コースタイム写真
霞沢岳(かすみざわだけ・2,646m)
第2日(7.17)・徳本峠→霞沢岳往復→明神
第3日(7.18)・明神→河童橋
2024.7.16-18
■コーチのひとこと・ふたこと
■山旅図鑑【か】霞沢岳────若井 康彦
■写真参加──
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【計画書から】────「地理院地図」を使用しています
◆糸の会【1310】
◆霞沢岳(かすみざわだけ)────2,646m
焼岳(やけだけ)────2,455m
*1日目……平坦6p→登り19p────25パワー
*2日目……稜線往復30p→下り19p────79パワー
*3日目……平坦14p→登り18p→焼岳山頂往復24p→下り33p────89パワー
日の出0441、日の入り1905────7.16長野で
◆JR中央本線・松本駅から────2024.7.16-18(火〜木)実施
◆集合
●7.16(火)────松本駅での「上高地線」乗換は「7番線」です」
*1045始発の旧松本電鉄・上高地線・新島々行きに乗車してください。
*ちなみにそのホームの「駅蕎麦」は、たぶんいまもおすめでしょう
◆ポイント
*2015年8月18-19日の霞沢岳では山頂直前のK1ピークで引き返しました。じつはその日のうちに東京に帰るためには、ギリギリの時刻となって、「ダメではない」けれど、いったん遅れが出たら最終のあずさに間に合わない、という時刻になってしまったのです。メンバーの中にはスピードを出せない感じの人もいて、そういうことから遅れる危険はかなり大きいので、事故を誘発するかもしれないというリーダー側の判断として、引き返すことにしたのです。
*今回はそのリベンジではあるのですが、じつは8月に見たあの花々だったら、一度は7月中に行っておきたいという(私自身の)強い理由があって、このチャンスに計画しようと決めたのです。
*ほとんどがトラバース気味の稜線だったと思います。きちんと歩けばリスクはそれほどありませんが、躓いたらそこはそれ、北アルプスです。そのときの写真は山旅図鑑の「か」欄にあります。
*そこで今回は2泊目を明神にしたので、時間的なリスクはかなり小さくなりました。問題は3日目は簡単だと思ったことから始まりました。帝国ホテルでお茶をしてから焼岳、とか焼岳の活動が激しくなったら西穂山荘へと登ってロープウェイで下山、というようなものを考えていましたが、さすが北アルプス。やはり東京まで帰ろうとすると、いろいろむずかしい。悪戦苦闘して、以下のような計画になりました。
◆往路
A)あずさ3号(0638千葉→0730新宿→0752立川→1023松本)
B)あずさ5号(0800新宿→0825立川→1037松本着)→南小谷
✭1045(松本電鉄)松本駅始発→1130新島々→バスに乗り換え1235上高地へ
運賃は電車710円+バス2,550円
*もし松本〜上高地の往復割引などがあっても購入しないでください。3日目は平湯温泉からの帰途になります。帰路は松本駅から特急で、その日のうちに帰るという計画で行動します。
◆現地行動
*第1日(7/16)
1300ごろ_上高地バスターミナルを出発────平坦6パワーを1時間として
1400ごろ_明神────登り19パワーを2時間半として
1630ごろ_徳本峠小屋
1730ごろ_夕食
*第2日(7/17)
0530ごろ_朝食
0700ごろ_サブザックで出発────稜線25パワーを3時間として
1000ごろ_K1ピーク────稜線5パワーを小1時間として
1100ごろ_霞沢岳山頂────稜線30パワーを3時間として
1400ごろ_徳本峠小屋────下り19パワーを(予備時間も含めて)2時間半として
1630ごろ_明神・明神館泊まり、展望風呂で入浴
1800ごろ_夕食
*第3日(7/18)
0300ごろ_起床。弁当朝食
0400ごろ_出発────平坦6パワー(3km)を1時間として
・長野県のこの日の日の出時刻は0442
0500ごろ_河童橋────平坦8パワーを1時間として
0600ごろ_登山口(上湯沢)────登り18パワーを2時間半として
0830ごろ_焼岳小屋────焼岳往復12✕2パワーを3時間として
1130ごろ_焼岳小屋────下り33パワーを(予備時間も含めて)4時間として
1530ごろ_中尾高原口バス停
・バスの時刻によって入浴はここか、平湯温泉で
*中尾高原口バス停(平湯温泉方面)は1359、1459,1559、1659、1759、1859。
*平湯温泉→松本バスターミナルは1455→1623、1555→1723、1755→1923。……2,800円
*平湯温泉→新宿は1500→2045、1710→2255。……5,800円
✭特急あずさ
*特急あずさ50号……1720松本→2008新宿→2050千葉
*特急あずさ54号……1840松本→2115新宿
*特急あずさ60号……2010松本→2245新宿
【行動記録から】
・0530ごろ_徳本峠小屋で朝食
・0620ごろ_徳本峠小屋を出発(標高約2,140m)
・0715-20ごろ_休憩(標高約2,300m)
・0740-45ごろ_ジャンクションピークで休憩(標高=2,428m)
・0830-40ごろ_✭小池のたもとで休憩(標高=2,261m?)
・0850ごろ_「P2迂回路」の表示で「Original way」を選択
・0910-15ごろ_雨具の準備(標高約2,300m)
・0935ごろ_お花畑の斜面に斜面に入る(標高約2,300m)
・1000-15ごろ_休憩(標高約2,400m)
✭ここから伊藤がトップとなり、以下順列を固定して行動することに
✭今夏、雪解け後の登山者がまだ少数だということで、ルートの状態が未知数のため。
・1055-1100ごろ_休憩(標高約2,500m)
・1110-15ごろ_「K1ピーク」で休憩(標高=2,567m)
・1205ごろ_登山道崩落地点を通過
・1210-20ごろ_霞沢岳山頂(標高=2,646m)
✭登山道はここまで。引き返す
・1225ごろ_再び登山道崩落地点
・1305ごろ_再び「K1ピーク」(標高=2,567m)
・1325-30ごろ_登山道補修資材(1103に通過)で休憩
・1420ごろ_お花畑を下り切る。ほぼ0935の地点(標高約2,300m)
・1435-40_休憩。行動を従来の「トップ10分交代制」にもどす(標高約2,300m)
・1500ごろ_0850ごろの「P2迂回路」を今度は「Easy Way」を選択
・1510ごろ_0830-40に休憩した小池を通過
・1615-30ごろ_ジャンクションピークで電話が通じた。
✭計画から3時間半遅れながら、全員元気と徳本峠小屋や明神館に連絡
・1705-15ごろ_徳本峠小屋で下山準備(標高約2,140m)
・1825-35ごろ_昨日1515ごろに渡った橋が帰路では危険なため、石積を整備して通過
・1905ごろ_明神の明神館に到着(標高約1,530m)
✭明神館では19時までの夕食と20時までの入浴を、それぞれ1時間遅らせてくださりました。時間外となったたくさんのスタッフのみなさんの好意的な対応にはほんとうに感謝いたします。野外施設に近い乾燥室も使わせていただきました。
*第3日(7/18)
・0700ごろ_前日16時の段階で予定を変更し「弁当朝食」を「朝食」に変えていただきました。
・0840ごろ_明神の明神館を出発標高約(標高約1,530m)
・0845ごろ_明神橋を渡る(標高=1,829m)
・0855-0920ごろ_入場料を払って、明神池散策
・0925ごろ_初日に歩いた「右岸歩道」を河童橋へと向かう。気温23℃
・1035ごろ_河童橋を渡って「左岸」へ(標高約1,500m)
・1050ごろ_上高地バスターミナル(標高=1,504m)
・1100から_帝国ホテルでランチと喫茶でゆったりと談笑(標高約1,510m)
・各自それぞれ上高地から帰途
第2日
05:00
・0530ごろ_徳本峠小屋で朝食
────・0620ごろ_徳本峠小屋を出発(標高約2,140m)
【撮影】05時31分=伊藤 幸司=311
【撮影】05時32分=伊藤 幸司=312
06:00
────・0530ごろ_徳本峠小屋で朝食
・0620ごろ_徳本峠小屋を出発(標高約2,140m)
────・0715-20ごろ_休憩(標高約2,300m)
【撮影】06時16分=伊藤 幸司=316
徳本峠から松本方面(ほぼ南東)にわずかに見える山は八ヶ岳連峰です。
【撮影】06時16分=伊藤 幸司=317
【撮影】06時20分=伊藤 幸司=326
徳本峠から北に見えるのはお隣さんの明神岳(2,931m)のはずなんですが、かろうじてそこにあるというだけ。
【撮影】06時20分=伊藤 幸司=329
【撮影】06時26分=伊藤 幸司=331
徳本峠小屋から展望台に上がる途中に、この道標が出ています。
【撮影】06時37分=伊藤 幸司=337
【撮影】06時39分=伊藤 幸司=338
【撮影】06時40分=伊藤 幸司=339
【撮影】06時41分=伊藤 幸司=341
【撮影】06時58分=伊藤 幸司=346
07:00
────・0620ごろ_徳本峠小屋を出発(標高約2,140m)
・0715-20ごろ_休憩(標高約2,300m)
・0740-45ごろ_ジャンクションピークで休憩(標高=2,428m)
────・0830-40ごろ_✭小池のたもとで休憩(標高=2,261m?)
【撮影】07時02分=伊藤 幸司=347
これも、見えているのは明神岳だと思います。なんだか希望の湧いてくる光景でした。
【撮影】07時14分=伊藤 幸司=353
【撮影】07時14分=伊藤 幸司=354
【撮影】07時14分=伊藤 幸司=355
【撮影】07時24分=伊藤 幸司=356
【撮影】07時24分=伊藤 幸司=357
【撮影】07時32分=伊藤 幸司=359
【撮影】07時33分=伊藤 幸司=361
【撮影】07時33分=伊藤 幸司=362
【撮影】07時35分=伊藤 幸司=363
【撮影】07時38分=伊藤 幸司=367
【撮影】07時40分=伊藤 幸司=369
この足跡でカモシカかシカかの判断はできませんが、ネット上にはこのルート上でカモシカを見たという記事がありますから、ニホンカモシカだと思います。上高地周辺でのシカの存在はゼロではないようですが、上高地ビジターセンターの「上高地で出会える動物たち」(なんと掲示年月の記載がありません)によるとシカはまだいないようです。
【撮影】07時40分=伊藤 幸司=370
【撮影】07時42分=伊藤 幸司=372
ジャンクションピークから八ヶ岳方面の展望も、見えればかなり雄大なもの、らしい、という気配までは感じられる天気になってきました。
【撮影】07時53分=伊藤 幸司=380
【撮影】07時56分=伊藤 幸司=386
08:00
────・0740-45ごろ_ジャンクションピークで休憩(標高=2,428m)
・0830-40ごろ_✭小池のたもとで休憩(標高=2,261m?)
・0850ごろ_「P2迂回路」の表示で「Original way」を選択
────・0910-15ごろ_雨具の準備(標高約2,300m)
【撮影】08時03分=伊藤 幸司=390
【撮影】08時03分=伊藤 幸司=392
【撮影】08時05分=伊藤 幸司=395
【撮影】08時11分=伊藤 幸司=399
【撮影】08時13分=伊藤 幸司=404
【撮影】08時14分=伊藤 幸司=406
【撮影】08時15分=伊藤 幸司=408
【撮影】08時15分=伊藤 幸司=409
【撮影】08時19分=伊藤 幸司=414
【撮影】08時28分=伊藤 幸司=417
この池は8月の末に来たときにもありましたから、消えることはない、のかもしれませんが、国土地理院の地図には載っていません。ジャンクションピークから下って、ここからまた登り返すというような場所にあります。
【撮影】08時42分=伊藤 幸司=422
【撮影】08時46分=伊藤 幸司=425
【撮影】08時48分=伊藤 幸司=427
このモダンなデザインの標識の「P2」の意味がわかりませんでしたが、地形図にある標高=2,261mの小ピークを「P2」と名付けた人があるらしいのです。その意味がわからないので「迂回路」ではない「Original way」を進みました。
【撮影】08時57分=伊藤 幸司=431
09:00
────・0850ごろ_「P2迂回路」の表示で「Original way」を選択
・0910-15ごろ_雨具の準備(標高約2,300m)
・0935ごろ_お花畑の斜面に斜面に入る(標高約2,300m)
────・1000-15ごろ_休憩(標高約2,400m)
【撮影】09時07分=伊藤 幸司=432
【撮影】09時23分=伊藤 幸司=436
【撮影】09時29分=伊藤 幸司=438
【撮影】09時30分=伊藤 幸司=439
【撮影】09時36分=伊藤 幸司=447
【撮影】09時37分=伊藤 幸司=448
天気は雨っぽくなって、ガスも立ち込めてきました。でもこの光景は覚えています。霞沢岳へのルート上に出現する本格的なお花畑の入口です。8月下旬にはこのあたりからすでに花の咲き乱れる広大な斜面でしたが、この風景では熊さんの食事場所という感じでした。
【撮影】09時40分=伊藤 幸司=452
【撮影】09時40分=伊藤 幸司=453
【撮影】09時41分=伊藤 幸司=454
この時期のお花畑の主役はヤブカンゾウでした。
【撮影】09時45分=伊藤 幸司=455
お花畑に期待した斜面を登りきって、ちょっと下ると、極小の沢沿いにキヌガサソウもありました。ここまでの道筋ではゴゼンタチバナとマイヅルソウが陣取り合戦しているような場面も何回かありました。昨日の徳本峠への登りではサンカヨウの花が終わって実がついていました。夏の花にはまだ早いとしても、ポピュラーなシナノキンバイの黄色や、ハクサンイチゲの白やらが、もう少しあってもよかろうに、と思いました。
【撮影】09時45分=伊藤 幸司=456
【撮影】09時48分=伊藤 幸司=459
【撮影】09時50分=伊藤 幸司=461
10:00
・1000-15ごろ_休憩(標高約2,400m)
✭ここから伊藤がトップとなり、以下順列を固定して行動することに
✭今夏、雪解け後の登山者がまだ少数だということで、ルートの状態が未知数のため。
・1055-1100ごろ_休憩(標高約2,500m)
【撮影】10時01分=伊藤 幸司=464
私はここで陣容を組み替えることにしました。ここ10年ちかく続けてきた「トップの10分交代」をやめて、リーダーである私がトップに出て、みなさんの順番も指定したのです。以前、コロナもなく、みなさんが若い頃には北アルプスも「一般ルート」なら積極的に歩いてきました。けっこう怪しい歩き方をしている人も受け入れてきたのです。そこでこの霞沢岳往復のルートで、転倒事故の起きそうなメンバーがいることと、その日東京に戻る予定にしてあって、下山時刻に縛られていたのとで、「あと1時間」という最後の1区間を諦めていただいて、K1ピーク(標高=2,567m)から引き返したのです。
その記憶の中に、北アルプスの縦走ルートのどこかの記憶が重なっていたらしく、転落の危険のあるトラバースがいくつかある、と思い込んでいたのですね。小屋の情報でも雪解け後、まだほとんど人が歩いていないということで、引き返す状況もあるかもしれないと考えて、私自身がルートハンティングする体制をとったのです。
✭したがって、これからの写真では、進行方向に人はいず、振り返った写真にみなさんが写っています。
【撮影】10時21分=伊藤 幸司=466
【撮影】10時24分=伊藤 幸司=468
【撮影】10時24分=伊藤 幸司=470
【撮影】10時28分=伊藤 幸司=474
【撮影】10時28分=伊藤 幸司=477
【撮影】10時30分=伊藤 幸司=480
【撮影】10時34分=伊藤 幸司=485
【撮影】10時43分=伊藤 幸司=490
あとで分かったことですが、これから先は稜線を律儀に登って、登って、下って、登るという道になりました。(ドラマチックなトラバースなどはなくて)
【撮影】10時50分=伊藤 幸司=494
【撮影】10時54分=伊藤 幸司=495
【撮影】10時58分=伊藤 幸司=497
11:00
────・1055-1100ごろ_休憩(標高約2,500m)
・1110-15ごろ_「K1ピーク」で休憩(標高=2,567m)
────・1205ごろ_登山道崩落地点を通過
【撮影】11時03分=伊藤 幸司=498
【撮影】11時08分=伊藤 幸司=499
【撮影】11時09分=伊藤 幸司=500
【撮影】11時10分=伊藤 幸司=501
【撮影】11時11分=伊藤 幸司=503
【撮影】11時13分=伊藤 幸司=505
【撮影】11時13分=伊藤 幸司=506
【撮影】11時16分=伊藤 幸司=508
【撮影】11時17分=伊藤 幸司=513
【撮影】11時18分=伊藤 幸司=516
【撮影】11時18分=伊藤 幸司=520
【撮影】11時21分=伊藤 幸司=522
【撮影】11時23分=伊藤 幸司=524
【撮影】11時27分=伊藤 幸司=525
【撮影】11時27分=伊藤 幸司=527
【撮影】11時33分=伊藤 幸司=529
【撮影】11時33分=伊藤 幸司=532
【撮影】11時35分=伊藤 幸司=535
【撮影】11時42分=伊藤 幸司=536
【撮影】11時53分=伊藤 幸司=539
12:00
────・1110-15ごろ_「K1ピーク」で休憩(標高=2,567m)
・1205ごろ_登山道崩落地点を通過
・1210-20ごろ_霞沢岳山頂(標高=2,646m)
✭登山道はここまで。引き返す
・1225ごろ_再び登山道崩落地点
────・1305ごろ_再び「K1ピーク」(標高=2,567m)
【撮影】12時02分=伊藤 幸司=541
【撮影】12時02分=伊藤 幸司=542
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=543
【撮影】12時05分=伊藤 幸司=544
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=547
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=548
ともかく、K1ピークから先の1時間は進むにつれて次々に同じような小ピークが出てくるという「疲れる道」でした。そのような小ピークは濃い霧の中から然るべき順番で現れてきたのですが、晴れていたらとっくに登る気を失わさせるようなデコボコの稜線として見えるのか、あるいは次々に山陰から登場してくるエンドレスな雰囲気の稜線なのか、どうなんでしょうね。その1時間のドラマとしては。
【撮影】12時22分=伊藤 幸司=550
【撮影】12時24分=伊藤 幸司=551
【撮影】12時24分=伊藤 幸司=552
【撮影】12時24分=伊藤 幸司=553
【撮影】12時24分=伊藤 幸司=555
この場所は12時04分の写真の崩落現場を見ています。登山道の道際が絶壁だった、というのではなく、登山道が崩落して、左手に迂回路ができているという状況がこれでわかります。丹沢でよく見るような崩落現場が、ここにもあった、ということです。
【撮影】12時25分=伊藤 幸司=556
【撮影】12時27分=伊藤 幸司=557
【撮影】12時27分=伊藤 幸司=558
【撮影】12時28分=伊藤 幸司=560
【撮影】12時28分=伊藤 幸司=561
13:00
────・1110-15ごろ_「K1ピーク」で休憩(標高=2,567m)
・1205ごろ_登山道崩落地点を通過
・1210-20ごろ_霞沢岳山頂(標高=2,646m)
✭登山道はここまで。引き返す
・1225ごろ_再び登山道崩落地点
────・1305ごろ_再び「K1ピーク」(標高=2,567m)
【撮影】13時01分=伊藤 幸司=563
この写真を見て、世の識者は「なんでこんな危ない登り方をさせるんだ!」と強い口調で非難されます。西鎌尾根から槍ヶ岳に登ったときも、長い階段をこの格好で上り下りしたので、強い口調で叱られたりもしました。
もちろん、ストックをたたんでザックにしまい(ピッケルなどをしまわずに手から放す方法もありますよね)、三点支持できちんと登り下りするのが正しい方法だということは、もちろん私は知っています。ストックを持っていても三点支持での行動はできますが、ストックが邪魔をして危険な状態になるかもしれない……ということは想定できます。その「邪魔な感じ」を悪と見るか、善と見るかが違う、と私は言いたいのです。
この場合、私は、つまらない事故が起こりそうな場所にいて、みなさんに「三点支持」を指示しています。そのときに、邪魔なストックの裁き方をよりよく見ているつもりなんです。みなさんには何度も説明していますが、私は精神状態を見ているのです。ストックをさばく余裕のない人がいたら「安全重視」の次の方法に切り替えたいと考えているのです。ストックをさばきながら行動しているあいだは、(危険がないとはいいませんが)あせらずに行動してもらえばいいのです。(たった一か所、たった一ステップの難易度が高い場合、そこに補助ロープを投入するかどうかの判断は、いつも難しいなと思いますけれど、一般ルートでは、糸の会の皆さんは、焦らなければなんとか通過してくれますね)
【撮影】13時14分=伊藤 幸司=564
【撮影】13時17分=伊藤 幸司=565
ふたたびK1ピークに戻りました。やれやれ、ですが、封印していたもっと大きな問題がここで浮上して来るのです。
計画書では霞沢岳の山頂が11時、1時間で戻ったとしてここが12時の予定でした。しかし計画では「7時に小屋を出発」としたところ、今日は6時20分に出発しています。本来なら弁当朝食にして日の出1時間前に出発すべきところを、山小屋の朝食にこだわってのんびりと出発したのです。計画では14時に徳本峠小屋に戻り、2時間下って16時30分に明神の明神館に到着、としておきました。
つまり6時半に出発して往路このK1ピークに到着したのが11時でしたから、4時間半かかっています。帰路で時間が縮まらなければ徳本峠小屋に着くのは18時になります。そこから明神に下るとなると20時を過ぎます。問題は私の計算は休憩込みで、下りも「登りの時間」ですから通常はそこに「予備時間」が隠されていて、リーダーはそれを自分の判断で使えることになっています。いちおう徳本峠小屋到着予定は14時、明神館到着予定は16時半としてきましたから、予定より遅れることは確実ですが、その遅れをこれからの道筋でどれほど縮められるか、がリーダーのシゴトとなってくるのです。安全に、かつできるだけ早く下山するというのが第一課題として浮上してきたのです。
【撮影】13時26分=伊藤 幸司=568
これからの長い下りを前にして、休憩をとりました。スピーディーに、かつ安全に、という歩き方の新たな切り替えが必要でした。
【撮影】13時34分=伊藤 幸司=570
【撮影】13時40分=伊藤 幸司=572
【撮影】13時44分=伊藤 幸司=573
【撮影】13時49分=伊藤 幸司=574
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=577
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=578
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=579
14:00
────・1325-30ごろ_登山道補修資材(1103に通過)で休憩
・1420ごろ_お花畑を下り切る。ほぼ0935の地点(標高約2,300m)
・1435-40_休憩。行動を従来の「トップ10分交代制」にもどす(標高約2,300m)
────・1500ごろ_0850ごろの「P2迂回路」を今度は「Easy Way」を選択
【撮影】14時03分=伊藤 幸司=580
【撮影】14時10分=伊藤 幸司=584
【撮影】14時10分=伊藤 幸司=585
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=586
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=587
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=588
また、キヌガサソウのところまで戻ってきました。大きなお花畑を登りきった、その裏です。
【撮影】14時14分=伊藤 幸司=589
【撮影】14時17分=伊藤 幸司=590
【撮影】14時18分=伊藤 幸司=591
【撮影】14時19分=伊藤 幸司=593
アッという間にお花畑を下りきって、稜線の道に入ります。
【撮影】14時25分=伊藤 幸司=594
【撮影】14時41分=伊藤 幸司=596
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=598
【撮影】14時59分=伊藤 幸司=599
「F2」の迂回路は、どんどは「Easy way」という「U回路」に入りました。
15:00
・1500ごろ_0850ごろの「P2迂回路」を今度は「Easy Way」を選択
・1510ごろ_0830-40に休憩した小池を通過
────・1615-30ごろ_ジャンクションピークで電話が通じた。
【撮影】15時01分=伊藤 幸司=602
【撮影】15時03分=伊藤 幸司=603
【撮影】15時04分=伊藤 幸司=605
【撮影】15時12分=伊藤 幸司=609
【撮影】15時17分=伊藤 幸司=610
16:00
────・1510ごろ_0830-40に休憩した小池を通過
・1615-30ごろ_ジャンクションピークで電話が通じた。
✭計画から3時間半遅れながら、全員元気と徳本峠小屋や明神館に連絡
────・1705-15ごろ_徳本峠小屋で下山準備(標高約2,140m)
【撮影】16時14分=伊藤 幸司=611
前の写真とこの写真の間におよそ1時間が挟まれています。写真番号でいうと「610」と「611」ですから、写真を撮っていない1時間ですね。
じつはお花畑から稜線の道に入って、14時35分に休憩、いつもの「先頭10分交代」の行動に戻りました。その体制で「F2」の「U回路」を抜け、15時12分に「標高=20261m?」の小池のところから標高=2,428mのジャンクションピークへと登り始めたのです。
私は先行してここで携帯電話の電波を探り、かろうじて徳本峠小屋と明神館との連絡がとれたのです。徳本峠小屋が17時、明神館が19時ということで。もちろん徳本峠小屋は私たち老人チームがダブルストックをチャラチャラしていることから、事故(ではなくても遅れて夕闇に追いつかれるなど)を心配されていたはずですし、明神館では電話を受けたのがほぼ到着予定時刻ですからスタッフ対応にいろいろ問題が想定される状態でした。とりあえず「夕食は19時まで」「入浴は20時まで」「翌朝の朝食弁当を宿での朝食に切り替えられるかはスタッフと相談してみる」というところまで相互確認できました。ともかく「計画から3時間半遅れながら、全員元気」ということを伝えられたのです。
【撮影】16時32分=伊藤 幸司=612
17:00
────・1615-30ごろ_ジャンクションピークで電話が通じた。
✭計画から3時間半遅れながら、全員元気と徳本峠小屋や明神館に連絡
・1705-15ごろ_徳本峠小屋で下山準備(標高約2,140m)
────・1825-35ごろ_昨日1515ごろに渡った橋が帰路では危険なため、石積を整備して通過
【撮影】17時06分=伊藤 幸司=613
【撮影】17時07分=伊藤 幸司=614
【撮影】17時14分=伊藤 幸司=616
徳本峠小屋に預かっておいてもらったものをザックに詰めてすぐに出発。
【撮影】17時38分=伊藤 幸司=626
【撮影】17時38分=伊藤 幸司=630
【撮影】17時50分=伊藤 幸司=634
【撮影】17時52分=伊藤 幸司=637
【撮影】17時55分=伊藤 幸司=642
【撮影】17時59分=伊藤 幸司=648
18:00
────・1705-15ごろ_徳本峠小屋で下山準備(標高約2,140m)
・1825-35ごろ_昨日1515ごろに渡った橋が帰路では危険なため、石積を整備して通過
────・1905ごろ_明神の明神館に到着(標高約1,530m)
【撮影】18時21分=伊藤 幸司=649
【撮影】18時33分=伊藤 幸司=650
往路崩れかかった木橋で渡った沢は、石積みをすこし補強して、靴を濡らさずに渡れるようにしました。この日の日没時刻は計画書にあって「長野県で日の入り19時05分」。日没後1時間は無灯火で行動できますし、もちろん私たちはライトは準備しています。しかし、それでも、日没30分前に通過できたことで私の心配はもう、明神館でメシが食べられるかどうかという一点に絞られました。
【撮影】18時37分=伊藤 幸司=651
19:00
────・1825-35ごろ_昨日1515ごろに渡った橋が帰路では危険なため、石積を整備して通過
・1905ごろ_明神の明神館に到着(標高約1,530m)
✭明神館では19時までの夕食と20時までの入浴を、それぞれ1時間遅らせてくださりました。時間外となったたくさんのスタッフのみなさんの好意的な対応にはほんとうに感謝いたします。野外施設に近い乾燥室も使わせていただきました。
【撮影】19時01分=伊藤 幸司=652
【撮影】19時01分=伊藤 幸司=653
【撮影】19時04分=伊藤 幸司=654
【撮影】19時15分=伊藤 幸司=655
明神館には19時05分に着きました。宿のスタッフのみなさんが全員、嫌味のない笑顔で私たちを迎えてくれたのは幸運でした。会計処理をし、暖かくしてくれていた夕食をフルスペックでいただきましたが、それは夕食時間を1時間延長していただき、さらに風呂も1時間延長していただけたということで、私たちは食後乾燥室に案内してしただいたりしてほとんど定時到着の客の気分で夜を迎えることができました。
私たちは、スタッフのみなさんの役割がほとんどわからぬままいわれるがままに行動したのですが、外国人スタッフも多いなか、日本人スタッフや、おそらく経営側の方々も、どこか全員がニコニコ顔で連携している感じ。説明されながら仕事しているスタッフもいるなかで、この宿にものすごい安心感を感じました。シーズン直前の教育期間中という感じも好感のもてる光景として映りました。
これまでは正直なところ、売店と半端な宿泊施設という目で見ていて、ほとんど一歩も踏み入れたこともなかったのですが、電話に出たスタッフの方の、私たちの怪しい行動に対しての予測も的確で、90周年を迎えたというこの明神館のいろいろなメッセージを翌朝には読ませていただきました。そこに漂う「主人」の誇りを感じながら。
第3日
05:00
06:00
07:00
・0700ごろ_前日16時の段階で予定を変更し「弁当朝食」を「朝食」に変えていただきました。
────・0840ごろ_明神の明神館を出発標高約(標高約1,530m)
【撮影】05時54分=伊藤 幸司=657
【撮影】07時00分=伊藤 幸司=658
【撮影】07時57分=伊藤 幸司=659
【撮影】07時57分=伊藤 幸司=660
【撮影】07時57分=伊藤 幸司=661
【撮影】07時58分=伊藤 幸司=662
【撮影】07時58分=伊藤 幸司=664
08:00
────・0700ごろ_前日16時の段階で予定を変更し「弁当朝食」を「朝食」に変えていただきました。
・0840ごろ_明神の明神館を出発標高約(標高約1,530m)
・0845ごろ_明神橋を渡る(標高=1,829m)
・0855-0920ごろ_入場料を払って、明神池散策
【撮影】08時34分=伊藤 幸司=665
【撮影】08時34分=伊藤 幸司=666
【撮影】08時38分=伊藤 幸司=667
【撮影】08時38分=伊藤 幸司=668
【撮影】08時42分=伊藤 幸司=671
【撮影】08時43分=伊藤 幸司=674
【撮影】08時44分=伊藤 幸司=676
梓川は「東京電力の川」といっていいのです。そのことをアピールするために、ダイヤモンド社のBOX編集部というところで請け負っていた東京電力の200V普及のための不定期広報誌『WAT』で穂高岳山荘の取材をしました。「3000mの電化生活 北アルプス・穂高岳山荘の密かな実験」ということで、小屋の中に秘密のオーディオルームがあり、トイレの廃物を天日干ししたものを燃料にしてスタッフ用の風呂を沸かすなど、アイディアマンの2代目オーナー今田英雄さんからいろいろな話をうかがいましたね。とくに太陽光と風力で得た電気はバッテリーに蓄え、そこにジーゼル発電機からの電気を加えてAC100V機器のほか、DC24VとDC12Vの機器も自由に使えるようにして、下界から持ち上げた電気機器を最善の方法で使えるようにしたのです。その電気系統図も使わせてもらいました。
それはそれで思い出に残る体験でしたが、東京電力の担当者とカメラマンで取材したのは1991年10月3日から5日。そのとき涸沢はじつに見事な紅葉でした。梓川の流れを見るとき、いつも思い出すラッキーな取材でした。
【撮影】08時44分=伊藤 幸司=678
昨日、霞沢岳からきちんと見たかった明神岳が、なぜか今朝は「きちんと」見えているんですね。
【撮影】08時44分=伊藤 幸司=679
【撮影】08時47分=伊藤 幸司=683
【撮影】08時48分=伊藤 幸司=685
【撮影】08時48分=伊藤 幸司=686
【撮影】08時48分=伊藤 幸司=687
【撮影】08時54分=伊藤 幸司=688
【撮影】08時55分=伊藤 幸司=690
3日目の焼岳登山は、昨日中に取りやめました。焼岳にきちんと登らなくても、霞沢岳が見えるところまで、できれば登っておきたいという希望も今朝にはなしにしました。Aさんが家庭の事情で朝のうちに帰路につきました。だから3日目はナシにしたのです。
できれば山のひだやの「カフェ・ド・コイショ」でコーヒーを飲みたいと思いましたし、昔のように嘉門次小屋でイワナの塩焼きを食べるのもいいかな、などと選択肢を考えていましたが、500円の入場料を払って明神池でのんびりとした時間を過ごすことにしました。冬だと無料ですけれど、ね。
【撮影】08時55分=伊藤 幸司=691
【撮影】08時57分=伊藤 幸司=693
【撮影】08時57分=伊藤 幸司=694
【撮影】08時58分=伊藤 幸司=695
09:00
────・0855-0920ごろ_入場料を払って、明神池散策
・0925ごろ_初日に歩いた「右岸歩道」を河童橋へと向かう。気温23℃
────・1035ごろ_河童橋を渡って「左岸」へ(標高約1,500m)
【撮影】09時04分=伊藤 幸司=696
【撮影】09時04分=伊藤 幸司=698
【撮影】09時05分=伊藤 幸司=699
【撮影】09時05分=伊藤 幸司=700
【撮影】09時08分=伊藤 幸司=705
【撮影】09時12分=伊藤 幸司=706
【撮影】09時18分=伊藤 幸司=714
【撮影】09時19分=伊藤 幸司=716
【撮影】09時21分=伊藤 幸司=720
【撮影】09時22分=伊藤 幸司=721
【撮影】09時23分=伊藤 幸司=722
【撮影】09時23分=伊藤 幸司=723
【撮影】09時24分=伊藤 幸司=724
【撮影】09時24分=伊藤 幸司=725
【撮影】09時27分=伊藤 幸司=726
一昨日、左岸の道が閉鎖されてやむなくたどってきた右岸の道を今日もたどります。私にはふだんなかなか通れないこの道を往復歩けるというのはラッキーでした。
【撮影】09時28分=伊藤 幸司=727
【撮影】09時39分=伊藤 幸司=731
【撮影】09時41分=伊藤 幸司=732
【撮影】09時44分=伊藤 幸司=734
【撮影】09時45分=伊藤 幸司=736
【撮影】09時46分=伊藤 幸司=738
【撮影】09時46分=伊藤 幸司=739
【撮影】09時50分=伊藤 幸司=741
【撮影】09時51分=伊藤 幸司=742
【撮影】09時53分=伊藤 幸司=744
【撮影】09時53分=伊藤 幸司=745
【撮影】09時54分=伊藤 幸司=746
頑張って今日登ったかもしれない焼岳が見えました。計画が安易でしたね。……でも、なかなかきちんと見ることのできない霞沢岳が、きちんと見えるところまで登るという可能性は残っています。多分、もう消えかかっているプランですけれど。
10:00
────・0925ごろ_初日に歩いた「右岸歩道」を河童橋へと向かう。気温23℃
・1035ごろ_河童橋を渡って「左岸」へ(標高約1,500m)
・1050ごろ_上高地バスターミナル(標高=1,504m)
────・1100から_帝国ホテルでランチと喫茶でゆったりと談笑(標高約1,510m)
【撮影】10時10分=伊藤 幸司=752
【撮影】10時13分=伊藤 幸司=753
【撮影】10時13分=伊藤 幸司=754
【撮影】10時15分=伊藤 幸司=755
【撮影】10時16分=伊藤 幸司=758
【撮影】10時16分=伊藤 幸司=760
【撮影】10時17分=伊藤 幸司=761
【撮影】10時18分=伊藤 幸司=762
【撮影】10時18分=伊藤 幸司=764
【撮影】10時19分=伊藤 幸司=765
【撮影】10時19分=伊藤 幸司=766
帰って調べてみましたが、一番奥に見えているのが霞沢岳かどうか確定できません。ともかく、私たちは恐竜の背骨みたいな稜線をガスに包まれたまま、霞沢岳まで往復したのです。
【撮影】10時19分=伊藤 幸司=768
【撮影】10時21分=伊藤 幸司=770
【撮影】10時22分=伊藤 幸司=773
【撮影】10時24分=伊藤 幸司=774
【撮影】10時28分=伊藤 幸司=775
【撮影】10時29分=伊藤 幸司=778
河童橋の入口のところです。ほぼ中央に奥穂高岳があり、右の前穂高岳へと吊尾根が伸びています。そこから下る谷の入り口に岳沢小屋があるのですが、探しているうちに見えなくなったりして意地になりました。超望遠で次の写真を撮りましたが、また見つからなくなりました。
【撮影】10時31分=伊藤 幸司=780
【撮影】10時34分=伊藤 幸司=781
絵のような清流ですね。じつは下山時に徳沢から明神あたりまでで梓川を見ていると、ボートで川下りするときの要領でザックを防水し、背負ったまま飛び込むと快適なボディラフテイングができるのです。1991年にテレビの深夜番組にミニ番組をもって、アウトドアシリーズを10本(月〜金で、毎日5分だかの連載)やったのですが、そのなかに「ながれに身を委ねる・ボディラフティング」というのがあります。ザックのベルトを長くして腰まで下ろして前向きに下ると、流される安楽椅子になるのです。
下山を楽にする梓川下りをやりたかったのですが、じつはその河川管理としての浚渫や流路の手入れは東京電力がやっていて、冬になると、石を金網で包んだものを放り込んでいたんですね(現在は違う方法をとっているように見えますが)、その金網の針金など(人工物)が水の流れの中に飛び出していたりすると凶器になります。そういう意味で、いつは危険な川だったのです。
川下りで転覆したりすると、荷物はどんどん流されますが心配ご無用、下流の蛇行の中で拾われるのを待っていてくれるからです。そういう川の流れを知ると、流れの中央にいるかぎり、水流は早く・滑らかなのです。こんな流れは最高ですね。……なんて夢想してしまいました。
マンガ雑誌のネタとして川遊びで有名な川でロケハンと称してやったときに、もうひとつ気づいたことがあります。プカプカ浮きながら快適に下りつつ、そこで手を振ったりすると、そのことが救助を求めていると誤解される可能性があるのです。ここでだってだれが、どういう目で見ることになるかわかりません。いい流れですけれど。
【撮影】10時34分=伊藤 幸司=783
【撮影】10時36分=伊藤 幸司=784
【撮影】10時36分=伊藤 幸司=787
【撮影】10時36分=伊藤 幸司=788
【撮影】10時37分=伊藤 幸司=789
【撮影】10時37分=伊藤 幸司=791
【撮影】10時37分=伊藤 幸司=792
【撮影】10時37分=伊藤 幸司=793
【撮影】10時42分=伊藤 幸司=795
【撮影】10時51分=伊藤 幸司=796
私たちはバスターミナルで帰路のバスを予約して、それからさらに、すこし進んだのです。
【撮影】10時51分=伊藤 幸司=797
【撮影】10時52分=伊藤 幸司=798
【撮影】10時52分=伊藤 幸司=799
【撮影】10時53分=伊藤 幸司=800
【撮影】10時53分=伊藤 幸司=801
11:00
12:00
・1100から_帝国ホテルでランチと喫茶でゆったりと談笑(標高約1,510m)
────・各自それぞれ上高地から帰途
【撮影】11時01分=伊藤 幸司=804
【撮影】11時01分=伊藤 幸司=806
帝国ホテルでランチをして、それからロビーでティータイム、という予定。それで今日の予定は終了ということになりました。
【撮影】11時27分=伊藤 幸司=807
一番安い部類の野菜カレーはけっこうなお味でしたが、消費税・サービス料込で3,600円、私たちがときどき利用していたころにはもう一段こころやすい印象の値段で、しかもコーヒーがついていました。私は食前に飲みたい方なので、うれしかったですね。
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=808
【撮影】12時27分=伊藤 幸司=809
みなさんは食後ロビーでのんびりして、時間が来たらバス通りの停留所から帰途につくということで、私は平湯から新宿行のバスに乗ることにしました。見渡すと、登山者でここまでお茶しに来た感じの人が何人かいて、それぞれゆったりとしていました。病弱だったOさんは中学生ころまで、毎年このホテルに避暑に来ていたそうで、建物は変わっているけれどベランダでのんびり過ごしているときに、大きなザックを背負った人たちが行き来する姿を見ていたそうです。
ロビーでの喫茶に関して私は大きな疑問をひとつもっていました。コーヒーを飲んでいると「いかがですか」とおかわりをすすめられるのですが、そのうちに紅茶のおかわりもすすめられて、もちろん「ありがとう」なんですが、どうしてそんな「お得」なことになるのだろうかと、けっこう大きな疑問になっていたのです。それが今回、はっきりと、コーヒーでも紅茶でもお変わりできるように、同じカップで出されているのだと知ったのです。みなさんはもちろんケーキ付きですが、私はコーヒーのみ。1,300円でこの場所とこのおかわりは驚くほど安価だと思いました。
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