとつとして東武鉄道が浜甲子園健康住宅地と田園調布をお手本に、ときわ台駅前に開発した常盤台健康住宅地をシンボライズするものとしてここに移築されている。
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【58】撮影:宮本 幸江=11時03分
レンガのアプローチが温かい。
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【59】撮影:宮本 幸江=11時03分
木彫りの柱。黒っぽい茶色の色がいい。
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【60】撮影:宮本 幸江=11時03分
○が風景を切り取っている。
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【61】撮影:稲田 郁子=11時04分
前の椅子なら、見学者もOK
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【62】撮影:宮本 幸江=11時04分
常盤台写真場。自然な笑顔のポートレイトが並んでいます。
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【63】撮影:宮本 幸江=11時05分
小出邸は三角の屋根と四角い建物で構成されている。
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【64】撮影:宮本 幸江=11時05分
小出邸外観。三角屋根と四角い建物で構成されている。
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【65】撮影:宮本 幸江=11時06分
よく手入れされた階段を上って……やはり窓がある。
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【66】撮影:稲葉 和平=11時07分
W10:デ・ラランデ邸
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【67】撮影:宮本 幸江=11時07分
常盤台写真場。スリガラス、バケツ、金魚鉢。
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【68】撮影:宮本 幸江=11時07分
常盤台写真場。昔懐かしいお風呂。板でかき混ぜたことがあったっけ。
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【69】撮影:宮本 幸江=11時07分
洗い場には、ブリキのバケツと桶。
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【70】撮影:宮本 幸江=11時07分
常盤台写真場。台所の収納棚。
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【71】撮影:宮本 幸江=11時08分
1階のこの部屋は何? 勉強部屋? それともカウンターつきの食堂? もしそうなら超モダン。座ってみたい。
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【72】撮影:宮本 幸江=11時08分
常盤台写真場。台所テーブル。現代のように伸縮自在。
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【73】撮影:宮本 幸江=11時08分
公けの場所は洗練された洋風なのに、生活の場は純和風。
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【74】撮影:宮本 幸江=11時08分
時代を感じさせる応接セット。待合室でしょうか?
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【75】撮影:宮本 幸江=11時09分
外の光が入って、緑が透けて見えるガラス扉。
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【76】撮影:宮本 幸江=11時10分
常盤台写真場。玄関を入ると電話が。木で作られた家具の暖かみを感じる。
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【77】撮影:宮本 幸江=11時10分
オレンジ色の照明が優しい。チョコレート色の手摺、窓枠がおしゃれ。
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【78】撮影:宮本 幸江=11時10分
大きな窓から北側の光が入る2階の撮影室。あっと驚くおしゃれな空間。
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【79】撮影:宮本 幸江=11時11分
チョコレート色の手摺の下の壁に、丸いくりぬきがあり、外の景色が切り取られています。遊んでますね〜
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【80】撮影:宮本 幸江=11時21分
外からのレースのカーテン越しのあかりがほのか。これは帽子掛け? ラインが不思議。
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【81】撮影:宮本 幸江=11時22分
応接間。一部レストラン。布で覆ったあかり。
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【82】撮影:宮本 幸江=11時26分
デ・ラランデ邸。1階はレストランでもあり、皆で昼食をとる。カレーにハヤシライス。
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【83】撮影:伊藤 幸司=12時00分
明治時代に物理学者・北尾次郎が自ら設計したという信濃町の木造平屋建て洋館を、明治43年(1910)にドイツ人建築家・ゲオルグ・デ・ラランデが自宅として、木造3階建てに大増築したといわれる。その後何度か持ち主が変わり、昭和31年(1956)からカルピス創業者・三島海雲の住居となり、さらに食品会社の事務所ともなったという。東京都に寄付された後、古い写真によって、大正時代のデ・ラランデ邸として復元。江戸東京たてもの園ではカフェとして営業している。2階に上る階段は、個人住宅としては驚くほどの重厚感。(デ・ラランデ邸)
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【84】撮影:伊藤 幸司=12時00分
デ・ラランデ邸の2階には大きな部屋が(たぶん)4つあり、厚い床板が重厚な雰囲気を今に伝えている。窓からの光が闇を失わせないヨーロッパ的な光の使い方を感じさせる。(デ・ラランデ邸)
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【85】撮影:矢野 博子=12時01分
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【86】撮影:伊藤 幸司=12時05分
じつはこれ、デ・ラランデ邸の「小さな窓」として登場した階段の窓。同じ窓が小さかったり大きかったりしてもいいじゃないかと思ったのは写真を見てのこと。周囲との関係で、役目の大小は変わるから。このたてもの園ではガラスなども当時の古いものがそのまま残されていたりするけれど、これはさすがに修復されたもの、でしょう。(デ・ラランデ邸)
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【87】撮影:宮本 幸江=12時05分
一見和風? 唐草模様。素材が異なる。
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【88】撮影:宮本 幸江=12時05分
デ・ラランデ邸。いろんな照明がありました。
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【89】撮影:稲田 郁子=12時06分
建物内を撮ると縦横の線がはっきりする。私のカメラは広角なので、真っ直ぐにならないが、気にならない。広角で撮った広々した感じが好き。
吉野家
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【90】撮影:宮本 幸江=12時06分
デ・ラランデ邸。
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【91】撮影:宮本 幸江=12時06分
デ・ラランデ邸。
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【92】撮影:矢野 博子=12時06分
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【93】撮影:矢野 博子=12時07分
今日は 中秋の名月。秋の花と栗が 供えられていた。このような 季節を伝える昔からの風習は 残したい。
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【94】撮影:宮本 幸江=12時07分
よくあるかたちだが曲線がきれい。
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【95】撮影:宮本 幸江=12時07分
黄色いあかりがランタンのよう。四角い窓ガラスと四角がお揃い。
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【96】撮影:矢野 博子=12時08分
農家の窓際には 十五夜に備えて ススキが飾られていた。そして 中ではいろりに火が入り それを囲むワラで作った座布団。にぎやかな声が聞こえて来そう。
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【97】撮影:稲田 郁子=12時08分
綱島家(農家)のボランティアは、囲炉裏の火を起こしていた。また脱穀機などの説明もしてくれた。
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【98】撮影:宮本 幸江=12時08分
階段の壁の曲線にも光が当たっている。
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【99】撮影:宮本 幸江=12時09分
踊り場の窓からのあかり。シャープでいい。
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【100】撮影:宮本 幸江=12時09分
重厚で落ち着いたあかり。
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【101】撮影:矢野 博子=12時10分
ススキは 裏庭を 飾っていた。サラサラと揺れ動く音が聞こえてくる。
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【102】撮影:宮本 幸江=12時10分
天使がかざすあかり。
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【103】撮影:宮本 幸江=12時10分
デ・ラランデ邸。玄関扉の装飾。
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【104】撮影:宮本 幸江=12時11分
デ・ラランデ邸。明治46年建築家デ・ラランデにより平屋建ての洋館から、3階建てに増築される。赤い屋根の大きな洋館。1階はレストランになっている。
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【105】撮影:伊藤 幸司=12時12分
昭和27年(1952)に西麻布に建てられた三井家総領家公邸(代々三井八郎右衛門を名乗って11代目の三井高公による)は第二次世界大戦後財閥解体で財産を失った後、あちこちにあった建物から部分部分を移築し、組み合わせたとのこと。和室での洋風生活もそういう流れでのライフスタイルとか。(三井八郎右衛門邸)
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【106】撮影:宮本 幸江=12時14分
緑色のベンチ。
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【107】撮影:宮本 幸江=12時14分
緑色のベンチ。
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【108】撮影:宮本 幸江=12時15分
前川邸。
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【109】撮影:宮本 幸江=12時16分
前川邸の屋根瓦。
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【110】撮影:宮本 幸江=12時18分
門を入ってすぐ右手のカラタチの木に、実がなっていました。
”からたちの花”が咲いたのですね。
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【111】撮影:伊藤 幸司=12時18分
階段のこの踊り場がなんとなく和風、洋風両方の雰囲気を漂わせているのが、この建物の最大の特徴か。三井総本家のこの建物は、訪れた人をさまざまに混乱させたのではないだろうか。(三井八郎右衛門邸)
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【112】撮影:宮本 幸江=12時18分
前川邸。からたちのトゲ。
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【113】撮影:宮本 幸江=12時20分
前川邸の居心地のいいリビング。
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【114】撮影:稲田 郁子=12時22分
三井邸の2階。箪笥がきちんとはまり込んでいるのが、気に入った。
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【115】撮影:宮本 幸江=12時22分
前川邸。絞りとステッチ。
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【116】撮影:宮本 幸江=12時22分
前川邸。絞りとステッチのテーブルセンター。昔もあったのかしら?
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【117】撮影:宮本 幸江=12時23分
食卓セットは天童木工だそうです。70年前のものとは思えません。
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【118】撮影:宮本 幸江=12時24分
「二人でお茶を」ですかね?
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【119】撮影:矢野 博子=12時24分
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【120】撮影:伊藤 幸司=12時25分
この形でも丸窓というのでしょうか。なんとなく安っぽいと思いつつ写真を撮りました。しかしよく見るとなかなか手の込んだ障子だと思います。(三井八郎右衛門邸)
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【121】撮影:宮本 幸江=12時26分
南側の天井までのガラス格子。欅の緑が目にやわらかい。欅の木が好きで、そのそばに家を建てたそうです。
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【122】撮影:伊藤 幸司=12時26分
長い廊下に、元は絨毯など敷いてはなかったと思うけれど、歩いていて見える庭の風景はこんなものだったにちがいない。こんな長い廊下のある家に住んだら、掃除が大変、などと庶民は考えてしまうけれど。(三井八郎右衛門邸)
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【123】撮影:伊藤 幸司=12時27分
庭に面したこの部屋からは、直接庭に出られるみたい。その引き戸と、それに連なる窓とが、大きな風景を見せてくれているけれど、防犯上はこんなもので大丈夫だったのだろうか。西麻布で。(三井八郎右衛門邸)
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【124】撮影:伊藤 幸司=12時27分
この大きなガラスの引き戸はすごい。戦後だから大きな板ガラスはすでに入手可能だったとは思うけれど、大きなガラスを作るとか、複雑な曲面のガラスを作るというのは時代の発展とものすごくタイトに結びついている。車を見れば明らかだし、新しい建築物にも最新のガラスがこれみよがしに使われる。この華奢な木製窓枠にこれだけ大きなガラスをはめたのは、さすが三井、という感じがしないだろうか。(三井八郎右衛門邸)
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【125】撮影:宮本 幸江=12時28分
前川邸。北側の石壁は門とつながっていく。
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【126】撮影:宮本 幸江=12時29分
リビングに通じる大きなドア。
師であるル・コルビジェの家にも同じような大きなドアがあるそうです。
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【127】撮影:宮本 幸江=12時29分
しばらくの間 このソファーに座って庭を眺めていました。
静かな時間が流れる家です。
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【128】撮影:稲田 郁子=12時30分
同じく三井邸、金ぴかの割りに狭い部屋で、縦が強調される。
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【129】撮影:宮本 幸江=12時31分
前川邸。ソファーから見た庭の金木犀。
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【130】撮影:宮本 幸江=12時35分
前川邸。リビングから見た庭。
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【131】撮影:宮本 幸江=12時36分
前川邸。落ち着く書斎。
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【132】撮影:宮本 幸江=12時37分
書斎の椅子。
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【133】撮影:宮本 幸江=12時37分
前川邸。昔懐かしい電話機。電電公社のマークがこんな前面にあったっけ。
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【134】撮影:伊藤 幸司=12時39分
西は芦屋の六麓荘町やロンドン郊外の列置ワース、サンフランシスコ郊外のセントフランシス・ウッドなどと並ぶ東京の田園都市(高級住宅街)を作るべく、大正7年(1918)に渋沢栄一らが田園都市株式会社を設立、大正12年から分譲を開始したとされている。これは大正14年に建てられた全室洋間の大川邸。床にカーペットを敷き、ピアノが置かれた「理想的な住宅」の一例とか。大きなガラス窓には障子の香りも漂いながら、みごとに洋風の窓になっている。(田園調布の家・大川邸)
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【135】撮影:宮本 幸江=12時39分
前川邸。写真を撮っていると「なにとってるの? ぼくらもとって!」と駆けて来たので パチリ。
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【136】撮影:宮本 幸江=12時39分
前川邸。書斎の収納棚クロゼット。洗面台までありました。
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【137】撮影:宮本 幸江=12時40分
ロフトに上がる階段に光と影。
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【138】撮影:宮本 幸江=12時40分
黒のタイル総張りのトイレ。唖然。
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【139】撮影:矢野 博子=12時40分
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【140】撮影:矢野 博子=12時41分
きれいに磨かれた窓ガラス そして 廊下。気持ちが引き締まります。(多分 三井邸)
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【141】撮影:宮本 幸江=12時41分
前川邸。郵便受け。
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【142】撮影:稲葉 和平=12時42分
W7:田園調布・大川邸
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【143】撮影:矢野 博子=12時42分
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【144】撮影:稲葉 和平=12時44分
オーブン W7:大川邸
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【145】撮影:稲葉 和平=12時42分
冷蔵庫 W7:大川邸 氷の冷蔵庫、懐かしい
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【146】撮影:宮本 幸江=12時44分
田園調布の家・大川邸。家の周りの木に張っていたクモの巣。
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【147】撮影:稲葉 和平=12時45分
電話機 W7:大川邸
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【148】撮影:宮本 幸江=12時45分
家の裏の木にクモの巣が張っていた。
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【149】撮影:伊藤 幸司=12時46分
長い廊下の窓だったと思うけれど、さすが大政治家のお屋敷という格式。今風にいえば料亭みたいな豪華さか。(高橋是清邸)
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【150】撮影:宮本 幸江=12時46分
大川邸。夏の名残りの紫陽花。
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【151】撮影:稲田 郁子=12時47分
この着物姿の方は、はじめ入り口で雨の中、案内をしていた。高橋是清邸で再会? したので、撮らせてもらった。2.26事件の場である。
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【152】撮影:宮本 幸江=12時47分
部屋の中を覗いてみました。
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【153】撮影:伊藤 幸司=12時48分
昭和11年(1936)の2・26事件の現場となり、赤坂にあったこの家の2階で大蔵大臣として暗殺されたという。ボランティアガイドの人によると、どの部屋で暗殺されたかは定かではないのだそうだが、これは玄関部分を見るガラス窓。ちなみにこの家が建てられたのは明治35年(1902)とか。(高橋是清邸)
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【154】撮影:宮本 幸江=12時48分
床下の通風孔。なんの模様? 水、波、蕨?
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【155】撮影:稲田 郁子=12時48分
高橋是清邸。2.26現場2階の窓の格子。
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【156】撮影:宮本 幸江=12時49分
紫陽花がまだ色を残している。
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【157】撮影:伊藤 幸司=12時49分
いくつかの部屋を通して外が見える。日本家屋の景色の美しさはこういうところにあるのだと感じる。寺社を訪ねるとまず間違いなくこういう光景を見ているはずだけれど、なにか他の、価値あるものを探していたような気がする。(高橋是清邸)
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【158】撮影:伊藤 幸司=12時50分
こういう風景になると、建物だけでは復元は十分ではない、ということはわかるけれど、この開放的な気分を味わえる庭の広さは生半可なものではない。手入れの必要性など考えると、江戸東京博物館の規模がわかる。外国へ行って博物館や美術館を訪ねるのと同じレベルのものがここにある、と初めて知った。じつは歩いていける距離のところに住んで4年になるのに、小金井公園のサクラは見ても、たてもの園はこれがはじめて。シニア割引で200円という格安入園料なのに。(高橋是清邸)
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【159】撮影:宮本 幸江=12時50分
この紫陽花も色が残っている。透けた繊維も。
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【160】撮影:稲葉 和平=12時51分
C2:自証院
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【161】撮影:宮本 幸江=12時51分
玄関灯。なんという鳥でしょう? 超モダン!
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【162】撮影:伊藤 幸司=12時52分
古い建物でこんなふうに見えるところがあると、私はとてもうれしくなる。古いガラスはものがゆがんで見えるという特技をもっているからだ。たてもの園の建物では、古いガラスが使えれば使っているというから、おおいに楽しむことができる。(高橋是清邸)
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【163】撮影:宮本 幸江=12時52分
大川邸。部屋のあかり。いいですね。
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【164】撮影:宮本 幸江=12時52分
大川邸。書斎? 窓からの光がいっぱい。
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【165】撮影:宮本 幸江=12時53分
大川邸。外から覗いた部屋のあかりはこれでした。
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【166】撮影:宮本 幸江=12時53分
大川邸。パーゴラ。バラを這わせていたのでしょうか。
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【167】撮影:稲葉 和平=12時54分
C3:高橋是清邸
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【168】撮影:宮本 幸江=12時54分
大川邸。この家具はもともと大川邸のものなのか? 現代的でステキで。
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【169】撮影:宮本 幸江=12時54分
大川邸。窓が多く外の紫陽花がよく見えます。
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【170】撮影:伊藤 幸司=12時55分
じつはこの江戸東京たてもの園はすごい、というのがメンバー共通の印象だった。歴史的な価値ある建築物を移築するということなら、古民家を都会に持ってきてレストランなどの店舗にする例はよくある。私の友達などは仕事に成功して古民家を横浜に持ってきて住んでいる。しかしこの江戸東京たてもの園では、庭の雰囲気もできるだけ当時の雰囲気に似たものにするというところまで頑張った。三井八郎右衛門邸やこの高橋是清邸も「庭の雰囲気」まで心配りしている。だから建物の見え方が違うのだろう。こんな風に窓の外を見て暮らしていた人がいたというふうに信じられる。(高橋是清邸)
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【171】撮影:宮本 幸江=12時55分
大川邸。オーブンに冷蔵庫?
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【172】撮影:宮本 幸江=12時56分
部屋の中から見た隣の前川邸。
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【173】撮影:宮本 幸江=12時56分
大川邸。隣の前川邸。
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【174】撮影:宮本 幸江=12時57分
大川邸。台所の収納も現代顔負け。
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【175】撮影:宮本 幸江=12時58分
大川邸。白塗りの壁に映える照明器具。
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【176】撮影:宮本 幸江=12時58分
大川邸。玄関。
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【177】撮影:矢野 博子=12時59分
植村邸の門燈。銅板で作られた店構えは この門燈でぼんやりと照らされていたのだろうか。
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【178】撮影:矢野 博子=12時59分
看板建築の本領を表したような紋章。UとSが絡み合っている。
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【179】撮影:稲田 郁子=12時59分
会水庵(茶室)の中を覗く。暗くて手振れか。
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【180】撮影:宮本 幸江=12時59分
庭の境に規則的に植わっている。
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【181】撮影:宮本 幸江=12時59分
大正14年に建てられたと思えない、おしゃれな外観。
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【182】撮影:宮本 幸江=13時00分
前川邸。でももし住むなら前川邸がいい。
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【183】撮影:宮本 幸江=13時01分
いろんなところに紫陽花が。
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【184】撮影:稲葉 和平=13時02分
C3:高橋是清邸 長い廊下に大きなガラス戸
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【185】撮影:稲葉 和平=13時05分
C3:高橋是清邸 秋にはモミジが美しいという
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【186】撮影:伊藤 幸司=13時09分
大田区の鵜ノ木に江戸時代からあったという名主の旧家。屋根は美しい茅葺きで、ガラス戸の入ったこの廊下は、もちろん江戸時代のものではないにしても、日本全国にこのような旧家があったというひとつの見本だろう。(天明家・農家)
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【187】撮影:稲田 郁子=13時11分
後の鰹節をとりたかったのだが。
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【188】撮影:宮本 幸江=13時11分
緑色のベンチ。置かれている場所で表情が違う。
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【189】撮影:稲田 郁子=13時12分
荒物屋というのだった。つるしたヤカンが楽しい。
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【190】撮影:宮本 幸江=13時12分
これだけは夏の名残りの花、木槿。小出邸に咲いていた。
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【191】撮影:宮本 幸江=13時13分
三角 四角に、円○ があらわれた。
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【192】撮影:稲田 郁子=13時13分
店(生花店?)の裏手の生活圏。コンロと奥の火鉢に懐かしさがつのる。
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【193】撮影:宮本 幸江=13時13分
横から見たデ・ラランデ邸。
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【194】撮影:稲田 郁子=13時14分
井戸と物干し竿が雰囲気をかもし出している。路地が広すぎるが。
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【195】撮影:稲田 郁子=13時14分
なぜかはずせない1枚
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【196】撮影:宮本 幸江=13時15分
建築学科の学生なのか、いろんな部分を熱心に写真を撮っていました。
大きな瓦屋根の勾配が美しい。
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【197】撮影:稲葉 和平=13時16分
E1:天明家(農家)
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【198】撮影:宮本 幸江=13時16分
窓はガラス以外は、サッシの車輪・レールにいたるまで、全て木材で作ってあるそうです。現代ならば、屋根のこの部分も木材を使っていないのでしょう。
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【199】撮影:矢野 博子=13時16分
どんな所にカメラと向けているのか 気になるけど それにしても 足が長くて ウラヤマシイ。
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【200】撮影:稲葉 和平=13時17分
E1:天明家(農家)
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【201】撮影:稲田 郁子=13時17分
蛇の目傘と中の神棚がきれい。
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【202】撮影:宮本 幸江=13時19分
緑色のベンチ。3人並んで何を見てる?
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【203】撮影:稲田 郁子=13時20分
やはり酒屋はなくてはならない??
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【204】撮影:稲田 郁子=13時20分
樽から量り売りもしてくれるのかな?
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【205】撮影:宮本 幸江=13時21分
曼珠沙華。高橋是清邸の前の林で。
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【206】撮影:宮本 幸江=13時21分
曼珠沙華。
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【207】撮影:稲田 郁子=13時22分
解説なしで楽しい。
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【208】撮影:稲田 郁子=13時22分
男湯はやはり富士山。
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【209】撮影:宮本 幸江=13時23分
曼珠沙華。
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【210】撮影:稲葉 和平=13時24分
居酒屋のお品書き
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【211】撮影:宮本 幸江=13時24分
曼珠沙華。
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【212】撮影:稲葉 和平=13時25分
洗濯機 E3:居酒屋 電気洗濯機の手回し絞り機
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【213】撮影:稲葉 和平=13時25分
居酒屋のカウンター
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【214】撮影:宮本 幸江=13時25分
曼珠沙華。
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【215】撮影:宮本 幸江=13時25分
曼珠沙華。
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【216】撮影:稲田 郁子=13時26分
女湯の山は何だろう?
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【217】撮影:稲葉 和平=13時27分
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【218】撮影:稲葉 和平=13時27分
脱衣処
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【219】撮影:稲田 郁子=13時27分
小道具もいろいろ
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【220】撮影:宮本 幸江=13時27分
赤い葉っぱ。
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【221】撮影:稲葉 和平=13時28分
男湯 定番・富士山の絵
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【222】撮影:稲葉 和平=13時29分
E4:子宝湯 鏡で広々として清々しい雰囲気
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【223】撮影:稲葉 和平=13時29分
真ん中にカラン
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【224】撮影:伊藤 幸司=13時29分
下町の風情を味わいことのできる昭和の町家群の最奥にどんと構えた銭湯・子宝湯。高いところから光を入れる窓には飾り金具がつけられていた。(子宝湯)
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【225】撮影:宮本 幸江=13時29分
高橋是清邸のガラス窓。格子の入り方が面白い。
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【226】撮影:宮本 幸江=13時29分
こちらは、すりガラス。
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【227】撮影:稲葉 和平=13時31分
入浴心得
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【228】撮影:稲葉 和平=13時31分
女湯 この絵の山はどこでしょう
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【229】撮影:宮本 幸江=13時31分
現代美術の様だと思ったら……耐震装置でした。
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【230】撮影:宮本 幸江=13時31分
外の景色がゆがんで見える。明治の手造りガラス。
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【231】撮影:稲田 郁子=13時32分
やっぱり店で飲もうか。 ふーん鍵屋というのか。
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【232】撮影:宮本 幸江=13時32分
すりガラスに花模様が入っている。
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【233】撮影:宮本 幸江=13時32分
高橋是清邸。
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【234】撮影:稲葉 和平=13時33分
風呂屋の壁の広告、暮らしにゆとりを?、月賦販売
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【235】撮影:稲田 郁子=13時33分
鍵屋の中。熱燗の用具が珍しいような。
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【236】撮影:稲田 郁子=13時33分
カブトビールか櫻正宗か。飲みすぎて、写真の映りがひどいのにも気付かない??
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【237】撮影:稲葉 和平=13時34分
番台
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【238】撮影:稲葉 和平=13時34分
風呂屋の壁の広告、モーニングサービスのコーヒー、70円
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【239】撮影:宮本 幸江=13時34分
高橋是清邸。襖。
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【240】撮影:稲葉 和平=13時36分
仕立屋、祖母に連れていかれた仕立屋、こんな感じでした
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【241】撮影:稲田 郁子=13時36分
子宝湯、とは名前もよい。
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【242】撮影:稲葉 和平=13時38分
宿屋の受付、何故か富山の置き薬の箱がカウンターに
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【243】撮影:稲田 郁子=13時38分
これは商品というのか…。着物が風で回転していた。
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【244】撮影:矢野 博子=13時39分
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【245】撮影:矢野 博子=13時40分
かなり ピンボケに写ってしまったが 秋を代表する草。ワレモコウ、ミズヒキは 外せない。私の好きな草の一つ。
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【246】撮影:稲田 郁子=13時40分
あったあった、酒屋。
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【247】撮影:矢野 博子=13時41分
立派な御門にススキは 良く似合う。秋は そこまで来ている。
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【248】撮影:伊藤 幸司=13時41分
多摩地方で製糸会社を興した実業家・西川伊左衛門が、大正11年(1922)に昭島に建てた接客兼隠居所とのこと。おそらく客にはこの風景でもてなしたのだろう。(西川家別邸)
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【249】撮影:稲葉 和平=13時42分
酒屋の壁の広告、抽選の景品にCANONの最新鋭高級カメラ!
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【250】撮影:稲田 郁子=13時42分
下町ゾーンで紙芝居をしている方もいました。
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【251】撮影:宮本 幸江=13時42分
東ゾーンの武居三省堂・文具店。
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【252】撮影:稲葉 和平=13時43分
酒屋のレジ
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【253】撮影:宮本 幸江=13時44分
昔なつかしい脱衣所の竹籠。
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【254】撮影:宮本 幸江=13時44分
こんな体重計ありました。
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【255】撮影:宮本 幸江=13時44分
富士山ではない! パステルカラーの浴場。
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【256】撮影:宮本 幸江=13時45分
そうそう、銭湯は番台で男湯と女湯に分かれていましたね。
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【257】撮影:宮本 幸江=13時45分
天井が高く、あかり取りの窓と照明が面白い(カメラのいたずら)
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【258】撮影:宮本 幸江=13時46分
子宝湯。神社仏閣を思わせる大型の唐破風。贅をつくした造り……だそうです。
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【259】撮影:宮本 幸江=13時46分
子宝なのにどうして爺さん婆さんなのか? 命が続くということか。
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【260】撮影:宮本 幸江=13時46分
玄関の屋根の上では大黒さんがほほ笑んでいました。
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【261】撮影:宮本 幸江=13時46分
子宝湯。
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【262】撮影:稲田 郁子=13時47分
まさにドラえもんまで続く風景。
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【263】撮影:宮本 幸江=13時47分
鍵屋・居酒屋。
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【264】撮影:宮本 幸江=13時47分
鍵屋。神棚にまねき猫がいて酒瓶がズラリ。
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【265】撮影:宮本 幸江=13時48分
子宝を得た人たち。
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【266】撮影:宮本 幸江=13時48分
鍵屋の外観。1856年(安政3)に建てられ戦災をまぬがれた。1970年頃の姿に復元しているという。ちょっとさびれた存在感がある。
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【267】撮影:宮本 幸江=13時49分
川野商店(和傘問屋)。
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【268】撮影:宮本 幸江=13時49分
川野商店(和傘問屋)。糊を塗るハケがきれいに並んでいた。
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【269】撮影:稲葉 和平=13時51分
文房具屋の硯、高い!
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【270】撮影:稲葉 和平=13時51分
文房具屋
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【271】撮影:宮本 幸江=13時51分
武居三省堂。収納棚がスゴイ。引出しはひとつづつ抜くことができて、中の品物、筆を見ることができる。
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【272】撮影:伊藤 幸司=13時52分
八王子千人同心は江戸時代に甲州街道の警備に当たった幕府の戦闘部隊。千人頭は200石から500石の旗本、10組に別れる組頭は10俵〜30俵という縁であったという。この千人同心のなかに天然理心流道場を開く近藤家があり、新撰組が誕生していく。開け放たれた縁側が心地いい。(八王子千人同心組頭の家)
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【273】撮影:宮本 幸江=13時52分
武居三省堂。こちら側の棚もきちんと納まっている。
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【274】撮影:稲葉 和平=13時54分
乾物屋のレジ
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【275】撮影:稲葉 和平=13時56分
荒物屋
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【276】撮影:稲田 郁子=13時56分
これは売店で、たてものはふるくないのだが、駄菓子のならぶ感じがなつかしい。
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【277】撮影:宮本 幸江=13時56分
上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部。
これは一体なんだろう? 火の見櫓の上の部分でした。
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【278】撮影:稲葉 和平=13時58分
化粧品屋の注文台帳とそろばん
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【279】撮影:宮本 幸江=13時58分
萩。
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【280】撮影:宮本 幸江=13時59分
萩。
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【281】撮影:稲田 郁子=14時00分
万世橋交番の前のサーベル姿。服も本物だそうです。
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【282】撮影:宮本 幸江=14時01分
水引草。伊達家の門の脇で。
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【283】撮影:宮本 幸江=14時01分
水引。
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【284】撮影:稲田 郁子=14時02分
西川家別邸。これぞ日本建築。玄関も風が通る。
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【285】撮影:宮本 幸江=14時03分
エゴの木の実。
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【286】撮影:宮本 幸江=14時05分
白花の不如帰。
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【287】撮影:矢野 博子=14時21分
一生懸命 花を撮影している娘。そして その娘を撮影する母。この母にして この子あり。
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【288】撮影:矢野 博子=14時22分
段々 被写体に近づいて 本格的! 真剣そのもの。仕上がりはどうだったのだろう。
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【289】撮影:矢野 博子=14時23分
この沢山の黄色のコスモスが 私たちを見送ってくれた。そう もう季節は 秋なのだ。あの猛暑が 嘘のよう。
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【290】撮影:矢野 博子=18時43分
月が顔をビルの間から 覗かせていた。そうだ 今日は 中秋の名月。真ん丸な月が帰路を照らしていた。バスの中からの一枚。
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