発見写真旅・展(138)――2017.2.21-22 上高地スノーハイク(50パワー)
発見写真旅・展(138)――2017.2.21-22 上高地スノーハイク(50パワー)
撮影者別写真索引へ
索引写真をクリックすると展示写真に飛ぶことができます。
戻るにはデリートキー(delete key、削除キー)を押してみてください。
写真先頭【01】へ
第2日
撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
写真キャプションもお読みいただけます。
ご覧いただいたみなさんからのコメントはキャプションの後に掲載させていただきます。
★糸の会山行 No.1023 上高地スノーハイク(50パワー)────2017.2.21-22
*車道雪道25p(往路)→車道雪道25p(復路)
*冬の上高地を軽アイゼンで歩くスノーハイク(この計画では私はスノーシューは選びません。西穂山荘から上高地地に下るのをスノーシューでやりましたが、あちらはギリギリ6本爪のアイゼンがほしい場面がありました。上高地は川沿いの道で、基本的に平坦ですからツボ足で苦労してもたかがしれています)は、良い天気なら素晴らしい冬景色、悪天候なら冬の山の寒さを体験できます。風が強いと地吹雪でホワイトアウトも体験できます。そういう意味でこれまで何度かやってきましたが、最初は徳沢園の冬期営業(若い男女のスタッフが食事を出してくれました)を利用、それが冬期小屋の素泊まりになって、営業を終了しました。そこで坂巻温泉にも泊まりましたが、中ノ湯温泉ががけ崩れのため移転すると、そこに泊まるようになりました。今回も中ノ湯温泉泊りを予定していたのですが、明神の「山のひだや」が冬期営業していると知って、1日目に釜トンネル→明神、2日目に明神→釜トンネルという計画に変えました。
*上高地への冬の道は、右岸の道(上流から見て右側)は工事用車両の通過のために除雪されていることもありますが、スノーハイクとしては左岸です。上高地のバスターミナルまではバス道路、そこから先は明神〜徳沢〜横尾と続く登山道です。正月休みにはたくさんの登山者が入るため、自転車でトライする人も出てくるほど。しかしその他の時期にはトレースがあるかどうかも不明です。でもそれが楽しい。危険でなしに、楽しめるのです。
*「旅荘・山のひだや」は明神池のたもと、嘉門次小屋から見るとかろうじてその存在が分かる程度の建物です。昔、山岳写真家の内田良平さんと仕事をしていたときに、彼が時々泊まるとは聞いていたのですが、立派な建物なので、なにか特殊な宿のように見えてついぞ入ることがありませんでした。今回泊まってみて、「ひだや」というのは岐阜県人が松本駅前に建てた飛騨屋という旅館が、上高地にかろうじて権利を得て移転したとのこと。家族経営3代目の山小屋でした。
2月21日
・1225-45……釜トンネル入口で出発準備(標高約1,300m)
・1320-25……トンネル終了(釜トンネル→釜上トンネル→上高地トンネル)で休憩(標高約1,450m)
・1351……大正池ホテルを通過(標高約1,500m)
・1435-40……帝国ホテル前で休憩(標高約1,500m)気温-4度C
・1500-10……上高地バスターミナルでトイレ休憩(標高約1,500m)気温-5度C
・1600-05……休憩(標高約1,500m)
・1655……明神・山のひだや(標高約1,500m)
2月22日
・0835……宿を出る(標高約1,500m)
・0945-55……小梨平キャンプ場でトイレ休憩(標高1,500m)
・1000-10……河童橋で休憩(標高約1,500m)右岸に渡る
・1040-45……休憩(標高約1,500m)
・1125……ウェストン碑(標高約1,500m)
・1130-40……穂高橋から河岸の雪中踏破?(標高約1,500m)
・1200-10……右岸の治山運搬路で休憩(標高約1,500m)
・1235……大正池最下流で左岸のバス道に合流(標高約1,500m)
・1330-1400……釜トンネル入口で休憩(標高約1,300m)
今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。
小林 美子(16点)
伊藤 幸司(77点)
このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com
撮影:小林 美子
|
撮影:伊藤 幸司
|
|
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【01】撮影:09時22分=小林 美子
観音。
電車の窓から。
韮崎平和観音。55才。
16・6メートル。
近くではかなり大きいでしょうね。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【02】撮影:10時39分=伊藤 幸司
松本駅で松本電鉄ホームに立ち寄って、全員駅蕎麦を食べました。
そこで食べたのは、上高地帝国ホテルの常連さんだった F さんに勧められた「(特上)安曇野・葉わさびそば」(460円)でした。
食券販売機のところには「信州特上生そばのご案内」という説明書がありました。
「信州の澄んだ空気と清らかな水で育んだ信州の風味をご賞味ください。其の一 生冷凍なので、打ち立てそのまま、其ノ二 特選そば粉含有量は六割、其の三 製麺地は長野県」としてさらに「特上そばは、生麺のため3分程お時間をいただきます」とありました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【03】撮影:13時05分=伊藤 幸司
2005年完成の釜トンネルは冬季一般車両通行止めとなっていて、照明もついていません。旧釜トンネルではところどころに雪が吹き込んでくる空間があってそれが明かり採りにもなっていました。でも新釜トンネルでライトは必要ありません。真っ暗になるのはほんの一瞬ですし、床に氷が張ったりもしていないので、暗いトンネルを外からの光に導かれて歩くいいチャンスかと思います。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【04】撮影:13時26分=伊藤 幸司
新釜トンネルを出ると、その先にもうひとつ新しいトンネルができていました。「上高地トンネル」(2016年開通)の、これが上高地側出口です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【05】撮影:13時36分=伊藤 幸司
正月にはこのあたりは賑やかで、自転車で行く人も見たことがあります。登山者の少ないいまも道が整備されているのは、冬の間に梓川右岸(上流側からみて右側)を工事用道路としてさまざまな車両が通行しているからです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【06】撮影:13時43分=伊藤 幸司
大正池の落ち口のところで私たちは除雪されていない左岸のバス道に入りました。私たちは明神池までしか行かないので最後まで梓川の河岸の道です。流れる川の岸辺の道は、通常なら時速4Hの車道歩きと同様ですが、上高地のスノートレッキングでは雪の状況と天気に翻弄される楽しさがあります。
風が吹くと地吹雪でホワイトアウトしたりもします。標高1,500mの寒さはこのときマイナス5度Cを前後していましたが、体感温度は天候によって大きく変化します。
足ごしらえですが、スノーシューは履きません。4本歯の軽アイゼンが基本です。トレースがなければさらに難易度がひとつ上がって面白かったとは思いますが、さすが上高地、誰かのトレースが残っています。
ここは前方に大正池ホテルの建物が見えてきたあたり。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【07】撮影:13時50分=伊藤 幸司
大正池ホテルのところの公衆トイレ。上高地の積雪はこんな状態でした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【08】撮影:14時37分=小林 美子
雪景色。
写真を見たらただの雪景色。
雪で埋もれた帝国ホテルです。
よくみると屋根が、確認できます。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【09】撮影:14時47分=伊藤 幸司
帝国ホテルの先のところで、トレースはバス道から歩道に移りました。すぐにまたバス道に戻りましたが。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【10】撮影:14時54分=伊藤 幸司
この雪のつき方を見ると、かなり強い風が吹いたようです。そういう状態のときにも、上高地ではさまざまな安全装置が働くので「体験」の域を出ないと考えています。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【11】撮影:15時01分=伊藤 幸司
バスターミナルに着いたころには、青空が見えてきました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【12】撮影:15時02分=小林 美子
つららの屋根。
バスターミナル。
冬季トイレの所から。
ひっそりとした、バスターミナルでした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【13】撮影:15時14分=伊藤 幸司
屋根の向こうの平らな雪面がバスの出入りする広場です。気温マイナス5度C。冬季トイレがあったので寒さの中での15分休憩となりました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【14】撮影:15時26分=伊藤 幸司
上高地を訪れた人には、たぶん100%記憶に残っている風景……の冬版。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【15】撮影:15時27分=伊藤 幸司
青空は見えてきたけれど、周囲の山はまだ見えそうで見えない状態。河童橋だけ写しました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【16】撮影:15時28分=伊藤 幸司
河童橋までは観光道路、ここから先は自然歩道、登山道はまだはるか先です。河童橋からお隣の小梨平へと入っていくところです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【17】撮影:15時42分=伊藤 幸司
左側には小さな水面が見えています。梓川が広がって、流れが幾筋にも分かれています。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【18】撮影:16時09分=伊藤 幸司
雪のつき方を見ていくと、風はあたり一帯に、全面的に吹いたという印象より、強弱いろいろに吹いたという感じがします。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【19】撮影:16時16分=伊藤 幸司
こういうところ、もし先行者のトレースがなかったら、けっこう気を使う場所です。大筋では梓川の左岸を遡っているというだけのことなのですが。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【20】撮影:16時18分=伊藤 幸司
梓川の本流がこちら側の岸に寄ってくる場所に関しては地形図にはっきりと出てきます。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【21】撮影:16時22分=伊藤 幸司
水面からすこし上がったところで樹林が消えると、明神岳が正面にありました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【22】撮影:16時25分=伊藤 幸司
梓川の流路が向こう岸の方へ動いて、この道も河岸へと下っていきます。明神が近づいています。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【23】撮影:16時27分=伊藤 幸司
まだ流路が足下にあります。以前、ザック内の荷物をポリ袋で完全防水にして浮袋とし、それを背もたれにした感じで川を流れ下ることを楽しんだことがあります。
1991年にテレビ朝日の深夜番組のミニ連続企画で「実用新案! 川遊び あるいは布団袋ラフティング」というのをやってますね。ロケは奥多摩・御岳のカヌーコースでやりましたが、最初の企画書が「1.服を着て、靴を履いて 2.流れの中心は速くてスムーズ 3.水は落ちたら淀むのが定め 4.逆流帯にはじき出される 5.こわいものなしリバーラフティング」というところからでした。東海大学体育学部出身で水上安全法救助員の資格を持つ女性タレントさんといろいろやりました。
その後、集英社の「スーパージャンプ」のマンガ連載「ネイチャーパイロット」でやったのがザックの浮力を利用した川下り。岸辺の人から溺れていると誤解されやすいという致命的な欠点を除けば楽しい体験でした。
……で、できれば梓川でそれをやりたいと思い続けていたのですが、後に愕然としたのです。梓川の河床は冬の間に重機で整備されています。よく見ると金網で包んだ「じゃかご」(蛇篭)あるいは「せきろう」(石籠)なども投入されているらしく、水中から針金がピンと突き出ている場面を発見、ものすごく危険な川だということがわかりました。この流れをのんびり下ってくると「アホな登山者、梓川で水死」などということになりかねません。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【24】撮影:16時28分=伊藤 幸司
冬だから水量はきわめて少ないのだと思いますが、両岸の木の生え方を見ていると、それほど増水することはないのかもしれません。槍〜穂高の南斜面に降った雨は全部ここに流れ下ってくるので、ほんとうにこれが梓川の本流だろうかと、地図を見てしまいました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【25】撮影:16時28分=伊藤 幸司
雪の吹き溜まり。山へ来た気分になります。でもトレースがなかったら、けっこう悩むかもしれません。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【26】撮影:16時49分=伊藤 幸司
明神で吊橋を渡りました。これが山脈南側の安曇野の人たちにとってはホタカ(穂高)の最も神聖な風景だったのでしょうか。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【27】撮影:16時50分=伊藤 幸司
「山のひだや」に泊まるのは初めてです。むかし朝日カルチャーセンター横浜の登山講座で1983年から12年間ご一緒した山岳写真家・内田良平さんから定宿だと聞いていましたが、私の仕事では隣の嘉門次小屋に立ち寄ることはあっても、こちらをのぞいたことはありませんでした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【28】撮影:17時16分=伊藤 幸司
これは穂高神社奥宮。背後に明神池が広がっていて「明神池は穂高の山に天降った神様より恵み給うた清水をたたえ、その水は安曇野を潤す梓川に注がれる・・・」とホームページにあります。
さらにこの上には「嶺宮」が奥穂高岳山頂にありますが、だいたい、北アルプスの最高峰が奥穂高岳と認識されたのが明治時代で、松本盆地からの世界観では穂高の主は明神岳だったはず。里宮は安曇野の穂高にあって、穂高見命(ほたかみのみこと)を祖神とする安曇族の信仰による……という歴史的背景が有名です。本来北九州に勢力を拡大したという海の民・安曇族が、なんでこの山国の、最奥というべきところに王国を打つ立てたのか、私は知りませんが、そのことによって「穂高」は長野県川では「ほたか」と発音します。ただ、岐阜県側では新穂高温泉(しんほだかほんせん)や穂高岳山荘(ほだかだけさんそう)など「ほだか」になります。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【29】撮影:17時19分=伊藤 幸司
明神池に張った氷。どうしてこんなふうになったのか、考えただけではわかりません。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【30】撮影:17時19分=小林 美子
山のひだやに着いてお迎えサービスのコーヒーを飲んで、裏の明神池へ・・
評判のコーヒーにしては? と思ったけど、
朝の頼んだ800円のコーヒーは美味しかった。
でも、朝のコーヒーを飲まなかったら、昨日のコーヒーがあれが美味しい? のまま、おわったかも・・
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【31】撮影:17時23分=伊藤 幸司
雪が湖面に白いオブジェをつくっているかと探し回ってみましたが、うまく見つけられませんでした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【32】撮影:17時24分=伊藤 幸司
湖畔の道はこの先、もうちょっとで行き止まりなのですが、ものすごく神秘的に感じました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【33】撮影:17時24分=伊藤 幸司
水の静寂と、小さな波乱とが、そのまま記録されたような水面です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【34】撮影:17時26分=伊藤 幸司
雪が積もったかたちも魅力的ですが、削ぎ落とされた側面も表情豊かだと感じました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【35】撮影:17時33分=小林 美子
ランプ。
電気・水なし。
ランプの灯りがきれいだった。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【36】撮影:18時29分=伊藤 幸司
この宿の入口には馬小屋ぐらいの受電設備があって、この地域の何軒かがものすごい金額を負担して設置したということで、ブンブンうなりを上げていました。ところが内部はこの「ランプの宿」、内部まで電気設備を整えるには金もかかり、リニューアルも必要になる……というあたりで悩んでいると聞きました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【37】撮影:18時33分=伊藤 幸司
夕食は冬季なのでこんな感じでしたが、ホームページには次のように書かれています。
「お食事 旬の食材をふんだんに使って、おいしく楽しく。
昭和初期の銅製かまどで薪を使いご飯を炊いています。
当館の信頼で仕入れた、生きたまま使う岩魚料理(備長炭でじっくり焼き上げた塩焼き、動く活造り、まるごと岩魚天ぷら)は絶品です。
また、地元契約農家より届く朝どり新鮮無農薬野菜や季節の山菜料理など、自然の美味しさをそのままご堪能いただけます。」
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【38】撮影:18時55分=伊藤 幸司
正式名称が「旅荘 山のひだや」で、かつ当面この辺では唯一の冬季営業というので今回泊まってみたのですが、話を聞いてみると前身は松本駅前の旅館「飛騨屋」。飛騨から信濃に進出した駅前旅館の先代が、よそ者ながらなんとかして上高地に土地を入手、この16室の木造旅館を開業するに至ったとのこと。できれば河童橋のあたりで商売したいと考えていたのでしょうが「ここしか入れてもらえなかった」とか。
穂高で最初の営業小屋というべき嘉門次小屋の向かいに山の旅館・飛騨屋として誕生したといわれれば、これまで感じてきた違和感に間違いはなかったと思いました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【39】撮影:19時20分=小林 美子
豆炭。
豆炭のあんかを用意してくれた。各自これを抱えて部屋へ……
部屋には、豆炭こたつ、石油ストーブ、
灯りはこたつの上にポツンと1つ(引き上げると灯りがともる)あるだけだった。
第2日
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【40】撮影:06時14分=伊藤 幸司
朝起きて、まずは宿の玄関前へ。見上げる明神岳は明神岳5峰、左が2,264m峰。5峰の陰に4峰があり、その奥に主峰があるそうです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【41】撮影:06時27分=小林 美子
明るくなってきました。
やさしい、お月様です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【42】撮影:06時28分=小林 美子
モルゲンロート。
朝日が明神岳の山頂の色を変えていました。
おもわず・・・きれい〜〜
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【43】撮影:06時29分=伊藤 幸司
この日の日の出は長野県(県庁所在地)で06時27分。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【44】撮影:06時30分=伊藤 幸司
手前が最南峰ともよばれる5峰とはいえ、この光景が「神降地」(上高地)の由来となったとか。吊橋の向う側にある「神河内・明神館」のホームページには「古代からの穂高岳は、外の穂高と違い、神のご神体。つつしんで明神岳と言うようになりました」とあります。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【45】撮影:06時31分=小林 美子
ここでは、つららなんて珍しくもないでしょうが、私達には珍しい。
小屋のけむりと明神岳が、
朝日に照らされて美しい。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【46】撮影:06時33分=伊藤 幸司
宿の軒先に伸びたツララ。折りたくなるけれど、入ってくるとこれが正面なので怒られそう。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【47】撮影:07時04分=伊藤 幸司
朝食はお雑煮?
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【48】撮影:07時25分=伊藤 幸司
山はすっかり明るくなりました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【49】撮影:08時11分=伊藤 幸司
表側のツララを内側から。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【50】撮影:08時31分=伊藤 幸司
出かける前にもう一度明神池へ。右の岩峰が明神岳5峰、左が2,264m峰。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【51】撮影:08時31分=伊藤 幸司
念のため、人物をはずして、明神池からの明神岳。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【52】撮影:08時33分=伊藤 幸司
桟橋ふうに張り出したところで記念写真。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【53】撮影:08時34分=小林 美子
明神池の氷の上に咲いた氷の花。
小屋を出発して、もう一度明神池に寄ったら、池の表面にきれいな花が、咲いている様でした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【54】撮影:08時34分=伊藤 幸司
記念写真の全景。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【55】撮影:08時34分=伊藤 幸司
明神池にトドだか、アシカだかのお昼寝、に見えました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【56】撮影:08時35分=伊藤 幸司
湖面に氷が張った後、寒波がきて氷の結晶が育ったのではないかという、その模様。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【57】撮影:08時36分=伊藤 幸司
水面と湖面と雪と氷の複雑な景色。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【58】撮影:08時42分=伊藤 幸司
穂高神社奥宮から梓川の河畔に出て、当初はそのまま右岸を下って、治山運搬路とよばれる林道に出ようと考えていたのですが、まったくトレースがありませんでした。宿の話では道が開かれているのは河童橋までとか。吊橋に向かい、明神から昨日来た道を戻ることにしました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【59】撮影:08時44分=伊藤 幸司
これが明神橋。向こうに見えるのは蝶ヶ岳から大滝山を経て徳本峠に至る稜線です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【60】撮影:08時56分=伊藤 幸司
明神の下流から川越しに再び明神岳を見ました。手前の5峰から4峰、本峰と全貌が見えますが、それよりも左の奥に西穂高岳の稜線が見えてきたのがラッキー! という感じ。河童橋からの展望に期待が湧き上がってきます。素晴らしい天気です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【61】撮影:09時02分=伊藤 幸司
雪の山らしい印象なので撮っておきました。よく見れば足はほとんど埋まっていません。雪がついてかえって歩きやすい雪道です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【62】撮影:09時03分=伊藤 幸司
梓川の枝川ですが、水はほとんど静止している状態です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【63】撮影:09時13分=伊藤 幸司
行きと帰りとでは同じ場所でも撮る気分が全然違いますが、天気が違うと風景そのものがまったく別物になったりもします。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【64】撮影:09時35分=小林 美子
動物と会ったのは、この猿一匹だけだったが、この猿、私達を、意識しながら無視している態度。
ちょっと、憎らしい猿。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【65】撮影:09時35分=伊藤 幸司
冬だというのに、昨日はお猿さんに会いませんでした。もうすぐ小梨平というところで、いました、1頭。道からの距離が十分にあるためか動きません。食べ物は、うまそうじゃないけれどあるみたい。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【66】撮影:09時36分=伊藤 幸司
ちょっと場所を移動して、今度は見せびらかしのポーズみたい。このあと遠くで仲間たちの鳴き声らしいものが聞こえました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【67】撮影:09時37分=伊藤 幸司
いいですねえ、道らしくない雪道は。もうほとんど小梨平ですが。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【68】撮影:09時59分=伊藤 幸司
河童橋の上流側から。背後には焼岳です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【69】撮影:09時59分=伊藤 幸司
河童橋の上流から広角レンズで。橋の上にいるのは私たちのメンバーではなくて、雪の山から下りてきた人たち。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【70】撮影:10時00分=伊藤 幸司
河童橋の上流側にはおなじみの「吊尾根」がきれいに見えていました。正面に奥穂高岳、右に前穂高岳、左には西穂高岳のあたりまで。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【71】撮影:10時02分=伊藤 幸司
焼岳に向かって梓川が下っていきます。この右岸にトレースはないようですが、林道は使わずに新雪トレッキングとすることに決めました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【72】撮影:10時04分=小林 美子
昨日は見えなかったけど、
かっぱ橋から、
今日は、素晴らしい穂高の山並みが、白くクッキリと見えました。
来た甲斐があります。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【73】撮影:10時08分=伊藤 幸司
河童橋の上から吊尾根を撮っておきました。一眼レフの広角ズームに偏光レンズをつけていますが、小林さんがスマホで撮った前の写真の空と比べるとちょっとやりすぎ、デジタルカメラでは青空はそのままで見た印象に近く映ると考えていいようです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【74】撮影:10時08分=伊藤 幸司
天気のせいか、季節のせいか、魚影も水鳥もほとんど見ることができませんでした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【75】撮影:10時10分=伊藤 幸司
ようやく全員(といっても3人ですが)の顔がわかる記念写真が撮れました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【76】撮影:10時15分=小林 美子
誰も、いないかっぱ橋です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【77】撮影:10時17分=小林 美子
反対側は焼岳。
焼岳も立派です。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【78】撮影:10時19分=伊藤 幸司
渡りかけた河童橋で振り返りました。背後に見えるのは霞沢岳の山並みです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【79】撮影:10時27分=伊藤 幸司
河童橋から梓川の右岸の歩道を歩いていきました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【80】撮影:10時30分=伊藤 幸司
夏にはたくさんの人が歩く道なので、歩道とはいえ白いハイウェイというふうに見えました。先頭の人は気分良く進んでいきます。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【81】撮影:10時31分=小林 美子
梓川の右岸は、
この様に、誰も歩いていません。
足跡のない雪道を歩くのはとても気持ちのいいものでした。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【82】撮影:10時38分=伊藤 幸司
梓川の流れの向こうにも歩道があるのですが、人がいないのでわかりません。河岸の樹林と背後の霞沢岳。ちょっと神秘的な風景だと思いました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【83】撮影:10時57分=伊藤 幸司
道が広い河原に出ました。赤布があったので道すじはこれでいいのですが、道そのものがどこかはわかりません。河岸に上がる地点を探しながら歩いて、ここで振り返って撮りました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【84】撮影:11時22分=伊藤 幸司
じつはけっこうドタバタと探し回ったのですが、ありました、ウエストンの碑。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【85】撮影:11時23分=小林 美子
夏でも、めだたないので、通りすごしてしまいそうなウェストン碑。
雪に、埋もれたウェストン碑をみつけました。
ちょっと探しました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【86】撮影:11時26分=伊藤 幸司
ウエストンの碑から(直接ではないけれど)見える風景がこれ。霞沢岳の驚くほど険しい山並みです。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【87】撮影:11時27分=伊藤 幸司
特別な風景ではないけれど、これも梓川の枝川。雪がまったりと積もっていました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【88】撮影:11時53分=伊藤 幸司
ウエストン碑のすこし下流で穂高橋と田代橋を渡って帝国ホテルに出られるのですが、穂高橋のところで雪の河岸に突っ込みました。ところがこれがたいへん。深い新雪のラッセル遊び……どころではなくなって、すぐに時間が心配になり、林道に出ました。これはたぶん穂高橋の下を流れてきた水路。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【89】撮影:12時21分=伊藤 幸司
帰りの時間も気になりながら、治山運搬路を歩きました。焼岳に向かってぐんぐん進んでいくという気分は新しい発見です。たぶん雪がなかったら、無粋な道でしょうが。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【90】撮影:12時27分=伊藤 幸司
河童橋から見た吊尾根をもう一度振り返る格好になりました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【91】撮影:12時30分=伊藤 幸司
これが焼岳に最接近したところ。焼岳は1915年(大正4)に噴火して、溶岩がこの場所に押し寄せて梓川を堰き止め、大正池を現出させたのです。まさにここが焼岳の裾野という感じがしました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【92】撮影:12時44分=伊藤 幸司
上高地トンネルが近づいてきました。
▼次の写真へ
▼次の写真へ
▲先頭ページへ
【93】撮影:12時55分=伊藤 幸司
上高地トンネルが終わろうとしています。明かりの向こうに新釜トンネルが待っています。
★先頭ページに戻ります
★ホームページのトビラに戻ります