コースタイム写真
霞沢岳(かすみざわだけ・2,646m)
第1日(7.16)・上高地→徳本(とくごう)峠小屋
2024.7.16-18
■コーチのひとこと・ふたこと
■山旅図鑑【か】霞沢岳──若井 康彦・俳句
■写真参加──
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【計画書から】────「地理院地図」を使用しています
◆糸の会【1310】
◆霞沢岳(かすみざわだけ)────2,646m
焼岳(やけだけ)────2,455m
*1日目……平坦6p→登り19p────25パワー
*2日目……稜線30p往復→下り19p────79パワー
*3日目……平坦14p→登り18p→山頂往復24p→下り33p────89パワー
日の出0441、日の入り1905────7.16長野で
◆JR中央本線・松本駅から────2024.7.16-18(火〜木)実施
◆集合
●7.16(火)────松本駅での「上高地線」乗換は「7番線」です」
*1045始発の旧松本電鉄・上高地線・新島々行きに乗車してください。
*ちなみにそのホームの「駅蕎麦」は、たぶんいまもおすめでしょう
◆ポイント
*2015年8月18-19日の霞沢岳では山頂直前のK1ピークで引き返しました。じつはその日のうちに東京に帰るためには、ギリギリの時刻となって、「ダメではない」けれど、いったん遅れが出たら最終のあずさに間に合わない、という時刻になってしまったのです。メンバーの中にはスピードを出せない感じの人もいて、そういうことから遅れる危険はかなり大きいので、事故を誘発するかもしれないというリーダー側の判断として、引き返すことにしたのです。
*今回はそのリベンジではあるのですが、じつは8月に見たあの花々だったら、一度は7月中に行っておきたいという(私自身の)強い理由があって、このチャンスに計画しようと決めたのです。
*ほとんどがトラバース気味の稜線だったと思います。きちんと歩けばリスクはそれほどありませんが、躓いたらそこはそれ、北アルプスです。そのときの写真は山旅図鑑の「か」欄にあります。
*そこで今回は2泊目を明神にしたので、時間的なリスクはかなり小さくなりました。問題は3日目は簡単だと思ったことから始まりました。帝国ホテルでお茶をしてから焼岳、とか焼岳の活動が激しくなったら西穂山荘へと登ってロープウェイで下山、というようなものを考えていましたが、さすが北アルプス。やはり東京まで帰ろうとすると、いろいろむずかしい。悪戦苦闘して、以下のような計画になりました。
◆往路
A)あずさ3号(0638千葉→0730新宿→0752立川→1023松本)
B)あずさ5号(0800新宿→0825立川→1037松本着)→南小谷
✭1045(松本電鉄)松本駅始発→1130新島々→バスに乗り換え1235上高地へ
運賃は電車710円+バス2,550円
*もし松本〜上高地の往復割引などがあっても購入しないでください。3日目は平湯温泉からの帰途になります。帰路は松本駅から特急で、その日のうちに帰るという計画で行動します。
◆現地行動
*第1日(7/16)
1300ごろ_上高地バスターミナルを出発────平坦6パワーを1時間として
1400ごろ_明神────登り19パワーを2時間半として
1630ごろ_徳本峠小屋
1730ごろ_夕食
★以下は「第2-3日(7.17-18)・霞沢岳往復と徳本峠〜上高地」へ
【行動記録から】
✭最寄り駅はJR中央本線・松本駅
・1045ごろ_松本電鉄で松本駅を出発
・1130ごろ_松本電鉄の終着・新島々で上高地行きバスに乗換
・1235ごろ_バスは上高地バスターミナルに到着(標高=1,504m)
・今回の参加メンバー5人が全員集合
1305ごろ_出発準備を整えて、上高地バスターミナルを出発
1310ごろ_小梨平から明神まで、通常利用する「左岸歩道」が「土砂流出等のため」通行止めと知る(「左岸」は上流から見て左側。明神まで1時間とされる通常のアプローチルートが通行禁止に)
1315ごろ_河童橋を渡って、上高地の散策用として用意された「河童橋─明神(池)」の「右岸歩道」にまわる
1330ごろ_人馴れしたサルの家族を見る
1415ごろ_明神橋を渡って明神へ(標高=1,545m)
・トイレ休憩
・休憩中に驟雨、あわてて雨具を準備
1435ごろ_明神を出発
1440ごろ_徳本(とくごう)峠・島々谷方面分岐(標高=1545m)
1520-25ごろ_休憩(標高約1,600m)
1605-10ごろ_雨具装着(標高約1,850m)
1625-30ごろ_休憩(標高約1,900m)
1705ごろ_徳本峠小屋に到着(標高約2,140m)
・徳本峠小屋に宿泊(キャンセルがあって宿泊は私たちだけ)
第1日
12:00
✭最寄り駅はJR中央本線・松本駅
・1045ごろ_松本電鉄で松本駅を出発
────・1130ごろ_松本電鉄の終着・新島々で上高地行きバスに乗換
・1235ごろ_バスは上高地バスターミナルに到着(標高=1,504m)
・今回の参加メンバー5人が全員集合
────1305ごろ_出発準備を整えて、上高地バスターミナルを出発
【撮影】12時27分=伊藤 幸司=020
晴れていれば、正面に奥穂高岳と前穂高岳とをつなぐ有名な「吊尾根」が見えるのです。釜トンネルをくぐって登ってきたバスは、ここで初めて大正池に出て「上高地」という標高約1,500mのよくできた山岳リゾートに入る、という仕掛け。
【撮影】12時30分=伊藤 幸司=021
【撮影】12時30分=伊藤 幸司=022
【撮影】12時33分=伊藤 幸司=025
【撮影】12時35分=伊藤 幸司=029
【撮影】12時46分=伊藤 幸司=031
上高地バスターミナルの「100円チップトイレ」はスバラシイ! の一語です。暖房便座のシャワートイレです。
【撮影】12時46分=伊藤 幸司=032
【撮影】12時47分=伊藤 幸司=033
【撮影】12時47分=伊藤 幸司=034
【撮影】12時47分=伊藤 幸司=035
【撮影】12時59分=伊藤 幸司=039
これは「上高地インフォメーションセンター」。長い時間、ゆったりと(無料で)過ごすことができる場所だと思われます。
【撮影】12時59分=伊藤 幸司=040
【撮影】12時59分=伊藤 幸司=041
13:00
────・1235ごろ_バスは上高地バスターミナルに到着(標高=1,504m)
・今回の参加メンバー5人が全員集合
1305ごろ_出発準備を整えて、上高地バスターミナルを出発
1310ごろ_小梨平から明神まで、通常利用する「左岸歩道」が「土砂流出等のため」通行止めと知る(「左岸」は上流から見て左側。明神まで1時間とされる通常のアプローチルートが通行禁止に)
1315ごろ_河童橋を渡って、上高地の散策用として用意された「河童橋─明神(池)」の「右岸歩道」にまわる
1330ごろ_人馴れしたサルの家族を見る
────1415ごろ_明神橋を渡って明神へ(標高=1,545m)
【撮影】13時01分=伊藤 幸司=046
これは「上高地観光センター」という建物らしいですね。2階がどうなっているのか知りませんが、建物の右側にはバスチケットの売り場や待合所があり、左側には荷物預かり所があるんですね。裏側はタクシー乗り場になっています。
【撮影】13時02分=伊藤 幸司=048
【撮影】13時02分=伊藤 幸司=049
【撮影】13時02分=伊藤 幸司=050
【撮影】13時02分=伊藤 幸司=051
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=053
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=054
これは、バスで到着して上高地で宿を予約している旅行者にはとてつもなくありがたいと思われる「上高地手荷物配送事業・受付窓口(JTB)」。その「JTB」って、どういう絡みなんでしょうかね。元関係者のAさんに聞いてみなくっちゃ。さらにホテルの名前が8つ出ていて「1,000yen/luggage」とありますから、私たちとは100%関係のない施設です。
【撮影】13時04分=伊藤 幸司=056
【撮影】13時05分=伊藤 幸司=058
【撮影】13時07分=伊藤 幸司=061
【撮影】13時07分=伊藤 幸司=062
この碑は「上高地は、穂高連峰・焼岳・六百山・長塀山などの高山にとりかこまれた盆地で、その中心を明神池・田代池・大正池をつらねて梓川が流れる。」という書き出しで始まっていました。
【撮影】13時08分=伊藤 幸司=064
河童橋の向こうに「吊尾根」が見えるか見えないかで、上高地の価値は全然ちがってきますね。
【撮影】13時08分=伊藤 幸司=066
【撮影】13時08分=伊藤 幸司=067
【撮影】13時10分=伊藤 幸司=068
こんなこと、事前に調べたりして来ませんから、私たちにとってはまさに「青天の霹靂」。河童節の脇にあったので、オットットという感じできちんと読み直しました。まあ、通れない道があっても、先へ行けないはずはない、という楽天的な気分でしたね。「右岸歩道(往復)をご利用ください。(河童橋を渡り、岳沢湿原経由)」とありましたから、私は、なかなか歩くチャンスのない板張りの道を歩けるので、ちょっとウキウキ。
【撮影】13時11分=伊藤 幸司=069
【撮影】13時11分=伊藤 幸司=070
【撮影】13時13分=伊藤 幸司=073
【撮影】13時16分=伊藤 幸司=078
【撮影】13時23分=伊藤 幸司=085
【撮影】13時23分=伊藤 幸司=086
【撮影】13時24分=伊藤 幸司=088
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=091
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=092
【撮影】13時26分=伊藤 幸司=094
【撮影】13時26分=伊藤 幸司=095
【撮影】13時27分=伊藤 幸司=100
【撮影】13時29分=伊藤 幸司=106
【撮影】13時29分=伊藤 幸司=108
夏冬、何度も出会っている猿家族だと思いました。あちらも知らんぷり、という感じで、足元まで近づいてきたりしますが、なにかを「せびる」という感じがしたことは(私は)ありません。
【撮影】13時32分=伊藤 幸司=110
【撮影】13時32分=伊藤 幸司=111
【撮影】13時40分=伊藤 幸司=114
右手に見える梓川の向こう側にそびえるのは六百山(2,450m)と霞沢岳(2,646m)だと思うのですが、私にはわかりません。霞沢岳が見えたとしてどんな顔つきなのか、まったく想像がつかないのです。
【撮影】13時40分=伊藤 幸司=115
【撮影】13時43分=伊藤 幸司=117
【撮影】13時44分=伊藤 幸司=119
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=120
【撮影】13時46分=伊藤 幸司=122
【撮影】13時48分=伊藤 幸司=123
【撮影】13時49分=伊藤 幸司=124
ここでは長大なベンチみたいなものを設置する作業が行われていました。要するに、このベンチを歩かないと靴がびしょ濡れになることがある、ということなんですね。観光客にとっては「靴を濡らす」ということはけっこう大きな衝撃的体験になりますからね。
【撮影】13時51分=伊藤 幸司=125
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=128
【撮影】13時54分=伊藤 幸司=129
【撮影】13時54分=伊藤 幸司=130
【撮影】13時55分=伊藤 幸司=131
【撮影】13時55分=伊藤 幸司=132
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=134
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=135
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=136
じつはこの車道、夏にはおとなしい顔つきですが、冬になってバス道が完全に雪に覆われるころ、ここはダンプカーの仕事道になっています。梓川の浚渫作業などが行われているからです。
14:00
────1330ごろ_人馴れしたサルの家族を見る
1415ごろ_明神橋を渡って明神へ(標高=1,545m)
・トイレ休憩
・休憩中に驟雨、あわてて雨具を準備
1435ごろ_明神を出発
1440ごろ_徳本(とくごう)峠・島々谷方面分岐(標高=1545m)
────1520-25ごろ_休憩(標高約1,600m)
【撮影】14時00分=伊藤 幸司=138
【撮影】14時01分=伊藤 幸司=141
【撮影】14時02分=伊藤 幸司=144
【撮影】14時02分=伊藤 幸司=146
【撮影】14時03分=伊藤 幸司=147
【撮影】14時04分=伊藤 幸司=149
【撮影】14時05分=伊藤 幸司=151
【撮影】14時06分=伊藤 幸司=153
【撮影】14時08分=伊藤 幸司=154
私は登山道の安全性を考えるとき、たとえば木製の橋など、濡れた木の構造物を歩く場面がもっとも危険だとしています。渓流を渡るための素朴な木の橋では、その渡りはじめのときに、できるかぎり繰り返してみなさんに注意しているつもりです。
この木道では設置した人がこまかな傷をつけて滑り止めを試みていますが、たとえば尾瀬の木道では木材そのものの耐久性が落ちるということでこのような試みはなされていません。さらに木道の表面を傷つけるとしてストックの使用を禁じています。……にもかかわらず、尾瀬の木道にはこれより深い、四角形に類する小さな穴が無数についていますね。残雪期に尾瀬を歩くと、(ここ、上高地でもそうでしょうが)アイゼン無しには歩けません。そのアイゼンの歯が木道に深い傷をつけています。
何をいいたいのかというと、登山者が木道につけた傷をよく見ると、ほぼ99%はアイゼンの歯であり、ほとんどが円形の歯となっているストックの傷跡は探すのが困難な状態です。体重をかけていくアイゼンに対して、腕力の範囲でバランス維持に使用するストックの刃跡はあったとしてもごく浅いものだからです。上高地の木道は傾斜のあるところでは滑り止めのため階段状にするなど、歩く人や、その人たちの履物に対して細かな配慮を巡らせているので、いろんなこころみをしている、というふうに見ていただきたいと思います。ここでも、濡れているときに走ったりすると、大怪我をする危険がありますね。濡れた木の道はとてつもなく危険なものなので、歩き始めにつま先で軽く蹴ってみると、その滑りぐあいを確認できます。
【撮影】14時10分=伊藤 幸司=156
【撮影】14時10分=伊藤 幸司=158
【撮影】14時11分=伊藤 幸司=159
【撮影】14時11分=伊藤 幸司=160
明神に出ました。穂高へのクラシックルートは旧安曇村の島々から上高地へと向かった猟師、漁師、樵(きこり)などが島々谷川をたどって徳本峠で穂高の山々と向かい合ったのですね。写真中央の窪みが、おおよそ、その徳本峠ということになります。今日はあそこに泊まります。
【撮影】14時12分=伊藤 幸司=163
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=164
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=166
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=169
【撮影】14時14分=伊藤 幸司=171
【撮影】14時14分=伊藤 幸司=173
【撮影】14時15分=伊藤 幸司=174
【撮影】14時19分=伊藤 幸司=176
【撮影】14時20分=伊藤 幸司=177
【撮影】14時20分=伊藤 幸司=178
【撮影】14時29分=伊藤 幸司=179
【撮影】14時30分=伊藤 幸司=180
【撮影】14時30分=伊藤 幸司=181
【撮影】14時35分=伊藤 幸司=183
河童橋からこの明神の間、左岸の道が完全に通行止めだったわけです。
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=184
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=185
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=186
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=187
ここにある地図をきちんと見ると、河童橋から帝国ホテルまでが「散策エリア」。そこから上流側に明神までが「自然探勝エリア」で、明神から梓川沿いに徳沢〜横尾までが「トレッキングエリア」とされているんですね。そのトレッキングエリアからはみ出ていく道筋は全部「登山エリア」なんだそうです。私たちはトレッキングエリアの入口のところから右手(南)に折れて、登山エリアを徳本峠へと登るわけです。
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=188
【撮影】14時37分=伊藤 幸司=189
【撮影】14時40分=伊藤 幸司=191
【撮影】14時40分=伊藤 幸司=193
【撮影】14時40分=伊藤 幸司=194
【撮影】14時41分=伊藤 幸司=195
【撮影】14時41分=伊藤 幸司=196
【撮影】14時43分=伊藤 幸司=198
【撮影】14時43分=伊藤 幸司=199
【撮影】14時44分=伊藤 幸司=200
【撮影】14時53分=伊藤 幸司=202
これが「自然観察エリア」だったら、木道が整備されるということでしょうね。登山者が道をどんどん広げていくということに、私たちも加担している光景、ではあります。
【撮影】14時54分=伊藤 幸司=205
【撮影】14時57分=伊藤 幸司=206
明神を出発したのが14時35分ごろ、徳本峠に着くのが17時05分ですから、明神から徳本峠までの約4kmを2時間半ほどで歩いたのですね、じつは。大ざぱに時速2kmを割っています。あるいはここまでの平らな道を時速3kmとして、この先は時速1.5kmというふうにも見積もれます。
登山道の道標に示される距離はときに大きな錯覚を生じさせます。糸の会では登山道の基本的な登り(およそ1/3勾配)は「時速1km」、勾配の小さな歩きやすい稜線では「最大時速2km」と概算します。ちなみに下りは登りの7割程度の時間ですが、すべて登り時間で計算しておいて、余りは休憩に使ったり、予備的支出に使うと考えるとリーダーの安全管理に余裕が生まれると思っています。登山終盤の下りで事故を防ぐのに、その時間的余裕が大きな力を発揮してくれることが多いと感じています。
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=208
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=210
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=211
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=212
15:00
────1440ごろ_徳本(とくごう)峠・島々谷方面分岐(標高=1545m)
1520-25ごろ_休憩(標高約1,600m)
────1605-10ごろ_雨具装着(標高約1,850m)
【撮影】15時00分=伊藤 幸司=213
【撮影】15時01分=伊藤 幸司=215
この橋は渡りました。足元をよく見てください。金網が張ってあります。なければ、絶対に渡りません。もし誰かが足を滑らしたら、こんな小川に落ちても大怪我をするかもしれないからです。
【撮影】15時01分=伊藤 幸司=218
【撮影】15時11分=伊藤 幸司=220
【撮影】15時11分=伊藤 幸司=221
【撮影】15時13分=伊藤 幸司=223
この橋は事実上というか半分は通行禁止だと思いましたが、私たちは渡りました。登りの部分は、踏み桟がしっかりしているので、その角を踏む形で進めば、大丈夫と見積もりました。ダブルストックがきちんと使えれば重心管理はできるはずですし、恐怖心が芽生えた場合でも四つん這いになれば大きな問題は起きないだろうと見積もりました。ときおり、こういうチャレンジは必要だと考えます。もちろん、上り勾配だから橋を渡ってもらいましたが、帰りには難易度がもうひと段階上がりますから、そのときは靴を濡らしてでも沢を渡ってもらうと決めました。
【撮影】15時13分=伊藤 幸司=224
【撮影】15時14分=伊藤 幸司=225
濡れた木を分で歩くのは夏山ではもっとも危険な場面のひとつです。ベテランの皆さんに対しても私が繰り返し注意するのは「きれいに歩かないこと!」です。靴底を板の上に「きれいに置く」ことを禁じたいのです。接触点を「一点」にしたくないので「二種類のものを同時に踏む」としたいのです。見た目「踏みそこなった」という感じですかね。濡れた木の表面は、滑るときには素晴らしく滑るからです。_
【撮影】15時28分=伊藤 幸司=231
たぶん、この道標のあたりから、本格的な登りになったのだと思います。……とすると明神からここまでが「時速約2km」で、ここからの登りが「時速約1.3km」
【撮影】15時32分=伊藤 幸司=232
【撮影】15時33分=伊藤 幸司=233
【撮影】15時33分=伊藤 幸司=234
【撮影】15時33分=伊藤 幸司=235
この道では、前もセンジュガンピを見た記憶があるので、今回も期待していました。8月にも咲いていたということです。たぶん。
【撮影】15時38分=伊藤 幸司=237
【撮影】15時43分=伊藤 幸司=240
【撮影】15時44分=伊藤 幸司=242
【撮影】15時47分=伊藤 幸司=243
【撮影】15時56分=伊藤 幸司=245
【撮影】15時56分=伊藤 幸司=246
【撮影】15時57分=伊藤 幸司=250
16:00
────1520-25ごろ_休憩(標高約1,600m)
1605-10ごろ_雨具装着(標高約1,850m)
1625-30ごろ_休憩(標高約1,900m)
────1705ごろ_徳本峠小屋に到着(標高約2,140m)
【撮影】16時04分=伊藤 幸司=252
【撮影】16時14分=伊藤 幸司=261
【撮影】16時29分=伊藤 幸司=266
【撮影】16時30分=伊藤 幸司=272
【撮影】16時31分=伊藤 幸司=273
【撮影】16時32分=伊藤 幸司=274
【撮影】16時57分=伊藤 幸司=276
【撮影】16時58分=伊藤 幸司=277
17:00
────1625-30ごろ_休憩(標高約1,900m)
1705ごろ_徳本峠小屋に到着(標高約2,140m)
・徳本峠小屋に宿泊(キャンセルがあって宿泊は私たちだけ)
【撮影】17時05分=伊藤 幸司=280
【撮影】17時10分=伊藤 幸司=285
現在の徳本峠小屋では、裏口から入ると、ここが靴脱ぎ場で乾燥室。奥に洗面所、左手にトイレへの階段があって、最初は雑然とした印象でしたが、かなり合理的な構造となっていました。
【撮影】17時33分=伊藤 幸司=286
以前はすごい雑魚寝状態だった2階が15人用の寝室に改築されていました。定員が少ないために、今回は予約解禁日に電話をして、泊まれれば霞沢岳に行こうという掛けの気分でした。後で聞くとこの日は他にも予約客がいたのに、悪天候のためキャンセルとなり、私たちだけになったとか。おかげでのびのびと夜を過ごすことができました。
【撮影】17時39分=伊藤 幸司=287
【撮影】17時47分=伊藤 幸司=288
【撮影】17時49分=伊藤 幸司=289
これが食堂。奥のテーブルまで含めて最大16人でしょうか。
【撮影】17時49分=伊藤 幸司=290
18:00
19:00
────1705ごろ_徳本峠小屋に到着(標高約2,140m)
・徳本峠小屋に宿泊(キャンセルがあって宿泊は私たちだけ)
【撮影】18時09分=伊藤 幸司=291
夕食が足りなかった、という写真ではありません。美味しくて全員完食でした。
【撮影】18時10分=伊藤 幸司=292
じつは、山小屋ではいくぶんあきらめていた「おいしい米」がここの食事の主役でした。標高は美ヶ原とほぼ同じですから、高原の民宿と同等かもしれません。写真のこのプレートには「徳本峠小屋のお米が旨いのは、この風景の松川産のコメだからです。」とのこと。
【撮影】18時34分=伊藤 幸司=293
【撮影】18時34分=伊藤 幸司=294
【撮影】19時26分=伊藤 幸司=295
夜間
【撮影】22時49分=伊藤 幸司=296
この小屋のトイレは、また独特でした。スリッパが1足しかないのは「コロナ対策のため」だそうですが、一見の価値あり、でした。
【撮影】22時50分=伊藤 幸司=297
【撮影】22時50分=伊藤 幸司=298
【撮影】22時50分=伊藤 幸司=299
【撮影】22時50分=伊藤 幸司=301
【撮影】22時52分=伊藤 幸司=303
この宿では、宿泊客にもトイレに100円の負担金を求めていました。その説明文を読んで私はこの宿のピュアな部分が表明されているんだな、と感じました。はるか昔、桜咲くバンクーバーから氷結した北極海の高速道路を通ってイエローナイフまでチェーンなしでノーマルタイヤのレンタカーで走ったとき、広大な森林の中に一軒ぽつんと開いていた宿(主人は元北極海の気象観測に従事、子どもたちは衛星放送で義務教育を受けているという)で驚くほど白いベッドシーツに感激したことを思い出しました。この宿は家族の理念を表現しようとしている民宿だと感じたのです。
【撮影】22時53分=伊藤 幸司=305
【撮影】22時53分=伊藤 幸司=306
【撮影】22時53分=伊藤 幸司=307
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