発見写真旅・展(118)――2016.8.23 大山(丹沢表尾根を変更・72パワー)<b> 発見写真旅・展(118)――2016.8.23 大山(丹沢表尾根を変更・72パワー)


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★糸の会山行 1002 大山(丹沢表尾根を変更・72パワー)────2016.8.23
*登り30p→下り25p→車道17p(約5km)

*ヤビツ峠から塔ノ岳に向かって丹沢表尾根を行けるところまで行くという計画でしたが、前日の集中豪雨で県道70号・秦野清川線が蓑毛から先で通行禁止になりました。
*さて、だからといって大山だけでは軽いのと、下山後のちょっとした贅沢気分が必要だと考えて、この日は大山から日向薬師へと下り、七沢温泉へ向かうことにしたのです。通行止めとなっていた蓑毛で電話でいろいろ確かめているうちに、8月13日の糸の会千回記念に期待していて実施できなかった玉川館での入浴に加えて、時間によっては食事も可能とのこと。食事がダメなら本厚木に出ても、という方針でヤビツ峠への登山道をたどったのです。


6月21日
・1000……タクシーが蓑毛バス停で通行止めに(標高約300m)
・1025-30……林道終点(登山口)で休憩(標高400m)
・1100-05……休憩(標高約600m)
・1130-50……ヤビツ峠で休憩(標高761m)
・1225-30……休憩(標高約950m)
・1255……表参道分岐(標高約1,150m)
・1310-30……大山山頂(標高1,252m)
・1345-50……雨具を装着(標高約1,150m)
・1435-40……見晴台で休憩(標高770m)
・1530-35……車道に出る(標高約350m)
・1550……薬師林道分岐(標高約150m)
・1605……日向薬師裏門(標高約250m)
・1630……七沢温泉・玉川館(標高約100m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。
伊藤 幸司(41点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:伊藤 幸司



















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【01】撮影:9時45分=伊藤 幸司
蓑毛バス停の近くに立っているこの像は昭和26年(1951)に建てられたといいます。見た目は軍国主義的な匂いがしますが、社団法人東京少年キャンプ連合会の創設10周年記念碑とか。その組織はネット上で探せませんでしたが。
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【02】撮影:9時47分=伊藤 幸司
秦野駅からタクシーでやってくると昨夜来の集中豪雨で通行止め。ヤビツ峠から塔ノ岳に向かって丹沢の表尾根を行けるところまで行こうという計画をここで変更することになりました。いろいろ考えた末、大山から七沢温泉へと下った8月13日の計画のバリエーションとしたのです。私にはちょっとした心づもりもあったのですが、それはまだ期待のレベルにとどめておいて。
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【03】撮影:10時07分=伊藤 幸司
道端のカワラナデシコが風か雨か、あるいは道路を流れた水流で押し倒されていました。
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【04】撮影:10時13分=伊藤 幸司
ミズヒキソウは元気でした。
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【05】撮影:10時17分=伊藤 幸司
集落が終わって山に入っていく林道がこの状態。昨夜の雨の激しさがわかります。
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【06】撮影:10時30分=伊藤 幸司
林道が終わって、ここからヤビツ峠への登山道になります。
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【07】撮影:10時37分=伊藤 幸司
首都圏の山のほとんどは江戸時代から林業の対象となってきましたが、最近、手入れが良くなってきたのか、嫌な気分で歩かなければならない山が少なくなってきたように思います。東京都などは森林保全という名目で間伐の補助事業を積極的に進めているようですが、神奈川県も山にお金をかけているのは避難小屋などを見るとわかります。いささか無茶な関連付けですが、気分のいい人工林を抜けていきました。
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【08】撮影:10時42分=伊藤 幸司
昨夜の豪雨の影響が、この沢にも見られます。
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【09】撮影:10時56分=伊藤 幸司
日が射してきて、雨上がりの日の山歩きはだんだん気分良くなっていく気配です。
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【10】撮影:11時14分=伊藤 幸司
杉林の隙間から見えたのは秦野の街です。
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【11】撮影:11時17分=伊藤 幸司
丹沢山地は崩落の激しい山です。関東大震災の震源は相模湾でしたから、神奈川県の震災被害状況はじつは東京より激しいものであったといいます。丹沢山地ではがけ崩れや山津波が各所で起き、丹沢全山の表層が剥離して平塚からは全山が真っ白に見えたという記録もあるそうです。丹沢山地から箱根山にかけて、山手線内の1.3倍にあたる崩壊地に対して1923年から30年にかけて土木工事や植林がおこなわれ、治山技術の基盤が作られたということです。
2007年の「丹沢大山総合調査学術報告書」によると「丹沢山地は,南部フォッサマグナ地帯に位置し,北米プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込み,さらにそれらの下に太平洋プレートが沈み込むという,世界でも他に無い大変複雑な構造となっている」とのことで、地殻変動も激しく、ここに見るような崩落があちこちにあるほか、道の付替えも頻繁に行われています。私たち登山者は地下深くの激しい変動と、山岳としてはまだ若い地形をこういう場面で覗き見るような気分になります。
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【12】撮影:11時20分=伊藤 幸司
丹沢山地ではあちこちに小さな沢が削られ、こんなかたちで登山道を横切っています。
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【13】撮影:11時55分=伊藤 幸司
ヤビツ峠に着いたのは11時30分。塔ノ岳に向かう表尾根を行けるところまで行く、という計画はすでに無理になっていたので大山に登ることは決めていましたが、下山後の入浴・食事でいささかでも今日の不運のマイナスを取り返せないかといろいろ電話したのですがうまく行きません。糸の会千回記念登山で食事付き入浴をしたいと思っていたのに、はからずもお盆休みで(満室のため)だめになった七沢温泉の玉川館に電話すると(悪天候の後だったからだと思いますが)昼の値段で受け入れましょうということになりました。私は東京近郊で(地味ですけれど)最高の風呂だと思っているのでその回答で行動が決まりました。
まずはこの丹沢縦走路を大山に向かいます。
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【14】撮影:11時56分=伊藤 幸司
丹沢の登山道はこの「国道一号線」みたいなところでこんな感じ。大倉から塔ノ岳に登る大倉尾根(通称バカ尾根)も土木工事をやって積極的に破壊されている状態ですから、神奈川県の山らしく手入れをして傷めている状態に見えます。水の力を人力で押さえ込もうという方針の結果です。
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【15】撮影:12時01分=伊藤 幸司
一般には「階段」と認識されているようですが、これは土留めです。階段ではないので、留めた土が流されたら負け。階段としての最終目的は設定されていないので歩きにくいかどうかに最終評価はありません。不運にも水流に負けたらまた作ればいいのですから。
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【16】撮影:12時07分=伊藤 幸司
花が出てくるとホッとします。これはもちろん山ではポピュラーなマルバダケブキ。
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【17】撮影:12時28分=伊藤 幸司
花被片(花びら)が白で紫色の斑点を散らしているという点はホトトギスですが、花被片が強く反り返り、花糸(雄しべ)の下部に紫斑点があるので、ヤマホトトギス。花糸に斑点がなければヤマジノホトトギスだそうですから。でも次に見たときにはまた忘れていると思いますが。
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【18】撮影:12時30分=伊藤 幸司
ともかく、気持ちいい縦走の気分です。
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【19】撮影:12時34分=伊藤 幸司
丹沢では稜線を堺にして片側の斜面が植林地ということがけっこうあります。
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【20】撮影:12時48分=伊藤 幸司
何度も何度も手入れして表土の流出を防いでいます。
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【21】撮影:12時50分=伊藤 幸司
登山道が破壊されると、雨の日には土がどろどろになり、歩きにくいこともあって登山者は道脇の歩きやすいところに新しい道を作ってしまいます。それを防ぐために人知の最後は歩道化です。でもこの風景を見る限り、向かって左側に水を流せば、登山道は濡れることはあっても破壊するほどの暴力を振るうことはなくなるはずです。でもそれじゃあ仕事をした人はお金にならないかもしれない。お金があると世間的に見栄えのいい造作が受け入れられるのは世の常……でしょう。
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【22】撮影:13時04分=伊藤 幸司
12時55分に下社からの表参道に合流して、すぐに山頂、という感じです。
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【23】撮影:13時07分=伊藤 幸司
山頂一帯は濃い霧の中にありました。
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【24】撮影:13時09分=伊藤 幸司
「御神木・雨降木」のところで記念写真。
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【25】撮影:13時09分=伊藤 幸司
記念写真2.
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【26】撮影:13時43分=伊藤 幸司
見晴台に向けて下りがはじまりました。
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【27】撮影:13時58分=伊藤 幸司
ここは何年か前に大規模な登山道修復工事が行われたようです。以前はけっこうやっかいな道でしたが。
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【28】撮影:14時19分=伊藤 幸司
でもこういう道に出るとホッとします。人間が山に対して「ちょっと歩きやすくさせてください」と頼んだような感じ。ここだって作り方によっては路肩がめくり上がって、豪雨の日の排水路になってしまいます。
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【29】撮影:14時33分=伊藤 幸司
阿夫利神社下社に向かって下る斜面はきれいな植林地になっていました。
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【30】撮影:14時33分=伊藤 幸司
見晴台のベンチ。8月13日にはほぼ満員状態だったのに、今日は誰もいません。
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【31】撮影:14時56分=伊藤 幸司
見晴台のところから下社へと下る道があるのですが、そのまま稜線を進みます。東海自然歩道になっています。前方の大きなお地蔵さんはこの道が古い大山詣での道のひとつだったことを示しています。8月13日の発見写真旅の写真で調べたときには「これは幕末の嘉永6年(1853)に、日向越えの九十九曲りの下り口に建てられた勝五郎地蔵とか。地元の石工・勝五郎さんが作ったのだそうです」と知りました。
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【32】撮影:15時20分=伊藤 幸司
九十九曲りを下ると林道に出ます。昨夜の雨がこれほどひどかったのか、という痕跡がありました。
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【33】撮影:16時19分=伊藤 幸司
日向薬師から七沢温泉へと抜ける車道はちょっと林道の雰囲気でした。
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【34】撮影:16時34分=伊藤 幸司
玉川館への到着は昼食というにはけっこうな時刻になりました。
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【35】撮影:16時44分=伊藤 幸司
残念ながら食事が先ということで、まずは用意されていた昼食付き入浴セット。もちろん到着予定時刻は連絡しつつ歩いてきましたが、みなさんちょっと、ぶー。
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【36】撮影:16時44分=伊藤 幸司
これは「お昼食とご入浴 平日限定 山香膳(さんかぜん)のお昼食」3,500円。ただし「お昼限定です。14:00までにご入館ください」というもの。「少し早めのお夕食とご入浴」となると前日までの予約が必要で4名以上、5,000円から、となります。
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【37】撮影:18時04分=伊藤 幸司
木造の静かな宿です。じつはこの宿、私が編纂に参加した『宮本常一 写真・日記集成』(2005年・毎日新聞)で、日本エッセイストクラブの会合がしばしばここで行われていたことを知りました。東京オリンピックの頃のことです。
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【38】撮影:18時06分=伊藤 幸司
風呂はたぶんこれだけ(もちろん男女別ですが)。露天風呂もないようです。でも私には、なんだかとても心地良い風呂なのです。
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【39】撮影:18時36分=伊藤 幸司
バーテンダーのいるバーがあるというのも高評価の理由です。外来入浴だけでも利用できます。
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【40】撮影:18時57分=伊藤 幸司
この日は泊り客ゼロかと思ったら家族が来ていました。
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【41】撮影:19時20分=伊藤 幸司
バス停の近くの自販機には、缶コーヒーを飲みたいアマガエルが驚くほどたくさん群がっていました。

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