山旅図鑑 no.197
大野山
2018.5.26

山旅図鑑目次


糸の会(no.1086)
2018.5.26
大野山
45パワー

登り26p→下り19p

*計画書には「距離は結構ありますが、ゆるやかなアップダウン。新緑を楽しみながら、のんびり歩きたいと考えています。」とだけ書きました。
*ところがどっこい、歩きはじめで、すぐに道を間違え「行き当たりばったり」に計画変更したのです。それがけっこう面白かった。最近の糸の会の良くない傾向がここにも出てしまいましたが。

5月26日
・1055……丹沢湖バス停を出発(標高約350m)
・1145……間違った道からバス通りへ出る(標高約300m)
・1215-30……湯元平登山口あたりで休憩と偵察(標高約250m)
・1245……林道ゲート(標高300m)
・1305-10……林道で休憩(標高約400m)
・1320……登山道入口(標高約450m)
・1405……湯元平分岐で山頂に続く林道に出る(標高約650m)
・1440-1510……大野山山頂(標高723m)
・1610……古宿に下る林道に出る(標高約350m)
・1710……大野山入口バス停(標高約250m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。

伊藤 幸司



山旅図鑑 no.197
大野山
2018.5.26

大野山登山
【撮影】10時48分=伊藤 幸司
丹沢湖バス停で降りると、この記念碑がありました。道を渡ると三保ダム公園の駐車場らしく、トイレがありました。そこでここを出発前の準備場所としたのです。
で、この記念碑がなんなのか、知りたいと思ったのですが、どうもはっきりしませんでした。
正面に表題があります。大したことが書かれていない感じだったので、文面を複写するというような気分になりませんでした。
オリジナル写真を拡大してみると「林泉・1990・土屋健」という大きな文字が辛うじて読めました。
そこでこれをネット上で調べてみると、この記念碑に関する記述がなかなか出てきません。
ようやく「sasablog」の「三保ダム5」に次のような記述がありました。
【針葉樹のイメージを2本の柱で、流れ出る泉を台座で表現し、立っている女性像は「緑に寄り添う人の心」、座っている女性像は「水の流れを楽しむ人の心」を表しています。】
これが表題の上に小さな文字で書かれていた文面です。じつは私も現地で読んだけれど、ほとんど意味が通じませんでした。
「土屋健」という人に関してもテレビ&映画プロデューサーやサイエンスライターについては出ているけれどこの土屋健さんがどういう人かわかりません。
そしてどうも、この記念碑は公の記念というわけでなく、ひょっとすると土屋さん個人の、なんらかの記念碑、あるいは個人的な寄贈作品……という感じです。作品名のほかに公的な名称がないらしいのです。すなわち「林泉」。

大野山登山
【撮影】11時04分=伊藤 幸司
ここに「丹沢湖大野山線・大野山6.7km」という標識がありました。ちょっと賑やかな雰囲気の道でしたが。

大野山登山、神尾田神社
【撮影】11時07分=伊藤 幸司
その石段を登ると社がありました。地形図に神社の記号があるにしては質素です。名前は神尾田神社。神尾田はまさにこの場所の大字名、すなわち旧村名です。調べてみると歳神は大己貴命(オオナムチノミコト)と木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)だそうですが旧・神尾田村の産土神(うぶすながみ)が祀られているということでしょう(確認はとれていませんが)
何という名前のサイトかわからないのですが「2015.04.02 7組 斎藤良夫」という人の「砲弾と湖底のふるさと」という文章(とたぶん閉鎖されたという丹沢ビジターセンターのものらしい写真)がありました。
【丹沢湖畔の高台に神尾田神社(神奈川県山北町)がある。鳥居をくぐり石段を上った先に、一対の砲弾が並んでいた。岩石を積んだ台座の中心に砲弾が屹立している。それを噴煙に見立てれば、今なお噴火を続ける「西之島火山」のようだ。
 境内に「想郷の碑」が建っている。砲弾から戦場に散った兵士の慰霊碑と思ったが、碑の裏面に「神尾田地区三保ダム移転者」とあり、37人の名前が刻まれていた。ダム建設で生まれた丹沢湖に沈んだ家々の世帯主の名前だった。湖底に沈んだのは神尾田地区を含む旧三保村の4地区で、総世帯数と家族は223軒、約1000人にのぼる。
 18年間続いた神奈川県「丹沢湖ビジターセンター」が今年3月限りで廃止・閉鎖された。そのお別れ展示を見るために閉鎖直前の3月28日(土)に訪問した。ここで昨年秋に、私と同じ小田原市国府津に住む主婦、野地悌子さん(68歳)が、丹沢湖ができる前の旧三保村の風景を紹介した水墨画展を開いた。野地さんは同村世附(よずく)の出身で水没前の写真と自らの記憶を重ねて、生家の旅館「落合館」をはじめ「湖底のふるさと」を描いた。この水墨画展とビジターセンターの回顧展示の話が今回の私の丹沢湖行のきっかけだった。 】

大野山登山
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
神社を過ぎると道はすぐに歩き心地のいい歩道になりました。

大野山登山
【撮影】11時16分=伊藤 幸司
その道が登山道らしい雰囲気になりました。私は最後尾を歩きながら前方の送電線を見てこれでいい、と確認していました。

大野山登山、ウツギ
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
ウツギの花がありました。

大野山登山、ウツギ
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
ウツギの花はなかなか個性的で、10本の雄しべの花糸(約を支える軸)には左右に板状の翼があって、この写真だと黄色い葯の下に白い板があるように見えています。

大野山登山
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
ウツギの花に気を取られているうちに、ずいぶん離されてしまいました。

大野山登山、ウツギ
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
まだまだ、ウツギの花はあったのです。

大野山登山、ノイバラ
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
これはノイバラですよね。花弁の白さにちょっと見とれてしまいました。

大野山登山
【撮影】11時22分=伊藤 幸司
道はこんなふうに伸びていましたが、ひょっとするとここですでに道を間違っていたかもしれません。私もどこが分岐だったかわからないのですが、地形図に描かれている、送電線が二股に分かれているところで左手にいかなければならないところを、(振り返って考えれば)右手に行く道があったのだと思われます。もちろんその道は地形図にはありませんでしたが。

大野山登山
【撮影】11時26分=伊藤 幸司
私たちは明らかな道をたどりながら、果樹畑のような雰囲気のなかに入り込んでいったのです。

大野山登山、クヌギ
【撮影】11時27分=伊藤 幸司
この葉っぱはクヌギでしょうか。すると果樹ではなく、薪炭林か。でもわざわざクヌギ林を作ったという感じですから、なにか商業的な目的があったのだろうと思われます。
とりあえずウィキペディアで「クヌギ」の「利用」を見ました。
【クヌギは成長が早く植林から10年ほどで木材として利用できるようになる。伐採しても切り株から萌芽更新が発生し、再び数年後には樹勢を回復する。持続的な利用が可能な里山の樹木の一つで、農村に住む人々に利用されてきた。里山は下草刈りや枝打ち、定期的な伐採など人の手が入ることによって維持されていたが、近代化とともに農業や生活様式が変化し放置されることも多くなった。
材質は硬く、建築材や器具材、車両、船舶に使われるほか、薪や椎茸栽培の榾木(ほだぎ)として用いられる。
落葉は腐葉土として作物の肥料に利用される。】
さらに
【樹皮やドングリの殻は、つるばみ染め(橡染め)の染料として用いられる。つるばみ染めは媒染剤として鉄を加え、染め上がりは黒から紺色になる。
養蚕では、屋内で蚕を飼育する家蚕(かさん)が行われる以前から、野外でクヌギの葉にヤママユガ(天蚕)を付けて飼育する方法が行われていた。
樹皮は樸樕(ボクソク)という生薬であり、十味敗毒湯、治打撲一方(ヂダボクイッポウ)といった漢方薬に配合される。】
しかし、現代的ビジネスとしては「虫の集まる木」という部分に価値がありそうに思えました。
【クヌギは幹の一部から樹液がしみ出ていることがある。カブトムシやクワガタなどの甲虫類やチョウ、オオスズメバチなどの昆虫が樹液を求めて集まる。樹液は以前はシロスジカミキリが産卵のために傷つけた所から沁み出すことが多いとされ、現在もほとんどの一般向け書籍でそう書かれていることが多いが、近年の研究で主としてボクトウガの幼虫が材に穿孔した孔の出入り口周辺を常に加工し続けることで永続的に樹液を滲出させ、集まるアブやガのような軟弱な昆虫、ダニなどを捕食していることが明らかになった。
ウラナミアカシジミという蝶の幼虫はクヌギの若葉を食べて成長する。またクヌギは、ヤママユガ、クスサン、オオミズアオのような、ヤママユガ科の幼虫の食樹の一つである。そのため昆虫採集家は採集する種にもよるがこの木を見ると立ち止まって幹、枝、葉、さらには根元まで一通り確認して昆虫を探すことが多い。また、オオクワガタなどクヌギを主な活動拠点とする昆虫を探すために、それらの名産地においてマニアが何時間もクヌギを見張っている光景が見られることも珍しくない。】
そういう価値を商品化しようとする意図でクヌギの植林がされていたとしたら、おもしろそう。
でも、ふと気づいたのはクヌギは木炭にならないのだろうか、という疑問。ウィキペディアの担当者は「くぬぎ炭」に関する記述をすっかりお忘れだったようです。
じつはこの日の終盤に同じ山北町の向こう側で、私たちは文化活動としての炭焼き窯を見ることになるのです。

大野山登山
【撮影】11時41分=伊藤 幸司
私たちが道を間違えたことがはっきりしました。人が通っている道ではあるのですが、登山道ではありません。
私は一度、進行左手の方向、この写真の向こう側の自然林の方向に軽い偵察を試みましたが、簡単に登山道に出られそうな気配はありませんでした。
登山道をたどり直すのならともかく、横から攻めようとするのは危険です。たとえ登山道に出たとしても、それを認識できるかどうか。ささやかな1本の踏み跡を道として見られるかどうかが大いなる疑問なのです。
私はこのまま集落まで下ることにしました。

大野山登山、鹿柵
【撮影】11時42分=伊藤 幸司
斜面をまっすぐ下っていくと、この「出入口」に出ました。鹿柵の扉をくぐるということは、こちらが外、向こうが集落の内側ということです。

大野山登山
【撮影】11時46分=伊藤 幸司
鹿柵を出る(入る?)と、ジャングルを抜け出たという気分になりました。神縄という集落です。

大野山登山
【撮影】11時57分=伊藤 幸司
すぐにバス道路に出ました。新松田駅から丹沢湖方面へと向かうバスが通る道です。神尾田トンネルのすぐ近くに出たのです。

大野山登山
【撮影】12時01分=伊藤 幸司
今日私たちがスタートした近くに丹沢湖の三保ダムがあったのですが、それが河内川となって下っています。これがその深い谷。エネルギーに満ち溢れた峡谷風景です。

大野山登山
【撮影】12時02分=伊藤 幸司
進行左手に大野山に向かう登山道があるはずなので、とりあえずバス道路を下っていきます。

大野山登山
【撮影】12時05分=伊藤 幸司
バス道路から河内川越しに見た集落。平山集落だと思います。いかにも古くからの集落だと感じるたたずまいです。

大野山登山
【撮影】12時30分=伊藤 幸司
湯本平というバス停の近くに手書きの小さな案内板があって、自動車修理工場(田中モータース)の中を抜けるような林道を登りました。地形図にも描かれている林道で、地形図では上部の登山道が鎖線(点線)になっていますが、昭文社の登山地図では「湯元平分岐点」で大野山への林道に合流できるように書かれています。大野山へ登るにはここからが最短ルートということになるようです。

大野山登山
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
この花、わかりません。葉の先端が尖っているのを尾状というのだそうですが、これだけ素晴らしい尾状だと有名な木だと思います。葉の形状で調べてみるとチョウジザクラが出てきましたが、花が違います。花の雰囲気はウツギに似ていると思いましたが、ウツギの仲間にはこういう葉はないようです。私が拠り所とする『山の花1200』(青山潤三・平凡社)を1ページずつめくって見たのですが、なかったようです。……で諦めました。ご存じの方教えてください。

大野山登山
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
念のため前の写真のバリエーション。

大野山登山
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
集落の最上部まで日常的に使われていると思われる林道が伸びています。

大野山登山
【撮影】12時37分=伊藤 幸司
茶畑とその農家がありました。

大野山登山、ヤマボウシ
【撮影】12時41分=伊藤 幸司
茶畑の農家を見下ろすところまでくると、ヤマボウシの花が特段きれいな状態で見えました。

大野山登山
【撮影】12時41分=伊藤 幸司
林道ゲート。ここで生活道路が終わるということのようです。じつはこの道の登り口のところに「平成22年9月の台風9号により、大野山山頂までの間、一部土砂が流出しているため通行出来ません。」という標識がありましたから、またここに戻ってくる可能性を若干考えながら行くことにしました。

大野山登山、ヤマボウシ
【撮影】12時42分=伊藤 幸司
林道ゲートの手前で、あせってヤマボウシを撮りました。今年はどこでもヤマボウシが花をいっぱいつけています。この木はまさにその今年ならではの満開ではないかと思いました。

大野山登山、ヤマボウシ
【撮影】12時43分=伊藤 幸司
花が行儀よく整列している感じのヤマボウシ。

大野山登山、ヤマボウシ
【撮影】12時43分=伊藤 幸司
これでもこの木の全貌ではないけれどジャイアント・ヤマボウシという感じです。

大野山登山、ヤマボウシ
【撮影】12時44分=伊藤 幸司
ヤマボウシ。いろいろ撮ったので、最後に超望遠で。

大野山登山
【撮影】12時49分=伊藤 幸司
穏やかな林道歩きが始まりました。

大野山登山
【撮影】12時55分=伊藤 幸司
でもすぐに、道路の崩落現場が出てきました。

大野山登山
【撮影】12時56分=伊藤 幸司
里に向かって土石流が落ちていったことがわかります。

大野山登山
【撮影】12時59分=伊藤 幸司
上を見ると、けっこうな崩落だったようです。

大野山登山
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
かなり苦労して林道を再開通させたと感じられます。よほど重要な林道だったということでしょうか。

大野山登山
【撮影】13時15分=伊藤 幸司
ところがそのすぐ先で、林道はまさに通行不能。
「平成22年9月の台風9号により、大野山山頂までの間、一部土砂が流出しているため通行出来ません。」というのはこの状態のことでしょう。
神奈川県の災害情報サイトに「平成22年9月8日大雨(台風9号)による県内の被害と本県の対応」がありました。9月21日の記者発表資料だそうです。
【1 9月8日の警報等の発表状況
●警報発表の状況
10時26分松田町、山北町に大雨洪水警報発表以降、15時36分までに県全域に大雨洪水警報(清川村は大雨警報)発表
※17時50分以降、順次警報を注意報に切り替え、21時35分をもって県内警報全て解除
※大雨洪水警報の他、山北町に記録的短時間大雨情報(横浜地方気象台発表)、県内24市町に土砂災害警戒情報(県・横浜地方気象台共同発表)が発表。
●降雨の状況
山北町丹沢湖で、日降水量495.5ミリ(観測史上1位)、小田原で、日降水量238.5ミリ(観測史上1位)を記録するなど、県内で相当量の雨量を記録
※降り始め(9月8日3時)から8日23時までのその他の県内各地の主な累積雨量 箱根180.0ミリ、平塚116.5ミリ、藤沢市辻堂111.5ミリ

2 避難勧告等発令状況
●避難勧告
山北町浅瀬地区7世帯8名、小田原市2地区(豊川地区、東富水地区)の10,324世帯24,703名を対象に避難勧告を発令。】
県民等の被害としては山北町で次の報告があったといいます。
人的被害……重症2、軽症1
住家被害……半壊2、一部損壊1、床上浸水2
土木被害……道路50、橋りょう1、河川3、がけ崩れ19
水道(断水世帯数)……95

大野山登山
【撮影】13時19分=伊藤 幸司
引き返すことになるのかと心配し始めたときに、ここに出ました。

大野山登山
【撮影】13時23分=伊藤 幸司
正規の登山道がありました。道は注意深く見ていけば問題ありません。

大野山登山
【撮影】13時25分=伊藤 幸司
なんだか死の森という雰囲気。ドラマチックな山歩きになってきました。

大野山登山
【撮影】13時36分=伊藤 幸司
注意深く見ていくと赤テープが見つかります。登りだから落ち着いていれば大丈夫ですが、それでも偵察型の目配りのできない人がトップに立つと道迷いの危険が出てきます。下りだと歩き方に勢いがつくので、よほど注意しないと道を外す場所だ、という意識は必要です。

大野山登山
【撮影】13時43分=伊藤 幸司
ここで送電線の鉄塔をくぐりました。送電線は地形図に描かれていますから標高がジャスト550mだとわかります。傾斜がいくぶん緩やかな場所だということも。

大野山登山、ワラビ
【撮影】13時44分=伊藤 幸司
送電線鉄塔の周辺にはワラビがいっぱいありました。

大野山登山、フタリシズカ
【撮影】13時46分=伊藤 幸司
フタリシズカがありました。いくつもの花をつけた花穂が1本だけなので、ヒトリシズカかと思うとさにあらずフタリシズカなんです。ヒトリシズカといっても花穂は2本のこともあり、フタリシズカが花穂1本という例は少なくても2本から5本という感じ。
どこで決定的に違うかというと雄しべと雌しべだけから成立している花を並べた花穂の顔つきです。ヒトリシズカは雄しべの白い花糸(軸)が3本くっついた状態で丸まって葯を包んでいます。まさにこの写真。ヒトリシズカだったら花糸(雄しべの軸)は直線的な白い棒3本がWという雰囲気で伸びています。

大野山登山
【撮影】13時53分=伊藤 幸司
道は植林地と自然林との境をたどって登っていきます。

大野山登山
【撮影】13時54分=伊藤 幸司
その道で突然ドタバタが始まりました。

大野山登山、ヤマビル
【撮影】13時28分=伊藤 幸司
そのドタバタ場面のところで注意深く足元を見ると、いました。丹沢名物のヤマビルさんです。いかにも生活しやすそうな湿った場所だったんですね。
以前糸の会に参加していた石川さんの娘さんが「ヤマビル研究会」に勤めているということで私はヤマビルを冷静に見ることができるようになりました。
ヤマビルについて不安がある人は是非「ヤマビル研究会」(一般財団法人 環境文化創造研究所内 ヤマビル研究会)のサイトを一読していただきたいと思います。
ちなみに一例として「高尾山(東京)について」はこんなふうに書かれています。
【最近、高尾山で「ヤマビルを見た」「登山者の衣服に付着していた」とのヤマビル情報があり、去年の2012年7月3日に確認のため高尾山で生息調査をおこなったが、ヤマビルを見出すことはできませんでした。高尾山への年間の登山者は260万人にもなり、ミシュランの三ツ星の観光地にも選ばれるなど人気の高い山として知られています。登山道はよく整備され、主要な山道は多くの登山者によって踏み固められ、山道の脇の落葉や枯れ枝は整然と片づけられており、ヤマビルが定着・繁殖ができにくいように思われます。 森林の中に入ってみると、間伐・除伐・枝打ちなどの手入れが良くされており、美しい杉林の景観を保っていました。また、ヤマビルの主な吸血源で運搬者でもあるニホンジカやイノシシの足跡・糞などは見つけることはできませんでした。なお、高尾山にはムササビが生息していますが、この動物は樹上生活者で山道を歩くことは少ないのでヤマビルの吸血源とはなり難く、また、多くの登山者の往来はこれらの野生動物に警戒心を起こさせ、夜に獣道になってしまう心配もないように思われます。
以上のことから他の地域からヤマビルが持ち込まれても高尾山で定着・繁殖し、登山者を吸血する事態にまでなる可能性は極めて低いのではないかと思われます。ただ、東京都では奥多摩湖憩いの路(2009.6.25調査)でヤマビルの生息が確認されています。 [ 2013.07.09 記]】

大野山登山
【撮影】14時02分=伊藤 幸司
ここが湯元平分岐点。もし私たちが道を外していなかったら、この林道をすでに15分ほど歩いていたところです。

大野山登山、ニシキウツギ
【撮影】14時12分=伊藤 幸司
ニシキウツギは最後の色、という感じ。

大野山登山、ヤブデマリ
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
最近覚えたヤブデマリ。この写真ではよくわかりませんが、5枚の花弁(装飾花)のうち1枚が際立って小さいという特徴を見せています。

大野山登山、イワニガナ
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
黄色いこの花の先端部が角ばった感じはニガナですが、花弁の数が多くなって、これはイワニガナ。花の周辺に見える直線的な細い先が地上に匍匐枝(ランナー)を伸ばして広がっていくことから、ジシバリと呼ばれているとか。
これは葉っぱが丸いですが、細長いヘラ形だとオオジバシリとのこと。

大野山登山、イワニガナ
【撮影】〓時00分=伊藤 幸司
イワニガナの花です。

大野山登山、コゴメウツギ
【撮影】14時14分=伊藤 幸司
これはコゴメウツギでしょうか。

大野山登山、モミジイチゴ
【撮影】14時15分=伊藤 幸司
モミジイチゴがありました。

大野山登山、ヤブウツギ
【撮影】14時16分=伊藤 幸司
これは山梨県以西の太平洋岸に分布するというヤブウツギかもしれません。
「神戸の花と木」というブログに「タニウツギとヤブウツギ」というレポートがありました。
【タニウツギの花の数には到底及ばないが
タニウツギの花と同じような形をした暗赤色の花も見た
この暗赤色の花が咲く木はヤブウツギだ
今日歩いた裏六甲には、ヤブウツギはあまり多くはない
しかし、表六甲では形勢は逆転だ
圧倒的にヤブウツギの木がタニウツギの木より多くある

タニウツギは日本海側に分布する北方系の木だ
六甲の北側は中国山地はなく
日本海まで高い山はない
タニウツギやオオイワカガミなどの北方系の植物は多い

ヤブウツギは南方系の木だ
六甲の南は紀伊水道
太平洋まで高い山はない
ヤブウツギやアカガシなどの南方系の植物も多い
六甲は植生的に面白い山だ】

大野山登山
【撮影】14時40分=伊藤 幸司
大野山山頂での記念写真。

大野山登山
【撮影】14時43分=伊藤 幸司
ヤマビルの探索をしています。見つからなかったと思いますが。

大野山登山
【撮影】14時58分=伊藤 幸司
山頂から、今日のスタート地点あたりを見下すことができました。背中側の富士山はまったく見えませんでしたが。

大野山登山
【撮影】15時11分=伊藤 幸司
下山を開始しました。前方に見える丸い山の手前側の山腹を下る予定です。

大野山登山、ノイバラ
【撮影】15時12分=伊藤 幸司
ノイバラも元気に咲いていました。

大野山登山
【撮影】15時24分=伊藤 幸司
さてどの道をどのように下ればいいのか? そういうときにはたいていみなさん、昭文社の登山地図をご覧になります。計画書についている私のシミュレーションマップは標高50mごとの赤丸の密度によって登山道の難易度がわかりやすい……などとみなさんおっしゃっているにもかかわらず。

大野山登山
【撮影】15時30分=伊藤 幸司
ようやく下るべき道が定まったようです。この、痛みの少ない登山道を、下って、下って、下るという感じです。

大野山登山、「634m」標識
【撮影】15時32分=伊藤 幸司
メンバーの中には2003年4月15日にこの道を登って今回と逆方向に歩いた人がいました。この「634m」標識を山頂までの登りの最後に見ていた記憶、確認できました。

大野山登山
【撮影】15時36分=伊藤 幸司
階段道が終わるとこういう形になりました。私が初めて見るタイプの造成です。おそらく登山道部分の土が流れ出ないようにということでしょうが、気持ちは分かるけれど、どうだろう、という感じがします。

大野山登山
【撮影】15時40分=伊藤 幸司
標高550mあたりで道は緩やかになり、気分もだんだん軽やかになりました。

大野山登山
【撮影】15時42分=伊藤 幸司
気分のいい道筋にも崩落事故はあったようです。

大野山登山
【撮影】15時51分=伊藤 幸司
標高500mあたりから下では傾斜のある下りになりました。

大野山登山
【撮影】16時08分=伊藤 幸司
地形図では標高約350m、林道に出ました。登山道はここで終わります。

大野山登山、エンジン式薪割機
【撮影】16時11分=伊藤 幸司
すぐにこんな風景がありました。パワー薪割り機というのでしょうか、こんなものがあるんだと感心したのですが、その作業をやっている3人の人たちもただのプロだとは思えません。ちょっと興味を持ちました。
ちなみにこの薪割り機はナカトミのエンジン式薪割機というのだそうで、モノタロウで16万9000円。安いのか高いのかわかりませんが「7トンの破壊力」で丸太を一度に四分割できるのだそうです。

大野山登山、炭やき窯
【撮影】16時12分=伊藤 幸司
薪割り作業のすぐ先に炭焼き窯がありました。その右肩に説明板がありました。
「共和のもり・炭やき窯」というのだそうで、炭やき体験教室や炭の販売・灰の販売を行っているとのこと。
問い合わせ先は共和地区振興会(炭やき部会)
責任者・富山基録・電話/FAX 0465-76-3908。

大野山登山、サンショウバラ
【撮影】16時21分=伊藤 幸司
私たちは旧・共和小学校のところにきました。反対側が崖になっていて、下を覗くとサンショウバラの大木が何本も並んでいました。残念ながら花は終わっていましたが、花の時期にわざわざここに来てもいいと思うほどの大木です。

大野山登山、ホオノキ
【撮影】16時22分=伊藤 幸司
サンショウバラの並びにホオノキもありました。こちらは花に間に合いました。

大野山登山、旧・共和小学校
【撮影】16時23分=伊藤 幸司
これが旧・共和小学校。
神奈川新聞の「カナロコ」というサイトに「山北町の町立共和小が26日閉校式、137年の歴史に終止符/神奈川」(神奈川新聞2011.3.3)がありました。
【山北町皆瀬川の山間にある町立共和小学校が今月、閉校する。校長、教頭、担任ら教職員6人と、児童は6年生のみ3人。6年生が卒業しても、2011年度は新入生が入ってこない。26日に閉校式を開き、137年の歴史に終止符を打つ。
同校は1874年に開校。ピークの1932年には115人の児童がいた。47年から55年までは敷地内に共和中学校も併設されていた。だが、住民の地区外への流出などで60年代から児童数は減少傾向に。80年は28人、95年は19人いたが、08年に9人。09人は5人だった。学区内には1年生と3年生が1人ずついるが、保護者の要望で共和小ではなく、町立川村小に進学した。】

大野山登山、二宮金次郎像
【撮影】16時23分=伊藤 幸司
共和小学校跡に残る二宮金次郎像。
二宮金次郎が本来は金治郎で本名の二宮尊徳は「そんとく」ではなく「たかのり」だそうです。
ウィキペディアの二宮尊徳には「尊徳・金治郎像」という項目があって力作です。
そこでうまく引用しようと考えていたのですが、大正時代からの歴史は長大。直接お読みいただきたいということに。
すると、「二宮尊徳・株式会社平和合金・伝統工芸高岡銅器」というサイトにまさにこの二宮金次郎像があったのです。
【二宮金次郎像 3尺6寸
2,310,000円(税別) 寸法/110cm 材質/ブロンズ 色/青銅色・茶漆古色】
台座まで含めて、まず間違いなくこの像です。友人の写真家がこの像を追って日本全国歩いていたので聞いたことがあるのですが、二宮金次郎像は学校に立てられているけれど学校の予算ではなく、PTAなどが購入して寄贈したとか。ずいぶん高価な寄贈品だったのですね。

大野山登山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
旧・共和小学校のある集落は古宿です。そしてこの集落、なかなか豊かなムラのようなのです。

大野山登山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
背後に茶畑をもった農家のようですが、自家用栽培らしい野菜か何かに私たちのメンバーが反応しました。

大野山登山、イヌマキ
【撮影】16時26分=伊藤 幸司
ずいぶん目を引く生け垣がありました。しかし植木屋さんが入ったらこれではお金をもらえない。でもかなり腕がいい感じ。日曜植木職のお手並みという感じがしました。これだけの大物を好き勝手にいじれるとしたら、けっこうな幸せかもしれません。
で、何という木か調べようと思ったらNHK出版の「みんなの趣味の園芸」に「条件から探す 「生け垣向き」 植物図鑑検索」というのがありました。
検索条件がこまかくあったので適当に「低木」「庭木・花木」「常緑性」「初心者でも育てやすい」「生け垣向き」と指定したらイヌマキが出てきた……のだと思いますが、あとでやり直したら全然出てきませんでしたが。かなり複雑な条件でも園芸用植物全般から一発選択できる強力な検索システムのようです。
どうもイヌマキみたいというので調べてみると「庭木図鑑・植木ペディア」がありました。
【■寺院などに多く、きっちりと刈り込まれた姿は和風庭園の定番だが・・・
■放置すれば枝が縦横無尽に広がる
■そのため、やはり円筒形や・・・
■生垣として刈り込まれる
■しかし、刈り込まなければ、こんな実が収穫できる
■赤い部分はやがて 黒く熟す
■花(蕾)の様子
■イヌマキの樹皮の様子】
ここで■は写真です。なかなかレベルの高いサイトだと直感しました。
さらに「イヌマキとは」
【・マキにもいろいろな種類があるが、本種はもっとも一般的であり、手をかければ好きな形に仕立てることができるため、古くから垣根や玉散らしとして、主に和風庭園で利用されてきた。
・上品なイメージのコウヤマキを「ホンマキ」と呼ぶのに対して、葉や姿形が劣ることから「イヌマキ」と呼ばれるというのが一般的な説。コウヤマキより成長が早くて安価なため流通量は圧倒的に多い。】
「育て方のポイント」は
【・丈夫であまり土質を選ばず、病害虫の被害も比較的少ない。大気汚染や潮風にも強く、都市部では盛んに使われる。
・日向を好むが日陰にも耐え、刈り込みに強いため、北側の垣根に利用できる。垣根仕立てにすれば洋風住宅にも違和感がないとされるが、やはり和風のイメージが強い。
・一番上の画像のように玉散らし仕立てにするのが一般的だが、ヘッジトリマーや刈り込みバサミで手入れをすると見苦しくなる。特に大きな木になると素人には管理が難しい。】
……で、本当にイヌマキかどうか、確認はとれていません。

大野山登山
【撮影】16時27分=伊藤 幸司
楽しい道が始まりました。

大野山登山
【撮影】16時27分=伊藤 幸司
これは何という花でしたかね。私はカタカナ名前の園芸種にはほとんど興味がありませんから馬耳東風でしたが。

大野山登山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
その花のアップだけは撮っておきました。育てている人の気持は分かる気がします。

大野山登山
【撮影】16時29分=伊藤 幸司
馬耳東風の花の家で、お馬さんと目が会いました。どういう理由でここにいるのか想像がつきませんでしたが。

大野山登山、ホタルブクロ
【撮影】16時29分=伊藤 幸司
誰に育てられているのでもないホタルブクロがありました。ウィキペディアの「ホタルブクロ」には次のような記述がありました。
【山間部では人里にも出現する野生植物であるが、美しいので山野草として栽培されることも多い。花色には赤紫のものと白とがあり、関東では赤紫が、関西では白が多い。】

大野山登山、ノアザミ
【撮影】16時39分=伊藤 幸司
丹沢のアザミは素人にはちょっと手が出せない複雑なものだと思って「アザミ」としか考えないようにしているのですが、これは花が真上を向いているということで調べてみたら、春咲きのノアザミのように思いました。
国立科学博物館植物研究部の「日本のアザミ」には次のような解説がありました。
【キャッチフレーズ…初夏に咲く最も普通のアザミで,根生葉は花期にも生存し,頭花は花茎の先に上向きに咲き,総苞は普通著しく粘る】
【ノート…初夏に咲き,平地に多い,花茎があまり分枝しない形と,本州(東北地方と中部地方)の内陸地に分布し,夏から秋に咲く,茎が良く分枝するものの二型が認められる.雌性両全性で,雌性株が各地に見つかっているが,西日本に多い.アジア大陸のものは貯蔵根が肥大するので別種カラノアザミと考える.】

大野山登山
【撮影】16時39分=伊藤 幸司
なんだか、いい状態の植林なのか、危機的状態なのかわからない林を抜けました。

大野山登山、ビワ
【撮影】16時39分=伊藤 幸司
舗装道路を下っていくと巨大なビワの木がありました。全体を撮ってもなんだかわからないので、この写真だけ出しておきます。

大野山登山、サイハイラン
【撮影】16時40分=伊藤 幸司
サイハイランがありました。これを知っている人がいたおかげで、道路際にたくさん見ましたが、これはその中でけっこうきれいな状態のものです。
北海道江別市の酪農学園大学のサイトに「RGU生物図鑑・キノコと共生するサイハイラン」(2016.06.20)がありました。
【中央館の西側に野外礼拝堂林地があります。この林地の中ほどに、淡紅褐色の細長い花が慎まし気に咲いています。近づいて観ますと濃い赤紫色の蘭の花でした。サイハイランです。花序の形がすぼめた傘のように見えます。花が花茎の片側に偏ってつけている様(さま)を見て戦国時代の武将が合戦の際に指示を出す「采配(さいはい)」に似ているところから名づけられました。近年、サイハイランはキノコのナヨタケ科のキノコと菌根共生することが解ってきました。貴重なサイハイランの開花期が今なのです。
■特徴
1. 落葉広葉樹の林床に群生する多年生のラン科植物です。
2. サイハイランはラン科植物の一種で、日本では北海道、本州、四国、九州の山林に自生します。
3. 葉は1枚だけで、地面に伏すように出し、基部と葉先が三角形状楕円形です。
4. 6月中旬の今が、開花のシーズンです。
5. 花茎は30〜40cmで垂直に立て、長さ3cmほどの細長い総状花序を10〜20個つけます。
6. 花色は紫色から淡紅褐色で片側に偏ってその様が采配のようです。
7. 花の構造は複雑ですが、背萼片・側花弁・側萼片・蕊柱・柱頭・唇弁を観察しましょう。
8. 地下茎にはキノコの菌が共生していて、菌から養分をもらい成長していく菌従属栄養植物です。
9. 地下には白色卵形の球根(偽球茎)があり、葉を1枚出します。
10.球根を生薬として利用していたようです。】
そこに出ている写真を見ると別の花のようにきれいです。

大野山登山、サイハイラン
【撮影】16時41分=伊藤 幸司
サイハイランをすこし近づいて撮っておきました。

大野山登山、ジンジソウ
【撮影】16時43分=伊藤 幸司
ジンジソウもありました。遠くからだと「人」の字に見える長い花弁に目をひかれてしまいますが、もっと近づくと10本の雄しべと中央の2本の雌しべが個性的な雰囲気を作っています。自分で撮った写真でわかったのではなくて、ネット上の写真でちょっと後悔しながら見たのですけれど。

大野山登山、ホタルブクロ
【撮影】16時46分=伊藤 幸司
とてもシャキッとした雰囲気のホタルブクロ。ホタルブクロかヤマホタルブクロかは萼片(ガク)の状態の違いで区別されるのが普通です。がく片の根本に小さな膨らみがあるか、めくり上がったものがあるかどうかで違うというのですが、ここでは確認していませんし、この写真ではわかりません。
「草花&エピソード」というサイトではこう書かれています。
【ホタルブクロとヤマホタルブクロの区別について、簡単な見分け方がありますのでここで紹介します。がく片の間の湾入部(写真左の白円で囲ったところ)が写真のようにこんもりとふくらんでいるのがヤマホタルブクロです。ホタルブクロはその部分が大きくめくれ上がって反転している付属体があるので(写真右)区別できます。長野周辺の山歩きで巡り会えるのは、ほとんどがヤマホタルブクロです。】
「西丹沢ビジターセンターブログ」の「7月5日前庭劇場」(2014年7月5日)にこんな記事がありました。
【ほかにはホタルブクロとヤマホタルブクロを見つけました。どこからか種が飛んできたんですね。ヤマホタルブクロは咲いたばかりでホタルブクロはまだつぼみのままでした。2種の区別の仕方はがくとがくの間の部分で見分けます。ホタルブクロは反り返り、ヤマホタルブクロは反り返らずにちょっと膨らんでいます。】

大野山登山、サラサウツギ
【撮影】16時48分=伊藤 幸司
これはサラサウツギでしょうか。園芸種なので私の守備範囲ではないのですが、控えめな感じがいいですね。
「樹木の写真」というサイトにサラサウツギがありました。
【花の外側が紅紫色、内側が白色になるので、更紗と名付けられた。
ウツギの八重咲きの品種と言われる。花全部が白色のものを、シロバナヤエウツギと呼ぶ。
一見すると、ウツギとは思えず、菊の花にも見える。葉を見ると対生で、形状も確かにウツギである。
写真では色が薄いが、一番外側の花弁の外側が紅色〜紅紫色になる。赤と白が混ざる花を、更紗と呼ぶことが多い。】

大野山登山、サラサウツギ
【撮影】16時48分=伊藤 幸司
これがサラサウツギだか、シロバナヤエウツギだかの全体像です。

大野山登山、シモツケソウ
【撮影】16時49分=伊藤 幸司
シモツケソウのきれいな花も道端に咲いていました。

大野山登山、ホタルブクロ
【撮影】16時59分=伊藤 幸司
ホタルブクロもこれだけ野放図に咲いているとみごとです。

大野山登山、ヤマカガシ
【撮影】17時02分=伊藤 幸司
みごとなホタルブクロを見た後、左側の歩道を歩いて足早に下っていると、突然蛇に「威嚇」されたのです。蛇の前を横切ったのだと思います。頭をもたげて飛びかかってくるような気配にこちらもびっくりして、後ろを振り返るようなかたちで一歩引き下がったのです。
蛇は頭をもたげた姿勢で、振り返った私の前を通り、道路を横断して行きました。飛びかかるような姿勢をとったのでマムシだと思ったのですが、写真を詳しく見るとヤマカガシでした。
ウィキペディアで「ヤマカガシ」の生態にはこう書かれています。
【危険が迫るとコブラのように頭を持ち上げ、頸部を平たくし、頭を揺すったりし、この頸腺を目立たせることで威嚇する。また、それでも相手が怯まない場合、仰向けになり擬死行動を行う。それでも相手が怯まない場合は噛みついたり、相手に毒腺のある頸部をすりつける。性質は一般に大人しいとされているが、中には非常に攻撃的な個体もいるため、注意が必要である。】
じつは鍛冶屋敷の大野山登山口バス停がシーズン中以外は利用されない停留所だと知り、さらに15分ほど下った大野山入口バス停まで歩くか、タクシーを呼ぶかということになったのです。みなさんはもう歩きたくないという雰囲気だったのでタクシーを呼んでみたのですがそれがうまく通じない。そこでとりあえず15分下ることにして、私はどんどん歩き出したのです。
その車道脇にピンクのウツギがあり、シモツケソウがありホタルブクロがあって、とうとうヤマカガシまで飛び出してきたのです。
カフェ・リーフスという店があったのでそこで休憩してゆっくりタクシーを呼ぼうとしたのですが、うまくいきませんでした。タクシーが出払っていて当分だめだという。この地区では今は松田合同自動車1社になっているので諦めて、バスを待つしかないという状況になったのです。
追いついてきたみなさんとさらに下って大野山入口バス停に着いたのが17時12分、ラッキーなことに4分後にバスが来ました。それを逃したら40分待つところでした。

大野山登山
【撮影】19時49分=伊藤 幸司
新松田駅から小田原に出て万葉の湯・小田原で60分限定の入浴、それから混んでいる週末の駅ビルで第2候補の富士屋ホテル・フュージョンダイニングFで夕食。



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