コースタイム写真
唐沢山 からさわやま────241m
諏訪岳(すわだけ・中村富士)────324m
2024.8.6

■コーチのひとこと・ふたこと
■写真参加──山咲 野の香

■山旅図鑑・目次
■コースタイム写真・目次
◆糸の会【1312】
◆唐沢山
唐沢山(からさわやま)────241m
諏訪岳(すわだけ・中村富士)────324m
登り6p→稜線16p→下り10p────32パワー
日の出0451ごろ、日の入り1842ごろ────8.6栃木県で
◆JR両毛線・佐野駅から────2024.8.6(火)実施
◆集合
8.6(火)0829東京発の上野東京ライン・普通・宇都宮行きの前方2両目に
◆ポイント
*なんだか、どうだか、日本一暑い(こともある)佐野の、標高250mほどの城跡を見に行きます。ほんとうに暑いかどうかは保証の限りではありません。いい風だって吹きそうだし、道は緑の中みたいですし。
*と言ったって、人間の生活空間は暑いはずですから、できるかぎりタクシーでびゆ〜んと跳ばしていきたいと考えています。
◆往路
*0829東京(JR上野東京ライン・東北本線・宇都宮行き)────0955小山
(0606沼津始発→0758横浜→0819品川→0829東京→0848赤羽→0907大宮→0955小山)
*1013小山始発(JR両毛線・高崎行き)────1043佐野
*タクシーで出発地点の露垂根(つゆしね)神社へ
◆往路参考
東北新幹線(なすの255号)……0916東京→0922上野→0941大宮→0956小山
◆現地行動
1130ごろ_露垂根(つゆしね)神社を出発────登り6パワーを1時間として
1230ごろ_唐沢山────稜線15パワーを2時間として
1430ごろ_諏訪岳────下り10パワーを1時間として
1530ごろ_東武線多田駅
*タクシーで佐野安らぎの湯へ?
*入浴は佐野安らぎの湯…0283-24-2617_1000-2400_750円_食事可_佐野駅からバス15分





【行動記録から】
★最寄り駅はJR両毛線・佐野駅
1045ごろ_タクシーで佐野駅を出発
1105-15ごろ_出発地点の露垂根(つゆしね)神社で準備(標高約60m)
1200-25ごろ_唐沢山山頂(唐沢山神社、唐沢山城跡)で休憩(標高=241m)
1240ごろ_全員社務所裏のトイレを終えて出発
1245ごろ_京路戸峠への道(関東ふれあいの道、2.7km)始まる(標高約230m)
1250ごろ_林道から歩道・松風の道(京路戸峠へ2.3km)に入る(標高約200m)
1305ごろ_標識「休憩所0.1km」に従う
1310-20ごろ_電波塔(佐野市消防本部唐沢山無線基地局)で休憩(標高約270m?)
1325ごろ_下ると反対側の標識「休憩所0.1km」があって林道に出る
・林道からすぐに関東ふれあいの道が分岐「京路戸峠1.3km」(標高約250m)
1345ごろ_小ピークをいくつか越えて「←2.5km唐沢山神社■京路戸峠→0.4km」という道標
1400-10ごろ_京路戸峠で休憩(標高約210m)
1415ごろ_「←0.3km京路戸峠■村桧神社1.1km→」の標識(標高約250m)から諏訪岳へ
1435-50ごろ_諏訪岳山頂(標高=324m)
1500ごろ_諏訪岳分岐にもどる(標高約250m)
1510ごろ_京路戸峠に戻り、東武・多田駅方面へ下る(標高約210m)
1530ごろ_京路戸公園でタクシーを待つ(標高約90m)
・佐野安らぎの湯で入浴・食事
・1800ごろ_タクシーで佐野駅着。JR両毛線・佐野駅から帰途



10:00

★最寄り駅はJR両毛線・佐野駅
1045ごろ_タクシーで佐野駅を出発
────1105-15ごろ_出発地点の露垂根(つゆしね)神社で準備(標高約60m)



〓
【撮影】10時01分=山咲 野の香=8613

〓
【撮影】10時35分=伊藤 幸司=009
JR両毛線で佐野駅のひとつ手前は岩舟駅。この独特の岩山がこのエリアのランドマークと感じることが多々あります。高勝寺への長い階段もなかなかのもんですね。
この写真で見ていただいたいのは水田と岩山との境界です。東京湾から北に直線で90kmのこの地点で標高が30mという驚くべき? 光景なんです。
つまり、利根川や渡良瀬川やその他大勢の河川が運び込んだ土砂が埋め立てたこの関東平野がなんと日本全体の面積の5%ほどにもなり、日本の平野の20%近くにもなるという、その、かつては手に負えない湿原地帯だったろうと思われる広がりの北限の風景なんです。
この岩船山は栃木市と佐野市の境にあたるのですが、栃木といえば背後に日光を背負った江戸時代の主要な商都、栃木市観光協会はこう書いています。────栃木市の発展に大きな役割をはたしてきた巴波川(うずまがわ)の舟運は、元和3年(1617)、徳川家康の霊柩を久能山から日光山へ改葬した際、御用荷物などを栃木河岸に陸上げしたことにはじまる。その後、物資の集散地として、部賀舟(べがぶね)などが往来し、江戸との交易を盛んにした。────
つまりこの、関東平野の北限まで、江戸から大型船の「高瀬舟」、中型船の「上州ひらた舟」、小型船の「部賀舟(べがぶね)」「小鵜飼船」などによって広範な物流ネットワークが構築されていたそうです。もちろん上り便では帆を張っていたようですが。


11:00

────1045ごろ_タクシーで佐野駅を出発
1105-15ごろ_出発地点の露垂根(つゆしね)神社で準備(標高約60m)
────1200-25ごろ_唐沢山山頂(唐沢山神社、唐沢山城跡)で休憩(標高=241m)



〓
【撮影】11時04分=伊藤 幸司=018
栃木市から佐野市に入るとこんどは唐沢山なんですが、国指定の山城跡という唐沢山は初体験。山としてはたかだか241mですから「モノタリナイ」という無言の批判を浴びそうなので、標高324mという諏訪岳までのミニ縦走という計画にしました。
南から北へという計画のその取り付き点としてふさわしいらしいのが「富士町の露垂根(つゆしね)神社」というので、とりあえずタクシーでそこまで行ってもらったのです。
……でなんでこの公衆トイレの写真なのかというと、これで私は大安心。なんであれ、私たちに用意された堂々たる出発点だとわかったから。

〓
【撮影】11時05分=伊藤 幸司=020

〓
【撮影】11時06分=山咲 野の香=8619

〓
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=021
むかし私はトルコの地中海沿岸でたくさんの古代ギリシャ遺跡を見たことがありますが、けっこう、そんな気分になりました。まだ確信は持てませんでしたが、これが「つゆしね神社」の入口らしいので撮りました。

〓
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=022

〓
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=023

〓
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=024
露垂根神社の入口から道を挟んでこの石碑。ここは「唐沢山神社」の入口でもあるんですね。左に行く道に「ハイキングコース」とありますが、そちらへ行ってはいけない、という以上のことはわかりません。

〓
【撮影】11時07分=山咲 野の香=8621

〓
【撮影】11時07分=伊藤 幸司=027

〓
【撮影】11時07分=伊藤 幸司=028

〓
【撮影】11時09分=伊藤 幸司=029
この案内板によると「唐沢山県立自然公園ハイキングコース」というのは唐沢山から別の道をたどって戻ってくる周回コースになっているみたいですね。

〓
【撮影】11時10分=伊藤 幸司=030

〓
【撮影】11時10分=伊藤 幸司=031
私たちが行く道は画面中央の未舗装の道のようですが、私はここでどうしても右手の看板の奥を覗いてみたいと思っていたので、早めにそれをトップの人に伝えました。出発点がどのようになっているのか、まだ釈然としないのです。

〓
【撮影】11時11分=山咲 野の香=8622

〓
【撮影】11時11分=山咲 野の香=8623

〓
【撮影】11時11分=山咲 野の香=8626

〓
【撮影】11時11分=伊藤 幸司=032

〓
【撮影】11時11分=伊藤 幸司=033

〓
【撮影】11時12分=伊藤 幸司=035

〓
【撮影】11時13分=山咲 野の香=8628

〓
【撮影】11時14分=伊藤 幸司=038

〓
【撮影】11時15分=伊藤 幸司=039

〓
【撮影】11時15分=伊藤 幸司=040

〓
【撮影】11時15分=伊藤 幸司=041

〓
【撮影】11時16分=山咲 野の香=8631

〓
【撮影】11時16分=伊藤 幸司=043
ここでようやく、スッキリした気分で歩き出せたのですが、Kさんが足元に何かを見つけました。

〓
【撮影】11時17分=伊藤 幸司=044

〓
【撮影】11時17分=伊藤 幸司=046

〓
【撮影】11時17分=伊藤 幸司=047

〓
【撮影】11時22分=山咲 野の香=8632

〓
【撮影】11時24分=伊藤 幸司=049
熱帯的猛暑のこの夏に、ときどき日本で1番暑い町となる佐野の山に来たのですから、クレージーだとは思いましたが、ひねり出した計画がそうだったのだから、 しかたがありません。ただ尾根道が樹林に覆われているらしいとわかって、ほっとしました。このあたりの温度は31℃。

〓
【撮影】11時32分=伊藤 幸司=052

〓
【撮影】11時33分=山咲 野の香=8635

〓
【撮影】11時36分=伊藤 幸司=053

〓
【撮影】11時40分=伊藤 幸司=054
けっこうしっかり維持されてきた登山道だな、と思いました。

〓
【撮影】11時43分=伊藤 幸司=056

〓
【撮影】11時47分=伊藤 幸司=059

〓
【撮影】11時49分=伊藤 幸司=062
梅林公園へという分岐。地図を見ると標高約200m、241mの山頂まであとわずかなんですね。歩き始めて30分といったところ。

〓
【撮影】11時51分=山咲 野の香=8636

〓
【撮影】11時52分=山咲 野の香=8637

〓
【撮影】11時54分=山咲 野の香=8639

〓
【撮影】11時54分=山咲 野の香=8640

〓
【撮影】11時54分=伊藤 幸司=066

〓
【撮影】11時55分=山咲 野の香=8641

〓
【撮影】11時56分=伊藤 幸司=069

〓
【撮影】11時56分=伊藤 幸司=072
レストハウス方面というのは、どうも駐車場方面、唐沢山神社方面というのは、これから階段が続くんですね。

〓
【撮影】11時57分=山咲 野の香=8642

〓
【撮影】11時57分=山咲 野の香=8643

〓
【撮影】11時57分=伊藤 幸司=075

〓
【撮影】11時58分=山咲 野の香=8645

〓
【撮影】11時58分=伊藤 幸司=076

〓
【撮影】11時58分=伊藤 幸司=077

〓
【撮影】11時58分=伊藤 幸司=078

〓
【撮影】11時58分=伊藤 幸司=079

〓
【撮影】11時59分=山咲 野の香=8647

〓
【撮影】11時59分=山咲 野の香=8648

〓
【撮影】11時59分=山咲 野の香=8649

〓
【撮影】11時59分=伊藤 幸司=080

〓
【撮影】11時59分=伊藤 幸司=081

〓
【撮影】11時59分=伊藤 幸司=083



12:00

────1200-25ごろ_唐沢山山頂(唐沢山神社、唐沢山城跡)で休憩(標高=241m)
1240ごろ_全員社務所裏のトイレを終えて出発
1245ごろ_京路戸峠への道(関東ふれあいの道、2.7km)始まる(標高約230m)
1250ごろ_林道から歩道・松風の道(京路戸峠へ2.3km)に入る(標高約200m)
────1305ごろ_標識「休憩所0.1km」に従う



〓
【撮影】12時00分=山咲 野の香=8652

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=084

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=085

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=086
これは数百個の風鈴を参道に飾る「風鈴参道」という夏のイベントということでした。
その風鈴について、佐野市観光協会の公式ポスターに「 一千年以上の歴史を歴史を誇る佐野市の伝統工芸『天明鋳物(てんみょういもの)』で作られた」とありました。
「一千年以上」というのはどういうこと? ということで調べてみると、まずは「天明鋳物」というブランドが────利休、信長、秀吉が愛した佐野市の「天明鋳物」 国の重要民俗文化財、指定へ 文化審議会が答申(東京新聞2024.1.20)────ということで「鋳物業の伝統を未来につなぐため、活動を続ける市民団体「天命鋳物伝承保存会」や市教育委員会関係者に歓喜が広がっている。」とのこと。日本史のヒーローたちが突然登場して、────「西の芦屋に、東の天明」として天下にその名を知られました。────といわれてもね。ちなみに「西の芦屋」というのは福岡県の芦屋町のことだそうです。
でも茶の湯の「天明」ブランドはおよそ400年前のこと、「一千年以上」前というのは何でしょうね。それについては────伝統ある鋳物業としての起源は平安時代、天慶2年(939年)平将門の乱のため、藤原秀郷が武具制作者として河内の国(現大阪)から5人の鋳物師を佐野に移り住まわせたことに始まりまると伝えられています。────だそうです。そしてその藤原秀郷が唐沢山に築城し、佐野氏の祖となったというのです。別名俵藤太。奥州藤原氏の秀衡とは別人です。

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=087

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=088

〓
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=089

〓
【撮影】12時01分=山咲 野の香=8655

〓
【撮影】12時01分=伊藤 幸司=090

〓
【撮影】12時01分=伊藤 幸司=091

〓
【撮影】12時01=伊藤 幸司=092

〓
【撮影】12時02分=伊藤 幸司=096

〓
【撮影】12時03分=伊藤 幸司=098

〓
【撮影】12時03分=伊藤 幸司=099

〓
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=101

〓
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=102

〓
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=103

〓
【撮影】12時05分=伊藤 幸司=104

〓
【撮影】12時06分=山咲 野の香=8656

〓
【撮影】12時06分=伊藤 幸司=106

〓
【撮影】12時12分=伊藤 幸司=107

〓
【撮影】12時13分=山咲 野の香=8658

〓
【撮影】12時13分=伊藤 幸司=109

〓
【撮影】12時13分=伊藤 幸司=110

〓
【撮影】12時14分=伊藤 幸司=111

〓
【撮影】12時16分=山咲 野の香=8661

〓
【撮影】12時16分=伊藤 幸司=112
唐沢山のてっぺんが本丸跡だとして、その周囲がどうなっているのか、諏訪岳に向かう縦走路はどこから始まるのか、休憩時間を延長して偵察に出ました。

〓
【撮影】12時16分=伊藤 幸司=113

〓
【撮影】12時17分=伊藤 幸司=115

〓
【撮影】12時17分=伊藤 幸司=116

〓
【撮影】12時17分=伊藤 幸司=117

〓
【撮影】12時17分=伊藤 幸司=118

〓
【撮影】12時20分=山咲 野の香=8666

〓
【撮影】12時20分=山咲 野の香=8667

〓
【撮影】12時25分=伊藤 幸司=119

〓
【撮影】12時25分=伊藤 幸司=120

〓
【撮影】12時26分=山咲 野の香=8675

〓
【撮影】12時27分=山咲 野の香=8679

〓
【撮影】12時27分=伊藤 幸司=122

〓
【撮影】12時28分=山咲 野の香=8680

〓
【撮影】12時28分=伊藤 幸司=123

〓
【撮影】12時28分=伊藤 幸司=124

〓
【撮影】12時29分=伊藤 幸司=127
「諏訪岳」という名前は見つかりませんでしたが、「京路戸峠」への道は社務所で訪ねると「この脇の道」とわかりました。ついでに裏側にトイレがあるということも。

〓
【撮影】12時29分=伊藤 幸司=128

〓
【撮影】12時33分=伊藤 幸司=129
後で調べると駐車場のところにトイレがあって、こちらはフツーのトイレがひとつ。けっこう長いトイレ休憩になりました。

〓
【撮影】12時38分=山咲 野の香=8682

〓
【撮影】12時38分=山咲 野の香=8683

〓
【撮影】12時38分=伊藤 幸司=130

〓
【撮影】12時39分=伊藤 幸司=131

〓
【撮影】12時39分=伊藤 幸司=132

〓
【撮影】12時41分=伊藤 幸司=133

〓
【撮影】12時42分=伊藤 幸司=134

〓
【撮影】12時42分=伊藤 幸司=136

〓
【撮影】12時43分=山咲 野の香=8688

〓
【撮影】12時43分=伊藤 幸司=137

〓
【撮影】12時43分=伊藤 幸司=138

〓
【撮影】12時44分=伊藤 幸司=139

〓
【撮影】12時44分=伊藤 幸司=140

〓
【撮影】12時45分=伊藤 幸司=142

〓
【撮影】12時45分=伊藤 幸司=143

〓
【撮影】12時45分=伊藤 幸司=145

〓
【撮影】12時48分=伊藤 幸司=148

〓
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=151

〓
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=152

〓
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=153
たぶんここから道標に「諏訪岳」という名前が出てきましたが、それはいずれも後から書き加えたかたちです。

〓
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=154

〓
【撮影】12時51分=伊藤 幸司=155

〓
【撮影】12時51分=伊藤 幸司=157

〓
【撮影】12時51分=伊藤 幸司=158

〓
【撮影】12時53分=伊藤 幸司=159

〓
【撮影】12時58分=伊藤 幸司=161



13:00

────1250ごろ_林道から歩道・松風の道(京路戸峠へ2.3km)に入る(標高約200m)
1305ごろ_標識「休憩所0.1km」に従う
1310-20ごろ_電波塔(佐野市消防本部唐沢山無線基地局)で休憩(標高約270m?)
1325ごろ_下ると反対側の標識「休憩所0.1km」があって林道に出る
・林道からすぐに関東ふれあいの道が分岐「京路戸峠1.3km」(標高約250m)
1345ごろ_小ピークをいくつか越えて「←2.5km唐沢山神社■京路戸峠→0.4km」という道標
────1400-10ごろ_京路戸峠で休憩(標高約210m)



〓
【撮影】13時00分=伊藤 幸司=164

〓
【撮影】13時00分=伊藤 幸司=165

〓
【撮影】13時00分=伊藤 幸司=166

〓
【撮影】13時04分=伊藤 幸司=168

〓
【撮影】13時05分=伊藤 幸司=169

〓
【撮影】13時06分=伊藤 幸司=170

〓
【撮影】13時07分=伊藤 幸司=171

〓
【撮影】13時07分=伊藤 幸司=172
「休憩所0.1km」という標識がありましたから、もちろんそちらに向かいました。

〓
【撮影】13時07分=伊藤 幸司=173

〓
【撮影】13時10分=伊藤 幸司=175

〓
【撮影】13時11分=伊藤 幸司=178

〓
【撮影】13時11分=伊藤 幸司=179

〓
【撮影】13時15分=伊藤 幸司=181

〓
【撮影】13時15分=伊藤 幸司=182

〓
【撮影】13時23分=伊藤 幸司=184

〓
【撮影】13時24分=伊藤 幸司=186

〓
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=187

〓
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=188

〓
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=189

〓
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=190

〓
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=192

〓
【撮影】13時34分=伊藤 幸司=195

〓
【撮影】13時35分=伊藤 幸司=196

〓
【撮影】13時36分=山咲 野の香=8693

〓
【撮影】13時36分=伊藤 幸司=197

〓
【撮影】13時38分=伊藤 幸司=198

〓
【撮影】13時38分=伊藤 幸司=199

〓
【撮影】13時39分=伊藤 幸司=202

〓
【撮影】13時41分=伊藤 幸司=204

〓
【撮影】13時44分=伊藤 幸司=205

〓
【撮影】13時44分=伊藤 幸司=207

〓
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=210

〓
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=211

〓
【撮影】13時46分=伊藤 幸司=213

〓
【撮影】13時46分=伊藤 幸司=215

〓
【撮影】13時52分=伊藤 幸司=219

〓
【撮影】13時52分=伊藤 幸司=220

〓
【撮影】13時52分=伊藤 幸司=221

〓
【撮影】13時55分=伊藤 幸司=224

〓
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=225

〓
【撮影】13時58分=伊藤 幸司=226

〓
【撮影】13時58分=伊藤 幸司=228

〓
【撮影】13時59分=伊藤 幸司=229
ようやく京路戸峠に到着しました。稜線は佐野市の消防無線アンテナのあたりからずっと栃木市との境界となっていて、諏訪岳の先まで続いています。関東ふれあいの道は諏訪岳の手前から下って、栃木市岩舟町小野寺の村檜(むらひ)神社へと下って行くようです。ただ佐野市側はこの京路戸峠から東武・多田駅へと下る……ということになります。
計画では那須岳までまだ30分ありますから、予定通り前進です。



14:00

1400-10ごろ_京路戸峠で休憩(標高約210m)
1415ごろ_「←0.3km京路戸峠■村桧神社1.1km→」の標識(標高約250m)から諏訪岳へ
1435-50ごろ_諏訪岳山頂(標高=324m)
────1500ごろ_諏訪岳分岐にもどる(標高約250m)



〓
【撮影】14時08分=山咲 野の香=8698

〓
【撮影】14時08分=伊藤 幸司=231

〓
【撮影】14時08分=伊藤 幸司=232

〓
【撮影】14時09分=伊藤 幸司=233

〓
【撮影】14時09分=伊藤 幸司=234

〓
【撮影】14時09分=伊藤 幸司=235

〓
【撮影】14時15分=伊藤 幸司=236

〓
【撮影】14時17分=伊藤 幸司=237
いよいよ諏訪岳への登りですが、別名京路戸山、中村富士で、その中村富士の北には東武線葛生駅のあたりに「富士見町」があります。標高差約70mの登りですが、見るところから見れば「富士山」たるべき30度の斜面なんですね。

〓
【撮影】14時17分=伊藤 幸司=238

〓
【撮影】14時20分=山咲 野の香=8699

〓
【撮影】14時21分=伊藤 幸司=240

〓
【撮影】14時22分=伊藤 幸司=241

〓
【撮影】14時23分=伊藤 幸司=242

〓
【撮影】14時23分=伊藤 幸司=244

〓
【撮影】14時31分=伊藤 幸司=247

〓
【撮影】14時37分=伊藤 幸司=248

〓
【撮影】14時38分=山咲 野の香=8705

〓
【撮影】14時38分=伊藤 幸司=253

〓
【撮影】14時43分=山咲 野の香=8706

〓
【撮影】14時46分=伊藤 幸司=254

〓
【撮影】14時47分=伊藤 幸司=255

〓
【撮影】14時47分=伊藤 幸司=256

〓
【撮影】14時50分=伊藤 幸司=257

〓
【撮影】14時54分=伊藤 幸司=259

〓
【撮影】14時58分=伊藤 幸司=264
ここで10時35分に両毛線の車窓から見た岩船山を背後から見ることになりました。手前に見える剥げた斜面はこの一体に「無数にある」という感じの採石場です。


15:00

────1500ごろ_諏訪岳分岐にもどる(標高約250m)
1510ごろ_京路戸峠に戻り、東武・多田駅方面へ下る(標高約210m)
1530ごろ_京路戸公園でタクシーを待つ(標高約90m)
────・佐野安らぎの湯で入浴・食事



〓
【撮影】15時01分=伊藤 幸司=265

〓
【撮影】15時02分=伊藤 幸司=266

〓
【撮影】15時02分=伊藤 幸司=268

〓
【撮影】15時08分=伊藤 幸司=272

〓
【撮影】15時08分=伊藤 幸司=273

〓
【撮影】15時10分=伊藤 幸司=276

〓
【撮影】15時11分=伊藤 幸司=277
この写真は非常に重要です。地元のだれかが、シャベルだかツルハシだかを持ってきて、ここにささやかな溝を掘ったのです。その様子を見ると、まだ新しい。すぐ後でも写真が出てきますが、かならずしも確信犯的破壊者ではなく、手慣れた道路保全技術者でもないようです。
これまで何度か、こういう(たぶん)個人的な試し掘りを見ましたが、どうも広がる気配はありません。残念です。この先に山小屋があったりして、山小屋の人たちが自分たちのお客さんのために手入れをしているようなところだと、かなり広範に、繰り返しこういう「手入れ」がなされているんですね。
傍観者として何を言いたいかというと、豪雨から山道を守るもっとも賢い方法は、下り道がカーブしているところで、外側に小さな溝を掘ることだと思うからです。箱根などでは立派すぎる排水路を見栄えのいいところにいくつも作って、溝に流れ込んだ土砂の排除を登山者(利用者)にお願いしていたりしています。しかし下り坂の外カーブにこんな(あるいはこれより控えめな)溝を掘ることで、ある日、川のように押し寄せてきた水流は、破壊力を増す前に排除されていくのです。道そのものが干上がった川底のようになって、路肩がそびえ立つようになる前に、こういう安全装置を用意していくことが必要だといつも感じるのです。
記憶に残っているものでは赤城山のどこかで、1本、こんな「試し掘り」を見ましたが、たぶん、みなさん、勇気ある行動として、試験掘りしてみたんだろうな、と思います。この溝を掘った方も、ぜひもうすこしいろいろな場所で試験掘りされて、地元の道を豪雨から守っていただければ「うれしい」なんて身勝手に思いました。

〓
【撮影】15時12分=伊藤 幸司=278

〓
【撮影】15時12分=伊藤 幸司=280

〓
【撮影】15時13分=伊藤 幸司=281

〓
【撮影】15時15分=伊藤 幸司=283

〓
【撮影】15時19分=伊藤 幸司=284

〓
【撮影】15時19分=伊藤 幸司=285

〓
【撮影】15時19分=伊藤 幸司=286

〓
【撮影】15時20分=伊藤 幸司=287

〓
【撮影】15時21分=伊藤 幸司=290

〓
【撮影】15時27分=伊藤 幸司=291

〓
【撮影】15時27分=伊藤 幸司=292

〓
【撮影】15時30分=伊藤 幸司=293

〓
【撮影】15時31分=山咲 野の香=8713

〓
【撮影】15時31分=伊藤 幸司=294
私たちは田沼工業団地の手前にある京路戸公園でタクシーを待ちました。佐野合同タクシーが東武線田沼駅に2台常駐していて、必要なら佐野駅から助っ人に出るというので、京路戸峠から諏訪岳に向かうときに15時半ということで2台を予約しておきました。これは2台目を待つ4人組。



16:00
17:00

────1530ごろ_京路戸公園でタクシーを待つ(標高約90m)
・佐野安らぎの湯で入浴・食事
────・1800ごろ_タクシーで佐野駅着。JR両毛線・佐野駅から帰途



〓
【撮影】16時58分=伊藤 幸司=296
これは「ねぎトロ鉄火丼とかき揚げそば御膳」でなんと1,300円。「贅沢に二種類のマグロを味わえ、ボリュームのあるかき揚げをおそばと共に。」とのこと。Oさんひとりがこれを見つけたのですが、全員「オオ〜ッ!」と。

〓
【撮影】17時57分=伊藤 幸司=298
佐野駅の入口にあった「さのまる」君。

〓
【撮影】17時58分=伊藤 幸司=299

〓
【撮影】17時58分=伊藤 幸司=300



★ページ 先頭に戻ります
Copyright 2018 Koji Ito & ito-no-kai All rights reserved.