発見写真旅・展(134)――2017.1.14 大霧山(52パワー)<b> 発見写真旅・展(134)――2017.1.14 大霧山(52パワー)


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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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★糸の会山行No.1018 大霧山(52パワー)────2017.1.14
*登り8p→稜線44p

*大霧山(標高767m)は堂平山、笠山と合わせて「比企三山」と呼ばれています。比企(ひき)という地名はちょっとマイナーな感じがしますが、埼玉県の地図では中央部に位置していて、平安〜鎌倉期には関東の主力豪族として、比企尼と呼ばれる女性が源頼朝の乳母をつとめたと伝えられています。飯能から秩父に向かって延びる奥武蔵丘陵の最先端に比企三山は位置しています。
*春の笠山〜堂平山については発見写真旅の104を見ていただくとして、この比企三山を中心にした東武鉄道主催の「外秩父・七峰縦走ハイキング」は、毎回6,000人規模の参加者が42kmの縦走路に挑戦するといいます。
*じつは大霧山ひとつではちょっと変化に乏しいので、いつもなにか、プラスアルファを探してしまいます。今回は最初、日本水(やまとみず)へと下り、さらにかんぽの宿寄居まで歩こうと考えてみたのですが、ちょっと長い。その手前の登谷山(とやさん)が夜景の名所だとされているようなので、七峰に数える皇鈴山(みすずやま)と登谷山を加え、そこにちょうど日没時刻に到着する計画を立てました。


1月14日
・1010……白石車庫バス停を出発(標高約350m)
・1025……登山口(標高約400m)
・1035-40……服装調節(標高約450m)
・1055-1100……休憩(標高約550m)
・1110-20……定峰峠でトイレ休憩(標高約650m)気温0度C
・1150-1200……防寒対策(標高約600m)
・1225-35……休憩(標高約700m)
・1220……旧定峰峠通過(標高約650m)
・1310-30……大霧山山頂(標高767m)
・1405……粥新田峠(標高約550m)以後ほとんど林道
・1435-50……モーモーハウスでトイレ休憩(標高600m)
・1515……二本木峠(標高約600m)
・1545-50……皇鈴山山頂(標高679m)
・1620-50……登谷山山頂(標高668m)ミルクティーを沸かして日没鑑賞
・この日の「さいたま」の日没時刻は16時50分。登谷牧場からタクシーでおがわ温泉・花和楽(かぐら)の湯へ直行しました。

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。
山咲 野の香(6点)
伊藤 幸司(40点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:山咲 野の香




撮影:伊藤 幸司

















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【01】撮影:09時40分=伊藤 幸司
都心部では雨だったのに、北関東では雪という日が何回かありました。この日もそうで、東武東上線・小川町駅から白石車庫までの道は完全な雪道になっていました。さて今日はどういうことにかるのか……。
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【02】撮影:10時17分=伊藤 幸司
バスを降りてからしばらく舗装路を歩きます。
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【03】撮影:10時29分=伊藤 幸司
登山道に入ると、ほとんど雪が積もっていませんでした。この程度の林でも積もらない程度の雪が昨夜降ったということのようです。
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【04】撮影:10時35分=伊藤 幸司
登り始めのこういう風景にはけっこう目がいきます。この雪が、これからの稜線でどんなふうになっているか。雪がついてよかったという場合もあれば、体に負担のかかる寒い1日になることもあります。
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【05】撮影:10時36分=伊藤 幸司
とりあえずアイゼンをつけるというような必要はなさそうだと思います。
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【06】撮影:11時00分=伊藤 幸司
吹き溜まりでは足首ぐらいまでもぐる雪になっていました。全体のスケジュールを考えると、予定通り行かない場合もあるという不確実性が浮上してきます。
この段階でいろいろな不安要素を考えておくことは、計画を変更すると判断する場合に重要です。このホームページの「講座・自習登山のすすめ」にある「6.撤退に勇気はいらない」に書きましたが、自分のチームの、自分で把握できる「その日の実力」を考えておくという意味で重要だと考えています。
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【07】撮影:11時25分=伊藤 幸司
定峰峠でトイレ休憩をしたあと、いよいよ縦走路を歩きはじめました。
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【08】撮影:11時27分=伊藤 幸司
稜線の雪はかなり締まっていました。「歩きやすさ」も重要ですが、トレースがあるかどうかが、今日一日の行く末には重要です。ここで頼りないトレースしかないとなると、どこかでそれが消えてしまうかもしれません。時間に余裕があるうちは新雪歩きを楽しめるとして、下山路では時計が気になったりします。ドラマチックな1日という予感がしました。
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【09】撮影:11時28分=伊藤 幸司
首都圏の山歩きでは稜線の道は3種類あると考えてみます。自然林の道と人工林の道、それと片側ずつ自然林と人工林の道。やっぱり両側とも人工林だと見えるものに関する期待が薄くなります。
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【10】撮影:11時34分=山咲 野の香
足もとには思いの外の雪ながら、この時点では風なし、日ざしあり。不祥事のおかげで秋をロスし、4か月ぶりの参加となった私は、「イヌは喜び」みたいな心境で歩いていました。
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【11】撮影:11時40分=伊藤 幸司
人工林から自然林になるとたちまち歩くのが楽しくなります。このあたりではけっこうたっぷりと雪が積もっていたようです。こういうところで、風道というか、風によるいたずらを感じることがあります。高い場所で風が強いとはかぎりませんし、ちょっとした方向の違いで風の吹き方も違っているとわかったりします。
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【12】撮影:11時51分=伊藤 幸司
ここまでは、まだアイゼンを付けていません。滑ってもいい、と思われる(命の危険を感じない)場所では「慎重に歩く」という体験をすることができます。雪道では自分の「歩き方の品質」をチェックできます。……けれども不安な人が無理をすると思わぬ事故が起きたりもします。「不安」という要素が問題になるようならある程度排除しておくことも必要です。この後すぐ、防寒対策を兼ねた休憩をして、必要と思う人は軽アイゼンも装着することにしました。
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【13】撮影:12時19分=伊藤 幸司
以前、こういう雰囲気はけっこう「いい」感じでした。スギ・ヒノキの人工林のたたずまいです。ところが最近ではあまりいい状態には見えなくなりました。ここは埼玉県ですから東京都や神奈川県とはずいぶん状況が違うのでしょうが、水源林の整備や、スギ花粉にかかわる問題もからんでのことでしょう、お化け屋敷状態になった人工林の間伐事業にけっこう大きな補助金が投入されているようなのです。そういう補助事業によって美しい人工林が増えているからだと思います。
この森の状態も、おどろおどろしい感じではなくなっていますが、細い木も多く、枝打ちもされていないようすが見てとれます。でも首都圏の日帰り山歩きは、この10年でずいぶん気持ちのいいものになってきた……とはいえます。
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【14】撮影:12時31分=伊藤 幸司
稜線を歩き始めて30分ほどのところで急に冷たい風に襲われたので、防寒装備を装着しました。そしてこれが30分歩いたところ。ここは風が弱かったのでゆったりできると判断して腹ごしらえの休憩としました。できればちゃんとした岩陰、風陰の斜面などにしたいのですが、風を見ながら稜線を歩いていると、風通しの良い・悪いは見た目とはなかなか一致しません。判断に迷いながら、時計と相談しながらの休憩でした。
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【15】撮影:12時35分=伊藤 幸司
こう見ると登山道がはっきりしていないように感じられますが、そういうことはありません。さすがに首都圏有数の縦走路ですから先頭に立って冷静に見ている限りルートを見誤ることは少ないのですが、「赤布」と総称されるルート表示や大小の道標、脇道への進入禁止表示など、こまかな目印を「探しながら歩く」という集中力を切らしていると、いろいろな想像力が勝手に働いて、あいまいな尾根の分岐などで観察よりも思考が勝って大きな間違いを起こすことがあり得るのです。考えることも重要ですが、見ることはもっと重要だというのがルートハンティングの基本だと思います。
最近ではベテランばかりの参加となっている糸の会ではそういう体験を楽しんでいただきたいと考えて「10分交代」でトップを体験していただいています。難しい場面に遭遇した人には不運かもしれませんが、私ははっきりと「失敗」するまでは沈黙を守ることにしています。その段階からは(そのおかげで)「偵察」という体験をすることができるからです。時間に余裕さえあれば、いろいろな体験ができます。
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【16】撮影:12時42分=伊藤 幸司
ほぼ同じような樹林帯の緩やかな稜線が続きます。同じような場面の写真を何枚も並べたのは、雪の降り方が結構違うからです。
単純な原則ですが、頂上に立ったらすごい風が吹いているだろうなと思うときに、裏切られて静かな山頂休憩を楽しめるということが多々あります。風の強いそういう日には、下っていって峠に出たとたん強い風に追われて下山路に飛び込むというようなことがよくあります。
上を向いて風を見ようとするから騙されるのです。風を川の流れと見れば、流れの一番早いのは、流れの中心であり一番深いところです。山なら峠がそれに当たります。
この日は雪の降り方で風の吹き方を追体験できるかと思いながら歩いたのですが、希望通りのわかりやすい光景は出てきませんでした。
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【17】撮影:12時51分=伊藤 幸司
標高767mの大霧山の山頂部分は東斜面が共有の肥育牧場となっていて急に展望がひらけます。正面に笠山(山頂に小さな突起が見えます)と堂平山(伸び上がっていく途中に見えるところ、雪がとくに白い、その右端に旧東京天文台のドームが肉眼で見られます)が姿を現してきました。この大霧山と合わせて比企三山といわれています。
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【18】撮影:12時52分=山咲 野の香
まっ白に化粧した雪山ではなく、こんな風に冬木立を残した山は、無防備な素顔という印象。寒々しい空もモノトーンと協調。
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【19】撮影:12時55分=伊藤 幸司
笠山と堂平山のアップです。堂平山の天文台は1962年に東京天文台の堂平観測所として設置されたもの。2000年に閉鎖されて、2005年から地元・ときがわ町の「星と緑の創造センター」として利用されています。
じつはそこに見えている真っ白な斜面は全面芝生で、観測の際に空気のゆらぎを抑える効果を発揮していたらしく、1993年の春の夜に、そこでお湯を沸かそうとしたところ守衛さんが飛び出してきて追い払われたことがあります。観測に支障があるとのことでした。
それは集英社の隔週刊雑誌「スーパージャンプ」で天沼俊さんのアウトドア実践コミック「ネイチャーパイロット」(全29話・単行本3冊・デジタル版あり)の第一話の取材でした。夜景のデートポイントとして奥武蔵グリーンラインの関八州展望台へドライブ、コンビニで仕入れた食材で一夜を過ごすというもの。天沼さんが人生で一番つらかったというロケの始まりが、そのグリーンラインの堂平山だったのです。
ちなみに今回の大霧山は、その先、登谷山の山頂からの夜景が素晴らしいという情報があったので、その時のことを思い出して、そこまで足を伸ばしたいと考えました。
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【20】撮影:12時59分=伊藤 幸司
この牧場……というより放牧場が「天空のポピーまつり」で有名だという秩父高原牧場の一角だということを初めて知りました。
「二本木乳牛育成牧場」というのが当初のコンセプトだったようで「埼玉県秩父高原牧場」として業務を開始したのが1968年(昭和43)。1997年(平成9)にその一部を「彩の国ふれあい牧場」としたということです。
その範囲はこの大霧山山頂部から粥新田峠、二本木峠を経て愛宕山までの稜線上に約350ha、東京ドームなら75個分にも及ぶそうです。
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【21】撮影:13時02分=伊藤 幸司
山頂が近づいてきて、秩父側も見えてきました。これはひと目で武甲山とわかります。すぐとなりにあるという感じでした。
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【22】撮影:13時11分=伊藤 幸司
武甲山の全容が見えてきました。関東地方では山肌を削られているところは無数といっていいほどあるのですが、ほとんどは山の裏側にあって、町の人には気づかれないようにしています。ところがこの、秩父のランドマークというべき武甲山は町に面した側から削られていったというきわめて例外的な山といえます。それに関してはこの発見写真旅No.131武甲山で触れました。
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【23】撮影:13時12分=山咲 野の香
大霧山山頂ではいろいろな雲がありました。ぎりぎりの感じで見えた武甲山。痛々しい山容をいたわるように雲が降り注ぎ、包み込む寸前のように見えました。
以前にテレビで長年連日、武甲山の写真を撮っている人を取材していましたが、昭和20 年頃の武甲山はまるで別山。
龍が横たわるような堂々たる山塊でした。秩父夜祭は、秩父神社の女神、妙見様と武甲山の男神、龍神様の年に一度の逢瀬だそうですが、納得です。
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【24】撮影:13時13分=伊藤 幸司
大霧山山頂には13時10分から30分まで滞在しました。20分もいたということは寒くなかったということです。雪は多かったけれど、寒くなかったということです。
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【25】撮影:13時13分=伊藤 幸司
風がなくて日差しがある、というのは冬の山頂の条件としてはうれしいものです。この日、秩父から奥秩父方面の展望はあまりよくありませんでしたが。
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【26】撮影:13時27分=山咲 野の香
過去2回、大霧山からの眺望に恵まれずでしたが、今回はたくさんの山が見えました。幸いにも山頂では強風が止み、この低く垂れ込めた雲の下、榛名やら赤城やら、見えているようです。
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【27】撮影:13時34分=伊藤 幸司
秩父の町を背景にして記念写真を撮る場所なのですが、雲が低く垂れ込めていたことはお分かりいただけるかと。
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【28】撮影:13時34分=伊藤 幸司
大霧山から愛宕山、皇鈴山、登谷山まで、これから歩く道すじが見えています。足元の平ったいところが秩父高原牧場の中心部です。
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【29】撮影:13時37分=伊藤 幸司
大霧山の北斜面を下ります。北風がここにかなりの雪を吹き付けたようです。
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【30】撮影:13時40分=伊藤 幸司
この日は11時50分からの10分休憩で防寒の服装を整え、不安な人は軽アイゼンを装着しました。ちなみに……写真(12)の撮影時刻は「11時51分」となっていますが、その休憩の直前の写真です。カメラの時計はほぼ正確ですが、行動時間は高度計付き時計でデジタルの数字を5分単位に読んでいるための誤差です。
粥新田峠まで、先の判断できない雪の下り道が続くので、リーダーとしての私が「嫌な予感」を感じたら、全体にストップをかけて、全員にアイゼン装着をすべきかもしれません。
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【31】撮影:13時40分=伊藤 幸司
下りながら、前方の雪の具合が気になってしかたありません。計画書では「1300ごろ大霧山山頂」「1400ごろ粥新田峠」でした。山頂での休憩は「1310-20-30」でしたから10分休憩をさらに10分延長して20分遅れになりました。長めの休憩で、いいリラックスができました。いよいよ後半戦というリフレッシュにもなりました。
でもそれで、粥仁田峠が何時になるかで、そろそろ後ろの時間も視野に入れなくてはならなくなりました。どこからでも下れるし、タクシーを呼べる場所もあるので今日は成り行き主義でもいいのですが、リーダーとしての最後の判断に向けて「どこまで頑張るか」という逆算を求められる段階に入りつつあります。。
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【32】撮影:13時53分=伊藤 幸司
糸の会のメンバーはダブルストックのお陰で下りの歩き方ではかなり上級の技術をもっています。軽アイゼンをつけていない人の下りを見ていると、この斜面とこの雪なら、気分良く歩いて、たとえ滑ってもいいじゃないか、と判断できました。気持ちよく、スピードが上がっていきます。
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【33】撮影:13時55分=伊藤 幸司
標高約700mから急な下りが標高差で約100m続きました。粥新田峠までの残り約50m(標高差)は緩やかな下りになります。道を見る目にも余裕が出ました。
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【34】撮影:14時16分=伊藤 幸司
粥新田峠に出たのは14時05分。そこには「関東ふれあいの道・二本木峠・登谷山」という立派な標識がありました。こんな道をどこまで歩くことになるのかと考えながら歩きはじめました。アイゼンをつけたままにするか、取るか悩みつつ……。
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【35】撮影:14時17分=伊藤 幸司
舗装路から雪が消えました。
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【36】撮影:14時17分=山咲 野の香
牧場手前。おにぎり山。
ぽかぽか、曇天、強風、風花、どんどん天気が変わり、この青空に目を奪われました。
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【37】撮影:14時22分=伊藤 幸司
振り返るとやはり笠山と堂平山が見えています。笠山の山頂も堂平天文台のドームも見やすくなってきました。山の向こうに関東平野が広がっているので、そちらの展望がだんだん気になってきます。街に灯りがともる頃に、ジャスト登谷山の山頂に立っていたいという計画を立てているからです。
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【38】撮影:14時28分=伊藤 幸司
秩父高原牧場の住所は東秩父村大字坂本2951ですが、坂本2949-1に「彩の国ふれあい牧場」があるとのこと。私たちにはそこの「トイレ」への期待が大きくなりました。
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【39】撮影:14時28分=伊藤 幸司
「注意・牛の横断あり」という道標の先に羊牧場がありました。
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【40】撮影:14時53分=伊藤 幸司
さて、ロウバイだったかと思いますが、花の気配を初めて感じました。
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【41】撮影:15時30分=伊藤 幸司
二本木峠を過ぎ、地形図では標高655mの無名峰となっている愛宕山をやり過ごすと、皇鈴山に登る登山道が始まりました。ここでようやく、1時間半近い車道歩きが終わりました。
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【42】撮影:15時34分=伊藤 幸司
皇鈴山の山頂かと思ったら、偽ピークで、一旦下ります。でもここのふわふわ雪は楽しい感じがしました。
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【43】撮影:15時44分=山咲 野の香
皇鈴山山頂から両神山方向。冬の稲妻と見まごう細枝が、消えかけた焦がれる山に向かって、執念で手を伸ばしているよう。
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【44】撮影:15時55分=伊藤 幸司
皇鈴山山頂での休憩は15時45分からの5分。計画書では山頂を16時30分と見積もっていましたが、車道歩きで時間が大幅に短縮。しかも気温がマイナス2度Cで、風が吹くと凍えますから早々に出発したのです。日没時刻の16時50分までにはかなりの時間が残されているものの最終目標は刻一刻と近づいてきました。
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【45】撮影:16時33分=伊藤 幸司
登谷山に着いたのは16時20分。埼玉県県庁所在地の日没時刻である16時50分までの待ち時間を潰すために、濃くて甘いミルク紅茶を作りました。残念だったのは、人気上昇中というここからの展望は、関東平野の中心部が見えなくてかなり失望。寒さに絶えられなくなるギリギリのところでタクシーが待つ駐車場に一気に下りました。
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【46】撮影:19時19分=伊藤 幸司
寒さの稜線からタクシーで、一気に小川町のおがわ温泉・花和楽の湯へ。

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