発見写真旅・展(22)――2013.3.5 鎌倉駅から 発見写真旅・展(22)――2013.3.5 鎌倉駅から



第一火曜日の発見写真旅は糸の会のメンバーで(山だけではなく)街歩きもしてみようかな、写真も撮ってみようかな、という人の参加を期待しています。関東の一都六県旧都シリーズの神奈川編です。
今回の参加者は5人。厳しい寒さもそろそろ落ち着いて、鎌倉には早春の風を期待して出かけたのでした。
とりあえず皆さんに了承してもらったのは「まずは山の方へ」それから午後には「海の方へ」というおおまかな方針でした。いったん海に出てしまうと「鎌倉」気分から大きく逸脱してしまうと考えたからです。

駅からにぎやかな通りをそぞろ歩き気分で進むと、鶴ヶ岡八幡宮に出てしまいました。鎌倉の街はこぢんまりと、そういう構造になっているので誰がトップになって先導しても鶴ヶ岡八幡宮が第二の起点になるしかないようでした。
そこから山の方に抜け出て律義に道をたどろうとしたのですが、住宅街に向かう細い道はみな山に向かって行き止まり、抜け出られる道があったと思ったら建長寺のところから北鎌倉駅へと向かう鎌倉街道でした。一息つくためにランチ。午前中の約2時間が終わりました。

トップの人が鎌倉に戻ろうとして選んだ、というよりそれしかなくて選ばされたのは亀ヶ谷坂の道でした。戻ろうとする意識が強かったのかもしれません。住宅街を鎌倉駅の方面へと向かって鎌倉駅の西口に出たのでした。
みなさん気分を変えたいと衆議一致して、江ノ電に乗ったのです。海岸に出られる稲村ヶ崎で下りて、江ノ島に向かって七里ヶ浜を歩きました。しかし江ノ島まで歩いてもしょうがないという気分になって、次の七里ヶ浜駅から鎌倉に逆戻り。鎌倉駅から直接海の方へと歩き始めたのです。
ところがあまり面白くない。鎌倉的でない普通の住宅街が広がっているのです。たまたまその時先頭にいたYさんが「祇園山ハイキングコース」という看板を見つけて舵を大きく切ったのです。鎌倉独特のやせ尾根を30分も歩くと鎌倉旧市街へと舞い戻っていたのです。甘いものを食べ、鳩サブレーを買って帰途についたのでした。

今回の写真出展メンバー(五十音順)は以下の4人です。
伊藤 幸司(5点セット+バラ10点)
鈴木 明美(5点セット+バラ2点)
林 智子(5点セット×3)
箭内 和子(5点セット×3)


【01】から始まる本編の写真は提出された写真をシャッフルしてランダムに並べた「仮展示」の状態のままです。
ネット上での二次的な「発見写真旅」を楽しんでいただいた方から、そこにさまざまな「投票」が寄せられました。
投票締切後、それぞれの写真に撮影者のキャプション(あらかじめ提出されていました)を加えたので、写真の意図が初めて明らかにされたというものもあるかもしれません。この段階でも二次的な「発見写真旅」を楽しんでいただけるかと思います。
さらに写真サンプルを撮影者別に並べた索引ページを作りました。それによって5枚セットのテーマ写真の意図も明らかになります。そのサンプル写真をクリックすると展示写真に飛ぶことができます。
この「本展示」に対する「投票」もいただいたものは順次掲載させていただきます。


撮影:鈴木 明美────テーマA:花

【28】 【35】 【51】 【47】 【39】


【28】大木の間から小さい山椿がこちらを覗いている。
【35】賑やかに咲いている。
【51】ここまで大きくなるとちょっと近寄りがたい美しさかな
【47】どこの世界でもちょっと変っていると人の気を引くものですね。
多くのカメラに撮られる。でも私は普通もいいかなと思う
【39】「花」シリーズの最後はこれしかありません。
落ちてもまだ元の美しさを残している。


撮影:鈴木 明美────テーマなし

【30】 【01】 【20】


【30】鎌倉に着いて心惹かれた「色」です
【01】ただ私が好きな「スミレの花」というだけですが・・・・
【20】新しい家が並ぶ中で「昔ながらの家」の畳屋さん。
何となくほっとして、ちょっと寂しかった。


撮影:箭内 和子────テーマA:いらっしゃいませ

【41】 【33】 【06】 【47】 【21】


【41】小町通り商店街を歩きだして、店先に置かれているプランターの花達が目に留まった。
最初のテーマは、この花達にしようと思い、積極的に撮影した。スミレをバックに赤いシクラメン。
郡山だと、日当たりの良い室内に置く花だ。300km近く離れた南の地、鎌倉、気候の温暖さに
目を見張る。
【33】レストランの看板メニューを背にして、大ぶりのスミレ。この花に釣られて、お店に入ってしまいそう。
花が立派に客引きをしている風情。店主の心遣いや意気込みを感じた。花の開花時期の長いスミレですけど
そのスミレを玄関先に飾る事すら、サボってしまった我が身を振り返る。日々の暮らしに彩りを添えなくちゃ、いけませんね。
【06】花の名前は分かりません。ピンクの花から白い花。濃いピンクに淡いピンク。丸い花と小さい花。ランランラン。
適当に整列して、春を謳歌しているよう。この日の暖かさと、日差しを体中に浴びていた。暖かい空気は、人の心と
体を解放してくれます。
【47】思いっきり育った葉ぼたん。私の中では、お正月に飾る花なんですけど、春、3月、
元気に育った葉ぼたんも、悪くなかった。ワンサカ、ワンサカ、葉ぼたん。葉ぼたん。
キャベツに似ているし、料理法を考えて、食べてみたくなりました。食いっけを促された葉ぼたん。
【21】営業中のプレートと、ひな人形展のポスターが見えます。ちょっと、シックな色目のシクラメンと、うすいピンクの花。
お店の雰囲気とマッチしていた。私もこの花達みたいに鎌倉散策の人達をひと時、眺めていたい気分になりましたよ。


撮影:箭内 和子────テーマB:不思議な住宅地

【13】 【03】 【27】 【36】 【31】


【13】鎌倉石なのかな???鶴岡八幡宮の西の方の住宅地に入ったら、不思議な石の階段があった。
小さな祠があり、その先に続いている。行き止まりと表示があったけど、糸の会探検隊は
ずんずん進む。この先は、どうなっているのでしょう・・・・。
【03】行き止まりの住宅地から、ユーターン。開けた道路の側面に野性的な水仙の花が、咲いていた。
強い香りと、強い花の勢いと、強い葉の緑の線に、圧倒された。まるで、映画の様な場面展開。
行き当たりばったりの散策は、面白い。
【27】この不思議な住宅地の地名こそ、覚えておかなくちゃ。雪の下・・・こんな地名を以前に聞いた事あったかな。
起伏に富んだ地形。細い路地。坂を下ったり登ったりの日常生活は、高齢者にはつらいでしょう。
いろいろ、考えた住宅地だった。
【36】白い梅の花が、満開。足元には、水仙の花。桜はパアーっと、思いっきり口を開いたように咲くけど、
梅はひっそりと両手を閉じて、小首をかしげたように咲く。だから、梅の花は品がある・・・そんな事を言っていた人を思いだした。
【31】人や物資の往来のために山をうがつように開かれた切り通し。大きな山なら、トンネルや峠なのでしょうけど
鎌倉は、随所に切り通しで道が続き、家並みが続く。切り通しを通るたびに坂の多い町だと、実感する。上り下りの
感覚が写真では伝わらないかも・・・。


撮影:箭内 和子────テーマC:金龍山 宝戒寺

【23】 【26】 【02】 【09】 【42】


【23】最後に回ったお寺の庭が見事でした。お寺の空気がしっとりとしていて、そこに梅の古木がたくさん。
梅の白い花が青空に映えて、良かったですの一言。庭をゆっくりと回遊しました。お寺の由緒云々より
ただひたすらこの庭の中にいるだけで、満ち足りました。
【26】紅梅もありました。私に写真の技量がもっとあれば、よりあざやかにお見せできるのでしょうけど
残念です。でも、梅は白い花の方が私は好きです。100字以上のコメントは、大変です。疲れて来ました。
【02】ピンクの八重椿、我が家の庭の椿は、まだまだ、堅いつぼみです。ここでも、鎌倉の温暖な気候を実感しました。
このお寺の庭の良さを知っているのでしょうか、観光客がぽつりぽつりと訪れます。皆さん穏やかな表情で散策しています。
【09】福寿草の花と、葉がワサワサしています。会津の地でも、福寿草祭りがそろそろだなあ〜。満開の梅の花と
福寿草。春本番の季節だなあ〜。由緒あるお寺のたたずまい、街歩きの楽しみは時の流れを実感する事にあるのかしら・・・。
【42】最後の見学場所になった。石碑の文字が何を意味するのか、とても気になった。
鎌倉地蔵尊二十四札所霊場第一番のお寺で天台宗の寺院です。この石碑は、長い年月の間に何を目にしたのでしょうか?歴史のある町鎌倉の一端にもっと、深く触れたいと思います。


撮影:林 智子────テーマA:キャラクター

【05】 【48】 【50】 【45】 【12】


【05】真っ先に私の目にとびこんで来たペコちゃんとポコちゃん。何を隠そう・・津軽で 小学生をやっていたころ 私はペコちゃんに似ている と かなりの回数 言われていた。ペコちゃんは ぱっちり おめめが かわいいから<私ってかわいかったのよ・ネ。うふふ>などと今の今まで 信じていたけれど つい先ほど フィットネスの マシーンで ワシワシと ウオーキングしていた時<あれ?そういえば ペコちゃんも いつも 赤い服 着ていたんじゃないのか!>とピッと ひらめくものがあった。私の母は 働く女で 忙しかったにも関わらず 私の着る洋服を 全部縫っていた。それも ほとんど 赤い生地で ジャンパースカートやズボンなどを 製作していた。そういえば ペコちゃんは いつも いつも 赤いつなぎのズボンを はいていたような気がする。あのつなぎは 私の母お手製の 私がいつも着ていた 赤い赤いジャンバースカートと 似ている。もしかしてそっくり?あれれ?  私とペコちゃんの 共通点は そこだったのかしら? なんだそれ!
【48】津軽には昔 殿さまがいて 小人町とか若党町とか 下級の侍たちが住んだ武家屋敷群が 今も少し残っていて それは歴史的保存地区と言われている。私の隣の家は 古い大きな武家屋敷だが 黒塀も 周りを取り囲む木々も うっそうと怪しくて やや 不吉な感じのする お屋敷だった。ここに 独身の姉妹二人と 数えきれないほどの猫たちが 住んでいた。裏庭から 回覧板を持って 恐る恐る 入っていくと 猫たちとともに絣の着物に おさげ髪のお姉さんが 静かに現れ 信じられないほどに 優しい美しい声で話すのだ。 時が止まってしまったような世界。数匹の猫と姉妹の つつましい暮らしだったろうと 今ならば 理解する。あの 黒い武家屋敷と姉妹と猫たちは 小学生の私には きわめて 神秘的な 不思議な世界だった。家族だった猫たちの子孫も いまはもう 天国だろうか。
【50】二人の息子のヒーロー達は アンパンマンよりも 少し前の時代のものかしら?二人は 朝 目覚めとともに 仮面ライダーに変身し 夜寝るまで タイガーマスクになったり変身を繰り返したりして 見えない この世の悪を相手に戦っていた。 夢のようにかっこいい 単純なヒーローの日々を 過ごしていたのだから 昨今のように少し斜めに構えた 知性と休養あふるる 大人になろうとは 夢にも思ってなかったわ。私の人生・・・息子一人目の時は 静かなものだった。けれど 二人目が出現してからというものほーんと 体力使って 忙しかったなー。転勤もしたし。特に 二人目の あのかたは とっても声がハスキーな 理屈屋さん。ダミーな声で <ママ! ママ!>と 私を呼ぶ。でも いつの頃からかしら・・ <智子さん・あのですねえ>などと ジェントルマンのごとく私のこと 呼ぶものだから ついつい 智子さんも<何かとよろしくお願いします> などとお世話になってしまうのよね。立場なんか逆転しちゃったわ。 でもいいわ。もう何でもかんでもよろしくね・ですもん。
【45】ばいきんまんは アンパンマンの宿敵で アンパンマンを倒すため どこかの 星から やってきた。現在 移動する時には 一人乗りの<ばいきんUFO>に 乗るとのことだ。<おれは素敵な・ばいきんまん>とか<おれはすごいぜ・ばいきんまん>とか <おれは強いぞ・ばいきんまん>とか 常に自画自賛の歌を威張って歌っているらしいが<ばいきんだからキンキラキン>とか<ハハハハハ・ハヒフヘホ>などというとこみると 悪に徹しきれない カワイイヤツ らしい。
【12】はなかっぱです。はじめて 知りました。N・H・Kの アニメだそうです。 頭の上に とりあえずの花が咲いている 男のこだっていうのですが。これから まごと 一緒にベンキョーしようっと。<ぽっぽっぽ はとぽっぽ>とか <ぞうさんぞうさんおはながながいのねー そうよ・あらたくんは まーるいのよー>とあらたくんと 歌っています♪


撮影:林 智子────テーマB:まるいもの

【52】 【07】 【37】 【22】 【04】


【52】先日 テレビで若い書道家の 書に対する考え方のようなことを話すのを みた。学校で習ったような楷書だけではなく そのスタイルを 自分らしくするとか 自分なりの面白さを みつけるなど 書を書くということもまたきわめて 個人的なものだという 印象を持った。与えられた事 決まっている事 決められている事 そうだと思い込んでいた事をこなしていくことは 実際には 多くの時間を必要とする難しい作業だがある意味では 容易い事でもある。決まっていることは 実は決められたことであり 実はそうだと思い込んでいるだけのこと・・かもしれない。しかし その過程を経て 向かい合うものは 自分である。どうしたって 自分自身と向かい合うことになる。それも 常に。それは ある意味 楽しくも苦しい 迷宮への旅である。迷宮を左右しながら 長い道を歩いていくことになるだろう。自分という答えを探すのだから。
【07】このお皿は好きだ。大きすぎたので買うのはやめた。鎌倉から千葉まで持ち帰るには 冒険過ぎる。ぜったいに 途中で空中分解してしまいそうだ。ほんわりとした青が素敵だと 思う。鎌倉の後に 千葉の街中の ふるものやさんで もっと 小さいお皿 発見。半額で1500円。 近いから 2枚買った。買っちゃったんだから ごんちゃん よろしくね。私の好きな 富士山のような山も 帆かけ船も てんこ盛り。ごんちゃんと私は 小さいお皿で よろしいのだ。もう そんなに 山ほど栄養とらなくたって よろしいのよ。ごんちゃん。素敵なお皿で ちょっぴり食べて 長生きしようね。
【37】Bの3のような事を 云いつつも 食いました。スペイン料理。ワインは我慢した。 私はただいま お酒断ちなので 我慢した。お酒断ちといいながら 私は矛盾だらけの駄目なヤツ。一応 糖分ひかえめな 焼酎とウイスキー。長い 細い 自分専用の グラスに1センチだけ ウイスキーを入れる。フィットネスの 帰り 思いついて 近くのコンビニで いいちこのちっぽけなやつを買い このグラスで プハーと 飲んでみた。まるで アル中の酔っ払いおじさんだね。さもしくて淋しい。<あーあ。ビールがほしいのだ 私は!>と 内心で深ーく 叫びながらもいいのよ。 我慢するのだ。長生きすることに決めたんだから。この料理には 赤いワインとチーズが必須だよネ。悔しいネ。
【22】しめ縄。聖と俗を分ける結界というけれど 何が聖くて 何が俗なのか。聖も俗も 混沌も あれこれ 呑み込み 皆 有限。<そんなことはどーでもいいんだ エヘヘヘのヘー >。丸いくせに 暴れん坊的雰囲気がいっぱいだ。
【04】水にうつる木々が何本もあるから 不思議だ。こんな小さな水槽の中で 無限大にゆらゆらと 揺れている。小さくて偉大な ひとつの宇宙だ。 


撮影:林 智子────テーマC:なんでも売ります

【29】 【15】 【43】 【18】 【25】


【29】やりましたね。誰かさんが 大笑いしている。歯まで見えているのですが!大きな サンタクロースや貝殻を ぶら下げる ファッショナブルなお洒落さん。<海にいってきたんだぜーい>とか<サーフィンしてきたのさー>という海の男か 海の女が ぶらさげるのかなあ。重いんですものね。体力いります。体力勝負の ファッション。体力は別のところで 使いたい。売る気はないと 私は見ました。
【15】この帽子屋さんは 凄かった。みたことのない数の あらゆる種類の帽子が 並んでいた。何処にも こんなの みたことないから びっくりした。この数に脱帽します。しかしね・・・このベージュ帽は ファッション的にいかがなものでしょう。ついでに このモデルも モデル的には いかがなものでしょう。時代を超越・・・そこに意義があるのです。 
【43】いやー なんでもあり。なんでもあるよー。やすいよー。鎌倉に 遊びにきた観光客は <いやー・ちょーやすい!>とか言ってよっていくのでしょうか。近場の地元民 御用達かな。よれたシャツやら ウエスト80センチのスカートやら ちょー時代遅れのセーターやら。 ここも 売る気 まったくないみたい。趣味と お喋り専門の ショップだよー。
【18】これはびっくり。何これ?足だわ。足だわ。靴型。いやーびっくり。鎌倉は ほんと いろいろなもの売っている。このならべかた 実直で好き。ヨーロッパあたりだと でかい 皮のエプロン付けた ゼペットじいさんがよいこらしょっと 出てくるはずだけど。真黒に 日焼けしたイケメン君が 出てきたら どうしよう。いいなあ。実直そうで。
【25】全面的に ほこり臭いような 古もの屋さん。人知れず ここにはいいものが たくさんありそうな予感。 上等なレースや 自動車。ほこりを 取り除き 本気出せば かなりいい線まで オサレにイケルと私は見ているが 結局 あまり 売る気もなさそな 雰囲気だ。時を超えた味わいで 勝負に出ているのか ユーモアセンス抜群のおじさまのお店なのか そっとしておこう。この自動車 いいなあ。トラックも スポーツカーも どっちもいい。ドッキリするような 宝物が 隅っこで 眠ってるのよ。きっと。


撮影:伊藤 幸司────テーマA:鎌倉風味

【32】 【08】 【19】 【10】 【17】


【32】なんとなく違和感を感じてシャッターを切ったのですが、帰って写真を詳細に調べているうちに大混乱。その混乱の原因は、私が葉山の日影茶屋という名店を知らなかったからですが。掲げられている看板には、まず「日影茶屋」とあり、次に「和・洋菓子舗」そして「LA MAREE DE CHAYA」と。のれんには「御菓子」、3枚見える札には「玉子焼」「かつをごはん弁当」「草大福」、そしてポスターには「黒糖ロール」「小町バウンド」と。この店は江戸中期に葉山に料理茶屋として創業したそうで、ホームページを見ると5つの部門が「Japanese Cuisine」「French Cuisine」「Japanese Sweets」「Patisserie」「Shopping」となっています。もちろん日本語版です。日本各地の百貨店や駅ビルに出店している名店だそうで、アメリカにも姉妹店があるとか。鎌倉のこの店は10年前に開店しているそうです。ですからこの店を「鎌倉らしさ」で語るのは問題ありと思いつつ……ですが、最初に撮った写真なので、この微妙な違和感がそれから鎌倉のまちを見るときの色眼鏡となったのは確かです。京都のような頑固さのないところに鎌倉らしさを感じてしまったのです。
【08】これは「社頭」という名のお店。看板の文字の漢字は読めませんでしたがなんとその下に「シャトウ」という読み仮名がついていました。それで画面左下の行灯にある文字が店名で「社頭」だとわかったのです。ネットで調べてみると和紙専門店。それもすごい店で、扱っている和紙については梳いた職人はもちろん、材料や厚さ(重さ)がきちんと管理されているとか。表っ面だけを見たのではしもた屋風情の鎌倉風・土産店としか見えなかったのですが、「社頭」というのは鶴岡八幡宮の社前の意味とか。そういう意気込みを通りすがりに感じることはできませんでした。
【19】写真には店名がきちんと写っていませんでしたが「ぎゃらりー」と「MATSUOKA」が写っていたので、ネットでこれが貸しギャラリーだとわかりました。左に花束があるので、そこに出展者と出展内容があったのでしょうが、そのとき私は開いた扉からのぞき見するという以上の関心がなかったようです。トビラの黒い枠組みに惹かれた記憶があります。「まちなかギャラリー」という雰囲気がすなおに感じられたと記憶しています。
【10】建長寺から北鎌倉に向かう道にあった鎌倉らしい甘味処。「鎌倉しるこ」や「手焼きどらやき 鎌倉殿」と「鎌倉」ブランドを存分に利用していますが、それが違和感をもたないほど鎌倉的な店ではないかと思います。ネットで調べてみると正式には「三日月堂花仙」。池袋にあった昭和4年創業の和菓子店・三日月堂が平成4年に鎌倉に移転したとのこと。「鎌倉どらやき」はこの店のオリジナルで平成13年に神奈川県銘菓に指定されたとか。どらやきとお茶で一休みしてもよかったかな、という典型的な鎌倉風味。
【17】私にはこれが鎌倉の店のスタンダードと感じました。鎌倉の店は総じてセンスはいいようです。それが田舎の婦人服店などと違うところです。なにしろ湘南ナンバーの車が走っているのですから。ブティックというイメージの閉鎖空間ではなくて「鎌倉ブランド」でまちごとファッションを創り出そうとしているように見受けられます。表参道より原宿にちかいイメージなのでしょうか。若い人も年輩の人も気軽に冷やかせる店。ここにはそういう鎌倉風味が感じられました。


撮影:伊藤 幸司────テーマなし1

【11】 【38】 【24】 【34】 【53】


【11】鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏は生き返るのか、という大実験風景がこれです。平成22年に強風で倒れたこのイチョウは根元から3つに伐られて、根元から高さ4メートルの部分が隣りに置かれたのだそうです。根からも幹からも新しい芽生えがあるそうですが、それがどのように育つか、再生への努力が傾注されているようです。ちなみに3つに伐られた残りの2つも境内に保存されているのだそうです。
【38】鶴ヶ岡八幡宮の本宮に掲げられている額。大方の想像どおり、豊島屋の「鳩サブレー」はこの八の字に由来します。帰って豊島屋のホームページを見ると、明治30年頃、店を訪れた異人からもらった大判のビスケットがヒントになって、初代が「鳩サブレー」をつくり上げたと書かれています。でも掲額のこの文字、どういう経緯でこんなふうになったのでしょうか。八幡宮のホームページには書かれていません。
【24】鶴ヶ岡八幡宮の背後、山側には行き止まりの住宅地がいくつかあります。これは22軒で急斜面に開かれた住宅地の入口部分にありました。これはお不動様だったかと思いますが、鎌倉は至る所で急斜面の崖に行く手を遮られる感じで、そういう岩壁にはこんな感じの祠が大小いろいろ作られてきたようです。
【34】青梅聖天社という神社が急斜面の中腹にありました。双身歓喜天が祀られているというので全員で登ったのですが、ぴっちり戸締めされていて内部はまったく見えませんでした。しかしここのウメとスイセンは見頃でした。
【53】これは巨福呂坂(こぶくろざか)洞門。鎌倉七切通しのひとつ巨福呂坂の新道にあたるとか。落石防護用のシェルターだそうですが「切通しを歩いている実感が損なわれないように」天井に大きな開口部を設けたと解説されていました。なお旧道の巨福呂坂は現在通行不可能とされています。じつは青梅聖天社のところから行けるところまで行ってみようということで登り道のドンづまりまで行って、さらに住宅背面の踏み跡道を進むと、藪になり、たぶんこの巨福呂坂洞門の上あたりの断崖上に出ました。それが巨福呂坂跡だったようです。


撮影:伊藤 幸司────テーマなし2

【44】 【14】 【16】 【40】 【49】


【44】お屋敷街の一郭で見たササの生け垣。たぶん根っこが道路下にもブロック塀の内側にも猛然と侵略していっているのだと思いましたが、ササの生け垣は手入れもしやすくソフトな感じで案外良いのではないかと感じました。帰ってガーデンプランナーの妻に聞いてみたところ、地下茎対策は最近いろいろあるので都会ではササが植えられることも多くなっているとか。ただササの葉は落ち葉掃除のしにくさで松葉に次いで堂々の2位になるとか。自分では提案したくないとのことでした。
【14】夕方には海岸に出よう(それまではできるだけ山側をたどろう)というのが当初からの方針だったので、鎌倉駅まで戻ったときに衆議一決して稲村ヶ崎まで江ノ島電鉄に乗りました。これは七里ヶ浜。江ノ島まで行くのも結構大変だし、鎌倉旧市街とはずいぶん違う世界だと分かったので、なんとなくみんなで、もう一度鎌倉駅まで戻ろうということなり、ひと駅先の七里ヶ浜駅から帰りました。
【16】七里ヶ浜は江ノ島へと延びていきます。この写真には写っていませんが海面には波待ちのサーファーがひとり、堤防には思いに沈んでいるかのような男性がひとり。トビが結構な低空飛行をしていましたが、この日は平日、カモはあまりいないようです。私たちこそいいカモに見えたらしく一度は超接近飛行をしてきましたが、一回で諦めたように思います。
【40】鎌倉駅から新しい景観を求めて歩きだしたのですが、普通の住宅街がこのままずっと続いているような気配、そこでその時先頭を務めていたYさんが、祇園山ハイキングコースへと舵を切ったのです。私たちは八雲神社から入って北条一族自刃の地とされる腹切りやぐらを経て宝戒寺へとタイムスリップした感じです。金龍山宝戒寺は北条義時に始まる鎌倉幕府執権の屋敷のあったところで、北条氏滅亡後の慰霊のために後醍醐天皇が足利尊氏に建立を命じたというもの。
【49】宝戒寺は鎌倉の萩寺として知られていますが、この時期は梅の寺でした。ちょっと残念だったのは時期がすこし早かったこと。満開まではあと一歩という感じでした。ウメの木の根元ではスイセンとフクジュソウが満開でしたが。




【01】撮影:鈴木 明美
ただ私が好きな「スミレの花」というだけですが・・・・

■投票:伊藤 幸司
見ているうちに気になったのは枯れ色のものでした。
長く延びた茎の先に3枚の枯れ色があります。
枯れ色は3枚、花びらは5枚なので最初は別の植物のものかとも思いましたが、どうみても同じスミレのものようです。
そういえば葉っぱもふつうのタチツボスミレのものとしては厚そうに思えます。
本やネットでいろいろ調べてみたのですがわからない。
妻に聞いたら、あっさりと「スミレの種よ」とのこと。
そういわれればはじけたあとの鞘みたいなものもありますね。
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【02】撮影:箭内 和子
ピンクの八重椿、我が家の庭の椿は、まだまだ、堅いつぼみです。ここでも、鎌倉の温暖な気候を実感しました。
このお寺の庭の良さを知っているのでしょうか、観光客がぽつりぽつりと訪れます。皆さん穏やかな表情で散策しています。

■投票:伊藤 幸司
じっくり見ていると、この花の気品を失わずに堂々と主役を張っているところに感動し始めました。
おそらく名のある椿なのでしょう。
私などは花のいっぱい咲いている椿ばかりを探していました。
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【03】撮影:箭内 和子
行き止まりの住宅地から、ユーターン。開けた道路の側面に野性的な水仙の花が、咲いていた。
強い香りと、強い花の勢いと、強い葉の緑の線に、圧倒された。まるで、映画の様な場面展開。
行き当たりばったりの散策は、面白い。

■投票:矢野 博子
水仙……ただでさえかしましいおばちゃんたちが 大笑いしながら歩いているみたいで 楽しい。
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【04】撮影:林 智子
水にうつる木々が何本もあるから 不思議だ。
こんな小さな水槽の中で 無限大にゆらゆらと 揺れている。
小さくて偉大な ひとつの宇宙だ。 

■投票:伊藤 幸司
これは水の中の冬を過ごした植物(なんだかわかりませんが)が主役なのか、水面に映る木が主役なのか。
見ていたタブレットを180度回転させたらおもしろい絵になっていました。
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【05】撮影:林 智子
真っ先に私の目にとびこんで来たペコちゃんとポコちゃん。
何を隠そう・・津軽で 小学生をやっていたころ 私はペコちゃんに
似ている と かなりの回数 言われていた。
ペコちゃんは ぱっちり おめめが かわいいから<私ってかわいかったのよ・ネ。うふふ>などと
今の今まで 信じていたけれど つい先ほど フィットネスの マシーンで ワシワシと 
ウオーキングしていた時
<あれ?そういえば ペコちゃんも いつも 赤い服 着ていたんじゃないのか!>と
ピッと ひらめくものがあった。
私の母は 働く女で 忙しかったにも関わらず 私の着る洋服を 全部縫っていた。
それも ほとんど 赤い生地で ジャンパースカートやズボンなどを 製作していた。
そういえば ペコちゃんは いつも いつも 赤いつなぎのズボンを はいていたような気がする。
あのつなぎは 私の母お手製の 私がいつも着ていた 赤い赤いジャンバースカートと 似ている。
もしかしてそっくり?
あれれ?  
私とペコちゃんの 共通点は そこだったのかしら? 
なんだそれ!

■投票:伊藤 幸司
撮ったのは新米のおばあちゃんかな?
孫モードの視線で撮ったとしても、鳥居がかんらんでいるのは秀逸です。撮影者のキャプションが楽しみです。
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【06】撮影:箭内 和子
花の名前は分かりません。ピンクの花から白い花。濃いピンクに淡いピンク。丸い花と小さい花。ランランラン。
適当に整列して、春を謳歌しているよう。この日の暖かさと、日差しを体中に浴びていた。暖かい空気は、人の心と
体を解放してくれます。
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【07】撮影:林 智子
このお皿は好きだ。
大きすぎたので買うのはやめた。
鎌倉から千葉まで持ち帰るには 冒険過ぎる。
ぜったいに 途中で空中分解してしまいそうだ。
ほんわりとした青が素敵だと 思う。
鎌倉の後に 千葉の街中の ふるものやさんで もっと 小さいお皿 発見。
半額で1500円。 近いから 2枚買った。
買っちゃったんだから ごんちゃん よろしくね。
私の好きな 富士山のような山も 帆かけ船も てんこ盛り。
ごんちゃんと私は 小さいお皿で よろしいのだ。
もう そんなに 山ほど栄養とらなくたって よろしいのよ。ごんちゃん。
素敵なお皿で ちょっぴり食べて 長生きしようね。

■投票:伊藤 幸司
価格を強調しているので撮影者はたぶん、買おうかどうしようか悩んでいた人だと思うのです。
帰りにもここに立ち寄ったのですが、けっきょく買わずに帰りました。残念でしたね。
別に「何でも鑑定団」に出そうというのではなくて、この大きさ、この重さで1,000円は素晴らしく安いんじゃないかということでした。でも持って帰るのがたいへん……ということで。いつのも山ザックなら買っていたかもしれません。
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【08】撮影:伊藤 幸司
これは「社頭」という名のお店。看板の文字の漢字は読めませんでしたがなんとその下に「シャトウ」という読み仮名がついていました。それで画面左下の行灯にある文字が店名で「社頭」だとわかったのです。
ネットで調べてみると和紙専門店。それもすごい店で、扱っている和紙については梳いた職人はもちろん、材料や厚さ(重さ)がきちんと管理されているとか。表っ面だけを見たのではしもた屋風情の鎌倉風・土産店としか見えなかったのですが、「社頭」というのは鶴岡八幡宮の社前の意味とか。そういう意気込みを通りすがりに感じることはできませんでした。
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【09】撮影:箭内 和子
福寿草の花と、葉がワサワサしています。会津の地でも、福寿草祭りがそろそろだなあ〜。満開の梅の花と
福寿草。春本番の季節だなあ〜。由緒あるお寺のたたずまい、街歩きの楽しみは時の流れを実感する事にあるのかしら・・・。
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【10】撮影:伊藤 幸司
建長寺から北鎌倉に向かう道にあった鎌倉らしい甘味処。「鎌倉しるこ」や「手焼きどらやき 鎌倉殿」と「鎌倉」ブランドを存分に利用していますが、それが違和感をもたないほど鎌倉的な店ではないかと思います。
ネットで調べてみると正式には「三日月堂花仙」。池袋にあった昭和4年創業の和菓子店・三日月堂が平成4年に鎌倉に移転したとのこと。
「鎌倉どらやき」はこの店のオリジナルで平成13年に神奈川県銘菓に指定されたとか。どらやきとお茶で一休みしてもよかったかな、という典型的な鎌倉風味。
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【11】撮影:伊藤 幸司
鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏は生き返るのか、という大実験風景がこれです。平成22年に強風で倒れたこのイチョウは根元から3つに伐られて、根元から高さ4メートルの部分が隣りに置かれたのだそうです。
根からも幹からも新しい芽生えがあるそうですが、それがどのように育つか、再生への努力が傾注されているようです。ちなみに3つに伐られた残りの2つも境内に保存されているのだそうです。

■投票:林 智子
人々や階段の 配置などの構図が 魅力的だと思う。
赤い囲みと 結界のそっけなさ 縦に小さく並んだ石 土の
感じなど 魅力的。
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【12】撮影:林 智子
はなかっぱです。
はじめて 知りました。
N・H・Kの アニメだそうです。 
頭の上に とりあえずの花が咲いている 男のこだっていうのですが。
これから まごと 一緒にベンキョーしようっと。
<ぽっぽっぽ はとぽっぽ>とか <ぞうさんぞうさん
おはながながいのねー そうよ・あらたくんは まーるいのよー>と
あらたくんと 歌っています♪
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【13】撮影:箭内 和子
鎌倉石なのかな???鶴岡八幡宮の西の方の住宅地に入ったら、不思議な石の階段があった。
小さな祠があり、その先に続いている。行き止まりと表示があったけど、糸の会探検隊は
ずんずん進む。この先は、どうなっているのでしょう・・・・。
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【14】撮影:伊藤 幸司 夕方には海岸に出よう(それまではできるだけ山側をたどろう)というのが当初からの方針だったので、鎌倉駅まで戻ったときに衆議一決して稲村ヶ崎まで江ノ島電鉄に乗りました。
これは七里ヶ浜。江ノ島まで行くのも結構大変だし、鎌倉旧市街とはずいぶん違う世界だと分かったので、なんとなくみんなで、もう一度鎌倉駅まで戻ろうということなり、ひと駅先の七里ヶ浜駅から帰りました。

■投票:林 智子
輝く海。
映画のワンシーンのようです。
二人は恋人どうし。あるいは 女友達?
よくみたら あれ!私 この日 大きい襟のダウンコートを
着ていたよ。
モデルは ひょっとして 彼女と私ですか?
絵になるなあ・・・なんちゃって。

■投票:矢野 博子
砂浜……明るい陽射しと青い海 邪魔なものが入ってなくて 見ていて 気持ち良い。
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【15】撮影:林 智子
この帽子屋さんは 凄かった。
みたことのない数の あらゆる種類の帽子が 並んでいた。
何処にも こんなの みたことないから びっくりした。
この数に脱帽します。
しかしね・・・このベージュ帽は ファッション的にいかがなものでしょう。
ついでに このモデルも モデル的には いかがなものでしょう。
時代を超越・・・そこに意義があるのです。 

■投票:伊藤 幸司
不意を突かれた感じがします。
あの帽子専門店ですよね。
店の隅にあったんですか。
帽子の価格はだいたい上段のものと同じようなものなんでしょうね。
いかにも隅っこという感じですが、このマネキンですよね、主役は。

■投票:矢野 博子
帽子……多分 この場に自分が居合わせたら やはりシャッターを切っていたと思う。 冷たい石の質感と ベージュ色の柔らかい帽子の組み合わせが 面白い。
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【16】撮影:伊藤 幸司
七里ヶ浜は江ノ島へと延びていきます。この写真には写っていませんが海面には波待ちのサーファーがひとり、堤防には思いに沈んでいるかのような男性がひとり。トビが結構な低空飛行をしていましたが、この日は平日、カモはあまりいないようです。私たちこそいいカモに見えたらしく一度は超接近飛行をしてきましたが、一回で諦めたように思います。
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【17】撮影:伊藤 幸司
私にはこれが鎌倉の店のスタンダードと感じました。鎌倉の店は総じてセンスはいいようです。それが田舎の婦人服店などと違うところです。なにしろ湘南ナンバーの車が走っているのですから。
ブティックというイメージの閉鎖空間ではなくて「鎌倉ブランド」でまちごとファッションを創り出そうとしているように見受けられます。表参道より原宿にちかいイメージなのでしょうか。
若い人も年輩の人も気軽に冷やかせる店。ここにはそういう鎌倉風味が感じられました。
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【18】撮影:林 智子
これはびっくり。
何これ?
足だわ。足だわ。
靴型。
いやーびっくり。
鎌倉は ほんと いろいろなもの売っている。
このならべかた 実直で好き。
ヨーロッパあたりだと でかい 皮のエプロン付けた ゼペットじいさんが
よいこらしょっと 出てくるはずだけど。
真黒に 日焼けしたイケメン君が 出てきたら どうしよう。
いいなあ。実直そうで。

■投票:伊藤 幸司
この店は私も見ました。興味がなかったわけではなかったけれど、実際にはあまりよくみていませんでした。
ここに展示されているラバーソールには山歩きの私たちに深く関係するものがあります。
土踏まずに黄色いラベルを付けてあるのがイタリアのヴィブラムソールです。かかとがツルンとしていますが、これはかかとだけの半張りができます。
もうひとつ同じパターンのソールで、黄色いラベルの付いていないのがありますが、これもヴィブラムソールです。
ヴィブラム社は1937年にイタリアの登山家ヴィターレ・ブラマーニ(Vitale Bramani)によって創設された登山靴メーカーです。名前の頭の「Vi」と「Bram」でヴィブラムです。
トレードマークとなっているソールのデザインは、ぜんぜ〜ん、まったく、オリジナルデザインではありません。
じつは当時の登山靴は革靴(軍靴など)の靴底に軟鉄の鋲を打って滑り止めとしていました。側面に巡らしたのをクリンカー、中央部分に散らしたのをムガーと呼んでいました。どれをどう打つかは登山者の自由できたから、これはヴィターレ・ブラマーニ氏のものであったかと思います。それのコピーというわけです。
それをゴムで作ったおかげで、靴は革命的に軽くなり、冬には足が凍えなくなりました。戦後日本では登山靴といえばほとんどすべてがヴィブラムソールでしたが、世界制覇に成功したのでした。
ですが日本ではその早い時期にオリジナルソールが登場しました。1956年に日本隊がマナスルに初登頂しますが、そのとき隊員やシェルパ、ポーターに支給するために藤倉ゴムが開発したアプローチシューズがみなさんご存知のキャラバンシューズです。国内ではそれが軽登山靴のスタンダードになりました。
しかし問題がひとつありました。キャラバンシューズには土踏まずのところにギザギザの歯を立てた金属板がついていました。トリコニーと呼ばれる鋲です。この金属が堅かったために岩場で滑ることが多かったのです。あるとき開発者の話を聞いたことがありますが、不具合はあったけれどソールの一体形成のためなかなかとれなかったと語っていました。
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【19】撮影:伊藤 幸司
写真には店名がきちんと写っていませんでしたが「ぎゃらりー」と「MATSUOKA」が写っていたので、ネットでこれが貸しギャラリーだとわかりました。左に花束があるので、そこに出展者と出展内容があったのでしょうが、そのとき私は開いた扉からのぞき見するという以上の関心がなかったようです。トビラの黒い枠組みに惹かれた記憶があります。「まちなかギャラリー」という雰囲気がすなおに感じられたと記憶しています。
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【20】撮影:鈴木 明美
新しい家が並ぶ中で「昔ながらの家」の畳屋さん。
何となくほっとして、ちょっと寂しかった。
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【21】撮影:箭内 和子
営業中のプレートと、ひな人形展のポスターが見えます。ちょっと、シックな色目のシクラメンと、うすいピンクの花。
お店の雰囲気とマッチしていた。私もこの花達みたいに鎌倉散策の人達をひと時、眺めていたい気分になりましたよ。
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【22】撮影:林 智子
しめ縄。
聖と俗を分ける結界というけれど 何が聖くて 何が俗なのか。
聖も俗も 混沌も あれこれ 呑み込み 皆 有限。
<そんなことはどーでもいいんだ エヘヘヘのヘー >。
丸いくせに 暴れん坊的雰囲気がいっぱいだ。

■投票:伊藤 幸司
のっけから謎解きという見せ方の写真です。
見ているとヒントがあります。そしてわかってきます。
人を巧みにだまそうとするココロがこの写真にはあらわれているのかもしれません。
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【23】撮影:箭内 和子
最後に回ったお寺の庭が見事でした。お寺の空気がしっとりとしていて、そこに梅の古木がたくさん。
梅の白い花が青空に映えて、良かったですの一言。庭をゆっくりと回遊しました。お寺の由緒云々より
ただひたすらこの庭の中にいるだけで、満ち足りました。
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【24】撮影:伊藤 幸司
鶴ヶ岡八幡宮の背後、山側には行き止まりの住宅地がいくつかあります。これは22軒で急斜面に開かれた住宅地の入口部分にありました。これはお不動様だったかと思いますが、鎌倉は至る所で急斜面の崖に行く手を遮られる感じで、そういう岩壁にはこんな感じの祠が大小いろいろ作られてきたようです。
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【25】撮影:林 智子
全面的に ほこり臭いような 古もの屋さん。
人知れず ここにはいいものが たくさんありそうな予感。 
上等なレースや 自動車。
ほこりを 取り除き 本気出せば かなりいい線まで オサレにイケルと
私は見ているが 結局 あまり 売る気もなさそな 雰囲気だ。
時を超えた味わいで 勝負に出ているのか ユーモアセンス抜群の
おじさまのお店なのか そっとしておこう。
この自動車 いいなあ。
トラックも スポーツカーも どっちもいい。
ドッキリするような 宝物が 隅っこで 眠ってるのよ。きっと。

■投票:伊藤 幸司
これぞウインドウショッピングの醍醐味。雑然とした棚にほのぼのとした光景がうまく浮かび上がってきました。拍手!
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【26】撮影:箭内 和子
紅梅もありました。私に写真の技量がもっとあれば、よりあざやかにお見せできるのでしょうけど
残念です。でも、梅は白い花の方が私は好きです。100字以上のコメントは、大変です。疲れて来ました。

■投票:伊藤 幸司
紅梅と白梅と白壁と春霞の空。
シンプルでいて核心的な「春」の風景だと思います。
……が、なにかちょっと「ハッキリしない感じ」
たとえば、4つの素材が同比率だからではないかとも思います。
写真を小さくしたり遠くから見たりするのと、細部までよく見える状態にしたのでは写真の感じが大きく違います。
小さくすると梅がどんどん主役になってきます。
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【27】撮影:箭内 和子
この不思議な住宅地の地名こそ、覚えておかなくちゃ。雪の下・・・こんな地名を以前に聞いた事あったかな。
起伏に富んだ地形。細い路地。坂を下ったり登ったりの日常生活は、高齢者にはつらいでしょう。
いろいろ、考えた住宅地だった。
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【28】撮影:鈴木 明美
大木の間から小さい山椿がこちらを覗いている。
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【29】撮影:林 智子
やりましたね。
誰かさんが 大笑いしている。
歯まで見えているのですが!
大きな サンタクロースや貝殻を ぶら下げる ファッショナブルな
お洒落さん。
<海にいってきたんだぜーい>とか<サーフィンしてきたのさー>という
海の男か 海の女が ぶらさげるのかなあ。
重いんですものね。体力いります。
体力勝負の ファッション。体力は別のところで 使いたい。
売る気はないと 私は見ました。
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【30】撮影:鈴木 明美
鎌倉に着いて心惹かれた「色」です

■投票:伊藤 幸司
私たちが使っているポケットカメラではこのあたりがくやしいところなんですね。
左端にある看板の文字がもうちょっと、全部ではなく、端役としての役割を果たせる分だけ見えるようにすると写真を見る人に意味づけを与えたり、意図的に混乱させたりすることになります。
デジタルカメラではモニターで見る範囲と実際に写る範囲がおおよそ一致しているのですが、明るいところでは見えにくいし、構えがしっかりしないので微妙なフレーミング(撮影範囲の選択)に意識が向きません。
一眼レフカメラのプロ仕様機はファインダー視野が撮影画面に対して100%で、アマチュア仕様機は撮影画面よりひとまわり小さな視野になっています。製作コストが違いの大きな理由ですが、周囲に余分なものが写り込んでしまったときにはトリミング(使用範囲の選択)をすればいいという考え方です。
ここでは左端の看板と右端の奥の部屋がともに「半端な感じ」で写っています。そういえばバッグ陳列棚の下の傘立てみたいな正体不明のものも「半端な感じ」です。
そう考えるとバッグの上方の壁の余白も「半端な感じ」に見えてくるようにも思われます。
よくあるケースなのですが、無意識のバランスの中にそれらが「余白」として入ってきたのかもしれません。もしそうだとしたら撮影時に「気持ちいいバランス」のところから一歩踏み出すか、一歩下がるかして撮ってみてください。カメラの眼と自分の目とのギャップが調整されてくるはずです。
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【31】撮影:箭内 和子
人や物資の往来のために山をうがつように開かれた切り通し。大きな山なら、トンネルや峠なのでしょうけど
鎌倉は、随所に切り通しで道が続き、家並みが続く。切り通しを通るたびに坂の多い町だと、実感する。上り下りの
感覚が写真では伝わらないかも・・・。
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【32】撮影:伊藤 幸司
なんとなく違和感を感じてシャッターを切ったのですが、帰って写真を詳細に調べているうちに大混乱。その混乱の原因は、私が葉山の日影茶屋という名店を知らなかったからですが。
掲げられている看板には、まず「日影茶屋」とあり、次に「和・洋菓子舗」そして「LA MAREE DE CHAYA」と。のれんには「御菓子」、3枚見える札には「玉子焼」「かつをごはん弁当」「草大福」、そしてポスターには「黒糖ロール」「小町バウンド」と。
この店は江戸中期に葉山に料理茶屋として創業したそうで、ホームページを見ると5つの部門が「Japanese Cuisine」「French Cuisine」「Japanese Sweets」「Patisserie」「Shopping」となっています。もちろん日本語版です。
日本各地の百貨店や駅ビルに出店している名店だそうで、アメリカにも姉妹店があるとか。鎌倉のこの店は10年前に開店しているそうです。
ですからこの店を「鎌倉らしさ」で語るのは問題ありと思いつつ……ですが、最初に撮った写真なので、この微妙な違和感がそれから鎌倉のまちを見るときの色眼鏡となったのは確かです。京都のような頑固さのないところに鎌倉らしさを感じてしまったのです。
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【33】撮影:箭内 和子
レストランの看板メニューを背にして、大ぶりのスミレ。この花に釣られて、お店に入ってしまいそう。
花が立派に客引きをしている風情。店主の心遣いや意気込みを感じた。花の開花時期の長いスミレですけど
そのスミレを玄関先に飾る事すら、サボってしまった我が身を振り返る。日々の暮らしに彩りを添えなくちゃ、いけませんね。
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【34】撮影:伊藤 幸司
青梅聖天社という神社が急斜面の中腹にありました。双身歓喜天が祀られているというので全員で登ったのですが、ぴっちり戸締めされていて内部はまったく見えませんでした。しかしここのウメとスイセンは見頃でした。

■投票:矢野 博子
春……全部の写真の中で これが一番気に入った。PCの前に座って眺めていたときよりも 一度立ち上がって戻るときに 遠くからみたこの写真の青空 春の香りに驚いてしまった。
写っている電線が近くで見ているときは 気になったけど 遠くからみたらその斜めの線が 却って効果的で 花々を引き立てている気がした。
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【35】撮影:鈴木 明美
賑やかに咲いている。
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【36】撮影:箭内 和子
白い梅の花が、満開。足元には、水仙の花。桜はパアーっと、思いっきり口を開いたように咲くけど、
梅はひっそりと両手を閉じて、小首をかしげたように咲く。だから、梅の花は品がある・・・そんな事を言っていた人を思いだした。

■投票:伊藤 幸司
ウメとスイセンによって写された「春」という感じの写真です。じつは【34】が私の写真なんですが、あちらが風景になっているのに対して、こちらは「春」そのもの。神社の赤い手すりがこちらは意味を持たないアクセントになっています。
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【37】撮影:林 智子
Bの3のような事を 云いつつも 食いました。スペイン料理。
ワインは我慢した。 私はただいま お酒断ちなので 我慢した。
お酒断ちといいながら 私は矛盾だらけの駄目なヤツ。
一応 糖分ひかえめな 焼酎とウイスキー。
長い 細い 自分専用の グラスに1センチだけ ウイスキーを入れる。
フィットネスの 帰り 思いついて 近くのコンビニで いいちこのちっぽけなやつを買い 
このグラスで プハーと 飲んでみた。
まるで アル中の酔っ払いおじさんだね。さもしくて淋しい。
<あーあ。ビールがほしいのだ 私は!>と 内心で深ーく 叫びながらも
いいのよ。 我慢するのだ。
長生きすることに決めたんだから。
この料理には 赤いワインとチーズが必須だよネ。悔しいネ。
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【38】撮影:伊藤 幸司
鶴ヶ岡八幡宮の本宮に掲げられている額。大方の想像どおり、豊島屋の「鳩サブレー」はこの八の字に由来します。帰って豊島屋のホームページを見ると、明治30年頃、店を訪れた異人からもらった大判のビスケットがヒントになって、初代が「鳩サブレー」をつくり上げたと書かれています。
でも掲額のこの文字、どういう経緯でこんなふうになったのでしょうか。八幡宮のホームページには書かれていません。
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【39】撮影:鈴木 明美
「花」シリーズの最後はこれしかありません。
落ちてもまだ元の美しさを残している。
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【40】撮影:伊藤 幸司
鎌倉駅から新しい景観を求めて歩きだしたのですが、普通の住宅街がこのままずっと続いているような気配、そこでその時先頭を務めていたYさんが、祇園山ハイキングコースへと舵を切ったのです。私たちは八雲神社から入って北条一族自刃の地とされる腹切りやぐらを経て宝戒寺へとタイムスリップした感じです。
金龍山宝戒寺は北条義時に始まる鎌倉幕府執権の屋敷のあったところで、北条氏滅亡後の慰霊のために後醍醐天皇が足利尊氏に建立を命じたというもの。

■投票:林 智子
8角形の石の形は お寺的には 何か意味があるのでしょうか。
石がいいので 私も2枚ほど 写しました。
おしゃれですね。
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【41】撮影:箭内 和子
小町通り商店街を歩きだして、店先に置かれているプランターの花達が目に留まった。
最初のテーマは、この花達にしようと思い、積極的に撮影した。スミレをバックに赤いシクラメン。
郡山だと、日当たりの良い室内に置く花だ。300km近く離れた南の地、鎌倉、気候の温暖さに
目を見張る。
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【42】撮影:箭内 和子
最後の見学場所になった。石碑の文字が何を意味するのか、とても気になった。
鎌倉地蔵尊二十四札所霊場第一番のお寺で天台宗の寺院です。この石碑は、長い年月の間に何を目にしたのでしょうか?歴史のある町鎌倉の一端にもっと、深く触れたいと思います。
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【43】撮影:林 智子
いやー なんでもあり。なんでもあるよー。
やすいよー。
鎌倉に 遊びにきた観光客は <いやー・ちょーやすい!>とか言って
よっていくのでしょうか。
近場の地元民 御用達かな。
よれたシャツやら ウエスト80センチのスカートやら ちょー時代遅れの
セーターやら。 
ここも 売る気 まったくないみたい。
趣味と お喋り専門の ショップだよー。

■投票:伊藤 幸司
写真のあちこちを見回ったあと、けっきょく黒板の文字をこまかく読むことになりました。
おそらく気安く道を尋ねる旅行者が多いので道案内の黒板を置いたのでしょうが、これが実に親切、かつ的確。読んでいるうちに、今度はこの店の前から鎌倉の旅を始めたいと思いました。鎌倉という街の広がりが一発でわかります。
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【44】撮影:伊藤 幸司
お屋敷街の一郭で見たササの生け垣。たぶん根っこが道路下にもブロック塀の内側にも猛然と侵略していっているのだと思いましたが、ササの生け垣は手入れもしやすくソフトな感じで案外良いのではないかと感じました。
帰ってガーデンプランナーの妻に聞いてみたところ、地下茎対策は最近いろいろあるので都会ではササが植えられることも多くなっているとか。ただササの葉は落ち葉掃除のしにくさで松葉に次いで堂々の2位になるとか。自分では提案したくないとのことでした。
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【45】撮影:林 智子
ばいきんまんは アンパンマンの宿敵で アンパンマンを倒すため どこかの 星から やってきた。
現在 移動する時には 一人乗りの<ばいきんUFO>に 乗るとのことだ。
<おれは素敵な・ばいきんまん>とか<おれはすごいぜ・ばいきんまん>とか 
<おれは強いぞ・ばいきんまん>とか 常に自画自賛の歌を威張って歌っているらしいが
<ばいきんだからキンキラキン>とか<ハハハハハ・ハヒフヘホ>などと
いうとこみると 悪に徹しきれない カワイイヤツ らしい。
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【46】撮影:箭内 和子
思いっきり育った葉ぼたん。私の中では、お正月に飾る花なんですけど、春、3月、
元気に育った葉ぼたんも、悪くなかった。ワンサカ、ワンサカ、葉ぼたん。葉ぼたん。
キャベツに似ているし、料理法を考えて、食べてみたくなりました。食いっけを促された葉ぼたん。
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【47】撮影:鈴木 明美
どこの世界でもちょっと変っていると人の気を引くものですね。
多くのカメラに撮られる。でも私は普通もいいかなと思う
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【48】撮影:林 智子
津軽には昔 殿さまがいて 小人町とか若党町とか 下級の侍たちが住んだ
武家屋敷群が 今も少し残っていて それは歴史的保存地区と言われている。
私の隣の家は 古い大きな武家屋敷だが 黒塀も 周りを取り囲む木々も うっそうと
怪しくて やや 不吉な感じのする お屋敷だった。
ここに 独身の姉妹二人と 数えきれないほどの猫たちが 住んでいた。
裏庭から 回覧板を持って 恐る恐る 入っていくと 猫たちとともに
絣の着物に おさげ髪のお姉さんが 静かに現れ 信じられないほどに 優しい美しい声で
話すのだ。 時が止まってしまったような世界。
数匹の猫と姉妹の つつましい暮らしだったろうと 今ならば 理解する。
あの 黒い武家屋敷と姉妹と猫たちは 小学生の私には きわめて 神秘的な 
不思議な世界だった。
家族だった猫たちの子孫も いまはもう 天国だろうか。

■投票:伊藤 幸司
フォトジェニックというのはこういうことなんですよね。この猫を主役にするために影が大胆な役割を担っています。「千万両」はちょっと行き過ぎだと思いますが。
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【49】撮影:伊藤 幸司
宝戒寺は鎌倉の萩寺として知られていますが、この時期は梅の寺でした。ちょっと残念だったのは時期がすこし早かったこと。満開まではあと一歩という感じでした。ウメの木の根元ではスイセンとフクジュソウが満開でしたが。
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【50】撮影:林 智子
二人の息子のヒーロー達は アンパンマンよりも 少し前の時代のものかしら?
二人は 朝 目覚めとともに 仮面ライダーに変身し 夜寝るまで タイガーマスクになったり
変身を繰り返したりして 見えない この世の悪を相手に戦っていた。 
夢のようにかっこいい 単純なヒーローの日々を 過ごしていたのだから 昨今のように
少し斜めに構えた 知性と休養あふるる 大人になろうとは 夢にも思ってなかったわ。
私の人生・・・息子一人目の時は 静かなものだった。けれど 二人目が出現してからというもの
ほーんと 体力使って 忙しかったなー。転勤もしたし。
特に 二人目の あのかたは とっても声がハスキーな 理屈屋さん。
ダミーな声で <ママ! ママ!>と 私を呼ぶ。
でも いつの頃からかしら・・ <智子さん・あのですねえ>などと ジェントルマンのごとく
私のこと 呼ぶものだから ついつい 智子さんも<何かとよろしくお願いします> などとお世話になってしまうのよね。
立場なんか逆転しちゃったわ。 でもいいわ。もう何でもかんでもよろしくね・ですもん。
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【51】撮影:鈴木 明美
ここまで大きくなるとちょっと近寄りがたい美しさかな
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【52】撮影:林 智子
先日 テレビで若い書道家の 書に対する考え方のようなことを話すのを みた。
学校で習ったような楷書だけではなく そのスタイルを 自分らしく
するとか 自分なりの面白さを みつけるなど 書を書くということもまた
きわめて 個人的なものだという 印象を持った。
与えられた事 決まっている事 決められている事 そうだと思い込んでいた事を
こなしていくことは 実際には 多くの時間を必要とする難しい作業だが
ある意味では 容易い事でもある。
決まっていることは 実は決められたことであり 実はそうだと思い込んでいる
だけのこと・・かもしれない。
しかし その過程を経て 向かい合うものは 自分である。
どうしたって 自分自身と向かい合うことになる。それも 常に。
それは ある意味 楽しくも苦しい 迷宮への旅である。
迷宮を左右しながら 長い道を歩いていくことになるだろう。
自分という答えを探すのだから。
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【53】撮影:伊藤 幸司
これは巨福呂坂(こぶくろざか)洞門。鎌倉七切通しのひとつ巨福呂坂の新道にあたるとか。落石防護用のシェルターだそうですが「切通しを歩いている実感が損なわれないように」天井に大きな開口部を設けたと解説されていました。
なお旧道の巨福呂坂は現在通行不可能とされています。じつは青梅聖天社のところから行けるところまで行ってみようということで登り道のドンづまりまで行って、さらに住宅背面の踏み跡道を進むと、藪になり、たぶんこの巨福呂坂洞門の上あたりの断崖上に出ました。それが巨福呂坂跡だったようです。


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